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◆山本五十六海軍大将暗殺の検証 真珠湾攻撃首謀者への報復


写真(左):航空母艦「ホーネット」から日本本土空襲(ドールットル空襲)に発進するB-25爆撃機
;真珠湾の報復として,4ヶ月後の1942年4月18日に,米陸軍爆撃機16機が東京,名古屋,神戸など日本本土を初空襲した。日本民間人50名を殺害。
写真(右):航空母艦「ホーネット」で空襲部隊司令官ドゥーリットル陸軍中佐が爆弾に,日本の勲章を結びつける
;1941年4月18日に,爆弾とともに日本の勲章をたたき返した。

写真(右):山本長官乗機「一式陸上攻撃機」を護衛した零式艦上戦闘機(同型機);1943年4月18日、暗号を解読されたいたため、6機の護衛戦闘機を回避して、米陸軍ロッキードP-38戦闘機が山本機を迎撃した。 

沖縄戦の検証:地上戦と特攻出撃
神風特別攻撃隊:1944年フィリピンのレイテ戦
盧溝橋事件・上海事変・南京攻略:北京・上海攻略
米中接近:日中戦争と枢軸国
南京虐殺:残虐行為を考える
ノモンハン事件:国共合作・中ソ不可侵条約
アメリカ義勇部隊「フライング・タイガーズ」:対日秘密戦
真珠湾攻撃の研究:対米英宣戦布告・騙まし討ちテロ先制攻撃
米国の戦時動員:航空機産業
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論

◆毎日新聞2008年8月24日「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年, 青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。
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真珠湾攻撃の研究の続編です。米国を中心に、中国、ソ連、欧州の視点も加えて検証していますので、日本における評価とは全く違っていることをご承知置きください。
 


1.1941年12月7日(アメリカ時間),日本海軍による真珠湾貴州攻撃によって,アメリカ合衆国は,3500名以上の軍人・民間人の死傷を出した。そこで,米国は「騙まし討ちの先制テロ攻撃」をした日本人に報復せよとの世論が高まった。戦争プロパガンダによる煽動もあって、騙し討ちテロ主導者の連合艦隊司令長官山本五十六提督を撃てと,反日感情,憎悪の念を抱いた米国人が多数いたようだ。米国は,真珠湾攻撃をした日本を騙まし討ちをしたテロリストとしみたから,真珠湾攻撃を計画した戦略家はテロの首謀者と認識されていた。テロ首謀者へ報復することを誓ったのである。  


写真(左):1941年12月7日,真珠湾攻撃に向かう航空母艦「赤城」の零式艦上戦闘機
;1941年12月7日オアフ島真珠湾に浮かぶフォード島航空基地を,日本海軍航空隊は真っ先に銃爆撃した。

真珠湾攻撃については、(日本の)戦果・(米国の)被害を扱う場合、日本では、戦艦5隻撃沈など艦船撃沈を大戦果とし、被害は航空機30機弱、特殊潜航艇5隻としている。

真珠湾の大戦果はラジオ放送もされた。
「戦艦5、給油船1を撃沈、戦艦3、軽巡2、駆逐艦2を大破、戦艦1、乙巡(軽巡洋艦)4を中破、航空機450機炎上、撃墜14機,撃破多数、格納庫18棟を炎上または破壊」


写真(右):ハワイで銃撃された民間の乗用車
;赤十字をつけた救急車もオアフ島で銃撃された。この他,乗用車に乗った民間人3名も,日本機に銃撃され殺害されている。真珠湾攻撃で日本人は,無辜の米国民間人40名を殺害した。「ジャップによる騙まし討ちで米国市民・軍人2300名以上が殺された。死傷者は3500名以上。」真珠湾攻撃を米国の反日プロパガンダの流儀で表現するとこうなる。

米国では,真珠湾攻撃で殺害された犠牲者2400名に最大限の敬意を払っている。正確に言うと,犠牲者というよりは,英雄の扱いである。米軍兵士は,正々堂々とした闘いでは,負けるはずがない。しかし,日本人が平和のオリーブの枝を差し出しているので,それを信じた。なのに騙まし討ちで背後から刺された。

米国では,真珠湾攻撃の死傷者氏名年齢一覧真珠湾攻撃の民間人殺害者名簿死傷者氏名階級一覧など、人名録が多数作成され、現在も公開されている。

真珠湾攻撃の日米の人員被害・艦艇被害一覧からみると、日本海軍航空隊の空襲は,爆撃と魚雷攻撃[雷撃]によって、戦艦5隻撃沈など撃破12隻以上の大戦果を上げている。さらに,敵国軍人2300名以上を殺傷できた。米国に与えた人的被害は,死傷者(死亡と重傷者の合計)3500名である。日本では敵をこれだけ殺傷ても戦果とは認識していない。しかし,米国では物的被害以上に、人的被害を重視し,人命を奪った卑怯なテロリススト日本人を敵として憎んでいる。

写真(左):日本の攻撃隊に撃沈された戦艦「アリゾナ」;6隻の空母から雷撃機を中心とした第一波180機以上が真珠湾空襲に飛び立った(12月7日0555)。第二波は、急降下爆撃機を中心とした160機で0705に発進。

日本は,民間人、一般市民を標的にしていなかったことを武士道に沿ったもののように主張する。実際,都市としてのホノルルの爆撃は,作戦計画にはなかった。しかし,日本の新聞では「ハワイ海戦」における「ホノルル爆撃」として報道された。メディアの統制が,完備していない証拠である。日本は自ら新聞紙上で、ホノルル市民を爆撃したと,世界に公示した。

実際に,民間人が乗用車走行中に日本海軍機に銃撃され殺されている。赤十字の自動車も攻撃された。真珠湾攻撃では,米国人2400名の命が奪われているが,これには民間人48-54名が含まれている。真珠湾攻撃は、テロではないと日本人が言っても、民間人を殺害している以上、米国人には通用しない。負傷者は1178名で,民間人負傷者は38名、真珠湾攻撃の米国人の死傷者は3500名以上である。

写真(左):日本の空襲をうけた戦艦「カリフォルニア」;真珠湾に停泊していた米海軍の戦艦5隻は撃沈された。しかし,撃沈された戦艦のうち3隻は,引揚げられ,戦列に復帰している。つまり,真珠湾攻撃による戦艦損失は2隻である。

民間人を標的としていない軍事目標への攻撃であり、真珠湾攻撃と9.11テロとは全く異なる主張しても,真珠湾攻撃で「民間人を殺害」している。このような米国の真珠湾攻撃の評価が生まれた理由,背景こそ,日本人にとって検討に値するのではないだろうか。

