季節の歌

 

 秋風の色六首

 漢詩二首

 定家三首

 雪の歌三首

 立春三首

 啓蟄七首

 花の十二首・上

 花の十二首・下

 惜春六首

 立夏六首

 七夕八首

 白露六首

 

 


 

 秋風の色六首

 

 歌物語を時々書いていますが、ネタの和歌は岩波文庫の「定家八代抄」(上・下)から探しています。これは古今集から新古今集までの8つの勅撰和歌集から、藤原定家が1,800ほどを選んだものです。平安時代のほぼ全期間の中から選ばれたものを更に彼の趣味・嗜好で選んだものだと言っていいでしょう。この本自体が勅撰和歌集と同様の部立てになっていて、春、夏、秋、冬、恋などといったふうに分類されていますし、月や七夕(もちろんどちらも秋の部です)を歌ったものはまとまって出てくるなど、配列や順番にもいろいろ工夫がされていて、行ったり来たりしながら読むとおもしろいものです。

 まだ秋と恋の部しか読んでませんが、式子内親王や和泉式部のように表現としても、感情としても優れた人もいますし、有名だけれど紀貫之のように(これまで読んだ中だけで言うと)技巧に走りすぎていて“それがどうした”って言う人もいます。個性がはっきり出る恋の部から、彼女らのものをピックアップしてみましょう。



  玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
  忍ぶることの 弱りもぞする
         式子内親王・新古今和歌集

  はかなしや 枕定めぬ うたた寝に
  ほのかに迷ふ 夢の通ひ路
         式子内親王・千載和歌集

 この二つだけ見ても内省的でいて秘めた情熱を持った“いい女”って感じがしますね。「枕定めぬ」なんて色っぽいなぁ。表現力も「絶えなば絶えね」の激しさや「ほのかに迷ふ」でやわらかな、あわあわとした感覚表現など見事なものです。



  秋吹くは いかなる色の 風なれば
  身に染むばかり 人の恋しき
         和泉式部・詞花和歌集

  あらざらん この世の外の 思ひ出に
  今ひとたびの 逢ふこともがな
         和泉式部・後撰和歌集

  黒髪の 乱れも知らず 打ち臥せば
  先づかきやりし 人ぞ恋しき
         和泉式部・後撰和歌集

 和泉式部日記があるだけに情熱の女なんていうふうに決めつけがちですし、私の通っていた予備校の教師は「男から男への旅日記」なんて言い方をしていました。でも、それだけに極めて現代的な感覚に満ちていて、今も女性にはとても人気があるようです。最初の歌では、秋風の色というありえない、けれど誰しもわかる見立てから、恋人を想う気持ちを「身に染む」と表し、両方を肉体的感覚につなげるのは彼女らしいと言えるでしょう。

 二つめのは、崇徳院の名歌、「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」を思い起こさせますし、ここまでの強烈さはないのですが、「この世の外の」という句が直接の意味である浄土とはまた別の超越的感覚を見せているようにも思えます。

 最後のは彼女のイメージにいちばんぴったりしているのでしょうし、共感する女性は多いでしょう。よけいなことを言うと「先づ」は常識的には「恋しき」にかかるんでしょうが、まず髪をかき上げてくれた次に……と解釈するとセクシーですねw。

 さて、この本には定家自身の歌は、謙遜の意味があるのかあまり採られていません。それだけに収録されたものは抜群の技量を示していると私は思います。



  白妙の 袖の別れに 露落ちて

  身に染む色の 秋風ぞ吹く

         参議定家・新古今和歌集

 和泉式部の最初の歌とよく似た表現が下の句で使われていますが、白い袖に涙が落ちるという上の句と結びつけられることで、見えるはずのない秋風の色が袖の上にはっきりと見えます。「豊饒の海」の記事で紹介しましたが、三島由紀夫が定家の代表作の一つ「見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦のとま屋の 秋の夕暮」について、「なかりけり」で否定することでかえって幻想的な花や紅葉が残ると指摘しています。この歌でも、色彩感のない「白妙の」という語がかえって色彩豊かな秋風の色を目に浮かばせています。
 
 こういった洗練された、言葉だけで組み立てられた和歌を嫌う向きも多いでしょう。万葉集こそ人間の真情が現われたものだとか、正岡子規などの写生こそが本物なのだと考える人が少なくないかもしれません。そう思ってる方はこの後は読まない方がいいでしょう。私はそういう考えの方と論争なんかするつもりは全くありませんから。万葉集は、確かに防人や東歌のように非常に広範な身分の人の歌があり、長歌や旋頭歌など形式的にもヴァラエティに富むなど、その後の和歌集と比べて長所がありますが、文芸としての表現力は発展途上のものです。それを素朴だからすばらしいと言うのはひいきの引き倒しです。

 また、子規に始まる短歌について言うと、その全部を知っているわけではありませんが、織田作之助のところで触れた、身辺小説、心境小説、私小説とパラレルの関係にあると思います。つまりみみっちい作者の生活の実感をそのまま詠んだ(というふうに見える)ものが中心です。なんでそんなふうに限定されなくてはならないんでしょう? 古今集以降の和歌集も桜や紅葉などの同じような題材を本歌取りや歌枕など実感の伴わない技法を使って繰り返すのは辟易するものがありますが、それとある意味共通の題材やそれへのアプローチにおける狭隘さを短歌にも感じます。定家の歌はものの見事に定家から独立していますが、それだけの独立性を持った短歌は私は寡聞にして知りません。そう、欧米の詩の発展を基準に考えると、短歌は(短歌に限らないと思いますが)定家よりも前近代的なのです。それは作者の怠慢という面だけでなく、受容する側の幼稚さ――虚構の詩や小説を認められない幼児性――に起因する面も大きいでしょう。

 別の芸術ジャンル、絵画や音楽を考えれば明らかなことですが、生活や自然、まあ何でもいいんですが、対象をありのまま写すなんてことはその芸術の価値と何の関係もありません。写真そっくりに描いてない絵しか認めない人とか、雷の音やかっこうの鳴き声が出てくるからベートーヴェンの第6シンフォニーが最高傑作だって言う人は滑稽でしょう? 技術の限りを尽くして、その結果として受容側に生まれるイメージ、その質と量だけが芸術の価値を決めるものです。

