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◆戦争の統計
ハワイ真珠湾攻撃の経緯と戦果
真珠湾の写真
沖縄戦の統計
連合軍捕虜
特攻機の戦果
太平洋戦争の米商船被害
◎当ページは,宣伝用アフェリエイトを使って書籍画像付情報を提供しています。

沖縄戦と民衆
:林博史


曽野綾子著


 
チビチリガマの集団自決―「神の国」の果てに



母の遺したもの:沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言



証言・沖縄戦集団自決



ざわわざわわの沖縄戦 サトウキビ畑の慟哭:田村洋三


 
ガマに刻まれた沖縄戦


 
沖縄戦の真実と歪曲



船舶特攻の沖縄戦と捕虜記



特攻に殉ず―地方気象台の沖縄戦



戦場の「ベビー!」―タッちゃんとオカアの沖縄戦



沖縄戦の記録 日本軍と戦争マラリア


沖縄一中 鉄血勤皇隊の記録



日本最後の戦い―沖縄戦記録写真集



島の風景―少年の心に記録されたもうひとつの“沖縄戦”



ずいせん学徒の沖縄戦



八月十五日の天気図―沖縄戦海軍気象士官の手記



いのちの重さ伝えたい―沖縄戦1フィート運動






ショア:ユダヤ人虐殺の証言

戦場のピアニスト

TOKKO

出口のない海


語られざる特攻基地・串良 生還した「特攻」隊員の告白/桑原



「特攻」と日本人:保阪正康



重爆特攻さくら弾機―大刀洗飛行場の放火事件



戦艦大和図面集










難民キャンプの子どもたち





図書館への道 ビルマ難民キャンプでの1095日









緒方貞子の回想



難民に眼鏡を


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削除された違法website1:鳥飼研究室を誤読・非難した違法ページ
鳥飼行博 東海大教授 重慶南京虐殺 画像捏造者
捏造犯を追い詰める。重慶虐殺、南京虐殺 ねずさんのひとりごと
捏造犯を追い詰める 3 南京重慶淮海虐殺 ねずさんのひとりごと
捏造犯を追い詰める 4 重慶虐殺、南京虐殺 ねずさんのひとりごと
捏造犯を追い詰める 4 重慶虐殺 ねずさんのひとりごと...
南京重慶虐殺記録 平津 - YouTube


削除された違法website2:鳥飼研究室を誤読・非難した違法動画集
【動画集】南京大虐殺は存在しない。元日本兵たちの証言を記憶せよ。急げ!時間はもうあまり残されていないNanjing Massacre (南京大虐殺 난징대학살): 2012年10月17日
【動画集】南京大虐殺は存在しない。元日本兵たちの証言を記憶せよ。急げ!時間はもうあまり残されていないNanjing Massacre (南京大虐殺 난징대학살): 2012年10月17日
【動画集】南京大虐殺は存在しない。元日本兵たちの証言を記憶せよ。急げ!時間はもうあまり残されていないNanjing Massacre (南京大虐殺 난징대학살): 2012年10月29日更新

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の違法ブログ
ねずさんの ひとりごと(2012/10/19)重慶空爆被災写真は捏造写真
当研究室を誤読・非難した違法ブログ執筆責任者のコマーシャル
大和食研社長テレビ出演(2004年):ねずきちさんの勝負キャンディ販売、大和食研株式会社小名木伸太郎社長テレビ出演(2008年)、日本の心をつたえる会代表・小名木善行,ミリアのブログ:かぐやひめさんの「日本の心をつたえる会」からの自主退会



◆平和と人権の確立に向けた環境平和学
1.世界の人々が協力し持続可能な社会を目指すには,過去の戦争を踏まえた平和人権の視点も必要だと考えます。
2.SNS、マスメディアによるプロパガンダに対抗してメディア・リテラシー,平和を望む市民の知性を重視します。
3.戦争俗説,戦争必然説を動員,総力戦の主体は誰かという視点で再検討します。
4.過去に無知であれば,過去を恐れるあまり,それを認めることも受け入れることもできません。劣等感を抱いて、虐殺はなかった、捏造だと嘯くか、陰謀だ、洗脳だと他人に責任転嫁するだけで終わってしまいます。このような歴史的責任を逃れようとする姿勢は,妄想をたくましくして,未知の歴史の亡霊を恐れ怯えた結果うまれたものです。
5.冷静に歴史を知り,殺された人々やその家族の苦しみや憎しみ,殺した人々の苦渋にも思いを馳せることで,真の姿が見えてくるのではないでしょうか。錯誤や罪の範囲だけでなく光明が見えるようになれば,どんな過去でも恐れることはないのです。


◆歴史はイデオロギー、愛国心など世界観、価値観と結びついており、国民全てに画一化した歴史観を植え付けるとは不可能です。個人の抱く認識は多様で、歴史的事実を価値判断なしに叙述することも困難です。
◆私たちは弱い存在ですから、理解しきれない歴史的事実に直面すると、忌まわしい、思い出したくないと感じます。日本の美しいが汚された、日本人は洗脳されたと亡霊に怯える人も出てきます。しかし、歴史に亡霊は存在しません。亡霊は、歴史に対する怯えやプロパガンダが作り出した虚構の存在です。亡霊を恐れる必要は全くないのです。
 
玉砕戦と特攻作戦Kamikaze Sucide Attack

【アッツ島玉砕】Aleutian Islands Campaign玉砕第一号・キスカ島撤退
【タラワ・マキン島玉砕】Tarawa
【サイパン島・テニアン島玉砕】Saipan
【神風特別攻撃隊】Kamikaze特攻第一号?関行男大尉、大西瀧治朗中将
【沖縄特攻「菊水」作戦】Okinawa練習機「白菊」/水偵の特攻
【特攻兵器「回天」「桜花」「震洋」】Kaiten
『開戦劈頭の特別攻撃隊』Midget submarine特殊潜航艇の奇襲
【人間爆弾「桜花」】Human BombMXY-7戦歴
【陸軍海上挺進隊・海軍水上特攻隊】Suicide boat 陸軍マルレと海軍「震洋」
『陸軍の特攻』レイテ戦の九九双軽・飛龍
【ハワイ特別攻撃隊】Hawaii九軍神と甲標的
『最後の特攻兵器』Human Torpedo特殊潜航艇「蛟龍」「海龍」特殊攻撃機 キ115「剣」
【特攻作戦の崩壊】Tokkou:特攻機の戦果
【特攻戦果・被害の統計】
『文化人の玉砕戦』藤田嗣治と横山大観
【特攻と自爆テロ】Terror:真珠湾と9・11テロ
【石原慎太郎『俺は君のためにこそ死ににいく』中国論評】「特攻の母」富屋の鳥濱トメ
【特攻隊員と学徒動員】出陣壮行会・勤労奉仕
【特攻基地知覧と知覧高女なでしこ隊】群青
カミカゼ・特攻Link

中国との戦い

Sino-Japan War 1937-1945

【列強の中国認識】義和団事件以降の米中接近
【第一次上海事変】海軍特別陸戦隊と与謝野鉄幹の爆弾三勇士
【盧溝橋事件】Sino-Japanese War:日中戦争
【盧溝橋・南京大虐殺の序章・要旨】Summary:Sino-Japanese War
【西南聨合大學の抗日戦争】
【近衛文磨の暴支膺懲】Fumimaro Konoe:國民政府ヲ對手トセズ
【南京事件】Nanking Massacre:便衣隊
《日中戦争の本》
《南京事件の本》

アジアでの戦い

Asia's War

【アジアの人種民族差別 】Genocide
【ノモンハン事件】Khalkhin Gol: 日ソ戦争
【フライングターガーズ】Flying Tigers
【シンガポール攻略とインド国民軍】Singapore:山下とボース
【インパール作戦】Imphal:第31師団佐藤幸徳中将
【ビルマ撤退】Burma:敗走

日米戦争

Pacific War 1941-1945

『アメリカ義勇軍』American Volunteer Group
【日米交渉】Hull note:帝国国策遂行要領
【開戦前夜の東京湾における触雷 】Naval Mine
【ハワイ真珠湾奇襲攻撃】Attack on Pearl Harbor
【真珠湾攻撃の経緯と戦果・損害一覧】
【東京初空襲・ドーリットル】Doolittle Raid
【レイテ決戦】Leyte:マッカーサーと山下
【米国商船の損害一覧】
【沖縄戦と住民】Okinawa:鉄血勤皇隊
【反日プロパガンダ】Propaganda
【マリアナ沖海戦】Battle of the Philippine Sea
【レイテ沖海戦の戦艦「武蔵」】
【日本本土空襲】B-29:都市無差別爆撃
玉砕戦の本
【広島・長崎への原爆投下】Atomic Bomb
【日本の原爆開発】Japanese Nuclear Weapons :仁科芳雄
原爆の本
【昭和天皇の聖断】Potsdam Declaration:終戦

沖縄の戦い

 Battle of Okinawa 1945

 
沖縄戦

【沖縄地上戦】Okinawa:バックナーと牛島
【伊江島の戦い】Iejima Island Invaded
『沖縄戦の住民と軍政』Okinawa軍民共生共死
《沖縄戦Link》
【沖縄戦の住民集団自決】Kerama
『沖縄への航空特攻』
集団自決の本
【学童疎開船「対馬丸」遭難】
【戦艦「大和」天一号海上特攻】The Yamato
【沖縄戦の統計】

総力戦における動員

 Total War & Mobilization

ヴィシー外交官シャネル

【米国の労働者動員】Mobilization
【米国の戦時ポスター】War Posters
【米国の反日ポスター】AntiJapan Posters
【アメリカ軍の兵士動員】War Mobilization
【アメリカの産業】
【アメリカの豊かな戦時生活】Way of Living
【戦争プロパガンダ】Propaganda
【イタリアのファシズム宣伝】Italian Posters
【ヴィシー政府・フィンランド・ノルウェーの戦争】対独協力
【ドイツのプロパガンダ】Propaganda
【連合軍捕虜】POW:捕虜収容所
「資本進出と経済介入に関する一考察 : 日本の朝鮮経営,ODA,海外直接投資,コンディショナリティーの功罪を巡って」

WW2 欧州戦線

 War in Europe

 
ヒトラー 【ナチ党ヒトラー独裁政権の成立過程】NSDAP
【ナチスの人種差別・再軍備】Racism
【イギリス戦時内閣チャーチル首相 】Winston Churchil
【ポーランド侵攻】Invasion of Poland
【フランス侵攻と反共義勇軍】Vichy France
【バルカン侵攻】Invasion of Yugoslavia
【フサイニのムスリム武装親衛隊】Muslim Waffen SS
【ソ連侵攻バルバロッサ作戦】Unternehmen Barbarossa:赤軍
【クリミア・セバストポリ攻防戦】Crimea
【スターリングラード攻防戦】Battle of Stalingrad
『ホロコースト:ユダヤ人絶滅』Holocaust
【ヒトラー総統:独裁者・扇動者・殺戮者】Hitler
『白バラ通信レジスタンス』White Rose resistance:ショル兄弟
【ヒトラー暗殺未遂事件】Valkyrie:July 20 plot:シュタウフェンベルク
【ワルシャワ・ゲットー蜂起】Warsaw Uprising
【ヒトラーの最期】The Last Days of Hitler
【ホロコースト参考文献】

女性と戦争

 Women & Total War

 
ハンナのかばん

【イギリス女性の戦争】Women at WW機WW
『アメリカ女性の戦争』Americam Women 
『アンネ・フランク』Anne Frank
『ハンナ・セネシュ』Hannah Szenes:ユダヤ少女コマンド
『与謝野晶子』
『日本とヘレンケラー』Helen Keller in Japan
『ヘレンケラー生い立ち』BIO:Helen Keller
『マザーテレサ』Mother Teresa

兵器開発と戦歴

Weapons & Peace Maker

男たちの大和

『撃沈された戦艦「武蔵」発見』
『B-29爆撃機の東京大空襲』
【特攻兵器「回天」「桜花」】
【海軍航空技術廠MXY-7「桜花」】:神雷部隊野中五郎少佐
【突撃艇「マルレ」「震洋」】:陸海軍の特攻艇
【特殊潜航艇「甲標的」】:特別攻撃隊九軍神
【特殊潜航艇「蛟龍」「海龍」と特殊攻撃機キ115「剣」】
零戦Link(海軍搭乗員もレイセンではなくゼロセンと呼んだ)》
【アメリカ軍M3スチュアート/グラント中戦車】M3 Lee・Gurant/Stuart Tank
【アメリカ軍M4シャーマン中戦車】M4 Sherman Tank
【M4A4シャーマン・ファイアフライ戦車】Sherman Firefly Tank
【米軍シャーマンクラブファイル地雷除去戦車】Sherman Crab Flail
【英軍ファイアフライ/M10ウォルブリン/アキリーズ自走砲】Firely/Wolverine/Achilles Tank
【イギリス軍マチルダ/バレンタイン歩兵戦車】Matilda/Valentine Tank
【イギリス軍クルセーダー巡航戦車】Crusader Cruiser Tank
【イギリス軍チャーチル歩兵戦車】Churchill Infanty Tank
【英軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車】Cromwell/Challenger/Comet
【ドイツ装甲師団の戦車】Panzer 38(t) PzKpfw III
【ドイツ軍の半装軌式装甲車】Sd.Kfz. 250/251
【ソ連赤軍の戦車】T-26,KB-2,T-34
【ドイツ空軍写真集】He-111,Ju-87,Me-109
【V-2弾道ミサイル】 V-2 Rocket
連合艦隊Link

平和・人権と戦争論

 Peace & War

少年兵

【平和・人権と戦争(1):現代の問題】:難民,軍縮
【平和・人権と戦争(2):世界大戦】
【寺内寿一陸相と浜田国松の腹切り問答】統帥権独立・昭和の軍閥
『ナチ党の人種民族迫害』Weimarer:ワイマール共和国
【ナチスの優生学】Nazism & Eugenics)
『ユダヤ人虐殺の理由:Nazism & Holocaust』
【独墺合邦・ミュンヘン会談】Anschluß & Munich Conference
【ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂】George Elser
アンネの日記 【ドイツ国防軍ベック,ブロンベルク将軍】Ludwig Beck
【アンネの日記】Anne's Diary
【ワルシャワ・ゲットー写真解説】Warsaw Ghetto
【ウッジ・ゲットー写真解説】Łódź Ghetto
【ユダヤ人絶滅:収容所ガス室】Extermination Camps
【アウシュビッツ強制収容所の奴隷労働】KZ Auschwitz
【マウトハウゼン強制収容所の写真解説】KZ Mauthausen
【世界史発掘 時空タイムス編集部 新証言・ヒトラー暗殺事件】
【反ナチス抵抗運動】White Rose:白ばら運動
【自爆テロと特攻】Terror:真珠湾攻撃と同時テロ
『石原慎太郎「俺は君のためにこそ死ににいく」台湾批評』
【自衛隊幕僚長の戦争論】
【ホロコースト参考文献】
【精神障害者安楽死T4作戦】T4Aktion
【ジプシー/シンティ・ロマ迫害】Romani repatriation
【日本の優生学とハンセン病患者隔離】Hansen's disease

