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(2005/08/20 第2版)

NHK BS2 BSアニメ夜話スペシャル「まるごと!機動戦士ガンダム」
2005/8/20 22:50〜

富野、吠える!
富野由悠季ロングインタビュー

富野由悠季
里匠アナウンサー
井上伸一郎

里:富野さんの仕事場というのはもうこのすぐ近くなんですね?

井上:そうですね。本当に住宅地の中にあるんですけど、制作スタジオはずっとこの場所で。

里:どんな方なんですか?

井上:どんな方と一言で言えないぐらい面白い人なんですけど。ちょっと気をつけなければいけないのは、初対面の人はまずガツンと最初にやられることが多いです。

里:そうですか。

井上:悲惨な目も、そういう場面にも立会いましたので大変ですよ。

里:じゃあ緊張しますね。

井上:ここが富野さんが仕事をしているスタジオなんで。この中でまさに作品が作られています。

里:じゃあ行ってまいります。

井上:行きましょう。

里:二階が仕事場なんですか?

井上:そうです。二階に監督の机とあと作画の机があります。

里:失礼します。おじゃまいたします。

富野:おつかれさまです。

井上:今日はちょっとよろしくお願いします。

富野:いますごくとっちらかっているところなんですよ。

里:富野さん、アナウンサーの里匠と申します。

富野:富野です。よろしくお願いします。匠(たくみ)さんでいらっしゃいますか。嫌ですなあ。

里:ええ、なんでですか?

富野:だって君、仕事が巧みにやらなくちゃいけないというのがこういうにしかできない自分の立場を考えるとなんか嫌がらせにきたんじゃないのかと。

里:そんなことないですよ。滅相もございません。滅相もございません。

富野:別に収録用のやらせじゃなくって、ちょっと追い込みにはいってまして、地獄です。

里:作業としましては、いまどんな作業をされているんです?

富野:僕の場合には当然コンテを、話をまとめて、こういうようにコンテ化する、つまり絵の並び方をこういうようにしますよというのを決めるコンテを書く仕事があるわけです。そのうえでアニメーターに作画してもらって、いまもここにあるんですけど、たとえばこのカットでいいますと、これ宇宙戦艦です、それがこういうように、いまよくわかんないんですが、爆発していくっていう、これをベースにして原画を描いて動画を描いていきます。大雑把にレイアウトのチェックするというところまでは僕の仕事になってます。

里:実際にメインで作業されるスペースとしてはこちら?

富野:はい、だから全部ここで済ませちゃいます。だからアニメって嫌な仕事だなと思えることがあるのは、実際できあがった画面を見ると、かなり大きな絵があったり、小さな絵があったりしますでしょ、それが全部ここで済んじゃうという気分が、映画を撮りたいと思っている人間にすると、手狭に済ませちゃって嫌だなって感じはありますね。

里:お机の前に紅葉の写真ですかこれは、写真を貼ってらっしゃるのは、たとえば作業の合間に気分転換に・・・

富野:なんでこの写真かというと、アニメの仕事をやっているときに、アニメ的な絵、漫画的な絵を見てるわけだから、スペアタイムのときは絶対に違うものを目にいれるっていう。これも自己訓練のためにやってんです。

里:これから深く深くうかがっていきたいと思っておりますので・・・

富野:いまので全部話したな。

里:またそんないじわる言わないでください。

富野:話したよね?

井上:まあ。

ナレーション:富野監督専用の机。数々の名作がこの場所から生まれました。いまから26年前、富野さんはどんな思いでガンダムを作ったのでしょうか?

里:井上さん、富野さんとてもやさしい方なので安心しました。

井上:よかったですね。ちょっと最初におどしすぎましたね。

里:井上さんに怖い方だから気をつけるようにって。

富野:昔は怖かったらしい。

井上:いまも時々は怖いらしい。

富野:理想があって、いいおじいさんとか威厳のある年寄りになりたいという理想があったわけ。理想にかけはなれている自分が分かっていらついているということもあるから、時々やっぱりカンが切れるっていうことがあって、困ったなと思っている。なるべく今日も偉ぶりたいなあと。

里:あの、ひとつよろしくお願いいたします。ガンダムの世界観に私たちが引き込まれた魅力のうちのひとつに富野さんが作品の中で使ってらっしゃる言葉が非常に大きな比重を占めていると思うんですけども、それはセリフであったり、登場人物の名前であったり、あるいはそれこそモビルスーツのネーミングであったりと、そういう単語の魅力というのを強く感じたんですね。たとえばそれこそガンダムとか、そういったネーミングというのは富野さんはどうやって決めていかれたものなんですか?

