Trane's Works 55, 56
1956, 10/26, Fri. 2nd MARATHON SESSION
1. If I Were A Bell
2. Well You Needn't
3. 'Round Midnight
4. Half Nelson
5. You're My Everything
6. I Could Write A Book
7. Oleo
8. Airegin
9. Tune Up
10. When Lights Are Low
11. Blues By Five
12. My Funny Valentine*
*no solo
■曲名はコメントにリンクしています
Miles Davis (tp), John Coltrane (ts),
Red Garland (p), Paul Chambers (b), Philly Joe Jones (ds)
Van Gelder studio, Hackensack, New Jersey.
○この時、マイルス・デイヴィス30歳5ヶ月、ジョン・コルトレーン30歳1ヶ月、レッド・ガーランド33歳5ヶ月半、ポール・チェンバース21歳6ヶ月、フィリー・ジョー・ジョーンズ33歳3ヶ月。
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■セッションの概観
●この頃、ヘロインをやめようと試みていたコルトレーンは、禁断症状を緩和するために酒を飲み続け(註)、それがステージへの遅刻や演奏中の居眠りを結果し、カフェ・ボヘミア出演中(10/15∼10/31)に一時バンドから外されてしまいました。代役にはロリンズが起用されましたが、レコーディングにはコルトレーンが呼び戻される、という微妙な状況下でこのセッションは行なわれ、コルトレーンは進境の著しさと依然残る不安定さのない交ぜになった姿を見せています。選曲の傾向は5月11日同様ヴァラエティに富んだものですが、テンポの速いジャズの有名曲が若干多めになっています。
註).ヘロインの禁断症状はイリーガル・ドラッグ中最も辛いものとされおり、レコーディングやクラブ出演をこなしながら重度の中毒状態から抜け出るのは、土台無理な試みなのかもしれません。ソニー・スティットやソニー・ロリンズはケンタッキー州レキシントンの公衆衛生総局病院へ入院し、一時的に引退しましたし、自力でコールド・ターキーに耐えたマイルスも、ニューヨークの第一線からは長く離れていました。しかし翌57年、コルトレーンは長いブランクを空けることなく、コンスタントに仕事をこなしながらヘロイン中毒から脱するという離れ業をやってのけました。
(西内)
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1. If I Were A Bell ( Frank Loesser ) 8:15  [ Relaxin' ]
●まるで最初のマラソン・セッション(5月11日)での“歌物”を想い起こさせるたどたどしさです。おずおずとして、よたっていて、尻切れトンボやちびったようなフレーズ、素っ頓狂な、はずれたようなトーン。もうボロボロ。これだけ聴くと全然進歩してないように聴こえてしまいます。やはりしょっぱなで出遅れて動揺してしまったのでしょうか。あれはどう考えても意図的にフェイド・インしたとは聴こえない。1コーラス32小節に付け足されたスペースを16小節(+2小節+次のソロイストのブレイク2小節)だと思い込んでいたところが実は8小節だったので、あわててマイクに近づいた、というのが真相なのでしょう。でもよく聴くと、5ヶ月間の違いも聴こえてきます。“歌物”であるにもかかわらず変な抑制感がなくて、でかい音を出してるし(マイルスにヴォリューム合わせてるとちょっとうるさいです)、5月の時のように無理矢理にメロディックでリリカルなプレイをしようとしているようには聴こえません。動揺しつつも自分の資質に合ったプレイをしているのではないでしょうか(それで嫌われてしまうんでしょうが)。常態だったらそこそこいいソロになっていたんではないでしょうか。そんな仮定が思い付かれるのも5月との違いのように思います。
●マイルスとリズム・セクションは相変らず快調で、リラックスしてもダレない心地よい緊張感があります。聴きどころはガーランドの3コーラス、終始ぐいぐい引っ張っていく感じのチェンバースのベースではないでしょうか。
(西内)
□memo□
