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ミレイ:オフィーリア

雪舟はどう語られてきたか

絵画と音楽のリンク

 スーラとマーラー

 モネとモーツァルト

フェルメール:ミルクを注ぐ女

ダリ:パン籠

ペレダ:虚しさの寓意

フェルメール:画家のアトリエ

レンブラント:自画像

ゴッホ:自画像

ゴーギャン:自画像

アルチンボルト:夏

 

  


 

 

 

ミレイ:オフィーリア

 

 学生時代の貧乏旅行でロンドンのテイト・ギャラリーに行って、魅せられたのがこの絵でした。「ハムレット」に取材した絵であることも、この絵の女性、オフィーリアが川に身を投げたことさえ知らず、ましてやラファエル前派なんて名前は聞いたこともなかった頃です。つまり何の予備知識もなく、ただこの絵の美しさにみとれ、閑散とした館内を他の絵に行ってまた戻ってくるという具合で、絵と対話したのでした。

  その後、ウィーンに住んでいるときにイギリス旅行をし、その時に再会しましたが、やはりテイト・ギャラリーの中で最も心がひきつけられたのがこの絵、というよりはオフィーリアでした。上に書いたような予備知識はありますし、解釈みたいなことをする賢しらは身につけたものの、そんなことよりもひたすら彼女を見ていたい、時間が許すまでと思っていました。同じように絵の前を行ったり、来たり。……

  以前、「カル」という韓国映画を見ていたら、この絵が重要なモチーフをなしていました。たぶん監督もオフィーリアに魅せられた一人なのでしょう。映画自体は猟奇的なサイコ・ミステリーみたいな感じで、謎が残るって言うよりは、辻褄が合ってないんじゃないのかって言いたくなるようなものでしたけど。ヒロインの切なさも「シュリ」と違って、いまいち伝わって来なかったし。……血みどろのお話に雨の場面がやたら多いっていう点ではポランスキーの「マクベス」(これもシェークスピア!)を想起させ、後味の悪さっていう点では「セヴン」に匹敵する映画でしたねw。

  映画の雰囲気から言うと、この絵はネクロフィア的なところがあるようには思います。急いで言っておきますが、私にはそういう趣味はまったくないんですけど。何の予備知識もなかったわけで、そうして出会った名画は残念ながら他にはないかもしれません。

  画像はやや暗めですが、実物はもっと明るく、白一色のテイト・ギャラリーの中では輝くような美しさです。ですので、彼女はまだ生きていて、歌を歌っているのでしょう。でも、そうではないのかもしれません。……そういう心の行ったり、来たりもこの絵の魅力です。

 


 

 

雪舟はどう語られてきたか

 

 「雪舟はどう語られてきたか」という本は、1996年の橋本治から時代を遡って1908年没のフェノロサ(書物としての刊行年1921年のみを掲げ、文章の初出を示していないのはこの本の性格から言って極めて問題です)まで、雪舟について書かれたものを集めています。すごく簡単にまとめようとすればフェノロサ、小林秀雄、橋本治の3人の文章を軸に考えればいいと思います。

  まずフェノロサは何を言ったか。雪舟をレンブラントなどと比較して誉め上げた。これがその後の雪舟の見方を決定したわけです。ヨーロッパの偉い先生が泰西名画の巨匠と比較できる存在として、親戚の蔵にもある骨董品を芸術だと言ったということです。外国人に誉められて評価が高まるという浮世絵から現存の画家に至るパターンですね。親戚の蔵にある云々は意外かもしれませんが、雪舟の偽物はすごくいっぱいあってしかも真偽不確定なものも多く、例えば「慧可断膂図」のような教科書に載っている作品ですら贋物の疑いがかけられていたと知ってびっくりしました。いずれにしてもこの本に多く載せられている雪舟を語る場合のメインストリームはこの行き方で、レンブラントがセザンヌに変わったくらいのものです。私には雪舟はよくわかりませんが、レンブラントやセザンヌと比較する理由はそれ以上にわかんない話で、要は正面から分析できないから権威や流行の画家を持ってきただけ、絵画を言葉で表現しようと悪戦苦闘していない知的怠慢なんだろうなっていう専門家の文章がずらっと並んでいます。

