book review 2

 

 

 シーレと東京論と足利義満

 「無縁・公界・楽」への疑問

 「笑わせて笑わせて桂枝雀」を読みました

 「大帝ピョートル」を読みました

 

 


 

 シーレと東京論と足利義満(2008-02-09)

 

 最近読んだ本をまとめてメモしておきます。坂崎乙郎の「エゴン・シーレ」(平凡社ライブラリー)。この読み始めの頃に「西風の警告」という散文詩を書きました。シーレの生まれたトゥルンに行った時のあいまいな記憶が元になっています。この本は客観的な画家の評伝ではなく、思い入れと飛躍が多いものですが、そうした形でしか書けない側面がシーレにはあるのは事実だろうと思います。彼と直接関係はないんですが、物理学者であり哲学者であったマッハの思想に「特性のない男」を書いたムージルやホーフマンスタールやフロイトが影響を受けていたという記述(59ページ)、アルマ・マーラーの辛らつなクリムト評(114ページ)が印象に残っています。この2人にはまたどこかで遭うことになるでしょう。

 伊藤滋の「東京育ちの東京論」(PHP新書)。著者は日本を支配・被支配の歴史から東西に分け、さらに雪が降る北と台風が来る南に分け、この4つの日本が東京に縮図のように反映されていると見ます。京浜東北線で東西に、総武線で南北に区切るとそれぞれの地域の特徴が現れると。それは江戸・明治以来の職業・身分などによる住み分けの歴史によるもので、豊富な実例による説明はとても説得力があります。小石川に生まれ、三田の慶応大学で教授をした後に六本木の「偏奇館」から玉の井に通い、「?東綺譚」を書いた永井荷風について知りたい人はぜひ読むべきでしょう。下町歩きを表面的に真似ていても彼の屈折と厭味はわからないと思います。

 佐藤進一の「足利義満」(平凡社ライブラリー)。この本は3代将軍・義満の伝記に留まらず、足利幕府の成立から応仁の乱直前の室町時代前半の歴史を簡潔にして想像をかき立てる文章で描いたものです。義満は弱い者には冷酷で、強い者には媚びへつらい、猜疑心が強く、権謀術数に長けた実にイヤなやつって感じで、あまり時代小説に採り上げられていないのもそのせいなのかもしれません。でも、金閣を中心とする壮麗な北山第を造った人物というだけでも義理堅くて勇敢なだけが取り柄の武将よりずっとおもしろいと思います。シェークスピアやバルザックならきっと興味を持ったでしょう。伏見宮貞成(さだふさ)親王の書いた「看聞日記」は「政治・社会・芸能など、文字どおり見聞きする種々雑多なニュースを広く収集して、日記に書き記し」(168ページ)たもので、虚報や憶測もまじっているそうです。昔からブロガーのような人はいたんですね。

 


 

  「無縁・公界・楽」への疑問(2008-03-31)

 

 この網野善彦の有名な、我が国の中世史学において既に名著としての地位を確立したとも思える書を読んで多くの不満と疑問を持ちました。いつものこととは言え、素人のくせにそんなことを言うなんて、いい根性をしていると我ながら思いますが、別にわざわざ異論を唱えようと思ったわけでもなく、ごくふつうに通勤電車の中で読んでいたらそう感じたのだから仕方ありません。引っ掛かった個所は例えば次のようところです。

 中世都市の「自治」、その「自由」と「平和」を支えたのは、「無縁」「公界」の原理であり、「公界者」の精神であった……「無縁」「公界」の原理は、恐らく、人類史のすべてに貫通している。(p.91)

 「女性の世界史的敗北」…そのものの中に、女性の性そのものの非権力的な特質、「自由」と「平和」との深い結びつきがかくされているのであり、その過程の徹底的な認識のみが、解放への確固としてゆるぎない立脚点になるのではないだろうか。(p198)

 「無縁」の原理そのものの現象形態、作用の仕方の変遷を辿ることによって、これまでいわれてきた「世界史の基本法則」とは、異なる次元で、人類史・世界史の基本法則をとらえることが可能となる。(p.242)

 こうした調子の高い主張は網野史学の次のような一般的な理解とはズレがあります。

 中世の職人や芸能民など、農民以外の非定住の人々である漂泊民の世界を明らかにし、天皇を頂点とする農耕民の均質な国家とされてきたそれまでの日本像に疑問を投げかけ、日本中世史研究に大きな影響を与えた。また、中世から近世にかけての歴史的な百姓身分に属した者達が、決して農民だけではなく商業や手工業などの多様な生業の従事者であったことを実証したことでも知られている。(ウィキの網野善彦の項目

 そのズレとは一言で言えばイデオロギッシュだということです。彼の史学は単に歴史を客観的に観察しようとしたものではなく、マルクス主義に基づく唯物史観と同様に人類解放の原理を歴史的に基礎づけようとした主体的なものなんでしょう。こういう記述もあります。

