山が好き・渓が好き・油鰭のある魚が好き・キャンプ大好きな想いをイラストでつづってみました。

OUTでDOORな話
Tomcats23@STDIO-SERENE OUTDOOR SITE


単独行で丹沢の滝つぼに30m滑り落ち木に引っかかって、
ようやく帰って来たのをきっかけに無茶な行動はしまいと心に決め
落ち着いたところがファミリーキャンプ。
大好きなOUTDOOR体験をイラストで綴ってみました。
OUTDOOR体験記と家族でのキャンプの四方山話のページです。


2・OUTDOOR体験をイラストで綴ってみました
  お好きなところへどうぞ!
3・1990年白馬岳登山
4・1990年黒部下の廊下
5・俺たちゃ焚き火大好き「酔渓会」
6・CAMP! CAMP! CAMP!
8・キャンプ1997&1998田貫湖キャンプ場
9・娘の初めてのキャンプ2001年夏
10・キャンプ2002年夏・桧原西湖畔オートキャンプ場
11・キャンプ2003GW中禅寺湖菖蒲が浜キャンプ場(菖蒲ヶ浜キャンプ場)
12・キャンプ2003夏群馬県六合村野反湖キャンプ場

1988年03月18日

そもそものきっかけは

10代から20代終わり近くまでほとんどOUTDOORな事に無縁でした。
ただBe-Palも創刊当初から読んでいたし、旅行先の穂高駅で見た山男にあこがれてもいたりしてました。
その頃ラグビーに夢中で高校・そして自分たちで創った草ラグビーチームで活動していたのでなかなか外遊びに時間がさけないでいました。
それがこんなにもOUTDOOR好きになったのは1本のウェンガーのナイフを買ったのがきっかけです。
廉価版のなんの変哲のないキャンパー?というやつでこれを使って遊びたいと思ったわけです。
渓流釣り・登山・沢登り・鮎釣り・FF・オートキャンプと広くて浅い活動をスケッチしてみましたので覗いて見てください。



1998年08月12日

道祖神の里

仁科三湖の一つ木崎湖へオートキャンプに向かう途中、道祖神を見つけた。
妻が持つお父さんからもらったお守りそっくりの道祖神だったので大喜び。
夫婦仲良しを祈願してキャンプ場へ向かう。



2001年08月14日

長野県木崎湖キャンプ場

娘のキャンプデビューの日。
まだ1歳9ヶ月なのですが思い切ってキャンプに連れていきました。
場所は長野県の木崎湖キャンプ場
怖いもの知らずの娘は蜂の巣の下で捕虫網をぶんぶん振り回すやら三輪車で他所のテントに突進するやらで、一時も目を離せない状況。
そんな娘の世話で妻はつきっきり、結局設営・撤去は僕一人で行いました。
このキャンプ場は素であり朴である静かなところで、前にドラマ「白線流し」のロケ地にも
なったところです。
1998年・そして1999年にもやってきました。



2001年08月13日

初キャンプその1-「虫捕り」

補虫網を手にした彼女は何か捕りたくて仕方ありません。
キャンプ場の奥に散歩していき、少し前を歩いていると妻の叫び声。
振り返ると何か捕まえようしています。
見れば大きなスズメバチの巣、慌てて駆けつけて娘を小脇に抱えて逃げ去りました。



2001年08月18日

「おはよう」-木崎湖キャンプ場にて

キャンプ場でのコック長は僕です。
朝の食事の支度も当然親父の役目です。
キャンプも残りすくなくなってフト気づくと釣りをしていない。
妻と娘が起きてくる僅かな時間に望みを託して急いでウェーダーをはいて湖の中へ。

しかしそんなに日に限って早起きの二人。
聞くところに拠るとリールからラインを引き出す音で目が覚めたと言う。

娘の大きな「パパ〜おはよう〜」の声。

渋い顔の僕。
結局釣りタイムは僅か30分。(;_;)シクシク。



2002年08月14日

「魚とり」=裏磐梯桧原西湖畔オートキャンプ場細野川

キャンプ場から少し離れた細野川でお盆の期間中
限定で山女・岩魚のつかみ取りをしています。
 実際に僕らも子供の頃にこういう遊びをした事が有りません。
 釣るのではなく石の間に手を入れて魚をつかみ、
捕まえるのですが結構これが難しい。