富野:ガンダムに関しては仕事として会社が決めたものです。決めるのに僕も付き合ってます。本当に大変なんです。マルC、俗に商標にひっかからない名前を作らなくちゃいけない。そして濁点のつく言葉がなくちゃいけない。ンが入らなくちゃいけない。

里:それはどうしてなんですか?

富野:ンが入らないと当たんないんです。

井上:よくそう言われます、キャラクターものでは。

里:どうして?

富野:だからそれがなければ当たんないの。

里:そういう法則が・・・

富野:あんの。それはあの当時10年ぐらいのなかの業界のいわば伝説と言わば言える、お前らの迷信だろうと言わば言える。だけどそういうものに加担しない限り、怖くてやってられないよっていうことなので、そういうものにはすがります。本当に4、5人ぐらいで200ぐらい名前を書き並べておいて、ああじゃないこうじゃない、最終的に、たとえばガンダムで言えばまず穏当なところでガンボーイで商標を申請してみるんです。

里:ガンダムは最初ガンボーイだったんですか?

富野:ガンボーイだった。それでスポンサーがそんなやわい名前では困るというのがあって、必ずしも理想的な名前ではないんです。それと肩タイトルをつけなきゃいけない、機動戦士ってつけなくちゃいけないっていうことでも、機動戦士がいいかということでもぐだぐだぐだぐだもめましたし、実はモビルスーツってルビを振りたいんだよねって話、それはもうもめにもめて、それで基本的にそれはひっこめて。

里:機動戦士にモビルスーツとルビを振るのも駄目だった。

富野:もちろん、そんなわけのわかんないのつけてもらっちゃ困るっていって。

里:モビルスーツってわかんないだろうと。

富野:当たり前です。むしろ機動戦士のときに、きどうせんしっていうひらがなのルビをいれろっていうことのほうが重要なんですよ、当時は。それはなんだといえば、ガキ向けだからですよお前ら子供舐めてないか、とはそのときは言えないわけだから、困ったねえと引き返してくるしかないわけです。それが世間というものです。だからそのあと劇中で出てくるものに関しては好き勝手にやらせてもらうということになるわけです。

里:まず看板はいろんな状況の中で・・・

井上:劇中では機動戦士なんて言ってないですよ。

富野:機動戦士出撃しますとは言ってないね。考えてみればそうだね。

井上:とりあえず看板は作ったからそれで勘弁してくれと。

富野:だからそういうプレッシャーはずっとあってやっていることなわけです。そしてほとんど嫌がらせなんですよ、劇中に出てくるやられメカにゲルググみたいな名前をつけて、いくらなんでもサラリーマン社会といえどもこんなネーミングは採用しないだろうと思うものはみんなパスするわけ。それで分かってくることがあるわけ。あ、この人たち作品は見てないんだ、おもちゃが売れればいいだけだ。それが、いいですか、おもちゃ屋さんのサラリーマンがそう思うのはいいんですよ。代理店のやつまでがそうなんです。局のやつまでがそうなんです。マ・クベの名前なんかにいたっちゃいくらなんでもなって思ったけども、みんなパスだもん。ということは、あの人たちはシナリオも読んでないんだ、コンテも読んでないんだ、アフレコに来てても何も聞いてないんだって、それだけのことですよ。だからそういうところが始まっています。

里:富野さん、登場人物の名前とかモビルスーツの名前とか、そういう思いというのは色んなところで込めてらっしゃるんですか?

富野:ありますよ。大体シャアなんて名前本当に嫌いだったんだけども。シャーってくるからシャアなんだよって言ったらOKでちゃったわけ。その雑さはないだろうって俺思ったもん。

里:シャアっていうのはシャーってくるからシャアなんですか?ええ、そうなんですか?