 さて、ただ悩ましいのは定家の歌はあまりに詩として完成されているので、歌物語のネタには極めてしにくいのです。私の技量と想像力が未熟なのはもちろんなんですが、どこか表現のゆるい、隙のあるものの方が勝手な想像を展開して、歌物語にしやすいんですね。

 


 

 漢詩二首


 年末とお正月にふさわしい漢詩を2つ挙げておきます。

 漢詩なんて年寄りが愛好するものって感じかもしれませんが、中には今の我々にもよく理解できるものがあります。最初は沈受宏っていう清の時代の人で旅先から妻に春の景色を詩にしてプレゼントしたものです。

 なお、横に書いてある訳文みたいなものはそんな立派なものではなく、自由にと言うか、今の感覚で勝手に書いてみたものです。



 示内         妻に示す

莫歎貧家卒歳難 まあ嘆くなよ。貧しいから年を越せないなんて
北風曾過幾番寒 北風が寒くてもいつも何とかなったじゃないか
明年桃柳堂前樹 年が明ければ家の前には桃や柳
還汝春光満眼看 君の瞳もいっぱいの春の光でまた輝くさ

 次は耶律楚材っていう人ので、今のウズベキスタンのシルクロードの町サマルカンドで、故郷を遠く離れて新年を迎えたときのものです。彼はモンゴル系の契丹族の貴族で、チンギス・ハーンやオゴタイ・ハーンに長く仕えました。


 壬午元日    1222年元日
      
西域風光換 新春はサマルカンドにもやってきたけれど
東方音問疎 はるかな故郷からは手紙もめったに来ない
屠蘇聊復飲 屠蘇でももう少し飲むか
鬱塁不須書 門松を立てたりすることもない
旧歳昨宵尽 過ぎ去った年は昨夜で終わり
新年此日初 今日から新年
客中今十載 異郷にもう10年
孀母信何如 父を亡くし、母はどうしているだろう

 


 

 定家三首

 

 あけましておめでとうございます。っていうあいさつも聞き飽きたと思われる方も多いでしょうが、私だって、まあ日本人だからそう言わないと今年のブログも始めにくいのです。書き初めなんて子どものときから大嫌いでしたが、その代わりに去年の最後が漢詩だったことでもあり、好きな藤原定家の和歌をいくつか挙げましょう。まずはお正月らしいものを。


   出づる日の おなじひかりに 四方の海の
   波にもけふや 春は立つらむ

 この歌は彼が19歳の頃、1181年にまとめられた「初学百首」という和歌集の巻頭に掲げられたものだそうです。初日の出に輝く大海原を描いたスケールの大きなすがすがしい歌だと思います。もちろん「四方の海」という日本を取り巻く海が実際に一望できるわけではありませんが、見たままを描いた写生や叙景だけの詩なんて貧相なものでしかなく、どれだけ読み手に豊かなイメージが与えられるかで価値を判断すべきでしょう。そういう意味で朝日と同じ光が波に宿り、それがまばゆいばかりの新春につながるところはとてもなだらかな連想だと思います。

 あ、そうそう、私は「何々であることだなあ」とか「何々と思わない人はいるだろうか、いやありはしない」といった現代語訳っていうのが詩じゃないどころか、ふつうの日本語ですらないので嫌いなんです。ですので、歌の説明や歌からイメージした物語なんかは書きますが、現代語訳はしませんので、悪しからず。


   駒とめて 袖うちはらふ かげもなし
   佐野のわたりの 雪のゆふぐれ

 1198年、38歳の頃に「正治二年初度百首和歌」として後鳥羽院に詠進された中の一首です。「佐野のわたり」は紀伊国の歌枕だそうですが、まあ由緒あるところって思ってればいいでしょう。そこに雪が降りしきり、馬を止めて袖に積もった雪を払うような物陰もない。おまけに次第に夕闇が迫ってきたという寒々とした情景ですが、この歌のポイントは誰も袖を払ってはいないということ、さらに言えば騎馬の貴公子さえもいないのかもしれないということです。つまり上の句が「なし」で言い切られていることから、すべてヴィジョン(幻影)なのだと私は思います。雪の降りしきる強さと夕暮れのわびしさを現わすために比喩として持ち出されただけなのだと。……

 しかし、そうだとしても、そうだからこそ、馬から下りて「袖うちはらふ」という言葉が導き出すダイナミックなイメージはくっきりと残っているわけです。こういう否定しながら印象を残す表現の仕方は定家の独壇場であり、蔭と夕暮れが照応していることとあいまって、歌の世界の広がりと求心力が達成されていると思います。


   忘れぬや さは忘れける わが心
   夢になせとぞ いひて別れし


 1187年、25歳の頃の「殷富門院大輔百首」の一首です。殷富門院大輔は後白河院の皇女で、彼女の趣味なのか、恋の諸相を題とした歌が多く含まれていますが、この歌は「逢ひて遇はざる恋」による題詠です。この題は一度は逢うことができ、うまくいった恋であるのに邪魔が入ったり、相手が心変わりして、成就しなかった恋を歌うものだそうです。「美しい夢にしておきましょう」と言って別れたから、私の心(私は女性であると理解していいでしょう)もやっぱり忘れてしまったのでしょうというのが表面的な意味ですし、それで間違いではないでしょうが、忘れるという言葉が屈折しながら上の句で重ねられていること、夢、別れというはかなさをイメージする言葉が下の句で重ねられていることとがあいまって、逆に想いの深さが強調されていると理解すべきでしょう。

 ここでも否定による印象づけがあるわけです。題自体にある種のストーリー性と言うか、時間的変化が含まれていますが、それを逆にたどることで、記憶の中のロマンスが明確にしかも悲痛な想いをもって蘇っていると思います。こうした言葉の技巧を尽くしながら、言葉を超えた感情を表そうとする定家の表現意欲は極めて現代的と言ってよいでしょう。