戦争を巡る人物伝

 Biography

うがき【寺内・浜田の腹切り問答】軍神廣瀬中佐
『アドルフ・ヒトラー』Hitler
【連合艦隊司令長官山本五十六暗殺】Admiral Isoroku Yamamoto
【大元帥昭和天皇の聖断】Hirohito:大詔と終戦
【鈴木貫太郎内閣】The Potsdam Declaration
【宇垣纒司令官の特攻】Ugaki Matome:最後の特攻
【近衛文磨の上奏文】Konoe:国体変革の革命
【米内光政と阿南惟幾】海軍大臣と陸軍大臣

戦争と文学・芸術

 War & Literature

戦争と美術 【与謝野晶子「君に死にたもふことなかれ」】日露戦争
【戦争文学】石川啄木、与謝野鉄幹、三好達治、石川達三、火野葦平、斎藤茂吉、高村光太郎、永井荷風、サンテグジュペリ
【文化人と戦争画】:藤田嗣治「アッツ島玉砕」「サイパン同胞忠臣を全うす」,戦争殉教画
【15-19世紀の戦争画】;ブリューゲル,ボス,ゴヤ「黒い絵」
【石川啄木の社会主義と戦争】時代閉塞の現状
【魯迅の日本留学・戦争】阿Q正伝と革命
【戦争と画家:小川原脩】朝日新聞北海道版2006/8/17

終戦と戦後

World War II Conferences

 
阿南

【靖国神社参拝と戦没者追悼】:国家神道・軍神・マサダ
【大元帥の聖断】:大西洋憲章・カイロ会談・ヤルタ会談
【生きた米内光政と自決した阿南惟幾】:原爆天佑の海軍大臣と忠義の陸軍大臣
【東京裁判】Tokyo Trial:A級戦犯の国体護持

雑 記

 Essay

 

「懸賞論文優秀作品となった空将の戦争論」

◆正義と自由のための聖戦自存自衛を目的とした祖国防衛戦争が主張されてきた。戦争は、理想世界建設のために、勇ましい英雄と戦士が活躍し、人類の叡智と技術の粋を集めた行為だったと信じられてきた。20世紀,戦争とは祖国防衛のための戦い,民族・家族のための戦いとして,戦争の大儀・正義,聖戦が語られてきたことに気づかされる。
戦争を望まなかった人々も、女性子供も,戦争に巻き込まれた。にもかかわらず,いまだに,戦争は必要悪であり、戦争は必然的に繰り返されるものだとする戦争必然説が唱えられている。過去の戦争を誤解し,粉飾したりしながら,戦争の百年を完全否定あるいは完全肯定する単純明快な戦争俗説がもてはやされている。

◆田母神俊雄航空幕僚長は,浜田靖一(やすかず)防衛大臣軽率な行為を咎められ,更迭,2003年11月3日,定年退職とされたが,自衛隊最高中枢の頭脳が作成した戦略論は,国家レベルの軍機(軍事機密)で,表現の自由を名目に懸賞論文目当てに投稿,漏洩することは許されないのではないか。空将は,国家指導者・要人に対する発言の機会をもっていた。

◆空将補は,『月刊アップルタウン』(1999年4月号)で「日本の場合は、戦後の教育の問題もあると思いますが、第二次大戦に負けて、東京裁判以降、まず日本が悪い、もう一つは、国家、国が悪い、国民は常に善良だ、日本の国以外は、みんな、いい人ばかりで、いい国ばかりだという教え方をずっとしてきたのではないかと思います。-----現在のところ、大人の腕力(すなわち軍事力)が悪ガキの腕力より強いので国際社会の秩序が維持されていると思います。これが抑止ということなのです」と述べ,「アメリカ自体が十九世紀の後半から第二次大戦が終わるまで、執拗に日本をいじめ続けた」と批判した。

田母神俊雄(2008)「日本は侵略国家であったのか」では,「大東亜亜戦争を----「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。」たしかに,戦争の百年を振り返れば,戦争の本質は大量破壊・大量殺戮であり,正義の戦い,聖戦は正当化できない,「戦争は必然だった」というほど経緯は簡単ではない。
自衛隊幕僚長田母神空将の戦争論

戦争の百年を見れば、戦争の大義が如何なるものであろうとも、破壊と殺戮を繰り返す戦争は、人類が自ら同胞に対して犯してきた愚行であった。戦争の写真・ポスターや新聞記事は、聖戦の認識を広めようとしたが,同時に愚行の表象ともいえる。戦争の百年、20世紀が辿り着いた先は、戦争は人類の生存と人間性に対する脅威であるという認識である。戦争は起こってしまったのではなく、人類自らが戦争を引き起こした。産業に支えられ,破壊と殺戮を行った。戦争の百年には、目を背けてはいけないもの、知っておくべきことが、見て取れる。ただし、我々の祖先も、私たち自身も加担した戦争を見つめるには、勇気と内省が求められる。

平和人権資料館

Museum

  • 平和祈念展示資料館:兵士、戦後強制抑留者、海外引揚者の労苦を理解する施設
  • あーすぷらざ 神奈川県立地球市民かながわプラザ
  • 浦頭引揚記念資料館:昭和20年10月から昭和25年4月まで引揚船1,216隻、1,39万6,468人の引揚げの第一歩
  • 沖縄県平和祈念資料館:戦争の犠牲者を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を次代に伝え、全世界に私たちのこころを訴え、恒久平和の樹立に寄与
  • 樺太関係資料館:軍人・軍属等の公務上の負傷若しくは疾病又は死亡に関し、国家補償の精神に基づき、軍人・軍属等であった方又は、これらの方の遺族に障害年金、遺族年金等が支給される。
  • 川崎市平和館:市民の平和に対する理解を深め、平和を希求する市民相互の交流及び平和活動を推進、平和都市の創造と恒久平和の実現に寄与
  • 呉市海事歴史科学館 大和ミュージアム:日本の歴史と平和の大切さを深く認識し、科学技術創造立国を目指し、将来を担う子ども達に科学技術のすばらしさを理解させ、地域の教育、文化及び観光に大きく寄与
  • 埼玉県平和資料館
  • 堺市立平和と人権資料館:戦争の悲惨さ、平和の尊さ、お互いの人権や地球環境を守ることの大切さを訴え、次世代に伝える。
  • 滋賀県平和祈念館:モノと記憶の継承;戦争体験者それぞれの思いや願いを感じる。自らできることのきっかけづくり;平和への思いが深まるきっかけをつくる。県民参加型の運営幅;人と人のつながりが生まれ、現在や未来に向けた新たな行動が生まれる。
  • しょうけい館:戦傷病者と家族の労苦を伝える。
  • 昭和館:戦没者遺族、戦中・戦後(昭和10年頃から昭和30年頃)の国民生活上の労苦についての歴史的資料・情報を収集、保存、展示し、後世代に労苦を伝える。
  • 仙台市戦災復興記念館
  • 筑前町立大刀洗平和記念館:尊い犠牲のうえに現在の平和と繁栄があることを感謝する、平和への情報発信基地
  • 知覧特攻平和会館:特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことは、再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろう。
  • ピースおおさか 大阪国際平和センター:戦争と平和に関する資料を収集・保存・展示、学習と交流の場を提供、世界平和の実現に貢献。
  • 姫路市平和資料館:、姫路空襲による被災資料を通して、戦争の惨禍と平和の尊さを考える機会を提供、後世に伝え平和に対する意識の高揚を図り平和な社会の発展に寄与。
  • 舞鶴引揚記念館:引き揚げの史実や平和の尊さを後世に伝えていく
  • 宮崎県平和祈念資料展示室:戦没者の御遺族など戦争を体験された方々の労苦を伝える資料を通して、戦争の悲惨さや平和の尊さについて考える。
  • 予科錬平和記念館
  • 沖縄戦ノート

     Okinawa

    文部科学省2007年3月30日公表「2006年度の教科書検定」で、高校の地理歴史・公民では、沖縄戦の集団自決が「日本軍に強いられた」という内容に対し修正意見がついた。日本史では、沖縄戦の集団自決が「日本軍に強いられた」とした教科書7点が「命令したかどうかは明らかと言えない」と指摘された。

    判断基準変更の理由
     峽海量仁瓩あった」とする資料と否定する資料の双方がある
    慶良間諸島で自決を命じたと言われた元軍人やその遺族が2005年に、名誉棄損の訴訟を起こした
    自決命令の有無より住民の精神状況が重視されている。
     
    岩波書店大江健三郎氏は2007年4月4日に「元少佐側の主張のみを取り上げて教科書の記述を修正させる理由としたことは誠に遺憾で、強く抗議する」との文章を伊吹文部科学相に送付した。文科省は,12月26日「日本軍の関与によって集団自決に追い込まれた人もいる」とし教科書の訂正申請を承認した。

    ◆大江健三郎氏は,『沖縄ノート 』の中で次のように述べた。「新聞は、慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひかえめにいっても米軍の攻撃下で住民を陣地内に収容することを拒否し、投降勧告にきた住民はじめ数人をスパイとして処刑したことが確実であり、そのような状況下に、『命令された』集団自殺を引き起こす結果を招いたことのはっきりしている守備隊長が、戦友ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく、沖縄におもむいたことを報じた。僕が肉体の奥深いところを、息もつまるような力でわしづかみにされるような気分をあじわうのは、この守備隊長が、かつて『おりがきたら、一度渡嘉敷島に渡りたい』と語っていたという記事を思い出す時である。」

     「沖縄ノート訴訟」ともいうが,沖縄の戦後を駐留米軍なども含めて幅広く考察した1970年の著作であって、ひめゆり学徒,疎開,慶良間列島の海上挺進隊,チビチリガマ住民集団自決などを主題とした「沖縄ノート」として書かれたものではない。しかし、ノーベル賞受賞作家の戦争判断は,著作発表後35年以上経って、政治問題化した。この著作を読んでいない思い込みの書評や無知から来る憎悪に基づいた反論がなされる一方で,さまざまな所信表明がweb掲載されている。

    集団自決を命じたとの『沖縄ノート』の記述で名誉を毀損されたとして,集団自決訴訟平成17(ワ)7696 出版差止等請求事件,謝罪広告・損害賠償も含む)を起こした陸軍海上挺進隊第一戦隊長梅沢裕少佐(陸士52期),第三戦隊長赤松嘉次少佐(陸士53期)側は,2008年3月28日の大阪地方裁判所第9民事部の一審判決で「原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄 却する」と結論した。

    判決「沖縄の座間味島および渡嘉敷島の各守備隊長であった元軍人が住民に集団自決を命じたという記述及びこれを前提とした意見,論評の記述のある書籍について,元軍人及び遺族が,同書籍を出版し又は執筆した被告らに対し,同記述は虚偽の事実を摘示したものであり,元軍人は名誉,人格的利益を侵害され,遺族は亡元軍人に対する敬愛追慕の情を内容とする人格的利益を侵害されたと主張して,損害賠償及び謝罪広告の掲載を求めた事案において,上記書籍の記述どおりの元軍人の命令を認定することはできないが,同命令があったことを真実と信じるについての相当の理由があったものと認められるなどとして,上記請求が棄却された」。

    2008年10月31日,沖縄集団自決訴訟の二審大阪高裁判決でも、一審・大阪地裁判決を支持,集団自決命令は捏造とした請求を退け、控訴を棄却した。
     判決理由:集団自決に「日本軍が深くかかわったことは否定できず、総体としての軍の強制ないし命令と評価する見解もあり得る」。守備隊の最高指揮官の公言した言葉(放言)は,軍民に尊重され,命令と同じ効力があった。 

    ◆沖縄戦の海上挺進隊の被害は,座間味島の第一戦隊は,第一中隊長伊達達也中尉(陸士57期)・第二中隊長阿部直勝中尉(陸士57期)・第三中隊長津村一之中尉(陸士57期)を含め戦死70名。梅澤隊長は捕虜になった。第二戦隊は,第一中隊長大下真男中尉(陸士57期)を含め戦死41名。野田義彦少佐(陸士52期)は捕虜となった。渡嘉敷島の第三戦隊は,戦死22名。赤松隊長は捕虜になった。
    このような沖縄戦の戦死と捕虜の問題は,集団自決を考える際に重要である。

    ◆1945年,沖縄本島の学徒出陣壮行会が,沖縄女子師範学校の女学生が参加して開催された。宮良英加の答辞:「私は,徴兵検査が繰り下げになって,19歳から入隊しなければならないということを聞かされた時,頭の先からつま先にかけて,鉄の棒を突き刺されたようで,非常に残念でたまらなかった。師範学校に入学したからには,一度は生徒を教えてみたかった。----しかし,いったん戦場に出たからには,生きのびて帰れるとは思えない。女の人は,男子より助かる機会が多いから,生き残ったら必ず伝えて欲しい。戦争は非情なものだ。どんなに勉強したくてもできない。したいことがまだまだたくさんあったのに。戦争のない時代に生まれたかったということを,のちのちの人に伝えて欲しい」(宮良ルリ『私のひめゆり戦記』pp.73-75引用)。 

    アメリカの日本戦争映画評

     US Naval Institute

    Through Japanese Eyes: World War II in Japanese Cinema
    By: US Naval Institute Staff(April 14, 2014 )

    A film about kamikaze pilots has been playing to packed theaters from Hokkaido to Kyushu since its release in December of 2013, becoming one of the top-grossing Japanese productions of all time. In addition to attracting the admiration of Prime Minster Shinzo Abe, “The Eternal Zero” has drawn a fair amount of criticism for being the latest in a string of recent films that mythologize the Japanese role in World War II.

    Any Japanese film concerning World War II is going to be closely scrutinized by Japanese and international audiences alike. Most Japanese films produced in the first few decades following the war focus on human tragedy while keeping away from anything that could be construed as glorifying combat or defending Japan’s military adventurism. To avoid possible offense, American and Allied Forces in Japanese productions have usually been faceless, instead being represented by their machines of war (as opposed to contemporary Hollywood productions that often include rather negative stereotypes of Japanese soldiers). Americans and the Allied Forces are also rarely even named, usually referred to simply as the enemy.

