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Mother 【続編】虐待

虐待

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 みなさんは、虐待の痛ましい現実を、テレビや新聞で見聞きするだけでなく、医療の現場でも遭遇することがあるかもしれません。 虐待はなぜ起きるのでしょうか? もっと言えば、虐待はなぜあるのでしょうか? そして、虐待はどうすればいいのでしょう? 

今回は、虐待をテーマに、2010年に放映されたドラマ「Mother」を前号に引き続き取り上げます。そして、虐待の心理、危険因子、起源、対策について、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

 


あらすじ

主人公の奈緒は、30歳代半ばまで恋人も作らず、北海道の大学でひたすら渡り鳥の研究に励んでいました。そんな折に、研究室が閉鎖され、仕方なく一時的に地域の小学校に勤めます。そこで1年生の担任教師を任され、怜南に出会うのです。そして、怜南が実の母(仁美)から虐待されていることを知ります。最初は見て見ぬふりの奈緒でしたが、怜南が虐待されて死にそうになっているところを助けたことで、全てをなげうって怜南を守ることを決意し、怜南を「誘拐」します。


怜南の実の母(仁美)の母性

 虐待をする実の母親(仁美)とは、どんな人なのでしょうか? 怜南が生まれた当時、仁美は、虐待を報道するニュースを見て、「こんな親(虐待する親)、普通じゃない。人間じゃない」「怜南はママが一生大事にしてあげるからね」と怜南と夫を目の前に力強く言います。しかし、その後、間もなくして、不幸にも仁美は夫を亡くしてしまいます。仁美は女手一つで怜南を育てようとする中、ある近所の人(克子おばさん)が、怜南の子守り(ベビーシッター)を愛情深くして、支えてくれていました。克子おばさんは「仁美さんは頑張り屋さんだもの」と評価してくれて、子育ては何とかうまく続いていました。

ところが、怜南が23歳の頃です。怜南はずっと母親を呼び続けたり、食器を投げるようになり、言うことを聞かなくなります。反抗期の始まりです。仁美は「ママ、怜南のことがうらましいな」「ママのことは誰もほめてくれないから」と弱音を吐きます。そして、追い打ちをかけるように、克子おばさんが病気療養のために、遠くに引っ越してしまったのです。それから状況は大きく変わっていきます。


母性が「聖母」でなくなる時―閉鎖性

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仁美は、手一杯な仕事に加えて、遠くの保育園への怜南の送り迎えや怜南の反抗期によって、経済的にも身体的にも精神的にも余裕がなくなっていました。部屋の散らかり具合は、その余裕のなさを物語っています。

 仁美は、しつけがうまく行っていないことに気付いた友人から「父親がいないからかしらね」と嫌味を言われます。こうして、仁美はしつけを厳しくすることを決意します。そして、仁美のしつけは、最初は戸惑いながらも徐々にエスカレートしていきます。

仁美が久々に友達の集まりに行こうとする時のエピソードです。その直前で怜南はお腹を痛がります。怜南は克子おばさんがいなくなった中、無意識のうちに体の症状を通して母親とのかかわりを求めていたのでした。しかし、仁美は苛立ち、思わず怒鳴り散らします。

子どもとの2人きりの世界になると、他の養育者からの助けやフォローがないばかりか、他の誰かが見ているという客観的な視点が働きにくくなります(閉鎖性)。一生懸命に子育てをしているのに思い通りにならない時、2人きりのその世界で自分が神のように錯覚してしまい、無理やりに思い通りにしようとするのです。特に一人親で一人っ子の家庭は、2人きりの世界になりやすく、このリスクが高まります。

しつけとは、本来、家族のルールであり、一貫しているはずのものです。しかし、仁美のしつけは、仁美の機嫌や独りよがりによって成り立っており、一貫していないのです。つまり、仁美の子育ては、母性が足りないばかりか、父性も足りなくなっていたのです。そこにあるのは、仁美の気分の浮き沈みによる恐怖と支配なのでした。仁美の母性は「聖母」ではなくなっていったのでした。

 


虐待する母(仁美)の心理―脆弱性

 子育てに煮詰まる中、仁美は、新しい恋人(浦上)をつくります。そして、怜南に留守番をさせ、浦上と南国へ旅行に出かけてしまいます。そして、「ママが幸せだと怜南も嬉しいよね」と怜南に同意を求めるのです。怜南が幸せだと母親も嬉しいという発想ではないのです。