 

 雪の歌三首

 

 今日、東京に雪が降ったので予定を急遽変更wして、雪の和歌を紹介したいと思います。


  朝ぼらけ 雪降る空を 見わたせば
  山のはごとに 月ぞ残れる
       源道済・後拾遺和歌集

 京都の街の実景を読んだような趣の和歌です。雪の降る明け方には空が白っぽく見えます。それがたぶん東山のなだらかに連なる山々の端では、一層くっきりと見えて、月が沈んだ直後のように見えるというものです。月がたくさんあるような見立てがおもしろいなって思いました。UFOが襲来する物語に使えるかもって。


  待つ人の ふもとの道は 絶えぬらん
  軒端の杉に 雪おもるなり
       参議定家・新古今和歌集

 藤原定家の雪の和歌なら、「駒とめて 袖うちはらふ 陰もなし 佐野のわたりの 雪の夕暮れ」が有名で優れていると思いますが、この歌もなかなかいい感じです。山荘の軒先の杉に雪が重く積もっているのを見て、ふもとの道が雪で閉ざされたのがわかった。だから、彼氏が来ないんだというものということになるでしょうか。恋愛の歌は多くは女性に仮託したものです(いくらなんでも女性が来ないと言って閉じこもっているような男はいつの世でもダメです)が、こうした写実主義的に考え、英文解釈みたいに後ろから解釈するのもちょっと違うでしょうね。

 私ならこう解します。待つ人が来ないのは道が閉ざされたせいだと思いたい、だってあんなに雪が積もっているじゃないのと。そうでないと恋愛の機微、主人公のけなげさは出ないでしょう。「重るなり」という言葉のイメージが待つ身のつらさ、重さを見事に表わしている、って言うかこの歌はこの言葉でもっているんですね。


  ふればかく 憂さのみまさる 世を知らで
  荒れたる庭に 積もる初雪
      紫式部・新古今和歌集

 この源氏物語の作者による歌は、古今集のよみ人しらずの次の歌を本歌としています。

  世にふれば 憂さこそまされ み吉野の
  岩の懸け道 踏みならしてむ

 この本歌は厭世・隠遁の歌なんですが、紫式部の歌もその気配が濃厚です。年月が経つの「ふる」と雪が降るが掛詞で、ふれば>まさる>積もると年月と雪が重なっていく感じが上手に表現されています。ところが「世を知らで」が上の句と下の句を切断してるように感じます。つまり厭うべきこの世のことも知らぬ顔で、真っ白な初雪が積もっているといった感じです。この世、と言うか自分の容色の衰えを象徴するような荒れたる庭を覆い隠して。……

 本歌取りって高校でも習うと思うんですが、ルールとして違う部立てのものにするのが原則だそうです。この例で言うと、本歌は雑部の歌で、彼女の歌はもちろん冬の部に入ります。なるほど単に下敷きにするだけじゃ意味はないわけで、それを響かせながら新たな情趣を生み出さなければいけないっていうのは肯けますね。

 どうも雪も止んだようです。明日は晴れるのでしょうか。

 



 立春三首

 

 今日は、立春です。「暦の上では春です」なんて言い方をよく聞きますが、この場合の暦ってなんでしょか?……私はなんとなく旧暦ってやつかなと思っていました。旧暦だから実際の季節感とズレるんだろうと。じゃあ、旧暦ってなあに?……え?旧暦だから太陰暦、月の満ち欠けをもとにしたものじゃないの? でも、太陰暦だったら、太陽暦の毎年2月4日が立春って変だと思いません?

 実は立春って、冬至や春分といっしょで太陽暦、もうちょっと細かく言うと地球の自転軸と太陽に対する公転面との関係で決まったものなんですね。まず、春分(3/21。自転軸が垂直)、夏至(6/21、春分から90度。太陽に向かって最も北に傾く)、秋分(9/23、180度。自転軸が垂直)、冬至(12/22、270度。太陽に向かって最も南に傾く)の4つがあります。まあ、ケーキを4つに切ったのを想像してください。次にこれを半分ずつに切ります。すると立夏(5/5、45度)、立秋(8/7、135度)、立冬(11/7、225度)、立春(2/4、315度)ができるってわけです。実はケーキは円ではなく、楕円なので地球の運行速度は変化します。ケプラーの法則ですね。だからこれらの間隔が違います。

 この8つのピースをさらに15度ごとに3つずつに切ったのが24節季ってわけです。小寒、大寒、雨水、啓蟄って聞いたことがあると思います。これをさらに細分した72候っていうのもありますが、半夏生(はんげしょう、7/2、100度)くらいしか知られていないでしょうね。私はこの言葉に不思議なイメージを持つんですが。……そうそう、上に書いた春分が3月21日とかは年によって1日程度違うことがあります。それは1日が地球の自転の問題だけど、春分とかは公転の問題、つまり春分は日ではなくて時点なので、そういうことが生じるんです。

 で、なんで24節季なんてものがあるのかって言うと、さっきの太陰暦の話です。月は29.53日で満ち欠けを繰り返している(公転周期とは厳密には違います)ので、純粋の太陰暦でいくと12か月は354日にしかなりません。つまり11日ほど地球が太陽の周りを一周する、太陽暦の1年に足りないので、3年に1回程度閏月をはさみます。こんなふうに太陰暦をもとにして、太陽暦的な考えを入れて調整したものが太陰太陽暦で、旧暦もその一種です。しかし、それでも農耕を行う上では毎年のぶれが大きいので、純粋の太陽暦である24節季が必要になったわけです。太陰暦で押し通せるのは、季節のあまりないイスラム世界で生まれたヒジュラ暦だけのようです。


   年の内に 春は来にけり ひととせを
   去年(こぞ)とや言はん 今年とや言はん
          在原元方・古今和歌集

 ふつうなら旧正月(今年は1月29日)の後に立春が来るんですが、例えば来年は2月18日が旧正月です。この歌は、そういう年が変わらないうちに立春が来たことを詠んでいるわけです。今では、お正月になると形だけで、新春とか初春なんて言ってますが、昔の人はちゃんと太陽の運行に合わせて、季節感を持っていたんですね。


