book review

 

 

 石井宏:反音楽史

 鈴木淳史:クラシック悪魔の辞典

 アドルノ:音楽社会学序説

 ビートルズと音楽室の肖像画

 厄介な音

 コンサートからの逃亡

 安倍晴明伝説

 セレンディピティ

   自分探しの旅

   Japanity

   金属学プロムナード

 ブータン仏教から見た日本仏教

 明治時代の東京

 

 


 

 石井宏:反音楽史

 

 この本の主張は明確です。音楽室にはバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンといった大作曲家の肖像が飾ってありました(今でもそうかな)が、それはドイツの美学者たちが作り出したドイツ音楽中心の音楽史に沿ったものにすぎず、実際にはイタリアが音楽の中心、先進国であり、音楽の都などと言われるウィーンにしても実は後進地域で、サリエリのようなイタリア人が重用されていてモーツァルトなどが入り込むことができなかったというものです。さらに、そうしたドイツ音楽の中心に据えられたベートーヴェンが得意としたシンフォニー、弦楽四重奏曲、ピアノ・ソナタ――つまり器楽によるソナタ形式の音楽が結局は人々からクラシック音楽を遠ざけ、現在の衰退につながったという主張です。

 まず、モーツァルトの少し前から、17〜18世紀に活躍したイタリア人作曲家の名前を挙げると、A.スカルラッティ、アルビノーニ、ヴィヴァルディ、マルチェッロ、D.スカルラッティ、ジェミニアーニ、ヴェラチーニ、タルティーニ、ロカテッリ、ペルゴレージ、ナルディーニ、パイジェッロ、ボッケリーニ、チマローザ、サリエリ、クレメンティ、ヴィオッティ、ケルビーニと18人にのぼっているのに対し、ドイツ人音楽家としてはバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトの4人とテレマン、グルック、C.P.E.バッハ、J.C.バッハ(ともに大バッハの息子)、ミヒャエル・ハイドン(ヨーゼフ・ハイドンの弟)、シュターミツの10人に過ぎません。しかもこのリストは音楽之友社の作成した「主要作曲家年表」ですから、著者はドイツ流の史観に基づいたもので、国際的に名声を博していたのはほぼヘンデルとJ.C.バッハだけだと著者は言うのです。

 それはなぜか。簡単に言えばイタリアで生まれたオペラとそこで活躍する声楽家、何よりもカストラート(去勢によりソプラノ音域まで出せる歌手)とが熱狂的な人気を博したことによるということです。例えばマンゾーリというカストラートは年収が2万グルデンであるのに対し、サリエリが就いていたウィーンの楽長職は3千、モーツァルトの父親のレオポルドが就いたザルツブルクの副楽長職はわずか350だったそうです。こうしたカストラートの高収入には王侯貴族のオンナで、相当な収入があったプリマ・ドンナもかなわなかったそうです。音楽の授業の延長で考えると異常のような気がしますが、ポップスの分野で考えればよくわかります。男の高音は人気があります(名前を挙げる気がしませんけど)し、先日もaikoの武道館コンサートのDVDを見てたんですが、あれをいっぱいにするのはひとえにaikoの人気であってバックバンドなんか誰でもいいですからね。こうしたポップスターに楽曲を提供している作曲家への関心は歌手の何分の一に過ぎないでしょう。

 そういう意味では、著者の意見にあまり反対はないんですが、二つほど言っておきましょう。一つは上に挙げような作曲家のオペラを見るチャンスは(モーツァルトを除くと)ヨーロッパにおいても少ないということ、もう一つは当時の有名作曲家が今でも聴くに値する作品を作ったかどうかです。前者についてはもっとバロック・オペラをCDだけじゃなく、DVDで見る機会が増えればいいなっていうだけですが、後者については私が聴いていないイタリア人作曲家も多いのですが、ヴィヴァルディの曲をバッハのようにたくさん聴こうって気にはなりませんし、サリエリに至ってはモーツァルトはおろか、シュターミツにだってはるかに劣ります。著者は人気があったとか、宮廷で席巻していたといったことばかり挙げますが、音楽の価値そのものは無視しているように思えます。

 まあ、音楽の価値なんて言い出すと、ソナタ形式を振り回してシンフォニーや弦楽四重奏曲やピアノ・ソナタを至上のものとし、オペラやディヴェルティメントを低いものとしたドイツの美学者と同じになっちゃうからでしょうけど。……「セビリアの理髪師」の序曲は3回目の使いまわしなのにロッシーニはウィーンですごく人気があり、それに対しベートーヴェンは「フィデリオ」のために3つも序曲を作ったけれど、ぜんぜん当たらなかったそうです。音楽の価値としてはベートーヴェンの方が上かも知れませんが、確かに「セビリアの理髪師」はおもしろいし、「フィデリオ」はつまらないですね。この本の副題が「さらばベートーヴェン」となっている理由もこの辺にあって、著者によると第9シンフォニーの最後に出てくるシラーの詩「歓喜に寄せる」はすさまじいアジテーションであり、まかり間違えばただの大言壮語だそうです。そして、崇高と滑稽は紙一重というドイツ語の諺を引いて、第9の終楽章もしばしば滑稽に見えても仕方がないと言います。私は臆病者ですし、何が滑稽だと?!なんて怒る(それこそ滑稽な)人を相手にするのも面倒なので、崇高だと言っておきますが。

 それ以上におもしろいのは、ベートーヴェンが30歳過ぎまでは穏当な上流階級の向けの作品を作っていたのが、例えば中期のピアノソナタの代表作、ヴァルトシュタインやアパッショナータに至ってフランス革命・ナポレオン時代以降の勃興した庶民を代表して、自分のための作品を書くようになったと言います。芸術家様の誕生ですね。……これらの作品はおよそD.スカルラッティやモーツァルトの作品のように貴婦人が弾けるようなレヴェルのものではなく、転調やリズムもそれまでには考えられないようなものになり、聴衆の気分を故意に高揚させるようなものになったことを指摘します。その典型例が第5シンフォニーの第3楽章から第4楽章への運びであるとし、こういうものは音楽の自然な流れを無視した催眠術のような人工的なレールに過ぎず、ゲーテは「騒々しいだけのコケ脅し」だと言ったそうですが、私もベートーヴェンのわざとらしさは感じないでもないので、あまり異論はありません。ただ著者がひいきするロッシーニやヴェルディあたりのイタリアオペラだって、あざとさにおいてはそう変わらないだろうと思いますけどね。

 まあ、こういうベートーヴェンを楽聖として持ち上げ、ソナタ形式を至高のものとし、器楽を声楽より高いものに位置づけ、標題のない「純粋」な音楽を高級だとした淵源はシューマンなんだそうです。文筆家としてのシューマンはそうだったのかもしれませんが、そういう「ドイツ音楽」の基準からは、シューマンの音楽はあまり評価できないだろうというのは歴史の皮肉でしょう。

 著者は要はそうした基準に従い、無調とかわけのわかんないものになってしまった「クラシック音楽」は一般の人気を得られず、学校教育の中で命脈を保っているに過ぎず、ふつうの人が愛好しているのはオペラの流れを汲むミュージカルだったり、貧しい黒人が始めたジャズ(とその派生としてのロックなど)だと言います。クラシックがほんの一握りの人の趣味になってしまっている(たぶんインディーズ以下でしょう)ことはタワレコの混雑具合を見れば明らかですが、ミュージカルはともかく、ジャズはクラシックと同じような道をたどって生命力を失っているように思います。あんまり知らないし、興味もないんですけど。

 この本にはいろいろ教えられるところが多かったんですが、全体のストーリーっていうか、構造自体について疑問に思う点を挙げて終わりにしましょう。話を簡単にするために著者が全く名前を挙げていない作曲家を指摘すれば、この本の射程の限界もわかるでしょう。まず、バロック以前の作曲家は出てきません。イタリアが音楽の中心であったというのはバロックにおいてのことであって、それ以前のスペインのヴィクトリアやドイツのシュッツを抜きにして「反音楽史」と言われても、それこそバッハとヘンデルから音楽が始まったような学校の教え方と大同小異です。

 同じような意味で、チャイコフスキーやムソルグスキーやドヴォルザークも出てきません。これらの人たちもオペラを書いたのに。イタリア対ドイツの構図だから仕方ありませんが、フランス音楽についてはわりと触れているのに「辺境」は無視してるんでしょうか。おもしろいのはリヒャルト・シュトラウスも出てこないことです。ドイツ人にしては融通無碍で、ヴァーグナーと違って受けねらいのオペラや管弦楽曲を得意にした彼を採り上げると論旨が濁っちゃうからでしょうね。