井上:それは初めてですね。

富野:本当にこの人たち無定見だなと。要するに漫画の仕事をやるってのはこんなもんだと思ってるんだと本当腹立ったもん。

里:本当は逆にこういうようにしようよとか、こういう名前にしたらって言って欲しかった?

富野:言って欲しかった。そしてむしろ僕がいちばん血道をあげて作った名前がアムロだったんです。そしたらアムロについてだけは文句言った。そんな聞いたことのない名前はやめてくれって。これはね、作品を作るうえで完全に色分けをしたいと思って、本当におれ一週間以上かかって作った名前なんだけども、そういう風に聞こえないのって言ったら、だって変だもん。

井上:特定のイメージがあってそれにはめられた・・・

富野:主人公の名前じゃないって。だから考えたんだよって。これは認めてくれって。だけどほとんどの人がワンクール認めてくれなかったもん。

井上:始まってからも?

富野:もちろん。変、主人公の名前じゃないって。ロボットものの主人公の名前じゃない、強くない、だって強くねえもん。

里:それは結果的にアムロという名前になったのは、富野さんの中で何がヒットしたんですか?

富野:いや、これに関しては、勘でしかない。ただ、少なくとも声に出してみて、僕にはいい名前に聞こえた。この名前の組み合わせは固有名詞では世界中にどこにもないだろうと確信持ったものね。そしたらワンクール目に打ち破られたけどね。沖縄に安室島ってありますよってファンレターがきて僕がっくりきた。本当死にそうだったもう。

井上:日本人が主人公じゃなきゃいけなかった時代があって、それが正義じゃなきゃいけない時代があったんですけど、そういうのが色んな形で色んな民族とかが、敵にも日本人ぽいのがいたり、味方にも外国人がいたりすることによって色んな価値観が相対化されていく作用はありますよね。

富野:そうそう。価値観を相対的に、フラットに、平準にしていくということはものすごく意識しました。そして逆に名前がヒットするとキャラクターが生きるということも現にあります。だから僕は1stガンダムのときのレギュラーメンバーの名前の半分ぐらいが大嫌いなんです。さっき言ったシャアも嫌いだったし、ミライ・ヤシマも嫌いだし、カイ・シデンも嫌いだし、ハヤト・コバヤシの名前もみんな嫌いなんです。嫌いだったおかげで何とか名前に似合うキャラクターにしなきゃいけないっていう。あ、セイラ・マスの名前も嫌いでしたね。安易につけたという印象がものすごくあるので。

井上:それはご自分の中で?

富野:そうです。セイラ・マスっていう名前だったら、嫌いな理由が明確にあったんです。セイラとかマスとか思わせないように、この子を高みに置いちゃおうと思ったんです。この子っていうキャラクターを高みに置くってのはどういうことかというと、徹底的に要するに気位の高い娘にしていく努力をするわけです。

里:セイラ・マスって名前は何で嫌いだったんですか?

富野:それはテレビコードにひっかかるのでしゃべれません。

里:あ、そうですか。

井上:それは逆に、言い方悪いですけど、適当につけた名前だったからこそセイラがあれだけいいキャラになったということ。

富野:まったくそう。

里:そういう意味でどう風にキャラクターを作っていったんですか。たとえばセイラ・マスの場合だったら。

富野:アルテイシアっていう裏の名前があるんだって作り方するわけです。そうすると、アルテイシアって名前も嫌いなわけ、僕には。これはあからさまにできすぎている名前じゃない。嫌だよねって思うんだけども。セイラ・マスの名前だからまあいいかって。一緒にしちゃったらひょっとしたらキャラクターになるかもしれないなと。だから一緒にするという努力をした。だからセイラに関して言えば、そういう泣かせ方をする。シャアっていう僕にとっては恥ずかしい名前、お兄さんつって泣くんだよねって馬鹿ーって思いながらコンテ切ってるもん。この漫画みたいなことやるんじゃねえと思いながら、ここまで行けば形になるだろうなと。

井上:だから逆にセイラって聖的な部分もあるし、俗っぽい部分、両方ありますよね。

富野:もちろん。だからその揺れ動き、キャラクターの面白さになってくるわけだから。全部を好きになっててキャラクターが作れるとは思えないな。

里:そういう意味では富野さんの作品に出てくるセリフというのは、本当に日常生活の中で自分が思わずつぶやきたくなったりだとか、あるいは記憶に残り続けている言葉というのがとても多いんですよ。富野さんがセリフを考えるときに、力を持たせようという気持ちというのはあるんですか?