 「原無縁」から「無縁」の原理の自覚にいたる道筋は、日本・西欧のみならず、人類史の基本的な道筋の一つを示しているのではなかろうか。この「法則」は、これまで「世界史の基本法則」と考えられてきた、奴隷制−農奴制−資本制の発展段階と決して矛盾するものではない。(p.248)

 こうした大上段からの主張について、この手の「アジール」(この言葉もマンション業界とかでも使われていますからかなり手垢がついてしまっています)が頻出する歴史学のファンがどう思うのかは知りませんが、私はマルクス主義ほどの実践性があるのかなって思いました。歴史の変化を生産力の発展に求める唯物史観と「無縁」の原理に求める彼の主張を簡単に対比してみましょう。

             唯物史観               網野史学

 注目する場    稲作を中心とする耕作地     都市、寺、河原など  
 場の意味     武家権力による被支配地      支配・被支配から無縁な場
 歴史の担い手  農民(領民)                芸能民、職人、女性、被差別民など

 こんな感じでしょうけど、何より重要なのは何が歴史を動かしてきたのか、それを誰が担ってきたのかです。歴史の原動力をヘーゲルまでの歴史哲学のように神の意志や支配者・権力者の欲望だと見ていては革命はありえないとマルクスは考えたんだろうと思います。それで生産力の発展を歴史の原動力と見て、それと生産手段に着目して歴史の発展段階を説明したわけです。そして、資本主義社会においては歴史の担い手すなわち革命の担い手は(生産手段を持つ)プロレタリアートということになるでしょう。

 マルクスがイメージしていたプロレタリアートは主に工場労働者でしょうけど、現代においては剰余価値が多く産み出されている(それだけ搾取されているということにもなる)のはサービス産業ですからその労働者すなわちサラリーマンでもいいのかもしれません。問題はそうした労働者が収入も意識も多様になっていて、団結してくれそうもないことですが。……ところが網野においてはこの原動力が何なのか明らかではありません。上に引用した個所でも伺えるようにそういうものを唯物史観とは別に立てることをあえて放棄しているのかもしれません。そうすると次のような対比ができそうです。


             唯物史観               網野史学
 歴史の原動力   生産力               あえて唱えず
 革命の担い手   プロレタリアート          支配・被支配から無縁な人たち?
            (工場労働者、サラリーマン)  (アーティスト、ミュージシャン、フリーター?)


 網野史学の方は半分冗談で書きました。彼は歴史の原動力を言いませんから、革命の担い手みたいなものを考えようとしても手掛かりがなく、皮相的な類似に頼らざるをえません。ひょっとすると皮相的どころか現代の自由民が革命の担い手となって人民を解放すると思ってる人もいるかもしれませんが、それは(例えば日本の代表的なミュージカルの主宰者と権力との関係を見ればわかるように)おめでたいと言わざるをえません。

 網野史学のような構造主義(かどうか知りません、要はポスト唯物史観ってことです)的なアプローチは「歴史の原動力」のようなセントラル・ドグマを持たないことを大きな特徴としていて、それが叙述をイデオロギー一色に染めないおもしろさにつながっているんだろうと思いますが、それだけに実践性、あえて言えば人を無謀でもなんでも革命に駆り立てるような「宗教性」が希薄です。……そう、ドグマって元々はカトリックの教義のことです。

 でも、私がこの本を読んで抱いた最大の疑問はその先にあって、一体この無縁で公界に生き、楽を満喫していた人たちはどんな人たちだったのかということです。彼ら自身が作り出した工芸や絵画や芸能の作品はどれなのか、いやもっと直接的に彼らが書いた文書があるのか、ないのか著者は何も答えません。芸能民のような「道々の輩」は最近では大河ドラマにも登場したりしますが、そのイメージは、絵巻物などにわずかに描かれたものに、ヨーロッパの中世の芸能民のイメージを重ね、現代のアーティストのセリフを与えたような感じで、貧弱だと思います。

 彼らがどんな考えを持っていたのかが結局わからないので、現代にどうつながるのかがわからないのです。例えば堺や博多や長崎も「公界」「無縁」の原理による自由で平和な都市だそうですから、そこで生まれた文化は全部そうだと言うのかもしれませんが、それじゃあわざわざ「無縁・公界・楽」などといったことを言う必要もないでしょう。富士山が頂上があるから富士山に見えるのと同じように、ミケランジェロがいるからルネッサンス美術があるし、バッハがいるからバロック音楽があるんです。卓越した個人=天才の存在しない歴史なんて何の意味があるんでしょうか?

