レクイエム・ノート

 

 

 

1.はじめに

 ここ数年来レクイエムに入れ込んで、「ジャパン・レクイエム」という長い物語まで書いてしまいました。その理由はレクイエムの伝統そのものにあるので、あまり長くならない程度に書いてみます。

 カトリックのミサ自体は非常に長い歴史があって、レクイエムも優に千年を超える伝統を持っています。もちろん音楽の内容は多くの変遷を経ています。いわゆるグレゴリオ聖歌が根本にあるんですが、各時代の作曲家はその伝統を踏まえて(踏んづけているものも少なからずあるんですが)、自らの個性を発揮しているわけです。いずれにしてもほとんど同じ歌詞により、これだけ古くから多くの作曲家によって数々の傑作が生み出された音楽のジャンルは他にはありません。

 ただ各曲全部を作曲した者はいないように思います。

  ほとんどの芸術ジャンルにおいてそうでなんですが、最初の頃は作曲した者の名前は残っていません。もちろんグレゴリオ聖歌は教皇グレゴリウス1世が作曲したのでもなんでもなく、編者としての役割も限定的だそうです。教会と信者という共同体自体が作曲家であり、それが共同体の中で歌い継がれる幸福な時代だったんでしょう。

 同様に最初に個人としてレクイエムを作曲した者も、薄暮の中の人を見分けるときのようにあいまいですが、15世紀、ルネサンス期のフランドル地方出身の者によってといったところのようです。この時期のものは、自分で作曲しなかったところは実際のミサではグレゴリオ聖歌が使われることになっていて、ミサのための音楽という実用性を忘れることはありませんでした。

  17世紀以降のバロック期に入ると、こうしたことから少しずつ離れ、自らの芸術的霊感の赴くままに作曲するようになっていきます。簡単に言ってしまえば、『怒りの日』のような劇的な歌詞を持つ個所、おいしいところだけつまみ食いするという傾向が現われてきます。

 18世紀後半からの古典派、ロマン派の時代においては、教会以外の場所で演奏会用に大編成のオーケストラのために作曲されるものが多くなりました。ベルリオーズのように最低400人という巨大な編成と典礼文もあちこちに飛ぶという離れ業が行われたり、ルター派の勢力下にあるハンブルク出身のブラームスのようにラテン語のミサ典礼文から離れて、自分でルター訳の聖書から好きなところを引用して作曲し、『ドイツ・レクイエム』として発表するという、考えようによってはずいぶんなことも行われるようになってきたわけです。

 歴代のローマ教皇は、音楽は典礼に従属すべきものとして、典礼文が聴き取りにくくなるような音楽的装飾を終始嫌っていて、音楽独自の発展は忌避されていたのですが、時代の変化とともにそうした制約が徐々に弱くなるとともに儀式性が薄れ、個人の信仰心に訴えかける方が真実味があるように思われてきたということでしょう。

  後期ロマン派から20世紀の音楽となると、ミサの典礼と関係がある方がめずらしいようになってきて、レクイエムは単に『死者を悼む宗教っぽい曲』というような内実になりました。そう、カトリック教会への信仰心も既になく、死と死者への感情、情緒だけが残ったので、それにもかかわらず伝統があってありがたみが感じられたのか、レクイエムというタイトルは好まれ続けました。宗教的共同体の歌から個人が自身に向き合う音楽作品への変容という西洋音楽史を体現しているのがレクイエムといっていいでしょうし、そこに私は魅せられたわけです。ついでに言えば私がバッハ以降の音楽作品や演奏家について手放しの礼賛を送ることがこれまでも、たぶんこれからもない理由も同じようなところにあります。

  これ以上のことをお知りになりたければ井上太郎さんの「レクィエムの歴史〜死と音楽の対話」を読んでいただくのがいいと思いますし、私もとてもお世話になりました。1千年の間、同じ歌詞で作られ続けたレクイエムを聴く上で、多くの作曲家の作品が紹介されているだけでなく、音楽史の理解にも非常に役に立つ優れた本です。ただレクイエムのテクストについてやや物足りなさを覚えないでもなかったので、私自身が調べたこととを紹介していきたいと思います。

 


 

2.イントロイトゥス

 

   INTROITUS

Requiem aeternam dona eis, Domine:

 et lux perpetua luceat eis.

Te decet hymnus Deus in Sion,

 et tibi reddetur votum in Jerusarem:

exaudi orationem meam

ad te omnis caro veniet.

 

   入祭唱

主よ、永遠の安息を彼らに与え、

絶えざる光により彼らを照らしてください。

神への賛歌はシオンでこそふさわしく歌われ、

主への誓いはエルサレムで果たされるでしょう。

主よ、わたしの祈りを聞き入れてください、

死すべきものすべては、主に帰っていきます。

 

 まず、Introitusは入場といった意味で、ミサを司る司祭が入場する際の音楽といったところです。言うまでもなくintroductioというイントロの語源wと同系の言葉です。次にレクイエムという名前ですが、冒頭の“Requiem aeternam ”(永遠の安息)から採られていることは、広く知られていると思います。レクイエムは言わば通称、あだ名で、“Missa pro defunctis”(死者のためのミサ曲)という呼び方もあって、この方が内容を表わしています。

 つまり、レクイエムは「カトリック教会において、ラテン語典礼文によって行われる死者のためのミサの際に演奏される音楽」とでも定義されるものです。したがって、さっき述べたブラームスの「ドイツ・レクイエム」やラテン語典礼文にウィルフレッド・オーウェンの詩を混ぜ込んだブリテンの「戦争レクイエム」は、元来のレクイエムにインスパイアされた別個の音楽作品とでも言うべきものです。ましてや武満徹の「弦楽のためのレクイエム」などは上の定義とは無関係なレクイエムというイメージを借りたものです。

 ついでに言うと、しばしば鎮魂歌という訳が当てられますが、これは日本語として完全な誤りで、「鎮魂:たましづめ」とは死とは関係なく、「霊魂が肉体から遊離しないようにする祭」であって、源氏物語の六条御息所のように、生霊となって憎い仇のところなんかにふわふわ行ってしまわないようにすることだそうです。陰陽師の世界なんですねw。

 まあそうした使われ方をするのもレクイエムに長い伝統と数多の名曲があって、死の問題を扱っていることから他のミサ曲とは別個のジャンルを形成してきた証左であろうと思います。requiemはrequies(安らぎ)の対格形なわけですが、その響きのよさもあるのかいろんなところで使われています。対格形というのは英語でいう直接目的語と同様のもので、与格・間接目的語がeis(彼らに)なので、「彼らに安らぎを与えよ(dona)」という意味になるわけです。

 最初の2行についてはあと “aeternam”と”perpetua”が対句になっていることを指摘しておけばいいでしょう。容易に対応する英単語(と言うかこっちが語源ですけど)が想像できるでしょう。

 Introitusの残りの4行は「シオン」(=エルサレムの丘、ここへ回帰しようというのがシオニズム運動)だの「エルサレム」だの旧約聖書くさい言葉が並びます。事実、ここは詩篇(psalma)に基づくものです。どの個所かの特定は自信がないのですが、第102章第20節から第21節の「捕らわれ人のうめきを聴き、死に定められた者を解き放つために。人々が主の名をシオンで語り、エルサレムで主を賛美するために。」か、第147章第12節の「エルサレムよ。主をほめ歌え。シオンよ。あなたの神をほめたたえよ。」じゃないかと思います。

 いずれにしても信者ではない者として簡単に言ってしまえば、ユダヤ民族としての強烈な自覚の下に神への賛歌を歌っているってことでしょう。私には“ad te omnis caro veniet”(肉体はすべて主に帰すだろう)という言葉を導き出すだけの意義しか見出せません。

 


 

3.キリエ

 

  KYRIE

Kyrie eleison.

