都市・建築・読書メモ 99

           書 リ ス ト  1999         



 欧州住宅政策と日本
【書   名】欧州住宅政策と日本
【副   題】ノン・プロフィットの実験
【著   者】小玉 徹
【出 版 社】ミネルヴァ書房
【ページ数】243P
【出 版 日】1996年 2月20日
【価   格】3,605円
【書籍コード】ISBN4-623-02597-7 C3333 P3605E

 タイトルは「欧州住宅政策」で始まるが、内容は1920年代、イギリスを始めとする欧米の非営利な住宅供給主体の設立にヒントを得て、渡辺銕蔵と関一の提唱した日本でのサードアーム、配当制限会社と住宅組合がいかにして日の目を見ずに終わったかを論証したものである。
**************欧州における住宅供給主体とサード・アームの分類(P2)
 公共セクター(公営、公団、公社など)
 民間セクター(企業、個人など)
 サード・アーム(非営利住宅供給組織)
    公益住宅法人
          (協会、財団、労働団体、地方自治体などの出資によって設立される公益的な住宅供給組織。低家賃住宅を主として供給)
    非営利住宅会社
      (非営利企業法などに基づいて設立される公益的な住宅企業。配当率制限などいくつかの条件を満たすことで税制上の優遇、公的助成を受けることができる)
    住宅協同組合
      (組合組織で格メンバーは1票の議決権を持って経営に参加し、組合員にのみ住宅を供給する点で、前二者と異なる)
****************************
 本書では、サードアーム・ビジョンを「下層中産階級の住宅改良運動とブルジョアジーの改良主義との<補完>システム」(P6)として捉え、これの「帰趨を<開発利益>をめぐる都市諸階層の政治力学に求める」(P7)という視点を設定している。従来のサード・アームによる都市住宅政策を住宅公団や住宅金融公庫の先駆と位置づける考えに疑問を持ちつつ、欧米でできたものが何故日本でできなかったかを追求することで、現在の岐路に立つ日本の住宅施策の道筋を考えようとしている。
 しかしこの本の中でもっとも面白く興味を引かれるのが、実は補論として追記されている「渡辺銕蔵と公益建築会社」と「関一と住宅組合」である。前者は「ケメニーの「成熟化」論に着目して」という副題が示すとおり、ドイツの住宅政策論者ケメニーの住宅市場の単一化モデルとストックの「成熟化」論を説明している。「中産階級への持家と低所得階層を対象とした社会住宅とに二極化していく、という二元化モデル」(P192)の根底には「住宅のテニュアを持家、民間賃貸、公的賃貸へと3つに分類しがちな英語圏研究者の経験主義がある。しかし、住宅の所有形態ではなく、供給(市場)形態に着目するとき、こうした三分類方式は必ずしも有効でなくなる」(P193)と批判して、「原価賃貸と民間賃貸とが競合し、かつ併存しうる市場メカニズム」(P194)を提唱する。このための仕組みが「民間の供給する住宅に対し、公共サイドが建築費や家賃を補助するのと引き替えに、住宅の質、入居者資格、家賃などを一定期間拘束する」(P193)社会住宅の制度である。あくまで民間ベースの中でコントロールをするということは、1920年の住宅会社法案をめぐる関一の意見の中にもはっきりと表されている(P49)「関の住宅政策論の大きな特徴は、市場メカニズムに依拠しつつ供給される土地・住宅の量を重視するという点にあった。・・・このことはなんら「非営利主義」の住宅政策を軽視することにつながらなかった。関は・・・住宅改良に向けての教育的効果を期待していたのであり、その根底には、居住する人間の住宅とのかかわりを重視する視点があった。」(P88)とも書かれている。
 全編を通して感じるのは、確かに既にこの時代において、現在に通じる様々な議論と課題があったことだ。例えば震災復興をめぐる議論の中では「一体日本人ハ自分ノ家デモ、小ナリト雖モ門構ノ家ニ住ミタイト云フ考ノアル人間デアリマスカラ」(P127)といった意見が出たり、復興建築助成株式会社の設立の議論の中で「「専門に建築物を取り扱ふに最も適当した機関」が必要とされると述べ、ただこれを半官半民としたのは、「主として資金を政府から出して貰はねばならなぬが、仕事は民業的でないと運用宜しきを得ない」」(P137)といった意見など、全く現在の意見として聞いても何ら不思議でない。
 住宅組合に関連しては、「関は、住宅組合をその理念に沿うよう「発達」させること、逆に実情に適合させるべく「簡便」にすること、という2つの方向を示し・・・欧州における住宅組合は当初、日本と同じく「狭義の組合」として設立され、のちにその限界性をのりこえて「広義の組合」へと発展している」(P174)にも関わらず、日本では「住宅金融公庫は、住宅組合法の理念を縮小化させたものであれ、継承=発展させたものではなかった。・・・このため住宅取得はいわば"個人の甲斐性"の問題となり・・・かくて所得分位の上階層ほど容易に持家を獲得できることとなったが、全体的にみれば土地・住宅問題の解決は今日までもちこされてしまったのである。」(P174)と批判され、また「「助成会社」による不燃=高層化事業」もまた「すぐれてヨーロッパ的な都市居住様式を確立していこうという試みであった」(P183)と批判し、「大正住宅政策の<実験>は、われわれの「社会」が、今日の問題状況を克服しうる「内在的なモメント」を有していることを、雄弁に物語っているように思われる」と結ばれている。
 最後に、(P199)で取り上げられた、横軸に「住宅ストック一戸当たり人口」、縦軸に「疑似住宅寿命(住宅ストック/フロー)」を取った国際比較の図は非常に面白い。欧米では一戸当たり人口が減少し規模が大きくなると共に疑似住宅寿命も大体100年くらいの所に収束していくのに対し、日本では25年くらいのところで動かなくなっている。このことをもって「成熟化」と筆者は言うのだが、どうか。考えさせられる図である。
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 江戸の都市計画
【書   名】江戸の都市計画
【著   者】童門 冬二
【出 版 社】文春新書
【出 版 日】1999年4月20日
【頁   数】214P
【価   格】680円+税
【書籍コード】ISBN4-16-660038-9 C02212 \680E