   みむろ山 谷にや春の 立ちぬらん
   雪の下水 岩たたくなり
         権中納言国信・千載和歌集

 あたたかくならないと春じゃないっていうのはヨーロッパ人の感覚で、それに影響されて今の日本人も2月がいちばん寒いのに立春なんてって思っていて、それで「暦の上では」って言い方になっているんでしょうが、中国やその影響下の日本では春の気配がすればもう春なんです。この歌でも雪が少し溶け出した音がするってことで、季節の変化を感じているわけです。その辺は春物を買い求める女性の方がよくわかるんじゃないかなぁ。七夕も旧暦の7/7で、だいたい8月上旬くらいです。梅雨は終わっていますが、いちばん暑い時季ですね。だからこそ秋の行事なんです。季語もそうですが、この辺の季節感のズレと旧暦と新暦のズレがごっちゃになってる気がします。


   かき暮らし なほふるさとの 雪のうちに
   跡こそ見えね 春は来にけり
           宮内卿・新古今和歌集

 とは言え、まだまだ日本海側では暗い冬が続き、被害も心配されます。春の訪れは見えそうもないかもしれません。でも、もうそこまでという気持ちで、この歌を掲げました。

 


 

  啓蟄七首

 

 6日は啓蟄で、春分から24節気を数えれば最後ということになります。冬ごもりしていた虫が出てきて、草木も芽吹くころというふうによく言われています。私はこの言葉を聞くと猫が赤ん坊のような声で鳴いて、発情するのを連想してしまいます。桜がいつ咲くのだろうと気になり始める頃ですね。

 まずは、ここのところ私がはまっている式子内親王による梅の歌を見ましょう。


 ながめつる けふは昔に なりぬとも
 軒端の梅よ 我を忘するな
   式子内親王・新古今和歌集

 梅と言えば匂いを賞でるもので、次のような貫之の有名な歌を見ると、


 人はいさ 心も知らず ふるさとは
 花ぞ昔の 香に匂ひける
   紀貫之・古今和歌集

 梅の匂いが記憶の深いところに働きかけ、思い出を導き出していることがわかるでしょう。また、各地の天満宮に梅の花が植えてある由来となった次のような天神様の歌では、

 東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
 あるじなしとて 春を忘るな
   菅原道真・拾遺和歌集

 自分が都を離れた後の未来から現在を見ているわけで、これも現在を過去のように懐かしんでいるふうがありますね。

 こうした古歌を踏まえて、式子内親王の歌を見ると匂いは出てきませんが、いわば下地としてあるものと考えていいでしょう。ほんのりとした梅が香る早春の一日、彼女は何をながめていたのでしょう? 少なくとも梅ではないと思います。様々な想いや回想、そうした今日という日そのものをながめていたのだと思います。そこには長雨が降っていたと解してもいいでしょう。

 今日はいずれ昔になって元々ないのも同然になってしまうだろうけど、こうした自分をそこの軒端から一日眺めていた梅よ、おまえだけは忘れないでほしいといった気持ちではないでしょうか。

 ちょっと濃厚な感情の歌になりましたので、すっきりとした歌を紹介しましょう。


 薄く濃き 野辺の緑の 若草に
 跡まで見ゆる 雪のむら消え
   宮内卿・新古今和歌集

 まだらな若草の緑を見ると、雪がまだらに残り、消えたのがわかると言ってしまうと、技巧に走った歌のようになってしまいますが、「跡まで見ゆる」がこの歌のキイワードで、雪が徐々に消え、若草が萌え出た時間の変化を見事に重ね合わせたと解したいですね。

 宮内卿は早熟の才女であったようで、20歳にならないうちに亡くなったと言われています。この歌は10代半ばの千五百番歌合で好評を博し、彼女の才能を愛していた後鳥羽上皇を喜ばせ、彼女は「若草の宮内卿」と呼ばれるようになったそうです。

 1201年の千五百番歌合と並んで、新古今集の成立に大きく貢献したのが1193年の六百番歌合です。これは藤原俊成が判者だったのですが、その中で「春曙」という題のものを見てみましょう。左は息子の定家で、右は新古今集の編者にもなった家隆です。


   左
 霞かは 花鶯に とぢられて
 春にこもれる 宿の曙

   右
 霞立つ 末の松山 ほのぼのと
 波に離るる 横雲の空

 定家のものは「ふつうなら霞に閉じ込められてしまうところを、花と鶯の声に聞き惚れて閉じ込められ、春を満喫しました」といった意味でしょう(漢詩を踏まえたものと俊成は言いますが、あまりそんな気もしないので、挙げません)。家隆側も特に難点はないと言ったそうですが、ロマンティックながらやや機知に流れた面があるような気がします。

 これに対し、家隆のものは一見、明け方に山が霞の中に見えているといった情景を描いただけのように思えますが、それでは足りません。これは古今集・陸奥歌の「君をおきて あだし心を 我が持たば 末の松山波も 越えなむ」を踏まえたもので、この古歌は「もし私が浮気をするようなら、海から遠く離れた松山を波が越えるよ(だから、君を捨てたりしないよ)」といった意味で、松山と言えば浮気しないという約束のことです。

 つまり「波に離るる」がキイワードで、契りを交わしながら夜明けに、名残惜しげに別れて行く恋人のイメージがあるのです。そこを読み取って定家側も感心しましたと言ったそうです。俊成は霞、波、雲と重なっているのを難点として挙げながら、「横雲の空殊に強げに侍る」として、右を勝ちとしました。俊成の判定や評言は納得できない場合も少なくないのですが、この家隆の名歌に対する判詞は間然するところがないと思います。

 さて、私はこの歌合が定家の芸術家としての闘争本能に火をつけたと思っているのですが、それから5年ほど経って家隆の「横雲の空」を使って、次のような傑作中の傑作を作ります。


