作品批評

 

 三島由紀夫への三章

   豊饒の……

   仮面と告白

   金閣寺と子猫

 

 建礼門院右京大夫集

 バルザック:ラブイユーズ

  P.K.ディック:アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

 ユルスナール:東方綺譚

 マハーバーラタ

 シェークスピア:マクベス

 泉鏡花:化銀杏

 上田秋成:春雨物語

 織田作之助:夫婦善哉

 鈴木道彦:プルーストを読む

 石丸晶子:式子内親王伝〜面影びとは法然

 ポオ:作詩の哲学または構成原理あるいは作曲のコツ

 

 


 

 三島由紀夫への三章

   1.豊饒の…… 

 

 いわゆる三夕の歌の一つ、藤原定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦のとま屋の秋の夕暮」について、三島由紀夫は「なかりけり」でこの歌がもっている、つまり要の字句だと主張しています。花も紅葉もと言いかけて、それを言葉の上で否定していても、花や紅葉という言葉が出てきた以上、そのイメージは残る。なかりけりと言うことによって、かえって寂しげな海岸風景にうっすらと華やかなヴェールがかかったようになると。……

 この文章は定家の歌の珍解などと冗談めかしていますが、それは謙遜か韜晦であって、本当は大真面目なもので、彼の最後の小説、「豊饒の海」の末尾と明白な関係があると私は思っています。

 「豊饒の海」四部作は、ほとんどが本多繁邦の視点で語られ、第三作の「暁の寺」からは次第に彼がドラマ自体の主人公になっていくのですが、その最後に至って彼のかつての親友(松枝清顕)の恋人(綾倉聡子)と――第一作「春の雪」は清顕と聡子の許されない恋を描いたものです――六十年の時を隔てて再会します。しかし、落飾して月修寺の門跡となった聡子はあろうことかこう言います。



「松枝清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。そんなお方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか?」


 自分が仏門に入った契機でもある、恋人を知らないと言う門跡に対し、本多は彼女が白を切っているとしか思えないものの、次第に不安に駆られます。



「しかしもし、清顕君がはじめからいなかったとすれば……それなら、勲もいなかったことになる。ジン・ジャンもいなかったことになる。……その上、ひょっとしたら、この私ですらも……」

 第一作のみならず、第二作、第三作の主人公、すなわち自分の人生と深く関わった人々がいなかったとすれば自分も存在していなかったことになる。うろたえる本多に、門跡ははじめてやや強く彼を見据えて――ということはあたかも審判を下すようにと言っていいでしょう――こう言います。



「それも心々ですさかい」


 心ごころ――あると思えばある、ないと思えばない、すべては相対的なものでしかない。ということだけなら、相対主義か独我論みたいなもので、ある意味ありふれた言明だとも思えます。実際、全編の通奏低音をなしている唯識論は、「暁の寺」で正面から取り上げられていますが、その煩瑣な議論自体が「それでも世界は存在しなければならない」から行われていると何度も繰り返されています。その執拗さは、逆に言えばこの世界の存在基盤の危うさを示しているようにも感じられます。三島は、現実世界の空虚さを実感していたのでしょうか。

 しかしながら、そういう見方は小説の中のことと外の生の世界での哲学的な議論をごっちゃにしていると言わなければならないでしょう。世界が存在するかどうかなんてことは、小説家である三島にはどうでもいいことだったはずです。小説が書ければ世界が存在しなくても別に問題はないよと。

 「豊饒の海」というタイトルは、月の「海」の名前で、当然水もなく、魚などが住めるところではありません。それを豊饒というところに皮肉というか、逆説があるわけですが、要は初めから「この小説はカラカラの砂漠みたいに何もないんですよ」と言っているわけです。「でも、言葉で、言葉だけで何もないところに豊饒なイメージを醸しだしてあげましょう」と。

 もうおわかりでしょう。主要登場人物と何より物語の全体を見渡していた、本多がいなければ……もちろんこの小説全体は存在しえなくなります。しかしながら、小説は元々愚にもつかないことを言葉だけで成り立たせ、読者にうかうかと読ませ、納得させることが本義だと、三島は考えていました。この作品自体が輪廻転生という現代人にとっては、およそ真面目には信じられないことを主題にしています。その延長線上に、言葉によってできた大伽藍を最後になっていったん否定することによって、読者にこの小説の存在をかえって強く印象づけているのです。まさに定家の歌のように。

 「豊饒の海」の後には、藤原定家についての小説の構想を三島は持っていたと言われていますが、私はこうしたことからもう既に成されていたのだと思っています。海の上に横雲がたなびくように、見えるとも、見えないとも定かならずとも。……

 蛇足を付け加えることになりますが、「豊饒の海」の本当の最後に注目してみましょう。



「そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……


                     「豊饒の海」完。
            昭和四十五年十一月二十五日」



 先ほど述べた小説全体の否定が心象と情景の描写となって締めくくられているわけですが、問題は最後の日付です。これは言うまでもなく、彼が市ヶ谷で決起し、自決した日です。実際にはかなり前に原稿は完成していたそうですが、そんなことはどうでもいいことです。この日付の記載は、この小説が作者の死の日に終わっていることを告げているわけですし、それ以外の理解は困難でしょう。例えばその朝に原稿用紙に書き終えて、軍服のような楯の会の制服に着替えて出発する、そういったイメージを喚起するものです。

 しかしながら、そんなことを他ならぬ三島が、他ならぬこの小説で言う必要があるのでしょうか。作者の事情(たとえそれが生死に関わることであっても)などとは無関係に純粋に言葉だけで小説を作り上げてきた彼の姿勢から言って、幕切れで作者がひょいと顔を出しているような一行は、蛇足であると言わざるをえません。

 

 


 

  2.仮面と告白

 

 再び三島由紀夫の小説について書きます。今度は初期の代表作「仮面の告白」を取り上げます。この作品の有名な出だしは何を意味しているのでしょうか。



 「永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。」

 生まれたばかりの赤ん坊にはっきりとした視覚と記憶があるなんて、ありえないことです。主人公もそのように受け取られることを意識していて、それを言わばモメンタムにして、この小説を展開していきます。

単純に考えればこういう『大嘘』をつくことが仮面の告白たる所以であると思えるでしょう。私自身の経験で言いますと、姉と話をしていて、この小説の題名から内容は「告白を装った真っ赤な嘘」というように理解していると知って、びっくりした記憶があります。

 つまり姉(あるいは少なからぬ人びと)は、「仮面=偽りの顔→告白=偽の発言」というふうに定式化しているのでしょう。

 しかしながら、それでは『告白』の意味合いがあまりにも希薄だと思えます。さすがに専門家は私の姉のようには理解していません。肉に食い入る仮面という言い方があるそうですが(誰が言ったかは知りません)、「仮面=別の人格(ペルソナ)but告白=(作者自身の)真実の発言」というのが文芸評論家などの常識でしょう。

 話がだいぶこみいってきました。かつては、こういうのが文芸評論らしいと思われたふしもありますが、別に大した話ではありません。前回、小説の本義は愚にもつかないことを言葉だけで成り立たせ、読者にうかうかと読ませることにあると、三島は考えていたと言いましたが(それは三島の一貫した姿勢だったと思います)、それが彼自身に向かった場合にどうなるのか、ということです。もっと簡単に言えば、私小説を(近代小説の本家である)ヨーロッパの小説の流儀で書いたらどうなるのか、ということです。

 私小説とは何か。私の勝手な理解では、作家自身に起こったことをほぼそのまま書いた大正時代から昭和時代に隆盛を極めた日本独特の文学形式となります。「ほぼそのまま」というのがポイントで、小説としての虚構なり、方法論なりを持たずにということですが、これには異論があるでしょう。「日記(今ならブログ?)じゃあるまいし、実体験をそのまま書くわけはないだろうが!」という文句があの世から来そうです。でも、私は言います。「じゃあ、その虚構性はなんのためだったんですか? 実体験が持つ真実性をより高めるために施したものだったんじゃないんですか?」と。

 小説の真実性。これは私小説作家も、三島もずっと悩んできた問題で、たぶん現在の心ある作家もみんな悩んでいる問題だと思います。私小説作家は、その拠り所を最終的には実体験こそが最もリアルなもので、真実だということで解決していたのだと思います。すなわち、ありのままに書く、そのように見せるということです。……たぶんリアリズムという言葉をどこかで勘違いしていたのでしょうし、狂言綺語をものした紫式部が地獄に落ちたという伝承に見られる古臭い倫理観に捕らわれていたせいでしょう。

 三島の場合は、全く異なります。これは嘘っぱちだ、虚構だということを第一行目から押し出しながら、その中で真実性を成り立たせようとします。この小説には、エピグラフとして、「カラマーゾフの兄弟」がかなりの長文で引用されています。それ自体が若い三島の並々ならぬ意気込みを示すもので、またいろんな意味でこの小説と深く関連しているのですが、とりあえず注目したいのは、最後の「しかし、人間て奴は自分の痛いことばかり話したがるものだよ」です。

美と悪行(ソドム)との逆説的な関係について、ドストエフスキーらしい異常な熱とめまぐるしい論理の屈折の後に、ぽんとこの言葉が出てきます。論理的にはつながりがないにもかかわらず、この文章で抽象的な議論がいきなりリアルなものとなり、まさしく真実性を獲得していると思います。この個所とドストエフスキーの実体験は表象上は何の関係もなく、いわゆるリアリズムでもないにもかかわらず、圧倒されてしまうのです。……脇道に逸れますが、こういうドストエフスキーがぬっと出てきているところを読むと、地鳴りのような低音部がドライヴするチャイコフスキーの交響曲を思い起こしてしまいます。

これが三島の目指したものではないでしょうか。こうしたヨーロッパの小説の底力を見ると、我が私小説は何とも貧相な、中途半端なものに映ったのだと思います。「自分の痛いこと」を虚構の中で言うこと、これが仮面の告白の意味でしょう。

 私小説は、表面的には絶滅したようです、少なくともレッテルとしては。でも、まだまだ自伝的小説とかいうものは多いようですし、何より小説を読んで「私」とか「ぼく」とかの一人称で書かれていれば(もしかしたらそうでなくても)、作者のことだと思ってしまう読者は、現在でも53%(当社調べ)はいます。ミステリー作家の場合は、この数字は下がるそうですが。……よけいなことばかり言って恐縮ですが、全集の解題にこの作品を「自伝的告白小説」としていたのには、思わず笑ってしまいました。

 では、三島がそんな手の込んだことをしてまで言いたかった「痛いこと」というのは、何だったのでしょうか。その答えもエピグラフが示していると思います。美とソドムの関係について述べられているわけですから、美とソドミー(同性愛、もう少し広くとれば性的逸脱)の関係と理解してよいでしょう。つまり聖セバスチャンです。さらに(これは三島が意識していたかどうかははっきりしませんが)、美と同じ意味合いで出てくる「聖母(マドンナ)の理想」からすると、母あるいは母性との関係があるように思います。この点は、彼の中ではおそらく「禁色」を経て、「サド侯爵夫人」において終着点を見出しのでしょう。それらは、この作品と違って、「熱烈なる心の懺悔」とも「詩」とも言いがたいと私は思いますが。

 

 


 

  3.金閣寺と子猫

 

 三島由紀夫の最後の作品の末尾、初期の代表作の冒頭の順で取り上げてきましたから、最後は中期の代表作の真ん中でなければなりません。こうしたやり方は三島が最も好んだはずですから。


 「金閣寺」は三島の作品中、最もポピュラーなものの一つでしょう。足利義満による創建当初のまま残っていた金閣寺が放火されたという衝撃的な事件に取材したこと、最初から主人公の僧侶が犯罪を犯すことが読者にわかっていて、いわゆる倒叙もののスタイルをとっていることなどが人気を呼んだのだろうと思います。このわくわくするような(ミステリーのおもしろみのかなりの部分は犯罪を疑似体験する楽しみです)ストーリーを貫いているのが美(その象徴としての金閣寺)に対する三島独特の議論であり、それにリズムと興趣を与えているのが「南泉斬猫」という禅の公案です。

 昔々、ある禅寺で修行僧たちが紛れ込んできた子猫があんまりかわいらしかったので、二手に分かれて争っていました。これを見て、南泉和尚(歴史上有名な禅僧ですが)が子猫を斬ってしまった。これはどういうことか? 禅僧が猫と言えども殺生していいわけはありません。これが第一の公案です。公案とは、まあ悟りを開くための手がかりとなる質問と言ったらいいでしょうか。

 次に副住職である趙州(これも名僧の誉れの高い人です)が外出先から帰ってきて、南泉から子猫を斬ったことを聞き、意見を訊かれて、黙って頭に靴を載せてすたすた歩いて出て行った。それを見て、南泉は「ああ、今日おまえがいれば子猫は死なずにすんだのに」と嘆じます。これが第二の公案ですが、こうなってくるといわゆる禅問答、訳のわからない話らしいでしょう?

