こんな話を授業でした

世界史講義録

第6回 オリエント史の展開

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インド=ヨーロッパ語族の登場
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 メソポタミア地方、エジプト、さらにイラン高原や小アジアを含めた地域をオリエント地方といいます。これは「東方」という意味です。ヨーロッパから見た表現です。
 この古代オリエント史の展開を追っておきましょう。

 メソポタミア地方ではシュメール人の都市国家、アッカド王国、古バビロニア王国までやりましたね。この地域はシュメール人を除いてセム語系民族の世界だったのですが、前2000年頃から、新しい民族が登場します。これがインド=ヨーロッパ語族です。
 語族というのはおおざっぱな区別の仕方ですから注意してください。言葉の系統が同じと言うだけです。現在の民族とは全然違いますよ。

 前2000年から前1000年にかけての1000年間はインド=ヨーロッパ語族の大移動の時代です。かれらがもともとどこにいて、いつ頃どのように形成されたのかはっきりしませんが、漠然と黒海、カスピ海の北方から移動してきたと考えておけばよいと思います。たぶん気候の変動が原因で移動を開始します。

 ある集団はイラン高原に南下したあと東に向かい、インダス川を越えてインドに侵入しました。これがアーリア人で、もとからインドにいた諸民族とともに現在のインド文明を築きます。
 イラン高原に入った集団はペルシア人になります。
 西方に移動したグループもいて、ギリシアに南下した集団がギリシア人、イタリア半島に入った集団がラテン人になる。
 黒海北岸から、ドイツにかけて住みついたグループがゲルマン人となる。

 当然、最も豊かだったメソポタミア地方に移住した集団もいました。かれらが最初にこの地域でつくった国家が三つ。
 ヒッタイト、ミタンニ、カッシートです。

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ヒッタイト
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 ヒッタイトは前1600年頃、古バビロニア王国を滅ぼし、小アジアに建国します。
 この国は史上はじめて鉄器を使用します。必ず覚えること。
 まわりの国はまだ青銅器ですから、鉄の武器を持ったヒッタイトは強国に成長します。
 製鉄技術はヒッタイトの国家機密として門外不出。ヒッタイトが滅んではじめて製鉄技術は各地に広まります。
 それから戦車です。ヒッタイトの戦車には画期的な工夫がしてあります。教科書のレリーフの写真を見てください。ヒッタイトの戦車がありますね、どこがすごいかわかりますか。

 車輪に注目。スポークを使っているでしょ。以前の車輪は丸く切った板を張り合わせてつくっていました。すごく重いのです。ところがスポークの採用によって車輪が軽量化でき、戦車のスピードが速くなった。スポークの使用はヒッタイトが最も初期です。
 ヒッタイトは、エジプト新王国とシリア地方の領有権をめぐってライバル関係にありました。

 古バビロニア滅亡後、メソポタミアの北部に建国したのがミタンニ。エジプトのイクナートンの妃ネフェルティティは、ミタンニからエジプトに嫁いだといわれています。

 メソポタミアの中南部に建国したのがカッシート。かれらはそれまで縦書きだったくさび形文字を横書きにした。

 やがて、ミタンニに服属していたアッシリアという小国が、ミタンニの弱体化に乗じて発展し、前8世紀から前7世紀にかけてオリエントを統一する帝国を建設するのですが、その話の前に、オリエント地方で独自の活動をした民族を三つ紹介します。これらの民族は前13世紀頃から活動が活発化します。

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アラム人
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 まず、アラム人。かれらは内陸貿易で活躍する商業民族です。中心都市がシリアのダマスクス。彼らが中継貿易で活躍できたのにはちゃんと理由がある。アラム人は、はじめてらくだを運搬に利用したのです。
 やがてアラム語は商業用語として広まり、この地方の共通語になっていきます。のちにギリシア語が共通語になるまではね。イエスの時代もアラム語が共通語。かれもアラム語を話していた。
 アラム人の文字、アラム文字も内陸部に伝えられていきます。インドや中央アジアで使われた文字のもとはみなアラム文字。有名なものでは、ソグド文字、ウイグル文字、突厥文字があります。

地中海東岸の諸民族図

地中海東岸の諸民族

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地中海東岸の諸民族
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 フェニキア人

