世界史講義録
  


第65回  ドイツの混迷・三十年戦争

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三十年戦争
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 イギリスやフランスが絶対主義国家として中央集権化を図っているときに、ドイツでは内乱が起きていました。これが三十年戦争(1618〜48)です。三十年間つづいたので三十年戦争という。単純なネーミングです。しかし、戦争の中身は複雑でした。ことの発端は宗教対立です。
 ちょっと復習。1555年、神聖ローマ皇帝カール5世はアウグスブルグの宗教和議をだし、ドイツの宗教内乱はいったんはおさまりました。アウグスブルグの宗教和議は、新教徒にも信仰の自由を認めるものだったけれども、いくつかの問題点があった。一つは、個人に信仰の自由が与えられなかったこと。諸侯が選んだ教会をその土地に住む住民は信仰しなければならなかった。だから、信仰の自由は、諸侯にとっての自由です。もう一つは、カルヴァン派の信仰は認められていなかったこと、です。

 アウグスブルグの宗教和議は中途半端な妥協の産物だったわけです。

 さて、オーストリアの領地にベーメンという土地があった。今のチェコです。ドイツのオーストリア・ハプスブルク家によって支配されていますが、民族はチェク人で、ドイツ人とは違う。宗教改革以前からローマ教会に楯突くところがあった。そしてベーメンの人々は新教を信じていた。従来ベーメン人たちは信仰を認められていましたが、1617年、支配者が代わって、新教徒に対して弾圧をはじめた。これに対してベーメンの新教徒貴族が反乱を起こしたのです。はじめはハプスブルク家領内の内乱にすぎなかったんですが、他の新教の諸侯がこの内乱に参加してから、戦争の規模が大きくなる。ドイツ以外の国もそれぞれ、新教、旧教を援助して介入してきたので、収拾のつかないまま30年間つづいてしまった。

 新教側と旧教側の両陣営を見ておきます。
 新教側で戦ったのは、ドイツの新教諸侯。デンマーク王クリスチャン4世。スウェーデン王グスタフ・アドルフ。フランスもリシュリューが新教側を応援して戦争に介入します。フランスは旧教の国なので、新教側の味方をするのは変なのですが、領土拡大が本当のねらいですから、こういうのもありです。宗教を理由に各国や諸侯は参戦しますが、どさくさ紛れに領土拡大をねらっていたと考えていい。デンマーク王やスウェーデン王が参加した理由もそこにあります。
 旧教側は、神聖ローマ帝国皇帝がその中心です。オーストリアのハプスブルク家でしたね。同じハプスブルク家のスペインも旧教側で参加。
 旧教側で大活躍したのが皇帝軍総司令官ヴァレンシュタインでした。この人は傭兵隊長。皇帝の支払う巨額の資金で2万以上の傭兵部隊を率いて大活躍します。

 三十年戦争で兵士となったのは大部分が傭兵でした。傭兵がドイツの農民など一般民衆にものすごい被害を与えたのです。傭兵はお金で雇われる兵隊です。国を守るために志願して兵士になるような、近現代の兵隊とは全然違う。給料さえ払ってくれれば誰にでも雇われるのです。ヨーロッパのどこかで戦争が起こると、傭兵のグループはそこへ行って、自分たちの部隊を売り込む。そして、高く雇ってくれる陣営に参加する。三十年戦争のような長期の戦争になれば、ずーっとひっきりなしに戦闘がつづいているわけではなくて、だいたい大きな合戦が一つあったら、しばらくは中休みがあります。なぜかというと、諸侯や皇帝は常に莫大な給与を傭兵たちに払い続けられないからです。一つ合戦をやったら資金が底をつくから、傭兵を首にします。資金がたまったらまた傭兵を雇って合戦をする、そういうサイクルで動いています。
 傭兵の立場からすると、雇われて給料をもらえている期間より、失業状態の時の方が長い。失業中でも食っていかなければならない。どうするかというと、傭兵部隊はドイツの農村を略奪して廻るのです。
 農民にとっては、戦争があれば、重税を課せられ、領主はその金で傭兵を雇う。村が戦場になれば、畑が踏み荒らされる。戦争がないときは失業中の傭兵部隊がいつ襲ってくるかわからない。傭兵部隊に襲われたら、略奪、暴行、虐殺、やりたい放題にやられる。
 三十年戦争でドイツの人口は1800万から700万に減ったという。この多くが傭兵による被害と考えていい。
 傭兵にとっては、戦争が長引けば長引くほど仕事がつづくわけだから、合戦の時も八百長試合もする。勝利の直前に戦闘を中断して、雇い主に賃上げを要求したりもしました。とにかく、兵士としては質が悪い。

