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<ていねん退職>



以下、現代リマのあるサラリーマンの災難物語です。荒唐無稽なファンタジーの一種、とでもお考えください。
どなたかに読んで頂きたい、というより、やりきれない気持ちを整理し、過去ときれいさっぱり決別したいがために書きました。


…でももしかして、お勤め先で日々辛い思いをなさっている方がこれを読み、
「人間っていうのは、南半球でも同じなんだなあ、しかたないなあ」と笑って下さったとしたら、ちょっと嬉しいです。


1)宿六はいかにしてXP社に入り、そしていかに苦しんだか
2)宿命のひと
3)とつぜんの配置換え、そして「窓ぎわ」へ
4)まさか!の解雇宣告
5)欠席裁判
6)なぜ、よりによって今?
7)『知りすぎた男』
8)それでも私たちは旅に出る…
9)実在するサラリーマンNEO
10)ていねん退職
11)別れの言葉
12)この八年を数行で書くならば
13)災難の効用



1)宿六はいかにしてXP社に入り、そしていかに苦しんだか

 今を去ること九年前、リマっ子である宿六は、某日系商社をとつぜん、同僚の讒言により解雇されました。
 直後に再就職したイタリア系の会社でも災難はつづき(なぜだー)、二か月も給与を踏みたおされたため、やむなく脱出。


 そして(なにが悲しゅうて…という思いは多々ありましたが)前に首を切ってくれた社長の紹介で、緊急避難的に就職したのが、同じくリマにある日系食品メーカーXP社でした。
 (abcを使うとあんまりそのまんまなので、いちおう配慮してみました…)


 XP社では当時求人はしておらず、さいしょ連絡をとった日系人の人事部長からは、電話でたいへんすげなく断られました。
 しかし日本語があるていど達者な宿六は、直接日本人副社長にかけあい、社長面接をとりつけ、結局めでたく就職することとなりました。


 とはいえ条件はまったくめでたいものではなく、商社時代のキャリアとは無関係に、まずは営業最下層に配属されました。
 また当初の月給は商社時代の四分の一ほどで、にゃんと!当時払っていたアパートのローン月額より低かったのです。
 どうやってさいしょの二、三年(=私たちの新婚時代…(T_T))を生き延びたのか、今ふりかえると不思議でなりません。
 リマは霧だけは多いので、かすみを食べて生きていたのかもしれません。(そのわりに宿六さん太ってましたよね、というつっこみは勘弁してください…)


 しかしなぜ、そんな悪条件でも敢えて入社したかというと、二度も続けて勤務先を辞める羽目となった身には、当時の社長の口ぐせ、
 「XP社は家族のようなものですから、正当な理由もなしに社員をクビにするようなことは絶対にありません!」がとてもありがたく聞こえたからです。
 今となっては、苦笑いを浮かべるほかないのですが。


 XP社で宿六は輸出部門に属し、のちのち同社のインスタント食品を中南米二国でトップクラス・ブランドに育てる(それも宣伝費なしで!)など、充実した日々を送りました。
 もちろん取引先からの信頼は絶大でした。
 社内での立場も、四、五年のあいだには改善され、なんとかふつうに生活できる程度にはなりました。
 (副業を持たなければアパートも車も買えず、海外旅行など永遠に無理、というレベルながら、リマでおいしいものを食べて暮らすにはじゅうぶんな給与となりました)


 しかし生活の改善と歩調を合わせるように、ペルー人同僚からのやっかみは、年々ひどくなっていきました。
 入社時に、キャリアに見合わぬ低い立場におかれたせいで、見かけ上、昇進が異常に早い、ということになってしまったからです。
 宿六にとっては、四、五年もかけて、やっと元の場所まで戻ったにすぎなかったのですが。


2)宿命のひと

 とりわけ、さいしょに宿六の面接をすげなく断った部長さんからのいやがらせは、執拗なものでした。
 その人の気持ちも、わからないことはないのです。人事部長だった彼の意見を完全無視し、日本人社長の独断で入ってきた宿六が、目障りでないはずがありませんから。
 しかも運の悪いことには、まもなくその部長氏が、宿六の直属の上司、つまり営業部長となってしまったのです。


