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 マグダラのマリアとは何だったのか?

     「マグダラのマリア」伝承が誕生するまで/ティッツィアーノ

     ジオット/クリヴェッリ/ミケランジェロ/サヴォルド/カラヴァジオ

     ティッツィアーノ/ラ・トゥール/シラーニ/カニャッチ

 

 スーパー・エッシャー展

 国立新美術館に行ってきました

 東京ミッドタウンに行ってきました

 ダ・ヴィンチ展に行ってきました

 モネ展に行ってしまいました

 納涼現代アート展に行ってきました

 フェルメールとオランダ風俗画

 ミレイをめぐる対話

 

 


 

 マグダラのマリアとは何だったのか?

 

 「マグダラのマリア」(岡田温司著)という本を読みました。ノリタンw(我に触れるな)の記事を書いていて気になっていたことがかなりわかってすっきりしました。その私の問題意識を中心に紹介しようと思います。

  まずマグダラのマリアはしばしば娼婦だったのがイエスと出会って自らの生き方を深く後悔し、付き従うようになったと思われていますが、そういう記述は聖書にはないということです。つまり彼女が娼婦だったというのは簡単に言えば誤解か混同です。そのもとになったのはルカ福音書の次のような記述でしょう。

  「その町にひとりの罪深い女がいて、イエスが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持って来て、泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った」(第7章第37-38節)

 そして、イエスはこの女の罪を赦し、「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい」と言います。新約聖書の中でもとても印象に残る、感動的な場面ですが、この罪の女がマグダラのマリアだとは一言も書かれていません。ただこの箇所のすぐ後にイエスに付き従った者の名前を挙げていて「7つの悪霊を(イエスに)追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア」と記されています。これらを材料として教皇グレゴリウス1世(在位590-604、グレゴリオ聖歌の名前の由来となった人物です)が『7つの悪霊=邪淫その他の7つの大罪』としてマグダラのマリアを罪の女と同一視したわけです。

  さらに、グレゴリオ1世はマリアのイメージを膨らませます。ヨハネ福音書第11章と第12章に出てくるベタニアのマリアが「主に香油を塗り、髪の毛でその足をぬぐった」とされていることから罪の女と結び付けられるわけです。このベタニアのマリアの兄弟がイエスによって死から蘇ったラザロで、その奇跡がイエスを信じる人を増やすことにもなり、またそのことがイエスを敵視していた保守派の祭司長たちの憎しみをかうことになりました。

  つまりイエスの生涯をドラマとして考えればいいと思うんですが、別々のキャストで演じられていた魅力的な役柄を一人の女性にまとめてしまうことで、さらにおもしろさを増したわけです。これを元に例えばヨハネ福音書の第12章第1-8節を私が勝手に脚色するとこうなります。……かつて娼婦だったマリアはイエスに出会い、今は正しい穏やかな生き方をしている。イエスはさらに兄のラザロを死から救ってくれた。感謝の気持ちから今夜は自分たちの家にイエスを食事に招いた。マリアはとても高価な香油をイエスの足に塗り、髪の毛でぬぐう。家は香油の香りでいっぱいになった。しかし、イスカリオテのユダはこうつぶやく。「無駄なことだ。この香油を売れば貧しい人を救うことができるのに」これを耳に留めたイエスは言う。「いや、これでいいのだ。私はいつまでもみんなと一緒にいることはできないだろうから。おまえはわかっているだろう。しかし、マリアもそのことはよく知っているのだ」その言葉どおりユダはイエスを裏切り、マリアはイエスの死と復活を見届けることになる。……

  ノリタンの記事を書いている時も、マグダラのマリアがしばしば壷のような持っているので、これは香油の壷のようだけど、だとすると罪の女やベタニアのマリアのエピソードと混同していることになるなと思っていたんですが、確証が持てませんでした。この点がすっきりしたわけですが、さらに筆者によると聖書の外典においてマグダラのマリアは位置づけがはっきりします。現在の聖書はローマ教会によって行われた何回かの公会議などを経て編纂されたもので、その方針に反するものは偽典・外典として排除されていきました。つまり新約聖書はイエスとその弟子たちの言行録そのものではなく、ローマ教会が作成・公認したものなのです。

  ところが2世紀のグノーシス主義の影響下に生まれたいくつかの外典では、言わば反主流派の考えがかなり生々しい形で残されています。その中ではマリアは幻の内にイエスを見る能力を持ち、男の弟子たちを励ます存在として描かれています。これに対し、イエスの一番弟子を自認し、初代ローマ教皇でもあるペテロは自分たちがマリアに服従するようになることを恐れ、反発します。マリアは泣きながらペテロに抗弁し、これを他の弟子が応援する。……これは他の聖書の記述と同様に歴史的事実として考えるよりは、イエス亡き後(昇天後でもいいんですが)の初期キリスト教徒たちの間の主導権争いだと考えた方がいいでしょう。その結果はペテロ側の勝利であり、女性を男性より低く位置づける立場が大勢を占めたということです。

  じゃあ、マグダラのマリアがその後の歴史の中で排除されたかというとその反対で、彼女のイメージはどんどん付け加わっていきます。その最大のものが上述したグレゴリウス1世によるものですが、聖書の枠を出て5世紀に実在したエジプトのマリアという、12歳から17年間娼婦を続けた後、回心して47年間砂漠で純潔を守りながら苦しい修行を行った女性のイメージが重ね合わされ、全身を髪の毛でくるまれた隠修士として描かれるといったことが起きます。さらに、ローマ帝国の迫害を受けたマリア一行がマルセイユにたどり着き、異教徒に布教した後、マルイセイユ郊外の洞窟で禁欲的な瞑想と苦行に余生を捧げたという新たな伝承ができあがります。……こうしたマグダラのマリア像を完成し、その後の美術(ノリタンはその一つです)に大きな影響を与えたのが13世紀にドミニコ会修道士のヤコブス・デ・ウォラギネが書いた「黄金伝説」の中の「マグダラの聖女マリア」だったようです。これには今まで述べた様々な伝承がすべて盛り込まれ、さらに隠遁生活の中で天使たちに導かれて空中を浮遊するといったエピソードや福音書家のヨハネと結婚までしたという話が言及されているそうです。ヨハネはノリタンを4福音書の中で唯一記し、マリア寄りの記述をしたのでこういう説が生まれたのでしょう。