それまで,米国は,孤立主義の立場で,ポーランド・フランスはもちろん,英国をも攻撃したドイツにすら宣戦布告していない。しかし,真珠湾攻撃は,米国議会に,対日宣戦布告を決意させ,日米開戦に導いた。そして,米国政府が,国民を大規模に動員することを可能にした。真珠湾攻撃の意味としては,この点が最も重要であろう。

真珠湾攻撃が米国に与えた影響の第一は,(植民地ではなく)米本土の民間人80名以上を死傷させ、軍人も合わせて3500名もの死傷者を出したことで,これをもって「卑怯なテロ」という(米国による)判定が下る。2400名の命を奪った日本。民間人の乗った乗用車も銃撃して,米国人3名を殺害した日本。真珠湾攻撃の死者の半分(1177人)は、戦艦アリゾナの撃沈に伴うもので「軍艦沈没」という戦闘による。しかし、結果として、民間人も含めて多数の人命を奪った「卑怯なテロ行為」として非難されることになった。

テロには報復せよ,「ならず者国家」を倒せ,として,米国の連邦議会では,真珠湾攻撃の翌日,1941年12月8日に,日本へ宣戦布告する。これは,反対僅か1票で可決された。反日プロパガン流に言えば,野獣には,話し合いは通用しない。米国人を殺害しに来たテロリストは,殲滅するしかない。

  真珠湾攻撃の研究「対米英宣戦布告・騙まし討ちのテロ先制攻撃」について詳しく読む。

写真(左):ジャップの野獣:「ジャップが世界をレイプしてきた道」「検閲なしの写真」。

真珠湾攻撃から1週間たつと,日本では「ハワイ海戦」で大戦果を挙げたと,メディアで大々的に宣伝する。新聞には「米太平洋艦隊全滅」の見出しが躍り,国民は強い(と思われていた)米国に勝ったと大喜びする。その中で,ハワイ攻撃を立案した連合艦隊司令長官山本五十六大将が,高く評価され,英雄として扱われる。日本海軍も,日本海開戦に勝利した東郷平八郎提督と同じく,山本提督を海軍の英雄となるように,喧伝する。

写真(右):ハワイ攻撃の立案者,連合艦隊司令長官山本五十六;ハワイの米艦隊を撃滅し,米国の戦意喪失を狙ったという。1919-23年ハーバード大学に学び,1925-28年駐米日本大使館付武官米国。知米派と見られていた。1943年4月18日,米軍陸軍航空隊は,暗号解読により,戦闘機で待ち伏せ攻撃し,山本五十六大将の搭乗機を撃墜,暗殺に成功する。真珠湾の仇討ちである。

山本提督は,1919-23年ハーバード大学に学び,1925-28年駐米日本大使館付武官米国。知米派と見られていた。1939年の連合艦隊司令長官に就任する前から,日独伊三国軍事同盟に反対しており,日本軍の中でも空軍力をもっとも重視した将軍であった。また,日米開戦にも懸念を表明するなど,日本海軍の英雄,日本の逸材という評価も得ている。外国人の一部から見みても,巧妙なハワイ攻撃作戦を立案,実施した山本提督は,軍人,戦術家として高く評価されている。

しかし,真珠湾攻撃によって米軍に大損害を与え,大敗させた山本五十六大将は,米国では憎むべき敵である。「先制テロ攻撃の首謀者」であれば,「屈辱の日」の恨みを晴らすためにも,殺害なければならない。米国でも日本の名将として尊敬されているという日本の主張は,少なくとも当時は当てはまらない。

山本提督が,米国に長らく滞在した知米派であっても,米国を騙すつもりで,親交を深めていたスパイであり,裏切り者である。米国では,このように決め付けられてしまったようだ。現在でも,戦略や太平洋戦争に通じている人物の一部が,敬意を払っているに過ぎないのではないか。日本語の本やwebでは,米国でも尊敬されているように述べていることがあるが、真珠湾の騙まし討ちを計画し、実行した罪は、万死に値する。これが、当時の平均的名米国人の山本五十六や日本軍指導部に対する感情であろう。

日本は10年前の満州事変以来、米国の掲げる中国の機会均等に対して、意義を唱えていた(と看做され)、中国を混乱に陥れて、中国と尾米国との貿易、投資に悪影響を与えていた。

また、「南京大虐殺」として有名なように、日本軍の中国における残虐行為、すなわち殺人、斬首、暴行、略奪、放火、破壊などは、米国で広く宣伝されていた。これは、マスメディア。政府による反日プロパガンダが、1930年代初頭から徐々に広まり、1937年の盧溝橋事件、第二次上海事変、南京事件以降は、日本の中国侵略を徹底的に糾弾していたためでもある。

写真(左):東條首相を卑下したような日本兵士:このポスターには次のように書かれている。「軍務についている人への贈答」「もしも日本兵に会ってしまったら---」「ロープをそいつの首に巻け。ロープの端を握って,引っ張れ。ヒック!」。

1931年満州事変以降、中国侵攻には一切宣戦布告はしていない。中立国の米国から軍需物資を輸入するためにも、戦争ではなく「事変」として扱われたのである。しかし,日中は全面戦争に突入しており,貿易取引や輸出規制などの観点から,法的には戦争ではないとしているだけである。事実上は,宣戦布告のない戦争であると誰もが知っていた。

真珠湾攻撃の始まる前から、日本は,宣戦布告なく一方的に先制攻撃を仕掛ける好戦的な軍事国家である,捕虜や機民間人の保護を謳ったジュネーブ条約に加わらない野蛮な国である,という評価がされていた。

騙まし討ちや卑怯な日本人という評価は、真珠湾攻撃前から醸造されていたといえる。

1941年12月7日0755の真珠湾空襲については、12月1日の昭和天皇陛下ご臨席の御前会議で,日米開戦ともに最終決定していた。したがって、ハワイ攻撃を隠すために、1週間,偽りの日米交渉を続けたあるいは続けるがごとく装っていたのである。これは米国から見ても,明らかに「握手するそぶりをして、後ろに匕首を突き出す準備をしている」騙まし討ちである。

ポスター(右):Remember Pearl harbor「星条旗は逃げ出さない」:真珠湾攻撃のさなかにも星条旗が掲げられた。このように,我々は毅然とした態度で,勇敢に戦う。これからは反撃,報復のときだ。

