
Try Write!
*"Try write"はハワイ・クレオール英語の表現で、標準英語の"Please write!"にあたります。
2005年2月28日
2月も終わります。ハワイ大学では春休みが近づいてきました。3月末に1週間の春休みがあるのです。コードスイッチング関連の論文で読みたいものがたまっているので、春休みにまとめて読みたいと思っています。
言語学科ではPreliminary examsというものがあり、基礎科目を受け終わった後に、一般言語学、文法、音韻論、歴史言語学の4科目の試験を受けることになっています。僕の場合は今から1年後に受けることになります。1科目につき、午前と午後に3時間くらいずつの試験を受けるといいますから気が遠くなりそうです。そこで、今日は同じ時期に試験を受けようと考えている学生たち(今日の参加者は、アメリカ人2名、韓国人1名、中国人3名、そして僕という面子でした)のによる、初の音韻論の勉強会に参加してきました。グループによる勉強会は自分のペースでできないのであまり好きではないのですが、今日はなかなか充実していました。僕は一般言語学の勉強会をリードしていくことになっており、近いうちに勉強会を実現しなければなりません。
どうでもいいのですが、今朝、首を寝違えました・・・。おかげで右側を向けません・・・。英語では、"I slept funny"もしくは"I slept wrong"といいます。funnyとwrongの副詞的用法です。語学の勉強に終わりはありません。というか細かいことに喜びを覚えないと(首を寝違えていうことではありませんが)、モチベーションが持続しないように思います。
2005年2月26日
グラミー賞ハワイアン部門新設をめぐる覚書
2005年2月13日に、グラミー賞(Grammy Awards)が発表され、5組のノミネート作品から、スラッキー・ギターのアルバムが初代グラミー賞ハワイアン音楽部門を受賞しました。これまでは、ハワイアン音楽にとって、(ハワイアン音楽版グラミー賞と呼ばれてきた)ナー・ホーク・ハノハノ賞(Na Hoku Hanohano Awards)が主要な音楽賞でした。グラミー賞におけるハワイアン音楽部門の新設は、ハワイアン音楽に対するより多くの関心を集めるだろうという期待のもと、新聞紙上で取り上げられました。主要2紙の中では、スターブルティン紙が授賞式1週間前から特集を組み、連日ノミニー5組を紹介していました。
しかし、主に2紙の動向を追っていましたが、授賞式から2週間が経過した現在、新設のハワイアン部門の受賞を巡る議論は特に盛り上がっていません。これは予想と違いました。個人レベルでも特に話題になることがありませんでした。ハワイ語の授業で多少話題に上ったくらいで、ハワイアン・スタディーズの人々が今回の結果に憤慨しているということを伝え聞きました。Nahenaheというウェブサイトでも、ハワイアン・スタディーズ関連の人々の反応をうかがい知ることができます。このウェブサイトの過去ログを読むと、ハワイアン部門新設の過程にも言及されています。
今回の問題の焦点は、「伝統的なハワイアン音楽」部門において、「(50%〜80%以上?)ハワイ語を使用していること」という規定があるにも関わらず、インストゥルメンタルが受賞したという点につきます。19世紀に登場したスラッキー・ギターが「伝統的」でないという意見もあるでしょう。ただ、その場合、他のCDも西洋からの影響を受けているわけで、「伝統」を巡る議論を再燃させることになります。結局、この2週間を振り返ると、「スラッキーもハワイアン音楽の伝統の一部であり、何より、ハワイアン部門の新設はより多くの人々の関心を集め、ハワイアン音楽の裾野を広げるという意味において、ハワイアン音楽全体にとってプラスである」という雰囲気がハワイにおいて一般的なものである(関心のない人もいるわけですが)のではなかろうかと思います。
グラミー賞受賞関連記事は以下の通りです。2005年2月6日、13日、14日の雑記にもコメントと新聞記事へのリンクがあります。
National Public Radio (NPR) の記事(2005年2月7日)
Voice of America (VOA)の記事(2005年2月7日)
Nahenahe