  フロイトは男というものは女性を母親タイプか娼婦タイプかのどちらかを選ぶと言ったそうですが、その意味からは聖母マリアと悔悛した娼婦としてのマグダラのマリアがキリスト教の中に生まれたことは必然でもあり、彼女たちの存在はその布教に大きな力を発揮したのかもしれません。「聖なる娼婦」というのはもちろん矛盾する存在ですが、それだけに魅力的でしょう。文芸の世界でもドストエフスキーの「罪と罰」のソーニャを始めとして、バタイユに至るまで、この矛盾に深く魅せられた作家は数多くいると考えられます。娼婦に身を落とさざるをえなかった女性がかわいそうだからなんていう人道的・社会的な理由だけで、彼らがヒロインにしたりするはずはありません。

 

 

  このティッチアーノの「悔悛するマグダラ」には長い髪や香油壷が描かれていて、これまで述べた伝承を受けたものであることが明らかでしょう。しかし、それ以上にこの作品は崇高さと官能性の同居を理想的に表現したものだと思います。単にセクシーな体だけど、心は清らかなんていう薄っぺらなものじゃなく、その目を見ても宗教的であると同時に官能的でもあるエクスタシーを見ることができるでしょう。……中世の終わり頃に完成したマグダラのマリアのイメージが16世紀のルネサンスの巨匠によって完璧に表現されるようになるまでの美術史をこれから見ていくことにしましょう。

 


 

 

  アッシジの聖フランチェスコ(1182-1226)は放蕩から神への帰依という生涯と鳥や魚にも語りかけ、太陽や月を兄弟と見る自然観・宗教観においても極めて魅力的な人物ですが、彼の創始したフランスシスコ修道会と悔い改めた娼婦としてのマグダラのマリアはとても近しい存在であったようです。例えば上に掲げたジオットGiotto di Bondone(1267-1337)が描くアッシジの聖フランチェスコ大聖堂のフレスコ画「キリストの磔刑」(1310年頃)ではキリストの足に口づけするマリアと低い姿勢でひざまずくフランチェスコが描かれています。この絵では聖痕から吹き出す血を受けながら嘆き悲しむ天使が印象的ですが、これと同様の表現はジオットの最高傑作でもあり、ヨーロッパの長い絵画の歴史でも屈指の名作(だと私は思います)の「哀悼」(1303)において見ることができ、地上と空中(内面そのものということでしょう)の悲しみが一体となって心に訴えかけてきます。

 

 この絵でもやはりマリアは長い髪でキリストの足を抱いています。こうした絵はもちろん鑑賞されるためのものではなく、教会音楽と同じく説教の際の手段の一つであり、修道士たちが瞑想や祈りをささげる際の拠り所でもあったのでしょう。

 


 

 

  ヴェネチア生まれのクリヴェッリCarlo Crivelli(1430?-1495)の「マグダラのマリア」(1475)では一転して、冷たい気品の漂う贅沢な貴婦人の姿となります。世俗の富や美の虚しさを伝えるはずのマリアがその魅力を主張する存在に変えられているようにしか見えません。しかし、このクラナッハにも通じるファム・ファタール的な妖艶さは見事で、ルネサンス期のイタリア都市国家にはさぞや悪女にして美女がいっぱいいたんだろうなと想像したくなります。

 


 

 

  デッラルカNiccolo dell'Arca(1435-94)は世俗の信者によって受難のキリストを見習い、悔い改めるために結成された「鞭打ち苦行会」からの注文で「死せるキリストへの哀悼」というテラコッタによる彫像群からなる作品を作っています。キリストの遺体を囲んで、向かって左からアリマタヤのヨセフ、マリア・サロメ、聖母マリア、ヨハネ、クロバの妻マリア、そしてマグダラのマリアが等身大で配置されていて、蝋人形館のような趣向ですが、中でもマグダラのマリアの激しい悲嘆の様子は強い印象を与えるでしょう。

 世俗の信者たちにもわかりやすく共感でき、聖書の中の人物の悲しみや苦しみを分かち合う(compassion)という目的がよく現れたものだろうと思います。

 

 


 

 

 この未完のミケランジェロMichelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni(1475-1564)の「キリストの埋葬」は構図の大胆さが注目に値しますし、足元にはマグダラのマリアがいますが、それよりもこのフレスコ画はどうもサンタゴスティーノ聖堂の祭壇画として注文されたもののではないかということが重要です。この聖堂はチェザーレ・ボルジアの愛人であった高級娼婦フィアンメッタのための礼拝堂で、マグダラのマリアに奉献されたものだったのです。当時、王侯・貴族だけでなく、教皇や枢機卿は高級娼婦を愛人として囲っていて、彼女たちの地位も相当高く、例えばフェッラーラ公妃となったルクレツィア・ボルジアの母親も教皇の愛人であり、ファッション・リーダー的存在でもあったわけです。

 


 

 

 この復活したイエスをそれと気づかず見た瞬間のマリアを描いたサヴォルドGiovanni Gerolamo Savoldo (1480-1548)の「ラ・マッダレーナ」はこうした高級娼婦のポートレートの可能性があるようです。マッダレーナはもちろんマグダラという意味ですが、同時にこうした女性の源氏名としてよく用いられたものです。……こうしたことを現代に引き付けていろいろ言ってみたいような気もしますねw。

 


 

 

 ところが、こうした高級娼婦ではなく、ローマの街の娼婦をこともあろうに「聖母の死」(1605)のモデルに使ったしたとして批判されたのがカラヴァジオMichelangelo Merisi da Caravaggio (1571-1610) です。彼はその作品と殺人をも犯したという性格の激しさにおいてゴッホと双璧だろうと思いますが、この作品では粗末な部屋で板の上に聖母が飲んだくれて死んだ飲み屋のおかみのように描かれています。マグダラのマリアは手前で顔を伏せて泣いている近所の娼婦といったところで、その庶民性が1563年に終了したトリエント公会議による反宗教改革の時流の中で批判されたわけですが、もちろん現代の我々からすればそこがこの作品のリアリティでもあり、訴える力でもあるだろうと思います。彼は死というものと残された者の悲しみは誰でも同じで、だからこそ聖書に書かれた人物の聖性も宿るのだと考えていたのでしょう。……私はこの顔を見せないマグダラのマリアが今回紹介する中でいちばん好きかもしれません。

 


 

 

 さて、上で紹介したティッツィアーノには、胸を隠したマリア(1560年)もあります。聖書と人生のはかなさの象徴である髑髏が描き込まれるなどの違いがあるものの構図としてはほぼ同じものです。しかし、30年ほどの歳月を経て画家自身が時流に迎合したという感は否めないでしょう。聖女らしくあっても微妙なバランスで成り立っていた何かが失われてしまっています。

