伊達家の歴史(三)

伊達家13代目は伊達稙宗である。彼は1517(永正14)年、室町幕府第十代将軍足利義稙の一字を賜り、「稙宗」と称する。

1522(大永2)年に陸奥国守護に補任される。伊達氏にとって陸奥国守護は念願であり、稙宗の曾祖父にあたる11世の持宗のころ

から莫大な費用を浪して懇願し、稙宗の代になりようやく実を結んだ。

その後、稙宗は伊達家家法である「伊達氏御成敗式目  塵芥集」を制定、「陸奥国守護」の権威を背景に伊達家の勢力拡大にのりだす。

しかし、三男藤五郎実元を上杉氏の養子として出すことに反対した嫡男晴宗によって、1542(天文11)年、西山城に幽閉される。

この嫡男晴宗との確執は後に「天文の乱」として伊達家の内乱に発展するが、結局、この乱の後、稙宗は家督を晴宗の譲り、自身は伊達

郡丸森城に隠退した。

ちなみに子供には男子が多かったため、他家や家臣の養子にするなどして積極的に敵を減らしていった。実元を上杉家への養子にしよう

としたのも一つの例である。

14代目当主は晴宗である。13代目当主・稙宗の政策は重臣等の反発を招いた。

重臣等は嫡男である晴宗に直訴し、事態を憂慮した晴宗は即座に行動を起こして同年6月稙宗を西山城へ幽閉した。

これ以後、伊達家は稙宗派、晴宗派の2つに分かれ、さらには奥羽の諸大名までも二分する「天文の乱」に発展する。緒戦は稙宗方が有

利であった。

しかし、稙宗方の諸氏が次第に晴宗方へとながれ、時間とともに晴宗方が有利となった。最終的に乱は晴宗の勝利に終わり、家督を継い

だ晴宗は室町幕府から奥州探題という奥州を統治する役職に任命された。



以上で伊達家の歴史を終わります。

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