    However, Japanese films generally fail to explain the cause of the war, which has led to a spate of recent movies that cast Japan in a more sympathetic light. With bigger budgets and slicker production values than the stark and repenting post-war movies, these films portray a more romantic view of the fight against the West where Japan is a victim, not the aggressor. As Japanese films become more revisionist, great concern has already been expressed about the current generation of movies such as The Truth about Nanjing which boldly dismisses war atrocities as Chinese propaganda. The film’s director has stated that the Japanese leaders executed for war crimes are martyrs like Jesus Christ.

    The Eternal Zero (Eien no Zero) 2013 Using a flashback narrative, The Eternal Zero follows two siblings as they try to learn more about their grandfather who apparently was determined to survive the war but decided to die as a kamikaze. Some domestic and foreign critics have dismissed the film as shameless nationalistic propaganda. They argue that instead of being patriots who willing sacrificed themselves for Japan, kamikaze were actually vulnerable young men who were radicalized or pressured by fanatics into pursuing an “honorable” death.

    The Men of the Yamato (Otoko tachi no Yamato) 2005 The Men of the Yamato is a big budget production with a story structure and visuals clearly modeled after Hollywood blockbusters. The film depicts the fate of the world’s largest battleship and members of the crew as they are sent on a desperate mission to Okinawa where ? spoiler alert ? the pride of the Japanese Imperial Navy is destroyed by U.S. Navy pilots.

    For Those We Love (Ore-kimi) 2007 Written by Governor of Tokyo Shintaro Ishihara, For Those We Love tells the tale of several young kamikaze pilots as remembered by the matron of the local restaurant they frequented while waiting for the final mission. Considering Ishihara’s right wing political views, it probably should come as no surprise that the kamikaze pilots are glorified as heroes who died protecting their homeland rather than tragic causalities of Japan’s imperialistic ambitions.

    半藤一利

     Review

    「戦没者230万人:兵士を「駒」扱い 愚劣な軍事指導者たち」
    2014年8月15日
    はんどう・かずとし 1930年、東京生まれ。東京大文学部卒。「文芸春秋」編集長などを経て作家に

     「戦没者230万人」という数字を、私たちはどのように読み解けばいいのだろうか。昭和史の著作が多い「歴史探偵」こと作家の半藤一利さん(84)に聞いた。【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】

     戦前の日本は近代国家の体をなしていなかった。「戦没者230万人」という数字はそのことを端的に示していると思います。国民を戦地に送り込むならば、国家は責任を負わなければなりません。いつ、どこで、どのように戦没したのか。確実に把握していなければならない。ところが、「戦没者230万人」という大枠のみが残り、具体的なデータは部分的にしか残っていません。厚生省(当時)は戦後、戦域別で戦没者数を算出しましたが、そこまで。死因までは分類できていない。230万人というざっくりとした数字も、私は過小評価ではないかと疑っていますよ。

     詳細が分からないということは道義的にはもちろん、軍事的にも非常に問題があります。前線に送り込んだ部隊のうち、戦闘に耐えうる兵士は何人なのか。あるいは戦傷、戦病者は何人いるのか。正確な戦力を測れずして、作戦を立てることはできません。そもそも、前線に送らなければならない武器弾薬、糧食、医薬品などを算出するためにも、絶対に必要です。それができていなかったのではないか。

     兵站(へいたん)を軽視した、あるいは無視したのが日本軍でした。「輜重(しちょう)が兵隊ならば チョウチョ、トンボも鳥のうち」というざれ言があります。輜重とは兵站部門のことです。そもそも、陸軍参謀本部や海軍軍令部のエリート将校にとって、兵卒はしょせん、1銭5厘(当時のはがき代)で集められる存在。作戦時には3日間分のコメ6合など25キロの荷物を背負わせ、前線へとおっぽり出した。食糧がなくなれば、現地調達しろと。降伏はありえないのだから、負け戦になれば玉砕しかありえません。敗残兵の消息など気にもとめなかった。

     これに比べ、米国の手厚さは語るまでもないでしょう。あるエピソードがあります。ブッシュ元大統領(第41代ジョージ・H・W・ブッシュ、第43代大統領の父)は戦時中に小笠原諸島の父島沖で撃墜されました。元大統領は救助されましたが、この時に捕虜になった同僚がいました。戦後、米軍の調査団が父島を訪れ、彼が埋葬された墓地を掘り返したんです。すると、遺骨の首は切断されており、日本軍に処刑されたことが明らかになった。一兵士に対するまで、その死をないがしろにしない。国家としての責任を果たしているんですね。

     日本軍は自己の実力を顧みず、攻勢の限界線をはるかに越えました。餓死者が続出するのは当然のことです。私は戦没者のうちの7割が、広義での餓死だと思っています。このような軍隊は古今東西にありません。人間をまるで、将棋の駒のように扱っている。

     海上を移動中に乗船が沈められ、死亡した陸軍将兵は18万人にも上ると見積もっています。これも補給軽視、つまりは人命軽視の表れです。開明的とされている海軍ですが、陸軍とそんなに違いはありません。レイテ沖海戦で、小沢艦隊はおとりになりました。基幹の空母4隻に搭載した航空機は定数をはるかに下回る100機余りしかなかったのに、整備員は必要もないのに定数を乗せた。帳簿上の員数合わせだけを気にする官僚主義としかいいようがない。

     軍の指導者たちは無責任と愚劣さで、兵士たちを死に追いやりました。特攻作戦も同様です。特攻隊員たちの純粋な気持ちを利用した。「日本的美学」などと言われるが、とんでもない。立派な作戦であるような顔をして、机の上で「今日は何機出撃」などと記していた参謀らを許すべからずです。

     集団的自衛権の行使について、容認する声があります。何を言ってんだ、と思いますよ。戦後の日本は平和だった。その権利を行使しなかったため、何か問題があったのでしょうか。 

     太平洋戦争を巡り、これまで各国の将軍、提督たちを数多くインタビューしてきました。みんな、偉い人は生きているんですよ。戦争とはそういうものです。「戦没者230万人」の犠牲のうえに日本は成り立っています。その数が示していることは何か、考えてみるべきじゃないでしょうか。  

    保阪正康

     Review

    特攻70年:「特攻は日本の恥部、美化は怖い」 
    2014年10月24日

     特攻とは何か。特攻隊員たちの遺書が自身の執筆活動の原点というノンフィクション作家、保阪正康さん(74)に聞いた。【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】

      ある元海軍参謀にインタビューをした際、戦時中の個人日誌を読ませてもらったことがあります。特攻隊についての記述があり、「今日もまた、『海軍のバカヤロー』と叫んで、散華する者あり」と記してありました。部外秘の文字も押されて。この元参謀によると、特攻機は離陸した後はずっと、無線機のスイッチをオンにしているそうなんですよ。だから、基地では特攻隊員の“最後の叫び”を聴くことができた。「お母さーん」とか、女性の名前もあったそうです。「大日本帝国万歳」というのはほとんどなかった。ところが、そうした通信記録は残っていない。故意に燃やしてしまったに違いありません。“軍神”が「海軍のバカヤロー」と叫ぶ。それは当局にとって、隠蔽(いんぺい)すべきことだったでしょうから。

     高校時代に「きけわだつみのこえ」を読みました。それが特攻隊について、考えるようになった契機です。その後、生き残りの隊員や遺族らに取材を重ねてきました。学徒出陣した上原良司氏(陸軍大尉。1945年5月、沖縄で戦死)の妹さんは、兄と仲間たちの会話を手帳に残していました。彼らは「向こうの奴(やつ)ら(=米軍)何と思うかな」「ホラ今日も馬鹿(ばか)共が来た。こんな所までわざわざ自殺しに来るとは間抜けな奴だと笑うだろうよ」と言い合っていたそうです。取材後の彼女の何気ない言葉は重く、響いています。「指揮官たちは『後に続く』と言いながら、誰も飛び立たなかったそうです。その言葉を信じた兄たちが事実が分かったら、どんな気持ちになるでしょう」

     高級参謀をはじめ、日本の職業軍人とは何者だったのでしょうか。英国は階級社会ですが、国を守るという点では王族・貴族もありません。戦争で死ぬということについて、平等性がある。戦争に貴賤(きせん)なしです。日本でも高松宮さまなどは前線勤務を希望していたようです。ある陸軍大学校出身の元参謀には「息子を入学させるなら、陸大だよ」と言われました。彼の同期50人ほどのうち、戦死は4人だけだったそうです。エリートは前線に行かず、戦争を美化するんです。

     兵士への危険負担を限りなく、低くすることが本来の指揮官の役割です。国民的バックグラウンドの下で、西洋の民主主義国家にはそれがあった。彼我の戦力を客観的に分析する。物量主義も、兵士を死なせないためにあるんです。日本にあったのは生煮えの軍事学です。仏独に学んだ上っ面だけの西洋軍事学に“日本精神”である武士道を乗っけた。「武士道と云(い)ふは死ぬこととみつけたり」(「葉隠」)の文言だけを取り出し、都合良く利用した。

     特攻は日本の恥部です。命を慈しむ日本の文化や伝統に反することです。命中率99%であったとしても、だめなんです。志願を建前としていましたが、実際には強制でした。本人が望んでいない死を要求し、死なせる。こんなものは軍事ではない。国家のため、大義のためという、自己陶酔でしかない。戦争とは人の生死をやり取りする闘争です。ロマンなどないんです。特攻は米軍に畏怖(いふ)心を与え、日本本土上陸をためらわせた−−との説がありますが、とんでもない。米軍は暗号名「コロネット」「オリンピック」などの上陸作戦を着々と準備していました。一方の日本軍は「義勇兵役法」で国民の根こそぎ動員を決め、1億総特攻に駆り出そうとしていた。国民一人一人が特攻要員だったんです。

     「特攻隊員は我々である」との視点が必要です。あの時代に生きていれば、あの時代が繰り返されれば、自分も特攻隊員になるかもしれない。特攻を考える時、必要なのは同情ではなく、連帯感です。隊員の苦衷、苦悶(くもん)が分かれば、美化することなどできないはずです。「特攻で死んだ人に失礼ではないか」「彼らのおかげで今の日本がある」などと言ってくる人がいます。どうして、そんな軽々なことを言えるのか。特攻を命じた指揮官たちと変わりませんよ。

     クラウゼビッツ(プロイセンの軍事学者)は戦争を「他の手段をもってする政治の延長」と位置付けました。本来は政治こそが、軍事の上になければならなかった。日本が陥った軍部独裁は政治家たちだけの責任でもありません。国民も軍をもてはやし、甘やかした。勝つことこそが軍の目的ですから、負けると分かっても戦争をやめることなどできなかった。行き着いた先が特攻です。

     特攻について、時に涙が止まらなくなるほどの感傷を持っています。それとともにわき上がるのは軍への怒りです。この二つがあってこそ、特攻に向き合えるのではないでしょうか。どちらかに傾いてもいけない。特攻は時代を測るメルクマールだと思っています。いたずらに美化することは非常に怖いことです。集団的自衛権によって、自衛隊が海外派兵される可能性が高まっています。良くも悪くも、軍隊というものには国民性が表れます。今こそ、旧軍について、十分に検証すべきです。それが無くては、特攻というシステムを採用するような組織が再び、生まれてしまうかもしれません。

     ◇ほさか・まさやす
     1939年、札幌市生まれ。74歳。同志社大文学部卒。出版社勤務を経て、著述活動に入る。「昭和史を語り継ぐ会」主宰。長年の昭和史研究で2004年に菊池寛賞を受賞した。

    宮崎駿アカデミー名誉賞

    Hayao Miyazaki 2014

     

    ◆2014年11月8日、宮崎駿監督(73歳)がアカデミー賞名誉賞の授賞式スピーチをした。
     「私の家内が、お前は幸運だとよく言います。一つは、紙と鉛筆とフィルムの最後の時代の50年に、私がつきあえたことだと思います。 それから、(アニメ制作をしていた)私の50年間に、私たちの国は一度も戦争しませんでした。戦争で儲けたりはしましたけれど、でも戦争をしなかった。そのおかげが、僕らの仕事にとっては、とても力になったと思います。
     でも最大の幸運は今日でした。(同じく名誉賞を受賞した女優)モーリン・オハラさんに会えたことです。これはすごいことです。こんな幸運はありません。美しいですね。本当に良かった。どうもありがとうございました。」(引用終わり)

    Miyazaki is second Japanese to receive honorary OscarThe Japan Times Online;Nov 10, 2014
    Renowned anime director Hayao Miyazaki received an honorary award from the Academy of Motion Picture Arts and Sciencesi at a Hollywood ceremony Saturday for years of contributions to the motion picture industry.
    Miyazaki, 73, is the second Japanese to win the Academy Honorary Award, after Akira Kurosawa in 1990.He was awarded the Oscar statuette ? the second for Miyazaki ? during the ceremony. In 2003, he won the Oscar for best animated feature film for “Spirited Away.”
    The event, where he was greeted with a standing ovation, was the first time Miyazaki had attended an Oscar awards ceremony.John Lasseter, chief creative officer at Walt Disney and Pixar Animation Studios, presented the Oscar to Miyazaki.
    In his speech honoring Miyazaki, Lasseter cited Walt Disney first and Hayao Miyazaki second as the top contributors to the animation genre.
    “Hayao Miyazaki has deeply influenced animation forever, inspiring generations of artists to work in our medium and illuminate its limitless potential,” said Lasseter. “In stature, in influence, in the range and quality of the body of his work, there will never be another to rival him.”
    After receiving the award, Miyazaki said with a shy smile, “My wife told me I am a very lucky man.”Miyazaki said the peaceful postwar years in Japan gave him a good environment to create his animation masterpieces.
    “Our country has not fought in a war over the past fifty years (while I was working). This allowed us to work extra hard,” he said.“I was very lucky to see the last time when you could make a movie with paper, pencil and film,” he added.

