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   Noli me Tangere 我に触れるな

 

 ヨハネ福音書のエピソード

 

 イワノフ/ジョルダーノ/ラッギ/プッサン/カーノ

 ヤン・ブリューゲル/アルバーニ/バロッチ/フォンタナ/ブロンジーノ

 サストリス/ヴェロネーゼ/バルドゥング・グリーン/ポントルモ/ホルバイン

 1520年頃の無名のレリーフ/コレッジョ/ティッチアーノ/デューラー/デル・サルト

 コルネリスツ/バルトロメオ/ペルジーノ/ボッティチェリ/リーメンシュナイダー

 ションガウアー/メムリンク/フラ・アンジェリコ/ドゥチョ/ジオット/11世紀の無名のレリーフ

 

 聖書の記述について/ジャン-リュック・ナンシーの書物

 

 


 

 ヨハネ福音書第20章に次のようなエピソードが語られています。

 磔刑で死んだイエスが弟子たちによって埋葬されてしばらくしてから、墓からふたにしていた石が取り除けられ、死体がなくなっていました。イエスの復活を信じていなかった弟子たちはそのまま自分たちのところに帰りますが、マグダラのマリアは墓にたたずんで泣いていました。すると二人の御使いがイエスの死体があったところに座っています。御使いは彼女に訊きます。

「なぜ泣いているのですか?」

「誰かが私の主を取って行ってしまったのです。どこにいったのかわからないんです」

 そう答えて振り向くとイエスが立っていましたが、彼女は気づきませんでした。イエスが訊きます。

「なぜ泣いているのですか。誰を探しているのですか?」

 マリアはそこの庭師だと思いました。私の見ている聖書では墓のある園の管理人となっていますが、美術上は庭師と歴史的に理解されていて鋤や鍬を持っていることが多いのです。

「あなたがあの方を運んだのでしたら、どこに置いたか教えてください。私が引き取ります」

 イエスは彼女に「マリア」と呼びかけます。

 それでイエスだとわかったマリアはヘブライ語で『先生』の意味の「ラボニ」と呼びかけて、駆け寄ろうとします。しかし、イエスはこう言います。

「私に触れてはいけません(Noli me tangere)。私はまだ父のもとに上っていないからです。私の兄弟たちのところに行って告げなさい。『私は、私の父でありまたあなたがたの父、私の神でありまたあなたがたの神のもとに上るのだ』と」

 マリアは弟子たちのところに行って、これらのことを告げました。……


 この劇的な内容に基づいて多くの傑作が産まれました。これから、傑作もそうでもないものも、サイトで見つけることのできた作品すべてを新しいものから時代を遡りながら見ていきます。古い絵画は見慣れていないためとっつきが悪いでしょうし、宗教画となればなおさらで、通常の美術史のような古いもの順では良さがわかりにくいと思ったんですね。日本ではほとんど知られていない画家もかなり登場するんですが、経歴などは主にウィキペディアの英語版を参照しました。



 

 

  まず最初はロシアの画家イワノフAlexander Andreyevich Ivanov(1806-58)の作品です。これは1834-36年に描かれたもので、ドラクロワが「民衆を率いる自由の女神」を描いたのが1830年ですから、フランスでは既にロマン主義の時代になっていて、こういう宗教的な題材や古典主義的な描き方はかなり時代遅れだったと言っていいでしょう。実際のところ彼が20年をかけて完成した大作「人びとの前に現れるキリスト」は当時、評価されなかったそうです。しかし、この作品を見るとイエスの気品に満ちた表情とギリシア彫刻のようなポーズ、マグダラのマリアの愛らしくかつ困惑した表情と右上に引っ張られた三角形の構図による動きの表現には確かな技術を感じさせます。

 


 

 

 教会の天井画などを得意にし、スペインナポリで活躍したジョルダーノLuca Giordano(1634-1705)の1687年頃の作品で、イワノフから一気に150年年ほど遡ります。宗教的な題材への需要が時代を下るにつれてなくなって来たからだろうと思います。ジョルダーノはとても筆が速く、"Luca Fa-presto"(仕事の速いルカ)と呼ばれていたそうです。動きのある流麗な筆致が印象的である反面、内容が希薄な感じがするので、ちょっとルーベンスに似ているように感じます。この時期としてはめずらしくイエスとマリアに光の輪をかぶせ天使まで登場させていて、イワノフのようなリアリズムとはかなり違います。教会フレスコ画をたくさん描いていた人らしい演出だと思います。

 


 

 

