岐阜
のまちづくり



川原町屋岐阜シティタワー43


■岐阜シティ・タワー43と玉宮通り  (2007.9.22)

 2004年の春に訪問してから3年半。当時はまだ計画だけだった駅西の再開発地区に、計画どおり、地上43階の超高層ビルが立ち上がった。いよいよ来月8日に竣工式と記念シンポジウムが催され、グランドオープンを迎える。その前の忙しい中、都市住宅学会主催の見学会が開催されたので参加した。午後1時に集合し、再開発ビルの通りを面して向かい側にある再開発事務所で、市街地再開発室長の川島さんから話を伺う。まず最初にDVDの放映。北は北海道・旭川から南は沖縄・那覇まで、全国からの見学がひっきりなしと誇らしげに語る。元は電電公社のあった跡地に市が最大の地権者として参画。上部の保留床を分譲住宅と賃貸住宅として譲渡することにより100億円を超える事業費を捻出。無事、43階建ての超高層ビルの完成にこぎ着けた。
 しかしここまでの筋道はけっして平坦ではなかった。S58に準備組合を設立。当初はよくある商業床主体の再開発を模索。一旦は某百貨店の出店で決まりかけた再開発計画も、その後出店辞退。H4から空白の10年間を経験する。H14に事業提案コンペを実施。叶Xビル都市企画・樺|中工務店の共同提案を採用・決定。H15の都市計画決定を経て、事業参加者を募るが、大手住宅ディベロッパーに悉く断られ、暗礁に乗りかけたところが、大阪資本の大和システム、広島資本のセイキョーホームが分譲住宅事業に手を挙げ、また県住宅供給公社も当時の梶原知事の決断で、保留床を購入し、高優賃と福祉施設を導入することが決定。H17にようやく着工にこぎ着けた。
 43階建て、高さ162.82m。現在名古屋市内で建築中のライオンズマンションが完成するまでは、住居系タワーとして中部地区一の高さを誇る。1・2階が商業施設。3階が県公社が賃貸運営する福祉医療等施設。4階に岐阜放送と一部商業施設。5階が分譲エントランスで、6階から14階までが県公社が運営する高齢者向け優良賃貸住宅108戸。15階から42階まで分譲マンション243戸が入り、43階はスカイラウンジとして無料開放すると同時に、一部展望レストランが入る。
 高優賃は44.65m2から57.3m2まで。家賃は95,000円〜135,000円。他に共益費が約12,000円。LSAによる支援管理費が約10,000円。家賃補助はないにも関わらず、2倍近い申し込みがあったというから驚き。また分譲マンションも最上階は億に届こうというのに即日完売。ちなみに分譲購入者の6割が岐阜市内、3割が県内居住者。愛知県内での広告を行う前に完売したため、残りの県外購入者も岐阜県内の知人からの紹介者がほとんどで、東京など遠方の方が多いとのこと。また高優賃も2/3が市内居住者ということで、岐阜県随一のステータスが岐阜県人に評価されたという印象だ。
 ちなみに構造的には制震構造を採用。高強度コンクリートを使用したPC造で、1週間で1層の急ピッチで施工されたとのこと。
 以上のような説明を伺った上で、現地を見学。デザインは岐阜提灯をイメージした和風ということだが、提灯というより行灯みたい。デザイン性というよりやはり圧倒的な高さが強烈にその存在をアピールする。

中央コア吹き抜け  /  高優賃室内  /  5階屋上庭園
 既に住宅床は入居が始まっており、引っ越しの真っ盛り。高優賃の室内は広いベランダから光がたっぷりと注ぎ込む明るい雰囲気。低い照明スイッチや高いコンセントが高齢者への配慮を窺わせる。また眼下には5階分譲エントランスの屋上庭園を見下ろし、遠くに金華山が望まれる。
 3階は福祉医療施設だが、まだオープン前なのでひっそりとした感じ。中程の多世代地域交流コーナーがゆったりしている。次に最上階スカイラウンジへ向かう。360度の展望が楽しい。近くは駅前広場や繊維問屋街のびっしり張り付いた低層建物群を見下ろし、柳ヶ瀬の歓楽街の向こうに長良川が流れ、金華山が美しい山容を見せる。東に目を転じれば名古屋駅前のツインタワーもかすかに見える。見ようと念じればかすかに見える。ここまでの展望は今までの岐阜にはなかったもので、オープンすればしばらくは岐阜っ子の話題になること間違いなしだ。