 


 

 

  ラ・トゥールGeorges de La Tour(1593-1652)はそのろうそくの光を生かした作品で最近人気があるようで、この「マグダラのマリア」もそうしたものです。確かに色彩と構図を単純化したところに近代的な雰囲気が感じられますが、私には着想だけに走ったようなところが感じられてあまり高くは評価できない画家です。映画の一場面のように見えるところが彼の長所でもあり、限界でもあるでしょう。

 


 

 

 マグダラのマリアがイエスの昇天後、苦行したという伝説を元にシラーニElisabetta Sirani(1638-65)が描いた「我が身を鞭打つマグダラ」(1663)は女性画家が聖女を題材にして描いたと思わないと(思っても?w)かなりアブナイ感じの絵です。デッラルカのところで出てきた「鞭打ち苦行会」のように自らを鞭打つことでイエスに近づこうという一種の宗教活動は中世以来あったんですが、それを女性が行うことも、絵画に描くことも風紀上の理由もあって公にはされて来なかったんですね。しかし、宗教的情熱が衰えてきたバロック時代になるとおそらく宗教的な理由がつけばいいじゃんってノリで登場してきます。

 


 

 

 さらに、クレオパトラの死を描いた作品で有名なカニャッチGuido Cagnacci(1601-63)の「悔悛するマグダラ」になると右手には鎖の鞭、左手には髑髏を微妙な位置に持ってあえいでいるとしか見えない……のは私が邪まなせいなんでしょうかw。それにしてもこの作品の画像を見つけるのは苦労しました。なぜそんなに熱意が続いたかはともかく。

 さて、かなり大ざっぱな感じになってしまいましたが、マグダラのマリアに帰せられた伝説が画家や注文主や何よりそれを見る人々の希望や要望や欲望によってだんだん肥大していく様子がわかっていただけたんじゃないかと思います。絵画の歴史は一般にそういうところがあるので、ノリタンでは時代を遡って作品が純化していくようなところを見てみたんですね。

  


 

 スーパー・エッシャー展

 

 

  07年1月初めにエッシャー展に行ってきました。美術展に行くのは本当にひさしぶりで、昨年末に今年は実物に復帰すると書いたのを早速実践しているわけです。この美術展では160点もの作品を見ることができるだけでなく、DS-liteを使って音声解説と画像によるガイドがあったり、CGを使ってエッシャーの版画を動かすことができたり、なかなかよく工夫されていて「スーパー」というだけのことはありました。

 

 

 さて、最初に掲げたのは実は彼の最後の作品「蛇」1969年です。自分の死期を予感したエッシャー(1898-1972)は最後には蛇を描こうと予め決めていたそうです。ヘッドフォンから「この作品では『だまし絵』的な技法は全く使われていません」という説明が流れてきたときに、「あ、わかっちゃった」と思いました。……蛇、特に尻尾を噛んだ蛇は古来からウロボロスとして輪廻や生命力の象徴ですが、そんなことは彼は百も承知で描いたはずです。籠のように重なり合った輪がその意味を強調していて、中心と外側に向かって小さくなりながら増殖していく様子は永遠の運動を表しているかのようです。現実にはありえない世界を描き続けたエッシャーとしては確かに例外的にありえなくはないものを描いていますが、現実からは遠く、どう見てもこれは彼の絵に見えると思います。それがなんなのか、その要素を考えてみれば逆にエッシャーのだまし絵的なものにだまされることなく彼の本質が見えるでしょう。

 で、それをこれから見ていきましょうというのがふつうですが、面倒だからいきなり結論を言いましょう。最期になって彼は「遊び」の要素を捨てて、ナマのメッセージを発したんだろうと思います。それは「私が死のうとも私は繰り返し存在し続ける」ということです。輪、円、繰り返しといったこの絵の要素が象徴する「永遠の生」という概念、これで彼の絵のほとんどを理解することができると思います。

 


 

 

 この有名な「滝」1961年は落ちた水がいつの間にか上がっていき水車を繰り返し回す「永久機関」を描いた典型的なだまし絵ですが、注目すべきは左下の奇妙な植物です。

 

 

 これは微細なこけを丹念にスケッチしたものが元になっているそうですが、生命力の象徴と考えていいでしょう。また、その横で永久機関を眺めているのは彼の自意識だと思います。

 


 

  自意識なんてうがちすぎだと思いますか? では、次の「上昇と下降」1960年を見てください。

 

 


 左側には同じ格好をした人物が奇妙な階段をぐるぐる回る衛兵たちを眺めていますね。それらに背を向けて階段に座っている人物も右下にいます。ところが、この階段もよく見ると左右がずれています。つまり「現実とは別の真実から目をそむけてもそれに取り込まれていることには変わりない」ということじゃないかと思います。この「永遠の生」についての二つの相反する態度を画家の自意識とみなすのはごく自然でしょう。

 


 

 

 この重力の方向が3つ、すなわち「下」が3通りある世界(決してバラバラではありません。恣意的なものは彼は嫌悪したでしょう)を描いた「相対性」1953年にもちゃんと植物が出てきますね。この絵では「繰り返し」は明らかではありませんが、次の奇妙な生物を描いた「階段の家」1951年ではずっとはっきり見ることができます。

 

 

 この生物はエッシャーがどのように6本の脚で歩くかとか、平坦な道では丸まって車輪となって猛スピードが出せるとかといった詳細な生態や「ペダルテルノロタンドモーヴェンス・ケントロクラトゥス・アルティクロース」という学名まで与えて愛したものです。脚は人間の足と酷似していて、横から見るとかたつむりのようならせんを描いています。

 


 

 

 植物のからみではこの「は虫類」1943年を掲げておきましょう。美術展ではワニがエッシャー自身の絵から出てきて、戻るのをCGで見せていました。とてもユーモアを感じる作品で、サボテンの反対側には世界の法則性を象徴しているかのように三角定規(ピタゴラスの定理を暗示)と正12面体(黄金比を暗示)が置かれています。それ以外にも見るものをからかうようにいろんなものが置かれていますが、エッシャーはスペインの教会の床のタイルを見ていて平面を形の違ったいくつかのタイルで埋め尽くす(平面の正則分割というそうです)技法に魅せられたそうです。それをここでは一種のパロディのように扱っているんでしょう。

 


 

 

  平面の正則分割の最も見事な例がこの「円の極限検陛傾颪斑蝋)」1960年で、円形が悪魔と天使によって無限に分割されています。これと最初に見た「蛇」はとても近いわけですが、ワニと蛇くらいの違いはありますw。蛇の絵の方は中心に向かっても無限になっていてドーナッツ形(トーラス)のようなイメージで、より象徴性が強いのです。