富野:ファーストガンダムの冒頭でシャアがミサイルを撃って、認めたくないものだな若さゆえの過ちをってあのセリフを思いついたときに、ミサイルを撃って一応陽動をかけておく、だけどえっここで第二撃を入れなければいけなかったっていうのは手間がかかるとか、第二にミサイルやっておれも出撃するぞっていうセリフ、みんなこの手の番組では知ってるセリフじゃんってとき、こいつに何を言わせようっていうとき、こいつ何か知らないけども駆け出しのくせに変に階位だけは上なんだよねってとこで偉ぶっちゃってる、だけどこいつ偉ぶってるかと言ったときにこいつ、おれ恥ずかしいんだよね、なんでマスクまでしてなきゃいけないキャラクターにさせられちゃったんだからってのを、うわーーっとそういうセリフにしたいと思った。ときに、こいつ若いんだって自覚させればいいだけの話だってときにこのセリフはできた。

富野:あのセリフは散々言われたものね。あのおかげでガンダムは視聴率取れなかったんだよって言われた。

井上:そうなんですか。

富野:言われましたよ、はっきり。

井上:それは分かりにくい?

富野:分かりにくいと。

井上:いまとなってはあれが象徴的なセリフですよ。

富野:その劇に合うキャラクターの造詣を目指しているって、僕にとってアムロという名前を決めたときからある。アムロに拮抗するシャアって風に置きたいから、シャアの肉声がマスクのまんまの言葉ではいけない。あそこまでアップにしたら独り言でいいわけだから。

里:すごいエネルギーでセリフっていうのは生まれているんですね。

富野:状況を、世間の中にやっぱり何とかガンダムという作品を立たせたいと思ったので。その劇を作らせている、保守サラリーマンとかマニュアルを作っているルーチンワークに落としていると、絶対に目立たなくなるということだけは分かるし。で、当時で言えばまだマジンガーZの余波があるんで、マジンガーZの描くものに勝つ言葉を見つけられなかったわけ。どうするんだということを本当に考えていった結果なんですよ。

里:富野さんの宇宙へのあこがれはいくつぐらいから持たれてたんですか?

富野:ぼんやりと思ったのは小学校4年ぐらいで、具体的になったのは5年生になったころです。どうもやっぱり父親の仕事の影響がとても強い。で、その父親の仕事というのは、家の中に宇宙服の写真が、父親の作った宇宙服そのものの写真が何十枚かあったんですよ。 宇宙服と言ったら多少角が立つんだけども、正確に言うと与圧服と言います。つまり圧力をかける服、つまりパイロットそのものが潜水夫のような服を着るという、ゼロ戦乗りが1万メートルを超える高度で2、30分持てる服を作れっていうのがあって、その試作品があったんです。

里:お父様のお仕事というのは?

富野:ゴム屋です。ゴムの皮膜を作る仕事があったんで、ゴム屋だからつまり密閉する。親父のそういうもの見てたんで、宇宙服にまったく抵抗のなかった子供だった。

里:それは特別な環境ですよね。

富野:かなり特別でしょうね。そのことがいまのシャトルの宇宙服、全部つながっちゃって、僕の中ではNASAのやってることじゃないわけ。全部この辺にあることだったんで。

井上:リアルアムロですよね、それね。

里:お父さんの資料読んで・・・

富野:それこそ誰でもいいんだけど、セイラさんの体型が見えるような宇宙服なんてあるわけねえじゃねえかっていうのが基本にあるから、ガンダムを以ってしてリアルな何とかかんとかって言われるのは大嫌いです。

ナレーション:富野さんの父親が作った与圧服。たしかに宇宙服そっくり。こうした環境の中、宇宙への夢をはぐくみました。富野さんが小学2年生のときに描いたロケット、いつか月へ行こうと真剣に考えていたといいます。小学5年生になると宇宙旅行という雑誌を愛読、科学の知識はすでに大人顔負けでした。少年時代の夢や知識を生かしたい、そんな富野さんが選んだのは映像の世界でした。

里:アニメというものを選ばれた・・・

富野:選んでない。

里:ではアニメというものに入っていったきっかけは何だったんですか?

