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中脇修身のHP   にようこそ

tosasikkui【 ・メール・ 】・・・・・・制作者プロフィール・・・tosasikkui

■土佐漆喰■土喰の歴史水切瓦壁の工程壁技法鏝絵解説わらび縄水切瓦のデザイン光る壁・手磨き■左官・松尾安太郎
■建築関係■
小松棟梁職人一筋1本の杉香南の文化財吉良川職人高知職人塩の道香川の左官職人吉良川土蔵建築記
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中脇修身制作 映像作品・・・・・・

土佐漆喰5:00

土佐漆喰@前編 A後篇

蔵の壁下地

土佐漆喰の現場5:00

土佐漆喰極上の鏡面仕上

土佐の水切瓦7:00

壁・木舞縄(こまいなわ)

土佐漆喰・石を焼く5:00

壁・こまい竹4:00

壁下地・わらび縄6:00

壁かき職人

職人の連携2:00

土壁5:00

土の荒壁8:50

土佐の瓦職人5:00

左官・西田隆紀7:00

茅葺の茅(かやかり)

棟梁・小松広志鉋削り

100/3mm鉋削り

土佐の甚五郎・破風板8:00

鏝の造形・鏝絵

13mの丸梁30:00

左縄を綯う2:00

・古建築の間取 前篇 後篇

建築板金5:30

宮大工槍鉋 佐原安昭

棟梁との約束 全編 後篇

鉋削り・大工の腕前

棟梁・西岡三夫6:00

・蔵・@AB

土佐の甚五郎小松正広

・一本に杉@ABC

・一本の杉DEF

・廃屋・@ABCD・E・F

左官・小原康照10:00

神様の結婚式45:00

・お弓祭り 前篇 後篇

・手結盆踊り 前篇 後篇

古里・羽尾40:00

や〜さい・・・40:00


山脇広見・名人

Counter


名人・安芸市の山脇広見さん。大正生まれで鏝技一筋に生きてきた真の職人である。多くの職人と共に土佐漆喰を育ててきた。


ホームページ もくじ

1

150土佐漆喰歴史

11
301・壁の下地 (フェルト・メタルラス)

2
200施工技法

12
302・木舞竹こまいだけ・木舞縄こまいなわ
3 201・土佐漆喰の建築物

13
303・土の荒壁
4 202・製法・窯の形状・石焼・袋詰

14
304水切瓦2・技法
5 203・壁施工・職人の勘の技

15
305・壁仕上の技法
6 204水切瓦1・図面添付

16
306・木舞職人・黒岩みよ子
7 205・鏝絵・妻飾り

17
700・詳細わらび縄1
8 206・土蔵(蔵)左官の腕前

18
500土佐漆喰解説
9 207・漆喰破風(入母屋)

29
501・左官棟梁
10 300土佐漆喰工程

20
502・施工時期を選ぶ施主

21
503・水切瓦・海鼠壁

31
512・壁土・左官の手元

22
504・土蔵・明治4年の竹が青い

32
513・押入に土佐漆喰

23
505・石を焼く

33
514・ハンダ仕上

24
506-1スサの発酵

34
515・鏝絵・懸魚

25
506-2ミキサ−がけ

35
516・光る壁・手みがき

26
507・土佐漆喰の完成

36
517・壁厚の詳細寸法

27
508・木舞竹の作成【こまいだけ】

37
518・水切瓦のデザイン

28
509・木舞縄【・・・【こまいなわ】

38
600HP制作者

29
510・ワラビ縄2 【わらびなわ】

39

30
511・木舞とラス板

40
400周辺できごと

41
吉良川の土蔵工程

48
1700・工 程

42
1100・土蔵記録の概要

49
1800・左官・岩之助の決断

43
1200・工事予算の配分

50
1900・技の報酬

44
1300・顔役竹中半四郎

51
2000・技の主役

45
1400・工事金の支払

52
2100・施主の選んだ長

46
1500・施主の現場管理

53
2200・土蔵のデザイン

47
1600・計画と施主と左官

54
2300・おわりに

55
いっぽんの杉

60
204・原木市場

56
200・伐 採

61
205・製 材

57
201・さくどう

62
206・工 作

58
202・盤 台【ばんだい】

63
207・たてまえ

59
203・玉 切

64
高知大工職人

69
204・瓦 葺

65
200・水盛遣方

70
205・入母屋

66
201・基 礎

71
206・造 作

67
202・軸組工作

72
207・完 成

68
203・建 前

73
香川左官職人

78
204・工具と壁面の表情

74
200・地域に生きる地域の匠

79
205・闇夜の時期に伐採・木舞竹

75
201・古建築・最近の空間・壁

80
206・壁の仕上げと技の数

76
202・塗り壁の準備

81
207・いろいろ・わだい

77
203・荒壁と中塗

82
K00・

83
香南市文化財

88

84
吉良川の建築と職人

89

85

90

86

91

87

92




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1000度余りで石灰石を焼成・土中窯(筆者の研究生・中澤・得下)
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伝統・鏝技法の継承
 技法は1職人が考えたものではなく、先人の知恵の集積である。ある工法は親子2代にわたって継続され、ようやく思いに近い仕上げが叶ったとも言われる。
 先人の苦労は、こんにちとは比較にならない条件の中で続いた。得意先の現場には日の出にいったので、我家の出発は暗いうちである。奥さんは、午前3時とか4時に食事の支度や弁当を作って笑顔で見送った。

