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Mother【後編】家族機能

Mother 【後編】家族機能

 みなさんは、職場で「私はほめられて伸びる子なの」や「おれは叱られて伸びた」と言う意見を耳にしたことはありませんか? 人を伸ばす、人を育てるには、結局、「ほめること」が良いのか、「叱ること」が良いのか? どっちなんでしょうか?

答えは、どっちもです。さらに「見守ること」も大切です。大事なのはその3つのバランスです。今回も、前々回、前回に引き続き、2010年に放映されたドラマ「Mother」を取り上げます。そして、家族機能を通して、ほめること、叱ること、見守ることのバランスについて、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。


あらすじ

主人公の奈緒は、30歳代半ばまで恋人も作らず、北海道の大学でひたすら渡り鳥の研究に励んでいました。そんな折に、研究室が閉鎖され、仕方なく一時的に地域の小学校に勤めます。そこで1年生の担任教師を任され、怜南に出会うのです。そして、怜南が虐待されていることを知ります。最初は見て見ぬふりの奈緒でしたが、怜南が虐待されて死にそうになっているところを助けたことで、全てをなげうって怜南を守ることを決意し、怜南を「誘拐」します。そして、継美と名付け、逃避行をするのです。実のところ、奈緒をそこまで駆り立てたのは、奈緒自身がもともと「捨てられた子」だったからでした。

その後に、奈緒は、奈緒の実母(葉菜)に出会い、助けられることによって、少しずつ閉ざしていた心を開いていきます。そして、奈緒、継美(怜南)、葉菜の3人で生きていくという家族の形が描かれます。


「子どもの目を見る」母性と「世間の目を見る」父性―表1

 最初、奈緒は、継美(怜南)とともに、奈緒の育ての親(藤子)の実家に身を寄せます。しかし、やがて、藤子やその娘たちは、継美(怜南)の「誘拐」の事実に気付いてしまいます。奈緒は、迷惑を掛けたくないという思いから、継美を連れて、その実家を出ていきます。

その後、藤子は、他の娘たちを守るために奈緒の戸籍を抜くかどうか葛藤します。そんな中、妊娠中の芽衣(藤子の実の子、奈緒の義妹)から「世間の目を見るのが母親じゃないじゃん」「子どもの目を見るのが母親じゃん」とたしなめられるのです。

「子どもの目を見る」、子どもの幸せをまず考えるのは、母親の役割です。子どもは愛されているという欲求(愛情欲求)が満たされることで、愛着を育みます。こうして、乳児期の1歳半、2歳までは、心の拠りどころ(安全基地)としての母性による見守り(保護)により、精神的に安定する力の土台を作ることができます(レジリエンス)。つまり、安全感です。この土台は、その後の父性によるしつけを乗り越える原動力となります。

それでは、「世間の目を見る」のは誰の役割でしょうか? それは父性の役割です。「世間の目を見る」とは、社会のルールを重んじることです。23歳以降は、父親、兄弟、親戚、同年代の子どもとのかかわりや遊びを通して、子どもは、期待に応えたいという欲求(承認欲求)を満たそうとします。この時、しつけ(社会性)としての父性による見張り(監視)、つまりほめられることと叱られることで、人間関係のルールや我慢などを身に付け、生き方のモデルを学びます。そして、母性と離れる不安(分離不安)が和らぎ、自立の道を歩もうとします。また同時に、誇り、罪悪感、羨ましさ、憐れみなどの様々な社会的感情を育んでいきます。

母性は、期待に応えるという条件がなくても愛してくれる絶対的なものです(無条件の愛情)。それとは対照的に、父性は期待に応えられて初めて、ほめて愛してくれます。しかし、期待に応えられなければ叱る、つまり恐怖を与えます。つまり、父性は、期待に応えるという条件が付いて愛してくれる相対的なものであるということです(条件付きの愛情)

 

1 母性と父性の役割

 

母性

父性

年齢

0歳〜

23歳〜

特徴

・見守ること

・心の拠りどころ(安全基地)

・絶対的(無条件の愛情)

・見張ること(ほめることと叱ること)

・しつけ(社会性)

・相対的(条件付きの愛情)