 20世紀の音楽においては、ショスタコーヴィッチとアイヴズとシベリウスといった調性を比較的守った作曲家を挙げていないのは決定的な問題です。アイヴズはアメリカの民衆音楽と前衛的な音楽を無理やりくっつけたところが私は大好きで、著者がひどく持ち上げるガーシュインなんかより言葉本来の意味でユニークで、優れた作曲家だと思いますけど。……こういう著者のスタンスは、ストラヴィンスキーやバルトークをも耳が変になる多調の作曲家と切り捨てているのと同じで、「20世紀の音楽ってみなさんわかんないですよね? あんなのええかっこしいだけが聴くもんですよね?」と一般の人に媚びているように思えます。しかしながら、音楽を理解するには(民謡やラップであっても)最初はそのイディオムに慣れる必要があります。慣れた上でわかるとかわからないとか、良し悪しが始まるので、そういう意味では私が挙げたような作曲家は慣れさえすれば、すごくわかりやすいし、おもしろい音楽だと思います。

 


 

 鈴木淳史:クラシック悪魔の辞典

 

 この本は、有名なアンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」のクラシック音楽版といったものです(ホントかな?)。私がおもしろいなって思った項目のうちあまり長くないものを挙げていくのが著者のアプローチの紹介にもなっていいでしょう。

 

○ 演出家:オペラ関係者のなかでもっとも多くのブーイングをもらえる職業。現代の観客にとって、歌手や指揮者など演出以外のものは関心が薄いのだろう。

○ オーチャード・ホール:どんなひどい演奏を聴いても、渋谷の雑踏がかき消してくれる、ありがたい立地条件。

○ 咳:@演奏に相づちを加え、録音にリアリティを添えるもの。A楽章の間に聴衆が一斉に行うパフォーマンスの一つ。

○ アリア:劇的な声楽作品における「のど自慢」の場。鐘の代わりに拍手やブーイングが飛ぶ。

○ 標題音楽:言葉に蹂躙された音楽。

○ レクイエム:生者のための癒しの音楽。

○ ロッシーニ:たくさんの三流歌手を増長させた一流の作曲家。

○ ドビュッシー:シェーンベルクと共謀して現代音楽への扉を開いたが、ワルモノにならずに済んだ人。

○ オーボエ:おどけた道化役と、甘いセリフをぬかす二枚目とを使い分けることができる二枚舌。

○ ティンパニ:叩かれているときよりも演奏中にこっそり調律されているときに気を使わせるバチ当たりな壺。

○ 本場モノ:ウィーンやチェコの演奏家が適当に手を抜いた演奏のことを、適当に手を抜きながら評価するときに使う言葉の背後にあるもの。

○ アマチュア・オーケストラ:安定した職業に従事している楽団員によって構成されるオーケストラ。

○ 店頭キャプション:CD売場で見かけるポン引きのこと。説教を食らったり、「この娘はあんまりよくないよ」と親切に教えてくれたりもする。

○ 音楽大学:数学や経済学や音楽よりも、楽器を演奏することが好きな学生が通う大学。そのほとんどが、優秀な主婦か、無気力な音楽教師を養成するために存在する。

○ 名曲:演奏をある程度選ばないと、満足できないという欠陥を有する作品。

 

 まあ、こんな感じで、クラシック音楽そのもののいかがわしさ、それを商売にしている連中のあざとさ、それを愛好している私のような人間のアホぶりを笑い飛ばしているわけです。それはそれで解毒作用もあるので自覚症状のない人にはお薦めできますし、チラっとネタをふって冗談が通じるかどうかのリトマス試験紙にも使えるかもしれません。ですので、これ以上、私が野暮なコメントをする必要もないのかもしれませんが、ほめるだけで終われるわけもないでしょう^^。

 著者は、何人かの音楽評論家も俎上に上げて(なんか変な言い回し)いますが、吉田秀和だけは尊敬してるのかなって感じです。長くて面倒なので引用しませんけど。そう思うと、オタク的な知識や一定の見解は感じられても、何か物足りなさが残ります。

 それは例えばマーラーの交響曲第6番と第7番について、それぞれ「病気を無理にソナタ形式に押し込めるとこうなるという例」や「同じ病気でも明るいほうがタチが悪いということで、マーラー交響曲の最高峰」といった表現に見られる教養のなさが根本的な原因でしょう。念のために言っておくと、私は精神障害を笑いのネタにしていることに目くじらを立てているのではなく、世の中の正論を密かに嘲笑っている人たちのレヴェルの低さにおもねっている著者の姿勢を批判しています(もっとどぎつくて引用する気の起こらない表現は頻出しています)。

 そうした目で見ると、「宗教曲:音楽それ自体が、社会を超越するものとしての宗教的啓示を与えてくれるのに、それに宗教的イデオロギーを加えることによって、コマーシャル・ソングへと貶められたもの」という項目の前半にあるように、ずいぶん音楽一般に甘い幻想をもった悪魔くんなんだなってことで、結局、「コンサート:音楽が生まれ、そこで死んでいく場」なんて陳腐な表現で、気の効いたことを言ったつもりの小才子にすぎないかって毒舌を吐きたくなってしまいました。……とは言え、あんまりするするっと読めてしまって、暇つぶしにも物足りなかったというのが不満の最たるものなんですが。

 


 

 アドルノ:音楽社会学序説

 

 この本は「序説」とは言え、文庫版ながら400ページを超えるもので、内容もかなり難解なものです。彼の思想的な立場はマルクス主義に近く、ベンヤミンらとともにフランクフルト学派に属しているようですが、その語法はドイツ観念論哲学由来の晦渋な表現です。また、社会学と言ってもアメリカのもののような方法論的自覚やフィールドワークがあるわけでもなく、同じく「音楽社会学」って本を書いたマックス・ヴェーバーほどの博覧強記があるわけでもなく、あっさり言ってしまえばアドルノ個人の経験に基づく思索の産物です。

 さて、音楽社会学ってなんでしょうか? この本のカヴァーには「音楽を社会から孤立した芸術ジャンルとせず、社会に還元されるべきイデオロギーともしない」云々と書かれていて、音楽と社会の関係を解明する学問ってことになるんでしょうけど、そんな教科書の定義みたいなことはどうでもいいです。私の勝手な推測で言うと、後進国ドイツ(正確にはオーストリアを含むドイツ語圏)において唯一優位性を誇れる芸術ジャンルが音楽であり、それをまたドイツの誇るヘーゲル先生の用語で記したものだろうと思います。例えば「まことにバッハにおいては民族的な要素が普遍性へと止揚されているのである。このことはほかならぬ20世紀中葉にまで至るドイツ音楽の優位を説明するものであると言えるかもしれない」(314ページ)といった記述において顕著です。これは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を始めとする経済社会学の浩瀚な著作においてヴェーバーが企てたことと同じでしょう。

 ただ、この本が1962年の著作であり、彼自身がユダヤ系で38年にアメリカに亡命したことがあるだけあって、手放しにドイツ系音楽のすべてを称揚しているわけでもなく、「この点(芸術的合理性と相矛盾する集合的な表象世界を扱うこと)でもヴァーグナーの音楽は、それ自体の中で、いくばくかのファシズムを先取りしている」(334ページ)といったお決まりの批判を歯切れ悪く行っているところに端的に現われています。

 しかし、アメリカは住み心地が悪かったのか、彼の地の音楽を徹底的にこき下ろしています。例えば「ジャズプレイヤーたちは瞬間の楽想のひらめきをひけらかすのに精を出しているが、それはリズムの点でも和声の点でも非常に狭い図式の域を超えられないため、インプロヴィゼーションは最小限の基本形式に還元できよう」(72ページ)とか、ミュージカルとオペレッタの違いは、商品として磨き上げられているかどうかだけで、「マイフェアレディ」のようなミュージカルの名作も「音楽の上ではオリジナリティとか発想の豊富さの点では卑俗な要求さえ満たせない」(59ページ)と断定されます。

 彼が繰り返し言及する作曲家はドイツ系の作曲家に限られ、特に現代音楽においてはシェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンらが褒め称えられ、バルトークもショスタコーヴィッチもほとんど触れられず、プロコフィエフやアイヴズは全く出てきません。さらに、アドルノはシベリウスもほとんど評価しておらず、「彼は全ヨーロッパの作曲技法がかちえたものを受け入れず、彼の交響楽法においては無意味で平凡なものが非論理的でまったくわけのわからぬものと結びつけられているのではないか。美的に整っていないものが自然の声だと見誤られている」と言います。これに対しシベリウスの名を広めるのに尽力したニューマンは「あなたの非難なさった特性、これは私も決して否定しませんが、この特性にこそイギリス人は共鳴するのです」と謙虚に答えます(339ページ)。