 春の夜の 夢の浮橋 とだえして
 峰に別るる 横雲の空

 夢の浮橋はもちろん「源氏物語」の最終巻であり、出家した浮舟に薫が手紙を書くものの読んでもらえないといった内容ですが、それを背景として美しさとはかなさが見事に一体となっています。壮大な情景を描写した歌と解してもいいのですが、後朝(きぬぎぬ)の別れが秘められています。浮橋、峰、横雲といったイメージの連鎖の緊密さと合わせ、完璧という言葉を使いたくなるような作品です。新古今集では家隆の歌と並んで収録されています。

 


 

 花の十二首・上

 

 東京は今日開花宣言が出たようです。いよいよ桜の季節です。百人一首とかで和歌を読んだりすると桜のことばっかりでてくるようなイメージがありますね。。って、言っても私はこう見えても百人一首って全然覚えてないんです。高校の時に夏休みの宿題で、覚えてこいって言われたけど、つまんないし、暗記ってできないのでさぼっちゃいました。。。ひょっとすると私ってもの知りみたいに思われているかもしれませんが、それは興味があるから自然と頭に入ったんで、そうじゃないものは全然ダメですね。人の名前とか全く覚えないんで有名ですし。。。

 まあ、そんなことはどうでもいいんで、桜を詠んだ数ある名歌のうちからえりすぐりって言うか、私の趣味に合ったもの十二首を2回に分けて紹介しましょう。まずは最近お気に入りの式子内親王による開花したばかりの桜の歌です。


 いま桜 咲きぬと見えて 薄ぐもり
 春に霞める 世のけしきかな
    式子内親王・新古今和歌集

 解説書なんかには「春に霞める」という表現が斬新であるみたいなことを書いてますけど、まあ桜に彩られた景色の隠喩と思えばいいでしょう。それよりは桜、曇り空、春、世とズームアウトしていくようなところの方が技法としてはおもしろいですね。でも、この歌ってなんとなく詠嘆調と言うか、長調のイメージのはずが短調が混じったようなところが彼女らしくていい感じです。それはたぶん「薄ぐもり」と「世のけしきかな」が響き合ってそういう感じを作り出しているんでしょう。


 臥して思ひ 起きてながむる 春雨に
 花の下紐 いかに解くらん
    よみ人しらず・新古今和歌集

 これは今日咲くか、明日咲くかと気にしてるのに雨のやつめ、どうやって開花させるつもりなんだっていう、まるでかわいがっていた少女を寝取られたみたいに詠んだえっちな歌です。下紐を解くなんて現代語訳すれば下着を脱がせるってところです。こういうのが堂々たる勅撰和歌集に入るところがいいですね。


 霞立つ 春の山辺は 遠けれど
 吹きくる風は 花の香ぞする
    在原元方・古今和歌集

 遠くに霞んでいる山から風が吹いてきて桜の香りがするっていうだけのものですが、遠近感を香りで表現したところがいかにも春らしいですね。古今集って技巧的な歌が多いんですが、新古今集ほど手の込んだことをしていないところが雅やかに感じられたりするわけです。


 宿りして 春の山辺に 寝たる夜は
 夢のうちにも 花ぞ散りける
    紀貫之・古今和歌集

 これも素直な技巧って感じですね。紀貫之の歌は底の浅いというか、詩的じゃない技巧が目立つものが多いんですが、これなんかは言葉の続き具合も滑らかでウソくさくなく、夢の中で散る桜の美しさが目に浮かぶようです。なんか旅の一夜のラヴロマンスでも想像したくなるような感じもあるんですが、詞書によると寺に参詣したときに詠んだものだそうです。それならそれで、お稚児を想像するのもありかなぁ。


 尋ね来て 花に暮らせる 木の間より
 待つともしもなき 山の端の月
    藤原雅経・新古今和歌集

 一日中あちこち桜を眺め、日が暮れると思いがけず月光が桜の木の間から現われたというものです。「待つともしもなき」は待っていたわけでもないのだけれどといった意味です。ていねいな描写を重ねて時間的変化とあでやかな風景を見せてくれています。夜桜っていうのも昔から風情のあるものだと思われていたんでしょう。


 春ごとに 花の盛りは ありなめど
 あひ見んことは 命なりけり
    よみ人しらず・古今和歌集

 毎年の桜を見ることができるのは寿命があってこそだって現代語訳しちゃうとこの歌の良さはまったくなくなっちゃいます。下の句の切迫した調子には、例えば西行の「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃」って歌と一脈通じるものがあるような気がします。この歌の情趣をこれ以上解説しちゃうとつまんなくなるばかりなので、今年の桜が満開になったときに想い起こしていただくのがいちばんいいと思います。

 


 

 花の十二首・下

 

 桜も東京ではいよいよ満開ってことで、待望(誰が?)の桜の和歌の後半六首です。


 桜狩り 雨は降りきぬ 同じくは
 ぬるとも花の かげに宿らん
    よみ人しらず・拾遺和歌集

 紅葉狩りと同じように桜狩りって言葉があるんですね。馬を食べちゃうってことじゃありません。この歌は「同じくは」がキモで、どうせ濡れるなら花の下でという優雅な歌ですが、「ちょっと雨宿りさせてください。いえいえ、変なことはしませんよ」って「つくばねの歌」(わかるかな?)みたいな情景を思い浮かべちゃうのは。。。私の悪いクセです。


 大空に おほふばかりの 袖もがな
 春咲く花を 風にまかせじ
    よみ人しらず・後撰和歌集

 こういう歌を思いつきだけのつまんない歌だと感じるか、イメージ豊かな雄大な歌だと感じるかは人それぞれでしょう。でも、「大空に」という初句によって、1本や2本ではなく、吉野のような見渡す限り桜が咲いている情景が捉えられていることだけは間違いないでしょう。


 八重にほふ 軒端の桜 うつろひぬ
 風よりさきに 訪ふ人もがな
    式子内親王・新古今和歌集

 この歌には「家の八重桜を折らせて、惟明親王のもとに」という詞書がありますので、単なる招待の歌と解していいんでしょうが、内親王という立場から連れ添う相手を見つけることもできず、無為に老いていく我が身を嘆きながら、同じような境遇の親王に言葉をかけたものでしょう。ぽってりした八重桜が彼女の濃い情趣にぴったりです。


