
日 本 橋
(にほん ばし)
| 全長 : 49.1 m | 全幅 : 27.3 m | 構造 : 2スパン 石造 アーチ橋 | 完成 : 明治44年 (1911) |
| 区間 : 中央区 日本橋 1丁目 <==> 中央区 日本橋 室町 1丁目 (中央通り) |
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【日本橋】 『日本橋(にほん ばし)』 は、中央区日本橋 と 日本橋室町 の間で、 東京の中心部を走る 「中央通り」 が 「日本橋川」 を渡る橋である。 日本の道路の起点となる 「日本国道路元標」 が設置されている橋でもあり、 その名の通り、日本を代表する橋 であるといえよう。 この 『日本橋』 は江戸時代の初期から現在に至るまで、日本の道路の原点であるばかりか、 日本の国土整備計画の根幹をなす橋であったといっても過言ではない。
【橋の創架と橋名の由来】
【擬宝珠】
【陸運 ・ 水運】
【現在の日本橋】
【歴史と風格】
【道路元標】
【重要文化財】
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![]() 石造の柱の上に素晴らしい彫刻を配置した親柱 | ![]() 親柱に飾られている 「獅子」 の像 |
![]() 親柱・中柱に同調させたデザインの橋灯 | ![]() 親柱よりさらに大きく天を突くような中柱 |
![]() 中柱に装飾されているのは 「麒麟」 の像 | ![]() 2頭の 「麒麟」 が各々橋詰方向を向いている |
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【徳川慶喜】 徳川幕府最後の将軍 徳川慶喜 は、天保 8年(1837)に水戸藩主 徳川斉昭の七男として小石川の水戸藩上屋敷で生まれ、幼名を 「松平 七郎麿」 と称した。その後、弘化4年(1847)に御三卿の 「一橋家」 を相続し、徳川慶喜 を名乗る。慶応 2年(1866) 8月に 「徳川宗家(本家)」 を相続後、同年12月 5日、徳川家15代将軍に任命される。翌慶応 3年10月には 「大政奉還」 を迎え、徳川幕府に終止符が打たれる。 慶応 4年4月、慶喜 は謹慎のため上野寛永寺より水戸へ出発。同年 9月には 「明治」 と改元された。その後 慶喜 は静岡に移り、明治30年に東京に戻っている。大正 2年(1913)11月22日、77才にて死去。 『日本橋』 の橋名盤の文字は、慶喜 の晩年の筆であると思われる。 |
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