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2. Well You Needn't ( Thelonious Monk ) 6:18  [ Steamin' ]
●1曲目の動揺が尾を引いているのか、それともモンクの曲が難しいのか(もっともマイルスがブリッジのコード進行を変えてるらしいが)、やや堅いし、粗い。しかし、技術的な不備やソロの完成度等に捉われないのであれば、この緊張感漲るリズム・セクションをバックに、最早クインテット唯一のウィーク・ポイントではないばかりか不可欠の要素となった、代替不可能な存在感を、この荒っぽくスリリングな即興を通して感じ取ることもできる。
●下降する3つの音が繰返されるフレーズを中心に、反復される下降型の音型が頻出する。数小節に渡る一纏まりの流れの後半にほとんど現れる(適切に表現する言葉が見つからない、というより知らない。反復されるのは7回くらいだ。3つの音が繰返される回数ではなくて、3つの音が繰返される一纏まりが繰り返される回数のことだよ)。だからどうなのか。どのような意図があるのか、ないのか。 ········ わからない。苦し紛れに反復しているようにも聴こえるし、曲調に見合った味が出ているという風にも聴こえる。
Oleo のテーマからの(と思われる)フレーズが2ndコーラス15,16小節目=2:59に出てくるが、5月のセッションの Woody'n You 、さらに翌年57年6月26日のモンク本人との Well, You Needn't ("Monk's Music" 収録)でも先の3音のフレーズと共に使われている(ワン・セットで一緒に、ではなくて、同じソロの中に別々だけど出てきますよ、という意味)。だからどうなのか。何か意味があるのか、ないのか。 ········ よくわからない。
(吉野)
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3. 'Round Midnight
( Bernie Hanighen / Thelonious Monk / Cootie Williams ) 5:21  [ Modern Jazz Giants ]
●3曲目で落着いてきたのか、わりと安定したプレイ。ダブル・タイムもまずまずで、よどみなくこなしている(特に2コーラス目以降)。9/10のColumbiaのセッションに比べるとテンポがやや速く、動きは活発(フィリー・ジョーも手数が多い)で、抑制感は弱まっている。そのせいかどうか、あの妙な“味”と言うか“風合い”は稀薄で、そもそもあまり濃厚な“表現”はしない本来のドライなコルトレーンに近いように思う。全体の演奏もあっさりしている印象をうけるし、ブレイクへ至るまでのサスペンスも弱まっているんじゃないかな。なんだか良くも悪くも憑き物が落ちてしまって、いつも通りのものになってしまった感じ。まあ、大筋は9/10と一緒なんだけど。
● → 'Round Midnight ( Columbia, 9/10 )
(佐々木)
□memo□
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4. Half Nelson ( Miles Davis ) 4:46  [ Workin' ]
Nelson はベーシストの Nelson Boyd 。タッド・ダメロンの Lady Bird のコード進行がベース(少し変えている)。 Jazz Messengers Lady Bird ( 1955, 11/23, Café Bohemia ) のラストに Half Nelson の引用がある。
If I Were A Bell のしどろもどろからすればまずまず順調な滑り出し。途中うまく収まりの付かなかったような区切りがあるものの、ペースは悪くない。2ndコーラスに入ってからはクライマックス目指して上り詰めるような、リズム・セクションと一体となったドライヴ感がなかなか、と思うのも束の間、19小節目からのピアノのバッキング停止以降失速し、フレーズが途切れ途切れになってしまう。チェンバースのベースも一瞬止まっているので、最初は何かアクシデントが起ったのかと思ったほどの不自然さ。途中で何かを見失ってしまったような覚束なさが顔を出している感じで、またもやこの時期に特有な“不安定”さのサンプルが一つ加えられるのかと溜め息を吐いていると、ラストは見違えるような手際の良さでちゃんと帳尻を合わせているので一筋縄ではいかない。ガーランドのバッキング停止はマイルスのソロ2ndコーラスでも同様19小節目だったので、意表を衝くような箇所だが、一応アレンジというかちょっとした演出なわけで、決してアクシデントではない。