 


 

 

  さて、こうした調子で見ていくとキリがないので、少し毛色の違ったものを紹介しましょう。彼が生まれたオランダの田園風景が鳥に変化していく「昼と夜」1938年はとても有名で、彼の出世作となったものです。ここでも正則分割に基づいた繰り返しを見ることはできますが、ここまで見てきた作品のような閉塞感がありません。それは円環的な構成ではなく、発散する構成が取られ、は虫類ではなく鳥類がモチーフとなっているせいでしょう。

 


 

 

  このマルタ島の街並みを描いた「バルコニー」1945年はこの美術展のポスターにも使われているもので、建物が風船のように膨張した感じですね。その視覚的なインパクトだけのように一見思えますが、こちらの「写像球体を持つ手(球面鏡の自画像)」1935年と比較すると意味合いがわかってきます。

 

 

 占いのことを考えればわかるように、水晶玉の中にはもう一つの世界があるわけで、この建物の中にもそうした大きな水晶玉だか別の宇宙だかが充満しているんでしょう。そう考えればやたら窓が多くて、向こうからの視線を意識させようとしている理由も納得できます。

 


 

 最後に初期のバッハの平均律クラヴィア曲集の最初の曲を図案化した作品(1936年)を見ます。これは一周回るごとに1オクターヴずつ音階を下がっていくようにして旋律や和音を表現しています。

 

  

 

  美術展ではバッハの曲に合わせて棒がくるくる表れるCGがあってとてもおもしろかったものです。中心に近いほど高い音程ですから立体化してみれば蛇がとぐろを巻いたようになるわけで、彼が一生かけて追求したものの萌芽を見ることができます。それだけではなく、これは黄金比の記事で紹介したベルヌイらせんになっています。そこでも書いたようにこのらせんに永遠の生命力を見る人は少なくないのです。

 

 

 


 

  国立新美術館に行ってきました

 

 

 

 1月にできた国立新美術館は、いずれ何かいいのが来たら混んでなさそうな日にでも行こうかなって思っていたんですが、3月末までのタダ券が手に入ったんで、まあ建物だけでも見れればいいやってことで昨日の日曜日に行きました。六本木というか乃木坂というか、六本木トンネルのすぐ近く、六本木ヒルズやミッドタウンからも近いところにあります。





 これは正門の脇から撮ったんですが、波のような外観はいい感じです。





 上から見るとこのポスターのようになっていますが、ちょっとやりすぎのような感じもあります。





 中はこういう吹き抜けの大空間になっていて、「すごいなー、広いなー、でもこういうのって最近よくあるなー」って思いました。2階と3階に昔のSFに出てきた宇宙ステーションみたいなカフェだかレストランだかがあって、たくさんの人が並んでいました。どうせ高いし、並ぶのやだし、六本木の駅前でラーメン食べたばかりなので、横目で見るだけです。





 で、ポンピドー・センター所蔵展「異邦人たちのパリ」を見ました。20世紀のパリの美術ってほとんどが外国人によって担われてたわけですから、こういう括りならなんでもOKってところで、誰でも知ってる名前を挙げただけでもモディリアニ、ピカソ、シャガール、フジタ(藤田嗣治)、カンディンスキー、ミロ、ジャコメッティ、エルンスト、マン・レイって壮々たるものです。

 いいなって思ったのはモディリアニの「ロロット」とシャガールの「エッフェル塔の新郎新婦」でしょうか。ピカソはそれほど感心しませんでしたが、ブランクーシの「眠れるミューズ」やザッキンの「扇子を持つ女」、ガルガーリョの「フルートを吹くアルルカン」といったキュビスムの彫像がおもしろかったですね。立体化されたピカソの絵のような彫像をいろんな角度から眺めて、それでピカソの絵を見ると画面に押し込めた感じとやっぱり平面は平面で構成された感じとがあって。

 で、キュビスムやシュルレアリスム以降のアートにスペースがかなり割かれていました。それはポンピドー・センター自体がそうですし、ある意味感覚的におもしろいって思うか、しょーもないって思うかで見ていけばいいんですが、総じて言えば作品が巨大化しするのと比例して、どんどんテンションは下がっているように思えました。これは第2次大戦後、アートがもうかるものになったことと無関係ではないでしょう。もちろんそういう傾向への反発から生まれた60年代の具象革命と呼ばれる作品もありますが、現在見ると落ち着きの悪いままに古びてしまったように見えます。





 さて、思ったよりは人が多くなく、さっさと見て行く分にはあまり問題はなかったんですが、なんだかデパートの展覧会を見ているような気がしました。外国の美術館とまでは言いませんが、上野のいくつかの美術館でももうちょっと風格と言うか、たたずまいがあるのに。……それはここが所蔵作品を持たない、言わば巨大な貸し画廊だからでしょう。一応、学芸員はいるんでしょうけど、所蔵作品に過剰なまでの思い入れを持つキューレーターは必要ないわけです。簡単に言ってしまえばハコもの予算はつくけど、中身には予算がつかないという我が国の文化行政の縮図ですし、美術館なんて言ってもデート・スポットの一つでしかない人たちにはそれで十分でしょう。





 そう思って見るとチケットを買って展示室を回って出てくるだけの美術館とは違って、うろうろ時間を過ごすのにはうってつけです。





 で、最初のポスターにもありましたけど、ここを設計した黒川紀章の展覧会もやっていました(「20世紀美術探検―アーティストたちの三つの冒険物語―」っていうのもやってましたが、タダ券では入れなかったのでパスしました)。そこは逆にだだ広い空間を惜しげもなく使ったもので、なんだか自慢たらしい感じでした。疲れていたこともあってマジメに見てないんですが、彼が今度の都知事選に立候補するからってこともありますけど、改めて建築家ってアーティストの側面と政治家の側面の両方が必要なんだなって思いました。……その両方が必要っていうことでは宗教家も同じで、そういう感じが漂っている黒川が政治家になりたがるのは理解しやすいように思いました。

 ……そんなこんなでまた六本木にふさわしいハコものができたなって、米軍の基地を横目で見ながら西麻布の方へ歩いていったのでした。



  

 なーんか… (ぽけっと)

 スターウォーズのdeath starの内部みたいですね。

ルークと帝国の皇帝が戦ってた場所。

ハコだけで中の充実度はいまいちなのですね、よくあるけどそれって悲しい…でもここはハコ自体が見ものなんだから、それでもまあ、いいですね。

六本木は行きにくいし、やっぱり上野が雰囲気あるような気もするし、個人的にはあまりそっちがメインになって欲しくないな、て思ってますw

 