2歳9ヶ月の娘には川で水遊びをしててもらえればと
思って遊ばせていましたがお手伝いのお兄ちゃんが魚を気絶させてくれて娘に持たせてくれました。

眼を三角にして喜んで山女を素手で鷲掴みにして
「つかまえたよ〜。」と言って走ってきます。
(親としては反省しきりです。)
彼女も自分でも捕まえたかったんです

又その場での炭火焼きで大いに感激を、残りを燻製。うち尺山女一匹が抱卵していて醤油浸けにして
食べたらいい酒の肴になりました。



2002年08月19日

福島県南会津大内宿

芦の牧温泉の丸峰観光ホテルの方から聞いて訪れた大内宿。
小さい子でも楽しめますかと聞いて「どうかな〜」と言われていましたが、さにあらん。
両脇の水路に冷やしてあるトマトやぶどうにかぶりつき、茗荷を洗っているおばあちゃんに
「何してるんですか?。」と積極的に尋ねていました。
遊園地ばかりが子供の遊び場ではないこと、娘からおそわりました。
きゅうりも丸々1本地元の味噌で食べちゃいました。
一通り30分くらいで帰る観光客を尻目に延々4時間くらいここですごしました。



2003年05月02日

「パパがんばって」=中禅寺湖菖蒲が浜キャンプ場(菖蒲ヶ浜キャンプ場)にて

2003.5.2 快晴

菖蒲が浜キャンプ場は駐車場からテント場まではリアカーにて荷物を運びます。
(菖蒲ヶ浜キャンプ場)
出発が遅れ日光市で道草を食って到着が4時。急いで荷物を積み込みテント場へ向かいます。

娘は初めてのリアカーに乗りたいの一点張り。仕方なく後ろに乗せます。

後ろで押しているはずの妻もいつの間にか押さずに乗っていました。

夕焼け眩しくリアカーは重く・・・。



2003年08月23日

「行きは宵、宵です」=野反湖キャンプ場・闇の中の搬入

ようやくたどり着いた野反湖。

ロッジの受付に着いたのが18時半本当は受付は17時までなんですよ。といわれました。

キャンパーの皆様は静寂を求めて見えています。

「了解しました、静かな設営をします」

歩いて15分、お子さんがいるから20分くらいと言われた道もヘッドランプの明かり以外は漆黒の闇の中。

視界3mでしょうか。翌日見たらこんなに景色のいいところと知りました。



1988年06月18日

日産テラノR-3M

念願だった四輪駆動車購入、ディーゼルは国内販売されていたけどガソリン仕様のタイプ
U・S・Aだけでパスファインダーの名で売られていました。
国内販売になって迷わずこれに決めて購入。
仕事仲間からじゃぁ丹沢にあそびに来いと誘われ寄り木マス釣り場で渓流釣りの初体験。
これにはまり渓流たきぎマニアになりました。
4WDを買うと自然と触れる機会も多くなり釣り・登山にと興味がどんどん湧いてきました。



1990年03月05日

カスタムナイフ

初めて手にいれたカスタムナイフ。
子供のようにドキドキしたのを覚えています。腕に当てるとハラハラと産毛が落ちます。
当時の草ラグビーチームの監督Y氏が勤めている通販会社にて購入。
増井ヒロのキャプテン・スローカムというシー・ナイフ。握り易そうなハンドルが気にいりました。



1990年04月04日

山形・酒田紀行

設計したとあるめがねチェーンの仕事で山形は酒田までドライブがてらに行ってきました。
関越自動車道より日本海に抜けて北上。
初めて見る日本海は青黒く沈んでいる。
酒田の店のオープンを見届けて最上川にそって東へ。
途中支流の小国川にて釣り人を眺める。
渓流釣りの楽しさを知らない僕は小雪ちらつく中こんな寒い中川に入る事もなかろうにと
思うのである。



1990年04月08日

二口林道

蔵王に向かいのんびり温泉につかり、翌日朝から坊平スキー場でスキー。
途中何箇所かぬかるみや難所を越えてもう一山という所で道は崩壊。
仙台へ行けず引き返す。
古い酒屋にて「月山」の古酒を買う、うま口の酒であった。
大切にとっておいた2本目はラグビー部の連中がベロベロに成って家に泊まりに来たとき
「あまりかわんないっすよ。」と言いながら飲まれてしまった。
修君、君の事だよ。



1990年06月01日

鮎ドブ釣り

仕事仲間の誘いにより神奈川県・酒匂川へ。
大体鮎というものを良く知らないのである。旅先で塩焼きになっているものしか見た事がない。
寿命1年の年魚というのも初めて知り、縄張り意識が強くそのためおとりで釣る「友釣り」があったり、解禁当初は赤虫を食べていたので毛鉤で釣る「ドブ釣り」があるなんて初めてしるのである。
1日粘って3匹、これは結構楽しかった。