 イタリア彫刻家ラッギAntonio Raggi(1624-86)です。彼はベルニーニの元で修行し、サンタンジェロ城の前の橋の彫刻を手がけました。このSanti Domenico e Sisto(聖ドメニコと聖シクストゥス)教会にある作品(制作年はわからないのですが、一応40歳頃としました)もベルニーニがデザインしたもののようです。イエスの胸や腕の描写力は優れたものですが、全体として見ると力強さ・量感に乏しい感じがします。とは言っても、彫刻こそ実物を可能な限り四方八方から見ないと真価はわからないのですが。

 


 

 

 17世紀フランス古典主義絵画を代表するプッサン(下が自画像です)Nicolas Poussin(1594-1665)の作品です。この1653年の作品では人物が画面に押し込められるように描かれ、しかもイエスの手はマリアの手によって包み込まれて、拒絶というテーマにもかかわらず、とても親密な空間が作られています。さらに、彼女はイエスの方からの光に照らされ、恍惚の表情を浮かべているように見えます。庭師としか見えないイエスよりもマリアを中心に置いた作品と言っていいでしょう。

 

 プッサンの「アルカディアの羊飼いたち」は、黄金比とフィボナッチ数列の記事で触れたダヴィンチ・コードで有名になったシオン修道会が守ってきた(イエスとマグダラのマリアが結婚し、子孫も残していたという)秘密と関連があるそうですが、それを念頭に置くとイエスの拒絶が強いものでないのもうなずけないこともないような。

 


 

 

  スペインの画家・彫刻家・建築家のカーノAlonzo Cano(1601-67)の1640年の作品です。ヴェラスケスやムリリョらとともにスペイン・バロック美術の最盛期に活躍しました。「我に触れるな」って言いながらマリアの頭を押さえてるじゃんって突っ込みwたくなりますが、表情も険しくてとても荒々しい感じのイエスですね。後で述べるナンシーの本では"Noli me tangere"は状態を表し、イエスは「もう触ってはいけない」と言った、だからイエスの手がマリアに触れている作品はかえって伝統に則っているのだということを述べていますが、絵画としてはイエスの拒絶をいかに表現するかというのが眼目なんでしょうから、あまり意味のある解釈とは思えません。

 マリアが掛けているマントがとても豪華なので、世俗の栄華を退ける意味があるんだろうと思います。イエスの体が強くひねられていること、処刑されたときの傷(聖痕)がわき腹と足の甲に見えること、何よりふつうはマリアの表情がポイントになるのにそれがはっきりとは描かれていないことなど、かなり特異な作品だと思います。イエスの姿勢や背景のイタリア・ルネサンス期ふうの田園風景には、後に出てくるティッチアーノやコレッジョの影響が感じられます。

 


 

 

  ヤン・ブリューゲル(子)Jan Brueghel(1601-1678)です。彼は巨匠ピーター・ブリューゲルの甥で、同じ名前の父親の元で修行しました。 この作品は1630年頃のものですが、まあフランドル地方の風俗画そのもので、花や果物や樹木をごちゃごちゃと器用に描いています。タイトルを知らないと農民の夫婦ゲンカだと思う人が多いんじゃないでしょうか。伯父さんのピーターだと同じように聖書の場面をフランドルの風景の中で描いても「幼児虐殺」のようにのっぴきならない緊張感があるんですが。

 


 

 

 ボローニャ派のアルバーニFrancesco Albani(1578-1660)です。彼は受胎告知のような宗教的な奇跡やギリシア・ローマ神話の場面を描くのを好んだそうです。この1620年代前半の作品でも人物を目いっぱい大きく描いてドラマティックな場面を強調するとともに、洞窟の前の柩に座る天使がこの場面を見守ることにより、宗教性を持たせてます。……ただここで取り上げる先行作品のどれに似ているというわけではないんですが(かえって後に制作されたジョルダーノがいちばん似ていますが)、どこか類型的な感じがしてしまいます。

 


 

 

  イタリアの画家バロッチFederico Fiori Barocci(1528-1612)による1590年の作品です。まるでムリリョかワトーのように甘いムードが漂っていて、ドーム型のお墓の中にいるとは思えません。イエスは手で制しようとしているのではなく差し伸べているようだし、それを恥らうマリアといったところで、どう見てもラヴシーンですね。バロッチは当時は高く評価されていたのに近年では見過ごされることが多いそうです。ヤン・ブリューゲルと同様、テーマを自由にアレンジしたとも言えば言えるわけで、私はこういうスイーツみたいな絵は嫌いじゃないです。

 


 

 

