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◆自爆テロと特攻・真珠湾攻撃 ◇ Suicide Attack/Suicide Terro


挿絵:(左)1941年12月7日のハワイ真珠湾奇襲攻撃と2001年9月11日のニューヨーク世界貿易センタービルへのテロ
;Dennis Draughon, The Scranton Times, Ohio掲載。米国では,卑劣極まりない対米攻撃として,テロとみなされた。
写真(右):2001年9月11日に旅客機が突入して破壊された世界貿易センタービル;自爆テロ以降、このビル跡地はグラウンド・ゼロ(爆心地)とも呼ばれている。

9.11同時多発テロは,真珠湾以来のテロであり「恥辱の日」であるとして,マスメディア,大統領もその憤慨を公言している。トラ・トラ・トラは,真珠湾攻撃隊の指揮官渕田美津雄中佐が「成功せり」と真珠湾上空から伝えた電文。ハワイ真珠湾攻撃によって,2400名近く死亡,1200名近くが負傷した。相手が軍人であれば,テロではないと言い逃れができるのか。戦争であれば大量殺戮はやむをえないので,テロではないのか。

USS GUEST DD472 OKINAWA CAMPAIGN
UNITED STATES STRATEGIC BOMBING SURVEY:SUMMARY REPORT
U.S. Naval Chronology Of W.W.II, 1945
9.11の本】/【イラク戦争の本】/【テロ戦争の本】/【難民の本

写真(右):「真珠湾攻撃でも毅然としてはためく星条旗」のポスター:「彼らの死を無駄にするな」「12.7の真珠湾テロを忘れるな」米国へのテロを行った日本に対して,毅然とした態度をとった。それまでの世界大戦への参戦に躊躇していたが,ハワイ,フィリピン,マレー,香港,グアム,天津への攻撃が明らかになると,「同時テロ」への報復を求めて,即座に参戦を承認した。戦争はテロではないというのは,高邁な理想を掲げて攻撃,暴力を振るった側の論理であり,攻撃を受けた側は,その理由のいかんを問わず,テロとみなすものだ。

◆2011年9月2日・9日(金)21時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」で「ルドルフ・ヘス」「レニ・リーフェンシュタール」にゲスト出演。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。これらはZDF「Hitler's henchmen/The Deputy - Rudolf Hess」「Hitlers Women - Leni Riefenstahl」をもとに制作された。

【自衛隊幕僚長田母神空将の戦争論】
【元厚生事務次官宅連続襲撃事件】
次官宅襲撃:「年金テロか」…厚労省は重苦しい雰囲気毎日新聞 2008年11月18日引用
旧厚生省の2人の元官僚トップ宅で18日、相次いで惨劇が起きた。さいたま市で元事務次官・山口--(66)夫妻の命が奪われ、その発見から約8時間後、約14キロ離れた東京都中野区の元次官、吉原--(76)宅で、妻--(72)が刺され重傷を負った。2人の元エリートは現役時代、ともに年金制度を担っていた。「これは年金テロなのか」。卑劣な凶行に厚生労働省は、重苦しい雰囲気に包まれた。
元次官宅襲撃:首相の危機感薄く 高官も対応を疑問視毎日新聞 2008年11月19日引用
 麻生太郎首相は19日、「連続テロ」の可能性がある元厚生事務次官宅連続襲撃事件を強く非難するメッセージを出さなかった。---取材に応じた首相は「今の段階では単なる傷害か何とかって決まっていない」などと述べるにとどめた。
元次官宅襲撃で官邸に情報連絡室、事件拡大防止へ厳戒態勢 元次官宅連続テロ読売新聞2008年11月19日
旧厚生省の事務次官経験者に対する連続テロとみられる事件を受け、政府は事件の拡大を防ぐため厳戒態勢を敷いている。----麻生首相は19日夜、首相官邸で記者団に「今の段階では、単なる傷害か何か決まっていない。----テロだと二つの(事件の)間に明らかな意図があったということがはっきりしたなら、断固たる処置をとるのは当然だ」と述べた。----首相官邸の危機管理センターに情報連絡室が設置された。一連の対応は、政府が災害やテロなどの緊急事態に備えて用意したマニュアルに沿って進められた。今回の事件は----マニュアルで定めた----「緊急事態に発展する恐れがあり、大きく構える必要がある」(政府関係者)として同連絡室の設置を決めた。----厚生労働省は事件を受け、警察庁に、歴代の次官経験者らの自宅や庁舎の警備態勢の強化を要請した。庁舎玄関には警備員を増強し、来庁者には金属探知機によるボディーチェックや荷物検査も実施。
【元厚生次官ら連続殺傷】テロ行為に怒りと警戒感産経新聞11月20日
自民党の津島雄二元厚相は「厚労省の仕事をほとんど評価できないような論評のために不満が爆発し、今回の理不尽な行為につながったとすれば残念だ」と発言。「責任があるのは『あれが悪い、これが悪い』という国会の議論だ。そういう風潮を作るマスコミも考えてほしい」などと、野党やマスコミの論調が事件に影響を及ぼしたのではないか。

◆2009年9月8日(火)20時,9月12日(土)13時,9月15日(火)14時,NHKプレミアム8『世界史発掘!時空タイムス編集部 新証言・ヒトラー暗殺計画』に出演。

◆恐怖によって目的を達しようとする行為は,すべてテロである。その手段が破壊・殺戮の暴力か,脅迫・抑圧かは区別されない。対象が政府高官・軍人か,庶民かも区別されない。目的が,政治的・軍事的か,個人的な怨恨・報復かも区別されない。テロリストは,軍事組織・秘密結社に属すか,個人なのかにかかわらず,人々の生活を危険に晒す。戒厳体制によって生活を低迷させる。テロリストが,自ら高邁な理想を掲げても,その手段が恐怖に由来するものであれば,正当化できない。

戦闘員でないから、戦場にいないから攻撃されないといった安全神話は、20世紀に総力戦が始まって以降、成り立たなくなった。「敵」とされた国の市民やその支持者であることが明らかになった時点で、経済・世論の上で、重要な役割を担っている市民は、戦地に行くジャーナリストも故国で会社勤めのサラリーマンも、みな攻撃の対象になる。攻撃することが戦争を早く終わらせて、平和になるこのような考えからテロが戦争を終わらせるとの正当化も行われる。これが大規模な空襲・空爆。原子爆弾投下、生物化学兵器の使用、そして自爆テロ、特攻である。1944年10月、海軍第一航空艦隊司令に赴任した大西長官の秘策として、特攻によって戦記を掴み日米和平のきっかけを作ろうとしたというのももっともな説である。

 戦闘になれた兵士、防備の堅い軍事施設を襲撃するのは、困難が伴うが、非武装の無警戒な市民や無防備な民間施設であれば、容易に襲撃できる。したがって、テロリストにとっては、戦略・戦術上、市民のいのちが格好のターゲットになる。テロリストが、市民を攻撃するのにも軍事的には最もな理由がある。


  総力戦の場合、非武装の市民を殺害することは、産業戦士(労働力)の戦力減退を図るものであり、戦争継続の世論を弱体化させる目的があった。市民の暮らす都市への無差別爆撃indiscriminate bombing)や原子爆弾投下Atomic bombing)は、早く戦争を終わらせる、戦争に勝つための手段として、正当化された。総力戦であろうと、平時であろうと、テロは許されることではない、どのような論理もそれを正当化することはできないはずだが、実際は、テロとの感触を抱かせないように、テロを実施したのである。

 日本人や韓国・台湾の出身者による特攻については、祖国や家族を守るために、軍艦や敵兵を攻撃したものであって、自爆テロとは異なる、という見解が日本では根強いある。しかし、攻撃を受けたアメリカ軍、現代のアメリカ大統領は、特攻は自爆テロであるとみなしていた。特攻は、至高の存在(天皇)のために命を惜しまない狂信者である、勇敢に戦死すれば英霊として永遠の名誉を得る思い込んだ狂信者である、祖国・民族のために死ぬことが武士道の本質であると洗脳された狂信者である、このように敵は考えた。これは、現在の日本人やアメリカ人が、タリバン、アルカイダ、ISなどの「テロリスト」をイメージするのとまったく同様である。しかし、われわれ日本人は、1944年から1945年の特攻隊員が、そのようなテロリストであるとは、思わない。多くの若者が生きていたかったし、特攻で死ぬことに疑問や恐怖を感じていた。特攻を命じた指揮官に不満を抱いていた。特攻をせざる負えない状況に苛立っていた。

1.日本海軍は、特殊潜航艇「甲標的」(甲標的甲型)を開発,量産し1941年12月の真珠湾攻撃で初めて実戦に使用した。甲標的による攻撃は,帰還することが期待できない文字通りの「特別攻撃」である。出撃した甲標的5隻の搭乗員10名のうち戦死した9名は軍神として崇められた。


写真(左):グアム島米軍基地に展示してある甲標的;グアム島アプラ港にも防御用に配備されていたようだ。甲型ではなく丙型か(?)。


2002年8月28日、真珠湾口で、特殊潜航艇「甲標的」が発見された。
1941年12月7日の日本海軍機動部隊による真珠湾空襲より前の0645に真珠湾入り口で,米海軍の旧式駆逐艦「ウォード」USS Ward の乗員が国籍不明の潜水艦を発見し,4インチ砲で攻撃し,撃沈したという報告が確認された。

甲標的は,電池を使いきってしまえば,自分では充電できないが,水中速力19ノットという,当時の潜水艦の2倍以上高速だった。

全長:24m ,全幅:1.85m
最大速度:水中 19kt ,水中航続距離:148km(80海マイル/6kt)
兵装:45cm魚雷発射菅×2、魚雷×2


写真(右):ハワイ諸島オアフ島に座礁した甲標的(甲型);1941年12月7日に真珠湾の米軍艦艇を雷撃するために湾内に侵入しようとしたが果たせなかった。真珠湾種攻撃の翌日に米軍により,半分埋もれた船体が引き揚げられた。


特殊潜航艇「甲標的」の実戦での初使用は,1941年12月7日の真珠湾奇襲攻撃である。真珠湾の湾口に待機していた伊号潜水艦5隻から各1隻,合計5隻が発進した。1941年12月7日(現地時間)のことである。


写真(右):真珠湾を攻撃し戦死した甲標的5隻の搭乗員は九軍神となった。;甲標的は,搭乗員2名で,出撃した5隻の10名の搭乗員のうち,戦死したのは9名。捕虜となった酒巻少尉は,日本海軍の恥部として,軍神からはずされ,闇に葬られた。中央に描かれているのは真珠湾に浮かぶフォード島(Ford Island)で,ヒッカム飛行場がある。作者不詳。


特別攻撃隊(司令佐々木大佐)の編成 
甲標的(伊22搭載 岩佐直治大尉 佐々木直吉一曹)
甲標的(伊16搭載 横山正治中尉 上田定二曹)
甲標的(伊18搭載 古野繁実中尉 横山薫範一曹)
甲標的(伊20搭載 広尾彰少尉  片山義雄二曹)
甲標的(伊24搭載 酒巻和男少尉 稲垣清二曹)

空母機動部隊の艦載機による空襲以前に,特殊潜航艇が,米軍哨戒機に発見され,米海軍駆逐艦に攻撃されている。撃沈確実と思われる。甲標的は1-2隻が真珠湾内に突入するのに成功した。運動性能はよくない上に,魚雷改造で操縦性,搭乗員の居住性も悪かった。新縫わ真珠湾攻撃に際しては1-2隻が米艦船を魚雷攻撃できたようだが,戦果を挙げることはなかった。

日本では,開戦劈頭の大戦果として,特殊潜航艇も米艦船撃沈を成し遂げたように戦果が公表された。決死の覚悟で出撃した甲標的の搭乗員10名は賞賛された。しかし,酒巻和男少尉は捕虜となったため,1名少ない9名のみが「軍神」としてたたえられた。

酒巻少尉と稲垣ニ曹の甲標的は,ジャイロ(羅針儀)が故障していたが,千才一遇の好機を逃したくないと強行発進した。真珠湾への突入に失敗し,座礁と離礁を繰り返すうちに魚雷発射管が故障。母艦が待つ収容地点へ向かうが再度座礁。 自爆装置に点火して稲垣清二等兵曹と共に艇から脱出し,米軍の捕虜となる(太平洋戦争での日本人捕虜第1号)。

稲垣清ニ曹は自決したらしく,行方不明。海軍二等兵曹から二階級特進し兵曹長になり,軍神として讃えられる。1943年4月8日 合同海軍葬。日比谷公園斎場 葬儀管理者は海軍大臣嶋田繁太郎が勤めた。

決死攻撃に際して捕虜という汚名を被ることは,末代までの恥である。投降したり,捕虜になったりした日本の将兵は,日本軍隊内では,決してあってはならない。決死の出撃をしても,捕虜になってはすべてが無駄になる。したがって,出撃後に攻撃の成否にかかわらず,帰還できない以上は,自決するしか道は残されていない。換言すれば,甲標的による決死攻撃は,1944年10月からの特攻とほとんど変わることがない。


特攻隊員と思われる若い搭乗員たち
:彼らを育てた家族にとって,接した友人たちにとってテロリストであるはずがない。しかし,敵からあるいは殺された遺族からみると,テロリストとみなされてしまうことがある。


1941年12月7日の真珠湾への特殊潜航艇による「特別攻撃」が、必死の特攻だったことに加えて、その特攻が部下の志願による犠牲的精神の発露であったとする見解が、流布されたが、これは1944年10月以降フィリピン戦における神風特攻隊の神話と全く同じである。軍が命じたのではなく、やむを得ざる状況で、部下が自発的に特攻を申し出て、上層部がその熱意にほだされて、特攻を認めた---。こういったありえないような理由で、特攻作戦が説明されている。現在でも「特攻隊自然発生説」が流布されているが,これは1941年末の日米開戦当初から軍上層部の既定の方針だったようだ。

同じようの犠牲的精神の発露による「特攻自然発生説」は,1932年2月22日,第一次上海事変での日本陸軍「爆弾三勇士」である。爆弾三勇士の行動も,犠牲的精神の発露であるとされた。長崎県出身の北川丞一等兵,佐賀県出身の江下武次一等兵、長崎県出身の作江伊之助一等兵は,名前は忘却されてはいるが,三軍神と称えられたのである。

1932年2月27日に『大阪朝日』社説「日本精神の極致――三勇士の忠烈」
 「鉄条網破壊の作業に従事したる決死隊の大胆不敵なる働きは日露戦争当時の旅順閉塞隊のそれに比べても、勝るとも決して劣るものでなく、3工兵が-----鉄条網もろとも全身を微塵に粉砕して戦死を遂げ、軍人の本分を完うしたるに至っては、真に生きながらの軍神、大和魂の権化、鬼神として感動せ懦夫をして起たしむる超人的行動といわなければならぬ。
 内憂にせよ、外患にせよ、国家の重大なる危機に臨んで、これに堪え、これを切り開いてゆく欠くべからざる最高の道徳的要素は訓練された勇気である。訓練された勇気が充実振作されてはじめて、上に指導するものと、下に追随するものとが同心一体となって、協同的活動の威力を発揮し、挙国一致、義勇奉公の実をあぐることが出来るのである。
 ----わが大和民族は選民といっていいほどに、他のいかなる民族よりも優れたる特質を具備している。それは皇室と国民との関係に現れ、軍隊の指揮者と部下との間に現れ、国初以来の光輝ある国史は、一にこれを動力として進展して来たのである。肉弾三勇士の壮烈なる行動も、実にこの神ながらの民族精神の発露によるはいうまでもない。」(『大阪毎日』引用)

北川丞一等兵,江下武次一等兵、作江伊之助一等兵という下級兵士は,『爆弾三勇士』として,荒木貞夫陸相、鳩山一郎文相、薄田泣董など一流の人物に絶賛されたようだ。

「三勇士の歌」は,『朝日新聞』『毎日新聞』が公募し,1932年3月25日に入選作が発表された。『毎日』の「爆弾三勇士の歌」には、総数8万4177編の応募があり、この中から、与謝鉄幹の作品が選ばれた。

三番 中にも進む一組の 江下 北川 作江たち 凛たる心かねてより 思うことこそ一つなれ
四番 我等が上に戴くは 天皇陛下の大御陵威 後に負うは国民の 意志に代れる重き任

鉄幹は当選歌を発表後、(三)の「答えて『ハイ』と工兵の」の文句が「これでは上官が命令したことになり、事実と相違する」と軍から指摘され、修正したといわれる。(静岡県立大学前坂俊之教授(http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/maesaka/maesaka.html)引用)


ハワイ真珠湾で炎上するアメリカ海軍の戦艦群:右では戦艦「アリゾナ」Arizonaが炎上し、戦艦「ウェストヴァージニア」West Virginiaの甲板が波に洗われている。戦艦「テネシー」Tennesseeが両艦に挟まれている。

昭和17(1942)年4月発行 月刊誌『画報躍進之日本』記載の殉忠特別攻撃隊九軍神の逸話

「寡い力を以て強大な敵に当たるには、この方法よりほかにありません」
「気持ちはよく判る、だが岩佐大尉、死ぬのを急いではいかん、無理をするな」-----
 特殊潜航艇は岩佐大尉が幾度か上官に懇願し,無暴にも近いこの特別攻撃実施に当たっては、これを許す上官達としてまた骨身を削る熟慮を重ね、検討に、検討が加へられそして最後に沈黙の提督山本司令官の「断」となったのだ,
成功の確算もさる事ながら、志願勇士の烈々たる熱意に深く打たれての「断」であったに違ひない。
(『画報躍進之日本』引用

九勇士は素より技術家、工員に至るまで不眠不休で製造實験或ひは準備訓練と心血を注ぎ、大東亜戦争開始直前に見事完成した。---数ケ月後に来る「死」のために、猛訓練を續ける心は何といふ崇高な心情だらうか。

時は遂に来た、十二月八日真珠湾攻撃「果たして自分等の微力がよく敵の艨艟を沈める事が出来るか、たゞ大君の御為に醜の御楯となればよいのだ」まことに貴い精神力と云ふよりほかはない「死よりも強し」とは此の事を云ふのだらう
勇士達は、襦袢から袴下まで新しいものに着更へ上官に最後の申告を行った。勇士達は「行って参ります」とは云はなかった、生還を期さないからだ---

まがう方なき「アリゾナ型」戦艦である。それを見かけて一隻の特殊潜航艇が、海豹の如く進んで行った、瞬くうちに、遥か真珠湾内に一大爆発が起こり火焔天に沖し、灼熱した鉄片が花火のやうに高く舞ひあがった。(→昭和17(1942)年4月発行 月刊誌『画報躍進之日本』引用終わり)

前橋文天周辺地域生活情報サイト「郷土出身の偉人たち」に記載された軍神 岩佐直治海軍中佐>

写真(右):日米開戦劈頭、ハワイ攻撃で甲標的に乗り込み特攻した軍神岩佐直治海軍中佐


1915年(大正)年5月6日   群馬県前橋市天川原出身 
1927年3月30日 前橋市立城南尋常小学校卒業
1930年3月30日 群馬県立前橋中学校卒業
1938年3月16日 海軍兵学校卒業(65期)練習艦「磐手」乗り組み
1938年6月19日 巡洋艦「熊野」乗り組み、その後、戦艦「比叡」、巡洋艦「鹿島」乗り組み
1940年11月15日 特殊潜航艇搭乗員として水上機母艦「千代田乗り組み
1941年1月 特殊潜航艇の投下訓練を倉橋島、三机湾で開始
1941年4月15日 特別攻撃隊発令
1941年11月18日 特別攻撃隊(伊22潜)として倉橋島から出撃
1941年12月8日 ハワイ真珠湾にて享年26才で戦没

岩佐中佐遺書
 櫻花(さくらばな)散るべき時に 散りてこそ
     大和の花と賞(めぜ)らるるらん

 身はたとえ異境の海に はつるとも
     護らでやまじ 大和皇國(みくに)を
                          直治(なおじ)
父上
母上  様


1941年12月7日、真珠湾で炎上する戦艦「アリゾナ」USS Arizona (BB-39):左には、戦艦「テネシー」の甲板上で消火用ホースで消防活動に従事する人々が見える。Naval Historical Center

「嗚呼特別攻撃隊」
二、許して下さいお母さん だまって別れたあの夜の せつない思い必勝を 固く誓った僕でした
三、我儘(わがまま)言った僕ですが 今こそ征(ゆ)きます参ります 靖国神社へ参ります さらば母さんお達者で
四、師走(しわす)八日の朝まだき 僕は特別攻撃隊 男子の本懐(ほんかい)今日の日よ 待っていましたお母さん
五、天皇陛下万歳と 叫んだはるか海の底 聞いて下さいお母さん 遠いハワイの真珠湾

「特別攻撃隊」の作詞でも、「史上例なき肉弾に 必殺ちかう海の底」「大東亞聖戦の 基かためし軍神 燦たり特別攻撃隊」など、特攻隊の犠牲的精神を高く評価している。特攻隊を称える2曲は、敵愾心が見えてこないまま,祖国と家族への愛情ゆえに,潔く死んでゆくさまを謳っている。開戦劈頭ではあるが,戦局の悪化した大戦末期と同じような「自己犠牲を厭わない勇士」の感覚こそが「特別攻撃」という自殺攻撃を正当化できることが読み取れる。

1942年4月『画報躍進之日本』の殉忠特別攻撃隊九軍神の逸話では、特殊潜航艇を思索し,真珠湾突入の作戦を計画したのが、一軍人に任せられ、その熱意と修練が戦果をあげたたよう書かれている。しかし、特殊潜航艇の整備。点検,それを運搬する潜水艦との打ち合わせ,このような作戦行動を個人が取り仕切ることはできないし,それが軍で許されるはずもない。海軍の組織として、兵器を準備し,作戦を実施したのであり,この特殊潜航艇による特別攻撃も、海軍の作戦の一環である。