1990年07月08日

夏山登山

OUTDOORといっても多種多彩であり、山でも登って見たいねと言うことになった。
ラグビー仲間にも多くの登山愛好家がいて同伴することに。
すぐ形から入ってしまうのが僕の悪い癖であり、先輩のいるミナミスポーツで単独行できるだけの装備を購入。
続くかどうか判らないのに、人に借りとけば良いのに。



1990年08月04日

北アルプス白馬岳登山のページを作りました。




1990年09月12日

黒部下の廊下のページを作りました。




1990年11月03日

丹沢 水無川本谷沢登り その1

何を思っていたのだろう。黒部で水に目覚めたのか、事もあろうに単独でしかも秋に沢登りなんて。
前日に池袋・秀山荘にて20mザイルとシットハーネス・8環など買いこんで大倉駐車場へ。
ちょこっと沢登りを体験するはずのつもりが何故大層な装備を持っていかせたのか。
無ければ河原でざっくり頭の割れた仏が見つかるのは雪解けの頃なんてことになっていたかもしれない。



1990年11月03日

丹沢 水無川本谷沢登り その2

そもそもの間違いは大倉駐車場からいきなり沢へはいったこと。
戸沢キャンプ場まで登山道があったのにヤブこぎをしながら3つの大堰堤越えをしなければならない羽目に。
途中もようして立ち木につかまり尻をあげて空中に用をたす。
本当は1級レベルの源次郎沢のはずだった。しかし僕が登っているのは3級の水無川本谷。
入渓点を見逃したのだった、3級なんてのはベテランがグループで攻めるところだ。
F1-8m、F5-8mと越えて行くたびに木々の紅葉が深くなって行きそれ見たさにどんどん登ってしまった。しかし11月の沢は非常に冷たい。ラーメン作ってすすっても体は全然温かくならない。
問題のF820m、案内書に従い右のヤブコギ、しかしヤブの途中でとりつくはずがどうしても取り付けず右上とコースが外れて行ってしまった。
気が付けばトウに戻るルートを失っていた。



1990年11月03日

丹沢 水無川本谷沢登り その3

迷子になった。大日尾根ね逃げようとしたがブッシュ・ガレ場を登り詰めても尾根にでれず。
尾根とおもったところが小山のようで尾根がつながっていない
下る、途中ヤブの中に道らしきものがあったのではいると獣道だった。
狭くなり急勾配に下る道を抜け出たらガレ場にスポッととびだした。
45度を越える斜面を必死で駆け下りる、がらがら小石が一緒について来る。
沢にたどりつき下ると先程のF8、下れない。
上方に登山者の声、大倉尾根だ。急坂をブッシュにつかまりしてかなり登る。
ブッシュがぬけた。すべり落ちた体を仰向けにしてスライディングをしているかのようにかなり滑り落ちた。



1990年11月03日

丹沢 水無川本谷沢登り その4

一本の太い木が目前に有り右足で受けようとしたが、失敗して向こう脛で受けて木に引っかかる。
あまりの痛さに気を失いかける。もう折れたとおもいました。
1時間程木の上にいてここで日没。しかし丈夫な骨はスパッツに守られなんとか折れずにすんだようでした。
さてここで吉川栄一著「沢登り入門ガイド」を取り出しシットハーネスの使い方を学ぶのである。
20mザイルを2つに折り下降開始、降りたところに木は無く右5Mトラバース。
振り子のように揺れ片腕1本木に引っ掛ける。3度目の下降でようやく地面から3m。
しかしつかまるところ無く飛び降りるこれが一番怖かった。
たどりついたのはF8したの右岸、何時間の費やし必死のアガキも対岸に渡っただけのこと。
ここで一服、ひどく苦い味のするタバコであった。
ザイル回収、登ってきた滝を降りる。滝は登るもんでくだるものではない。
途中林道に逃げ込むがヘッドランプの電池切れ。
月夜の晩であったが、森の中にはその明かりは届かず、手探りならぬ足探りで歩く。
山道の途中、角で出会い頭に立派な角を持つ雄鹿に遭遇、両者なにやら声にならぬ声で後ろに飛びのく。
大倉の駐車場についたのは夜10時半。6時半開始なので延々16時間歩いていたことになる。
しばらくベンチに座り込む。
翌日早朝台風の中ラグビーの試合に出て、昼からその仲間の結婚式に出席、深夜まで飲んだくれたら、1週間寝込みました。
3日間歯の噛み合わせが出来ませんでした。