プラス面

・子どもの愛情欲求を満たす

・父性によるしつけにくじけないように、精神的に安定する力の土台を育む

・子どもの賞賛欲求を満たす

・母性から引き離し、自立を促す

・生き方のモデルを示す

マイナス面

・社会性が乏しい

・心の拠りどころが乏しい


父性の心理の源は?―人間の進化の産物

 それでは、なぜ父性はこのような心理になるのでしょうか? そもそもなぜ父性はあるのでしょうか? 前回は母性の心理の源を探りました。今回は、父性の心理の源を掘り下げていきたいと思います。

700万年の人間の心の進化の歴史を振り返ると、原始の時代からいつの時代でもどこの場所でも、ほとんどの民族の子どもには母親と父親が1人ずつ変わらず存在し続けました。進化論的には、存在し続けるものには必ず意味があります。その意味とは、父性は、霊長類、特に私たち人間が手に入れた進化の産物の心理だからです。

700万年前から1万年前までの原始の時代、つまり農耕牧畜がまだ発見されていない時代、人々は、食糧を貯めることができませんでした。そこで、男性(父親)は日々食糧を確保し、女性(母親)は日々子育てをするというふうに、性別で役割を分担して共同生活を行いました。そして、この生活スタイルをとった種がより生き残りました。

その後、進化の過程で人間の脳が大きくなり、それに伴い、子どもの成長には時間がかかるようになりました。そんな中、子育てに積極的に参加する養育者としての父性が進化したのです。その進化には、3つの要素があります。

1つ目は、子どものメリットです。子育てに積極的な男性(父親)は、女性(母親)といっしょになってその子どもを猛獣や飢餓から守ります。そして、その子どもの生存確率をより高めます。その子どもの父親の父性的な遺伝子はその子にも受け継がれていきます。

2つ目は、女性(母親)のメリットです。子育てに積極的な男性(父親)は、女性(母親)を助けることにより女性(母親)から生殖のパートナーとしてより選ばれるようになります。

3つ目は、男性(父親)のメリットです。子育てに積極的な男性(父親)は、早くに子どもを離乳させ女性(母親)から引き離すことになるため、早くに女性の発情が再開され、再び生殖が可能になるのです。

3つの要素とも、結果的に、子孫を残しやすくなるということです。そして、この父性の心理がより働く遺伝子が現在の私たち、特に男性に受け継がれています。母性が「そうしたいからしている」という欲求であるのと同じように、父性もまた、遺伝子によって突き動かされていると言えます。

 


家族機能―安定した家族の形

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葉菜(奈緒の実の母)と奈緒は、新しい戸籍を手に入れるため、継美(怜南)を連れて伊豆に行きます。そこで継美は、砂浜で砂の家を作ります。そして、「継美とお母さんとおばあちゃん、家族3人で暮らすの」「3人でね、『スミレ理髪店』するの」「お母さんは髪の毛洗う係でしょ」「おばあちゃんは髪の毛切る係でしょ」「継美はね、髪の毛乾かす係とお菓子上げる係」「家族のお店だね」と言います。

継美は、まぶしく暖かい海辺に飛んでいる海鳥に向かって「鳥さ〜ん!ここだよ〜ここにいるよ〜」と叫びます。かつて北海道の暗く寒い海岸で飛んでいる渡り鳥に向かって「怜南(継美)も連れてって〜!」と叫んだ時とは対照的です。

 継美の心の中には、心の拠りどころ(安全基地)や安心感がはっきりと芽生えています。と同時に、夢を描くためのモデルや役割もはっきりと見いだされています。このように、子どもにとっての安定した家族の形は、本来、母性と父性が両方バランスよく発揮されることで成り立ちます(家族機能)

 


母性と父性のアンバランス―取り込みと突き放し

 逆に、バランスが保たれていないとどうなるでしょうか? 実は、母性と父性のプラス面は度が過ぎると、マイナス面になります(1)