[コメント]ハワイ大学ヒロ校助教授のKeola Donaghy氏が運営するハワイアン音楽に関するホームページ。今回の受賞をめぐって彼のところに寄せられた反応は、否定的な反応がほとんどだったようです。Donaghy氏自身は、ハワイ語を話す者として残念だと感じる一方で、今回の受賞を特定のアーティストと結びつけるのではなく、ハワイアン音楽全体にとってプラスだと捉えたほうがいいと考えているようです。過去のログを読むと、昨年から新カテゴリーの件を追っていることがわかります。その中では、最終的なノミニーから、ナー・パラパライ(Na Palapalai)とキモ・アラマ(Kimo Alamama)がもれたことに疑問を呈しています。5組に残ったスラッキーのCDについて、特に質が高いわけでもないと述べているのは興味深い点です。公平を期すために書いておくと、Amy Gillman&Willie KayとHo'okenaのノミネートにも疑問符を付けています。Brothers CazimeroとKeali'i Rachelのノミネートは予想通りだったようです。
The Honolulu Advertiser (2005年02月15日)
[コメント]アドヴァタイザーの2月15日の読者投稿欄(Letters to the Editor)に、グラミー賞ハワイアン部門設立に尽力した人々を紹介する投稿がありました。投稿者は知的財産権を専門とする弁護士です。 紹介されている人物の中には、今回ノミネートされていた人物も含まれています。
The Honolulu Advertiser(2005年02月21日)
[コメント]読者投稿欄に今回の結果を支持する投稿が載りました。また、支持は表明していますが、政治的な論争にするつもりはないとも書いています。(論争にするつもりがないなら無視するのが常套手段だと思ったりもするのですが・・・。)
The Honolulu Advertiser (2005年2月23日)
[コメント]スラッキー受賞を擁護する投稿が掲載されました。ナー・ホーク・ハノハノ賞のほうが政治的だとも述べています。
The Honolulu Star-Bulletinの記事(2005年2月26日)
[コメント]グラミー賞効果により、アルバムの売り上げが伸びています。ワールドミュージック部門とニューエイジ部門で、スラッキーのアルバムがそれぞれ1位と2位を獲得しました。
2005年2月25日
カウンターが5000をヒットしました!
East-West Centerに原稿を提出。ほっと一息です。プロフィールに原稿をアップしました。
原稿を提出してからは、慌てて勉強会の発表準備。午後は社会言語学のライティング・ワークショップに参加し、進展状況を報告し、コメントをもらいました。今は、コードスイッチング(複数の言語間での言語の切り替え現象)に関するプロジェクトを温めている段階です。他の人の発表を聞くのも勉強になります。やっぱり、締め切りを設けると、少しずつ進んでいくのを実感できます。
2005年2月24日
先週の発表原稿を書き直していました。East-West Centerが先週の学会での発表をまとめた論文集を刊行するからです。手を入れた原稿を、English DepartmentのWriting Serviceに持っていきました。このサービスを利用するのは今回が初めてでしたが、親切にいろいろと指摘してもらいました。このサービスは大変便利なんですが、唯一の難点は、学期の終盤2週間くらいにはやっていないということです。一番利用する時期だと思うのですが、締め切り前に駆け込んでくる学生に対する予防線なのかもしれませんね。
2005年2月23日
今週と来週の社会言語学の授業のテーマは、ethnography of communicationです。言語学の対象がknowledge of grammatical rulesだとすると、ethnography of communicationの対象はknowledge of social rules of speakingということになります。エスノグラフィーとは、参与観察による調査法のことで、この雑記はいわばエスノグラフィーの練習という感じになっています。ま、ここに書けないことは別のところに書くわけですが。
2005年2月22日
フラのレッスンで、A Kona Hema 'o ka Lani(The King at South Kona)を習い、イプの使い方も教わりました。写真に写っているのがイプという楽器です。瓢箪から作られています。イプをたたくリズムに集中すると、ステップがおろそかになり、なかなかうまくいきません。ところで、イプをたたくとなぜか不思議と楽しい気分になるんです。一緒にやっていたハワイアンの人たちなんか急ににこやかになりました。どうしてなんでしょう?たまにしかやらないからかもしれませんが。