浦上は遊び半分で怜南に虐待を始めます。仁美がやめるように言っても、浦上は聞き入れません。仁美は、精神的に追い詰められて、一時は怜南と無理心中をしかけます。しかし、その後は、虐待の日常に麻痺してしまいます。やがて、仁美も虐待をするようになり、怜南を凍え死にさせようともしました(1)

ある時また、テレビから虐待の事件のニュースが流れます。その時、仁美は「フフフフッ」と不気味に笑い飛ばしているのです。その後に、仁美が奈緒から怜南を取り戻そうとするシーンでは、「(怜南は)私に会えなくて寂しがってるでしょ」「怜南は私のことが大好きなんです」と平然と言い放ちます。

仁美は、虐待が常態化していた中、もはや自分自身を振り返ったり、自分自身に向き合ったりすることができなくなっているのでした。自己客観視する知的能力が低まっており、仁美の脆く弱い心が伺えます(脆弱性)

 

1 虐待のタイプ

 

怜南の場合

身体的虐待

・体のあざ

・眼帯を巻く

心理的虐待

・ペットのハムスターが知らない間に母親の恋人に殺されてしまう

・「汚い」と罵(ののし)られる

・真冬にゴミ袋に閉じ込められて、ゴミ置き場に放置される

ネグレクト

・適切な食事が与えられない

性的虐待

・母親の恋人に化粧やコスプレをさせられ、性的対象として弄ばれる

 


虐待の危険因子―表2

 奈緒は、仁美に対面し、語りかけます。「あなたとあの子の間に何があってどうしてあんなことになったのか私には分かりません」「きっと1001000の理由があって、その全てが正しくて全てが間違っていると思います」「母と子は、温かい水と冷たい水が混ざり合った川を泳いでいる」「抱きしめることと傷付けることの間に境界線はなくて、子どもを疎ましく思ったことのない母親なんていない」「子どもを引っぱたこうとしたことのない母親なんていない」「そんな母親を川の外から罵る者たちがまた1つ母親たちを追い詰め、溺れさせるんだと思います」と。

 このセリフから、虐待は、母親(養育者)だけのせいではないことに気付きます。それでは、虐待の危険因子として、養育者を取り巻く社会的な要因を挙げてみましょう。まず、仁美は、古いアパートに住み、アルバイト先のコンビニ店の制服をそのまま日常生活で使い回しており、生活の貧しさが伺えます(貧困)。また、町内会の役員の年配女性から面と向かって「あの子もあの子よねえ」「こんな親に育てられているから」「性格が歪んじゃって」と吐き捨てられます(偏見)。さらに、克子おばさんが引っ越してから、仁美は誰の手助けも得ることができません(孤立)

 次に、虐待の危険因子となる子どもの要因を挙げてみましょう。仁美の虐待は、怜南の反抗期に端を発していました。一般的には、子どもが泣き止まなかったり、反抗的な態度をとることをきっかけに、しつけや体罰の名の元に虐待が行われるリスクが高まります。また、妊娠した芽衣(奈緒の義妹)は、子どもの心臓の障害が判明し婚約者が婚約破棄をすると、一時は中絶を決意しています。一般的に、ネグレクト(育児放棄)などの虐待は、「望まない子」「望めない子」として、中絶の延長線上にあります。子どもが身体的または精神的な障害を持っていると、虐待のリスクは高まることが統計上判明しています。

 

2 虐待の危険因子

母親(養育者)

社会

子ども

・精神的な問題(脆弱性)

・子どもとの2人だけの世界(閉鎖性)

・子どもの実父の不在

・新しい恋人()の存在

・貧困

・偏見

・孤立

・反抗的態度

・病弱などの身体的な問題

・知的障害などの精神的な問題

 


子育てをあきらめる心理の源は? ―ネグレクト(育児放棄)の進化心理学

 奈緒は、仁美に訴えかけます。「あなたがまだあの子を愛して心から抱き締めるなら私は喜んで罰を受けます」「道木怜南さんの幸せを願います」「たとえ何年かかっても少しずつ少しずつあなたとあの子の母と子の関係を取り戻して」と。ところが、仁美は「もう遅いわ」「あの子は私のことなんか」「好きじゃないって言われたの」「そんな子、死んだも同じ」と言い放ちます。また、雑誌記者(藤吉)に「欲しい人がいるなら上げてもいいかなって(考えました)」「私まだ29だし」「一からやり直せるかなって」「沖縄に行ったことあります?」「(怜南がかわいそうだった時の)辛いこととか忘れられるかなって」と語ります。

 虐待の1つに、この子育てをあきらめる心理、つまりネグレクト(育児放棄)があります。もともと健康的な母性を持っていた仁美の心の中では何が起きたのでしょうか? なぜネグレクト(育児放棄)をするのでしょうか? そもそもなぜネグレクト(育児放棄)はあるのでしょうか? 