 これを主人公の溝口とアンチヒーロー(メフィスト・フェレス?)的な大学の同級生の柏木(彼も臨済宗の禅家の息子です)がいろいろと議論します。柏木は子猫を美そのものだと見立てます。美は誰にでも身を委せるが、誰のものでもないから、僧侶たちの争いの元になったのだと。さらに、美は虫歯のように舌にさわり、引っかかり、痛み、自分の存在を主張するのだと言います。しかし、痛みに耐えかねて抜くと、虫歯はもう死んだ物質にすぎず、美ではなくなる。南泉が子猫を斬ったのは、美を内部から抜こうとしたからであり、それでは猫の美しさは死んでいないのではないかと考えた趙州は、痛みを耐えるしか解決はないことを示すため、靴を頭に載せたのだと。……

 わかりにくいですが、話はある意味単純で、禁欲を強いられる修行僧にとって美は苦痛を与える存在であり(主人公たちは戒律を破るようなことをしていますが、精神的には縛られています)、それを斬って捨てるか、それに耐えていくかということでしょう。

 最初は柏木が南泉で、美に憧れる溝口は趙州だと柏木は言いますが、後では南泉=行為者、趙州=認識者という、三島の読者にはおなじみの定式が現われ、「君は今や南泉を気取るのかね」と柏木に挑発された溝口は、「美は……美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ」と応えます。つまり猫を斬ることと金閣寺を焼くことが同値なものとして扱われ、南泉の行動が溝口の行動を正当化するという構図になっているわけです。


 しかし、この構図は小説の中の話としても大きな問題があると思います。まず趙州の行動が結局は解き明かされていないため、子猫=美=金閣寺が救われる途が放置されています。これが謎として残るのならいいのですが、読者にとっては消化不良になっていると思います。

 次に子猫を美と捉える基本的な枠組み自体、観念的で公案への解答としては落第です。どんな駄目な禅寺でも柏木たちは直ちに痛棒を食らってしまうでしょう。つまり禅僧のタマゴを主人公としているのに、リアリティがないのです。

 三島はここでは禅の公案を、「豊饒の海」では唯識論を扱っていますが、仏教、もっと広く言って宗教がわかっていたとは思えませんし、やめておいた方がよかったと思います。いろいろ彼なりの理由はあったのでしょうけど。

 じゃあ、そんなに偉そうなことを言うおまえは宗教がわかっているのか、この公案が解けるのかと言われそうです。……もちろんわかりません、解けませんw。だって、私は宗教を外側からしか見てませんし、公案は座禅を組んでいない者が解ける筋合いのものではないからです。つまり宗教は理解するものではなく、体験し、体得するものだからです。

 私が好きな公案を紹介したいと思います。うろ覚えで恐縮ですが、ある高僧が弟子たちの様々な問いに対し、無言で人差し指を一本立てるだけで答えていました。これを小僧が真似をします。和尚さんのジェスチャーが修行上の悩みへの回答になるなら、自分もと考えたのでしょう。大げさに言えば言葉を超越しようとする禅の方法論への諷刺とも取れます。小僧が自分の真似をして兄弟子たちを困らせているという噂を聞いた高僧は小僧を自室に呼び、公案を投げかけます。もちろん得意になっている小僧は、指を一本立てて答えます。

 高僧は、いきなりその指を斬り捨てます。ぎゃぁと叫びながら逃げ出そうとする小僧。それに向かって、小僧の名前を呼びます。振り返った小僧に向かって、指一本が立てられます。その瞬間、小僧は悟りを開くのです。これはどういうことか。……
 指を斬るという一見戒律を破るような行為が小僧の悟達を助けるという大きな菩薩心に発しているといった平板な解説とか、斬り落とされた指と立てられた指は何を表しているのかといった構図とかでは、すなわち外側から考えていては、この公案を会得することは決してできないでしょう。

 小僧は激痛の中で、呼びかけられ、師匠のジェスチャーの真の意味、世界とそれを超えたものの姿を見たのだろうと思います。それは禅宗のみならず、すべての宗教に共通の直接的な体験、超越者との出会いなのです。それなしで宗教について語っても空虚なものでしかありません。

 ……三島の指を斬ってあげる人がいればあのようなことは起きなかったのではと思うのは、今さら言っても仕方のないことでしょう。

 

 


 

 建礼門院右京大夫集

 

 平清盛の娘、安徳天皇の母の建礼門院徳子は壇ノ浦で幼帝とともに入水しながら独り義経軍に引き上げられ、出家して洛北の大原寂光院で余生を送りました。そういう悲劇的な生涯を送った女性のお話があるせいか、京都の学生の間には大原にデートすると別れるという言い伝えがありました。私の場合には……それ以前って感じでしたけどw。


 建礼門院右京大夫は中宮徳子に仕えた女性で、もちろん清少納言が少納言という官位にあったわけではないのと同様、右京大夫というのは通称、いわゆる召名です。この頃の通常の女性と同様、本名は伝わっていません。彼女も主人同様、前半生の華やかな宮廷サロンでの活躍と後半生の寂しい隠遁生活が対照的です。


 この家集は単に和歌を収めただけでなく、長い詞書が自叙伝風になっていて、和泉式部日記や蜻蛉日記、更には源氏物語の世界を憧憬したものと考えられます。前半では清盛の孫の平資盛との身分違いの恋愛に苦しむ一方、有名な伝源頼朝像や後白河法皇像を描いた15歳ほど年上の藤原隆信に言い寄られるといった具合です。彼女がメイクが上手とか、かわいいアクセで決めて、青年貴族や芸術家にモテていたわけではなくw、和歌を詠むのが上手で、笛などの音楽にも造詣が深いといったことが理由のようですが。


 ……とは言え、清少納言のように才気が十二単衣を着ているようなタイプでもなく、和泉式部のような情念が身体からにじみ出ているようなタイプでもないようです(これらのタイプだと陰にこもったメガネっ子みたいな紫式部から嫉妬の炎でけちょんけちょんに言われるのですが)。もう少し思慮があって、冷静なタイプだったようで、他の人の名前は出しても、資盛や隆信の名前は一切出していません。付き合う相手としては立派ですが、その冷静さは歌人としての限界なのかも知れません。


 「なべての人のやうにはあらじと思ひしを、あさゆふ、女どちのやうにまじりゐて、みかはす人あまたありし中に、とりわきてとかくいひしを、あるまじきことやと、人のことを見聞きても思ひしかど、契りとかやはのがれがたくて、思ひのほかに物思はしきことそひて」資盛との出会いを目立たない筆致で描いた個所です。ちょっと現代語訳wしておきますと、ふつうの女の子みたいに恋になんか浮かれるつもりなんかなかったのに、御曹司たちと毎日付き合ってたら、資盛様が言い寄ってきて。宮廷での恋愛って、なんかロクでもないことって多いのに。でも、これって運命の赤い糸ってやつ? マジ恋なんて悩みも多いんだけどさってところでしょうか。彼女が宮廷生活を送ったのは、17歳から5年間ほどのことと推定されています。


 関係が深まり、彼氏が父の内大臣重盛に随伴して住吉大社に参詣した折には、海岸の様子を象った州浜に貝をいろいろ入れて、恋や憂いを忘れると言われる忘れ草を添えた贈り物が次のような歌とともに送られてきます。

 浦みても かひしなければ 住の江に おふてふ草を たずねてぞみる
 (つれないあなたをうらんでもカイがないから、忘れ草を探したんだよ)  
 
  かへし  あきのことなりしかば、紅葉の薄様に、
 住の江の 草をば人の 心にて われぞかひなき 身をうらみぬる
 (忘れ草はあなたの心では? わたしのほうこそ……)

 こうした資盛との恋は後年になっても、

 とし月の つもりはてても そのをりの 雪のあしたは なほぞ恋しき
 (一緒にベッドから見た雪の朝がなつかしい)

と思い出されるようなものだったのです。
 
 そんな折、思いもかけず、世間からも色好みと評判される藤原隆信に懸想されます。

 思ひわく かたもなぎさに よる波の いとかく袖を ぬらすべしやは
 (分別もなく、あなたへの思いが干潟のない渚に寄せる波のように、突然に)

といきなりサザンみたいにw迫られて、

 思ひわかで なにとなぎさの 波ならば ぬるらむ袖の ゆゑもあらじを
 (誰かれなしに言い寄るんですね わたしのせいだなんて)

 存じませんねとかわしたのですが、中年男の手練手管、攻勢はやむところを知らずw、とうとう術中に陥ってしまいます。

  かやうにて、何事もさてあらで、かへすがへすくやしきことを思ひし頃、
 越えぬれば くやしかりける 逢坂を なにゆゑにかは 踏みはじめけむ
 (一線を越えてしまえばくやしい思いをするって、わかっていたのに)

 そうは言っても身を任せた弱さ、隆信が他から正妻を迎えると聞けば、

  なれぬる枕に、硯の見えしをひきよせて、書きつくる。
 たれが香に 思ひうつると 忘るなよ 夜な夜ななれし 枕ばかりは

 なんて、枕紙にすごい歌を書いて送ります。その返歌は、

 心にも 袖にもとまる うつり香を 枕にのみや 契りおくべき
 (俺はおまえの匂いでいっぱいだよ。契りは枕だけじゃないだろ?)