にもかかわらず、特攻について、一軍人の犠牲的精神の発露という面だけを強調・賞賛して、軍の関与を最小限に抑えた発表をしている。このような発表は、軍の関与を隠蔽しようとした所作であり、戦果不明にもかかわらず、「襲撃成功」の無電を偽装し、特別攻撃が失敗した責任をも回避しようとした。真珠湾への特別攻撃隊九軍神は、特攻プロパガンダとして歪められて流布された。

特殊潜航艇の搭乗員たちは勇ましく,自己犠牲をいとわなかった。しかし、特攻隊員を指揮する海軍上層部は、特攻作戦の実施とその失敗の責任をとろうとはしなかった。特攻が、戦果を揚げなかった可能性は理解していたようだが、決して事実として認めようとはしなかった。同じことが,1944年10月のフィリピンのレイテ戦での航空特攻についても当てはまる。これこそ、勇敢に戦い、戦死したり捕虜になったりした特攻隊員の誠意を、自己の栄達のために、歪めて利用する行為であろう。

福田逸の備忘録に記載された「特別攻撃隊員」
昭和17年3月7日の朝日新聞に「殉忠古今に絶す軍神九柱」「偉勲輝く特別攻撃隊」「九勇士ニ階級を特進」として、次のな記事が紹介されている。
 連合艦隊司令長官山本五十六大将は、1942年2月11日、ハワイへの特別攻撃隊は「多大の戦果を揚げ、帝国海軍軍人の忠烈を中外に宣揚し、全軍の士気を顕揚したることは、武勲抜群なりと認む」として、感状を授与した。

朝日新聞に「特攻九軍神を讃へた三好達治の詩「九つの真珠のみ名」、吉川英治の随筆「人にして軍神−ああ特別攻撃隊九勇士」も掲載されている。(→福田逸の備忘録に記載された「特別攻撃隊員」引用)


写真(実右)真珠湾で撃墜された九九式艦上爆撃機:空母「加賀」の艦載機。被弾した日本機は、捕虜になるのを避けるために、勇敢に敵艦や敵軍事施設に体当たり自爆したとされるが、この機体のように原型を留めているものもある。Official U.S. Navy Photograph

真珠湾攻撃に際して,軍神扱いされたのは,特殊潜航艇による「特別攻撃隊」隊員だけではない。空母6隻を中心とする機動部隊は米海軍太平洋艦隊が終結する真珠湾に、航空機を主力とする攻撃を敢行した。このとき,日本側も特殊潜航艇5隻(戦死9名)と未帰還機29機(戦死49-54名)の損害を受けた。

その中でも勇敢な行為,すなわち敵艦や敵航空施設に体当たり自爆した機体の指揮官は,勇気と戦功を評価され、戦死後に,二階級特進の扱いを受けた。真珠湾攻撃時の二階級進級者は,少なくとも7名いるようだが,特に有名なのは「海鷲三士官」として称えられた牧野三郎海軍大尉(31歳)、飯田房太海軍大尉(29歳)、鈴木三守海軍大尉(37歳)の3名で,いずれも海兵60-65期の出身者である。

牧野機「加賀」艦爆隊:敵艦爆撃後,大火災、猛噴煙のなかに消えた。
飯田機「蒼龍」艦戦隊:燃料タンクに被弾したが,列機に帰投方向を示した後で、反転して飛行場の格納庫に突入。
鈴木機「加賀」雷撃隊:魚雷命中、そのまま敵艦に体当り。

加賀雷撃隊の植田米太郎(乙飛6)海軍飛行特務少尉(23歳)も,下士官として「真珠湾攻撃ニ参加シテ 壮烈ナル自爆ヲ遂ゲ 夫々二階級進級 軍神トシテ仰ガル」(碑文より)

開戦当初とはいえ,体当たり自爆は潔いことであり,敵の捕虜となるような落下参考や胴体着率(不時着)は命を惜しむ女々しい行為であり,恥と考えられていたようだ。捕虜になるのを許されない状況で,空の自決=体当たり自爆を選択したと考えられる。

開戦当初の体当たり自爆は,決して命じられた自爆攻撃ではないが,航空機搭乗員が,帰還できない状況に陥ったとき,捕虜とならないためには,自爆するしかなかった。日本軍は,不時着した航空機の搭乗員を捜索,救出,救護する装備も兵器も不足していた。

◆日本海軍では,落下傘も,航空機搭載用の救命ゴムボートも実用化されていた。しかし,搭乗員救出のための航空機,潜水艦などの艦艇はほとんど準備されていなかった。真珠湾攻撃の際も,不時着救出地点が前もって決めてあったが,救出できた搭乗員は一人もいない。搭乗員と救出部隊の合同訓練も実施されていないし,緊急時の脱出・救出の訓練も全く行われていない。つまり,日本軍にはまっとうな搭乗員救出計画などなかったのであり、いざとなれば,自爆するしかない。


1941年12月と1942年5月のオアフ島カネオヘ基地での真珠湾攻撃犠牲者の葬儀と追悼式:米国でも、犠牲者を勇士として顕彰し、戦意高揚を図っている。戦争プロパガンダは、宗教的体裁を採って行われることも多い。

真珠湾攻撃で,米国人に尊敬され,賞賛されるのは,勇敢に応戦し,救助活動をした(とされる)米軍戦死者である。日本の真珠湾攻撃隊員の戦死者で,米軍が葬儀に出したのは,飛行場格納庫に激突した戦闘機パイロット1名だけであろう。米軍は,日本兵の遺体を10〜40体(それに相当する肉片や遺物)を発見し,収容したであろう。しかし,情報収集のためであり,遺体や攻撃隊員へは,戦友を騙まし討ちにした敵として,辱めを受けたかもしれない。

奇襲,特攻,テロの観点は,攻撃の対象とされる側からは全く異なる。攻撃対象者からは,奇襲,特攻,テロはみな許容されることはない。殺される側にとって,恐怖と憎悪の的になるだけである。真珠湾攻撃・特攻とテロは違うという主張は,殺害される側からは,反発を受けるだけである。民間人であろうと,兵士であろうと死にたくないのであり,死を覚悟したから兵士であれば殺害してよいというのは,殺す側の一方的論理である。殺す側(奇襲部隊,特攻隊,テロ集団)で正当であるとされる論理も,敵(米軍)にとって,非難されるべき「卑怯な騙まし討ち」「狂信」「非人道的な人命軽視の思想」である。

日本における「真珠湾攻撃・特攻とテロとは全く異なる」という主張は,奇襲や特攻をする側,テロをする側の主張であり,殺害されようとする人間は,殺しにくる人間やそれを正当化する「論理」を受け入れない。「フランスでも,フィリピンでも,特攻が賞賛されてる」という日本人の主張は,あくまで特攻で「殺される側にいなかった」一部の人々の意見を拡大解釈している。あるいは,奇襲特攻隊員,テロリストは,軍事的には士気や攻撃精神の旺盛さを賞賛すべきであるから,冷徹な軍指揮官や扇動家の「賞賛」は,自己主張を喧伝する一環であるかもしれない。

 ⇒◆1941年12月7日(日本時間8日)の日米開戦は真珠湾攻撃を参照。
 ⇒◆1941年12月7日(日本時間8日)の真珠湾奇襲における特別攻撃は特殊潜航艇「甲標的と軍神」を参照


靖国神社の大鳥居:靖国神社は1869年に創建。祖国を守る意義ある死に方をした軍人/民間人を祭る。大鳥居(第一鳥居)は、戦時中に金属徴用され再建された。笠木(上の横木)の長さは約34メートル、柱の高さが約25メートル、重量100トン。鋼管製1974年竣工。

 真珠湾を攻撃をした特殊潜航艇「特別攻撃隊」は、自らの命を捧げ、勇敢な攻撃を行い、大戦果を揚げたとされた。総力戦に役立つように、特別攻撃を都合のいいように解釈し、国民を総力戦に動員する擬似宗教的軍人精神増幅装置が、九軍神の神話をつくった。
勇敢に戦って死んだのであれば,祖国のために殉じた勇者を英霊として祀る宗教も有用である。

靖国神社は、明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争で斃れた人達を祀るために創建され、東京招魂社と呼ばれた。1879年に靖国神社と改称された。後に1853年ペリー来航以来、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった。

靖国神社への合祀は、陸・海軍の審査で内定し、天皇の勅許を経て決定された。被祀者の遺骨・位牌などはなく、霊璽簿に氏名を記入し、合祀祭を行うことで、「御霊(みたま)」を招来して祀っている。祭神であるという理由から「柱(はしら)」という単位で数える。合祀祭には大元帥の天皇が祭主として出席した。2004年10月現在、 軍人,民間人に関わらず命(ミコト)として祀られた人柱の数は、支那事変 19万1,250、大東亜戦争13万3,915 など合計 246万6,532柱に達している。


靖国神社の本殿:本殿は1980年末に再建。祖国に殉じた軍人/民間人を合祀する。宗教的祭礼は,軍人だけでなく、愛国心を堅持したい人々をひきつけているが、競合する国立慰霊施設の新設には反対している。

軍神顕彰など戦意高揚のプロパガンダが徹底されたのは、日中全面戦争以来、総力戦に突入し、日米開戦によって一層の兵士,兵器,資源,輸送手段、労働力が求められるようになり、その物資・人員を動員する必要からである。戦争は、前線の戦闘部隊だけでなく後方、すなわち銃後の国民によっても戦われている。これは、兵器生産,資源節約,食糧増産、兵員供給、物資運搬など、国民生活のあらゆる方面に関連した「総力戦」である。

特攻隊を顕彰するのも、その総力戦に必要な動員を、精神的にするめ,総力戦に適する世論を形成するためである。純粋に軍事的な観点からは、特殊潜航艇の効果に疑問が合ったとしても、それを公表することはなく,あくまで動員に有利な世論を作り上げるために偉勲をあげた自己犠牲の戦士、すなわち軍神が必要になる。このような世論操作,プロパガンダのために、真珠湾攻撃をした特殊潜航艇とその乗員たちが、利用された。ただし、戦果がなかったこと,捕虜がでたことは、隠蔽され,黙殺された。

女学生も母親も、学童・児童すらも総力戦にあっては「戦争をしている」のである。総力戦は,日本だけでなく、敵連合国、米国でも同様である。女子の労働力を純授産業に大量投入し,黒人労働力・黒人兵士も導入した。男子大学生だけでなく、女子大生も、学徒動員されあるいは、軍事訓練を施されていた。米国は民主主義を標榜していたが、ファシズムの「大日本帝国」と同じように,総力戦のための物資/人員の動員が協力に推し進められ,そのためのプロパガンダが徹底的に行われた。


ワシントンDCのジェファーソン記念堂を正装して訪れた米海軍婦人部隊WAVEs:ジェファーソン記念堂は、生誕200年にあたる1943年12月に4年間をかけて落成した。基礎をうったのは、フランクリン・ルーズベルト大統領で、巨大な青銅製のジェファーソンの像は1階にあったが、今は堂内に移転されている。周囲には,1912年に日本から送られた「ワシントンの桜」が植えられているのが悲しい。The memorial was dedicated in 1943 on the 200th anniversary of Jefferson's birth, four years after President Franklin Roosevelt laid the cornerstone. The memorial appears at its most beautiful in early spring when the Japanese cherry trees are in bloom. The trees were presented as a gift from the city of Tokyo to the city of Washington in 1912.

宗教と国家が一致している日本では、天皇・神道が忠誠表明とあり、靖国神社が英霊をまつる。米国では、国家とキリスト教が憲法上、一致することを認めていないので,祖国に対する忠誠は、国旗、歴史的記念物、墓地などで示される。ワシントンDCのジェファーソン記念堂(Jefferson Memorial)は、第3代大統領Thomas Jefferson(1743-1826)を記念する国立の記念建造物。ジェファーソンは、独立宣言を起草した英雄である。キリスト教では、人間が神(命、ミコオト)になることはないが、偉人は死後に、英霊として尊敬され,国家顕彰の対象となることがある。

   真珠湾攻撃では、特別攻撃隊が「九軍神」とされたが、祖国に殉じた者は、兵士、軍属、民間人を問わず、靖国神社に御霊を合祀され、軍神となることができる。その意味では、軍神は何百万人も存在し、祖国のために殉じる模範を示しておられるということになる。

靖国神社の合祀は、殉国者とその遺族にとって最大の名誉である。生きている国民,兵士は、九軍神に続いて、命を投げだし、大御心(おおみごころ)に沿うように、ご奉公しなくてならない。祖国への犠牲は、靖国神社に御霊として合祀されることで癒される。これは、軍人恩給、遺族年金などお金では得ることのできない高次元の宗教的慰安を提供する。そして、靖国神社で命(ミコト)として永遠不滅の名誉を手に入れ顕彰されることになる。

 米国でも星条旗に忠誠を誓って、総力戦に賛意を表明し、動員に全面的に協力しなくてはならない。日米の自己人的なつながり、交流は、総力戦の前に否定され、黙殺されなくてはならない。敵も親であり子供である、敵にも家族があるなどという親近感は暗黙裡に排除され、敵愾心を燃やして、戦意向上を図ることが第一となる。

2.真珠湾「騙まし討ち」に勇敢に戦った犠牲者・生存者は,テロの犠牲者であると同時に,米国の英雄としても扱われている。同時多発テロの犠牲者は,旅客機内でテロリストの情報(座席番号など)を連絡した客室乗務員,テロを阻止しようとした乗員,世界貿易センタービルの救助に向かった消防士,みな英雄であるのと同じ文脈で語ることができる。真珠湾攻撃では,日本軍は,軍神を生んだが,米軍も英雄を生んだ。

ホノルルは爆撃せず、民間人、一般市民を標的にしていなかったことを武士道に沿ったもののように主張しても,相手にされない。米国の民間人を標的としていない攻撃であり、真珠湾攻撃と9.11テロとは全く異なる主張しても,これも一笑されてしまう。このような米国の真珠湾攻撃の評価が生まれた理由,背景こそ,日本人にとって検討に値するのではないだろうか。

写真(左):真珠湾空襲で殺害された民間人:自動車を銃撃され3名の市民が殺された。この同じ車の写真は,ナショナル・アーカイブにも,残っている。非道な行為を証明する重大事件として扱われた。日本で,この乗用車銃撃写真は,見たことがない。なにしろ,日本はホノルル市外を爆撃せず,民間人を標的にしていないことを,真珠湾攻撃の名誉のひとつとしていたし,今もしているのであるから。ただし,直接的被害は,米軍側の砲弾破片(対空射撃の流れ弾?)によるものであったことが,当初からわかっていたという。 

しかし、真珠湾の第一の意義は,(植民地ではなく)米本土の民間人80名以上を死傷させ、軍人も合わせて3500名もの死傷者を出したことで,これをもって「卑怯なテロ」という(米国による)判定が下る。突然の卑怯な奇襲攻撃で、2300名以上の命を奪っている。民間人の乗った乗用車も銃撃して,米国人3名を殺害している。日本軍が民間人を目標にした攻撃はしていないと主張しても,(米国では)詭弁による言い逃れとしか思われず,かえって日本人への不信感を増してゆく。真珠湾攻撃の死者の半分(1177人)は、戦艦アリゾナの撃沈に伴うもので「軍艦沈没」による。しかし、結果として、民間人も含めて多数の人命を奪った「卑怯なテロ行為」として非難されている。

テロには報復せよ,として,米国の連邦議会では,真珠湾攻撃の翌日,1941年12月8日に,日本への宣戦布告が反対僅か1票で可決される。1937年12月,日本軍が中国の首都南京を占領しても,米国議会は対日宣戦布告をしない。1939年9月以降,ドイツがポーランド侵攻,フランス占領,英国無差別爆撃をしても,米国議会は対独宣戦布告しない。米国の駆逐艦が,ドイツ潜水艦に雷撃されても,米国議会は,宣戦布告しない。しかし,真珠湾攻撃を受けると,その翌日,米国はためらうことなく対日参戦した。反日プロパガン流に言えば,野獣には,話し合いは通用しない。米国人を殺害しに来たテロリストは,殲滅するしかない。

写真(右):ハワイ攻撃の立案者,連合艦隊司令長官山本五十六;ハワイの米艦隊を撃滅し,米国の戦意喪失を狙ったという。1919-23年ハーバード大学に学び,1925-28年駐米日本大使館付武官米国。知米派と見られていた。しかし,真珠湾の仇討ちの司令官,テロ首謀者を殺害するのは当然である。

真珠湾攻撃から1週間たつと,日本は攻撃が大戦果を挙げたと,メディアで大々的に宣伝する。その中で,ハワイ攻撃を立案した連合艦隊司令長官山本五十六大将が,高く評価され,英雄として扱われる。山本大将は,1939年の連合艦隊司令長官に就任する前から,日独伊三国軍事同盟に反対しており,日本軍の中でも空軍力をもっとも重視した将軍であった。また,日米開戦にも懸念を表明するなど,日本海軍の英雄,日本の逸材という評価も得ている。米国から見みても,巧妙なハワイ攻撃作戦を立案,実施した山本大将は,軍人,戦術家として高く評価されている。しかし,真珠湾攻撃によって米軍に大損害を与え,大敗させた山本五十六大将は,米国からは「先制テロ攻撃の首謀者」であり,「屈辱の日」の恨みを晴らすためにも,報復なければならない。テロの首魁は抹殺すべきであると。
1943年4月18日,米軍陸軍航空隊は,暗号解読により,戦闘機で待ち伏せ攻撃し,山本五十六大将の搭乗機を撃墜,暗殺に成功する。

⇒◆真珠湾テロの首謀者山本五十六大将暗殺;真珠湾攻撃への報復・東京発空襲を読む。

写真(左):真珠湾で日本機の空襲に反撃する米兵;「騙まし討ちの先制攻撃」(奇襲攻撃)にもかかわらず,米兵は勇敢だった。日本機を30機近く撃墜した。

米国では真珠湾攻撃の生存者を、敗残兵とは見なしていない。勇敢に反撃したこと、大火災に立ち向かい賢明に消火活動をしたこと,転覆した艦内に閉じ込められたり、炎に包まれたりしてる戦友を命がけで救出したことを高く評価している。まさに、真珠湾の英雄として、扱っているし、今でも記念式典でのスピーチに最大級の英雄として迎えれられている。

戦艦アリゾナの残骸は、1962年から国の記念物・記念館「アリゾナ・メモリアル」として運営・管理されている。アリゾナ・メモリアルの年間訪問者は140万人で、うち70%が米国人である。訪問者は事前に真珠湾攻撃に関するビデオを見させられてから、モーター・ランチ(小型舟艇)で戦艦の残骸に巡礼する。日本の旅行社は,日本人団体観光客をほとんど連れて行かないようだ。展示では,ハワイ作戦という軍事的要素はあまり詳しくなく,日本の中国侵略,偽りの日米交渉といった主張を強く感じた。

写真(右):アリゾナ・メモリアル:真珠湾で沈没したままの戦艦「アリゾナ」の船体の上に、記念プラットホームを作って、犠牲者の氏名を刻んだ石碑を設置。近くの陸上には、展示館や映像ホールがあり、そこを見た後、ランチに乗ってここに渡る。乗員1,177名が死亡したが,今でも沈んだ船体に留まり,任務を続けている。真珠湾の名所でもあるが、国立公園と同様に国営。

「アリゾナ・メモリアル」は、海底に沈んだままの鋼鉄の残骸自体であるが、その上には、真っ白なプラットホームが据え付けられている。海上に出ているのは、砲塔の基部バーヘッドだけで、艦橋、砲身などは撤去されているが、沈んでいる残骸と遺体が、神殿のような聖地として見なされる。ここに集う人々とその雰囲気のなかで、プラットホームから海上に唾を吐くことはできない。

国立記念物「アリゾナ・メモリアル」では、戦死者は無駄に命を落としたのではなく、任務を全うした英雄として、立派な石版に氏名が刻印され、尊敬、追悼されている。そればかりではない。1,177 Officers and Men were lost with the ship and remain on duty inside her rusting hulk.「1177名の将校と兵が船とともに沈んだが,残された船体で彼らは英霊として義務(任務)を果たしている」といわれている。


転覆して艦底を見せる戦艦「オクラホマ」での救出作業
も有名で,船内に閉じ込められた米国兵士を救助するために,生存者の発見に努め,艦底に穴が開けられた。同時多発テロの消防士も同じように称えられた。


写真(右):戦艦「ウエスト・ヴァージニア」West Virginia
;大爆発する危険を冒して,米国海軍水兵は燃える戦艦に横付けし救助活動。こんな災難にも、米国国旗がマストに掲げられているのに注意。英雄的消火活動として評価されている。9.11テロの消防士も英雄であるが,それと全く同じことが,60年前にもあったのである。テロに立ち向かう勇敢な米国人の構図を否定することは許されない。だから,真珠湾攻撃は12.7テロであり,9.11テロはそれと同じ文脈で語られる。テロ,英雄,正義の歴史的基準となっているのが,真珠湾攻撃である。それを,日本人が覆すのは容易ではない。


米国には、靖国神社のような神殿はないが、無名戦死墓地や戦死者記念碑は、星条旗とならんで、人命とその自由な意志を尊重する表彰である。戦艦アリゾナの残骸も、まさに同じである。後日、ミッドウェー海鮮で敗れて帰ってきた兵士を、敗残者と見なし,隔離し,直ぐに戦地に追いやった日本海軍とは大きな違いである。地下鉄サリン事件で,サリンを撤去して亡くなった鉄道職員を「犠牲者」とみている日本と,ツインタワー崩壊で死亡した消防士を「英雄」とみる米国の大きな溝が,そこに厳然と横たわっている。

