イースター島 旅行記

サンティアゴからイースター島へ

サンティアゴからイースター島へ

イースター島行きのLAN航空LA841便は、サンティアゴを朝に出発した。チリの海岸からイースター島までは約3,700km。5時間半の空の旅だ。イースター島は英語でEaster Islandだが、チリではスペイン語でIsla de Pascua(パスクア島)と表記されている。イースター島民は、Rapa Nui(広い大地)と呼ぶそうだ。

イースター島 マタベリ国際空港

青い空と海だけだった飛行機の窓に南太平洋上の孤島が見えると機内が賑やかになった。大勢の旅行者を乗せた飛行機は、イースター島のマタベリ国際空港に到着。タラップを降りて島の大地を踏みしめる。日差しが強く蒸し暑いが気持ちいい風も吹いている。ついにイースター島に来てしまった。

空港ロビーには、ツアー客の迎えやホテルの予約デスクが旅行者を迎えている。僕らはホテルの予約をしていないので空港で宿泊先を探した。イースター島のホテルは、シングル30USドルからあるが、僕らはイースター島に1週間以上滞在するのでオスタルにキャンプ場を併設したミヒノアへ行くことにした。

イースター島 ミヒノア・キャンプ

イースター島唯一の村ハンガロアのメインストリートから歩いて20分ほどの場所にミヒノアキャンプはある。島の西南部の海岸に位置していて、目の前に180度海が広がる絶好のロケーションだ。僕らはこのキャンプ場でテントを張ることにした。キャンプ料金は、テントに寝袋付きで5,000ペソ(約1,100円)。シャワーやキッチンを自由に使うことができるので、キャンプ生活とはいえ快適に過ごすことができそうだ。むしろ僕はこういうのを待っていた。

イースター島 テント泊

サッカーコートほどキャンプ場には、既にたくさんのテントが張られていた。この日はサンティアゴの女性団体ツアー客が来ていたため、僕らのような個人旅行者を含めて100人近くいるそうだ。長髪のオーナーは、褐色の肌にポリネシア系民族模様のタトゥーが入ったまさにイースター島民といった風貌。宿泊客の対応に追われて忙しそうにしている。

モアイに沈む夕陽

イースター島のビーチ

テントの中が蒸し風呂のようになり目が覚めた。明け方に少し雨が降ったようだが、目の前の海には青空が広がっている。このキャンプに宿泊中の日本人や、バカンスに来ているチリ人、イスラエル人の個人旅行者らと共にイースター島やこれまでの旅の話をしながら過ごす。

イースター島 タハイ

夕方、キャンプ場から海岸沿いを歩いてタハイ遺跡へ向かった。ハンガロア村に隣接したタハイ遺跡は、遺跡というより海に面した広場のようになっていて、芝生に寝転んだり本を読んだりして過ごす島民の姿もある。

タハイのモアイと夕陽

タハイ遺跡には、5体のモアイが並ぶアフ・パイウリや、900体近くあるとされるイースター島のモアイのなかで唯一、目がはめ込まれたアフ・コテリク、巨大なモアイが立つアフ・タハイという3つのアフが集まっている。

実際に目にしたモアイは、想像以上に大きく、傷んでいた。モアイのバックに沈む美しい夕陽を眺め、夜になってからミヒノアキャンプに戻った。

イースター島 ラパヌイ語

イースター島

今朝もテントがサウナ状態になり目が覚めた。キャンプ場で一人旅をしている美容師の日本人女性と親しくなり、マイコの髪を丁寧に編みこんでくれた。彼女は、既にイースター島の観光を終えていたので、僕らにガイドブックのイースター島のページをくれた。島の情報が何もなかったのでありがたい。

イースター島 タハイ

イースター島では、スペイン語が話されているが、基本的な挨拶などは、現地のラパヌイ語を使う。こんにちはさようならはラパヌイ語でイオラナありがとうマウルルで、元気ですか?ペペコイ?いいね!リバリバ!おいしいネネ美しいネヘネヘ小さいイティイティ。イントネーションが尻上がりなので口にするだけで陽気になる。

