spiritual music

 

 

 モーツァルト:レクイエム/踊れ喜べ幸いなる魂よ/アヴェ・ヴェルム・コルプス

 レクイエム〜オケゲム/モラーレス/ゼレンカ

 シュッツ:音楽のお葬式/イエス・キリストの十字架上の7つの言葉

 ブクステフーデ:われらがイエスの御体

 メシアン:われらの主、イエス・キリストの変容

 


 

 

 モーツァルト:レクイエム

 

 

 1.ザンクト・シュテファンのイヴェント

 ウィーンのど真ん中に建つザンクト・シュテファン大聖堂で、モーツァルトの没後200年だかを記念してレクイエムが演奏されるということで、チケットが手に入ったので行きました。行かれたことのある方はご存知だと思いますけど、ケルンの大聖堂と同じく、外は真っ黒、中も薄暗くて観光向きではありませんが、今日ばかりはテレビの照明機材も入って華やかな感じです。

 でも、座席をこれでもかと詰め込んであるので、私の席は柱の後ろです。まあいい席はオーストリア政府のお偉いさんとか、各国大使、日系企業も含めた経済界の人たちに割り当てられたのでしょう。そう、これは政府挙げてのイヴェントであり、モーツァルトは貴重な観光資源なのです(ザルツブルグはモーツァルトで食べている街と言っても過言ではないでしょう)。ですので、指揮はショルティ、演奏はもちろんウィーンフィル&ウィーン・シュターツオーパー合唱団です。

 肝心の演奏ですが……じぇんじぇんわかんないです。あんな広くて天井の高いところで、しかもずっと離れた席では。ぼわわわーんって感じで、残響して音が重なりまくり。ショルティさんも全く見えましぇーん。でも、枢機卿が執り行うミサは角度の関係でわりと見えました。仕方ないのでそれをじっと見てました。

 モーツァルトの音楽が鳴って途中で止まって、お坊さんがお香の入った壺みたいなのを振り回したり、ドイツ語でお説教を言ったり、また音楽、またお煎餅みたいなのを食べさせたり(聖体拝領です)とかそういう感じで進んでいきました。まあ退屈したけれど、貴重な経験させてもらいました。

 レクイエムを系統的に聴くようになったのはずっと後のことですが、典礼を見ながら聴いた経験(?)は、とても役に立っています。でも、少しわかってくると、怒りの日やラクリモーザをローマ法王庁はずっと排斥しようとしてきたんじゃないのか?とか突っ込みを入れたくなります。そういう黙示録的部分なしじゃあ、モーツァルトのみならず、近代のほとんどのレクイエムは成り立たないんですけどねw。……そんな小難しい話抜きで、ウィーンとモーツァルトが大好きな日本人を始めとした世界の観光客招致のためのイヴェントに教会も乗ったんでしょう。

 

 2.レクイエムの補筆

  モーツァルトのレクイエムは映画「アマデウス」以降、宗教曲としては異例の人気を誇っているように思います。曲の内容のすばらしさだけでなく、謎の人物からの作曲依頼といった伝説が夭折した天才の最期を飾るのにふさわしいと考えれられたのでしょう。

  私としては彼の最高傑作は「フィガロの結婚」か「ドン・ジョヴァンニ」、シンフォニー第41番ハ長調(いわゆるジュピター)などだろうと思いますが、レクエイムもザルツブルク時代に多く書いた宗教曲の土台があって、その上にウィーン時代に飛躍的に進歩したオペラで培ったきめ細かな表現力が実った、彼の音楽の総決算を目指したものといいでしょう。……これが未完成に終わったのはいかにしても残念です。

  謎の人物の正体はフランツ・フォン・ヴァルゼックという伯爵で、亡くなった妻のために自作として演奏しようと匿名で依頼したことがわかっていて、おかしいのは1793年にウィーンで開かれたモーツァルトの追悼演奏会で初演された後なのに、この伯爵がウィーン近郊で自作として演奏しているんですね^^。

  モーツァルトが亡くなった時には「怒りの日」のうちの「涙の日」の8小節までと、オフェルトリウム(奉献唱)の最後から2行目までの分についての声楽しかできておらず、オーケストレーションはもっと未完成でした。ですので、かなり高額の作曲料の半額を手付けとして受け取っていた妻のコンスタンツェとしては何としても完成させたかったわけです。これを当初、友人のアイブラーが依頼を受けたのですが、少し手をつけただけで放棄してしまいました。アイブラー自身、後年1803年にレクイエムを作曲していて大変優れた作品なので彼が完成していてくれればという気になりますが、実力があるだけに躊躇を感じたのでしょう。でも、アイブラーのものはモーツァルトの作品の影響も感じられ、逆にモーツァルトの作品に影響を与えたミヒャエル・ハイドン(ヨーゼフの弟です)のものとともに、ぜひ聴いていただきたい作品です。

  それで、コンスタンツェは次に弟子のジュスマイヤーに依頼し、完成したものが伯爵の渡され、これが現在でも通常聴かれるものになっています。こうした経緯からモーツァルトが書き残したまま「未完成」で演奏しようという試みやアイブラーの草稿に基づくヴァージョンなどもあるようです。しかしながら、私は保守的・伝統的な立場で、アイブラーよりは才能としては劣るジュスマイヤーにしてもモーツァルトのそばにいたわけですし、また当時の宗教曲の伝統の中にいたのですから、現在の学者や音楽家の分析的なアプローチによって簡単に否定されてよいのだろうかと思っています。

  映画「アマデウス」でモーツァルトの死の直前の場面で鳴っていたレクイエムは、ジュスマイヤーが補筆した部分が少なくなかったんですけど、そんなにおかしくなかったでしょう?……ジュスマイヤーの補筆をあげつらうことは簡単なことですが、私は彼の魂も彼の愛した先生と同じところに葬っておいてあげたいと思っているのです。

 


 

 

モーツァルト:踊れ喜べ幸いなる魂よ

 

 

 

 ソプラノ独唱とオーケストラ、オルガンによる「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」”Exsultate jubilate”K165 は、ミラノでカストラートのラウィツィニのために書かれました。この曲は、宗教曲、モテットというよりは、彼自身が多く書いているコンサート用のレチタチィーヴォとアリアとして聴いたほうがわかりやすいでしょう。モーツァルトの本質はオペラであり、それは宗教曲を書いていてもなんら変わりません。