Christe eleison.

Kyrie eleison.

  

  キリエ

主よ、憐れみを。

キリストよ、憐れみを。

主よ、憐れみを。

 

 次のKyrieは宗教曲が好きな方はご存知でしょうが、どんなミサ曲にも出てくるもので「通常文」と呼ばれるものの代表です。これに対し、Introitusはもちろんレクイエム固有の典礼文ですから「固有文」と呼ばれます。さらに、Kyrieだけはギリシア語で、元の綴りは“Κυριε ελεησον. Χριστε ελεησον. Κυριε ελεησον.”です。

 新約聖書は元々ギリシア語で書かれていますが(旧約はヘブライ語)、中世以来もっぱらラテン語訳の聖書が使われてきたので、カトリックの聖職者にとってもここはアルカイック(これもギリシア語起源です)な感じがしたでしょうね。あ、そうそう私は「主」っていう日本語が嫌いで、物語の中でも悪態をついているので、ちょっと引用させていただきます。

  例えば”Dominus”はキリスト教で神の意味の場合にはふつう『主』と訳されている。だが、『しゅ』ってなんだ? 『おぬし』や『ぬし様』なら時代劇とか都々逸に出てくるから、意味はわかる。『しゅ』と音読みなら、『主人』とか『主君』とか何か続かないと変だ。英語だって、ドイツ語だって、日常のふつうの言葉が当てられている。……

  テクストが簡単でかつシンメトリカルな形を持っているだけに作曲家の腕の見せどころで、レクイエムではモーツァルトの二重フーガなどが想い起こされます。

 


 

4.グラドゥアーレ

 

 通常のミサでは、キリエに続いてグローリアが歌われますが、レクイエムでは省略され、司祭が「集祷文」を唱えた後、グラドゥアーレが歌われます。

  グラドゥアーレgradualeはgradus(階段)から派生した言葉で、祭壇に登る階段のところで歌われたのに由来するようです。それで和訳では「昇階唱」とされています。こうした典礼の式次第と強く結びついているためか、レクイエムが教会の外に出て、コンサートで演奏されることが多くなり、いわばレクイエムの”世俗化”が進行するのに伴って、次のトラクトゥスとともに作曲されなくなっていきます。

  私の聴いた範囲内で言うと、グラドゥアーレを作曲した作曲家は、オケゲム(ca.1490)、モラーレス(1544)、ヴィクトリア(1605)、コーロワ(1606)、カルドーソ(1625)、ロボ(1639)、セルローレス(ca.1651)、ジル(ca.1700)、カンプラ(ca.1722)、ケルビーニ(1816,1836の2曲)、ドヴォルザーク(1890)、スタンフォード(1896)です。17世紀くらいまでのレクイエムで作曲されていないのは、グレゴリオ聖歌が歌われることを前提にしているのでしょうが、その後の作品について、”世俗化”の分水嶺をモーツァルト(1791)辺りとするとドヴォルザークの例が目を引きます(スタンフォードは……おいときますw)。

  ドヴォルザークのレクイエムはあまり知られていないのかも知れませんが、前回も申し上げたように彼の最高傑作の一つだと思います。彼の音楽はシンフォニーなどを聴いても、ブラームスの言うようにとてもメローディアスで、構成や書法も(特に後期のものは)危なげないものですが、そのためかえって食い足りないというか、芸術ではしばしばそうであるように、人の良さ、誠実さが災いしてチャイコフスキーやブラームスのようなアクがないというか、本当の意味での魅力がないように感じます。

  しかし、レクイエムにおいては、時代遅れのグラドゥアーレを作曲するところにも見られるような、深い信仰心と宗教的情熱が感じられ、何より死を見つめる厳しい視線が全体を引き締めていて、優れた作品になっています。率直に言って、私はベルリオーズやヴェルディのそれよりも19世紀を代表するレクイエムだと思っています。

  では、詩句を見てみましょう。

 

    GRADUALE

  Requiem aeternam dona eis, Domine:

 et lux perpetua luceat eis.

 In memoria aeterna erit justus:

 ad auditione mala non timebit.

  

     昇階唱

  主よ、永遠の安息を彼らに与え、

 絶えざる光で彼らを照らしてください。

 正しい人の思い出は朽ち果てることなく、

 悪いことが起きると怖れることはない。

 

 上の詩句は、16世紀半ばのトリエント公会議を経て、1570年に定められた「ローマ・ミサ典礼書」によるもので、古い形では次のようになっています。

   Si ambulem in medio umbrae mortis, non timebo mala:

  quoniam tu mecum es, Domine

  Virga tua, et baculus tuus, ipsa me consolata sunt.

  

  死の暗き谷間をさまようことになろうとも私は恐れないでしょう、

  いかなる所にても、あなたは私と一緒にいるのですから、主よ。

  あなたの杖と支えは、私を鼓舞します。

 

  これは有名な詩篇23章第4節に拠るもので、この方がグラドゥアーレとしての独自性があっていいように思いますし、何より「死の暗き谷間をさまよう」というすばらしいイメージを持った言い回しが魅力的です。まあ、トリエント公会議はルターの宗教改革にカトリック側が対抗するために開かれたものですから、文芸性は二の次なのでしょう。

  この古い方の詩句に基づいて作曲されたのは、上に掲げた作曲家の中では、オケゲム、コーロワの2人です。コーロワはモラーレスの間違いじゃないかと思われるでしょう? 時系列的にはそうなんですが、まず、モラーレスのCDがなぜ新しい歌詞を採用しているのか、理由はわかりません。

  コーロワが逆に古い歌詞なのは、ちゃんとした理由があります。フランス国家教会主義(ガリカニスム)を掲げるパリ高等法院と宮廷が、教皇庁の決定に従わないことにしたという背景事情があるからです。しかもこのコーロワのレクイエムは18世紀までフランス国王の葬儀で正式に使われるものとなったのです。

 このガリカニスムは、ずっと後のベルリオーズやフォーレ、更にはメシアンらのフランスの宗教音楽を聴く上で極めて重要な点です。フランスの古名ガリアに由来するもので、カエサルの「ガリア戦記」で有名ですね。

 


 

5.トラクトゥス

 

    TRACTUS

 Absolve, Domine, animas omnium fidelium defunctorum

  ab omni vinculo delictorum.

 Et gratia tua illis succurrente,

 mereantur evadere judicium ultionis.

 Et lucis aeternae beatitudine perfrui.

