都市・建築・読書メモ 2000

           書 リ ス ト  2000         



 住民参加のまちづくり講座
【書   名】
住民参加のまちづくり講座
【編 著 者】松村 久美秋
【発 行 所】(社)地域問題研究所
【ページ数】133P
【出 版 日】2000年 7月
【価   格】1000円

 愛知県内の市町村職員対象に行われたセミナーの記録。「第1講 住民参加のまちづくり−その意義と考え方」「第2講 住民参加のまちづくり−その進め方」は、編著者の松村氏の講義録。「第3講 参加型まちづくりと自治体職員」は、瀬戸市職員の中桐章裕氏。「第4講 山形県金山町の参加型まちづくりの実践」は、町職員の村松 真氏、西田 徹氏。「第5講 ワークショップによる参加型まちづくり」は(社)地域問題研究所の加藤栄司氏が、それぞれ講義を担当している。
 第1講、第2講の破天荒な講義は、所々「あれ」と思うこともなくはないけれど(P3、P21)、そんなことを気にしていては村松氏とつきあってはいられない。それより講義録からほとばしる熱意を感じて欲しい。第3講の瀬戸市のまちづくりの紹介の中では「水野そばまつり」の環境を意識した取り組みが面白い。「まちづくりと自治体職員」の項で語られる「現場主義」(P55)、「住民のために動けば動いただけ地元の信頼は得られる」(P55)、「市役所の職員は情報通にならなければいけない」(P56)、「ここから先は行政、ここから先は住民という、ある程度見えない線引きを・・・していかないといけない」(P57)などの記述は、経験的に語られて大変興味深い。
 第4講の金山町の話も興味深い。「地域というのはその地域だけで成り立っているのではない」(P70)、「住民主体の計画・・・住民自立の計画・・・住民意識の計画」(P73)、「協議会を運営する住民側の事務局・・・をできる限りサポートするのが行政マンとしての役割なのです。今までですと、一緒に事務局をやってきたんですが、事務局を安心させることで十分です」(P74)などの言葉は輝いています。これは金山町に行くっきゃない!? 
 そして第5講は、この地域のワークショップの一人者・加藤氏の講演。この間も講義をお願いしたのでここでは改めて書かないものの、理論と実際の組み合わさった氏の情熱あふれる講義はさすがですね。これを読まれた県内の職員の方々が、住民参加のまちづくりに前向きに取り組むようになると良いのですが・・・。
<読書リスト>へ戻る


 臨海副都心物語
【書   名】
臨海副都心物語
【副   題】「お台場」をめぐる政治経済力学
【著   者】平本 一雄
【出 版 社】中公新書
【ページ数】297P
【出 版 日】2000年 6月25日
【価   格】840円+税
【書籍コード】ISBN4-12-101541-X C1265 \840E

 一時は青島 前・東京都知事の都市博中止をきっかけに政治的話題の中心となった臨海副都心開発も、いつしか今や東京随一のリゾート地「お台場」として、若者を中心に全国から人が集まる地区となっている。その臨海副都心を、プロジェクト立ち上げの段階からコンサルタントとして関わってきた著者による、政治と経済に翻弄された軌跡を描いた本。東京都と国(金丸副総理)との綱引きから当初の計画が膨れ上がり、バブル崩壊と青島知事誕生によりしぼみ、そしてその間も着々と整備が進められ姿を見せてきた「ゆりかもめ」や「デックス東京ビーチ」に人が群がり、現在の繁栄地になっていく経過が活き活きと描かれている。その間には、行政としての失敗や、有力者に弄ばれるなど、数々のドラマがあった。

業務・商業用地の公募にあたっては、その選考の不透明性が指摘されている。明確な基準の不在と不徹底により、「臨海副都心整備を単なる埋め立て地の開発に終わらせず、既成市街地の再整備と連動させ東京の改造につなげていくという効果的な方策でありながら、企業の提案内容も東京都側の審査内容もお粗末極まりないものに終わった。」(P134)と手厳しい。
○「座長の丹下健三氏は鈴木都知事に報告書を手渡す際に、『博覧会でなくフロンティアの名を付けたい』と語り、『都市フロンティア』を国際的に開催される新しいタイプの運動であるとした。」(P164)・・・面妖な!果たして実態は如何に。
○「住宅地計画には二つの問題を持っていた。その一つは商業ゾーンの道筋に住宅を計画したことである。」(P184)・・・確かに初めて訪れたとき、その計画の混乱にも首を傾げた。「企業に利する商業施設の場所とするよりも都民のための住宅をという正義感も、その発露の仕方を誤ると多くの人から感動を奪い取る結果となっていく。」(P185)
○臨海副都心開発も見直し懇談会の開催によって市民参加意識を高めることができた。しかし、その実態は、一部の有識者や専門家の間での参加に終わり、多くの市民はゆりかもめに揺られレジャーを楽しむだけに終始している。」(P245)・・・筆者はこれに対して特段もコメントをしていないが、国民性の問題として我々に投げかけられた問題でもある。