  小林秀雄はいつもどおりの芸術家や作品をダシに自分を語るというやり口です。この本の編者の山下裕二が小林の文章の仕掛けを綿密に分析してくれているので、わかりやすいのですが、真偽判定に明け暮れて作品を作品として正面から見ないアカデミズムをからかいながら、複製芸術によっても芸術的感動は得られると主張し、返す刀で実見した「山水長巻」の印象をレトリックで大したもののように見せています。つまりレコードでモーツァルトを聴き、画集でゴッホを鑑賞するしかなかった(今も多くの人はそうです)時代に「それでいいんだよ」と慰めと励ましを与えるという大衆迎合と、雪舟の大作をつてを頼れば容易に、しかも心ゆくまで見せてもらえる「ぼくは本物もちゃんと見てるんだよ」という貴族趣味みたいなものをうまく両立させているわけです。

 しかしながら、小林がいちばん大事にしたはずの(というよりは実は繰り返しそれだけを語った)芸術的感動についての描写を見ると「これ以上やったら、絵の限界を突破して了う」とか「見詰めていれば形が崩れて来る様なもの一切を黙殺する精神、私は、そういう精神が語りかけて来るのを感じて感動した」といった、昔はこういう文章がたくさんあったなぁと懐かしくもあり、気恥ずかしくもあるような代物です。ただ、他の人たちのも専門家を含め、いざ作品そのものになると素朴な印象だけを恥ずかしげもなく垂れ流すものが多く、悪達者なレトリックという芸を持っている小林の足元にも及びません。それに彼は、一応は雪舟の作品について語っているという枠は守っていますが、水上勉などは臆面もなく自分を語るばかりですし、岡本太朗も「雪舟は芸術ではない」といつもどおり過激なことを言いますが、要は自分の芸術とは行き方が違うと言っているだけです。

  さて、こんなふうに言うと、「おまえは明治以降、雪舟について書かれたものは、権威を借り、素朴な印象を並べて、自分を語るのがほとんどだと言うのか? 客観的に雪舟について教えてくれるものはないというのか?」という詰問があるかもしれませんが、まあそうですね。芸術について語ったものを最近はあんまり読んでなかったせいもあるかも知れませんが。そういう中で、橋本治は「わかりやすいもの」と題して「山水長巻」を、「わかりにくいもの」と題して「破墨山水図」(画像はこれです)を採り上げていて、それなり教えてくれるものを持っています。これまたあっさりまとめてしまうと、「山水長巻」は「やれやれほっとした」という雪舟の実感が描かれているのでわかりやすい、「破墨山水図」は弟子に「少しは考えなさい」と教えるため、わざわざわかりにくく描いたということです。小林から多くを学んでいることは読んでみるとすぐにわかりますが、それが橋本流の親切と言うか、ぺたっとくっついてくると言うか彼特有の書き方なので、アンチテーゼといったことになるでしょう。そういう意味で言えば、古くから禅僧らから多くの賛を寄せられた「破墨山水図」の方が禅っぽさがあってわかりやすく、16mもある絵巻物である「山水長巻」の方がストーリーを読み解かないといけないのでわかりにくいっていうのが伝統的考え方で、橋本の用いた枠組みはそれに対するパラドックスであり、レトリックだと言えるでしょう。……結論めいたことを言えば、雪舟について何ごとかを知りたいなら、これと「慧可断膂図」についての赤瀬川原平の実感で押し通した文章を読めば十分でしょう。それ以上、他人の感想を読んでも仕方がありません。

 


 

 絵画と音楽のリンク

 

 

 

1.スーラとマーラー

  クラシック音楽で歌詞をもたないものは多くの場合、題名がありません。シンフォニー第40番ト短調K.550とか弦楽四重奏曲第15番イ短調op.132いったもので、味も素っ気もありません。題名がついているものもご存知のようにありますが、「運命」とか「未完成」とか作曲家本人がつけたものでない場合も多く、しばしば評判が悪かったりします。一つには言葉にできないから作曲したんだという考え方があるんでしょう。私もそれはそうだと思いますが、絵画なんかでは抽象画でもついてる方が多いんですが、「ブロードウェイ・ブギウギ」なんてのはイメージを狭めていて、音楽の方から言えばかえって邪魔なのかもしれません。