 となだめられてしまいます。

 しかし、そんな恋愛模様をよそに時代は急速に平家の滅亡に向かって回り始めます。「恐ろしきもののふども、いくらも下る」義経たちが入京し、西国に逃げた資盛を始めとして彼女が親しんだ平家の公達を追討します。

 「いかなることをいつ聞かむと、かなしく心憂く、泣く泣く寝たる夢に、つねに見しままの直衣姿にて、風のおびただしく吹く所に、いと物思はしげにうちながめてあると見て、さわぐ心に覚めたる心ち、いふべきかたなし」凶報の訪れがいつかはと不安に思う彼女に、資盛が夢枕に立ったのです。実際にもそうなのだろうと思い、

 波風の 荒きさわぎに ただよひて さこそはやすき 空なかるらめ
 (戦乱の空、安らげるところなどないのでしょうね)

 彼女の不吉な予感は的中し、資盛は壇ノ浦で入水して果てます。その直前に二人は最後の歌をやり取りします。彼女の歌は、資盛の兄弟達の死を思いやる体裁を取りながら、自らの思い乱れる心をそのまま映した異様なものです。


 思ふことを 思ひやるにぞ 思ひくだく 思ひにそへて いとどかなしき

 

 資盛の返歌もこれに応じて、恋人への断ちがたい思いを訴えます。

 思ひとぢめ 思ひきりても たちかへり さすがに思ふことぞおほかる

 恋人の死に茫然としている彼女の耳に「あさましくおそろしく聞えしことどもに、近く見し人々むなしくなりたる、数多くて、あらぬ姿にて渡さるる」平家の人々の首が都に送られてきたのです。「東洞院の大路を北へわたして獄門の木にかけられるべきよし、蒲冠者範頼・九郎冠者義経奏聞す」(「平家物語」巻十)タッキーも残酷ですね、まあこの時代はこれが普通ですが。


 生け捕りにされた重衡(清盛の五男、資盛の叔父)は「朝夕馴れて、をかしきことをいひ、またはかなきことにも、人のためは便宜に心しらひありなどして」という、気さくで親切な人だったのですが、都を引き回しにされた後、東国で斬首されてしまいます。


 また、資盛の兄の維盛は屋島の戦いのさなかに抜け出し、熊野で入水したのですが、かつては後白河法皇の50歳の賀に「青海波舞ひてのをりなどは、『光源氏のためしも思ひ出でらるる』などこそ、人々いひしか。『花のにほひもげに気おされぬべく』など、聞えぞかし」王朝文化を体現したような貴公子が惨めな死を遂げたわけです。

 さて、こうして時代に心を打ち砕かれた右京大夫の心を慰めてくれたのが星でした。日本の文芸では星は月に比べて、あまり取り上げられることがなく、あったとしても七夕のお話や白楽天の詩をそのまま歌にしたようなものが多く、彼女のように星そのものの美しさを歌った人は明治に至るまでほとんどいません。私がこの作品が好きな理由もここにあります。


 「十二月ついたち頃なりしやらむ、夜に入りて、雨とも雪ともなくうち散りて、むら雲さわがしく、ひとへに曇りはてぬものから、むらむら星うち消えしたり」言うまでもなく、旧暦の一日に月はなく、まばらな星が見え隠れしていたというのです。
 「引き被きふしたる衣を、更けぬるほど、丑二つばかりにやと思ふほどに引き退けて、空を見上げたれば、ことに晴れて浅葱色なるに、光ことごとしき星の大きなる、むらなく出でたる、なのめならずおもしろくて、花の紙に箔をうち散らしたるによう似たり。今宵はじめて見そめたる心ちす」午前二時過ぎに、悲しみに引きこもっていた彼女の目に薄い藍色の空を背景に金銀箔を散らしたような星が映ります。


 「さきざきも星月夜見馴れたることなれど、これはをりからにや、ことなる心ちするにつけても、ただ、物のみおぼゆ」恋人の死を始めとした多くのつらい体験が星だけの夜空の美しさを彼女に発見させたのです。


 月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを こよひ知りぬる

 彼女は、この家集に51首の七夕の歌を載せています。もちろん異例の多さで、上述した先行作品と同様の趣向のものも多いのですが、彼女の個性が比較的出ていると思われるものを挙げてみましょう(ちなみに現在の7月7日は梅雨の真っ最中、到底星空は望めません。国立天文台では旧暦に基づく伝統的七夕を推奨し、ライトダウンなどを呼びかけていくことにしていて、今年の伝統的七夕は8月11日だそうです)。

 さまざまに 思ひやりつつ よそながら ながめかねぬる 星合の空
 (あの人とのことを思い出すと、織姫、彦星のあれこれが想像されてしまう)

 きかばやな ふたつの星の 物語り たらひの水に うつらましかば
 (盥の水に七夕の星を映す風習にちなんで。星の語らいまで水面のさざめきに)

 天の河 けふの逢ふ瀬は よそなれど 暮れゆく空を なほも待つかな
 (恋人と死別した自分には七夕のデートは関係ないのに)

 ながむれば 心もつきて 星合の 空にみちぬる 我が思ひかな
 (思い悩む心も尽きて、星が出会う今日の空に広がっていく)

 そして、この連作は次のような恋人への切ない想いを彦星に仮託して終わります。

  このたびばかりやとのみ思ひても、また数つもれば、
 いつまでか 七のうたを 書きつけむ 知らばやつげよ 天の彦星

 彼女はあの建礼門院に仕えた宮廷時代が終生忘れられなかったようです。後年、彼女は後鳥羽院時代にも女房として出仕し、別の召名を持っていたのですが、この家集を編む時にどちらの名を使うかと問われ、こう返答しています。

 言の葉の もし世に散らば しのばしき 昔の名こそ とめまほしけれ

 

 


 

 バルザック:ラブイユーズ

 

  この小説のタイトルの「ラブイユーズ”La Rabouilleuse”」というフランス語はベリー地方の方言だと説明されていますが、「川揉み女」という意味です。小枝で川の流れを掻き回し、ザリガニを驚かせて、罠を仕掛けている叔父の方へ追い込む少女、フロール・ブラジエのことです。こんなのを生業にしているのですから、「少女はほとんど裸同然で、暗褐色と白の縞模様の粗悪なウール地の、穴だらけでぼろぼろのみすぼらしい短いスカートを身につけていた」という貧しさです。ところが(と言うか小説の世界では当然と言うか)、「娘はまるで川の妖精さながら、およそ画家が夢見ることのできたなかでもっとも美しい処女の顔だちの一つを、突然、医師に示したのだった」ということで、この12歳の少女は叔父によって葡萄畑3ha分の銀貨で、70歳の財産家の医師ルージェに売られてしまいます。


 ところが、この老医師はその年齢のせいで手を出すことができず、5年後に死んでしまいます。彼女には何の財産も遺贈されません。その理由は「放蕩のたくらみが自然によってまんまと裏をかかれた一人の男の鬱屈した憎悪の叫び、不能な愛が無垢な思い人に対してする復讐」であったと説明されています。「あいつは美人だというだけで、充分な財産をもっておるよ!」

 その相続人、息子のジャン・ジャックは臆病で醜い37歳の独身男です。父の死後、フロールの寝室を覗き見するために、ドアに穴を開けて犬のように寝ころがったりしていますが、自分からは、なかなか彼女への気持ちを言い出せません。17歳の少女から「汚れなき乙女」だと男冥利につきる告白をされても戸惑うばかりで、あきれられてしまいます。

 しかし、何とか結ばれた二人の関係は、フロールが取り引きを推し進め、家の切り盛りをし、ジャン・ジャックは母親の保護を必要とする子どものような感情を持つといった倒錯した状態だったのです。やがて28歳になり、美貌があますところなく花開くに至った彼女は、「丸々としてまばゆいばかりに美しい腕をもち、体つきは豊満で艶やかな果肉を思わせ、体の線も悩ましい」、地方都市とは言え社交界の花になりました。そんな彼女の前に現れたのがナポレオン軍の士官だった同じ年頃のジレです。王政復古したため、軍には戻れず、町の不良を集めてたちの良くない悪戯をしているジレに一目で虜になったフロールは、ジャン・ジャックを説き伏せて邸宅に引き入れてしまいます。経済的な支えと愛情の対象の両方と同居するという理想的な(?)生活を送るラブイユーズ。……しかし、そんな生活はジレと同じナポレオン軍の士官のフィリップの登場で一変します。

 ジレよりも一枚上手の悪党のフィリップは、フロールのものになっていたルージェ家の遺産が目当てで、ジャン・ジャックに取り入ります。次にジレを決闘に追い込み、からくも亡き者にしてその後釜に居座ります。金のためなら手段を選ばないフィリップは、パリの遊蕩にまずジャン・ジャックを、次にフロールを溺れさせ、破滅させていきます。「若くて美形の下士官を使って、リキュールの味を覚えさせたんだ。……ある人間を厄介払いしようと思ったら、悪癖に染まらせさえすればいい。……悪癖とは何か知っているか? それは『死』という女のポン引きだ!」

 パリの屋根裏部屋の毛くずを詰めただけのベッドに横たわるまだ40歳そこそこの女。「その顔は溺れてから2日経った溺死者のように緑色になり、死の2時間前の全身衰弱患者のようにやせ細っていた。悪臭ふんぷんたるこの屍は、毛の抜け落ちた顔に、みすぼらしいルーアン織りの格子模様の布きれを巻いていた。落ちくぼんだ目のまわりは赤くなり、瞼は卵の皮膜のようだった。かつてあれほど悩ましかった身体は、もはやぞっとするほど醜い骨組みを残すのみだった」……変わり果てた瀕死のフロールは言います。「たしかに悪いのはわたしよ、でもこんなにひどく神に罰せられた人間はほかにはいない!」

 しかし、この哀れな病人を前にバルザックは登場人物の一人にこう言わせます。「まだ涙を流せるんだ! これはちょっと面白い見物だぞ。ドミノ遊びのセットから流れる涙! (砂漠に水を湧かせた)モーゼの奇蹟がこれで説明できる」……間もなく彼女は息を引き取ります。原因は貧窮ゆえに患者がおちいっていた衰弱状態にあったと素っ気なく報告されて。

 さて、かなり長く紹介してきましたが、実はこれはこの小説のうちフロールに関するところだけをかいつまんだもので、彼女はタイトル・ロールではあっても主人公ではなく、12歳の少女として初めて登場するのも作品の半ばくらいです。実際の「ラブイユーズ」はそれほど長い小説ではないにもかかわらず、もっと錯綜した内容をもっていて、まあ、テーマがはっきりしていて、登場人物が整理されていて、ストーリーもわかりやすい(あー、もうそんなのは飽き飽きです)といった模範的な小説とはおよそ異なっています。でも、今の日本でよく読まれている小説の骨格である、ふつうの人たちを主人公にしたストーリーを情景描写と心理描写を組み合わせながら語っていくというやり方は、極論すればバルザックが作ったものなのですけどね(こうしたものを否定し又は超えようとした20世紀の「現代小説」は、「現代音楽」と同様、ほとんど内輪の人にしか享受されていないので失敗です。しかし、この問題はまた別に論じたいと思います)。

 合唱やハーモニーというものがない単旋律で、簡潔・簡素を旨とした日本のような文化と、12声部のアカペラ曲や4夜の音楽劇を作ってしまうヨーロッパの文化との表現形態の違いを明確に認識しないとバルザックはおもしろくないでしょう(この表現形態の違いについてもお話しすることがあるでしょう)。と言いますのも、この「ラブイユーズ」は『人間喜劇 La Comedie humaine』の第1部風俗研究の2.地方生活情景の「独身者たち」の第3話だからです。いきなりこんなことを言っても面食らっちゃうでしょうけど、この『人間喜劇』は、バルザック自身の言葉を借りれば「一つの社会を表すのに必要な3、4千人の人間の登場するドラマ」であり、「社会の歴史と批判、その諸悪の分析、その諸原理についてのすべて包含しようというこの壮大な企て」であり、未完成に終わったと言え、89篇の作品、原書で1万1千ページのまさに一つのuniverseなのです。

 しかし、長い小説や多くの小説を書いた人なら日本にも例があります。しかし、バルザックの場合、それが整然とした構成の下に統合されたcosmosを成していて、例えば有名な「従妹ベット」は同じ風俗研究の3.パリ生活情景の「貧しき縁者」の第1話、「谷間の百合」は6.田園生活情景の第4話であり、「知られざる傑作」は第3部哲学的研究の第4話といった具合になっていることが決定的に違うのです。人物再登場法と呼ばれる形で、『人間喜劇』全体の主要登場人物はあちこちに顔を出します。例えば死の床のフロールに先ほどのような無慈悲な言葉を投げかけるビジウがそうです。手塚治虫のヒゲおやじやランプのようなものですが、それが単なるキャラクターの使い回しではなく、広大な『人間喜劇』の世界で生きているのです。そう、19世紀のフランスの誰よりもいきいきと今も。……

 しかもその描き方は綿密かつ複雑を極め、上にいくつか本文を引用したところからもわかるように、細部においても人間の有り様を徹底的に抉り出します。私はどんなに美しい場面も醜い場面も、楽しい感情も悲しい感情も、グルメ&グルマンであったバルザックは舌なめずりしながら、こうした文章を書いたのだろうなぁと想像しています。