 これは「ブライテンフェルトの戦い」(山川出版社・世界史写真集)を描いたものです。1631年、旧教側の軍をグスタフ=アドルフ王率いるスウェーデン軍が破った戦いです。 当時の軍隊の隊形がよくわかっておもしろい絵です。この絵で四角形に見える固まりがたくさんあるでしょう。これが、当時の部隊です。長い槍を立てて四角い陣形をつくっているので、遠目にはサイコロみたいに見える。
 一見すると、古代ギリシアの重装歩兵の密集隊形のように見えますが、中身は全然違う。ギリシアの重装歩兵は、密集して敵に向かって全速力でかけていきますが、このドイツの部隊はゾロゾロとゆっくり進軍します。決して走らない。なぜか。だいたい百人で一部隊になっていて、四隅に将校、真ん中に隊長がいます。かれらは諸侯直属の貴族。それ以外の兵士は傭兵か、もしくは無理矢理あつめられた農民兵。やる気も忠誠心もない。つまり、自分の命が本当に危ないと思ったら逃げてしまう。四隅の将校は部隊の隊形が崩れないように見張っているのです。目の前に敵が出現しても、「突撃!」なんて命令して傭兵を走らせたら、どこに走って逃げてしまうかわからない。だから、走らせない。隊形を崩さずにゆっくり進むのです。部隊の真ん中にいる指揮官が四隅の将校に対してどちらに向かって進むのか、そのつど指示をあたえます。
 こういう具合で、実際に敵軍と接触して戦闘が始まるまで、四角の隊形は崩しません。戦闘が始まるとどうなるかというと、敵も味方も傭兵で、命よりも金が欲しいですから、真剣に戦わない。雇い主の諸侯たちが見て、サボっている、と見られない程度にやるだけです。だから、なかなか戦争の決着もつかなかったのです。


 三十年つづいた戦争も、ようやく集結します。戦争に関わったドイツ国内の封建諸侯、その他フランスやスペインなどの参加国が集まって、国際会議が開かれて、条約が結ばれます。1648年のウェストファリア条約です。

 ウェストファリア条約の内容。
 1.ドイツ国内の諸侯の独立状態を認める。
 ドイツは、神聖ローマ帝国皇帝が統治する帝国という建前でしたが、現実には統一国家ではなく、皇帝は名目的なものでした。この実体を認めようというのです。これ以後、諸侯の統治する地域は領邦国家とよばれ、事実上の国になります。諸侯は「領邦主権」をもって、その国を統治するのです。これまでと同じように、神聖ローマ帝国皇帝はいますが、単なる名誉ある称号にすぎなくなります。この称号を持つのはハプスブルク家ですが、ハプスブルク家の領邦はオーストリア。ですから、神聖ローマ帝国皇帝が実際に支配しているのはオーストリアとそれに付随する地域だけになります。
 2.ルター派と共にカルヴァン派にも信仰が認められた。ドイツでの話ですよ。
 3.スイス・オランダの独立を正式に承認。
 スイスもオランダも以前から事実上独立していたのですが、この国際会議の席上で正式にそれが認められたということです。スイスもオランダももともとハプスブルク家の領地だったので、この件が取り上げられたのです。
 4.フランスがアルザス地方を獲得。アルザス地方はもともとドイツの一部だった地域です。
 5.スウェーデンもドイツに領土を拡大。
 以上です。

 三十年戦争の結果、ドイツはどう変わったか。2点を押さえてください。
 1.ドイツの農村や産業が徹底的に荒廃した。
 2.イギリス、フランスが中央集権化を進めているのに対して、ドイツは逆に分裂を固定化させた。

第65回 ドイツの混迷・三十年戦争 おわり

こんな話を授業でした

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