 

    詠唱

  主よ、亡くなったすべての信者の魂を、

 罪の縄目から解き放ってください。

 主の恩寵の救いによって、

 彼らを報復の裁きを免れるにふさわしい者とさせてください。

 彼らに永遠の光明の幸福を味合わせてください。

 

 グラドゥアーレ以上にトラクトゥスは独自に作曲されることが少ないものです。私がこれまで聴いた中では、オケゲム(ca.1490年)、ド・ラ・リュー(1507年)、ラッスス(5声部、1578年)、ミフナ(1654年)しかありません。ラッススは4声部のレクイエムも書いているそうですが、残念ながら未聴です。彼は多くの宗教曲だけでなく、世俗曲も多く書いていて、マドリガルやシャンソンなどが美しい多声部のアカペラで聴くことができます。

  詩句では、罪によって死者が拘束されていて(罪の縄vinculo delictorum)、そこから神によって解放されることを祈る内容となっています。ただし、オケゲムとド・ラ・リューは、上述したトリエント公会議・ローマ典礼書以前ということからか、これとは異なり、詩篇42章第1節から第3節に由来する次のような詩句が使われています。

 

 Sicut cervus desiderat ad fontes aquarum:

 Ita desiderat anima mea ad te, Deus.

 Stiviit anima mea ad Deum vivum:

 Quand veniam, et apparebo ante faciem Dei mei?

 Fuerunt michi lacrimae meae panes die ac nocte,

 Dum dicitur michi per singulos dies: Ubi est Deus tuus ?

 

 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、

神よ、私の魂はあなたを慕いあえぎます

私の魂は神を、生ける神を求めて渇いています。

いつ私は神の御前に進み出るのでしょう?

私の涙は昼も夜も、私のパンでした。

人は絶えず私に「おまえの神はどこにいると言うのだ?」と言います。

 

 個人的には、原罪や死後の報いを強調したような新しいものはレクイエムにふさわしいのかも知れませんが、内容的には巧みな比喩によって神を求めるせつない心を示した古いテクストの方が好ましく思います。次のセクエンティア(ディエス・イラエ)の際に詳しく触れることになると思いますが、文芸的イメージを手がかりに多くの優れた音楽が生み出されてきた歴史を見るにつけ、古い方の歌詞であれば「渇き」というイメージから、もっとトラクトゥスも作曲されたように思います。

 


 

6.セクエンツィア〜怒りの日

 

  セクエンツィア(続唱)は、9世紀頃にミサ曲の中に採り入れられたものだそうで、聖書を基に創作的詩句を加えて数多く作られたのですが、トリエント公会議(1545-63)などで大幅に整理され、レクイエムにおいてはこれが13世紀にチェラーノのトマスが書いた“Dies Irae(怒りの日)”となって長く定着しました。

  分量的に他を圧して長いので、例えばモーツァルトのレクイエムで有名な“Lacrimosa(涙の日)”のように、途中の一まとまりの詩句をもって独立したセクションのように扱われる場合が少なくありません。整理すると、(レクイエムにおける)セクエンツィア≒ディエス・イラエ>ラクリモーザetc.というわけです。これを何回かに分けて紹介したいと思います。

  また、各セクションの冒頭の語句をもってセクションの名前として扱い、今回紹介する冒頭の2節だけを怒りの日(ディエス・イラエ)と呼んでいる場合もあるようです(CDのブックレットなどの執筆者が不勉強なだけかもしれませんが)。セクエンツィア>ディエス・イラエ、ラクリモーザetc.というわけです。要は呼称は多分に便宜的で、テクストそのものを見ればいいわけです。

 

   SEQUENZIA

 1)Dies irae, dies illa,

  Solvet saeclum in favilla:

  Teste David cum Sibylla.

 2)Quantus tremor est futurus,

  Quando judex est venturus,

  Cuncta stricte discussurus!

  

 ‥椶蠅瞭、その日こそ、

  この世は灰燼に帰すだろう、

  ダヴィッドとシビッラが証したように。

 ⊃佑咾箸龍寡櫃呂匹譴曚匹里發里、

  裁き主が来られ、

  すべてを厳しく糾されたもうのだから。

 

 これは「旧約聖書」の最後の方の預言の書の一つ「ゼパニア書」の第1章に基づくものですが、終末論的な、言わば黙示録的なイメージが濃厚なもので、神が最後の審判を下す日の様子が描写されています。

 ユダヤ民族が亡国の民となった旧約時代の終わりごろから、初期キリスト教時代にかけてそうした“歴史の終わり”のような思想が流行し、聖書に大量に取り入れられました。例えばゼパニア書では、「主の大いなる日は近い。……その日は激しい怒りの日。苦難と苦悩の日、荒廃と滅亡の日」といった具合で、まあ人を怖がらせ、脅すようなものです。クリスマスからお正月にかけて、人が集るところで、がんがんうるさいスピーカーを持っていた顔も服装もさえない学生風の女性を思い出します。

 日本のカトリック教会は、謙虚に暮らしましょうとか、人と仲良くしましょうとか、熱くも冷たくもない、ただ生ぬるいだけ(これも実は黙示録の言葉です^^)の道徳訓話みたいなことだけを言って、聖書のそんなあこぎなところは知らんぷりしているような気がしますし、最後の審判がいつだか決して言わないでしょうが、ゼパニア書にも記されているように、それはまもなく下されると当時は考えられていました。2千年経っても行われないなんて、公約違反もいいところです^^。

 その後も危機の時代にヨーロッパ社会では“ノストラダムスの大予言”のような形で繰り返し現れたのですが、そういう経緯から言っても、ユダヤ人でもキリスト教徒でもない私にとっては、あまりお付き合いしたくない迷信にすぎません。

 しかしながら、そうした良識からは排斥される迷信こそが宗教の大事な要素、芸術の源泉であることも事実で、この神の怒りは、モーツァルト、ヴェルディを始めとして、多くの作曲家のインスピレーションを刺激して、音楽史に欠くことのできない合唱の名曲の数々が作られました。ところが、ローマ教皇庁は終始一貫して、この怒りの日には冷淡だったのでしたぁ。。。

 


 

7.セクエンツィア〜不思議なラッパ

 

 さて、「怒りの日」のその2ということで、第3節から第7節を紹介します。この個所は、最も音楽との結びつきが強い個所です。と言うだけで、わかる人はわかると思いますが、まず詩句を掲げましょう。

 

3)Tuba mirum spargens sonum

 Per sepulcra regionum,

 Coget omnes ante thronum.

4)Mors stupebit et natura,

Cum resurget creatura,

Judicanti responsura.

5)Liber scriptus proferetur,

In quo totum continetur,

Unde mundus judicetur.

6)Judex ergo cum sedebit,

Quidquid latet, apparebit:

Nil inultum remanebit.

7)Quid sum miser tunc dicturus?

Quem patronum rogaturus?

Cum vix Justus sitsecurus.

 

Lなる響きのラッパが

この世の墓の上に鳴り渡り、

すべてのものを玉座の前に集めるだろう。

せ爐蘯然も驚くだろう、

すべてのものがよみがえり、

裁き主に答えるのだから。

ソ颪物が持ち出されるだろう、

すべてのことを書き記したものが、

この世を裁くため。

裁き主が裁きの座に着く時、

隠されたものはことごとく暴かれ、

報われないことは何一つとしてないだろう。

Оイ譴覆錣燭靴浪燭鮓世┐襪世蹐Α

どんな保護者に願えばいいのか?

