こんな話を授業でした

   第22回  インドの諸王朝(大乗仏教、ヒンドゥー教) 

マウリヤ朝

   ガンジス川流域に生まれたいくつかの小王国の中から強国が成長してくるのが前5世紀頃です。代表的な国がコーサラ国とマガタ国。

 前4世紀の末になって、はじめて北インド全体を統一する王朝が登場します。これがマウリヤ朝(前317〜前180)。首都はパータリプトラ。建国者がチャンドラグプタ。この人はインド史では非常に大事。何が大事かというと、年代確定のキーパーソンなんですね。
 インドの人たちは輪廻を信じているからあんまり歴史記録に関心がない。どんな事件がいつ起こったかなんていうことをあまり熱心に書き留めておきません。だから、インド史は難しい。ブッダの生没年にしても諸説あることは前回も言いました。
 ところが、このチャンドラグプタはいつの人かハッキリ分かる。なぜかというとギリシア人の記録にでてくるのです。例のアレクサンドロス大王が東方遠征に出て、インドに侵入したときにかれを迎え撃ったのがこのチャンドラグプタだったのです。で、いつの人かハッキリ分かるのでかれを基準としてインドの古代の歴史は編まれています。
 チャンドラグプタはインダス川流域からギリシア人勢力を追い払い、その勢いでマガタ国に取って代わりマウリヤ朝を建て、北インドを統一した。
 

  マウリヤ朝の三代目の王が有名なアショーカ王(位前268〜前232頃)です。
 かれはインド全土をほぼ統一。インド亜大陸の南端だけは領土になっていないので、ほぼ統一という。
 仏教との深い関係でも有名です。アショーカ王は南方のカリンガ王国という国を滅ぼしたとき数十万人を虐殺した。それをあとで後悔して仏教に帰依したと伝えられています。政治も暴力ではなくダルマによる支配を行うようになった。このダルマというのは「法」と訳していますが法律ではなく、道徳的な徳目と考えて下さい。このダルマは仏教の教えに影響されているようです。

 アショーカ王はこのダルマを刻んだ石柱碑、磨崖碑(まがいひ・崖に刻んだ碑文)を各地に作りました。この石柱碑が発見されるとアショーカ王時代にマウリヤ朝の領土だったことが確定するわけです。写真の石柱碑見て下さい。丸い円柱で、てっぺんに獅子の像が刻んであるね。この獅子の台座に注目。これは車輪ですね。クルクル廻る車輪は輪廻の象徴です。この車輪は現在のインド国旗の真ん中にも描かれています。インド人の世界観が見えてくるようですね。


  また、アショーカ王は第三回仏典結集をおこなった。結集は「けっじゅう」と読みます。伝統的な読み癖です。仏典結集というのはブッダの教えが時とともに食い違っていかないように、各地の仏僧が集まってそれぞれのグループが伝えているブッダの教えを確認しあうのです。
 第一回仏典結集はブッダの死後すぐにおこなわれ、第二回はそれから約100年後、そしてアショーカ王が主催したのが第三回です。
 面白いことに当時はまだブッダの教えを文字に記録していないんですよ。だから、口伝えでブッダの教えが伝えられていて、その教えを確認するためにやはり、ずーっと誰かが暗唱する。それを聞いて他の僧たちが、「それでいいのだ」と確認するわけ。ブッダの教えが文字に記録されるのが一世紀くらいからだそうです。口伝えの伝統はお経に残っていて、すべての仏典は「私はこう聞いた」という意味の言葉から始まっているんです。日本に伝えられている大乗漢訳仏典もそうです。ブッダの弟子が、「師の教えをこんなふうに聞きました」と確認している結集の口調がそのままなんですね。
 アショーカ王は、また南のセイロン島に王子を派遣して仏教を伝えさせたともいわれている。

 アショーカ王は仏教がらみの話題が多いのですが、実際にはジャイナ教も保護しています。バラモンの権威に反対する宗教ならすべて応援したんでしょう。


クシャーナ朝

  マウリヤ朝はアショーカ王が死ぬと分裂していきました。次に重要な王朝がクシャーナ朝(1世紀〜3世紀)。これはイラン系の民族が支配者でインドというよりは現在のアフガニスタンに根拠地があるのですが、インドの西北部も支配した、という国です。首都はプルシャプラ。
 この国はやはり仏教との関連で重要。一つはカニシュカ王(位130〜170頃)が、仏教を保護し第四回仏典結集をおこなったこと。
 二つ目として、この王朝でガンダーラ美術と呼ばれる仏教美術が成立した。資料集の写真を見て下さい。仏像です。そもそも、インド人には仏像を作る風習はありませんでした。ブッダの生涯を描いた彫刻などがあってもブッダの部分だけは空白で表していたんです。これはユダヤ教、キリスト教的な偶像崇拝禁止ということではなく、解脱してこの世界のものではなくなったことを空白で表現したんだ。
 ところが仏教がクシャーナ朝でも流行する。クシャーナ朝の本拠地は中央アジアを含みます。ここにはアレクサンドロス大王の置きみやげ、残されたギリシア人たちの子孫がいた。ギリシア文化は彫刻大好きですからね。多分仏教信者になったギリシア系の人々がブッダをはじめて彫刻に刻んだんでしょう。それがガンダーラ美術と呼ばれるものです。だから仏様の顔も服もなんだかギリシア風です。
 三つ目は、この国で大乗仏教が栄えたこと。この大乗仏教とガンダーラ美術が中央アジアを通って中国、そして朝鮮半島、日本に伝えられることになるわけです。