母性が強すぎると、相対的に父性が足りなくなり、母子はべったりと一体化します。そして、見守りが先回りに転じて、子どもを母親の思い通りのペットや人形にしてしまいます。自由を許してくれるはずの母性がもはや自由を許してくれなくなるという逆説的な状態になります。すると、子どもは取り込まれた感覚になります。守ってくれるはずの安全基地が、逆に身動きのとれない監獄になってしまうのです。このように、母性は強すぎると歪んでしまうことが分かります。この状況は、特に母性の一極集中が起きやすい一人っ子や末っ子に見られます。また、この心の間合い(心理的距離)の取りにくさは、母親とだけでなく、やがて友人や恋人との間にも起こってしまいます。このようにして、自立ができづらくなり、社会性が育まれません。昨今、社会問題となっている引きこもりを引き起こす大きな要因となっています。

一方、父性が強すぎると、相対的に母性が足りなくなり、心の拠りどころが希薄になります。例えば、子どもが父親や先生に叱られた時、母親もいっしょになって叱る場合です。子どもに味方はいません。子どもは突き放された感覚になり、安全感や安心感はありません。子どもの時は何とか「良い子」で乗り切ろうとしますが、やがて思春期を迎えると、欲求不満になりやすく、精神的に不安定になります。このメカニズムは前々号や前号でご紹介しました。

このように、過剰な母性は取り込みが起こり、過剰な父性は突き放しが起こります。どちらにせよ、子育てのための家族の働きがとても弱まっていることになります(機能不全家族)

 子どもは、何があっても愛されるという心の拠りどころ(安全基地)を土台にして、期待に応えたらもっと愛されるという社会性を高めていきます。つまり、無条件の愛情(母性)による鉄壁の守りがあるからこそ、条件付きの愛情(父性)への勇敢な攻めができるのです。そして、「こうなりたい」「こうあるべきだ」という自分なりのモデルができあがるのです。また、芯があってブレないので、自己評価も適切に行えるのです。母性と父性は、お互いの長所を保ち、欠点を補い合うものなのです。

 


足りない母性を補う存在は?

 継美(怜南) の新しい家族には、父性を発揮すべき父親がいません。では、どうしてこの家族はうまくいっているのでしょうか? 

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奈緒と継美と葉菜(奈緒の実の母)3人で暮らす中、食事の場面で、奈緒が継美に「おかず取る時はご飯置いて」とマナーの注意をします。継美が威勢よく「はい」と返事をすると、葉菜は「フフ」とほほ笑みます。また、奈緒は1人でいる時、警察が嗅ぎ回っていることを察知し、継美といっしょにいる葉菜に電話します。継美が奈緒に「あのね、さっきね」と話たがっているのに、奈緒は「ごめん、急いでるの。(葉菜に)代わって!」「後で!」と急き立てます。その後に継美が葉菜に「お母さん、何か怒ってた?」と不安そうにすると、葉菜は「ううん。怒ってなかったわよ」「お母さん帰ってきたら教えてあげよう」と優しくフォローします。

 実は、奈緒は、継美の母親になって母性を発揮しつつ、父親がいないので、父性の役割も果たす必要がありました。そもそも父性は条件付きの愛情です。そのため、奈緒が父性を発揮すると、どうしても無条件の愛情である母性が危うくなります。この時に絶妙な助けとなっているのが、祖母である葉菜です。これが、継美の新しい家族がうまくいっている答えです。葉菜によって、継美へ注がれる母性が補われて、安定しているのです。母性を補う存在は必ずしも母親でなくてもいいのです。祖母、父親、祖父、そして叔母や叔父も母性を注ぐことができるのです。

 このことから、必ずしも生物学的な女性が100%の母性を発揮し、男性が100%の父性を発揮する必要はないということです。より良い子育ての視点に立てば、大事なのは、母性的な養育者と父性的な養育者がそれぞれ1人ずつ、つまり養育者は合わせて2人いることです。性別が逆転していても、世代が違っていてもよいのです。例えば、働いている母親が70%の父性と30%の母性を発揮しているなら、専業主夫の父親または祖母は70%の母性と30%の父性を発揮してバランスを取れば良いわけです。

 