そこでまさかとは思ったが、もしかして意図的にやっているのじゃないかと何度か聴き直してみると、この不自然な途切れ途切れの感じが Two bass Hit の両テイクでやっていたのと同じ類のニュアンスを持っているのに気付いた(特にmasterの方)。一時的なピアノ・レス状態というのも一緒だ。というわけで破綻ではなくて意図的にフレーズを短く途切れさせていると思うようになったのだが、それまでのいい感じのペース、ソロのコンテクストからすると唐突でちぐはぐ、しかも中途半端で、 Two bass Hit 同様決して功を奏しているとはいえない。或いはフレーズが途切れてしまったためのごまかしの類だろうか。何かリズミックな効果が出ているわけでもなく、“ミス”だと思われてしまうようなアイディアが拙いと言うべきか、アイディアをリアライズする確かな技術に欠けていると言うべきか、はたまた資質に合わぬアイディアを採り上げてしまったと言うべきか、実際の所は判然としないが、56年のコルトレーンらしいと言えば言える、僅か2コーラスの出来事。しかし、5月11日のセッションを中心に組まれた Workin' の中で聴くとその成長ははっきりと感じられるのではないかと思う。
(吉野)
□memo□
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5. You're My Everything ( Mort Dixon / Harry Warren / Joe Young ) 5:18  [ Relaxin' ]
●これまでソロを取らせてもらえなかった類の曲で、'Round Midnight を別にすれば、マイルス・デイヴィス・クインテットにおける唯一のスロー・バラードでのソロ。ただし、16小節だけで、 'Round Midnight とは対照的に動きの少ない即興になってる。これって、マイルスのバラード奏法の影響かね。ちょっと後年のバラードでのプレイを感じさせる。微妙な細かいコントロールはまだまだだけど、別にたどたどしくはないし、素っ頓狂でもないし、コルトレーンらしいドライなリリシズムが感じられるし、セッション順に追っていって、マイルスの後にガーランドが続くスロー・バラードのパターンを散々聴いた後では結構新鮮だった。
(佐々木)
□memo□
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6. I Could Write A Book ( Richard Rodgers / Lorenz Hart ) 5:10  [ Relaxin' ]
●テンポが違うとは言え、 If I Were A Bell に比べるとすごくよく聴こえるし(雲泥の差と言いたいくらい。これを聴いて If I Were A Bell を聴くとやっぱ笑ってしまう)、また同じアルバム Relaxin' に収録された It Could Happen To You と比べると5月と10月の違いが良くわかります。リズム・セクションとの呼吸も合っているし、クインテットでのこの手の曲の中でもいい部類に入るんじゃないかと思うんですけど、他方、Whims of Chambers Tenor Conclave のセッションと比べると、伸びやかさや解放感に欠けていて、堅苦しく聴こえ、粗さが目立ちぎこちない感じがする。というより、クインテット以外でのセッションでも粗削りなのは一緒なので、その粗さがマイルスのところではあまり魅力的には聴こえない、ということかな。ただ、その堅苦しさも、マイルスのクインテットならではの比類ない緊張感として感じられないこともないので、あとは好き嫌いの問題だと思います。ちなみに僕はマイルスのクインテットでの無器用さ丸出しのコルトレーンが結構好きです。
(西内)
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7. Oleo ( Sonny Rollins ) 5:52  [ Relaxin' ]
