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 与謝蕪村:春風馬堤曲

 無門関

 荘子・応帝王篇第七より

 


 

  与謝蕪村:春風馬堤曲

 

  まず、次の二つの詩をご覧いただいて、作られた時代と、できればその作者を当ててみてください。

 A

 愁ひ来て
 丘にのぼれば
 名も知らぬ鳥
 啄めり
 赤き茨の実

 B

 君あしたに去りぬ夕べの心千々に
 何ぞはるかなる
 君を思ふて岡の辺に行きつ遊ぶ
 岡の辺なんぞかく悲しき


 そのロマンティックな詩情において通じ合うところが感じられますし、表現方法においても口語に近い文語で、さほど時代の違いはないと感じられるのではないでしょうか。

 しかし、Aは明治時代、石川啄木の「一握の砂」(1910年)に収められたものですが、Bは江戸時代、与謝蕪村の「北寿老仙をいたむ」(1745年)の冒頭の一節です。蕪村のこの詩の感情と表現の新しさは驚異的で、ヨーロッパの音楽で言えばバッハの時代に表現主義や12音技法をやっていたようなものです。萩原朔太郎は「郷愁の詩人 与謝蕪村」(1936年)において、直接自身につながる先駆者として蕪村を論じています。

 今回ご紹介する「春風馬堤曲」は俳句、漢詩、散文が混じった特異な形式をもっている点で、より現代的です。これを書くに当たって、萩原朔太郎の本、ドナルド・キーンの「日本文学の歴史8」、小西甚一の「日本文芸史5」を参考にしましたが、特に小西先生の見解に大幅に依拠しています。高校生のときに名参考書「古文研究法」でお世話になって以来ですが、今年の初めから大著「日本文芸史」(第5巻だけで千ページを超えます)を通読して、学校で習った文学史や通常の文学史的理解がほんの一面しか捉えていないことがわかり、久しぶりにものの見方が覆される快感を存分に味わいました。私がこのシリーズで、通常の「文学」ではなく、「文芸」という語を用いている理由もここにあります。

 では、小西先生をして日本文芸史上、「空前であると同時に、たぶん絶後でもあろう。そして、欧米においても、この類の詩は皆無でなかろうか」と言わしめた作品を見ていきましょう。漢文で書かれた序文では、蕪村が大阪の奉公先から故郷に帰る少女と淀川の毛馬の堤で出会い、一緒に歩いた経験を元に、彼女の視点で構成されていることが説明されています。彼女は3年の都会暮らしですっかり垢抜けて、なまめかしいながら、心映えは可憐であると描写されています。こうした少女と俳人らしき老人の道行きがお芝居仕立てで語られるわけで、主情を押し立てていく啄木とは凝り方が違います。

 ○ やぶ入りや浪花を出でて長柄川

 ○ 春風や堤長うして家遠し

 ○ 堤ヨリ下テ摘芳草 荊与棘塞路(芹を摘んでいたら、茨が邪魔するの)
   荊棘何妬情 裂裾且傷股(裾が裂けて太腿に傷が……いやらしいやつね)

 情景説明的な句が二つ前置きされて、土手で芹を摘む少女が描写されます。草を摘むあどけなさと成熟しかかった肢体、昔も今も男ってそういうのが好きなんですね。イエローキャブは永遠に不滅wですが、そうしたエロスが少女の視点でしかも漢詩(平仄などは考慮されていないでしょうが)の部分で語られることによって、彼女を見る老人の視線も巧みに隠されています。荊棘の文字が2回出てくることで、やわらかい太腿を傷つけるトゲトゲした感じが強調されています。

 ○ 渓流石点々 踏石撮香芹(流れの中の石を踏んでいけば、芹が取れるわ)
   多謝水上石 教儂不沾裾(ありがとね。裾が濡れないもの)