大乗仏教について

  大乗仏教についてここで簡単に説明しておきましょう。
 前回も説明したようにインドの宗教は出家して修行しなければ解脱できません。救われない。しかし、すべての人が日常生活を放棄して出家できるわけではないので、その人たちは修行者にお布施をしたり徳の高いお坊さんのそばにいられることで満足していた。
 さて、そこでブッダが死んだ時の話です。ブッダが死んだ時、修行を積んだ弟子たちはこの世の無常であることを知っているからじっと悲しみに耐えている。入門したての弟子たちはそこまで悟っていませんからワーンワーンと泣き叫ぶわけね。

 在家の信者たちはどうかというと、かれらはブッダの高い徳を慕っていたわけだから当然嘆き悲しむ。出家した修行者たちのようにクールになる必要は全然ないので、亡きブッダに対して執着する。簡単に言うと少しでもブッダのそばにいたい、かれの亡骸を守りたい、と思った。そこで在家信者たちはブッダの遺骨を埋めてその上に塔を建てます。この塔を「ストゥーパ」というんですが、ストゥーパにお参りしてはブッダを偲ぶような形で自分たちの信仰を守りました。

ストゥーパ高17m


 ブッダの信者はインド全域にいたので信者のグループがいるところにはどんどんストゥーパが建てられた。その地下には分けてもっらってきたブッダの遺骨の一部を埋葬するんです。このストゥーパは仏教の広がりとともにアジア各地に広がっていきます。日本にもありますね。例えば有名な法隆寺の五重塔。あれはストゥーパが中国風に形を変えたモノです。だから、あの五重塔の下にもブッダの遺骨の一部が埋葬されている、ことになっている。日本全国あらゆるお寺の塔の下にはある、ことになっている。
 世界中の仏塔はどのくらいあるか分からないほどたくさんある。だからブッダの遺骨はどんどん細かく分けられて米粒みたいに小さくなっている。このブッダの遺骨のことを仏舎利(ぶっしゃり)というんです。寿司屋さんで米のことをシャリというのはここから来ているらしいです。
 どこかで読んだんですが世界中の仏舎利を集めたら数十人分の人骨になるそうです。でもこれが信仰というものでしょうね。少しでもブッダの側にいたい、という気持ちがそれだけ強かったと言うことです。

 ブッダを慕う気持ちが強ければ強いだけ、在家信者たちはブッダが死んでしまっていることに耐えられなくなる。そういう在家信者に共感する修行者や仏教理論家たちがいたんでしょう。かれらの中から大乗仏教が生まれてきます。

  というわけで、大乗仏教の特徴はまず、大乗なことだね。これは大きな乗り物ということです。在家信者も悟りを得て解脱することができると教えます。出家修行者だけではなく在家の信者も悟りの世界つまり彼岸(ひがん)に載せていってくれる大きな乗り物。大乗です。これに対して出家者しか悟ることのできない従来の仏教を大乗側は小さな乗り物、小乗仏教といってけなします。
 また大乗仏教は歴史上の実在したブッダ以外に理念としてのブッダの存在を考えます。ブッダの教えを法、ダルマといいますが、そのダルマそのものがブッダである、と考える。宇宙の法則の中に永遠のブッダが存在している。そう考えれば寂しくないでしょ。

  大乗は歴史上のブッダ自身の教えと違うじゃないかという人が昔もいたし今もいます。ただ一般的な理解としては、大乗も仏教です。ブッダの教えが理論的に発展していったものと考えたらいいと思います。
 ブッダが悟りをひらいたときにいったんは誰にも理解できないから、法を説くのはやめようと思ったけれど、考え直して布教活動を始めたと前回話しましたが、この辺がポイントかなと思うんですよ。そのようなブッダであれば、在家信者を見捨てることもないはずだ、在家信者も悟りをひらけるまで教えを説き続けてくれるはずだ、という考えが生まれる。菩薩というのがそれです。大乗では菩薩というものを考えました。菩薩は悟る力があるんだけれど、他のみんなが悟りをひらけるようになるまで待っていてくれる。他のみんなが悟りをひらけたときにはじめて菩薩も悟りをひらく、そういう有り難い修行者です。菩薩は現実にいるかもしれないし、理念的宇宙的な存在としてある者でもある。仏に対する信仰とともに菩薩に対する信仰も生まれて色々な菩薩が考え出されました。なんだかややこしいけど、理解できるかな。理解より、信じれるかどうかの問題かも知れないけどね。