正しい人さえも心穏やかではいられないのに。

 

 この第3節の冒頭の詩句“Tuba mirum”(不思議なラッパ)もセクションのタイトルと言うか、見出しのように扱われることがしばしばあるものですが、もちろんここではトランペットなどが用いた音楽が付けられるのが通常です。この部分は、パウロによる「コリント人への第1の手紙」の終わりの方、第15章の52節から採られています。第15章では、キリストの死からの復活と世の終わり、神の国の実現、死者たちの復活が述べられていて、この52節で「終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです」と書かれています。

  パウロ(これはギリシア名で、ヘブライ名はサウロ)は劇的な生涯を送った人です。元々はユダヤ教徒としてイエスの没後、キリスト教徒を迫害していたのがキリストの声を聞くという神秘体験をします。「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか?」と問われ、目が見えなくなったパウロはキリスト教徒に回心するわけです。パウロの目は、迫害されていたユダヤ教徒を象徴するアサニヤという青年がこれまた主のお告げに従ってパウロを赦すことで、目からうろこ(これが語源です)のようなものが落ちて見えるようになります(使徒行伝第9章)。

 パウロはローマ市民権を持っていたことが、ユダヤ人以外の民族への布教に大いに役に立ち、キリスト教がローマ帝国の版図に広がっていく基盤をなしたのだろうと思います。また、上に引用したようなことからもわかるように初期キリスト教における宗教的思想面でも基礎を打ち立てたのだろうと思います。それがイエスの教えと合致するものなのかどうかは別として。……最期は皇帝ネロの治世下においてエルサレムで逮捕され、ローマで処刑されたと言われています。

  第5節は、「ヨハネの黙示録」第20章12節「また、私は死んだ人々が大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書き記されているところに従って、自分の行いに応じて裁かれた……いのちの書に名の記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた」によります。まあ、これでも奇怪な幻想に満ち満ちた黙示録の中ではおとなしい方ですが、その第8章から第11章にも、7つのラッパが順に吹き鳴らされ、この世の終わりと神の国の成就を知らせます。例えば第4のラッパが鳴ると、太陽と月と星の3分の1がなくなって、昼も夜も3分の1が暗くなるといった具合です。ミケランジェロがシスティナ礼拝堂に描いた「最後の審判」でもキリストの下で罪びとたちをラッパで脅かし、追い落としているのが描かれています。

 第7節は、「ペテロの第1の手紙」の第4章18節からです。この章の終わりの19節まで引用すると、「義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪びとたちは、いったいどうなるのでしょう。ですから、神の御心に従ってなお苦しみにあっている人々は、善を行うにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい」このようにペテロの手紙は必ずしも終末論的に読まなくても意味は理解できるものですが、それがDies Iraeでは最後の審判といった文脈に合うような形に嵌め込まれています。

  ペテロも劇的な生涯を送った人です。パウロが生前のイエスに会っていないのに対し、弟アンデレと共に最初の弟子だとされています。しかし、イエスが迫害を受け、ゲッセマネで苦しんでいたときに起きていろと言われたのに眠ってしまうし、イエスのことなんか知らないと(イエスの予言どおり)3回言うといった具合です(マタイ福音書では第26章)。このくだりはバッハのマタイ受難曲で、最も感動的な場面の一つです。……イエスの処刑後は弟子たちのリーダーとして活躍しましたが、漁師だった彼がギリシア語の手紙を書けたとはあまり思えません。私は、パウロといろいろな意味で対照的な役割を果たした人なんだろうと想像しています。

 伝承では、迫害が厳しくなったローマを逃れようとアッピア街道(レスピーギの音楽で有名ですね)を歩いていると、イエスに会います。「主よ、どこへ行くんですか?」それに対し、イエスは「ローマへ。もう一度十字架に架けられるために」と言います。それを聞いてペテロはローマへ戻り、処刑されます。この感動的なお話を元にした小説がシェンキィヴィッチの「クオ・ヴァディス(どこへ行くんですか)」ですけど、今になって思うとなんでイエスが昔馴染みのペテロに言うのにラテン語使うのかなぁ。それはともかく、イエスから「天国の鍵」を受け取ったとされるペテロは初代ローマ教皇とされていて、彼の墓の上にサン・ピエトロ大聖堂があるわけです。ペトロはイタリア語ではピエトロ、英語ではピーター、ロシア語ではピョートルなどなどです。パウロはポールでしたね。

 

 そうそう、前回書くのを忘れたんですが、各行の末尾を見ていただくと韻を踏んでいるのがわかるでしょう。第3節はnum、第4節はura、第5節はtur、第6節はbit、第7節はurusですね。ラテン語の変化形はわりと規則正しいので韻が踏みやすいんですが、怒りの日以外はここまできちんとしていないので、著者がラテン語詩に長けていたのかなって気がします。

 


 

8.セクエンツィア〜畏れ多い王よ

 

 ちょっと今回は分量が多いのですが、ともかくテクストを見ていきましょう。ラテン語の原文なんか関係ないよって思われる方も多いでしょうが、例えば最終節を除いて各節がすべて脚韻が踏まれていることは前に指摘したとおりで、この辺が書き下ろされた詩句の強みで、漢詩と同じくもっといろんな規則に従って厳格に書かれているはずですが、私自身そうした知識がないのでやめておきます。ただ少なくとも文法的な違いもあって、5、7、5程度の定型性しかない日本の文語詩とはわけが違いますし、そういう型があるからこそ、延々と叙事を重ねても様になるという気がします。この点は、近代のヨーロッパ諸語でも同じでしょう。

 

8)Rex tremendae majestatis,

Qui salvandos salvas gratis,

Salva me, fons pietatis.

9)Recordare Jesu pie,

Quod sum causa tuae viae:

Ne me perdas illa die.

10)Quaerens me, sedisti lassus,

Redemisti, crucem passus;

Tantus labor non sit cassus.

11)Juste judex ultionis,

Donum fac remissionis

Ante diem rationis.

12)Ingemisco tamquam reus:

Culpa rubet vultus meus:

Supplicanti parce, Deus.

13)Qui Mariam absolvisti

Et latronem exaudisti,

Mihi quoque spem dedisti.

 

┛擇貘燭ぐ梁腓覆覯Δ茵

救われるべき者を恵み深く救われる方よ、

わたしを救いたまえ、憐れみの泉よ。

慈悲深きイエスよ、思い出してください、

地上にあなたが降りられたのは、何のためなのか、

その日、わたしを滅ぼされんように。

わたしを尋ね疲れ、

わたしをあがなおうと十字架の刑を受けられた方よ、

その辛苦を空しくしないでください。

正義により罰をくだす裁き主よ、

わたしに赦しの恩寵をくだされますように、

応報の日より先に。

罪を負うわたしは嘆き、

罪を恥じて顔を赤らめています。

神よ、乞い願うわたしをゆるしてください。

マグダラのマリアを赦し、

盗人の願いをも聴き届けられた方よ、

わたしにも希望を与えてください。

 

 第8節の冒頭の“Rex tremendae”(畏れ多い王)も時折見出しになりますね。Rex はT-Rexとかで有名でしょうし、tremendae<tremendusはトレモロなどと同じ語源で、「震える(ほど恐ろしい)」というのが原義です。次の第9節までは、前回までに紹介した最後の審判のような終末論的なイメージですが、第10節からはイエスの受難のイメージが現われてきます。

