世界史講義録
  



第78回  フランス革命1


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革命前のフランス
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 イギリスの名誉革命、アメリカの独立革命は、ともに、市民が権力をにぎる政府をたてました。だから、これらの革命を市民革命という。産業をになう市民たちが、経済だけでなく、政治をも動かすようになったわけで、国家の仕組みとしては合理的です。
 一方、イギリスのライバル、フランスは古い社会制度のままでした。
 古いままのフランスの社会制度をアンシャン=レジームという。「旧制度」と訳します。

 アンシャン=レジームを代表するのが身分制度です。三つの身分にわかれていた。
 第一身分が聖職者。第二身分が貴族。第三身分が平民です。第一身分と第二身分が特権階級。平民には、都市の商工業者、職人、農民などが含まれる。都市の商工業者は、いわゆる市民階級です。経済的には力を持ちはじめていたけれど、身分的には一番下なわけです。だから、この身分制度に対しての不満は大きかった。
 さらにみていくと、第一身分である聖職者の数は14万人、第二身分の貴族は40万人、第三身分の平民は2600万人でした。人口のわずか3%しかない圧倒的少数の第一身分と第二身分が、国土の40%を領有して、各種の特権をもっていた。最大の特権は、免税特権です。ようするに、かれらは大金持ちなのに、税金を納めなくてもよかったわけです。税金の負担はすべて、第三身分に押しつけられていた。

 特に、農民の暮らしぶりはかなり悲惨だったようで、当時イギリス人のアーサー=ヤングという人がフランスの農村を旅行して、おばあさんだと思った女性が28歳だと知って驚いたと書いています。貧困と激しい労働で、若いのにおばあさんのような姿になっていたという。
 教科書にも資料集にも載っているフランス革命当時の風刺画です。第一身分の僧侶と第二身分の貴族が肩を並べて立っている。かれらは大きな石の上に立っているでしょ。その石の下では、人間が下敷きになってもがいています。これが、第三身分の平民です。当時の身分制度は、まさにこの絵のようにフランス人たちに意識されていた。

 特権階級である貴族たちは、アンシャン=レジームをどのように考えていたのでしょうか。
 ルイ15世の愛人だった女性で、ポンパドゥール夫人という人がいます。この人が「我らのあとに洪水はきたれ」という言葉を残しています。意味わかりますか。ヨーロッパ人が洪水と言えば、旧約聖書にでてくるノアの箱船の洪水です。神を忘れて、堕落した生活をおくる人間をみて、神は人類を皆殺しにしてきれいさっぱり消し去ろうと考えた。ただ、ノアという男だけが、神に深い信仰を持ちつづけていたので、この男とその家族だけは助けてやろうとした。そこで、神はノアにお告げをあたえて、大きな箱船をつくらせた。やがて、神は大洪水をおこした。人々はみな死んでしまったけれど、箱船に乗ったノアとその家族、もろもろの動物たちだけが助かった、というお話です。
 要するに、洪水とは、神があたえる天罰。それによって人間は滅ぼされる、というわけ。ここで、ポンパドゥール夫人が、洪水という言葉を使っているのは、自分たち貴族が平民たちを犠牲にして、贅沢三昧な生活をおくっていることに対して、神の罰がくだるだろうと自覚しているわけです。堕落した生活だとわかっている。だけれども、楽しいからやめられない。いずれ、天罰がくだるだろうけれど、「神様、罰をあたえるのは私が死んだあとにしてね」という気持ちが、「我らのあとに洪水はきたれ」という言葉に表現されているわけです。
 貴族にも、アンシャン=レジ−ムの身分制度が時代遅れでおかしいと、わかっている人はいたのです。
 プリントに載せているのは、ポンパドゥール夫人の肖像画。机の前に座っている。手に持って広げているのは、楽譜です。芸術に理解のあるところを見せている。机の上には、本が並んでいます。本物の絵では、本の題名もはっきり読みとれるように描かれていて、この本が何かというと、「百科全書」。これは、アンシャン=レジームを批判する学者グループがつくったもので、身分制度を批判しているものです。そんなものを、貴族であり、王の愛人である人物が肖像画に自分と一緒に描かせている。これをどう考えたらよいでしょう。
 自分が死んだあとも、肖像画は残る。後世の人は、肖像画を見てその人物を判断する。貴族社会が崩れ、市民の社会がくることを、彼女は予感していたのでしょう。そのときに、自分が高く評価されるように、この絵を描かせたのではないか。