    宮崎監督は今回の受賞者の中で最年少の73歳で、日本人としては黒沢明監督に次いで二人目。アイルランド出身モーリン・オハラは94歳、脚本家ジャン・クロード・カリエールは83歳、人道的活動で知られる映画人を称える「ジーン・ハーショルト人道賞」受賞者ハリー・ベラフォンテは87歳だった。

    テロリズム

     Terrorism 2015

     紛争の続くシリアでは、斬首を含む残虐処刑自爆攻撃などテロが、敵味方双方で報復と称して繰り返されている。この残酷な報復捕虜処刑は、ISやアルカイダのアルヌスラAl-Nusra)だけでなく、シリア治安軍イラク政府軍アメリカ軍トルコ軍自由シリア軍、クルド人民兵組織(ペシュメルガ(Peshmerga)、人民防衛部隊YPG)など敵味方いずれでも行っている。そして、ドイツフランスイギリスカナダアメリカなどの男女の若者が、これらの組織に志願兵として参加し、敵味方に分かれて戦っている。

     当初は、イラクやシリアの政府軍・治安部隊が反政府側住民の人権弾圧や虐殺を行っていることをメディアは大々的に報道していたが、今では、反政府軍側の自由シリア軍なども政府軍捕虜や住民を虐待、虐殺していることが明らかになっている。これは、お互いが過去に敵から受けた弾圧、虐殺に対して、復讐、報復をしているからである。古代中東のハムラビ法典における「目には目を、歯には歯を」:'An eye for an eye, and a tooth for a tooth.' は、刑罰の均衡の原則を意味するが、それが歪曲され、「虐殺には虐殺を」ということで、、復讐のためのテロが拡大している。

     西側先進工業国の志願兵を最も多く受け入れているのは、クルド人部隊であろう。クルド人Kurds)は、トルコ、イラク、シリアに分布しているが、自民族の国家を持たないため、クルド労働党を中心に、クルド人の独自国家創設の動きがある。そこで、トルコ、イラク、シリアいずれの国でも、人種民族差別にあい、人権が弾圧されていると主張している。他方、イラク石油産出地アルビルErbil)、キルクークKirkuk)にあるクルド人は、アメリカ資本との絆があり、北部クルド自治政府を設立し、独自のクルド人部隊ペシャメルガ(YPG)を組織している。そして、トルコ国内でもクルド労働党(Kurdistan Workers' Party)が自治権・独立を目指して、クルド民兵組織の人民防衛部隊(Peshmerga)にクルド人住民を募兵・徴兵している。アメリカへの移住者も多いクルド人の宗教は、スンニ派イスラム教、ヤズィディYazidi)のほか、キリスト教徒もいる。

     ISと対立しているクルド人部隊は、アメリカや西ヨーロッパの軍事支援を受けて、IS掃討作戦を展開している。トルコは、NATO(North Atlantic Treaty Organization)の重要な加盟国であり、ロシア・東欧を制する位置にあり、親アメリカ軍の立場で、トルコ国内にはアメリカ駐留軍を受け入れている。しかし、トルコは、クルド人独立の動きを弾圧し、西側先進工業国によるクルド人支援を警戒している。そして、ISやアルカイダのアルヌスラ(Al-Nusra Front)によるシリア攻撃やクルド人掃討作戦を支援しているようだ。2014年9月、アメリカがトルコの米空軍基地から、シリア空爆を行おうとしたときにも、トルコのエルドアンRecep Tayyip Erdoğan)大統領は、当初、それを拒否したほどだった。

     2014年から2015年にかけて、ISに日本人が拘束され、非道な取り扱いを受け、残酷に処刑された。殺害された日本人は、一人は湯川遥菜(はるな)氏で、菅義偉(すが よしひで、1948- )官房長官、田母神俊雄(たもがみ としお、1948- )元空将や多数の政治家らの賛同者であり、SNS(Social Networking Service)を通じた友達だった。2013年から湯川氏は、政治集会、選挙活動に頻繁に参加したが、それは、国安正昭元特命全権大使・放射線影響研究所 評議員らを顧問に、民間軍事会社設立に協力してもらったお礼の気持ちがあったようだ。資金を手にした湯川氏は、中東の武装集団の下に出向き、人的関係築き、医薬品などを搬送した。将来は、救急車などを送る紛争地域の住民支援、そこで活動する日本人の武装警護を目指していた。

     もう一人は、後藤健二氏で、映像通信社インデペンデント・プレスを設立、テレビ朝日「報道ステーション」 NHK「BSドキュメンタリ−」「ETV特集」「週刊こどもニュース」「クローズアップ現代」 などテレビで活躍し、「ルワンダの祈り」のような著作も刊行している。彼も、紛争地の住民を救いたいと思っていた。二人は、2014年から、共同で仕事をしているが、湯川遥菜氏経由の資金・兵士と後藤健二氏のスキルが強固に結びつき、カネ、モノ、ヒト、ワザが大量に注入されば、紛争地域における日本の情報軍事機関の足掛かりができたかもしれない。

    後藤健二氏をCEOとするINDEPENDENT PRESSには、次のようにある。
    To be or not to be.(投稿日:2014年7月28日 作成者: Kenji Goto)
     シナイ半島に行った。世界各地で、なぜ、こうも衝突が絶えないのだろう?その一方で、全世界中にに漂うグローバル化の疲れや失望−「私たちには正直わからない」「私たちだけは安全なはず・・・」「自分の家族が一番大事」といったある種開き直った意識。
    “What can I do ?”視聴者離れの激しいドキュメンタリーの存在意義とは何か?作り手はその点を深く考えようとしない。突き詰めていくと、自分の首を絞めるからだ。
    モバイル時代にニュースに求められるモノは何か?短くても継続して伝え続けることが大きな山を動かすことになるのを忘れてしまったかのようだ。メディアで伝えられる時には、もうすでにポリティカルなゲームにすり替えられてしまう昨今の事件事故。バリューを付けていくのは難しい。
    「話題」の現場で起こることはごくシンプルだ。
    朝10時くらいに床からのそのそ出て、何の迷いもなく考えもなくAK47RPGを手にとり戦いに行って、戻ったら仲間と食事をして、タバコをくゆらせながら馬鹿話をして寝る。ごくまれにモノ好きな外国人のジャーナリストや諜報部員、自分たちの知り合いではない人たちの訪問を受けると、単なるおしゃべりが答えの出ない議論に変わる。そして、寝る−そんな繰り返しが戦闘地帯における最前線の日常だ。


       報道ステーション−今夜シリア アレッポで暮らす市民や子ども達を最新映像伝えます。:後藤健二 @kenjigotoip 2月11日
    Dear 皆さん、まさに無差別殺人と私も感じました。それに、必ず画家になる、と言った少女マラック、頑張れ!!
    報道ステーション、始まりました!シリアで空から降ってくるのはタル爆弾。。。それも視界の良くなる晴れの日が一番恐ろしい。今回は、、、必死でした。爆撃や砲撃の下で生きる−自分の身体がバラバラになって飛び散るのをイメージしたのは初めてのことでした。

    It means “Lost Age” really. これこそ本当に「失われた世代」だ: 投稿日:2014年7月11日 作成者: Kenji Goto
    彼らは、いつも笑顔でこちらの頼みを聞いてくれた。一緒にお茶を飲み、甘いお菓子を食べた。感謝のしるしに日本製の時計を、コンデジを、プレゼントした。戦時下では、プレゼントできること自体が嬉しいものだ。
    世界各地の紛争地帯で、私の仕事を手伝ってくれた人たちが、もう何人亡くなっただろうか?でも、私はまだ生きている。生きて自国に戻り、「伝える」仕事に集中することができる。 彼らが死ぬなどと真にイメージしたことは正直なかった。 鮮烈に蘇る彼らの優しい笑顔。ボー然としたところで、「なぜ?」と考えたところで、彼らはもう戻って来ない。どうか、神様。彼らに安らかなる日々をお与えください。

    後藤健二Twitter: @kenjigotoipには次のようにある。
    「ジャーナリズムに関して、もう欧米と比べるのはやめた方が良い。虚しいだけで何より無意味。情報を受け取る個人の問題。日本にジャーナリズムが存在しえないことやフリーランサーの地位が低いのは、3/11の前からわかっていたこと。今ある結果として変えられなかったことは自戒すべきことと思う。」(2011年6月24日)
    世界市場では、待っていても何も起こらない。最初の一歩は自らが踏み出さないと。この日本国では、待っていたらこのザマなのですから。子どもを大事にしない政府や国に未来なし。」(2011年6月26日)
    湧き出るオーラでセキュリティをスルーしたい」−ああ、わかるこの想い。なぜかなぁ、いつかできそうな気がする。あの人も僕も。」(2010年9月11日)

    湯川遥菜氏は、自ら川島芳子の生まれ変わりに準えたが、それは川島芳子の「男装の麗人」、国際スパイ、義勇軍司令官、軍人会館CEOの性格にあこがれていたためであろう。民衆の擁護者でありたいとする高邁な(観念的)理想も共通点であった。湯川氏は奇しくも芳子と同じ42歳で処刑されてしまった。

      湯川遥菜氏は、歴史に名を残す人物になりたかった。後藤健二氏はオーラが湧き出るジャーナリストになりたかった。二人とも、山本美香女史と同じように、抜け殻になったような会社勤めサラリーマンを辞めて、立派な仕事をし、歴史や世界市場で真っ当に評価されること、そのような社会を構築することに懸けた。
     中東紛争地域で、誰もしなかったような立派な仕事を目指した人は、無残に処刑されてしまったが、そのことでFacebook I AM KENJI国連安保理事会アメリカ国連大使サマンサ・パワー演説をはじめ世界の注目を浴び、希望は引き継がれた。これは世界の注目を浴び、希望は引き継がれた。これは「アンネの日記」の著者アンネ・フランクが、日記を出版したい、ジャーナリストになりたいとの夢を抱き、世界の人々がそれに共鳴したことを思い起こさせる。

     2015年1月25日、湯川遥菜氏の残虐な殺害の直後、日本政府が情報を確認しているといっている最中、駐日アメリカ大使キャロライン・ケネディCaroline Kennedy)女史は「米国民を代表し、湯川遥菜さんのご家族に心から哀悼の意を表します。我々は後藤健二さんの無事解放を祈るとともに、この困難な時にある日本の皆さんに思いを馳せています。日本と米国ほど緊密な友好国はありません。我々は今後も手を携えて、両国が共有する価値観を守っていきます」と宣言した。
     2015年2月の国連安全保障理事会で後藤健二氏をはじめとする中東渡航者の若者の活躍を賛美したアメリカ国連大使サマンサ・パワーSamantha Power)女史は、1970年生まれのジャーナリスト、作家、ハーバード大学教授の才媛。それに対して、日本の国連大使吉川元偉氏は、1951年生まれの20歳年長の外交官試験合格者で、総合外交政策局国連政策課長を歴任。日米二者を比較して、世界のメディア、世論に対する影響力の差は、外交上、世論形成を旨とするジャーナリストをどのように扱うかをみれば、明らかに大きな差がある。死者を自己責任だと追及するのとその志を称賛するのでは全く対照的だった。

     イラク戦争やシリア内戦のような緊急事態に当たって、世界の世論に感銘を与え、各国の支持を得るにはどのように行動を起こすか、このような行動は、既存秩序を墨守する官僚や公務員採用上級試験合格者、だらしない政治家に期待することはできない、このように考えて、自ら危険を冒して行動し、歴史を刻み、世論を喚起しようとしたのが、湯川遥菜氏や後藤健二氏だった。佐藤和孝氏、彼の妻山本美香女史だった。

     山本美香女史は、1995年にサラリーマンを辞めた後、戦場ジャーナリストとして活動し、タリバン政権下アフガニスタン、2003年のイラク戦争バグダード取材、 2008年から早稲田大学で「ジャーナリズムの使命」 の授業を担当。2012年8月、夫佐藤和孝氏とともに、シリア自由軍兵士の護衛の下で、アレッポ内戦の取材中、銃撃で殺害された。犯人は、シリア政府軍、その民兵あるいは自由シリア軍の兵士と様々な憶測がある。シリア政府を誹謗するジャーナリストを始末したいとシリア政府が考えたのか、あるいはシリア政府軍の非道な扱いを喧伝するFSA側の陰謀だったのか、いずれにせよ、ジャーナリストも高官も、戦場における護衛の必要を痛感しており、信頼できる警備兵が欲しいのであって、護衛の経費は負担は惜しまない。そこで、危険な紛争地域で、安全な警備兵を揃えて護衛する民間軍事会社が生まれてくる。日本人で戦場ジャーナリストの護衛を始めたのが民間軍事会社PMCを設立した湯川遥菜氏である。

     湯川遥菜氏が、後藤健二氏を撮った映像は、メディアでも流されている。ビデオ編集中の後藤氏のTV映像があるが、その編集画面に湯川氏が映っている。そして、湯川遥菜氏の♪HARUNAのブログ♪(2014-07-09) にも、後藤健二氏と共同で携わった中東での危険な仕事が、次のように綴られている。

    「僕は今の日本が生きにくいと思う理由がシリアやイラクに行き解った気がする。明治大正昭和に運動家がアジアの事や戦争論など演説していた方々と気質が似ている。例えば下記のような方々が居る。頭山 満(とうやま みつる)徳富蘇峰(とくとみ そほう)石原莞爾(いしわら かんじ)等。僕の気質が今の時代に合わないのだ。根本的に戦前、戦時中の人間なのだ!
    そして大和魂というものがこの時代でも受け継がれており、銃弾の飛び交う中、死を恐れず突撃していけるのだ!
     そして今回はイラクに行った。前回同様戦地に行く前は武者震いし、気合が入ってくる。今回はジャーナリストの助手でもあり、護衛でもある。この2つの目的を持って行った。現在の仕事は国際専門の武装ガードとジャーナリストの助手。
     ジャーナリストにも憧れた時期もあったが、僕には向いていないと思う。例えば海外で弱い立場の人間が、虐待虐殺等あった場合、見て事実を伝えるだけでは済まなくなってしまう。正義の感情が 先に出てしまい、悪を排除してしまうだろう。そういう人間は生かして置けない。当然冷静に物事を考えての事だが、場合によっては報復してしまうだろう。その為、ジャーナリストの仕事は向いていない。
     僕の仕事はジャーナリストとの関係は絶対必要だと思っていたところに必然にもシリアで出会う事になった。そして初めて一緒に行動した。直感で感じたが、一生の友になるだろう。国際専門の武装ガードも一緒に仕事をすることにもなった。ジャーナリストの情報力は本当に尊敬する。外国人兵士の仲間は多いが、そろそろ日本人の部下(兵隊)も欲しい。」(blog引用終わり)

    湯川遥菜氏は♪HARUNAのブログ♪「シリア内戦視察 第4話 (拘束の生活)(2014-05-16 )で自由シリア軍に拘束されたものの、彼らと戦友になったこと、後藤健二氏と共同で仕事をしていることを、次のように語っている。