イースター島の巨大カルデラ

アナ・カイ・タンガタ

イースター島滞在4日目。島の南西端にあるカルデラ、ラノ・カウまで歩いて行ってみることにした。激しい波しぶきをあげる崖沿いを歩くと、アナ・カイ・タンガタと呼ばれる小さな洞窟があった。アナが洞窟、カイが食べる、タンガタは人という意味で、ここで戦いに負けた部族を食べる食人の儀式があったとされている。カニバリズムというやつだ。

イースター島の壁画

洞窟に入るために崖沿いに作られた階段を降りる。浅く開放的な洞窟で食人洞窟というような不気味さはない。洞窟の天井に鳥の絵が描かれていた。

アナ・カイ・タンガタから眺めるラノ・カウ

アナ・カイ・タンガタから眺めるラノ・カウ。地面に生える野生のグアバを摘み喰いしながら、1時間半ほどかけて丘を登りきると、ラノ・カウが広がっていた。

巨大カルデラ ラノ・カウ

大きなカルデラがあるというのでやってきたが、そのスケールに驚いた。このカルデラは直径1.6km。アンデスのチチカカ湖のようにトトラが生える水面と火口の淵は200mほど標高差があるそうだ。海底火山の噴火によって形成されたイースター島のなかでも、ラノ・カウは最大規模のカルデラ。この下に海底山脈が連なっていて、ここがその噴火口だ。島はこの湖のおかげで真水が確保できるそう。

キャンプ場からの夕焼け

雲の多い日だったが、イースター島の夕焼けは今日もきれいだ。サンティアゴから持ってきた食材が尽きたので、島にひとつしかないスーパーで食材を買い、今夜もパスタやスープを作った。

イースター島の教会と博物館

イースター島の教会

イースター島唯一の教会。昨日の洞窟の壁画と同じような鳥人のレリーフなどが外観に描かれていた。中央にフリーメイソンのシンボルがある。イースター島とフリーメイソンはどんな関係があるのだろう。教会内部はウッディーで温かい雰囲気だった。

イースター島博物館

この島の歴史を知るべく、イースター島博物館へ足を運んだ。この博物館では、日本語訳の冊子を貸してくれるので、それ読みながら展示物や写真ボードを1時間ほど見て回る。島に残された古代のロンゴロンゴという文字が現在も解読されていないなど、モアイ以外にも謎の多い島だ。これまでいろんな場所を旅してきたが、よくわかっていないことだらけなのは、イースター島くらいだろう。

アフ・アキビ、オロンゴの儀式村

イースター島の道路

周囲58kmのイースター島。小さいとは言え、歩いて回るのは大変だ。島内に点在するモアイを見に行くには、レンタカー、レンタルバイク、バギー、自転車、馬(!)などで個人で回るか、ツアーに参加することになる。レンタカーの料金は、1日50,000ペソ(11,500円)と高め。僕らは、2〜3日かけて島のモアイ巡りをしたかったので、安いバイクを借りた。二人乗り可能な125ccのバイクは、1日20,000ペソ(4,500円)

イースター島 レンタルバイク

イースター島の道路は、ハンガロア村周辺こそ舗装されているが、村から少し離れると石だらけでデコボコした未舗装の道ばかりだ。ゆっくり走れば二人乗りでも危なくはなく、信号も交通標識もない島を自由に走るのは気持ちいい。イースター島の蒸し暑い空気のなか、風を切って走るのは爽快だ。

アフ・アキビのモアイ

バイクで最初に向かったのは、アフ・アキビという小高い場所ある7体のモアイ像。アフ・タハイのモアイは、頭部が欠けていたり、顔がなかったりと損傷が激しかったが、海を見つめて立つここのモアイは顔が残っている。それぞれ微妙に表情が異なっていることも確認できる。モアイを見ていると童心にかえったようになるのは何故だろう。