 一つの開発の変遷を追うことで様々な政治・経済・行政・都市整備・市民参加等の実態と課題が表れてくる様は、実に面白い。
<読書リスト>へ戻る


 まちづくり批評
【書   名】
まちづくり批評(クリティーク)
【副   題】
愛知県足助町の地域遺伝子を読む
【監   修】
後藤 春彦
【編   著】
早稲田大学 後藤春彦研究室
【出 版 社】
ビオシティ
【ページ数】
173P
【出 版 日】
2000年 7月250日
【価   格】
2,000円+税
【書籍コード】
ISBN4-7972-1108-3 C3050 \2000E

 今の足助町を作ってきた二人の人物、小沢庄一氏と矢澤長介氏。この二人を中心に据えて、足助のまちづくりを批評する。
 第1章は、町民への聞き取り調査(オーラルヒストリー)をつないで、足助のまちづくりの歴史を綴る。
 第2章では、二人へのインタビュー。上段に、早稲田で行われたシンポジウムでの記録を綴りつつ、下段に別に行った本音トークを添える。
 第3章は、全国のまちづくり人と足助住民・関係者等16名によるシンポジウムの記録。そして最後の第4章に、「地域遺伝子」を読む、と題するまとめを置く。
 第1章の聞き取りと町民の評価も面白いし、第2章では両者の役割分担とお互いの気持ちが伺えて面白い。そして第3章では、要らぬお節介のあるけれど、全国のまちづくりの地平と足助のそれとの違いが伺える。これを読んだ上で、そろそろ紅葉間近の香嵐渓を訪ねるのも楽しいかもしれない。アジア館が賑わっているそうな。以下、心に留まった記述。

 足助のまちづくり (1994-1997)  足助のまちなみ (1998)
<読書リスト>へ戻る


 快適都市空間をつくる
【書   名】
快適都市空間をつくる
【著   者】青木 仁
【出 版 社】中公新書
【ページ数】213P
【出 版 日】2000年 6月25日
【価   格】740円+税
【書籍コード】ISBN4-12-101540-1 C1236 \740E

 現役の建設省公務員による強烈なアジテーションの書。生活者の視点からの都市整備=生活空間の創造を訴える。現在の貧しい生活空間の責任として、生産優先思想に基づく行政の責任、専門家の責任、生活者自身の責任を挙げ、生活者の視点からこれらの仕組みや姿勢を変えれば、まだまだ豊かで余力のある今の日本なら、やり直しが効く、と言うが、本当だろうか。生活者の視点という捉え方は間違ってはいないと思うが、事態はそんなに簡単ではない。スクラップ・アンド・ビルドでやり直せるほど、日本は豊かであり続けられるとは思えないし、環境のことを考えればなおさらではないか。それと筆者が盛んにアジテートする貧困な日本の都市環境というのが、日本の一部、東京の中の状況であることに気がつく。確かに地方部も中央集権型の都市行政の中で、東京のような都市化の波が訪れれば同じ状況になることは想像に難くない。しかし状況は変わりつつある。地方に蓄えられてきた日本独自の仕組み、やり方、思いを伸ばすことで、日本人の心にあった生活空間づくりを構想した方が、今までのストックを生かした生活空間づくりにつながるのではないだろうか。
 筆者のいくつかの提案の中で、町家システムを評価し、日本独自の住宅型とそれが連なった庶民住宅地区形成の提案だけは、非常に現実的であり、大いに賛意を覚える(P176)。あとは全く評価しないということではなくアジテート本としては評価するが、地方に住む者として思わず反発を覚える記述も少なくない。以下、心に留まった記述をプラス・マイナス含めて列記する。