 ルイ16世の妃マリー=アントワネットは「私は退屈がこわいのです」と言っている。彼女はオーストリアのハプスブルク家から輿入れしてきたお姫様。夫のルイ16世とは、相性がよくなかったみたいで、暇を持て余して遊びまくる。庶民感覚から見たら、信じられないくらいの贅沢をする。ハプスブルク家出身ということもあって、平民の恨みを一身に背負うような所があるのですが、それでも贅沢三昧をやめられない。
 彼女だけでなく、貴族たちは、本当に贅沢な暮らしをしていた。タレーランという貴族、この人はフランス革命後も外交官として活躍するのですが、この人が、革命後に、アンシャン=レジームのもとでの暮らしを思い出して言う。「1789年以前に生きたことのない人に、人生の甘美さはわからぬ」1789年はフランス革命の起きた年です。

 一方でアンシャン=レジームに対する批判も高まってきます。
 その一つが、啓蒙思想の流行です。啓蒙思想というのは、理性の力によって迷信や偏見を打破して、社会不正を改革しようとする合理主義的思想です。

 啓蒙思想家で一番有名なのがヴォルテール(1694〜1778)。もともとは詩人ですが、フランスの政治体制や社会不正を徹底的に告発して有名になる。貴族にもかれの支持者がいるというところが面白いところで、ポンパドゥール夫人は、フランスの政治を批判して、亡命していたヴォルテールがヴェルサイユ宮殿に出入りできるように取りなしていたりする。プロイセンのフリードリヒ2世が、ヴォルテールのファンで、ベルリンに招いたこともあった。
 『社会契約論』の著者で人民主権を唱えたルソー(1712〜78)も、同時代の啓蒙思想家の一人です。これら啓蒙思想家264人が集まってつくった百科事典が『百科全書』です。
 『百科全書』の編集責任者がディドロ、ダランベール。『百科全書』の出版は当然、政府当局の妨害をうけるのですが、政府の役人のなかにも、こっそりかれらの出版を援助する者もいる。実際に刊行されると、ポンパドゥール夫人の机の上にのる、というわけです。
 貴族も啓蒙思想に時代の流れを感じていたということでしょう。

 また、アメリカ独立宣言も、アンシャン=レジーム批判に大きな影響をあたえた。独立宣言には、天賦人権思想や平等、自由、幸福追求の権利がうたわれていましたから。
 フランスは独立戦争に援軍を送っていたから、実際にアメリカで戦ったフランス人兵士もいたわけで、かれらは当然アメリカ独立の精神を肌で感じて帰ってきている。フランスの制度に批判的になるのは当然ですね。

 そして、フランス革命が勃発する1789年のはじめ、シェイエスという僧侶がアンシャン=レジームを批判するパンフレットを発行した。その名もズバリ『第三身分とは何か』
 このパンフで、シェイエスは書いた。「第三身分とは何か?それはすべてである」なぜなら、フランス国民の大部分は第三身分であり、特権階級は第三身分に寄生しているだけだから。そして、さらに問う。第三身分とは何か?それはゼロである。なぜなら、政治的に何の権利もないから。すべてであり、ゼロである、という第三身分の状況、アンシャン=レジームの矛盾を訴える内容でした。
 『第三身分とは何か』は大反響をおこし、この年の夏にフランス革命がはじまることになるのです。