アフ・アキビのモアイ

10~11世紀に造られた高さ4m、重さ20トンもあるここのモアイたちは、島に立てられたモアイのなかで唯一、海を見つめて立っている。モアイの見る方向は、春分、秋分の日没の方角で、その先には、島に伝わる伝説の王ホツマツアがやって来たとされるマルケサス諸島のヒバオア島がある。

プナ・パウ

島の西、切り立った崖沿いまでバイクで走り、太陽を反射してキラキラ光る海をしばらく眺め、来た道を戻ってプナ・パウという場所へ向かった。

プナ・パウのプカオ

ここはモアイの頭に載せるプカオという赤い帽子のような岩を切り出していた場所で、今も切り出し途中の大きなプカオがゴロゴロ放置されていた。赤色凝灰岩で造られたこのプカオは、当時の人々が結っていたマゲを表している。

イースター島 オロンゴの儀式村

太陽が傾きかけた頃に向かったのは、先日行ったカルデラの端っこ、イースター島西南端に位置するオロンゴという儀式村跡。オロンゴは、国立公園入場料として5,000ソル(1,200円)を支払う。ここは、イースター島のモアイ信仰が人口が増え過ぎたことによる飢餓や部族間の争いによって、モアイ倒しの戦争という結果で終焉を迎え、その後に始まったマケマケという鳥人信仰の聖地となった場所だ。

オロンゴの岬にあるモトゥ・ヌイ

カルデラの淵に造られたオロンゴの岬には、モトゥ・ヌイという小さな島がある。鳥人儀式では、この島までグンカン鳥の卵を採りにいき、最も早く戻ってきたグループの人間が1年間鳥人として崇められた。鳥人となった者は、神とされ、踊りながらアナ・カイ・タンガタの洞窟で人肉を食べたとされている。今のラパヌイの人たちからは、食人なんて想像もできないが、本当にそういう歴史がこの島にあったそうだ。

オロンゴ 鳥人のレリーフ

オロンゴ周辺の岩には顔や鳥人らしきレリーフが刻まれていて、鳥人信仰の痕跡が200点ほど残っている。日差しが強いうちはレリーフの様子がよくわからなかったが、沈む夕日があたりの岩を真っ赤に照らすと、それがはっきり確認できるようになった。

イースター島 オロンゴの夕陽

静かなオロンゴの岬から見た夕陽は、絶対に忘れられない瞬間のひとつだ。チリの海岸まで3,700km、人が住む一番近いピトケアン島まで1,900km。南太平洋の孤島からの美しい眺めだった。

イースター島 モアイ巡り

イースター島 倒れたモアイ

今日もバイクでモアイ巡りに出発。島の南部から反時計回りにグルッと島を一周する。南部の海岸沿いをバイクで走っていると、周囲に倒れたモアイがあった。崩れて岩のようにしか見えないものから、大きなものまで倒れたモアイが散在している。アフ・アカハンガという場所には、13体のモアイが立てられていたが、その全てが倒されていた。

倒れたままのモアイ

1680年頃のモアイ倒し戦争によって倒されたモアイは、300年以上も倒されたまま放置されている。折れた首だけが転がっていたりして、寂しい光景だ。この島の歴史を伝えるために、倒したままにしておくことも必要なのかもしれないが、形の残っているモアイだけでも元に戻してあげたいと思ってしまう。(※追記:1960年のチリ地震で発生した津波で倒れたモアイもある。)

イースター島 ラノ・ララク

海から吹き付ける強風に煽られながらバイクを走らせ、石ころだらけの道を進むと、モアイを切り出した山ラノ・ララクに着いた。

ラノ・ララクのモアイ

ラノ・ララクは、山全体がモアイの切り出し場となっていて、作りかけのモアイや顔が半分地面に埋まったままのモアイなど全部で400体近くあるらしい。

モアイは口をしっかり閉めているのが基本だが、口を開けて笑っているように見えるモアイや、女のモアイも存在するらしい。正座して座っているモアイにはあごひげが付いている。