 フォンタナLavinia Fontana(1552-1614)は、最初の成功した女流画家と言われています。やはりボローニャ生まれで、中世以来有名なボローニャ大学では女性への教育を早くから行っていたそうです。彼女の描く「ミネルヴァの着替え」というヌード(これも女性にとってはハードルが高い題材だったのですが)は磁器のような肌合いとセクシーなポーズの美しいものですが、この1581年の「我に触れるな」にはそういう点は見られず、色彩も乏しいですね。 マリアには光輪があって彼女のシンボルの香油壷(これまでも出てきましたが、なぜシンボルなのかは長くなるので後で説明します)を持ち、彼女の聖性が示されているのに対し、イエスは帽子を被り、庭師そのものの格好をしています。向こう側の墓では天使と弟子たちがイエスを失って悲しむ様子が描かれています。

 

 

 これが彼女の自画像だそうですが、才色兼備っていうのを絵にしたような感じですね。しかもお金持ちで音楽も嗜みますってところをアピールしていて、お見合い写真みたいなものかなってしょうもないことを考えてしまいました。イーゼルが遠くにおかれているのは女性の魅力とは思われていなかったからかもしれません。

 


 

 

  フィレンツェのブロンジーノ(Bronzinoはあだ名で本名はAgnolo di Cosimo)(1503-72)の作品は1560年頃のもので、今はルーヴルにあるそうですが、マリアの服の青が印象的です。また、彼の特徴と言われる冷たい表情が人物全体に見られ、人物の大げさな身振りと対照的と言うか、ほとんど不釣合いなほどです。後にいる二人の女性はマルコ福音書に記述されたヤコブの母マリアとサロメ(もちろんヘロデ王の娘とは別人w)でしょう。彼女たちについても後で説明します。さらにその向こうには天使と弟子たちが見え、町につながっていきます。イエスの足元の花はマリアを始めとする女性たちと対応しているように思います。

 


 

 

 サストリスLambert Sustris (1510-1560)はアムステルダムで生まれ、主にイタリアで活躍し、ヴェネツィアで没しました。ティッチアーノの工房にいたと考えられていますが、風景画を得意にしていたそうで、この作品(これも制作年は不明)でもその点はよく見て取れます。いかにもヨーロッパの宮殿のお庭といった感じの幾何学的な庭園がこの絵の中心とさえ思えます。イエスとマリアはこういう場にふさわしく豊満な体つき(つまりリッチということw)をしています。まあお城のたくさんある部屋に飾るたくさんの絵の一つとしてはいいんじゃないかなって感じです。

 


 

 

 ヴェロネーゼPaolo Veronese(1528-1588)はティッツィアーノ、ティントレットらと並んでヴェネチィア派を代表する画家です。彼の本名はPaolo Caliariですが、ヴェロナ生まれなんでこういう名前で知られています。場所で人を呼ぶのは古今東西数多くの例がありますが、ルネッサンス期のはすごく大ざっぱです。この作品の制作時期は16世紀を1/3に分けたときの2番目というこれまた大ざっぱな特定しかされていないようで、要は中年以降ではないという程度なんでしょう。

 マリアは松井か新庄のキャッチwのような非常に低い姿勢で、ひたすらうやうやしい態度を示しています。フォンタナにも見られた当時の女性のあり方といったところでしょうか。イエスはエル・グレコを思わせる細い体とごわごわした布をまとっています。階段はこれまでも出てきましたが、このイエスの神格化が著しい作品ではイエスがまもなく天国に昇ることを象徴的に表していると言ってかまわないでしょう。後ろの天使とヤコブの母マリアとサロメらしき人物の間では何やらやり取りが交わされていて、想像をかき立てられます。

 

 

 これが彼の自画像で、ティッツィアーノ、ティントレットらと一緒にviola da braccioという楽器を演奏しています。これは弓で弾く 字ホールというチェロっぽいところと、6弦でフレットがあってひざの上に抱えるというギターっぽいところの両方が見られます。

 


 

 

  バルドゥング・グリーンHans Baldung-Grien(c.1480-1545)はドイツのシュヴァーベン地方の生まれで、デューラーの弟子の中でも最も才能があった人だと言われています。ウィーンの美術史美術館にある「人間の3つの年齢」(大きい画像が見当たらなくて残念です)は、人生や美のはかなさを描いた多くの寓意画の中でもかなり強烈な印象を与えるものだと思うので、下に掲げます。1539年のこの「我に触れるな」は奇妙に小さいマリアや天使、こちらを凝視するイエス、光る雲みたいな地面といった個々の特徴だけでなく、全体としてヘタウマとでも言えばいいのか不思議な印象を与える絵です。確信犯的な奇才なんだろうと思います。

 

 


 

 

 ポントルモJacopo da Pontormo(これも彼が生まれた町の名前で、本名はJacopo Carucciです)(1494-1557)はブロンジーノの先生だった人で、そのため共同制作のものやどちらが描いたかわからない作品も多いようです。この1531年の作品もブロンジーノの作品の可能性もありますが、上で見たものとはかなり違った筆致です。ミケランジェロのデッサンが元になっているそうですが、とてもきれいな色彩で、マリアの悲愴な表情とイエスの背後まで伸びた緑色の腕がほぼ水平に伸びているのが印象的です。彼女の体のラインと背景の階段からつながっていくような城壁がコントラストをなしています。