 都庁職員を経て小説家となった童門冬二氏の書いた、江戸期のまちづくり論。都市計画とまちづくりを意識して使う分けているとは言えないが、家康から始まって、吉宗(享保の改革)、松平定信(寛政の改革)、水野忠邦(天保の改革)と不況期毎に行われた江戸のまちづくりは、基本的に政治都市化をめざしていた、という指摘は面白い。「元禄バブル時代に、日本人の心は荒れてしまった。・・・自分の改革では、経済上の赤字を回復するだけではなく、日本人の心の赤字も回復したい」(P196)という吉宗の悲願は現代に通じるだろうか。名古屋ではいまだに吉宗の政策に反して積極経済政策を藩内で強行した尾張藩主徳川宗春を評価する声があることも指摘されている(P192)が、現在の政策としてはどちらが正しいのだろうか。今の国の補正予算乱発と愛知県の超緊縮財政政策では状況は全く逆のようでもあるが。
 「家康が江戸に託したのは"政治機能"であって、大阪の堺や平野、あるいは九州の博多などにあった、『市民自治』・・・の意図はなかった」(P86)ゆえに町の四つ辻毎に木戸が設けられ、「『武士道』という緊縛によって・・・マインドコントロールされ」武士すらも自由を奪われた、「江戸は、そういう武士たちの自由を奪う町でもあった」(P90)という。
 さらに面白い記述が2つ。経済機能は大阪、皇室・宮内庁・文化庁は京都、外務省は長崎、そして江戸は政治都市と「徳川家康は・・・政治・経済・分化の機能分散を」(P84)行っていたというものと、「吉宗の主張は、現代風にいえば、『すべて公共の仕事を推し進めるためには、公助・互助・自助の三位一体によって行わなければだめだ』」(P172)「市民における権利と義務のけじめ」(P172)という思想が江戸時代の日本において実践されていたという指摘は現在の公民分担議論に通じるようで興味深い。
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 イギリスに学ぶ成熟社会のまちづくり
【書   名】イギリスに学ぶ成熟社会のまちづくり
【著   者】高見沢 実
【出 版 社】学芸出版社
【出 版 日】1998年10月10日
【価   格】2,700円+税
【書籍コード】ISBN4-7615-2195-3 C0052 \2700E

 イギリスの都市計画制度といえば、東京理科大の渡辺俊一先生の「比較都市計画序説」がパイオニア的だが、91年の法改正を受けて、現在のイギリス都市計画制度の実態を、現地取材と同時に、47年法さらには産業革命後の1909年から振り返りつつ、わかりやすく記述する。「成熟社会」という言葉も全体を読み通してみると、なるほど納得する。議会・国政府・自治体行政・都市計画家・法曹界・開発業者・市民に至るまでの関係性の中で、制度やその運用が決められ、かつ、なお動き続けているイギリス社会の実態には心底うらやましい思いを禁じ得ない。
 全体5章のうち、第1章と2章では、イギリス都市計画危機の時代から91年法制定に至る都市計画再生の動きをレビューし、第3章と4章ではニューアム区・ブレント区を代表に具体の都市マス策定プロセスと裁量による開発コントロールの運用状況の報告があり、第5章で、制度・専門家・市民の3つをキーワードに、成熟社会における都市計画のあり方を日本の現状を思い起こしつつ、整理する。
 「『柔軟』で『確実』な計画システムを、『時間のかかる法定プロセス』を踏みながらも『今日性』を保ちつつ、『地方の独自性』を失わない程度に『中央コントロール』を行って実現していこう」(P87)という目標に向けて、従来からの「裁量による開発許可制度」の良さを生かしつつ、アカウンタビリティを重視する観点から市町村都市計画マスタープランが義務づけられる。また計画策定への住民参加と第3者に委ねる公開審問の仕組み、議会主導と情報公開による開発許可制度の仕組みが整えられ、専門家や住民支援の仕組みがそれらを支える。
 第5章にあげられた「成熟社会のまちづくりを支える諸要素の構成」を抜き書きすると下記のとおり。
==========================================================
○ 成熟社会のまちづくりを支える制度基盤