 そうそう、ラブイユーズというタイトルは、地方色を出すためでしょうけど、金や異性を追い求めながら結局はそれを他人に渡すことになってしまうというこの小説のテーマを暗示していて、タイトルに無頓着だったバルザックにしては出色のものだと思います。

 

 


 

  P.K.ディック:アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

 

 

 この小説は、映画「ブレード・ランナー」の原作です。映画化って言うと、内館牧子さんだったと思いますが、最初の1行からシナリオに書いていくように思っていたという愉快なエピソードを思い出します。原作のどこをどう生かすか、そのために多くの部分をカットしなければならないのが映画化のむずかしいところで、原作のファンに気に入られるのは、まあ無理でしょう。その逆の映画を原作としたノヴェライゼーションは大抵が小説になっていない、まあ関連本、便乗本に過ぎないのですが(例外として今、思い出せるのはアシモフの「2001年宇宙の旅」だけです)。

 映画と小説は別のものと考えておく方が無難で、この映画も文句を言い出すとキリがないですが、ワカモトのCMで着物を着た女が大写しになるといった奇妙なエキゾチズムと雨がびしゃびしゃ降っている頽廃的な感じは原作にないお手柄だと思います。原作のコンセプト(これは最後に言います)もちゃんと入っていますし。

 いずれにしても私の見るところ、小説も映画も後に与えた直接、間接の影響は極めて大きいものがあると思います。あ、ここパクってるなぁってことがけっこうありますから。名作へのオマージュと思えばいいんですが。私も以前の記事でこのタイトルをパクっちゃいましたw。

 フィリップK.ディックの作品の中では、この小説は大変わかりやすいですし、賞金稼ぎの話ということなどに見られるように、通俗的に書いたんだろうと思います。彼が本気で自分の世界観みたいなのを前面に出すと、何が何だか、ちょっとついて行けないところがありますけど。だからと言って、内容的には彼の基本的な問題意識が極めて鮮明に出ていると思います。すなわち、我々はどのような意味で人間なのか、ということです。それが感情移入度をテストするフォークト=カンプフ検査器具を使って、人間かアンドロイドかを判定するというモチーフになるわけです。簡単に言ってしまえば、「思いやり」のない者は人間ではなく、アンドロイドという物体に過ぎず、「破壊」してかまわないということです。

 ヒロインのレイチェルについてはここでは触れません。実際に読んでいただいて感想を持っていただいた方がいいように思うからです。そこで、ルーバ・ラフトというオペラ歌手として、「魔笛」のパミーナを歌う場面で登場するアンドロイドを紹介しましょう。彼女の歌は、主人公のアンドロイド・ハンターのリック・デッカードから「シュワルツコップよりもすばらしい」とさえ言われるほどのものです。いったんは巧みにリックの検査を逃れます。そのやり取りはリックの意表を突きながら、28歳という設定よりもずっと愛らしいものです。彼を逆に変質者と決めつけ、警察に引き渡し、逮捕されるように仕向けてしまいます。連れて行かれた見慣れない警察署がアンドロイドによってこしらえられた偽物であることを察知したリックは、同じ賞金稼ぎではあるものの、ずっと冷酷なフィル・レッシュと協力して、何とかそこを逃れます。

 二人は美術館で「両手を堅く組み合わせた若い娘が、寝台のはしに座って、うろたえた驚きと、新しく探りあてた畏れの表情をうかべている」絵の前にたたずむラフトを捕えます。そこでアンドロイドであることがバレてしまい、抹殺されることを知って、観念したラフトはリックにその絵、ムンクの「思春期」の複製をねだります。高い画集を買ってやったリックに「あなたってとてもやさしい。人間たちには、とても奇妙でいじらしいなにかがあるのね。……わたしはアンドロイドが大嫌い。火星からこっちへやってきてずっと、わたしの生活は人間をそっくり真似ることにつきていたわ」とラフトは言います。

 レッシュによってレーザー光線で打たれた彼女は、ムンクの「叫び」と同じような悲鳴を挙げながら殺されてしまいます。リックはすぐに画集を焼きます。彼は本来、感情移入などするはずのないアンドロイドに感情移入してしまい、逆にアンドロイドではないかと疑い、彼女を躊躇なく殺したがゆえに憎んでいたレッシュが人間であることが証明されたことを受け入れがたく感じます。「本能的に、彼は自分のほうが正しいと感じた。……ルーバ・ラフトは、まぎれもない生き物に思えたのだ」と。

 このラフトとレッシュに対する感情の逆転が芸術を契機に生じていることは、この作品の白眉だと思いますし、その後の部分はこの主題のヴァリエーションのように感じられます。ディックの作品には、現実が贋物であるとか、時間が逆転するといったものが多く登場します。それと先程申し上げた、人間とは一体どういう意味で人間なのかという問題意識を重ねあわせれば、手ずれのした言葉で恐縮ですが、「存在への不安」ということになるように思います。しかし、これが現代小説にとって極めて重要な問題であることは間違いないでしょう。そういう意味で私はディックは音楽で言えばショスタコーヴィッチのような存在かなと思っています。つまり、技法的には19世紀以前のレアリスムの手法であっても(つまり「調性」があっても)アクチュアリティにおいてこれだけのものはあまりないように思うのです。我々にとって痛い問題、切実な問題だからこそ、芸術家は正面からしつこく取り組むのでしょう。

 さて、この小説にも、映画にも共通するコンセプトとは何でしょうか? 私は作品自体が感情移入度テストであって、我々がどこまで人間なのかを試験しているように感じました。みなさんはラフトをいじらしいと思いませんか?……

 


 

 ユルスナール:東方綺譚

 

  マルグリット・ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」は、豪奢な生活とありあまる才知を持ちながらこの世に倦み、過ぎ去った少年との愛を回想するローマ盛期の皇帝を描いた名作です。同じローマ皇帝を主人公にしても我が国の作品とは、その教養と文才において比較になりません。あたかもハドリアヌスのローマ帝国がユリアヌスの時代には無残に衰えていたのと同じように。

 その彼女が源氏物語に取材して、光源氏の晩年を花散里の視点から描いたのが短編集「東方綺譚”Nouvelles Orientales”」の「源氏の君の最後の恋」です。イギリス人がシェークスピアを、ドイツ人がゲーテを誇るのと同じような意味で、紫式部を誇るべき日本人の一人として、先に不満な点を挙げておくと、この作品における花散里は、源氏物語における高貴な生まれながら、控えめで鷹揚な、才気をひけらかさないことで自らの地位を守ってきた彼女ではありません。「生まれも美しさもとりたててどういうこともない昔の情人で、源氏の他の妻たちに久しく忠実に仕えてきた女房」とされていますから、ほとんど別人、名前だけ借りたものと言った方がいいのかもしれません。ただそれではこの作品は結末からして、たぶん成り立たなくなるのですが。……

 低い身分の出身だということで、大変積極的に行動します。隠棲した源氏に仕えようと、最初は花散里本人として、次は百姓娘、浮舟wとして、最後は大和の国司の妻、中将として、現われます。源氏が視力を失っていく過程で、そうした変装して側においてもらうことが可能になり、情を受けることもかなうのです。源氏は、視力を失うほど老い衰えても色好みは変わらない男として描かれているんですねw。花散里は、かなり粗忽な性格で描かれていて、それが源氏のもとに住むまでの紆余曲折というストーリー展開に生かされています。

 ユルスナールは、源氏物語をかなりよく読んでいると思われ、「やわらかい地面にしずかな春雨がふり、黄昏の最後の光を沈めていた。折りしも源氏は墨染の衣を身にまとい、ゆっくりと小径を散歩していた」といった情景描写にも生きていると思われます。これと「盲目としのびよる老齢のために曇った、うつろな無表情な顔は、かつて美を映した鉛色の鏡に似ていた」という彼女らしい比喩が違和感なくつながっています。でも、歌を全然読まない源氏なんて。……

 臨終の時、源氏は自分の愛した女たちを回想します。葵の上、夕顔、「美しすぎた義理の母と、若すぎた妻の、油断ならぬ想い出」と語られる藤壺と紫の上、空蝉といった具合に、ちょっと要領よすぎるくらい次々と思い出され、百姓娘や浮舟や中将としての自分も挙げられるのに「花散里」は忘れ去られていて、そのことに彼女は絶望し、泣き叫ぶところで話は終わります。
 ただこれに蛇足を付け加えると、「長夜の君、わたしの館とわたしの心のなかで、第三番目の地位に甘んじた、あの優しいひと」という女も源氏は挙げています。訳者は「不詳。こんな人物はいないはず」と簡単に注釈していますが、いくらなんでもそれはないでしょう。

 可能性としては、明石の上や女三の宮、あるいはまさに源氏物語における「花散里」を挙げることができますから(末摘花じゃないかな、さすがにw)。フランス語の原文に当たっていないので正確にはわかりませんが、ユルスナールはおそらくこうした女性を念頭に置いていたはずです。「長夜」がどのようなエピソードを示唆するのか、どの女性でもありえそうですが、三番目の地位が館の中でなら、一番は紫の上、二番は明石の上の娘の女御、三番は花散里だろうと思いますし、心の中でなら、一番は藤壺、二番は紫の上、三番は……私は、はかなく亡くなった夕顔だと思いますが、花散里でも無理はないでしょう。いずれにしても花散里だとしたら、彼女は源氏物語と自分の作品での虚構とを二重に見せているというおもしろいことになるんですが。

 この短編集での白眉は巻頭の「老絵師の行方」で、その奇想と幻想美は同じく中国の芸術家を題材としながら、中島敦の「山月記」を遥かに凌駕するもので、それは最後の一文を引用するだけで十分だと思えます。「水脈はひっそりとした水面に消え、絵師汪佛と弟子玲とは、汪佛が今創り出したばかりのこの蒼い翡翠の海に、永久に姿を消したのであった」

 他の作品のうち琴線に触れたものを紹介すると、「マルコの微笑」は、磔にされても、胸を炭火で焼かれても豪胆に耐えた英雄が少女の踊りには誘惑され、微笑を漏らしたというお話で、「だが、じっさい、『イーリアス』にはアキレウスの微笑が欠けているのですよ」と結ばれます。

 「燕の聖母」は、「人間がまだ存在せず、大地が樹々と動物と神々しか生まなかった頃の、若かりし日の世界を夢みながら眠っている」ニンフたちが偏狭な修道士によって追い詰められ、餓死しようとするのを聖母が助けるというお話です。

 「寡婦アフロディシア」は、司祭の妻であった主人公が粗野で乱暴者の「自由な空気と、掠めてきた食物の味わい好む」コスティスに嵐の夜の稲妻のように惚れてしまい、黄色いスカートをはいて遭いに行き、「それを掛けぶとん代わりに用いたが、まるで一枚の太陽の下で寝たみたいだった」という情事を繰り返すお話です。村人の憎しみをかったコスティスが惨殺されると、彼女は後を追うことになりますが、その狂おしいまでの愛情と粗野な情欲を優雅で繊細な筆によって描くさまは、プロスペル・メリメの「マテオ・ファルコネ」を想起させます。

 「斬首されたカーリ女神」は、かつてインドラの天空の玉座にあり、朝のダイアモンドたちが彼女の視線に逢ってきらめき、宇宙が彼女の心臓の鼓動にあわせて収縮しまた膨張したほどのカーリが嫉妬深い神々によって斬首され、あの世で娼婦の胴体にすげられて戻ってきたというお話です。賤民や罪人にまで身を委ね、陰気な歓楽を求めてさまようカーリは、涙を流し続け、顔は穢れのない月のように、永遠に蒼ざめています。この神聖でありながら汚辱にまみれた女神は、最後に賢者に出会い、すべてが無に解消する予感を覚えます。賢者は言います。「欲望はそなたに欲望のはかなさを教えた。悔恨はそなたに悔いることのむなしさを教えた」……「激情よ、そなたは必ずしも不死ではないのだ」と。