おばあちゃん子―「家族力」

 最近の研究仮説で、祖母による母親への支援は、「祖母効果」「おばあちゃん仮説」と呼ばれています。そもそもほとんどの動物は、繁殖が終わる年齢と寿命はだいたい一致しています。つまり、繁殖力がなくなった時が寿命の尽きる時です。しかし、私たち人間は違います。閉経を終えて繁殖力がなくなった女性が長生きすることには進化論的な意味があるということです。その意味とは、繁殖を終えてまだ体力のある祖母が、子育てをする次世代の自分の娘(母親)を助けることで、娘の繁殖力を高め、孫の生存率を高めることです(包括適応度)

いわゆる「おばあちゃん子」の存在も、「祖母効果」の延長線上にあるものと考えられます。現代の母親は働いていることが多く、精神的な支えとして、注ぎ足りない母性を「おばあちゃん」が補っているというわけです。

 そもそも原始の時代から、子育ては、兄弟や親戚を含んだ大家族、もっと言えば地域全体で協力して行っていました(アロマザリング)。本来、子育ては母親1人で行うものではなかったのです。大事なことは、子どもへの母性や父性がいざ足りなくなった時のために、家族機能には余力(予備能力)が必要だということです。言うなれば、「家族力」です。これは、ちょうど体力に似ています。例えば、体の運動や病気によって日々の活動以上の体力が必要になる時のために、普段から心臓、肺、肝臓、腎臓など様々な臓器には、予備の能力が残されています。

 


一人親の難しさと危うさ

それでは家族機能に余力のない状況について考えてみましょう。代表的なのは、昨今増えつつある母子家庭(一人親)です。もっと広げて言えば、父親はいたとしても、仕事に没頭するなどして子育てに参加しない、つまり父親不在の核家族です。

一人親、つまり母親だけだと、母親は母性と父性を一人二役でやる必要があります。しつけの面ではどうしても父性が強まってしまい、母性が足りなくなります。とても器用にやってバランスを取らなければなりません。これが一人親の難しさであり危うさです。奈緒も、葉菜(奈緒の実の母)がいなければ、継美の子育てにおいてこの状況に陥っていたかもしれません。

 


見守ること、ほめること、そして叱ることのバランス

子育てには、母性も父性もほどほどが良く、大事なのはそのバランスであるということが分かりました。さらに、母性により見守ることとは別に、父性により見張ること、つまりほめることと叱ることもほどほどが良く、大事なのはそのバランスであると言えます。そのメカニズムを詳しく見てみましょう。

 

@二面性―表2

 見守ること、ほめること、そして叱ることとは、具体的にどういうことなのでしょうか?その特徴と二面性について考えてみましょう。

 見守るとは、子ども(相手)の行動を温かくも注意深く見て、いざ危険になった時に助けて守るなどフォローすることです。例えば、子どもが父親や教師にほめられた時も叱られた時も、母親など誰かがその気持ちをそばで共感することです。すると、子どもは、自分にはどんな時も味方がいると安心します。見守られている子どもの脳内では、オキシトシンという神経伝達物質が放たれ、安全感や安心感が得られ、自己評価はプラスに保たれます。自己評価とは、自分自身への評価や価値であり、自分を大切にする心理です。

ただし、見守られること自体には、直接的な学習効果はありません。学習とは、例えば、1人でトイレを済ます、隣の家のおじさんに挨拶をする、困っている人を助けるなど期待されたことを行うことです。

ほめるとは、期待されたことを行った子ども(相手)に対して、その行為や子どもの存在を肯定することです。ほめられた子どもの脳内では、ドパミンという神経伝達物質が放たれ、楽しく心地良くなり、達成感が得られ、自己評価は上がります。すると、その子どもは、次も同じことをやろうと学習します。これが、ほめることによる学習効果です。ただし、この学習効果はある一定量しかなく、従って自己評価もある一定量しか上がりません。よって、学習効果や自己評価を高めるために、ほめることは、なるべくこまめに繰り返し行う必要があります(繰り返し効果)