 


 

 

 ホルバイン(子)Hans Holbein(1497-1543)はドイツのアウグスブルクで生まれた北方ルネサンスを代表する画家です。同じ名前の父親に学び、後にエラスムスやトマス・モアと親交を持ち、イギリスに渡ってヘンリー8世の宮廷画家となりました。頭蓋骨のトロンプ・ルイユ(だまし絵)のある有名な「大使たち」や極端に細長い棺おけの中にイエスを詰め込んだ「墓の中の死せるキリスト」など一癖も二癖もある画家です。

 この作品は1524年頃のもので、手前ではイエスがマリアから逃げ(制止しているようには見えません)、向こうでは女が男から逃げているという皮肉な感じの構図を取っていて、彼の面目躍如といったところでしょうか。しかしながら、彼の他の絵と同様に人物は冷たい表情を浮かべていて、ふざけているようには見えません。また、イエスが両手を出して、マリアの右手を押しとどめようとしていて、プッサンと逆になっています。ここでもマリアが香油壷を持っています。向こう側の男は鋤を持っているようにも見えるので、「女から逃げていてもやがて追いかけるものだ」といったことわざのようなものを意味しているのかもしれません。

 ちなみに日本の画材メーカーのホルベインは彼の名前を取ったもので、Holbeinはドイツ語読みではホルバインですが、上記のようにイギリスで活躍したからホルベインでもいいのかもしれません。ヘンデルがハンデルとなるように。

 


 

 

 この陶器のレリーフは1520年頃におそらくフィレンツェで制作された作者不詳のものです。ほうろう質になるまで高温で焼かれたもので、ステンドグラスとともに窓にはめられていたのだろうと思います。中世ふうのポーズをルネサンスふうに描写したといった感じですが、背景のオリエントっぽい樹木も目を惹きます。何より白磁のような肌合いが美しいですね。

 


 

 

  パルマなどで活躍したコレッジョAntonio Allegri da Correggio(1489-1534)です。この作品は1518-24年頃のものですが、これから半世紀くらいの間にイタリア絵画に「我に触れるな」による傑作が立て続けに現れ、ルネサンスの偉大さの一端を知ることができます。ここではまず二人の腕の描くラインが見事に響き合うのが見て取れます。天上の神を指すイエスと大地を示すマリアがラファエロの「アテナイの学堂」(1509-10年)を想起させ、そこから見えてくるのは二人の胴体から脚にかけてのラインが後ろの木を含めて共鳴する大きな構成と指の繊細な表情です。マリアはせつない視線をイエスとその先の神に向けているように思えます。……聖書のエピソードをここまで美しくかつ厳しく描いたものは少ないと思いますし、これまで紹介した画家たちはこの作品を見てしまうとずいぶん描きにくかったんじゃないかと思います。

 


 

 

  ヴェネチア派の巨匠ティッチアーノTiziano Vecelli(1488-1567)です。1514年頃のこの作品では人物と風景が同じくらいの比重で描かれているように見えます。コレッジョと同じく構図は周到に考えられていて、それぞれがバラバラになることなく、見る者の視線がS字を描きながら遠方へ誘導されるようになっています。このためなのか、イエスもマリアも特別の表情を浮かべてはいません。これまで見た作品の多くもそうですが、この作品では構成のためなのか、特にイエスが無理なというか不自然な姿勢をしています。モデルは大変だったでしょう。

 

 

 彼の自画像ですが、目の表情の細密さと手などの省略の大胆さのコントラストにうっとりしてしまいます。後者はまるでセザンヌのようです。

 


 

 

  ドイツの画家・版画家のデューラーAlbrecht Duerer(1471-1528)はルネサンスの芸術をイタリアから持ち込んだ人物で、この自画像に自分の署名をドイツで初めて入れました。そういう点で、「芸術家」としての自意識も輸入したわけで、ドイツの美術史において画期的な人だとされています。左側にはDの文字を鳥居マークが囲ったような図形が見えますが、これはAでやはり署名です。

 

 

 ダ・ヴィンチ以上に数学に堪能だったとする人もいるくらいで、この有名な「メランコリア」に描き込まれた様々なモチーフを見ていくと幾何学と魔法が一体となっていた時代を想い起こさせるものがあります。

 

 

 この1510年の「我に触れるな」の木版画では朝日を消失点にした遠近法に基づく、堅固なデッサン力を見ることができます。鋤をかつぎ、帽子をかぶったイエスはドイツの農夫そのものですが、威厳を失ってはいません。遠景の墓の前にはイエスの死体がなくなって騒いでいる弟子が見えます。自画像にあった鳥居マークがここでも見えます。