9.11テロも、真珠湾攻撃よりも遥かに効果的(攻撃側の被害と費用は小さい)で、テロの有効性を示した(ようにいわれる)。しかし、真珠湾攻撃と同じく、反米や中立にであった国やその国民まで、(不本意ながらの場合でも)反テロに動員することを可能にさせた。イスラム教への親近感やアラブ諸国への寛容の心も、不平等への不満に理解を示す気持ちも(残念なことに)冷え切ってしまった。世界貿易センタービル(ツインタワー)は二機の旅客機の激突で崩壊したが、消火活動、人命救助活動に立ち向かった消防士たちは、死んでも英雄である。決して無駄死にではない。その点で、真珠湾攻撃と同じ「人命」への評価が、9.11テロにも当てはまるであろう。

3. 1945年3月、日本軍は沖縄戦で持久戦を戦い、本土決戦の準備時間を稼ごうとした。本土決戦に向けて「全軍特攻化」「一億総特攻」を進めるためである。しかし,全軍層特攻を計画した司令官・参謀など高級将校の仲には,特攻隊は第一線の将兵のやむええざる心境から,自発的な発意の元に実施されたという「特攻自然発生説」が唱えられた。戦後も生き残って活躍した彼らから,「特攻自然発生説」の俗説が流布されてきた。

大本営陸軍部作戦課参謀瀬島龍三中佐は,1945年2月25日付で連合艦隊参謀兼務となり、2月末、連合艦隊司令部(日吉、現慶大キャンパス)に着任し、豊田副武長官、草鹿龍之介参謀長などに申告した。戦艦「大和」海上特攻を立案した先任参謀の神重徳海軍大佐とも旧知の間柄という。

写真(右):1939年関東軍司令部勤務時代の瀬島龍三参謀(中央);1939年1月15日に第四師団参謀として満州赴任。5月15日には第五軍(軍司令官土居原賢二中将)参謀、11月22日に参謀本部部員(大本営陸軍部幕僚付)と栄転。1944年10月、台湾沖航空戦の過大な戦果報告修正の打電を、上層部に伝えることをしなかった。そのため、誤報に基づいて、日本陸軍はレイテ決戦のために、ルソン島から兵員、物資を抽出し、特攻作戦を展開する。

自伝(1995)『幾山河−瀬島龍三 回顧録』p.167では、連合艦隊の戦力低下を指摘した後、特攻の自然発生説を主張している。

「しかし、帝国海軍伝統の士気は極めて旺盛であった。3月17日からの九州/沖縄航空戦、次いで3月25日の慶良間列島への米軍上陸、4月1日の沖縄本島への米軍上陸などにおいて水上特攻、空中特攻(菊水)、人間魚雷(回天)、人間爆弾(桜花)など各艦隊、各部隊、第一線の将兵が自らの発意で敵に体当たりし、国に殉ずる尊い姿には、襟を正し、感涙を禁じ得ないものがあった。

このような「特攻自然発生説」には、次のような単純な疑問が沸く。
…召阿忙爐未戮状況にはない人間が、国に殉ずるためとはいえ、どうして体当たり特攻に出撃できたのか。残されるもの、家族のことをどのように考えたのか。
⊃祐峙雷、人間爆弾を開発・生産することが、軍中央の承認なしに、第一線の将兵に自由にできるのか。
B莪貔将兵の発意で体当たりをし、陛下から頂いた航空機を「無断で自分勝手に」自爆、破壊させてもよいのか。
し蛎發箸いΤ級組織で、第一線の将兵が「特攻作戦」を計画,組織,実行するだけの権限,人員,機材をもっているのか。


レイテ戦における特攻第一号は,1944年10月25日,護衛空母「セントロー」を撃沈した関行男大尉(海軍兵学校出身)とされる。関大尉の特攻は,連合艦隊が告示したものだが,10月20日の特攻「敷島隊」初出撃の時、未帰還の久納好孚中尉(学徒出身)は,戦果不明のためか,特攻第一号とは認められず黙殺されてしまう。戦果の不明な特攻が第一号では,特攻を出撃させた軍上層部の面子が立たないからであろう。(久納好孚中尉の爆装零戦は、実際には、重巡洋艦「オーストラリア」に損害を与えた。)

特攻隊員の氏名が全軍に布告されるには,大戦果を挙げなくてはならない。戦場の常とはいえ,特攻出撃しても,戦果の挙げられなかったものは,特攻作戦を進めようとしていた日本軍上層部から黙殺された。特攻隊員が犬死だたとする反戦思想はけしからんという人でも,実は戦果をあげていな特攻隊,特攻隊員を事実上,黙殺してきた軍部を許している。犠牲的精神の発露として、特攻隊の大戦果を捏造あるいは誤認し「一憶総特攻」のプロパガンダに利用した。
戦果をあげられず死んだ特攻隊員のほうが,遥かに多かったにもかかわらず,その行動は「特攻出撃により戦死」で一括された。


大戦末期になると,事実上,特攻専用の簡易自爆攻撃機といえるキ115「剣」が量産された。


写真(右):中島キ-115「剣」特殊攻撃機;全長:8.55m,全幅:8.57m
発動機:ハ-35-23(旧称ハ-115)空冷複列星形14気筒 公称1100馬力(このほかのエンジンも搭載できるように配慮していたようだ)
自重:1640kg,全備重量:2630kg
最大速度:510-550km/h,航続距離:1200km
兵装:500kg爆弾×1


The Nakajima Ki-115 'Tsurugi' (Sword) was designed from the outset as a disposable (suicide) aircraft. キ115「ツルギ」は,使い捨て(自殺)機として,設計された。The major impetus in building this aircraft was the perceived lack of available obsolete aircraft to use in kamikaze attacks should the Allies invade the home islands. 日本本土への連合国の侵略を,カミカゼ攻撃するために使用され,片道攻撃が前提であった。This aircraft had to carry a decent bomb load, and use non-strategic materials (mostly wood and steel). キ115は,十分な爆弾搭載,非戦略物資(木材と鋼鉄)による製造が求められた。While the initial batch were made from aluminum, the follow on aircraft were to primarily be made of wood and steel. 試作機はアルミニウムで製作されたが,以降の飛行機は,基本的に木材と鉄鋼で製造された。

キ115は,設計も資材も簡素化されたつくりであり,現在残っている「トタン張り」の胴体は,荒い鋲で留められている。投下式の降着装置であるが,胴体着陸には熟練が必要で,プロペラとエンジンの再使用は困難である。装備の上から見ても,攻撃後には帰還しない片道攻撃を想定している。つまり,設計当初の目的や設計者の企図にもかかわらず,日本陸軍が特殊攻撃機キ115「剣」は,連合軍の本土上陸部隊に対する体当たりを行う特攻専用機である。

キ115は,風防もなく,直線型の形態のために,空力的に洗練されておらず,粗悪なエンジン,工作であった。こうした理由のために,軽量小型にもかかわらず,最高速度は零戦の530kmよりも遅い515km程度にとどまった。また、安定性、操縦性も悪かったから,未熟練搭乗員が扱って,巧く敵船舶に接近,自爆できる保証はなかった。

写真(左):1944年12月5日フィリピンで特攻機により撃沈された中型揚陸間LSM-20号Landing Ship Medium;レイテ島近くのスリガオ海峡で撃沈。基準排水量 520 t. 満載排水量1,095 t.速力13.2ノット,航続距離4,900 miles @ 12kts(928トン積載時)。LSM-20 sinking stern first after the Kamikaze attack at Surigao Strait, 5 December 1944. Several crew members are still aboard, one can be seen on the port side and another on the starboard side clinging to the life lines.

特攻専用機にもかかわらず,性能が低いのであれば,その搭乗員がたとえ犠牲的精神を沸き立たせていたとしても,戦果を挙げることなく,撃墜,行方不明になるしかない。命をささげる有能な将兵がいるのであれば,その志に相応しい兵器を装備するのが軍上層部の本来の姿であろう。日本軍では,兵器の性能が低いために,前途ある若者の命を奪うことになったといえる。

戦争末期の物資欠乏の時代,陸軍 中島キ-115「剣」は,資源節約のために簡素化されていたが,それを1回の体当たり自爆で失ってしまうには,よほどの戦果が期待されなければならない。しかし,従来の「まっとうな」航空機を投入した2000機もの特攻でも,それに見合う大戦果を挙げられなかった(駆逐艦以下約36隻の撃沈)。したがって,簡素化された低性能の特殊攻撃機キ115では,敵に打撃を与えるのは困難である。まさに,特殊攻撃機「剣」は,使い捨て機であり,その搭乗員も使い捨てにされてしまったであろう。

写真(左):1944年10月25日,米空母「スワニー」USS SUWANNEE(ACV-27)に突入した特攻機のエンジン;甲板に特攻機が突入し,飛行機格納庫の下の層まで被害が拡大した。特攻機のエンジンが米兵に鹵獲されている。Damage in action of 25 October 1944. Motor from Jap "Zeke" found in vicinity of hit at Frame 64 stbd.

人間魚雷「回天」、人間爆弾「桜花」、特攻艇「震洋」マルレ、特攻専用機「剣」キ-115のような特攻兵器を設計、製造し、部隊編成をしていること自体、特攻が自然発生的なものでは決してなく、軍の積極的な関与の下に、組織的に進められたことを物語っている。

     ⇒◆人間魚雷「回天」人間爆弾「桜花」自爆艇「震洋」「マルレ」を読む。

正攻法では,量,質の両面で連合軍にまったく太刀打ちできなくなっており,このことを戦争末期になってやっと認識した軍高官は,精神主義を振りかざして「断じて行えば鬼神もこれを避く」として,特攻を唯一の対抗手段としようとした。
人間魚雷「回天」「海龍」,人間爆弾「桜花」,特攻艇「震洋」「マルレ」,特殊攻撃機キ115「剣」,このほかにも潜水艦搭載の特殊攻撃機「晴嵐」,体当たり自爆改造戦車,対戦車爆雷を抱いたまま突っ込む肉弾兵,爆薬を持って海中に潜み自爆する「伏龍」という特攻兵器も存在する。
このような特攻兵器は、犠牲的精神を有する将兵の発意で作られたという俗説が流布されているが、兵器の開発,生産はもちろん、特攻隊の編成,運用は個人で行うことはできず,軍上層部の主導、命令が不可欠である。特攻は、現地の将兵の自発的な攻撃ではなく、特攻作戦として軍上層部が策定した軍事行動である。軍事行動である以上、戦果と損失・コストが問題となるから,特攻に向かった将兵の心情・苦悩は、二義的になり、あくまでも特攻,突入、敵艦撃沈が優先される。


写真(右):1945年4月16日,日本機の特攻により損傷した給油艦「タルーガ」USS Taluga(AO-62);特攻機の部品についた板には「三菱重工株式会社 名古屋航空機製造所 三菱式油圧--」とあった。「タルーガ」は排水量 7,236 t.(lt) 25,440 t.(fl),速力 18.0 ノット,乗員 313名の中型タンカーである。1945年4月-6月に沖縄方面,特に慶良間列島で給油に従事した。1945年4月16日,特攻機一機がマストに衝突し,前甲板で爆発したが,火災は免れた。12名が負傷した。


しかし、特攻兵器には,それを使用する人間が必要不可欠であり,犠牲的精神を発揮して,祖国,国体の護持,家族を守るために,命を投げ出す若者が求められた。
しかし,兵士たちの自己犠牲や祖国への忠誠,家族への愛を貫こうとして,自分の死を納得させようと悩み,苦しんでいる状況とは裏腹に,特攻兵器は着実に計画的に開発,量産されている。これにあわせて自己犠牲精神を量産しようとすれば,個人の自由や選択の余地は命もろとも押しつぶすしかない。特攻兵器の開発,量産は,祖国愛や家族愛を持っている人間を,血液の詰まった皮袋として扱う状況に落としいれてしまった。



写真(右):1945年4月16日,日本機の特攻により損傷した給油艦「タルーガ」USS Taluga(AO-62);特攻機の残骸も見える。There, on 16 April, she encountered her greatest excitement of the war. Shortly after dawn, 10 kamikazes attacked her formation. One of them dove at the oiler, strafed her deck, and then made for her superstructure. The attacker careened off the ship's bridge and exploded through her forward well deck into a compartment adjacent to her tanks brimming with 300,000 gallons of aviation fuel. However, only 12 men were injured, and the oiler was soon back in action.


4.1944年10月のフィリピンでのレイテ攻防戦,1945年3月の沖縄戦では,日本陸海軍による大規模な特攻作戦が展開された。<しかし,戦争末期の特攻作戦は,志願者を募るという形式をふむこともなく,部隊編成が進んでいった。戦局が悪化する中,多数の搭乗員が特攻隊員に選ばれている状況では,特攻を受け入れるしかないと多くの若者は考えていたようだ。

白菊特攻隊 特攻隊編成によると,1945年3月下旬、九〇三航空隊から大井航空隊に転属したパイロットたちが,白菊特攻隊に編成される様子が描かれている。

私は、---茶野上飛曹の指導で「白菊」による操縦訓練を行っていた。
 ある日のこと、「飛行隊の搭乗員は、総員直ちに映写講堂に集合せよ!」と伝達された。---飛行隊長をはじめとし、各分隊長や分隊士連中が緊張した顔で集まっている。---飛行隊関係者総員が集合したところで、大井航空隊司令奈良大佐が、参謀----中佐を伴って壇上に上がった。---続いて、「今から聞く話は、軍の重大な機密である。だから、決して口外してはならない、また、お互い隊員の間でも話題にしてはいけない!」と、念を押した。

 航空艦隊司令部から派遣された参謀の話を要約すれば---「諸君もうすうす承知していると思うが、現在戦闘に参加できる航空母艦は、もう一隻も残っていない。----更に、フィリピン方面での戦況は、既に末期的な状況となっている。----この難局に際して残された手段は、諸君ら搭乗員が一機で一艦を沈める『体当たり攻撃』以外に方法はない。よって、第十航空艦隊は全保有機をもって『神風特別攻撃隊』を編成し『体当たり攻撃』を実施する」。

  写真(左):白色塗装を施した機上作業練習機「白菊」;終戦後、連絡飛行用の機体として使用が認められた機体。白色に塗装され、日の丸の変わりに緑十字のマークをつけた。

特攻は一部の志願者による特別な行為であって他人事としか考えていなかった。だから、自分自身が「体当たり攻撃」を実施する立場にたたされるとは夢想もしていなかったのである。ところが,航空艦隊参謀の説明によれば、全保有機で「特別攻撃隊」を編成するという。これは志願者を募るのではなく、飛行隊をそのまま「特攻隊」に編成替えして「体当たり攻撃」を実施するということである。それなら、もう逃げも隠れもできない瀬戸際にたたされたことになる。 

写真(左):1945年5月27日に鹿児島県万世基地を出撃した陸軍特攻第72振武隊;鹿児島県萬世飛行場から旧式低速中古の九七戦9機の特攻隊として出撃した荒木幸雄(17歳2ヶ月)たち。

現在の万世(現在の加治町)飛行場から,1945年5月27日に特攻した少年兵荒木幸雄仔犬を抱いた特攻少年兵」として,有名である。屈託のない幼さの残る笑顔が印象的で,体当たり攻撃を命じられた若者とは思えない。米国の若者を死の道連れにする自爆テロリストとして,認識すべきなのか。それとも,現在頻発している「自爆テロ」を行う若者たちが,テロリストではないのか。

特攻隊員は、祖国,家族を愛する純真な若者である。しかし、命を狙われる米軍から見れば、日本の特攻機を操縦し,体当たり攻撃を行う「自爆テロリスト」ということになるのか。また、若者の特攻隊員はいるが、将官はもちろん、佐官クラスの高級将校の特攻隊員は一人もいない。高級将校たちは、特攻に誰一人志願しなかったのか。それとも、特攻に出してもらえなかったのか。

1945年5月24日の白菊特攻隊;練習機「白菊」20機出撃のうち、戦死した搭乗員39名戦死。戦死者は、海軍兵学校出身者1名、予備学生出身者・予科練出身者35名(うち、17歳4名、16歳1名)。
5月27日の白菊特攻隊;練習機「白菊」20機出撃。戦死者は、海軍兵学校出身者1名、残りは予備学生出身者・予科練出身者(うち、17歳3名)。

日本軍で特攻隊に選ばれた搭乗員(陸軍では「空中勤務者」。パイロットと偵察・航法・通信員)たちの特徴は次の3点である。
ヽし格竺惺蚕仗箸覆疋┘蝓璽反Χ鳩蛙佑肋なく、予科練習生(予科練;少年兵)出身の兵・下士官と予備学生(学徒兵)出身の最下級将校など新参者が特攻の中心である。
軍歴が浅く実戦経験のない10代から20代の若者が特攻の中心である。
上記の理由から、未熟な若い搭乗員が特攻の中心である。


 もしも特攻隊は,自発的に志願者が現れ、その志願者から特攻隊が編成されたという「特攻自然発生説」が少しでも妥当するのであれば、なぜ将軍・大臣・皇族はもちろん、佐官クラスの中堅士官が、特攻を志願しなかったのかを説明する必要がある。


写真(右):特攻で損傷した護衛空母「サンガモン」に横付けし,負傷者を収容する駆逐艦;翌5月5日,空母から負傷者を駆逐艦に移乗する。Transferring casualties from the Sangamon to a destroyer, May 5, 1945.

 高級将校が、航空機を操縦できないのであれば,予備学生と同じく100時間の速成訓練を受けて練習機で突っ込めばよい。
複座以上の特攻機では、電信機を降ろして、後方見張りのためにか、偵察員を乗せていた。操縦できなくとも、パイロットではなくとも、同乗者として、特攻機に乗り込むことは、経験の浅い将兵にも可能である。それであれば、操縦はもちろん航法・通信ができなくとも、将軍・大臣・皇族、佐官クラスの中堅士官でも、特攻出撃できる。自ら志願すれば、誰でも特攻、戦死できたのである。

しかし、特攻で戦死した佐官以上の士官は、神雷部隊「桜花」隊の野中五郎少佐1名のみである。野中少佐は、人間爆弾「桜花」を運ぶ一式陸上攻撃機に搭乗していた。つまり、結果として,志願によるか、上級指揮官からの命令によるかは問わず,航空特攻隊員は、若い最下級将校および下士官・兵からのみ編成されたのであり、未熟練な搭乗員であった。

事実上、佐官クラス以上の士官で、特攻隊に自ら志願した将校は、日本陸海軍には誰一人としていない。「俺も最後の一機で特攻する」といっていた高級将校,将軍も、部下を道連れにした宇垣纏中将、割腹自殺した大西滝治朗中将以外,戦後も生き残った。その有能さを遺憾なく発揮して、政界,財界で大活躍した陸海軍の参謀もある。
司令官、高級将校は、特攻とは、愛国の情を示す方法が特攻以外にない未熟練な末端の将兵が行うべきことと考えていた。軍事技術/戦術・戦略に通じた一級の軍人は、体当たり自爆という1回の任務で命を軽軽しく無駄にすべきではない。生き続けて、経験をつみ、よりよい作戦を計画、準備、実行する義務がある。死ぬよりも生きることのほうがぬ難しい。
----このように合理的に考えて、司令官や高級将校の多くは、自ら特攻出撃するのを回避しつつ、要領よく若い未熟練搭乗員を特攻に送り出した。この無責任な特攻作戦には、軍国主義教育を施し,促進してきたエリート軍人たちの「愛国心」の本性・本音が現れているのではないか。

写真(右):1945年7月29日,九三式中間練習機は特攻により駆逐艦「キャラハン」CALLAGHANを撃沈;最高速度110ノット(200km)の中間練習機。練習機の時代には,目立つようにオレンジ色に塗られたことから,「赤とんぼ」と呼ばれた。

九三式中間練習機(K5Y)は,340馬力の低出力エンジンを装備した110ノット(200km)の低速複葉機で,機体も布張りの華奢なつくりであったが,1933-1945年に5,770機が大量生産されており,操縦もやさしかったために,特攻機としても使用された。中間練習機では,目立つようにオレンジ色に塗られたが,特攻に際しては濃緑色に迷彩された。

このように,旧式低速練習機をもって特攻に充当し,それを操縦する特攻隊を編成している。つまり,特攻は特攻隊の自発的な志願による出撃ではなく,事実上,軍の企図を体現した命令によって,志願せざるを得ない状況となり,編成・出撃しているといえる。

練習機の爆弾等裁量は,本来30キロに過ぎないが,特攻のときは250キロ爆弾を装備した。航続距離は380-550マイルであるが,過重な爆弾装備では遥かに短かった。

 →引用菊水作戦発動および菊水作戦・航空総攻撃について

5.特攻では,航空機2000機,搭乗員3000名を失ったが,沖縄戦の命中率は10%程度であった。大半の特攻隊員は,戦果を挙げることなく死亡した。特攻機の戦果は,艦船・商船撃沈30隻,撃破80隻程度で,戦果に比して損害が大きすぎた。  

図表:1945年における沖縄方面の日本陸海軍特攻機の出撃数


菊水作戦の時期には、1900-2200機が特攻に出撃した。
1945年4月から6月までの間、沖縄方面作戦に特攻出撃した海軍機は神風特別攻撃隊・八洲隊元隊員永末千里サイトによれば,次の通り。