 前の個所と対照的に、彼女を見守る老人が踏んでいく石を教えてあげている情景が浮かびます。石の文字が五言の中で位置を変えながら3回出てくることで、「石点々」が視覚的にも印象付けられるわけです。

 ○ 一軒の茶見世の柳老いにけり

 ○ 茶店の老婆子儂を見て慇懃に
   無恙を賀し且儂が春衣を美(ホム)

 3年ぶりの無事を喜ぶ茶店の老婆も、そこの柳も都会になじんだ彼女からは古ぼけ、老いぼれて見えます。それは老人の内心の述懐でもあるでしょう。それに対し、桜でもあしらった着物があでやかで、時の流れが浮かび上がります。

 ○ 店中有二客 能解江南語(お店に二人連れのお客はん、島之内の言葉よう知ってはる)
   酒銭擲三緡 迎我譲榻去(酒手に三十文くれて、床几に座りぃゆうて行きはった)

 ここで、彼女が色街の女性で、客あしらいもどうして大したものであることが暗示されています。「江南」がそうした意味とは、あきれられたかも知れませんが、こういった文人趣味は永井荷風までは受け継がれてきたのです。船場あたりの本物の大阪弁はよくわからないのですが、上のように訳してみました。
 茶店周りでのやり取りを経て、場面が変わっていきます。

 

 

 


 

 全18節中の8節目からです。

○ 古駅三両家猫児妻を呼ぶ 妻来たらず
○ 呼雛籬外鶏 籬外草満地(親鶏が垣根の外から雛を呼ぶの。垣根の外は草でいっぱい)
  雛飛欲越籬 籬高堕三四(雛は越えようとするの、垣根を。でも、垣根が高くて落ちるの、3回も4回も)

 まず、漢詩の方ですが、これは親元に早く帰りたいのに思うにまかせない少女の心象風景であり、後述するような理由で雛は夢の中の彼女自身の姿なのでしょう。籬の文字が各句に繰り返し現われ、垣根によって隔絶されていることが音読みしただけでも伝わりますし、この文字の句での位置の変化が雛=少女にとっての心理的な高さを表しています。こうした音楽的、絵画的な配慮のあることは、原文(白文)のままの方が書き下し分よりよくわかります。

 その前の古駅で始まる一節は、茶店の点景とこの漢詩をつなぐだけのように見えますし、表現も漢文の書き下し文のようですが、不思議な印象があります。古い宿場町をさかりのついた猫が雌を求めて、向こう三軒両隣をうろつきながら、ぎゃあぎゃあと赤ん坊のような声をあげるけれど、空しかったという内容と特に「猫児妻を呼ぶ」という表現は、老人が少女に想いを寄せるというこの詩全体の隠された、倒錯したモチーフと無関係ではないように思います。

 少女は色街の女ではありますが、親を慕うふつうの少女に戻りつつあったので断念していた欲望が茶店の客とのやり取りで呼び戻されたとも取れます。……五言絶句を言いかけて和文に崩れ、言いさしたままの半終止のような形は、猫の鳴き声を聴きながら眠ってしまった少女の寝姿に寄り添うように思えるのです。

 ○ 春草路三叉 中に捷径あり 我を迎ふ

 ○ たんぽぽ花咲けり 三々五々 五々は黄に
   三々は白し 記得す 去年此の路よりす

 ○ 憐れみとる蒲公茎短くして乳を浥(アマセリ)

 ○ むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
   慈母の懐袍別に春あり

 夢の中の物語のように少女は、春の野で三叉路に出会い、真ん中のたんぽぽの道がこっちだよと言ってくれます。まるで「オズの魔法使い」のyellow brick roadのように。「五々は黄に 三々は白し」、「むかしむかし」という表現もおとぎ話ふうです。たんぽぽの花からくみ取るイメージは、現代の我々となんにも変わりません。