富野:虫プロが救ってくれた、雇ってくれたからです。

里:大学を出るときに?

富野:そうでなかったら他に就職先がなかった。

里:本当は映画をやりたかったんですよね?それは環境としてはあまり・・・

富野:実写撮っているところは、たとえばどんなに二流の下請けのプロダクションでも僕は雇ってもらえるとは思えなかった。出来が悪い学生だったから。それは本当にそうだった。だから本当に虫プロが救ってくれた。電動紙芝居でもやるしかない。かなりテレビ漫画の仕事なんてレベルが低いんだけれども、それでも有効利用はありうるなと思った。むしろアート、芸術から入るよりは、間違いはないんじゃないかというのは、それはアトムの仕事3年間やって教えられたことだから。世俗に向けて作品を作るっていうのは悪いことではない。そういう意味では映像媒体ってのは面白いなってことは本当に教えられました。

ナレーション:手塚治虫の主宰する虫プロダクションで3年間演出の基礎を学んだ富野さん、以後フリーの演出家として様々なジャンルの作品を手がけました。機動戦士ガンダムを作ったのはアニメ業界に入って15年目のこと。

里:それまでの富野さんの作品とは、明らかに違いますよね。

富野:うん、違うんだよね。それが嫌なんだけども。

里:何でですか?

富野:違うんだけども違わないんですよ。宇宙旅行を忘れて、月面に自分が立つということも忘れて、大人の暮らしをやってきたわけです。そうするとアニメの仕事しかできないからっていうんで、物語を作るというところに行ったわけです。それで僕にとってはガンダムまでの作品というのは所詮お仕事としてやっていたことであった。だけどフィクションというものはちょっと待てよ、本気で宇宙旅行やっていいんだって分かってたどり着いたときに、ガンダムというのは僕にとってはとても抵抗なく、あの劇空間というのは僕の中ではリアルなものとして存在していたから、すごく平気だった。だからむしろフィクションを作るうえで重要なのは何なのかと考えたときと、あの宇宙旅行の対象となっている宇宙空間というものを劇に持ち込むためにどうしたらいいかと考えたときに、戦争を舞台にしないとあれだけ動き回るシチュエーションというのはありえないから戦争物にしたということで、戦争物が先にありきでもないんです。宇宙旅行ありきなんです。僕の思いのまんまをこうやってガンダムというのは貼り付けられたし、仕事の上でそういう子供の頃にいちばん本気で思ったことを貼り付けることができたっていう、再現ができたっていうことのうれしさのほうがはるかにありました。だから理知的にいう意図なんてどこにもない。

里:富野さんがそういったものを企画に盛り込んでいくというのは当時としては冒険的なことではなかったのですか?

富野:冒険なんてものは、全部嘘ついてやりましたもん。だから戦争物なんて言葉どこにもないもん。要するにこういう敵が攻めてくる、その敵をこういう風にやっつけるっていう企画書しかない。よく読んでみると、敵今回宇宙人じゃないよねってクレームつくんだもの。そういう時代だったんだもの。

里:さきほど当時周りを全部騙したとおっしゃってましたけど、どんな風に騙したのですか?

富野:ガンダムに関してはきちんと戦争物と書かなかったということだし、もっと言えば15だ16だ17だという設定の子が戦車と戦闘機の性能を持ったものを一回目から操縦なんかできないわけです。軍隊に入ってなければ。そういう訓練を受けてなければ。だから操縦できるためにはたとえばエスパーなんだろうなっていう可能性もちらっと書いておけば、いちおうごまかせるかもしれない。それは色々言われましたね。大体全長が16〜18メートルだという巨大ロボットはねえだろうと散々叩かれましたもん。ロボットは全長80メートルなんですよ、最低でも。120メートルが理想なんです。そうでないと合体できないんです。そんなのおもちゃとして考えれば当然でしょう。それを嘘つくというのはかなりつらいことですよ。

里:ロボットでしたよね、それまでは。それをわざわざモビルスーツという言い方に置き換えていったというのはどんなやり方だったんですか?