叱るとは、期待されなかったことを行った子ども(相手)に対して、その行為や子どもの存在を否定することです。叱られた子どもの脳内では、ノルアドレナリンという神経伝達物質が放たれ、緊張や恐怖を感じ、自己評価は下がります。これは、哺乳類の敵の学習に通じるものです。敵に襲われた時、恐怖という否定的な感情によって、敵を記憶するのです。それと同じように、子どもも、「敵に近付くこと」、つまり同じことはもうやらないように学習します。これが、叱ることの学習効果です。この学習効果は、1回だけでもとても高いのですが(即時効果)、同時に自己評価を大きく下げてしまう難点があります。よって、叱るのは、絶対にやってはいけないこと、つまり禁止のルールの学習に限定し、最小限にする必要があります。禁止のルールとは、例えば、人を傷付けてはいけない、人の物を盗ってはいけないなどです。

 

2 見守ること、ほめること、そして叱ることの比較

 

母性により

見守ること(保護)

父性により見張ること(監視)

ほめること

叱ること

特徴

・子ども(相手)の行動を温かくも注意深く見て、いざ危険になった時に助けて守る

・安全感

・期待されたことを行った子ども(相手)に対して、その行為や子どもの存在を肯定する

・楽しさ、心地良さ、達成感

・期待されなかったことを行った子ども(相手)に対して、その行為や子どもの存在を否定する

・緊張、恐怖

神経伝達物質

オキシトシン

ドパミン

ノルアドレナリン

学習効果

直接的になし

比較的低い

とても高い

自己評価

プラスに保つ

少し上げる

大きく下げる

注意点

一定して絶え間なく注ぐ必要がある

繰り返す必要がある

限定する必要がある

 



Aアンバランスの危うさ―グラフ1

次に、見守ること、ほめること、そして叱ることのアンバランスの危うさについて考えてみましょう。

見守り(母性)が行き過ぎだったり足りなかったりした場合に起きる問題は、すでに「母性と父性のアンバランス」の段落で触れました。よって、見守ることは、多くも少なくもなく、一定して絶え間なく必要であるということです。

 ほめることが行き過ぎて叱ることが足りない場合、つまりほめてばかりで叱らない親はどうでしょうか? いわゆる甘やかし、溺愛です。子どもは、自己評価が高くなりすぎて、自惚れが起きやすくなります(自己愛パーソナリティ)。また、禁止のルールの学習が進まず、やりたい放題で奔放な行動パターンを取りやすくなります。イメージとしては、いわゆる「ドラ息子」です。

 逆に、叱ることが行き過ぎてほめることが足りない場合、つまり叱ってばかりでほめない親はどうでしょうか? 厳格な家庭環境ということになります。子どもは、自分の行動にいつも怯えてしまい、安心感をなくします。また、自己評価を大きく低めてしまいます。この問題も、すでに「母性と父性のアンバランス」の段落で触れました。さらに、時として、厳しいしつけや体罰は虐待に発展して、心の傷(トラウマ)も残してしまいます(PTSD)

 最後に、見守ることもほめることも叱ることも足りない場合、つまり見守りもほめも叱りもしない親はどうでしょうか? 放ったらかし、つまり放任です。子どもは、安心感や達成感を持てず、禁止のルールも分からないまま、とても野性的になります。欲望と恐怖だけに支配され、ただ生きるために生き続けているだけで、社会生活を送るのが、極めて難しくなります。

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Bほめることと叱ることの割合―グラフ2

 ここで、ほめることと叱ることの具体的なバランス、つまり割合について考えてみましょう。それぞれの特徴を踏まえて、自己評価をほどほどなプラスにすることに重きを置くと、ほめることは、叱ることよりも量、質ともにある程度多くする必要があります。そして、その前提として、もちろん絶え間ない見守り(母性)による自己評価の安定も重要です。

 例えば、5回ほめることによる自己評価のアップが1回叱ることによる自己評価のダウンと同じになるモデルを考えてみましょう。グラフのように、繰り返しほめることで学習効果は徐々に進み、自己評価も徐々に上げっていきます。ところが、1回叱られると学習効果は大きく進むのですが、同時に自己評価は大きく下がります。そして、続けて叱られるとさらに学習効果が進みますが、自己評価が大きくマイナスになってしまいます。それは叱ることはとても威力があるからです。つまり、5回以上ほめて初めて1回叱ることができます。または、1回叱ったら、5回以上ほめる必要があります。なぜなら、叱り続けたら、自己評価がどんどん下がっていき、精神的に不安定になってしまうからです。