イースター島 切り出し途中のモアイ

最初のイースター島民は、4世紀にポリネシアのマルケサス諸島からカヌーでイースター島にやってきたとされているが、彼らは何故こんなにもたくさんのモアイを建造したのだろう。

ラノ・ララクのモアイ

イースター島民は、モアイを運搬するための丸太が必要だったために、島中を覆っていた森を伐採した。その結果、土地が荒れて農地がなくなり、大規模な飢餓が発生。食料を求めた部族間の争いから、最終的にはモアイ倒し戦争へと繋がってしまったそう。

ラノ・ララクのモアイ

モアイは、モ=未来アイ=生きるという意味があるそうだが、小さな島で起きた繁栄から滅亡へのストーリーは、今の地球全体にも当てはまるように思う。未来をよりよく生きようとして、石油に依存した世界になり、それが原因で戦争も起こり、ついには地球温暖化にまで繋がってしまった。あと何百年後か何千年後かわからないが、いまの地球の文明が過去のものとなったとき、残されるのは自動車や巨大な工場の遺跡だったりするのかもしれない。

イースター島 アフ・トンガリキ

ラノ・ララクのすぐ近くには、アフ・トンガリキというイースター島最多の15体のモアイが立つアフがある。以前は、アフ・トンガリキのモアイも全て倒されていたが、1993年から1995年にかけて日本のクレーン会社タダノがクレーン車をイースター島まで運び、1億円もの資金を投じて発掘調査と再建をしたそうだ。

アフ・トンガリキのモアイ

長さ200mのアフに立つモアイは圧巻で、これぞイースター島という感じ。アフ・トンガリキのモアイは、朝日を背に浴びる唯一のモアイということで、サンライズポイントにもなっている。

イースター島 15体のモアイ

生まれ故郷の岩山ラノ・ララクを眺めるモアイ。

イースター島のビーチ

島の東側にあるアフ・トンガリキから、北の海岸までの道はひどい悪路が続いていた。北の海岸沿いにもいくつか見どころが点在しており、パパ・バカという岩に刻んだレリーフが多数残されている場所や、テ・ピト・クラという強い磁場を持つツルツルの不思議な石球、アフに立たされたことのある最大のモアイパロ(9.8m、現在は倒されたまま)オバヘという白砂の美しいビーチなどを見て回った。

アナケナ・ビーチ

島の北側にあるアナケナ・ビーチには、7体のモアイが立つアフ・ナウナウがある。ここのモアイも倒されていたが、白砂のビーチに埋もれていたおかげで保存状態がよかったそうだ。近くに寄ってみると体に刻まれたレリーフが他のモアイよりもしっかり残っているのがよくわかる。このビーチは、イースター島民の海水浴場にもなっていて、ビーチで遊ぶ子供や、ボディーボードを楽しむ人で賑わっていた。

イースター島の日の出

イースター島 夜明け

朝5時半、テントのファスナーから顔を出すと新月の空には、星空が広がっていた。静まり返ったキャンプ場を抜け出し、バイクで海岸沿いの真っ暗な道を進む。

イースター島 日の出

1時間後、僕らは再びアフ・トンガリキに到着。モアイの影の前に腰を下ろして日の出を待った。モアイの背後から太陽が昇り始めると、東の空が魔法でもかけたように不思議な色に変わっていく。アフ・トンガリキのトワイライトは、15分後に淡い朝の空に変わった。

イースター島 ラノ・ララク

アフ・トンガリキを後にして、モアイを切り出していたラノ・ララクに再び向かった。2度もここに来た理由は、裏側の存在を知ったからだ。昨日、山の表側を見て回ったときは気づかなかったが、裏側には湖があった。山だと思っていたラノ・ララクは、ラノ・カウと同じようにカルデラで、昨日見て回ったのはその表側。カルデラの内側でもたくさんのモアイが作られていた。数匹の馬が静かに草を食んでいた。