 (どうして日本の会社は、こういうわけのわからない配置換えをしたがるのでしょうね?
 オールマイティな人材を育てるため、だとかよく言いますが、会社は小中学校ではありません。人事のプロと営業のプロは、思考回路からしてまったく違います。
 意味のない配置換えばかりしていたのでは、結局すべてにおいて中途半端な、つまりプロフェッショナルではない人材しか育たないと思います)


 宿六は当然ながら、さいしょのうちは、すべての企画をその営業部長に提出していました。
 しかしまもなく、途中で握りつぶされていることに気づき、以後はやむなく日本人副社長(のちに社長に就任)に直接かけあい、どんどん市場開拓を進めていくことになりました。
 それがますます営業部長を刺激してしまったのは、言うまでもありません。


 以来、ことごとにヒステリックにぶつかってきたそうですが、正直ライバルとも何とも思っていなかった宿六は、つねに紳士的に冷静に対応したため、それがかえって営業部長の怒りに油を注いだようです。
 おそらく宿六も、嘘でもいいので一度ヒステリーを起こし、つかみあいの喧嘩でも演じておけば、かえって営業部長とわかりあえたのかもしれません。


 ついには営業部長が、宿六の出張中に営業部の社員をすべて集め、
 「全力をあげてA(宿六)の足を引っ張れ。そして何か後ろ暗いところを探り出せ。もしうまくやったら、私がいずれ人事部長に戻ったときに優遇してやる」
 と約束するところまで、事態は悪化しました。


 宿六は社内でほぼ総スカンの状態でしたが、それでも何人かの共感者を得ており、その人たちが心配して知らせてくれました。(知らせてもらっても困るんですけどね……)
 神経の太い宿六も、これにはさすがに一時ノイローゼになりかけましたが、幸いなんとか乗り切り(私の忍耐に負うところ多し)、その後もきっちり好成績をあげつづけ、きっちり憎まれつづけました。


3)とつぜんの配置換え、そして「窓ぎわ」へ

 しかしその努力がXP社で報われることは、ついにありませんでした。

 おそらく社内的配慮というやつなのでしょう。
 ある日とつぜん輸出担当からはずされ(それが海外の取引先にパニックを引き起こしたことは言うまでもありません)、その後数か月にわたって仕事を干されたのちに、今度はまったく売れない農業用肥料部門へまわされました。


 それでもなお前向きな宿六は、これもひとつの機会と受け止め、ペルーの農業についての勉強を開始。それが非常におもしろかったのですから、人生捨てたものではありません。
 そして見込みなしと思われていた商品のために、有望な取引先を確保、さあ二年目はいよいよ売り上げが出るぞ!…と張り切っていたところで、再び突然の配置がえ。
 理由の説明はまったくなかったそうですが、おそらくはあの人とあの人が、ああいったことを言ったのだろうな、と想像はしております…ああこの世ってむなしいなあ。
 かわりに据えられたのは、社長補佐?的な、存在意義の皆目わからない、お飾り席でした。だいたい今から一年前のことです。


 「これって明らかな窓ぎわで、会社の『なんでもほどほどに』という枠に収まりきらないあなたを、自分からやめさせようと仕向けているつもりなんでしょうね。
 でもこちらに一切非がない以上、サラリーマンたるものあくまで被害者でなければ。ここは持久戦に持ち込みましょう!」
 …などと、離婚相談の弁護士みたいなことを言いつつ、私もずっと宿六を励ましてきました。アホらしくもしんどく、またある意味おもしろくもある月日でした。


 本人もよく耐えたと思いますが、しかし窓ぎわ席におとなしくおさまった後も、つまらぬいやがらせが続いたのには、心底うんざりしました。
 宿六を目の敵にしていた部長氏は、幸い別のオフィスに異動となりましたが、今度は会社上層部がいじめっ子役を果たしてくれたのです。


 たとえば、当初日本人ナンバー2(以下二番氏とします)のとなりだった席を、わざと遠くに移動させられたり。
 あるいは、別部門で理由もなしに退職勧告されたものの、転職先が見つからず社内に残っていた若者を、「暇などうし仲良くすれば?」とばかりに部下として押し付けられたり。
 (その部下君はなかなか教養のある若者だったので、この出会いはまんざらわるいものではなかったのですが)
 まったく五十歳も近くなってから、こんな小学生じみた「いじめ」を経験するとは。


 しかし宿六は、宙ぶらりんの時間も無駄にせず、会社のヒマな時間帯は商売全般についての勉強を進め、またわが家でも着々と独立に向けた準備を重ねてきました。
 なのでそろそろ独立の時期が近付いていることは、自分たちでもわかってはいました。
 その意味では、覚悟はとうにできていた、と言えます。


4)まさか!の解雇宣告

 とは言え、まさか休暇直前に解雇宣告されるとはねえ!

