たけの音楽小考

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1.「私のモーツァルト」


一日の仕事を終え居間にくつろぐとき、そして今夜はどの曲を聴こうかあれこれ考えるとき、音楽の人に与える至福の時間にはいつも 感謝せずにはいられません。この選曲の時点で、気持ちの準備・今晩のイメージが出来上がるので、この段階がすでに序奏でしょう。 そして選曲が済み、本来の序奏が始まります。

その昔、アダムとイブの子孫であるユバルが天上から貰ったという音楽も、人々の歴史を通して姿を変え、あるものはすぐにすたれ、 またあるものは永く人々の心の内に住み続けています。いったい何がその中断と継続を分けるのでしょう。その時代々々の人々の心に 触れる何かが常に存在しなければ継続はあり得ないはずです。普遍性という表現は平凡すぎる気がしませんか? そう考えると現在に 伝わる多くの音楽には、重すぎるほどの人間の歴史を感じてしまいます。

さて、今に名を残す多くの音楽家の中で、私にとってのモーツァルトは他の作曲家からは一段高い次元に存在しています。あなたにとって 一番感動する曲は何ですかと問われれば、ちょっと迷ったふりをして、でもはっきりとモーツァルト、そして彼の「レクイエム」と答える でしょう。この「レクイエム」は「音楽の果物」を凝縮したような曲だと思います。ここで「音楽の果物」とはいったい何でしょう。 ちょっとキザですが、それは「優しさ、いたわり、励まし、喜び、希望、勇気、気品・・・」、などと思っています。彼の絶筆となった 「レクイエム」は、死期に近づいた天才のその最後を飾るにふさわしい、力強さを秘めた深遠な祈りに似た曲だと思います。

モーツァルトの作品群のなかで、他の優れている作品を列記するとなると、この選択はもう不可能としか言いようがないと思います。 ピアノはソナタ、協奏曲のどちらもその質と量に圧倒されてしまいますし、声楽も特に宗教音楽に多くの秀作があります。小品ですが、 「アヴェ・ヴェルム・コルプス」のあの深い静けさと安らぎには、一人の天才の魂が苦悩の末に到達した永遠の平安を感じさせるものが あります。その他、室内楽、シンフォニー等、枚挙にいとまがありません。でもあの「レクイエム」の光輝を放つ透明な美しさは どこから来るのでしょう。特に「レクイエム」はそうですが、彼の宗教音楽には何かの片手間に聴くなどという安易な態度を許さない 気品・高貴さがあります。ベートーベンが驚異の人間業で音楽の世界を創り上げたのなら、モーツァルトは天上の音楽をありのままに 人間界に伝えているのではないでしょうか。ベートーベンが天才なら、モーツァルトは奇跡です。

モーツァルトの本質は短調にあるのではないでしょうか。曲数からいえば長調のほうが多いようですし、その明るさ、華麗さで彼を表わす 場合がほとんどのようです。フォアマン監督の映画「アマデウス」(1984年)でのモーツァルト像はさておき、彼がウィーン的華麗さ を持ち合わせていることは紛れもない事実です。でもそれが彼の本質であるかとなると、何か違和感を持ってしまいます。その違和感は、 彼の短調の曲があまりにも美しいことからくるのでしょうか。心底からの明るさとは苦悩の末にたどり着くものかも知れません。 真の楽観とは悲観の果てに存在するものなのかも知れません。

とは言いつつ、モーツァルトの明るい面もどんどんエンジョイしましょう。今夜は「ハフナー・セレナード」でも聴きましょう。 メニューヒンのバイオリンはいいですね、品があります。この曲を聴くときのパートナーはやはりブランデー、これで今夜も夢心地に なれそうです。




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