 やさしく折り取ったたんぽぽの茎から乳汁があふれ出ます。それが暖かい母の胸を連想させ、過去を蘇らせます。プルーストのマドレーヌのように。……「茎短くして乳を浥」なぜ短いのかと言えばそれは少女の乳房のイメージも重ねられているからです。こうしたことは写生一辺倒の正岡子規などには理解できないことでしょう。サンボリスムを学んだ萩原朔太郎の方がまだしもわかったのは当然で、それほど蕪村は「新しい」のです。

 ○ 春あり成長して浪花にあり
   梅は白し浪花橋辺財主の家
   春情まなび得たり浪花風流(ブリ)
 ○ 郷を辞し弟に敗(ソム)く身三春
   本を忘れ末を取る接木の梅

 この個所では、大阪に奉公に出た日々が回想されます。前半は華やかな生活が「浪花」の文字が各行に登場することで強調され(浪花橋は「らうくわけう」で音の変化もつけられています)、後半は故郷を忘れがちであったことが言わば短調で語られ、それを梅がつないでいるという趣向です。ただ苦界に身を落としたことを嘆くという気配は後半でも淡いもので、あどけない少女の述懐である以上、そうであるはずです。援交する高校生と年齢も意識もあまり変わらないでしょう。

 ○ 故郷春深し行々て又行々
   楊柳長堤道漸くくだれり

 ○ 嬌首はじめて見る故園の家黄昏
   戸に倚る白髪の人 弟を抱き我を
   待つ 春又春

 いよいよ大詰めですが、前半では典型的な蕪村の風景の中で夢からようやく覚めて、故郷への道をたどり始めたことが語られます。その足並みは、行の末尾が「ゆきゆきてまたゆきゆく」「やうやくくだれり」とY音とK音が多いことからもLargoであると察せられます。やさしく揺れる柳はそういう情景にふさわしいものです。

 これに対し、後半は「黄昏/戸に倚る」、「我を/待つ」と行をまたぐ技法が使われていることから、母親の顔が見えて、気持ちが急き、足元がもつれるような調子になっています。故郷に帰ったのに「嬌首はじめて見る」とは、花街の嬌態を身につけてからは初めてと解すればいいのでしょうか。いずれにしても白髪の母親と対照をなしており、これがさらに「黄昏」(「くわうこん」で「故園」と韻を踏みます)とも対照をなして、遠くたんぽぽと位置までそろえて響き合うのは、お見事としか言いようがありません。

 「春又春」は芝居ならちょーんと拍子木が鳴って、幕が引かれるところでしょう。

 ○ 君不見故人太祇が句
   薮入の寝るやひとりの親の側

 幕の前に老人が出てきて初めて台詞を吐きます。「君見ずや……」と。この個所があることによって、旅の随伴者に過ぎなかった老人の視点から読み直すことを示唆しているわけです。あえて自作でなく、炭太祇の句を持ってきたところは、登場人物である老人と作者である自分とに最後まで距離を置こうという趣旨だろうと思います。仮構のお芝居に作者がぬっと顔を出すような品のないことを蕪村はしないのです。

 このように私の不十分な知識でもこの詩を見ていくと、いろんな発見がありました。技巧を凝らし、イメージをつないでいく腕の冴えと何よりもその詩情の豊かさは、ぬるい口語詩など足元にも及びません。

 最後に私のいちばん好きな蕪村の句を挙げます。萩原朔太郎だけでなく、稲垣足穂をも魅了し、ベルクソンの時間論に通じるとまで評されるものですが、こちらの気持ちで、この「空」はいつも違って感じられます。

 凧(イカノボリ)きのふの空の有りどころ

 

 

 


 

  無門関

 

 「無門関」は宋代の禅僧、無門慧開(1183-1260)がそれまでの48の公案を集め、コメントを付したものです。趙州狗子や洞山三斤といったよく知られた公案が入っていますから公案集としては便利ですが、コメント部分は公案をわかりやすく解説しようというものではなく、かえって混乱させようとしているようなところも多いようです。本来、禅の公案自体が言葉への執着を断ち切ろうとあれこれ回答や理解が困難なものを提示したものですから、ふつうの本のような読み方ではダメなわけです。まあ、そこが禅関係の本を時々読みたくなる理由でもあるんですが。