 今年の五月、長い有休を取る四日前、それもわざわざ十三日の金曜日に(もしこれも計画的ならもう脱帽ものですわ)、突然「話がある」と二番氏に呼び出され、そこで伝えられたのは信じられない言葉でした。
 「あなたのキャリアと実力、給料にみあうポストが、社内ではどうしても見つかりません、なので一カ月以内に辞めてもらえませんか?


 寝耳に水の宿六は、それでも平静心を失わず、
 「休暇直前にそんなことを言われても困ります。かねてからお願いしている通り、自分が確実に業績を上げられる輸出部に戻すよう、検討してもらえませんか?」
 と静かに申し出たそうですが、「もう決まったことなのでどうしようもありません。できるだけ早く辞めてください」という、まったく取りつく島のない返事だったそうです。
 (つまり、明確な一方的な解雇宣告でした)


 何カ月も前に、休暇届けといっしょにスペインのビザ申請書類を人事部にお願いしていましたから、数日後に海外旅行に出ることを、先方はご存じだったはずです。
 そんなときに、一会社員が唐突な解雇宣告を受けたら、どんなに困った事態となるか。
 わが同国人たちは、そんなことも想像できなかったのでしょうか?
 「海外旅行を直前にキャンセルし、膨大なキャンセル料を払った上で、休暇を使って仕事探しをすればちょうどいい」、とでも思ったのでしょうか?


 その上、時まさに天下分け目の感のあった、あの大統領選挙の決選直前です。
 しかもその後、大統領は本心不明のウマラ氏に決まりましたから、今はどこの会社もせっせと人員整理をやっている最中です。
 こんなときに、四六歳の中年男を中途採用する会社など、決してどこにもありはしません。
 ふつうなら、これは身投げものの事態です、冗談ではなく!


 これでは、「とうとうさいごまで、周到なまでのいやがらせをする人たちだったなあ」と思われても仕方ないでしょう。同じ日本人として、本当に情けなく残念です。
 社長や二番氏とは、別に親しくはないものの、かといって険悪な関係でもなかったはずなのですが、なぜそんなひどい仕打ちをされなければならなかったのか、宿六もいまだにまったく理解できないようです。


5)欠席裁判

 さて、辞職勧告?が決定された会議では(要は欠席裁判でしたが、これは会議中天井に貼りついていたヤモリから、私がのちに白魔術で聞きだした話です)、「Aさん(宿六)は優秀だから、ぜひ当社に残ってもらったほうがいい」と擁護する意見もありました。
 そう言ってくれたペルー人の部長は、宿六が仕事上ぶつかったことのある人だったので、宿六ちょっと感動しておりました。本当のところだれが真の味方かなんて、最後までわからないものですね…


 いっぽう具体的な反対意見はふたつで、まず、「給料が多すぎる」というもの。

 会社が決めた給料だのに、へんなお話だこと…
 しかもXP社の経営状態は、着実に売れる某化学調味料のおかげで安定しており、少なくともいわゆるリストラ(整理解雇)が許される状況ではまったくありません。
 それにそもそも、多い多いと騒がれるほどの給料では、まったくありませんでした。他の外資系なら、宿六ていどの業績と語学力があれば倍額でも何の不思議もない、という程度です。
 (それでもXP社に長年留まったのは、日系だから少なくとも不当解雇だけはせんだろう、と信用していたからです…)


 もうひとつの反対意見は、「彼は部下に対する要求が大きすぎる。仕事も猛烈に早すぎるし、あれでは部下がついていけんかもしれない…」とのご意見。

 あのー、ふつうそれって、褒め言葉ではないのかしらん。それともXP社は、いたいけな子供たちが通う幼稚園なのでしょうか?
 たしかに宿六の部下への要求は大きく、肥料部門にいたときは部下から反発を食らったこともありました。
 でもその元部下君は、今でもことあるごとに、すでに上司でもなんでもない宿六に相談をもちかけてきています。
 うわべだけの慣れ合い関係より、真剣勝負のぶつかりあいのほうが、はるかに強い絆に育つことだってあるのです。幼稚園じゃあなければね。