<読書リスト>へ戻る


 コレクティブハウジングただいま奮闘中
【書   名】コレクティブハウジングただいま奮闘中
【著   者】石東直子+コレクティブハウジング事業推進応援団
【出 版 社】学芸出版社
【ページ数】230P
【出 版 日】2000年 8月30日
【価   格】2,400円+税
【書籍コード】ISBN4-7615-2239-9 C0052 \2400E

 石東さんたちが取り組んできた震災復興コレクティブ住宅のことは「きんもくせい」での報告等を通じて、ずうっと関心を持ち続けてきた。が一方、「解題」で小谷部育子さんが書かれているとおり、「高齢者のみを対象としては成り立ち得ない」(P225)とも思っている。これには小谷部さんは「欧米型のコレクティブハウジングが現在の公営住宅法の中で」という二つの留保を付けているが、これを成り立たせる要素として、私は「応援団組織の存在なくして」と考えてきた。石東さんたちの試みは、しかし「応援団が次第にその存在・役割を変化させつつ」、「自立的協働」の中での可能性を探っており、その意味で大変興味深い。
 石東さんたちが計画段階から特に積極的に関わってきた「真野ふれあい住宅」が、入居後、自治会長の独善的な振る舞いの中で危機的な状況に陥っていたことは知らなかったが、まさにこうしたことこそがコレクティブ住宅が抱える課題であり、しかし自治会長が替わることによって、明るい雰囲気が戻ってきたこともコレクティブの可能性として評価しうることでもある。共同居住を単に居住者に任せるのでなく、こうした住まい方文化が共有できるようになるまで、一定程度の支援は不可欠なのであろう。しかし一方で、必ずしも石東さんたちの濃密な支援がなくても、それなりに成り立っていく住宅がある(と記述からは伺われるが)ことについては、それを成り立たせる住まい文化=下町長屋居住文化があったことが要因のようにも思われる。かつ、これは神戸長田区の古くからの下町に居住する高齢者だからこそ残っていたものであって、これから老後を迎える戦後世代にも期待していいものか、はたまた望むべくもないものかも、今後の検証課題として残るもののひとつである。
 いずれにせよ、まだ第1号の日本版高齢者コレクティブ住宅が誕生してわずか3年に過ぎず、これからどんな住宅・住まい方として根付いていくのかについて、大いに関心があるし、その先駆者としての石東さんたちの取り組みには、引き続き注目をしていきたいと考えている。
 最後に、本書を読んで特に印象に残った記述は、下記のとおりである。
●ワークショップは参加者の属性を見極め、それに適格に対応したものでなければならない。(P83)
●片山ふれあい住宅はコレクティブハウジングとは言わないのではないか・・・Aさん一人の捨て身のサポートのもとに協同居住が展開されているようで、他の居住者はサポートされる側の人になっています。(P119)
●仏つくって魂入れずの県営コレクティブですが、その事後処理を一手に受けているのが、管理課の担当者です。・・・応援団と彼らはともに魂入れ師です。(P131)
●ぜいたくな協同空間の取り方は現実の協同居住に適応せず、入居者にはやっかいもんとなっており、(P140)
●ふれあい住宅の居住者にとって第一の関心事は共益費がいくらになるのかということです。(P158)
●入居者同士の交流も大切ですが、本当はふれあい住宅の居住者とその地域の人たちとの交流も大事です。(P203)
●ふれあいチケット。(P209)=ふれあいネットレターの中で、地域通貨の提案をしている!

 なお、この本に出てくる工事中の「真野ふれあい住宅」と、応募がつかなかった頃の「片山ふれあい住宅」、そして久二塚地区に、同様にこの本にも出てくる森栗茂一さん、上田耕蔵さんの案内で廻ったときの記録が以下のページに掲載してありますので、興味のある方はごらんください。
 神戸復興塾/震災復興の神戸を歩く (1997/ 4/26-27)
<読書リスト>へ戻る


 市民のためのまちづくりガイド
【書   名】市民のためのまちづくりガイド
【著   者】佐谷 和江、須永 和久、日置 雅晴、山口 邦雄
【出 版 社】学芸出版社
【ページ数】224P
【出 版 日】2000年 5月30日
【価   格】2,300円+税
【書籍コード】ISBN4-7615-2238-0 C0052 \2300E