真珠湾攻撃は,米国人は日本人に対する憎悪を一気に高めた。報復(連邦議会による宣戦布告)は正当化された。米国本土に住んでいる日系人を(米国籍を取得していようと),財産没収の上,強制収容所に隔離するのも当然だ---,と米国人は考え,実行する。

日米和平を望まないのに,偽りの交渉を担当してきた日本に対して,米国は憎悪を抱き,復讐しようとする。米国政府も,実は戦争準備のため,外交交渉を時間引き延ばしと考えていたが,そんなことは国民や議会には黙って隠し通している。米国政府・メディアによる反日プロパガンダも展開される。真珠湾攻撃が「宣戦布告無しの先制攻撃」であることは(事実?)明白だ。

「卑怯なやり方で、残虐行為を働くジャップJapは、人間ではない。ケダモノだ。テロリストどもは,殲滅しなくてはならない」と考えた。「いいジャップは,死んだジャップだけだ」と。

騙まし討ちで殺された米国人は英雄として遇される。(現在では真珠湾体験者が英雄扱いされるが)戦艦アリゾナの残骸は、1962年から国の記念物・記念館「アリゾナ・メモリアル」Arizona Memorial)として運営・管理されている。アリゾナ・メモリアル(Arizona Memorial)の年間訪問者は140万人、その70%が米国人である。訪問者は事前に真珠湾攻撃に関するビデオを見させられ、その後、モーター・ランチ(小型舟艇)で戦艦の残骸に「巡礼」する。

日本の旅行社は,アリゾナ・メモリアルArizona Memorialに日本人団体観光客をあまり連れて行かないようだ。
 アリゾナ・メモリアルでは「ジャップは中国を侵略し、残虐行為を働いただけでは満足せず、世界制覇をたくらんだ。そこで、世界制覇の邪魔になる正義国アメリカ合衆国を騙まし討ちした。だから、米国は自由を守る正義の戦いを開始したのである。」との要旨が伝えられる。日本の戦記が話題にするような事柄は関係ないのであって、そこでは次のように解釈されている。
・真珠湾攻撃はタラント空襲の真似か→正義の側の英国軍によるファシスト攻撃とは目的が異なる。
・真珠湾の浅い海面を疾走できる魚雷の開発→正義と悪が論じられている場で、技術的な課題は無関係である。
・真珠湾の第二次攻撃をすべきだったか→ハワイに日本軍が上陸したとの報告までしていた米軍の慌てぶりは伝えない
真珠湾攻撃に関して、日米の視点が全く異なることに留意すべきであろう。

国立記念物「アリゾナ・メモリアル」(Arizona Memorial)では、戦死者は無駄に命を落としたのではなく、任務を全うした英雄として、立派な石版に氏名が刻印され、尊敬、追悼されている。

1,177 Officers and Men were lost with the ship and remain on duty inside her rusting hulk.「1177名の将校と兵が船とともに沈んだが,残された船体で彼らは英霊として義務(任務)を果たしている」

写真(左):ルーズベルト大統領の1941年12月8日の議会演説:Pearl Harbor Address to the Nationでは,議会に対日宣戦布告するように要請した。これを受けて,連邦議会は,反対1票で,対日宣戦布告をした。連邦憲法の下では,宣戦布告の権利は,大統領にではなく,議会にある。

真珠湾攻撃の翌日(米国の1941年12月8日)、ルーズベルト大統領は、Pearl Harbor Address to the Nation「真珠湾攻撃を国民に告げる」として、日本への宣戦布告を議会に求めた。この演説は、演説巻頭でつぎのように「屈辱の日」の表現が使われている。(→演説音声を聞く)。

"Yesterday December 7 1941-a date which will live in infamy-the United States of America was suddenly and deliberately attacked by naval and air forces of the Empire of Japan. "

実際には、米国は1937年7月の日中全面戦争以来,日本の中国侵略を非難し,1939年7月に日米通商条約を廃棄した。1941年3月には米国は武器貸与法を成立させ,「米国の防衛に不可欠と米国大統領が考える国に、船舶、航空機、武器その他の物資を売却、譲渡、交換、貸与、支給・処分する権限を大統領に与えるもの」とされた。武器貸与法によって,英国,中国への大規模な信用供与,それに基づく武器輸出が認められた。

1941年7月末-8月,米国は日本資産を凍結し,日本の在米不動産・親友資産を海外に移転できなくさせ,対日石油輸出も禁止する。そして,9月末に,対日鉄屑輸出を禁止する。

他方,1941年8月9-13日には,米英の政府と軍の高官による大西洋会談が,カナダ(英国連邦の一員として対独参戦している)のハリファックス近くのニューファウンドランド島沖で開催された。そして,1941年8月14日,ルーズベルト大統領と英国首相チャーチルは,大西洋憲章(Atlantic Charter)を米巡洋艦オーガスタ艦上から世界に公表し、米英共同声明として,領土不拡大,国境維持,反ナチス・ドイツの立場を強調した。米国はまだ中立国で参戦していなかったが、事実上,英国との同盟を結んでいたに等しかった。

写真(左):雷撃機TBF「アベンジャー(復讐者)」のパイロット,ジョージ・ブッシュ(大統領);1944年撮影。「復讐者」を操縦していたブッシュは,撃墜されたが,潜水艦に救助され九死に一生を得ている。

後の米国大統領ジョージ・ブッシュは,太平洋戦争に雷撃機搭乗員として日本と戦った。硫黄島付近で撃墜されたが,米潜水艦に救助され,真珠湾に送られた。彼の搭乗した2人乗り雷撃機が,グラマンTBF「アベンジャー」Avenger(復讐者)である。真珠湾攻撃の後になって,アベンジャーは,実用化されているので,明らかに「真珠湾テロへの復讐者」の意味である。アリゾナメモリアルに隣接した海岸には、潜水艦博物館(USS Bowfin Submarine Museum & Park)があるが、そこに展示保管してある潜水艦ボーフィン(USS Bowfin)は、真珠湾の復讐者("Pearl Harbor Avenger" )と呼ばれている。

雷撃機「真珠湾のアベンジャー」パイロットだった米国大統領ブッシュの息子(ジュニア)も米国大統領に就任。9.11攻撃に際して、「真珠湾テロの再来」と世界に向かって公言し、その復讐を誓った。

「真珠湾を忘れるな」とは,騙まし討ちのテロを行った日本人に報復せよという意味である。この報復は,民主主義と自由を守るための「正義の戦争」である,とみなされた。したがって,米国の対日戦争は,日本が降伏するまで続けると,大統領,議会,国民は当然のように考えた。正義は勝つ。米国人は,日本との戦争に負けると思ったことは,(緒戦で敗北しても)一度たりともない。