 ともかくそんな次第で、結局理由はよくわからないまま、ずるずると「やめて頂こう」ということに決まったようです。
 (というか最初からトップ側では、その流れを設定していたのでしょう)


 ばりばりと仕事したくてならない宿六は、過去一年間、さっさと現場に戻してくれるよう、再三にわたって二番氏に相談していました。
 それに対し、ほんの一、二週前にも、「これからも僕の知恵袋でいてください」という発言があった同じ口からの、事実上の解雇宣告でした。
 さらに二番氏は、「私の力が足りなくてすまない」と付け足したそうですが、どういうわけかこれは、他者のために指一本動かさなかった人が、きまって口にするセリフです。


6)なぜ、よりによって今?

 辛うじて私たちが持ちつづけていた、XP社に対する信頼と敬意は、かくして一瞬で消え去りました。こうなったらいっときも早く縁を切るばかりです。
 もちろん、正当な理由なしに解雇宣告を受けた場合、べつに辞める必要はなく、会社に居座りつづけるという選択肢もあります。
 でももうこれ以上、不毛な月日はごめんです。そこで四の五のいわずに、すぐ退職条件の交渉に入りました。


 XP社側から提示された退職金は、こんなひどい事情があるのに、法定ぎりぎりの一年分のみでした。
 そこで、業績と勤務年数に配慮し、三年分を出すよう要求しました(二年分が妥当な落とし所であろうと判断した上で)。
 それに対し、「一年分なら他の日系企業への紹介状も書く。でももう少し出す場合は紹介はできない」というわけのわからない口頭での回答があったところで、休暇に入りました。


 休み前のさいごの出社日は、緊急で早退して歯科に行くことになりました(海外旅行直前にこんなことがあれば、さすがに歯くらい痛み始めます…)
 そこで朝いちばんで二番氏に報告したところ、「退職条件の話し合いは、どうしてもその『歯医者の時間』にしかできない! 調整してください!」と怒鳴られたそうです。
 宿六は怒りをおさえ、すぐ歯医者さんと相談しましたが、人気の歯科ゆえ旅行前にほかの空き時間はありません。


 そこでメール報告の上、夕方ぎりぎりまで二番氏を待ったものの、ずっと社内で行方不明だったため、そのまま退社、歯科に向かいました。
 するとその晩、「今日、あなたが私の許可も得ず、勝手に早退したことをたいへん残念に思います。では良い休暇を!」とのメールが、ご丁寧にも社内関係者全員へのコピーつきで!送付されてきました。


 まったくこれは呆れたお話で、宿六は管理職でしたから、出社・退社時刻はもともと自由でした(実際には定時の出社・退社を守っていましたが)。
 またそうでなくても、社内規定では病院等へ行くためやむなく遅刻・早退することは、回数の限度つきで認められています。
 健康にかかわることですから、あとから診断書を提出すればよいことになっており、その場合は報告さえすればどなたの「お許し」も頂く必要などないのです。


 またそれ以前の問題として、契約関係の終了方法について話し合う場では、上下関係は一切ありません、双方は完全に対等です。
 偉そうに怒鳴って解決できることではないのです。


 …なぜこんな細かいことを今さら書くかというと、このとき私の心に、ひとつの疑問が浮かんできたからです。
 信じられないほど恩知らずな仕打ちを受けた宿六のほうは、ごく冷静に紳士的に対応しているのに、なぜ「首切りをしようとしている側」が、こんなにあせり、いらついているのだろう…?
 そもそもがなぜ、「今」のタイミングでの解雇なのだろう……?


7)「知りすぎた男」?