 


 

 「笑わせて笑わせて桂枝雀」を読みました(2008-04-01)

 

 

「笑わせて笑わせて桂枝雀」(上田文世著)を読みました。枝雀の生い立ちから死に至るまでの軌跡をきちんと取材をし、またその芸の進化についても入念な考察を加えていて、伝記としてよくできた本だと思います。彼の落語を愛する人にお勧めします。……書評としてでなく、枝雀について少しだけ私自身の思い出を書きます。

私が最初に枝雀の落語に接したのはまだ小米時代だったんだと思いますが、なんの気もなしにラジオで聴いて、お腹が痛くなるほど笑わせられ、と同時に登場人物が話の外に出てくるのに「こんなシュールな演じ方があるのか」と驚かされました。

その後、あまり見ないなと思っていたら、急にブレークして自分のテレビ番組を持つ人気者になりました。実際に高座を見たのは近所の大学でのものだけですが、満員の観客が彼に操られるようにどわっ、どわっと笑っていたのを今でもよく覚えています。

彼の落語が比類のないおもしろさを持っていることは明らかですが、お笑いを突き詰める姿勢や現実感を喪失したようなモノの見方から、何か危ういもの、怖いものを抱えている人なんだろうなと感じていました。でも、重いうつ病にかかり、自殺してしまうほどのものとは想像していなくて、そのニュースに接した時はショックを受けました。

人を笑わせるというのはおそろしい職業だと思います。人がなぜ笑うのかもよくわかりませんし、わかったからといって間違いなく笑わせるすべがあるわけでもないからです。これに比べると人を泣かせるのはずっと簡単で、どういう場合にどうすれば人が泣くか、とても単純なものでちょっと経験を積めば誰でもできるでしょう。

枝雀は緊張と緩和で笑いの原理を説明し、落語のサゲも画期的な分類を考えた極めて知的な人ですが、分析や知性だけで人を笑わせることができるとは思っていなかったでしょう。これは想像ですが、なぜこんなギャグで笑うんだと自戒しながらも思ってしまったでしょう。誰でも好きなだけ笑わせることができたのに、自分だけはそうできなくなってしまったのかなと思います。

 


 

 

 「大帝ピョートル」を読みました(2008-06-15)

 

  ピョートル大帝(1671年〜1725年)といっても予備知識はほとんどなかったんですが、ドストエフスキーやバルザックの伝記において、アンリ・トロワイヤの含蓄のある文章に魅せられてことがあるので読んでみて、とても驚きました。功績の面から言うとロシアの近代化をたった一人で思い立ち、実行した偉大なツァーリであり、負の面から言うと残虐の限りを尽くした暴君です。

 この二面性は分かち難いもので、例えば無礼講の宴会では取っ組み合いにエスカレートし、しばしば多数の死者が出るほどでした。ワインに酔ったピョートルは仲間に殴りかかり、剣を抜いて襲い掛かったりしたのです。しかし、深酒の果てに周囲の者が思わず秘密をもらすのに耳をすまし、酒盛りは政治の一手段でもあったのです(78ページ)。

 ネヴァ川の河口のサンクトペテルブルクは「聖ペテロの街」という意味ですが、もちろんピョートルの名前に因んだもので、その建設に当たっては強制的に連れて来られた職人、農民、受刑者が次々と「悪天候、壊血病、赤痢の犠牲になった」……犠牲者の数は10万とも20万とも言われ確定しないようですが、この街が「人骨の上に建てられた」ことは間違いないそうです(193ページ)。

 総勢250名のお供を連れて彼自ら出かけた1年半に及ぶ西欧旅行では、船の建造、航海術、解剖術、虫歯の治療、エッチング……なんでもかんでも西欧の知識を脈絡なしに知りたがり、自分でやってみようとする性格のようです(124ページ)。「明治維新」を一人で企て、体現した人物と言えばわかりやすいでしょうか。「彼の夢は、西欧の科学とロシア魂を結婚させること」だったのです(240ページ)。

 彼は他人の立場に立ってものを考えることがなく、誰のためにもやさしい心遣いは見せなかった(320ページ)と筆者は断じ、その後におびただしい残酷な振る舞いを記します。老人や妊婦にも容赦なく、逆上すると修道士にも切りかかる、放火して人びとが集まるのを楽しむ、人間、動物を問わず様々な奇形を集めた博物館を造る、「博物館の警備と暖炉番をつとめる男は、両方の手脚に指が二本ずつしかない小人だった」(325ページ)。拷問を好み、「死刑執行は彼にとってまたとない目の保養だった」(326ページ)。……

 こうした善悪いずれにおいても巨大な人物を見ているとドストエフスキーの小説の登場人物が想い起こされます。実際、副宰相まで務めた側近を斬首刑を宣告し、斧を振り下ろしながら、空振りして特赦するやり方(394ページ)は作家が受けたものと同じです。ピョートル大帝が西洋の技術・知識に誰よりも興味を抱きながらカトリックには警戒心を抱き、イエズス会の宣教師を「制度として宗教に仕え、法王の利益を図る」がゆえに受け入れなかったのも良く似ています。

 現在のロシアは原油などの資源の高騰により未曾有の好景気にあるそうです。中国とともにこの古くて新しい大国と否が応でも我々は付き合っていかなければならないでしょう。だとすればロシアの文学とともに歴史についても知っておくことは必要でしょう。別に私はそんな殊勝な気持ちでこの本を読み始めたわけでもないんですが、ピョートルが石油について述べた次のような言葉を見てそんな気分になりました。「評判の石油という物、特にあれの特性を知りたいものだ。……将来大いに役立つはずだ。ともかく我々の子孫の時代には」(341ページ)。