    「起きてから気が付くのだが、この司令部には牢屋が4ヵ所あり、そこの中には投獄されている人が居ると言う。囚人は麻薬の売人2人、マフィア、政府軍捕虜の合計4名。 外観から窓が無く、中は過酷な状況に見えた。僕はそこには入れられなかったんだ!ホッとしたが、いつ移動されるかもしれないと思うと、ある意味ストレスを感じるので、牢屋の事は考えない事にした。
     しかし囚人が出る時がある。それは尋問をする時だ。その姿は毎日目にするのだが、あまり良いものではない。囚人を目にする時は、自分も管理されていると思うと気持ちが良いものではない。<中略>

    彼ら[FSA]兵士は合計50名の組織で10名1週間交代で前線に行き戦闘をしているとの事だ。パクさんは戦闘で横っ腹を撃たれ、 横っ腹から右のお尻から銃弾が抜け、1ヵ月間トルコの病院に入院していて、退院したばかりとの事。パクさんはしばらく拠点で静養している最中だったのだ。

     2日目初めて見る男性が来て、僕はまた尋問室へ。この男性は片言の日本語を話していた。『私日本に住んでた。6人の友人が日本に居る』とそして次に話した彼の言葉に僕は驚いた!『ジャーナリストの後藤健二を知っているか?』僕はもちろん知っていると答えた。明日シリアに来ると言うのだ!僕は二ヤけた♪マジ?やったぁ♪僕が日本で会いたかった人の一人。まさかシリアで会えるとは運命としか考えられないよぉ!だって会える確率的に万に一つだよ!(※しかし僕は第六感と言うか、後藤健二さんとは日本に居る時からシリアで逢う気がしていた。それが今回現実に なった。)そして後藤さんとは来週東京都内で再会する。

    その頃になると大分、兵士達ととても仲良くなり、冗談を言ってじゃれあったり、若い時の友達同志みたいな感じだ。そこには友情みたいなものが生まれ始めていた。<中略>友情みたいなものが生まれると、小銃や拳銃も持たせてくれるようになり、これは完璧に疑いが晴れた瞬間でもあった。 怖い物知らずの僕に対して、彼らは僕の事をサムライと呼んだ。

    そうなると兵士の一人が難民施設の家族に会いに行くので、一緒に行こうと僕は誘われ、バイク3人乗りで、国境の難民キャンプに行った。この時やっと外出できた解放感で嬉しかった。 難民キャンプはユニセフのテントなど全く無い!ホント募金で支援をしているのかねぇ?まず僕は最初に感じた。まっ、募金の50%は経費で無くなると聞いているので、不思議ではない。役員の肥やしになっているのでは。 現場の人員はボランティアで人件費がかからないだろうし!

    兵士の家族の中に生後間もない赤ちゃんが居た。その子を僕に抱かせてくれると言うので、抱っこさせられた。僕はこの瞬間感じた!戦争の中、生命があると言う事が、胸に伝わってくる。初めての感覚で驚いた。これまで日本で赤ちゃんを抱いても感じた事がない感覚であった」(blog引用)

    湯川氏は「川島芳子と今の僕(最終回)後編 」(2014-03-22)では、具体的に自分の危険を予期できるほど仕事に熟知していたことが窺われる。
    「どんな形でもいつ死んでも悔いはない。ただ望む事は歴史的野望があるので、成し遂げたい。それと死ぬなら、綺麗な姿で死にたいと言う事だ。尋問はもううんざりだ。しかし現在、仕事でスパイで捕まれば、尋問のリスクはある。僕は41年と11ヵ月生き抜いたが、2世代で約82年間の経験でした。僕が1ヵ月以上ブログの更新が無い時は、恐らく この世に居ないだろう。」 (♪HARUNAのブログ♪引用終わり)

    湯川遥菜氏は、インディペンデントプレスCEO後藤健二氏の協力を得て民間軍事会社PMCを運営する計画だったが、政治家から提供されたPMC設立資金の一部は、湯川氏の友情、湯川氏のPMCのwebsiteから後藤氏のINDEPENDENT PRESSにリンクしていることからからみて、後藤氏のためにも使われたはずだ。数十万から数百万円あれば、渡航旅費でも保険料でも賄えて役にたつ。後藤健二氏はジャーナリストとして評価されているが、後藤氏が来る前から、FSAは拘束した湯川遥菜氏の身の安全を保障していた。救出のつもりで後藤氏が来たとすれば、FSAが湯川氏を厚遇しているのをみて、彼のコミュニケーション能力を高く評価したはずだ。後藤氏が湯川氏をFSAから救出したわけではなく、湯川氏はFSAの兵士たちとの交流に興奮していたほどで「人質」の認識はなかった。

     つまり、湯川遥菜氏を無定見な軍事マニアであると蔑視することはできない。外交官僚やプロのスパイでないからこそ、反政府武装組織シリア自由軍(FSA)と体当たりのコミュニケーションができた。だからこそ、似非指導者は、彼らを試しに中東における日本のパイプ作りに使ってみようと、煽ったり、資金を出したりしたのであろう。外交官僚は規則にとらわれすぎて、臨機応変な思い切った迅速な行動ができないが、フリージャーナリストは、密入国・不正入国も辞さずに、戦場に潜入して取材し、特ダネを撮ろうとする。このハングリー精神と行動力の違いを熟知する政治家の中に、二人を煽り、若干の資金支援をして、紛争地域における日本のあるいは自分の影響力を高めようとした人物がいた。

     湯川遥菜氏の行動や彼を煽った似非指導者の妄想は、かつて日本の軍部・大陸浪人ナチ親衛隊(SS:Schutzstaffel)が大真面目に追求した謀略、すなわちスパイ活動、ゲリラへの武器供与、傭兵部隊の創設、軍事・政治顧問の派遣、自国軍の派兵、傀儡政権の樹立など多肢にわたるもので、決して荒唐無稽な産物ではない。


      川島芳子は、清朝粛親王の王女という高貴な血筋で、日本の大陸浪人指導者というべき川島浪速の幼女となった。1931年、川島芳子は、関東軍高級参謀板垣征四郎大佐・上海公使館付武官田中隆吉少佐らと図って、諜報員闇資金を駆使して、暗殺を含めた騒乱、日本人と中国人の武力衝突を誘発させ、上海事変を起こしたとされる。そして、列国が国際都市・上海に注目させておいて、1932年、清朝最後の皇帝宣統帝溥儀を担ぎ出し、執政(皇帝ではない)に置いて傀儡の満洲国を設立した。川島芳子は、その女官長に任命されたが、翌1933年、満州定国軍と呼ばれる満州人義勇部隊を組織し、その司令として大活躍したとメディアで報じられた。1937年7月の日中戦争勃発後は、解散した満州定国軍の部下とともに、天津で軍人会館といえる東興楼を開設、経営した。中華の繁栄を取り戻そうとした川島芳子だったが、その意図にも拘わらず、彼女の行動は、中国民衆からは軽蔑され、憎まれてしまった。川島芳子は、日本人からも中国のスパイと敵視され、日本軍からはプロパガンダとして利用された後、用済みとなり、捨てられた。そして、日中戦争終了後に逮捕された川島芳子は、中華民国の裁判にかけられ、1948年、漢奸(中国の裏切り者)として湯川遥菜と同じ42歳で処刑されてしまった。

     ドイツ第三帝国のナチ親衛隊は、第二次大戦中に占領したフランス、ベルギー、ユーゴスラビア(クロアチア、ムスリム)、ロシア、ウクライナ、バルト諸国などで、義勇兵を募集した。そして、武装SS外国義勇軍や後方支援を担う補助部隊を創設した。彼らは、パルチザン掃討戦や反乱鎮圧などにも出動したが、ドイツ軍が劣勢になる中、これら外国人義勇部隊の兵士は、対ドイツ協力者の裏切り者として、憎まれるようになる。レジスタンス(西側のゲリラ)、パルチザン(東側のゲリラは、彼らを暗殺し、処刑した。そして、大戦後は、裏切り者として逮捕され、処断された。

     第二次大戦中、日本軍は、イギリス・インド軍の捕虜の中から、志願兵を集めて、インド国民軍INAを、ミャンマーの有志を集めて、ビルマ国軍BNAを創設した。そして、インド人のチャンドラボース(Subhas Chandra Bose)、ミャンマー人のアウンサンをそれら外国人義勇部隊の司令としたが、これは川島芳子の満州定国軍の場合と同じで、日本の外人傭兵部隊として軽視することはできず、国家独立を目指す国民軍、あるいはイデオロギーによる国家改造を目指す革命軍という性格も併せ持っている。結局、インド国民軍は、インパール作戦で壊滅し、その後、イギリス・インド軍が優勢になる中で、投降して日本軍の戦力にはならなかった。また、ビルマ軍は、劣勢となった日本軍に反乱を起こし、親イギリス路線をとった。

    このように外国人傭兵部隊を自国の利益のために使おうとする動きは、以前からあるが、忠誠心、士気の上から、自国の兵士とは装備も待遇も格差をつけられていた。差別されていることがわかると、外国人兵士たちは、スパイになったり、反乱を起こしたりもした。結局、自国の兵士を派遣して戦わせるしかなかった。中東に親日派の情報拠点や軍事組織を作り、日本の足掛かりにしようと思えば、軍事同盟を結び同盟軍を作る、武装勢力への軍事支援する、外国人傭兵部隊を創設する、スパイを派遣するなどの方策が考えられる。

      湯川遥菜氏は、ブログ「イラク分裂危機2014 最前線!」(2014-07-09)で「現在海外の拠点はイラクを始めシリア、トルコ、イギリス、アフリカ全域に有り、仲間の拠点が増えた。同行したジャーナリストの方(後藤健二氏)もサバイバル訓練を受けており、拠点も使わしてもらっている」と述べていた。紛争地域に自国の勢力・権益を拡張しようと思えば、やはり最上の方法は、過去の経験から考えて、金で動く反政府傭兵部隊ではなく自国軍の派兵であろう。しかし、中東のホットな軍事的な情報なくては、このような試みを計画することすらできない。そのために、若者を誑かすか、煽てるかして、中東に送り込むのも一興だと、似非指導者たちが、いのちを軽んじる愚劣な謀略を弄んだ結果が、今回の湯川氏、後藤氏の殺害につながったと考えられる。

       中東紛争地域で犯罪的組織ISに人質とされた湯川遥菜氏と後藤健二氏は、無残に公開処刑された。二人に一義的な責任はない。非難すべきは殺人犯とその一派である。が、政治家は、公開の場で湯川遥菜氏のことを「湯浅春菜」あるいは「はるなゆたか」とストレンジャーであるかのように異なる名前で呼んだ。湯川遥菜氏と話しをし、彼が目前で支援しているのを見ていたのに冷たい話だ。湯川遥菜が言うには、政治家の「3人目の人は元特命全権大使。その方から初対面で見た目、 子供呼ばわりされた。もっともかなり年上だが。(汗) 子供に言われ女性とも言われ、でもやっている事は男気が ある。海外の危険地帯に行く事を話すと驚いた様子だ。大使と一時間も話しているとガードしていた様子が和んだ。その頃になると僕はワインを一本空けていた」。このような人物が、湯川遥菜氏の立ち上げた政治団体「アジア維新の会」の顧問や寄付金受付に就任していた。民間軍事会社の有能な顧問弁護士は、「プロ野球暴排実務者研修会」を仕切る弁護士で、紛争地での排除に造詣が深い。
     しかし、湯川遥菜氏と交友があった政治家は、「一緒に食事をし、記念写真を撮っただけの人間など、いちいち覚えているわけがない」と日頃の人情味ある演出とは裏腹に冷たい受け答えをした。人質に対して「危険を承知で後藤さんは入ったのです。母親である石堂順子さんは、皆様に迷惑をかけて申し訳ないというのが普通であると思うのですが、健二はいい子だから無事帰ってきて欲しいと言っています。少し違和感を感じます」とツイートし、安否を気遣う家族の気持ちを無碍(むげ)にした。「後藤さんが3度にわたる日本政府の警告にもかかわらず、テロリスト支配地域に入ったということは、どんなに使命感が高かったとしても、それは真勇、真の勇気ではなくて、蛮勇ともいうべきものであったと言わざるを得ない」と一方的に断じた。湯川遥菜氏と膝詰めで話をした政治家・外交官は、湯川遥菜氏の民間軍事会社PMCを支援していたはずだが、人質になった湯川氏・後藤氏との個人的関係を一切認めることなく、ストレンジャーとして切り捨てた。政治家は、政治団体の中で、不正支出資金の悪用があっても、秘書や会計担当者に責任を押し付け、処断するが、これと同様、湯川氏・後藤氏に対する政府の扱いは冷たかった。

     政府だけでなく、民間メディアも同じような仕打ちをしていた。総合週刊誌「週刊文春」2015年2月5日号は「10分300万円に命を賭けた後藤健二さん(47歳) 書かれざる数奇な人生」として、彼をゴシップ材料にフレームアップして商品化した。これは後藤健二氏が日本のジャーナリズムのレベルが低いと批判していたことを踏まえると、日本ジャーナリズムから後藤氏に対する仕返し、報復だった。記者は、「10分300万円」の見出しで、時給1800万円の大儲けの成金を連想させ、読者の嫉妬心を呼び起こそうとしている。実際、3カ月かけて取材して10分の映像が商品として売れても、月収は100万円、そこから渡航費や生命保険料を控除すれば、半分以下の収益しかない。商業主義に堕しているメディアは、公明正大な事実の報道に関心はない。雑誌売上げの伸長や視聴率獲得を最優先するイエロー・ジャーナリズム煽情による儲け主義)は、後藤健二氏を歪めて売り出した。他方、メディアは湯川遥菜氏の商品価値を低いと判断し、彼を切り捨てた。あるいは湯川氏を煽った政治家たちが、お金を払ってでも、メディアに湯川氏の話題を登場させなかったのか。メディアは、以前から世間の注目を集める戦場取材をする後藤健二氏を高付加価値化した商品としてTV等で売り出した。二人のメディアでの取り扱いは、以前から明らかに大きな格差があった。

     2004年の香田証生氏、2015年の湯川遥菜氏・後藤健二氏らは、勝手に危険なところに行ったのだから、人質となり殺害されても、自業自得だ、自己責任だ、と身勝手に放言する日本人が多いのはどうしたことか。このような自己責任論は、戦闘員と民間人は区別できない、戦地と平和な後方も区分されないという総力戦への理解が欠落している。テロを起こす側にとっても好都合な「自業自得」の主張をすることほど愚かしいことはない。テロリストを利する自己責任論はもうやめるべきである。

