忍者集団あれこれ

伊賀 (いが)

 忍術学園教師野村先生のふるさとであり日本一有名な忍者の里。今の三重県にある。

 なぜこの地が忍びの里になったかというと,

1 京から比較的近いので(80キロ),世の中の情勢が把握しやすい(都からの亡命者がちょくちょく逃げ込んできたりする)
悪党による抗争が盛んだったので山岳ゲリラ戦法が発達した
修験道が盛んで,祈祷や薬術,催眠術,医療法,山岳ゲリラ戦法を得意とした修験者が集まってきた

という原因があげられる。

 悪党による抗争というのは,東大寺の荘園をめぐるいざこざのこと。かつて伊賀は東大寺の領地だったが,それに反発した伊賀の民は少なくなかった。彼らは悪党と呼ばれ,東大寺側との戦いの中で特殊な戦闘技能(=忍術)を身に付けていった。そしてさらに時を経ると伊賀忍者と呼ばれる存在になっていくのである。

 ところで忍びの里伊賀に,この時代(フランス革命以前)としては世界的にも珍しい共和制自治が発達していたのをご存知だろうか?その名は「伊賀惣国一揆」。伊賀者たちは一族ごとに党派(惣村・そうそん)を作り,他の党に対して伊賀惣国一揆と呼ばれる連盟を結んでいた。そして問題が起こったときにはメンバーが集まって話し合いで解決していたのである。

 このように伊賀忍者集団は支配を嫌った。そして忠義にとらわれず,特殊技能のみを売って生活していた。このような態度が大名にどう映ったか?……おおかたの大名には重宝されていたらしい。諸国で伊賀忍者が活躍したエピソードは結構残されている(「名前が残るようじゃ忍者としてたいしたことない」と万川集海は言っているが)。しかし,どんな支配にも屈しない姿勢が反感を大名の買わないわけがあるだろうか。特に天下を狙う大名には……。

 1578年と1581年,織田信長の次男信雄(第一次)と信長本人(第二次)の指揮による二度の侵略「天正伊賀の乱」により民主共和国伊賀は滅亡を迎える。民家はもちろん寺社仏閣女子どもまで焼き尽くす凄まじい大殺戮だった。生き残った伊賀者たちは住み慣れた祖国を離れ,諸国へと散っていく。

有名な忍者:服部半蔵,大山田八右衛門,加藤段蔵


甲賀 (こうが/こうか)

 元忍術学園教師大木雅之助の出身地。今の滋賀県に存在。伊賀とは山一枚でつながる忍びの里。

 なぜここで忍術が発生したかについては,

1 京から比較的近いので(80キロ),世の中の情勢が把握しやすい(都からの亡命者がちょくちょく逃げ込んできたりする)
2 修験道が盛んで(役行者が開いた飯道山という山が有名),祈祷や薬術,催眠術,医療法,山岳ゲリラ戦法を得意とした修験者が集まってきた

ことが原因だったらしい。

 甲賀は伊賀と違い六角氏の支配を受けていたが,平時は自治が認められており,伊賀と同じく優れた自治が行われていた。(血縁である「同名中惣」同士で「甲賀郡中惣」という連合を組織)。だから戦乱の世でも甲賀の地は平穏だったとか。

 六角氏とは「平時は自治,戦時は支援」という契約が結ばれており,南北朝時代六角氏に従って戦った「鈎の陣」で全国的に有名になった。この戦いで甲賀忍者が霞の魔法なるものを使ったといわれているが,どういうものかは不明。のろしの一種だったともいわれている。

 さて,一躍有名になり全国で働くようになった甲賀忍者だが,伊賀に比べるとスター忍者は少ない。というのも,甲賀は個人でなく家やグループ単位で働き,戦功もグループ全体のものとされていたからである。忍者小説で使われたりする「伊賀は個人プレー,甲賀はチームワーク」という設定はここから出ているらしい。

 伊賀より京に近く,また平野や湖に富んでいたため,文化の程度は伊賀に比べると高かった。

有名な忍者:滝川一益,杉谷善住坊


鉢屋苫屋衆 (はちやとまやしゅう)

 もともとイボロと呼ばれた戦闘集団。平安時代に平将門の下で働いていた。

 将門の死後,一部が盗賊化したが,浄土宗の名僧空也上人(くうやしょうにん)に諭されて托鉢に。この頃「鉢屋苫屋衆」という名がつく。「鉢屋」は鉦(かね)の代わりに兜の鉢を叩いて歩いていたから。「苫屋」は彼らが住んでいた茅葺き(かやぶき)の粗末な家のこと。

 托鉢をはじめてしばらくすると,空也上人の仲立ちで都の警護という大職を任されるようになり,その後働き者の評判が立って全国の守護・国司から勧誘が相次いだため,それまでの根拠地だった四条・五条河原を離れて日本中に散らばった。

 その中でも出雲の尼子氏に仕えた集団が,「乱太郎の忍者の世界」にも紹介されている尼子の鉢屋苫屋衆。 きっかけは,1485年,鉢屋弥三郎をリーダーとした鉢屋衆が,当時守護代の職を奪われて浪人の身にあった尼子恒久に城攻めのため雇われたとき。

 以後鉢屋衆は奇襲やだまし討ちで数々の功を立てただけでなく,鉄砲を使い立派な兵力としても戦闘に参加している。

 また,こうした戦闘だけでなく,種々の芸能をも生業としていた。

 個人的見解。
 尼子鉢屋衆の首領・鉢屋弥三郎は尼子先生にしてみたら地元のヒーローだったのではないだろうか。2巻から名前だけ出演し,18巻(8年後!)になってやっとお目見えという鉢屋三郎の特殊なポジションに,管理人はどうしても尼子先生の強い思い入れを感じてしまう。


風魔一族 (ふうまいちぞく)

 関東を代表する忍び集団。北条氏に仕えた。首領は代々風魔小太郎を名乗る。

 五代目風魔小太郎は身長2.4メートル,手足筋骨荒々しく,ここかしこに瘤があり,目はさかさまに裂け,黒ヒゲで,牙が4つもあったとか。…喜三太泣きそう(> _ <)

 風魔一族活躍の有名なエピソードとして,浮島が原の戦いがある。1581年,甲斐の武田勝頼が伊豆へ侵攻してきたとき,五代北条氏直は徳川家康と結んで武田郡を迎撃した。この時の浮島が原の戦いで,五代目風魔小太郎率いる風魔乱波(らっぱ・忍者の意)200人は,毎夜四手に分かれて武田軍に奇襲をかけ,陣馬を盗んで追い立て随処に放火するなどのゲリラ戦法で武田軍をさんざんに悩ませたという。

 北条氏滅亡後は江戸で盗賊として派手に活動したため懸賞金をかけられ,1603年密告により首領小太郎が処刑された。


基礎知識トップへ 忍たま赤組トップへ