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革命の勃発
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 「アンシャン=レジーム」に対する批判が盛りあがってきた時期に、国王だったのがルイ16世(位1774〜92)です。肖像画は堂々としてますが、地味でおとなしい人だったらしい。国王として難局を乗りきるようなリーダーシップや政治的センスはなかったようです。趣味は、狩猟と錠前つくり。宮殿の中に工作室をもうけて、暇があったらこもって鍵をつくる。しゃべるのが苦手で、人付き合いもうまくないから、妃のマリー=アントワネットは夫に不満で、贅沢三昧をしながら遊びまくっていた。

 ルイ16世の時代、国家財政の赤字増大が大きな問題になっていました。
 国家財政の収入が5億リーブル、支出が6億2千リーブル、財政赤字は45億リーブルになっていた。収入の9倍の赤字をかかえていたわけです。

 赤字がふくらんだ原因は何か。
 まず、ルイ14世時代以来の対外戦争の出費。これをルイ16世の時まで引きずっていたのですね。
 それから、アメリカ独立戦争を援助したことも、赤字を増やしました。イギリスに打撃をあたえるためにアメリカの独立に手を貸したのはよいけれど、その結果領土が増えたわけでもなく、何の見返りもなかったわけです。

 さらに、宮廷の浪費。マリー=アントワネットの浪費は国民の反感をまねいていましたが、国王だってすごい。たとえば、ルイ16世が所有している馬車は217台。馬が1500頭。馬の世話というのは、ものすごく大変です。1500頭の馬を飼っているということは、飼育係もそれ相応の人数が必要ということです。狩猟のための猟犬が1万頭。宮殿で使うローソク代だけで数万ルーブルかかったという。
 無駄な出費とわかっていても、国王となると体面もありますから、簡単にやめることもできないのです。

 このままでは、国家財政の破綻は目に見えている。ルイ16世は財政改革をおこなう決意をします。財政改革をおこなわせるために、財務長官に任命されたのがテュルゴー。
 財政改革をおこなうためには、貴族階級の特権を制限せざるをえない。当然、貴族たちは財政改革に反対して、テュルゴーは十分な仕事ができないまま、財務長官をやめさせられた。
 そのあと、財務長官に任命されるのが銀行家出身のネッケルです。

 政府の収入を増やすには増税をすればよいのですが、第三身分からはこれ以上増税することができないくらいしぼりとっている。
 どうしたらよいか。答えは簡単です。免税特権を持っている第一身分と第二身分から税金を取ればよい。かれらは、十分な財産を持っているのですから。しかし、免税特権を手放すことに、聖職者や貴族が賛成するはずがありません。

 ついに、国王ルイ16世は、第一、第二身分へ課税するために、三部会を召集しました。
 三部会というのは、第一、第二、第三の三つの身分の代表から構成されていることからついた名称で、国王が国民の支持を取りつけるために開かれる身分制議会です。しかし、絶対王政の時代には、国民の支持など関係なく国王は権力をふるっていたので、1614年以降は開かれていませんでした。

 1789年5月、三部会がはじまります。全国から選ばれた各身分の代表がぞくぞくとヴェルサイユ宮殿に集まってきた。
 ここで、ルイ16世の態度が問題です。国王は、貴族に課税をしたいから三部会を召集したのですが、かれ自身の心情としては、平民に大きい顔をさせたくない。自分の仲間である貴族たちを大事にしたいという気持ちがある。
 第二身分の議員がやってくると、個別に謁見してねぎらいの言葉をかけたりするのですが、第三身分の議員にはそっけない。全然態度が違うのです。