     先進工業国に限っても、すでに2001年9月11日NY・ワシントンDC、2004年3月11日マドリード、2005年7月7日・2013年5月23日ロンドン、2007年6月30日グラスゴー、2010年3月29日モスクワ、2013年4月15日ボストン、2015年1月7日パリ、1月15日ベルビエ(ベルギー)のビル・交通機関・メディアなどで、爆破・殺人テロがなされている。敵武装勢力は、自分たちや自分の家族が空爆され、掃討作戦によって殺された以上、その報復をしただけだという。自分たちの故郷が戦場になり破壊されたのに、敵の故郷が平穏無事であるのは我慢ならないという。敵が戦争をやめないのは、戦争の悲惨さを知らないからだ、それなら戦場となることがどういうことか、その苦しみ、悲しみを教えてやるとテロ攻撃を正当化する。故郷を襲う同盟国・有志連合に暮らす市民は、軍需物資(食料・エネルギー・兵器など)を生産し、資金を提供し、戦争賛成の世論を形成することで、総力戦に参加している。したがって、総力戦下の市民は、戦争に加わる「戦士」であり、攻撃・報復の対象と見做される。

     戦闘員でないから、戦場にいないから攻撃されないといった安全神話は、20世紀に総力戦が始まって以降、成り立たなくなった。「敵」とされた国の市民やその支持者であることが明らかになった時点で、経済・世論の上で、重要な役割を担っている市民は、戦地に行くジャーナリストも故国で会社勤めのサラリーマンも、みな攻撃の対象になる。
     戦闘になれた兵士、防備の堅い軍事施設を襲撃するのは、困難が伴うが、非武装の無警戒な市民や無防備な民間施設であれば、容易に襲撃できる。したがって、テロリストにとっては、戦略・戦術上、市民のいのちが格好のターゲットになる。テロリストが、市民を攻撃してきたら、それは市民の選んだ指導者による派兵・空爆が招いた「自業自得」「自己責任」ということなのか。安直な「自己責任論」は、テロリストの冷酷な扱いを認め、それを自ら受け入れることになることからも、完全な誤りである。


      総力戦の場合ですら自己責任論を理由に、非武装の市民を殺害するの許容するのはもってのほかである。殺人が自己責任で正当化されるのであれば、市民の暮らす都市への無差別爆撃indiscriminate bombing)や原子爆弾投下Atomic bombing)も、自業自得、自己責任であるとの抗弁を認めることになる。総力戦であろうと、平時であろうと、テロは許されることではない、どのような論理もそれを正当化することはできない。紛争地域に行ったから、殺されても自己責任だという暴論は、敵味方双方のテロを正当化することであり、断じて認めることはできない。

     それでは、戦争やテロは、誰が引き起こすのであろうか。人類は愚かであり、望まなくとも戦争は必然的に起こるのか、戦争のない歴史などあり得ない、このように虚無主義Nihilismニヒリズム)の回答をし、嘯いていればよいのか。戦争は人類全体の罪だと総懺悔すべきなのか。それとも、「戦争を望まないのに、戦争が起きてしまう」という発想がまやかしなのか。戦争は「起きる」のではなく誰かが「起こす」のではないか。

     1936年の二・二六事件青年将校は、昭和維新をめざし、軍事政権の樹立を図った。青年将校の決起を煽った陸軍大臣川島義之(よしゆき)大将、軍事参議官真崎甚三郎大将、戒厳司令官香椎浩平中将、陸軍省軍事調査部長山下奉文(ともゆき)少将らは、青年将校の行為を認めていた。

     二・二六事件青年将校たちの反乱計画は、現政権を倒した後は、国を憂いている皇道派将軍に委ねるつもりだった。しかし、待望の将軍たちは、昭和天皇の反乱鎮圧の意思が明らかになり、状況が不利になると怖気づいて、責任逃れをはじめた。当初は、青年将校の行動を認め、決起を煽っていたにもかかわらず、「行動」ではなく、「誠意」を認めただけと言い逃れた。そして、口封じのためか、反乱将校の自決を求めた。二・二六事件後の取締・裁判では、反乱将校を見殺しにし、彼らとの絆を完全否定した。

     似非将軍たちに裏切られたことに気づいた反乱将校は、怒り、自決するのをやめて、軍事法廷で証言する道、法廷闘争を選択した。組織で経験を積み姑息になった似非将軍にとって、若者を誑かすのは手慣れたものだった。反乱将校だけでなく、彼らを煽動した似非将軍にも責任があるのは、明白である。しかし、反乱将校と民間思想家だけが処刑され、似非将軍たちは放免された。 

      当初から、企てが悲惨な結果に終わることを承知で、若者を煽動したのであれば、それは人のいのちを愚弄する犯罪的所業である。仁義をひけらかす将軍、国益重視を演出する政治家、自己の栄達・出世を最優先する学者は、みな似非(エセ)であり、プロパガンダによって、慕ってくる純真な若者を自分の野望や出世に役立てること、人柱とすることを考える姑息な人物である。

     二・二六事件の責任は、反乱将校と思想的背景を提供した北一輝ら民間人に全て負わされた。待望されていた将軍が怖気づいて裏切ったように、組織トップの偽証、証拠隠滅が認められることになれば、伝統ある強固な軍事組織でも芯から腐り始める。その軍紀が紊乱した軍事組織が戦争を、勝利も終結も見込みがないままに、引き起こした。

      1937年7月、北京郊外の盧溝橋で中国軍と駐留日本軍との衝突が起きると、参謀本部の停戦の意向にもかかわらず、軍紀・統制の乱れた軍には行き届かず、戦線は拡大し、日本は、急遽、中華民国の国際都市上海を攻め、急遽、首都南京攻略を決めた。中国に派遣された日本軍は、国民意識のない中国軍は、軍閥に支配されているだけであり、首都攻略によって、勝敗が決すると誤解していた。バクダッドBaghdad)やカブールKabul)を陥落させ勝利したと喜んだ戦略家も同じである。ともに自ら望んだ戦争が、優秀な装備によって、短期間に勝利するはずの戦いが、泥沼の戦争となった。

     家を焼かれ、親族を殺され人々の悲しみと憎しみは、軍による治安維持・掃討あるいはイデオロギーや国益の充足によって払拭することはできない。このような状況で憎しみを抱く人物は、似非将軍の煽動に乗り、報復テロにはしる。残虐非道な敵の殺害、敵施設の空爆は、勇敢で称賛に値する英雄的行為であるというプロパガンダは、敵味方の双方で展開される。無残に惨殺された家族の報復として敵兵士を斬首する、敵を支援した報いとしてジャーナリストや援助活動家を殺害する、空爆で焼き殺された子供たちの復讐のために敵パイロットを焼き殺す、テロリストは自らの主張を、敵の自業自得、すなわち報復ということでテロを正当化している。アメリカ軍も、テロに対抗するために、テロリストたちを暗殺し、攻撃ヘリコプターで襲撃し、空爆をかける。これもテロリストやその下にある住民にとっては、テロである。つまり、テロ戦争にあっては、敵味方双方の当事者が、相手こそが真のテロリストであるとして、テロを仕掛けている、テロのインフレーションが起こっている。

     紛争地域における義勇兵部隊・外人傭兵部隊の設立、情報スパイ網や軍事補給拠点の構築、世論形成のための広報センター設置は、敵味方双方で行ってきた謀略である。現在の先進工業国でも、このような試みを弄ぶ政治家や将軍がいる。彼らは、自己の能力を過信しているから。しかし、彼らは自らのいのちを危険に晒すことはない。そこで、初めに、紛争地にいる先進工業国ジャーナリストや援助NGO関係者が、自発的志願のかたちで犠牲になった。敵味方の双方に似非指導者が幅を利かせるようになれば、これからどんなことになるのか、歴史を振り返り、過去の残虐行為を見据えれば、予測できる。

    2006年,シーア派マリキNouri al-Maliki)氏がイラク首相に選出され、2014年まで、イラクを統治している。2014年後半には、シーア派アバディHaider al-Abadi)氏に代わったが、マリキ首相は、スンニ派フセインSaddam Hussein)元イラク大統領が支配していた時代、抑圧されていたシーア派政治勢力の一族だった。そこで、自らの支配力を強化しようと、2011年12月の駐留アメリカ軍撤退以降、反対派となりうるスンニ派政治家を、イラク政府軍Iraqi security forces)を使って弾圧した。マリキ首相自身、かつてのフセイン政権下で死刑判決を受けていたが、イラン、シリアに亡命し、シーア派勢力の庇護の下に、フセイン政権打倒後の2003年にイラクに返り咲いた。

     2011年、イラクのスンニ派ハシミTariq al-Hashimi)副大統領の警護兵は、シーア派マリキ首相によって反政府テロの陰謀を企てたと指弾され、拘束された。マリキ首相は、アメリカのオバマBarack Obama)大統領と会談して、内政不干渉の言質をとっていた。捕まったスンニ派ハシミTariq al-Hashimi)副大統領の警護兵は、拷問を受けて、メディアでマリキ首相暗殺の企てがあったと証言させられた。スンニ派ハシミ副大統領は亡命したが、欠席裁判で死刑を宣告された。
     スンニ派の政治家・市民は、マリキ首相の弾圧に反発し、反マリキの集会やデモを起こした。すると、イラク治安部隊は、武力鎮圧に出動し、多数のスンニ派政治家や市民が拘束されたり、殺されたりした。イラク国内は、政府によるスンニ派政治家・市民の弾圧を契機に、再び分裂した。

     つまり、イラク紛争は、宗派の違いによる宗教対立ではなく、政治の実権を握るための政治闘争であり、旧フセイン大統領政権時代に優遇されたスンニ派の政治家や警察・軍の幹部が、イラク戦争で敗退、アメリカ軍の駐留で弱体化し、かわって弾圧されていたシーア派勢力が実権を握り、スンニ派勢力に対する報復を始めたのである。そして、独自の言語を話すクルド人Kurds)の自治拡大や独立の動きも加わって、イラクは内戦の様相を呈してきた。

     政府軍やアメリカ軍の掃討戦や空爆Airstrike)で、さらに拷問、虐殺で、スンニ派市民が殺されると、ISはスンニ派の庇護者として振舞った。ISなど武装集団は、テロから人々を守ると喧伝し、敵への憎悪を煽り立てた。イラクの混迷は、宗派や民族を理由にしているが、実際は政治的・経済的に対立する勢力が、相互にプロパガンダを展開し、紛争に至ったといえる。

     しかし、それまで人権弾圧にあったことのない恵まれているはずの若者も、戦場に惹かれた。高邁な理想に接したことがなく、怠惰な生活を送っていた先進工業国の若者は、非日常的で刺激的な戦争の世界を羨望の目で見始めた。勇ましい、英雄的な正義の戦争を待望した。社会に適応できない若者は、自分を一人前の男に認めてくれる場所と地位を探していた。それが、ISの戦士か、国家主義者か、民間軍事会社CEOかは、出会った似非指導者や信じ込んだプロパガンダに依存してくる。人権擁護や子供たちの救済に尽力するひとかどの人間になりたいと、安易な日常生活を飛びだす若者もいる。かれらは、生きがい、楽しみを求めている。自分を役立てる場所を探している。

     緊張感に満ちた、歴史的使命を感じさせる有意義な戦闘、紛争地域での戦友や住民との絆、そんな戦争の似非世界のプロパガンダが喧伝されている。先進工業国で、安易に現実社会に馴染まなかった若者、心の弱さを抱えて劣等感無力感を抱いていた若者、絶望感に苛まれた不安な若者に「生きがい」を提供すれば、彼らは自分の尊厳を取り戻せる、世間の注目を浴びて、ひとかどの人物になれると錯覚する。このような戦争・戦場の英雄論のプロパガンダは、カリフを僭称した似非指導者による謀略と同じである。

      TVを中心とするマスメディアが、戦場カメラマンWar Photographer)やジャーナリストJournalist)を高く持ち上げるのは、彼らの映像や特ダネが欲しいからだが、これは先進工業国の市民が見たがっているものでもある。貧困など社会問題は、戦場ではなくとも、至る所にあるのだが、付加価値の高い、高価な情報は、取材が難しい紛争地域にある。そのことをよく知っている戦場カメラマンジャーナリストなどメディア関係者は、話題性に富む場所に行き、利益が上がる素材を手に入れようとする。目立つようになり、有名になることで、社会への影響力を行使し、自分の使命を果たそうとする。戦場の話題は、国民が注目してくれるので、カメラマンもジャーナリストにとって、儲けが可能な仕事になる。中国農村のバイオマスフィリピンの子供たちの教育ごみ問題についての報道は、国民の関心は高くないため、儲けにはならない。対照的に、戦場、放射能汚染などは視聴者の注目度が高く、視聴率の高い番組を制作すれば商業的にも十分成り立つのであって、そのための取材にはマスメディアからも大きな需要がある。世間に注目され、有名になることは、戦場カメラマンWar Photographer)やフリージャーナリストVideo journalist)の収入、生活につながるのであるから、意識して演出するのは当然だ。

     つまり、カメラマンやジャーナリストが高く売れる情報を求めて、戦場取材を追い求める行為は、経済的自立の重要性から首肯できる。しかし、ジャーナリズムの経済的理由は社会的使命という万人に訴える大義の前には顕在化しない。経済的動機は脇におく二次的事項とされるのが常である。問題なのは、資金豊富なマスメディアや似非指導者が、ジャーナリストや若者を、社会的使命で煽って、経済的自立を名目にした資金提供によって操作していることである。

    JAPAN PRESSCEO佐藤和孝氏は2012年6月、シリアで妻山本美香女史を銃撃戦で亡くして以来、シリアには入っていないというが、山本美香記念財団を設立し、「世界中で起こっている様々な紛争と、その紛争下で暮らす人々の現状を伝えること、またその役目を担うジャーナリストの支援、育成」を目指している。その佐藤和孝氏は、 「2015年1月21日の東京新聞取材に「『イスラム国』は特に残虐とされるが、その実態は分かっていない。シリアで三百万人もの難民が発生しているのに入国することも難しい。だからこそジャーナリストには魅力なんです」と率直に答えている。「(彼女を)助けられなかった悔いがずっと残っている」が、「それでもジャーナリストが人間の最も残酷で悲惨な側面を伝えることは価値がある。中東の紛争を世界が抑えられなくて、日本だけが平和ということはあり得ない。(湯川遥菜氏・後藤健二氏の)二人には生きて帰って、この体験を語ってほしい」と述べていた。佐藤氏は、湯川遥菜氏と面識はなかったが、2014年4月に「シリアに行くので情報交換したい」というメールを受け取っていた。湯川氏は、自らCEOに就任している民間軍事会社PMCのwebsiteをみてもらい、紛争地における護衛というプロモーションを企図したのであろうか。