  レクイエムを始めとしてバロック以前の宗教曲をそれなり聴いてきた経験に照らして、ほとんどのモーツァルトの宗教曲をハコ買いして聴いて感じたのは、まあ同時代の作曲家と比べても彼の世俗ぶりはある意味大したものだってことです。一応はミサでの実用性は配慮されて(ザルツブルクの大司教はミサを短くしろとか、うるさい奴だったそうですが)いるものの、宗教感覚みたいなものは希薄で、曲全体としてそれが貫徹されていると言えるのは、没年の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」とレクイエムだけじゃないでしょうか。レクイエムにしても独唱や重唱の部分はオペラしてますしねぇ。

  そんなことを非難しているんじゃありません。宗教曲だからと言って敬遠するんじゃなくて聴いていただければわかりますが、とてもきれいで彼らしい躍動感にも飛んでいて、宗教曲のイメージの重苦しさとは無縁の楽しい曲が多いからです。金管や打楽器も派手に使われて、楽器編成も多彩で、ザルツブルク時代のモーツァルトの達成したものを見るのにいちばんいいジャンルじゃないかなって思います。

  例えばウィーンの孤児院の教会のために書かれた「孤児院ミサ」K139(47a)は1768年、彼が12歳の時の作品ですが、その充実した内容はとてもそんな年の少年によるものとは思えませんし、おそらくその当時までの彼の作品の中でも群を抜いた出来栄えです。その辺が宗教曲の確固たる伝統のお蔭と、それをきちんと身に付けた彼の努力の賜物でしょう。「孤児院ミサ」を一つの基準として、その5年後の作品を見ると、フーガを多用した「ミサ・ブレヴィス」ヘ長調K192(186f)やサンクトゥスにおけるヴァイオリンの装飾音からあだ名のついた「雀のミサ」K220(196b)が同じ程度のレヴェルにあるように思います。しかしながら、この”Exsultate jubilate”の伸びやかさは際立ったものがあるように感じます。モーツァルトにとってこのミラノ滞在はことのほか実り多いものだったようです。……この年代の作品を見るシリーズはこちらです。

  おまけってことで^^。。モーツァルトとザルツブルクについても載せておきます。

  彼は250年前にオーストリアの北の端っこの街、ザルツブルクで生まれたわけです。お蔭でザルツブルクの街は巨大な観光資源をもっているわけです。オーストリアではウィーンがダントツに人口が多く、ブルックナーゆかりのリンツ、ベームが生まれたグラーツの次がザルツブルクだったかと思いますが、知名度はウィーンに次ぎますね。

  きれいな街で、見どころも少なくないんですが、私はあまり好きではありません。なんかモーツァルトを食い物にしてますからね。観光客、特に日本人が多すぎて甘やかされているのか、うんざりしているのか、ホスピタリティも劣るし。

  何よりモーツァルト自身がザルツブルクに飽き飽きしていたでしょう。行けばわかるんですが、あの街はザルツブルク大司教の城下町です。ものすごい断崖絶壁の上に大司教のお城があって、ザルツァハ河畔の小さな街を見下ろしています。ケーブルカーもあって、歩いて登ると大変です。カフカの住んだプラハのお城よりもっと圧迫感があるって言えば感じがわかってもらえるでしょうか。大砲だってあるし、実際戦争もやったし、世俗の王侯貴族となーんにも変わりません。かえって神様を味方につけてますからタチが悪い。日本の清く正しくやさしいだけの神父さんなんかとはわけが違います。平安時代の比叡山延暦寺や戦国時代の石山本願寺をもっと強力にしたようなものと考えればいいんじゃないですか。

  それでそこの大司教が変わってから、モーツァルト父子は冷遇されたり、いじめられたりします。お父さんのレオポルドはわりと教養もあってプライドが高く、楽長になりたくて仕方なかったのに副楽長どまり。モーツァルトもコンマスにさせてもらえなかったりします。どっちもイタリア人が重用されての結果で、これは石井宏の「反音楽史」に書いてありました。

  それなら、ウィーンに行きたいモーツァルトの好きなようにさせてやればいいものを大司教は許しません。自分の召使が何を生意気なってなところでしょう。音楽家ってずっと王侯貴族の召使で、一般市民・不特定の聴衆を相手に(オペラ以外の曲を)作曲するなんてのはモーツァルトやベートーヴェンが苦労しながら始めたことですから。

  二人とも故郷には帰ってないんじゃないですか。少なくともそんな過去を振り返るような余裕はないし、帰ったって故郷の人が温かく迎え入れてくれるはずもありません。だって、ハプスブルク王家の宮廷楽長とか、そういうわかりやすい肩書きでしか判断しないのが故郷でしょ? 地方出身の人はよくわかると思いますけど。……そう、訪れる度にザルツブルクのモーツァルト関連施設は充実してるんです。モーツァルトが「出世」したからにすぎません。

 


 

 

モーツァルト:アヴェ・ヴェルム・コルプス

 

 

 

  この曲は、レクイエムK626と同じく、モーツァルトの亡くなった年(1791年)に作曲されたもので、これ以前に作曲された宗教曲は、K427のハ短調ミサ(1782-83)ですから10年近い空白があるわけです。何か機会や注文がないと作曲しない当時の作曲家の例に漏れず、モーツァルトもザルツブルクの大司教の支配下を離れると、宗教曲を作曲する必要がなくなったということですが、ハ短調ミサがコンスタンツェと結婚できたことを祝福するために作曲されたことは、彼が大司教や父親といった宗教要塞都市ザルツブルクからの離脱を暗示しているような気がします。

  この”Ave verum corpus”にも彼の妻が関係しています。その年の晩春に妊娠して具合が良くなかった彼女を連れて、ウィーン郊外の温泉保養地バーデンに行き、その地で仲良くなった合唱指導者のアントン・シュトルツのために、これを贈ったのでした。その初演もバーデンのザンクト・シュテファン教会で、ウィーンの同名のものとは比較にならないほど小さなチャペルの中にモーツァルトのレリーフが掲げられています。それを見つけたときは、思わず「へえ」と声が出ました。

  バーデンでの湯治が効果があったのか、コンスタンツェは無事に出産しました。生まれた子どもはFranz Xaver Wolfgang Mozart、後年モーツァルト2世などと名乗って音楽家として立とうとしましたが、21世紀のどこかの国のどこかの作家のような親の七光りが通用すべくもなく、全く知られていません。ザルツブルクのモーツァルトの生家にはその肖像画がありますが、いかにも才能がなさそうな感じでした。

  バーデンには、ウィーン市内からクリーム色のトラムが出ていますが、チンチン電車では何時間かかることやら、乗ったことはありません。ウィーンのミニチュアのような街で、ザンクト・シュテファン教会だけでなく、ペスト塔やオペラハウス(屋外オペレッタハウスと言った方がいいかも)、カジノなどなどがほんの狭い地域にまとまってあります。ベートーヴェンの第9の家なんていうのもありますが、例によって天井の低い家賃の安そうなアパルトメントです。

  この曲のテクストは次のとおりです。訳は英訳を参照しながら、私が訳したものなので、信用できないものですけど^^;。

Ave, ave verum corpus

natum de Maria virgine,

vere passum immolatum

in cruce pro homine.