○ 成熟社会のまちづくりを支える多様な専門家

○ 成熟社会のまちづくりを支える市民基盤

=======================================================(P165)
 この中では、専門家の存在、特に計画策定段階の公開審問を第三者的立場で主宰し勧告を行うインスベクターの存在と、地方自治体裁量権の主役である議員の存在が目を引く。自治体行政を議員がリーダーシップを取り行政が事務局に徹する役割分担は日本においては理想としてある。
 その他、興味を引いた部分として、「イギリス都市計画には、『開発を是とする推定』といって、申請された開発は許可する方向で扱うべきとする原理がある」(P64)という記述。日本ではこうした態度があるとすれば無原則に規制緩和の方向に流れがちであるが、「規制緩和」と同時に「規制合理化」というコントロールが効いて、アカウンタビリティの重視ともども、都市計画マスタープラン重視に動いていく流れは見事でもある。
 (P123)では日本の都市計画を「『計画』と『具体の権利制限』の関連が薄い現状では、『計画』策定段階での市民の関心は高まらず・・・」と批評しているが、なるほどそのとおりである。後段では、都市計画マスタープラン策定のマニュアル化批判に対して「『自由にやらせるべきだ』というのは責任放棄に近い」(P226)という記述もあるが、きちんとした日本の都市計画マスタープランについても策定過程の住民参加に対する評価を越えて、その役割がきちんと議論されてもいい時期に来ていると思う。

 最後に、「・・・地域の中に多層的なネットワークを形成している。そして、その根底にあるのはイギリス的個人主義ではないかと思う。組織や社会が先にあるのではなく、個人が先にあり、それらが集まって組織や社会をつくっている・・・その基本原則として『サブシディアリティ』をあげてみたい。この原則は「どのような状況下でも、その責任は、問題に近い人々に所属する」というものである。」(P205)というのはアカウンタビリティという言葉と重ねて読むと、意味の深い文章だと感じた。個人、責任、その先にこそ成熟社会が成り立つということか。
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 賃貸住宅政策と借地借家法
【書   名】賃貸住宅政策と借地借家法
【著   者】森本 信明
【出 版 社】ドメス出版
【出 版 日】1998年11月25日
【頁   数】260P
【価   格】2,800円+税
【書籍コード】ISBN 4-8107-0489-0 C3036 \2800E

 定期借家権に関する法律がちょうど先頃、衆議院を通過し、来春にも施行されようとしている。著者の森本氏と八田氏を始めとする経済学者との論争は有名だが、「借地借家法はファミリー向け賃貸住宅に対する強い供給制限効果はない」と主張する著者の論文を中心に編集され出版されたものがこの著作だ。民間賃貸住宅市場分析の「常識」を巡り、50〜80m2をこそファミリー向け賃貸住宅として取り扱うべきであり、持ち家と同規模のものを対象とするのは誤りであるという著者の主張は、住宅計画サイドにいるものとしては至極当然に納得できる「常識」である。重回帰分析を駆使した分析は理解がついていかないところもあるが、基本的な主張に誤りはないと思われる。実務的には、「強い供給制限効果の有無」よりも、借地借家法による正当事由の消滅がどれだけ住宅困難世帯(例えばホームレス)を生み出すことになるのか、という点に関心があるが、こうした点についてはあまり議論がされていない。何より、既に定期借家権は施行されようとしており、しかし基本的に選択自由な状況の中で、どれだけの量の定期借家権住宅が供給され、ファミリー向け賃貸住宅の供給は実際のところ増え、また家賃が低下するのか、ということの方に関心がある。我々の住宅環境は本当に大きく変化するのか。しかし既にファミリー向け賃貸住宅は十分に供給されており、家賃も十分に低いという著者の主張は、かなり正しく今後を推察していると思われる。むしろ、著者が危惧するとおり、定期借家権推進論者が、これを規制緩和・住宅施策放棄への第1歩として捉える方が正しいのかもしれない。「市場の失敗」という言葉は今後の住宅政策を考える上で、非常の重たい言葉である。(P246)
 もう一つ、この著書の中では、持ち家の賃貸住宅化についても多くの紙幅が割かれている。住宅統計調査の中で民間賃貸住宅として計上される中に相当な量の分譲マンションが賃貸住宅化したものが含まれているという指摘は重要である。「わが国の住宅政策を考えるうえで、・・・このランク(70〜99m2)での賃貸住宅化メカニズムを活用しうるかどうかについての検討がなされても良い時期にあると思われる。」(P203)というのは傾聴に値する。
 なおこの著書の終わりの2章は、「民間賃貸住宅政策と借地借家法」「公的賃貸住宅政策と借地借家法」というタイトルで、政策提言が行われている。この中では家賃補助制度について、「賃貸住宅ストックの全体の水準向上があれば、・・・居住世帯を対象とする住宅政策へと転換しうる可能性が出てくる。」(P222)という考えが示され、また「『歪められた』持家志向の克服による所有関係にとらわれない『中立的な』住宅計画」(P223)という筋道が示されている。かつて著者の前著「都市居住と賃貸住宅」にも著されていたようだが(忘れてしまった)今となっては十分納得できる見解である。
 (P226)では「民間賃貸住宅に対する規模拡大を中心とする質の向上を支援する方策」の可能性について書かれているが、特定優良賃貸住宅制度が特に地方部においては実績として行き詰まりを見せ始めている中で、他にどんな方策があるのか検討することが必要だ。
 最後に「あとがき」「ミスマッチ持家論」に対する疑義・反論が語られている。次の論文が楽しみでもある。
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 コレクティブハウジングの勧め
【書   名】コレクティブハウジングの勧め
【著   者】小谷部 育子
【出 版 社】丸善 エコロジー 建築・都市
【出 版 日】1997年 4月10日
【頁   数】189P
【価   格】1,800円+税
【書籍コード】ISBN4-621-04296-3 C0352 \1800E