金華山と柳ヶ瀬方面  /  駅前広場(整備中)  /  繊維問屋街地区
 岐阜駅前では、この駅西地区に続いて再開発計画が目白押しだ。繊維問屋街の南半分は問屋町西部南街区第1種市街地再開発事業が既に都市計画決定済み。地上37階建ての2本目の住宅系再開発を予定している。またその北側の問屋町西部北街区でも研究会を設立。その東側の問屋町第一地区では準備組合が設立済み。その他、岐阜駅前中央地区、柳ヶ瀬の高島屋南地区、柳ヶ瀬通り北地区など、多くの地区が2匹目、3匹目のどじょうをねらっている。さて岐阜駅前には何匹のどじょうが泳いでいるのか?
 ちなみに岐阜市は新中活法に基づく活性化基本計画をいち早く作成。この5月26日には大臣認可を得ている。2009年の市制120年に向けて、駅前広場も整備を完了する予定。まだしばらくは岐阜駅前から目が離せない。
 ここまで案内をいただいた市街地再開発室の方々とお別れし、続いて玉宮通りへ向かう。途中、繊維問屋街をしばし迷う。休日ということでシャッターが降りている店が多いが、閉店状態の店舗は少なく、そこそこ活気があるようにみえる。再開発事業は本当にこの街を救うのか、それとも壊すだけに終わるのか。十分な熟慮が必要ではないか?
 玉宮通りに着く。まちづくり協議会会長の竹中さんが自店舗前の路上で待っていてくれる。玉宮通りのまちづくり協定などの話は前回訪問したときに多少調べたが、会長自ら語る話はやはり面白い。
 まちづくり活動のきっかけはS50年代末に仕掛けたけやきのイルミネーション。これが話題を呼び市から声が掛かって、玉宮通りをファッションストリートとして整備する方針が示される。H2にまちづくり協議会が設立され、H4には協定締結。H5から街並み整備推進事業制度が創設され、協定に沿って整備された建物や空地整備に対して補助金が支給されるようになる。H7にはカラー舗装等道路修景事業が実施され景観が一新。後は電線地中化が課題という。現在まで約15〜16件が整備されてきた。H16冬には社会実験としてのオープンカフェも実施したが、毎日片付けるのはかなり大変でその後は実施していないとのこと。3階建ての建物も多く、地権者の多くは上層階に居住している。空き家は少ない。最近、柳ヶ瀬から移ってくる飲食店や居酒屋が多く、夜は外国人などで騒がしいことも多い。これ以上の飲食店の増加はコントロールしていきたいと言う。
 前回訪れたとき気になった落書きも、先々週350人ものボランティアが参加して、落書き消し活動を実施。この日にはほとんど落書きを見ることはなかった。落書きの実行犯も捕まったそうで、その捕り物話も面白かった。
 1.5mのセットバックや半地下空間が必ずしもすばらしい景観を作っているとは思わないが、地元住民であるまちづくり協議会のメンバーが常に街の動向に気を配っていることが窺えて、それが活気のあるまちづくりにつながっていると思われる。まちづくりに終わりはないが、竹中会長の実直な人柄が元気な玉宮通りの原動力の違いない。ますますいつまでも元気な会長、元気な商店街であってほしいと思う。

市が柳ヶ瀬や玉宮のあちこちにベンチを設置

柳ヶ瀬では思い思いの垂れ幕でアーケードを飾る
 その後、柳ヶ瀬まで散策。喫茶店でしばし休憩後、懇親会に参加して見学会を終えた。今回もなかなか楽しい見学会だった。

空き店舗を活用したフレッシュあきんど育成事業「柳ヶ瀬ほっとショップ」  /  コミュニティバス

■金華山・川原町・中心市街地活性化  (2004.4.4)

 日本建築学会東海支部都市計画委員会の春の交流会に参加した。見学先は岐阜市。午後1時半の集合だったが、10時には駅に着き、数人の仲間と岐阜の街を楽しんだ。
 まず最初は金華山岐阜城。JR岐阜駅からバスで15分ほど揺られると金華山ロープウェイの乗り場下に着く。ここらは岐阜公園として整備され、信長居館跡や古い洋館の名和昆虫博物館などがある。ロープウェイに乗り込むと急勾配を一気に山頂近くまで上っていく。眼下には長良川の流れ。かつて、斎藤道三・織田信長の時代、この金華山には岐阜城がそびえ、山の麓には居館が並んだのだろうか。川にも近く川湊としても栄えたに違いない。今は、長良川を渡る長良橋のたもとに鵜飼遊覧船乗り場があり、遊覧船が何隻も着いているが、乗船客は年々減少していると聞く。その周りには長良川温泉街があるが、かつての繁栄はなく、ホテルのいくつかは建て替えられ、空き地となり、マンションになっている。川の向こう側には陸上競技場や野球場、国際会議場などが集まった岐阜メモリアルセンターができている。
 岐阜城はかつては稲葉城と言ったが、織田信長が攻略し岐阜城と命名。しかし関ヶ原合戦で落城し、現在のものは昭和31年にできたRC造のもの。展望台からは先ほどの景観に加え、岐阜市内が一望される。岐阜は濃尾平野の北の端、長良川の氾濫域としてできた地形がよく見渡せる。その所々に盛り上がった緑の小山が島のように浮かび上がるのが面白い。この金華山も同様で、褶曲により盛り上がった縞模様の岩肌を見ることができる。