富野:ロボットを正確に考えていくと、基本的に現在では通用する言葉なんですよ、自律型二本足歩行機なんです。人が操縦するのは基本的にロボットではないんです。だからそろそろ正面切って乗り物という言い方をしたいんだけどなあ、人型の乗り物という造語を考えていっても全然出てこなかったんで、しょうがないってことで、宇宙に出てくるときに人が中に入れるものだからっていうことで、ものすごく大雑把にスーツとして考えて、ああだったらモビルスーツなんだなって作っただけのことです。本当にそれだけ。そのときにスーツだって言い方はひどいんじゃないかという言い方は当然あります。だってモービルモービルだっていいわけだし、モビルドールでもいいわけだし、だけどドールというところに行きたくなかったという理由もちょっとありましてね、あくまでも人の着ている外装としてあるものだと規定したかった。モビルスーツというまだ触ってない言葉があったっていうのは、見つけられたというのは、僕にとっては僥倖でしたんだけれども、実はその部分に関しても違うんです。評価は決定的に違います。

里:周りのですか?

富野:周りの。もうはっきりある出版社レベルで、途中でガンダムが打ち切りになった、そりゃそうだよね、ロボットをモビルスーツだもんね、伝わるわけねえよね、だもん。これは直に聞かされました。一人じゃないですよ、言っときますけど。ああ、この人たちは要するにSFっていうものを好きじゃないんだって、所詮ガキ向けだって思ってるんだっていうこともあったんで、やっぱり慣れている大人、大嫌いです。慣れている風に見せている大人。ましてサラリーマン系の、大嫌いです。

ナレーション:おもちゃ会社の提供で52話を放送する予定だったガンダム、しかしおもちゃが売れなかったため、43話に短縮されてしまいます。

里:当時の思いとしては、すごく悔しい思いというのはあったんじゃないですか、そこは。

富野:もちろん山ほどありました。山ほどあったけれども、大人の付き合い、世間ってのはこういうものなんだとも思っていたから、要するにモビルスーツで承服させられるだけの作品を作れなかった自分が非力なんだと思ったということはあります。ましてアニメ初では駄目なんだろうかという部分は本当にありました。だから実写でモビルスーツって言い切った作品が作れればいいなとも思ったし、基本的に全部自分の中に自分にその創作をしていく力がなかったと思い知ったっていうのが僕にとってのガンダムなんです。

井上:でも何かファンレベルの盛り上がりと、多分富野さんの当時の受け止め方と全然違う感じですよね。ファンはものすごく騒いでたんですけどね。そういうのが伝わってない。

富野:伝わってないのと、ファンのある時、ある時期からのファンのことも分かりますよ。だけどそれは僕には申し訳ないけど、眼中にないわけ。どうしてかと言うと、ファンが好きなのは当たり前なんですよ。僕が相手にしてるのは世間なんですから。世間を構成している人たちのメインであるお父さんたちに分からせたいといったときにあまりにも力がない。むしろアニメファンというレベルが騒いでも盛り上がってものなんて世間から無視されるんだから、僕にとってはとても危険な存在だとしか見えませんでしたもの。だからファンの評価は僕は基本的に眼中に置かなかった。それはひょっとしたら現在もそうかもしれない。

里:アニメという媒体ですよね、あくまでも。どうしてもアニメファンは見ちゃいますよね。

富野:だからそれが当然なの。だからファンが見るのはいいんです。いけないなんて言ってないんです。ファンがいてこそ、それこそ商売が成り立ってわけですから、ありがたいんです。ただ、ファンの評価はあくまでもファンの評価なんです。僕は世間に評価されたいの。アニメ初であってもたとえば世間がえっと思えるような作品にしたかったわけ。26、7年前に。それが打ち切りになるわけだし、映画になったと言われるだけど、それだってファンが見に来てくれるだけで、世間の人が見に来てくれてないんだから、僕の中で評価にはなりえないの。これを獲得するにはどうするかっていうことしか考えなかった、当時から現在までも。

里:ガンダムに関して言うならばですよ、社会現象とまで言われたじゃないですか。

富野:嘘です。嘘です。社会現象と言いたい人は自分がファンだったために、かつてそういう盛り上がりがあったんだよと思いたいの。僕にしてみればそれは世間の盛り上がりではなくて、お前ら程度の盛り上がりなんだからそれは盛り上がりではありません。盛り上がりってのは最低いまのスターウォーズぐらい言われてて盛り上がりなんです。

里:子供に見てもらうという意識はあったんですよね、ガンダムとは・・・

富野:もちろん、もちろん。

里:そういう意味では、人同士が戦うシチュエーションを作り出すとか、そういった部分というのは子供が見る世界観にとっては非常にある意味しんどいというかショッキングではないかなと思うんですが、そういう意味でたとえば見る人に伝えたかったってことは何ですか?