 


 

 

  フィレンツェのデル・サルトAndrea del Sarto(1486-1531)です。彼の作品は我が国ではあまり知られていないかもしれませんが、清潔感のある穏やかな画風で優れたものだと思います。この1509-10年の作品ではイエスに光の輪が控えめながら描かれていて、マリアの上にも何かもやもやとしたものが描かれているようです。また、杖の先に十字を描いた旗と十字架を着けていて、神としてのイエスを強く打ち出しています。しかし、それが強くなりすぎていないのは二人の服の青が落ち着いた美しさを見せているせいでしょうか。構図や整然とした画面のイメージは最初のイワノフのものと似ていて、ひょっとするとこのデル・サルトの作品を下敷きにしながら、人間としてのイエスを描こうとしたのかもしれません。

 


 

 

 コルネリスツ(発音はかなりあやしいです)Jacob Cornelisz Van Oostsanen (1472-1533)はオランダの画家ですが、伝記的事実はあまり知られていないようです。教会の祭壇画などの宗教絵画を多く描いたそうですが、イタリアの画家に比べて中世の職人的要素を強く残しているように思えます。代表作をざっと見た印象では、ボッシュ、デューラー、クラナッハといったほぼ同時代の天才たちと部分部分が似ているように感じました。

 この作品は1507年頃の制作で、構図や遠景の描き方には新しさがあるものの、服や草の描写はありきたりで、何より表情が魅力を欠いています。マリアを拒絶してるって言うより、祝福を与えてるようにしか見えないし、また自分から触ってるしw。

 


 

 

 

  バルトロメオFra Bartolomeo (1472-1517)はフィレンツェの画家です。彼は宗教画を主に描きましたが、ダ・ヴィンチやミケランジェロの影響を受けていると言われています。この1506年の作品を描いた頃には修道院の工房の主任になっていたようです。イエスとマリアの赤と緑の服が目を惹きます。ポントルモとサストリスなどにも見られた配色で、重ねた服の上下の色が逆になっているところが、二人が通い合いながら相反するものがあるのを暗示しているように感じられます。ホルバインも赤と暗い青で同じテクニックを使っていました。後ろで兵士たちが天使の前で倒れているのはマタイ福音書の第28章第4節の記事「番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった」を受けたものでしょう。

 


 

 

 ペルジーノPietro Perugino(これもペルージャ生まれに由来するもので、Pietro di Cristoforo Vannucciが本名です)(1446-1524)はウンブリア派を代表する画家だそうです。この作品は「三博士の礼拝」、「ヨハネによる洗礼」、「サマリアの女」と合わせて4枚で、イエスの誕生から死後の復活までのエピソードを入れたイエスの一生を表したものの一つで、1500年から05年にかけて制作されました。

 

 

 

 

 

  
 「サマリアの女」とはユダヤ人と仲の悪かった異教徒のサマリア人の女からイエスが井戸の水をもらい、代わりに永遠に乾くことのない救いを与えたというエピソードで、キリスト教が世界宗教になっていくときの理由付けの一つになったものです。

 

 

 これらの絵はフィレンツェの近くの教会の祭壇にあったもので、おそらく腰板にはめられていたものだろうと思います。真ん中の2つが水に関係のあるエピソードであったり、人物の配置に工夫が凝らしてあったりして全体の調和がよく考えられています。

 


 

 

  これが「春」や「ヴィーナスの誕生」であまりにも有名なボッティチェリSandro Botticelli(1445-1510)の自画像です。実はこれはメディチ家の人たちを始め、ピコ・デラ・ミランドラなども登場させた「三博士の礼拝」に描き込まれたものなんですね。人物解説付きのものを見つけたのでリンクを張っておきます。

   彼はギリシア・ローマ神話に基づく作品だけでなく、こうした宗教画も多く描いていて、晩年はサヴォナローラに傾倒してそっちの方が中心になってしまいました。

 

 

 この作品はマグダラのマリアの生涯を描いた4枚組みの1枚で、他の作品についても後で触れます。これは1491年頃のテンペラ画です。一般にテンペラ画はフレスコ画よりも保存性がいいとされていて、ペルジーノやジオットなどが多く用いた技法なんですが、この作品は痛みが激しいようです。そのためか人物も背景の描写も力がないように見えてしまいます。でも、マリアの優雅さとはほど遠いポーズに強い悲しみを感じる人もいるでしょう。

 


 

 