 「ガイドブック」というタイトルのとおり、一般市民向けに、順を追ってまちづくりへの参加の導く手引き書となっている。
 1章 個別テーマからスタートするのもよいでしょう。・・・(きっかけ)
 2章 やはりビジョンが必要です・・・(ビジョン・基本的な構想・方向の合意)
 3章 まちづくりの計画をつくってみよう・・・(活動のための計画づくり)
 4章 まちづくり活動の勘所・・・(活動)
 5章 飛び道具で楽しく、有効に・・・(会議・ワークショップ・ニュース・インターネット等)
 大変分かり易く、楽しく書かれており、まちづくりに関心を持った人にとっては、絶好の一冊と言える。
 「まちは、個人財産と公共財産の集合体であるが、一方で環境的には運命共同体である」(P7)という筆者たちの思いを是非一般市民に届けたい。
<読書リスト>へ戻る


 「住宅」という考え方
【書   名】「住宅」という考え方
【副   題】20世紀的住宅の系譜
【著   者】松村 秀一
【出 版 社】東京大学出版会
【ページ数】260P
【出 版 日】1999年 8月25日
【価   格】3,200円+税
【書籍コード】ISBN4-13-063801-7 C1052 \3200E

 その目論見が成功したのかどうか。少なくとも私にとっては、「在来工法VSプレハブ住宅」という構図が、在来側(建築家側)から仕掛けられた意図的なメタファであって、在来であっても十分商業的であり、プレハブの技術的側面、そして消費者こそが実はこの構図の根本原因なのだということが理解され、客観的にこの問題を見つめ直す目を与えてくれたように思う。
 この本の冒頭は、19世紀初頭の植民地向けプレハブ住宅から始まる。まさに時代が要求した住宅の形であったのだ。そして20世紀前半には住宅の通信販売までもが始まる。現在の商品化住宅の始まりは、そんなにも早かったのだ。

 「住宅メーカー」の始まりがここにある。

 ジャン・プルーヴェの夢!

 「そのことだけは確かである」と続く文章には、建築家的・情緒的な住宅観が現実を冷静に見る目を失わせていることを糺してくれる。確かにマンションは我々の生活の場としての役割を果たしつづけている。そして人はそれを住みこなしている。どんなに陳腐といわれようと。住むのは人であるから。

<読書リスト>へ戻る


 まちづくりの科学
【書   名】まちづくりの科学
【編   著】佐藤 滋 (執筆:編者を含めて27名)
【出 版 社】鹿島出版会
【ページ数】382P
【出 版 日】1999年 9月20日
【価   格】3,500円+税
【書籍コード】ISBN4-306-07222-3 C3052 \3500E

 都市計画・建築の新進気鋭の研究者27名の執筆による、まちづくり論。全体として、住環境整備、住宅供給計画、高齢者問題、居住管理、ワークショップなどのまちづくり手法等、現在のあらゆる問題をカバーした教科書としても最適な書物に仕上がっている。以下、節毎に、特に関心を引いたフレーズと感想や意見などを。

■はじめに (佐藤 滋)

■序章 まちづくりとは (佐藤 滋)・・・まちづくり七つの原則
■第1章 まちづくりがめざしたもの
□住環境の改善をめざしたまちづくり (早田 宰)・・・江戸期からの住環境整備の流れ
□防災まちづくり (吉川 仁)

□マスタープランとまちづくり (高見沢 実)・・・地区環境整備類型化を中心に
□公共住宅とまちづくり (瀬戸口 剛)

□文脈の解読とまちづくり (山本 俊哉)

□参加という方法 (佐藤 滋)・・・参加のまちづくりの類型化/協議会という制度/参加の技術を展望
■第2章 まちづくりが実現する世界
□生活像とまちづくり (清水 肇)

□まちづくりとライフスタイル−都心定住・都心居住像 (野嶋 慎二)・・・上尾を例にした地域内循環居住
□地域主体のコミュニティ−防災生活圏づくり (山本 俊哉)・・・一寺言問地区の防災まちづくりの成果
□地域に根ざした集合住宅 (横山 俊祐)・・・公営住宅法の改正に伴う福祉目的化に言及しない一方的礼賛ではダメ
□高齢社会へのまちづくり (松本 暢子)