 日本人トップ二名は、近々帰国し、次の日本人トップがやってくると風のうわさに聞きました。
 XP社はいちおう独立会社の形をとっていますが、実態は日本のX社のブランチにすぎず、代々の社長は単なるサラリーマン社長です。
 だからどんな人が来ようと、大した変化はなさそうなものですが、実際は社長しだいで大きく社内の雰囲気が変わります。


 たとえば前代の社長は(私はどの社長とも会ったことはありませんが、宿六の話から判断するに)、威圧的な社長臭は皆無の、現地社員とも熱心に意志の疎通をはかるたいへん珍しい人で、スペイン語が堪能な上に経営センスにも優れ、その人の数年間は宿六も市場開拓に邁進でき、とても充実した日々でした。
 しかしその後社長が交代すると、社内の雰囲気はガラリと変わりました。
 次代の社長は社員に顔を見せることすらめったになく、どうやらその方にとっては「降ってわいた災難」だったリマ勤務を、とにかく事勿れ主義でやりすごそうとしている、という印象を(勝手ながら)私は受けました。


 そういうトップなら、本来わざわざ帰国辞令が出てから、双方に痛みを伴う首切りなどするはずがないと思うのです。
 たしかに当時宿六は仕事を干され、妙なぐあいに宙に浮いた形になってはいましたが、業績にはキズ一つありませんし、ましてや会社への背信行為など一切ありません。
 また会社に貢献していない高給取り部長は、ほかにも多数おられるわけですし、宿六を肩書きだけの社長相談役としてそのままおいておき、あとは次代の判断に任せる、ということでもまったくかまわなかったはずです。
 それなのに、なぜよりによって今、社長交代前に大あわてで…という形で首を切られなければならなかったのでしょう?


 他の管理職と宿六のいちばん大きな違いは、おそらく語学能力です。
 ということは、もしかすると、次期社長に日本語でべらべら喋られては困るようなことを、宿六は知っているのじゃないかしら……?
 (前の商社のときも、要は日本語がよくわかり、いろいろ知りすぎていたせいで、辞めさせられることになりましたから。
 人生で遭遇する災難って、なぜか同パターンを繰り返すものですし)


 宿六を他の日本企業へ紹介することを、へんに日本人トップ二名が避けたがったわけも、そのことを考えるとちょっとわかるような気もします。
 ペルーに来てから、こういう解雇の実例を何度か見てきましたが、落ち度のない社員を切る場合、XP社以外の社長はみな、転職先探しにたいへん親身になっていました。
 それは法律的な義務ではありませんが、人間としては当然の義務だからです。


 どちらにしても、私たちにはもう何の関係もないことで、これ以上思わせぶりなことを言うつもりもありませんが、あまりに唐突な話でしたから、詮索もしたくなるというものです。
 いずれにしてもこういうことは、関係者がどんなにひた隠しにしても、たいてい数年後には自然と真の理由が明るみに出ます。そのときを楽しみにしようと思います。


8)それでも私たちは旅に出る…

 そんなしだいで、ある意味覚悟はとうにできていたとはいえ、休暇直前のクビ宣告には、さしもの災難慣れしたわたくしも、一時的にうろたえました。

 でも計画していたモロッコ・スペイン旅行は、それはそれとして満喫することに決め、実際そうしました。
 (サハラ沙漠のはしっこで、駱駝の長い顔を見ていたら、すぐちっぽけな不快感など吹き飛びました。…その不快感、帰国後にまたぜんぶ回収させられましたけど!)


 ただ宿六はそうも言っていられませんから、旅行中も毎晩仕事を進め、グラナダにて初売り上げを記録。(えらい!)
 予定外の急発進を強いられた独立ではありましたが、なかなかわるくないスタートを切ったと思います。


9)実在するサラリーマンNEO

 さて旅のあと、三週間ぶりに出社してみると、なにも社内での調整は進んでおらず、退職金についても相談がまとまっていない、というのでびっくり仰天。
 私たちにとり、XP社はすでに単なる過去の痛い思い出と化しているのに、会社側は「では回答は二週間後くらいに…」などと悠長なことを言うので、さすがにそこは強く抗議。
 もう勘弁してくださいよ〜


 そのとき二番氏が言うには、「僕の考えでは、退職金は二年分は無理、たぶん一年半分くらい」とのことでした。
 しかし翌日になると、その同じ口から、「一年三カ月分しか出せません、そういう前例がないので」との回答を受け取りました。
 きのうと話がずいぶん違いますね、と指摘すると、「僕の会社ではないので責任はとれません!」とのお返事だったそうです。いやはや。


