ほうりゅうざんほんこくじ
法流山本国寺

【所在地】大網白里町宮谷(みやざく) 【宗派】日蓮宗

本国寺題目塔(2003年10月11日撮影)
宮谷県庁跡の石碑(2003年9月29日撮影)
本国寺山門(2003年9月29日撮影)
山号額(2003年10月11日撮影)
本国寺本堂(2003年9月29日撮影)
本国寺堂内(2003年10月11日撮影)
報恩碑(2003年11月5日撮影)
報恩碑(2003年11月5日撮影)

 文明(ぶんめい)3(1471)年5月15日の創立で、上総(かずさ)十ヶ寺の一つ。もと空海(くうかい)の草創の古寺で阿蘭若興善寺(あらんにゃこうぜんじ)と称する真言宗(しんごんしゅう)の寺であったが、文明3年日肝上人(にちかんしょうにん)の時に改宗した。昭和16(1941)年日蓮宗(にちれんしゅう)顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)本門宗(ほんもんしゅう)の3宗派の合同により、顕本法華宗から日蓮宗となった。
 元和(げんな)8(1622)年、仏教の学問所である宮谷檀林(みやざくだんりん)が創設され、盛時には800の学僧を擁したという。檀林は明治になると一時中断し、明治25(1892)年より大学林(だいがくりん)と改称して明治33(1900)年まで活動した。明治7(1874)年には大網小学校の前身である大網北小学校が開校している。

【宮谷県】明治元(1868)年12月安房(あわ)上総(かずさ)知県事(ちけんじ)柴山典(しばやまてん)は檀林の学寮を知県事役所とし、明治2(1869)年2月から明治4(1871)年11月までの間、明治政府初期の直轄県である宮谷県の県庁が設置され本堂(旧宮谷檀林大講堂)を除く一切の諸堂が庁舎に当てられた。宮谷県庁跡は千葉県政発祥の地として県指定文化財史跡となっている。
 宮谷県の範囲は、安房(あわ)上総(かずさ)をはじめ常陸(ひたち)の一部も含んでいた。明治4年、安房と上総の全域が木更津(きさらづ)県として統合され、宮谷県は廃止された。明治6(1873)年6月15日、木更津県と印幡(いんば)県が合併し、現在の姿に近い千葉県が誕生した。

【祖師像】本国寺の祖師(そし)像(大網白里町指定文化財)は木製の座像で、高さ85cm、本来は裸像である。作者不明で、鎌倉末期から室町初期の作と推定される。古来、五穀豊穣の信仰深い日蓮(にちれん)像で、別名「雨乞(あまごい)祖師」と呼ばれた。祈願により雨に恵まれた農民の報恩碑が2基、本堂に向かって左側に建てられている。一基は文政(ぶんせい)4(1821)年、他の一基は昭和8(1933)年の大旱魃の際のものである。

【日本画家石井林響】石井林響(いしいりんきょう) 明治17(1884)年〜昭和5(1930)年
土気町下大和田(しもおおわだ)に生まれる。本名、毅三郎(きさぶろう)。明治23(1890)年土気尋常小学校の分校に入学。同30年旧制千葉中学校(現県立千葉高等学校)に入学し、堀江正章(ほりえまさあき)に洋画を学ぶ。その後、日本画家橋本雅邦(はしもとがほう)の塾生となる。初め「天風(てんぷう)」と号し、師・雅邦の狩野新派(かのうしんぱ)の作風を受けて出発したが、やがて作風を一変させ南画(なんが)(山水画二大流派の一)風となり、後に帝展(ていてん)(帝国美術院展覧会。現日展(にってん))日本画廊の審査員となった。大網白里町で逝去、本国寺に葬る。
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