 そういう意味で、無茶で無知なことは承知の上で、この本を分析してやろうという気になってしまいました。まあ、逆説の逆を突くようなことですが、まず公案自体を分類してみました。大別すると上に挙げた2つの公案のような抽象的なものです。すなわち、「Q:イヌに仏性がありますか? A:無。」とか「Q:仏とは? A:麻三斤。」といったものです。次に物語のようなもので、倶胝竪指や南泉斬猫などです。この二つについては三島由紀夫の「金閣寺」について書いたときに触れましたから、内容をお知りになりたければそちらを見てください。その中間にあるものがやや具体的な公案で、国師三喚や二僧巻簾で、「慧忠国師が3回お付きの者を呼んで、3度『はい』と返事したら、『私のせいでおまえが悟れないものだと思っていたが、おまえが私に背いていたから悟れなかったんだとわかった』と言った」とか「和尚さんが昼食時に簾を指差し、二人の僧が簾を上げたところ、『一人はそれでよいが、もう一人はダメだ』と言った」というように内容を簡単に要約できるようなものです。

 こういうふうに例示すると、禅の公案って何だかなぞなぞみたいだねって思う人が多いかもしれませんが、それは違うと言っておきましょう。なぜならなぞなぞは言葉をたどって行くものですが、公案はその逆だからです。麻糸が三斤というのは着物が一着作れるくらいの量だそうですが、それを知っていたとしてもこの公案が「わかる」ことにはほとんど役立たないと思いますし、そんなことに気を取られていてはかえってわからなくなるでしょう。もちろん私にもわかりませんし、わかろうとは思っていません。有体に言うと48の公案は、

 ① さっぱりわからないもの

 ② だいたいわかるもの

 ③ わかりやすすぎてつまらないもの

とのやはり3つに分かれます。主観的に過ぎるだろですか? もちろんです。主観的でなくてどうして禅が求めるような主体性が発揮できるんでしょうw。

 無門のコメントも3つに分かれて、

 ⅰ) 元の公案にないような地平を切り拓いていると感じられるもの

 ⅱ) 公案の注釈として優れるもの

 ⅲ) ありきたりすぎて何の価値も付け加えていないもの

になります。ちょっと注意しなければいけないのはしばしば批判的というか、元の公案を罵倒するようなコメントが見られるのですが、それは表現として「けなしてほめている」と言うか、読者をちゃんとしたところに連れて行くための親切心である場合が多く、3つの分類とはあまり関係がありません。

 まあ、そういうわけで、例えば洞山三斤については、さっぱりわからない+ありきたりのコメントなのでどうしようもないわけです。それぞれがどれくらいの数かはここで言うのはやめておきます。なんだその程度かと言われるか、座禅一つ組んだこともない(こういうのを野狐禅と言いますw)くせにって言われるに決まってますから。

 さて、今の私には物語的なものしか興味はありません。だって、趙州狗子や二僧巻簾は、それぞれ「無」という言葉自体から離れることを要求していたり、二人の僧の簾の上げ方の差(そんなものは記述されていないので同じと解するしかありません)なんかじゃなく、いいとか悪いとかの判断を超越することを要求していたりする、つまりメタ言語的な悟りの体得を示唆したものなんだってことで片付けてしまうのがほとんどだからです。そんなの私が言う(言語化する)必要もないことでしょう。ただ胡子無鬚については一言だけ言っておきたい気がします。「達磨は(鬚をはやすのがふつうのインド人なのに)なぜ鬚がないのか?」という公案で、コメントは「一度は達磨と眼と眼の合うような対面をしなければいけないが、そう言ってしまうと自己と達磨の二人ができてしまって始末が悪い」というものです。これは具体的+だいたいわかる+公案の注釈として優れるものということになりますが、それが垣間見させてくれる世界はすばらしいものがあります。