零式艦上戦闘機   631機
九九式艦上爆撃機  135機
機上練習機「白菊」 130機
艦上爆撃機「彗星」 122機
陸上爆撃機「銀河」 100機
九七式艦上攻撃機   95機
水上偵察機      75機
一式陸攻(桜花)   54機
艦上攻撃機「天山」  39機
九六式艦上爆撃機   12機
  合計      1393機

米軍艦艇の損害は沈没26隻、損傷160隻であったという。


写真:日本機の特攻により損傷した空母「サラトガ」USS Saratoga CV-3;1945年2月21日に2期の特攻機の命中を受けて大破した。米軍も特攻を「神風」Kamikazeと総称した。神風は,本来は日本海軍の航空機による特攻を指す。

U.S. Merchant Ships Participating in Pacific Theater Combat Operationsによれば、沖縄戦に参加した米国商船(民間船)は176隻であり、レイテ戦に参加した商船108隻をはるかに上回り、太平洋戦争では最大の規模である。

米国の標準船「リバティー船」Liberty Dry Cargo Ship, EC2-5-C1 Type;大戦中, "Oregonship" 造船所では リバティー船を合計322隻建造した。巡航速度10.5 knots,積載能力 10,800トンである。1943年, Oregon Shipbuilding Companyは新たに「ビクトリー船」 Victory class shipsを建造し始めたが,これは,同じ積載能力で,より速い15 knotsの速力がでた。

沖縄戦において、日本軍は、航空機約1,900機(海軍1,000機、陸軍900機)とその搭乗員約3000名(海軍2,000名、陸軍1,000名)を特攻作戦に出動させた。
沖縄特攻の戦果は、艦船の撃沈26隻,損傷164隻で,米海軍の人的損失損害は、1945年4月から6月末で,沖縄方面の全作戦を含めて死者4,907名、負傷者4,824名に達した。


特攻による米国商船の被害一覧でも,フィリピン戦と沖縄戦の特攻で撃沈できた米国の商船は6隻で,撃沈を含め損傷を受けた商船は合計23隻である。


写真(上):日本機の特攻により損傷した空母「サラトガ」USS Saratoga CV-3;1945年2月21日に2期の特攻機の命中を受けて大破した。米軍も特攻を「神風」Kamikazeと総称した。神風は,本来は日本海軍の航空機による特攻を指す。

英国軍の参加もあった沖縄攻略戦で、米軍は,駆逐艦16隻など艦船36隻を特攻,通常攻撃などで失い,368隻が損傷(大破50隻以上)を受けた。米海軍航空隊は,航空機 763機,水兵 4,900名を失い,水兵4,800名以上が負傷した。
陸戦では,米軍兵士 7,373名が死亡し,3万2,056名が負傷した。
日本側は, 10万7,000名が殺され, 7,400名が捕虜になった。こほか 2万名が日米両軍の戦闘に巻き込まれて死亡している。
日本軍艦船の沈没は 16隻で,航空機4,000機以上を 喪失した。

沖縄戦の統計:兵力,砲弾数,損失,揚陸補給物資重量

写真(右):神風攻撃で損傷した米軍艦船:慶良間列島を攻略し,そこを艦船修理に使う泊地とした。

沖縄戦では,日本軍は空母,戦艦はもちろん,巡洋艦すらも1隻も撃沈していない。特攻機が撃沈したのは,隊型駆逐艦12隻,護衛駆逐艦1隻,高速輸送艦(駆逐艦改造)3隻が主要軍艦であり,その他は戦車揚陸艦,上陸用舟艇,掃海艇,輸送船であった。特攻機の命中率の低さと命中したときの威力不足のために,特攻の効果は大きくはなかった。

特攻の威力を見ると,艦艇1隻に1機の特攻機が命中するだけでは撃沈できることは少なく,たとえ複数の特攻機が命中しても撃沈できない場合も珍しくはない。特攻機の命中がどれほどあったのかは,不明瞭であるが,仮に撃沈した艦船に2機が命中率,損傷した艦船に1機が命中あるいは至近突入とすると撃沈した艦艇に56機命中,損傷させた艦艇に164機命中となる。そこで,日本の特攻機は沖縄戦に1900機が突入して合計216機命中したことになる。つまり,沖縄戦での特攻機の命中率は11%である。

日本軍は「一機よく一艦を屠る」といい特攻作戦を正当化したが,その企図は、実は厳密な科学的な「特攻機の打撃力」を計算したものとは言えず、突撃重視の精神主義に彩られたものであった。


写真(右):1945年2月21日の特攻機突入で殺された米空母「サラトガ」USS Saratoga (CV-3) の乗組員 ;乗員123名が特攻機2機の命中により死亡。飛行甲板の下では,船体の破片と人体の肉片が交じり合ってしまった。

他方,これらの航空機を「自爆体当たり」ではない特攻に使用していたらどうであろうか。たしかに, 戦闘機や爆撃機の正規攻撃は,生還率が低いが,利点も多い。

第一に,通常攻撃では,出撃した搭乗員が,途中で攻撃をあきらめたり,攻撃後に無事生還できる確率は,「自爆体当たり」「自殺攻撃」よりも遥かに高まる。これによって,搭乗員の士気も高まる。

第二に,攻撃経験を積むことで,熟練した搭乗員が増える。これは,同じ航空機数ではあっても,攻撃力を高めることになる。自爆特攻が,攻撃力を急速に低下させるのは,航空機と並んで,搭乗員の熟練がまったく期待できないからである。

第三に,爆弾を投下することで,投下速度が速くなり,機体に拘束した同じ爆弾よりも遥かに大きな効果が期待できる。自爆機の燃料が引火するという効果はなくなるが,高速で落下する爆弾の威力は,目に見える速度で急降下する体当たり機よりも遥かに大きい。

第四に,航空機は,反復使用に耐えることを前提に生産しているのであって,それを1回限りの体当たりで自爆させてしまうのは,資源の浪費であり,動員された工場,労働者の努力を無駄にしてしまう。練成に時間と経費のかかる航空機搭乗員を複数回の攻撃につかせることで攻撃力を維持できる。
つまり,通常攻撃であれば,体当たり攻撃に伴う資源,労力,技術,経費,時間,人員の消耗を,抑えることができる。もっとも,大量殺戮のために,効果的な方法として考えられた戦術であるから,まさに戦争の悲惨さ,愚行の典型である。


<特攻に関する統計>
日本海軍の特攻機(1944年10月から沖縄戦まで) 1
特攻機と掩護機の数  

 

出撃数 2,314
帰還数 1,086
損失 1,228
 
米海軍艦艇の特攻による被害2

撃沈Sunk

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

損傷Damaged

 

艦種

隻数

艦種

隻数

護衛空母CVE

  3

正規空母CV

  16

駆逐艦DD

13

軽空母CVL

    3

護衛駆逐艦DE

  1

護衛空母CVE

  17

高速掃海艦DMS

  2

戦艦BB

  15

潜水艦母艦SC

  1

重巡洋艦CA

    5

掃海艇AM

  1

軽巡洋艦CL

  10

高速輸送艦APD

  3

駆逐艦DD

  87

戦車揚陸艦LST

  5

護衛駆逐艦DE

  24

海洋タグ船ATO

  1

潜水艦SS

    1

雑役艦Auxiliary 

  1

機雷敷設艇DM

  13

潜水母艦/魚雷艇PC/PT

  3

高速掃海艦DMS

  15

合計

34

魚雷艇母艦AGP/AGS

    3

 

 

 

 

病院船AH

    1

貨物輸送艦AK/AKA/AKN

    6

掃海艇AM

  10

タンカーAO

    2

輸送艦APA/APD/APH

  30

修理艦ARL

    2

艦隊タグ船ATF

    1

水上機母艦AV/AVP

    4

機雷敷設艦CM

    1

戦車揚陸艦LST

  11

潜水母艦/魚雷艇PC/PT

    3

YDG/YMS

    7

合計

288

Kamikaze Damage to US and British Carriers by Tony DiGiulian (http://www.navweaps.com/index_tech/tech-042.htm)より作成。
注1. 日本陸軍航空隊の特攻機と掩護機を含まない。US Strategic Bombing Survey reporでは、 2,550機の特攻機・掩護機が出撃したと推計している。しかし、これには掩護機が含まれていないと思われる。約475機、すなわち18.6 percentが敵艦に命中したかあるいは至近距離に突入し被害を加えた。ただし、英国艦への突入も合算されているかどうかは明記されていない。含まれていないようだ。 
注2. 特攻とそれ以外の要因が複合した損傷も含むが、特攻でない損傷は含まない。USS Ticonderoga、USS Franklinはともに2機特攻され、USS Intrepidは5機の特攻を受けている。複数回数の命中しても1回と数えている。主な米海軍艦艇への延べ特攻命中機数は、正規空母 9機、軽空母 2機、護衛空母 16機、戦艦 15機に達する。
注3. 降伏時、日本軍は本土に 9,000機を保有し、これらは特攻に投入可能だった。5,000機以上が実際に特攻用に準備されていた。

『米国戦略爆撃報告 太平洋戦争方面の作戦』によれば、沖縄戦における米軍の艦船撃沈 は36隻、損傷368隻。航空機喪失合計は763機、内訳は戦闘による損失458機、作戦に伴う事故などの損失305機である。他方、日本軍の航空機喪失合計は 7,830機、内訳は戦闘による損失4,155機、作戦に伴う損失2,655機、地上撃破1,020機に及んでいる。
The Naval Technical Board

出撃した特攻機は、敵戦闘機に迎撃され,対空砲火に砲撃され、目標を冷静に選択する余裕はなかった。
正規空母を攻撃したかったが、そこまで辿り着くのは困難であるようだ。空母の位置も不明である。敵戦闘機も迎撃してくる。こうなれば、撃墜される前に、発見した敵艦艇に突入するのが、特攻で成果をあげる唯一の道のように思える。

特攻機の隊員は、本来は自らの命と引き換えで、敵正規空母を轟沈したかった。しかし、米海軍空母任務部隊は、中心に正規空母2隻,軽空母2隻を、その周囲を巡洋艦4隻、外側を駆逐艦16隻で護衛する輪陣形を組んでいる。したがって、中心部の空母に辿り着くまでには、熾烈な対空砲火をくぐらなくてはならない。
空母からは、F6F「ヘルキャット」、F4U「コルセア」など戦闘機がレーダー誘導されて、遥か100km手前から特攻機を迎撃してくる。また、任務部隊のさらに外側には、駆逐艦、護衛駆逐艦、掃海艦、敷設艦、揚陸艦が、レーダー・ピケ(警戒網)を張っている。米国のレーダーは、200km以上先の敵機(単機でも)捉えることができる。その、進行方向、高度も把握されている。つまり、特攻機が発見されることなく、空母に接近することは非常に困難である。

したがって、特攻機が撃沈した正規空母,軽空母は1隻もない。

特攻機が損傷させた米海軍空母(延べ隻数)は、正規空母16隻、軽空母3隻で、合計18隻で、損傷艦の7%に過ぎない。小型の護衛空母17隻を含めても、13%である。他方、空母を護衛する駆逐艦は87隻で31%、護衛駆逐艦も24隻、9%もある。機雷敷設艦、高速掃海艦はともに駆逐艦を改造したもので,駆逐艦同様、レーダー警戒網を形成していたから,空母の護衛艦艇とレーダー警戒艦艇が、特攻による被害艦艇の半数以上を占めていることになる。

ただし、上陸部隊や艦艇への補給を任務とする輸送艦は、40隻、14%とあまり多くはない。本来は、警戒が手薄で、上陸部隊や艦艇の生命線ともいえる輸送艦・輸送船を目標にした攻撃が行われるべきであった。しかし、特攻隊員も。艦隊至上主義の影響を受けていたから、輸送艦のような目標は体当たりにふさわしいとは考えなかった。結局、通常攻撃によって、米輸送船団を攻撃することをしなかったのは、特攻隊を編成し、米軍艦艇に目を奪われた特攻作戦を展開した日本軍の失敗であったと考えられる。

特攻隊員とそれを送り出した指揮官たちの問題とも関連するが,日本軍は、攻撃目標の選定について、軍事科学的な検討を十分にせず、戦術的にも誤った「正規空母」という目標を第一優先した。これも、特攻作戦を失敗させる=特攻という大きな犠牲に見合った戦果をあげられなかった大きな要因であろう。
冷徹な指揮官であれば,効果的なテロとして,輸送船など民間人を標的とする特攻をすれば,終戦への糸口,国体護持の条件付和平の提案が可能になると考えたかもしれない。

6.日本軍は,本土決戦に当たっては全軍特攻化して,来襲する敵艦隊,輸送船,上陸部隊を迎撃するつもりでいた。そのために,兵器開発でも特攻が優先された。特攻兵器には,それを使用する人間が必要不可欠であり,犠牲的精神を発揮して,祖国,国体の護持,家族を守るために,命を投げ出す若者が求められ,かれらの犠牲を前提とした非道な作戦が立てられた。このような状況は、現在の自爆テロ/自殺攻撃にも当てはまるように思われる。

自爆テロとは,日本で広く使用されるが,自殺テロSuicide Terro,自殺攻撃Suicide Attack,自爆Suicide Bombingといった英訳が当てられる。これらは,善悪の価値観をも含んだ言葉であるが本webページでは,煩雑さを避けるために,慣用となった「自爆テロ」という語句をする。


写真:(左)戦車揚陸艦LST-884号の乗員たち
;戦利品の日章旗を誇示している。1945年4月1日特攻機の被害を受けた乗員が、ウルシー環礁海軍基地に無事帰還したときに撮影。LST-884 crew photo. Notice the many different uniforms, a result of the crews lose of almost everything in the fire. This picture was taken once the crew was reunited at Ulithi.
写真(右):米戦艦「ミズーリ」前甲板で祈りを捧げる米軍将兵
1944年夏撮影。排水量 45,000トン, 主砲 9門 x 16インチ(40センチ)砲の新鋭戦艦。1945年4月11日、沖縄で特攻機に襲われ小破した。
『米国戦略爆撃報告 太平洋戦争方面の作戦』によれば、米軍の艦船撃沈 は36隻、損傷368隻。航空機喪失合計は763機、内訳は戦闘による損失458機、作戦に伴う事故などの損失305機である。他方、日本軍の航空機喪失合計は 7,830機、内訳は戦闘による損失4,155機、作戦に伴う損失2,655機、地上撃破1,020機に及んでいる。


写真(右):1945年2月21日の特攻機突入で殺された米空母「サラトガ」USS Saratoga (CV-3) の乗組員 の海葬;1945年2月22日の葬儀。"Burial at sea on McGowan" Aircraft carrier Saratoga causality" 乗員123名の多くは甲板の下敷きになって,船体破片と人体肉片が混じってしまった。

このような特攻に関する分析から、現在の自爆テロを再考すると、興味深い類似点が明らかになる。特攻隊の心情を理解し、それに共感できるために、彼らを「自爆テロリスト」と同一視することはできない、したくないが。しかし、特攻隊が,戦闘的熱狂や興奮ではなく、静かな笑顔で、愛機と共に堂々粛々出撃し、突入散華できたのであれば,同じことを行う人々が現在いても軽蔑はできない。攻撃対象が一般市民であるとか,戦争中の行為ではないとかは,「攻撃成果」の観点からは問題ではないのだから。肉親,友人を殺された側からは,戦争だから殺した相手を許すといった寛容さが期待できるのであろうか。

<特攻と自爆テロとの関連を再考する>

自爆テロ(Terror)とは、自らの命を犠牲にした爆破行為,すなわち自爆によって,物理的,心理的,社会的恐怖心を引き起こし,所与の目的を達成しようとするこういであり,目的とは,戦果をあげること,政治的主張,家族を守ること,祖国を防衛すること,民族自立を図ることなど,さまざまである。いずれにせよ,自己の生命をもって,他人の生命・財産・平和人権を破壊する行為である。しかし,自爆者の視点からみれば,そのような破壊行為は,悪のテロではなく,純粋な防衛あるいは建設的行為であり,愛国心,殉教,新世界の形成,伝統の維持,宗教的使命など積極的な意味を持っているのかもしれない。

2001年9月11日に「同時多発テロ」とされる対米攻撃Attack on the U.S.は,4機の大型旅客機がハイジャックされ,それを使った体当たり自爆という特攻が行われた。この事件は「9.11」(ナイン・イレブン)として名高い自爆テロである。


写真:(左)1941年12月7日(日本時間8日),ハワイ真珠湾奇襲攻撃で炎上した戦艦「アリゾナ」
;米国では,真珠湾騙まし討ちとして卑劣極まりない行為として,反日感情が爆発した。2001年の9.11同時多発テロのときに,真珠湾以来のテロを受けたとして,マスメディア,大統領もその憤慨を公言している。
写真(右):真珠湾攻撃と世界貿易センタービルへの二つのテロは重なっている;Steve Benson, United Media


自爆テロに関しては,多数のマスメディアで報道されているが,特攻との関連では次のようにさまざまな見解が対立し,並存している。

写真(左):1944年10月30日,特攻機による損傷を受けたアメリカ海軍の軽空母「ローウッド」;護送空母は、輸送船の船体を利用した低速小型空母で、船団護衛用。軽空母は、巡洋艦の船体を利用した艦隊型小型空母。

Suicide Attack/自殺攻撃のニュース(2006年初頭)
Afghan 'suicide bomb kills four'
The Japan Times Weekly
Abbas: Suicide attack was bid to 'sabotage'
Suicide attack, other violence kills 53 people in Iraq

Suicide Terro/自爆テロの情報
Suicide Terror: Was 9/11 Something New?
Suicide Terror- The Definitive Overview of the Threat
Terrorism: An Introduction
The War on Terrorism in 2002
Suicide Terror: The Definitive Overview of the Threat
Dying to Kill The Allure of Suicide Terror
Wide Angle . Suicide Bombers . Interactive Map

Suicide Attack/自殺攻撃と特攻・真珠湾攻撃との類似性
;9・11同時多発テロは,第二の真珠湾攻撃ANOTHER PEARL HARBORである
、との見解。
Historical view: America has dealt with terror before
ANOTHER PEARL HARBOR!
The Korea Times
村岡到:9・11特攻テロ:「報復」ではなく<反省>を
情報考学 橋本大也
死へのダイビング
保阪正康(2005)『「特攻」と日本人 』
「自爆テロ」は言葉のイメージによるマインドコントロール
北京放送BBS フォーラム一覧

写真(右):1945年2月21日の特攻機突入で殺された米空母「サラトガ」USS Saratoga (CV-3) の乗組員 ;ここの乗員の遺体は原型を留めているが,戦死した123名の多くは甲板の下敷きになって,船体破片と人体肉片が混じってしまった。国旗に包まれて,海葬されたとはいっても,人体の様子をとどめていない,何人もの無数の肉片が詰まっているとしたら,勇壮な葬儀とは感じられない。"A few of our shipmates who perished below decks".

「Suicide Attack/自爆テロは特攻とは違う」との主張(が紹介されている)
Japanese Kamikaze vs. Islamic Suicide Bomber by Rit Nosotro
The Horror of the Human Bomb-Delivery System By DANIEL FORDFrom the Wall Street Journal, September 10, 2002;The parallels with the Sept. 11 hijackers are eerie.
'They Were Not Fanatics’ABC News Home > Nightline
20代記者が受け継ぐ戦争
〈特攻隊〉〈自爆テロ〉の違い
民主党参議院議員藤末健三公式webページ

写真(左):戦車揚陸艦LST-884号に突入した特攻機残骸;1945年4月1日、沖縄上陸当日に特攻機の被害を受けた。日本機搭乗員の遺体の跡にしるしが付けられている。Damage to LST-884 from Japanese kamikaze attack at Okinawa on 1 April 1945. Note twisted remains of aircraft and charred outline of Japanese pilot in the damaged area

世界の著名なメディア,政治的指導者にとって、あるいは世界各地の自爆テロを計画するテロ首謀者にとって,日本の特攻隊は,自爆テロ/殉教と同じように認識されているようだ。つまり,狂信的な天皇への忠誠心があり,国体護持のためには自らの生命も犠牲にしても惜しくはない。自分のような醜いものでも、天皇陛下をお守りする盾になることができる。天皇陛下万歳といって体当たり自爆する。
日本軍の将兵について、多数の連合国の市民や将兵が、「日本人は天皇を守るためには死をも厭わない狂信者である」「日本人は死ぬまで戦い続ける好戦的な侍の精神を持っている」「日本人は捕虜・敵国民間人など敗者を情け容赦なく処刑する」と認識していた。

このような日本人への先入観、偏見は、日本の特攻に対しても、強烈な敵愾心を生み出した。「正義と民主主義を守る戦争」を遂行する連合国にとって、攻撃・反抗という破壊的行為を行ういう日本人は「テロリスト」と判断される。特攻隊は自爆テロリスト集団とみなされてしまう。

写真(左):米国沿岸警備隊「テナイ」USCGC Taneyに突入した特攻機操縦者の遺体 ;Dead Kamikaze Pilot photo from Keenan Scott of grandfathers collection, Doctor Lt. James Hundley

What was needed for America to dominate much of humanity and the world's resources, it said, was "some catastrophic and catalysing event - like a new Pearl Harbor". The attacks of 11 September 2001 provided the "new Pearl Harbor", described as "the opportunity of ages". テロ攻撃を知っていて見逃したという大統領陰謀説とあいまって,「9.11同時多発テロは,第二の真珠湾攻撃である」とも主張されている。(→A New Pearl HarborGeorge W Bush said what America needed was "a new Pearl Harbor"A Second Pearl Harbor?The Bush administration and September 11

On September 11, 2001, the topic of kamikaze hijackings suddenly became MUCH more interesting to everyone, as two airplanes smashed into the World Trade Center towers and utterly obliterated them, and a third crashed into the Pentagon.自爆テロとカミカゼ特攻は同じとも言われる。(→Kamikaze Jet HijackingWar on Terror Masks Bush's Grand Strategy


写真(左):1945年3月沖縄の慶良間列島で,日章旗を奪取したLST793号の乗員たち;満面の笑顔で戦利品を誇示する。Holding a Japanese flag they captured during the initial assaults on Ryukyu islands, are (l-r) Donald J. Morehouse, motor machinist mate second-class, Daniel Walker, 21, electrician mate, third-class, and Art Sivanch, 21, seaman first-class. The three coastguardsmen served aboard an LST during the assault landings on Aka Gima, Zamami Jima, Ie Jima and Okinawa. (U.S. Coast Guard photo.)
写真(右):1945年沖縄方面の戦艦「ネヴァダ」に突入した特攻機の日章旗;The symbol of his country:Japanese Suicide Pilot's proud(死者を包む経かたびら). The Kamikaze had no thought for the individual as long as some damage could be effected against his enemy.



