世界劇場問答

世界劇場とは、世界=劇場、つまり、この世は舞台で、ひとはみな役者であるという人生観、世界観です。この考え方の根には、「私」や「自己」はそもそも存在せず、仮にあったとしても、それは世界のただ中に置かれたそれ自体としては何ものをも意味しない「もの」にすぎないという徹底的な無の思想があります。私たちは、根源的には空虚な存在で、たまたま与えられた世界の中のなにがしかの役を演じることによって初めて存在のかたどりを得るようになります。無が有に変身するのです。かといって、この思想は虚無主義ではありません。むしろ、積極的な現実主義だと、私は受け取っています。


All the world's a stage
And all the men and women merely players.
この世はひとつの舞台であり、人は男も女もみな役者なのだ
(As You Like It)

I hold the world but as a world, Gratiano,
A stage where every man must play a part.
グラシアーノ、僕はこの世をひとつの世界だって思っているよ、
つまり、誰もが役をこなさなけりゃならない舞台だってね。
(The Merchant of Venice)

How many ages hence
Shall this our lofty scene be acted over.
どのように時代は過ぎても、我らの行なったこの崇高な場面は
繰り返し演ぜられることであろう。
(Julius Caesar)

「この世は舞台、人はみな役者」の理念についての問答



○そうやってなんでもかんでも「劇」に見立てて何の意味があるのでしょうか?

表層的には、惰性的な生き方から抜け出せます。自分の生活(人生)を作品として意識することによって、自分自身、自分の行為、そして、自分を取り巻くあらゆるものごとに意識を向けることができます。そうやって向けられた意識は新たな発見をもたらしてくれるでしょう。

また、本質的には、無に徹することにより「自分」から抜け出し、自分を超えた豊かなものに繋がることができます。劇場では、凝り固まった「自分」自身を、役柄になること、繰り返し同じ生を生きることが解いてくれます。

舞台の上では私は私でありながら私ではありません。私は彼/彼女であり、かつ私です。あるいは、私は私でも、彼/彼女でも、何でもない何かです。そして、私の身体は決して私だけのものではなく、意識を超えた所で様々な「他なるもの」と繋がり合っている何ものかなのです。

劇場は、私の肉体がコスモスの一部であること、私がコスモスに繋がっていることをごく自然に、舞台の上で生き生きと生きる感覚を通して教えてくれます。コスモスが私の分だけ存在の欠けを作って私と一緒に動いてくれるから、私がこうして存在しているのです。舞台上で私が語るとき、コスモスが私のことばの分だけ沈黙を作って私と一緒に語ってくれるから、私のことばが世界に響くのです。

劇場では、私は私個人ではいられません。いつのまにかコスモスの一部と同化しているのです。



○何故そんな不確かなアイデンティティが豊かなのでしょうか?

そういう曖昧なアイデンティティこそもっとも自然だからです。固い同一性は人間が自然から切りとった破片に過ぎません。自分を陽炎のように変化させたとき、初めて人間は人間以上の何ものかになれる、いや、戻れるのです。

陽炎のアイデンティティを手に入れたとき、ひとは人間社会を超えたところで人間を包んでいるコスモスと響き合うことができます。人間が個から抜け出し、大いなる全体、生成するコスモスに繋がれるのです。


○劇をひとことで言えばどういうことでしょうか?

孤立した個を、生成する宇宙(コスモス)に繋ぎ止めてくれる力。

そして、更には、「個が実在する」という、現代では一つの信仰のように受け入れられている仮定を、ひとつの仮定にすぎないものとして捉えさせ、「個は実在するのではなく、芝居の役のように、空虚から湧き出すものである」という新たな仮定を提示してくれる力。

cf. D.H.ロレンス『アポカリプス論』
「われわれは生きて肉体のうちにあり、いきいきした実体からなるコスモス(大宇宙)の一部であるという歓びに陶酔すべきではないか。眼が私の身体の一部であるように、私もまた太陽の一部である。」
この本の日本語訳は福田恆存氏により『現代人は愛しうるか』という題で筑摩書房から出版されましたが、現在では絶版ですので図書館か古書店で探して下さい。 原文D.H.Lawrence, Apocalypseの抜粋はここにあります。


cf.坂部 恵『鏡のなかの日本語』(筑摩書房)30頁
「表面あるいは表面の束以外には何物も存在しない。「おもて」以外には何物も存在しない。反映以外には何物も存在しない。影以外には何物も存在しない。したがって、いかなる実体的な存在、自己同一的に固定された存在もない。多様でしかも無限のメタモルフォーズの世界以外には何物も存在しない。」


次の文章も参考になさって下さい。 人間この仮面なるもの〜仮面についての覚え書き〜


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