 次に公案のうち物語的なものをいくつか紹介しましょう。まず「百丈野狐」です。百丈という和尚さんが説法をしているといつも一人の老人が後ろの方で話を聴いていました。ところがある日、説法が終わったのにその老人が出て行かないので和尚が尋ねました。

「おまえは誰か」

「わたしは人間ではないのです。はるか昔には仏道修行をしていましたが、弟子に『修行を完成した人でも、因果の法則に落ちて苦しむのでしょうか?』と訊かれ、『いや、因果の法に落ちることはない』と答えました。するとそれ以来500回生まれ変わっても野狐の身に堕ちてしまいました。どうか私の代わりに正しい答をいただき、この身から脱出させてください。修行を完成した人でも、因果の法則に落ちて苦しむのでしょうか?」

「因果の法をくらまさない」

 その答を聞いたとたんにその野狐は悟って、裏山の洞窟には抜け殻となった死んだ野狐がいたという話です。公案の本旨としては「不落因果」と「不昧因果」がどう違うか、あるいはなんら違わないことなのでしょうが、思い上がった答をしたばかりに輪廻転生しても野狐になってしまうというお話自体としてのおもしろみと悲しみがあって好きですね。

 この公案には続きがあって、和尚が野狐を手厚く葬って弟子たちにいきさつを説明したところ、一番弟子の黄檗が質問しました。

「もし、その老人がいつも間違えずに正しい答を出していたら、何に成っていたでしょうか?」
「ここへ来い。あの老人のために言ってやろう」

 黄檗は側へ寄ると、いきなり師の横っ面をぶん殴りました。和尚さんは大笑いして、

「なんとここにも赤ひげの達磨がいたもんだ」と言いました。達磨は中国に仏教を伝えたと言われています。
 黄檗の先制パンチが勝ったということですねw。まあ、ちょっと理屈っぽく言えば人生において間違えないようにすることなど考える方が間違ってるってことでしょうか。

 次は「倩女離魂」です。これは唐代の伝奇小説「離魂記」に基づくもので、公案としては短いのですが、背後に物語を持っているわけです。衡陽に張鑑という人がいました。その一人娘の倩女が美人で、王宙という男と恋仲だったのに、父親は、彼女を別の男と結婚させようとしました。それで倩女はすっかり具合が悪くなって寝込んでしまい、失意の王宙も都に行こうと決意して、故郷をあとにしたところ、しばらく行くと、倩女が追っかけてきて、
「あなたといっしょでなければ」と言います。王宙はその気持ちをうれしく思い、手に手を取って遠く蜀の国におもむきました。

 5年の歳月が流れて、子どもも二人できたのですが、倩女は故郷を懐かしく思い、王宙を説得して故郷の衡陽に帰ることになりました。

 王宙はまずは自分が駆け落ちしたことを詫び、赦しを乞うてからと思い、妻を船着場に置いて、一人で張鑑の家に行きました。すると張鑑は怪訝な顔で、

「お前は倩女を連れ出したというが、倩女はお前がいなくなってからずっと床に臥せっているよ」

 そういわれると王宙も何が何やらさっぱりわからなくなり、とにかく倩女を連れてくるにかぎるとし、急いで引き返し、倩女を連れてきました。病臥していた倩女が立ち上がって隣の部屋から出てきたかと思うと、二人の倩女は互いに歩みよったかと思うとふっと一人になりました。

 それで、どちらが本物の倩女なのかというのが公案なんですが、恋人への愛情と親への義理立てをうまく両立させたんだからそれでいいんじゃないのっていう気もしますね。そんなふうに自分を使い分けている人も少なくないでしょう。本当の自分なんてないのさって。

