アクセス解析
カウンター

偉大なるダメ人間シリーズその1 キルケゴール  My


こちらに移転しました(「【『ダメ人間の世界史』&『ダメ人間の日本史』ブログ版】(01)最凶メイドオタク哲学者 キルケゴール」)

また、書籍化もしておりますので、そちらもよろしくお願いします。
【通販商品ページ】
Amazon   :『ダメ人間の世界史』(ダメ人間の歴史vol 1)
楽天ブックス:『ダメ人間の世界史』(ダメ人間の歴史vol 1)


以下の文章は管理修正を凍結した旧版です。このページを引用元にしているサイト等が存在する可能性を考え削除はしませんが、文字を小さくしています。移転先の現行の文章の方をご覧下さい。








偉大なるダメ人間シリーズその1 キルケゴール
 19世紀のデンマークにキルケゴール(1813〜1855)という哲学者がいました。実存主義哲学の祖として有名な人らしいです。客観的な真理の追究に励んでいた哲学の世界で、真理を主観的個人的なものと位置づけなおし、思想史上に巨大な転回をもたらした人物です。そのついでに24歳の時に14歳の少女レギーネ・オルセン(1823〜1904)に深い恋心を抱いた勇者だったりもします。そのときの彼の日記には「おお神よ、なぜにこのような愛の心が、今この時に私に目ざめねばならなかったのか」(工藤綏夫『人と思想19 キルケゴール』清水書院 63頁)と記してあるそうです。ロリコンという言葉の元になった文学作品、ナボコフの『ロリータ』では、「ここで私は、つぎのような考えを披露したいと思う。それは、少女は九歳から十四歳までのあいだに、自分よりも何倍も年上のある種の魅せられた旅人に対して、人間らしからぬ、ニンフのような(つまり悪魔的な)本性をあらわすことがあるという考えだ。この選ばれたものたちを『ニンフェット』と呼ぶことにしよう。」(大久保康雄訳 新潮文庫 25頁)とした上で、「しかもこの問題では時間の観念が非常に魔力的な役割を果し、男がニンフェットの呪縛を受けるには、少女と男のあいだに、数年、私に言わせれば最低十年、一般的には三十年から四十年の年齢のひらきが必要で、少数だが九十年もちがう例が知られているが、これとて、べつに驚くにはあたらない。」(同書 26〜27頁)としています。現在の日本の世間一般での用法と比べて相当に狭く限定されているであろう、この定義に従っても、14歳の少女と十年差で、立派にロリコン認定されてしまう剛の者です。
 まあ、その後も彼は愛情を保ち続け数年後には少女と婚約していますから、その年代しか愛せないとかではなく、それほど重症ではなかったと言えるでしょう。ただ、それからまもなく彼はこの婚約を破棄してしまいます。彼の名誉のために言っておくと、婚約してはみたものの、大きくなってしまった少女には以前のような愛情を抱くことができず思い直した、とかいうわけではありません。宗教的な生き方を貫くために、そして宗教的な生き方に巻き込んで不幸にしないために、愛情はあるけど、敢えて別れたんだそうです。哲学とか宗教にはまり込むような過敏な感受性の持ち主が、一人で勝手に盛り上がって思い詰め、婚約破棄とか言って大騒ぎしたってことなんでしょうか?彼が結婚から逃げた背景に、少々歪んでいた両親の家庭生活の影響を見て取る向きもあるようです。まあ彼の婚約破棄をどう評価するかは、ここでは割とどうでも良いことなので置いておきましょう。
 さて、この婚約破棄の体験を元にして、彼は『誘惑者の日記』なる文学作品を書いています。すでにそこそこ勇者な彼ですが、この本で桁違いの勇者っぷりを発揮することになります。以下に少しばかり文章を引用してみましょう。

