47.旧約最大の傑作、ヨブ記の背景と構造

ヨブ記は旧約聖書知恵文学の最大の傑作と言われていますが、内容は宗教の本質に迫るものがあります。一読すると、絶対的信仰と因果応報の話のように思えながら、何か釈然としないと言った感想はほとんどの人が持ったのではないでしょうか。何度か読むうちに、作者の言いたい事がおぼろげながら見えてきたりしますが、更に進むと、これは宗教の本質を問うている、あるいは難問を投げかけている書物ではないかと思い始めます。ヨナ書も不思議な文書ですが、何故こういう文書が旧約聖書正典に入ったのかは分かりませんが、これが懐の広いあるいは奥が深いと言われる理由の一つになっているのではないでしょうか。

ヨブ記は42章もある長い物語ですので、簡単には書けませんが、敢えて簡単な特徴だけでも4ページにまとめてみました。ヨブ記の本質は、今後のイエスの実像にも欠かせないものと考えられます。


■作者と書かれた時期

作者は全く不詳です。イスラエル人で旧約聖書に詳しく、アラブ及びメソポタミアの歴史にも詳しく、本文中にアラム語調の文章があることから、アラム語を使っていたと思われます。

書かれた時期は、「ベン・シラの知恵」でヨブ記の知識が前提とされていますから、成立時期の下限はBC200年頃と想定できます。また、アラム語からの影響や一般的精神的な考えから、成立時期の上限は捕囚期以前に遡ることは出来ないと推定されます。従って「ヨブ記」の成立は、BC5世紀からBC3世紀までの期間であるとする説があります(A.ワイザー、『ヨブ記、私訳と注解』、1982年)。また、サタンと言う言葉が始めて登場する事から(ヨブ記以降に書かれたと思われる歴代史上21章1節、ゼカリア書3章1−2節にサタンの言葉が出てくる)、ペルシャのゾロアスター教の影響を受けていると考える人もいます。古い写本としてはアラム語訳であるタルグムの断片だけが見つかっていますので、アラム語からヘブル語にも翻訳された可能性も考えられます。ハパクス・レゴメノン(全聖書中1回しかでない単語)や独特の言い回しがあり、難解な箇所もあると言われますが、ヨブ記の表現がイザヤ書40章以下の文言を利用していると見られる事などから総合的に考えて、やはりバビロン捕囚後ペルシャにより帰還を許されたイスラエル人が、紀元前4〜5世紀頃に書いた可能性が最も高いと思われます。

サタン:一説では、ペルシャのゾロアスター教の善悪二元論(善と悪は交互にこの世を支配し、最後に激しい戦いが行われ、最後の審判の日に救世主が現れ、最終的に善が勝利する)にある、悪を現わす語としてアフリマン(afriman、敵対者)を、ヘブル人が二元論は無視して敵対者と言う概念だけを受継ぎ(エッセネ派はこの種の二元論を採用したと思われますが)、ヘブライ語のシャタン(敵対者、英語でadversary)を用いたとも言われます。ヨブ記のサタンは、神に敵対するものではなく人に敵対する者あるいは人を巡回監察する者と考えていたようです。もっと分かり易く言えば、サタンは神の側の者(いわゆる天使)、神に背く者(敵対者)がいないかを探る役割を担っていて、人間の神への忠誠心を試す天使であり、人間に対する敵対者となります。ヘブル語からギリシャ語に訳された時、ディアボロス(非難する者、背く者)と訳されたために、神に敵対する者と変化したとも考えられます。

ペルシャによりユダヤ人は捕囚から解放され厚遇された事により、ペルシャ宗教の善悪二元論や天使の思想、天界と黄泉、死後の思想がユダヤ教に大きな影響を与えた事は容易に理解出来ます。またペルシャからミトラ神、アナヒター神(水の女神)などが現れてローマ時代に大きな宗教勢力になりました。ゾロアスター教やユダヤ教や仏教などは、原始宗教の成長発展過程の中で、共通する思想を採り込んで行ったと思われます。

天使が堕落して堕天使になったと言う概念も生まれ(創世記に登場する巨人族の祖)、また申命記に生贄を捧げる対象として神以外のもう一つの対象としてのアザゼルがあったり、前1〜2世紀になるとエノクの書に堕天使(グリゴリ)などが詳細に創作されたりします。悪の権化としての地位に設定したのも、人間に共通する神秘思想から生じたものでしょう(これについては奇跡伝説のコーナーの中の神秘思想として書く予定です)。当然サタンというものは実体などはなく、人間の意識下にある悪の概念の投影と考えられます。旧約聖書偽典エノクの書は、初期キリスト教父により聖書と同等に扱われましたが、後にエノクの書が正典から外されても、中世のキリスト教では天使の細分化階級化が行われ、サタン=悪魔の構図から地獄の概念も詳細に描かれるようになり、キリスト教神秘思想の一部となったようです。

