東京散歩    旧 芝 離 宮 恩 賜 庭 園
  

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旧芝離宮恩賜庭園は、 現存する大名庭園としては最も古いものの一つで、 江戸 庭園の典型である回遊式築山泉水庭園です。 延宝6年(1678)四代将軍家綱から下屋敷として拝領した老中大久保加賀守忠朝が、約8年の歳月をかけて作庭し、「楽壽園」と命名しました。
庭園は、その後数氏を経て有栖川宮家のものとなり、明治8年(1875)に宮内庁が買い上げて、翌9年に芝離宮となりました。大正13年(1875)昭和天皇の御成婚を記念して当時の東京市に下賜され、 旧芝離宮恩賜庭園として公開されました。  
面積は 43,070u、 樹木数は高木約1,900本、 低木3,000株です。 中心となる泉水は広さ約9,000uで 昔は東京湾から海水を取り入れた潮入りの池でしたが、 現在は淡水の池になっています。 昭和54年(1979)文化財保護法により「名勝」に指定されています。
       
旧芝離宮恩賜庭園入口 庭園案内図

写真上は、庭園入口とその脇にある園内案内です。 入口を入ると左手に藤棚(写真下左)があります。 右下の写真は、藤棚前の庭から眺めた池と中島(蓬莱島)、下中段左は西湖の堤です。良く晴れた冬日を受けて、藤棚前の池では鯉が静かに体を動かしていました。

             
藤棚 前庭から見た池と中島
前庭から見る中島と西湖の堤 芝生に置かれた石
藤棚近くの池で泳ぐ鯉 剪定された松

主な花木は、 クロマツ、クスノキ、フジ、サツキなどです。 入口から右へ敷石伝いに行くと雪見灯篭(下左の写真)があります。 周辺のビルが気になりますが、雪見灯篭を前景に蓬莱島を配した景観が良いです。雪見灯篭から先池沿いの敷石を行くと写真右下の大山があります。 庭園内で最も高い築山で、 頂上から見る景観も素晴らしいです写真下段左が大山からの眺めのひとつです。 大山と並ぶもうひとつの築山との間に、枯滝(下段右の写真)があります。  山峡を流れる落ちる滝に見立てて石が組まれ、 川床が通路になっています。
       
雪見灯篭 大山
大山からの園内の眺め 枯滝石組

枯滝のところから池に出ると西湖の堤があります。  中国の杭州(現在の湘江省にある西湖の堤を模した石造りの堤で、中島(蓬莱島)とともに園景の中心をなしています。 中国の西湖は風光明媚な湖で、 西湖の堤は北宋時代の詩人蘇東坡(そとうば、唐宋八大家の一人)が築いた長堤です。下の写真が西湖の堤で、 ここを通って中島へ渡ります。中島には、 中国で仙人が住むと云われる山、蓬莱山を模した石組みがあります。 下の写真で、下段左は中島からの藤棚方向の眺めで、 池中の小島は浮島です。右の写真の橋は、八ツ橋です。
       
西湖の堤を通って中島へ 西湖の堤
池中の浮島 中島から対岸へ架かる八ツ橋

八ツ橋を渡ると右手に明るい感じのする東屋(下左の写真)があります。  右下の写真は、 九尺台(九盈台)です。 「九尺」とは高さ、 「盈」(えい)とは 潮や月が満ちるという意味で、 明治天皇が庭園に行幸された際、 この台上から海の眺望を楽しまれたとのことです。
       
東屋 九尺台(九盈台(くえいだい))

東屋から池を右に見ながら行くと大島があります。 中島より大きい島で、 下の写真のような橋がふたつ架かっています。
       
大島にかかる橋 鯛橋

庭園内を一巡りし、 築山の付近に下左の写真のような石柱がありました。  楼閣の跡、馬繋ぎの石、熊野信仰に関係する石造物の跡など諸説がありますが不明とのことです。 庭園の景観から見ると異質な感じがしました。下右は、 かつての海水取入れ口で鋼鉄製の水門の遺構や石垣が残っています。庭園には、 弓道場もあります。            
       
石柱 海水取入れ口跡
     

          所  在  地     港区海岸1−4−1
         問 合 せ 先     旧芝離宮恩賜庭園管理事務所
                      TEL03−3434−4029         
          交      通      
JR浜松町から徒歩1分
                     都営地下鉄大江戸線大門
         撮  影  日      2002.11.6                                           

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