 さて、今さら名曲に題名をつけようとは思いませんが、音楽から絵画を連想することも、逆に絵画から音楽を連想することもあるように思います。それもドビュッシーから北斎では“まんま”すぎておもしろくもなんともなく、ただの知識です。イメージとしてのつながりがありながら、連歌の付け句のように“離れ”というものがあった方がいいでしょう。そこは感覚の問題なのでちがーう!という人がいるのは当たり前で、全員が納得するようなものはかえって失格と考えますw。まあ、CDのジャケットを選んでるようなことにはならないようにしたいなとは思います。

 それで最初に、スーラの「グランドジャット島の日曜日の午後」とマーラーのシンフォニー第5番を付け合せてみました。どっちもポピュラーで、きれいな作品ですからねw。後期印象派っていう訳語は誤訳に近くて、元々の“Post-Impressionism”は文字通り印象派の後にくるものっていうくらいの意味で、セザンヌやゴッホやゴーギャンのように印象派を超えて絵画自体の組み立てを意識的に考えていた画家たちをいうわけです。共通するのは画面の明るさくらいじゃないかなと思います。その中で、スーラは印象派の目に見えたままに描くという延長線上にあって、点描技法で光としての色を追求したんだろうと思います。効果としてはこの絵のように現実離れした静謐さをたたえたものになって、それが魅力でもあり、その反面、これだけたくさんの人物を描きながらリアリティやダイナミズムはなくなっています。

  こういうふうにスーラについて言ったことがそのままマーラーの作品に当てはまるわけではもちろんありません。アダージェトなんかの印象は近いかも知れませんが、それでこのシンフォニーを代表させてはミーハーすぎますからね。ただ、マーラーの作品も過渡期の音楽であることは事実だろうと思いますし、魅力の多くもその点にあるんだろうと思います。それに部分部分はとても美しいですし、多くの楽器を使って手を変え品を変えてサーヴィスしてくれますが、全体として何か現実から遊離した、作品の外に作曲家の意識があるような気がしてしまうのです。

 


 

 

2.モネとモーツァルト

 

 モネの「散歩、パラソルをさす女」は、ああ、こういう光景を見たことがあるなって感じにさせる絵です。パリ郊外か田舎か、いずれにしても日本の風景ではないし、パラソルをさした女性の目鼻立ちは逆光ながらも当たり前ですが、日本人とは違います。それでもデジャヴュのようなものを覚えるのは、風と草いきれを濃厚に感じさせて、時間の敷居が曖昧になる夏を描いているからでしょうか。それともパラソルが太陽を隠し、冷ややかに見下ろされる構図自体が深層心理というか記憶の古層に触れるからでしょうか。

  この絵には、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466を合わせてみました。2つしかない短調のピアノ協奏曲のうちでもこちらの方が私は好きですが、あまり悲劇的に考えたり、手ずれのしたデモーニッシュって言葉で片付けたくないですね。太陽を流れる雲がちょっと隠したくらいに考えた方がいいと思います。別に楽譜を分析したわけではありませんが、短調的なところは半分もないんじゃないかって思いますし、楽章を追うごとに明るくなってきますから。光と影の曲。だからこの絵が合うような気がしたんです。もうちょっと理屈っぽく言えばモーツァルトの転調を始めとした曲想の変化の早さと鮮やかさは古今無比と言えると思いますけど、そういう瞬間的なものをこの絵は切り取ろうとしているわけで、ある意味ヴィデオのモーツァルトをスティール写真で写し取ったと見立ててもいいかもしれません。全然理屈になってませんけどw。

  記憶の底にあるものっていう意味で、この絵は私はどこか暗いようなイメージを抱いています。明るい中に暗さがある。モーツァルトの曲は暗い中に明るさがある。だからよけいに明るいところがしみ入ってくるように思いますし、安直なセンチメンタリズムに堕したりしないんじゃないでしょうか。モネの絵は目に入るものをそのまま描いたと思わせる工夫と技術がありますが(見えたまま描けばいいなんていう、学校なんかでの指導は全く役に立たない、実際に絵を描くということを知らない人間の言うことです)、ただそれだけでは私にはダレてしまいます。例えば睡蓮の連作のように。しかし、この作品は脇の子どもも含めてドラマ性があるだけにいい感じで心に引っかかってくれるのです。