昼に用事があったのでAla Moanaに行きました。昼ごはんを食べようとSubwayのカウンターに行ったら、迷わず日本語メニューを渡されました。これって、日本で「外国人」を見たらとにかく英語で話しかけてしまうのと同じ思考回路なんだなあと思いながら、渡されたメニューに目を落としました。日本人観光客が多いからでしょうけど、外見で判断しているんじゃ外れることもありますよね。最近増えている韓国や中国からの観光客が日本語メニューを渡されることもあるのかなあなんて思いました。
2005年2月21日
東京の友人が、最近、大学の友達と同窓会を開いたらしく、写真を送ってくれました。うーん、みんな変わっていないといいたいところですが、変わっていない人と、変わっている人の差が激しいなあというのが実感でしょうか。帰国したときにぜひ参加したいものです。
2005年2月20日
午前中は2階のテラス(ってほどのこともないんですが)で読書。眺めはこんな感じです。
夕方から、ワイキキへ。近道にようやく気づきました。Kapahulu Av.を通ると15分弱でワイキキに着くことができます。写真はワイキキに着いたところ。あと、月並みですが、カピオラニ公園からダイアモンド・ヘッドを望んだ写真もアップします。
ワイキキに行ったのは、ハワイ語の授業で教えてもらった(オアフ島の)プーナナ・レオとカイアプニ・ハワイイ(ハワイ語のイマージョン教育)のファンドレイジングのコンサートを見るためです。コンサートは今年で20周年を迎えました。会場はワイキキ・シェル。チケットは21ドルで、幸運にも前から2列目の席でした。4時半から始まり、前半は、子供たちによるパフォーマンスがあり、後半は5組のミュージシャンが登場しました。幼稚園から中学生くらいまでの子供たちが、歌やチャントを歌ったり、フラやタヒチアンを披露しました。ミュージシャンのほうはというと、2組目の女性ボーカリストは、2004年度のナーホク・ハノハノ賞(「ハワイ版グラミー賞」という表現がよく使われますが、ご存知の通りハワイアン部門ができたので、これからは変わるかもしれませんね)の女性ボーカリスト賞の受賞者で、彼女は曲の合間もずーっとハワイ語で話していました。このイベントで、ハワイ語の再活性化を支えるコミュニティーの存在を確認し、改めてフラの重要性も感じました。
2005年2月19日
午前中にInternational Graduate Student Conferenceでの発表を終えました。内容はさておき、きっちり20分で終えられたのでほっとしました。(トップバッターだったので特に時間を気にしていました。)先週、練習したおかげです。僕のセッションの発表者は全員ハワイ大学で、ベトナムのバイリンガル教育、韓国の小学校における英語教育、そして、東チモールの言語政策に関する発表がありました。言語学科からも先生が3人、学生も数人来ていました。学会参加者の多くは明日日曜日にオアフ島ツアーに参加するようです。僕は参加しませんが、いつでも行けると思っているとなかなか行かないものです。個人的にはノース・ショアなどの人気スポットよりも、むしろカリヒとか、ワイアナエとかにピジン・ツアーに行くほうが楽しいんじゃないかと思います。
2005年2月18日
ハワイ語の授業で別のクラスを訪問し、そのクラスの学生とペア・ワークを行いました。教室に入るときに、チャントで歓迎され、うーん、このクラスのほうが鍛えられているなあと思いながら聞いていました。
East-West Centerでは、明日発表します。
2005年2月17日
午前中に、ハワイ語の授業でハワイアン・スタディーズの敷地内にあるタロ畑に行ってきました。ここには管理人にあたる人がいて、ハワイ語で説明をしてくれます。
夕方からは、East-West CenterのThe 4th Graduate Student Conferenceの基調講演とレセプションに参加してきました。13カ国から136人の参加者が来ているそうです。レセプションで話をした人はなぜかほとんどタイ出身の経済学の学生ばかりでした。写真は、開会式で披露されたハーラウ・モーハラ・イリマのダンサーによるフラの模様。このハーラウは毎年メリーモナークに出場している常連です。クム・フラのマプアナ・デ・シルヴァに加え、踊り手の中には彼女の2人の娘もいました。娘さんのうち1人はダンサーであるとともに、ハワイ語の先生で、KTUH(ハワイ大学のラジオ局)のラジオ番組のDJも勤めています。DJをやっているときは3時間の番組中ほぼハワイ語だけでしゃべっています。