●演出に添ってやや抑えた1stコーラス(Aセクションがベースのみのバッキング、Bセクションはフル・リズム・セクションだがドラムはブラシ)。メカニカルなフレーズを主体に、淡々とした印象(を与えようと意図しているように聴こえる)。コーラスの最後で少しもたつき、フル・リズム・セクションでバッキング(フィリー・ジョーはスティックに持ち換え)する2ndコーラスへと効果的に華々しく突入したいところだが、微妙に遅れてあまりパッとしない。が、8小節目のフィリー・ジョー(?)の"Come On!"という掛け声に、拗音的ペット・フレーズで応えて勢いに乗り、快調な中盤を展開する。後半、3rdコーラス2度目のAセクションから少し怪しくなり、Bセクションの最初の4小節でやや乱れるが、なんとか持ちこたえて調子を盛り返すも、4thコーラスの9小節目から8小節間(2番目のAセクション)、明らかな破綻を見せる。Bセクションで体裁を立て直し、ラストはどうにかまとめ上げるが、手際よく収まったという感じはしない。ただ、後半の良くない印象から全体を判断して中盤の好演を聴き逃さないようにしたい。マイルス・クインテットが持つ緊張感がそこそこ良い方向に作用しており、続く Airegin (セッション順)と共に、クインテットでの最良の部類に属する非常に引き締まったパフォーマンスになっていると思う(マイルスとやってるコルトレーンは好きではないので、あまり積極的に評価する気にはならないが、嘘は吐いていません)。が、他方で、演出上、明らかに曲のピークを成すと思われるフル・バッキングでの3コーラスの任を十全に果たしているかと言えば、かなり不満も残る。
(吉野)
Tenor Conclave のソロで聴かれたフレーズが結構出てきます。
(西内)
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8. Airegin ( Sonny Rollins ) 4:24  [ Cookin' ]
●形式は A ( 8bars ), B ( 12bars ), A ( 8bars : pedal point ), B' ( 8bars ) 。後のAセクションはペダル・ポイントで(イントロと同リズム)、最初のテーマ提示では原曲のメロディが奏されないが、後テーマでは原曲通り。マイルスとコルトレーンのソロ、それぞれの3rdコーラスはペダル・ポイントのAセクションを除いてピアノがバッキングを停止。
●詠嘆法無しでひたすらに疾走しようとするコルトレーン流マイナーの快演。アップ・テンポだが破綻少なく、乾いた熱風の如き砂塵混じりのフレーズが荒々しく吹き募る。特にペダル・ポイントとその前後で生ずる乱流が心地よい。が、3rdコーラス8小節目でまた別の烈風、フィリー・ジョーに煽られたせいか、ピアノ・レス状態のせいか、はたまた3コーラス目で早くもアイディアが尽きてしまったのか、9小節から16小節にかけて不意に失速してしまうのが惜しい。(相変らず文学的形容が恥ずかしいが、それはそれとして、ここでこんな書き方をしてしまうと、後のコルトレーン、特に65年以降のコルトレーンをどう形容するのか、という問題が生ずるし、56年のコルトレーンには少し大げさすぎるかもしれない。)
(佐々木)
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9. Tune Up ( Eddie "Cleanhead" Vinson ) 5:40  [ Cookin' ]
Four 同様エディ・クリーンヘッド・ヴィンソン作。この曲をベースに Countdown ( 59, 5/5. Giant Steps 収録) が作られました。
●急速調で、5月11日の Salt Peanuts に次ぐ速さです。テンポが速いと聴くのも大変で、繰り返し聴いても、なかなか耳に馴染んでくれないので弱ります。テンポが速いせいか、他の曲に比べると音がやや小さいような気がしますが、 Salt Peanuts での少し力を抜いたような吹き方に比べると、大分強く吹いていると思います。 Salt Peanuts ではフル・バッキングで即興に専念できたのですが、ここではマイルスとコルトレーンのソロの半ばで、ピアノのバッキングの停止というパターンの仕掛けが仕込まれていて(32小節、ちょうど1コーラス分、2ndコーラス半ばから3rdコーラス前半まで)、両者共に、そこで細かい音を連ねた長めのライン(10小節から12小節くらい)を吹いており、ちょっとした聴かせどころの一つになっています(予め示し合わせたんでしょうか、それともコルトレーンがマイルスに倣ったんでしょうか? ただ、コルトレーンの場合は最初の11小節だけで、その後は続けなかったのか、続かなかったのかはわかりませんが、休符の入った普通のプレイになってます)。さらに、コルトレーンのソロの後半では、ガーランドとフィリー・ジョーによるパターン化されたリズムとピアノ・レス状態が8小節づつ交互に繰返され、ソロの終盤を盛り立てる感じのアレンジになっています。で、好意的に言えば、速いテンポにもかかわらず、細かい仕掛けによく対応しているんじゃないかと思いますが、客観的に言えば、まだ速いテンポに対してイニシアチヴを取れておらず、なんとか追いて行っている、といった感じで、細かい仕掛けを活かし切れていないのではないかと思います。