■第3章 まちづくりのテクニック
□目標空間イメージの共有と合意 (早田 宰)・・・市民と共有する市街地像と形成技術について
□まちの文脈を解読する (山本 俊哉)・・・まちの成り立ちを読む/土地利用や敷地割の変化を読む/道路と建物の関係を読む/最近の変化や計画を読む/住民・地権者の意向を読む
□都市型住宅と住環境整備のガイドライン (出口 敦)・・・地域らしさのガイドライン、都市的文脈創造のガイドライン
□住環境水準における居住環境水準はどうあるべきか (野澤 康)・・・住宅建設五箇年計画の住環境水準を考える
□ワークショップ (卯月 盛夫)

□京都における路地型団地の再生 (上林 研二)・・・地道な路地型団地の調査と共同建替事業事例
□スモール・アーバン・スペース (北原 啓司)

□機能と空間の複合とまちづくり (中出 文平)

□まちづくりを評価する「POE」 (北原 啓司)

□居住者による住環境の共同管理 (斉藤 広子)

□シミュレーション・ゲーミング (有賀 隆)・・・シミュレーションとゲームによるまちづくり合意形成。名古屋での実践が見たい。
□安心できるすまいの確保と自立支援の原則 (若林 祥文)

□「まちづくり協議会」をめぐって (大戸 徹)

□NPO(まちづくりセンター) (卯月 盛夫)・・・まちづくり公益信託、基金とまちづくりセンターの事業・課題等
□まちづくりを支えるマスタープラン (饗庭 伸)・・・都市マスタープランの役割・内容と様々な作成スタイル
□まちづくり条例 (高見沢 実)・・・まちづくり条例の効果と事例・課題
■第4章 まちづくりの展望
□阪神・淡路復興まちづくりから (佐藤 滋)

□コミュニティ・ベースト・ハウジングの台頭とその意味 (平山 洋介)・・・CDCと社会システムの変容
□環境共生型まちづくり (並木 裕)・・・循環型都市構造のデザイン
□子どもとまちづくり (木下 勇)・・・子どもだけによる街の運営「ミニ・ミュンヘン」と飯田市の子どもから始まったまちづくり
□高齢社会と元気になれるまちづくり (野村 知子)

□交通とまちづくり (久保田 尚)

□地域経済とまちづくり (宗田 好史)

■終章 まちづくりが望む世界 (佐藤 滋)

<読書リスト>へ戻る


 「家族」と「幸福」の戦後史
【書   名】「家族」と「幸福」の戦後史
【副   題】郊外の夢と現実
【著   著】三浦 展
【出 版 社】講談社現代新書
【ページ数】224P
【出 版 日】1999年12月20日
【価   格】660円+税
【書籍コード】ISBN4-06-149482-1 C0236 \660E

