1私の交通事故

 このつらさ、どうしようもない悲しさ、一言の話も出来ずに逝ってしまった我
 が愛してやまない妻 繁子。誰がこの深い悲しみを知ろうや

楽しかった日々

 その日は、八月九日から十五日までの予定で毎年訪れる長野県〇〇村の親戚の家に来
ていたのだが、テレビのニュースで十五日はお盆帰りUターンラッシュで道路の渋滞がピー
クになると報じていたので、滞在を二日延ばして帰ることとした十七日の金曜日だった。


 路にある甲府盆地の昼間の暑さを避けるため、家を午後二時ごろ出発し、途中
村のコンビニエントストアーに一寸寄った後、一目散に逗子市の我が家を目指し国
道141号線を走り、八ケ岳野辺山高原で141号線沿いにあり親戚への往復には何時も
立寄るビックリ市という大きな市場で、トイレ休憩と買い物を兼ねて約二十分位休
んだ。その後平坦な高原道を十分ぐらい走って、長野県と山梨県の県境い辺りから
道は甲府盆地まで続く長い下り坂になるのだが、その県境から数分下って、もうす
ぐ清里の交差点という辺りで前の車との車間距離が4〜50M位いに近づいたので、私
はブレーキを踏んで車間距離を保とうとしたのだった。

 だがブレーキが効かず、もっと踏み込んだが全く効かず、効かぬばかりかより以上に速く
なるので驚くと同時に何か冷っとするような恐怖を覚え、私は「ママ(子供たちと一緒に私は
妻 繁子をふだんはママと呼んでいた)、ブレーキが効かないよ、ママ ブレーキが効かな
いよ」と大声で叫んだ。その間も自動車はどんどん速くなり、恐怖感はパニック状態になっ
ていった。そしてもうだめだ!山に自動車をこすり付けて入るしかないと思い(道路の右側は
土手っぽい林になっており、左側は左傾斜の地になっているように思われていた)ハンドル
を少し右に切った。その後はどうなったか判らない。その間一瞬レバーチェンジのことも頭
をよぎったが、レバーを前に動かすのか後ろにやるのか朧げになっており判断を下すゆと
りが無かった。また、何故か右前方から登って来る車が無かった事がはっきりと記憶に残っ
ている。

 
気がついた時には救助隊の方が私を運転席から外に出そうと努めてくれており、また、助
手席にいた妻は私の方に近寄るような状態で仰向けになっていた。私は「ママ」と叫んだが
何の反応も無かった。そして私は運び出され道端に寝かされ手当を受けたが胸が少し痛
むが意識はしっかりしていた。妻の方は大破した自動車をはさんで反対側に救出され人工
呼吸のマッサージ等されているようだった。途中誰かが「唇が動いたぞ 助かるかもしれな
い」といった様な話し声を耳にした。

 
その後数分して救急車が来て私は山梨県立中央病院へ運ばれ、X線やCTスキャンの診
察を受け、肋骨の一本が折れているが胸には異常がないとの事だった。また、前後して医
師から妻は「心臓の損傷が激しく切開手術をしなければならないが手術をしてもよいか」と
の話があり、手術をしてくださいと返事をした。
 暫くしてから主治医の先生から、運ばれてきた時には既に心臓は止まっていた事、損傷
が激しく内部に血の塊が出来ており切開し除去する作業をし、一時心電図が動きを見せた
がその後完全に心肺停止状態になった事 などの話があった。

 
妻の死を告示され、それを聞きつ大きな不安で胸がふさがれ、動悸が激しくなったが頭
は冴え死が実感にはならず泣くことも出来なかった。暫くして警察官が一人見え私の住所
や氏名・事故前後の様子等を尋ねられたが、私は自動車のブレーキが効かなかった事と
その原因を徹底的に調べて欲しいとお願いした。 その夜11時ごろ息子二人が東京から
駆けつけて来て亡き母親と対面したが、私は未だ病室で芳子には会えなかった。
 子供たちは寝る暇も無く病院や警察関係の事務的な仕事をこなし、翌8月18日私と子供
たちで妻の遺体を山梨の病院から逗子の我が家に霊柩車で搬送した。私は妻の棺の横で
「・・ね・繁子」、「・・ね・繁子」 と小さい声で語りかける以外言葉が出なかった。