 さて、こうした偏ったイデオロギー的な見方、音楽を狭く見る姿勢はもう過去のものなんでしょうか? アドルノのドイツ音楽偏重の姿勢ともったいぶった哲学者気取りは、ある時期までは日本のクラシック音楽の受容の仕方そのものであったと思います。今や権威主義も教養主義もなくなり、おもしろけりゃいいじゃん、気持ちよければいいじゃんってことになったように見えます。……ところが、この本でいちばんわかりやすく(つまり哲学的でなく)、たぶん有名(だって引用しやすいから)なのは、最初の「音楽に対する態度の類型」という章なんですが、それを読むと音楽の大衆化・平俗化への憎悪や冷笑を見ることができます。まあ、ふつうはこれから紹介するんでしょうけど、私はそんな素直な人間じゃないんで最後にしたんですねw。

 最初に『エキスパート』という類型が出てきます(23ページ)。これは、「音楽という対象に完全に適応した聴取を行うこと」と定義され、「例えばヴェーベルンの弦楽三重奏曲の第2楽章のように、しっかりした構成の支えをもたぬ自由な曲に初めて出くわしても、その形式の各部を言うことができる人」なんだそうです。嫌味ですねw。で、「今日このタイプはある程度まで職業音楽家の範囲の中に限られるようだ」と言い、「自分の仕事が完全に理解できるのは自分の同類だけしかないと主張しがちである」と。まあ、現在の我が国でもこういう人は多いでしょう。

 次に『良き聴取者』という類型(25ページ)があって、「音楽全体のまとまりを自発的に理解し、承認し、その判断には確とした根拠があり、評判とか気ままな趣味だけに頼ることはしない。ただ作品中の技術的、構造的含蓄までは彼の意識には上ってこないか、少なくとも完全には上ってこない」んだそうです。ヒエラルヒーって言葉を思い出しますね。

 これら2つのタイプが減少しつつあるのに対し、取って代わったのが『教養消費者』だそうで、「このタイプの人は音楽を多量に聴く。状況が許せば飽くことなく貪り聴き、いろいろな知識・情報に詳しく、レコードの収集家でもある」って言います(27ページ)。このタイプに対し、エキスパートあるいは少なくとも良き聴取者を自任していたはずのアドルノは次から次へと悪罵を浴びせています。面倒なんでかなり端折って引用します。「伝記と演奏家たちの長所に関した知識を集め、長時間それについて無駄話をして飽くことがない。……作品の展開には冷淡で、聴取の構造もこま切れ的で……自分で美しいと思い込んでいるメロディとか圧倒的な瞬間とかを待ち受けているのだ。……そこには何かフェティッシュなものがある。……彼はとにかく評価の好きな人間である。……彼を感嘆させるのは自己目的と化した手段、つまりテクニックである。……よく攻撃にさらされる現代音楽に対してはほとんど敵対の立場をとる……音楽文化財が彼らの管理の手にかかると次第に商略的消費財に姿を変える」ふふ。いくら本音ではそう思っていても、ここまで言う勇気は今の音楽評論家にはないでしょね。

 その次は『情緒的聴取者』で、「聴取の対象の本質からはさらに遠ざかっているもので……自分の本能を解き放ってくれるのが音楽なのだ」とされ、「チャイコフスキーのようにはっきりと情緒的な音楽を実際はことのほか強く求めるのである。彼らに涙を流させることは困難ではない」(30ページ)といった調子です。まあ、類型はもうちょっとあるんですが、音楽の素養のある人がない人間の悪口を言う材料としては、これで十分でしょう。ここだけ立ち読みすればむずかしい議論なんかわからなくても、「アドルノはこう言ってる」って言えそうです。

 


 

 ビートルズと音楽室の肖像画

 

 「ビートルズとは何だったのか」(佐藤良明著)っていう本を読みました。50年生まれ、団塊の世代の著者が若い人たちに向けて、歴史、音楽、英語の授業をするというスタイルでビートルズについて語ったものですが、その中でフォスターがなぜ音楽室の肖像画の一人として掲げられているのかについて説明があって、そこがこの本の中でいちばんおもしろかったので紹介したいと思います。

 私自身、クラシックは大学に入ってから聴き始めた人間ですから、バッハやヘンデルから始まるあの肖像画は自分とは全然関係のない変な髪型をしたおじさんたちとしか思っていなかったんですが、なんかフォスターは異質のような気がしていました。交響曲とかピアノ・ソナタとか聴く気はしないけれど、なにやら大層な音楽を書いていたらしい人たちと違って、「草競馬」とか「オー・スザンナ」とかずいぶん軽い音楽を書いていたのになぜ麗々しく掲げられているんだろう。その右の中山晋平や滝廉太郎も唱歌みたいなのが代表曲で、おんなじような気がするけれど、まあ日本人も出しておこうってことなんだろう。そんなことをなんとなく感じていました。……なんせ生来不器用でリコーダーや歌の実技試験はダメなもんだから、せめてペーパー・テストはと思って、作曲家と代表作を暗記していたせいかもしれません。

 著者はフォスターの曲が黒人(アフリカ系なんて言うのは私はある種の偽善だと思っていますが)の音楽を下敷にしながら上品な雰囲気を持つように、つまり白人(ヨーロッパ系と言いましょうか?)にも受け入れられるように作られたものだと指摘します。もうちょっと具体的に言うと、黒人の音楽ふうになるように、オクターヴのうち半音になっているファとシを抜いたド・レ・ミ・ソ・ラの5音の音階(ペンタトニック)を基本として作曲しながら、「故郷の人々 The Old Folks at Home」(「スワニー川」っていう方が親しまれているかもしれませんが)だと「スワ、ニー」のところで下のドから上のドにジャンプする(わざともっと上にはずそうとするおバカな男の子がクラスに必ず一人はいたと思いますがw)のがしゃれた芸術的な雰囲気を持っていたというのです。そして、例えば山田耕筰の「赤とんぼ」でも同様にペンタトニックで書かれながら、「ゆうやーけ、こやけーの、あかとーんぼー」でも下のドと上のドが出てくる起伏の大きな曲になっていて、芸術的な味わいを出していると。

 明治時代に日本の子どもたちに西洋音楽を教育しようとしたときに責任者になった伊沢修一という人がアメリカに留学した経験があって、わらべ歌や民謡で子どもたちが慣れ親しんだペンタトニックを元にしたフォスターを入れたそうです。……もちろんこの話はビートルズの曲も古くからの黒人やアイルランドの歌の音階が元になっているということにつながっていきます。

 さらにおもしろいのは、日本の古くからのわらべ歌なんかを採譜・編曲する際にクラシック的な要素を入れすぎるとちょっと変なことになってしまうんですね。これについてはぽけっとさんが「西と東の歌」で、なぜ「通りゃんせ」が怖いのかについて分析されているので、ぜひ見ていただきたいと思います。

 さて、この記事を書いていていちばん心配なのは、「あたしの通ってた学校にはそんな肖像画なかったよ。一体いつの時代の話なの?」っていうふうに言われることですw。あんなマーラーもブルックナーもいないような古くさいもの(この二人が一般的になったのはCDなんかで長い曲が聴けるようになってからです)は、クラシックを縁遠いものにするだけだからなくなった方がいいとは思いますが。

 


  

 厄介な音

 

 男は運転が下手だと言われるとセックスが下手だと言われるのと同じくらいプライドが傷つくという説をどこかで読んで、なるほどなって感心したことがあります。どういう意味でなるほどなと思ったかは言いませんけどw。それほど深刻でもないかもしれませんが、「音の違いがわからないの?」って言われると傷つく男もけっこういるように思います。こっちの方は私もそのうちの一人だと認めるのにやぶさかではありません。味覚もそうかもしれません。男って、繁殖能力がなかったり、道具がうまく使えないと存在意義がないし、外敵が迫ってくる音や食べられるか物かどうかの判別ができないと使用価値がない代物だったからかなと思います。はいw。
 
 でも、音の良し悪しなんてまさに感覚的なもので、こっちがいい、あっちがいいって言っても始まらないところがあります。で、ここで言ってる音って生の音じゃなくて、録音されたいわゆる再生音楽です。CDやPCに入ってる音ですね。……昔々はハイファイって言葉があって、これは「Hi-Fidelity高忠実度」の略です。原音にどれだけ迫れるかが大事だという考えで、今でも音に拘る人はそう思っているかもしれません。ところが現在の音楽において「原音」ってなんでしょう? ほとんどの人が聴いている=売れている音楽であるポップスにはおそらく「原音」はありません。多重録音された伴奏とヴォーカルのテイクをたくさん録って、それらを切ったり貼ったり、音の表情、場合によっては音程まで調整する。……もっと複雑な過程でしょうけど、いずれにしても「原音」があるとすれば我々がデジカメで撮った画像を編集するみたいにPCで編集されたデータでしかないはずです。