 典雅な形式美と優れた抽象思考によって、野卑で残酷なお話が高貴な悲劇となるという、フランス文芸(彼女はベルギー人のようですが)の醍醐味をユルスナールは存分に味わせてくれます。

 

 


 

 マハーバーラタ 

 

 マハーバーラタは、全18巻、20万行を超える世界最大の叙事詩で、「ここにあるものすべてはどこにでもあり、ここにないものはどこにもない」と言われ、百科全書的内容を誇っています。基本ストーリーは、パーンドゥ王家の5人の兄弟と彼らの従兄弟たちとの一大戦争物語で、両軍合わせて800万の軍勢、数百万頭の象、馬、牛などが激突し、戦いに巻き込まれた4億の人間を含め、ことごとくが18日間の戦闘で死に、最後に生き残るのはパーンドゥ兄弟と彼らが共有する6人の妃だけという、核戦争を連想するようなものです。

 この本筋に脇筋ともつかず、埋め込まれているのが多くの民間伝承で、お釈迦様の前世譚(ジャータカ)やイソップ物語とも深い関連があるそうですが、最終的に現在の姿になったのは西暦400年頃のようですが、その起源は紀元前400年とも、紀元前3,000年(!)とも言われ、長い年月をかけて口承によって膨張し続けたのでしょう。
 この古代世界を悠然と泳ぐ巨鯨のような物語の全訳を行った山際素男がその民間伝承の部分のエッセンスを書いた本を今回、更に孫引きさせてもらいましょう(全訳と言っても英語からの重訳で、原典からの全訳は他の訳者が死亡したりして未だにないそうです)。

 聖仙と呼ばれる山野に住む、深い知恵とさまざまな術を持つ聖人がマハーバーラタには多く登場するのですが、アガスティヤは中でも途方もない人物です。ヒマラヤのメル山を巡って太陽と月が昇り、沈むのにヴィンディヤ山(インド亜大陸を南北に区切る山脈)が嫉妬し、俺も負けじとぐんぐん背を伸ばし、太陽と月の道筋を邪魔しようとしました。太陽、月、神々が諫めてもきかないので、アガスティヤになんとかしてくれるよう頼みます。彼は妻とともに山の麓まで来ると、呼びかけました。
「おーい偉大なヴィンディヤ山よ。向こう側に行きたいんだが、あんたが高くなりすぎて足弱な妻には無理なんじゃ。わしらが通るまでちょっと低くなってくれんか。ここに戻ってきたら、また思いっきり伸びてくれ」
 ヴィンディヤ山は友人のアガスティヤの頼みとあらば仕方ないと低くなって、二人の帰りを待ちました。ところがどうしたことか、アガスティヤはいっかな戻らないので、山は今も彼を待っているのです。

 また、ヴリトラ(旱魃)という総大将に率いられた悪鬼たちに神々が悩まされたときのこと、雷電・暴風雨の神インドラは神々とともに、梵天ブラフマーの知恵や宇宙を維持する神ヴィシュヌの助けを借りて、ようやくヴリトラを倒しました。ところが、残った子分の悪鬼たちが夜となるとどこからともなく現われて、宗教と教育の要のバラモンをみんな殺してしまい、人間たちは困り果てました。神様のくせに神頼みばかりするインドラは、またしてもヴィシュヌの助けを求め、悪鬼どもが海底のあちこちに潜んでいるので、アガスティヤに頼んで海水を飲み干してもらうしかないというご託宣をもらいます。

 インドラ始め懇願する神々を前にあっさり頼みを引き受けたアガスティヤは、神々、人間、天女、夜叉、馬頭人らが見物する中、海岸に立ちます。

「世界のためにこの大海を飲み尽くしてやるが、その後のことは自分たちで処理しなさい」

 アガスティヤの言葉に、神々がきょとんとする中、一気に海水を飲み干してしまいます。やんやの喝采。干上がった海底に潜んでいた悪鬼たちの殲滅。……めでたし、めでたし。じゃあ、海水を元に戻していただいてとお願いすると、海水はもうわしの腹の中で消化されたとの答え。……そんなぁ。

 その後、海が元通りになるまでにはすったもんだのお話があるのですが、アガスティヤとは関係がないので割愛させていただいて、ともかくこうした古今東西の巨人をぜんぶ合わせたみたいな彼が妻を得るまでのお話が今日の本題です。

 ある日、彼が道を歩いていると深い穴からか細い声が。見ると大勢の小人が逆さづりになっていて、自分たちは彼が子どもを作らないから地獄に落とされた先祖だと、早く息子を作ってくれと言うのです。なんだか話が逆のような気もしますが、必ず子どもを作りますと誓ったものの肝心の妻がいない。これはという女もいない。じゃあというわけで、多くの動物のいちばん美しい部分を集めて、絶世の美少女を自分で作っちゃったw。

 その子を王家に送り込み、育ててもらい、頃やよし、きったない行者の格好のまま王を訪ね、あまりに美しいため、誰も求婚できないそのロパームドラーを嫁にくれとぬけぬけと言いました。こんな奴に大事な娘をやれるかと思いながらも、アガスティヤの神通力もこわい。相談した王妃も卒倒してしまう有り様。三日三晩夫婦で泣き尽くした後、途方に暮れて、当のロパームドラーに相談するとあっさりOK。

 やけくそ気味に盛大な結婚式を挙げた王を置いて、華麗な衣装も金銀宝石のアクセもぜーんぶ取らせて、自分と同じ粗末な樹皮に着替えさせ、遥かヒマラヤの奥、ガンジス河の源流へと妻を連れて行きました。

 粗末な庵で厳しい苦行に入ったアガスティヤを甲斐甲斐しく世話をする新妻。その真心と献身に満足した聖仙は、契りを結ぼうと初夜の床に誘うと、
「こんなところじゃ、いや。結婚式のときと同じくらいの衣装もアクセもほしいの。宮殿のような寝室で迎えたいの」
と手厳しくはねつけます。悩ましいナイスバディwを前に、さすがのアガスティヤもたじたじ。神通力で世界中の宝を呼び寄せればいいでしょと、もっともな妻のお言葉に、
「うむ。できんことではないが、そんなことをすると長年積んできたわしの功徳が半分以下に目減りするんじゃよ……」
とまるで貯金にしがみつく爺さんと変わんないようなことを言います。でも、こうなっちゃ聖仙だろうが、なんだろうが男の負けw。きっと望みは叶えるからここにいてくれと庵を後にし、財産形成すべく旅立ちます。
 
 顔見知りの王様のところに行ったはいいが、どうも無心するほどの余裕はなさそう。他の王様のところも同じ。その次の王様も。……妻の言いなりになったとは言え、聖仙が赤字国債を発行してくれなんて言えませんw。3人の王と一緒にため息をついていると、一人がイルバラという蛮族の王が大した金持ちだと思い出します。

 イルバラ王のところへみんなで行ってみると、下にも置かぬ歓待。晩餐のテーブルには山羊一匹丸ごとの料理。尻込みするヴェジタリアンの3人の王たちを気にも留めずに、アガスティヤはみるみる平らげていきます。財宝の無心にもイルバラ王は快諾し、料理のお味はいかがですかと訊きます。

「うむ。近頃こんなうまい肉は食ったことがない。よほど手間をかけて育てたんでしょうな」
 それを聞いて満足げにイルバラ王は呵呵大笑し、
「バターピー、そろそろいいぞ。出て来い!」
と弟の名を呼びます。しかし、答えも姿もありません。アガスティヤはにやりと笑い、
「馬鹿者。弟は、わしの胃袋ですっかり消化されておるわ」

 なんとこのイルバラとバターピーの兄弟は妖術使いで、これはという客が来ると料理の中に弟の切り刻んだ体を混ぜ、兄の合図で客の胃袋から突き破って出て、殺し、財宝を奪って富を成してきたのでした。それを見破ったのみならず、上を行く化け物ぶりを見せつけられて、もうアガスティヤの言うがまま。3人の王への1万頭の牝牛と同じ数の金貨、その3倍の牝牛と金貨、黄金造りの馬車、風よりも速い駿馬2頭を聖仙に贈ります。

 意気揚々と黄金の馬車に乗って帰った夫を迎えたロパームドラーが、
「さあ、思いきり抱いて。何人でもあなたの子どもを産んでみせますわ」
と言うのに、アガスティヤは、
「では、千人の息子がいいか、それとも千人に優る一人がいいか、どちらかを選びなさい」
 もちろん千人に優る一人を選んだ妻は、7年間妊娠した後、長じて高名な大行者となる息子を産み、3人で仲良く暮らしましたとさw。

 ネットをちょっと検索しただけで、マハーバーラタには熱心なファンが多くいるようで、トールキンやガンダムの世界を楽しむように二千年前のインドの物語が愛されていることがわかりました。そういう方々からすると、私の記事などは巨鯨のしっぽにすら触れていないのでしょう。ですので、山の由来とか、ピグマリオン神話とか、嫁取り話とか、化け物退治とか、類話を挙げて分析してもつまんないような気がしました。そんなことより、ちまちました現代の小説が忘れてしまった心の深層に触れるような物語の内容と、いかにも人々に聞かせながらできていった話らしいストーリーの運びに魅せられていたほうがいいように思います。

 だって、ファンタジーと言っても舞台が架空の世界で、魔法が出てくるってだけで、登場人物がふつうの人間と同じ感情、行動をするんじゃあ、下世話なだけで、宇宙と心の深奥を垣間見ることはできないからです。今回は紹介できませんでしたが、“一人の少年の中に宇宙がある”という話はそうしたぞくっとするようなお話です。……

 


  

 シェークスピア:マクベス

 

 

 シェークスピアの「マクベス」を読んだことのない方でも、マクベスは森が動かない限り負けないとか、女から生まれた男には負けないという魔女の予言の話は聞いたことがあるのではないでしょうか。絶対に負けないことを保証したものと思わせておいて、実際には敵が木の枝をかざして進軍してくるとか、帝王切開で生まれた男に殺されるという「約束は守りながら、結局は期待を裏切る」やり方で彼は滅んでいくのですが、この魔女の魔女らしい「真実めかした嘘」は、全5幕の劇の後半、第4幕第1場に出てきます。最初から子どもだましのトリックを使っているわけではないんですね。

 まず第1幕第3場で3人の魔女たちは、いわゆる割台詞で仕掛けをします。「めでたいのう、マクベス! グラームズの領主殿よ!」、これは現在のことですが、「めでたいのう、マクベス! コードーの領主殿よ!」はその直前にダンカン王によって決定されていて観客は知っていますが、マクベスには知らせは届いていません。「めでたいのう、マクベス! やがては王になるお人よ!」は全く起こっていない話なのですが、コードーの領主に任ずる知らせが届くことによって真実を告げているのかという錯覚を抱かせます。同時に魔女たちは、一緒にいた親友のバンクォーには、「マクベスよりは小さいが大きい」、「ふしあわせだが、ずっとしあわせ」、「子孫は王になる、お前はならんがのう」と謎と期待を吹き込みます。

 この魔女の言葉を第5場で手紙で知らされたマクベス夫人は王の暗殺のたくらみを抱き、第7場では、王を暗殺するなんて男でも人間でもないと拒むマクベスに、「わたしだって乳を飲ませたことがあります、乳房に吸いつく赤ん坊がどんなにかわいいかは知っています。でも――わたしの顔を見て笑っている赤ん坊でも、わたしはそのやわらかい歯茎から乳首を引きもぎって脳みそを叩き出してみせる」という恐ろしい台詞を吐きます。元々王になるという願望を抱き、暗殺を考えてもいたので、マクベス夫人は(昔のマンガによくあったように天使と悪魔が心の中で言い争うというのと同じで)夫の内面の一方を代弁しているだけなのかも知れません。