 


 

 

フェルメール:ミルクを注ぐ女

 

 このあまりにも有名な絵を紹介するのもどうかと思いましたが、やはりその魅力には抗しがたいものがあります。フェルメールの絵に執拗に登場する左側の窓からの淡い光に浮かび上がる農婦のような女。壁の様子からはあまり裕福ではない家の台所のように見えます。ただ、ここはやはりデルフトの街の中の家と考えた方がよく、女は農村からメイドとして出てきたのでしょう。たくましい腰と肩、垢抜けない広い額、鈍重な表情。

 しかし、そんな彼女から聖性と言ってもいいくらいの静謐感が漂います。ミルクを壷から注ぐという何気ない動作に集中する姿自体が美しいのです。あたかもはかない人間の日々の行いを神様が嘉しているかのように。「心と口と行いと生活をもって」という、これまたあまりにも有名なバッハのカンタータを小声で口ずさみたくなります。……

 私がフェルメールの名を知ったのは、ダリのお蔭です。彼が古今の画家を採点wしていて、ラファエロとともにフェルメールに最高点を与えていました(ちなみに最低点はモンドリアンで、ダリらしいなぁと思わず笑ってしまいました)。それでフェルメールに興味を持って、画集を見たりしているうちにだんだん惹かれていったのです。デルフトに行くまでに。

 ダリとフェルメールなんておよそ異なる画風のようですが、アレゴリカルなところ、パラノイアティックなところ、何より抜群の描写力が共通しています。描写力とは見たものを写真のように描くことでは、もちろんありません(そんなものはヴァイオリニストが正確な音程を出せる程度のものです)。夢やイメジェリをそのまま詳細かつリアルに描けることだと思いますし、その点において、ダリは他のシュルレアリスムの画家を圧倒しています。この絵のパンをモティーフにしてダリも写実的なパンの絵を描いていますが、それはパンにしてパンでない何かに変容してしまっています。このことはフェルメールにおいても、例えば以前に掲出した「眠る女」に明らかです。

 ただそうしたことは、この絵ではまだ起きていません。すべては柔らかい光の中で生命力を持って静かに存在しているのです。凡百の絵画が束になってもかなわないくらい強固に。

 

 


 

 

 

 ダリ:パン籠

 

 この絵は、フェルメールの「ミルクを注ぐ女」に描かれているパン籠にインスパイアされて描いたものだそうです。 

 ダリとフェルメールなんておよそ異なる画風のようですが、アレゴリカル(寓意的)なところ、パラノイアティック(偏執的)なところ、何より抜群の描写力が共通しています。描写力とは見たものを写真のように描くことでは、もちろんありません。夢やイメージをそのまま詳細かつリアルに描けることだと思いますし、その点において、ダリは他のシュルレアリスムの画家を圧倒しています。

 この絵はとても写実的な絵ですが、であるにもかかわらず、パンにしてパンでない何かに変容してしまっていて、背景の黒や机の端の危うい位置に置かれていることとあいまって、まさにシュールな雰囲気を漂わせています。

 


 

 

 ペレダ:虚しさの寓意

 

 Antonio de Pereda(1611-78)は、マドリッドの宮廷で活躍した画家だそうですが、全然知りませんし、関心もありませんw。じゃあ、なぜこの絵を採り上げたかと言えば次に採り上げるフェルメールの「画家のアトリエ」でのアレゴリー(寓意)について基礎的なことを理解するのにちょうどいいかなって思ったからです。

 まず、天使が地球儀を抱えてハプスブルク王朝の中心のウィーン辺りを指しています。その地球儀の上には神聖ローマ帝国皇帝カール5世のカメオがあって、世界を支配していることを嘉しているわけです。カール5世はドイツ、オーストリア、スペインを始め、ヨーロッパに広い領土を持ち、スペインではカルロス1世と呼ばれました。その偉大な皇帝の栄光を更に高めているのが、地球儀の前の初代ローマ帝国皇帝アウグストゥスのメダルです。本家本元を持ってきて権威づけているわけです。この赤いヴェルヴェットの台には王家の富と権力と栄光を象徴するものが載せられています。