 もちろん正統的な考えはそうではなく、人間は常にあれかこれかに振り回されているが、それを超えた絶対的な境地に目覚めなくてはならないといったところでしょう。しかし、無門のコメントは少し違っているように思います。無門は言います。

「もしこの話の勘所を押さえ真の倩女がこうだと悟ることができれば、魂が体を離れ、また体に入るということは、ちょうど旅行に出て宿に泊まるようなものだとわかるだろう」

 真の悟りをもうちょっと気楽な、自由なものと見ている感じですね。さらに無門は続けて、
「しかし、まだ悟ることができないうちは、人生の街道をとりとめもなく走ることは慎むべきである。突如として死が到来し、身体が分解するときは、まるで煮えたぎった湯の中に落ちた蟹が手足をバタバタさせるようなもの。その期に及んでそんなことは聞いてなかったなどと言ってはなるまい」と言います。

 わかったふうに魂と体を使い分けるんじゃないよ、いくら魂が大事だって言っても、死ぬのは肉体だけだなんて言っても、いざとなると泣き言を言っちゃうんじゃないのかい?……とても親切ですね。

 最後は「趯倒浄瓶」です。さっきも出てきた百丈和尚の話で、自分の跡継ぎを決めるのに弟子たちを集め、みんなの前に浄瓶(手を洗うための水を入れた瓶)を置いて、

「これを『浄瓶』と呼んではいけない、さあ、何と呼ぶ」と言いました。まあ、無茶なことを言っているわけですが、それで修行のレヴェル、HPみたいなものを見ようとしているのかなw。すると弟子たちの筆頭の首座が出て、
「まさか、木片と呼ぶわけにもいきませぬな」と答えました。和尚は炊事係をしていた若い潙山に、
「おまえはどうだ」と訊きました。潙山はすぐに立って、浄瓶を蹴り倒すとさっさといなくなってしまいました。
「首座は潙山に負かされたな」と和尚は笑って言い、こうして潙山が跡継ぎになりました。

 どうもこの和尚さんは殴られたり、物を蹴倒されたり、乱暴なことが好きなような気がしてきますねw。言葉を信用していないって言うか、言葉に頼る人間を信用してないんでしょう。これに対する無門のコメントがすばらしく、元の公案にない地平を切り拓いた創造的なものです。

「潙山は一世一代の英雄となったが、百丈和尚の檻から出ることはできなかった。よくよく見れば、潙山は重い役目を選んで、軽い役目を選ばなかったのだ。どうしてそうなったのか。それ見てみろ。彼は鉢巻をはずして、鉄の枷をはめてしまったではないか」

 パフォーマンスとして瓶を蹴ったとしても、それはそのまま自分にはね返ってきて、言葉を超えることのむずかしさが露わになるだけで、それ自体が足枷になってしまうことを言っているのでしょうか。それともそうした意味を追求するよりも悟りを追求することのむずかしさを言っているのでしょうか。

 いやいや、私は禅のおもしろみは「あれ?」って思わせてくれるところにあると思っています。なんだか意味がわかんないけど、意味がわかんないところに成立するおもしろさですね。

 


 

     荘子・応帝王篇第七より

 

南海之帝為儵              南の王さませっかち屋

北海之帝為忽              北の王さまあわて者

中央之帝為渾沌             真ん中王さま混沌とん

儵與忽時相與遇於渾沌之地      南と北が真ん中に

渾沌待之甚善               大歓迎でもてなされ

儵與忽謀報渾沌之德          お返ししなきゃと話し合う

曰「人皆有七竅以視聽食息      誰でも7つの穴を持っていて、見たり、聴いたり、食べたり、息をするものさ

此獨無有 嘗試鑿之」          しかるに混沌さまだけ何もない ひとつ開けてみようじゃないか

日鑿一竅 七日而渾沌死       毎日せっせと開けてって、7日経ったら、死んじゃった

 

                        * これを元にした私の詩はこちらです。