 地中海貿易で活躍したのがフェニキア人です。中心都市はシドン、ティルス。
 アフリカ北岸にはかれらの植民都市カルタゴがあります。カルタゴはあとで、ローマと死闘を繰り返すことになりますので、頭の片隅に残しておいてください。
 フェニキア人が海上で活躍できたのにも理由がある。かれらの住んでいたのは現在のレバノン。当時はまだレバノン杉が豊富だったんだね。それで、舟を建造したのです。さらに、レバノン杉が重要な交易品となったのです。
 かれらの文字、フェニキア文字は、ギリシアからヨーロッパに伝えられアルファベットとなります。商人たちが帳簿を付けるためにつくられた文字だったので書きやすく読みやすい。一般の民衆に開かれた文字ですね。エジプトの神聖文字などは、神官、書記など支配者だけに独占された文字です。だから、伝えるものが途絶えると読めなくなってしまったです。そこがフェニキア文字との違いです。

 ヘブライ人

 最期がヘブライ人。かれらはその宗教であとの時代にものすごく大きな影響を与えることになります。かれらはユダヤ教という宗教を生みました。そして、このユダヤ教からキリスト教、イスラム教が生まれるのです。

 どんなふうにユダヤ教がつくられてきたかを見ておきましょう。
 ヘブライ人は部族集団に分かれてオリエント地域のあちこちで遊牧を中心に暮らしていた。
 前1500年頃は一部がパレスチナ地方に定住を開始し、また別の集団はエジプトに移動しました。
 ところが、エジプトの暮らしはよくなかった。ファラオからいろいろな圧迫をうける。聖書にはエジプトを「奴隷の家」なんて書いてある。
 そこで、かれらは今度はエジプトから逃げ出そうとします。これが有名な旧約聖書の「出エジプト」の物語になります。
 前13世紀頃のことです。脱出するヘブライ人たちのリーダーになったのがモーセです。モーゼでもいいですが、最近の本はほとんどモーセと書いてますね。この資料集も3年前はモーゼだったんですよ。

 聖書ではモーセは神に導かれ、いろいろな奇跡を起こしてヘブライ人をエジプトから脱出させるのですが、そのクライマックスが海の道を渡るシーン。『十戒』という昔のアメリカ映画でも描かれていたので日本人にもなじみ深い。ビデオにもなっているので興味ある人は見てください。
 逃げるヘブライ人の集団を追ってファラオの軍勢が迫って来るんですが、モーセたちの前には紅海が横たわっていて、逃げ場がない。「こんなことなら奴隷でもいいからエジプトにいるべきだった」、とか泣きごとを言うやつもでてくる。
 そこでモーセがみんなに向かって「主の救いを信じなさい」といって、持っている杖を海に差し出す。すると、ものすごい暴風が吹いて海が二つに割れ、海の底に道ができるんです。ヘブライ人たちはその道を通って逃げることができた。あとから追いかけてきたエジプト軍が海の道に入ると、とたんに海水がどっと崩れてきてエジプト兵たちは溺れ死んでしまうんです。
 とても現実にあったこととは思えませんが、苦難の末にヘブライ人たちがエジプトから逃げてきたことを象徴している物語なのでしょう。

 エジプトから逃れたモーセたちはシナイ半島に入ります。ここで、モーセは神の声に導かれてシナイ山に登ります。シナイ山はシナイ半島の南方にある標高2800メートルくらいの禿げ山です。
 山に登ったモーセに神が語りかけるのですが、ここがユダヤ教成立の第1段階です。
 そして、こんなことを言う。「神様は私しかいないんだ」「ほかの神様を信じてはダメだ」とね。これが一神教です。

 旧約聖書の文で確認しておきましょう。
「私はおまえの神ヤハウェ、エジプトの地、奴隷の家からおまえを導き出した者である。おまえには私以外に他の神があってはならぬ。……」
 こんなふうに、神の命令が十個続きます。宗教ですから命令ではなくて戒律なので、「十戒」と呼ばれます。モーセが神と結んだ契約です。
 神はこの十戒を自らの指で2枚の石版に刻んでモーセに授け、モーセは山から下りて、ヘブライ人たちに教えを伝える。
 その後、モーセとかれに率いられたヘブライ人の集団は放浪生活を続けるのですが、長い年月ののちに、パレスチナ地方に定住したようです。
 これは、16世紀のイタリアの芸術家、ミケランジェロのモーセ像です。まったくの想像でつくった彫刻ですが、ヨーロッパ人がモーセに対してどんなイメージを持っているか、という参考にはなるね。実に神々しい姿です。右脇に抱えている板があるでしょ、これが十戒を刻んだ石版というわけだね。