 コレクティブハウスは震災後の神戸でいくつか試みられた後、特に高齢者の住まい方として注目を集めた。しかし、発祥の地・北欧では、多くは母子家庭や中高年単身の共同居住の住まいとしてつくられている。この本では、スウェーデンやデンマーク、オランダなどの事例がいくつか取り上げられ、住まい手の声や共同居住の実態が伝えられる。まず本書の冒頭に、コレクティブハウジング、コハウジング、グループハウジングについてその定義と使われ方が整理され、それはとてもよくわかる。著者は(って、小谷部さんはこの分野での日本における第1人者だけれど)、コレクティブハウジングを「共生型集住」と名付ける。そこには、<個人の生活と社会性のバランス=アイデンティティ>、<大きな家族=帰属感・安心感>、<居住者の多様性・争いは当然=刺激的な日常>、<相互依存=助け合い>、<共同化による経済性と豊かさ=合理性・可能性>といったキーワードで語られる豊かで大人の生活がある。
 ところで、この本の中で注意すべき点を2つ。1つはスウェーデンにおいてもコレクティブハウスは「1%にも遠く満たないマイナーなニーズへの対応であること」(P150)。そしてコレクティブハウスの供給主体として説明される非営利住宅会社とは、日本で言えば公社住宅や公団住宅に相当し、かつ補助金や融資が切り下げられ独立採算を求められつつあるということ。しかしこれはけっして否定的に言っているのではなく、公社住宅などの可能性としてもっと注目されるべきであるし、地方自治体などの行政に対し、公営住宅などに対し、過度に期待することはかえって健全で豊かなコレクティブハウジングの可能性を閉ざしかねないと思われるから。コレクティブハウジングは我々の今後の住まい方の新たなオルタナティブの一つとして存在する可能性に満ちている。それは特別のものではないということ。
 特に興味を引いたのは、デンマークのティンゴー団地における管理運営の仕組み(P98)。家賃まで含めた透明な自主管理システムは、「居住者の主体的管理運営への参加を促」、「このテナント・デモクラシーという仕組み」のメリットと「その手法を身につけた居住者が、コレクティブハウジングづくりにリーダーシップをとる」という話は私にも「十分に理解ができる」とともに羨ましい限りです。
 また「高福祉国家と言われる社会での”自立と連帯による共生”がコンセプトの住まいの存在と、そこに住む居住者たちの暮らし方や住居に対する価値観が、大都市東京で生活する私たちと共有できることを実感したのです。」という著者の感慨にも注意をする必要がある。これはすなわち「自立と連携」が意識された社会と住民であってこそ成り立つ住まい方でもある、ということである。コレクティブハウジングとは自立した大人の住まい方なのだ。
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 コミュニティの再生とNPO
【副   題】サンフランシスコの住宅・福祉・まちづくり
【著   者】川合 正兼
【出 版 社】学芸出版社
【出 版 日】1998年 5月25日
【頁   数】190P
【価   格】1,700円+税
【書籍コード】ISBN4-7615-1159-1 C0052 \1700E

 サンフランシスコで都市計画家として仕事を重ねている著者による、サンフランシスコの住宅施策の現況報告。「NPO教書」と同様、いくつかのNPOの取材報告が集められ、また現地に生活する者として、行政や施策の動きがダイナミックに報告されている。
 アメリカの住宅施策の主体として語られるCDCを始めとするNPO。その底流には多様な人種の混合による最貧困層の存在が挙げられる。本書でも「世襲の貧困」という言葉で語られ、またストリートピープルや居住用ホテルに暮らす人々が、住宅施策の対象者として紹介される。そしてもう一つのキーワードが「セルフヘルプ」だ。
 こうした状況と日本を単純に比較することは間違いや誤解を生む可能性がある。NPOについてもしかりだ。NPOとは何なのか。先月発行された「まちの雑誌No.3」の中で、日本においては、NPOと一般企業が連続的に存在することが書かれているが(「市民活動ノート3−営利と非営利の間/早瀬 昇」)、本書の中の都市計画局総合計画部長へのインタビューの中で「私共は、民間事業体の資金力というものをますます認識しています。」(P182)という言葉は、NPOと企業を区別せずに語られていることに注意しなくてはならない。本書P146のタイトルは「自治体と非営利団体の協力」となっているが、今後の日本の住宅行政においても、特に高齢者対策・環境共生対策といった局面で、民間団体の力を引き出しつつ、パートナーシップを組んでいくことが求められいくのではないか。そのためには、民間も含めた住宅供給の実態を如何に把握し、評価し、そしてコントロールするかが問題となろう。非行青少年の社会復帰を目的とした非営利企業(Non-Profit-Business)「ラーキン・ビジネス・ベンチャー」の社長・ダイアン・フラナリーさんの言葉「ビジネスは社会問題を解決する」(P127)という言葉にもっと注目すべきだ。
 その他、アフォーダブル住宅供給に取り組むNPO「ハビタットSF」のディレクター、ジム・ラウダー氏が、「ボランティアによる一戸建てを一軒ずつ手作りで建てるのもいいが、社会的にもう少しインパクトの大きな事業にしていくには、今後どうすればよいか」という質問に対して「コミュニティ参加のプロセスを重要視している」(P65)という答えや、麻薬中毒患者の更生に取り組むNPO「グライド財団」のウィリアム師が一般市民に呼びかける「ノーリスク・ノーゲイン」(P94)。そして、コミュニティ再生を阻む根本の問題の一つとして「大家族が消えつつあること」があげられた後で紹介される「近隣大家族」(P174)という考え方。仲間同士の助け合い家族という意味だと思うが、こうした点にも興味が引かれた。
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 ニュータウンは今
【書   名】ニュータウンは今
【副   題】40年目の夢と現実
【著   者】福原 正弘
【出 版 社】東京新聞出版局
【出 版 日】1998年 8月21日
【頁   数】295P
【価   格】1,500円+税
【書籍コード】ISBN4-8083-0648-4 C0036 \1500E