 三部会がはじまると、会議はすぐにもめた。特権階級への課税問題でもめたのではなくて、それ以前のことでもめた。それは、会議の議決方法です。
 三部会の議員の数を見てください。第一身分が308人。第二身分が285人。第三身分が621人です。
 第一身分と第二身分をあわせても、593人。第三身分の621人よりも少ないわけだ。第三身分は貴族への課税に賛成ですから、単純に多数決をとると、確実に特権階級は負けて、貴族への課税が決定してしまいます。
 だから、第一、第二身分は議決方法として、人数には関係なく、一身分一票を主張した。第一身分に一票、第二身分も一票、第三身分も一票持つ。合計三票で多数決をとろうというのです。これなら、第一、第二身分は反対にまわりますから、2対1で貴族への課税は否決される。一身分一票というのは、今の感覚からは変な感じがしますが、身分制議会だから、こういう考え方もあり得るわけだ。現在でいうと、国連がこの方式ですね。人口に関係なく、国連総会では一国一票で議決します。

 さて、議決方法でもめているのだから、その決着を多数決で決めることはできない。会議は空転して先に進まない。

 こういう時が、国王の出番ですね。国王が召集した議会です。国王が、決断すればよい。
 国王は、財政改革のために三部会をひらいたのだから、一人一票に賛成すればよいわけです。しかし、ルイ16世は、その決断ができない。土壇場になって、かれは迷うわけです。貴族に課税はしたいが、貴族階級に対しては親近感がある。仲間意識を持っている。さらに、第三身分が主張している一人一票の議決方法に賛成して、第三身分の発言権を増したくないという気持ちがある。第三身分を増長させたくない。貴族社会の第一人者としての立場をのりこえることができないのです。

 国王がぐずぐずしているのを見て、第三身分代表は愛想をつかした。
 6月、三部会に見切りをつけた第三身分代表の議員たちは、三部会を飛び出して、自分たちだけで議会をつくった。
 これが、国民議会です。
 当然、国王はそんな行為は認めません。三部会の会議場は使えないので、第三身分代表は、ヴェルサイユ宮殿に付属している室内球戯場に集まって、憲法を制定すること、国王が国民議会を正式な議会と認めるまで解散しないことを誓います。これを「球戯場の誓い」という。

 これが、「球戯場の誓い」を描いた絵です。議員たちが集まって、盛り上がっています。会場の上の方を見てください。窓が開いていて、たくさんの人たちが中の様子を見ています。かれらは、実は、パリの市民たちです。三部会がはじまると、その成りゆきを見るためにパリから連日多くの市民たちがヴェルサイユまでつめかけていた。市民は第三身分ですよ。
 そういう人たちが、国民議会にエールを送っているのです。

 そうこうしているうちに、第一身分、第二身分代表の議員の中からも、国民議会の主張に賛同して、合流してくるものがではじめます。
 貴族の中には、自由主義貴族と呼ばれる人たちがいて、彼らは啓蒙思想の影響を受けて、アンシャン=レジームが時代遅れであることを理解しているわけです。フランスの発展のためには、改革が必要であると感じていた。たとえば、アメリカ独立戦争に参加していたラファイエットがそうです。かれは「新大陸の英雄」として、すでに国民に人気があった。
 時代の流れを読みとることのできた人たちは、特権階級であっても、国民議会に参加したのです。

 そうなると、三部会はスカスカです。ルイ16世は、しぶしぶ国民議会を正式な議会として承認し、国民議会は、新しい国造りのための憲法制定に着手しました。

 しかし、ルイ16世は第三身分が主導権をにぎる国民議会をつぶしたいのが本心です。かれは国民議会に圧力をかけるために、軍隊に動員をかけた。各地の部隊が、ヴェルサイユとパリに向かい始めます。

 軍隊が移動を開始しすると、パリの市民たちは、ルイ16世の意図を見抜く。王は軍隊によって国民議会を解散させようとしているのだ、と察します。そこで、王が軍隊を使うなら、自分たちも軍事力で国民議会を守ろうと考えた。