 スターウォーズですか (夢のもつれ)

 言われてみればそうで、「あの頃の未来にぼくらはいるのかな〜♪」って感じですね。

所蔵作品がないって、パイプオルガンのあるホールをやたら作った以上に恥ずかしいと思いますけど、日本で西洋の美術を見ようとするとそうなっちゃうのかなぁ。

だから、小なりと言えども志のある上野の方がいいと思いますよ。

 


 

  東京ミッドタウンに行ってきました

 

 

 最近、こんなのばっかり書いてる気がしますが、まあネタも知恵もないんで仕方ありません。六本木の防衛庁の跡地にできたミッドタウンのオープンは3月30日だそうですが、その前の内覧会のチケットが手に入りました。夜来の雨がまだ残っている中を歩いて行きます。先日の国立新美術館とは目と鼻の先、もちろんこちらの方が大江戸線の出口すぐで足の便はいいです。

 六本木の交差点を曲がると日曜日の午前中とは思えない人通り、おそらくミッドタウンに行く人たちでしょう。元々六本木はターミナルでもなんでもないところですから、道が狭い。この外苑西通りの歩道は特に狭くて、金曜日の夜なんか歩きにくくてしょうがないですね。地方都市の広くてガラガラのアーケードに分けてあげたいです。……なんてことを考えながら歩いて行くと見えてきました。ま、何回も見てますが、タワー部分に雲がかかっているのが風情があると言えばある、ないと言えばないw。入り口はけっこう混雑していました。内覧会なんて言っても私に回ってくるくらいですから、何万枚と撒いたんでしょう。オープン後よりはましと思って我慢するしかありません。





 中から見上げてもタワーの先は雲がかかっています。地下から入って行ったんですが、プロムナードと言うのかアーケードと言うのか画像のように最近のデパ地下ふうのお店が並んでいます。








 本館とおぼしきところに入ると吹き抜けになっています。これもわりとよく見るタイプの♪造りです。その奥が庭を見渡すラウンジになっていてなかなかいい感じです。オブジェがあったりして美術館っぽいですね。靴下の中に石のようなものが入っていてずっと気になっていたんで、椅子に座って靴と靴下を脱いでパタパタしていたら係の人が「東京ミッドタウンにようこそいらっしゃいました」と声を掛けてくれました。上客に見えたのでしょうw。





 上の階にサントリー美術館があります。国立新美術館を中心に六本木ヒルズの森美術館と合わせて、この辺りは芸術の中心地になるんだそうです。加えてさっき通った道には風俗紹介店もありますw。混んでるのが目に見えているので見たくもないんですが、タダ券がある以上入らざるをえません。人の好意は素直に受けなさいという親の教育の賜物でしょう。親は減らず口を教えた覚えはないんでしょうけど。




画像の左側が展示室で階段の上も同じ造りです。やっぱり人が多いです。特に小さなものの前には群れていて、たぶん目玉の一つの狩野探幽の屏風絵には端っこの解説のところ以外にはパラパラとしか人はいません。空いてるところで見ればいいわけです。





 近寄って細密描写を点検し、遠ざかって右隻・左隻の対比を見て取る、尾形光琳の作品を見たらまた戻って構図や筆勢の違いを味わう。……要は人の流れを邪魔してるわけでお互い迷惑です。嫌々入ったんならやめておけばいいのにと自分でも思います。きれいね。うまいね。私にとっては無意味な言葉が聞こえます。まるで動物園です。室町時代から江戸時代にかけての屏風絵などの絵画、能装束などの着物、鉢や壷などの焼き物、ガラスの酒器がここには並べられていますが、すべて実用性のあるもので、「芸術」ではありません。





 今日は朝廷から○○様がお見えになる。屏風はこれ、床の間の花器はあれ、宴会に使う鉢と酒器はこれ、能楽師はあの装束がよい。季節はもちろん、相手の好み、主人の趣向、お互いの思惑などを考えて。いや、私ならそうするということに過ぎません。ただの妄想です。ガラスケースの中に閉じ込められたものたちは、自分はこういうふうに使われ、触られ、役割を果たしてきたと言います。ただ見られるだけなんて、飼い殺しだと。野生の動物を閉じ込めた動物園です。……いや、例外がありました。最後にあった古田織部と尾形乾山の焼き物だけは「芸術」でした。まるで品種改良を重ねた犬か猫のように。それでも触られ、愛玩されることは欲していましたが。




 こういうところに来るといつも思うんですが、私が買いたくなるものってまずありません。まあ、女性用のアパレルが多いから当然ですけど、男性向けの店はもっと目が向きません。お店の中も混んでいないようです。でも、食べ物屋さんだけはどこも行列ができていました。ここで食べなくても駅の途中にいっぱいあるだろうと思って、通路から中が見えるカフェに目を遣るとパスタにデジカメを向けている女性がいました。たぶんブログにでも載せるんでしょう。ネタも知恵もないことです。





 画像を見てもわかるように六本木ヒルズよりも単純な設計で方向感覚がつかみやすいですが、それだけにユニークさはありません。でも、オープン後はたくさんの人が来るでしょう。大して広くない表参道ヒルズが混雑していたように。でも、次の新名所ができるまでという気もします。汐留シオサイトはもうガラガラだとか聞きました。……東京は人間も施設も使い捨てるのが好きなんでしょう。タワーの方は今日は登れないということなので、外に出てなんだかほっとしました。交差点の手前のインド料理店でマトンとほうれん草の2種類のカレーと大きなナンを食べて、ラッシーを飲んで帰りました。

 


 

 ダ・ヴィンチ展に行ってきました

 

 上野は遠いし、どうせ混んでるに決まってるしで気が進まなかったんですが、平日の朝一番、寒くて雨も降りそうな日だから一縷の望みを託してダ・ヴィンチの「受胎告知」を見に行きました。入るまでに10分ほど掛かったけれど、まだいい方だったんでしょうね。帰りには行列は何倍にもなっていましたから。のっけから文句ばかり言いますが、肝心の絵の前に何重にも人垣ができて押し合いへし合いしたり、「きれいねえ」とか「上手ねえ」とかいう声が聞こえるのは日本で展覧会に行くという一大決心wを立てた以上、修行とでも思うしかありません。コンサートで「ウィーンフィルの演奏の方がよかった」とか「サントリーホールで聴きたかったな」といった声が聞こえても殺意を覚えてはいけないのと同じですw。