  他方、左手の粗末な木のテーブルには、軍事(鎧兜や鉄砲)、学問(ほどけかけた書物)、何より命(髑髏)のはかなさを砂が落ちた砂時計や火の消えたろうそくで表わしています。髑髏は人生や肉体美のはかなさを表わす最もポピュラーな表象で、回心したマグダラのマリアが抱いていたりします。ちょっと気持ち悪いですけどねw。

  この絵については、これで言うべきことはだいたい終わりです。天使は青い肩掛けをしているけれど、聖母マリアとの関係はどうかとか、金きらな機械時計なら砂時計のように終わったりしないのかとか、右はじに見えるいくつかの小さな肖像は皇妃や高位聖職者を表わしているのかとか、タロットカードふうのものがどういう意味なのかとか、いくつか突っ込みたくなるような点はありますが。……

  しかし、わかってしまうと無邪気なものだなと思われたんじゃないでしょうか。右の台のカール5世の栄光も今は昔、ハプスブルク王朝は衰退・滅亡し、オーストリアと言えば小国のイメージしかないでしょう。この絵の英語のタイトルは“Allegory of Vanity”ですが、皮肉な気がしますね。そうした自家中毒のようなことが往々にして起こるのがアレゴリーのおもしろいところです。

 


 

 

 

フェルメール:画家のアトリエ

 

 フェルメール(1632-75)の絵の中でもひときわ有名なのが「ミルクを注ぐ女」で、あの絵については誰しも理解に困難を感じることはないでしょう。描かれているものは明白ですし、「解釈」を要するような事物はそこにはないからです。それに対して、この「画家のアトリエ」は何らかの「解釈」がないと絵に入っていけないと感じさせるものがあります。二つの絵の距離は遠いように思われます。

  フェルメールの絵には前回ご説明したアレゴリー(寓意)を多く含むものがあって、この絵はその代表的なものでしょう。おおざっぱに言えば画家が室内でモデルを見ながら絵を描いているところということですが、まずはそのモデルの格好に注意を向けてみましょう。彼女は月桂冠をかぶっていて、トランペットと大きな本を持たされています。これらから芸術の神ミューズのうちの歴史を司るクレイオに扮していると言われます。この“歴史”をキイワードとして他のものを見ていくと、後ろ向きの画家は当時としても古風でかつ改まった服装をしており、背後の壁に掛かる大きな地図は1581年のネーデルランド分割以前の17州が描かれています。つまりこの絵が描かれたと推定されている1665年頃よりも前の、フェルメールが生まれる以前の母国の栄光の歴史とそれを恭しく描く画家といったものが浮かび上がってきます。

  この辺まではこの絵を観るときの前提となる知識として持っていた方がいいでしょう。逆にそれ以上のことはそれぞれの人の解釈にすぎず、「そうとも言える」という域を出るものではありません。宗教画において、青い服を羽織っていれば聖母マリアだとか、骸骨は人生のはかなさや時間を表しているといったことがアレゴリーですが、そういった約束事のようなものは知っておいた方が便利ですし、知らないと「ああ、きれいですね」以上の理解にはなかなか進めないでしょう。

  そうした絵解きだけで終わるペレダのような絵もたくさんあるのですが、いわゆる名画にはそれ以上のものがあって、その言葉では言い表せないところこそが名画たる所以です。いくらうまく「解釈」しても現物ほどの生命力はないのですから、そんなものに振り回される必要はありません。こんなことを言うのは、この絵がアレゴリーに満ちているだけに実に様々に解釈されているからです。いやこの絵のみならず、フェルメールの絵が謎めいているだけに多くのお話が作られてきました。

  さて、こうしたお断りをした上で、私の「解釈」を述べてみましょう。それはこの絵はフェルメールの自画像だということです。顔が見えないのに? そうですね。画家が自分を絵の中に描き込むことはしばしばありますが、この絵のように後ろを向いて全く顔を見せないのはあまりないように思います。それだけに意図的なものを感じますし、画面全体が画家の素顔を映しているという印象を持ちます。モデルの前の机の大きなマスクも同じような隠そうとする意志と隠されたものへ関心を向けようとする意図がありそうです。