ハワイの海軍最高指揮官提督ハズバンド・キンメルAdmiral Husband E. Kimmelhis;Captain W. S. Kelaney,Captain William W. Smithなど太平洋の米国海軍の指揮官の頂点に立つのがキンメル大将である。彼もハワイ軍管区の陸軍司令官のショート中将も真珠湾攻撃に警戒を怠ったとして,罷免されてしまう。予期せぬ大損害に,大統領や海軍長官,陸軍長官が部下に責任を押し付ける形になった。つまり,日本の攻撃は予期できたが,真珠湾が攻撃目標となるとはわからなかったし,大損害も予想していなかった。

日本の先制攻撃によって,甚大な被害,特に多数の人命が失われたが、米国指導者として,情報収集能力,危機管理能力が欠如しているとみなされれば,世論や議会から大きな非難をうける。先制攻撃は,米国参戦理由になるので好ましいが,先制攻撃の被害は,米国の政治的,軍事的指導者にとっては,個人的な責任を伴う危険があった。

ルーズベルト大統領が,真珠湾攻撃を知っていながら,放置したという説は,被害縮小のための対策を指示していないことから,容易に反証できる。真珠湾の大被害,人命損失の責任を回避したかった大統領,米陸海軍の最高司令官たちは,ハワイにおける最高司令官,すなわち太平洋艦隊司令長官キンメル大将,陸軍部隊司令長官ショート中将を罷免する。これは,責任を転嫁したもので,キンメルとショートへの名誉毀損に当たる。

キンメル大将,ショート中将は,後に名誉毀損で訴え,戦後(死後),名誉は回復された。しかし,このような失敗に対する責任追求は,米軍に限らず,英国軍も厳しいし,ソ連軍,ドイツ軍では容赦がない。それに比較して,日本軍は厳正な軍紀を誇っていたが,軍高官に対する責任追及,処罰は甘かった。階級序列,陸軍大学・海軍大学の卒業成績の序列が,昇進や重要ポストの任命の基準だった。ソロモン諸島・トッラク基地など南東方面で失敗続きだった日本海軍の作戦首脳部、山本大将、草鹿中将、南雲中将、宇垣中将、黒亀大佐、源田中佐など誰一人として、敗北の責任を押し付けられていないので、米軍における賞罰の厳格化は、日本における和の統帥とは、対照的である。

1941年11月25日の米国ワシントンのホワイトハウスでの首脳会議では,日本軍の先制攻撃の目標が議論され,真珠湾からすべての航空母艦と半数の航空機を移動することが賢明であると判断した。そして,大統領は,軍へ戦争警報を発するように命じた。

「これは戦争警報である。日本軍による攻撃が数日以内に予測される。-----日本軍は,フィリピン,タイ,マレー半島のクラ地峡か,ボルネオ島へ上陸を敢行するであろう。」このような指令は、日本の暗号解読によってもたらされた情報に基づいている。

米駆逐艦の砲撃、哨戒機の爆雷投下はもちろん、真珠湾の偵察を目的とした水上偵察機の発進、特殊潜航艇の発進は、空襲部隊の発進と同じく、作戦行動であり、敵対行動、攻撃そのものである。銃火を構えて進撃すれば,発砲しなくとも「攻撃」である。米国の領海内に侵入し,空襲部隊と砲撃の準備した段階で,「攻撃した」とみなされる。

真珠湾攻撃の米国から見た評価は、次のようにまとめることができる。

¢戮泙憩い舛糧楸韻聞況發任△(宣戦布告なく,和平交渉を続けるそぶりをして,攻撃を仕掛けてきた)
¬唄嵜佑魎泙猜胴饋2400名の命を殺害したテロ行為である
J胴颪遼榲擇鮃況發靴(米植民地フィリピンや中国駐留米軍への攻撃ではない)
な栃爾(犠牲者も生存者も)は,我々のために勇敢に戦った英雄である(Aftermath: They died for you and me.)

真珠湾攻撃「12.7テロ」は、「9.11テロ」と米国側から見れば同じ文脈で、「屈辱の日」である。平和な生活を破壊する一方的な無差別攻撃は,断じて許されない。テロを図る「ならず者国家」には報復すべきである。テロリストは殲滅すべきである。


写真:航空母艦「ホーネット」から日本空襲に飛び立ったB-25爆撃機;1941年4月18日に,爆弾を搭載した16機が全機無事(?)日本を爆撃した。

2.米陸海軍は,真珠湾攻撃の敗北,「屈辱の日」の恨みを晴らすために,日本本土空襲・都市無差別爆撃という報復攻撃をかけた。真珠湾空襲から4ヵ月後,1941年4月18日に,米軍陸軍航空隊所属のB-25爆撃機16機が,東京,名古屋,神戸の市街地を空襲。これは,真珠湾先制テロ攻撃に対する報復で,民間人殺害を躊躇しない都市無差別爆撃に等しかった。

真珠湾攻撃は,米国本土(米国領という意味で)の正規軍に対する奇襲攻撃で,海軍艦船,航空機,人員に甚大な被害を与えた。これは,軍事的な敗北という意味でも「屈辱の日」である。勇敢な米兵が,劣った日本人に負けるはずがないのに,大損害を被って負けた。なんとしても雪辱戦に勝たなくてはならない。そうしないと,膨大な国家予算を獲得してきた米国海軍,陸軍の面子は丸つぶれである。政治指導者としても,グアム島,ウェーキ島と陥落し,フィリピンも攻略されそうだ。何とかして,日本軍に反撃し,世論に米国の強さを認めさせたい。米政府や軍の高官は,地位保全のためにも,真珠湾攻撃の「屈辱の日」とそれ以降の敗北を帳消しにできるような,大戦果を国民に示す必要があった

写真(右):TBF「アベンジャー(復讐者)」など艦上機を誘導する管制将校だったジェラルド・フォードGerald Ford(大統領);1944年頃。フォードが勤務していた軽空母「モンテレー」USS Monterey。米国大統領の二人が、真珠湾の復讐者として活躍した。ちなみに、ケネディ大統領も、ソロモン諸島方面で、魚雷艇PT-の艇長として、日本人と戦った。

海軍作戦部の海軍大尉フランシス・ロウFrancis Lowは,新型空母ホーネットを視察したときに,この空母に双発の陸軍機を乗せて,日本本土を空襲できるのではないかと考えた。そして,ワシントンの海軍本部のアーネスト・キングEenest King提督に,この革新的な空襲案の提案をした。キング提督の下では、5日間計画が練られ,実現可能であると判断され、すぐに部隊編成の準備が始まった。