写真(左):1945年9月,終戦後にアメリカ兵士が奪取した日本海軍の戦闘旗;米海軍駆逐艦「スタッダード」USS Stoddard DD-566の乗員たちが海軍旗を鹵獲して満面の笑顔。Japanese flag with crew - Sept 1945。

敵愾心の現れるのが,戦利品漁りである。今日でこそ,米国軍人の家族が,自宅にあった日章旗や遺品を遺族に返還するという「美談」がメディアで報じられている。しかし,このような日章旗は,憎むべき恐ろしい敵から奪取したもので,任務の困難さや自分のやり遂げたこと,あるいは勇気を示す証にもなる。戦利品はみんながほしがったが,特に持ち運びやすい旗は人気で,売買されていたし,現在でも売買されている。

体当たりされる米艦船の乗員にとっては,戦死した特攻隊員の名誉よりも,自分たちの生命,健康を維持することが,第一優先である。自分たち米軍将兵の命を奪い,身体を損なおうとする特攻隊員が,英雄視されたり,立派だと認められたりすることはない。特攻隊員は自分を殺しに来る「地獄への急降下」であると認識されていた。特攻機の残骸や特攻隊員の遺体が,船体の破片や艦船乗員の遺体と区別でき,敵のもの判別できるときも稀にあったようだ。多くの場合,特攻隊員の遺体は処分され,米国人の遺体は,丁寧に海葬された。特攻機の残骸や特攻隊員の遺品は,戦利品として持ち帰られた。


写真(左):1945年ペリリゥー島で米海兵隊員たちに奪取された日本海軍の戦闘旗;Marines of A-1/7 during the campaign for Peleliu– September 1944. Pfc Ike Smith is the Marine standing with helmet on. Photo courtesy MSgt Charles Owens.ペリリュー島を守備していた水戸の第十四師団歩兵第二連隊(中川州男大佐)12000名は,1944年9月15日から11月下旬まで奮闘したが,島は攻略された。日本軍の戦死者 10,695名,捕虜 202名に対し,米軍の戦死者 2,336名,負傷者 8,450名である。「米太平洋艦隊司令長官ニミッツ元帥は自著『太平洋海戦史』の中で、ペリリュー島の玉砕戦に感銘して詩を作っている」としている識者もいる。しかし,敵をほめて,それに打ち勝った米軍を自画自賛する意識の現われとも解釈できる。

特攻隊員は,家族・友人から送られた手紙,写真,日章旗,時計,鏡,軍刀などを,機内に持ち込んだ。それは,思い出の品あるいは埋葬品のような感覚であったろう。靖国神社にも,手鏡のケースだけ母に残していたり,子供の思い出に人形をもって行ったりした特攻隊員の話が紹介されている。軽くて小さく折りたためる日章旗は,特攻隊に限らず,たくさんの日本兵が戦地に持っていった。寄せ書きを入れてある日章旗が,多数,米軍軍人に鹵獲されて,記念写真に撮られ,現在でも実物が残っている,売買されている。

「特攻隊は,戦争の時期に,かれらの義務を果たしただけだ」といった感覚を,米国人,英国人が持つのは,戦後10年以上たってからで,徐々に生まれつつある。突入された当時,特攻隊員の遺体や遺品の扱いからみれば,連合国将兵の多くは,特攻隊員を敵視するだけでなく,命を奪いに来る地獄の死者として,憎んでいたと思われる。日本軍将兵の遺体や遺品,戦利品漁りから,それがも察せられようというものだ。英霊として丁寧に扱われたのは,例外である。

写真(右):1942年8月17-18日マキン島攻略で海兵隊に鹵獲された日本海軍旗がルーズベルト大統領に贈られた。;1942年9月,海兵隊ホルコー将軍が,ルーズベルト大統領の個人蔵としてくれるように手渡した。しかし,大統領は,海兵隊に戦利品として撮っておくように申し渡した。星条旗に平伏した日本海軍旗は,丁寧に扱われる。しかし,あくまでも米軍に屈した日本軍の象徴であり,自敬,自尊の意味で,丁寧に扱ったに過ぎない。このような自敬,自尊の意味での丁寧さを,日本軍への尊敬と錯覚することは,認識不足であろう。Examines a Japanese Navy flag, held by Marine Corps Commandant Lieutenant General Thomas Holcomb, at the White House in September 1942. This flag was captured by Marine Raiders on Makin Island during the 17-18 August raid. It was offered to the President for his personal collection, but he instead recommend that it be placed among the Marine Corps' trophies Note the U.S. Flag in the center, with a ribbon marked "... Master Depot Philadelphia".

米軍が打ち負かしたのが,相手にならない弱い日本軍だった,あるいは米軍将兵が勝利した敵は臆病者だった,といった認識は,認知的不協和を引き起こす。敵の日本軍将兵は,強く,我々は懸命に戦って勝利した。このように,考えることで,自分が正義のための戦争,自由を勝ち取る闘争を完遂したと自負できる。心理的には,強い敵に打ち勝ったとしたいのが人情である。だから,日本軍を称えたり,戦利品を丁寧に扱ったりもする。しかし,そのような自尊心から出た行為を,日本軍を尊敬しているとか,特攻隊員に畏怖していたとか錯覚するのは,相手の魂胆がわからないからであろう。

自爆テロと特攻および真珠湾攻撃と同じであるというのは,第一に,予期しえない卑劣な対米攻撃,奇襲攻撃という意味がある。そして,第二に,攻撃を,狂信的なテロと同一視し,攻撃者を狂信的な,理解しがたいテロリストとみなしている点である。連合国軍(多国籍軍)における現在の自爆テロへの理解は,第二次大戦中の日本の特攻に対する,あるいは「天皇のためには命を惜しまない狂信的な」日本軍将兵という認識と類似しているように思われる。

特攻=狂信・軍国主義の極地がもたらした自殺攻撃・自爆テロ(米軍の視点)
特攻=家族と国家を守り,(天皇の)大御心(おおみごころ)に沿うための必殺の体当たり攻撃(日本の視点)
  ⇒自爆テロ/殉教と特攻は同じ(?):自爆テロも特攻も,狂信と洗脳が生み出したもの(多国籍軍=連合国軍の視点)、あるいは殉教精神・祖国愛・家族愛が生み出したもの(反米過激派・日本軍の視点)
当事者の片方の立場から分析すれば,特攻も自爆テロも善悪の価値観や正当性の観念から,対極的に論じられてしまう。これが現状である。

祖国,民族のためであれば,テロも許されるのか。民族自立,国家独立,反植民地,暴政打倒,民主主義の確立,家族の保護,財産の保全,国防のためであれば,市民も含む敵の命を奪う大量殺戮,敵の軍事目標・経済基盤を攻撃する大量破壊は,正当化されるのか。

祖国防衛の英雄,独立の闘志,レジスタンス,ゲリラは英雄・立派な人物として,その敵殺害,敵財産の破壊も賞賛されるべきなのか。
自爆テロと特攻の問題は,結局,戦争の本質である大量殺戮,大量破壊を肯定し,正当化できる大義があるかという問題に行き着く。


写真(左):展示される戦利品となった寄せ書き日章旗;苦闘の末の勝利の記念に、戦利品あさりが横行した。そう思うと、遺族に変換したいという善意の背景に、相互の憎しみがあったことが窺われる。時がたてって、初めて、戦ったもの同士、遺族同士の交流も可能になった。日本語が判読できないためか,逆さまに展示されているが,戦地での記念写真にも逆さまのものが散見される(The Museum of World War II,Boston)。

国務省『国際テロ年次報告書』テロ対策調整官室発表(2004年6月22日)によれば、2003年の国際テロ件数は208件で、最新の発表による2002年の件数198件(205件に訂正)に比べわずかに増加、また2001年の355件に比べると42%の減少となった。2003年の国際テロによる死亡者総数は625人で、2002年の725人に比べ減少した。2003年のテロによる負傷者総数は3646人で、前年の2013人に比べ急増した。この増加は、2003年には、礼拝所、ホテル、商業地区など『ソフト・ターゲット(民間の標的)』を対象に、大量の死傷者を出すことを意図した無差別テロが多かったことを反映している。2003年には、35人の米国人がテロによって死亡した。

テロ支援国家と特定の交易を行う個人または国を罰するとして、テロ支援国家として米国が指定しているのは、キューバ、イラン、イラク、リビア、北朝鮮、スーダン、シリアの7カ国である。


写真(左):日本機撃墜の記念プロペラ;1944年6月19日のマリアナ沖海戦で撃墜された日本機のプロペラ。東條英機が描かれている。空母「エセックス」の戦利品となった。Propeller from the U.S.S. Essex, commemorating 'The Great Marianas Turkey Shoot', June 19, 1944. The Museum of World War II,Boston.

自爆テロと日本の特攻の異なる点として、
ー爆テロは無辜の民間人を標的にする卑劣な行為が、特攻は軍事目標に行われた英雄的行為である、
⊆爆テロは狂信的な宗教的妄信が生み出したが、特攻は祖国愛・家族愛が生み出した、
自爆テロは世界を混乱させる平和を乱す行為であるが、特攻は祖国と家族を守る平和のための行為である、
と主張されることもある。しかし、自分の命を犠牲にしてまで、叩き潰したい敵愾心・怨念ががあったのであろうか。あるいは、敵愾心・怨念ではなく、直面させられた状況の中で、民族や家族を守るための冷静な判断の下に、あるいは自分が特攻自爆するのを納得するための悠久の大儀を認識して、自己犠牲的に行われる破壊行為でなのであろうか。


1944年海軍婦人部隊WAVEsとダブル・デートする米海軍水兵。米国は、犠牲者をもつ勇者でも、自殺攻撃をする必要はない。それどころか,本国では休暇中にデートまでできた。戦時中でも「海軍勤務も楽しいよ」というプロパガンダが継続して行われた。「自爆テロリスト」犠牲的精神で満ち溢れた愛国者から見れば,堕落した快楽主義者と思われるかもしれない。しかし、このような米兵が殺されれば,前途ある若者の将来を平然と奪ったテロリストを殲滅せよと、報復のヤイバが向けられる。

特攻について、世界ではさまざまに解釈されるのと同じく、日本人が現代の自爆攻撃を理解するのは難しい。自爆攻撃した「敵」の文化、言語、歴史、国際関係、現在の生活を的確に把握できていないからである。自爆攻撃をテロと呼んでいるが、テロが怨念の一時で行われたという解釈には疑問の余地がある。「自爆の巻き添えにされる善良な市民」という理解は、他者にとっては異なるかもしれない。現代のテロについて、「怨念を晴らすための非道な行動である」「民族を救おうとする考えはない」と、断定できるだけの判断材料は持ち合わせていない。
要するに、我々が現代の自爆攻撃=テロ=悪としているのであれば、攻撃を受けた側では、常に特攻=体当たり攻撃=テロ、と解釈されてしまう可能性を認めざるを得ない。特攻=家族・民族を守る捨て身の攻撃、というのであれば、現代の自爆攻撃も同様のものと主張する「テロリスト」の主張をプロパガンダであると切り捨てることはできないと考える。

民間人も、食糧生産、兵器生産、補給、労働力として戦争に協力しており、無差別攻撃は軍事的にも、効果的である。また、敵愾心とは狂信的な一時的なものでなく、冷徹な論理一貫した憎しみである。ナチスのホロコースト、現代の自爆テロも、決して一時的な狂信的行為ではなく、計画された「作戦」である。

写真(左):前線の米海軍将校から戦利品の日本兵の骸骨を贈られたナタリー;米海軍中尉が、ニューギニアの海岸で見つけた日本への髑髏にサインして、フェニックス市に住む恋人ナタリー(Natalie Nickerson、20歳)に贈ってきた。中尉さんに返事のラブレターを書くナタリーにとって、髑髏は化石と同じで、不気味な思いをさせることはないようだ。Life掲載写真。

また、現代は短期決戦の時代のように言われるが、「テロとの戦い」は決して短期でも決戦でもない。長期間、いたるところで民間人のいる経済社会基盤(生産、流通、金融、輸送、エネルギー、水供給などの生活基盤)を巻き込み、世論を誘導して戦われる総力戦である。総力戦では,一般市民も世論の支持による戦争継続,ビジネス活動,納税・国債購入による軍資金提供,生産のための労働力,個人消費節約による軍需への資源の移転など,戦争協力している。こうなれば,(少なくとも敵から見て)みんなが戦争協力する敵対者とみなされる。「無辜の市民」はありえなくなる。

攻撃目標が、軍艦か輸送船か、あるいは兵士か民間人かは、総力戦にあっては目標選定の基準とはならない。敵の戦力,経済力,世論,生産基盤、金融、通貨の信用力などに、効果的な打撃を与えられるかどうかが、攻撃目標選定の基準となる。反対に,テロリストを捕らえ、殺害するるための戦争もありえるということだ。

写真(右):小月飛行場にいた特攻隊員と女子学生;Life掲載写真。山口県下関市の小月飛行場には、1944年7月、第十二飛行師団司令部が置かれ、西部地区防衛を担当。女子学生は、女史挺身隊として将兵の身の回りの世話(洗濯,裁縫,宿舎の掃除)や飛行機の整備、出撃の見送りに動員された。勤労動員された若者は、祖国と国民を愛し、犠牲的精神で特攻隊に志願した若者を尊敬し、英雄と見なしていた。しかし、米軍から見れば、特攻隊員は、日本の特攻機を操縦する卑劣な自爆テロリストであり、勤労学徒は、それを助ける戦力の一部といえる。敵味方に分かれれば,同じ人物への評価も純真な乙女から狂信的なテロシンパへと変わってしまう。

総力戦であれば,軍艦乗員であっても,軍需生産,補給物資の運搬を担うような民間人であっても,重要な戦力として,攻撃対象となる。自分の命をかけて,祖国,家族を守るために,敵に打撃を与える必要があり,その攻撃目標は,航空母艦・駆逐艦など敵艦艇,輸送船など敵民間商船,あるいは金融センター・道駅・国防省など敵経済・軍事中枢など様々である。効果的な攻撃目標の選定が重要となり,民間人が含まれるかどうかは問題ではないともいえる。

軍艦1隻を沈没させるよりも,巨大ビル1棟を倒壊させるほうが,効果は大きい。とくに,一般市民が特攻あるいはテロの標的にならないように,防御するのであれば,膨大なコストを負担しなくてはならない。一般市民へのテロとその恐怖は,市民を守ろうとする政府や軍隊に,多大な負担をかける。テロリストから見れば,敵に負担を強要するには,一般市民を標的にして,殺害するテロが効果的である。トラック,戦車はいくらでも生産できるし,軍艦のは代わりもあるが,殺された人間の代わりはいないという意味で,テロの被害は大きい。

軍艦,軍用機,軍人を攻撃しようとしても,防備が固く、警戒しているために、戦果を揚げるのは困難である。軍事施設,軍艦、戦車に自爆テロを仕掛けても、多くは事前に発見,阻止されてしまう。また,「人の命の値段」=遺体捜索・運搬費用,葬儀費用,国家補償,生命保険,遺族年金などの負担は,高所得で人権を重視している先進国では,非常に重い。負傷者の医療や看護の費用も政府や家族が負担する必要がある。「人命は地球より重い」。人命が高価な敵に対しては,特攻による攻撃も人を対象にすることが,もっとも費用対効果が大きいといえる。

1944年後半の米軍に対する特攻も,空母や戦艦ではなく,ヒトを大量に殺すことを目的に、輸送艦、商船を攻撃するほうが,損害が大きく,米国の負担も大きかったであろう。米軍が日本本土侵攻をするにしても,その兵器の損害は回復できるが、失った兵士の命は取り戻せない。日本本土侵攻作戦に際しても,自国の若者の死傷者を如何に少なくするかが問題となっていた。原子爆弾の投下を正当化する第一の理由も,日本本土上陸作戦に伴う死傷者を抑えるため,というものである。(現実には,戦後の対ソ戦略や最新兵器の実戦使用への誘惑の影響が大きいが。)
米国に対して大損害を与えるためには、米軍将兵,米国市民を効率的に殺害すればよい。大量殺戮が可能になれば,戦局を挽回できる、戦争で優位なれる。こちらの物資,人員,資金を節約しつつ、効果的に敵を大量殺戮することが、戦争の当面の目標となる。----こんなに愚かしいことはない。戦争の本質とは,大量殺戮,大量破壊である。20世紀の大戦以降,戦争は決して外交の延長手段などではない。

写真(右):飛行場で別れの杯を交わす特攻隊員と指揮官;Life掲載写真。航空機を隠す掩護覆いのついた格納庫が整っているので内地の飛行場であろう。出撃の見送りをする指揮官は、大きな戦果を揚げてくれることを期待すると同時に、特攻隊員を目の前にして、死に行く若者を立派であると感じていた。特攻に出撃する部下が、送り出す指揮官よりも、精神的にはるかに上位にあるはずだ。しかし、特攻に出すもの,出されるもの苦衷は、彼らの顔からは読み取れない。特攻に出されるものは,この期に及んで恥をさらすわけにはいかず、同僚たちと同じく、にっこり笑って死ぬしかない。自分は特攻出撃できないが、若者は自己犠牲を厭わず、愛国心を持って大御心に自ら殉じようとしている。特攻は、若者の発意で志願によって行われた。特攻を命じた指揮官たちには,「特攻の自然発生説」が心理的負担が小さく,受け入れやすい。「認知的不協和の理論」が当てはまる心理状態から,特攻を命じた指揮官たちは,「特攻自然発生説」を信じ込んでいった。

しかし、自爆テロ作戦を計画し、特攻隊員を訓練し、特攻隊を編成する司令も心中穏やかではいられないようだ。中には、特攻隊を使い捨てのごとく扱った司令官や参謀もいたようだが。自分は死なないのに、若者に死を前提に特攻を命じる司令官,高級将校の心のうちは苦しかったであろう。だからこそ、特攻を命ずる指揮官は,自らの心理的負担を軽くするため、自らの心理操作をするしかない。不協和を受け入れるために認識を改める、すなわち「認知的不協和の理論」である。自分は意思が弱くて特攻に出撃できないが、若者は自己犠牲を厭わず、愛国心を持って大御心に自ら殉じようとしている。特攻は、若者の発意で志願によって行われた。特攻を命じた指揮官たちには,「特攻の自然発生説」が心理的負担が小さく,受け入れやすい。こういった心理状態から,特攻を命じた指揮官たちは,事実ではない「特攻自然発生説」を信じ込んでいったのであろう。

他方,特攻隊・テロ実行犯として指名されたり、志願を強要されたりした若者は、運命を受け入れて、祖国、民族、家族、神の栄光のためと思って、死ぬことを自分に納得させる以外の道はない。
死から逃走、逃亡しようと思えば,特攻/自爆をやめて、同僚・周囲から非難され,家族を窮地に陥れ、さらに自分も抹殺されることを覚悟しなくてはならない。これが分かっている特攻隊員は、苦しんだ末、やはり特攻出撃するしかないのではないか。認知的不協和の理論から行って,自分の死に意味がないとは,犬死だとは認める分けにはいかない。祖国のため,家族のために何か役に立てると信じることができたからこそ,特攻に出撃できるのであろう。


北アフリカや南米で郵便飛行の仕事をし,大戦中,P38「ライトニング」改造の偵察機パイロットとして地中海で活躍したアントワーヌ・ドゥ・サンテグジュペリ Antoine Marie Roger de Saint-Exuperyは,1931年の『夜間飛行Vol de Nuit/Night Flight』のなかで,「勇気というやつは,大して立派な感情からはできておりません。憤怒が少々,虚栄心が少々,強情がたっぷり,それにありふれたスポーツ的楽しさが加わったという代物です」と述べた。勇者と勇者が戦争という極限状況ででぶつかれば,殺し合いとなり,陰惨なものとなる。
ドゥ・サンテグジュペリは,1943年の『星の王子様Le Petit Prince』で有名なフランスの作家であるが, “War is not an adventure. It is a disease. It is like typhus.”とも述べている。1944年7月31日,彼は,マルセイユ沖で墜落,戦死したが,彼の部屋には,General X宛ての手紙が残されていた。

"I do not care if I die in the war or if I get in a rage because of these flying torpedo's which have nothing to do with actual flying, and which change the pilot into an accountant by means of indicators and switches. But if I come back alive from this ungrateful but necessary "job", there will be only one question for me: What can one say to mankind? What does one have to say to mankind?"
「私は,戦争で死んでも,憤怒に陥っても,かまわない。戦争の道具として飛ぶことは,実際の飛行とは比べ物にならない。それは,パイロットを計器とスイッチの一部にしてしまった。しかし,もし,この不快なしかし必要な任務から生きて帰れたなら,ひとつの課題が生まれるだろう。人は人類になんということができるのか,なんというべきなのか。