■影響を受けた古代の物語

幾つかのメソポタミア文学(楔形文字で書かれた粘土板文書を含む)の影響を受けていると考えられています・・・これらは総称して「バビロニアのヨブ記(Babylonian Job)」と呼ばれますが、シュメール人が数千年前に作った「人と神(A Man and his God)」、アッカド人がBC1000年頃に作った「主の知恵を賛美する(I will praise the Lord of wisdom)」、紀元前5世紀頃のアッシリアでアラム語で書かれた諺集の「アヒカー物語(The story of Ahiqar)」などがあります。共通するのは、苦難を受けた人とその後の幸福の回復です。バビロン捕囚期に、この地にあった伝承が捕囚イスラエル人に与えた影響は大きかったのでしょう。同様に古代オリエントの民話の影響を受けたものに、トビト記(BC200年頃)があります。カトリックでは正典に入ってますが、プロテスタントでは外典扱いなのであまり知られていません。

トビト記:アッシリアのニネベに暮らす離散ユダヤ人トビトは、日頃から善行を積む人であったが、ある日危険を顧みず殺されたユダヤ人の死体を埋葬した。死体の穢れを嫌って庭で寝ていると、何とすずめの糞が目におちて失明してしまう。更に些細な事で妻を疑ってしまったトビトは、それを恥じて死にたいと願う。同じころ、悪魔アスモダイのせいで、夫たちが次々に初夜に死んでしまった事を悩む女性サラも、自らの死を願っていた。神はこれを聞いて天使ラファエルを差し向ける。色々な紆余曲折があったが、息子トビアの尽力でトビトの目は開かれ、トビアはサラについていた悪魔を追い出して、サラと結婚して幸福な生涯を過ごした。

■物語の舞台設定

主人公のヨブは、ユダヤから見て東の国のウツに住んでいる人物になってます。このウツと言う地方名はヨブ記以外に出てきませんが、本文中の登場人物や時代背景が分かりそうな記述と創世記の記述との関連から、おおよそ推定が可能ですが、右の地図にあるエドム王国付近でしょう(ウツと言う人名は創世記にあるとおり、セムの息子のアラムの息子がウツですが、これに関連しているかどうかは不明です)。ウツの場所を推定する詳細は書けば非常に長いページになりますから、ここでは省略しますが、簡単に・・・

  1. ヨブの友人であるテマン人エリファズの住んでいた町テマンからはそれほど遠くないと思われる。
     
  2. ヨブ(Job)のモデルになったと推測するヨバブ(Jobab)は2代目エドム王であり、ボツラ生まれであった。
     
  3. 「鉄は砂から採り出し銅は岩を溶かして得る(28:2)」砂鉄から鉄器、銅鉱山から青銅器を作っていたようで、プノンの銅鉱山は知られていた。
     
  4. エドム王国を「王の道(King's Highway)」と言うエジプト・アラビア・シリアのダマスコ間の交易路が通っていて、砂漠の中の中継地となった町にはオアシスがあり、また牧畜業が主体であった。文中に「テマの隊商」(テマはエドムから南東の地)「シェバの旅人」(シェバは現在のイエメン)の言葉が出てくる。

舞台となった年代は、伝統的解釈と考古学的な解釈に大きな違いがありますが、鉄を知っていた記述から青銅期時代以降である筈ですから、出エジプトよりも少し前、紀元前14〜13世紀頃であると考えられます。つまり、ヨブ記の作者の生きた時代よりも千年近い古い時代を背景にして、異民族を主人公に書いたと思われます。これはヨブ記の内容が申命記に批判的であるために、そうした配慮をしたのだと考えます。ついでに申せば、ヨブ以外の友人はアブラハムか近親の子孫で、ヨブだけがアブラハムの系統からは離れているのも、同じ理由かと推量します。当然ながら史実ではなく、史実に似せた創作物語でしょう。

エドム王国は、かなり後に宗教としてはバール神に変化したようで、更に紀元前3世紀頃に東側はナバテア王国に侵略され(ナバテアの中心地となったのはテマン近くのぺトラ)、西側だけが残されイドマヤ(ヘロデ大王の出身地)と呼ばれるようになったようです。エドムとナバテアに関する詳しい解説はこちらのページで読めます(英文、ヨブについての仮説もあります)。

■登場人物

主人公 ヨブ:(ヨバブ王がモデル?財産の多さ、聖別や全焼の生贄を捧げる行為から、祭司よりも王のような身上)。推定系図は、ノア→セム→アルパクシャデ→シェラフ→エベル→ヨクタン(アラビア民族の祖)→ヨバブ(初代エドム王ベラの後継者、2代目エドム王)