一般に、女中風情に興味はないという男があるなら、それで損をするのは、女中さんたちよりも、むしろそういう男なのだ。女中さんたちの色とりどりな軍勢こそ、ほんとに、わがデンマークの有するもっともすばらしい市民軍なのだ。もしぼくが国王だったら──何をすればいいか、ぼくはちゃんとわきまえているつもりだ──ぼくは常備軍の閲兵などはおこなわないだろう。もしぼくが市の三十二人の議員の一人なら、即座に公安委員会の設置を提案して、視察したり、相談にのったり、熱心に教えたり、しかるべき褒賞をあたえたりして、装いが趣味豊かで注意のよくゆきとどいたものになるよう、女中さんたちの督励に万全の策を講じさせるだろう。どうして美を浪費してよいものか、どうして美しいものを、一生人目につかせずに終わらせてよいものか、せめて週に一度ぐらいは、光を浴びさせて、美しく際だたせてやりたいものではないか!しかし、それには何より、豊かな趣味が、節度が必要だ。女中が淑女のような服装をしてはいけない。この点では、“ポリティヴェンネン”誌の主張は正しいが、尊敬すべき同誌があげている理由は全く間違っている。このようにして女中階級がいつか望ましい花をひらいてくれることを期待することができるとすれば、それは、やがてまた、われわれの家庭の子女に有益な影響をあたえることになろうというものではないか?それとも、ぼくが、このようにして、真に無比ともいえるほどのデンマークの将来を予見するのは、大胆にすぎるであろうか?幸いにしてぼく自身、そのような黄金時代に生きてめぐりあうことができるなら、日がな一日、心安らかに、大通りや横町をさまよいあるき、目をたのしませることもできるというものだ。これはまた、ぼくの思いは、なんと遠くまで、なんと大胆に、そしてなんと愛国的に、空想をはせたことだろう!しかし、ぼくもやはりここフレーアリクスベルクに出かけてきているのである、ここは、日曜日の午後に女中さんたちがやってくるし、ぼくも出かけるところなのだ。(桝田啓三郎訳 ちくま学芸文庫 233〜235頁)

要するに彼が言いたいのはこういうことでしょうか?
 メイドに興味がない男は人生損してる。デンマーク軍よりメイドは偉い。軍隊鍛える暇があったら、メイドの調教する方がお国のため。ぼくが国王や議員なら軍隊なんかほっぽり出してメイドの調教に励む。ふつうの女性が着るような服装は却下で、メイド服が必須。メイド文化にどっぷりつかればデンマークの少年少女の未来も明るい。メイドキングダム・デンマークの到来は、それほど大胆な考えではなく、十分に予見できること。そうすればデンマークは黄金時代。生きてそんな時代にめぐりあって、一日中メイドを視姦してたいなあ。メイドキングダム・デンマークを祈ることこそ愛国的。とりあえず日曜日にはメイドを視姦しに出かけよう。
 彼の愛国的空想を、どう評すればよいのかよく分かりませんが、とりあえず、ナショナリズム華やかなりし19世紀に、国民軍なんかよりメイドが良いとか言ってのける人間がいたことは、驚きです。
 なお、この本はキルケゴールの体験を忠実に記録したわけではなく、体験を元に文学的な創造を行ったものですから、これは彼の意見じゃないとすることも不可能ではないかもしれません。彼自身、自分の著作をフィクションと捉え、自分の言葉ではないとし、あくまで実験的に思想を典型的に展開したものと位置づけています。でもこの箇所は思想的な問題とあまり関係なく、書く必要もない事項を、わざわざ長々と熱っぽく語ったものですから、このようなキルケゴールの著作に対する自己評価を適用する必要はないでしょう。これは無意識の内にうっかりとこぼれ出た偽りのない本心からの発言、思わずさらけ出してしまった彼の性癖であると考えるのが自然かと思われます。だいたいこんな文章、普通の性癖の人間が考えつくはずがありません。
 ちなみに、この文章に続けてダラダラと具体的情景の妄想が展開されます…。が、そこはこれ以上取り上げなくても良いでしょう。これだけで十分お腹いっぱいです。遠くに空想をはせすぎです。
 なんだかもう満腹したので、まとめに入ります。キルケゴールは軽度のロリコンで、重度のメイドマニア。


おわりに
 この文章は、昔に仲間内で披露したネタをもとに作成しました。マスコミによってさんざん食い荒らされ、終わった感じさえ漂うメイドなんてネタを今更持ち出すのもどうかと思うのですが、このまま死蔵しておくのももったいないので。
 ところでキルケゴールとレギーネの年齢差が本文では九歳差、巻末の年譜では十歳差になっている例が多い(下に挙げた文献のうち人と思想19の本文と年譜、柏原「キルケゴールという出来事」と年譜に不一致がある)のはなぜなのでしょう?何か隠そうとしてますか?

 キルケゴールが生前、マスコミによって大いに辱められ苦しめられたことを考えると、マスコミに食い荒らされたメイドなんてネタに絡ませて、死後にまで彼を面白おかしく語るのは少々申し訳ない気もします。そこで最期に一言付け加えておきますが、この文章は所詮遊びなので、あまり真剣に受け取らないで下さい。

参考資料
 人と思想19 キルケゴール;工藤綏夫著 清水書院
 死に至る病 現代の批判;キルケゴール著 桝田啓三郎訳 中公クラシックス(年譜と柏原啓一「キルケゴールという出来事」が含まれている)
 誘惑者の日記;セーレン・キルケゴール著 桝田啓三郎訳 ちくま学芸文庫 
 ロリータ;ナボコフ著 大久保康雄訳 新潮文庫


←偉大なるダメ人間シリーズ 序 発表一覧に戻る 偉大なるダメ人間シリーズその2→
諸葛亮
ダメ人間目次に戻る