  その中で注目されるのが「我」という一人称単数が使われていることです。神とイエスに対して、自らの救済を乞い願うというのが「怒りの日」の基本的な構造です。これはずいぶん利己的だなと考える向きもあるでしょうが、一人一人が自らの生前の行いを神の前で申し立て、その裁きを待つという聖書の基本的な考え方から当然ですし、ひいては自らの行いの責任は自分で取るという道徳が生まれるもとになったとすれば、何でもかんでも連帯責任を問うような社会よりよほど健全だと思います。

  ただし、原文で「我」という言葉を探してもそれらしい“me”という単語(とりあえず英語の“me”と同じ意味で理解していいでしょう)は、和訳ほどはでてきません。これはラテン語は動詞の変化で主語がわかるので、表示されないからです。つまり例えば“sum”とあればこれは一人称単数が主語だと決まるのです(意味は英語のbe動詞と同じです)。

 デカルトの“cogito, ergo sum.”(我思う、ゆえに我あり)は、二つの動詞を“ergo”(ゆえに)という接続詞でつないでいるだけです。ですから、逆に欧米のちゃんとした哲学者が“cogito”と言うときには一般的な意味での考えること、思考――例えばフランス語での“pensee”よりも狭く、必ず「我」という主体が考えるという意味で使われています。まあ、この主体が入っているのか、いないのかをきちんと区別できないのが日本の哲学と自称する思いつきや駄弁には多いのですが。……

 話が脱線してしまいました。今回の詩句は直接の典拠を聖書に見出すことがほとんどできませんが(心当たりのある方は教えてください)、広く聖書からインスピレーションを得たのだと思います。例えば最後の第13節はルカ福音書の第7章に見られる、「罪深い女」(通常は娼婦と理解されていますね)であったマグダラのマリアがイエスの足を涙でぬらし、髪の毛で拭い、足に口づけして香油を塗ったのに対し、イエスが罪を赦したことと、第23章第39節からのイエスとともに十字架に架けられた犯罪人の一人が悪し様に言ったのに対し、もう一人がたしなめて「我々は自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ」と言い、イエスから天国に行くのを約束されたことによります。

  この2つのエピソードは他の3つの福音書では、前者は「罪深い女」と結びつけられていませんし(したがって女の行いの説明は浅くなります)、後者は2人とも悪口を言ったことになっています。4福音書の全体的な評価などはできるわけもありませんが、こうしたエピソードの扱いにおいて、ルカ福音書の編者のやさしさとその背景にあった人間に対する深い洞察を私は感じています。これがここに載せた物語の登場人物の名前に流用した理由の一つです。シュッツの「イエス・キリストの十字架上の7つの言葉」のテクストでも犯罪人の一人は悔悟していますから、この部分についてはルカ福音書によっているわけです。

 なお、マグダラのマリアは聖母マリアに次いで絵画にもよく取り上げられますが、「ヨハネ福音書」の第8章の石を投げられようとしていた、姦淫の場で捕らえられた女とは別人であるようです。しかし、どちらのエピソードも、律法の字句解釈にうるさい知識人であるパリサイ人との対決の場面において、イエスが罪を犯した者の側に立ったという点では共通であり、これこそがキリスト教が独自性をもちうる所以であろうと思われます。

 


 

9.セクエンツィア〜涙の日

 

 今回で、ようやく “Dies irae”の詩句の紹介が終わります。では、まず例によって原文と和訳を見ていただきましょう。今回のは、“Lacrimosa”(ラクリマ・クリスティってありましたね)や“Pie Jesu”といった単独で名前のついている、有名なパラグラフを含むところです。

 

14)Preces meae non sunt dignae:

Sed tu bonus fac benigne,

Ne perenni cremer igne.

15)Inter oves locum praesta,

Et ab haedis me sequestra,

Statuens in parte dextra.

16)Conftatis maledictis,

Flammis acribus addictis,

Voca me cum benedictis.

17)Oro supplex et acclinis,

Cor contrium quasi cinis:

Gere curam mei finis.

18)Lacrimosa dies illa,

Qua resurget ex favilla.

19)Judicandus homo reus:

Huic ergo parce, Deus.

20)Pie Jesu Domine,

Dona eis requiem.

Amen.

 

わたしの祈りなど聴き入れるのに値しないものですが、

慈悲深い方よ、憐れみをもって、

わたしを永遠の火に追いやらないでください。

羊の群れにわたしを置き、

山羊の群れから引き離して、

あなたの右に立たせてください。

絢われた者どもを罰し、

激しい炎の中に落とされる時、

祝福された者と共に、わたしを呼んでください。

韻劼貮してお願いします、

灰のように砕かれた心をもって、

わたしの終わりの時を取り計らってください。

歌泙瞭、その日は、

灰から蘇る時。

該瓩△觴圓裁かれるべきとしても、

神よ、お願いです、憐れみを。

柑悲深いイエスよ、主よ、

彼らに安息をお与えください。

アーメン。

 

 14節の「永遠の火」という詩句が再び最後の審判のイメージを導き出していきます。15節の羊と山羊の群れは、「マタイ福音書」第25章第31節から第46節に基づくもので、イエス自身が語るものです。最後の審判においてイエスの前にすべての国の民が集められ、羊飼いがより分けるように、イエスに食べ物や飲み物や着る物を与えてくれた人たちを羊だとして右に、そうした物をくれなかった人たちを山羊だとして左に置きます。右側に置かれた人たちは神の国を継ぎ、永遠の命が与えられ、左側に置かれた人たちは悪魔とその使いのための永遠の火に入り、永遠の刑罰が与えられるという内容です。

 まあ、キリスト教徒でもない私からすると、最後の審判なんて粗野というか幼稚というか、わかりやすいと言えばわかりやすい話で、福音書が実際のイエスの言行とは無縁な内容を多く含むという説を信じたくもなりますし、そうした説を否定するならこうした部分とよく引用される同じマタイ福音書の「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」(第5章第3節)といった部分とを矛盾なく説明してもらいたいものです。

 いずれにしても最後の審判といった子ども騙しのお話による恐怖も利用して信者を増やし、縛ったのは、別に中世になってからのことでもなく、初期キリスト教から始まっていたことは疑いないところです。ニーチェがパウロをイエスを裏切って教えを歪め、異教徒に広めたとして弾劾し、真のキリスト教徒はイエス一人しかいなかった(!)と断じたことに深いところでは共感するものです。

 さて、18節が有名な“Lacrimosa dies”(涙の日)です。これは冒頭の“Dies irae”(怒りの日)と対照をなしているのは明らかで(ラテン語においては語順はほとんど自由です)、「罪を裁く神における怒りの日=罪を裁かれる私にとっての涙の日」という構図なのでしょう。しかし、この詩句がモーツァルトを始めとして、多くの作曲家のインスピレーションを刺激したわけです。

 そして、19節から20節“Pie Jesu”にかけて再度、神であるイエスに憐れみを乞い、締めくくられます。ただ、ずっと「我」を前面に出してきたのが最後になって「彼ら」“eis”が出てくるのは唐突の感は免れません。奔放とも言えるような詩想を展開してきたものの、最後にレクイエムの他の部分と調和させるためにやや無理に挿入したのだろうと思われます。 