 こういう音楽データはもちろん売るためのものですから、多くの人が聴いている一般的な再生装置で聴いたときにいちばん「いい音」で鳴るように作られているはずです。別に音楽業界の人から聞いたわけでも、何かで調べたわけでもありませんけど、そうでないと市場原理に反しているわけで、おかしいくらいです。より多数の消費者の好みに合うようにモノを作るのは音楽もトマトも同じで、そういう方面の細工にかけては日本は世界一でしょう。で、多くの人がポップスを聴いているのはiPodとPCと昔で言うラジカセのようなものです。……今回、デスクトップPCを買ったついでにいちばん安いPC用のスピーカーも買ったんですが、これでaikoや椎名林檎を聴くと今まで私が聴いていたそれなりの値段のオーディオよりよほど締まった「いい音」で鳴りました。これは新鮮な体験でした。それもCDではなく、iPod(のようなものw)で聴くためにPCに落としたもので聴いてですから、元のCDの1/10くらいにデータは圧縮(簡単に言えば音の間引き)されてるんですけど。……

 こんなことを書いているとなんて耳の悪いやつだと思われるでしょうし、そうなのかもしれませんが、他人の耳や頭を借りることはできません。自分が聴いたことに基づいて、自分で考えるしかないんだろうと思います。少なくとも私はビットレートとか周波数特性とかのスペックでものを言ったりはしません。そんなのは単なる消費者としてトマトのヴィタミンや食物繊維がどれだけあるって言ってるのと同じで、生産者側からすればいいカモに過ぎないと思うからです。

 で、厄介なのはクラシックです。PCのスピーカーでは全然いい音は出ません。そんなの当たり前じゃないかって言う人が多いでしょうけど、それでいいんでしょうか? 大多数の人が音楽を楽しんでいる装置で、(ポップスのように)それなりに聴けるレヴェルの音が出ないのがクラシックを積極的に聴こうという人が少ない原因の一つじゃないかなって思いません? だいいち今はクラシックだってPCの中で音を継ぎはぎして、いじりまわしています。ライヴ録音だって日付が2日間になっていたりするのを見たことがあるでしょう?……だったらもっと徹底して安い装置でもそれなりに聴けるCDとかって作ったらいいんじゃないかなぁ。もしかしたら、そういう名曲集(今だと「○○100!」っていうのかなw)が既にあるのかもしれませんけど。

 こう書くと怒り出す人がいるかもしれません。クラシックをちゃちな装置で聴いて何がわかるんだと。オーケストラのスケール感、ピアノの繊細なタッチ、アカペラの透明感は数百万円掛けたものでなきゃわかりゃせんと。……高いオーディオは高級車や下手をすると家が買えそうな値段のするものまであります。でも、そんなのちょっとクラシックでも聴いてみるかなって思う若い人には関係ないでしょう。そして、若い人に支持されないものに未来はありません。私自身、昔々クラシックを軽いノリで聴き出した時の装置はとても安いものでしたが、今でも忘れられないような感動を味わいました。その後何倍もする装置を買いましたが、だからといって感動が何倍にもなったなんてことはありません。実演を含めてたくさん聴いた経験もあって、いろんなことが細かくわかるようになっただけです。

 不思議なことにPCのスピーカーでもピアノの音はちゃんとした装置とは別個の音ですけど、それなりに聴くことができます。ロマン派以降の強弱の幅の大きな作品はダメなんですが、バッハの作品をピアノで弾いたものは自分でも驚くほど心に沁み入ってきます。グールドやリヒテルやシフの名演奏は、数千円の装置でも数千万円の装置でも、表情は異なっていてもその音楽の本質を聴く者に伝えてくれるんだろうと思います。

 


 

 コンサートからの逃亡

 

 広く知られているようにビートルズは日本公演の少し後にコンサート活動をやめてしまいました。その理由は本人たちを含めていろいろな証言がありますが、客観的に言えばコンサートでは実現できないような音楽作りをするように進化したからだと思います。実際、日本公演の少し前にリリースされた「リヴォルヴァー」には実験的な手法が多く使われていて、舞台では再現できないような曲が含まれています。ファンにとっては生の演奏こそが最高と思ってしまうのは無理からぬところがありますが、実際にはコンサートは一種の重荷に過ぎず、思う存分に様々な試みのできるスタジオでこそ彼らの創造力は羽ばたいたのです。「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を始めとする考え抜かれながら自由な発想を持った音楽を聴くと多くの人は「今でも新しい」と感じるでしょう。しかし、それは我々がビートルズの創り上げた音楽の枠組みを超えていないことを示しているだけなのかもしれません。もし将来、本当の意味でポップスの新しい時代を切り開く才能が現れたときになって、初めて「ビートルズはもう古い」と言えるようになるでしょう。しかし、それはたぶんコンサート会場からではなく、スタジオかあるいはコンピュータの中から現れると私は思います。……

 さて、私が書いてきたのはビートルズだけのことではありません。グレン・グールドについてもほとんどそのまま当てはまるでしょう。ところが、ビートルズ以上にグールドについてはコンサートからのリタイアがその特徴として語られてきましたが、彼のちょっと変わった性格で説明されてきた面が強いように思います。しかし、私はこれは歴史的な必然のような気がします。

 ベンヤミン(Walter Benjamin 1892-1940)は1930年代に「複製技術時代の芸術作品において滅びゆくものは作品のアウラである」であると言っています。Auraは彼によれば「オリジナルな作品がもつ崇高な、一回きりのもの、あるいは得体の知れないもの」だそうですが、まあ「本物のありがたみ」だと私は思っています。日常生活でも「あたし今、オーラが出てる!」って使いますけどw。彼は写真や映画産業が隆盛する一方で、絵画や舞台芸術が衰退するのを見てそう言ったみたいですが、実は近代絵画の展開は写真技術の発明・発達と深く関係しているんですね。すごく大ざっぱに言うと肖像画を描くことで食べていた画家が1830年代に開発された写真によって食えなくなった。だから、モネやルノワールらの印象派みたいに写真では捉えきれないそこはかとない一瞬を描くようになった。ところが、写真は単なる(個人の顔といった)記録から逆に印象派の絵画に学んで、一瞬の美をも捉えられるようになった。つまり写真も芸術になろうとした。じゃ、じゃあってことでセザンヌやゴッホらのPost-Impressionism(これを後期印象派と訳すのはポストモダンを後期現代と訳すのと同じくらい間違いですw)は絵画を絵画として構成しようとし、さらにキュビスムなどなどにつながっていくんですが、あっさり言ってしまえば「どうだ? これなら写真にできないだろ?」ってことだったような気がします。ついでに言ってしまうと、今名前を挙げた画家の多くに大きな影響を与えた浮世絵版画もこれまた複製技術による芸術なんですね。……

 音楽について言うとエジソンが錫箔の円筒式蓄音機を発明したのが1877年で、1897年に亡くなったブラームスの演奏が(声も)残っています。写真もご覧のように残っていますが、音楽室でもCDのジャケットでも肖像画の方がなじみがありますね。ちょっと脇道に逸れて言うと、これはブラームスの作風が古いと言うか、時代遅れだからでしょう。例えば彼の第1シンフォニーって1876年に完成したんですが、この頃ってもうベルリオーズもメンデルスゾーンもショパンもシューマンもみーんな亡くなってて、めちゃ遅咲きのブルックナーでさえ第4シンフォニーまで書いてて、ヴァーグナーの「ニーベルングの指輪」の全曲が初演された年ですよ。

 それはともかく、音楽の歴史において蓄音機、SP、LP、CDといった複製技術は絵画における写真ほどは影響がなかった、あったとしても第2次大戦以降じゃないかなって思います。いろんな理由が考えられますが、一つにはオリジナルのあり方が絵画と音楽では全く違うからでしょう。モネの「印象〜日の出」っていう絵はこの世に一枚しかありませんが、ブラームスの交響曲がこの世に一つしかないなんて誰も思いませんから。……「自筆の楽譜は一つしかないだろ」って言う人には「じゃあ、自筆譜で演奏してないものはニセモノですか?」って言うしかないですね。そうすると音楽におけるオリジナルは作曲家の自筆譜を忠実に演奏することでしょうか? ところが演奏家なら誰でも知ってるはずですが、忠実な演奏といっても、バッハだと強弱の指定もないし、ベートーヴェンだと速度の指定はめちゃくちゃだし、シューベルトだと書き間違いは多いしといったことで、とてもマトモな演奏にはなりません。だいいちそんな文句を彼らに言ったら口を揃えてこう言われるでしょう。「そんなことも自分でちゃんとできなくて、私の作品を演奏しようとするのかね?」とw。

