東京散歩    氷 川 公 園
  

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江戸時代前期、 この公園の付近には広島藩浅野家を本家とする浅野家の本 ・分家の屋敷があり、 赤穂藩浅野内匠頭の屋敷もこの地域にありました。  元禄10年(1697)その一部が幕府旗本の屋敷地となり、この公園の土地も旗本屋敷となりました。  享保14年(1729)には、 三次藩浅野家屋敷跡の一部が氷川神社の宮地と定められ、 その門前が赤坂氷川門前町となりました。 その後幾多の土地の変遷を経て、 明治2年(1869)地域合併で赤坂氷川町が誕生しました。
明治39年(1906) この地を当時の赤坂区が買収し、 明治41年(1908)に氷川尋常小学校が開校されましたが、 昭和4年(1929)隣家の火災で類焼し 移転しjました。 昭和10年(1935)8月28日小学校の跡地を公園として開園、 昭和25年(1950) から区が菅理しています。     
小規模な公園ですが、水路や噴水池があり、幼児の遊び場や花壇が設けられていて、憩いをとるには良い公園です。

公園内にある付近沿革案内 園内の小噴水池
噴水池広場前にある花壇 幼児用遊具のある広場
花壇脇の水路 坂道から見た公園

          所  在  地     港区赤坂6−5
         交      通      
東京メトロ千代田線赤坂、
         撮  影  日     2001.10.27
                                          

区切り線


東京散歩    檜 町 公 園

檜町公園付近は、 江戸時代長州藩松平大膳大夫(毛利氏)の中屋敷でした。 敷地の総面積は約36,800坪(約12ha)ありました。 その庭は「清水園」と呼ばれ、 当時の名園の一つでした。 また、 邸内に檜の木立が多かったことから「檜屋敷」と呼ばれていました。 かつて檜町と呼ばれたのもこれに由来しています。
明治4年(1871)に国の管理地となり明治7年(1874)歩兵連隊の駐屯地となり戦後は一時米軍に接収され、防衛庁の設置ののち、 この部分は 昭和38年(1963)に都立公園として開園し、昭和40年(1965)都から移管されて区が菅理しています。 公園には、 木立に囲まれて池があり、 広場には幼児の遊具や坐像女性の彫刻(ネレイス(海の精)エミリオ ・グレコ作)が置かれています。 公園横にある坂が檜坂、 近くに防衛庁・防衛施設庁があります。
(撮  影  日     2001.10.27)   

                                 
公園内にある付近沿革案内 公園入口
木立に囲まれた園内の池 池に架けられた木橋
遊具の置かれている広場 坐像女性の彫刻

旧防衛庁(現防衛省)施設跡地の都市再開発で、東京ミッドタウン(平成19年3月オープン)が建設されたことに伴い桧町公園も下の写真のとおり新しくなりました。
(撮  影  日     2007.12.31)
      
道路から見た公園と東京ミッドタウンの建物 池に面した休息所
公園内の渓流 池畔から見た休息所

          所  在  地     港区赤坂9−7
          交       通    都営大江戸線六本木

                       東京メトロ南北線六本木

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