 しかし、その後の暗殺については、積極的に役割を果たします。第2幕第2場で、暗殺を決行したマクベスが短剣を現場に置いてきたのを見て、叱りつけ、「寝ている奴や死んだ奴は絵と同じこと。絵にかいた悪魔を怖がるのは子どもだけでしょう?」と自ら短剣を持って行き王の血(と王殺しの罪)を護衛たちの顔になすりつけてきます。

 バンクォーは、魔女の言葉を聞いていましたから、真犯人が誰であるかを察知したのはもちろん、王座に手をかけたマクベスが自分を危険視することも見通していて、第3幕第3場で逃亡しますが、暗殺されてしまいます。ただ息子フリーアンスは逃げのびて、当時の観客には周知の事実だったのでしょうが、この戯曲の後に王になります。この親友を殺しながら、魔女の予言を破って自らの子孫も王座に就けようという目的が達成できなかったことから、マクベスは徐々に破綻していきます。

 第3幕第4場では、宴会の席にバンクォーの亡霊が現れ、マクベスは取り乱します。それをマクベス夫人はたしなめ、客の前を取り繕います。「全身をさわやかに保ってくれるもの、眠りをあなたは忘れていらっしゃる」と言いますが、マクベスはダンカン王暗殺の際に「もう眠れんぞ! マクベスは眠りを殺してしまった!」という声を聞いています。この後、最悪の手段で最悪の結果であってもどうしても未来を知りたいと、予知を求めて魔女たちに会いに行き、冒頭に述べた「約束」を魔女の呼び出した幻影から聞くのです。

 これでマクベスは勇気を取り戻すのですが、一方、マクベス夫人は第5幕第1場で、錯乱した状態で登場します。手に血がついている幻影に憑かれ、手を洗い続けます。「まだここに血の臭いが。アラビア中の香水もこの小さな手をかぐわしくしてくれない」ここも暗殺の場でのマクベスの「みなぎりわたる大海原の海の水ならこの血をきれいに洗ってくれるか? いいや、この手の方が逆に、うねりにうねる大海の水を朱に染めて、あの青さを赤一色に変えてしまうだろう」という台詞と呼応しています。マクベスと夫人は一つのコインの両面のような役割と精神状態を示しながら、ストーリーを推進していくようになっているわけです。

 しかし、なぜ彼女は精神錯乱に陥ったのかという点は、明らかではありません。良心の呵責に耐えかねてというのは常識的な理解でしょうが、私が言いたいのはアランだったと思いますが、「王が死んだ。その後、王女が死んだ」というのはstoryで、「王が死んだ。悲しみのあまり王女が死んだ」というのがplotだということを言っていて、そのplotの問題として、終始冷酷かつ沈着だったマクベス夫人が唐突に錯乱状態になるのが腑に落ちないということです。もう一点、最初の魔女の予言は上述したようにマクベス夫人に手紙をわざわざ出して伝えられているのに、後の方の不死身の約束は伝えられていません。夫人が聞いていればそれを信じるにせよ、疑うにせよ、ストーリーの展開に支障を来たすからでしょう。まあ、シェークスピアの作品に関する本だけで、たぶん図書館ができるくらいあるでしょうから、私がわざわざ言うようなことは何もないのですが。

 第5幕第3場では、マクベスと医師との会話で夫人の病状が話題になり、「心の病はどうにもならぬというのか? 記憶から根深い嘆きを引き抜いて、脳裡に刻まれた苦痛を掻き落してやれんのか? 忘却を誘う甘い薬で、心に重くのしかかって胸に詰まる毒物を洗い流してやれんのか?」とマクベスは夫人を気遣いますので、これがシェークスピアとしての回答なのでしょうか。いずれにしても夫人はもう登場せず、第5幕第5場で死んだという知らせが戦陣のマクベスに届けられます。それに接して、次のような有名な台詞を独白します。



 Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow
 Creeps in this petty pace from day to day
 To the last syllable of recorded time;
 And all our yesterdays have lighted fools
 The way to dusty death. Out, out, brief candle!
 Life's but a walking shadow, a poor player
 That struts and frets his hour upon the stage
 And then is heard no more. It is a tale
 Told by an idiot, full of sound and fury,
 Signifying nothing.


 フォークナーの「響きと怒り」を始めとして、多くの詩や小説のタイトルがここから採られているそうですので、あえて原文で挙げさせていただきました。世界が崩壊していく壮大な感覚こそがシェークスピアの醍醐味だと私は思いますが、その個人を超えていると感じさせる理由の一つは、1人称単数形が使われていないことによるのでしょう。マクベスが殺され、新たに王になったマルカムがマクベス夫人が自殺だったことを告げて、この劇は終わります。

 


 

 泉鏡花:化銀杏

 

 最近、電車の中で泉鏡花の小説をほぼ年代順にぽつぽつと読んでいます。時間つぶしなのでなんでもいいんですが、今の小説に限らず、日本の近代の小説にはあんまり関心が持てないのです。マクベスのような本当の悪もないし、谷崎潤一郎を除いていい女もいないからといったところがその理由です。

 泉鏡花は全く近代的ではありません。自我もなければ心理もない。これまで読んだ1896年(明治29年)頃までの小説について言えば、作者の作った論理の下に、作者好みの場面を展開していくだけです。その論理は世間の常識とは全く違ったもので、その場面は嗜虐的で官能的なもので、結末は大抵破滅的です。こうした内容は、江戸末期以来の戯作者と大して変わらないのかもしれませんが、それでおもしろいのですから十分です。おもしろさの原因をもう一つ付け加えれば度胸のよさとでも言うべきものでしょうか。

 その一例を挙げてみましょう。「化銀杏」ではお貞という21歳の人妻と芳之助という16歳の16歳の少年の会話で、話が進みます。当時の女性は20歳になるともう年増と言われたわけですが、お貞は「二つばかり若やぎたる」と描写されています。まあ、現在なら5歳では足りず、10歳くらい上の年と想像した方が……あんまり何にも言わない方が無難ですかw。それで二人の会話ですが、芳之助はお貞の髪型が銀杏返しなら姉さんだけれど、丸髷なら奥さんだと言うのです。もちろんお貞は姉さんと呼んでほしいので銀杏返しにしたいが、旦那が承知しない。その辺から夫とうまくいっていないことや少年も彼を嫌っていることが明らかになってきます。

 芳之助は、銀杏返しに結っていた実の姉がその亭主に虐められ、入水してしまったことを語ります。その上で、お貞も旦那に虐められているのだろうと訊きますが、そうではないと言い、結婚に至る経緯を話します。両親と死に別れ、生き別れして、病気の祖父と二人暮しとなって、それでは不安だろうということで14歳のときに29歳の時彦とくっつけられたことや単身上京したものの病気になって妻のもとに帰ってきたこと、どうしても夫になつかなかった幼くして死んだ娘のことなどが語られますが、要は相性が悪いというか、夫は彼女に非常な愛情を抱いているにもかかわらず、お貞には旦那の悪い面、滑稽な面ばかり見えてしまうことがわかってきます。そういった気持ちのすれ違いの中で、芳之助と姉弟分になった、だから銀杏返しに結っているなどと言うものですから、夫の時彦には他人で姉弟というものがあるかと言われてしまいます。夫の言い分の方が「世間の常識」にかなっていると思いますが、お貞は「芳さん、たとい芳さんを抱いて寝たからたッて、二人さえ潔白なら、それで可いじゃあないか、旦那が何と言ったって、私ゃちっとも構やしないわ」などとさえ言います。

 そういったお貞の真情の吐露に対し、芳之助は陰弁慶(内弁慶)だと笑います。旦那の前ではおどおどして、おびえきっているではないか、嫁に来たばかりのように旦那様を大事にする貞女の鑑だと周りから言われているではないかというわけです。それに対する彼女の答えからが鏡花らしくなってくるのですが、自分がおびえているのは、いつも夫が死ねばいいと思っていて、それを人に見つかりやしまいかと思うから怖いのだと言うのです。「一人でものを考えてる時は、頭の中で、ぐるぐるぐるぐる、(死ねば可い)という、鬼か、蛇か、何ともいわれないこわいものが、私の眼にも見えるように、眼前に駈け回っている」のだと。そして、そのせいなのかどうか夫の病状が日に日に悪くなってきて、「次第に弱って行く様子、こりゃ思いが届くのかと考えると、私ゃもう居ても起っても堪らない」そこに当の時彦が帰ってきます。

 その日から、寝込んでしまった夫を献身的に看病するお貞。ある夜、夫は妻に茶断ち、塩断ちをしている理由を尋ねます。しかし、やつれ果てながら彼女はそれを告げることができません。夫の平癒を願っていると言うことは良心が許さないのです。ところが夫は「茶断、塩断までしてくれるのに、吾はなぜ早く死なんのかな」と言います。自分の内心が知られていたことに驚くお貞に、夫はやわらかに言います。「何、そう驚くにゃ及ばない。昨日今日にはじまったことではないが、お貞、お前は思ったより遙に恐ろしい女だな」と言い、殺したいというなら自分の生命を捨ててのことで同情の余地もあるが、死んでくれればいいというのは後の楽しみを追うもので人殺しよりひどいという論理を展開します。続けて長口舌を時彦は繰り広げますが、要はお貞が幸福になることは決して許さない、離縁して薄情な嫁であることを世間に明らかにするか、自分を殺すかのどちらかを選べということです。これが理屈としても、常識から言っても通るものではなく、強引な論法であることは明らかですが、「お前の念(おも)いで死なないうちに、……吾を殺せ」という言葉にはお貞の日頃からの秘めた願いに呼応するものがあったのです。

 まもなく死んでいく者の世迷言に付き合わず、放っておいて夫の死を待って、自由の身となり、芳之助と一緒になるのが賢明なのですが、そんな計算ずくの女は美しくも、艶っぽくもなく、鏡花のヒロインにはなれないのです。したがって、お貞は夫を殺してしまうのですが、私がこの作品を紹介しようと思った最大の理由はその話の運び方です。少し長くなりますが、引用しましょう。わかりやすいように少し漢字などを置き換えています。

「殺します、旦那、私はもう……」
 とわッとばかりに泣出しざま、擲たれたらんかのごとく、障子とともに倒れ出でて、衝(つ)と行き、勝手許の闇を探りて、彼[お貞のこと]は得物を手にしたり。
 時彦ははじめのごとく顔の半ばに夜具を被(かつ)ぎ、仰向けに寝て天井を眺めたるまま、此方を見向かんともなさずして、いとも静に、冷かに、着物の袖も動かさざりき。
 諸君、他日もし北陸に旅行して、ついでありて金沢を過(よぎ)りたまわん時、好事の方々心あらば通りがかりの市人に就きて、化銀杏の旅店? と問われよ。老となく、少となく、皆直ちに首肯して、その道筋を教え申さむ。すなわち行きて一泊して、就褥の後に御注意あれ。

 どうですか? クライマックスの殺害現場が描かれるかと思った瞬間、何の断りもなく場面も時間も語り口も一変して、後日談になってしまうのです。その中で、お貞が犯行後発狂して、旅館の一室に銀杏返しを結った姿で幽閉されていることが語られますが、その哀れさや無念さはこの場面転換の鮮やかさによって、一層強く印象づけられます。一体に鏡花の小説はお芝居を見るような感じがあって、ここも暗転して舞台が変わったという趣きですが、それにしても単に段落を変えただけで、章の切れ目も1行の空白も「……」すらないのには、鏡花の自らの筆力に対する自信が漲っていると感じさせます。この度胸のよさが古臭いと言われないようびくびくしている近代的な小説には見られないものなのです。

 

 