 でも、あの暗い電灯の下でなんで見なきゃいかんのだという気はしました。絵画は自然光の下で見るものです。ウフィツィ美術館側がそう要求したのかなって思いますが、あれではなんだかだまされたような気分です。とは言え、最新デジタル技術による何十万円もする複製画にはマティエールが全くなかったんで、かえって本物を見てよかったと浅ましく思いました。

 絵画作品としては「受胎告知」しかありません。これまたイタリアではない以上、致し方ありません。その代わりいろんな素描を元にしたかなりの分量の展示がありました。人間を中心とした自然のメカニズムを研究し続けたダ・ヴィンチの仕事をたどるといった趣きで、なかなかおもしろいものでした。力学的に飛行不能の飛行機の実物大の模型や戦争によって中断を余儀なくされた巨大なブロンズの「スフォルツァ騎馬像」の鋳造方法の工夫や何より鏡文字で書かれた膨大なスケッチを見ていると、思索中心の哲学から実験結果を数学的に記述する科学に変わっていく過渡期の技術と芸術、つまりアートの人なのかなっていう印象でした。彼は万能の天才と言われたりしますが、そういうことより何にでも関心があって、自己流にいろいろ手を動かして考えるのが好きな人だったんだなって思いました。

 私はダ・ヴィンチの絵画はよくわかりません。「モナ・リザ」や「最後の晩餐」については現在でもいろんな“解釈”があって議論が尽きないようで、確かに隠された意味があるように見えます。ただそれが明らかにできるようなものなのかと言うとあまりそんな気はしません。彼自身が自分の作品を謎めかして描いているように思うからです。なんらかの“解釈”でダ・ヴィンチをつかまえようとしてもするりと脱け出てしまうようなところがあるんじゃないかと。……



 そんなことを「受胎告知」を見ながら思いました。例えばこの絵の中央奥、一点透視法の消失点には青い山が空気遠近法で描かれていますが、この山はイエスを暗示したものだと言われます。また、この絵にはまだ20歳くらいだったダ・ヴィンチの稚拙さが現れていて、天使ガブリエルの奇妙に長い体やイザヤ書(なぜイザヤ書が出てくるのかは私のサイトの「聖母マリアは処女だったのか?」を見てください)を置いた書見台が手前すぎるといったことは、この絵が横に長いことと合わせ、右斜めから鑑賞されることを計算したものだと言われます。こういったことは間違ってはいないのでしょうが、だからといってこの聖母マリアの謎めいた表情を明らかにしてくるとも思いません。

 さっき挙げた私のサイトにはフラ・アンジェリコの絵を掲げてあります。その聖母が告知を身をかがめるようにして受け入れる敬虔さと突然子を持つことになった不安の表情が少女っぽい顔に浮かんでいるところに素直に共感できたからです。どんな画家による「受胎告知」であってもおそらくこの「敬虔さ」、「不安」、「初々しさ」といった言葉で括ることができるでしょう。ダ・ヴィンチを除いて。





 聖母マリアの左手は告知を受けた驚きを表わしていると言いますが、全然そんな感じはしません。天使が指で示したものを悠然と受け止めているように見えます。いや、悠然と言うよりは無表情に近いとすら感じます。彼は感情表現が不得意だったのでしょうか?……困ってしまった私は彼が弟子入りしたヴェロッキオの作品をぐぐってみました。





 この聖母子と洗礼者ヨハネと聖ドナトゥスを描いた絵も表情が乏しい点では近いかもしれませんが、緊迫感や謎めいた雰囲気はありません。カーペットの細密な描写は大したものですが、そうしたものをいくら積み上げてもダ・ヴィンチの絵のようにはならないことがわかるでしょう。では、いっそのことこれはどうでしょう。




 
 このデッサンが実は検索した結果で、いちばんいい絵だなと思ったものですが、これじゃあダ・ヴィンチっぽすぎます。しかし、例えばダ・ヴィンチだとこうです。





 同じような雰囲気でありながら、先生よりずっと先に行っていることは明らかでしょう。ヴェロッキオは彫像の方が優れたものが多いようで、それはこのサイトを見ていただくとわかると思うんですが、それにしてもダ・ヴィンチの技量のすごさを確認しただけのようです。……なんでもかんでも研究し、分析した彼は自分の絵だけは分析しきれない謎のままに残したような気がします。

 


 

 モネ展に行ってしまいました

 

 ちょっとひさしぶりに展覧会に行こうと思って、ホントは街角でポスターを見た「ロマネスク美術展」に行くつもりだったんですが、出掛けにネットでチェックしたら「ロマネスク美術写真展」でした。いくらよく撮れててもあちこちうろうろきょろきょろ見るのが美術鑑賞の正しい方法と思っている私には合わないんで断念しました。でも、展覧会に行くぞモードに入っているんで、まあパスしてもいいかなって思ってた国立新美術館の「モネ展」がもうすぐ終わる(07年7/2まで)と知って、じゃあ行きますかとなりました。

 ところが、暑い中をえっちらおっちら歩いて行くと平日の朝いちばんだというのに人がいっぱい。正直、あれは絵画を鑑賞する状況じゃないでしょ。脇のいくつかの部屋でモネと関連する画家ってことで、現代美術のリキステインとかの作品が展示されていてそこだけがまともな空間でした。でも、そんなに浸りたくなるような作品もないんでまた雑踏の中に戻るしかありませんでした。何よりおそろしかったのが1時間ちょっといて、出てみたら既に1時間待ちになっていたことです。今度はマイナーなのにしようって、並行して行われてる各種展覧会の入り口を見ながら決心しました。

 そんな調子だったんで、長くて暑苦しい文章を書く気もしないので、簡単に書きます。それから画像は、ネットで見つけた同じような作品で代替していて、展覧会にあったのとは違う場合があります。

 

 

 

 モネの構図はかなり作為的だった。……彼は色彩のことばかり言われるような気がしますが、三角の建物の屋根の連なりとか、ポプラ並木とかを見るとリズムを作り出すようにいろいろ工夫していることがわかります。ポプラ並木を伐採する計画を聞いて大金をはたいて待ってもらったり、有名な「サン・ラザール駅」を描くとき、煙をたくさん出してもらうよう頼んだりしたそうです。

 

 

 

 モネの絵はだまし絵みたい。……この雪景色を描いた「かささぎ」は適当な距離から見る(画面の対角線の3倍くらいだと思いますが)と写真と見間違えるような圧倒的なリアリティを持って迫ってきます。でも、近づいて見ると適当に描かれたような色と線にしか見えません。そういう遠近の見え方の差はモネの常套手段と言っていいくらいです。