 昨年、私が居住する高蔵寺ニュータウンが入居開始以来40周年を迎え、記念行事等が開かれた。本書は、日本を代表する、千里、高蔵寺、多摩、港北、千葉の各ニュータウンの現状と課題及び今後の対策を、居住者に対するアンケート調査を中心にまとめている。アンケート調査の分析を中心に書き進められる文章はやや平板的ではあるが、住民の評価は意外に高いこと、高齢化の問題、近隣センターの衰退と地区センター・ロードサイドショップの繁栄・役割分担などの実態、業務施設誘致への評価など、押さえるところは押さえ、また著者自身が足を運んで書かれた現況の報告はけっこうツボを押さえている(もっとも高蔵寺はさらに変化している)。またイギリスのニュータウン報告も興味深い。ただし日本とはかなり事情が違うという評価は、都市計画の専門家でなく居住者の視点からの調査(地理学でしょうか)として、公平なものと思う。最後にまとめられているニュータウン再生への提言、「一元管理体制の確立」(完成後、地元自治体に管理を委ねず、引き続き一元的な管理主体を残し継続すること)は重要な提言であるし、ここからでてくる「土地・建物の公有化」提言も納得できる。また近隣センター(学校の空き教室も)を住民コミュニティのためのセンターとして再生しよう(リサイクルセンター、デイサービスセンター、託児所、かぎっ子センター、シルバー組織の拠点など)という提案も重要だろう。
 その他に気になった記述としては、「今やロードショップは、中央センター、地区センターに次ぐ第3の商業地になろうとしている。・・・ロードサイドショップの最大の特徴は、従来の商業施設では開発できなかった消費者ニーズを満たす出店が進められていることだ。」(P117)というロードサイドショップへの評価。「(イギリスの)ニュータウン住民は所得の低さもあり、休日でも・・・ニュータウン内で過ごす人が多いため、これがニュータウンの活気に結びついているものと考えられる」(P251)という日英比較。もちろん職住近接や家庭生活への意識の違い、通勤時運賃が倍額に設定される運賃体系など、その違いは他にもある。「これからますます高齢化社会が進行しますので、・・・老人が井戸端会議ならぬ野良畑会議をしながら健康増進するようなシステムを是非作ってほしい」(P268)。これはアンケートに書かれた自由意見から。文中に散見される自由意見からの引用はなかなか面白い。
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 NPO教書
【書   名】NPO教書
【副   題】創発する市民のビジネス革命
【編   著】財団法人 ハウジングコミュニティ財団
【執   筆】林 泰義・小野啓子他
【出 版 社】風土社
【出 版 日】1997年12月15日
【頁   数】720P
【価   格】2,800円+税
【書籍コード】ISBN4-938894-08-4 C0036 \2800E

 720ページからの大冊で、なんと1年かかって少しづつ読み進めてきました。今やNPO法も施行され、県内でも多くの認可法人が出てきましたが、様々な分野のNPOの中でも、住まいづくり、まちづくり分野での世界各国のNPO組織が担っている役割や状況などの報告を主に、始めと終わりに日本におけるNPOへの期待の文と、「住まいとコミュニティのための民間非営利セクター確立への提言」が付く。構成は、
 第1部 アメリカ
  1 サンフランシスコ
  2 シカゴ
  3 ニューヨーク
  4 ワシントンDC
  5 仕組み編
 第2部 ヨーロッパ
  1 スウェーデン
  2 デンマーク
  3 オランダ
  4 ドイツ
  5 イギリス
 それぞれ、NPOセクターの制度や仕組み、歴史などを紹介する総論と、具体のNPO団体を紹介する事例編で構成される。
 アメリカ編では最後に「アメリカのコミュニティ開発法人(CDC)台頭の意味を読む」と題する座談会の模様が掲載されているが、アメリカといえばCDCだが、日本における可能性又は必要性を考えるとき、大いに参考になる話題が交わされている。
 またヨーロッパ編では、デンマークのコレクティブ住宅の話題(P486)や、「低家賃ミスマッチと高家賃ミスマッチ」というオランダでの住宅需給ギャップ(P525)の話題などは興味深い。また「住宅産業が社会福祉事業から、成熟した一つの経済活動に成長した」という認識や「これまで公益を一つのニーズとして追求してきた。いま新たに国民の多様なニーズに応える企業に脱皮しようとしている」(P558)というドイツの公益住宅企業の解消という動きは、日本の現状と照らし合わせても興味深い。日本では今逆の動きを見せているようだが、その必要性をどう考えるのか。ブームでない動きに結びつけていきたい。イギリス編ではサッチャー政権下の公営住宅払い下げのことが書かれているが、当時日本で批判的に語られたこのことも改めて背景も含めて読み直すと、人口減少、公共財政悪化の時代の到来というこれからの日本にとって、選択肢の一つとして考えられる政策かもしれないと思われてきた。そこにHAが存在したイギリス。日本には果たして何があるのだろう。
 NPOをやたら賞賛するだけでなく、社会情勢の中での必要性から、NPOだけでない幅広な視点で、日本にふさわしい住宅施策のあり方と新しい組織のあり方について考えていく必要があるだろう。
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 私の履歴書・六十年の人生雑記録
【書   名】私の履歴書・六十年の人生雑記録
【著   者】三宅 醇
【出 版 日】1999年夏
【頁   数】228P
【価   格】非売品