2005年2月16日
明日からEast-West CenterでGraduate Student Conferenceが始まります。自分の発表は18日(土)の10:30からとなっています。明日は昼頃会場でパワーポイントの確認をする予定です。僕が入っているIssues in Linguisticsというセッションでは、言語学科の学生たちがLanguage Documentationに参加している学生たちと東チモールの言語事情についてグループ発表をするようです。
発表要旨はこちら。
今学期も土曜日の午前中はLanguage Documentationの活動に参加しています。僕はインドネシアの学生のお手伝いをしています。これまでの成果をここで見ることができます。
ところで、東北大学の後藤斉氏による「国内言語学関連研究機関 WWWページリスト」を見ていたら、新着コーナーでこのホームページが紹介されているのを見つけてびっくりしました。ここです。
グラミー賞関連の記事はまだ見つけていませんが、読者投稿欄で、ハワイアン部門設立に尽力したという弁護士による投稿を見つけました。もう少し待って、まとめてみるつもりです。ハワイアン・スタディーズの人々が今回の結果に憤慨しているようだということが、今日のハワイ語の授業で少しだけ話題になりました。といっても、少なくとも僕のクラスメートたちは、ハワイアン部門ができたことを歓迎しているようでした。残念なのは、言語学科の学生たちの間では全く話題にのぼらないこと。むしろ、留学生ではない日本からの一時滞在者や、日本にいる人(特にハワイイ研究会の人々)とは話が通じるのですが・・・。
2005年2月14日
初のグラミー賞ハワイアン部門は、Brotmanがプロデュースしたスラッキーのアルバムが受賞しました。つまり、「ダークホース」的な存在なわけですが、スラッキーが米国本土で人気が高く、投票者の多くがメインランド在住者というあたりが関係しているようだと以下の記事は分析しています。受賞後のスピーチは、まずBrotmanが行い、それからアルバム製作に参加しているギタリストの一人がハワイ語でスピーチを行ったそうです。
ハワイ語関連で興味深いのは、今回のカテゴリーは、「伝統的なハワイアン音楽」であり、ハワイ語(75%以上?)使用が条件に入っているにも関わらず、歌詞のないインストゥルメンタルのアルバムが受賞したという点につきます。記者会見で、アルバム製作参加者の多くがハワイで生まれ育ち、もしくは長年にわたってハワイに在住しているのだということが述べられたのは、この点の「正当性」をアピールするためなのかもしれません。詳細はわかりませんが、記事を読む限り、受賞後の記者会見ではかなり慎重に言葉を選んでいたようです。ただ、「他の4組とともにノミネートされたことは栄誉だけれども、自分たちが受賞する可能性があることもあるとわかっていたし、今回の受賞を全く予想していなかったわけではない」という発言にBrotmanたちの矜持を感じます。いろいろ言いたいことはあるのですが、とりあえず、今回の受賞を巡るハワイ内外の発言を注視していきたいと思います。
ちなみに、ハワイアンの受賞の模様はテレビで放映されていないようです。スターブルティンによれば、107部門中92部門は放送されていません。
スターブルティンの記事
アドヴァタイザーの記事
2005年2月13日
今日はいよいよグラミー賞の発表です。アドヴァタイザーの記事(ここです。)は、グラミー賞の影響をいろいろ分析しています。ハワイアン音楽が広く認知されるきっかけになるという期待がある一方で、それほどのインパクトはないのではないかという懸念もあるようです。(ハワイアンの前には、ネイティブ・アメリカンのカテゴリーが設けられ、売り上げに結びついたようですが、新しいカテゴリーが設けられたこと事体僕は知りませんでした。)今回のカテゴリーは「伝統的なハワイアン音楽」なので、今後、受賞やノミネートを狙うアーティストたちによって、ハワイ語による作詞が増えていくだろうとも論じられています。ちなみに、読者による予想では圧倒的な結果が出ています。記事の最後にグラフがあるのでご覧ください。
スターブルティンは、L.A.入りしたノミニーの様子を報じています。ここ。個人的にはカジメロ兄弟が受賞するのではないかと予想しています。なぜといわれると困りますけど。読みきれないのですが、もうひとつありました。ここです。