 しかしこのすばらしいお返事のおかげで、これ以上交渉を引きずっても時間の無駄、と悟ることができました。
 わが家の経理士・弁護士と相談のうえ、その日のうちに即決、出社はあさって金曜まで。
 なので今週中に退職金を振りこんでください、と告げに行くと、人事部長からまた驚きの発言が…
 「え?もう決めたんですか?! ずいぶん早かったですね。でもうちの会社、いま現金、ないかも………」


 ああ…orz
 宿六はNHKの「サラリーマンNEO」が大好きで、毎週欠かさず見ていますが、あれはたぶん、ぜんぜん作り話ではないんでしょうね。もはや何をかいわんや、です。



 …ところがまだ続きがあったのです。
 その晩送られてきた契約書のラフをみると、本来「正当な事由なき解雇」であるはずが、「双方の合意による退職」にすりかえられています。これは非常にカチンときました。


 退職をめぐる交渉のあいだ、会社側が頑として文書化を拒んだこと。(もっとも宿六は会話はすべて録音し、万一に備えていましたが)
 さらにこの日二番氏が、「もし退職条件に同意できないなら、このまま会社に残ってもらい、我々もなんとか方法を考えるというオプションもありますが…」などと、今さらぬけぬけ言ったと聞いて、「ははん、これは解雇じゃなくて合意の退職に持ち込む気かな」といやな予感はしていたのですが、まさかほんとにやるとは思いませんでした。


 「正当な理由のない解雇」の場合、退職金はいわば慰謝料として支払われるので、宿六の側では1.5カ月×勤務年数分(宿六の場合約12か月分)の給与を限度として、税金を払う必要はありません。
 しかし「合意による円満退社」の場合は、28%もの税を負担しないとならないので、たとえ色をつけて15ヶ月分もらったとしても、慰謝料12カ月分より手取りが少なくなってしまう、というばかな結果になります。
 いっぽう会社としては、理由のない解雇の場合、一カ月だったかは元社員から訴えられるリスクが残り、また国から調査を受ける場合もあるため、厄介を避けたい気持ちはわかるものの、こちらとしては釈然としません。


 そこで翌日、人事に説明を求めると、しらばっくれてこう言うのです。
 「えっ、われわれはあなたを解雇なんてしてませんよ! でももし合意の退職はできない、というならかまいません。そのかわり一週間後にあなたを解雇するか、数カ月後になるか、それは一切わかりかねます」
 ああ、もはや腹もたちません………


 これ以上むなしい交渉を長引かせ、今では微塵の敬意も感じられない場所で、時間をつぶす気持ちにはなれません。これからはまさに一刻千金なのですから。
 また経理士君に相談したところ、新たに会社を作れば起業支援として正当に退職金の税が免除される、とのこと。
 もちろんそれだって、それなりの費用と手間と時間がかかりますが、なにもしないよりはマシです。
 そこで会社側からの回答通りで手を打つことになりました。


 でも納得はまったくしていません。日本の大会社たるもの、せめて堂々と、正当事由の全くない解雇であることを認めるべきだったと思います。
 なぜこんなみみっちい、卑怯なまねをしたのか、私にはまったく理解できません。日本であれば、民法96条あたりに抵触しているのではないでしょうか。
 ペルーの民法は知りませんが、こんな風に社員を崖っぷちに追い込んだ上で、「取るか捨てるか」的決断を迫るのは、当地でも許されるはずはないのです。


10)ていねん退職

 XP社の人事部の言動には、これまでもあまりのことに、ほとんどユーモアすら感じるときがしばしばありました。

 たとえば以前は、月二回ペースで隣国コロンビアへ出張していた時期があり、かの地の爆弾事件にニアミスしたりで、ずいぶん怖い思いをさせられました。
 しかしXP社側では、日本人社員の扱いとは大ちがいで、現地社員には保険すらかけてくれません。
 そこで人事部に、万一の際はどうするつもりか問いただすと、こう言ってのけたのです。


 「それならだいじょぶですよ!もし爆弾事件に巻き込まれる等、万一のことがあったら、すぐこちらに電話してください。
 そしたら必ず悪いようにはしませんから」


 そりゃきっと本当に、悪いようにはしないつもりだったのでしょう。
 でもね、爆弾事件に遭遇し、直後に自分で電話できるくらいなら、さいしょから人事部に助けてもらう必要もなさそうですよ……