 さて、このモーセにまつわる話、あんまり非現実的なんで、ホンマかいな?と思うでしょ。
 こんなふうに考えてください。ヘブライ人たちがこの物語を信じていたことは事実だと。そして信じることによってかれらは歴史に独特の足跡を残すのです。

 現実の展開としては、ヤハウェ神への信仰と十戒を持つようになったヘブライ人たちは、前10世紀に自分たちの国を建設します。ヘブライ王国です。場所は現在のイスラエルと同じところです。首都はイェルサレム。ここは、のちにイエスの活躍の舞台になりますし、イスラム教をつくったムハンマドが天に昇った場所とされていて、現在でもユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地です。
 ヘブライ王国は、ダヴィデ王、ソロモン王の時代に中継貿易で大いに栄えますが、そののち南北に分裂。北部に成立したのがイスラエル王国(前932〜前722)。南部にできたのがユダ王国(前932〜前586)。
 イスラエル王国はアッシリアにより征服され滅亡。
 ユダ王国はアッシリア時代は持ちこたえますが、アッシリア滅亡後にメソポタミアにできた新バビロニア王国に征服されました。

 新バビロニアは征服したユダ王国の民、約5万人をバビロンの町に強制移住させた。この事件を「バビロン捕囚」といいます。このときの新バビロニアの王がネブカドネザル2世。
 この強制移住という政策は被支配民族の抵抗をつぶすために当時は頻繁にやられていたのですが、ヘブライ人はこれを非常に深刻に受け止めます。
 これが、ユダヤ教成立の第2段階です。
 「何故、われわれヘブライ人はこんな目にあうのか」とかれらは考えた。ヤハウェ神を信仰していても御利益がなく、民族としてひどい目にあうのならそんな神様捨ててしまおう、という選択もあると思うのですが、かれらは逆の発想をする。
 「われわれはモーセ以来の戒律をちゃんと守って、ヤハウェ神のみに信仰をささげただろうか」と、深く反省してしまうのです。深く反省すれば、そりゃあキッチリと戒律守っていない人はいくらでもいるわけでね。まじめにヤハウェ神を信仰しなかったから、神はわれわれにこんな試練を与えたのだ、というふうに考えたようです。
 だから、苦難の中でヤハウェ神に対する信仰がいっそう強まり、民族としての団結心が強まった。

 50年ほどバビロンに移住させられたあと、新バビロニアが滅んで、かれらは故郷の地に帰ることが許されます。帰った人々は喜び勇んでヤハウェ神の神殿を建設し、いっそう熱心に戒律を守り宗教指導者のもとで生活をするようになります。
 これをもって、ユダヤ教が成立したと考えます。

 やがて、ヘブライ人のことをユダヤ教を信じる人々として、ユダヤ人と呼ぶようになっていきます。かれらはユダヤ教を自民族のアイデンティティとして守りつづけます。シュメール人もアッシリア人も、アラム人も、フェニキア人も現在は存在しませんがユダヤ人は現在でも世界中で活躍しています。
 中国人や、インド人のように歴史に登場して以来同じ場所で活動して、現在まで続いている集団は別にして、これは、すごいことですよ。ユダヤ人はのちのローマ帝国時代に国を失うんですからね。国がなくなってもユダヤ教を信じるということでユダヤ民族は存在しつづけたのです。

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ユダヤ教の特徴
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 最後に、ユダヤ教の特徴をまとめておきましょう。
 最大の特徴が一神教であること。
 一つの神しか信じてはならないという宗教をつくったのはこのヘブライ人だけです。
 それ以外の民族はいろいろな神を同時に存在させていて、時に応じて拝み分けている。われわれはそうだね。正月には神社に行き、葬式はお寺の坊さん呼んでお経をあげてもらい、結婚式はキリスト教会で。日本人が特別みたいにいう人がいるけどそうではないと思う。ギリシア神話の神々やインドの神々を考えてもらえば、多くの神が共存しているのが一般的なあり方だと理解できると思います。キリスト教が浸透するまでのヨーロッパ人もいろいろな神々を持っていたのです。自然現象の中に多くの神々を感じる感性をわれわれは持っているようです。この感覚は多くの民族に共通です。
 ヘブライ人だけが特別だった、と考えた方が自然です。
 キリスト教、イスラム教も一神教ですが、二つともユダヤ教から生まれたものですから、突きつめれば一神教を生んだのはヘブライ人だけなのです。