他方,陸軍航空隊でもアーノルド司令官の下で,日本の大都市への爆撃計画が検討された。そのスタッフの一人がドゥーリットルJames Harold ("Jimmy") Doolittleである。彼は,1942年4月中旬までに空母「ホーネット」から飛び立つことができる長距離飛行可能な双発爆撃機を準備することに全力を傾けた。

写真(左):ハワイ方面の海軍最高司令官キンメル提督Admiral Husband Kimmel(右)と陸軍最高司令官ショート中将Lt. General Walter Short(左);二人の司令官は,真珠湾の大損害の責任を取らされ,罷免されてしまう。写真中央は,英国軍のマウントバッテン卿Lord Louis Mountbatten。後に,ビルマ・インド方面の最高司令官として,日本軍と戦うことになる。

真珠湾攻撃への報復として,日本本土を攻撃するのであれば,目標は,東京,名古屋,神戸と複数の都市にして,多数の日本人にも米国の反撃を思い知らせることが望ましい。ここで,日本本土空襲の問題は,米国の陸上航空基地からでは,攻撃目標が遠距距離過ぎて,爆撃機の航続距離では,往復できないことだ。

こうしてジェームズ・ドーリットルJames Harold ("Jimmy") Doolittle中佐を中心に考え出されたのが,航空母艦に長距離飛行の可能な陸軍の陸上爆撃機を搭載し,太平洋上から日本を爆撃する計画「ドゥーリットル空襲Doolittle Raid 」である。そして日本空襲後は,母艦には戻らず,そのまま東進して(日本と戦っている)中国に着陸すればよい。大型の陸上機は航空母艦に着艦できないし,こうすれば,攻撃隊を待つために指定海域に留まっていなくとも良い。


写真(右):航空母艦「ホーネット」上のミッチャー大佐(右)と爆撃部隊司令官ドーリットル陸軍中佐(左)
;1941年4月18日に,真珠湾の報復は米海軍空母部隊と米陸軍航空隊との協力で成し遂げられた。罷免されたハワイの二人の指揮官,海軍のキンメル提督と陸軍のショート中将とは対照的に,英雄扱いされた。

米軍艦艇を目視発見した第23日東丸(90トン)は,「敵飛行機三機見ユ針路南西」「敵空母三隻見ユ北緯三十六度東経一五二度」など数回打電通報した。

第18任務部隊The Task Force 16では,部隊員全員が見守る中を,空襲部隊司令官ドゥーリットル陸軍中佐が500ポンド爆弾に,日本の勲章を結びつけた。この勲章は,空襲部隊メンバーのステファン・ジュリカ中尉が,海軍武官として日本に滞在中,授与された友好勲章である。この日本政府から贈答されたメダルを,日本に投下する爆弾とともに日本に送り返すのが「東條へのエアメール」だという。

友好の勲章も,いまや日本人を殺害する爆弾の一部となった。戦争となったとたん,米国人の空襲部隊のメンバーは,日本人との個人的親交も否定してしまったのか。日本の記録では,銀座に爆弾が落とされたり,児童が銃撃で殺害されたりと,作戦計画では軍事目標を狙ったかもしれないが,乗員たちは極度の緊張状態にあって,目標確認に時間を割くことはできない。機長の判断で,大型建造物を狙って500ポンド爆弾を投下したのであろう。


写真(左):B-25爆撃機の発進準備をする航空母艦「ホーネット」
;空母から発進させるための艦上機ではないので,優秀な搭乗員が集められ,特別空襲部隊が組織された。真珠湾攻撃の仇討ちのために,16機で日本本土空襲を行ったが,1機が中立国ソ連に着陸・抑留された以外,15機が中国で機外脱出,不時着した。つまり,16機全部が喪失である。

日本本土空襲に出撃したB-25爆撃機16機には,各機搭乗員5名が乗ったので,合計で80名の搭乗員が日本に報復したことになる。日本から見れば,婦女子を殺害したテロリストであるが,米国では「80名の勇士」80 Brave Menとして,当時も現在も顕彰されている。

例えば,空襲部隊1番機(機体シリアル番号Plane # 40-2244)には,中佐ドゥーリットルLt. Col. J.H. Doolittle自らが,パイロットとして乗り込んでいる。副操縦士Co-Pilot Lt. R.E. Cole,航法仕Navigator Lt. H.A. Potter ,爆撃手Bombardier SSgt. F.A. Braemer,機関士Engineer Gunner SSgt. P.J. Leonard の5名である。日本への出撃前に,各機ごとに搭乗員の記念写真が撮影され,全16機の搭乗員は,真珠湾の仇討ちをした英雄として扱われることが決まっていた。

米軍の日本本土空襲作戦
 1941年4月18日に日本西方海上で爆撃機16機を発進させた。空襲部隊は,日本爆撃後,中国に向けて東進した。但し,1機のみはソ連のウラジ・オスター区に向かった。1941年4月18日に,中国上空で,パラシュート降下したり,不時着したりと,中国に着陸できた機体は1機もなかった。しかし,大半の乗員は,中国人に助けられ,米国に帰還できた。

私の祖母も埼玉県豊岡町で,米国籍マークの爆撃機が飛び去るのを目撃し,(爆撃さるのニュースを聞いてか)「日本は開戦後すぐにアメリカに爆撃されてしまった」と述べている。東京空襲をした爆撃機で,国分寺以北を通過した可能性があるのは,ドゥーリットルの乗る1番機(#40-2344),3番機(#40-2270),ソ連に向かった8番機(#40-2242)であろう。

「東京空襲」は,真珠湾先制テロ攻撃に対する報復で,民間人殺害を躊躇しない都市幣別爆撃であった。そこで,日本軍に中国で捕らえられたドゥーリットル空襲部隊の隊員は,日本の都市を爆撃し,民間人を,児童を殺害したテロリストとして扱われる。もちろん,大日本帝国の都市,特に帝都を爆撃することは,日本の誇りを傷つけるものであり,断じて許されない--と考えられた。

日本軍の捕虜になった空襲部隊の隊員は8名で,爆撃機2機からの搭乗員である。この中国で捕まえた俘虜を東京に空路輸送するという異例の手段を使ったのは,早急に,日本を爆撃した米軍機を撃墜したことを証明する必要があったからだ。テロと撃墜された爆撃機の証人である。無辜の民間人を殺害する目的で日本の都市を爆撃したとして,裁判にかけられた。