  画家は細かいところを描くときに使う腕鎮を使って月桂冠を描き始めていますが、最初からそうした支えが必要なものでしょうか? 自国の歴史に支えられて、自分を描いていくという謙虚な、しかし自負心に満ちた決意を寓意するようにも感じられます。引き開けられ始めたカーテンの向こうから、ドラマの舞台が今、見えてきたのであり、まだすべては見えてはいないと考えてはどうでしょうか。……

  最初に「ミルクを注ぐ女」とこの絵がかけ離れたものであると言いましたが、それは表面的なものであり、どちらの絵も見る側がいくらでも想像を膨らませることができます。それはまた同時に決して画家が描こうとした真の意味は明らかにされないという、フェルメールの傑作の特徴を備えていると思います。

 


 

 

 

レンブラント:自画像

 

 自画像の名手はレンブラント(1606-69)とゴッホだと私は思います。まずレンブラントからですが、彼の人生そのものを感じさせるような多くの自画像は深く心に染み入るものです。売れっ子画家だったのが「夜警」(1642年)のような“芸術性”を優先した絵画を描いたため人気が凋落し、元愛人への慰謝料の支払いなどもあって破産の憂き目に会ってしまったとのことです。「夜警」は描かれた人物たちが割り勘で注文したにもかかわらず、同じ大きさでもないし、顔が隠れている者もいるといったことから裁判沙汰にまでなったそうで、代表作でもちろん自信作でもあったであろう作品をきっかけにつまづいていくというのは、最初から画壇に相手にされなかったゴッホやセザンヌとはまた違った苦悩があったでしょう。

  レンブラントの作風を年代順に見ていくと、「トウルプ博士の解剖学講義」(1632年)の迫真的な描写力でデビューしたのが、「夜警」では光と影、精密と省略のコントラストによって画面構成を中心に置いて絶頂期に達し、その後は徐々に省略が画面全体を被っていったように感じます。

  若い頃の自画像は、新進気鋭の画家としての自信にあふれ、鼻持ちならない人間だったのかなと感じますが、落ちぶれた後のこの自画像(1652年)などは見ているだけで彼の味わった悲しみと喜びが思いやられるようなもので、見ているうちに不覚にも落涙してしまったことがあります。他の絵ではいくら名画でもそういったことはほとんどないのですが。……自画像というのは最も内向きの題材であるわけですが、それだけに優れた作品は見る側を引きずり込んでしまうところがあるのかも知れません。

  レンブラントはこの作品の後も自画像を描いていますが、もっとラフな感じの筆致になり、老残といった趣が強くなってしまいます。この作品の質素な作業着を着てこちらを見る表情には強い意志も秘められているようで、彼の自画像の中でも最もいろいろなことを語りかけてくれるように思うのです。

 


 

 

ゴッホ:自画像

 

 これは本当にこわい絵です。エゴン・シーレの「死と乙女」やムンクの「叫び」、ベックリンの「死の島」といった絵もそれぞれに心の深いところに突き刺さるようなこわさを持っていますが、実際に見た衝撃力ではこの絵には及びません。また、ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」やブリューゲルの「幼児虐殺」、ボッシュの「十字架を担うキリスト」といった人間性の暗い部分をあばいたような普遍的なこわさはないのかもしれませんが、それだけにゴッホの置かれた孤独の痛切さが伝わってきます。

  私はこれまで2回、オルセー美術館で見ていますが、絵の向こう側からゴッホがにらみつけているというショックは変わりありませんでした。ふつうはどんな名画でも(ある意味悲しいことですが)2回目は心穏やかに見ることができるものですが、この絵に限っては人を石に変えるバジリスクのような力を持ち続けていました。

  この美術館にはたくさんのゴッホのデッサンも展示されています。率直に言って上手でもありませんし、暗い農民の生活などを描いたもので、うんざりするようなものですが、地道な訓練を経て、それが1885年の「じゃがいもを食べる人たち」に結実したんだと思いますし、何より1887年頃からの最後の3年間の爆発的な色彩の洪水のエネルギーが蓄えられたんだと感じました。そういう意味で、私はゴッホの手紙を読んだこともありませんし、これから読むとしてもあの地味なデッサン以上のことを語りかけてくれないだろうと思います。ゴッホは画家なんですから、何かを知りたければ絵に訊くのは当たり前のことで、モーツァルトの手紙に対するスタンスも同じです。

