R・ロバート・ハリスター(R. Robert. Hollister)氏について

1883年か1884年?に生まれたと思われる。20歳の時から信仰に励み始める。

24歳からは,当時のIBSAの会長であったラッセルから,カナダとイギリスのマスコミ新聞紙上に,週に一度発表される「ラッセル師の聖書講話」(Pastor Russel's Sermons)を紹介する役目を負った。当時3,500種近くの新聞がラッセル会長の説教を掲載したが,そのうち1,000以上はロバートが契約したものであった。26歳までこの仕事を請け負った。

1912年,IBSAは東洋での宣教活動の準備のために委員会を結成し,視察旅行をした。この後,ロバートは東洋でのIBSAの活動を促進する代表者に指名される。彼は単身でインド,中国,日本,朝鮮に渡り,冊子が地方の方言・言語に翻訳されるよう手配した。

たとえばインドでは,広く使用される六つの言語で10万部ずつ印刷物を作成・配布した。英文でのThe Friend of all People(『万民の友』)というところの冊子を主に使用した。中国では,文言(Wenli)と官話(Mandarin)で各百万部以上を発行。日本と朝鮮では各国語で500万部を印刷・頒布した。

『世々に渉る神の経綸』(1913)の奥付。ハリスターが発行代表者となっている

後に,ロバートは日本のゴトウという医師から受け取った手紙を紹介している。

"I have been a Christian for the past thirty years. Of late I became discouraged, and have been staying home from church. At this time 'Bamin-No-Tomo' (The Friend of All People) came. I got in touch with several Christian friends, including the postmaster of a nearby town, who had been a Christian for the past fifty years. We met together and read 'Bamin-No-Tomo,' and after complete discussion we decided we wanted to lead the people according to 'Bamin-No-Tomo.'"

(訳文:私は過去30年間キリスト者でした。最近私は落胆するようになり,教会に行かずに家にとどまっていました。こんな時に『万民の友』を入手しました。私は,近くの町の50年来のキリスト者である郵便局長を含め,数人の信友と連絡を取りました。我々は相会して『万民の友』を読み,よくよく議論した後に『万民の友』によって人々を導くことに決めました。)

後にハリスターに届いた続信によると,このグループはハリスターが手配した東洋十ヶ国語の冊子類のうち,『世々に渉る神の経綸』を含む四つの言語で多くの頒布をしたとのことである。

日本を含め,これらの冊子類の大部分は主に現地人によって配られるよう手配された。この間,ロバートの兄弟であるウイリアム・J・ハリスター(William J Hollister 1885か1886~1960/9)とその妻グレース・A・ハリスター(Grace A. Hollister),さらにファニー・L・マッケンジーも一部活動を共にしたようである。

左からウイリアム・ハリスター夫妻,ヒロセ氏,ファニー・マッケンジー,ロバート・ハリスター

ロバートの東洋各国での活動は,1914年の第一次世界大戦で中止されるまで継続し,その後東洋を後にして,オーストラリア,ニュージーランド,アメリカ,イギリス等を転々としたようである。

IBSAの会長が交代した後,各国では団体の分裂活動が起きた。遅くとも1929年以降ロバートは,IBSAと袂を分かったPastoral Bible Instituteというグループの中で活動していたことが知られている。

1980年10月28日,オハイオ州のMonroeにて96歳で死去。肉親はウイリアムのほかに,兄弟のBenjamin F. Hollisterがいる。また初期WATCH TOWER誌では常にHorace E. Hollister (1879-1955/12)という人物の名が挙げられていることから,この人もロバートと何らかの血縁関係にあったのかもしれない。