ネグレクト(育児放棄)は、人間の歴史の中で普遍的な現象です。普遍的に存在し続けることには必ずそこに意味があると、前々号や前号の母性や父性の説明で触れました。普遍的に存在するネグレクト(育児放棄)の意味とは、母性や父性と同じように、私たち人間が手に入れた進化の産物の心理だからです。ここから、この心理の成り立ちを、大きく2つのポイントで進化心理学的に考えてみましょう。

 

@生活困窮(貧困)の打開策

 1つ目は、ネグレクト(育児放棄)が生活困窮(貧困)の究極の打開策であるということです。人間の進化の歴史の中で、飢餓や病気による死は常に隣り合わせでした。そんな中、子育てをする女性(母親)は、生活が困窮した時、何人かいる子どもの中から、比較的に生命力の弱い子どもから順に子育てをあきらめました。生命力の弱い子どもとは、身体的または精神的に障害のある子どもや幼い子どもです。無理をして全ての子どもを救おうとすれば、全ての子どもが死んでしまうからです。他の子どもを救うため、見込みの低い子どもを犠牲にして、生活困窮を打開するのです。

よって、特に生活が困窮し精神的にも余裕のない状況で、このネグレクト(育児放棄)の心理は、意識せず意図せずに高まります。この心のメカニズムを人間は進化の過程で獲得したと考えられます。そして、この心理が適切に働く遺伝子を持った種ほど、結果的によりたくさんの子孫を残しました。そして、その遺伝子を現在の私たちは受け継いでいる可能性があります。

ネグレクト(育児放棄)は、かつて「間引き」「口減らし」「子捨て」と呼ばれ、現代の「赤ちゃんポスト」に引き継がれています。仁美のネグレクト(育児放棄)の心理を察知し、怜南が自ら「赤ちゃんポスト」を探すという残酷なシーンがありました。

 

A新しい男性(父親)から養育援助を引き出す適応戦略

 2つ目は、ネグレクト(育児放棄)新しい男性(父親)から女性(母親)への養育援助を促進することです。原始の時代、女性(母親)の生活困窮を最も引き起こすのは、養育援助をする男性(父親)がいないことです。つまり、子どもの実の父がいないことには、養育援助を当てにできず、子どもの生存率を極端に下げていました。そんな中、新しい男性(父親)ができると、養育援助の当てが得られます。しかし、新しい男性(父親)は、進化心理学的に、血縁関係のない子どもをおもしろく思いません。当然、この時点で男性(父親)による血縁関係のない子どもへの虐待のリスクは高まります。さらに、女性(母親)は、新しい男性(父親)からの愛(援助)を受けて将来の繁殖の機会を逃さないために、前の男性(父親)との子どもに見切りを立てる心理が高まります。これは、進化的な適応戦略の心理と言えます。

最悪のケースは、仁美のように、ネグレクト(育児放棄)が心理的虐待や身体的虐待などの他の虐待に発展し、最終的に子殺しにつながっていきます。仁美が言った(いなくなれば)一からやり直せる」というセリフは、これを端的に表しています。

 動物行動学では、ゴリラの子殺しが有名です。これは、新しくメスたちのハーレムに迎えられたオスゴリラがそれまでの育てられていた子どものゴリラを次々と殺していくという行動です。その理由は、子どもがいなくなることで、メスたちの発情が再開され、新しいオスゴリラは、自分の子どもをつくることができるからです。また、一部の霊長類に、妊娠中のメスが交尾相手とは別の新しいオスと出会うと流産する現象が知られています(ブルース効果)。これは、新しいオスによる子への攻撃(虐待)や子殺しに先手を打ち、メスが損失(コスト)を最小限にするように進化したと考えられています。

よって、同じ霊長類である人間においても、子どもの実父の不在や新しい男性(父親)の存在は、それ自体で、生活困窮の状況と同じように、このネグレクト(育児放棄)の心理を意識せず意図せずに高めている可能性が考えられます。

 


虐待は起きないものという神話

仁美は、虐待によって怜南を殺しかけたのにもかかわらず、奈緒に「あなたに何が分かるの?(自分は悪くない)」と答えるなどして否認し続けてきました。しかし、とうとう逮捕され、「お母さん、これは立派な犯罪ですよ」と女性刑事に問い詰められます。その時、仁美はようやく事の重大さに気付きます。そして、うろたえながら「私を死刑にしてください」と言うのです。