1988年12月10日

開高 健

僕自身小説家開高 健を除いて自然・フィッシング・アウトドアを語ることは出来ません。
子供の頃見たアンクル・トリス、NYタイムスの戦争反対広告、中学の時TVで見たサイゴン陥落、べ平連、高校の時月間プレイボーイで見た「オーパ!!」シリーズ、アラスカ鉄道のフラッグストップ、「TAZAN」で水泳してたおっさんも、長良川での河口堰の反対運動も、「風に聞け」の相談コーナーも時代時代に興味を抱いたことの全てが点と線が結ばれるとそこに小説家開高 健がいたのです。
実際にお会いしたことはありませんが、今でも心の師と仰いでいます。
高校生くらいまで読書が嫌いだった僕が巨匠の作品をむさブルように読むなんて考えられなかった事です。
「夏の闇」を心の弱っているときにとことん読むと本当に落ち込みますもんね。
特に巨匠がガイドブックを書いているわけではないんです。
男のロマンチズム、夢、を学び感じ気付き教えてくれるのです。



1990年11月30日

フライフィッシングに出会ったぞ

鮎釣りでドブ釣りがあるのだけれど、鮎毛鉤を自分で作ってみたりしてた。
アウトドアの本を見ていたらフライフィッシングの特集をしていたのです。
見た瞬間これだ!!と思いましたね。まず格好いいじゃないですか。
フェルトの帽子・コマンダーみたいなベスト・ウェダー・背中い付いているネット・ラインキャスト。
自分で毛鉤を作るとこが気に入った訳です。
第一沢登りのように無茶はしないだろうし、(OUTでDOORな話・水無川編参照)
もうこれしかないって感じでした。
たまたま高校R部の後輩の店舗改装をしたらちょうど彼がやっていて師事しちゃいました。
これがどれだけ凄いことかというと高校のクラブって3年神様・2年平民。1年奴隷ってあるじゃないですか、それが奴隷が師匠に、神様が弟子になったのです。
1週間後には一通りの道具揃えていました。



1990年12月30日

加賀フィッシングエリア

道具は揃えた、あとは実践とばかりに師匠・米原と加賀フィッシングエリアへ。
師匠に素直でいると良く釣れました。加賀引きなるものを教わり、ひたすらアレンジ無しでいると初めてロッドを水のあるところで振っている割には良くつれた。
(後々自信が出来てアレンジすると釣れなくなる。)
近くにいたベテランFFマンが帰り際今日が初めてでその出来なら見込みあるぞとありがたきアドバイスをいただき益々嬉しくなって帰る私であった。



1991年03月21日

初めてのFF行・川治温泉

管理釣り場でフライでもよく釣れることを知り、実際の渓流に行こうと師匠・米原に誘われ、鬼怒川・川治温泉へ釣行となる。
壽屋マスタージュン君と同行させてもらう。その他数名、興奮のあまり名前覚えていません。
この日は解禁日で温泉の雑排水が混ざるので比較的早いこの時期でもドライの釣りが楽しめるそうなのである。
少々冷え込みトラウトの活性悪く釣れなかった、と言えばいい言い訳になるけど、川が読めない・狙ったところにフライが行かない・立居地がトラウトから丸見え・自作フライを見切られているのに気付かずしつこく同じフライで狙っている・などなど釣れないのは自分の未熟さと気付くのである。
ウェーディングしているときの歩き方(水面が揺れていたら動けなど)を教わるのである。
昨年・一昨年からの居残りのトラウトは新人FFマンなどまったく眼中にも無く全然遊んでくれませんでした。




1991年05月01日

南紀・川湯温泉

初めてのオートキャンプ。
今と比べるといたってシンプル。
テントも山用の2人用だった、テーブルは店舗でよく使う900×450の棚板に丁番をつけたものだった。
コールマンのキッチン台ももちろん無く、燻製器も、バーべQグリルも無く、なんてたってMTBを車内に積んでいけたもんな。
今じゃルーフキャリアに積んでもギューぎゅーに押し込んでやっと入るくらいに増えてしまったキャンプ道具。
この頃のシンプルに戻る頃かな、積み込みに1日かかりでは気楽に行こうキャンプでは無くなってしまう。



1991年05月01日

南紀・大塔川川湯温泉キャンプ場

橋を越えると左手にキャンプ場が見える。いろんな色のテントが百花繚乱。
空いているペースを見つけるのも大変。
河原をゆっくり進み設営。
テント下が河原のごろた石でマットを敷いてもゴツゴツ感有り。
川では子供達が水遊び、ここでの釣りは不可能と承知。
上流へ行くと温泉が河原に湧き出ており、寝そべるくらいの穴を掘るともうそこは自分専用の露天風呂。
ビールを飲みつつつかる温泉は気持ちいいの他無し。