 

 

 モネは朝と夕方が好き。……この「ラ・ロシュ-ブロンの村、夕暮れ」はかなり極端な例ですが、辺りがバラ色に染まる朝の光とすべてが紫色に溶けていく夕暮れの光を繰り返し描いています。その延長上に霧に包まれたロンドンの風景があるわけです。

 

 

 睡蓮は空に浮かぶ。……モネと言えば睡蓮で晩年はそればかり描いていたようなイメージがあります。実際、何点かの睡蓮の絵を見て、彼の絵の集約であり、終着点だという気がしました。睡蓮に向こうに逆さまに映る空という構図、空が見えてくると睡蓮が浮かび上がるだまし絵的効果、朝夕の光の中で表情を変える風景。視力が衰えていった画家はそんな世界に繰り返し戻っていったのかなと思いました。

 

   

 


 

  納涼現代アート展

 

 

 たまたまネットでこの画像を見かけて、居ても立ってもいられなくなって、と言うと誤解されそうですが、まあとっても見たくなって日本橋のギャラリー・ショウってところに「納涼現代アート展〜今年の夏はエロス祭りで〜」を見に行って来ました。高島屋の前の道を京橋側に少し行ったところで、ビルの脇から地下に入るんでちょっとわかりにくいです。行き過ぎて青木繁の「海の幸」とかやってるブリヂストン美術館まで行っちゃいましたが、元々そんなつもりはないので入らないで初志貫徹です。カレーを食べたいって思って出かけちゃうと修正が効かないのと同じようなものですか。

 とても小さなギャラリーで入場無料、30ほどの作品が飾ってあるだけで、ほとんど他のお客はいません。思う存分ヌードを見ることができます。少しだけ絵画がありましたが、目立つのはGuido Argentiniと荒木経惟の写真です。

 このArgentiniの"Tereza with Latex Gloves in a Bathroom"は1m×1mの大きさで見ると焦点はどうも蛇口辺りにあるようでした。そう気づくとなんとも官能的な形で光っていて、石鹸や裸電球も何やら意味深に見えてきます。それはウソで、Terezaのお尻やチェーンや手錠(?)、何よりその目が気になっているわけですが。……これは98年の作品ですけど、私はもっとレトロな感じがしました。

 

 

 こっちの"Linda Sitting on a Broken TV"は05年のカラーの作品ですが、やっぱりレトロっぽさがあるようです。エロティシズムは全く感じなくて、場末のモーテルでの娼婦と古びたテレビをめぐる物語を考えてもいいでしょうし、テレビがこれから映し出すものを想像してもいいでしょう。……彼の作品はたぶん女性にも受け入れられるもので、例えば小粋なバーや美容院に飾れば似合うような気がします。

 アラーキーのは局部がそのまま映ったSM写真と言えばわかりやすいでしょう。というか、あんまり彼の作品を見たことはないんですが、それでもあのどこに焦点があるのかはっきりしない粒子の荒れた写真はわかるのとわからないのと落差が激しくて、今回のはかなりわからない方でした。

 

 

 で、この展覧会はギャラリーで行われたものなんで、作品は販売されています。確か85万円の"Tereza"を始め、Argentiniの作品には赤いマークがついているのが多かったように思います。アラーキーのはすべて非売品でした。高いか安いか、値がつくかつかないかは私にはわかりませんが、ヌード自体がネットでいくらでも過激なものを見ることができるんで、スケベ心で見に来たんじゃないっていう言い訳はできそうに思いますw。

 


 

   フェルメールとオランダ風俗画

 新国立美術館に「フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」を見に行きました。これはアムステルダム国立美術館の所蔵品から17世紀から19世紀にかけてのオランダの風俗画と工芸品を持って来たものです、「牛乳を注ぐ女」と関連する絵画を見るという意味で勉強になりました。展覧会のカタログとアムステルダム国立美術館のサイトを参考にして少し書いてみます。

 

 

 フェルメールの作品を見る前にオランダ風俗画について知るために同時代の作品を見ておきましょう。まずヤン・ステーンの「二種類の遊び」(1664)です。バックギャモンで表される賭け事と女将に戯れる老人で表される色事が描かれているのはすぐにわかります。バックギャモンは怠惰と愚行の象徴といったところで、ゲームに熱中して立ち上がった男が座っていた椅子が手前に転がっています。そのそばで下腹部をなめる犬は淫蕩を象徴し、老人を拒んでいる女将が実はその気がないこともないことを表わしています。彼女の赤いストッキングはしばしば娼婦が身に着けたもので、パイプの置かれた火鉢も情熱や性愛的な意味を持っています。

 

 

 次はハブリエル・メツーの「猫の朝食」(1662-64)です。気だるい表情で猫にエサをやる女性が描かれていますが、この行為自体が当時としては贅沢なものです。その金銭的な余裕の背後には富裕な愛人がいて、花瓶の花は贈り物なんでしょう。前面の雄鶏にはエロティックな意味合いがあるのでそれを裏書します。しかし、結婚や婚約を象徴する撫子が散っていることから彼女の恋愛の先行きも暗示されています。

 こうやって解説すると当時の風俗画が絵解きを促すものであるということがわかるでしょう。絵画のアレゴリー(寓意的)についてはペレダの「虚しさの寓意」やフェルメールの「画家のアトリエ」について書いた時に紹介しましたが、その起源は聖書の場面をモチーフにした宗教画にあるんでしょう(その例としてはノリタンNoli me Tangere を元にいろいろ書いたものを見てください)。つまり宗教画から宗教色を抜いて(ただ道徳的お説教のにおいはあります)、お話を背後に持ったものが当時の市民階級に好まれたんでしょう。我々は良かれ悪しかれ印象派の美意識に支配されているところがあって、「美しいものは美しい、意味なんかない」と知的アプローチを拒否して主観的に見るのを良しとしがちですが、多くの絵は客観的な意味を持っています。

 

 

 そこでフェルメールの「牛乳を注ぐ女」(1658-59)ですが、見た人の多くはこの名作が小さいことに意外な思いを抱いたことでしょう。この展覧会の絵は多くが小さいもので、ルーベンスが王侯貴族のために描いた巨大な作品とは問題になりません。絵の大きさは値段や飾る部屋の広さと関係しますから、買ってくれる人の経済力に比例するはずで、この展覧会にもいくつか小さなエッチングが展示されていたレンブラントの「夜警」が大きいのは組合員の共同出資だからです。