  • ヨブの妻:名前不詳。ヨブの不幸に対して「神をのろって死になさいな」の一言が、悪女の見本のよう思われてしまった。
     
  • 友人1 テマン人エリファズ:最初に発言しているので年長者で高齢者。推定系図は、ノア→セム→アルパクシャデ→シェラフ→エベル→ペレグ→リウ→セルグ→ハホル→テラ→アブラハム→イサク→エサウ→エリファズ(エドム民族の父)。エリファズの息子がテマン。
     
  • 友人2 シュア人ビルダデ:アブラハムとケトラの間に出来たシュア(ミディアンの兄弟、アラビアの砂漠に住んだ)の子孫。住んでいた場所は不明ですが、ヨブやエリファズの地からそう遠くない場所と推定されます。
     
  • 友人3 ナアマ人ツォファル:ナアマ人の住んでいた場所については諸説色々とあります(エドムとモアブとの境付近、南のミデアン付近など)。友人3人揃ってすぐに来ているところから考えて、ヨブの地からそう遠くない場所と推定されます。可能性としては、民数記22章2節に名前が登場するモアブの戦士の「ツィポルの子バラク」のツィポル(Zippor)がツォファル(Zophar)ではないかと言う説があります。これだとアブラハムの甥のロトの子孫となります(アブラハムの弟ハラン→ロト・・・→ツィポル→バラク)。
     
  • 青年 エリフ:3人の友人以外に最後に登場する友人で、最も若い青年。ラム族のブズ人、バラクエルの子。推定系図は、アブラハムの弟ナホル→ブズ(ブズ人の祖)・・・→バラクエル→エリフ。場所は全く不明です。
     
  • :序曲(導入)と終曲(結末)部分は、神の名前はヤハウェかエロヒムが使われ、3〜37章の対論部分ではエルかエローアかシャダイが使われています。細かい使い分けの詳細な根拠が私には分かりませんが、38章の神の顕現からは元のヤハウェ・エロヒムに戻っている作者の意図はあると思われます。
     
  • サタン:神の前に神の子らが集まった時サタンも出席していて、神に呼ばれ親しそうに話す、地上の監察者巡回者。

■ヨブ記の構造

冒頭と末尾が散文体で書かれていて、途中は非常に長い(冗長とも思われそうな程)詩文の構成になっていています。戯曲のようだと言われる方もあります。詩文には作者の隠された意味があるようです。そして散文体の箇所は、風刺とも思えるような内容になっているのではないでしょうか。

  1. 序曲 神とサタンの賭け、無垢なヨブに対する理不尽な試練(1〜2章)・・・散文体
  2. 論争 ヨブと3人の友人エリファズ、ビルダド、ツォファルとの対話(3〜31章)・・・詩文(韻文)
  3. 論評 青年エリフの友人とヨブへの批判(32〜37章)・・・詩文(韻文)
  4. 神との対話 嵐の中からきこえる神の声(38章1節〜42章6節)・・・詩文(韻文)
  5. 終曲 神の絶対的正しさを訴えた友人は叱責を受け、神を告発したヨブは祝福を受ける(42章7節〜17節)・・・散文体

研究者によっては(R・フィッシャー)、ヨブ記は単独で書かれたものではなく、古い伝承に後から「ヨブの嘆き」が追加されたのではないかと考える方があります(下の表)。

古いヨブ記 追加されたヨブ記
プロローグ (1:1-5、13-22、2:9-13)
ヨブの言葉 (27:1-23、29:1-31:41)
ヤハウェの応答 (38:1-40:2)、ヨブの応答 (40:3-5)
ヤハウェの応答 (40:6-41:26)、ヨブの応答 (42:1-6)
エピローグ (42:7-17)

追加1
プロローグ (1:6-12、2:1-8)
エリフの言葉 (32:1-37:24)

追加2
ヨブの嘆きの詩篇 (3:1-26:24)

追加2が後代のものであると考える説で・・・この世の苦しみの現実を直視すべき事の大切さと説き、因果応報で「説明」する当時の「正統派」のユダヤ教徒の見解を過激に批判している(追加2を独立の著作として読み、それを抑圧されたマイノリティの声として、「無実なるものの叫び」として聴かなければならない)・・・としています。要するにエピローグのハッピーエンドでは、申命記律法の言う因果応報になってしまう事で矛盾を生じるという考えです。しかし、ヨブ記のエピローグが本当に因果応報・ハッピーエンドを示しているのかどうか、これによっては単独作であると言える可能性もあります。私は後者(つまり単独作)ではないかと推測しますが(ハッピーエンドは巧妙な仕掛け)。どちらにしても、伝統的キリスト教教義の解釈ではヨブ記は理解できないのは同じです。

では次に、ヨブ記のあらすじを次のページで・・・


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