 桜花 夢かうつつか 白雲の
 絶えてつねなき 峰の春風
    藤原家隆・新古今和歌集

 これは古今集の中の「世の中は 夢かうつつか うつつとも 夢とも知らず ありてなければ」というよみ人しらずの歌を本歌としています。したがって、はかない感じが素地としてあって、さらに雲が絶えて、つねなき風と念を押しているので、一層とらえどころのない桜の季節が白い雲のように漂い、流されていくといった趣です。


 人知れず もの思ふことは ならひにき
 花に別れぬ 春しなければ
    和泉式部・詞花和歌集

 最後に二首、代表的な女性歌人の名歌を挙げましょう。まずは和泉式部ですが、これは春の部ではなく、雑部に入っています。つまり歌の本意(この言葉の意味はちょっとややこしいのですが、一応中心的テーマとしておきましょう)は上の句にあると考えられたわけです。「孤独に内省にふけるのはいつものことだが」と言って、花の散るのを見る春だからなおさら……と言うのが通常の発想のようですが、そうではなく「花と別れない春などないのだから」と言います。自然に流れていく言葉とは裏腹に細やかで、複雑な感情の動きが表現されているのに驚かされます。


 花は散り その色となく ながむれば
 むなしき空に 春雨ぞ降る
    式子内親王・新古今和歌集

 もう一つは、ある意味で和泉式部以上に濃く、艶な式子内親王の歌です。ここにはもう桜の花はありません。情景だけを想像すれば葉桜に雨が降っているといったところですが、この歌をそのように解するのは完全な間違いです。イメージとして「花」、「色」といった言葉が喚起するあでやかさが「散り」、「なく」という言葉で否定されながらも残っていて、「むなしき空」はそういう過去の華やかさを重ね合わせた空であるはずです。長雨(「ながむれば」が掛詞)も花の頃なら心騒がせるものであるわけですが、過ぎ去ってしまったという感慨とともに、これもただ無意味に降っています。もちろん彼女自身の空虚な人生の象徴詩でもあるわけです。……こうした定家を典型とする新古今集流の洗練された美意識と、個性的な深い感情が一体となっているところが比類ない世界を作り出しています。

 


 

 惜春六首

 

 今日4月20日は24節季のうちの穀雨で、読んで字のごとく稲や麦などの穀物の生長を助ける雨が降る時季とされています。春分から清明、穀雨ときて、次は5月6日の立夏ですから、もう春は終わりに近いわけです。私は晩春ってだるいような物悲しいようなところが好きなんですが、そうした時季を詠んだ和歌を集めてみました。


 花は根に 鳥は古巣に かへるなり
 春のとまりを 知る人ぞなき
    崇徳院・千載和歌集

 崇徳院については「平家物語の怪」でかなりくわしく紹介しましたが、「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはんとぞ思ふ」という情熱的な恋の歌が広く知られていると思います。花や鳥は帰るところがあるけれど、春はどんな港に行ってしまうのだろうというこの歌も同じように風物に心を寄せて表現していますね。彼の歌の良さはあまり技巧を凝らさない率直なところだろうと思います。


 暮れてゆく 春のみなとは 知らねども
 霞に落つる 宇治の柴舟
    寂蓮法師・新古今和歌集

 崇徳院の歌を本歌としながら、霞に消えていく柴を載せた舟を出してより絵画的になっています。もちろん宇治としたのは源氏物語の宇治十帖のヒロイン浮舟のはかないイメージなんでしょうが、「落つる」という表現がうまいなって感じです。


 柴の戸を さすや日影の 名残りなく
 春暮れかかる 山の端の雲
    宮内卿・新古今和歌集

 前にもご紹介した天才少女・宮内卿の歌を柴つながりで掲げてみました。「山家の暮春」という題によるものですが、陽射しが当たっていたのが夕暮れになって、消えてしまったという時間の変化が春の終わりに重なり、さらに遠景の山や雲に視点を転じているところがさすがって感じですね。「名残りなく」がかえって春を惜しむ感情を呼び起こさせようというねらいでしょう。


 めぐりゆかば 春はまたも 逢ふとても
 今日のこよひは 後にしもあらじ
    京極為兼・玉葉和歌集

 この歌は宮内卿の密度の濃い内容の歌に比べると、意味としては春はまた来るけれど、今夜はもう二度とないっていうだけです。でも、新古今風と違った素直で新鮮な歌を目指した鎌倉時代の作品はまた別のよさがあって、歌うような語りかけるような口調は現代的と言ってもいいような気がします。新古今集まではどうも桜のような類型的な主題が多くて、私が想いを託したいような感じはずっと時代を下っていく必要があるようです。


 なにとなく 見るにも春ぞ したはしき
 芝生にまじる 花の色々
    後伏見院・風雅和歌集

 これなどはイングリッシュ・ガーデンに咲いているような花を想像したくなりますね。芝生もそうですが、桜、山吹、藤といった定番の花以外のものも鎌倉時代から南北朝時代にかけては積極的に採り上げようとしていったわけです。


 霞みつる 空こそあらめ 草の原
 落ちても見えぬ 夕雲雀かな
   冷泉為尹・新続古今和歌集

 室町時代に編纂された最後の勅撰和歌集から採ってみました。霞んだ空の中で鳴く雲雀は見えないし、夕方になって原に降りても見えないという意味ですが、私には描こうとしている情景も言葉のスタイルもずっと後の時代の芭蕉や蕪村などの俳諧に近いように感じます。まあ、蕪村の「春風馬堤曲」ほどのものはないんですが、こうやって見ると日本の文芸の連続性といったものが見て取れるような気がします。

 


 

 立夏四首

 

  5月6日は立夏です。5日が端午の節句ですから、節分の翌日が立春なのと同じような感じです。今年のGW(NHKはなぜか大型連休って言いますけど)は概ねいい天気で、初夏らしい感じがしました。



