四斗谷、妙見山(しとだに、みょうけんやま)620m
白髪岳の西側にある槍状の尖峰、西北東部の眺め良好。山頂に妙見宮の祠あり。別名とんがり山

地図   国土地理院 1/25000 谷川
日時   2002年9月9日  10時56分〜16時40分
天候   晴れ
同行者  なし
経路   黒石・住吉神社ー林道十字路ー炭焼小屋跡ー四等三角点黒石谷ー528m峰ー妙見山頂ー妙見宮跡ー妙見宮ー四斗谷ー570m峰ーマムシ峰ー林道十字路ー黒石・住吉神社


登山コース 西脇市から白坂トンネルを越え、上鴨川で国道372号線に出合う。372号線を篠山市方向に進み、本荘の信号交差点を県道141号線沿いに北へ進む。黒石ダムの方向である。
 ジャパンビレッジGCへの進入路を過ぎ、しばらく進むと右側に神社がある。神社名は入り口付近には無い。石灯籠には”愛宕山”の文字が読める。
 神社入り口に車3台位のスペースがあり、そこに駐車する。
 神社には入らず、県道を北へ歩くとすぐに、東へ進入する林道に出合う。ここを進む。
 新しいコンクリート舗装道から古いアスファルト舗装道に入る。北側の一段高い山畑に、畑仕事中のお婆さんがいる。
 「こんにちは」
 「こんにちは、四斗谷ですか」とお婆さん。70歳をこえている感じである。
 本日の登山予定ルートを説明する。
 「へえ、そんな山が有るんですか、私も今は亡くなった・・さんと、フキを採りに、そちらの谷に何度も行ったんですよ。谷に水はないんですよ。水は地下に沈み込んで川まで行っているんです。水は本当にきれいんですよ」
 お婆さんは、やはり女性らしく、よく語ってくれる。
 帰り道にも会えるかななどと思いながら別れる。
 11時10分、十字路に着く。北へ進む。
 11時11分、谷、水は無い。藤ずるで、10本ほどの丸木を束ねた橋が架かっている。対岸、少し小高い場所に、ほとんど使用されていない様子の炭焼小屋がある。
 山道は小屋の前から西へと山腹を巻いて、伸びている。
 しかしすぐに、道は消えた。伐採された雑木がかなり上部まで散らばっている。その方向に進む。
 ほとんど恒例となった”道無き道”登山の始まりである。
 地図上尾根は西方向である。これを意識しながら登る。途中、きれいに構築された状態の残る炭焼釜跡があった。対山のマムシ峰への行路にも、炭焼釜跡が幾つもあったことを思い出す。
 次第に雑木の中へ進み、小さな短い尾根を経由して、日当たりの良い稜線に出る。
 11時56分であった。地図上三角点のある辺りである。
 判断は的中していた。すぐそばに三角点があった。
 過去に一度も見た事の無いタイプの三角点である。
 コンクリート製の四角柱で、その頂部には金属の円盤が埋められていて、そこにに文字が刻まれている。
 四等三角点や、建設省国土地理院の文字もある。新しいタイプの三角点標識である。
 このコースを選んだ理由の一つはこれに出合うことでもあった。
 ここからの眺望は、南北が良い。
 山道も少し良くなっている。
 カラスアゲハが舞っている。
 12時51分、528m峰と想われる頂上に着く。松・枯れ松・コナラ・アセビ・ツツジ等に蓋われて、見晴らしは不良である。その後、岩のある頂上や尾根を過ぎ、笹の多い道となる。笹はやがて背丈よりも高くなり、細くて視界不良の道が続く
 12時58分、分岐道。南への道をとる。この時点から、幹や枝に巻かれた、赤と青のテープ標識が表れてくる。
 13時09分、またもや分岐道。東(左)への道をとる。地図と磁石が大いに役立ってくれる。
 やがて、岩で成る、急斜面が現われる。小形の槍が岳の様相である。
 13時19分、頂上に着く。途中の苦難の道を思へば、予想よりも速い登頂であった。

妙見山(今田町辰巳地区からの)


 山頂には、積み上げられた石組みの上に、小さな木の祠が置かれている。石組みから祠の中へと、長い蛇のヌケガラが巻付き、中には”南無妙法蓮華経”の木札が納められている。
 祠の東壁の外側には「登頂記念 H4年3月9日 大阪 藤木秀麿・暁子」のプレートが張られていた。大阪からここまで来て、プレートを付けてゆく、しかも夫婦と想われる。いかなる人達なのか、まさか藤木高嶺さんの関係者ではあるまい。
 視界は素晴らしい。南部のみ見晴らしが無い。
 西光寺山や白髪岳や松尾山の眺めが良い。
 祠の東に腰を下ろし、弁当を食べる。雲が多く、陽射しもゆるい。
 ここでも、カラスアゲハが舞う。雌雄と想われる2匹が、ひらひらと飛ぶ。
 また、ミツバチよりやや小形のハチが、空き地の中央でホーバークラフトの如く羽ばたいている。このハチは晴れた日の山頂でよく見かけることがある。常に、空き地の中央で出会う。かって我が家の狭い庭の、小さなモミジ葉を切り落としていた、ハキリバチに似ている。
 南に向かって座りやすい位置で、食事をする私の左側へ、大きなカマキリが歩いて出てきた。
 虫たちに歓待されているのか、監視されているのか、頂上はにぎやかである。
 ふと見ると、カマキリのそばに黒っぽい穴あきのコインが落ちている。五円玉か!と思うも、そうではない。穴が四角である。
 古銭の可能性があり、拾い、持ち帰る。・・・後に洗い、ルーペで見ると、”寛永通寶”の文字がある。
 江戸時代・寛永に造られた貨幣であった。古い信仰を裏付ける山である。・・・