1991年05月03日

南紀・大塔川川湯温泉キャンプ場

川の音を聞きながら直火OKのたきぎ。
ちろちろ燃える炎と酒は自分を正直にしてくれる。



1991年06月01日

神奈川・酒匂川鮎解禁

昔、在籍していた会社のメンバーと共に酒匂川の鮎釣り解禁日に行く。
鮎釣りメンバーにその他が加わったと言う感じである。
実際釣りをしない人はとことん釣りをせず、惰眠と飲酒を繰り返す。
昔馴染みと会社を離れて飲むというのも不思議。
ただ会社の愚痴をいいながら飲む酒席には極力参加しなかったからなのでもある。



1991年06月05日

栃木県・男鹿川FF行

再び師匠とジュン君の家へ行き、今度は男鹿川に出かける。
まだまだ技量の供わない僕はあそこの岩の右下の流れのチョットしたにふわりとフライを落としてナチュラルに流せといわれても、そう簡単にはいかないのである。
ピシャッと水面を叩いたラインからドテッと落ちるフライにはヤマメも食いついてはくれない。
川原の歩くスピード、その静かなること、まだまだ未熟であると思うのである。



1991年06月15日

丹沢・世附キャンプ場

朝のうちに酒匂川にて鮎のドブ釣り、5匹の鮎を持って丹沢湖・世附キャンプ場へ。
20cmの良型も2匹でたのでいい酒の肴ができた。
バンガロー泊まりの中高年者達のカラオケの音量に閉口する、雨も降り始め深夜には大雨。
テント底の防水が切れているのでシュラフまで水が滲みこんでくる。
翌日世附川吐き出しの堰堤にてフライ、同行者に手ほどき。



1991年07月19日

栗代川源流釣行その1

T田氏・仕事仲間のT沢氏らと「酔渓会」なる会を作る。
T田氏は源流無頼釣り派で、T沢氏は里川の渓流釣り師、僕は最近はじめたばかりのFFマン。
釣るスタイルに共通点は無いが、渓が好きで河原にテント張って楽しく飲むのが好きなパーティー。
栗代川=大井川源流に1つ大無間山を源し寸又川に注ぐ1大渓流。
7/19林道車止めの先行者6台分がすでに入渓しており、後を追うこととなる。
南アルプスは蛭の宝庫であり、川への杣道1時間の間に猛攻撃を受けるのである。
途中荒い息をはぁーはぁーさせて休憩をしていると四方八方よりザワザワする音。
蛭が頭をもたげジワリジワリ近づいてくるのである。言われぬおぞましさが涌いてくる。
急ぎ歩き出すが、木の枝からポトリとおちてくるのである。
栗代川の谷は陰鬱で暗い谷であった、蛭に注意していたものの何匹かに食いつかれていた。
岸壁から覗き見る空は狭くビルの谷間から空を眺める感じである。
その空も梅雨明け切らず泣き出しそうである。
鶴の天滝を越え曲がり淵の廊下を高巻きして越えようとした時、アクシデントが起きた。
立ち木に腕を伸ばした武田氏の肩が外れてしまいました。
前々から癖になっていた亜脱臼が再発、肩を元に戻し、前進はあきらめ引き返すことに。
沢の核心部釣りのポイントに届かずビバーク地を探すがなかなかいい場所が見つからない。
鶴の天滝上にツェルト3張り、大雨があるとここも水につかる事を滝の上の流木が示している。
ビバーク地前でパックロッドを振って見るもあたり無し。
ましてや沢屋の学生さんがもりをザックにくくりつけ川中を通り過ぎる。
「釣れますか」と聞かれるがざぶざぶ歩いているのに釣れるわけがない。
濡れた体をあたためるには焚き木がいい。
武田氏いわく、「この山、この渓、この焚き木、そして酒、釣れる魚は余禄でいい、この何にも無いことがすばらしいのだ。」詩人である。
蛭と増水と獣道から時折落ちてくる小石におびえつつ深い眠りに就く。
早朝に川音が変わったので飛び起きたが大丈夫であった。
翌日は昨日と打って変わっての晴天。どうやら梅雨が明けたらしい。
予定の地点に到達しなかったので昨日の杣道を登ることになるのがしんどかった。
途中の淵も無理にヘツルと亜脱臼の恐れがあるため泳いで渡ることに。
ザックを浮き袋代わりにして流芯に身を投げる。
水の冷たさも気にならないくらいの陽気になっていた。
車留めで休んでいると下の方から「おっとこんなところに道がある。」
出てきた人達は地元の林業組合の2人組。
この蛭だらけの谷を道でないところを登って来た。さすがプロは違う。