 

Cuius latus perforatum

unda fluxit et sanguine,

esto nobis praegustatum

in mortis examine.

 

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讃えよ、まことの体よ

処女マリアから生まれ、

罪なくして犠牲となられ

人類のため十字架につかれた。

 

突き刺されたわき腹からは

血がしたたり、

我らに先立ち、我らがために苦しまれた

死の試練を

 

 aveはaveo(健やかである、幸せである)の命令法で、「おめでとう」の意味の祝福の言葉で、Ave Mariaが最も知られた使い方でしょう。ちなみに本来のラテン語のvは英語のwの発音をしますから、「アウェ・ウェルム・コルプス」が正しいのですが、モーツァルト自身を含めてそんなふうに発音するヨーロッパ人はほとんどいないでしょう。テクストの内容は、まあ、イエスの受難に言及しつつ、その純潔、真正な肉体を讃えるといったところでしょうか。

 2本のヴァイオリンとヴィオラ、オルガンの簡素な伴奏と混声4部で、ほとんど4分音符以上で書かれていて、メロディも大変シンプルです。おそらくシュトルツの率いる合唱団らの実力に合わせたのでしょう。しかしながら、しみじみとした味わいの名作で、レクイエムの次によく知られている彼の宗教曲の一つでしょう。晩年の透明な心境なんていうふうに解説されることが多いようですが、あまり根拠なく、ロマンティックな解釈をするのはどうかなって思います。それならいっそのこと、志半ばにして倒れた英雄に一人連れ添う少女の趣とでも言ってみたいような気がします。……

 http://www.schillerinstitute.org/fid_91-96/fid_964_ave_ver.html でスコアを見ることができます。

 


 

 

オケゲム:レクイエム

 

  オケゲム(ca.1410-97)の作品は、現在残されている個人名による最古のレクイエムです。なんだかすっきりしない言い方ですが、まず「現在残されている」と限定したのは、彼の師匠のデュファイ(ca.1397-1474)が作曲したという記録があるからです。しかし、残念ながらこれは残されていません。

  次に「個人名による最古の」ということですが、グレゴリオ聖歌が8世紀から9世紀にかけて、たぶん聖職者のうちで音楽的素養のある多くの無名の人たちにより整理され、記譜されていったという歴史があります。これをレクイエムの起源とすれば優に千年の歴史がある上に、ラテン語によるテクストはずっと同じなので、いつの時代のものでもテクストのどこにどのような音楽をつけているか比較することができます。つまり、レクイエムを聴いていけばヨーロッパの音楽の流れ全体を知ることができる!と言っても過言ではありません。

 王侯貴族や高位聖職者ではない個人の名前が残る、「作曲家」というものが認知されること自体が中世の終わりを示しているわけで、彼ら以降、音楽は(他の芸術活動と同様)急速に発展していきます。

 さて、オケゲムの場合はIntroitus、Kyrie、Graduale、Tractus、Offertoriumだけが作曲され、その他の部分はグレゴリオ聖歌で歌うようになっています。こうした構成だけみても歴史的な内容の変化が見て取れます。

 音楽として見ても過度の感情表現はなく、物足りなく思われる方も多いかもしれませんが、大げさな身振りではなく、静かに死者を悼み、その冥福を祈るというレクイエムの源流が確かなものとして感じられます。これが本物のアカペラ(チャペルでという意味ですね)です。私は“The Hilliard Ensemble”のCDで聴いていますが、その純正律の合唱はそれだけで聴覚的快感を伴います。いくら高価な楽器でも人間の声にはかなわないものがあり、平均律のオルガンやピアノは言うまでもなく、弦楽アンサンブルですらここまでは合わせられないでしょう。それがそのまま心に沁み入ってくるのです。「ほの暗い死の谷間をさまようときも私は恐れないだろう。主の御業がともにあるのだから……」Gradualeの中のとても好きな一節です。

 


 

 

モラーレス:レクイエム

 

 モラーレスCristobal de Morales(ca.1500-1555)は、ルネサンス期のスペイン生まれの作曲家ですが、教皇パウルス3世の下で活躍し、次の世代の巨匠パレストリーナ(1525-94)にも大きな影響を与えました。スペイン生まれの作曲家と言えば、私見ではヴィクトリア(1548-1611)が最高峰ですが、モラーレスの音楽は彼のような見上げるばかりのスケールの大きさを持ってはいませんし、直接的影響を聴き取ることもできません。また、パレストリーナのような何を手がけても完璧に仕上げる器用さもないようです。

 ましてや後世のモーツァルトやヴェルディのようなオペラ的な華やかさやダイナミズムもありませんし、ベルリオーズやフォーレのように個性や感情を前面に打ち出すことなど及びもつきません。

 しかしながら、オルガンの控えめな伴奏と各部一人ずつ5人の独唱者だけで演奏されたこのCDを聴いていると、深い悲しみと死に対する省察が感じられます。繰り返し申し上げていることですが、レクイエムはカトリックの死者のためのミサ曲であり、したがって日本流に言えばお葬式や法事のための儀式曲(典礼曲)ですから、私はその意味での実用性がなくてはならないと思っています。

 ですから、シンフォニーやピアノ・ソナタとは(どっちが上とか下とかではなく)、違った聴き方、評価の仕方があってしかるべきではないかということです。

 ともかく音楽史的には、声楽曲が先で器楽曲が後ですし、実用音楽が先で純粋音楽(曖昧で、ある意味いかがわしい言葉ですが、art pour artくらいの意味です)が後です(「トゥルバドゥールの音楽」のようなものを視野に入れると、実用音楽の定義なり範囲なりがややこしくなりますが、「音楽史」はそういう歴史的展開が叙述しにくいものは相手にしないのです)。ですから、器楽曲的な書法があるか否かとか、純粋音楽との距離感みたいなもので評価するのは簡単ですが、粗雑です。