富野:だから殺し合いはつらいぞ、やめなさいって。

井上:企画書のテーマが修羅の連続って書かれていて、それが逆にいうとよく通ったなと当時としては、企画書が。

富野:つまり怪我をしない戦闘なんてないわけだし、アクションなんてないのに、怪我をしないで済むと思わせるほうがよほどひどいんじゃないですか。その部分に関しては嘘をつかない。それだけは伝えたかったといえば伝えたかったこと。そしてそれは大人に知らせるよりは子供に知らせたほうがおそらく記憶として残ると思う。もっと言っちゃうと、僕にいちばん力がないと自覚するのはどういうことかと言うと、現実的な世間に対して教訓とか打撃になるようなところまで評価されてないってのは無念だということ。これオフレコにしていいです。改憲論者が平気で出るっていうことに対して、阻止できなかった自分っていうのがやっぱりつらい。

ナレーション:現在富野監督が制作しているのは劇場版機動戦士Zガンダム。いわゆる1stガンダムから7年後の世界が舞台。アムロやシャアの成長した姿が描かれます。

富野:スタジオったって偉そうなことはありませんでね、こうやって物置みたいなところなんですよ。ただいまここにいるのが、このスタジオでのいちばんの中枢のスタッフってのはここにいる作画監督と言われている人たちがここに2人だけいます。この人がいちばん怖いんです。恩田さんとこちらの中さん、別の仕事やってないよね、Zの仕事やってるよね。アニメーターの特権でときどきアルバイトもするんですよ。

ナレーション:いまや20歳以上も年の離れたスタッフと一緒に仕事をする富野監督。以前名は富野監督が近づくとビリビリとした緊張感が走ったそうです。

富野:あのね、それは僕の世代が本当にいちばん反省しなくちゃいけないことだと思っているから。君臨するのをやめました。10年前でいえば君臨してましたよ。それで君臨するという言葉通りのことをたとえばやろうとしたときに、いつも偉ぶってなくちゃいけなくて、本音が言えなくなってくるんですよね。君臨するのがどういうことかって言うと、己の好みしか人に対してやらせることができなくなってきて、スペアを手に入れることができなくなってくるんです。それはとても危険なことだなって風に。だからスタジオは世代の違う年代の人が集まるっていうとこで、スタジオワークを生み出すサムシングっていうものを手に入れていくためには、どうしていくのか。嫌らしい言い方しますよ、やわらかい統治という手法はもう少し我々の世代が手に入れなくちゃいけなかったことじゃないのかな。それは卑屈か偉ぶるかのどっちかしかなかったというのは、バブルまでの日本人のお父さんが手に入れた手法だったのかなという気がしないでもない。本当だよ、いまの話。

里:ずっと映画というものに思いを持ってきた富野さんとして、ガンダムを映画でやるということは、思い入れとしてはおれもいよいよ映画をやるぞという思いだったんですか?

富野:うん、もちろんそれはありましたね。あったと同時にああいう風にフィルムをまとめてみたときに自分で思ったのは、わっ映画ってしんどいな、丸々一本新作で映画を作ることが自分でできるんだろうかっていう次の疑問も生まれたから、だからそう簡単にその後新作の映画が自分には作れるとは思えなかった。

井上:ちょうど時間帯が1部と2部の間で、これから哀・戦士編がテレビで流れるとして、私が見ている印象だと、一本目の映画と哀・戦士を作ったときとかなり手触りが違ってて、哀・戦士で突然色んなものを開眼なさっているような気がするんです。カットのつなぎとか、テンポが良くなって、映画として一気に見れてしまうみたいなところがある。最初にお作りになったときはそこまで行かなかった?