俺たちゃ焚き火大好き「酔渓会」のページ



1991年07月25日

裏磐梯・五色沼パラダイスキャンプ場

いつも大体2泊3日のキャンプが多く、いまいちのんびり出来ないので今回は4泊5日。
福島県・裏磐梯のユースホステル付属の五色沼パラダイスキャンプ場へ行く。
毘沙門沼の脇にあり、早朝毘沙門から靄が立ち上がる幻想的な光景を目にすることが出来た。
磐梯山も猪苗代側から見ると、非常に穏やかな山容であるが、裏磐梯からの磐梯山は明治の大噴火により小磐梯全てが吹き飛ばされ険悪な傷口をバックリと開いている。
サマーベッドに横たわり本を読んでいるとハイキング途中の親子が通りかかり、小学校2年生位の男の子が「パパあれ格好いい、僕もああいう風に泊まりたい。」と言って僕の方を指さす。
少年よ頑張って良きアウトドアマンになるのだぞ。
11年後このキャンプ場を訪ねてみたらびっくり。
コテージ・バンガローが増えキャンプ場はユースの庭先のような砂利地に移動。
沼の畔の部分は無くなっていました。
ここのポイントであったロケーションが無くなってしまっていた。



1991年08月29日

裏磐梯

今回裏磐梯でした事。
磐梯山登山(八方台入り口より最短コース)・五色沼ハイキング。
小野川・秋元湖で釣り。
桧原湖でボート、桧原湖1周ドライブ。吾妻レークライン・西吾妻スカイバレーのドライブ。
五色沼周辺のサイクリング・サマーベットで読書・昼寝と結構楽しめました。



1991年09月22日

八海山登山その1

当初越後駒ケ岳登山の予定もショボ降る雨のためにケーブルの利用出来る八海山に変更。
パーティーは袴田・大島・僕・海外放浪から帰って来た榊原の4人。
前日ヴィラト泊まりなので夕刻渋る3人を引き連れ水無川上流へ釣りに行く。
榊原にルアー竿、袴田・大島に渓流竿を渡し、シーズン最後の釣りをする。もちろんフライで。
堰堤下で何投かするうちにあえなく日没。
帰りに酒屋という酒屋をしらみつぶしに廻り「銘酒・八海山」を大吟醸から純米やら5〜6種仕入れてくる。



1991年09月23日

八海山登山その2

雨の中八海山を登る。
元気だった榊原が岩場にくると様子がおかしくなってきた。
聞くところによると極度の高所恐怖症らしい。岩場で顔が引きつっている。
遅れ気味だったがここで立場逆転。岩場上より檄を飛ばす。
晴れていれば越後の山々がみえたであろうが、榊原の恐怖も倍増したであろうから良しとすべし。



1991年12月04日

勝浦・堤防の釣り

当時勤めていた会社の忘年会で千葉・勝浦へ。
ここ数年やっていたゴルフもアウトドアな生活をしてくると自然林の乱開発・農薬問題と気にかかることが多々あり、この旅行を最後にゴルフに決別。
勝浦漁港脇の堤防にて五目釣り。
ぼら・メジナの幼魚・サヨリ・小アジなどなど海の魚は何を食べてもおいしいので嬉しい。



1991年12月30日

涌ちゃん五番勝負その1・2

市川にある「アブラカダブラ」という行き付けのショット・バーで10歳下の友人を得る。
涌ちゃんである、「おじさんの集まりのラグビーチーム」だからと若い彼をチームに誘い込む。
なめてかかってきた彼は練習のハードさに両足をつり、悲しい思いをするのだが。
現役大学生でバンドクラブの部長、そして釣り好き。
初回の対決は渓流シーズンも終わっているので、丹沢湖へ「わかさぎ釣り」。
榊原の3人にて中川口のボート屋にボートを借り、出陣。
しかしやたら寒風吹きすさむばかりでたら体は凍てつき釣れたのは涌ちゃんに1匹のみ。
中川鉱泉にて生き返る。榊原はこの後寝込み正月を寝正月で過ごす。
年明け早々の1/2にリターンマッチで再度出向く。
共に14〜15匹、ほんの1〜2匹差で僕の勝ち。束釣りには程遠く、結果2戦1勝1敗。