 そういう意味で、この作品は作曲家の個性が少し芽生え始め、しかしバロック期以降のようなこれ見よがしのところのないところがかえって、遺族が葬儀の典礼や神父のお説教の合間に聴く音楽として、泣ける曲ではないかと思います。泣くことは癒し効果wがあり、死者と別れるのに必要なことです。

 


 

 

ゼレンカ:レクイエム

 

 ゼレンカ(1679-1745)は、バッハ(1685-1750)とヘンデルやテレマンと同様、全くの同時代人です。しかし、私はボヘミア生まれで、ドレスデンで活躍したこの作曲家の名前すら聞いたことがありませんでした。レクイエムを可能な限りすべて聴いてみようと思った縁で出会ったというわけです。

 ゼレンカはレクイエムを4曲(完成したのは3曲)書いたそうで、これは非常に多いのではないかと思います。私の持っているCDはそのうちの最後の曲ZWV48で、1730年から32年頃に書かれたものだそうです。声楽曲には、アカペラ(教会内でというのが原義です)のような声楽的発想の曲と、近代的な器楽的な発想の曲があると、バッハのロ短調ミサを聴いていて、ふと思ったことがあります。……まあ簡単に言えば歌を歌いながら作曲したか、楽器を奏でながら作曲したか、そんなイメージです。

 ゼレンカのこの曲は声楽的発想の曲です。伴奏もだいたいは各声部をなぞるか、装飾しているだけで、結果としてバッハを始めとした同時代人のものと比べると、地味な感じの、前期バロックふうのものに聞こえてしまいます。もちろん専門的なことは知らないのですが。

 これに対し、CDにカップリングされているミゼレーレZWV57は器楽的発想に満ちていますし、オペラのような構成になっていて、おもしろいものです。どっちの曲がいいかと言えば……以前なら断然ミゼレーレだったでしょうが、今はレクイエムの方がしみじみとした深みがあって好みです。宗教曲、声楽曲を聴きなれていくと好みが変化するんでしょうか。

 


 

 

シュッツ:音楽のお葬式

 

 

 シュッツの「音楽のお葬式」”Musikaliche Exequien”とは、ちょっと奇妙な題名ですが、1636年に行われたロイス侯ハインリッヒ・ポストフームの葬儀のために書かれた音楽で、プロテスタントによるレクイエムと言ってよいものです。シュッツの作品は「イエスの十字架上の7つの言葉」とともに、彼の多くの傑作の中でも最高のものの一つだろうと思います。ドイツ語の歌詞を持つ点で、しばしばブラームスのドイツ・レクイエムの先蹤のように言われますが、私の偏った見方では小規模ながら、その宗教的深さと精神的な高みにおいてそれを凌駕するものでさえあるのです。

  この作品は3部構成からなり、ロイス侯が自ら選んだものや侯にちなんだ聖書の一節が使われています。第1部は「ドイツ埋葬ミサの形式によるコンツェルト」となっていて、ヨブ記の「我は裸にて母の胎を出たり」、「裸にてかしこに帰らん。主は与え、主は奪う。主の御名は誉めたたえられよ」が冒頭に置かれ、続いてキリエとグローリアに倣った歌詞がドイツ語で歌われます。グローリアは通常のレクイエムには含まれませんが、ヨブ記の内容と照応したものとなっていて、ロイス侯とシュッツ自身の死を超える神の栄光という考えがよく現われています。

  第2部は、詩篇73章によるテクストで「主よ、あなたさえいれば”Herr, wenn ich nur dich habe,”」で始まる一節が歌われます。ここでシュッツはまことに意味深い工夫を行っています。アルトがこの冒頭の歌詞を3度繰り返すときに、ich(私)は、他の声部の歌うdich(あなた=神)と一致するのです。我と神が出会い、一体化することが表現されているわけですが、これを単なる技巧と解しては誤りだろうと思います。この歌詞は、自己を放擲し、神に全面的に帰依することを内容としていますが、そうしたことによって神と一体になれるという宗教的な真実が示されているのです。信仰に対する厳しい姿勢を貫きながら、彼方における甘美とさえ言えるような調和感がシュッツの音楽の最大の魅力だと思います。私はこの個所を「ジャパン・レクイエム」の中で、次のように使いました。

 

「……プロテスタントの作曲家ですけれど、わたしとても好きな作曲家、シュッツって人います。とても昔の人ですけど、その人に『音楽のお葬式』という作品があります」

  神父はいつになく少し熱を帯びてしゃべり続ける。宇八も含めてみな黙って聴いている。

 「その中に”Herr, wenn ich nur dich habe, so frage ich nichts nach Himmel und Erden.”という、とてもすばらしい曲があります。どう訳せばいいですか、その”habe”を。『主よ、わたしがあなただけを持つならば、天も地も求めないでしょう』では、ふつうの日本語ではないです」

  ルーカス神父が歌詞を持って来て、ドイツ語の意味を少し説明した。すると宇八は3つめのおはぎをぱくつきながら、呟くように言った。

 「ふーむ。こりゃ恋人かなんかに言うみたいに『あんたさえいればあたしはこの世にほしいものなんかありゃしない、あの青空だって要らないもの』なんて訳すのが気分が出ていいな」

 「ああそうです。いい勉強になります。羽部さん」

   神父はうれしそうに応えた。

 

   第3部は、幼子イエスを讃える義人シメオンの言葉に導かれ、二つに別れた合唱が歌い交わすようになっています。シュッツは合唱とソロを離れて配置し、声が空中を漂うように演出することを勧めていたそうですが、教会という空間全体を使うことで、信者たちを包み込むいわば音の天井画を示そうとしたのでしょう。シュッツの音楽は簡素で、無駄がないのですが、彼の考えていたことをたどっていくと極めて大きな世界が広がっているのです。

 


 

 

シュッツ:イエス・キリストの十字架上の7つの言葉

 

 

 イエス・キリストの十字架上の7つの言葉と言えば、ハイドンの管弦楽曲やオラトリオが有名ですが、その140年ほど前(1645年)に書かれた小規模ながら、優るとも劣らない傑作がシュッツ(1585-1672)のこの作品です。彼の約500曲の作品のほとんどが宗教曲で、バッハの生まれたちょうど100年前に生まれています。バッハという大海にそそぐ多くの川の中で、ルター派の宗教音楽(すなわち受難曲やカンタータといった全作品の過半を占める作品群)という流域の中心がシュッツであり、輝かしいドイツ系音楽の出発点でもあるのです。こうした歴史的重要性だけでなく、その内容的な厳しさにおいてバッハを超えるとすら感じさせるものがあります。