あと、今日はプロ・ボウルがあります。プロ・ボウルとは、アメフトのオールスター・ゲームのこと。といっても、アメフトのことを全く知らないので、興奮の度合いがいまいち伝わってきません。アドヴァタイザーの記事はここです。スターブルティンはこちら。米国本土のスポーツをハワイに誘致することに熱心な人がいる一方で、(おそらく少数ながら)ハワイの文化を外に向けて発信することにお金を使うべきだと主張する人もいるのだろうと推察します。元スター選手が「実はだれもハワイに来たくないんだ」という趣旨の発言をして、物議をかもしています。
2005年2月11日
夕方から雨が降りました。昼間は暑いくらいだったんですが、また寒くなってしまいました。強い風も吹き始めました。果たして今後の天候はどうなるのでしょうか。
発表の練習は済みましたが、鮮度の落ちたテーマに対する関心を持続させるのは大変だなあと感じています。とりあえず、来週、発表して、あとはさっさか新しいテーマに移行していくつもりでいます。
大家さん宅に、先日の新年会で50年ぶりの再会を果たした友人の方が遊びに来たようです。大家さんは普段物静かな人なんですが、今日は友人たちと延々と酒を酌み交わし、話も尽きることがなかったようです。50年ってこれまたすごい月日ですね。
今晩は研究会の後に、KC Drive-Innというレストランに行きました。(最近、外食が多くなっています。)店内はいかにもローカル的な雰囲気。お客さんもいかにもローカル。レジのところに所狭しと貼られているサイン入りの写真の中には、カジメロ兄弟(ミュージシャン、クムフラ)、サニー・チン(クム・フラ)、ジェイク・シマブクロ(ウクレレ奏者)、昨年ホノルル市長選を争ったデューク・バイナムとムーフィー・ハンネマン、その他、たくさんのローカルの有名人がいました。食事のほうはチキン・カツを注文。あんまり大きな声ではいえませんが、僕にはどうもアラモアナ・ショッピング・センターのフードコートの食事のほうがおいしく感じられます・・・。指導教官に言わせるとフードコートは最悪らしいのですが。
2005年2月10日
日本からの便りを読む限り、日本ではインフルエンザが猛威をふるっているようです。ハワイは暖かいのですが、だからといって誰も風邪をひかないわけではなく、言語学科でも風邪をひいている人を見かけます。特に、建物の中は冷房が効いていて寒いので、油断すると風邪をひいてしまいそうです。図書館なんて本は守るけど、人は守らないなんて声も聞こえてきます。(僕が広めているのかもしれませんが。)
さて、明日は言語学科の研究会で発表します。来週、イースト・ウェスト・センターである発表の練習です。今晩もうちょっとやらなければいけません。フラの補習として、ウニキ・クラスに参加してもいいといわれていたのですが、やっぱり無理そうです。ウニキ・クラスというのは、クム・フラ(フラの師匠)候補生のクラスです。本当は僕が参加できるわけないので、できれば参加したかったのですが、残念・・・。
2005年2月8日
授業が終わってからフラに行ってきました。ここのところ練習がハードになった感じがしています。補習を受けたい人は、ウニキ・クラスに参加してもよいといわれました。折角だし行ってみたいのですが、授業準備を考えるとちょっと難しそうです。
今日の新聞には、先住ハワイアン関連の記事が、アドヴァタイザーとスターブルティンに1つずつ出ていました。前者は、イラクで狙撃されて亡くなった先住ハワイアンの兵士の葬儀について報じています。会場はダウンタウンにあるカヴィアハオ教会で、「2つの文化」を持つ兵士を称えるために、ハワイアン式と米軍式を組み合わせた形式で執り行われたようです。後者の記事は、メインランドの刑務所に収容されている先住ハワイアンが新年を祝う儀式を行うことが認められたという内容でした。以前は、宗教でないからという理由で許可が出なかったとか。今回はキリスト教のサポートがあるそうです。つまりキリスト教が「異教」をサポートしているわけですから不思議です。
明日は旧正月ということで、ハワイ大学のキャンパスでは、ライオン・ダンスのパフォーマンスがあるようです。
2005年2月6日