イースター島 ラノ・ララク

ラノ・ララクの崖をてっぺんまで登ると、アフ・トンガリキの方を遠くまで見渡すことができた。絶景だった。ここはとても静かで、僕らの足音と風で草が揺れる音しか聞こえない。

イースター島 ラノ・ララク

表側と比べて手入れがされていない裏側は、草木や雑草が生え放題で、この鬱蒼とした場所にモアイが佇んでいる様子が謎めいた雰囲気をより一層醸し出していた。

イースター島

明日の昼の飛行機でこの島を去る僕らは、念のために村のLAN航空のオフィスでリコンファームをした。イースター島からの出発便は、帰りの航空券が予約してあってもリコンファームしないと席が確保されないとか。イースター島に着陸する飛行機や飛び立っていく飛行機をキャンプ場から何度も眺めてきたが、ついに僕らもこの島を離れなければならない。明日、僕らと同じ便でイースター島を去る旅行者が何人かいたので、今夜は皆で食材を持ち寄って夕食を作った。

同じキャンプ場に居合わせた陽気なチリ人女性のツアー客、一人旅の穏やかなイスラエル人、ヨットで3年間世界の海を航海しているノルウェー人男性二人組、世界一周の旅を始めたばかりの若い日本人女性、イースター島が好きで1ヶ月以上も滞在している人、僕らのようにもうすぐ国へ帰る者、イケイケなラパヌイの青年など、ここでもいい出会いがたくさんあった。

イースター島

イースター島最後の夜。今日も手が届きそうなくらいたくさんの星が輝いている。普段見えないものまで見えるので、逆さまのオリオン座も他の星とごちゃ混ぜでわからないほど。星空は、頭上だけでなく水平線まで夜空をフルカバーしているので、地球が球体だということを実感できるような立体感があった。

日本では、夜空も見上げずに蛍光灯の下で過ごしてしまうことが多かったが、ここにいると、美しい星空を眺めて送ることのできる人生の方がよっぽど素敵に思えてくる。

イースター島 ライブハウス

夜明け前から行動していたので眠たかったが、週末の夜は深夜12時からイースター島のアーティストがライブをするというので、ライブハウストパタンギへ向かった。

店内は、島の人々が大勢集まり、音楽に合わせて踊っている。見ているこっちが嬉しくなるくらい皆幸せそうだった。足を素早く動かしながらも、腰はフラダンスのようにくねらし、手でリズムをとる変わったラパヌイ・ダンスは、一見の価値があると思った。生で演奏をしていた2組のバンドも、フォークロックにポリネシアっぽい要素がミックスした感じでいい。明日は朝早いので長居はしなかったが、島の人たちと一緒に飲んで踊って楽しい夜だった。

イースター島からサンティアゴへ

イースター島の虹

イースター島出発の朝、朝食を食べて荷物をパッキングしていると、20分ほど激しく雨が降り、その後、キャンプ場の前の海に大きな虹が現れた。イースター島は、本当に素晴らしい滞在だったが、最後におまけのように虹まで出てきてくれた。

イースター島 マタベリ国際空港

雨上がりの道をトラックの荷台に乗って空港まで送ってもらうと、キャンプ場のスタッフの女性が、小さな木彫りのモアイの首飾りをプレゼントしてくれた。8日間のイースター島滞在もこれでお終いだ。またいつか訪れたいと思っても簡単な場所でないのはわかっているが、それでももう一度訪れたいと思うのは、モアイだけが魅力の島ではないからだと思う。

イースター島発、サンティアゴ行きの便は、定刻通りに空港を飛び立った。約5時間のフライトでサンティアゴの空港に着いたのは時差を含めてだった。飛行機を乗り換え、オーストラリアのシドニーへ飛ぶ。発のシドニー行きのフライトは遅れていて、出発したのは夜中の3時過ぎだった。続きを読む