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岩亀楼があったのは、現在の横浜公園のあたりです(当時は港崎(みよざき)と呼ばれていました。)。
日米通商条約によって横浜が開港されたのが安政6(1859)年6月2日です。それより少し後の6月10に岩亀楼は港崎廓仮宅として開業し、
同じ年の11月11日に港崎廓として移転開業しました。
幕府が開港場に遊廓の設置を認めたのは、駐留する外国人と日本人の間に問題が発生するのを防ぐ意味合いがあったと考えられています。
この港崎遊郭の中で特に目立ったのが、岩亀楼や五十鈴楼であったようです。なかでも岩亀楼の建物はとりわけ豪華で、
「美那登能波奈(みなとのはな)横浜奇談」では、「岩亀楼の家造りは、蜃気楼のごとくにして、あたかも龍界にひとしく、
文月の燈籠、葉月の俄踊、もん日もん日の賑わひ、目をおどろかし、素見ぞめきは和人、異人打ちまじりて、昼夜を分かず」と表現されています。
また昼間には、建物の見学を希望する人からお金を取って建物の内部を案内したりもしていました。
しかし、岩亀楼を含め港崎遊郭は、開業から7年後の慶応2年(1866)に起きた大火災により消失してしまいました。
そして現在、横浜公園の一角には、岩亀楼の石燈籠が置かれているだけで、港崎の名前も遊廓もありません。
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