 今回の首切り騒ぎをめぐっても、思わず立場を忘れてほほえんで?しまうようなことばかり。
 しかしともかく、やれやれこれでやっとカタがついた、お笑い人事部ともついにお別れね、と喜んでいたのですが…


 まだ続きがあったのです(笑)

 本当にもう会社ってとこは何を考えているんだか、「キリがいいから月末までいれば?」というのを断固拒否、やっとの思いで六月十日(金)(奇しくも母の誕生日)まで出社してジ・エンド、と決まりました。
 しかし退職金の支払いは、事務の都合で翌週の火曜になるとのこと。
 それは別にいいのですが、そのあとがふるっていました。


 「ついては、あとで改めて受け取りをもらうのも面倒なので、いま契約書といっしょに、退職金の受け取りにもサインしといて下さい」ときたものです!

 十五か月分の額面給料の受け取り、ですよ? いくら業界屈指の薄給とはいえ、ショミン(いやな言葉だ…)にとって小さな金額ではありません。
 ええかげんにせーよ………


 もちろんその場ではサインしませんでした。(私は全人類に問いたい、はたしてこの状況下でサインする馬鹿がこの世にいるでしょうか?)
 そして翌週、あたりまえですが退職金は支給され、そんなしだいで、「会社側からの圧力で無理矢理に円満を取り繕った退社」ということにあいなりました。
 わが家ではこれを、ていねん退職(ていねんは諦念と書く)と呼んでおりますけれども。


 ありがたくも業績不相応に少額な退職金は、今後の状況しだいで、郊外の家に投資するなり事務所(うんと小さいの)買うなりに、ぱ〜っと使うつもりです。
 死んでもジャガイモだのお米だのの生活費には使いません。


11)別れの言葉

 さいごの日、宿六は社長と二番氏に呼び出されたそうです。
 社長は、「あなたのように優秀な方は、当社などやめたほうが、すぐにもっと良い勤務先が見つかり、もっと収入も増えるでしょうから…」等々と、根拠もなければ心も籠らないお餞別の言葉を下さったとか。
 きっとご自分でそう信じたかったのでしょうね。でもまもなくウマラ政権が始まるペルーの現実は、そんなに甘くありませんよ。


 また二番氏は二番氏で、中南米二国で宿六があげた業績を感謝した上で、贈り物として一冊の本を手渡そうとしたそうです。
 宿六はもちろん丁重に断りましたが、いったい何の本だったのか、笑い話のタネにタイトルだけでも知りたかったです。『サルでもできる転職』みたいなハウツー本かな、きっと。


 とにかく私がぜんぜん理解できず、同時に深い怒りを感じるのは、ここまでいやなことをしておいて、どうしてそんな風に良い人ぶるのか?ということです。
 私はそういう小ささ、というのがこの世でいちばん嫌いです。
 自分の信ずるところがあっていやなことをしたのなら、最後まで堂々といやな態度を通せばいいではありませんか!


 異国暮らしなどしていると、こちらが持っている有益な情報やコネだけ受け取ると、あとは見向きもしない、という同国人とけっこうよく遭遇してしまいますが(宿六の商売上でも何度かひどいめにあいました)、でもそういう徹底した図々しさには、私はちょっと敬意を抱くのです。そこには何か、学ぶべきものがあるからです。
 でも今回の同国人たちの対応には、そういうある種のすがすがしさすら皆無でした。
 とことん自分たちの都合しか考えておらず、けちくさい上に、なぜか良い人ぶろうとする…


 まったく、このお国(日本国)の大事に、無益に外国人の軽蔑を買うようなことばかりして、いったいどういうつもりだったのでしょう。
 あの大震災の映像をまのあたりにして、「真摯に日々を生きることの価値」に、日本人は揃って気づいたのではなかったのでしょうか?