 シュッツの生きた時代は、30年戦争(1618-48)の時代で、各国のエゴイズムと宗教的対立によって蹂躙されたドイツでは、一説によると人口が半減したということですから、その被害のすさまじさは想像を絶するものがあります。この作品のように死をテーマにした彼の作品がひときわ強く心に訴えかける理由は、おそらく直面した悲惨な現実にあると思います。

 さて、この作品は受難曲のうちイエスの死の部分を言わば抜粋したような構成になっています。最初と最後に5声の合唱と器楽シンフォニアが置かれ、額縁のような役割を担っています。登場人物は、福音史家、イエス、一緒に処刑された2人の強盗で、イエスを見守る聖母マリア、マグダラのマリア、ヨハネを始めとする弟子たちは終始無言です。福音史家に様々な声部が割り当てられているのは、音楽的な変化を求めるとともに、教会に集った信者たちがルターが自国語に訳した聖書を輪読しているような趣を醸し出そうとしていると思えます。

 イエスの言葉には常に高い2声の弦が伴奏され、光背を象徴していますが、これはバッハがマタイ受難曲で踏襲し、発展させた手法です。「我が神、我が神、なぜ私を見捨ててしまうのですか?」この言葉は受難物語のクライマックスであると同時に、おそらく信者でも解釈が分かれる個所ですが、シュッツは、バッハと異なり弦の伴奏を取り去っていません。バッハの採った方法は、音楽表現上の深化と見るのが常識でしょうが、宗教的情熱の低下、世俗化の進行の現われと見ることもできると思います。宗教曲の評価がシンフォニーの評価の仕方と違うのは当然ですが、オペラの評価の仕方とも違うと考えています。もちろん宗教的評価、布教に役立つかどうかなどとは、全く関係ないことは言うまでもないのですが。

 


 

 

ブクステフーデ:われらがイエスの御体

 

 

 ブクステフーデ(ca.1637-1707)は、オルガンの演奏と作曲で名高く、バッハやヘンデルにも大きな影響を与えたことで広く知られています。ハンザ同盟市のリュベックで長く活躍し、その北ドイツふうの堅固でいながらぬくもりを感じさせる音楽は、単にバッハの先蹤者というだけでなく、独自の魅力を持っています。ちょうどトーマス・マンの街、リュベックがハンブルクの小型版というだけではないように。……ただオルガンはブルックナーにおいてもそうであるように即興性の強い楽器ですから、残された楽譜からだけでは、バッハがなぜあれだけ魅了されたのかははっきりしないように思います。

 とは言え、ブクステフーデのオルガン曲ではあまりにベタでしょう^^。彼は114の宗教的声楽曲を作曲してますので、この「われらがイエスの御体“Membra Jesu nostri”」(1680年)を採り上げることにしました。これは、受難曲の一種であり、形式的にはカンタータに属するものですが、12世紀又は13世紀に書かれたラテン語のテキストを持つことから、シュッツからバッハに至るドイツ語のテクストによるカンタータと異なりますし、福音書に典拠を持つ通常の受難曲でもありません。

  内容は十字架上のイエスの体の7つの部分(足、膝、手、わき腹、胸、心臓、顔)について想いを寄せるというもので、ユニークというか、信者ならぬ身としてはちょっと気色悪いです^^。シュッツのところで紹介した「十字架上の7つの言葉」と、信者にわかりやすくイエスの受難を伝えるという宗教的機能の点では、たぶん同じなんでしょうけど。

  各部の最初には聖書からの引用句がありますが、ナホム書、イザヤ書、ゼカリア書、ソロモンの歌(雅歌、2回)、ペテロによる第1の手紙、詩篇と、ほとんどが旧約聖書に由来するもので、新約のペテロによる第1の手紙による胸の部分も「生まれたばかりの赤ん坊が乳を求めるように、純粋なお言葉を求めなさい……」という、イエスの生涯や体とは直接関係のない、はっきり言ってしまえば牽強付会なものです(たとえイエスでも男のおっぱいは求めたくないです^^;)。

  その後にいわゆる自由詩句があります。ラテン語詩の評価なんかもちろんできません(英訳で見ています)が、内容はお世辞で言うと宗教的情熱にあふれたもので、率直に言うとあまり洗練されていない表現のように思えます。韻を踏むとかそういう詩の約束事に追われていたのかも知れません。日本人が漢詩を作るようなものですから。……まあ宗教曲のテクスト、特に自由詩句にケチをつけだすとキリがなくて、バッハのカンタータなんかほとんどダメなんですが。

  さて、音楽の方はと言えば、内容的に前の世代のシュッツとあまり変わらないですし、価値から言ってもそれを超えるものではないでしょう。後の世代のヘンデルはおろか、バッハやテレマンと比べても、良く言えば素朴でしみじみするもの、悪く言えば古拙でダイナミズムを欠いたものです。要は当時の音楽先進国イタリアのコンチェルトやオペラをどれだけ聴いて、自分の音楽に取り入れていたかによるのでしょう。

  とは言え、私はこういう音楽も嫌いじゃないです。ゆったりした時間の中で、リュベックのこじんまりした街並みや覚束ないラテン語で歌う善男善女を想像し、中世以来変わらない世界に想いを馳せるのは楽しいものです。例えば膝の部分の冒頭の弦楽のトレモロは不思議な浮遊感覚があって、ゴルゴダの丘を登らされたイエスの膝の震えを表わしているようでもあり、雲の合間から射し込む光のゆらめきを表象しているようにも思えます。

  ナクソスのCDには、レクイエムも作曲しているローゼンミュラー(ca.1619-1684)のシンフォニアが序奏代わりに置かれていて、とてもマッチしています。こういう実際の演奏でもあっていいような工夫もバロック期以前の音楽を聴く楽しみです。

 


 

  メシアン:われらの主、イエス・キリストの変容

 

 

 07年6/28に池袋の東京芸術劇場で行われた読売日響の定期演奏会に行って来ました。プログラムは若杉弘指揮でメシアンの「われらの主、イエス・キリストの変容 La Transfiguration de Notre-seigneur Jesus-christ」でした。直前に買ったチョン・ミュン・ファ指揮のラジオ・フランス・フィルのCDへのHMVのレビューによると「演奏時間約100分(2部14曲)、5管編成の巨大オーケストラ、100人の合唱団、7人のソリストに打楽器部隊を要するという超大作」で、「メシアン最大規模の作品にふさわしい凝りに凝った見事なもので、メシアンが愛した『鳥の声』の概念が多面的に取り込まれるほか、ギリシャやインドといった異国趣味、複雑極まりないリズム、対位法、過激なまでの大音響、美しいチェロのソロや、合唱による崇高なコラールなど、数多くの要素がモザイク的にせめぎあって、圧倒的な感銘を与えてくれ」るんだそうです。これだけ読んでいるとすごく期待してしまいます。