(西内)
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10. When Lights Are Low ( Benny Carter / Spencer Williams ) 7:28  [ Cookin' ]
●ベニー・カーターの曲で、滞欧時にロンドンで初演(ヴォーカルはエリザベス・ウェルチ)され、帰米後オーケストラ・ヴァージョンがデル・セント・ジョンのヴォーカルで録音されました。ショー・チューンではないと思いますが、元々ヴォーカル・ナンバーです。
●5月11日の Surrey With The Fringe On Top と同様、マイルスとガーランドのソロにはブルース・フレーズがちらほらし、コルトレーンにも彼らほどあからさまではないが、それらしいフレーズが聴かれます。そのせいか、Tune Up の緊張感を解きほぐすような、とてもリラックスしたプレイですが、わずかに沈んだ雰囲気も感じられます。
●フレーズ自体は特別メロディックなわけではないし、このテンポの曲ですからダブル・タイムのメカニカルなフレーズが多いんですが、音の表情はリリカルです。特にフィリー・ジョーもダブル・タイムで同調する2ndコーラスの最初の16小節は非常にソフトに吹いています。
●長めの“間”が多く、なんか不自然な印象を受けます。例えば、マイルスのソロは概ね曲の小節構造に合致した3、4小節単位でフレーズが作られていて、4小節目に休符が入るんですが、その“間”にリズム・セクションのアクセントが自然に入るようになっています。コルトレーンも3、4小節単位でフレーズを作っていますが、曲の構造からずれていて(特に1stコーラス)、リズム・セクションの入れるアクセントとコルトレーンのフレーズが重なっています。苦手の“歌物”ゆえの不自然な結果というより、何か意図的なものを感じるんですが、なにか意味があるんでしょうか。あるとしたらどんな意味があるんですかね。2ndコーラスのダブル・タイム中(1〜16小節)の2小節の“間”(11、12小節)は別の意味で不自然です。
(西内)
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11. Blues By Five ( Red Garland ) 9:59  [ Cookin' ]
Trane's Strain 、Trane's Blue と同タイプのブルースでの即興で、やや緩めで締まりのないサウンドと、不自然な中断に聴こえかねない長目な“間”の多さ、リテラルにレイジーな印象を与える、レイド・バックというよりは鈍臭い“遅れ”、不自然な抑制感が特徴。各コーラス最初のフレーズ(と言うよりラインと言うべきか)は結構いいんだが、無理矢理入れたような“間”の後の結びの部分が覚束なくて、締まりがない。やはりコルトレーンの持ち味にそぐわぬスタイルであるのは否めないのではないだろうか。4thコーラスの荒っぽさも(嫌いじゃないが)なにか取って付けたような感じで、コルトレーン本来のものではないような気がする。他のメンバーの溌剌として流暢かつタイトなソロの中でただ一人浮いてしまっており、精彩を欠いているように聴こえてしまう。 Trane's Strain Trane's Blues に比べるとかなり進歩していると思うのだが、聴きようによっては意図的なスタイルとして受け取られず依然不安定なままであるという印象を与えかねない、微妙な即興。だが他方で、耳に馴染むと、或いはありきたりな“名演”に飽きてしまうと、この56年のコルトレーンにしか聴けない奇妙な“味”を珍重したいような気持ちが起って来てヤバイ。
Trane's Strain, Trane's Blues
(吉野)
□memo□
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12. My Funny Valentine ( Richard Rodgers / Lorenz Hart ) 5:59  [ Cookin' ]
no solo.
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Trane's Works 55, 56