特攻やテロ行為自体は戦争と同じく正当化することはできない。もし,特攻や自爆テロを,そして戦争が正当化できる大義があるのであれば,無防備な市民こそ,効果的な攻撃目標として認めることになる。
したがって,特攻,自爆テロ,戦争を許せば,平和は遠のいてしまう。

しかし,最も非難され、追及されるべき人物は、特攻隊員・自爆者ではないし,特攻隊員・自爆者の抱く犠牲的精神、祖国愛、殉教精神ではないであろう。
非難されるべき卑劣な人物・行為とは次のようなものであろう。
‘湛饗癲自爆者(殉教者)を平然と送り出している司令官・参謀(テロ首謀者)たち、彼らこそ無防備な市民を殺害し,悲しみと報復を招来し,防衛措置をしいて,社会に余分な負担を負わせる。
特攻隊・殉教者を送り出したにもかかわらず「特攻・殉教は自然発生的に行われた」としての特攻/自爆テロ作戦の責任を回避しようとする「特攻/自爆しない」司令官・参謀たち、彼らこそが特攻/自爆テロの現実的果実を不当に独占する。(特攻隊員・自殺攻撃者は死んでいる)
F湛供自爆のもつ「大義に殉じ、家族を守ろうとする犠牲的精神の発露」という一面を英雄的行為として過大に賛美し、プロパガンダを展開して、純真な若者に特攻(自爆テロ)を志願させ、愛国者,殉教者の名のもとにテロリストを育成、編成する行為、それを画策する政治的指導者・軍司令官(テロ首謀者)たち、彼らこそ,エセ大義のもとに社会から平和を奪う扇動者である。
彼らやその行為こそ憎むべきものである。特攻隊員の抱いた忠誠心・祖国愛・家族愛だけではなく,彼らの苦衷と特攻/自爆テロを展開した司令官への憤怒を心に留めることが,現代の我々には必要なのではないか。


輸送艦「ネソーバ」;1945年3月27日、レイテ湾で第55任務部隊(the Southern Attack Force)に所属して、4月1日の夜明け前に Hagushi海岸の北方に到着した。 4月1日 0615、輸送艦「ネソーバ」からボートが降ろされ、沖縄上陸部隊第一陣第6派に参加した。Hアワー(H-hour)の後, 0830に「ネソーバ」は、輸送艦の指定地域にとどまり、夕方1653に積載貨物を降ろし始めた。「ネソーバ」は、3日間に渡って、 貨物を降ろし、搭載していた兵員を下船させた。上陸した部隊は、沖縄守備隊の反撃をほとんど受けなかった。中型揚陸艦LMS-20号;1944年12月5日、レイテ湾近くのスリガオ海峡で,爆弾を搭載した特攻機Japanese Kamikazeの命中を受け撃沈。LSM-20乗員の死者8名,負傷者11名。

個別の米艦の情報は、webで入手できる。海軍や研究所と並んで,退役軍人団体やそれに協力する個人がwebで資料や写真を公開している。他方、日本のweb資料は、一部の個人サイトを除いて不十分なままで、公的な艦艇,部隊のweb資料はない。資金も組織も利用できる一流の政治家でも「愛国心をはぐくむ教育が必要だ」と唱えるだけ,歴史的資料の保管やその利用の利便さには関心が薄いようだ。


<テロリズム 2015>

    紛争の続くシリアでは、斬首を含む残虐処刑自爆攻撃などテロが、敵味方双方で報復と称して繰り返されている。この残酷な報復捕虜処刑は、ISやアルカイダのアルヌスラAl-Nusra)だけでなく、シリア治安軍イラク政府軍アメリカ軍トルコ軍自由シリア軍、クルド人民兵組織(ペシュメルガ(Peshmerga)、人民防衛部隊YPG)など敵味方いずれでも行っている。そして、ドイツフランスイギリスカナダアメリカなどの男女の若者が、これらの組織に志願兵として参加し、敵味方に分かれて戦っている。

 当初は、イラクやシリアの政府軍・治安部隊が反政府側住民の人権弾圧や虐殺を行っていることをメディアは大々的に報道していたが、今では、反政府軍側の自由シリア軍なども政府軍捕虜や住民を虐待、虐殺していることが明らかになっている。これは、お互いが過去に敵から受けた弾圧、虐殺に対して、復讐、報復をしているからである。古代中東のハムラビ法典における「目には目を、歯には歯を」:'An eye for an eye, and a tooth for a tooth.' は、刑罰の均衡の原則を意味するが、それが歪曲され、「虐殺には虐殺を」ということで、、復讐のためのテロが拡大している。

 西側先進工業国の志願兵を最も多く受け入れているのは、クルド人部隊であろう。クルド人Kurds)は、トルコ、イラク、シリアに分布しているが、自民族の国家を持たないため、クルド労働党を中心に、クルド人の独自国家創設の動きがある。そこで、トルコ、イラク、シリアいずれの国でも、人種民族差別にあい、人権が弾圧されていると主張している。他方、イラク石油産出地アルビルErbil)、キルクークKirkuk)にあるクルド人は、アメリカ資本との絆があり、北部クルド自治政府を設立し、独自のクルド人部隊ペシャメルガ(YPG)を組織している。そして、トルコ国内でもクルド労働党(Kurdistan Workers' Party)が自治権・独立を目指して、クルド民兵組織の人民防衛部隊(Peshmerga)にクルド人住民を募兵・徴兵している。アメリカへの移住者も多いクルド人の宗教は、スンニ派イスラム教、ヤズィディYazidi)のほか、キリスト教徒もいる。

 ISと対立しているクルド人部隊は、アメリカや西ヨーロッパの軍事支援を受けて、IS掃討作戦を展開している。トルコは、NATO(North Atlantic Treaty Organization)の重要な加盟国であり、ロシア・東欧を制する位置にあり、親アメリカ軍の立場で、トルコ国内にはアメリカ駐留軍を受け入れている。しかし、トルコは、クルド人独立の動きを弾圧し、西側先進工業国によるクルド人支援を警戒している。そして、ISやアルカイダのアルヌスラ(Al-Nusra Front)によるシリア攻撃やクルド人掃討作戦を支援しているようだ。2014年9月、アメリカがトルコの米空軍基地から、シリア空爆を行おうとしたときにも、トルコのエルドアンRecep Tayyip Erdoğan)大統領は、当初、それを拒否したほどだった。

 2014年から2015年にかけて、ISに日本人が拘束され、非道な取り扱いを受け、残酷に処刑された。殺害された日本人は、一人は湯川遥菜(はるな)氏で、菅義偉(すが よしひで、1948- )官房長官、田母神俊雄(たもがみ としお、1948- )元空将や多数の政治家らの賛同者であり、SNS(Social Networking Service)を通じた友達だった。2013年から湯川氏は、政治集会、選挙活動に頻繁に参加したが、それは、国安正昭元特命全権大使・放射線影響研究所 評議員らを顧問に、民間軍事会社設立に協力してもらったお礼の気持ちがあったようだ。資金を手にした湯川氏は、中東の武装集団の下に出向き、人的関係築き、医薬品などを搬送した。将来は、救急車などを送る紛争地域の住民支援、そこで活動する日本人の武装警護を目指していた。

 もう一人は、後藤健二氏で、映像通信社インデペンデント・プレスを設立、テレビ朝日「報道ステーション」 NHK「BSドキュメンタリ−」「ETV特集」「週刊こどもニュース」「クローズアップ現代」 などテレビで活躍し、「ルワンダの祈り」のような著作も刊行している。彼も、紛争地の住民を救いたいと思っていた。二人は、2014年から、共同で仕事をしているが、湯川遥菜氏経由の資金・兵士と後藤健二氏のスキルが強固に結びつき、カネ、モノ、ヒト、ワザが大量に注入されば、紛争地域における日本の情報軍事機関の足掛かりができたかもしれない。

後藤健二氏をCEOとするINDEPENDENT PRESSには、次のようにある。
To be or not to be.(投稿日:2014年7月28日 作成者: Kenji Goto)
 シナイ半島に行った。世界各地で、なぜ、こうも衝突が絶えないのだろう?その一方で、全世界中にに漂うグローバル化の疲れや失望−「私たちには正直わからない」「私たちだけは安全なはず・・・」「自分の家族が一番大事」といったある種開き直った意識。
“What can I do ?”視聴者離れの激しいドキュメンタリーの存在意義とは何か?作り手はその点を深く考えようとしない。突き詰めていくと、自分の首を絞めるからだ。
モバイル時代にニュースに求められるモノは何か?短くても継続して伝え続けることが大きな山を動かすことになるのを忘れてしまったかのようだ。メディアで伝えられる時には、もうすでにポリティカルなゲームにすり替えられてしまう昨今の事件事故。バリューを付けていくのは難しい。
「話題」の現場で起こることはごくシンプルだ。
朝10時くらいに床からのそのそ出て、何の迷いもなく考えもなくAK47RPGを手にとり戦いに行って、戻ったら仲間と食事をして、タバコをくゆらせながら馬鹿話をして寝る。ごくまれにモノ好きな外国人のジャーナリストや諜報部員、自分たちの知り合いではない人たちの訪問を受けると、単なるおしゃべりが答えの出ない議論に変わる。そして、寝る−そんな繰り返しが戦闘地帯における最前線の日常だ。


   報道ステーション−今夜シリア アレッポで暮らす市民や子ども達を最新映像伝えます。:後藤健二 @kenjigotoip 2月11日
Dear 皆さん、まさに無差別殺人と私も感じました。それに、必ず画家になる、と言った少女マラック、頑張れ!!
報道ステーション、始まりました!シリアで空から降ってくるのはタル爆弾。。。それも視界の良くなる晴れの日が一番恐ろしい。今回は、、、必死でした。爆撃や砲撃の下で生きる−自分の身体がバラバラになって飛び散るのをイメージしたのは初めてのことでした。

It means “Lost Age” really. これこそ本当に「失われた世代」だ: 投稿日:2014年7月11日 作成者: Kenji Goto
彼らは、いつも笑顔でこちらの頼みを聞いてくれた。一緒にお茶を飲み、甘いお菓子を食べた。感謝のしるしに日本製の時計を、コンデジを、プレゼントした。戦時下では、プレゼントできること自体が嬉しいものだ。
世界各地の紛争地帯で、私の仕事を手伝ってくれた人たちが、もう何人亡くなっただろうか?でも、私はまだ生きている。生きて自国に戻り、「伝える」仕事に集中することができる。 彼らが死ぬなどと真にイメージしたことは正直なかった。 鮮烈に蘇る彼らの優しい笑顔。ボー然としたところで、「なぜ?」と考えたところで、彼らはもう戻って来ない。どうか、神様。彼らに安らかなる日々をお与えください。

後藤健二Twitter: @kenjigotoipには次のようにある。
「ジャーナリズムに関して、もう欧米と比べるのはやめた方が良い。虚しいだけで何より無意味。情報を受け取る個人の問題。日本にジャーナリズムが存在しえないことやフリーランサーの地位が低いのは、3/11の前からわかっていたこと。今ある結果として変えられなかったことは自戒すべきことと思う。」(2011年6月24日)
世界市場では、待っていても何も起こらない。最初の一歩は自らが踏み出さないと。この日本国では、待っていたらこのザマなのですから。子どもを大事にしない政府や国に未来なし。」(2011年6月26日)
湧き出るオーラでセキュリティをスルーしたい」−ああ、わかるこの想い。なぜかなぁ、いつかできそうな気がする。あの人も僕も。」(2010年9月11日)

湯川遥菜氏は、自ら川島芳子の生まれ変わりに準えたが、それは川島芳子の「男装の麗人」、国際スパイ、義勇軍司令官、軍人会館CEOの性格にあこがれていたためであろう。民衆の擁護者でありたいとする高邁な(観念的)理想も共通点であった。湯川氏は奇しくも芳子と同じ42歳で処刑されてしまった。

  湯川遥菜氏は、歴史に名を残す人物になりたかった。後藤健二氏はオーラが湧き出るジャーナリストになりたかった。二人とも、山本美香女史と同じように、抜け殻になったような会社勤めサラリーマンを辞めて、立派な仕事をし、歴史や世界市場で真っ当に評価されること、そのような社会を構築することに懸けた。
 中東紛争地域で、誰もしなかったような立派な仕事を目指した人は、無残に処刑されてしまったが、そのことでFacebook I AM KENJI国連安保理事会アメリカ国連大使サマンサ・パワー演説をはじめ世界の注目を浴び、希望は引き継がれた。これは世界の注目を浴び、希望は引き継がれた。これは「アンネの日記」の著者アンネ・フランクが、日記を出版したい、ジャーナリストになりたいとの夢を抱き、世界の人々がそれに共鳴したことを思い起こさせる。

 2015年1月25日、湯川遥菜氏の残虐な殺害の直後、日本政府が情報を確認しているといっている最中、駐日アメリカ大使キャロライン・ケネディCaroline Kennedy)女史は「米国民を代表し、湯川遥菜さんのご家族に心から哀悼の意を表します。我々は後藤健二さんの無事解放を祈るとともに、この困難な時にある日本の皆さんに思いを馳せています。日本と米国ほど緊密な友好国はありません。我々は今後も手を携えて、両国が共有する価値観を守っていきます」と宣言した。
 2015年2月の国連安全保障理事会で後藤健二氏をはじめとする中東渡航者の若者の活躍を賛美したアメリカ国連大使サマンサ・パワーSamantha Power)女史は、1970年生まれのジャーナリスト、作家、ハーバード大学教授の才媛。それに対して、日本の国連大使吉川元偉氏は、1951年生まれの20歳年長の外交官試験合格者で、総合外交政策局国連政策課長を歴任。日米二者を比較して、世界のメディア、世論に対する影響力の差は、外交上、世論形成を旨とするジャーナリストをどのように扱うかをみれば、明らかに大きな差がある。死者を自己責任だと追及するのとその志を称賛するのでは全く対照的だった。

 イラク戦争やシリア内戦のような緊急事態に当たって、世界の世論に感銘を与え、各国の支持を得るにはどのように行動を起こすか、このような行動は、既存秩序を墨守する官僚や公務員採用上級試験合格者、だらしない政治家に期待することはできない、このように考えて、自ら危険を冒して行動し、歴史を刻み、世論を喚起しようとしたのが、湯川遥菜氏や後藤健二氏だった。佐藤和孝氏、彼の妻山本美香女史だった。

 山本美香女史は、1995年にサラリーマンを辞めた後、戦場ジャーナリストとして活動し、タリバン政権下アフガニスタン、2003年のイラク戦争バグダード取材、 2008年から早稲田大学で「ジャーナリズムの使命」 の授業を担当。2012年8月、夫佐藤和孝氏とともに、シリア自由軍兵士の護衛の下で、アレッポ内戦の取材中、銃撃で殺害された。犯人は、シリア政府軍、その民兵あるいは自由シリア軍の兵士と様々な憶測がある。シリア政府を誹謗するジャーナリストを始末したいとシリア政府が考えたのか、あるいはシリア政府軍の非道な扱いを喧伝するFSA側の陰謀だったのか、いずれにせよ、ジャーナリストも高官も、戦場における護衛の必要を痛感しており、信頼できる警備兵が欲しいのであって、護衛の経費は負担は惜しまない。そこで、危険な紛争地域で、安全な警備兵を揃えて護衛する民間軍事会社が生まれてくる。日本人で戦場ジャーナリストの護衛を始めたのが民間軍事会社PMCを設立した湯川遥菜氏である。

 湯川遥菜氏が、後藤健二氏を撮った映像は、メディアでも流されている。ビデオ編集中の後藤氏のTV映像があるが、その編集画面に湯川氏が映っている。そして、湯川遥菜氏の♪HARUNAのブログ♪(2014-07-09) にも、後藤健二氏と共同で携わった中東での危険な仕事が、次のように綴られている。

「僕は今の日本が生きにくいと思う理由がシリアやイラクに行き解った気がする。明治大正昭和に運動家がアジアの事や戦争論など演説していた方々と気質が似ている。例えば下記のような方々が居る。頭山 満(とうやま みつる)徳富蘇峰(とくとみ そほう)石原莞爾(いしわら かんじ)等。僕の気質が今の時代に合わないのだ。根本的に戦前、戦時中の人間なのだ!
そして大和魂というものがこの時代でも受け継がれており、銃弾の飛び交う中、死を恐れず突撃していけるのだ!
 そして今回はイラクに行った。前回同様戦地に行く前は武者震いし、気合が入ってくる。今回はジャーナリストの助手でもあり、護衛でもある。この2つの目的を持って行った。現在の仕事は国際専門の武装ガードとジャーナリストの助手。
 ジャーナリストにも憧れた時期もあったが、僕には向いていないと思う。例えば海外で弱い立場の人間が、虐待虐殺等あった場合、見て事実を伝えるだけでは済まなくなってしまう。正義の感情が 先に出てしまい、悪を排除してしまうだろう。そういう人間は生かして置けない。当然冷静に物事を考えての事だが、場合によっては報復してしまうだろう。その為、ジャーナリストの仕事は向いていない。
 僕の仕事はジャーナリストとの関係は絶対必要だと思っていたところに必然にもシリアで出会う事になった。そして初めて一緒に行動した。直感で感じたが、一生の友になるだろう。国際専門の武装ガードも一緒に仕事をすることにもなった。ジャーナリストの情報力は本当に尊敬する。外国人兵士の仲間は多いが、そろそろ日本人の部下(兵隊)も欲しい。」(blog引用終わり)

湯川遥菜氏は♪HARUNAのブログ♪「シリア内戦視察 第4話 (拘束の生活)(2014-05-16 )で自由シリア軍に拘束されたものの、彼らと戦友になったこと、後藤健二氏と共同で仕事をしていることを、次のように語っている。

「起きてから気が付くのだが、この司令部には牢屋が4ヵ所あり、そこの中には投獄されている人が居ると言う。囚人は麻薬の売人2人、マフィア、政府軍捕虜の合計4名。 外観から窓が無く、中は過酷な状況に見えた。僕はそこには入れられなかったんだ!ホッとしたが、いつ移動されるかもしれないと思うと、ある意味ストレスを感じるので、牢屋の事は考えない事にした。
 しかし囚人が出る時がある。それは尋問をする時だ。その姿は毎日目にするのだが、あまり良いものではない。囚人を目にする時は、自分も管理されていると思うと気持ちが良いものではない。<中略>

彼ら[FSA]兵士は合計50名の組織で10名1週間交代で前線に行き戦闘をしているとの事だ。パクさんは戦闘で横っ腹を撃たれ、 横っ腹から右のお尻から銃弾が抜け、1ヵ月間トルコの病院に入院していて、退院したばかりとの事。パクさんはしばらく拠点で静養している最中だったのだ。

 2日目初めて見る男性が来て、僕はまた尋問室へ。この男性は片言の日本語を話していた。『私日本に住んでた。6人の友人が日本に居る』とそして次に話した彼の言葉に僕は驚いた!『ジャーナリストの後藤健二を知っているか?』僕はもちろん知っていると答えた。明日シリアに来ると言うのだ!僕は二ヤけた♪マジ?やったぁ♪僕が日本で会いたかった人の一人。まさかシリアで会えるとは運命としか考えられないよぉ!だって会える確率的に万に一つだよ!(※しかし僕は第六感と言うか、後藤健二さんとは日本に居る時からシリアで逢う気がしていた。それが今回現実に なった。)そして後藤さんとは来週東京都内で再会する。

その頃になると大分、兵士達ととても仲良くなり、冗談を言ってじゃれあったり、若い時の友達同志みたいな感じだ。そこには友情みたいなものが生まれ始めていた。<中略>友情みたいなものが生まれると、小銃や拳銃も持たせてくれるようになり、これは完璧に疑いが晴れた瞬間でもあった。 怖い物知らずの僕に対して、彼らは僕の事をサムライと呼んだ。

そうなると兵士の一人が難民施設の家族に会いに行くので、一緒に行こうと僕は誘われ、バイク3人乗りで、国境の難民キャンプに行った。この時やっと外出できた解放感で嬉しかった。 難民キャンプはユニセフのテントなど全く無い!ホント募金で支援をしているのかねぇ?まず僕は最初に感じた。まっ、募金の50%は経費で無くなると聞いているので、不思議ではない。役員の肥やしになっているのでは。 現場の人員はボランティアで人件費がかからないだろうし!