 多くの職人は数kmの現場に徒歩でいった。これは職人の世界に限った事ではなく、多くの働く人々は仕事に向かう心構えが、現今の条件と違っていたのである。
 現在最新の機器の備わった現場でも、私たちが開発困難と思われる工法・技法を、先人(職人)は開発してきた。
 したがって技法は、こんにちの誰かが代表して評価されるものではない。人知れず鏝を持つ多くの職人がいて、土佐漆喰も鏝技法も壁の表情を造ることができ、大衆から認められてきた。すべては昔から継承されていることを忘れてはならない。

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袋で8年スサは生きている

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 土佐漆喰は製造後、左官職人が一定の期間『ねかす』・・・。職人によって数ヶ月・・・半年といわれる。中には・・・3年も『ねかす』職人もいる。3年という期間を聞いてバカな・・・スサの繊維まで溶けるという・・・その期間を否定する職人がいるから面白い。

 ねかす理由はスサが石灰と馴染むというのだ。筆者は土佐漆喰を外部に8年間放置した結果、上の写真のように、スサは変わることなく生きていた。
 特別な場所に置いたわけではない・・・車庫の外部に雨ざらしにして、地面と接した部分の袋は破れていた。数年放置したものは、純度が高まり壁表面の仕上に好条件をもたらす。巧たちの技に対するこだわりとは、凄いものである。

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8年ねかした土佐漆喰

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 土佐漆喰を扱う職人は、それぞれ自分流の型をもっている。問題はそれが経験に基づいたものであるかどうか・・・そこが大変重要である。
 『ねかす』・・・という一例をとっても、考え方が様々であった。それぞれがこれまでの実践に基づいてつくり上げている。
 したがって、他の方法(技法)を否定することは危険なことといえよう。技に生きる者にとって、私が一番と勘違いをするときが、実は注意を要するときである。
 上には上があり、奥底のみえないのが職人の技であり腕前である。


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 明治4年に建築された木舞竹が青いのは何故か昔の素材調達の時期・土壁との
最適な条件で共生できたのか・・・。老人に昔の伐採時期などを聞くと山の竹の生息している場の、植物の変化で判断するというのだ。それは暦の時期ではなく、
現場の植物の時間で決めるのである。同じ山でも麓と峠付近では伐採の時期が違うというのだ。
 さらに、そうした期間の中でも闇夜の時期が害虫の活動が少ないということであった。・・・特に土蔵などは100年の計画で建築された。施主も施工者も建築にあたり最適の条件を満たして、工程を進めたのである。

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稲のワラはスサに切断される。そのワラは
稗など、雑草をとりのぞくため、多くの手間を要する。
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醗酵したスサ・温度湿度の管理によって出来上がる
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スサを切込む・機械によって室に送り込む
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稲藁のスサに放水・足で踏みしめテントで覆う
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ベンガラ仕上・
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石灰岩採掘現場・西内石灰はすぐ宇裏の山にある
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窯に原石投入・投入の量が窯内部の温度を変える
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立ち上がる煙の状態で温度を感じとる・・・色や勢い
・・・温度管理が石灰の純度に影響する。
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土佐漆喰 仕上直後・数日または数ヶ月の
期間をおいて、徐々に白の壁になる。・・・実際の壁の色は
色白の人間の肌のような淡黄色である。
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はんだ仕上・土と土佐漆喰を練り合わす・・・土の色や
土の量をによって表面に色や質感が違ってくる。
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木炭の粉を混ぜる・風合いの深い色と表情が生まれる
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松煙仕上・100年余りたった表面にはスサの繊維が見える
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土佐漆喰の現場・日本瓦の屋根・壁に水切瓦・・・県東部の民家



伝統・鏝技法継承

技法は1職人が創ったものではなく
先人の知恵の集積である。
技法は誰かが代表するものではなく、人知れず鏝を持つ
多くの職人がいて
土佐漆喰も鏝技法も継承されている。
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土佐漆喰が産声をあげるの練場熟練の職人が見守る
湿度・音頭・水分・色合い・・・長い柄の鍬で漆喰を均している。

ミキサー・石灰とスサを混練 茶色のスサが
溶け込み純白の石灰が淡黄色に変わる。
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土佐漆喰は7m余りの窯で焼く
温度1000度といわれる。
窯の機嫌で土佐漆喰の壁仕上を左右する。


投入から4日余り・・・窯から取り出した原石
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原石の化学反応@・・・原石の科学反応A
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原石投入石炭工業塩混入
4日間高温焼成
稲藁
スサ(むろ)で発酵 石スサ溶合
高知県壁素材・土佐漆喰誕生