 でも、残念なことにCDもコンサートも退屈と言うか、私には歯が立たないような感じの代物でした。いちばんの理由はこの曲にテンポの変化がほとんどないことでしょう。メロディによる表情の変化も極めて乏しいですし。……メロディの魅力は「現代音楽」では放棄されたものが多いんで文句は言えない感じですが、テンポの変化はある程度の長さの作品だったら大抵はあるでしょう。つまりこの曲はバロック以降の西洋音楽の根幹的な要因を欠いているんじゃないかと思います。だから、この曲の合唱の部分だけを取り出すと中世的な作り(旋法自体はメシアン的な非西洋ふうのものですが)だと言っていいでしょう。その代わりに大規模な打楽器群が多彩な音色を短いパッセージ(早いものもありますが、全体のテンポを支配するわけではありません)で響かせますが、それで100分はもたず、飽きてしまうのです。印象としてはトゥランガリラ交響曲の緩徐楽章だけを集め、オンド・マルトノを声楽に置き換えて、宗教曲に仕立てたような感じといえばいいでしょうか。私が抱いたイメージはアフリカかアジアのジャングルの中で聖歌隊が延々と歌っているというものでしたが。

 しかーし、わかんなぁいだけじゃあ無理してw宗教曲にくわしいフリをしているのに悔しいし、ラテン語とは言え、テクストがあるんだからそっちからアプローチしてみようかなと思いました。ということで、まずは「イエスの変容(Transfiguration)」について聖書を見てみましょう。マタイ福音書の第17章の第1節から第9節までを引用します。

@ イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。彼らの目の前で、姿が変わり(ラテン語でTransfiguratus)、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった(1〜2節)。

A 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペテロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのはすばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに幕屋を3つ造りましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリアのためです」(3〜4節)

B 彼がまだ話している間に、光り輝く雲が彼らを覆い、雲の中から「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者。彼の言うことを聞きなさい」という声がした(5節)

C 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れ、「起きなさい。恐れることはない」と言われた。彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかには誰もいなかった。一同が山を降りるとき、イエスは弟子たちに「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことを誰にも話してはならない」と命じた(6節〜9節)。

 同じような内容はマルコ福音書(第9章第2節〜第9節)とルカ福音書(第9章第28節〜第36節)にもあるんですが、ルカ福音書ではモーセとエリヤと話していた内容はイエスがエルサレムで遂げようとしていた最期についてで、そのとき弟子たちは眠くてたまらなかったと報告されています。また、ペテロが幕屋を造ろうと言ったのは何を言うべきかわからなかったからだという説明が両方の福音書にあるなど少しずつ違いがあります。……これは憶測ですが、3つの福音書の中でマタイがいちばん説明が少なく、謎めかしてて、想像の余地があるからメシアンは採用したのかなっていう気がします。

 いずれにせよ画像を見ればわかるようにこの新約聖書のエピソードでは、イエスが旧約聖書を代表する預言者のモーセやエリヤと同等(かそれ以上)に位置づけられ、3人の弟子たちから超越した存在になっています。また、イエスの顔や服が輝き、光る雲の中から神の声(福音書は声の主が神とは言っていませんが、ペテロの第2の手紙第1章第16節〜第18節にはこの場面が紹介され、栄光の神からの声をペテロが直接聞いたと書かれています)が聞こえるなど、光のイメージが強く打ち出されています。

 

 これだけの予備知識を持ってメシアンの作品を見ると、まずマタイ福音書の@〜Cが第1部の1曲目と4曲目、第2部でもやはり1曲目と4曲目(通しでは第8曲と第11曲)に省略も追加もなくそのまま使われています。その音楽はかなり共通性があって、カーンカーンって鐘が鳴って、ドワワーンっていう銅鑼とチャカポコっていうウッドブロック?が鳴り、さらに鐘が鳴ってミュートがかかると合唱が始まるという具合で、ソロ楽器と他の打楽器群は沈黙していて儀式の雰囲気が濃厚です。ただBのところでは弦による下降のグリッサンドがあって、雲に包まれる感じが描写されています。ここは全曲中でいちばんテクストをストレートに音化したところじゃないかなって思います。

 ちょっと音楽の細部の話を先にしちゃいましたが、全体としてこの作品は7曲ずつの2部からなり、また、ピアノ、チェロ、フルート、クラリネット、マリンバ、シロリンバ(xylophone+marimbaってことだそうです)、ヴィブラフォンの7つのソロ楽器があるんで、7にゲマトリア(数秘術)的な意味合いがあるんだろうと思います。しかし、上記のようにテクストの方から見ていくとどうも3にも意味がありそうです。つまり7=3+4という構造を見ることができるだろうということです。……こういうのはいくらでも見つけられますが、やりすぎるとトンデモ本みたいになるので今のところはこれくらいにしておきますが。

 

 

 では、マタイ福音書の他にどんなテクストが使われているかというと、まず気づくのは旧約聖書続編の知恵の書(この書の位置づけについてはこちらを参照)第7章第26節が何回か使われていることです。この節全体の「知恵は永遠の光の輝き、神の働きを映す曇りのない鏡、神の善の姿である。アレルヤ」が第2曲の後半に、第5曲の後半に短い「知恵は永遠の光の輝き」の形で、続いて第6曲に全体が、さらに第12曲の途中に短い形で引用されています。マタイ福音書における光が知恵と結びつけられて、リフレインのようになっているんだろうと思います。フルートとマリンバなどでゆらめくような光が描写されています。 

 次に目立つのは6回出てくる詩篇ですが、すべて異なった箇所からの引用です。マタイ福音書と関連しながら、音楽に彩りを与えているんじゃないかなと思うので、個別に説明しましょう。

  第3曲の前半は詩篇第77章第18節からで「稲妻は世界を照らし、地は震え、揺れ動いています」で、光のイメージを展開させたものと考えられます。ここではお約束のような稲妻と地震を描写した音楽を聴くことができますが、ヴェルディの怒りの日のようなゴージャスで親切な音楽を期待してはいけません。