  これと同じような話ですが、ゴッホが精神病院に入退院を繰り返したことやこの絵を描いた直後に自殺したことの詮索もあまり関心はありません。パトグラフィー(病跡学)のようなものは、結局彼の才能と芸術を明らかにするものではないでしょう。だって、そんなことをする医者や学者は、彼ほどの天才じゃありませんからねw。……これからも永遠に自分を凝視し続けるゴッホの眼光にもう一度、射すくめられたい、それだけが私の望みなのです。

 


 

 

 

ゴーギャン:自画像

 

  私はゴーギャン(1848-1903)の絵はよくわかりませんし、あまり好きでもありません。タヒチの女性を描いた絵が有名でしょうが、どこか鈍重な物憂いような感じが南の島へのあこがれを誘ってくれるわけでもありません。でも、タヒチの映像を見るとゴーギャンの絵を思い浮かべてしまうのはやはり力があるのでしょう。

 そう、ゴーギャンの絵はとても力があると思います。美しさよりも。その原因の一つは彼の性格によるものでしょう。そんなに彼の伝記的事実を知っているわけではありませんが、妻子を捨てたことといい、ゴッホとの付き合い方といい、道徳的な批判をするつもりはありませんが、まあよほど自分の才能に自信があって、利己的だったんだろうと思います。……晩年の大作「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」(1897-98)を見ても、およそ近代の画家とは思えない、キリスト気取りの誇大妄想の持ち主じゃないかという気がします。ゴーギャン不遜なんちてw。

 それにしてもこの自画像は異様です。ゴッホと劇的な事件で決別した翌年1889年に描かれたのですが、悪魔のような格好をしながら、キリストか天使のような輪っかが頭上に描かれていますし、手には蛇を持ち、リンゴがぶら下がってるわけですから、善悪の両方を股にかけた知恵の象徴のような……でも、ピエロかトランプのジョーカーのように見えますね。

 画面は赤と黄色の面と青い茎(黄色の四方形は花なんでしょう)で極めて平面的に分割され、そこからにゅっと傲慢とも自嘲的とも見える首が出ていて、自尊と自虐が並存しているように思えます。このようにこの作品はおよそ正反対の要素が無理やり同居させられていながら、絵としての統一感を失ってはいません。才能の大きさと言うべきなんでしょう。しかし、私にはそんなことをやってしまう精神はとても健全とは思えず、ゴッホの作品以上に狂気を感じてしまうのです。

 


 

 

アルチンボルト:夏

 

 ウィーンの美術史美術館にお連れしたものの絵画には、およそ興味がないっていう感じのお客さんはけっこういるものです。こちらも無理に誘ったりはしないですが、「行きませんか?」と言われて、「行きません」ってきっぱり言うのは日本人には苦手なようですし、そんなことでいちいち気分を害しても仕方ありません。泰西名画なんて古めかしい言葉ですが、そういうものに興味がないなんて、紳士、淑女の名誉に懸けても言えるものではないのでしょう。それも印象派やその前の写実派の絵なら、きれいで、何が描いてあるか一目瞭然ですから(一応は)問題ないのですが、美術史美術館の絵はほとんどそういったものがなく、多かれ少なかれ背景知識がないとつまらなく感じるものが多いですから、クラシック音楽のようなところがあります。

  そういう絵画に興味のない人でもこのアルチンボルド(1527-1593)の絵は、おもしろがってもらえました。造詣の深い人の方がこんなのは邪道だっていう顔をしていたかも知れません。しかし、夏の果物で顔を作るという奇想と頬っぺたは何だろう、口は……と見ていくだけでもおもしろいですし、全体としてのユーモアとグロテスクさが同居したような感じは、“芸術”などというものが誕生する前の古層というか、子どもの遊びめいた妖しい楽しさがあります。

  記憶が曖昧ですが、この絵のほかには、四季のうちのもう1枚くらいと四大元素Elementsという、大地、空気、火、水のシリーズのうちの「火」と「水」が脇の通路のような部屋に展示されていました。そうやって何枚も並んでいると、さすがに同工異曲の観がしたりしますし、「水」なんかは魚介類の寄せ集めですから気色悪い、悪趣味なものに見えますが。