岐阜公園・名和昆虫博物館 / 金華山からの展望 / 岐阜城
 ロープウェイを降りて向かったのが、川原町。長良川とコミュニティ水路に囲まれた一画は、川湊として栄えた当時のままの格子戸の町家が並んでいる。最初に裏路地にあたる蔵のある散策道を通って野々垣邸の裏手に出る。黒塀が美しい旧家で、整然とした植栽の向こうには金華山の姿が美しい。メインの通りには思っていた以上に多くの町家が残り、並んでいる。イタリア料理店ラ・ルーナ・ピエーナ、利休懐紙を扱う紙問屋丁子屋、赤いポストが美しい茶店川原町屋、和菓子屋玉井屋、岐阜渋うちわを製造する住井富次郎商店など、その美しい外観を現在も維持し生かしている家が多い。

蔵のある散策道 / (野々垣邸の隣の)毛利邸(塀と緑がきれい) / 桑原邸?

ラ・ルーナ・ピエーナ / 川原町屋に続く家並み / 玉井屋
住井富次郎商店洋館っぽい建物(近藤邸)
 橋のたもとまで行き着くと、船灯籠の立つ鵜飼遊覧船事務所待合所。元材木問屋だった建物がいい雰囲気を醸している。時間があったので路地を再び戻ってみる。行き止まりに旧いとう旅館と多国籍料亭文化屋。丸窓はおしゃれ。道を折れて更に進むと先ほどのメイン通りに出る。コミュニティ水路を管理するのが逆水樋門。その向かい側にある立派な建物が後藤邸。桜の咲く橋のたもとからゆるく描くカーブに沿って桜井銘木店。この材木屋さんは古い民家の事務所の向かい側に現代的な倉庫を建築(岐阜女子大・今井先生設計)し、銘木を立て掛けた姿が実に様になっている。昔ながらの民家の町並みに、所々こうした現代的な建物が入って違和感がない。そう思ってみると、民家を利用した設計事務所が最低2軒はある。ここまで書きながら参考にしているチラシは、川原町まちづくり会の協力、金華まちづくり研究会政策。この町にはこうした組織があって、しっかりと街を下支えしているようだ。川原町まちづくり会は、この6月に「まちづくり協定」を合意したと聞いた。

鵜飼遊覧船事務所と待合所 / 民家を利用した設計事務所 / 文化屋
桜井銘木店

後藤邸 / 現代的な住宅(外山邸) / 右側は人動販売機?

緑がきれい / 屋根神様が乗った建物も
 午前中の部はここらで終えてバスに乗ってJR駅前へ戻る。今日はちょうど年に一度の岐阜まつりの日で、所々交通止めにして山車や御輿が練り歩いている。岐阜の街は金華山岐阜城のある城下が元々の中心で、その南の山襞には伊奈波神社を始めたくさんの寺社仏閣が並んでいる。そして街は、川湊を生かした美濃の商工の中心地として南へ南へと発展した。江戸時代には現在のJRよりさらに南の加納地区に、加納城と中山道の宿場もできたが、当時はまだ遠すぎたようだ。しかし鉄道の開通などにより、その立地を生かして駅北側に繊維問屋街ができ、旧城下の中間には官公所、そして駅と官公所との間には柳ヶ瀬を代表する歓楽街、商業地ができあがり、現在の岐阜市に至る。
 その町中をバスで見ながら通り過ぎる。そしてふと考えた。これから私たちは岐阜市の中心市街地活性化の取り組み状況を聞くことになっている。しかしこうして見る岐阜の街は十分賑わっているではないか。少なくとも長良川温泉地区を除いては空き地や空き店舗を見ることも少ない。確かに繊維業界は不況だろうが、それは構造的なもので、中心市街地活性化としての施策を講じてもどうなるものでもない。だとすると、岐阜市民にとって駅前を中心とする中心市街地の活性化に資金を投入する理由・必然性はどこにあるのだろうか、と。市民にとっての精神的中心性は岐阜城下とそこから南へ延びる寿司街道などにこそあるのではないかと。
 さて昼食を食べて集まったのは、JR岐阜駅東側高架下のハートフルスクエア。そこで岐阜市まちづくり事業室の山田さんが出迎えてくれ、岐阜市における都市再生の取り組みについて話をしていただいた。岐阜市は人口約40万人。昭和60年の41万人をピークに微減を続けている。中心市街地だけ取り上げると、昭和35年に15.6万人が7.6万人。従業者も約1割減と確かに寂しい状況になっている。日本第3位を誇る繊維問屋街もピーク時の半分程度に落ち込んでいるとのこと。さらには近鉄、長崎屋、ダイエーが撤退、平成18年には岐阜大学が完全移転を完了し、1万m2の空地が発生する。
 こうした中で取り組んでいるのが、一つは、杜の中の駅をめざす駅前広場の整備と駅西地区の再開発。特に再開発は地上150m、44階建てのランドマークタワーで、分譲住宅240戸、高齢者向け賃貸住宅100戸、さらに商業・医療施設が加わる。市の都市再生の整備構想で掲げているのが、柳ヶ瀬と駅前を結ぶ回遊空間の整備と駅西地区問屋街の再集結整備。こうした意図で、歩いて楽しいスローライフを掲げたレンタサイクルやオープンカフェに取り組むまちなみ回遊路整備事業やいくつかの駅周辺再開発事業に取り組んでいる。駅前にはこの3月にオープンしたコンフォートホテルや駐車場ビルなどが整備されているし、鉄道高架下を利用したハートフルスクエアGアクティブGも面白い。特にアクティブGは森ビルが資本参加し、ホリプロ経営の芸能スクールや匠にこだわった個性的な店舗が連なっている。