 リーメンシュナイダーTilman Riemenschneider (c.1460-1531) はハイリゲンシュタットで生まれ、ヴュルツブルクで活躍したドイツの彫刻家です。この作品は1490-92年頃のものですが、この時期のドイツのしかも祭壇の扉に飾られたものとなるとかなり中世的な色彩が強くなってきます。しかし、イエスの体や後ろの樹木の表現は優れた工芸品だと感じます。

 


 

 

 ションガウアーMartin Schongauer (c.1448-91)はドイツ生まれですが、イタリアでは"Bel Martino"あるいは"Martino d'Anversa"として知られていました。この1480年頃の作品はデル・サルトの作品と構図がよく似ていますね。背景の果物や花をつけた樹木を覆っている蔓で編んだ籠のようなものや木の門が何を表しているのかわからないんですが、おそらくイエスがこれから向かう天上の世界と関係があるんだろうと思います。

 


 

 

 

  メムリンクHans Memling(c.1430-94)はフランドル地方で活躍し、ブリュージュで没しました。多くの死者が天国と地獄に選り分けられる様子を描いた「最後の審判」のようなドラマティックな題材でも彼の場合、穏やかな、悪く言えば緊張感のない表情が特徴です。この1480年頃の作品でも救いを求めるマグダラのマリアにイエスが祝福を与える日常の風景を描いたように見えます。右下に十字架が描かれているのはこの作品が宗教的な実用性を持っていたことを示すものでしょう。

 


 

 

 フラ・アンジェリコ(1395-1455)は15世紀にルネサンス期の芸術家の伝記を書いたヴァザーリによって「稀な完璧な才能」と評された人物です。ポーズも構図もこれまで見てきたルネサンス以降の強い自己表現と比べると、取り立てて言うほどのことがないような作品ですが、イエスのやさしさに満ちた拒絶とマリアの抑制された感情は聖なる静寂とでも言うべき雰囲気を醸し出しています。この野の花のような作品は1440-41年頃のものだとされています。

 


 

 

 ドゥチョDuccio di Buoninsegna (c.1255-c.1319)はシエナで生まれ育ち、フィレンツェのジオットとともに初期ルネサンスを代表する画家です。ボッティチェリ以降の作品と比べると、1308-11年頃のこの作品はマリアが修道女のように髪の毛を覆っていたりして、ずいぶん中世ふうに見えるでしょうけど、イエスの体の力強い表現はやはり新しいものだと思います。バルトロメオのところで述べた赤と緑の衣装が早くもここで見ることができます。背景の険しい山は天国に至る道の厳しさを暗示しているのでしょうか。

 


 

 

 ジオットGiotto di Bondone(1267-1337)は貧乏な農家に生まれたそうですが、ヴァザーリによると12歳の時に岩にチョークで羊を描いたのをティマブエが見て、弟子にしたいと彼の父親に頼んだそうです。……人物も風景もそのままに描くという彼の革新性はフィレンツェにおいてルネサンスが花開いた最大の要因で、「西洋絵画の父」とさえ言われています。

 

 

 この作品は1304-06年頃のものですが、16世紀の作品に比べると硬いと言うか、登場人物はみんな光の輪を背負っていて古臭く見えるし、ドゥチョの方が生き生きとしていると思う人もいるでしょう。墓の前にいる天使がやがて飛んでいくのを一枚の絵に描いているのも絵巻物のような古拙さを感じます。しかし、マリアのポーズはボッティチェリに通じていくものであり、何よりイエスの悲劇的と言ってもいいような表現は卓越したものです。ジオットの絵の価値は神との感応とでも言うほかない深い宗教性にあるんだろうと思います。つまり近代の出発を中世の完成として行ったというふうに理解できそうに思うのです。

 


 

 

  この1070-1100年頃の中世にスペインで作られた作者不詳の大理石のレリーフを見るとジオット以降との違いがはっきりわかるでしょう。下が「我に触れるな」で、上がルカ福音書第24章にある「エマオへの旅」という記事に基づくものです。これを紹介しましょう。

 女たち(マグダラのマリアとヨハンナとヤコブの母マリア)は「まばゆいばかりの衣を着た二人の人」に会い、イエスの復活を告げられた。しかし、これを聞いた弟子たちは信用しなかった。最初にイエスに会ったのはエマオという町に行く途上の二人の弟子で、しかも目は遮られていてずっと一緒に歩いていたのにイエスだとはわからなかった。……

 目をつぶった二人の人物の間で書物を持っているのがイエスです。エマオへの道すがら「イエスは、モーゼ及びすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてあることがらを彼らに説き明かされた」という記述があるのに基づきます。聖書といってももちろん旧約聖書のことで、それに書かれていることを実現するためにこの世に自分は来たのだとイエスは繰り返し言っていて、これがイエスのいわば正統性の証だったわけです。二つのレリーフの間の文字は“D(OMI)N(I)S LOQVITVR MARIE”(主がマリアに語る)です。