12)この八年を数行で書くならば

 こまごまとした、それだけに腹にすえかねることが多々あって、さいごの一週間は本当にしんどい日々でした。
 でもこちらが大人になって苦杯を飲まない限り、これからもあのぬるま湯のような日々が続いたわけですから、正しい決断だったと思います。
 こういう不愉快な形で終ることになったのは本当に残念ですが、考えてみるとその原因は入社当時にさかのぼるので、やむを得なかったとも思っています。


 だいぶ前に日本のテレビで、女性派遣社員同士の確執を取り上げていたことがありました。
 新しく派遣されてきた女性が、はりきって熱心に働いていたところ、先輩格の派遣社員たちに呼び出され、「あなたがそんな風に一生懸命働くと、私たちが迷惑するのよ!」とすごまれた、という怖〜〜いお話でした。
 宿六の災難は、かんたんに言うとそういうこと、でした。


 さらに、日系人同士のきわめて難しい関係、というのもありました。
 純粋に日本人だけの血を引く日系人(見た目は日本人と変わらない日系人)、それも年配の方の中には、宿六のように日本人の外見を持たない日系人を理由もなく軽蔑する人たち、というのがおられるのです。
 これまた宿六のアホらしい災難と深く深くかかわっているのですが、デリケートなテーマだけに、いずれよく整理した上でご紹介したいと思っております。


13)災難の効用

 さて、こうして縁を切ることになった会社について、悪口…いえ悪口ではないですね、事実の叙述ですから…だけを並べて終りにはしたくありません。

 私たちは遠からぬうちに、リマ郊外の地所に果樹をたくさん植え、まずは週末だけでもそこで暮らしはじめるつもりです。
 そういう田舎生活にふさわしいおおらかさ、寛容さを、これからは少しでも身につけたいと思います。
 そこでXP社に八年勤務して良かったことにも、少し触れておきたいと思います。


 入社当時、新人研修として調味料販売員に同行し、リマ各地の庶民的な市場めぐりをしたのは、貴重な経験でした。
 それまでは商社の、巨大な雲をつかむような商売しか経験がなかったのですが、このときに地道に足で稼ぐ商売(=商売の本来の姿)を販売員のみなさんから教えてもらいました。
 またそのおかげで、リマの本当の消費者像がどんなものか、具体的なイメージをつかむことができたと宿六は言っています。
 あとから聞くと、ほかの社員はだれもそんな研修を受けていないそうです。これは非常にもったいないと思います、あれはとても良い研修プランでした。


 また中南米の、まったく白紙だったマーケットの開拓をまかせてもらったのも、宿六にとっては非常に役立つ経験でした。
 当時XP社に海外新規取引のノウハウはなく、商社時代の経験を生かしつつゼロから積み上げていくほかなかったのですが、それが返って良かったのです。
 自分に一番むいている仕事がどんなものか、ここで初めて知ることができました。
 あのとき取引先として出会った人たちは、みなさん宿六のアグレッシブな仕事ぶりに共感してくれて、今なお連絡を密にとっています。


 そしてこれからはひとりの商人として、彼らとの新たなおつきあいが始まります。というかすでに始まっています。
 だからやっぱり、いろいろ心の底から辛かったとはいえ、XP社での八年あっての今、なのです。
 それはすなおに運命と、それから最初に人事部の大反対を押し切って採用を決めて下さった(それが禍根となったのも事実ながら…)、当時の社長と副社長に感謝したいです。

******

 いま宿六はXP社に対し、当然複雑怪奇な思いを抱いてはいますが、そのいっぽうで、こうして縁が切れたことに、正直喜びも隠しきれないようすです。
 こんなことでもなければ、私はあと数年は独立を認めなかったと思いますから。


 毎日上機嫌で、早朝から深夜までばりばりと音がするほど仕事していますが、今回受け身に徹するほかなかった私のほうは、強烈な疲労感におしつぶされております。
 (昔はいちおう「苦労知らずの箱入り娘」を自認してたのに、いつのまにこんな、災難自慢キャラみたくなったのよ、という感慨もあり…)
 ただ、災難のたびに運命が大きく好転してきたのは事実ですから、今回もそうなると信じて、なんとかそろそろ私も立ちあがります。


 こういう定収入がなくて先が読めない状況は、私には耐えがたいものの、宿六のような人間にとっては最高の舞台です。
 とりあえず一年ほどは、教育ママの私も長いクチバシをさしはさまず、存分にやらせてみようと思います。
 そして私は、ウマラ政権下で大いに立ち上りそうな世塵を避けつつ、ますます殻にこもって自分の世界を掘り下げていこうと思います。


(2011年7月7日記)

この文章は限りなく現実に近いフィクションであり、実在の人物・団体等とは一切関係がありません。

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