     紛争地域に入って取材するためには、正規のルートで入国して、政府の許可を得て、政府軍の兵士や駐留するアメリカ軍の護衛警護の下に、同行取材をすることが多い。他方、反政府側を取材したいジャーナリストは、正規ルートで紛争地域に入国しては、反政府組織と接触が難しいために、ビザなし不法入国、密入国の手段をとる。シリア内戦の場合、空路ダマスカスで正規ルートで入国するのではなく、隣国トルコに入国してから、シリア国境を陸路で不法入国、密入国する。湯川遥菜氏、後藤健二氏のシリア潜入も、トルコからの不法入国、密入国のルートを使ったようだ。トルコ滞在中に、シリアの反政府武装組織FSA(自由シリア軍)の手引きを受け、シリアの紛争地域に不法入国(ビザなし入国から偽造旅券まで多種ある)し、反政府組織支配地域で、住民や兵士の取材をしたのである。

    2012年8月、ジャパンプレスの戦場記者山本美香女史が、シリア内戦中、反政府武装組織自由シリア軍FSA)の同行取材をしていたが、アレッポで銃撃されなくなった。シリア政府は、山本美香記者の殺害について、シリア政府の報道関係者ビザを取得していない不法入国であり、シリア政府がテロ組織と見做している自由シリア軍兵士の護衛を受けての同行取材であるとの理由で、シリア政府に射殺の責任はないとした。これは、報道許可のない不法入国者が紛争地で殺害されても自己責任であるとの冷酷な対応である。しかし、紛争地域を取材する戦場ジャーナリストは、政府側でも、反政府側でも、護衛してくれる警護兵が必要であったり、同行したりする。これには、警護兵の護衛・同行経費が掛かるだけでなく、取材日程など情報がスパイや謀略に使われるリスクもある。リスクは命掛けであることを意味する。

      それでは、ジャーナリストが報道関係者ビザ許可のないまま不法国・密入国し、命を懸け、警護兵をつけてまで、戦場取材をする理由はどのようなものであろうか。第一は、社会的使命感で、紛争地の現場を取材し、その状況を把握し、住民の生活を世界に伝える国際報道によって、紛争の解決、住民の生活安寧に貢献したいということだ。地元のメディアに任せておけばよいとの安直な方法では、報道の公正が保てない。政府側あるいは反政府側に隔たった情報提供、プロパガンダに終わってしまう恐れが高い。そこで、戦場ジャーナリストが、自ら取材する意義が出てくる。
     第二は、ジャーナリストが社会的使命を果たすための取材経費、警護経費、生活費など経済的自立の必要経費を賄うことである。サラリーマンではない独立系ジャーナリストは、経済的自立のためには取材をして、特ダネ映像などマスメディアで公開してもらい、画像・映像使用料、放映料などを得なくてはならない。つまり、持続可能な取材のためには、価値のある情報を商品化することで、経済的自立を達成する必要がある。

     独立系のフリージャーナリストは、経済的自立を欲しているが、そのためには紛争地域で取材をして、希少価値のある特ダネを映像化しなくてはならない。ジャーナリストの経済的自立の必要性を熟知するマスメディアは資金提供を持ちかけて、ジャーナリストに命掛けの危険な取材を要請する。ジャーナリストは、経済的自立と社会的使命の双方を満足できる戦場取材を引き受け、戦場ジャーナリストとなる。
    マスメディアは、戦場ジャーナリストから、事前に映像の利用権を購入する約束をしているのかもしれない。ジャーナリストが取材する素材(知的財産権)の価格は、特ダネであれば高額になる。フリージャーナリストは、生活のためにも、特ダネを求めて戦場取材をし、それをマスメディアに売り込む。そのために、TVや出版で露出度が高まるように自分のスタイルを演出する。

     早稲田大学の戦場のジャーナリズムに関する講義では「戦場ジャーナリストは真実や自由の名を借りているただの偽善者では?」「他に戦場を取材するジャーナリストがいるとすれば、あえて自分が危険を冒して行く必要はないのでは」との大学生の疑問もでたという。これはもっともで、ジャーナリストの個人的資質以上に、ジャーナリストの経済的自立の必要性、マスメディアを動かす市場原理、プロパガンダに気を配る必要があろう。

     似非指導者やメディアのプロパガンダによって、生きがいを与えられたと錯覚した若者は、「毅然とした」対応を求め、「力強く歴史的な」役割を果たすために、国家主義的勢力や軍事組織・テロ集団に参加した。暴力も殺人も、彼らはテロと呼ばない、現状打破のための正義であり、毅然とした対応の一環であると主張する。誠実で紛争のない世の中を作りたいと考えた若者も、冒険心から戦場に飛び出してゆく。
     国家主義勢力や武装集団に取り込まれたイギリスや日本のような先進工業国の若者は、怠惰な国民を嫌悪し、国家再生を望む人物は、幻想的な「美しい国」を取り戻すために戦士として、自己変革を望む若者はジャーナリストとして、有意義な人生を歩もうと決意した。ともに、一部の国家や民族、戦争や人種民族差別を敵視し、憎悪している。平和を確立するためには、どのような強硬な手段も許されると考ている。

     生命財産を侵害されたり、戦争の悲惨さを味わったりしたことのない先進工業国の政治家や市民の中に、戦争を辞さない態度や軍事力に基づく威嚇が「毅然とした」正義の外交であると錯覚する者がある。彼らは、プロパガンダを展開するか、プロパガンダに簡単に煽動されるか、どちらかであり、歪んだ世界観を抱きやすい。彼らの中では、無知と偏見に相まって、現状への不満や野心のインフレーションが起こっている。彼らは、弱い心、無力感、劣等感を覆い隠し、強がっているうちに、本当に強いと思い込むにようになった。自分に反対するのは、堕落した愚か者か、陰謀家のどちらかであるとのプロパガンダで煽られた憎悪は、平和構築の障害になっている。

     砲艦外交Gunboat diplomacy)や戦争が、心躍る体験、勇ましい前進、現状の打破に繋がると錯覚するような、過去を無視した歪んだ世界観がメディアを駆使したプロパガンダによって広められている。それを、似非指導者に誠心誠意を尽くし行動しても、二・二六事件青年将校や湯川陽菜氏・後藤健二氏の二の舞で、使い捨てにされてしまう。政府軍あるいは反政府武装組織に兵器を供与して戦わせても、それは自分の影響力を拡大する「傀儡政府」あるいは「傭兵部隊」を作るためである。冷酷で臆病な似非指導者は、慕ってきたものを、自己の栄達のために、使い捨て、自爆テロに導く。使命を果たせなかったものは自己責任だと蔑み、都合の悪い場合には、そんな人物は憶えていないと疎んじる。若者は、似非指導者の野心の人柱にされてしまう。


     スンニ派を煽動する武装集団ISに湯川氏・後藤氏の二人が非道に殺害されたのを受けて「日本が紛争地域に独自の情報組織や軍事組織がない欠点を明らかにした」とメディアは煽っている。似非政治家は 「テロの脅威から逃れることができない以上、国家安全保障のために、独自の情報・軍事組織によって、紛争地域を治める必要がある」と主張してきた。市民への襲撃は、容易であり、それを防ぐことは、CIAのような情報・軍事組織があるアメリカでもできないし、かつての日本が、中国大陸に組織した関東軍のスパイ網、外国人傭兵部隊、傀儡政権でも抗日活動は抑えられず、派兵した関東軍や支那派遣軍を増強しても、治安は回復しなかった。

     支配下の住民の反感を押さえつけても、それを根絶やしにはできない。住民を服従させるには、ますます強硬な手段に訴えるしかない。アメリカ軍の特殊部隊によって、味方指導者1人が暗殺されれば、敵兵士・敵性住民を自爆テロで10人殺す。すると、民間人を10人殺した敵への報復として、無人機搭載のミサイルを撃ち、攻撃ヘリコプターによる夜間襲撃、空爆によって、敵100人を殺害する。このように殺害の報復が繰り返されると、これは報復=テロのインフーレーションを起こす。支配者と被支配者の間に和平の道は完全に閉ざされ、生死をかけた闘争、テロが繰り返される。情報・軍事機関を増強し、空爆や派兵を繰り返せば、報復テロのインフレーションにつながる。これを断ち切る軍事的手段は、敵とみなした人間を一人残らず殲滅することであり、そのために生物化学兵器、核兵器の使用が提唱される。テロリストを一気に片づけると称して、大規模なテロが正当化される。

     湯川氏・後藤氏の二人を、情報機関・民間軍事機関の尖兵になるよう弄んだ似非政治家は、そそのかしを一切認めないまま、同じ類の謀略を、再度、大々的に試そうとしている。この謀略を見抜けないメディアは、日本には秘密情報部がないと既存の情報機関への理解がないまま、情報組織や軍事組織を拡張しようというプロパガンダを始めた。これは、湯川遥菜氏が歩もうとしたのとまったく同じ道程である。情報組織や軍事組織は、ゲスタポ・特高(特別高等警察)・憲兵特殊部隊・ISであり、敵に内通する自国民・住民を摘発するが、これは住民を恐怖で支配する道(テロ)に至る。情報組織や軍事組織は、スパイ罪・扇動罪の容疑者は、拷問をしてから釈放する。明らかな反逆には、公開処刑する。敵に恐怖と憎悪を植え付けるテロリズムは、処刑の様子を世界に配信する。情報組織や軍事組織は、オサマ暗殺と同じく、処刑映像を公式発表する。もし公開が憚られる場合には、フセイン大統領処刑と同じく、情報をリークし、SNSで配信させる。

     テロや自爆攻撃をする理由は、第一に、敵に恐怖心を与えて、戦いの継続や戦闘参加の意思をそいでしまうことである。テロが行われている紛争地に行って、殺害されても自己責任だと嘯く臆病者をテロの恐怖によって萎縮させるのである。しかし、このような脅しは、限定的であり、テロによってかえって敵愾心を呼び覚まし、敵の士気を高めてしまうことが多い。

     テロや自爆攻撃をする第二の理由は、敵の抱く憎悪の感情を高め、交渉や和平の道を閉ざし、殺すか殺されるかの背水の陣に状況に追い込むことである。国民総特攻、一億玉砕の状況になれば、最後まで徹底抗戦する以外の選択はなくなる。勝利の見込みが軍事指導者は、味方兵士の反乱や住民の逃亡を心配している。しかし、敵がテロリストと交渉の余地なしと宣言してくれれば、味方の兵士も住民も投降できない。もし投降し捕虜になっても、拷問・虐殺という報復を受けるからである。降伏が死を意味するなら、最後まで戦うしかない。似非指導者も、降伏があり得ない以上、戦後の軍事裁判での処罰を心配する必要はない。

     テロや自爆攻撃をする第三の理由は、敵にスパイ掃討戦・内通者狩りを行わせて、住民・国民の離反を図ることである。情報・軍事組織や秘密機関は、敵に謀略を仕掛け、スパイを送るが、同時に、味方に潜んでいる敵の通報者・スパイ容疑者を見つけ、掃討する。敵味方の双方で、内通者・スパイ容疑者を拘束し、尋問・拷問したり、処刑したりする。前線でも後方でも、内通者・スパイの摘発、尋問、拷問、処刑が持続的に行われる。つまり、前線でも後方でも、内通者・スパイ摘発の名目で報復・テロが正当化される。
     

     戦時中、レジスタンス・パルチザン・ゲリラ掃討作戦で、家財を焼かれ、容疑者として殺害されるのは、現地の住民である。このような状況では、敵との交渉、和平を求める声はなくなってしまう。シリアやイラクの紛争地でも、宗派対立に中立的な住民、アメリカや政府との講和を望む兵士が多いであろう。安寧な生活を望む非国民を自ら摘発、弾圧するより効果的な方法は、戦いたくない住民や兵士に対して、彼らをテロリストと見做して、容赦なく掃討・殲滅する作戦を、敵の派遣軍や情報・軍事組織に取らせることである。敵が、一般市民を殺害したり、容疑者として逮捕・拷問したりしてくれることである。

     憎悪の感情を限界まで高め、味方との交渉や和平の道を閉ざして、生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの背水の陣に状況に、味方を追い込むことである。こうなれば、国民総特攻、一億玉砕のように、最後まで徹底抗戦するしかない。治安出動をさせ、現地住民を弾圧させるには、敵の要人を暗殺したり、敵秘密施設を空爆するのが良い。要人の居所を通報したスパイ、秘密施設を密告した内通者を捜す治安出動で、無辜の市民が容疑者として拷問されたり、殺されたりすれば、反感が高まる。このように状況を操作するのが、情報・軍事組織の役割である。

     1932年1月、川島芳子は、関東軍の謀略の一環として、上海で日本人の日蓮宗僧侶を中国人に殺害させた。これは上海の日本人居留民による中国人への暴力を煽動し、そこから日本人と中国人との戦闘を引き起こすための謀略だった。この第一次上海事変に世界が注目している隙に、満州国が建国された。
    第二次大戦中の1942年5月、イギリスの情報軍事組織MI6は、ナチのベーメン・メーレン(チェコ)保護領副総督ハイドリヒを暗殺した。その目的は、ナチ親衛隊による暗殺者捜索が、チェコ住民への弾圧や虐殺を伴い、それによって反ナチ=親イギリスの陣営にチェコ民衆を引き込むこてである。つまり、IM6は、敵暗殺を契機にテロを引き起こす謀略を行った。
    1960年代、ベトナム戦争の最中、ベトコンViet Cong)と呼ばれたゲリラ部隊は、南ベトナムのサイゴン近くやメコンデルタの農村で、ゲリラ戦を行った。これはベトナム政府軍・アメリカ軍によるゲリラ掃討作戦が展開され、現地農民が拘束・殺害されることで、反政府=反アメリカの勢力の強化を狙った謀略である。
     過去を見つめれば、一国が外国の政府軍あるいは反政府武装組織に兵器を供与して戦わせることはよくあるが、それは同盟といった正規の支援でも、武器密輸という非合法な支援であっても、自国や似非指導者の影響力を拡大する「傀儡政府」あるいは「傭兵部隊」の支援に過ぎない。テロと戦う、紛争を収めるなど平和を構築するというプロパガンダの下に、資金や兵器をばら撒いて、紛争を長引かせ、テロを頻発させている。軍需産業は持続的に営業できる。軍隊は持続的に予算を獲得し、勢力を強化できる。