 豊橋技術科学大学・三宅教授が自らの還暦を記念してまとめられた自分史。出版を目的としたものでないだけに、自由奔放な構成が、先生の人柄を表していて好感が持てました。
 第1章 自己紹介
 第2章 私の周辺(1)・・・けだし名言・けだし名造語
 第3章 私の周辺(2)・・・人生の恩義・謝辞
 第4章 私の周辺(3)・・・研究の場
 第5章 私の体験(1)・・・ビッグ・デキゴトロジー
 第6章 私の体験(2)・・・豊橋技術科学大学教官の体験
 第7章 私の体験(3)・・・人生に苦あり楽あり
 特にこの中では、第2章がアイデア、内容とも秀逸。「犬も歩けば棒に当たるようなものがテーマか」という言葉を引いて、故西山卯三を語る。また第5章で、自分の居住史を描きながら、いつしか総年齢・空間係数なる分析をしてしまうところが面白い。住戸面積を家族の総年齢で割るだけのことだが、これが0.5を下回ると絶望に近い、なんてのは実感を捉えて先生の面目躍如といったところ。また第4章で紹介された建築学会関東支部・住宅問題部会「東京の住宅地」の活動は、今の我々の活動を勇気づけてくれる。
 そして前編通して実感するのは、先生の廻りには本当にいい人が集まっていること。これこそ、先生の人望にして人柄のなせるところかと思います。直接出版に耐える構成ではないですが、先生を知る人には大変楽しい自分史となっています。
 ところで「私の履歴書」というタイトル。果たして先生はこの履歴書を携え、次はどんな活躍をしようとしているのでしょうか。
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 学校を基地に<お父さんの>まちづくり
【書   名】学校を基地に<お父さんの>まちづくり
【副   題】元気コミュニティ! 秋津
【著   者】岸 裕司
【発   行】太郎次郎社
【出 版 日】1999年 3月25日
【頁   数】306P
【価   格】本体1800+税
【書籍コード】ISBN4-8118-0650-6 C0036 \1800E

 千葉県習志野市の新興住宅地・秋津の小学校を舞台に繰り広げられている、地域と一体となった活動の記録。子供達に人気だった学校の用務員の復職運動が発端となり、PTA組織に対する本質的疑問から始まって、地域のお父さんが中心となって、学校とPTAとが対等な立場で学校づくり・地域づくりに関わっていく過程と、そして今も続き動いているその活発な活動の様子が、ビビッドな文体とともに著されている。
 地域の大人も一緒にクラブ員として参加する将棋や陶芸のクラブ。地域のお父さんが作ってしまった飼育小屋や「ごろごろとしょしつ」。そしてコミュニティルームの開放。金稼ぎも子ども育ての機会と捉える秋津っ子バザーの柔軟性。PTA談話室に見る学校と地域の、対等で開かれた相互信頼の関係。これらの取り組みや現状は「学校と地域の融合教育研究会」という組織となり、またホームページでも紹介されている。
 しかしこの過程ですごいのは、これだけの斬新な取り組みを進めつつも、同時に学校の教員やその他の方にきちんとした気配りが図られ、参加できない者をけっして阻害したりしない配慮といつでも受け入れる開放性を持っていること。こうした筆者を始めとする地域の人の開明性と人間性がこの取り組みを成功させているのだと思う。
 振り返って同じ小学生の父である自分を思うと、学校との関係、きっかけ、地域の状況等、様々な違いはあるものの、参加する気持ちだけは持ち続けたいものだと思う。確かに学校は地域にとって、誰にも一度は通り過ぎる最も重要で最も身近な施設なのだから。
秋津のまち紹介ホームページ
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 まちづくりの実践
【書   名】まちづくりの実践
【著   者】田村 明
【発   行】岩波新書
【出 版 日】1999年 5月20日
【頁   数】209P
【価   格】本体660円+税
【書籍コード】ISBN4-00-430615-9 C0236 \660E