岐阜駅アクティブG / コンフォートホテル / 駅西地区再開発予定地
 と、大変魅力的な整備を進めている岐阜市ではあるが、山田氏の話の中でも「なぜ中心市街地の活性化を行うのか」といった声があるという指摘があった。「街の顔としての中心市街地」という言葉もあったが、ホントウにソウダロウカ? これまでは繊維産業の遺産でここまで来たのかもしれないが、これから、いつまでもこうした路線でやり切れるとも思わない。いや、やらなくても、十分そこそこには岐阜市は元気なんじゃないのか。最後までそんな疑問が拭えなかった。
 それはさておき、駅高架下ビルを出て、駅西再開発予定地の横を通り、問屋街地区に入っていく。あいにく土曜日で店はほとんど閉まっていたが、これは問屋街ゆえのことで、平日ならもっと活気があるとのこと。確かに空き店舗が連なるといった状況では全然ない。現物を見て注文するという需要はまだまだあるようだ。
 金華橋に続く大通りを渡り、柳ヶ瀬に向かう玉宮通りに入っていく。ここは平成2年からまちづくり協議会が組織され、平成4年にはまちづくり協定を締結。1.5mのセットバックを義務付け、賑わいのあるまちづくりを進めています。確かに私たちが行ったときも、お祭りのせいもあるのでしょうが、大勢の人が歩いていた。しかし幅6mほどの通りの両側に1mほどの歩道状のカラー舗装が続き、その外側敷地内に1.5mさらに下がると、せっかくの賑わい感をなくしてしまっているような感じがする。ちょうど偶然、通り沿いのセットバックもしていない居酒屋が、歩道に張り出して小屋根を広げ椅子を並べ、オープンカフェ状態を作り出す場に立ち会ってしまったが、かえってこうしたゴミゴミ感こそが活性化につながるのではないだろうか。そういえば各所に置かれた様々なデザインのベンチもおしゃれだが、なぜか通り内の建物に落書きが目立つという。空間デザイン的な問題を抱えているのかもしれない。

繊維問屋街 / 玉宮通り

1.5mのセットバック / 各所に置かれた様々なデザインのベンチ / 落書きが目立つ

柳ヶ瀬商店街
 金(こがね)神社、金公園前を通って、いよいよ柳ヶ瀬商店街に入っていく。「こんなに賑わうのは年に1度」と言われたが大したものだ。商店街を東西に横断する水路を、一部オープンにしつつ、歩行者空間として整備したアクアージュを歩く。アイデアも雰囲気も面白いのだが、なにぶん人通りが少ない。もっと多くの店舗が通りに向かって開いていればよかったのだが、ただ通るだけの道では活気という点では厳しい。長良橋通りまで出てさらに北上した美殿町通りが歩行者空間となって、様々なパフォーマンスを繰り広げていた。ぶらぶら散歩し、さらに若宮町通りの歩行者天国まで足を延ばしてから駅前まで戻った。

アクアージュ / 美殿町通り
 人口40万人とは言え、愛知県内の豊田市や豊橋市、岡崎市といった都市と比べて、はるかに大きく活気があるように感じる。さすが県都。岐阜城下の川原町など、歴史的資産を大事にしつつ、人間らしい生活ができる街として育てていってほしい、と感じる。超高層は、・・・欲しいでしょうね。その気持ちはわかります。