 音楽においては大衆化の方が大きな影響があったように思います。大衆化とは読んで字の如しで、私は大勢の人が聴衆になることだと思っています。バッハよりモーツァルト、ベートーヴェン、マーラーと時代が下るにつれて、楽器編成はだんだん大きくなりますが、それ以上に彼らの音楽を聴く人は大勢になったはずです。バッハだと数十人、モーツァルトで数百人、マーラーで千人をはるかに超えたでしょう。だって演奏する人の方が多くちゃ商売になりませんからね。ただそれにつれて自分では楽器を触らない聴くだけの人が増えていったのです。……ベートーヴェンは第3シンフォニーや第9シンフォニーを聴くと民主主義的な、悪く言うと大衆迎合的な作曲家のようですが、ヴァルトシュタインとかラズモフスキーなんて貴族の名前のついたピアノや室内楽の曲を作曲しています。で、たぶんこういう貴族を始めとした上流階級の人たちはうまい下手は別として、楽器を嗜んだはずです。つまり器楽曲や室内楽は聴くだけの聴衆のためのものではなく、それなりの音楽的素養のある人のために書かれていたんです。ヨーロッパではアドルノが嫌味たらしく書いていることから推測できるように第2次大戦まではそういう伝統が色濃く残っていたようです。

 いずれにしてもシンフォニーやオペラといった大掛かりな音楽が19世紀以降のクラシックの歴史の中心ですが、それは大衆化そのものだったわけです。でも、それも2回の大戦でヨーロッパが没落し、アメリカが勃興したことで、ジャズやミュージカル、さらにポップスにマーケットの中心を奪われてしまったんです。ポップスはAMラジオとドーナッツ盤(知らない人はお父さんに訊きましょうw)という複製技術で何十万、何百万という聴衆を獲得しました。

 ところがここで奇妙なことにオリジナルという問題が生じます。ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」って1億枚売れたそうで、今でもあの曲は彼の歌がいちばんって思ってる人が多いでしょう。ちなみにあれは1942年の映画の主題歌だったんですね。プレスリーの曲も彼の歌でなきゃダメですね。「イエスタデイ」はたぶん最も多くカヴァーされた曲ですが、いくら上手な人が歌ってもポールのよりいいって言う人はまずいないでしょう。つまり複製技術によって大量生産された物が「アウラを持つもの=オリジナル」になったわけです。ポール・マッカートニーは齢60を超えてもコンサートで「イエスタディ」を歌わされています。20代の頃の自分を複製させられているんですねw。

 ベンヤミンの定義には「一回きりの」というのが入っていて、一回性Einmaligkeitをなんだか大層なもののように奉る向きもあるようですが、私はこれはアウラの定義に必須なものとは思いません。だって、1回しか聴けないコンサートでもつまんないアウラ(ありがたみ)のないものはいくらでもありますし、CDでも最初に聴いたときにはなんとも思わなくても、あるときふと聴き返して忘れられないような感動を覚え、アウラを感じることもありますからね。たぶんベンヤミンは作品=客体に備わっているモノとそれを聴く側=主体の事情とをきちんと整理していないように思います。もちろんアウラは主体が感じ取って始めて「ある」と言えるものですが、それをすべて主体側に還元してしまってはアウラというもったいぶった概念を立てる必要がなくなって、例えば「感動」といったふつうの概念で十分じゃないのってことになるでしょう。

 さて、「ホワイト・クリスマス」や「イエスタディ」のようなことはクラシックの世界ではありえません。ラフマニノフやクライスラーが自作を演奏したレコードが残ってますが、別に絶対的な価値を持っているわけではありません。ブラームスの演奏なんて、当時はこんな弾き方だったんだという感想しか持てないでしょう。

 もしクラシックにオリジナルがあるとすれば、グールドの弾く「ゴルドベルク変奏曲」こそがそれなんです。名演だからとかそんな理由ではありません。そんなものは「レコード芸術」を見ると毎月発売されていることがわかりますw。そうではなく、彼だけがコンサートから逃亡したからです。「あの時の演奏の方がよかった。実際に聴いた自分が言うんだから間違いない」といった言い分を封じてしまったからです。複製され、大量生産されるものがオリジナルとしてアウラを持つためには余計なナマの自分は消さなければなりません。……彼は1955年にこの曲の最初の録音をし、64年からはコンサートをしなくなりました。ビートルズがコンサートをしなくなったのは66年です。これは偶然でしょうか?

 


 

  安倍晴明伝説

 

 「安倍晴明伝説」(諏訪春雄著)という本を読みました。夢枕獏の小説と言うよりは岡野玲子のマンガの『陰陽師』の主人公として有名な安倍晴明が実際はどういう人物であったのか(新総理とは関係なくw)知りたくて図書館で借りたんですが、その目的以上の収穫があったように思います。この本の内容は著者自身が『あとがき』の中で簡潔にまとめているんでそれをまず引用します。

@ 安倍晴明の実像は職務に忠実な国家公務員であった。ただ彼の従事した職務が陰陽道という、科学と呪術のむすびついた特殊な用途をもつものであったために、彼は代々の権力者から重用された。

A 陰陽道は、中国から伝来した当時の科学、宗教、呪術の先端知識を総合して、日本で誕生した。その先端知識は、単独で、あるいは道教や仏教の枠組みにつつまれて日本につたわった。

B 晴明にかかわる数々の伝説は、大きく二つにわけることができる。一つは宮廷の陰陽寮から発して、京都、奈良、大阪などの中心地域にひろがった上級の陰陽師たちがそだてた、晴明の超人的な呪術力を称揚した伝説群である。式神も、道教の役鬼をベースに、この人たちが生み出した。もう一つは民間の下級陰陽師たちがそだてた信太妻伝説である。前者の素材となったものは、中国伝来の神仙譚であり、後者の素材は民間の異類婚説話であった。

C 民間の下級陰陽師たちは、大陸伝来の陰陽術の伝統をまもった人たちであったが、陰陽術の日本化をはかった上級陰陽師たちの陰にかくれて、上級陰陽師系の伝説の中では、敗者、悪者の役割を演じることが多かった。彼らは渡来した被差別民であり、中世以降、歴史の表に登場するようになったとき、信仰する和泉国の信太明神の縁起譚として、晴明異常出生譚を生み出していった。

 このうち@とAは晴明の実像に迫るといったところで、堅実な実証過程を経るとあのロマンティックなイメージは当然のことながら崩れ去っていきます。それは例えば太政官の役所の庇の中に蛇がいるとか部屋にアヒルが紛れ込んできたといった(当時の人にとっての)変事について、晴明が凶事の兆しではない、お祓いをすればよろしいといった占いをするといったようなことです。ただこうした地味な技術者的な仕事であっても天皇の退位を予言するといった政治的な意味合いを持つ場合もあったことから、花山天皇、一条天皇、藤原道長らから厚い信頼を寄せられていたようです。彼の技術の内容は陰陽道ということになるんですが、これは中国の陰陽五行説を取り入れた呪術の体系です。陰陽五行説は陰陽2つの気と土木金火水の5つの元素で万物の生成変化を説明し、かつ予言もしようとするものですが、これが日本では他の中国にあった方術(不老長生術、各種祭祀、祈祷、医術などを含むもの)、道教、風水説、密教、宿曜(すくよう:天文学+占星術)、呪禁(じゅごん:呪術で病気を治癒したり、悪霊・災難を除くもの)などの知識・技術といっしょになって陰陽道となったわけです。律令制下では中務省に陰陽寮があって、こうした知識・技術を身に付けた陰陽師に天文・暦・卜占を司らせていたんですね。

 こうした知識・技術は物事や事象の関係を(陰陽五行の交代といった)因果関係で見る点で(万有引力の法則といったもので説明する)近代科学と共通することがありますが、実証的な根拠や反証可能な説明を持たず、天文事象を安易に地上の出来事に当てはめてしまう点で呪術そのものです。また、霊的な存在とかかわろうとする点で宗教と共通ですが、宗教が主に神仏が力を発動して何かをしてくれるよう「祈願」するのに対し、呪術はそうしたものの力を利用して何かをさせようと「祈祷」するところが違うと言えるでしょう。晴明は陰陽師ですから呪術を操るわけですが、科学者の面も宗教家の面もあった、と言うよりは現実の晴明が持っていた知識・技術は決して超現実的なものでも、理解不可能な不思議なものでもなかったと言うべきでしょう。まあ、その末裔の現代の占い師とか霊能者のような人たちよりはずっと合理的な存在でもあったように思えます。