1992年04月10日

涌ちゃん五番勝負その3

春めいてきた頃加賀フィッシングエリアへ。
中学の時に少々FFをかじったというので早熟な子供であったのであろう。
しかし管理釣り場において釣果共に0。悔しい結果に終わる。
横の方に職漁師みたいのがいてがんがん釣り上げていたが、ポンド内に脚立を立てそばに人が来ようものなら怒鳴りつけ睨み付けなんびとたりと自分のそばに寄せ付けないのである。
釣り方も釣り味を楽しむ感じではなくかかったらゴボウ抜き。
見てて見苦しかったのは言うまでも無い。



1992年08月01日

涌ちゃん五番勝負その4

今回はテント泊にてFFを楽しもうと、桧枝岐川支流へ繰り出す。
【舘岩川支流西根川】
砂防堰堤上は砂で埋めつくされており上流部は伐採により荒れ放題。あとで聞いたが放流地ははるか下流の木賊温泉辺りで上のほうはいないとの事でした。
【伊南川支流見通川】
放流量が多いと聞いていたので入渓しようしたが、川沿いの林道修復工事により濁りが入っており、中止。下流の方は渓相もよく岩のえぐれもあるので面白そうではあったので残念。
【舟岐川】
上流は林道建設中、通行止め。
しかしひとが入らない・人目に付かないところの伐採の仕方はこれでもかって位にするのは何故だろう。
林道脇の広場にテントを張る、有数の焚き木跡を見ると相当に人も入って場荒れしているのだろう。
10cm足らずのヤマメが2匹捨てられていて、捨てるくらいならリリースしておけばよかろうにと思うのである。
結果支流には岩魚も山女もいついていないのである。




1992年08月02日

村杉小屋にて

釣行の惨敗を受け、2人は銀山湖へと向かう、目的は釣りではなく、銀山平にある開高健氏の碑を見に行くため。
「銀山湖畔の水は水の味がし、木は木であり、雨は雨であった。」
若いのに珍しく涌ちゃんは開高氏を知っていて、彼の父が某新聞社の記者時代にインタヴューしたことがあるという、その父の影響でよく知っていた。
当然食事は村杉小屋、現村杉ハウス。
そこには「夏の闇」を執筆していた開高氏がいた。
結局2人揃って坊主、岩魚釣り堀がありそこで憂さを晴らすのであった。4戦1勝1敗2分。



1992年12月30日

涌ちゃん五番勝負その5

湖・管理釣り場・渓流に続きこんどは海にて勝負の決着をつけることに。
彼のバイト仲間と城ヶ島でメジナを狙う。
先週行ってきたY氏は30cmオーバーを2枚挙げたとのことでこちらも気合が入る。
Hさん、Yさん、S君、涌ちゃん、僕の5人誰一人としてメジナの姿を拝むことは出来なかった。
午後はメジナをあきらめ漁港でアジのサビキ釣り、これは良く釣れた。
小アジ50匹とカレイ1匹晩のおかずにする。
結局今日は引き分け、5戦1勝1敗3分、あまりにレベルの低い戦いであった。



1992年03月04日

富士川支流早川 アマゴ釣り

酔渓会にて解禁間もない富士川支流早川へ、ここは滝沢氏が家族でよく来るホームグラウンド。
実際には早川の1支流である船山温泉下の船山川へ行く。川の風情はいわゆる里川で田園と温泉地を流れる、それなりのたたずまいをしている。
今回は天気に恵まれずまた林道工事のブルドーザーも入っていて濁りがあり釣り場の選定に迷う。
源流志向の武田氏、里川のベテラン滝沢氏、それにフリーライターに伊高氏(今回不参加)、釣りが出来ればどこへでもの僕とで『酔渓会』なる釣りの会を発足させるのである。
滝沢氏の今回は魚を釣ってもらいたいの希望によりフライでなく餌釣りとなる。
落ち込みで一匹釣り逃し、瀬で待望の一匹を得る。まだ生まれて1年未満の13cmのアマゴ。
山女には無い朱点が美しくほれぼれするのである。渓流の宝石とはよく言ったものだ。
その後雨は一段と強くなり釣れる状況ではなくなり3人で各一匹。
帰りに横浜の滝沢氏の家へ。
いつのまにか滝沢氏の採っていた山菜を奥さんがてんぷらにして出してくれた。
ナチュラリストを自称しようとするならばせめて滝沢氏の様になりたいものだと、武田氏と帰る車内で話すのであった。



1992年05月16日

富浦海岸・シロギス釣り

昨年の夏2度ほど茨城の波崎へアジを釣りに行っているが、2度とも「入れ食いです」という話でいったのだけれど、1〜2匹釣れただけの事だった。
シロギスは砂地を好むので海水浴場が最適なのである。
午前中は肌寒く釣果も思わしくなく、昼前には雷雨、沖にバリバリ雷が落ちるのが見える。
慌てて帰る、必死に船をこぐ、怖かった。
午後は先ほどの雨が嘘の様にカラリと晴れ渡る。
不思議なもので陽気が回復すると共に釣果が上がる、シロギス30数匹、アナゴ、カサゴ。