 著者の三浦 展(あつし)氏は社会学部出身で、パルコ、三菱総研を経て独立。現在、信州大学大学院非常勤講師の1958年生まれ。私とほとんど時代を共有している著者の、社会学的視点からの郊外論(=家族論)は、所々織り込まれるユーミンや吉田琢郎その他の歌詞と合わせて、大変興味深い。
 ●消費をし、家電やクルマや住宅を買うことによって初めて家族は家族たりえた。それまでの伝統的な地域社会から離脱して、核家族という不安定な存在となった戦後の家族をまとめあげ、凝集させる役割を担ったのが消費なのだ。(P29)という「消費する家族」論から入り、ニューヨーク万博(1939年)で理想として掲げられ、戦後の冷戦構造下で始まったアメリカでの郊外化と理想家族像の流布。著者はこう書く。●男性は仕事に専念し、給料を稼ぎ、郊外に家を買い・・・女性は家事・育児専門の専業主婦となり・・・夫の出世を支え、子供の世話をする。そういう家族像、女性像がニクソンの理想であった。それは冷戦時代を戦うためのアメリカという国家にとっての武器だったのである(P87。)●不動産の広告が現実離れしたイメージを売るのは日本だけの特殊な現象だと思いこんでいたが、そうではなかった。・・・人々は郊外の住宅地に・・・豊かさの記号や幸福のイメージやステイタスを求めたのである(P92)。そう、郊外化はアメリカにおいて20年早く始まり、日本はそれを追いかけていたのである。まぶしかったアメリカの豊かさを追いかけた時代。それを著者は「55年体制の中の郊外」という。核家族化が非常な勢いで進んだ家族の55年体制。女性の労働力率が大幅に下がった女性の55年体制。●子供の数にも55年体制はあった。1955〜75年は合計特殊出生率がちょうど2.00前後の時代でもあり、夫婦と子供2人という家族形態が一般化した時代でもある。・・・出生率が2.00前後で、特に増減せずに安定していた時代が20年間も続いたことの方が異常だったように思える(P134)。●このように、消費、産業、職業といった面から見ると、日本はアメリカにおよそ20〜30年遅れながら、1980年代に、1950年代のアメリカに似た社会をつくりあげたと言える(P146)
 しかしそうした時代は結局長くは続かなかった。人々はそれは結局抑圧され押しつけられた生活であることに気づき、不満を爆発させ、アイデンティティの主張を始める。ヒッピー、ウーマンリブ、沈黙の春、青少年犯罪の多発。著者はそれを、ユーミンから「岸辺のアルバム」へ、サザエさんから「寺内貫太郎一家」へと世相の表れを描写する。●毎回貫太郎に癇癪を起こさせて家族中を大喧嘩させ、その母には身をよじらせて「ジュリーッ!」と叫ばせて、一種異様な家族を描いたのだ。・・・ちょうど1960年半ばのアメリカで、テレビの中の家族像に違和感を感じはじめたとき、魔女を主人公に据えたドラマが登場してきたことと対応している(P155)。またこうも書く●青少年犯罪は現代社会全体の問題だが、現代の特に郊外の問題なのだ。なぜなら郊外は最も現代的な空間だからだ(P161)。郊外は「故郷喪失」「共同性の欠如」という問題を抱える。この場合の共同性とは、地域の共同性であり、家族としての共同性である。それらが郊外化とともに職住分業されることにより、バラバラになってしまった。●共同性や歴史がなく、仕事をしている人間の姿が見えない郊外という空間は・・・「世間」との関係の中で形成されると言われる・・・日本人のモラルは・・・郊外のような「世間」のない空間で育つと、「世間」の目を意識しない、つまりは善悪の判断できない人間になっていく可能性がある(P166)という。●1960年代までの若者は既存の社会・体制に対してまず反抗をしながら次第に適応していった。それに対して、70年代以降の若者はまず社会・体制に適応しながら次第に社会・体制への不適応を表明した、という順番の重要な逆転があるように・・・思える。・・・豊かな社会では、社会の矛盾が見えにくく、当面は社会を容認せざるを得ないからである(P195)。まさに●「豊かな社会」こそ生きることが困難な社会なのだ(P196)
 そうした困難な時代をどう乗り越えていけばいいのだろう。●私は、少なくとも郊外を越えていくべきだと考える。・・・これまでの郊外化、核家族化とは異なるパラダイムを発見していくべきであろう。新しい、家族と街のあり方を創造しなければならないであろう(P200)。そして示されるのが「フリマ(=フリーマーケット)」であり、「TOKYO STYLE」である。
●郊外は、消費と私有の夢のかたまりであ(P182)った。そしてこれからは●脱私有の時代(P241)へ向かうのだ。
<読書リスト>へ戻る


 日本の<地霊>
【書   名】日本の<地霊ゲニウス・ロキ
【著   著】鈴木 博之
【出 版 社】講談社現代新書
【ページ数】231P
【出 版 日】1999年12月20日
【価   格】680円+税
【書籍コード】ISBN4-06-149481-3 C0252 \680E