 でも、これじゃあ晴明が現在もなぜそんなに人気があるのかはわかりませんね。我々が魅力を感じるのは次のような話でしょう。……晴明が幼い頃、師匠の賀茂忠行のお供をして牛車の後からついていくと、向こうから恐ろしい鬼どもがやって来る。晴明は急いで牛車の中で寝ていた忠行を起こして、難を逃れた。また、ある時は花山天皇が頭痛に悩まされているのを占って、天皇が前世で徳の高い行者で大峰山中で亡くなったこと、その髑髏が岩の間に挟まっているため頭痛を病まれることを見抜きます。で、晴明の教えたとおりの場所に髑髏が挟まってて、それを取り出すと天皇の頭痛は治った。庚申の夜は難を避けるため、ずっと起きていなくてはならないので、宮中では酒や賭け事や歌舞音曲を催して退屈しのぎをするのですが、その場に算術に優れた晴明も呼ばれて天皇から「何かおもしろいことをして見せよ」と命じられた。晴明は「この場の方々を笑わせてみましょう。決して後悔なさいませんように」と言って、算木を並べて見せると、その場の天皇を始めとした人びとは突然笑いころげ始め、口もきけず、腹がよじれて苦しくなって、晴明に許しを請う有様。晴明が算木を片付けるとおかしさがぴたりと止まった。……これらの話はそれぞれ晴明が生まれつき抜群の素質を持っていたこと、占い師として卓越していたこと、算木によって人の運命を見るだけでなく人を動かす呪術として使うことができたことを表しています。

 こういうBの晴明伝説の中でももっとも有名なのが式神を使って日常の用をさせたり、腕前を試されてカエルを殺したりといったものですが、時には逆に人の式神を隠してしまったり、式神を使って呪詛した者に式神を返して死に追いやったりしています。そして、式神は中国の「神仙伝」などに見られる仙人に使役される役鬼と共通性があり、他の晴明伝説の多くも中国の神仙譚に元ネタがあるようです。これを熊野の那智や大峰山で修行していた修験道の山伏たちが自らの呪術の権威付けに晴明の名前を利用したといったことであったようです。

 晴明ゆかりの神社、寺、塚、屋敷、井戸などは近畿を始めとして各地におびただしい数があるようで、これらは晴明自身がかかわったわけでなく、彼を祖とする土御門家を中心とした上級陰陽師たちの活躍と宣伝の成果であったと見るのが妥当でしょう。ところが、晴明に帰せられる伝説にはCのもう一つのタイプがあります。それは、彼の誕生にまつわる伝説です。……昔、摂津の国の住吉の里に阿倍保名という人がいた。妻は体が弱く、たびたび里に帰って養生していた。妻が回復し、子宝に恵まれるよう信太神社に祈願していたところ、傷ついた白狐を見つけ助けた。翌日、妻は元気な様子で帰って来て、ほどなく懐妊し、男の子が生まれた。これが晴明で、彼が3歳の時に母は信太明神の使いの白狐の化身であることが明らかになってしまい、「恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」の歌を残して去って行く。

 この伝説は上級陰陽師が広めた他の晴明伝説より遅れて中世末に成立し、仮名草子や浄瑠璃、歌舞伎に翻案され広く知られていくのですが、その担い手は下級陰陽師だったようです。彼らは例えば猿楽(滑稽で卑猥なものまね芸を見せるもの)、歩き白拍子(歌舞を演じて歩いた遊女)、鉦叩き(鉦を打って施しを受ける乞食僧)、鉢叩き(鉢や瓢箪などを叩きながら諸国をめぐる門付け芸人)、猿飼い(猿まわし)と呼ばれ、各種の雑芸によって諸国を遍歴した人たちで、中世においてこうした人たちは賤民視されていたのです。そして、こうした人々が信仰したのが和泉国の信太明神であり、素性が露見したときに夫や子を置いて去らなければならなかった母と超人的な能力を持つ子の話を伝え続けたわけで、その心情は察するにあまりあります。

 私がこの信太妻の伝説を知ったのは辻井喬の「狐の嫁入り」(「けもの道は暗い」所収)であったようです。私はだいたいが作家の個人的事情など関心がないんで、常識的なことも知らないのがしばしばなんですが、この時も彼が堤清二ということも婚外子だということも知らずに読みました(今も彼と母や父との具体的な関係は知りません)。しかし、この小説のある種異様な美しさと悲しみに深い感銘を受けました。……今回、この「安倍晴明伝説」を読んで、同じような感慨を抱いています。

 


 

  セレンディピティ

 

  自分探しの旅

 

 有名サッカー選手だけじゃなく「自分探しの旅」っていうのが流行っているようです。でも、これってなんか変な言葉です。まず自分を探すって、どこかに置き忘れたんでしょうか?本当にそうなら警察や鉄道会社の遺失物係りにでも訊いてみたんでしょうか?

 

「あの、私をどこかに置き忘れたんですが、ないでしょうか?」

「ああ、最近多いんですよ。雨の日は傘、今日みたいにカラッと晴れた日は自分を落としちゃったって人がね。……でも、ないみたいですね。見つかったら連絡しますよ」

 

 そんな会話がもしかしたら交わされてるのかもしれません。……次にその自分はなぜ旅行して探すんでしょうか?行ったこともない土地、例えばタヒチwになぜあると思うんでしょうか?ひょっとすると旅行代理店では「自分探しならここ!」なんて広告をしてるかもしれません。

 

「あの、この『自分探しの旅〜7泊8日』なんですけど、前にも参加したんですけど、見つからなかったんですよ。今度参加してダメだったらおカネ返してくれます?」

「申し訳ございません。私どもとしてはお客様が自分をめでたくお探しいただけるよう最大限の努力をさせていただいておりますが」

「それってホテルが鏡だらけだったり、観光地を歩いてると『自分』って書いたカードが落ちてるとかですか?……そんなことじゃなくて、本当の自分を探したいんです」

「承知しております。今度はだいじょうぶです。世界1周しますから」

 

 えっと、小噺やってるんじゃないんですがw。……たぶん自分探しの旅って観光とかグルメとかの特定の目的を持たずに自分とは一体何かを見つめ、一体これからどうやって生きていったらいいかを探すための旅といったところなんでしょう。でも、そういうのってわざわざ人に言うような話だとは思わないですし、それを目的にするのって私に言わせれば勘違いしています。

 この辺からセレンディピティの話になるんですが、セレンディップの3人の王子様は国を悩ましているおそろしいドラゴンを退治する秘法を探して来るよう父王に言われて旅に出たんです。だから、その旅の中でお嫁さんを見つけたのは余計なことですし、秘法は見つからなかったんで旅としては失敗です。ドラゴンは秘法を知っている賢者の化身がやっつけてくれたんでめでたしめでたしですが、王子様たちはけっこうしょげて王様の元に戻っています。でも、もちろん王様は結果よければすべてよしってことであたたかく迎え入れてくれるんですね。

 王様が最初から嫁を探して来いと言ったらどうだったでしょう?おそらく美女を拉致監禁している怪物なんかがいて……って話になるような気がします。ところがこのお話ではとても簡単にお相手は見つかります。だってそれはひょっこり出会っちゃったんですから。そんな簡単にいい人が見つかるなんてお話だからだわって思う人も多いでしょうし、それはそうですが、でも私はお嫁さんを探していなかったから見つかったんだろうと思います。それ以上に秘法を探すことに一生懸命だったから。

 果報は寝て待てとか、イヌも歩けば棒に当たるとかいうことわざがありますし、わらしべ長者とかものぐさ太郎とかのおとぎ話もありますが、それらとは少し違っているように思います。一生懸命に何かに集中していて、ふと立ち止まったときに別のものを発見することがあるような気がします。それが恋愛であっても自分であっても、あるいはノーベル賞級の発見でも私はある意味で同じじゃないかなって思います。……だってそれを発見した時に世界が違って見えるはずですから。

 


 

  Japanity

 

 引き続きセレンディピティにはまっています。一つのことに一時期熱中して、やがて冷めてしまう繰り返しなんで仕方ないでしょう。長くこつこつなんてのは私の性には合いません。学校を卒業してから曲りなりにも仕事を続けてるだけで大したものです。これ以上のことを望んではいけませんw。

 そういう意味では「当初の目的外のものを偶然に発見する・手に入れる能力」というセレンディピティは私にうってつけのような気がします。……誰ですか、当初の目的はあったのか?なんて言う人は。いいんです。思いもかけないようなものを見つけた気になるってことが大事なんですから。たぶん。おそらく。きっと。

 serendipityは「セレンディップの3人の王子様」というお話からできた言葉で、このserendipは今のスリランカのことで、かつてサファイヤやルビーの輸出で栄えたそうです。「偶然からモノを見つけだす能力」(澤泉重一著)という本を読んでいたら、Japanityという言葉が出てきました。要はセレンディピティの反対で「誰でもやっていることを追いかけて当たり前の・必然的なものを発見する能力」のことで、日本人の独創性のなさをからかった言葉だそうです。著者はこの言葉に大いに不満に思っているようですが、私は全くそのとおりだと思いました。