 上田秋成:春雨物語


 上田秋成と言えば『菊花の約』や『浅茅が宿』を収めた「雨月物語」で有名ですが、晩年に書かれた「春雨物語」もいろいろなことを考えさせてくれる作品です。一般には「雨月物語」は怪談集と理解されているのかもしれませんが、原文を読むと怖がらせようとしているのではなく、非現実的な怪異などから教訓を導き出そうとしているように思えます。“近代的な文学観”からすると教訓などというものは時代遅れで、人間の心理や情念を描くのが正しいとか、幻想を幻想として描くのが芸術の本道だとかいうことになっていそうで、秋成の作品もその見地から価値判断がなされてきたように思います。ところが、そういう見方からすると「春雨物語」は明らかに後退していて、文芸的なもの以外の要素が多くなっています。

 例えば「雨月物語」の世界に最も近い『目ひとつの神』を採り上げてみましょう。これは相模の国に住んでいた若者が和歌の道に熱中するあまり、京を目指して旅をする途中の話です。近江の国の山中で一夜を過ごすことになり、小さな壊れかけた社の近くに落ち着きますが、心細く怖いような気分になってきます。すると天狗のような神主や宮中女官の格好をした狐などなど、妖しい行列がやって来ます。神主が社の前で祝詞を挙げると「神殿の戸荒らかに開け放ちていづるを見れば、かしら髪面に生ひ乱れて、目ひとつ輝き、口は耳の根まで切れたるに、鼻はありやなし」と目ひとつの神が現われます。この異形の神の眷属は国中を自由に行き来しているらしく、筑紫や松江、都や関東の話が次々と出てきます。

 それを見ていた若者が「恐ろしさに、笠打ち被き寝たる様して、いかに成るべき命ぞと、心も空にてある」となっているのをよそに、酒宴が始まります。猿と兎が大きな酒甕を棒でかつぎ、運んできますが、よろよろするので神主が早くしろと言うと「肩が弱いので」とかしこまります。酒のやりとりがあって神を始めご機嫌になったところで、突然若者が呼ばれます。松の木の根元にいたことも、寝たふりをしていたのもお見通しで、酒の相手をさせられます。飲めと言われ、飲まないとどうなるかと思って、あまり好きでもないのに飲み干しますと、これまたいきなり『汝は、都に出でて、物学ばんとや。事遅れたり』と旅の目的も見抜いた上で、歌は人に教わるものではなく自ら努力していく他はない、故郷に帰れと諭されます。

 そうした忠告に素直に従い、若者が故郷に帰ることを決心すると、神は扇を持って「わかき男を空にあふぎ上ぐる。猿と兎は、手打ちて笑ふ笑ふ。木末に至りて、待ちとりて、山伏は飛び立つこの男を脇にはさみて、飛びかけり行く。法師は『あの男よ、あの男よ』とて笑ふ」

 いかがでしょうか。異界の者どものいきいきとした描写力、話の運び方、語り口に秋成の手腕が遺憾なく発揮されている好例だと思いますが、晩年に彼が片目を失明したことを考え合わせると、目ひとつの神は作者の分身であり、この一篇が目ひとつの神が言う、「すべて芸技は、よき人のいとまにもてあそぶ事にて、つたへありとは云はず。……まいて文書き歌よむ事の、己が心より思ひ得たらんに、いかで教へのままならんや」といった彼の主張を訴えるためのものと考えていいでしょう。

 でも、それを文芸としての興趣を削ぐものと考える必要は全くないと私は思います。例えば先の主張を「おまえたちは森や自然を破壊するが、それによって生かされていることをとくと心得よ」なんていう主張に変えれば納得してしまう人が多いかもしれませんが、それは現代の暗黙の了解事項、要は常識に乗っているだけのことです。しかし、秋成の偏狭な生き方を見るにつけ、私は常識に乗っかっている限り、後世に残るような文芸を作り出すことはできないだろうと頑なに思っています。

 

 


 

 織田作之助:夫婦善哉

 

  大阪生まれの人間にとっては非常に有名なこの小説も実際にはあまり読まれていないような気がします。芸者の蝶子と化粧品問屋の跡取り息子の柳吉との悪縁としか言いようのない関係を軸に、大阪の猥雑な風俗がテンポのいい文章で次から次へと紹介されていきます。なかでも多くの食べ物が出てくるところが大阪市内に生まれた織田作の面目躍如たるものがあります。

 高津の湯豆腐、戎橋筋そごう横「しる市」のどじょう汁、皮鯨(ころ)汁、道頓堀相合橋東詰「いづもや」のまむし(うなぎのことですので、念のため)、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁丹吾亭」(すごい名前ですが)の関東煮、千日前常盤座横「寿司捨」の鉄火巻と鯛の皮の酢味噌、その向い「だるまや」のかやく飯と粕汁、夜店のドテ焼、粕饅頭、何より自由軒のライスカレーや法善寺横丁の夫婦善哉などなど、他地方の方には全く無縁なものでしょうし、私自身行ったことのない店ばかりですが、なぜか懐かしい気になります。

 こうした下賎と言えば下賎、だからこそうまいものをこよなく愛する柳吉は、全く頼りのない“あかんたれ”で、蝶子に入れあげたせいで親から見放され、廃嫡されてしまい、その後も何をやっても中途半端なのです。蝶子は色気はあるし、商才はある、しっかり者で柳吉をとことん支えます。大阪のみならず人情物のお芝居によく出てくるような二人ですが、それはおそらく逆で、この大して長くない作品が一つの典型を作り上げたのでしょう。つまり、大して読まれていなくてもこの作品の世界はよく知られているのです。

 しかし、この作品が昭和15年、作者27歳の時のものだと知ると、一驚を禁じえません。戦争の陰は微塵もなく、商売に行き詰ったときのしのぎ方など、“若いのに、ようもこんな世間の裏のこと知ったはるわ”と嘆賞してしまいました。たぶんこの俗世間への通暁ぶりと徹底した描写は、元々知っていたことを書いただけとか、リアルに見せるための取材の賜物とかいったこととは違うでしょう。そのモメンタムは、死の前年の33歳の時に書いた「可能性の文学」に見られる志賀直哉とそのエピゴーネンどもの書く身辺小説、心境小説、私小説の類(少なくとも当時の文壇の主流)への執拗とも言える憎悪の念であり、スタンダールの「赤と黒」への感動から小説を書き始めた彼の小説というものへの可能性の挑戦だったのでしょう。ちなみに志賀は今も「小説の神様」なんて言われたりしますが、ジュリアン・ソレルを「なんだ、ただのならず者じゃないか」とか言ったそうですし、戦後の自信喪失の中で(フランス語も知らないのに)フランス語を国語にせよなどと無知蒙昧なことを論じたそうです。

 それはさておき、この「可能性の文学」は、坂田三吉の差した第一手に端歩を突いた「阿呆の将棋」から始まっていて、「夫婦善哉」が端歩を突いた、文壇の定跡を破ろうとしたものだということが、すがすがしい自己反省とともにさりげなく述べられています。銀座のルパンに太宰治、坂口安吾とともに集ったエピソードも触れられています。無頼派などと呼ばれて何か軽く見られたり、大人が読むものじゃないように見られがちな彼らですが、少なくとも失敗や顰蹙を恐れたりはしなかった蛮勇は認めていいと思います。何よりも私小説から離れて、小説を小説として作者から自立したものとするよう悪戦苦闘していたのであって、彼らの人生から作品を解釈するのはもういい加減にしてやったらどうかと思うのです。

 

 


 

 鈴木道彦:プルーストを読む

 

  プルーストの「失われた時を求めて」は20世紀を代表する小説であり、現代文学を切り拓いたものと評価されていて、紅茶に浸したマドレーヌの味から失われていた思い出が蘇えり、お話が始まっていくエピソードはあまりにも有名です。しかし、その長さも相当なもので活字がびっしりと並んだ原書でも15冊に及ぶそうです。私も何回か読み始めましたが、そのうねうねと続く独り言のような内容と原文に合わせようと訳者が努力したのか、一文一文がやたら長くて、読んでいるうちにすぐに寝てしまうのでした。……まあ、そうやって投げ出してしまった本はけっこう多いんですが。

 それで、いつかまたトライするときの助けになるかなと思い、全訳を行った著者が新書で解説したこの本を読みました。それで「なるほど。『失われた時を求めて』ってこんなにおもしろいんだ。プルーストってやっぱりすごいな」ってことになればハッピーなんですが、正直に言うとこの本に書かれている限りでは(あくまでこの新書を読んでということですよ)、しょーもない小説だなとしか思えませんでした。困ったもんです。もちろん私が。

 なぜそんなふうに思ったかを書きましょう。まずこの小説は眠りに落ちていく際の不安定な意識についての記述で始まります。それは確かに著者が言っているように誰でも覚えがあるにもかかわらず、誰もそれまで書いたことのなかった心の状態なんだろうと思います。「それ(理性あるいは起きているという意識)はわけのわからないものになり始める――転生の後では前世で考えたことがわからなくなるように」という文章にはちょっとだけ感心しました。でも、この前後に引用されているだけでも延々と12行もそういう状態が描写されていては、こっちの方が先に眠ってしまいます。著者はフロイトの「夢の解釈」やジョイスの「内的独白」や果てはシュルレアリスムまで持ち出して、意識や夢について描写したことの先見性を指摘します。これと同じ文脈でさっき挙げたマドレーヌのエピソードも理解できるでしょう。つまり思い出そうと努力してではなく、向こうの方からやってくる記憶、ふいに広がり快感と喜びをもたらすものだというわけです。……

 でもねえ、これは著者も同じようなことを言ってますが、そういう内面にずぶずぶ果てしなく入っていくような小説が小説をやせさせ、玄人しか読めないようなものにしてしまったんじゃないですか? ショスタコーヴィッチの第9シンフォニーの記事で書いた20世紀の無調の音楽と同じように。……私はフランスの小説がいちばんいいとも思っていませんが、近代小説と言うとどうもフランスが主流のように理解されているような気がします。もしそうだとしたら、人間の行動も心理もあますことなく分析し、描こうとしたバルザックが偉大で、それをフローベルやスタンダールが心理的側面に傾いて衰弱していき、プルーストが止めを刺した、その衰亡がローマ帝国のようにおもしろいからじゃないのって皮肉に思っています。

 さて、この小説は何も内面の独り言ばかり書いているわけではありません。貴族やブルジョワのサロンを中心とした風俗も描かれていて、それはエスプリとスノビスムという言葉で集約されるもののようです。こういう描写こそ、バルザックを頂点とするフランス小説が最も得意とするものですが……まあ、大したものではありません。例えばごちそうを十分出さないので有名な貴婦人がゲルマント公爵夫人を招いて「ブーシェも7つ用意しています」と言ったのに対し、公爵夫人は「じゃあ、お客様が少なくとも8人はいるのね」と皮肉ったといったもので、こんなのでフランスの大貴族のエスプリが表現できているとしたら、フランスも落ちたものです。

 これに比べるとスノビスムの方の描写はもうちょっと気がきいているようです。例えば大金持ちの婦人と並んで歩いている成り上がり者が旧知のさほど財産のない「私たち」に会って、1回目は知らんぷりしたものの、2回目は目の端でかすかに合図したといったものです。ただその様子を「相変わらずそばの婦人に話しかけながら、その青い目の端の方で私たちにかすかな合図をしたが、それはいわば瞼の内側で行われ、顔の筋肉とはかかわりがなかったので、話し相手の婦人には全く気づかれずにすんだ」というふうに描写されても、瞼や顔の筋肉を持ち出して分析的に書くことがさほど効果を挙げておらず、かえってスノビスムへの皮肉を弱めているように感じます。簡単に言ってしまえば、こういった俗物どもの描写は、バルザックの方が何倍も気がきいていて、しかも毒があります。著者はドレフュス事件などをめぐるユダヤ人やプルースト自身がそうだった同性愛者といった、社会的な言わば辺境に置かれた人々を採り上げたことを評価しているようですが、それだけでは説得力はありません。