 まちづくりの実践に向けてのノウハウを書いた初心者向けの本。もちろんノウハウといっても決まり切った形があるわけではないが、田村氏の豊富な経験から全国のまちづくり事例を50以上もあげつつ、「序章 市民のまちづくり」の「起」から始まって、第1章で「まちづくり」の目的・意味などを「定義」。続いて、「価値の発見」「価値の創造」、そして「まちづくりの主体」、「まちづくり」を実践の視点から見た構造分析、そして「まちづくり」実践の最重要要素としての「ヒトとシクミ」、最後にこうした「まちづくり」を実践することの「イミ」、といった流れでわかりやすく書かれている。以下、章立てに沿って、特に印象に残ったところをあげてみる。
 第1章では、「『まちづくり』の実践」と題して目的や意味・内容などが書かれているが、その最初の書き出しで「『まちづくり』とはよい『まち』を『つくって』いくことである。」(P28)という言葉にまず反発を覚えてしまった。振り返ればそのとおりなのかもしれないし、上の文言の後にすぐ「『つくる』とは、ハードの施設だけでなく、生活全体のソフトを含んでいる。」と書かれるので必ずしも「つくる」がハードだけを意味しているのではないのは明らかだが、「次の時代にも継続が期待できるものである。」という表現が、「まちづくり」が今や単に「つくる」だけでなく「まちをそだて」「まちにいきる」「まちがつづく」まで含んだ意味となりつつあることも含んだ定義をしてもいいのではないかと感じたのだ。またそのすぐ後で書かれる「マチとムラ」の単元でも「ムラは同質で閉鎖的だが、マチは開放的で自由度が高い。」(P29)という表現が、定義と言ってしまえばそれまでだが、人のつながりや心持ちの状況を「マチとムラ」という言葉で表現してしまっていいのかと同様に反発を感じてしまう。しかし「『まちづくり』の実践の基本には『理念』や『理想』がある。それが『現実』と食い違うときに、現実を理念に近づけるようにする行動の全体が実践である。」(P41)という言葉は説得力があり、ようやくこの本が対象としている読者や内容に気づいた。
 第2章は「地域の価値発見」「人の住むところに価値のないところはない」(P54)という始まりの言葉が全てを表している。「日本でも、過疎の山村集落のように放棄された集落がある。人が価値を認めなくなれば、放棄せざるをえない」(P55)という言葉は厳しい。そこで地域の価値の要素として、気象、自然から始まって物語・事件、独自の方法まで13分類。大きく、(1)風土的価値、(2)歴史的価値、(3)人の営み的価値の3つに大分類する。分類された結果に意味はないけど、並べることで気づく価値もある。多様な価値。それは大事なこと(P61)
 第3章は「価値の創造」「誘致であっても受け入れであっても、始めには地元に関係のないものでも、できてしまえば『まち』の一部」(P110)。だからこそ何を受け入れ、何をつくっていくかは大事である。しかし壊れしてしまった価値も、気づく人がいて、新たにつくる人がいれば、新たな価値となる。それも大事。
 第4章は「誰が『まち』をつくるのか」「最近になって、『まち』は住民が共同して生活するものだから、自分たちが共同して責任を持ってつくって行くという意識が生まれてきた。・・・そういう自覚のあるものを『住民』と分けて『市民』という。」(P123)という文章は、市民と住民の定義として適切かどうか多少疑問も感じるが、間違ってはいない。
 第5章「『まちづくり』の構造」では、「まちづくり」の静態的構造と動態的構造の概念図が披露される。船に例えた静態的構造の図は、なかなか素晴らしい。(P153)
 最終章・第7章は「『まちづくり』の実践の力」。まちづくりの成果、まちづくりがそれに参加する人間に、そして現代社会にもたらすものを整理している。「『まちづくり』は、自然や人やモノを相手にする『他者実現』という面を持っている。人間に生まれて、自分が自分以外のものにも役に立つ存在であったと思えるときには、本当に人生を豊かにするだろう」(P205)。そして、一番最後の言葉は、「『まちづくり』を通じて、心は空間的にも時間的にも無限に広がることができるし、そのなかに自分の小さな位置を発見することもできるだろう。」(P206)

 ところで冒頭に書いたとおり、日本国内かなりの箇所のまちづくりの事例が、随所で紹介されている。その中でも五十崎町の事例「よもだ塾」について書かれている「『よもだ』では、問題を激しく対決させず、冗談をいったりふざけたりしてユーモアを交えていう・・・ユーモアの言える自由な人間関係が『まちづくり』の成功の秘訣」(P8)や、内子町の集落の主婦グループが独立採算で経営する「石畳の宿」(P180)、鳥取県智頭町の「あずまや」造り(P193)などの事例に興味を持った。そういえば先日智頭町の町長さんの話を聞いたんだけど、そんなにすごい町だったとは。
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 震災復興まちづくり「本音を語る」
【書   名】震災復興まちづくり「本音を語る」
【 シリーズ 】市民まちづくりブックレット NO.2
【編   者】 神戸まちづくり協議会連絡会
こうべまちづくりセンター
【発   行】阪神大震災復興 市民まちづくり支援ネットワーク
【出 版 日】1999年 5月10日
【頁   数】80P
【価   格】本体500円+税
【書籍コード】なし