 身の回りの工業製品、携帯電話やパソコンや車、なんでもいいんですが、日本製は使い勝手が良くて故障しにくいですが、同じようなものばかりです。美術館でも商業デザインでも建築物でも一つの新しいものが出るとその模倣が大量に出回ります。テレビ番組や映画やマンガもしかり。コンビニの商品も何か新商品がヒットすればあっという間に真似をする。……成功の方程式という言葉がありますが、定式化(方程式という言葉遣いは間違っています)されたものにわくわくするような創造性はありません。少しでも新しいものを産み出そうとする人たちの意欲を殺ぐだけです。

 ジョークで沈没しようとする船から飛び込ませるには日本人には「隣の人も飛び込みましたよ」って言うのがいいっていうのがありますが、本当のことでしょう。職場やそれ以外の場所の会議でも、ネットでのブログや掲示板でもどこかで聞いたことのあるような意見ばかりです。笑われてもいいから人と違うことを言ったらどうかって思うんですが、まず聞かないですね。流行に弱い(これは事実で流行遅れのものには厳しい、つまり「強い」ことから明らかです)ということ以上に、「世間」とか「空気」に弱いんでしょう。これも昔から言われていることですが。

 なぜそうなのかはこれまたいろんな理由が言われていますが、まあそんなのを並べ立てるのはそれこそセレンディピティのない、ジャパニティまみれなのをさらけ出すだけなんで言いません。だって、日本の学界ではいろんな学説をいっぱい並べてきれいに整理して、それにちょっとだけ新しく思えるような自分の説を挙げるのがいちばんなんですから。

 こんなに激しいことを言うと反論があるかもしれませんが、ではなぜセレンディピティが「能力」なんでしょうか?ピンと来なかった人もいるんじゃないでしょうか?……フレミングの細菌の培養器にたまたま青カビが混入していたから抗生物質の発見に結びついた。強力な接着剤を作るつもりが弱い接着力しかできなくてそれをポストイットとして使ってみた。そういうのは棚からぼた餅、ただの幸運だって思いがちですね。でも、パストゥールはこう言っています。"in the field of observation, chance favors only the prepared mind."「観察の分野においては、チャンスは備えのいい心だけに微笑む」備えのいい心、幸運を呼び込む心を持つこと自体が能力であり、他のいろんな能力と同様にとても大事なものだと思えないとしたら、それを持っていないことを立証しているだけだと思います。そして、それはもちろん科学だけの問題ではないはずです。

 


 

  金属学プロムナード

 

 

「金属学プロムナード」(小岩昌宏著)という本を読みました。金属学の学者が専門雑誌に載せたエッセイをまとめたもので、ふつうなら関心を持つような本ではないんですが、「セレンディピティを追って」という副題が図書館の検索システムにひっかかったんですね。

 その中に出てくるヘヴェシーGeorge de Hevesyというノーベル化学賞を受賞した学者のエピソードがおもしろかったので紹介しましょう。……彼はアインシュタインの古くからの知り合いだったのですが、アメリカで再会したときに近所の理髪店に行ったところ、そこのおやじの念願がかのアインシュタインの頭を調髪することだと聞いて、「彼の頭は奥さんが手入れしているそうだからその望みはかないそうもないね」と言って店を後にしました。当のアインシュタインに会った時にその話をすると、彼はヘヴェシーの頭を眺めながら「おやじさんは君の頭では物足りなかったので、私の頭を刈りたかったんだろう」と言ったそうです。

 ヘヴェシーはコスターとともに72番目の元素ハフニウムHfを発見したんですが、ノーベル賞の受賞理由は「化学反応研究におけるトレーサーとしての同位体の応用研究」というものです。これではよくわからないかもしれませんが、彼が実際の応用例を示しています。……ヘヴェシーが住んでいた下宿で出されるまかないの食事にどうも前の晩の食べ残しが出てくることがあるような気がしました。それでわざとステーキを食べ残し、それにこっそり放射性の鉛で印をつけておきました。翌日の食事に同じ肉が使われていることが放射能の検出で確かめることができ、すぐに下宿を変わったそうです。

 こういう話に行き当たるのもセレンディピティのような気がします。

 


 

 ブータン仏教から見た日本仏教

 

  まず問題です。次の行事や習慣のうちお釈迦様と関係があるものはどれでしょう?

@ 通夜・葬式でお坊さんにお経をあげてもらう。
A 戒名をお坊さんからもらう。
B お墓を建ててお坊さんにお経をあげてもらう。
C 一周忌に法事(法要)をする。
D お彼岸やお盆に先祖の霊を迎える。
E 朝・晩、仏壇にお線香にあげてお経をよむ。

 答はすべて無関係です。何の関係もありません。お釈迦様はそんなことをやれとは言っていません。どっちかって言うと反対だったろうと思います。だってこうしたものって要は呪術、まじないですから。それが「葬式仏教」と呼ばれる日本の仏教の内実です。

 こう言うといっぱい反論があるでしょう。それで多くの人が宗教的な癒しを得ているとか、多くのお寺とお坊さんが生計を立ててるとか。でも、お釈迦様はいかに生きるかをまず考えたんで、いかに死ぬかなんてのはその延長線上のことに過ぎないと思います。個別にもいろんな反論があるかもしれません。お経自体がお釈迦様の時代になかったのは当たり前だとか。しかし、マジメに仏教を勉強すればするほどその教えと現在の仏教行事や習慣・しきたりとどういう関係があるんだろうと訝しく思う人が多いはずです。だって、そうしたものはお釈迦様どころか、各宗派の宗祖である最澄、空海、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などが生涯をかけて説こうとしたこととす関係がないんじゃないかと思いますから。……私はすべての宗祖の説いたところすべてを知っているわけではないので、葬式や法要についてうちの宗祖はこう説いているというなら教えていただきたいです。

 「ブータン仏教から見た日本仏教」の著者の今枝由郎は、お経(つまり漢訳仏典ですね)にはパーリ語やサンスクリット語で書かれたオリジナルの仏典からの誤訳があるんじゃないかという疑問を高校時代に抱いて、これらの言語だけでなく、大乗仏教の仏典のすべて(大蔵経)の逐語訳を持つチベット語を学び、さらにチベット仏教研究について世界最高のレヴェルにあるフランスに渡ったそうです。なんだかすごいですが、著者も言っているように日本のほとんどのお坊さんは、お経の原典に当たらずに中国語訳(しかもかなり意訳されたもの)ですませています。「ただ呪術的に唱えているのが日本仏教で……仏教を理解するというもっとも初歩的な努力があまりにも欠如している」(p.26)わけです。

 こんなことを言うとお坊さんがみんなそんな言語まで学ぶなんて非現実的だという批判があるのかもしれません。でも、そういう勉強をしないで、専門的知識を持たないでなぜ職業としてやっていけるのかさっぱりわかりません。……実際たまに私が浮世の義理で行く葬式で、お坊さんが行う講話を聞いているとその知的レヴェルの低さにはあきれてしまいます。こちらが門外漢でわからないってことで話をやさしくしているのではなく、死や生について、あるいは故人の生涯について何の省察もなく、ありきたりの話をしているだけ、ルーティンワークをこなしているだけというのがわかって嫌な気分になります。宗教においては知識ではなく、著者が養老孟司の文章を引用して書いているように修行したかどうか、その証として「みごとな顔」をしているかどうかなんだろうと思います。しかし、そういった人格による感化力こそが日本のお坊さんたちのほとんどに欠けているものでしょう。こんなやつに自分の葬式でお経をあげられてたまるものかというのが正直な感想です。無宗教による葬式が増えるはずです。

 著者によれば歴史的には徳川幕府が始めた檀家制度によって、民衆すべてがなんらかのお寺の信者として登録されたことが堕落、本来のあり方からの逸脱の始まりだったようです。「信者」という言い方自体違和感があるかもしれません。家によって何宗の何派と決まっていて自分で選ぶ自由はないわけですから。臨済宗だったりすると「元はお武家様の家系ですか」なんて会話があったりします。お寺の側から言えば布教する必要も自由もありません。本山・末寺の関係で宗派ごとにピラミッド型の支配システムで非課税の上納金が集まるわけです。そうした特権を享受しながら倫理感は低いのが実情です。

 日本は仏教僧侶が妻帯する唯一の国だそうです。妻帯したって宗教的修行はできるという理屈はあるかもしれませんが、ふつうの人間には真似のできない戒律を守るから職業宗教家として尊敬を得られるんだろうと思います。ブータン人からすれば「妻帯せずに僧院に住むのが僧侶であるから、妻帯して家族をもったら僧侶ではない。それはブータンではゴムチェン(在家修行者)でしかなく、ゲロン(出家僧)ではない」(p.86)んだそうです。宗祖自らが妻帯肉食を積極的に行った浄土真宗はともかく、廃仏毀釈運動の中で明治5年に出された太政官布告の「僧侶肉食妻帯蓄髪並ニ法用ノ外ハ一般ノ服着用随意タラシム」によって妻帯するお坊さんが他の宗派にも増えたらしいんですが、そうだとすると宗教的自立も自覚もない情けない話だと思います。