写真(右):1941年4月の日本本土空襲に参加し日本軍の捕虜になった爆撃隊員
;日本上空では1機も撃墜されなかったが,中国では不時着した機体も多い。中国人に助け出された隊員もいたが,日本軍につかまった隊員も8名いる。無辜の市民を殺害したテロリストとして,中国から日本に輸送機で送り,取調べ後,将校は処刑された。

米国の空襲部隊の捕虜8名は軍事裁判にかけられれ,3名は死刑,残りは終身刑の判決が出た。捕虜3名の処刑は,1942年10月15日,上海の刑務所で銃殺刑が執行された。1名は1943年12月1日,南京の刑務所で獄死した。4名は終戦まで40ヶ月間,南京の刑務所入獄していた。戦後,上海に移され,救出される)。

3.米陸海軍は,真珠湾攻撃の敗北,「屈辱の日」の恨みを晴らすために,真珠湾攻撃の発案者=先制テロ攻撃を命じた山本五十六提督を暗殺した。テロリストの首魁山を捕らえて裁判にかけたいが、捕縛できないなら、殺すまでである。真珠湾攻撃の立案者として、山本提督が米国で尊敬されてたことは、決してなかった。ハルゼー提督のモットーは、「ジャップを殺せ。もっとジャップを殺せ」である。

テロにはテロで報復するのが効果的だ。真珠湾攻撃で大損害を被った米国には,「先制テロ攻撃の首謀者」として山本五十六を憎む者も多い。米国の世論は,テロの成功者がいつまでも光栄ある地位にあることを苦々しく思う。誇りある米国に「屈辱の日」を演じさせた軍人を許さないということだ。負け戦だった真珠湾の報復をするために,首謀者(立案者)は消し去らなくてはならない。英雄は,真珠湾で勇敢に戦った米国人だけであり,「いいジャップは死んだジャップだけだ」。

写真(左):騙まし討ちの山本提督:「私(日本海軍の山本)は,ワシントンDCホワイトハウスで,米国との和平をまとめるのを楽しみにしています」「貴様は,今アメリカ人になんというつもりだ」。偽りの和平交渉の裏で,真珠湾テロ先制攻撃をした山本を許すな。

山本五十六提督は,真珠湾攻撃の後も,大規模なミッドウェー海戦を企図し,自ら出撃する。これは,真珠湾攻撃で損傷を与えることができなかった,空母部隊をミッドウェーを攻撃しておびき寄せ,撃破する作戦である。しかし,日本の作戦は,暗号解読により,米軍に知られていた。米空母部隊は日本艦隊を迎撃し,空母全部(4隻)を撃沈する。日本は,300機の航空機と熟練搭乗員も失ってしまった。

山本大将は、博打好きで、腕もかなりのものであったようだ。特に、将棋とポーカーは仲間内でも右に出る者はおらず、軍艦内でもよく副官などと将棋に興じていたという。また除隊後はモナコへ行ってカジノを経営したいと多くの人間に語っていたようだ。このような賭博好きの将軍が考案したのが、ハワイ真珠湾攻撃であり、1942年6月4日(米国時間)のミッドウェー島攻略・米空母撃滅両刀作戦である。

1942年4月18日、空母ホーネットよりドゥーリットル空襲を受けた、帝都東京が爆撃されると、空襲による被害は微小であっても、敵機の侵入を帝都に許してしたという大失策に、山本提督は驚愕する。また、大元帥昭和天皇の玉体に以上はなかったとはいえ、国体に最大の恥辱を加えられたと日本の軍人は考えた。帝都防衛ができない無能な軍人という評価を恐れたのである。

海軍の軍令部(陸軍の参謀本部に相当)は、ミッドウェー攻略作戦には懐疑的であったが、東京初空襲に会うと、急遽、山本長官発案のミッドウェイ作戦を承認した。米国の航空基地のあるミッドウェー島を占領すれば、日本の哨戒機の活動範囲が拡張され、日本本土空襲のための米軍前進基地も奪うことになる。そこで、ミッドウェー島攻略が目標に入れられた。

しかし、ミッドウェー島攻略だけではなく、それを防衛する米国艦隊、特に航空母艦を壊滅する機会も与えられる。戦力を過信した日本軍は、ミッドウェー攻略・米空母壊滅という両刀作戦を開始する。

山本長官は、このミッドウェー攻略・米空母壊滅という両刀作戦を強く進言し、大本営も5月5日に「連合艦隊司令長官ハ陸軍ト協力シAF及AO西部要地ヲ攻略スベシ」と指令を出す。

ハワイ攻略の前哨戦として司令長官山本五十六、参謀長宇垣纏を主軸に艦艇約350隻、航空機約1000機、参加将兵10万人からなる大艦隊が編成された。南雲忠一中将率いる第一航空戦隊(赤城、加賀)、第二航空戦隊(飛龍、蒼龍)を中心とする第一機動艦隊が広島湾柱島から5月27日午前5時に出港し(主力部隊は二日後)、6月5日午後1時に作戦海域に到達。同時30分よりミッドウェーへ攻撃が行われた。

戦艦「大和」他の戦艦部隊(第一艦隊)が呉の柱島を出撃し、戦闘に参加しようとしたのはこの作戦が始めてであった(真珠湾攻撃の際にもこの戦艦部隊は出撃したが、南雲部隊を迎えるための、いわば点数稼ぎ的な出撃であったため、実際に作戦に参加したのはこの作戦が始めてであると言える)。

写真(右):ラバウル基地で海軍航空隊の搭乗員を激励する山本提督:1943年4月撮影。ラバウル基地の山本長官など連合艦隊司令部の高官は,白の軍服を着用し続けた。山本長官の写真も何枚もあるが,ラバウル基地に滞在していたのは,1943年4月3日-4月18日の15日間のみ。それでも雲の上の人,連合艦隊司令長官を拝見できた兵士の感激は大きかったようだ。指揮の鼓舞に有効だったのであろう。

しかし,連合艦隊司令長官は,アジア太平洋の艦隊の指揮を執るためには,日本本土の通信施設,情報・事務処理能力の整った陸上に司令部を置くべきだった。連合艦隊司令長官は,連合艦隊旗艦の戦艦「長門」あるいは「大和」に乗艦している。戦闘用の一艦船から,アジア太平洋全域を指揮するのに不便は感じなかったのか。司令長官自らが,砲撃戦や空母部隊の護衛に参加するつもりだったのか。