 
あの141号線の道は毎月一回は往復している通いなれていた道であったし、当日天気は
良好で、道路も車間距離を全く十分に取ることが出来るほど空いていたし、歩いている人
は見当たらず、見通しの良い道、私の体調も全く良かった。また、なんら突発的な出来事
が周囲で起きたわけでもなく、如何してこんな事故になったのか全く私には判らなかった。
妻が死んだということも、もう二度と話も出来ず会うことも出来ず、家に帰っても私一人なん
だという事も実感として私に迫っては来なかった。ただ 「・・ね・繁子・」「・ね・繁子」と言って
何かはっきりとしない悲しみ・判然としない蒙昧な何かが頭を占め、漠とした贖罪の念と重
なった深い悲しみに耐えていただけだった。
 我が家に帰ってからは在京の息子たち二人が寝食を忘れ働いてくれて、19日に通夜を
済ませ20日には北海道に居る娘も子供たちをつれて来て21日の告別式も嫁や婿達の力
を借り無事終わることが出来た。そして慌しかった数日が過ぎ、子供たちや孫たちが引き
上げてゆくに連れて、本当の淋しさ・悲しみが実感として私を襲った。

 
妻の遺品の中にあった、妻の結婚当初の日記やその後ときおり綴られた日記、を読み
妻がどんなに私を慕ってくれていたか知るに及んで、泣けて泣けてならなかった。妻の着
物や持ち物・妻の歩いた道々を見・歩く度に、妻の姿や喜び悲しみあった日々が想いだ
され、こうしてやれば良かった・ああしてやれば良かったといった私の至らなかった点の数
々が、もうどうしても取り返しの付かない悔いとなって私に迫ってきた。

 
今回、この事故のおきるほぼ一年半前に、妻は胆管癌という病気で入院し、胃や膵臓・
十二指腸・胆嚢といった臓器の大半を切除する8時間にも及ぶ大手術を行った。その時も
神に祈るような日々を過ごしたが、手術後もしや癌ではなかったのではないかと本人が思
うほどよく回復し、やっと今後は妻の好きな温泉巡りをしてやるね、と共に語り楽しみにして
いたのに・・・。大変元気になったとはいえ病後であるにもかかわらず、自分のことより私の
健康の方を何時も気にしてくれていた妻、そんな妻の存在をあたかも空気のように当然の
存在と思い、妻への思いやりやいたわりの言葉も口にしなかった私を、どこかでわかってい
てくれた妻。何を言わずとも互いに通じ合え、ただ居てくれるだけで何をやるにも張り合い
と生きる喜びが湧いて幸せだった日々。それが8月17日の事故によって一瞬にして砕かれ
地獄の日々と化してしまった。そして知った、妻なき人生のむなしさ、全ての喜びの支柱を
失い老後一人で生きてゆく事の無意味さ・辛さ、全て愛する妻繁子が居てこその人生であ
った事。

 
その後、山梨県○○警察署の扱いで、9月12日甲府市にある当該自動車会社の支店で
事故自動車のブレーキ関係の分解調査、11月9日事故現場での実地調査があり、今回の
事故はブレーキ関係の欠陥ではなく、私の過失による事故ということになった。私は自動車
を40年近く運転してきて、ブレーキの踏み間違いといったことはほとんど無かったのに、如
何してこんなことになったのかどうしても判らない。私は今でもブレーキを踏んだが効かなか
ったのだと信じているが、いわゆる科学的判定では私の思い込みによるアクセルとブレー
キの踏み間違いによる事故との事。