  さて、アルチンボルドはなぜこんな絵を描いたのか、想像してみたくなりました。と言うのも、ふつうの絵なら題材をどのように描いているかというHowが問題になりますし、なぜ描いたのかWhyなんて訊いてもこの時代であればそういう注文があったからでおしまいの場合がほとんどですが、彼の場合には全く反対のように思えるからです。この辺の事情は、彼よりもう少し前のかのボッシュ(1450-1516)と同じかもしれません。

  とりあえずWhyの答えとしてはバカみたいですが、2つの方向が考えられます。果物とかがマーケットで積み上がっているのを見て、偶然に人の顔に見えたということか、あるいは人の顔を見ていてこの人の頬っぺたは桃みたいだなぁ、なんてことです。前者は柳が幽霊に見えたりするのと同じで、素朴な感じで、後者は人のことを“どてかぼちゃ”なんていうのと同じで、ある種の風刺って感じがしますね。どちらか一方と言うことではないようにも思いますが、例えば食い意地の張った貴族や聖職者を批判したっていう方がお話としてはおもしろいかも知れません。

  ネットを探していたら、テレビ東京の番組で彼の作品が採り上げられたことがあったようで、美術史美術館の館長がインタビューに答えて次のようなことを言っています。「アルチンボルドは、“四季”と“四大元素”を何度か描いていますが、我が美術館の作品は、最初に描かれたもので、皇帝が自分のコレクションとして大切に所有していたものです。なぜ、このような絵を描いたのか、アルチンボルドの同僚だったフォンテオの詩に基づいて、解明がなされてきました。夏は、火のように熱く乾燥しており、冬は水のように寒く湿っているというように、“四季”と“四大元素”には、同じ性質を持つもの同士の対話があるのです。また森羅万象を描くことで、宇宙を含めたハプスブルク家の権威、世界観を暗示しているのです」

  ……はあ。ハプスブルクの栄光を表現したものですか。こういう説明で、視聴者の多くは納得するんでしょうね。裏づけもちゃんとあるし、館長様のご高説ですから、私なんかの思いつきとはわけが違います。でも、この説明(HPには他の発言も載っていますが、それらを含めても)には、なぜ彼はいろいろな物で人間の顔を構成してみようと思ったのかが全く説明されていません。自国の版図の豊饒さや権力を誇示したような絵ならヨーロッパの宮殿に行けばいくらでありますし、季節を女神なんかで表現したものも多くあります。アルチンボルドの絵もそういう寓意画とされたのかもしれませんが、それは真っ向からヌードを描けないからヴィーナスにしておくのと同様のアリバイ工作でしょう。しかし、彼の絵が我々の興味を惹く理由はそんなところにはありません。館長の学識の問題ではなく、たぶん番組をもっともらしくまとめようとするインタビュアー=制作サイドの問題でしょう。つまり自分がなぜこの絵をおもしろく思うのかを自分の目と頭でしっかり捉えていなければ、どんなに知識のある人に訊いても平板な回答しか得られないのです。

  偉そうなことを言ったので、私の考えを述べましょう。人間なんてこんなものなんだよっていう彼のシニカルな視線があるように感じます。ただそれ以上に、しつこく描き続けたのは技巧と機知を見せて、さすがはアルチンボルドっていう世間的な評価を得る、言わば受け狙いみたいなのが大きな動機だったように思います。そうしたことは、何ら非難されるべきことではなく、かえって社会的な広がりを感じさせることでしょう。

  江戸末期の歌川国芳(1797-1861)が人の体による寄せ絵「見かけはこはいがとんだいい人だ」などを描いていますが、市場の人気に敏感な浮世絵師としては話題にならないようなものを描くはずがなく、国芳の様々な奇想をおもしろがるだけの成熟した享受者がそれなりの数がいたのでしょう。アルチンボルドについても同様のようで、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世にいたく気に入られたそうです。どうもこのハプスブルク家のルドルフ2世っていう人は、あのルートヴィッヒ2世と同様、政治的には無能で奇矯な芸術愛好家だったようです。美術史美術館は歴代の皇帝たちの権力の大きさばかりでなく、人間的な弱さや愚かさも見せてくれています。