日頃から、見守られてほめられているからこそ、叱られても、そのストレスに耐えられるのです。別の言い方をすれば、ほめる「貯金」をたくさんしてこそ、叱る「借金」ができるのです。これが、ほめることと叱ることのバランスです。そして、これが、冒頭の問いかけの答えでもあります。

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「人育て」における見守ること、ほめること、そして叱ることのバランス

 これまで、子育てにおいてのほめること、叱ること、そして見守ることのバランスについて考えてきました。それでは、「人育て」、つまり人材育成においてはどうでしょうか? 

昨今、特にプロフェッショナルな集団では、たとえ上司と部下、先輩と後輩、年配と若手の関係があっても、フラット(対等)な関係が好まれる傾向にあります(フラット化)。しかし、まだプロになり切れていない新人の教育にあたっては、3つのバランスは大いに重要です。

見守ることが行き過ぎると、先回りをしてしまい、新人が指示待ち人間になってしまいます。自発性や積極性が育まれず、横並び意識が強まり、成長はしません。逆に、見守ることが足りないと、安全感(セーフティネット)がなく、競争原理や人間関係のストレスなどに耐えられません。よって、見守ることは、子育てと同じく、多くも少なくもなく一定して絶え間なく必要であるということです。

ほめることが行き過ぎて叱ることが足りないと、新人は自惚れて仕事を舐めてかかります。やがて、現状に甘んじてしまい、成長はしません。また、禁止の学習がなされないので、同じ間違いを繰り返しやすくなります。

 逆に、叱ることが行き過ぎてほめることが足りないと、新人は仕事の出来不出来にいつも怯えてしまいます。そして、自発性が萎縮してしまいます。欲求不満の状態に陥り、離職率を高めます。

 


集団での母性と父性―リーダーとサブリーダーの役割のバランス

 それでは、職場という組織(集団)において、見守りによる母性を発揮するのは誰が良いでしょうか? また、ほめ叱りによる父性を発揮するのは誰が良いでしょうか? 答えは、リーダーが母性、サブリーダーが父性を発揮することです。これは、1つの安定モデルです。実際に、リーダーは温かく見守り人望があり、サブリーダーは口うるさく有能であるというスタイルで機能している集団はよく見かけます。また、サブリーダーの時は口うるさかったのに、リーダーになったら穏やかになったという人も見かけます。新しいサブリーダーがしっかりしていて父性を強めてくれれば、リーダーは母性を強めることができて、集団の機能として安定するわけです。

逆に、リーダーが父性的、サブリーダーが母性的である場合もありえます。ただし、この場合は、リーダーが孤立する可能性が高まり、集団としてのまとまりが弱くなるリスクがあります。とても危ういのは、リーダーとサブリーダーのキャラがかぶり、2人が揃って父性的で、メンバーたちを叱ってばかりいるという集団です。

 


コミュニケーションにおける母性と父性

 普段からのコミュニケーションにおいても、私たちは相手によって一人二役で母性と父性を使い分けたり、組み合わせたりしています。かつては「がんばれ!負けるな!」という父性的な言い回しを世の中でよく耳にしました。最近では「がんばって。でも無理しないでね」という言い方をよく耳にします。これは、「がんばるのはいいけど、無理しなくても、人生は大丈夫なもんだからね」という母性的な保証のニュアンスが込められていることが分かります。今の世の中は、母性的なコミュニケーションに傾いてきているようです。

今回、ドラマ「マザー」を通して家族機能を解き明かしながら、子育てのあり方から「人育て」のあり方を探ってきました。これらを見通す視点を持つことで、私たちは日々のコミュニケーションのあり方を見つめ直し、見守ること、ほめること、そして叱ることのそれぞれのバランス感覚を身に付けることができるのではないでしょうか?

 


参考文献

1)山極寿一:家族進化論、東京大学出版会、2012

2)北村英哉・大坪康介:進化と感情から解き明かす社会心理学、有斐閣アルマ、2012

3)澤口俊之:「学力」と「社会力」を伸ばす脳教育、講談社+α新書、2011