 最後に著者は次のような一節を引用しながら、この小説における芸術の問題を採り上げます。「芸術は存在する、という仮説に身を委ねたとき、私には、音楽の伝えうるものが、よい天気だとかアヘンを吸った一夜のような単純な喜び以上のもの、少なくとも私の予感によれば、もっと現実的で豊かな陶酔であるようにすら思われた」のであり、美しい音楽の一節以上に「この作品の冒頭で一杯の紅茶を飲んだとき、そういったときに感じた快楽に似通ったものはなかったのである」とし、冒頭を回顧します。

 さらに「真の生、ついに見出され明らかにされた生、したがって十全に生きられた唯一の生、これこそ文学である」どうもプルーストは芸術を実際の人生よりも上に置く、いわゆる芸術至上主義の立場を取っており、それがこの小説の出発点であり、終着点であるようです。でも、それって芸術家の思い上がりにすぎませんね。小説家や音楽家がそういうふうに思うのは勝手ですし、優れた芸術に触れた者がそう感じるのはある意味自然で、ありふれた経験だと言ってもいいでしょうけど、それを自分で作品の中で書いちゃいけません。分をわきまえない振る舞いです。そういう意味で20世紀を代表する自意識過剰の文芸なのかもしれません。

 私はバッハがそうであったように芸術家なんて、せいぜい主人に仕える料理人みたいなものだと古臭く思っているので、そういう喩えを使うんですが、シェフでもコックでもいいんですが、料理人が「私の作る料理を味わうことこそがあんたたちのあくせくした人生よりずっと貴重で、真実の経験なんだ」って言ったら、どう思います?「つべこべ言ってないでもっとうまいものを作れ」って私なら言いますね。音楽家ならバッハを、小説家ならとりあえずバルザックを質、量ともに超えてからにしてもらいたいもんです。

 

 


 

 石丸晶子:式子内親王伝〜面影びとは法然

 

 この本のテーマは副題のとおりで、新古今集時代の天才歌人、式子内親王が後白河法皇の第3皇女として生まれ、斎院(賀茂神社に天皇の名代として仕える身分)として、身分は高いけれど恋愛からも結婚からも遠ざけられながら、専修念仏を称えた法然を永年慕っていたというものです。

 彼女が残した多くの忍ぶ恋の歌については、その対象がいるのか、いないのかがいろいろ憶測の的になっていたようで、古くは藤原定家を相手として考えた謡曲「定家」があります。法然については、彼が残した「聖如房」という女性からの手紙(これ自体は残っていません)への返書が残されていて、この女性がほぼ式子内親王だとされているようです。かなり長文の手紙なのですが、死の床にいた彼女が訪問を請うたのに対し、弥陀の本願にすがり、念仏を称えさえすれば極楽浄土において再び会うことができるのだからと諭し、仏の国の蓮の上で、過去の因縁や未来世のこともこもごも語り合おうというものです。

 すなわち、手紙が伝える意味としては「かつての恋人としては行きたいのは山々だが、僧として会うことはあなたの往生の妨げになる」ということでしょうし、内容は「従来の仏教に従う僧侶どもはあなたが往生できないなどとけしからんことを言うが、阿弥陀仏をひたすら信じて念仏を称えさえすれば誰でもただちに浄土に行けるのだ」といった宗教的なメッセージが大部分を占めています。この手紙だけで、著者は永年、式子内親王が法然を慕っていたと断定し、この本を書いちゃったんですが、まあいい度胸だなって思いました。正直言ってw。だって、式子内親王の和歌の多くが法然への想いを歌ったものだと無理やり結びつけられていますから。例えば次の一首です。

  生きてよも 明日まで人は つらからじ
  この夕暮れを とはばとへかし

 これを法然の返書の内容にある臨終の際に詠んだものと解し、著者は「あなたよ、いらっしてください。わたくしはもう死ぬでしょう。訪ねてくださるのは今日の夕暮れしかないのです。死ぬ前に一度、どうかいらっしてください」と現代語訳(?)を書き記します。こんなのはまだいい方で、著者の想像力が全開すると次のようになります。

  沖深み 釣りする海人(あま)の 漁り火の
  ほのかに見てぞ 思ひ初めてし

 この漁り火で魚を集める様子を従来の仏教から見捨てられて来た庶民を集める法然の姿に重ね合わせ、尼=海女という掛詞があるから僧=海人も成り立つとし、初めて彼に会って惹きつけられたことを歌ったものだと言います。はあ。

 著者の主張には、まず何の学問的な裏づけもありません。著者は一応学者のようですけど、私が指導教官なら例えば僧=海人とみなせるような同時期の他の用例を探しなさいと言いますね。学問というのは地味でつまんないものです。話が脇道にそれますが、ちょっと前に千載和歌集について、国文学研究資料館が大学院生を対象に行ったセミナーを本にまとめたものを読みましたが、その内容は写本の系譜の整理から始まって、かなりの分量が文献批判(テクスト・クリティーク)に割かれています。そういう事実の積み重ねで現われてくる歌集の全体像は非常におもしろいものがありました。ただ、個々の歌になると最後は読む側の感覚の冴えが問われるのですが、そういう面では物足りませんでした。具体例は示しませんが、これで院生向けの講義になるなら国文学のレヴェルも大したことないなって思いました。正直言ってw。

 この感覚の面でも著者はさらにダメですね。それはさっき引用した現代語訳ふうのだらけた文章でもわかると思うんですが、原因のようなものを挙げると著者が式子内親王をまるで正岡子規に始まるアララギ派の歌人と勘違いしているからでしょう。つまり詩人は自分の経験や実感をそのまま書く(写生ですね)ものだというスタンスで見てるのだろうと。式子内親王の歌は定家と違ってそういうふうに解しやすいものであるとは思いますが、それははっきり言ってしまえば一面的と言うか、自分の程度の低い芸術観で見ているとしか言いようがありません。

 出発点が自分の体験であっても、ひとたび歌にする以上、言葉として工夫を凝らし、イメージの射程を測りに測り、フィクションとしての作品に仕上げるのが芸術家というものです。つまり私は法然が彼女の想いの対象であっても、なくてもどっちでもいいんです。だいいち肝心の法然の手紙の原文すら載せてないし。……すごくわかりやすく言うと「本当にあった泣ける話」がいちばんいいと思っている人は、芸術とは無関係です。この考えに異論のある人はこれ以上、読まない方がお互いのためです。

 見たこともない白河の春を秋に詠むといったことを古今集時代以降行ってきて、ほぼ新古今集の頃に様々な修辞技法と複雑な感情表現は頂点に達したと思いますが、それは何より狭い貴族社会でお互いが高いレヴェルでの鑑賞眼と批判力を持っていたことによるので、明治以降の我が国の歌壇、文壇のような権威主義的な生ぬるいものとは訳が違います。そうした中途半端なリアリズムの見方に甘ったるいセンチメンタリズムの感想をのっけたこの本は、カルチャーセンターで、和歌の読み方も知らないヒマを持て余したけっこうなご身分な方たちに聞かせるような感じです。

 でも、私だって別に学問として和歌をどこかで習ったわけでもなく、自分で勝手に読んでいるだけですから、偉そうなことを言う根拠はありません。……これも少し前に反アララギ派の歌人の塚本邦雄が新古今集について講義をしたのを本にまとめたのを読んだんですが、その中にかなりの数の式子内親王の歌が載っていました。ちなみに塚本は式子内親王の歌は言わば想像のヴァーチャルな恋愛で、それだけにおそろしいのだと言っていますが、私もこちらの方が賛成です。それはともかく、とてもいい作品が多いので、図書館に返す前に気に入ったものを書き抜いておきました。今回の本にはもちろん多くの式子内親王の作品が載っていますが、これを見てみるとなんと次の二首しか私の抜き書きには含まれていません。

  日に千たび 心は谷に 投げ果てて
  有るにもあらず 過ぐるわが身は

  我が恋は 知る人もなし 堰く床の
  涙もらすな つげの小枕

 そして、次の六首が塚本の撰に私が共感し、著者が一顧だに与えなかったものです。

  花は散りて その色となく ながむれば
  むなしき空に 春雨ぞふる

  かへりこぬ 昔を今と 思ひねの
  夢の枕に 匂ふたち花

  跡もなき 庭の浅茅に 結ぼほれ
  露の底なる 松虫の声

  ながめ侘びぬ 秋より外の 宿もがな
  野にも山にも 月ややすむらん

  荒れ暮らす 冬の空かな かき曇り
  霙横ぎる 風きほひつつ

  夢にても 見ゆらんものを 歎きつつ
  うちぬる宵の 袖の気色は



 まあ、著者がわからないのも当然のような歌ばかりですが、これで代表的な現代歌人と自分との接点が多いからと権威づけるつもりはさらさらありません。塚本は後鳥羽上皇を繰り返しほめ上げますが、私には全然ピンと来なかったし。ただこれらの歌こそが定家らと共通する新古今和歌集の精髄であり、さっきのような主張の根拠なのです。

  


 

  ポオ:作詩の哲学または構成原理あるいは作曲のコツ

 

 

 エドガー・アラン・ポオに“The Philosophy of Composition”という文章があって、ふつうは「詩の原理」とか「詩作の哲理」と訳されているんだろうと思います。内容は、自分の代表作である「The Raven 大鴉」という詩をなんのインスピレーションにも頼ることなく、論理的に構成(compose)したことを明確に示したもので、推理小説の創始者である彼らしい文章です。私は中学生の頃、この文章があることを知って、どうしても読みたくなって探し回って買ったことがあります。

 その内容ですが、まず詩にはリフレインが大事だということで、最も音の響きが印象的な言葉として“never more”が選ばれます。まあ、粘っとして、もあっとしてるからそうなのかなというくらいしか日本人にはわかりません。次にこの言葉が何度も出てくるための必然性があるのは、オウムとかそういった鳥に言わせることだと。で、そういう鳥の中でも音の響きで選ばれたのが“raven”というわけです。これまた日本人には苦手な発音がてんこ盛りですね。こういう調子でかなり長い詩がどうやってできたか、逐一説明されていきますが、とても純情だった中学生の私は「すごいなあ。カッコいいな」と思う反面、「ホンマかいな。後づけの説明ちゃうんか」という気もしました。

 で、幾星霜流れて、突然去年から詩をやたら書くようになって、時々ポオの文章のことを思い出します。感情や感覚ではなく、論理的に書くという姿勢はとても大事で、実際上(詩には実際的な価値なんかありませんけど)役立ちます。言葉の響きを大切にするというのも全くそのとおりで、それを無視したものは詩ではないですしょう。いえ、誰かのがそうだというつもりはないんですが。何よりインスピレーションがなくても詩は書けるんだというのは、私のような人間にはとても勇気をくれます。ネヴァ・モア……

 それはそうとして、ポオの詩とこの文章は、詩は音楽だと言った(かな?w)ボードレールやマラルメらのフランス象徴派の詩人たちに大きな影響を与えたそうですが、私は実際には高級な冗談だったような気がしています。少なくとも大上段に詩の原理を開陳したものではないように思います。証拠があるわけではないですし、中学生のとき以来ン十年読んでないんですが、彼は「家具の哲学」というのも書いていて、それはどうも勿体ぶったギャグのように読めますから。つまり大げさなタイトルを掲げて、とても論理的な説明をマジメにやってはいるもののにやにや笑っている顔が見えそうな気がするんです。詩を作るってそんなに神秘的なもんじゃないよと手品のタネ明かしをしているような感じかなと。“Philosophy”なんてたぶん英語でも気取った感じの言葉なんだろうと思います。“Composition”は詩を作る、構成することを意味しているんでしょうが、「作詩の哲学」じゃあなんか座りが悪いからいろんな訳があるんでしょうね。それで、私のこの文章のタイトルもいろいろ並べてみましたw。