 13時47分、南への道を下る。より広く、よく踏まれた道である。四斗谷地域への道であろう。
 14時18分、妙見宮跡に着く。頂上同様の祠が三つ、中央に「妙見宮跡」の石柱、石灯籠が二つあり、あいだに石段が下へ続く。二段になった敷地跡は、石垣で支えられている。
 妙見宮跡からの道はさらに良くなり、広くなる。小さな祠を二つ過ぎ(一つの祠には大きな鈴付)

鈴付の祠

、三つの石碑に出合う。いずれの碑にも「南無妙法蓮華経」の文字と僧らしき戒名(法名)が刻まれている。
 14時36分、山麓の妙見宮に着く。建物が二つ、新しいものと古いもの、庭に蛇口があり、顔を洗う。顔が判明しない程の古いお地蔵様が幾つかある。
 四斗谷地域である。きれいな水と、その流れの音が聞こえてくる。
 西へ向かう林道があり、帰路に向かう。四斗谷から峠を越えれば、黒石の住吉神社に行けるはずである。
 ゆるやかな坂道のアスファルト舗装は、右側に一軒の人家を見て過ぎ、山中に入り、やがて無舗装に変わる。途中で道端に、樅の大木もある。
 15時00分、建物に遭遇、かなり大きな平屋が二つある。一つは側らに、もうひとつは50mばかり離れて、右奥にある。遠くの中は見えないが、近くの建物の中は見えた。
 建物の中に、幾つもの鉄格子の檻が広い間隙で置かれている。一頭の犬が、間隙の地面に寝そべっている。
 これは猟犬小屋である。
 遠い側の建物まで広い道が続いている。が、その先の道は見えない。
 道はここで分岐している。
 真東への、草生した道を選ぶ。おりから、激しい犬のほえ声が響く。数頭以上の大合唱である。
 これには閉口(一人ではあるが)、逃げるように足を運ぶ。
 犬のほえ声は益々激しく、私を追い立てる。
 幅広の道は狭まり、やがて消え去る。
 水のない谷は次第に奥まってくるが、足場はがらがらと、歩き難い。
 左(南)側寄りの尾根を目指して、谷を離れる。
 しかしこれは、後で解ったことであるが、少し早く谷を離れすぎた。黒石地区へ向かう峠からは、大きく離れた場所であった。いつまでも続く、犬のほえ声に惑わされたのかも知れない。あるいは犬小屋の側の分岐道で、すでに道を誤っていたのかも知れない。
 小さいが急な尾根を見つけて、雑木の間をさらに上へと登る。
 15時28分、見覚えのあるピーク、青いテープもある。570m峰であった。一ヶ月前の記憶は、まだ新しい。
 呆れるほどの遠回りである。時間と体力にゆとりがあったから、やってしまったのではあるが、褒められた事ではない。恥ずかしい。
 15時54分、マムシ峰着。本日は蛇との遭遇は無かった。
 16時20分、十字路着。黒石と四斗谷を繋ぐ、峠道の南北の尾根を、ぐるりと一周して来たのである。


 山畑にお婆さんはまだいた。
 私 「やあ、帰ってきました」
 お婆さん 「四斗谷の山ですか、うち(家)のお父さんが、”みょうけんやま(妙見山)だろう”と言っていました」近くに住む方である。昼食は自宅で、ご主人には私のことも話したらしい。
 私 「あ、そうです。頂上に祠があって、中に南無妙法蓮華経のお札がありました」山の名前は妙見山であった。
 お婆さん 「私は行った事が無いんですが、四斗谷では妙見さんの祭りがあるんですよ」
 お婆さん 「峠を帰っていらしたんですか」
 私 「いえ、道に迷って、あちら側の山のてっぺんまで登り、十字路の反対側から下りてきました」
 お婆さん 「私も高校生の頃に、四斗谷の峠を歩いたことがあるんですよ。えらい(大変な・・方言)道でした。たった一度だけですが」
 その頃からは50年以上が経過しているであろう。
 私は、明らかに道を間違えていた。多分犬小屋の位置からであろう。
 お婆さんと別れて車に戻る。


 その他

 始終、くもの巣が行く手を遮り、足元に劣らず、眼前に注意を取られる山行でした。
 妙見山登山は四斗谷の妙見宮からが容易であります。
 多田繁次氏著書による”とんがり山”は地元では妙見山と呼ばれている。
 私の、このHP内の山行記”虚空蔵山”で記載した”白髪山の西に存在する存在感のある山”はこの妙見山のことでした。
 

                                            (完)