 以上見てきたように、“Dies irae”は黙示録的な迷信としか言いようのない要素が多いものの、他の部分と比べて主観的な詩句(怒り、恐怖、驚き、恥など)や具体的なもの(灰燼、ラッパ、墓、書き物、涙など)が多く登場することから、音楽化するときに非常に魅力的であったことは間違いないところでしょう。近代のレクイエムは“Dies irae”抜きにはほとんど考えられず、聴いた曲すべてを改めてチェックしたわけではありませんが、これを作曲しなかったのは、優美なレクイエムを書いたフォーレとその追随者のデュリュフレくらいしか思い出せません。書いてきたことと矛盾するように感じられるでしょうが、日本人にとても人気のあるフォーレの作品は、私には死への恐怖や非合理性が描かれていないようで食い足りなく感じています。

 さて、1962年からの第2ヴァチカン公会議(公会議はローマ・カトリックが大きな方針決定をするときに教皇が招集するものです)は、レクイエムを始めとするミサについて大きな影響を及ぼす決定を下しました。まず、ミサはラテン語をやめ、原則として各国語を用いて行われることになりました。また、“Dies irae”のような『セクエンツィア:続唱』を典礼書から削除する決定をしました。

 一般の信徒には今やちんぷんかんぷんのラテン語をやめるのはよく理解できますし、サンスクリット語などの漢訳仏典をお経として唱えてありがたがらせている我が国の仏教各派の態度よりはるかに評価できます。また、上述したような黙示録的な内容、恐怖や神秘で人を信仰に引き込もうとするような“Dies irae”の内容が、ローマ・カトリックの現代化の流れにそぐわないということもわからないではありません。

 しかし、モーツァルト、ベルリオーズ、ヴェルディを始めとする、多くのレクイエムの傑作、名作において“Dies irae”が中心的位置を占めていることから言うと、この決定を手放しで喜ぶ気持ちにはなれません。こういうローマ・カトリックの変容については、マックス・ヴェーバーが言う“脱魔術化”とか“世俗化の進行”ってことじゃないの?って皮肉な見方をしたくなります。

 ところが、音楽作品には敬意を払っているのか、単に観光客向けの商売大事なのかは知りませんが、私がウィーンで見たモーツァルトの追悼ミサでは、枢機卿がドイツ語で行うミサとショルティ、ウィーン・フィルによるラテン語テクストによるモーツァルトのレクイエム(もちろん“Dies irae”を含むもの)の演奏が交互に行われました。

 


 

9.オフェルトリウム

 

  「オフェルトリウム」(奉献唱)までで「言葉の礼拝」が終わって、ここから「感謝の儀式」になるんだそうです。なんのこっちゃって感じですが、内容的には儀式としてのミサにおいて、極めて重要な役割を担っています。とは言え、まずテクストを見てみないと仕方ないでしょう。

 

    OFFERTORIUM

Domine Jesu Christe, Rex gloriae,

Libera animas omnium fidelium defunctorum de poenis inferni,

et de profundo lacu; libera eas de ore leonis,

ne absorbeat eas tartarus, ne cadant in obscurum:

sed signifer sanctus Michael repaesentet eas in lucem sanctam,

Quam olim Abrahae promisisti et semini ejus.

 

Hostias et preces tibi, Domine, laudis offerimus:

tu suscipe pro animabus illis, quarum hodie memoriam facimus:

fac eas, Domine, de morte transire ad vitam.

Quam olim Abrahae promisisti et semini ejus.

 

   奉献唱

栄光の王、主イエス・キリストよ

この世を去ったすべての信者の魂を、地獄の罰と

深い淵から救い出し、獅子の口から解き放ってください。

彼らが冥府に呑まれることなく、闇に陥ることなく、

旗手聖ミカエルが彼らを聖なる光に導かれますよう。

その昔、アブラハムとその子孫に約束されたように。

 

讃美のいけにえと祈りを、主よ、我らは捧げます。

今日、追悼する霊魂のために、これを受け入れてください。

彼らを、主よ、死から生へ移してください。

その昔、アブラハムとその子孫に約束されたように。

 

 まず構成について申し上げると、前半(3+3)と後半(2+2)からなっています(わかりやすいように1行空けてあります)。その要が6行目のアブラハムとその子孫(つまりユダヤ民族)への神の約束(promisisti)であり、後半はそのことへの捧げ物(いけにえと祈り)というわけで、“promisisti”が繰り返されています。まあ、神社に鯛を奉納したり、お賽銭を上げてお祈りするのと同じように考えればいいでしょう。そういうどの宗教にもあるような人間の宗教意識の根本のような儀式ですから、極めて重要なわけです。“Offertorium”はもちろん“Offer”(神に捧げものをするといった意味もあります)の語源ですね。

 3行目の「獅子の口から解き放ち給え」は“テモテへの手紙第2”の第4章第17節に、さらには“詩篇”第22章第21節「私を救ってください。獅子の口から、野牛の角から」に由来するようです。5行目の聖ミカエルはまあ天使の代表選手みたいなものらしく、ユダヤ民族を守ってくれて、龍や悪魔を退治してくれる勇敢な存在らしいです。天使の階級とか役割とかはいろんな説というかお話があるみたいで、ファンタジーやゲームの世界では重要なことなのかもしれませんが、私はさまざまな願望や自然への畏怖のシンボルとか異教の神々の取り込み、つまり仏教における菩薩や諸神と同じようなものだろうと思っています。

 6行目の神がアブラハムに何を約束したかは創世記の第15章を見ていただければいいんですが、ごく簡単に列挙すれば、数えきれない星ほどの子孫、苦難の後の多くの財産、エジプトの川からユーフラテス川までの領土(!)といった大盤振る舞いで、それに対してアブラハムは雌牛や雌やぎや雄羊をいけにえとして切り裂いて捧げたのでした。

 こんなことでアブラハムはユダヤ教のみならず、キリスト教やイスラム教においても「信仰の父」とされているんだそうです。でもねえ、これはどう読んでも神とユダヤ民族との契約で、なんでキリスト教徒なんかが自分たちと神との契約だと置き換えて考えられるのか不思議ですし、この部分をイラクで朗読したら命がいくつあっても足りないでしょうね。

 


10.深き淵より

  シャルパンティエ(1643-1704)はルイ14世、すなわちフランス絶対王政の絶頂期に活躍した作曲家で、華やかながら深さも兼ね備えていて、音楽史全体を見ても極めて高い位置を占める存在ではないかと思います。彼は3つのレクイエムを作曲しているそうですが、そのうちのH.(ヒッチコックによる作品番号)7は、キリエ、怒りの日(最初の2節のみ)、サンクトゥス(前半)、ピエ・イエス(怒りの日の最終節)、ベネディクトゥス(サンクトゥスの後半)、アニュス・デイの後に、有名な「詩篇」130章による「深き淵より」による曲が最後についているという変わった構成を取っています。

 つまり、イントロイトゥス、グラドゥアーレ、トラクトゥス、オフェルトリウム、コンムニオを欠いているわけですが、これらをグレゴリオ聖歌で補うのではなく、後で述べるような理由からこれで完成したミサ曲と考えられていたと思います。その本来のレクイエムにない「深き淵より」の原文と訳を掲げます。

 

   DE PROFUNDUS

De profundis clamavi, ad te Domine:

Domine, exaudi vocem meam.