実際に,司令長官が旗艦に乗艦したミッドウェー海戦では,後方に大部隊を擁して出撃したが,砲撃や空母部隊の護衛はしていない。まるで,連合艦隊司令長官を護衛する大部隊のようだ。後に,日本海軍も巡洋艦「大淀」の通信・情報施設を充実して,連合艦隊旗艦とし,最後には日吉台の陸上司令部に移動した。「陸に上がった連合艦隊」と嘲笑されたが,連合艦隊旗艦の伝統・誇りに囚われ過ぎた。 ミッドウェー海戦は日本海軍の大敗北で終わる。しかし、その敗北にもかかわらずソロモン諸島、南東方面の作戦は拡大し,ガダルカナル島攻防戦The Guadalcanal Campaign が激化する。
1943年2月に入るとソロモン諸島・ニューギニア島方面の攻勢を始める。そして,1943年3月26日,日本の連合艦隊は「い」号作戦を発令した。これは,航空母艦の艦載機をニューブリテン島ラバウル基地に終結させて,航空撃滅戦を展開するものである。

日本海軍は,艦上機と陸上攻撃機を主体とする基地航空部隊とが協同し,ソロモン諸島の航空基地,輸送船団、艦艇およびニューギニア島ポートモレスビーの航空基地に攻勢をかけた。これが,「い号作戦」である。1942年4月初旬、航空機350機が集結し,4月3日には連合艦隊司令長官の山本五十六大将もラバウルに進出した。

1942年4月,ラバウルから4回にわたるソロモン諸島,ニューギニア島ポートモレスビーへの攻撃で,日本海軍は50機の損害を出した。この損害に耐えかねたのか,日本海軍は,「い号作戦」を4月16日で打ち切った。(成果を挙げたので打ち切ったといわれるが,戦果を挙げたのであれば,それを拡大するのが筋)

写真(右):日本海軍のラバウル基地の零式艦上戦闘機:1942-43年撮影。ラバウル基地に艦上機を集中して,敵を空襲したが,被害が大きかった。後方は,火山の花噴山で,火山灰のため機体整備が大変だったが,いい航法目標になった。山本長官の護衛には,熟練パイロットの零戦6機が護衛に就いた。零式戦闘機は,20mm機銃2門,7.7mm機銃2丁を装備する運動性能のよい戦闘機であった。

1943年4月18日0600、「前線視察と将兵の激励」のため長官の一行は、一式陸上攻撃機(G4M)2機に分乗し、ラバウル基地からブーゲンビル島ブイン基地に向け飛び立った。この最前線視察は,い号作戦打ち切りに伴って,山本長官が,ラバウルから後方基地のトラック諸島に帰還するための花道である。1番機に山本長官、2番機に参謀長宇垣纏中将が搭乗した。護衛戦闘機は、熟練パイロットの操縦する零戦6機のみだった。これは,ラバウル基地とブイン基地はともに日本の戦闘機部隊があり,その間の秘密飛行なので,米軍が山本長官の前線訪問を知らない以上,長官襲撃はありえないと判断したからである。日本は,暗号が解読され,山本五十六暗殺計画が急遽策定されたとは,最後まで思っていない。


写真(左):真珠湾攻撃の立案者山本五十六大将を撃墜した(とされた)ランファイアLanphier大尉(右端)
;ロッキードp-38「ライトニング」戦闘機で,山本大将の搭乗していた攻撃機を撃墜した。連合艦隊司令長官というよりも真珠湾テロ先制攻撃の首謀者を殺害したとして,ランファイアはシルバースター勲章を授与され進級した。真珠湾の恨みを晴らしたということだ。

米国海軍ニミッツ提督Admiral Nimitzは,山本長官の前線視察を,暗号解読によって察知する。これは,以下の1943年4月14日の秘密情報である。

"Yamamoto was flying to Bouganville, an island off New Guinea, in a Betty, twin engined bomber on the 18th. of April. He would be escorted by 6 Zero fighters, and was due to arrive at 0800 (8 AM) and leave by boat for the Shortland Islands at 0840. (8.40 AM) 
「山本長官は,1機の一式陸上攻撃機(一式陸攻)に搭乗し,1943年4月18日に,ブーゲンビル島に飛行する。護衛は,零式戦闘機6機で,0800に到着する。そして,ボートでショートランド諸島に0840に出発する。」

真珠湾攻撃立案者・責任者を見つけ出し殺害する絶好の機会が廻ってきた。米国は,真珠湾を先制攻撃され,大損害を負ったことを「屈辱の日」として忘れられない。真珠湾を忘れるなとは,ジャップに報復せよの意味である。テロ首謀者の殺害は,9.11のテロ首謀者の殺害と同じく,「正義の戦争」に組み込まれる。こうして、暗号解読の事実が察知されてしまう危険を冒して,山本提督暗殺計画The execution of Japanese Admiralが決定した。


写真(右):山本五十六暗殺に使用されたロッキードP-38「ライトニング」戦闘機
;長距離高速戦闘機であり,最高時速640kmで日本の零式艦上戦闘機よりも時速100kmも早い。

ニミッツ提督は,ルーズベルト大統領Rooseveltと海軍長官ノックスSecretary o the Navy Knoxの合意を得て,真珠湾攻撃の仇討ちとして山本長官の殺害を決意する。そして,第13航空軍the 13th Air Force第339飛行隊のミッチェル少佐Major John Mitchellに,山本暗殺を命じた。ミッチェル隊長は,ロッキード「ライトニング」LightningP-38戦闘機をガダルカナルGuadalcanalの基地に配備しており,そこから425マイル彼方のブーゲンビル島で,山本機を迎撃する作戦を立てる。P-38戦闘機は,20mm機関砲1門,12.7mm50口径機銃4門を装備し,長距離侵攻作戦用の300ガロン追加燃料タンクも装備した。

1943年4月18日,暗殺部隊のP-38戦闘機18機が発進し,山本長官機が着陸予定のブイン基地近くで,待ち伏せ攻撃をする。暗殺部隊は14機が上空警戒・護衛を担当し,残り4機が山本長官たちを運ぶ一式陸上攻撃機を攻撃することになった。しかし,予期していた1機の陸攻ではなく,2機の陸攻がいたため,2機をP-38戦闘機4機で襲撃する。


写真(右):山本五十六提督の搭乗機(同型機)の一式陸攻G4M
;長距離飛行できるが,防弾装備が不備で直ぐ火がつくので,「ライター」と称された。最高時速はP-38戦闘機より200km遅い450km。