 緊張が高まるなか、財政改革の期待をあつめていたネッケルが罷免された。罷免というのは、簡単に言ったらクビ。クビにしたのは国王。

 ついにパリ市民たちは、国民議会とパリを守るために、パリ市民による軍隊を編成しました。これを市民軍という。ところが、市民軍には武器がない。どうするか。
 7月14日、パリの市民たちは蜂起した。まず、廃兵院という軍事施設を襲う。ここには、武器が保管されていたからです。ここを占拠して武器を手に入れましたが、火薬が足りない。火薬の保管場所がバスティーユ牢獄。そこで、市民たちはバスティーユ牢獄を襲撃した。映画の「仮面の男」のモデルになった鉄仮面が収容されていたという有名な牢獄です。
 バスティーユ牢獄はパリ市内にある。牢獄という名前ですが、もともと要塞として使われていた建物です。ルイ14世時代から政治犯を収容するようになっていたので、専制政治の象徴でもあった。市民たちはバスティーユ牢獄を占領し、これ以後、市民たちは武器弾薬を手にすることになった。
 この7月14日が、フランス革命勃発の日といわれています。

 この日、ルイ16世は、ヴェルサイユ近郊の森に狩りに出かけていた。宮殿に帰還して熟睡していた国王を侍従が起こしてパリで起きたバスティーユ牢獄襲撃事件を伝えます。それを聞いたルイ16世は、「暴動だな」と言う。それに対して侍従は「いいえ、陛下、革命です」と答えたと伝えられています。
 ルイ16世の日記が残っていて、この日もかれは日記を付けた。何と書いたか。ただ一言、「何もなし」。これはどういう意味かというと、狩にいって獲物が全然捕れなかったということなんです。大事件が起きているのに、その意味を理解できないルイ16世の政治的センスのなさを伝えるエピソードです。

 一方、パリではバスティーユ牢獄襲撃に成功したパリ市民たちが気勢をあげている。市民軍が自分たちの総司令官に任命したのが、ラファイエット。「新大陸の英雄」ラファイエットは、自由主義貴族とはいえ、貴族ですから国王に対する忠誠心もある。このときに、市民たちはパリの旗を革命のシンボルとしてかかげていました。パリの旗は、赤と青の二色のデザインです。ラファイエットは、赤と青のあいだに白色も入れて三色旗にしようと提案した。市民たちも賛成して、これ以後、三色旗が革命の旗となります。これが現在のフランスの旗です。
 白色は、実はフランス王家ブルボン家のシンボルなのです。これを旗の色に加えようということは、「市民諸君、革命も結構だけど、国王も大事にしようね」という意味です。市民たちがそれを受け入れたのは、市民たちがアンシャン=レジームを変えようとしてはいても、国王を敵だとは思っていなかったということです。王様は立派でよい人だけれども、マリー=アントワネットや側近の保守的な貴族たちによってフランスはダメにされているんだ、というのが一般的な国民の感情だったようです。

 パリでの事件が伝えられると、全国で農民が蜂起して、貴族、領主の館を襲う。借金の証文を焼き捨てる。地方の農村は「大恐怖」とよばれるパニック状態に陥ります。農民たちが、実力行使で封建的な支配制度を壊そうとしはじめたわけですね。

 パリや地方の民衆の動きをうけて、8月4日、国民議会は「封建的特権の廃止」を宣言しました。身分制度と領主制をなくします、という内容です。
 さらに、8月26日に、国民議会は「人権宣言」を発表した。第一条「人間は、生まれながらにして、自由であり、権利において平等である。社会的な差別は、共同の利益に基づく場合にしかもうけられることができない」有名な文章です。ちなみに、「人権宣言」を起草したのは、あのラファイエットです。

 こうして、アンシャン=レジームは終わります。しかし、このあとに、どのような政治体制を作っていくのか、各勢力がしのぎをけずりフランスは激動の時代をむかえます。

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アメリカとフランスの革命世界の歴史
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後半のフランス革命からナポレオンの記述は、従来の概説書に較べて、事件の因果関係がすっきりと整理されて、非常に参考になりました。

第78回 フランス革命1 おわり

こんな話を授業でした

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