兵士の家族の中に生後間もない赤ちゃんが居た。その子を僕に抱かせてくれると言うので、抱っこさせられた。僕はこの瞬間感じた!戦争の中、生命があると言う事が、胸に伝わってくる。初めての感覚で驚いた。これまで日本で赤ちゃんを抱いても感じた事がない感覚であった」(blog引用)

湯川氏は「川島芳子と今の僕(最終回)後編 」(2014-03-22)では、具体的に自分の危険を予期できるほど仕事に熟知していたことが窺われる。
「どんな形でもいつ死んでも悔いはない。ただ望む事は歴史的野望があるので、成し遂げたい。それと死ぬなら、綺麗な姿で死にたいと言う事だ。尋問はもううんざりだ。しかし現在、仕事でスパイで捕まれば、尋問のリスクはある。僕は41年と11ヵ月生き抜いたが、2世代で約82年間の経験でした。僕が1ヵ月以上ブログの更新が無い時は、恐らく この世に居ないだろう。」 (♪HARUNAのブログ♪引用終わり)

湯川遥菜氏は、インディペンデントプレスCEO後藤健二氏の協力を得て民間軍事会社PMCを運営する計画だったが、政治家から提供されたPMC設立資金の一部は、湯川氏の友情、湯川氏のPMCのwebsiteから後藤氏のINDEPENDENT PRESSにリンクしていることからからみて、後藤氏のためにも使われたはずだ。数十万から数百万円あれば、渡航旅費でも保険料でも賄えて役にたつ。後藤健二氏はジャーナリストとして評価されているが、後藤氏が来る前から、FSAは拘束した湯川遥菜氏の身の安全を保障していた。救出のつもりで後藤氏が来たとすれば、FSAが湯川氏を厚遇しているのをみて、彼のコミュニケーション能力を高く評価したはずだ。後藤氏が湯川氏をFSAから救出したわけではなく、湯川氏はFSAの兵士たちとの交流に興奮していたほどで「人質」の認識はなかった。

 つまり、湯川遥菜氏を無定見な軍事マニアであると蔑視することはできない。外交官僚やプロのスパイでないからこそ、反政府武装組織シリア自由軍(FSA)と体当たりのコミュニケーションができた。だからこそ、似非指導者は、彼らを試しに中東における日本のパイプ作りに使ってみようと、煽ったり、資金を出したりしたのであろう。外交官僚は規則にとらわれすぎて、臨機応変な思い切った迅速な行動ができないが、フリージャーナリストは、密入国・不正入国も辞さずに、戦場に潜入して取材し、特ダネを撮ろうとする。このハングリー精神と行動力の違いを熟知する政治家の中に、二人を煽り、若干の資金支援をして、紛争地域における日本のあるいは自分の影響力を高めようとした人物がいた。

 湯川遥菜氏の行動や彼を煽った似非指導者の妄想は、かつて日本の軍部・大陸浪人ナチ親衛隊(SS:Schutzstaffel)が大真面目に追求した謀略、すなわちスパイ活動、ゲリラへの武器供与、傭兵部隊の創設、軍事・政治顧問の派遣、自国軍の派兵、傀儡政権の樹立など多肢にわたるもので、決して荒唐無稽な産物ではない。


  川島芳子は、清朝粛親王の王女という高貴な血筋で、日本の大陸浪人指導者というべき川島浪速の幼女となった。1931年、川島芳子は、関東軍高級参謀板垣征四郎大佐・上海公使館付武官田中隆吉少佐らと図って、諜報員闇資金を駆使して、暗殺を含めた騒乱、日本人と中国人の武力衝突を誘発させ、上海事変を起こしたとされる。そして、列国が国際都市・上海に注目させておいて、1932年、清朝最後の皇帝宣統帝溥儀を担ぎ出し、執政(皇帝ではない)に置いて傀儡の満洲国を設立した。川島芳子は、その女官長に任命されたが、翌1933年、満州定国軍と呼ばれる満州人義勇部隊を組織し、その司令として大活躍したとメディアで報じられた。1937年7月の日中戦争勃発後は、解散した満州定国軍の部下とともに、天津で軍人会館といえる東興楼を開設、経営した。中華の繁栄を取り戻そうとした川島芳子だったが、その意図にも拘わらず、彼女の行動は、中国民衆からは軽蔑され、憎まれてしまった。川島芳子は、日本人からも中国のスパイと敵視され、日本軍からはプロパガンダとして利用された後、用済みとなり、捨てられた。そして、日中戦争終了後に逮捕された川島芳子は、中華民国の裁判にかけられ、1948年、漢奸(中国の裏切り者)として湯川遥菜と同じ42歳で処刑されてしまった。

 ドイツ第三帝国のナチ親衛隊は、第二次大戦中に占領したフランス、ベルギー、ユーゴスラビア(クロアチア、ムスリム)、ロシア、ウクライナ、バルト諸国などで、義勇兵を募集した。そして、武装SS外国義勇軍や後方支援を担う補助部隊を創設した。彼らは、パルチザン掃討戦や反乱鎮圧などにも出動したが、ドイツ軍が劣勢になる中、これら外国人義勇部隊の兵士は、対ドイツ協力者の裏切り者として、憎まれるようになる。レジスタンス(西側のゲリラ)、パルチザン(東側のゲリラは、彼らを暗殺し、処刑した。そして、大戦後は、裏切り者として逮捕され、処断された。

 第二次大戦中、日本軍は、イギリス・インド軍の捕虜の中から、志願兵を集めて、インド国民軍INAを、ミャンマーの有志を集めて、ビルマ国軍BNAを創設した。そして、インド人のチャンドラボース(Subhas Chandra Bose)、ミャンマー人のアウンサンをそれら外国人義勇部隊の司令としたが、これは川島芳子の満州定国軍の場合と同じで、日本の外人傭兵部隊として軽視することはできず、国家独立を目指す国民軍、あるいはイデオロギーによる国家改造を目指す革命軍という性格も併せ持っている。結局、インド国民軍は、インパール作戦で壊滅し、その後、イギリス・インド軍が優勢になる中で、投降して日本軍の戦力にはならなかった。また、ビルマ軍は、劣勢となった日本軍に反乱を起こし、親イギリス路線をとった。

このように外国人傭兵部隊を自国の利益のために使おうとする動きは、以前からあるが、忠誠心、士気の上から、自国の兵士とは装備も待遇も格差をつけられていた。差別されていることがわかると、外国人兵士たちは、スパイになったり、反乱を起こしたりもした。結局、自国の兵士を派遣して戦わせるしかなかった。中東に親日派の情報拠点や軍事組織を作り、日本の足掛かりにしようと思えば、軍事同盟を結び同盟軍を作る、武装勢力への軍事支援する、外国人傭兵部隊を創設する、スパイを派遣するなどの方策が考えられる。

  湯川遥菜氏は、ブログ「イラク分裂危機2014 最前線!」(2014-07-09)で「現在海外の拠点はイラクを始めシリア、トルコ、イギリス、アフリカ全域に有り、仲間の拠点が増えた。同行したジャーナリストの方(後藤健二氏)もサバイバル訓練を受けており、拠点も使わしてもらっている」と述べていた。紛争地域に自国の勢力・権益を拡張しようと思えば、やはり最上の方法は、過去の経験から考えて、金で動く反政府傭兵部隊ではなく自国軍の派兵であろう。しかし、中東のホットな軍事的な情報なくては、このような試みを計画することすらできない。そのために、若者を誑かすか、煽てるかして、中東に送り込むのも一興だと、似非指導者たちが、いのちを軽んじる愚劣な謀略を弄んだ結果が、今回の湯川氏、後藤氏の殺害につながったと考えられる。

   中東紛争地域で犯罪的組織ISに人質とされた湯川遥菜氏と後藤健二氏は、無残に公開処刑された。二人に一義的な責任はない。非難すべきは殺人犯とその一派である。が、政治家は、公開の場で湯川遥菜氏のことを「湯浅春菜」あるいは「はるなゆたか」とストレンジャーであるかのように異なる名前で呼んだ。湯川遥菜氏と話しをし、彼が目前で支援しているのを見ていたのに冷たい話だ。湯川遥菜が言うには、政治家の「3人目の人は元特命全権大使。その方から初対面で見た目、 子供呼ばわりされた。もっともかなり年上だが。(汗) 子供に言われ女性とも言われ、でもやっている事は男気が ある。海外の危険地帯に行く事を話すと驚いた様子だ。大使と一時間も話しているとガードしていた様子が和んだ。その頃になると僕はワインを一本空けていた」。このような人物が、湯川遥菜氏の立ち上げた政治団体「アジア維新の会」の顧問や寄付金受付に就任していた。民間軍事会社の有能な顧問弁護士は、「プロ野球暴排実務者研修会」を仕切る弁護士で、紛争地での排除に造詣が深い。
 しかし、湯川遥菜氏と交友があった政治家は、「一緒に食事をし、記念写真を撮っただけの人間など、いちいち覚えているわけがない」と日頃の人情味ある演出とは裏腹に冷たい受け答えをした。人質に対して「危険を承知で後藤さんは入ったのです。母親である石堂順子さんは、皆様に迷惑をかけて申し訳ないというのが普通であると思うのですが、健二はいい子だから無事帰ってきて欲しいと言っています。少し違和感を感じます」とツイートし、安否を気遣う家族の気持ちを無碍(むげ)にした。「後藤さんが3度にわたる日本政府の警告にもかかわらず、テロリスト支配地域に入ったということは、どんなに使命感が高かったとしても、それは真勇、真の勇気ではなくて、蛮勇ともいうべきものであったと言わざるを得ない」と一方的に断じた。湯川遥菜氏と膝詰めで話をした政治家・外交官は、湯川遥菜氏の民間軍事会社PMCを支援していたはずだが、人質になった湯川氏・後藤氏との個人的関係を一切認めることなく、ストレンジャーとして切り捨てた。政治家は、政治団体の中で、不正支出資金の悪用があっても、秘書や会計担当者に責任を押し付け、処断するが、これと同様、湯川氏・後藤氏に対する政府の扱いは冷たかった。

 政府だけでなく、民間メディアも同じような仕打ちをしていた。総合週刊誌「週刊文春」2015年2月5日号は「10分300万円に命を賭けた後藤健二さん(47歳) 書かれざる数奇な人生」として、彼をゴシップ材料にフレームアップして商品化した。これは後藤健二氏が日本のジャーナリズムのレベルが低いと批判していたことを踏まえると、日本ジャーナリズムから後藤氏に対する仕返し、報復だった。記者は、「10分300万円」の見出しで、時給1800万円の大儲けの成金を連想させ、読者の嫉妬心を呼び起こそうとしている。実際、3カ月かけて取材して10分の映像が商品として売れても、月収は100万円、そこから渡航費や生命保険料を控除すれば、半分以下の収益しかない。商業主義に堕しているメディアは、公明正大な事実の報道に関心はない。雑誌売上げの伸長や視聴率獲得を最優先するイエロー・ジャーナリズム煽情による儲け主義)は、後藤健二氏を歪めて売り出した。他方、メディアは湯川遥菜氏の商品価値を低いと判断し、彼を切り捨てた。あるいは湯川氏を煽った政治家たちが、お金を払ってでも、メディアに湯川氏の話題を登場させなかったのか。メディアは、以前から世間の注目を集める戦場取材をする後藤健二氏を高付加価値化した商品としてTV等で売り出した。二人のメディアでの取り扱いは、以前から明らかに大きな格差があった。

 2004年の香田証生氏、2015年の湯川遥菜氏・後藤健二氏らは、勝手に危険なところに行ったのだから、人質となり殺害されても、自業自得だ、自己責任だ、と身勝手に放言する日本人が多いのはどうしたことか。このような自己責任論は、戦闘員と民間人は区別できない、戦地と平和な後方も区分されないという総力戦への理解が欠落している。テロを起こす側にとっても好都合な「自業自得」の主張をすることほど愚かしいことはない。テロリストを利する自己責任論はもうやめるべきである。

 先進工業国に限っても、すでに2001年9月11日NY・ワシントンDC、2004年3月11日マドリード、2005年7月7日・2013年5月23日ロンドン、2007年6月30日グラスゴー、2010年3月29日モスクワ、2013年4月15日ボストン、2015年1月7日パリ、1月15日ベルビエ(ベルギー)のビル・交通機関・メディアなどで、爆破・殺人テロがなされている。敵武装勢力は、自分たちや自分の家族が空爆され、掃討作戦によって殺された以上、その報復をしただけだという。自分たちの故郷が戦場になり破壊されたのに、敵の故郷が平穏無事であるのは我慢ならないという。敵が戦争をやめないのは、戦争の悲惨さを知らないからだ、それなら戦場となることがどういうことか、その苦しみ、悲しみを教えてやるとテロ攻撃を正当化する。故郷を襲う同盟国・有志連合に暮らす市民は、軍需物資(食料・エネルギー・兵器など)を生産し、資金を提供し、戦争賛成の世論を形成することで、総力戦に参加している。したがって、総力戦下の市民は、戦争に加わる「戦士」であり、攻撃・報復の対象と見做される。

 戦闘員でないから、戦場にいないから攻撃されないといった安全神話は、20世紀に総力戦が始まって以降、成り立たなくなった。「敵」とされた国の市民やその支持者であることが明らかになった時点で、経済・世論の上で、重要な役割を担っている市民は、戦地に行くジャーナリストも故国で会社勤めのサラリーマンも、みな攻撃の対象になる。
 戦闘になれた兵士、防備の堅い軍事施設を襲撃するのは、困難が伴うが、非武装の無警戒な市民や無防備な民間施設であれば、容易に襲撃できる。したがって、テロリストにとっては、戦略・戦術上、市民のいのちが格好のターゲットになる。テロリストが、市民を攻撃してきたら、それは市民の選んだ指導者による派兵・空爆が招いた「自業自得」「自己責任」ということなのか。


  総力戦の場合ですら自己責任論を理由にして、非武装の市民を殺害することは許容するのはもってのほかである。殺人が自己責任で正当化されるのであれば、市民の暮らす都市への無差別爆撃indiscriminate bombing)や原子爆弾投下Atomic bombing)も、自業自得、自己責任であるとの抗弁を認めることになる。総力戦であろうと、平時であろうと、テロは許されることではない、どのような論理もそれを正当化することはできない。紛争地域に行ったから、殺されても自己責任だという暴論は、敵味方双方のテロを正当化することであり、断じて認めることはできない。

 それでは、戦争やテロは、誰が引き起こすのであろうか。人類は愚かであり、望まなくとも戦争は必然的に起こるのか、戦争のない歴史などあり得ない、このように虚無主義Nihilismニヒリズム)の回答をし、嘯いていればよいのか。戦争は人類全体の罪だと総懺悔すべきなのか。それとも、「戦争を望まないのに、戦争が起きてしまう」という発想がまやかしなのか。戦争は「起きる」のではなく誰かが「起こす」のではないか。

 1936年の二・二六事件青年将校は、昭和維新をめざし、軍事政権の樹立を図った。青年将校の決起を煽った陸軍大臣川島義之(よしゆき)大将、軍事参議官真崎甚三郎大将、戒厳司令官香椎浩平中将、陸軍省軍事調査部長山下奉文(ともゆき)少将らは、青年将校の行為を認めていた。

 二・二六事件青年将校たちの反乱計画は、現政権を倒した後は、国を憂いている皇道派将軍に委ねるつもりだった。しかし、待望の将軍たちは、昭和天皇の反乱鎮圧の意思が明らかになり、状況が不利になると怖気づいて、責任逃れをはじめた。当初は、青年将校の行動を認め、決起を煽っていたにもかかわらず、「行動」ではなく、「誠意」を認めただけと言い逃れた。そして、口封じのためか、反乱将校の自決を求めた。二・二六事件後の取締・裁判では、反乱将校を見殺しにし、彼らとの絆を完全否定した。

 似非将軍たちに裏切られたことに気づいた反乱将校は、怒り、自決するのをやめて、軍事法廷で証言する道、法廷闘争を選択した。組織で経験を積み姑息になった似非将軍にとって、若者を誑かすのは手慣れたものだった。反乱将校だけでなく、彼らを煽動した似非将軍にも責任があるのは、明白である。しかし、反乱将校と民間思想家だけが処刑され、似非将軍たちは放免された。 

  当初から、企てが悲惨な結果に終わることを承知で、若者を煽動したのであれば、それは人のいのちを愚弄する犯罪的所業である。仁義をひけらかす将軍、国益重視を演出する政治家、自己の栄達・出世を最優先する学者は、みな似非(エセ)であり、プロパガンダによって、慕ってくる純真な若者を自分の野望や出世に役立てること、人柱とすることを考える姑息な人物である。

 二・二六事件の責任は、反乱将校と思想的背景を提供した北一輝ら民間人に全て負わされた。待望されていた将軍が怖気づいて裏切ったように、組織トップの偽証、証拠隠滅が認められることになれば、伝統ある強固な軍事組織でも芯から腐り始める。その軍紀が紊乱した軍事組織が戦争を、勝利も終結も見込みがないままに、引き起こした。

  1937年7月、北京郊外の盧溝橋で中国軍と駐留日本軍との衝突が起きると、参謀本部の停戦の意向にもかかわらず、軍紀・統制の乱れた軍には行き届かず、戦線は拡大し、日本は、急遽、中華民国の国際都市上海を攻め、急遽、首都南京攻略を決めた。中国に派遣された日本軍は、国民意識のない中国軍は、軍閥に支配されているだけであり、首都攻略によって、勝敗が決すると誤解していた。バクダッドBaghdad)やカブールKabul)を陥落させ勝利したと喜んだ戦略家も同じである。ともに自ら望んだ戦争が、優秀な装備によって、短期間に勝利するはずの戦いが、泥沼の戦争となった。

 家を焼かれ、親族を殺され人々の悲しみと憎しみは、軍による治安維持・掃討あるいはイデオロギーや国益の充足によって払拭することはできない。このような状況で憎しみを抱く人物は、似非将軍の煽動に乗り、報復テロにはしる。残虐非道な敵の殺害、敵施設の空爆は、勇敢で称賛に値する英雄的行為であるというプロパガンダは、敵味方の双方で展開される。無残に惨殺された家族の報復として敵兵士を斬首する、敵を支援した報いとしてジャーナリストや援助活動家を殺害する、空爆で焼き殺された子供たちの復讐のために敵パイロットを焼き殺す、テロリストは自らの主張を、敵の自業自得、すなわち報復ということでテロを正当化している。アメリカ軍も、テロに対抗するために、テロリストたちを暗殺し、攻撃ヘリコプターで襲撃し、空爆をかける。これもテロリストやその下にある住民にとっては、テロである。つまり、テロ戦争にあっては、敵味方双方の当事者が、相手こそが真のテロリストであるとして、テロを仕掛けている、テロのインフレーションが起こっている。

 紛争地域における義勇兵部隊・外人傭兵部隊の設立、情報スパイ網や軍事補給拠点の構築、世論形成のための広報センター設置は、敵味方双方で行ってきた謀略である。現在の先進工業国でも、このような試みを弄ぶ政治家や将軍がいる。彼らは、自己の能力を過信しているから。しかし、彼らは自らのいのちを危険に晒すことはない。そこで、初めに、紛争地にいる先進工業国ジャーナリストや援助NGO関係者が、自発的志願のかたちで犠牲になった。敵味方の双方に似非指導者が幅を利かせるようになれば、これからどんなことになるのか、歴史を振り返り、過去の残虐行為を見据えれば、予測できる。

2006年,シーア派マリキNouri al-Maliki)氏がイラク首相に選出され、2014年まで、イラクを統治している。2014年後半には、シーア派アバディHaider al-Abadi)氏に代わったが、マリキ首相は、スンニ派フセインSaddam Hussein)元イラク大統領が支配していた時代、抑圧されていたシーア派政治勢力の一族だった。そこで、自らの支配力を強化しようと、2011年12月の駐留アメリカ軍撤退以降、反対派となりうるスンニ派政治家を、イラク政府軍Iraqi security forces)を使って弾圧した。マリキ首相自身、かつてのフセイン政権下で死刑判決を受けていたが、イラン、シリアに亡命し、シーア派勢力の庇護の下に、フセイン政権打倒後の2003年にイラクに返り咲いた。

 2011年、イラクのスンニ派ハシミTariq al-Hashimi)副大統領の警護兵は、シーア派マリキ首相によって反政府テロの陰謀を企てたと指弾され、拘束された。マリキ首相は、アメリカのオバマBarack Obama)大統領と会談して、内政不干渉の言質をとっていた。捕まったスンニ派ハシミTariq al-Hashimi)副大統領の警護兵は、拷問を受けて、メディアでマリキ首相暗殺の企てがあったと証言させられた。スンニ派ハシミ副大統領は亡命したが、欠席裁判で死刑を宣告された。
 スンニ派の政治家・市民は、マリキ首相の弾圧に反発し、反マリキの集会やデモを起こした。すると、イラク治安部隊は、武力鎮圧に出動し、多数のスンニ派政治家や市民が拘束されたり、殺されたりした。イラク国内は、政府によるスンニ派政治家・市民の弾圧を契機に、再び分裂した。

 つまり、イラク紛争は、宗派の違いによる宗教対立ではなく、政治の実権を握るための政治闘争であり、旧フセイン大統領政権時代に優遇されたスンニ派の政治家や警察・軍の幹部が、イラク戦争で敗退、アメリカ軍の駐留で弱体化し、かわって弾圧されていたシーア派勢力が実権を握り、スンニ派勢力に対する報復を始めたのである。そして、独自の言語を話すクルド人Kurds)の自治拡大や独立の動きも加わって、イラクは内戦の様相を呈してきた。

 政府軍やアメリカ軍の掃討戦や空爆Airstrike)で、さらに拷問、虐殺で、スンニ派市民が殺されると、ISはスンニ派の庇護者として振舞った。ISなど武装集団は、テロから人々を守ると喧伝し、敵への憎悪を煽り立てた。イラクの混迷は、宗派や民族を理由にしているが、実際は政治的・経済的に対立する勢力が、相互にプロパガンダを展開し、紛争に至ったといえる。

 しかし、それまで人権弾圧にあったことのない恵まれているはずの若者も、戦場に惹かれた。高邁な理想に接したことがなく、怠惰な生活を送っていた先進工業国の若者は、非日常的で刺激的な戦争の世界を羨望の目で見始めた。勇ましい、英雄的な正義の戦争を待望した。社会に適応できない若者は、自分を一人前の男に認めてくれる場所と地位を探していた。それが、ISの戦士か、国家主義者か、民間軍事会社CEOかは、出会った似非指導者や信じ込んだプロパガンダに依存してくる。人権擁護や子供たちの救済に尽力するひとかどの人間になりたいと、安易な日常生活を飛びだす若者もいる。かれらは、生きがい、楽しみを求めている。自分を役立てる場所を探している。