  第5曲の前半は第84章第1〜3節から一部省略して引用され、「あなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。わたしの魂は主の庭を恋い慕って絶え入らんばかりです。私の心も身も、生ける神に喜びの歌を歌います。……あなたの祭壇に……私の王、私の神」となっていて、直前のぺテロが言った幕屋を受けた内容になっています。それだけでなく、テクストではカットされた箇所には「雀さえも、住みかを見つけました。つばめもひなを入れる巣(=神の祭壇のこと)」という記述があって、音楽では鳥の声が聞こえ、いかにもメシアンらしい内容になっています。ここはチェロのカデンツァで知恵の書につながります。

  第7曲では第48章第1節からで「主は大いなる方。大いにほめたたえられるべき方。その聖なる山、われらの神の都において」となって、第1部の終わりにお話の舞台の山を再度印象付けたコラールになっています。

  第12曲の最初に第104章第2節から短く「あなたは光を衣のように着て」が引用されていますが、これはその後のトマス・アクィナスの「神学大全」からの「キリストの衣服の輝き」を導き出す役割があるんでしょう。

  第13曲の最初では第43章第3節から「あなたの光とまことを送ってください。彼らはわたしを導き、あなたの聖なる山、あなたのお住まいに連れて行ってくれるでしょう」が使われています。光と山と住まいという関連するイメージが出てきますね。

  第14曲では第26章第8節で「主よ、わたしはあなたのおられる家と、あなたの栄光の住まうところを愛します」が使われています。これもペテロの言った幕屋の示唆を受けて神の栄光とつなげたように思えます。この締めくくりの音楽はソロ楽器も打楽器群も沈黙した中で、声楽のヴォリューム感で盛り上がっていくなかなかいいコラールです。ピッコロがやや耳障りなほど鳴りますが、高い山の鳥のような感じです。

  さて、ここまでで述べたマタイ福音書と知恵の書と詩篇からの詩句によってこの曲の骨格は形成されています。第1部ではあと第2曲の前半がフィリピ人への手紙第3章第20〜21節からの「主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。 キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、ご自分の栄光ある体と同じ姿に変えてくださるのです(reformabit corpus humilitatis nostrae configuratum corpori claritatis suae)」という引用が「姿」"figura"で@の部分からつながります。また、第3曲の後半はヘブライ人への手紙第1章第3節からの「イエス・キリストは神の栄光の輝きであり、神の本質の完全な現れである(figura substantiae ejus)」という引用で、光のイメージや"figura"が現れています。

  これに対して、第2部はかなり様相を異にするテクストが含まれていて、トマス・アクィナスの「神学大全」からの引用とイエスの変容の祝日の祈りなどからの引用がかなりのヴォリュームを占めています。変容についての神学理論面からのアプローチと実際の礼拝との関連性といったことが第2部の大きな要素となっていると一応理解しておきます。

  名前のみが知られている観のある「神学大全 Summa Theologica」の一般的な構成について少し紹介すると、例えば「父なる神が『これはわたしの愛する子』と言ったという証言は適切なものではなかったのではないか?」といった異論を立て、それに対してトマスが反論していくというスタイルで書かれています。つまり古代ギリシア以来の哲学論争の系譜につながるもので、神学書というと想像しがちなありがたいお説教が一方的に書かれたものではありません(それだけに相当理屈っぽい代物で、これを音楽をつけようという発想にはちょっと驚きますが)。

  その第3部第45問が「キリストの変容」に関する異論と反論に当てられていて、こちらに原文(とチェコ語の対訳)が、こちらに英語版がありますから見ていただければいいんですが、さっきの異論はその第4節です。……で、メシアンは第9曲の全部をこの第4節のうちの"Respondeo"("I answer that")から始まるかなり長い個所を若干の省略をしながら使っています。そのポイントだけを紹介すると「キリストの変容において、来るべき神の栄光が予め明らかにされており(in transfiguratione autem praemonstrata est claritas futurae gloriae)」、「神のみがキリストが間違いなく自分の子であることを完全に認識している(solus est perfecte conscius illius perfectae generationis)」ということになるでしょう。この"generationis"をどう訳すかはむずかしいものがありますが、さっき見たようにここのテーマは神がイエスを自分の子と認めたのかどうかですので、その回答だということをはっきりさせるために血筋といった意味合いで上のように訳しました。英訳・仏訳ともに"generation"、独訳は"Zeugung"となっていますが、日本語で「完全な出生」ではちょっと意味不明かなと。……で、ここは音楽としてもかなり特徴的で、鉦がチャーンチャーンと鳴って、チューバが太く荒い音を出したりして、まるでチベット仏教の音楽のようです。実際にもテクストに聴衆の注意を引き寄せる意味合いがあるんだろうと思います。しかも全曲中最も長く、CDでは17分かかり、チェロの短いカデンツァが何回か挿入されています。

  次にさっきちょっと触れたところですが、第2節の3番目の異論の「体だけならまだしも服まで輝くのはおかしいじゃないか」(要はそういうことでしょうw)への反論の一部です。テクストは「キリストの体の輝きは彼の未来の輝きを表し、その衣服の輝きは、キリストによって乗り越えられる聖者たちの未来の輝きを表している。まるで雪の輝きが陽の輝きによって乗り越えられるように(claritas vestimentorum eius designat futuram claritatem sanctorum, quae superabitur a claritate Christi, sicut candor nivis superatur a candore solis.)」といった内容で(この反論に説得力があるかどうかは私は知りませんが)、やはり光のイメージの修飾として第12曲の一部に用いられています。

  第13曲の最後の部分で用いられているのは、第4節の2番目の「福音書では神の声と同時に聖霊が鳩の形で登場するのに、この変容の場面ではそうなってないのはおかしい」といった異論への反論の一部で、「2番目の再生の秘蹟であるキリストの変容では、三位一体全体が現れている。すなわち、声としての神、人としての子、輝く雲としての聖霊である(in transfiguratione, quae est sacramentum secundae regenerationis, tota Trinitas apparuit, pater in voce, filius in homine, spiritus sanctus in nube clara)」です。ここも"secundae regenerationis"がわかりにくいですが、洗礼者ヨハネからイエスが洗礼を受けたときに「天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」(マタイ福音書第3章第16〜17節)ことを踏まえて、トマスが洗礼をイエスの最初の再生の秘蹟と言っていることに対応してのものです。この箇所は最後のコラールの直前に置かれていることやトマスの引用が3箇所あることから言っても、おそらくメシアンの変容に対する神学的理解のエッセンスだろうと思います。蛇足的に言えば鳩が出ないなんて失敗した手品みたいな話ではなく、変容の場面においても正しい三位一体が現れているようにトマスが聖書を解釈し、かつ"regeneration"(生まれ変わったこと、宗教的な覚醒と理解してもいいでしょう)と位置づけたのにメシアンは共感したんでしょう。……ここの音楽も第9曲と同じようなイメージになっています。