土佐漆喰

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 土佐漆喰は誰が考案したのか・いまだ定かでない。製造業者であれば記録が残っているはずである。地域の職人が密かに研究したのか何かのきっかけで開発されたものか、探る資料が残っていない。

 こんにちでも、職人が土佐漆喰を買い込んで自分の倉庫で数ヶ月寝かす。品質を高め壁の仕上程度を高めるためである。製造や建材店でなく左官職人が寝かすのである・・・。このひとつにも、職人たちの土佐漆喰を育てる意欲・姿勢がみえてくる。『顔がうつる壁』・・・土佐漆喰は、左官職人の研究がなければただの壁であったにちがいない。国宝級の壁と高い評価を受けるには、多く『開発』の積み重ねがあったのであろう。
 そうした先人の研究の積み重ねがこんにちの土佐漆喰(技法・耐久性・信頼)を完成させたのである。

 もの造りとは言葉ではない・・・。多くを語らず『技に生き技でおわる』人・・・その日の仕事に対する賃金以外、名誉や地位など求めない・・・昔も今も、そういう人を職域の中の職人という。


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 原石は徳利状の窯(かま)に投入され、工業塩を混入し石炭で焼成される。他県が海藻などノリを使用する事に対して藁(わら)スサを使用する。土佐漆喰は、使用場所や左官(さかん)職人の技法(仕様)によって、単価(たんか)や施工程度は異なる。瓦の下地や倉庫の壁、押入(おしいれ)の壁・水切瓦(みずきりがわら)や破風(はふ)・妻(つま)の格子(こうし)・和室・洋間の壁等、その用途は広範である。

 施工(せこう)領域が広範の土佐漆喰は、大きな『癖』を持っている。その『癖』は自然現象と深く関わり、左官職人は温度・湿度・雨・風の度合いを相手に鏝(こて)の技(わざ)を仕掛けていく。施工にあたり、『壁表面を指で押して痕が付かない程度おく・・・』これが次の工程への条件である。
 それらは数値的な計測を越えた、長年の経験による職人の勘(かん)の技(わざ)である。こうした工程を積み上げて、鏡面(きょうめん)仕上げ『光る壁』は完成するのである。土佐漆喰の壁表面は純白ではない。製造工程で混入される藁(わら)スサの影響から、淡黄色が残る。
 目に優しく素朴な風合いと評され、『赤ちゃんのお尻』の感触がある。肌理(きめ)が細かく、少々冷たさを感じさせるが、底流に温かい血流のようなものを感じ取れる。専門家達は土佐漆喰を評して『日本一の壁素材』ともいう。日本一といわれる壁完成には、本来の伝統工法を継承した左官職人の知恵と技が不可欠である。

 高知県には多くの土蔵(どぞう)が現存する。それらは明治から大正にかけて建築された物が多く、当時施主たちは百年の計画を持って建築した。土蔵は用途や機能に加え、蔵を持つことによって地域での存在を強調するという役目ももっていた。
 職人たちはそうした施主の意向を受けて、耐久性能と美観に、もてる全ての技を打ち込んできた。壁の磨きには鏝(こて)の技と共に、雲母(うんぼ)・手ごすり・椿の若葉等を用いて表面仕上を行っている。それらは、求める施主が居たから行えた良き時代であった。

 現今の建築現場における湿式工法は激減しており、技の中心となる後継者も減少の一途をたどっている。それは工業製品の開発という、時代背景の関わりは否定できないものの、関係職域の技法に対する知識の低下と、左官職人個々のアピール不足も要因と考える。

 HPは、昭和から平成にかけ、人知れず、その道一筋に打ち込み、あまり語ることの少なかった真の左官職人の腕前と、明治・大正に施工された土佐漆喰の建築物を取り上げ、20数年間の現場取材を元に、『土佐漆喰の技』を、誰にでも分りよくまとめたものである。

 使用している写真には不鮮明な物が多いが、16年余り以前のVHSビデオ・ソフト画像を、コンピュータ処理によって静止画・JPEG変換したためである。HPが建築職人や研究者・また土佐漆喰に関心のある方に役立てば幸いである。取材にあたり職域の皆さんにご協力を頂きました。心より厚くお礼申しあげます。



・技を育てた施主の存在・

 昔、住宅平面には田の字型とトンボ型があり、間取りを考える基本とされていた。時代や生活様式が変わり、住まいの型は変化をしてきたが、地域によって壁を土佐漆喰で造るという外壁の型は、今でも根強く残っている。

 そうした『外壁の型』は高知県東部に多いためか、土佐漆喰の伝統技法を継承する左官職人も安芸地域に集中している。土佐漆喰は左官技法を高めてきたが、左官職人の高い技法もまた土佐漆喰をより確かな素材にしてきた。
 しかし、そうした職人の知恵や技法・腕前を育てたのは、職人を信頼して、予算をつぎこんだ地域の施主であったともいえる。いま安芸地域に伝統技法が継承されているのは、土佐漆喰を求める施主がいるからである。そうしたことから、土佐漆喰を語るなら、施主たちの存在を見逃してはならない。

△・・・・・平成17年1月追記・・・・・△



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