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ヨブ記は42章もある長い物語ですので、簡単には書けませんが、敢えて簡単な特徴だけでも4ページにまとめてみました。ヨブ記の本質は、今後のイエスの実像にも欠かせないものと考えられます。 |
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■作者と書かれた時期 作者は全く不詳です。イスラエル人で旧約聖書に詳しく、アラブ及びメソポタミアの歴史にも詳しく、本文中にアラム語調の文章があることから、アラム語を使っていたと思われます。 書かれた時期は、「ベン・シラの知恵」でヨブ記の知識が前提とされていますから、成立時期の下限はBC200年頃と想定できます。また、アラム語からの影響や一般的精神的な考えから、成立時期の上限は捕囚期以前に遡ることは出来ないと推定されます。従って「ヨブ記」の成立は、BC5世紀からBC3世紀までの期間であるとする説があります(A.ワイザー、『ヨブ記、私訳と注解』、1982年)。また、サタンと言う言葉が始めて登場する事から(ヨブ記以降に書かれたと思われる歴代史上21章1節、ゼカリア書3章1−2節にサタンの言葉が出てくる)、ペルシャのゾロアスター教の影響を受けていると考える人もいます。古い写本としてはアラム語訳であるタルグムの断片だけが見つかっていますので、アラム語からヘブル語にも翻訳された可能性も考えられます。ハパクス・レゴメノン(全聖書中1回しかでない単語)や独特の言い回しがあり、難解な箇所もあると言われますが、ヨブ記の表現がイザヤ書40章以下の文言を利用していると見られる事などから総合的に考えて、やはりバビロン捕囚後ペルシャにより帰還を許されたイスラエル人が、紀元前4〜5世紀頃に書いた可能性が最も高いと思われます。 サタン:一説では、ペルシャのゾロアスター教の善悪二元論(善と悪は交互にこの世を支配し、最後に激しい戦いが行われ、最後の審判の日に救世主が現れ、最終的に善が勝利する)にある、悪を現わす語としてアフリマン(afriman、敵対者)を、ヘブル人が二元論は無視して敵対者と言う概念だけを受継ぎ(エッセネ派はこの種の二元論を採用したと思われますが)、ヘブライ語のシャタン(敵対者、英語でadversary)を用いたとも言われます。ヨブ記のサタンは、神に敵対するものではなく人に敵対する者あるいは人を巡回監察する者と考えていたようです。もっと分かり易く言えば、サタンは神の側の者(いわゆる天使)、神に背く者(敵対者)がいないかを探る役割を担っていて、人間の神への忠誠心を試す天使であり、人間に対する敵対者となります。ヘブル語からギリシャ語に訳された時、ディアボロス(非難する者、背く者)と訳されたために、神に敵対する者と変化したとも考えられます。 ペルシャによりユダヤ人は捕囚から解放され厚遇された事により、ペルシャ宗教の善悪二元論や天使の思想、天界と黄泉、死後の思想がユダヤ教に大きな影響を与えた事は容易に理解出来ます。またペルシャからミトラ神、アナヒター神(水の女神)などが現れてローマ時代に大きな宗教勢力になりました。ゾロアスター教やユダヤ教や仏教などは、原始宗教の成長発展過程の中で、共通する思想を採り込んで行ったと思われます。 天使が堕落して堕天使になったと言う概念も生まれ(創世記に登場する巨人族の祖)、また申命記に生贄を捧げる対象として神以外のもう一つの対象としてのアザゼルがあったり、前1〜2世紀になるとエノクの書に堕天使(グリゴリ)などが詳細に創作されたりします。悪の権化としての地位に設定したのも、人間に共通する神秘思想から生じたものでしょう(これについては奇跡伝説のコーナーの中の神秘思想として書く予定です)。当然サタンというものは実体などはなく、人間の意識下にある悪の概念の投影と考えられます。旧約聖書偽典エノクの書は、初期キリスト教父により聖書と同等に扱われましたが、後にエノクの書が正典から外されても、中世のキリスト教では天使の細分化階級化が行われ、サタン=悪魔の構図から地獄の概念も詳細に描かれるようになり、キリスト教神秘思想の一部となったようです。 ■影響を受けた古代の物語 幾つかのメソポタミア文学(楔形文字で書かれた粘土板文書を含む)の影響を受けていると考えられています・・・これらは総称して「バビロニアのヨブ記(Babylonian Job)」と呼ばれますが、シュメール人が数千年前に作った「人と神(A Man and his God)」、アッカド人がBC1000年頃に作った「主の知恵を賛美する(I will praise the Lord of wisdom)」、紀元前5世紀頃のアッシリアでアラム語で書かれた諺集の「アヒカー物語(The story of Ahiqar)」などがあります。共通するのは、苦難を受けた人とその後の幸福の回復です。バビロン捕囚期に、この地にあった伝承が捕囚イスラエル人に与えた影響は大きかったのでしょう。同様に古代オリエントの民話の影響を受けたものに、トビト記(BC200年頃)があります。カトリックでは正典に入ってますが、プロテスタントでは外典扱いなのであまり知られていません。 トビト記:アッシリアのニネベに暮らす離散ユダヤ人トビトは、日頃から善行を積む人であったが、ある日危険を顧みず殺されたユダヤ人の死体を埋葬した。死体の穢れを嫌って庭で寝ていると、何とすずめの糞が目におちて失明してしまう。更に些細な事で妻を疑ってしまったトビトは、それを恥じて死にたいと願う。同じころ、悪魔アスモダイのせいで、夫たちが次々に初夜に死んでしまった事を悩む女性サラも、自らの死を願っていた。神はこれを聞いて天使ラファエルを差し向ける。色々な紆余曲折があったが、息子トビアの尽力でトビトの目は開かれ、トビアはサラについていた悪魔を追い出して、サラと結婚して幸福な生涯を過ごした。 ■物語の舞台設定
舞台となった年代は、伝統的解釈と考古学的な解釈に大きな違いがありますが、鉄を知っていた記述から青銅期時代以降である筈ですから、出エジプトよりも少し前、紀元前14〜13世紀頃であると考えられます。つまり、ヨブ記の作者の生きた時代よりも千年近い古い時代を背景にして、異民族を主人公に書いたと思われます。これはヨブ記の内容が申命記に批判的であるために、そうした配慮をしたのだと考えます。ついでに申せば、ヨブ以外の友人はアブラハムか近親の子孫で、ヨブだけがアブラハムの系統からは離れているのも、同じ理由かと推量します。当然ながら史実ではなく、史実に似せた創作物語でしょう。 エドム王国は、かなり後に宗教としてはバール神に変化したようで、更に紀元前3世紀頃に東側はナバテア王国に侵略され(ナバテアの中心地となったのはテマン近くのぺトラ)、西側だけが残されイドマヤ(ヘロデ大王の出身地)と呼ばれるようになったようです。エドムとナバテアに関する詳しい解説はこちらのページで読めます(英文、ヨブについての仮説もあります)。 ■登場人物
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■ヨブ記の構造 冒頭と末尾が散文体で書かれていて、途中は非常に長い(冗長とも思われそうな程)詩文の構成になっていています。戯曲のようだと言われる方もあります。詩文には作者の隠された意味があるようです。そして散文体の箇所は、風刺とも思えるような内容になっているのではないでしょうか。
研究者によっては(R・フィッシャー)、ヨブ記は単独で書かれたものではなく、古い伝承に後から「ヨブの嘆き」が追加されたのではないかと考える方があります(下の表)。
追加2が後代のものであると考える説で・・・この世の苦しみの現実を直視すべき事の大切さと説き、因果応報で「説明」する当時の「正統派」のユダヤ教徒の見解を過激に批判している(追加2を独立の著作として読み、それを抑圧されたマイノリティの声として、「無実なるものの叫び」として聴かなければならない)・・・としています。要するにエピローグのハッピーエンドでは、申命記律法の言う因果応報になってしまう事で矛盾を生じるという考えです。しかし、ヨブ記のエピローグが本当に因果応報・ハッピーエンドを示しているのかどうか、これによっては単独作であると言える可能性もあります。私は後者(つまり単独作)ではないかと推測しますが(ハッピーエンドは巧妙な仕掛け)。どちらにしても、伝統的キリスト教教義の解釈ではヨブ記は理解できないのは同じです。 では次に、ヨブ記のあらすじを次のページで・・・ |
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