日本機がブーゲンビル島ブイン基地に近づいた時、P38ライトニング戦闘機4機は1番機(山本長官搭乗)をブーゲンビル島に墜落させ,2番機を海上に不時着させる。山本長官の乗る陸攻1番機は全員死亡,2番機は宇垣参謀長以下3名のみが救助され,残りは死亡した。

ランファイア中尉Lt. Tom Lamphierは,陸攻を襲撃したP-38戦闘機4機の隊長であり,自ら1番機を撃墜(山本暗殺)したと主張し,認められた。海軍のシルバースター勲章も授与されている。しかし,襲撃時の敵機からの応戦,ちぎれた翼などの証言は,陸攻撃(1番機)の墜落の状況や日本軍の護衛戦闘機(全機無傷)パイロットの証言と合致しない。襲撃隊のバーバー中尉Lt. Rex Barberは,自分が1番機を撃墜したと主張していたが,現在ではそれが事実らしいと判明している。

米国が暗号解読に成功していることを日本に悟られてしまう危険を冒して,山本提督暗殺を決行したのは,真珠湾テロ先制攻撃の首謀者殺害という大きな価値があったためである。山本提督は,栄光ある米国海軍に大打撃を与えた敵将であり,憎むべきテロの首謀者である。

テロリストの首魁として指名手配された山本を暗殺することは,真珠湾騙まし討ちの報復・仇討ちであり,暗号解読暴露の危険を冒しても,遂行する価値がある。山本提督のもつ戦術・戦略策定能力の高さを米軍が恐れていたために,山本五十六提督を暗殺したわけではない。

日本海軍は、山本五十六大将を死後元帥に昇格させ、盛大な国葬を営んだ。前線視察中に機上にて戦死とした。暗殺されたことには、全く気づかなかった。立派な戦略家としての山本五十六元帥の評価は、日本では成り立つが、米国ではテロリスト処刑の意味合いが強い。対照的な認識のギャップである。

1942年4月18日の日本本土初空襲、1943年4月18日の真珠湾攻撃立案者山本五十六大将の暗殺と、二つの真珠湾騙まし討ちの報復が行われたのが、同じ4月18日である。

山本元帥国葬の葬儀委員長は、海軍兵学校同期の塩澤幸一である。彼は、1932年の第一次上海事変に際し、上海特別陸戦隊司令官として、中国第十九路軍と戦った。第一次上海事変では、列国の租界、経済的利益の集中する中国最大の都市で、日本軍が軍事行動を起こしたとして、非難され、国際連盟も停戦決議を行った。(1931年の満州事変に関して、日本は国連を脱退するが)この対中国戦争の火付け役とみなされる海軍軍人が、山本五十六元帥国葬の葬儀委員長を務めたことを知った米軍首脳は、何を思ったのであろうか。

戦中,戦後聞き書き「戦争中の色々話」によれば,山本長官の国葬(それまで山本長官の死亡を国民は知らなかった)によって,陰鬱な気分になり,必勝の信念が揺らいだ人たちもいたようだ。
 山本五十六連合艦隊司令長官が戦死さたと云う報道に接して、戦争に負けると云う予感がしました。厳粛な国葬が執り行われ、ニュース映画の観客から、すすり泣きの声が漏れ、座席の観客は総立ちになり、スクリーンに向かい最敬礼をしました。
 昭和十八年六月五日が国葬の日でした。
   この日を境に国民生活が、急速に苦しくなつて来た様に思われ、この戦争に勝ち目が無いと云う実感が湧いて来ました。
 巷の話「総大将の首を取られて、勝てた戦なんぞあるもんかーーーこれでこの戦争は負けと決まりだ。」(引用終わり)


写真(右):山本五十六機を護衛した零戦パイロット柳谷謙治飛行兵長
;山本長官機を護衛した6機の零戦パイロットは,日高義巳上等飛行兵曹の1943年6月7日戦死から,343空の撃墜王杉田庄一飛行兵長の1945年4月15日戦死まで,柳谷謙治飛行兵長以外の5名は全て戦死した。北海道美深町出身の柳谷兵長は,1943年5月13日、ガダルカナル島の手前のルッセル島の米軍飛行場を攻撃した際、空戦で右手首切断の重傷を負い、内地へ送還された。海軍病院を退院後、右手に義手をつけて、操縦学生の教育に当たり終戦を迎えた。1988年4月、米国で開かれた山本機撃墜に関するシンポジウムで山本五十六司令長官の搭乗機を発見、撃墜した(未公認)とされるP-38パイロットのレックス・バーバー米空軍退役大佐と対面。バーバー退役大佐は2001年7月26日、老衰のため米オレゴン州の自宅で84歳で死亡。

山本大将の搭乗機を撃墜しても,米国陸軍航空隊は,山本殺害計画に成功したことを秘匿した。暗号解読の秘密を守るためである。米国が日本の号解読に成功していることを,日本が知ったら,新しい暗号に変換されてしまう。このような米軍にとって不利な事態は避けなくてはならなかった。だから,反日プロパガンダとして,「テロ首謀者を討ち取った」といった山本暗殺をメディアで公開してはいないし,暗殺者への褒章も公開されなかった。

日本は,山本長官機襲撃を海軍甲事件として調査したが,暗号解読はされていないと判断した。この調査も適切に行ったのかどうか疑わしい。暗号が解読されていたのであれば,責任者を処罰しなくてはならない。暗号の変換をするには,アジア太平洋全域にわたって暗号書を配布するなど暗号変換のため労力・資金もかかる。このような手間を省きたくなった海軍が,暗号解読の危険を放置して,暗号を変換しなかったといえる。暗号が解読されていなくとも暗号を変換するといった手間は,貧乏で賢すぎた海軍にはできない話だったのではないだろうか。安全第一であれば,暗号解読の恐れがあるだけで,暗号を変換すればよいのだから。

長官の死亡から1ヵ月後,1943年5月21日に山本元帥(死後昇進)が機上にて壮烈な戦死を遂げたと公表した。そして,国葬扱いにした。「元帥の仇を討て」として,日本で航空機増産に,女子,学生も含めて大動員がかけられた。暗号変換に手間隙かけなかった分だけ,国民の士気高揚を狙ったプロパガンダには手間をかけた。

大本営発表は、過大な戦果な戦果報告という嘘の塊のように酷評されるが、山本長官の機上戦死の報は、国民に戦況が尋常ならざる状態にあることを察知させた。その意味では、長官を暗殺されて意気消沈し、面子を潰された日本海軍ではあったが、総力戦遂行のための動員強化に山本長官の戦死を利用し、挽回を図ったのである。


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