 緊張感に満ちた、歴史的使命を感じさせる有意義な戦闘、紛争地域での戦友や住民との絆、そんな戦争の似非世界のプロパガンダが喧伝されている。先進工業国で、安易に現実社会に馴染まなかった若者、心の弱さを抱えて劣等感無力感を抱いていた若者、絶望感に苛まれた不安な若者に「生きがい」を提供すれば、彼らは自分の尊厳を取り戻せる、世間の注目を浴びて、ひとかどの人物になれると錯覚する。このような戦争・戦場の英雄論のプロパガンダは、カリフを僭称した似非指導者による謀略と同じである。

  TVを中心とするマスメディアが、戦場カメラマンWar Photographer)やジャーナリストJournalist)を高く持ち上げるのは、彼らの映像や特ダネが欲しいからだが、これは先進工業国の市民が見たがっているものでもある。貧困など社会問題は、戦場ではなくとも、至る所にあるのだが、付加価値の高い、高価な情報は、取材が難しい紛争地域にある。そのことをよく知っている戦場カメラマンジャーナリストなどメディア関係者は、話題性に富む場所に行き、利益が上がる素材を手に入れようとする。目立つようになり、有名になることで、社会への影響力を行使し、自分の使命を果たそうとする。戦場の話題は、国民が注目してくれるので、カメラマンもジャーナリストにとって、儲けが可能な仕事になる。中国農村のバイオマスフィリピンの子供たちの教育ごみ問題についての報道は、国民の関心は高くないため、儲けにはならない。対照的に、戦場、放射能汚染などは視聴者の注目度が高く、視聴率の高い番組を制作すれば商業的にも十分成り立つのであって、そのための取材にはマスメディアからも大きな需要がある。世間に注目され、有名になることは、戦場カメラマンWar Photographer)やフリージャーナリストVideo journalist)の収入、生活につながるのであるから、意識して演出するのは当然だ。

 つまり、カメラマンやジャーナリストが高く売れる情報を求めて、戦場取材を追い求める行為は、経済的自立の重要性から首肯できる。しかし、ジャーナリズムの経済的理由は社会的使命という万人に訴える大義の前には顕在化しない。経済的動機は脇におく二次的事項とされるのが常である。問題なのは、資金豊富なマスメディアや似非指導者が、ジャーナリストや若者を、社会的使命で煽って、経済的自立を名目にした資金提供によって操作していることである。

JAPAN PRESSCEO佐藤和孝氏は2012年6月、シリアで妻山本美香女史を銃撃戦で亡くして以来、シリアには入っていないというが、山本美香記念財団を設立し、「世界中で起こっている様々な紛争と、その紛争下で暮らす人々の現状を伝えること、またその役目を担うジャーナリストの支援、育成」を目指している。その佐藤和孝氏は、 「2015年1月21日の東京新聞取材に「『イスラム国』は特に残虐とされるが、その実態は分かっていない。シリアで三百万人もの難民が発生しているのに入国することも難しい。だからこそジャーナリストには魅力なんです」と率直に答えている。「(彼女を)助けられなかった悔いがずっと残っている」が、「それでもジャーナリストが人間の最も残酷で悲惨な側面を伝えることは価値がある。中東の紛争を世界が抑えられなくて、日本だけが平和ということはあり得ない。(湯川遥菜氏・後藤健二氏の)二人には生きて帰って、この体験を語ってほしい」と述べていた。佐藤氏は、湯川遥菜氏と面識はなかったが、2014年4月に「シリアに行くので情報交換したい」というメールを受け取っていた。湯川氏は、自らCEOに就任している民間軍事会社PMCのwebsiteをみてもらい、紛争地における護衛というプロモーションを企図したのであろうか。

 紛争地域に入って取材するためには、正規のルートで入国して、政府の許可を得て、政府軍の兵士や駐留するアメリカ軍の護衛警護の下に、同行取材をすることが多い。他方、反政府側を取材したいジャーナリストは、正規ルートで紛争地域に入国しては、反政府組織と接触が難しいために、ビザなし不法入国、密入国の手段をとる。シリア内戦の場合、空路ダマスカスで正規ルートで入国するのではなく、隣国トルコに入国してから、シリア国境を陸路で不法入国、密入国する。湯川遥菜氏、後藤健二氏のシリア潜入も、トルコからの不法入国、密入国のルートを使ったようだ。トルコ滞在中に、シリアの反政府武装組織FSA(自由シリア軍)の手引きを受け、シリアの紛争地域に不法入国(ビザなし入国から偽造旅券まで多種ある)し、反政府組織支配地域で、住民や兵士の取材をしたのである。

2012年8月、ジャパンプレスの戦場記者山本美香女史が、シリア内戦中、反政府武装組織自由シリア軍FSA)の同行取材をしていたが、アレッポで銃撃されなくなった。シリア政府は、山本美香記者の殺害について、シリア政府の報道関係者ビザを取得していない不法入国であり、シリア政府がテロ組織と見做している自由シリア軍兵士の護衛を受けての同行取材であるとの理由で、シリア政府に射殺の責任はないとした。これは、報道許可のない不法入国者が紛争地で殺害されても自己責任であるとの冷酷な対応である。しかし、紛争地域を取材する戦場ジャーナリストは、政府側でも、反政府側でも、護衛してくれる警護兵が必要であったり、同行したりする。これには、警護兵の護衛・同行経費が掛かるだけでなく、取材日程など情報がスパイや謀略に使われるリスクもある。リスクは命掛けであることを意味する。

  それでは、ジャーナリストが報道関係者ビザ許可のないまま不法国・密入国し、命を懸け、警護兵をつけてまで、戦場取材をする理由はどのようなものであろうか。第一は、社会的使命感で、紛争地の現場を取材し、その状況を把握し、住民の生活を世界に伝える国際報道によって、紛争の解決、住民の生活安寧に貢献したいということだ。地元のメディアに任せておけばよいとの安直な方法では、報道の公正が保てない。政府側あるいは反政府側に隔たった情報提供、プロパガンダに終わってしまう恐れが高い。そこで、戦場ジャーナリストが、自ら取材する意義が出てくる。
 第二は、ジャーナリストが社会的使命を果たすための取材経費、警護経費、生活費など経済的自立の必要経費を賄うことである。サラリーマンではない独立系ジャーナリストは、経済的自立のためには取材をして、特ダネ映像などマスメディアで公開してもらい、画像・映像使用料、放映料などを得なくてはならない。つまり、持続可能な取材のためには、価値のある情報を商品化することで、経済的自立を達成する必要がある。

 独立系のフリージャーナリストは、経済的自立を欲しているが、そのためには紛争地域で取材をして、希少価値のある特ダネを映像化しなくてはならない。ジャーナリストの経済的自立の必要性を熟知するマスメディアは資金提供を持ちかけて、ジャーナリストに命掛けの危険な取材を要請する。ジャーナリストは、経済的自立と社会的使命の双方を満足できる戦場取材を引き受け、戦場ジャーナリストとなる。
マスメディアは、戦場ジャーナリストから、事前に映像の利用権を購入する約束をしているのかもしれない。ジャーナリストが取材する素材(知的財産権)の価格は、特ダネであれば高額になる。フリージャーナリストは、生活のためにも、特ダネを求めて戦場取材をし、それをマスメディアに売り込む。そのために、TVや出版で露出度が高まるように自分のスタイルを演出する。

 早稲田大学の戦場のジャーナリズムに関する講義では「戦場ジャーナリストは真実や自由の名を借りているただの偽善者では?」「他に戦場を取材するジャーナリストがいるとすれば、あえて自分が危険を冒して行く必要はないのでは」との大学生の疑問もでたという。これはもっともで、ジャーナリストの個人的資質以上に、ジャーナリストの経済的自立の必要性、マスメディアを動かす市場原理、プロパガンダに気を配る必要があろう。

 似非指導者やメディアのプロパガンダによって、生きがいを与えられたと錯覚した若者は、「毅然とした」対応を求め、「力強く歴史的な」役割を果たすために、国家主義的勢力や軍事組織・テロ集団に参加した。暴力も殺人も、彼らはテロと呼ばない、現状打破のための正義であり、毅然とした対応の一環であると主張する。誠実で紛争のない世の中を作りたいと考えた若者も、冒険心から戦場に飛び出してゆく。
 国家主義勢力や武装集団に取り込まれたイギリスや日本のような先進工業国の若者は、怠惰な国民を嫌悪し、国家再生を望む人物は、幻想的な「美しい国」を取り戻すために戦士として、自己変革を望む若者はジャーナリストとして、有意義な人生を歩もうと決意した。ともに、一部の国家や民族、戦争や人種民族差別を敵視し、憎悪している。平和を確立するためには、どのような強硬な手段も許されると考ている。

 生命財産を侵害されたり、戦争の悲惨さを味わったりしたことのない先進工業国の政治家や市民の中に、戦争を辞さない態度や軍事力に基づく威嚇が「毅然とした」正義の外交であると錯覚する者がある。彼らは、プロパガンダを展開するか、プロパガンダに簡単に煽動されるか、どちらかであり、歪んだ世界観を抱きやすい。彼らの中では、無知と偏見に相まって、現状への不満や野心のインフレーションが起こっている。彼らは、弱い心、無力感、劣等感を覆い隠し、強がっているうちに、本当に強いと思い込むにようになった。自分に反対するのは、堕落した愚か者か、陰謀家のどちらかであるとのプロパガンダで煽られた憎悪は、平和構築の障害になっている。

 砲艦外交Gunboat diplomacy)や戦争が、心躍る体験、勇ましい前進、現状の打破に繋がると錯覚するような、過去を無視した歪んだ世界観がメディアを駆使したプロパガンダによって広められている。それを、似非指導者に誠心誠意を尽くし行動しても、二・二六事件青年将校や湯川陽菜氏・後藤健二氏の二の舞で、使い捨てにされてしまう。政府軍あるいは反政府武装組織に兵器を供与して戦わせても、それは自分の影響力を拡大する「傀儡政府」あるいは「傭兵部隊」を作るためである。冷酷で臆病な似非指導者は、慕ってきたものを、自己の栄達のために、使い捨て、自爆テロに導く。使命を果たせなかったものは自己責任だと蔑み、都合の悪い場合には、そんな人物は憶えていないと疎んじる。若者は、似非指導者の野心の人柱にされてしまう。


 スンニ派を煽動する武装集団ISに湯川氏・後藤氏の二人が非道に殺害されたのを受けて「日本が紛争地域に独自の情報組織や軍事組織がない欠点を明らかにした」とメディアは煽っている。似非政治家は 「テロの脅威から逃れることができない以上、国家安全保障のために、独自の情報・軍事組織によって、紛争地域を治める必要がある」と主張してきた。市民への襲撃は、容易であり、それを防ぐことは、CIAのような情報・軍事組織があるアメリカでもできないし、かつての日本が、中国大陸に組織した関東軍のスパイ網、外国人傭兵部隊、傀儡政権でも抗日活動は抑えられず、派兵した関東軍や支那派遣軍を増強しても、治安は回復しなかった。

 支配下の住民の反感を押さえつけても、それを根絶やしにはできない。住民を服従させるには、ますます強硬な手段に訴えるしかない。アメリカ軍の特殊部隊によって、味方指導者1人が暗殺されれば、敵兵士・敵性住民を自爆テロで10人殺す。すると、民間人を10人殺した敵への報復として、無人機搭載のミサイルを撃ち、攻撃ヘリコプターによる夜間襲撃、空爆によって、敵100人を殺害する。このように殺害の報復が繰り返されると、これは報復=テロのインフーレーションを起こす。支配者と被支配者の間に和平の道は完全に閉ざされ、生死をかけた闘争、テロが繰り返される。情報・軍事機関を増強し、空爆や派兵を繰り返せば、報復テロのインフレーションにつながる。これを断ち切る軍事的手段は、敵とみなした人間を一人残らず殲滅することであり、そのために生物化学兵器、核兵器の使用が提唱される。テロリストを一気に片づけると称して、大規模なテロが正当化される。

 湯川氏・後藤氏の二人を、情報機関・民間軍事機関の尖兵になるよう弄んだ似非政治家は、そそのかしを一切認めないまま、同じ類の謀略を、再度、大々的に試そうとしている。この謀略を見抜けないメディアは、日本には秘密情報部がないと既存の情報機関への理解がないまま、情報組織や軍事組織を拡張しようというプロパガンダを始めた。これは、湯川遥菜氏が歩もうとしたのとまったく同じ道程である。情報組織や軍事組織は、ゲスタポ・特高(特別高等警察)・憲兵特殊部隊・ISであり、敵に内通する自国民・住民を摘発するが、これは住民を恐怖で支配する道(テロ)に至る。情報組織や軍事組織は、スパイ罪・扇動罪の容疑者は、拷問をしてから釈放する。明らかな反逆には、公開処刑する。敵に恐怖と憎悪を植え付けるテロリズムは、処刑の様子を世界に配信する。情報組織や軍事組織は、オサマ暗殺と同じく、処刑映像を公式発表する。もし公開が憚られる場合には、フセイン大統領処刑と同じく、情報をリークし、SNSで配信させる。

 テロや自爆攻撃をする理由は、第一に、敵に恐怖心を与えて、戦いの継続や戦闘参加の意思をそいでしまうことである。テロが行われている紛争地に行って、殺害されても自己責任だと嘯く臆病者をテロの恐怖によって萎縮させるのである。しかし、このような脅しは、限定的であり、テロによってかえって敵愾心を呼び覚まし、敵の士気を高めてしまうことが多い。

 テロや自爆攻撃をする第二の理由は、敵の抱く憎悪の感情を高め、交渉や和平の道を閉ざし、殺すか殺されるかの背水の陣に状況に追い込むことである。国民総特攻、一億玉砕の状況になれば、最後まで徹底抗戦する以外の選択はなくなる。勝利の見込みが軍事指導者は、味方兵士の反乱や住民の逃亡を心配している。しかし、敵がテロリストと交渉の余地なしと宣言してくれれば、味方の兵士も住民も投降できない。もし投降し捕虜になっても、拷問・虐殺という報復を受けるからである。降伏が死を意味するなら、最後まで戦うしかない。似非指導者も、降伏があり得ない以上、戦後の軍事裁判での処罰を心配する必要はない。

 テロや自爆攻撃をする第三の理由は、敵にスパイ掃討戦・内通者狩りを行わせて、住民・国民の離反を図ることである。情報・軍事組織や秘密機関は、敵に謀略を仕掛け、スパイを送るが、同時に、味方に潜んでいる敵の通報者・スパイ容疑者を見つけ、掃討する。敵味方の双方で、内通者・スパイ容疑者を拘束し、尋問・拷問したり、処刑したりする。前線でも後方でも、内通者・スパイの摘発、尋問、拷問、処刑が持続的に行われる。つまり、前線でも後方でも、内通者・スパイ摘発の名目で報復・テロが正当化される。
 

 戦時中、レジスタンス・パルチザン・ゲリラ掃討作戦で、家財を焼かれ、容疑者として殺害されるのは、現地の住民である。このような状況では、敵との交渉、和平を求める声はなくなってしまう。シリアやイラクの紛争地でも、宗派対立に中立的な住民、アメリカや政府との講和を望む兵士が多いであろう。安寧な生活を望む非国民を自ら摘発、弾圧するより効果的な方法は、戦いたくない住民や兵士に対して、彼らをテロリストと見做して、容赦なく掃討・殲滅する作戦を、敵の派遣軍や情報・軍事組織に取らせることである。敵が、一般市民を殺害したり、容疑者として逮捕・拷問したりしてくれることである。

 憎悪の感情を限界まで高め、味方との交渉や和平の道を閉ざして、生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの背水の陣に状況に、味方を追い込むことである。こうなれば、国民総特攻、一億玉砕のように、最後まで徹底抗戦するしかない。治安出動をさせ、現地住民を弾圧させるには、敵の要人を暗殺したり、敵秘密施設を空爆するのが良い。要人の居所を通報したスパイ、秘密施設を密告した内通者を捜す治安出動で、無辜の市民が容疑者として拷問されたり、殺されたりすれば、反感が高まる。このように状況を操作するのが、情報・軍事組織の役割である。

 1932年1月、川島芳子は、関東軍の謀略の一環として、上海で日本人の日蓮宗僧侶を中国人に殺害させた。これは上海の日本人居留民による中国人への暴力を煽動し、そこから日本人と中国人との戦闘を引き起こすための謀略だった。この第一次上海事変に世界が注目している隙に、満州国が建国された。
第二次大戦中の1942年5月、イギリスの情報軍事組織MI6は、ナチのベーメン・メーレン(チェコ)保護領副総督ハイドリヒを暗殺した。その目的は、ナチ親衛隊による暗殺者捜索が、チェコ住民への弾圧や虐殺を伴い、それによって反ナチ=親イギリスの陣営にチェコ民衆を引き込むこてである。つまり、IM6は、敵暗殺を契機にテロを引き起こす謀略を行った。
1960年代、ベトナム戦争の最中、ベトコンViet Cong)と呼ばれたゲリラ部隊は、南ベトナムのサイゴン近くやメコンデルタの農村で、ゲリラ戦を行った。これはベトナム政府軍・アメリカ軍によるゲリラ掃討作戦が展開され、現地農民が拘束・殺害されることで、反政府=反アメリカの勢力の強化を狙った謀略である。
 過去を見つめれば、一国が外国の政府軍あるいは反政府武装組織に兵器を供与して戦わせることはよくあるが、それは同盟といった正規の支援でも、武器密輸という非合法な支援であっても、自国や似非指導者の影響力を拡大する「傀儡政府」あるいは「傭兵部隊」の支援に過ぎない。テロと戦う、紛争を収めるなど平和を構築するというプロパガンダの下に、資金や兵器をばら撒いて、紛争を長引かせ、テロを頻発させている。軍需産業は持続的に営業できる。軍隊は持続的に予算を獲得し、勢力を強化できる。

情報軍事組織の謀略ともいえる暗躍は、テロを仕掛け、敵がさらに大規模なテロを引き起こすように仕向けることで、虐殺・憎悪という報復テロのインフレーションを惹起して、戦争に巻き込まれたくない住民を、味方として戦争に参加させる手段である。情報軍事組織のプロフェッショナルは、敵にテロを起こさせ、味方の憎悪を最大限に高めるために、謀略・テロを行うのである。

 敵味方双方の姑息な似非指導者は、空爆・ゲリラ掃討あるいは自爆攻撃をテロとみなし、それを理由に、情報組織や軍事組織を創設して、住民を恐怖で支配し、プロパガンダを展開して、世論を形成し、お互いにテロとの戦争(War on Terror )を始めれば、それは自分の野心のためである。スパイとして殺害されたり、拘束されたりした容疑者の家族は、敵に対する報復(テロ)に賛同する。敵は、兵士だけでなく、住民まで虐殺している、それなら敵にも同じ目に合わせるべきだと。
ゲスタポ・特高(特別高等警察)・ISのような情報組織や軍事組織は、テロを蔓延させ、恐怖による支配、憎悪による虐殺、殺すか殺されるかの二者択一の状況を作ることに使われる。似非政治家や似非指導者が情報・軍事機関を動かし、派兵し、テロとの戦争(War on Terror)に猪突猛進すれば、敵味方双方で日常生活の負担は増し、自由を制約し、人のいのちを軽んじることになる。

  テロとの戦争は、決して短期決戦ではなく、兵士だけでなく、経済や世論を担う国民が参加する総力戦である。総力戦では、軍人と民間人の区別も、戦場・戦地と後方・国内の区別、軍需と民需の区別もみな曖昧になる。

 防空演習・消火訓練、渡航自粛、旅券返還命令、テロ対策部隊創設、対テロ合同演習が、本土空爆や爆弾テロの対策として役に立たないことは、過去の歴史、現在の戦争をみればわかる。ドイツのリヒャルト・フォン・ワイツゼッカー(1920-2015)大統領は、第二次大戦のドイツ敗北40周年に当たる1985年5月8日、連邦議会で「過去に目を閉ざす者は現在も見えなくなる」と述べた。しかし、われわれは、ゲスタポ、アインザッツグルッペ、SS外国人義勇部隊、特高(特別高等警察)のような情報・軍事組織、特攻から現在のISまでのいのちをかけた過酷な戦いを知っている。この傍観者になるだけでは、いずれ自分がその問題に直面した時、周囲は傍観しているだけであろう。

 世界にテロを蔓延させている似非指導者は、似非大義を振りかざして、支配地・領土の住民・家族を脅すために、「アメリカはイスラムを殲滅しようとしている」「テロリストは捕虜や市民を虐殺している」と恐怖心と憎悪を起こさせ、自分たちの軍事組織に参加し戦うことで平和を獲得できるとのプロパガンダを流布している。純真な若者を兵士に志願させ、掃討戦や自爆攻撃に投入するなど、いのちを差し出させている。似非指導者が馬脚をあらわにし、そのプロパガンダの真の企図を喝破することで、戦争は必然的に起こったのではなく、起こるように仕組まれたことが理解できる。芯の腐っている組織に、反乱を生じさせ、崩壊するように仕向けることができる。

 テロや戦争をなくすためには、根本的には、争いを治めて、住民が平穏に暮らせる平和な状況を構築することが大切であり、その手段としては、(1)難民支援など事後的な救済、(2)紛争を拡大しないような事前の生活安定、の二つの方法がある。2015年2月現在、シリアからトルコ、レバノン、ヨルダン、イラク、エジプトへと逃れた難民は380万人以上,この支援資金として37億4065万ドルが必要とされる。イラク難民も240万人いる。地道に平和な状況を構築することに、カネ、モノ、ヒト、ワザを注ぐことが最も重要であると考える。


◆毎日新聞「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。「戦争の表と裏」を考え「戦争は政治の延長である」との戦争論を見直したいと思います。
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