 春過ぎて 夏来たるらし 白妙の
 衣干したり 天(あめ)の香具山
    持統天皇・万葉集

 干してあるのが洗濯物なのかどうかはわかりませんが、それに季節の変化を感じるのはとてもよくわかりますし、印象も鮮やかですね。新古今集では「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」として収録されています。決定的に違うのは「衣ほすてふ=衣を干すという」のところで、衣は実際には見えておらず、イメージだけの新古今調に変わっています。原文の万葉仮名は「春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山」ですから、改作なんですね。語調は新古今集が、意味としての率直さは万葉集が優れているようです。

 さて、「鯉のぼり」という唱歌はどなたもご存知だと思いますが、その中に「橘かおる朝風に」という一節があります。橘の花は実際には6月頃に咲くそうですが、端午の節句自体が元々旧暦5月の最初の午の日なんで出てくるんでしょう。ジューン・ブライドはオレンジの花を髪に飾るそうで、オレンジがたくさんの実をつける多産のシンボルだからなんですね。あんまり今の時代には合わないのかな? それはさておき、橘の香り、まあシトラス系のにおいっていい感じですが、伊勢物語の第60段に出てくるのが有名です。

 むかし、おとこ有けり。宮仕へいそがしく、心もまめならざりけるほどに家刀自、まめに思はむといふ人につきて、人の国へいにけり。このおとこ、宇佐の使にていきけるに、ある国の祗承(しぞう)の官人の妻にてなむあると聞きて、「女あるじにかはらけとらせよ。さらずは飲まじ」といひければ、かはらけとりて出したりけるに、さかななりける橘をとりて、



 皐月待つ 花橘の 香をかげば 
 むかしの人の 袖の香ぞする

といひけるにぞ、思ひ出でて、尼になりて、山に入りてぞありける。

 この話自体は簡単に言ちゃうと、仕事が忙しくて顧みられなかった妻が他の男に走ってしまったのを出世してから、身分が下の男のところにいるのを聞きつけ、わざわざ訪れて元の妻を出せ、でないと酒は飲まんとゴネたあげく、酒の肴のミカンを手に昔のおまえの袖の香りがするなって……それで女はをはかなんで尼になったっていう、安手のドラマにあるようなあんまり後味のよくない話です。でも、歌自体はとてもいいので、橘の香りというと昔の恋人を思い出すっていうパターンができました。中でも次の2首が優れていると思います。



 かへり来ぬ 昔を今と 思ひ寝の
 夢の枕に にほふ橘
    式子内親王・新古今和歌集

 過ぎ去った時間を取り戻し、現在にできたらって思いながら眠ってしまうと、橘の香りがなつかしい昔の夢を見させてくれる。……「かへり来ぬ」が痛切な感情を、「夢の枕」がロマンティックな、でもはかないイメージを表現していますね。 

 夕暮れは いづれの雲の なごりとて
 花橘に 風の吹くらむ
    藤原定家・新古今和歌集

 この定家の歌の理解には、もう一つ予備知識が必要です。それは火葬の煙が雲になるという古代以来の考えです。つまり「いづれの雲のなごりとて」は誰とも知らない人が葬られたものと見ているわけで、亡くなった人が自分を忘れないでと風を起こし、橘を香らせているというイメージです。夕暮れが死出の旅とオレンジの両方にぴったり重なっています。

 


 

 七夕八首

 

 七夕伝説はご存知の方も多いでしょうが、天帝の娘で機織の上手な働き者の織姫とこれまた働き物の牽牛のお話です。天帝は二人の結婚を認めたんですが、夫婦生活が楽しいあまり、織姫は機を織らず、牽牛は牛を追わなくなってしまったんで、天帝は怒り、二人を天の川によって引き離してしまったわけです。しかし、七夕の日に会うことだけは許しました。織姫星が琴座のヴェガで、牽牛の彦星が鷲座のアルタイルだとされています。
 歌の世界ではこの伝説を下敷きにしたものがたくさんあります。その辺から紹介しましょう。



 この夕べ 降り来る雨は 彦星の
 はや漕ぐ舟の 櫂(かい)の散りかも
    山辺赤人・万葉集 

 七夕に雨が降ったのを彦星が気が早って、櫂の雫を散らしたものだと見立てたものです。新古今集には下の句を「門(と)渡る舟の 櫂の雫か」(天の川の水路を通る舟の……)と変えて収録されていますが、元の方が彦星の1年に1回の逢瀬に急ぐ気持ちに寄り添っているように思います。



 久方の 天の川原の わたし守
 君渡りなば 梶隠してよ
    古今和歌集・よみ人知らず

 これは逆に織姫の心情に思いを馳せたもので、あの人が来たら梶を隠して帰れないようにしてよというもので、これも素直に共感できますね。「久方の」は天にかかる枕詞です。

 さて、七夕に関する歌にはかささぎという鳥がしばしば登場します。これは雨が降ると天の川の水かさが増し、渡ることができなくなるわけですが、そうするとどこからか無数のかささぎがやってきて、天の川に翼を連ねて橋を架けてくれるという伝説があります。



 天の川 扇の風に 霧晴れて 
 空澄みわたる かささぎの橋
    清原元輔・拾遺和歌集

 この歌では扇の風を送って、雨霧を晴らした中を彦星がかささぎの橋を渡ったようになっています。写実性やリアリティなんかなくても、とてもさわやかでファンタジーにあふれた歌だと思います。
 建礼門院右京大夫は51首もの七夕の歌を作った人で、源平の合戦で亡くなった平資盛への追慕の念を重ねたものが多いんですが、その中から。



 天の川 けふの逢ふ瀬は よそなれど
 暮れゆく空を なほも待つかな
    建礼門院右京大夫・家集

 牽牛と織姫のデートは自分には関係ないんだけど、どこかあきらめきれずに暮れていく空をながめてしまうという深い悲しみを感じさせるものです。 



 七夕の 天の川原の 岩枕
 交はしも果てず 明けぬこの夜は
    俊頼朝臣・千載和歌集

 一転してちょっと軽い感じのを。二人が天の川原の石を枕に愛を交わしたけれど、1年に1回じゃ満足しないうちに朝が来たでしょうねという内容で、岩枕っていうのがそそくさとしたワイルドwな感じがあっていいですね。