 この作品では登場人物はみんな当時の聖職者のような豪華な格好をしていて、しかもほとんど無表情です(アルカイックなユーモアは感じますが)。写実性は乏しいんですが、枠組みの中で狭苦しさを感じさせずに人物を配置し変化を持たせているのは、造形的にはなかなかの腕前かなと思います。

 


 

 さて、これでおよそ800年を溯って「Noli me tangere」の歴史をたどって来ました。同じ主題で絵画を語るというのを一度やってみたかったのですが、イエスの誕生や磔刑などはあまりにも多くて事実上無理でしょうから、「我に触れるな」はちょうどよかったなと思います。また、ネットでしか見ていない作品をあれこれ言うのは印象派の絵画のように色合いや画面の肌合い(マティエール)などが決定的に重要な作品では不可能ですが、宗教画であれば何がどのように描かれているか(図像学Iconologyという言葉もありますが、私の言っているのと同じかどうかは知りません)を論じることである程度は可能でしょう。

  つまり絵画を「読む」ということで、展覧会で腕を組んで「鑑賞」するより私はおもしろいと思っています。いずれにせよ日本語のサイトはもちろん、海外のサイトを見ても「ノリ・メ・タンゲレ」をここまで集めたものは他にないし、いろいろな画家に接することができてかなり満足しています。そうは言ってもここの解説のお粗末さは言うまでもないので、美術関係のサイトにはごく簡単にしか触れていない聖書関係の話をしましょう。 

 途中でも少し触れたことですが、冒頭で紹介したヨハネ福音書以外の3つの福音書ではイエスの復活がどう書かれているか見てみましょう。こういうのを平行記事と言いますが、これがかなり違いがあってあれこれ理由なんかを考えるのはおもしろいものです。……4福音書でいちばん古く成立し、マタイとルカの元になった(異論もあります)と言われるマルコ福音書から見ると、第16章で御使いは「真っ白な長い衣をまとった青年」となっていて、マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメの女性3人が見たとされています。しかし、復活したイエスが最初に姿を現した相手はやはりマグダラのマリアだったとされています。マリアの報告は弟子たちに信用されず、次に会った二人の弟子の報告も同様に信用されず、弟子たちが食卓に着いているところにイエスが行って、彼らの不信仰と頑なな心を責めたということです。ただマリアがイエスに会った以降の記事すべてを欠く異本もあるようです。

  マタイ福音書ではその第28章に御使いが天から降りてきて番兵が死人のようになったことは先にも触れましたが、マグダラのマリアとほかのマリア(!)たちの前にイエスは姿を見せ、出会って「おはよう」(!)とあいさつし、彼女たちは近寄って足を抱いて拝みます。イエスは自分が復活したことと、そのことを弟子たちに告げるよう言います。その後、番兵たちから話を聞いた(反イエスの)祭司長が「夜、弟子たちがイエスの死体を盗んで行った」と言い触らせと命じたので、ユダヤ人の間にこの話が広まっていると書かれています。さらに、イエスはガリラヤの山で11人の弟子の前に姿を現し、「あらゆる国の人々を弟子としなさい。……わたしは、世の終わりまで、いつまでもあなたがたとともにいます」と言います。これらの記述からもマタイ福音書がユダヤ民族を超えて布教しようとする反ユダヤ的な一派によって作成されたことがうかがえるようです。

 ルカ福音書については、上で「エマオへの旅」として紹介したとおりです。

  こういうふうに見て行くと、.ぅ┘垢良活を御使いが予言した、△修陵集世魯泪哀瀬蕕離泪螢△鮹羶瓦箸垢觸性にもたらされ、ペテロをはじめとする弟子たちはイエスの復活に懐疑的だった(ヨハネ福音書でも手とわき腹の傷を示してようやく信用したように書かれています)、といったことがどの福音書にも共通しています。ところが、ヨハネ福音書にしか「我に触れるな」というイエスの発言はありません。この福音書は最も遅く成立し、かつ独自のエピソードを多く含むことで知られています。……

  「じゃあ、『我に触れるな』って事実じゃないんだ。なーんだ騙された」と思う向きもあるかもしれません。でも、元々処刑された人が復活するなんて「事実」のわけはないし、イエスの生涯については、誕生から死、復活まで科学的事実に反したような「奇跡」が新約聖書にいっぱい書かれています。でも、そんなことに拘っていては、キリスト教やそれに基づく芸術に触れる意味がなくなりそうです。ということは、ヨーロッパの思想と芸術のほとんどを対象外にすることに等しいでしょう。