富野:行かなかった。だからそれが自分の中にスキルがないというのはそこなんですよ。それでテレビ漫画の仕事とはいえ、それなりの本数をこなしている演出家ですから、本当はこんなこっちゃいけないなと思いながら、1部のときにうわぁ映画遠いなと思った。ただ2時間という尺を超えるということの持っている意味というのは、20分単位の6本だ、12本だではない、5倍ぐらいの距離があるということが分かって、2時間という尺を埋めていく映画的な何ていうのかな、やっぱり下作の問題ですね。

井上:最後のオデッサの戦いのあたりでものすごく切っているじゃないですか、細かい。その代わり印象には残るんですよね。本来的にいうとあの辺が実はクライマックスでいくのかなと思うと全然そこが、黒い三連星もあっいう間にやられちゃうし、実はその前後が非常にきっちり描かれているとか。

富野:映画的なものというのはテレビとは違うもうひとつ強固なものがいるっていうのを本当に感じるようになりました。この映画的なものという説明は勘弁してください、そう簡単にできない。

井上:この間別の所で編集の妙についてうかがったんですが、そのときこっそりそれは情だよと富野さんがおっしゃったんですけど、その流れを一気に見せるコツっていうか、キャラクターの情なのか、あるいは見てる人の情を乗せるということなのか、どういうことなんでしょうかね。

富野:本線の流れの情だ。個々の問題はやっぱり関係ない。だからそこにごまかされる。映画って一気に見るものだから本線の情の起伏が見えないと駄目。

井上:それは一人のキャラクターというよりは物語の・・・

富野:物語の本線。それは気に入った絵があるとやっぱり間違うし。

井上:それは気に入った絵があってそれで尺を伸ばしちゃうと間違える・・・

富野:だからやっぱり本線の情ですね。始まりますよ、はっといってすーっといってはっと・・・。だけどその情を組むのに情では組めないんです。きわめて理化学的にロジックなんですよ。1ミリ単位で全部。

井上:そういうのが複合してロジックで積み重ねた情・・・

富野:それがどっちかにぶれたら最後もう駄目になる。本当それが5ミリずれたら駄目。全部ちゃーっていっちゃう。やっぱりかなり鉄壁のロジックがいるのよ。だから気分で映画なんてまとめられねえ、それだけの話なの。

里:最初にガンダム三部作を作られたということは、富野さんの体験としてはそれは良かったことですか?映画を作ったということは、ガンダムで。

富野:もちろん死ぬほど良かった。で、良かったからこそ、用心深くもなったし、映画を撮りたいとも思ったけれども、ただ、ひとつにはこの10年のことだけは言えます。この10に関しては、映画を撮るということに対してものすごく用心深くなりました。だからうかつにはやれない。いまガンダムで教えられたことがあったために。つまり好きでは撮れない。好きで撮っていいものが映画ではない。じゃあ何で撮る?時の運が来ない限り駄目だ。そのくらい映画って厳しい。そのことがある意味で硬質感でもある。だからこの10年でものすごく浮かんだの、いい原作が欲しい、原作がないんだったら自分で作るしかないんだけども、自分で作れるのか、もっとあるの、自分程度のスキルのもので映画を作りたくないってのが。

井上:贅沢ですよね。当然だとも思うけど。

富野:これはもう本当にオフレコにしてください。だっていまのは、明確な目的っていうのは、スピルバーグとルーカスを黙らせなければいけないという条件が付いてんだと思う。それは簡単にできないよ。そんな過酷な労働、僕にできると思えないからできなくなった。

里:それはご自分でつけているんじゃないですか。スピルバーグやルーカスを黙らせなきゃいけないと。

富野:世間を黙らせるっていうのはそれぐらい力を見せないと黙らせられない。世間がそういうものだということも分かりましたから。だから偉ぶっているかもしれないけども、しょうがないもん、こういうキャリアになっちゃったんだから。だから好きで言っているわけでもない。好きに撮れるんだったら好きに撮りたいよ。うわぁとんでもないところにクジ引いちゃったなというのはあります。だけどここまで平気でこんなところで言っているのはね、言えるようになったのも、アニメが教えてくれたんですよ。実写だけだったらこんなこと絶対に分からない。

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