 ブータンの高僧が日本に来たときに「日本のお寺にはどうして仏塔がこんなにたくさんあるのか」と質問したそうです(p.92)。その意味を図りかねた著者はやがてどうもその高僧は仏塔とお墓を区別していないことに気づいたんです。ブータンにはお墓はないし、仏教圏広しと言えども仏教としてのお墓があるのは日本だけだそうです。チベット仏教には土葬、水葬、火葬、鳥葬(天葬)と様々な遺体の処理方法があるが、どの場合もお墓はなく、きれいさっぱり人間は自然に回帰する。……有名な作家兼僧侶の人が「今、『千の風になって』という歌が流行っているが、私はお墓にいませんと言われると僧侶はどこに向かって拝めばいいのかわからなくなります」といったことを冗談っぽく言っているそうですが、人生訓めかしたこの人の法話も結局はお墓あっての仏教の味付け・アクセサリーに過ぎないというのが透けて見えるように思います。

 戒名は本来「三帰依」すなわち仏(お釈迦様を始めとする諸仏)、法(仏の教え)、僧(出家僧侶の集団)への帰依と不殺生や不邪婬戒といった五戒を誓った者に授けられるもの、いわば洗礼名のようなものだそうです。それを死んでから与え、しかも多額の金銭をふんだくるのは滑稽と言うしかなく、著者は戒律不在の日本仏教で戒名だけは健在だと皮肉っています。

 こうした日本仏教の特徴と言うか、ご都合主義的な変形の中でも印象的だったのは回忌法要についてのエピソードでした。日本人でブータンに縁のある人が亡くなり、13回忌に当たる年にブータンでも法要を上げてもらうよう遺族が頼んだところ、ブータンの僧侶の返答は「あの人はそんなに悪い人とは思えなかったが、何か重大な悪業(あくごう)でも犯していたのか。いずれにせよ、すでにどこかに、何らかのかたちで生まれ変わっているから、いまさら追善供養の法要でもないだろう」(p.90)というものだったそうです。補足するとブータンでは一般の場合、死後最長49日間で次の生まれ変わりが決まるから追善供養をするにしてもそれまでの間だというのです。何より手厚く法要を行わなければならないのは罪業が深い人だという発想が我々の追悼の考え方・あり方と大きく違っていて、死に対する考えが根本的に異なっているのではないかと考えさせられました。そして、ブータンの僧侶の考えの方がお釈迦様が言ったことにより近いと私は思います。

 では、なぜ日本の仏教は本来の仏教とは別の祖先を拝む宗教になってしまったんでしょうか。それについて著者は回答を用意していません。祖先崇拝の儒教の影響とか古くからの習俗の影響と考えているようですが、明確ではありません。私もこの問題に自信をもって答えることはできなくて、先祖を敬うことで伝統社会を守らせようとしたというイデオロギー装置的なものとか、先祖の霊が祟って害をなすのを防ごうとしたという祟り神を祀る神道と共通性を持つとか、いろいろ考えられるのかなと思います。でも、その解明以前に祖先を敬う・拝むという意識自体が生活形態の変化に伴って薄れる一方のような気がします。

 ところが祖先崇拝と表裏一体をなすはずの死んだ後まで自分のことを覚えていてほしいという意識はかえって強まっているんじゃないかって思います。葬式もお墓もどうでもいい、でももしできるなら親しい人には自分という人間が生きていたことを時々でもいいから思い出してほしい。そんな薄っすらとした気分が漂っているんじゃないでしょうか。それはたぶん「自分というものをどこに落ち着かせるか」という問題が未解決だからでしょう。これが宗教的な問題であるのは明らかなはずのに、既存の宗教が受け止めることができずに占い師だのスピリチュアル・カウンセラーだの精神科医だのあるいはさっきの僧体の作家だのといった様々な人たちがその代替をしているのが現状のような気がします。

 


 

   明治時代の東京

 

 篠田鉱造という新聞記者の書いた「明治百話」を読みました。これは著者が明治末年以来、主に東京にいた様々な人から聞き書きしたものを昭和6年に出版したものです。岩波文庫の上下巻2冊からなる手軽な本で、通勤電車の中で読んでいたんですが、実にいろんな職業・階層の人からインタヴューした内容のおもしろさと、生き生きとした文章に感心しました。この本では話者の名前はどの話にも書かれてなくて、どういう人なのかもわからない場合が多いんですが、つまりは市井のふつうの人の思い出話がほとんどです。そのいくつかを紹介しようと思いますが、今回は食べ物の話で。

 まずは明治時代の江戸前寿司ってどんなものだったかです。言い振り、書き振りに味わいがあるのでそのまま引用します。

「すしのことをいいますと、光りものがコハダ、サヨリ、キス、煮物があなご、蛤、いか、ちらし即ち五目ずしですが、チャンと十一種類揃ってこしらえている店が、幾軒あるでしょう。例えば玉子焼、蒲ぼこ、赤貝、コハダ、はしら、エビ、椎茸、青豆、かんぴょう、ショウガ、ソボロ、ソレへあなご、鯛の肉(み)、季節物で筍、くわいといったあしらい方が、具備している家がありましょうか」(下巻276ページ)

 イクラやウニはもとよりマグロもタコもここには出てきません。酢で締めたと思われる光りものと煮物、玉子焼を始めとした魚介類以外のものばかりで、冷蔵技術が発達する前の寿司ってこういうものだったんですね。五目寿司が11種類入らないといけないなんて初耳ですが、現在の豪華でヴォリュームのあるものと比べると彩りも地味な感じがします。

 寿司と来ると天ぷらです。「出揚げ」という出張天ぷらの職人の扇夫という人の話があります。

「まず箱を二つ用意し、一の箱には揚げる野台が納め込んであって、今一つの二の箱には、材料(たね)から水から粉から、油鶏卵といったように、五人前の注文があると、チャンと五人前、少しも滞りなく、物屑一つ残さないように、万事万端お座敷で始末をつけたもので、これが大評判でした。本人の扇夫はというに、袴前垂をかけて、袂の所に玉がついていて、ソノ玉を帯のとこへ挟み揚方の用意にかかりますがその器用なこと、手取り早いこと訓練を経たもので、ソレから鶏卵を割り、天ぷらには白味をつかい、五人分をあげた上、ソノ残り油で茄子なんかをあげて出します。最後の鍋の油を掃除する時に、前に残して置いた、鶏卵の黄味を、玉子焼にして五人様のところへ差し出し、『ヘイこれでお仕舞でございます』といった手柄は、思わず知らずに主客にヤンヤを叫ばしました。ソコでまた再び二つの箱へ、一切皆財(がっさい)を納め込んで、ソレを提げて帰って行くンですが、巧いものでした」(上巻119ページ)

 コンパクトにまとめたセットでどこでも手際よく天ぷらを拵えるのがパフォーマンスなんですね。油をよく吸う茄子を最後に持ってきて、さらに玉子焼を作ってきれいさっぱりなくなるところが目に浮かぶようです。袂のところの玉が職人の工夫でもあり、きりっとした姿を髣髴とさせる描写の妙でもあるでしょう。肝心の火はどうしたのか書かれていませんが、水まで持って来るんですから熾した炭を用意してあったんでしょうね。茄子以外にどんなたねを供したのかはわかりませんが、さっきの寿司ネタに出てきた魚介類と海老といったところでしょうか。

 次は趣きを変えて、甘いものにしましょう。浅草で生まれ、彰義隊が上野で戦った時、12歳だった人の話です。少し端折りながら引用します。

「雷門のトッツキに大神宮様がありました。……『清水まんじゅう』というのがあって、夏場今なら氷ですが、ソンなもののない時分ですから、清水を大皿の上へふりかかるよう仕掛け、竹の管から噴水するといった趣向。まんじゅうは白玉へ餡を入れたもので、ソレを噴水で冷して、平遍い(ひらべったい)真鍮の皿で喰べさせたものです。その頃のひやしものでした。……仲店で名代の店が三軒、引飴を売る店、飴を引いては、ブッキリに切って売っていました。ソレから名代の紅梅焼、売れなくなると、おかみさんが立膝をするといって、評判であった店。江戸中にはそうした店が沢山あったもので、その癖見えた例(ためし)がないんで、時たまそうした行儀が悪い事があったにすぎないんですが、江戸時代には盛んにありました」(上巻45ページ)

 涼しげな話の後にちょっと下品な話になってしまいました。また、気が向いた時にでも紹介します。