今年からグラミー賞にハワイアン音楽のカテゴリーが設けられたそうです。今回ノミネートされたアーティストとCDについての記事がスターブルティンに出ています。ここです。今週は毎日、ノミネートされた人たちの特集を組んでいるようです。記事には、1930年頃のハリウッド映画で用いられた音楽や、1960年以来、ドン・ホーなどの限られたアーティストと結び付けられてきたハワイアン音楽が、ようやく認知されるだろうと書いてあり、また、本命は、ローランド&カジメロ・ブラザーズか、ケアリイ・レイシェルだろうと予想しています。今回設けられたカテゴリーは「伝統的なハワイアン音楽」ということで、ハパやナレオはコンテンポラリーとされているためノミネートの対象にはなっていないようです。個人的には、新たなカテゴリーが設けられるにいたった過程がどうなっているのか興味のあるところです。
2005年2月5日
大家さんに連れられて、沖縄県金武(きん)市出身の日系移民の新年会に参加してきました。会場は、ハワイ沖縄センター。建物脇にはIssei Gardenなるものがあり、移民の父といわれる富山久三(金武出身)の銅像が建っています。その背後には沖縄からの移民100周年を記念して金武市から贈られたという大きな石があって、「いざ行かん 我らの家は 五大州」という富山久三のことばが刻まれています。
新年会は、お祈りで始まり、沖縄音楽のパフォーマンス、ゲームの他、高校や大学卒業者を祝福したり、誕生日を迎えた高齢者を祝福したりしていました。大家さんの奥さんも誕生日を祝ってもらっていましたが、顔が埋まるほどのレイをかけてもらっているのを見て、ああ本当にこういう光景があるのだなあとしきりに感心していました。今回誕生日を祝ってもらっていた87歳のおじいさんおばあさんたちが、ステージ上でカチャーシーを踊っている姿もとってもほほえましかったです。また、エンターテイナーでは、ジョージ・シマブクロが出演していた他、元ハワイ州知事(先住ハワイアンで初)のジョン・ワイヘエ(奥さんが沖縄系なんですね)もいました。沖縄からハワイへ最初に移民を送り出した金武市の新年会ということで、数あるクラブの中でも一番規模が大きいようです。参加者は150人くらいだったでしょうか。
写真は、左から、富山久三の銅像、新年会会場、ステージ上の2世たち、バースデーケーキ(よく見ると富士山、鶴、亀、竹?が描かれています)。
2005年2月4日
2週間に1回の割合でやっている研究会の後に食事に行こうということになって、今日はハワイ大学から歩いてすぐのベトナム料理店(Tastes of Saigon)へ行ってきました。写真を3枚アップします。左からお店、University Av.、向かいの映画館です。
2005年2月3日
昼過ぎから気温が上がり、数日振りにハワイらしい夕暮れが戻りました。日本から「お客様」が来ていたので、ワイキキのBeach-Comber Hotelにマジック・オブ・ポリネシアというショーを見に行ってきました。これです。毎晩やっているそうですが、700席の会場は満員。木曜日の夜でしたが、ワイキキでは曜日は関係ないんでしょうね。
マジック・ショーの一部に、主演の日系3世ジョン・ヒロカワが「英語のできない日本人観光客」をいじるという演出があるのですが、毎晩やっていて、必ず適当な人が見つかるというあたり日本人の英語力を象徴しているのかもしれません。(だからといって別に日本人全員がもっと英語ができるようになるべきだと言っているわけではありません。)外国語訛りをネタにするエスニック・ジョークに関しては、ジョークなんだから真剣に取り合ってはだめだとする意見と、差別意識の現れだとする意見がありますが、僕としては、単なるジョークとも差別とも思えません。文化の表象の問題っておもしろいんだけど、いざ分析するとなると難しいです。
2005年2月2日
ここ数日は雨が続いています。それに寒くてハワイって感じじゃないなあなんて思っていたんですが、半そでを着て自転車に乗っている自分の姿を顧みて、2月にこんな服装をしているんだからやっぱりハワイなんだと納得してしまいました。
今月17日から19日にEast-West Centerで開催される学会で発表することになっており、授業の合間をぬって準備を進めています。僕は19日の午前中に2年前に書いた修士論文をアップグレードしたものを発表します。今回は英語でプレゼンテーションするということ、締め切りを設けることで研究を少しでも前に進めることの2つを目標にしています。ここでスケジュールと要旨を見ることができます。ハワイ州以外や米国以外からも発表者が来るようです。
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