 タイトルが悪い。<地霊>という言葉で一般の人は何を思い浮かべるであろう。加えて帯がひどい。「国会議事堂は”伊藤博文の墓”だった!?」これではまるでオカルト趣味の人に向けた本のようではないか。
 「ここ十数年、「ゲニウス・ロキ」という概念を追いつづけている」(P3)そうである。しかし本書に書かれている多くの土地の物語を読む限りでは、結局それは「土地の持つ歴史や物語」以上の意味を汲み取ることができない。「単なる土地の物理的な形状から由来する可能性だけではなく、その土地の持つ文化的・歴史的・社会的な背景を読み解く要素もまた含まれている」(P4)とするその後者が書かれているだけのことである。
 取り上げる場所や人物が悪い。伊藤博文の神戸/丹下健三の広島/耕三寺耕三の生口島/渋沢栄一の王子/渋沢栄一の深谷/岩崎彌太郎の湯島切通し/岩崎小彌太の鳥居坂/地方の鹿鳴館/谷崎潤一郎の神戸/根津嘉一郎の常盤台。これだけの土地の物語と4つのコラムが取り上げられている。それぞれはかなり調べ上げられ、それなりに面白いのだけれど、(同じ東大の)藤森照信を読んでいるときのような著者と一緒に発見し驚きのめり込んでいくような臨場感やドラマが感じられない。著者は実のところ、その土地を愛しておらずそれに関わった人物の歴史を愛しているのではないか。それも日本の中枢を支えた人々の歴史を。
 それでも所々に心に留まる言葉や表現が見られるのは、それこそ土地の持つ<地霊>の技か。例えば、
●都市計画、都市づくりとは、道路や摩天楼を描き上げることであるより、まず安定した場所、安定した土地をひとびとに確保することではあるまいか。(P127)
●町から感傷を取り去ったら何が残るというのだ。感傷を馬鹿にした結果が、現代の日本の都市の惨状を生んだと言いたい。(P174)
●「場所」とは、文化が蓄積される形式そのものなのだ。・・・営みを豊かなものにし、それを未来に引き継いでゆくことが、文化の蓄積なのだ。(P190)
●一戸建て専用住居は、生活と生産が分離した近代の産物なのである。(P198)

 そして一番面白かったのがあとがき。ここに至ってようやく著者の建築史観が語られ、「空間」論、「場所」論が語られる。
●日本の建築文化は平地に拡がる平面的な方向をとる(P216)
●屋根が建物の水平的な展開を暗示する(P218)
●庭を持つことによって、部屋は部屋として場所を占めるのだ。・・・それが水平に拡がる建築のつくり方(P222)
●西欧の建築も都市も、完結した自立性を備えた「空間」からできあがっていた(P224)。水平的な展開をする日本の建物の構成が、「場所」を軸として展開することと、鋭い対照をなす。(P225)

 本書は最後に「建築家のいうことは、訳が解らないとしばしば批判される。それは実際当たっていて、彼らの理論はどこかで途切れていることが多いのだ。」(P230)と書かれている。しかし本書を読んでも私には何故に<地霊>なのかが結局解らなかった。同じ土地の物語でも例えば西山卯三の安治川物語のような庶民の物語は<地霊>とはならないのだろうか。
<読書リスト>へ戻る


 新・町並み時代
【書   名】新・町並み時代
【副   題】まちづくりへの提案
【編   著】全国町並み保存連盟
【出 版 社】学芸出版社
【ページ数】2083P
【出 版 日】1999年10月20日
【価   格】2,000円+税
【書籍コード】ISBN4-7615-2220-8 C0052 \2000E

 1998年に行われた全国町並みゼミ東京大会での分科会を元にまとめられた。
 第1章では 「町並みまちづくりの時代」として、分科会のテーマ毎に担当者が執筆している。

 ほとんどのテーマを網羅して大勢の人の参加の下にこれだけの議論ができたことにまず驚く。それぞれが大変実践的なテーマであり、具体の実例や町並みをベースに検討作業が行われている。これらのなかでは次の各点に特に興味を引かれた。
各自治体が景観条例などにより登録し、取り壊しに際する届け出だけでも制度化しておくことが現状では望まれるであろう。(P27)−近代建築の保存と活用
散在された個々の建物を連携し、ネットワークを構成することにより地域のイメージを上げる方法を提案したい。(P34)−登録文化財と町並みネットワーク
現代において「借景」を構想することは異なるいくつかの景の統合をめざすことである。古典と現代という異なる二層をどのように1本に結ぶかという現代借景論が語られなければならない。(P47)−スカイライン問題と都市緑地の存在理由
生物学で共生(symbiosis)は、異種の生物が一緒に生活している現象を一般に指す。ただし、お互いに行動的あるいは生理的に緊密な結びつきを定常的に保っていることを意味する。したがって、同じ生息場所にすんでいる(co-existance)だけでは、この概念に入らない。共生は個体間の関係性を示すものである。(P48)−スカイライン問題と都市緑地の存在理由
例えば協働会(芝浦・協働会館を活かす会)に結集した人々は、芝浦に限れば外野だが、より広い視野で見れば、都民が地域の歴史資産の保存に結集したとも捉えられる。(P76)−歴史的建造物が少数でも魅力ある町
谷中学校は、個人の自主的活動をまちづくりネットワークにつなげる孵化器になりえるか、とも考えた。しかし・・・自分の責任のとれる範囲、今の人材で協力して行えることの規模を互いに見通す態度が必要だと気づいた。(P112)−つくる育てる・時と思いの見える町
環境学習−次世代に注ぐ地域性(P113)−つくる育てる・時と思いの見える町
「伝建未満」の保存は、確かに難しい。・・・私達は向島と千住でその解決案になるかもしれないとばぐちを見た。それは「使い続ける」ということである。「動態保存」である。「町並み」を単なる観光資源としてではなく、生活者の目で見つめ直し、「使う」ことに価値を認める。そこに解決に至るなにかがあると思われる。(P133)−東京の新発見