 ここで、ネグレクト(育児放棄)の心理の源について誤解のないように協調します。ネグレクト(育児放棄)は、生活困窮や新しい男性(父親)の登場などの条件下で本能的な心理メカニズムとして発動しやすくなると紹介しました。しかし、だからと言って、モラルとして問題がないと言っているわけではありません。例えば、私たちが甘いもの(高カロリー食)をつい口にしてしまうのは生存のための本能です。だからと言って、甘いものを食べ過ぎて糖尿病になることを私たちは決して良しとはしないでしょう。

大事なのは、むしろ逆に、ネグレクト(育児放棄)を含む虐待の心理の原因がはっきりしているからこそ、対策を万全にすることができると言うことです。さきほど虐待の危険因子(2)を踏まえれば、仁美の虐待を未然に防ぐことができたのではないかということです。虐待は起きないことを前提として美化するのではなく、虐待はある状況下で起こることを前提として直視し、早期に介入することがスタートラインです。虐待は起きないものという神話ができあがってしまうと、虐待があること自体を恥じたり、隠したりして、ますます早期介入が遅れてしまうからです。

 


虐待の予防―ソーシャルサポート(表3)

芽衣(奈緒の義妹)は、障害のある子どもを一時は中絶しようと決意しますが、最終的に出産します。さきほど中絶の延長線上には、ネグレクト(育児放棄)などの虐待があると説明しました。つまり、虐待をした仁美と比べた時、芽衣が出産を決意した最大の要因は、彼女の実家が裕福であり、母親や妹と同居しており、経済的にも身体的にも精神的にも余裕があることです。

 仁美のような状況の母親が、ネグレクト(育児放棄)などの虐待の心理を発動させないようにするためには、経済的、身体的、精神的な支援が必要です。身近なところでは、親や兄弟などの家族です。また、克子おばさんのような近所の親切な人や友人です。しかし、そういう人たちに恵まれていない時は、やはり社会からの支援(ソーシャルサポート)が必要です。

例えば、経済的には、子育ての支援金です。身体的には、一時的に預けることのできる施設(ショートステイ)です。また、日本にではまだ一般的ではないですが、子守り(ベビーシッター)の制度化です。そして、心理的には、普段からの定期的な訪問、困った時には相談できる窓口で適切に声掛けができることです。さらには、妊娠した段階の母親への虐待予防のオープンな心理教育も効果が期待できます。

 

3 ソーシャルサポート

 

経済的サポート

子育ての支援金

身体的サポート

ショートステイ、ベビーシッターの制度化

心理的サポート

定期的な訪問、相談窓口、声掛け、虐待予防のための事前の心理教育

 


虐待の予防の鍵―アロマザリング

 私たち人間の子育ては、もともと母親1人で行うものではありませんでした。原始の時代から、兄弟や親戚を含んだ大家族、もっと言えば地域全体で協力して行っていました(アロマザリング)

 しかし、現代はどうでしょうか? 文明の進歩や都市化という社会構造の変化によって、物質的には豊かになり、便利にもなりました。私たちはもはや昔ほど協力しなくてよくなりました。しかし、同時に、格差、核家族、一人親、一人っ子などの社会現象が生まれています。そして、これらの結果として、虐待が深刻化してきているように思われます。つまり、今こそ必要なのは、経済的、身体的な支え以上に、心理的な支えだということです。

 そして、そのために必要なのが家族のつながりや近所同士のつながりです。つまり、「家族力」や「地域力」です。これが、虐待の予防の鍵になるのではないかと思います。例えば、一人親だとしても自分の両親や兄弟からの協力を得ることです。また、子育てのコミュニティの輪をつくったり、地域の定期的なお祭りやスポーツなどのイベントで、交流を深めたりすることです。そのためには、行政の予算や専門家のアドバイスも必要です。

 虐待は、私たちの知恵による文明的な豊かさや便利さの代償(トレードオフ)のように思えてきます。しかし今こそ、この私たちの知恵による理性的な視点によって、私たちのあり方を見つめ直し、この困難を乗り越えていくことができるのではないでしょうか?

 


参考文献

1)奥山眞紀子:虐待を受けた子どものケア・治療、診断と治療社、2012

2)進化と人間行動:長谷川眞理子、長谷川寿一、放送大学教材、2007