 問題は、ヨハネ福音書のこの記事が「事実」かどうかよりも、どう「読む」かの方だろうと思います。なぜ福音史家はイエスがマリアを拒絶するように書いたのか?……ダ・ヴィンチ・コードふうに言えばマグダラのマリアが妻で、イエスとの間に子もいたという「事実」を隠し、彼女の地位を貶めるよう画策した一派がいたからだとなるでしょうか。これはわかりやすいですし、この福音書の最後にペテロを中心とする後継者選びが無理に付け足されているように思えるので、マタイの場合とはまた違った何らかの政治的配慮があって執筆・編纂されたことは間違いないでしょう。

  でも、私はこう思います。女性たちだけがイエスの死を信じず、復活することをひたすら祈っていたからこそイエスはその姿を彼女たちの前に現したのだろうと。すばらしい教えに接し、奇跡を何度となく見せられてきたくせにペテロを始めとした男の弟子たちは処刑の前にも逃げ出し、裁判怖さにイエスを否定しました。復活後も同じように懐疑的です。たぶん頭でイエスを理解していたからでしょう。しかし、マグダラのマリアを始めとする女性たちは違います。何より愛するイエスに触れ、その足を抱きたいと望むのです。その愛がたとえ天上の神への愛とそぐわないものであり、神の下に行こうとするイエスに拒絶されたとしても。……優れた芸術家はこうした二つの愛の間の矛盾を直感的に見抜いていたのではないか、それがこのテーマに惹きつけられた理由です。

 


 

 

 

 ジャン-リュック・ナンシーの「私に触れるな」という本を図書館で見つけたので、付録として簡単に紹介します。デリダの友人だというのがさもありなんという感じの難解かつ思わせぶりな文章で、私は脱構築という言葉を見るだけで脱力してしまう方なんで、テーマが「我に触れるなNoli me tangere」でなければ放り出してしまうところですが、幸い130ページほどで実質的な内容が70ページくらいなんでなんとか読むことができました。

 

 

 この本の中では、レンブラントの「マグダラのマリアの前に姿を現すイエス」がいちばんの収穫でした。この絵はイエスがマグダラのマリアを拒む直前の場面で、朝日の中で振り返ってイエスを見出したマリアをレンブラントお得意の光と影の強烈なコントラストの下に描いています。ナンシー(と言っても上の写真のような男ですがw)が指摘するとおり、帽子をかぶって鋤を持ったイエスが逆光になっているところなどデューラーの版画がヒントになっているようです。それ以上に卓見だと思ったのが天使の足がマリアの方へ投げ出されているのは、ルカ福音書第7章第37-38節の「罪深い女」がイエスの足を涙でぬらし、髪の毛でぬぐい、口づけして、香油を塗ったというエピソードに関連付けたものだという指摘です。この「罪深い女」がマリアと聖書の受容史の中で同一視されるようになったことはまた述べますが、このやや無遠慮に投げ出された足はそれだけに強い想起力を持っています。 

 しかし、レンブラントだけがこの関連を意識していたとナンシーが言うのはちょっと疑問です。そう思ってみるとアルバーニ、ブロンジーノ、何より松井か新庄のキャッチのようだと私が言ったヴェロネーゼのようなマリアが低い姿勢でイエスの足を触れようとしている作品はその可能性があるだろうと思います。つまりイエスに触れ、悔悟するマリアのかつての姿を重ねるのは一つの伝統だったのではないかということです。……いずれにしてもノリタンwについて新しい見方を提示してくれたわけです。

  驚いたのがティッチアーノの作品についての次のような記述でした。

「女の右手は布の前を通り過ぎているようにも、あるいは布をかすめているようにも、どちらにも考えられる。そしてこのことはイエスが自分の体を守ろうとするかのように(さらに言えば、磔刑者の古典的な腰帯によって強調されながらもすでに覆われている自分の性器を守ろうとして。一連の『ノリ……』のなかにあって非常に例外的である)布を引き寄せている最中なのでなおさらだ」

 ……いやはや。なるほどこの絵にはそういう意味があったのか!と言っておきましょうかw。

 さらに当惑するのが末尾に述べられた”Noli me tangere”の解釈です。このラテン語は直訳すると「私に触れようと欲するな」で、元のギリシア語の「Me mou haptau 私に触れるな」と微妙にずれているそうです。そこまではいいんですが、「欲するな」がナンシーの頭の中では暴走してしまいます。「マグダラのマリアは触れるなと言っても、もう触れている」、「触れてもそれをすぐに忘れろ」となって、果ては「逃れる者を愛しなさい、立ち去るのを愛しなさい」。……何を一人でもだえてるんでしょうか?w

 「愛と真理が私たちに寄せるもの、それは愛と真理の遠ざかりである」とわけのわかんないことを口走りながら、こうした気恥ずかしくなるような陳腐な結論になってしまうところがこの手の「哲学者」にはありがちなんですが。