 一神教という特徴と関連して、「偶像崇拝の禁止」というのが2番目の特徴。
 われわれには理解しにくいです。偶像は何かというと、たとえば奈良の大仏さん、あれは偶像。信仰の対象を彫刻に刻んだり、絵に描いたりしたものはみな偶像です。われわれは日常的にやっているね。これをやってはいけないというんです。
 何故ダメかというと、神様、具体的にはヤハウェですが、これを彫刻にして拝むとします。
 拝んでる人は何を拝むのですか。彫刻でしょ。彫刻は神ですか、ヤハウェですか?ということになる。彫刻は彫刻であって、ヤハウェではない。
 拝むべき神は唯一ヤハウェしかいないのに、彫刻を拝むということはヤハウェではないものを神として拝むことになる。ここで、すでに一神教からはずれてしまうんです。
 だから、十戒の二つめの戒律で「おまえは偶像を刻んではならぬ」となるわけ。
 この偶像崇拝の禁止はユダヤ教から生まれたキリスト教、イスラム教にも受け継がれます。
 キリスト教の神も、イスラム教の神もユダヤ教と同じ神、ヤハウェなんですが、みなさん、キリスト教の神様の絵とか彫刻を見たことありますか。ないでしょ。イエスやマリアの絵はありますよ。でもヤハウェの図像は見たことないはずですね。禁止されているんです。

 三つ目の特徴として、ユダヤ教には選民思想という考えがありました。
バビロン捕囚の中でヘブライ人たちは自分たちが惨めな生活を強いられている理由を考えます。そして自分たちの運命を合理化するわけね。こんな合理化です。
 「神は自分たちを選んでいるからわざわざ試練を与えてくれているんだ」と。
 なにしろ、ヘブライ人は神からその名を教えてもらってるんですから、特別なわけですよ。
他の民族は神から選ばれていないから試練すら与えられていない、はじめから神に見捨てられているんだ。こう考えた。
 「だから、最後の審判の日にはヘブライ人のみが救われるのだ」ここまで、行き着く。
 こんなふうに考えるヘブライ人、もうユダヤ人といってもいいかな、は他の民族からはどう思われたでしょうね。
 だから、ユダヤ教はユダヤ人という範囲をこえて他民族に広がることはあまりありませんでした。全然他民族に信仰されなかったわけではないのですが。
 のちに登場するイエスはユダヤ人で、ユダヤ教の改革者として布教活動をするんですが、イエスはこのユダヤ教の排他性を取っ払った人なのだと思います。

 四つ目の特徴。バビロン捕囚のつらい経験の中から、ヘブライ人はいつか救世主が現れて自分たちを救い出してくれる、という願望を持つようになります。
 救世主待望思想といいます。
 これが、何故大事かというと、またまたイエスなんですが、イエスが登場したときにかれを救世主と考える人々がのちにキリスト教をつくっていくんですね。救世主をギリシア語でキリストというんです。
 イエスを救世主とは考えない人も当然たくさんいて、この人々はずっと現在に至るまでユダヤ教です。

 ユダヤ教の経典が旧約聖書です。
 ただ、旧約聖書という言い方はキリスト教の立場からの言い方です。
 旧約というのはふるい契約・約束という意味です。
 契約というのは、神と人間とのね。アダムとイヴからはじまって旧約聖書は神と人の約束をめぐる物語といってよいでしょう。
 ふるいというのは、キリスト教の立場から、イエスと神の契約を新しい契約「新約」と考えるところからつけられたものです。
 旧約聖書はイスラム教でも尊重される聖典です。イスラム教は旧約聖書は認めますが、イエスを救世主とはせず、並の預言者として考えます。

 ちなみに私は高校時代まで旧約、新約を旧訳、新訳と勘違いしていました。文語調の古い翻訳と、口語の新しい翻訳なのかなってね。馬鹿だね。
 だから、テストで旧訳聖書と書かないように。旧約聖書です。

(2002/3/2校正)

参考図書紹介・・・・もう少し詳しく知りたいときは

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世界の歴史〈2〉古代オリエント河出文庫 メソポタミア文明からアッシリア、アケメネス朝までの、オリエントの歴史が頭に入らなくて、困っている人は多い。
読んですっきりする本も、見たことがない。とにかくややこしい。
一冊あげろといわれたら、やっぱり定番の概説書はこれ。
生活の世界歴史 (1)河出文庫 私の持っているソフトカバー版では、「古代オリエントの生活」という副題がついている。文化人類学的、民族学的に、歴史的社会にアプローチしようとした意欲的なシリーズ「生活の世界歴史」の第一巻。
エジプトにもメソポタミアと同じくらいのページ数を使っている。

第6回 オリエント史の展開 おわり

こんな話を授業でした