 
判定はどうであれ、私の運転において妻を死に追いやり、本来なら今からも続いたであろ
う何十年かの妻の喜びある人生を、私は無謀にも奪ってしまった事は事実であり、妻への
罪悪感から逃れることは出来ない。今は妻への詫びようは全く無く、その悲しみや苦しみか
ら逃れるために何度自殺しようと思ったことか。ただその都度、今もって母を失って悲しんで
いるわが子供たちのことを思うと、追い討ちをかけるようなことも出来ず、その苦しさから逃れ
ようと地域にある教会に行ったり、葬儀をしていただいたお寺の坊さんに救いを求め写経や
仏へのお祈りをし、また、交通事故の遺族の会にすがったりもしてきた。

 
そんなある日、インターネットでブレーキ事故の事を調べていたら、踏み間違いに関する
投書欄があり「なぜ踏み間違うのか私には分からない」・「そいつは馬鹿ボケしているのだ」・
「運動神経が鈍いやつが起こすのだ」・「ブレーキを左足で踏むようにすると良い。」・「自信
過剰な人は間違った時パニックになり易い・・」・・といったものが沢山載っている中で、「ナ
ルセペダル」なるものが在ることを知った。そこには、いわゆる「ブレーキ事故の大半はブレ
ーキの不具合によるものではなく、運転者の過失によるものである。」という様なことが書か
れ「思い込みや過失が時には人間の行為として避けることが出来ないものである以上、ブレ
ーキやアクセルはそのような事があったしとても事故に至らぬような構造に改善されねばな
らないのではないか。」というようなことが書かれていた。

  
そこで私は直ぐにインターネットでその「ナルセペダル」がどんなものか調べてみて、そ
れが「踏み間違いによる交通事故ばかりでなく、ブレーキが作動するまでの時間が長かった
ために起きたような交通事故、の防止のために優れた武器になるものである」ことを知った。
(安全ペダルの項参照) そして、もし私がこのような事柄を事故以前に十分に知っていたな
らば、今回のような事故には至らなかったのではないかと思うと同時に、今回私たち夫婦に
もたらされた様な、どうしようもない悲しみ・悲劇を今後他の人々に起こらぬようにするための
活動に取り組むことが、私の使命であり、それが妻繁子への贖罪の一つになるのではない
かと思うようになった。

 
私は当面、多くの人々にこの様なペダル(何も成瀬ペダルでなくても良く、要は人間の不
本意な過失によるような事故を、未然に防止できるようなものなら何でも良い)のあることを知
っていただく為の宣伝活動や、自動車会社・行政などに人命尊重の精神をもって、そのよ
うな機器の開発や普及に積極的に取り組んでもらいたいがための請願活動などをしていき
たいと思うようになった。

 
今後老齢者が益々増えることを思う時、この安全ペダルとしての「ナルセペダル」の周知普
及させることが、悲惨な自動車事故を軽減・無くす大きな力になるに違いない。これを自動
車に取り付けるかどうかの選択は本人に任せればよいことであり、この様な機器の在ることを
知らなかったので、事故を防げなかったと言うような人が出ないようにしたい。我妻の死が他
の人の命を救う一助になったと言える様活動をして行きたい。

 
今、私は何処に行くにも妻 繁子の遺影を伴っている。私が見るもの全てを遺影とはいえ
妻に見せ、同じ世界に一緒に居るんだと共に思いたいと願っているからである。別れの言葉
一言も言えずに逝った繁子、何時も自分の事より私の事を心配していた繁子は、自分が死
ぬ時も私の死を心配していたであろう事を思うと涙が出てならない。私も私の存在が必要なく
なったら、早く可哀想だった繁子の元に許しを乞いに行きたいと念じている。

   事故発生日   平成19年8月17日
   場    所    山梨県北杜市高根町  国道141号線
   事故状況     道路斜面大木に激突
   運 転 者    O  O  O  O (〇〇才)
   死    亡    O  O  O  O (〇〇才)

 
神々よ、妻 繁子が天上の父母のもとで、安らかで幸せな日々を送れるよう、お守りください。

            
ね・・繁子  、ね・・繁子、  可哀想な繁子・・、 ね・繁子 ・・・・・ ね・繁子 !

芳子はもういない