Fiant aures tuae intendentes: in vocem deprecationis meae.

Si iniquitates observaveris, Domine;

Domine, quis sustinebit ?

Quia apud te propitatio est:

et propter legem tuam sustinui te Domine.

Sustinuit anima mea in verbo ejus: speravit anima mea in Domino.

A custodia matutina usque ad noctem: speret Israel in Domino.

Quia apud Dominum misericordia: et copiosa apudeum redemption.

Et ipse redimet Israel: ex ominibus iniquitatibus ejus.

 

Requiem aeternam dona eis Domine,

et lux perpetua luceat eis.

 

    深き淵より

主よ。わたしは深き淵からあなたに呼びかけます。

主よ、わたしの声を聞き入れてください。

わたしの願いの声に耳を傾けてください。

もし、あなたが不義に目を留められるなら、主よ

主よ、誰があなたの前に立てるというのでしょう?

しかし、あなたに憐れみがあるので、

また主の戒めのため、わたしは主を頼るのです。

わたしの魂はお言葉に従い、わたしの魂は主に希望をかけています。

朝から夜まで、イスラエルは主に希望をかけています。

それは主のもとに憐れみがあり、また豊かなあがないがあるからです。

主はすべての不義からイスラエルをあがない出されます。

 

主よ、彼らに永遠の安息を与え、

彼らを絶えざる光で照らしてください。

 

 これは、その内容からオフェルトリウム(奉献唱)と共通するものが多いのでその代わりに置かれたのでしょうし、最後の2行はイントロイトゥスの冒頭及び終曲のコンムニオに出てくることで額縁になっているレクイエムの看板のような詩句なんですが、シャルパンティエはその額縁構造を崩し、最後に1回だけ出すことで強調しようとしたのだと思われます。

 すなわち、この作品は個性を前面に出しながら、レクイエムの典礼をきちんと踏まえたものなのでしょう。それはたぶんフランスのカトリックが強大な王権の下に1682年に「教権についてのガリア教会の聖職者の宣言」(いわゆる「ガリカニスム4条宣言」)を公布し、ローマ教皇からの独立性を強めていった時期の活力を象徴する作品であるのでしょう。前にも申し上げましたが、フランスの宗教曲を聴くときにはこのガリカニスムへの理解が、バッハを理解する際のルター派の知識と同様に必要でしょう(ガリアはもちろんカエサルの「ガリア戦記」にも見られるようにフランスの古名であり、「やまと」って言うのと同じようなものです)。そうでないとフランスの宗教曲にはベルリオーズを頂点に“個性的”なものが多いのですが、それが単に主観的なものなのか、伝統的なものなのか区別できないだろうと思うからです。

 「深き淵より」の特に冒頭の一行は多くの作曲家の胸を打ち、数々の名曲が生まれました。例えばシャルパンティエより200年前に活躍したルネサンス期の大物ジョスカン・デプレ(ca.1440-1521)にも同名のモテット(とりあえず比較的短い宗教的合唱曲と理解してください)があり、これも心に染み入る名作です。また、5行目の「Domine, quis sustinebit ?」に表われている、すべての人間が罪を負って深い淵に沈んでいるという考えはキリスト教のもっともすぐれた人間観ではないかと思います。

 とは言え、こうした考えが甘ったるい、なあなあの思考や態度に堕ちていきやすいことも例えば我が国の浄土思想などを見れば明らかで、歴史的・宗教的背景もあまり知らずに、「深き淵より」という言葉を安易に使う人たちも多いように思います。

 


 

11.サンクトゥス

 

  SANCTUS

Sanctus, Sanctus, Sanctus Dominus Deus Sabaoth.

Pleni sunt coeli et terra gloria tua.

Hosanna in excelsis.

Benedictus qui venit in nomine Domini.

Hosanna in excelsis.

 

   サンクトゥス

聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな主、万軍の王。

主の栄光は天上と地上に満ちあふれる。

高みの極みにおいて、ホザンナ。

祝福あれ、主の名前により来られた方よ。

高みの極みにおいて、ホザンナ。

 

  「サンクトゥス」は、通常文、すなわちすべてのミサに共通して歌われるものです。最初の2行は「イザヤ書」の第6章によるもので、6つの翼をもつ2人の天使セラフィムが神をほめたたえるこの言葉を呼び交わしながら飛んでいるという記述があります。3行目の“Hossana”は私の持っている辞書には「万才!」なんて訳してありますが、これも賛美する感嘆語なのでしょう。4行目からは「ベネディクトゥス」として独立して扱われることも多いのですが、その詩句は「詩篇」第118章第26節の「主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した」の前半から取られています。もちろんこの「主の御名によって来る人」がキリスト教の文脈ではイエスのことを予め示したものと理解されているわけです。

 さて、ミサの儀式では、ここで神への捧げ物であるパンとワインが聖霊によりキリストの肉体と血に変化する「聖変化」と「聖体奉挙」が司祭により執り行われます。福音書に記された最後の晩餐に由来する、典礼上非常な重要な部分であるわけです。パンと言っても実際のミサで使われるのは薄くて小さなおせんべのようなもので、これを司祭が信者に次々とくわえさせていきます。

 


 

12.アニュスディ

 

   AGNUS DEI

Agnus Dei, qui tollis pecata mundi: dona eis requiem.

Agnus Dei, qui tollis pecata mundi: dona eis requiem.

Agnus Dei, qui tollis pecata mundi: dona eis requiem sempiternam.

 

   アニュス・デイ

世界の罪を消し去る神の小羊よ、彼らに安息を与えてください。

世界の罪を消し去る神の小羊よ、彼らに安息を与えてください。

世界の罪を消し去る神の小羊よ、彼らに永遠の安息を与えてください。

 

 アニュス・デイ(神の小羊)は、通常のミサでも歌われますし、アグネスという女性によくある名前との関係もあって広く知られていると思います。これは「ヨハネ福音書」の第1章第29節で、洗礼者ヨハネがイエスを見て、「見よ、世界の罪を消し去る神の小羊。私が『私のあとから来る人がある。その方は私に優る方である。私より先におられたからだ』と言ったのは、この方のことです」と言ったことに由来するものです。

 さらに、その淵源をたどると旧約聖書の「イザヤ書」第53章第7節で「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。屠り場に引かれて行く小羊のように」を踏まえたものであると思われます。つまり、ヨハネ福音書の編者は、十字架に張り付けになるイエスの運命をほのめかすとともに、救い主(キリスト)を待望するイザヤ書の言葉を実現するのがイエスにほかならないことを示すために洗礼者ヨハネにこう言わせたのでしょう。

 ただ通常のミサでは次のような歌詞になります。

 

Agnus Dei, qui tollis pecata mundi: miserere nobis.

Agnus Dei, qui tollis pecata mundi: miserere nobis.

Agnus Dei, qui tollis pecata mundi: dona nobis pacem.