 この女中はパンをちぎって壷に入れ、ミルクを注いで真鍮のポットの中のビールを加えて発酵させるパン粥を作っているという説があるそうです。これはかなり本当らしく思えます。また右の床に置かれたのは火鉢で、その後ろのタイルにはキューピッドが描かれているのでやはり性愛的意味合いを読み取ることができます。ただどうもこの名画の宗教性さえ感じさせる気品のせいなのか、そうした見方は曖昧に否定されることが多いようです。さらに緑のクロスが掛けられたテーブルの形はよく見ると奇妙ですが、これは八角形のものを半分に畳んだのではないか。

 このように個別的には興味深い発見はあるんですが、これらを統合して先に見た絵のようにすっきり解釈することはむずかしい感じです。フェルメールの絵がただ単に美しいだけでなく何らかのアレゴリーを含んでいるのは間違いないと思うんですが、同時に答は隠されているようです。謎めかしてはぐらかすような、誘いながら拒むような。それは容器や籠が質感まで緻密に描かれながら、女中の表情を影に沈め曖昧になっているのと対応するかのようです。

 

 

 フェルメールの二重性を明らかにするために19世紀の作品を見ましょう。最初はヤーコブ・マリスの「窓辺の少女」(1865-75)で、パリに暮らし、コローやミレーといったバルビゾン派の影響下に窓辺で女中が休息を取っているところを描いています。素早く荒いデッサンに絵の具を載せたような筆致はドガを思わせるものがあります。

 

 

 ニコラス・ヴァーイの「アムステルダムの孤児院の少女」もやはり窓からの光に浮かび上がる少女の絵で、赤、黒、白の制服はアムステルダムの市立孤児院のものです。画面全体の処理は印象派的ですが、少女の胸から顔にかけてはロマンティックな甘い気分が漂っています。どちらの絵もふと目にした光景をそのまま描いたスナップショットのような趣きが見る者との距離を感じさせないもので、謎めいたところはもちろんアレゴリカルなところはありません。例えば孤児院にいる少女がどんな本を読んでいるのか、まあ聖書かなくらいの想像しかできませんし、マリスの少女に至ってはなぜ物思いに耽っているのか想像する術はありません。そうではなく画面から感じ取れる感情というか気分がこれらの絵の魅力であったはずです。こう考えるとフェルメールの絵は同時代の絵とも後の時代の絵とも共通する要素を持ちながら、それらには還元できない独自の特徴を有しているようです。

 


 

  ミレイをめぐる対話

 

我々は先日、渋谷のBunkamuraのミレイの展覧会へ行って来た。
「『オフィーリア』に会いに行ったわけね」
「うん。とても久しぶりだね。」
「どうだった?昔のあこがれの人に再会した気分は」





「あれ?こんなに小さかったのかなって感じ。76cm×112cmだから小さい絵じゃないけど、テート美術館で見たときは目の前に広がるような」
「そういうことってあるね。入り込んだ心の面積の問題?」
「画面の上がアーチ型になってるのも覚えていなかったね。記憶とズレがあって落ち着かなかったな」





「『マリアナ』はミレイの特徴であるストーリー性が読み取りやすいものね。テニスンの『私の人生は侘しい。あの人は来ないもの』という詩を描いたわけだけど」
「ステンドグラスの受胎告知、テーブルの上の木の葉、後ろの祭壇の銀器、そうしたものはすべて主人公のちょっとドキッとするようなポーズの文脈を明らかにしてるんだね」
「覗き見的な感じすらあるでしょ?欲求不満の女って男は好きだから」
「ありそうでないもの、ある意味ウソ臭いものを文学と結びつけて成立させてるところがあるね」





「『北西航路』のような政治的な作品になると解説を聞いて、『あー、そうなの?』という反応しかできないね」
「この絵が北極海を通る航路の探検隊の派遣を支持する世論を醸成したって言われてもね。老いた船乗りを娘が慰めているようにしか見えない」
「小道具の意味を読み解くのも面倒なような」





「この『ハートは切り札』はおもしろいわね。ウォルター・アームストロングっていう実業家がミレイの絵を気に入って自分の3人の娘を描かせたものだけど、たぶん見合い写真的な意味もあったんでしょ」
「向かって右のメアリーが誘うような目で、ハートが集まった手札を見せてる」
「左のエリザベスの髪型がいいわね。内気そうだけど、しっかり計略をめぐらせてるっていうか」
「真ん中のダイアナはあまり魅力的じゃあないね。ぼんやり顔色をうかがっているような」
「でも、1872年にこの作品が描かれたすぐ後にウォルターは詐欺に遭って破産して、美術品も売らざるを得なくなったんだけど、結婚していたダイアナの夫がこの絵を引き取ったのよね」
「ミレイのストーリー性の成せる業かな」





「『初めての説教』は当時流行ったファンシー・ピクチャーって呼ばれるものの一つだけど、女の子の表情はやっぱりうまいわね」
「教会で初めて聞くお説教に固くなってる様子がよくわかるね。で、それが『二度目の説教』では……」





「2枚組にして事の前後を描くってよくあったらしいけど、思わず微笑しちゃうわね」




「この『両親の家のキリスト』が気になったの?」
「うん。幼いキリストが父ヨゼフの仕事を手伝って手のひらにケガをした、そこに寄り添いいたわる聖母マリアが不吉な予感を覚えた。向こう側にいるのは祖母のアンナで、おずおずと水を持って来るのは洗礼者ヨハネとすぐにわかるでしょ?」
「聖書にはこんな場面はないけど、イエスの頭上の鳩や屋外の羊やその他の小道具にもいろいろ聖書の図象学的伝統に則った意味があって、わかりやすいね」
「6人の登場人物の頭部を結ぶとアーチの真ん中に聖母子がいるようでもあるし、2つの三角形が触れ合っているように見えて、三位一体を表しているのかな。それも中世以来の宗教画の伝統を感じさせるわ。そこまではいいんだけど」
「でも?」
「向かって左の背中をかがめて様子をうかがっているヨゼフの助手らしい若い男が何を、あるいは誰を表象しているのかがよくわからないのよ」
「そう言えばそうだ。腰に巻いた布の模様も気になるね」
「他の人物には模様なんかない。……じゃあ、現代人の視点?」
「ああ、そうかも」
「この絵は神々しさを欠いたマリアの表情が当時非難の対象になったそうだけど」
「1850年でも宗教がらみだと感情的になる人が多かったんだね」
「何か言いたくなるような生々しさがあるのよ。装飾的じゃないし。ミレイらしくないから目立つのかしら」