  イエスの変容の祝日(8/6だそうです)の祈り(Oratio)は、第10曲に置かれてその直前の「神学大全」の内容と関連して、チェロに先導されるようにして始まるもので、変容において神が自分の息子だと認めたことを讃えるとともに、それが複数形になって信者すべてが神の子とされているようです。カトリックのお祈りなんてあまり知られていないでしょうから、神頼み的な感じの出ている最後の部分だけ挙げてみます。「お慈悲ですから、我らを栄光の王の遺産とその栄光の分け前にあずからせてください、アレルヤ、アレルヤ(concede propitius, ut ipsius Regis gloriae nos coheredes efficias, et ejusdem gloriae tribuas esse consortes. Alleluia, Alleluia)」

  次に第13曲の前半には変容の賛歌(Hymnus)と序誦(Praefatio)が先に見た詩篇43章に混ぜ合わされるような感じで出てきます。「キリストを求めるあなたたちすべては目を高く上げよ。そうすれば主の永遠の栄光を見るだろう(Quicumque Christium quaeritis, Oculos in altum tollite: llic licebit visere Signum perennis gloriae.)」や「もし見える神を認識すれば、見えない愛に魅せられる(dum visibiliter Deum cognoscimus, per hunc in invisibilium amorem rapiamur)」というように信者の側が「見る」(おそらくひれ伏した弟子たちが顔を上げてイエスを見たことと関連してるんでしょう)ことが強調された内容が選ばれていて、それがトマスの示した変容の真の姿である三位一体を「見る」ことにつながるという構成だろうと思います。

  テクストで紹介していないものがもう少しだけあります。第12曲もいくつかのテクストが混じったような構成ですが、その1つはルカ福音書第4章第14節というよりもミサの通常文として有名な「Gloria in excelsis Deo いと高きところに栄光が、神にあるように」があり、音楽も"Gloria"にふさわしいものです。もう一つは創世記第28章第17節の「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ」で、神の家(domus Dei)が終曲につながっているんでしょう。合唱が"Terribilis"おそれおののくような叫びを挙げます。

  では、これまで述べたことを曲順に簡単にまとめてみます。テクストはすべてラテン語ですが、マタイ福音書に係る曲と2つのコラールの標題だけがフランス語になっています。たぶん標題はメシアンがつけたんでしょう。

 

<第1部>

T RECIT EVANGELIQUE(福音書叙唱)

 マタイ福音書@:山上でイエスの顔と服が光る。

 

U CONFIGURATUM CORPORI CLARITAS SUAE(キリストの栄光ある体と同じ姿に)

 フィリピ人への手紙:キリストは我々を同じ姿にしてくれる。

 知恵の書:知恵は永遠の輝き。

 

V CHRISTUS JESUS, SPLENDOR PATRIS(イエス・キリストは神の栄光の輝き)

 詩篇:稲妻が世界を照らす。

 ヘブライ人への手紙:キリストは神の栄光の輝き。

 

W RECIT EVANGELIQUE(福音書叙唱)

 マタイ福音書A:キリストがモーセとエリヤと語る。ペトロが3つの幕屋を提案。

 

X QUAM DILECTA TABERNACULA TUA(あなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう)

 詩篇:あなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。

 知恵の書:知恵は永遠の輝き。 

 

Y CANDOR EST LUCIS AETERNAE(知恵は永遠の輝き)

 知恵の書:知恵は永遠の輝き。

 

Z CHORAL DE LA SAINTE MONTAGNE(聖なる山のコラール)

 詩篇:聖なる山で主を讃える。

 

<第2部>

[ RECIT EVANGELIQUE(福音書叙唱)

 マタイ福音書B:光る雲が弟子たちを覆い、「これはわたしの愛する子」という声が聞こえる。

 

\ PERFECTE CONSCIUS ILLUS PERFECTAE GENERATIONIS(完全に神の子であることの完全な認識)

 神学大全:変容において、神はキリストを自分の子だとはっきり認めた。

 

] ADOPTIONEM FILIORUM PERFECTAM(息子たちであることの完全な認知)

 変容の祝日の祈り:変容におけるイエスと同様、我々も神の子として栄光にあずかれるように。

 

]T RECIT EVANGELIQUE(福音書叙唱)

 マタイ福音書C:神の声に恐れる弟子たちにイエスは恐れないよう、また他言しないよう言う。

 

]U TERRIBILIS EST LOCUS ISTE(ここはなんと畏れ多い場所だろう)

 詩篇:あなたは光を衣のように着て。

 神学大全:キリストの輝く体は自身の栄光を、衣服の輝きは聖者たちの栄光を先取りしている。

 ルカ福音書:高きところに神の栄光。

 知恵の書:知恵は永遠の輝き。

 創世記:ここは畏れ多い場所、神の家。

 

]V TOTA TRINITAS APPARUIT(三位一体全体の顕現)

 詩篇:光とまことを求め、神の住む聖なる山に行くことを祈る。

 変容の賛歌:目を高く上げれば主の永遠の栄光を見るだろう。

 変容の序誦:見える神を知れば見えない愛に魅せられる。

 神学大全:変容の場面では神=声、キリスト=人、聖霊=輝く雲と三位一体すべてが現れている。

 

]W CHORAL DE LA LUMIERE DE GLOIRE(栄光の光のコラール)

 詩篇:主の家と栄光の住まうところを愛す。

 

 どうでしょうか? だいぶこの曲の見通しがよくなったんじゃないかと思います。少なくともカトリックの知識に乏しい我々としてはこの程度の整理は必要のような気がします。しかし、それで楽しめるものになったかというとそんな気はしません。この曲はジャンルとしてはカンタータの一種なんだろうと思いますし、バッハのそれを意識していると思いますが、ルター以降の伝統に依拠しながらテクストの字句に音楽を鋭敏に反応させるというバッハの行き方からはかなり遠くにあるせいかもしれません。少なくとも人を飽きさせないトゥランガリラ交響曲から20年を経てメシアンは変容してしまったという感じです。

  なお、コンサートのブックレットの対訳は、聖書の訳文は新共同訳に依拠したそうですが、少なくともこの曲のラテン語テクストの訳として適当と思えない箇所があったので、変えたところがあります。また、聖書以外のトマスなどの文書の訳文はCDの英訳(これも仏訳には劣るようです)あたりを頼りに訳したと思われる誤訳が多いので、参考に留めました。さらに、出典箇所の誤りも気づいた限りで直しました。