1992年09月10日

九十九里・バーベキュー

昔1980年初頭、coffeeSHOP-MYWAYというのが有り、そこに集まる人達が仲間となり、よく海やバーベキューに出かけていました。
その店も無くなり、ちりじりになっていたメンバーが久し振りに集まり、九十九里へイシモチ狙いの釣り・ベーベキューに行きました。
当時恋人同士だったものは、あるものはそのまま結婚したり、別れたり色々。
いろいろな人生、いろいろな恋愛、いろいろな人達。



1993年05月02日

栃木・那珂川FF行

両親の故郷・那須へ
FFマンに人気のある那珂川へ、本当はキャンプをする予定だったが大丸温泉あたりに行って見ると雪さえちらつく寒さ、よって従兄弟の満夫君のところに転がり込む。
初めての田舎での釣りは那珂川では完敗。水が少なく釣りをやらない別な従兄弟は水が少ないときは網ですくうんだと言っていた。これでは魚も残るまい。
支流の余笹川、高速道下あたりではちび山女1匹。



1993年08月11日

南紀和歌山キャンプの旅

またまたフェリーで宇久井港、新宮にて袴田・大島を拾い榊原を含めて5人にて日置川上流部にある近露アイリスパークへ。
夕マズメを狙って2時間のFF。
日置川上流はそのまま手にとり飲んでしまいたいほどきれいな水でエメラルドグリーンの色をなす。
大岩が無く滑らかな流れであった。
人影を見ず、ヒグラシの声のみを聞きながらの釣りは最高な気分を味わえた。
しかし釣れたのはオイカワばかり、最後に釣れたオイカワは水面に叩きつけられた。かわいそ〜。



1993年08月12日

近露・アイリスパーク

夏休み盛期のこの時期ようやく空きスペースを見つけ滑り込む。
日置川を3/4周囲まれその中にある、このキャンプ場。
森も濃く、渓流沿いから展望台へ抜ける遊歩道、飲めてしまうほどの渓流。
ロケーションは申し分ない。まったく無い。
ただオーナーの放送がやたらうるさい、「神のお告げで温泉がでた」「泥岩の湯なんたらかんたら」
「水虫によく効くから」「ポリタンクに入れてあって、それがいくらで〜」「最近のキャンパーはドンちゃん騒ぎをせず、静かに楽しむようになった」あまりうるさいので大島を静かにしてくれと言って来いと差し向ける。15分置きに延々と大音響の放送を流すのには閉口。



1993年08月13日

和歌山・リゾート大島

島で海を見ながらキャンプと思っていたがキャンプ場のどこからも海は見えなかった。
夜半に猛烈なスコールのような雨に見舞われる。雨が止んだあとのやぶ蚊の猛攻。
粘土質の地面がぐちゃぐちゃになり足をよくとられた。
フェリー埠頭で時間つぶしの投げ釣り。
海の幸ゲットならず。



1994年07月23日

群馬県・川場村桐の木平キャンプ場

何も無い、無いったら無い。風呂なし、売店なし、バイトの管理人の飯もなし。
利用客も少ないそうでGWでも数組くらいしか来ないというところらしい。
近くにいたキャンパーはかなり慣れているグループで各々分担して最小限の荷物をもちより、
5家族くらいの集まりであったけれど騒ぐわけではなく、各家族静かに子供達と遊んでいた。
近くの貯水池、隣接の渓流、砂防堰堤の上下、フライを投げるもことごとく坊主。
今回スモーカーを買ってきたのに使わず仕舞いであった。



1994年08月20日

酔渓会・早戸川

滝沢氏のホーミーバンの車内浪曲「森の石松」を聞きながら、早戸川上流部へ。
幻の滝といわれる早戸大滝の滝つぼにて釣り。
ただし水流からの風圧にラインは負けフライフィッシングでは歯が立たず。
滝沢氏が20cmのアマゴを引き抜く。
キャンプ地近辺でロッドを振るもこれといった当たりなし。



2002年10月21日

只今製作中

1994年から現在の2002年に至るまでの外遊びのスケッチ等製作中です。
仕事仕事でのんびりスケッチを描くことも少なく、子供が出来ようやくファミリーキャンプと言えるのですが逆に子供を追っかけるのに忙しく風景が見えていない。
続編はしばらくお待ちください。