 

世界の罪を消し去る神の小羊よ、我らを憐れみたまえ。

世界の罪を消し去る神の小羊よ、我らを憐れみたまえ。

世界の罪を消し去る神の小羊よ、我らに平安を与えたまえ。

 

 すなわち、通常のミサの自分たちへの神のご加護を祈る言葉がレクイエムの場合には、死者に安息(レクイエム)を与えるよう祈る言葉に置き換わっているわけですが、3行目は意味としてはあまり違わないものにしています。ミゼレーレもしばしば宗教曲の題名になっていて、詩篇第50章に基づくものです。

 ミゼレーレで有名なのはアレグリ(1582-1652)の9声のもので、システィナ礼拝堂で門外不出になっていたものを14歳のモーツァルトが聴いて、これを記憶し、楽譜にしてしまいました。まあ、これ自体はモーツァルトの真価である創造力とは関係がないんですが、神童の逸話としてはおもしろいですね。

 


 

13.コンムニオ

 

  COMMUNIO

Lux aeterna luceat eis, Domine:

Cum sanctis tuis in aeternum, quia pius es.

Requiem aeternam dona eis, Domine, et lux perpetua luceat eis.

Cum sanctis tuis in aeternum, quia pius es.

 

   コンムニオ

主よ、彼らを永遠の光で照らしてください、

永遠に生きるあなたの聖人たちとともに、慈悲深い主よ。

彼らに永遠の安息を与えてください、主よ、彼らを永遠の光で照らしてください。

永遠に生きるあなたの聖人たちとともに、慈悲深い主よ。

 

 サンクトゥスが歌われる間に聖変化して、キリストの肉体と血となったパンとワインが信者一人一人に対して、分かち与えられる「聖体拝領」がコンムニオが歌われる間に行われます。これでミサとしてのレクイエム本体は終わりです。そのためか、歌詞もイントロイトゥスの冒頭2行と類似したものとなっています。その中で、Sanctis(聖人)という言葉が目を引きますが、なぜこの語が出てくるのかはよくわかりません。

 冒頭のLux aeternam(永遠の光)はとても有名で、この名前で呼ばれることもあります。Communioは、communityやcommunicationの語源で、共有や共同といった意味ですが、聖体拝領によってキリストの下に信者同士が結びつくことを表しているのでしょう。バロック以降のレクイエムにおいてはあまり作曲されなくなったんですが、その理由も儀式としては大事であっても歌詞としての独自性が乏しいせいではないかと思われます。 

 


 

14.リベラ・メ

 

      LIBERA ME

Libera me, Domine, de morte aeterna, in die illa tremenda,

Quando coeli movendi sunt et terra:

Dum veneris judicare saeculum per ignem.

Tremens factus sum ego, et timeo, dum discussio venerit atque ventura ira.

Quando coeli movendi sunt et tera.

Dies irae, dies illa, calamitatis et miseriae, dies magna et amara valde.

Dum veneris judicare saeculum per ignem.

Requiem aeternam dona eis, Domine: et lux perpetua luceat eis.

 

   リベラ・メ

わたしを解き放ってください、主よ、恐ろしいあの日に、永遠の死から。

その日には、天と地は震動する、

主がこの世界を炎によって裁きに来られるのだから。

わたしはいずれ来る裁きと神の怒りを思い、震えおののく。

その日には、天と地は震動する。

その日こそ怒りの日、禍の日、悩みの日、大いなる悲嘆の日。

主がこの世界を炎によって裁きに来られるのだから。

主よ、永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光により彼らを照らしてください。

 

 ミサが終わった後に柩の前で行われる赦祷式で歌われるのが“リベラ・メ(我を解き放ちたまえ)”です。赦祷式の内容は知りませんが、まあ日本で出棺のときに行われるものとあまり変わらないんじゃないかと想像しています。これは典礼外のもので厳密な意味ではレクイエムに含まれないものと言えるでしょうし、バロック以前に作曲された例は思い浮かびません。テクストの内容としては“ディエス・イラエ(怒りの日)”と似ています(そういう意味で黙示録的です)ので、フォーレがディエス・イラエの言わば代替品として作曲した理由もよくわかります。また、最終行がイントロイトゥス冒頭と照応しているのは言うまでもありません。

 しかし、何と言ってもリベラ・メで始まる1行目の詩句がとても魅力的です。LiberaはLibertyやサッカーのリベロなどの語源であるのですが、原義は「解き放つ」ということなのでしょう。「(永遠の死から)我を解き放ちたまえ」という悲痛な願いは、私も物語を書く際に大きくインスパイアされました。

 ただこの言葉もレクイエムや深き淵よりなどと同じく、浅い理解だけで乱用されているようです。まあ、大したことのない映画や小説をラテン語や漢語を使っていわくありげに見せるのはよくあることなので、目くじらを立てることもないのでしょう。でも、ネットでリベラ・メを検索してみて、気になったのは「我を救いたまえ」という誤訳がまかり通っていることで、これでは「死に縛り付けられている」というイメージが全く表現されていません。この意味であれば「畏れ多い偉大なる王よ」にあるように“Salva me”といった言葉になるはずです。サルヴァトール(救い主)、サルヴェージ(海での救助や引揚作業)の語源です。

 


 

15.楽園にて

 

   IN PARADISUM

In paradisum deducant te Angeli,

In tuo adventu suscipiant te martyres

et perducant te in civitatem sanctam Jerusalem.

Chorus Angelorum te suscipiat

et cum Lazaro quondam paupere aeternam habeas requiem.

 

   楽園にて

天使たちがあなたを楽園に誘い、

殉教者たちがあなたを出迎え、

聖なる都エルサレムに導きますように。

天使の合唱があなたを受け止め、

あなたが貧しかったラザロとともに、永遠の安息を得られますように。

 

 赦?式のさらにあと、柩を墓地に運び、埋葬する際に歌われるのが“イン・パラディスム(楽園にて)”です。天国で天使と殉教者が死者を待っているという内容です。これについてもフォーレのレクイエムの美しい旋律とオルガンの印象的な伴奏で広く知られているでしょう。「天使の合唱:Chorus Angelorum」という言葉が最後を飾るのにふさわしい感じですね。

 最終行のラザロ「ヨハネ福音書」第11章に登場する人物で、死んで4日経ってからイエスが墓石を取り除けさせ、大声で「ラザロよ。出て来なさい」と叫ぶと布切れで巻かれたまま蘇ったので、ここで言及されるのにふさわしいものです。ただちょっとよけいなことを言うと、この話自体、ヨハネ福音書にしか見られないもの(死んだ少女を蘇らせる話は、四福音書の中で最も古く成立したと言われるマルコ福音書にもありますが)で、かつマグダラのマリアの兄弟だとされています。死者を蘇らせる奇跡というインパクトの強い話なので、レンブラントを始めとして絵画の題材としてはよく採り上げられています。

 このすぐ後の第12章では、マリアがイエスの足に高価な香油を塗り、髪の毛でぬぐったというこれまた強い印象を与えるエピソードが語られ、さらにイスカリオテのユダが香油を売れば貧しい人を救えたのにと言います。これは、ユダの裏切りの伏線のようでもありますが、ラザロの奇跡の話と合わせて考えると初期キリスト教団内の精神面を重視するか、社会活動的な面を重視するかという路線対立を示唆したものとも理解できそうです。

 また、この辺りの話の運び自体がかなりもたもたしていて、それが福音史家の文章力によるものなのか、編集過程での様々な議論を反映したものなのかはわかりません。ただこれらはとても有名なお話なのに原典に当たってみると、イエスの行動を含め、あまり素直には読めないなというのが私の率直な印象です。