 しばらく前に、芦屋で被災し、その後、地区のまちづくり協議会の役員などを務め、現在も区画委員会審議会の委員として活躍されているNさんとお会いする機会がありました。その際に、名古屋では入手できないだろうからといただいた本です。震災後5年を迎える1999年1月17日の深夜0時から、あの5時46分まで、兵庫県副知事や神戸市助役等の行政、建築・経済・社会学等の大学の先生やまちづくりプランナー・弁護士等の専門家、マスコミ関係者、そして各地区のまちづくり協議会の方など、総勢23人による座談会の記録です。「本音を語る」というタイトルどおり、かなり厳しい突っ込みや応答もありますが、全体的には淡々と、しかしそれぞれの思いを深く滲ませて討論が進んでいった様子がうかがえます。
 全体は、第1部 まちづくり協議会の立ち上げの検証、第2部 都市計画決定のプロセスの検証、第3部 災害時の制度の検討 の3部に分けられ、神戸大学室崎教授の進行により進められます。震災前のまちづくりに対する評価の後、マスコミは何をしたのか、何をすべきだったのか、が大きな議論となっています。ここでは森南地区でのNHKの行ったアンケート調査に言及して「その結果に対してどう責任を取るつもりだったのか。」という指摘がされています。その他、「客観報道」と「キャンペーン」の双方が求められる中で、マスコミのあり方が問われています。
 震災後のまちづくり協議会の活動の中では特に、計画が長引くとお年寄りが帰ってこられなくなるといった、時間との制約の中、「納得が先か、早さを優先か」の問題提起がされていますが、実際、譲歩せざるを得ない状況が続出し、かつその中で住民間の板挟みになるなどの困難が察せられ、できたもので判断するのでなく、プロセスを見る目が重要だと感じました。
 神戸山手学園理事長の小森さんが述べる3つの視点、「神戸は10年先取りしただけ」「個と集団」の問題、「元に戻りたいという思い」のいずれもが重く感じますが、特に全体で見ずに「ひとりひとり事情が違う人」を如何に理解し説得していくかという視点が重要と感じます。
 第2部 「何がなされたのか」では、行政があの時どういう経過を踏みどういう作業と議論・判断の結果、あのような行動をとったのか、そのプロセスが検証されます。特に「厚生省が作る仮設住宅」が多かったのに対して、事業用仮設がもっと、かつ早く作れなかったのか、と問題となっていますが、実にそのとおりで、被災した現地での事業用仮設、事業用店舗ができなかったかと残念でたまりません。Nさんの話の中でも、芦屋全体で1万人近く人口が減少している中でも、臨海埋め立て部は人口が伸びている、逆にいえば被災した中心部が震災をきっかけに如何に疲弊したかを診療所の客が減ったことを引き合いに出して説明してくれましたが、早急にその場で住み就業ができる復興がなぜできなかったのか、改めて憤りを感じます。
 第3部の制度の中では、土地境界等の私法上の問題の解決の必要性(今回の地震により相当に土地が動いたことに対して、法務局から現況の杭等を優先する旨の通知が出されたそうです)や自営業者への支援や救済の必要性、また仮設住宅に入れなかった人に光を当てた支援や施策が求められていました。

 今回、震災復興の手法として、まちづくりが叫ばれ、区画整理や再開発、地区計画等の多くの事業制度の活用が検討されまた適用されたのですが、その経緯の中では、震災を機に震災に負けないよりよい住環境の街をつくろうとするあまり、生活レベルの復興を犠牲にし我慢を強いてきた事実がなかったでしょうか。震災後既に5年が経過し、いまだに何の事業も当てはめられない地区があることを思うとき、まちづくり事業とはいったい何のために誰のために行おうとしているのかを改めて問う必要があるように感じました。個人の思い・生活の中から始められるまちづくりをこそ考えていく必要があるように思います。
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 市民参加のまちづくり
【書   名】市民参加のまちづくり
【副   題】マスタープランづくりの現場から
【編   著】渡辺俊一
【出 版 社】学芸出版社
【出 版 日】1999年 2月25日
【頁   数】192P
【価   格】本体2000円+税
【書籍コード】ISBN4-7615-2202-X C0052 \2000E

 ニフティサーブ都市計画フォーラム(FCITY)の18番会議室「オンライン大学院」での講義から、大和市のインターネットを活用した都市計画マスタープランづくり、伊勢市の市民ワークショップによるマスタープランづくり、日野市の市民版のマスタープランづくり、調布市の出入り自由のサロン方式による市民参加による都市計画マスタープランづくり、流山市の市民まちづくりネットによる市民版マスタープランづくりの各事例と、FCITYの論客の面々による、プランナーの立場からの市民参加によるまちづくり論、法律家の立場からのまちづくり条例の可能性、そして澤村明氏による市民参加によるまちづくりに対するパソコン活用の可能性の各論が並ぶ。ちなみに私のホームページがP171にちょっとだけ紹介してあるのも嬉しい。
 最終章を除く各章は既に一度FCITY上で読んだことがあるのだが、改めて読むと、また新鮮な感慨がある。大和市の事例からは、計画策定の過程で様々なデータをコンピュータで利用できるようデジタル化したことが、インターネットへとつながったエピソードは面白い(P21)。またプランナー山口邦雄氏の論文からは、「ビジョン系とプラン系」というマスタープランの分類(P121)や「生活要求と計画要求」に関する論(P132、住民はえてして生活要求を勝手に計画要求に変えて言葉にすることがある。これをきちんと整理し、専門家としての広い見地から生活要求を計画要求に結びつけることがプランナーとして重要な職能の一つ)、また同様にプランナーの役割として「手続きでない生活を、どのように行政の手続きにのせていくのか」ということでもある(P145)という言葉などが印象に残ります。
 しかし多くの章の中でも一番歯切れ良く関心を引いたのが、日野市民版マスタープランの明峯哲夫氏の書かれた章。市民参加といって行政の手の中で思いの1、2%を反映させるような「つまみ食い」をされるくらいなら「一から百まで自分たち自身で作ってしまおう」と思った(P61)という行政版のアンチテーゼとしての市民版マスタープランを主張する。職また「行政と市民のパートナーシップ」にも疑問を寄せ、「行政からどうやって逃れるか」「市民はどうやって独立するか」を考えていた。そのためには市民の力量をアップする必要がある(P72)という主張は説得力がある。技術的には、「市民活動も縦割り」という反省に立って「専門家が話して素人がまとめる」すなわち専門性を持たない素人が専門家の意見を聞き、素人の感性でつなげようとした(P65)という点が非常に面白い。また質疑応答の中で「市民が大枠を設定して、つまり思想を設定して、それに対してプロの立場から様々に技術化していくのが、行政の責任」という指摘も正論と思われる。
 5事例と3論文で市民参加の都市計画マスタープランづくりのあり方を平易にバランス良く説く好著でした。
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