 第2章は「町並み運動と全国町並み保存連盟」と題して、保存連盟事務局長の中嶋氏と顧問の石川氏の論文が、第3章は「歴史的町並み概論」として、東京大会でリレー講座を担当した、東京芸大の前野まさる氏、東大名誉教授の稲垣栄三氏、元東京大教授の大谷幸夫氏の各重鎮が登場し、町並み保存・再生・まちづくり活動の意味や意義について理論的に解説をされている。第3章では次の点に関心を引かれた。
「調査」から「古い良いところさがし」(P170)−都市の歴史的遺産から何を学ぶか(前野まさる)
ものが残る五要素−(1)芸術性 (2)記念性 (3)希少性 (4)なじみ性 (5)利便性−都市の歴史的遺産から何を学ぶか
保存の三原則−(1)都市・建築の性能を高めること (2)都市と住環境の保全を計ること (3)都市・建築の価値を表すこと・・・住み手側の都市や建築に対する重要度は1.2.3の順序になる。行政関係者は2.1.3の順序で、旅行者や保存を求める人達は3.2.1の順序で都市や建築を見る。(P174)−都市の歴史的遺産から何を学ぶか
なぜ日本の都市環境は貧しいのか。多分、現在の都市環境の大部分を構成している新しい住居が、次の世代にまで伝えられるものとして造られていないからである。・・・つまり建築は耐久消費財となった。・・・日本の都市は、その速い変化を受け止めることのできる容器ではなくて、みずから変化の速さを競い合う設備の一種になったということである。(P182)−歴史的町並みとくらし(稲垣栄三)
町並み保存運動は、そこに品位を見出すことに満足するだけでなく、遠い先の話だとしても、日本の都市全体に品位を取り戻すことを目指してもいる。(P182)−歴史的町並みとくらし
都市は国家に潜行して人々にとって安全保障の機関であり、人を守り産業を育ててきたことである。それは異質なものの許容、争いを調停するルール、そして寛容と公正の心情などがその基底を支えている(P190)−歴史的町並み等の保存と再生に期待していること(大谷幸夫)

 最後に第2章の石川忠臣氏の「"住民主体論"の本質と系譜」には違和感を覚えた。「ほんものの"住民主体"を目指して」いく中で、学者・専門家、特に都市計画家に対しての不信感が述べられている。そこには絶対的な住民主体を求める上での硬直的な姿勢が伺われる。批判の事例として挙げられたA町とは足助町のことであろう。まちづくりの会が顧問の学者(実際は専門家である建築士だと思う)の助言を得て自らの責任で決定し工事された石畳が景観上まずかったことをもって、学者に寄りかかる住民活動の批判をしているが、これこそ本末転倒ではないだろうか。その前段で「多勢の都市計画家たちは、現代の都市計画はますます複雑化し専門化しており、複数の専門家とそれらをまとめるコーディネーターの主導なしには事業家は不可能となってきた。いわば現代の都市計画的まちづくりに素人の住民の参加は無理であることを、語り始めたのである」(P166)として都市計画・専門家批判をしているが、このA町の石畳が失敗だったとすれば、それは能力の足らなかった専門家を批判すべきか、その選択・責任を住民に委ねた中途半端な住民主体組織を批判すべきか、それとも専門的知識を有しなかった住民を批判すべきか。少なくともそこには、「ほんものの"住民主体"を目指して」、住民意思決定の仕組み、専門家の関わり、住民学習のあり方などの問題こそあれ、安易な専門家批判・盲目的な住民主体論へ走るべき事例ではないと思われるのである。著者こそが結果でもって過程を軽視する愚を犯しているのではないだろうか。

<読書リスト>へ戻る