    情報軍事組織の謀略ともいえる暗躍は、テロを仕掛け、敵がさらに大規模なテロを引き起こすように仕向けることで、虐殺・憎悪という報復テロのインフレーションを惹起して、戦争に巻き込まれたくない住民を、味方として戦争に参加させる手段である。情報軍事組織のプロフェッショナルは、敵にテロを起こさせ、味方の憎悪を最大限に高めるために、謀略・テロを行うのである。

     敵味方双方の姑息な似非指導者は、空爆・ゲリラ掃討あるいは自爆攻撃をテロとみなし、それを理由に、情報組織や軍事組織を創設して、住民を恐怖で支配し、プロパガンダを展開して、世論を形成し、お互いにテロとの戦争(War on Terror )を始めれば、それは自分の野心のためである。スパイとして殺害されたり、拘束されたりした容疑者の家族は、敵に対する報復(テロ)に賛同する。敵は、兵士だけでなく、住民まで虐殺している、それなら敵にも同じ目に合わせるべきだと。
    ゲスタポ・特高(特別高等警察)・ISのような情報組織や軍事組織は、テロを蔓延させ、恐怖による支配、憎悪による虐殺、殺すか殺されるかの二者択一の状況を作ることに使われる。似非政治家や似非指導者が情報・軍事機関を動かし、派兵し、テロとの戦争(War on Terror)に猪突猛進すれば、敵味方双方で日常生活の負担は増し、自由を制約し、人のいのちを軽んじることになる。

      テロとの戦争は、決して短期決戦ではなく、兵士だけでなく、経済や世論を担う国民が参加する総力戦である。総力戦では、軍人と民間人の区別も、戦場・戦地と後方・国内の区別、軍需と民需の区別もみな曖昧になる。

     防空演習・消火訓練、渡航自粛、旅券返還命令、テロ対策部隊創設、対テロ合同演習が、本土空爆や爆弾テロの対策として役に立たないことは、過去の歴史、現在の戦争をみればわかる。ドイツのリヒャルト・フォン・ワイツゼッカー(1920-2015)大統領は、第二次大戦のドイツ敗北40周年に当たる1985年5月8日、連邦議会で「過去に目を閉ざす者は現在も見えなくなる」と述べた。しかし、われわれは、ゲスタポ、アインザッツグルッペ、SS外国人義勇部隊、特高(特別高等警察)のような情報・軍事組織、特攻から現在のISまでのいのちをかけた過酷な戦いを知っている。この傍観者になるだけでは、いずれ自分がその問題に直面した時、周囲は傍観しているだけであろう。

     世界にテロを蔓延させている似非指導者は、似非大義を振りかざして、支配地・領土の住民・家族を脅すために、「アメリカはイスラムを殲滅しようとしている」「テロリストは捕虜や市民を虐殺している」と恐怖心と憎悪を起こさせ、自分たちの軍事組織に参加し戦うことで平和を獲得できるとのプロパガンダを流布している。純真な若者を兵士に志願させ、掃討戦や自爆攻撃に投入するなど、いのちを差し出させている。似非指導者が馬脚をあらわにし、そのプロパガンダの真の企図を喝破することで、戦争は必然的に起こったのではなく、起こるように仕組まれたことが理解できる。芯の腐っている組織に、反乱を生じさせ、崩壊するように仕向けることができる。

     テロや戦争をなくすためには、根本的には、争いを治めて、住民が平穏に暮らせる平和な状況を構築することが大切であり、その手段としては、(1)難民支援など事後的な救済、(2)紛争を拡大しないような事前の生活安定、の二つの方法がある。2015年2月現在、シリアからトルコ、レバノン、ヨルダン、イラク、エジプトへと逃れた難民は380万人以上,この支援資金として37億4065万ドルが必要とされる。イラク難民も240万人いる。地道に平和な状況を構築することに、カネ、モノ、ヒト、ワザを注ぐことが最も重要であると考える。

    いのちへの希求

     Life

    ◆戦時中、日本軍の将官は、部下に対して一度も「降伏命令」を出したことがなかった。大元帥昭和天皇の聖断が、降伏命令として唯一のものである。太平洋戦争初期の米英軍は、現地司令官が、部下に降伏命令を出した。英領シンガポール、米領フィリピン、オランダ領インドネシアなど、みな現地の最高司令官が、部下に降伏命令を出したために、部下は「名誉の降伏」をすることができた。命令で投降、捕虜になったのであり、勝手に戦闘を放棄したのではない。戦場のビラ伝単も,日本兵の投降を呼びかけるものだった。

    ◆枢軸国のドイツ軍、イタリア軍も集団投降したが、これも現地司令官が連合軍に降伏し、部下に降伏命令を出したためである。つまり、軍司令官・指揮官の降伏命令とは、部下に戦闘終了、武装解除に従って捕虜となることを命じることであり,司令官が降伏の全責任を負うという、きわめて勇気のいる行為である。ソ連軍では,投降命令を出した指揮官だけでなく,それに従って捕虜となった兵士まで,罰せられた。昭和天皇による終戦の聖断も投降命令であり,勇気の要る行動だった。

    ◆日本軍の捕虜POWは、前線の将兵が個々に投降したり、収容されたりしたことで、個別に生じたものである。一般将兵は、最前線で戦い、やむを得ず捕虜となった。しかし、軍司令官たちは、作戦指導の失敗、敗戦責任を認めず、降伏命令を出さなかった。徹底抗戦を命じてから自決した。これは、任務に忠実に尽くした後に,敵に破れた自らを処すことであり,忠義の臣のような印象を与える。しかし、司令官として,配下の部下に対して,自決の道連れにする行為で,あるいは事実上の玉砕命令である。 

    ◆1943年5月,玉砕第一号とされたアリューシャン列島アッツ(熱田)島守備隊(山崎部隊)の場合,北海道札幌の軍司令官からアッツ守備隊長山崎大佐への玉砕命令が出ていた。これは,大本営の意向だったが,山崎隊長は,部下に最後の突撃を命じ,自らも玉砕した。山崎隊長は,援軍・補給を要請し,守備隊は援軍・補給を期待して戦っていたのであるが,軍はこれに応えるに,玉砕を命じたのである。

    ◆現地司令官を指導する本土の参謀本部、軍令部は、作戦の指導の失敗を、現地司令官の自決、玉砕命令によって、現地部隊に押し付けた。軍上層部の作戦指導の失敗は覆い隠された。「玉砕」した将兵・民間人を賞賛し、彼らの立派な忠勇を無為にするなと訴えることで、軍上層部の作戦の失敗、敗戦の責任は追及されなかった。遺族は、無謀な作戦で肉親が犬死したとは考えたくなかった。立派に義務を果たし、死んだのだから。 

    ◆玉砕して立派に義務を果たしたという評価が定着すると,この犠牲者を盾にとった指導者に対して,作戦失敗・敗北の責任を追及できなくなった。軍指導者は、捕虜の存在、投降の事実を黙殺し、「玉砕戦」だけを喧伝した。そして,戦死者を英霊とし,彼らへの冒涜を,許さなかった。しかし,これは同時に,作戦を指導した自分たちに対する「人の盾」だった。戦没者は犬死ではないのであるから,指揮官たちの失策・無責任さ・無能さを責める理由はなくなった(ように思われた)。日本は、1945年1月18日、「一億総特攻」、本土玉砕戦を最高戦略として決定した。国民が特攻して守るものは,国体である。

    ◆1945年沖縄戦の集団自決について、軍命令の存在が裁判で争われた。確かに、民間人がなぜ手榴弾を配布されたのかを思えば、兵器を管理している日本軍の関与は明らかである。日本の将兵は「捕虜となれば虐待、処刑される。それよりも自ら死んだほうがましだ」ということを、自らの経験・伝聞から、住民に伝えた。捕虜となった場合に受ける残虐行為を恐れる余りの忠告だったようだ。しかし、配下の将兵に対してでなく、民間人・軍属に対し「捕虜となるくらいなら自決せよ」と軍人が言い放ったことは、どのように認識すべきか。軍人の放言は,形式上は「軍の命令」ではない。しかし,軍人の言うことを信じていた住民は,軍人の放言ではあっても,口に出された言霊である以上,「自決すべき」命令として忠実に尊重した。

    ◆沖縄で自決命令を出したとされた日本軍将校は、特攻艇の部隊の戦隊長で捕虜となって生き残った。死が目前にあった特攻隊の将兵は、自決をどのように考えたのか。統帥上,軍民共死がとなえられたが、自らもそれを信じていたのか。しかし、住民、将兵は、捕虜になり、生き残ることができた。中には、手榴弾を起爆しようとしたが、中古不良品だったために爆発せず、生き残った住民もいた。

    ◆陸軍特攻艇マルレを配備された海上挺進隊(整備)の戦隊長たち,慶良間列島・沖縄本島の日本軍の将兵は,投降命令もなく,米軍に投降したり,捕まったりした。彼らが,徹底抗戦の命令あるいは玉砕命令に忠実だったといえるかどうかは、軽々しくは判断できない。しかし、投降して,捕虜になって,生き残ったことは、結果として,良かったことだと思う。捕虜になることを,自決するには及ばない。が,生き残り同士がいがみ合い争うことになっては悲しい。そう思っての謝罪だったのであろう。その心情をイデオロギーの立場で曲解したり,命惜しさ・金銭欲しさの行動だったと批判してはならない。

    ◆フィリピンのルソン島西側ルバング島で、終戦後も投降しなかった中野学校(軍諜報員養成機関)出身者は、終戦を信じずに、戦争を戦い続けたと主張する。それが処罰されないための方便だったことは、当時の生き残り将兵は,知っていた。本来、大元帥昭和天皇から降伏命令を信じずに戦っていたのであれば、軍律違反である。戦後、フィリピン住民の生命、財産を奪ったのであれば、殺人、強盗で刑罰の対象である。彼は,戦争,戦闘行為の継続という名目が無ければ、処罰を受けずに日本に帰国することはできなかった。

    ◆当時の日本には、終戦、投降、武装解除、捕虜収容、復員の経験者が多かった。戦い続けた勇士として賞賛するものもいたが、フィリピンの戦いの最中,長期「集団自活」を、物資略奪抜きに長期継続するのは不可能である。1944-45年、フィリピン山中に逃げ込んだ日本軍将兵は、補給物資が枯渇すれば、山中での自活が不可能なことを、身をもって体験していた。徹底抗戦、持久戦、敵兵力拘束を目的に、山中で生活し、地獄を見た生き残り日本軍将兵は、ルバング島での長期「戦闘継続」の理由と(生き残るためのやむをえない)方便を理解した。

    ◆米国領グアム島で、終戦を知らずに、27年以上、山中に隠れ住んでいた日本兵がいた。日本兵だった彼は、物資輸送・調理係だった。彼は、人には見つからないように、隠れて暮らしていた。住民の物資を奪って暮らしたのではなく、存在を知られないようにサバイバル技術・精神を身に着けていた。発見され帰国できたとき、「恥ずかしながら生き永らえて帰って参りました」と述べた。日本政府が、終戦の不徹底さを恥じるべきだったかもしれない。彼の場合、本当に終戦を知らなかったのであるから、敵を殺傷しても、やむをえなかった。万が一、傷つけていたのであれば、日本政府が補償するべきであった。

    ◆グアム島の片隅で本当に終戦を知らず28年間も耐乏生活を続けた横井庄一さんは,戦闘を回避して,ひっそり暮らしていた。彼は、誰も傷つけなかった。意思と技術のなせる真のサバイバルだった。盗みや強盗を繰り返して物資を調達していたわけでなかった。グアム島で、秘匿生活を送った元日本兵の記念館が,2006年6月に開設された。妻美保子さんが元兵士7回忌後、自ら開いたものである。自宅を名古屋市に寄贈し、記念館とする計画は、実らなかった。

    ◆若いころ、グアム島の輜重兵は軟弱だ、ルバング島の諜報将校は勇敢だ、と感じていた。今にして思えば、この浅はかな思い違いはとても恥ずかしい。今は,終戦後の生き方として、どちらも感ずるところがある。いまさら投降できず、山中を部下とともに「残留諜報戦」を続けるのは苦闘である。他人の生命と財産を侵すことなく山中で一人で暮らすのも困難で孤独である。略奪を働くことなく,真のサバイバルを続けたことに驚嘆を感じ得ない。フィリピンの山中ですら,自活,自給自足など不可能だったのに。二人に共通しているのは、日本軍将兵として、捕虜になれば、投降すればどうなるかを、軍の伝統・経験の中で思い描いて、恐れていたことである。

    ◆突撃せよと命令する司令官,特に安全な場所にいた軍上層部にとって、死は他人事であり、作戦立案者の参謀が死を恐れないのは当然である。しかし、前線に立った兵士は、戦意の高い勇士であっても、やはり死を恐れたという。死の恐怖を乗り越えようと、ひたすら思いつめた将兵もあった。死を忘れようとする将兵もあった。しかし、勇士たち皆は、死そのものからは、容易に逃れられないのを知っていた。死は避けられないと覚悟したこともあったが,勇士にもいのちは大事であり、死を恐れる理由があった。

    ◆戦争は、祖国、家族あるいは正義、民主主義を守るための戦いなのか。聖戦として,悪を倒すために戦うものなのか。しかし、戦争には破壊と殺戮が付きまとう。大量破壊と大量殺戮を伴う総力戦は恐ろしい。自らの破壊と殺戮を回避しようとして、敵を壊し殺すことを正当化する。憎悪と報復を煽るプロパガンダが展開される。ひとたび始まった総力戦を止めるのは、敵の徹底的な破壊と殺戮が実現した後でしかない。

    ◆生き延びようとした前線の将兵は、戦い続けたり、逃避生活を送ったりした。負傷し、病にかかり、投降し、捕虜になった。部下や戦友の命を救うため投降したものもあった。皆、大東亜共栄圏の確立だとか、国威発揚のためとかいう「国家の大儀に滅す」ために「聖戦」を戦ったのであろうか。日本軍は,一億総特攻を,戦略の最高方針として,公式に決定したが,国民はそれに疑問を抱かず従ったであろうか。

    ◆戦時中も,皆,自らの生命を、戦友の命を守るために、生き続けようとした。家族に会うために、家族を支えるために生き延びようとした。諜報将校も、炊事係りの兵も、ともに、生への渇望が見て取れる。兵士は,死にたくないとは口に出さないが,根底に流れる「いのちへの希求」は、肯定できる。とにかく、生き残れるだけで助かった、生き残ってよかったと思えるときがある。

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