 ながむれば 衣手涼し 久方の
 天の川原の 秋の夕暮れ
    式子内親王・新古今和歌集

 これまたご存知の人も多いでしょうが、七夕は秋の行事です。少なくとも梅雨真っ只中なんて、天帝もそんな意地悪じゃありませんw。上に挙げた歌もすべて勅撰集では秋の部に入っているものです。旧暦7月7日は国立天文台によると今年は7月31日になります。それでも真夏じゃんって思うでしょうね。この辺の旧暦、新暦のズレと、昔の人の季節の変化を先取りする感覚と暑さが終わらないと秋じゃないって思う現代人との季節感のズレは立春三首のときにくわしく書いたので、よかったら見てください。
 でも、そんなことを言っても今の七夕のイメージを否定できるはずもないんで、秋の歌だというのが表面に出てないものを挙げてきましたが、この式子内親王の歌は袖を通る涼しい風に吹かれているうちに天の川のほとりにいるような気持ちなったというイメージがとてもいいので挙げました。



 星多み 晴れたる空は 色濃くて
 吹くとしもなき 風ぞ涼しき
    従二位為子・風雅和歌集

 式子内親王の歌も七夕伝説はかなり背景に退いていますが、この伏見院と永福門院に仕えた為子の歌は夏の部に入れられていて、正面から星空が題材になっています。「色濃くて」という表現が極めて新鮮で、中世和歌らしいものです。下の句の「吹くともなく吹く風が涼しい」というゆるい表現も中世らしいですがw。
 こうした星の美しさの発見は、次の星の歌人、建礼門院右京大夫の12月の歌がきっかけであったようです。この歌についても
建礼門院右京大夫集の記事を見ていただくのがいいでしょう。



 月をこそ ながめなれしか 星の夜の
 深きあはれを こよひ知りぬる
    建礼門院右京大夫・玉葉和歌集

 


 

 白露六首

 

 今日(9/8)は24節季の白露、秋分の一つ手前です。いつものことながら節季の名前と季節感はズレがあるんですが、「陰気やうやく重りて、露こごりて白色となれば也」だなんて、早くそうなってほしいもんです。



 手にならす 夏の扇と おもへども
 ただ秋風の すみかなりけり
    藤原良経・六百番歌合

 これは夏の歌なんですが、今の季節には合うように思って掲げました。夏に使った扇が秋風のすみかになったという見立てと「ならす」という言い方が季節の変化を表していて、センスの良さを感じさせます。……いえ、洒落じゃないですってw。



 昨日こそ 早苗取しか いつのまに
 稲葉そよぎて 秋風の吹く
    よみ人しらず・古今和歌集

 田植えの頃からあっという間に稲が伸びて秋風にそよいでいるという平凡と言えば平凡な感慨で、しかも上の句の「昨日こそ」、「いつのまに」という表現がくどい感じがしますが、かえって古い歌らしいのかもしれません。下の句がありありと風景を想起させるので選びました。



 吹きしをる 四方の草木の 裏葉見えて
 風にしらめる 秋のあけぼの
    永福門院内侍・玉葉和歌集

 鎌倉時代と南北朝時代に編纂された玉葉和歌集や風雅和歌集からの選集をパラパラと見てて、いい歌だなって思って書き抜いておいたものです。この時期を代表する歌人永福門院に仕えた女官の歌ですが、この歌によって「裏葉の内侍」と呼ばれるようになったそうです。なぜ当時からそんなに評価されたかですが、いちばんは秋=夕暮れという常識を打破して、秋の夜が明けていく様子を詠んだ清新さなんでしょう。それを「風にしらめる」と表現したのもにくいって感じです。言葉遣いが繊細で、種々技巧を凝らした歌ですが、一読して素直に共感できると思います。 



 おしなべて ものを思はぬ 人にさへ
 心をつくる 秋の初風
    西行法師・新古今和歌集

 確か新古今和歌集にいちばんたくさん入撰していて、今も非常に人気のある西行ですが、私は自分が自分がと大げさに押し出すところに「くさみ」を感じてしまい、好きではありません。和歌は和歌で独立しているべきだと思っているんで、彼のように自分(フィクションとしての西行法師かもしれませんが)に拘る人には「それがどうした?」と反発してしまうのかもしれません。……この歌も下の句だけ評価したいですね。



 吹きむすぶ 風は昔の 秋ながら
 ありしにも似ぬ 袖の露かな
    小野小町・新古今和歌集

 有名な「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」と発想としては似ていて、華やかな時代と自分をなつかしんでいるんでしょう。新幹線の名前にもなっている代表的美人は自分の容色が衰えたことを何度も詠んでいたわけで、それが日本ふうだという気がします。……と思ったら、彼女の歌には偽作というか、彼女ならこう詠むだろうと仮託して詠まれたものが多いそうです。なーんだ「花の色は」の歌から季節を変えて作ったんですね。袖の露は涙の意味も含ませています。



 秋風は 吹きむすべども 白露の
 みだれて置かぬ 草の葉ぞなき
    大弐三位・新古今和歌集

 この歌は上の歌を踏まえたものなので、葉っぱの上を露がコロコロ転がる様子を詠んだだけではありません。昔のことを思い出し、心が乱れて涙が流れるといった意味が隠れていると当時の人なら容易にわかったでしょうし、そこを明確に示すために新古今集の撰者はこの二つを入れたんだろうと思います。一つの歌だけを見て良し悪しや叙景だ叙情だと言うのもいいんですけど、古今集や新古今集のような勅撰和歌集は歌と歌をつなげ、ある場合にはストーリー性を持って配列されています。つまらない歌だなと思ったらなぜ入れたのかを考えると立体的に理解できておもしろいものです。……私はこの歌のイメージで「白露」という短い物語を1年くらい前に作りましたが、もちろん涙が出てきますw。