  大乗仏教の理論を大成した人として覚えておかなければならない人がナーガルジュナです。龍樹(りゅうじゅ)と漢訳しています。龍樹菩薩とも呼ばれる。2世紀から3世紀にかけての南インドの人です。大学時代に彼の本を読みましたが哲学書として今読んでも面白いですよ。あまり理解はできてないけどね。「依存関係による生起」というフレーズが仲間内で流行った。愛があるでしょ、私とあなたが愛し合っている。愛はどこにあるか、私の中にあるのか。ノー。あなたの中にあるのか。ノー。あなたと私の間にあるのね。愛は関係なんですよ。あなただけでも私だけでも、そこには愛はない。二人がいてもない。二人の間に、関係の中に愛がある。「依存関係による生起」です。川はどこにあるか。ここにあると僕らは思うが、実はない。それは水と、それが流れる大地のえぐれに過ぎない。水とその運動と大地の関係が川です。川は関係に過ぎない。これも「依存関係による生起」。こうして関係に分解していくと実在するモノがなんにも無くなってしまうんです。これが「空」。これも大乗仏教の重要概念。「色即是空、空即是色」って聞いたこと無いですか。般若心経のフレーズ。この「空」ですな。
 ちょっと煙に巻いてしまったね。ま、大学ではこんな事をやるという話。

  お経はブッダの言葉を弟子たちが伝えそれをまとめたモノなんですが、大乗仏教はブッダが死んでから成立したんですね。ブッダの言葉ではないじゃないか、といわれればそういうことになる。ただ、ブッダというのは悟った人ということだからね、ガウタマ=シッダールタでなくても悟った人の言葉であればお経であっていい、という理屈にはなる。
 じゃあ一体大乗仏教のお経は誰が書いたのかというとこれが全然分からない。
 ナーガルジュナには伝説があって、かれは竜に導かれて海底の竜宮城に行ったことがあるという。そこでお経をたくさんもらって帰ってきたというんだ。なんだか分からない世界ですが、ひょっとしたらナーガルジュナが書いたお経もあるかも知れないね。大乗経典成立の謎というのを空想していると私は楽しい。名も無き仏教僧たちがどこかでお経を書き続けていたんだ。

 では悟った人が書けばお経として認められるかというとそれはダメで、インドで書かれていることが条件みたいです。中国で書かれたお経とかもあるんですが、インドでの原典が無いモノは偽経といってニセモノ扱いされています。

 話がどんどんそれましたが、クシャーナ朝とナーガルジュナの活躍した時代は重なるわけで、この時期に大乗仏教がどっとインドで流行しだしたんでしょう。


その他の王朝

  クシャーナ朝は三世紀中頃には崩壊します。
次に重要な王朝がグプタ朝(320頃〜550頃)です。クシャーナ朝がイラン系だったこととは対照的に、このグプタ朝は純インド王朝で、北インドを統一しました。インド伝統文化の復興というのがこの王朝のテーマです。
 建国者がチャンドラグプタ1世。次のチャンドラグプタ2世の時が最盛期です。マウリヤ朝のチャンドラグプタさんと名前は同じですが、まったく関係ないので混乱しないように覚えて下さい。チャンドラグプタ2世の時に中国から仏教研究のために法顕という坊さんが来ました。こういう横の関連は受験ではよくきかれるところです。
 この王朝の時には仏教美術が盛んに作られます。ガンダーラ美術と違って純インド風でグプタ美術と呼ばれています。アジャンター石窟寺院に残された壁画が特に有名。資料集に写真がありますがここの壁画と非常に似た絵が法隆寺金堂に描かれています。
 それから受験的には、この時代のカーリダーサという人が書いた「シャクンタラー」という戯曲はよく出題されます。
 この王朝は5世紀中頃から中央アジアのエフタルという遊牧民の侵入によって衰退していきました。

  グプタ朝の崩壊後北インドは分裂時代が続くのですが古代インドの最後の大規模王朝がヴァルダナ朝(606〜647)。建国者がハルシャ=ヴァルダナ。この王朝はこの王様一代限りで崩壊しました。
 この国には中国から玄奘という坊さんが仏教を学びにやってきた。玄奘というのは三蔵法師という名で『西遊記』にでてくる坊さんです。彼の旅行記にこのヴァルダナ朝が出てくるんですね。それで有名ということです。

  南インドの王朝で重要なのがサータヴァーハナ朝(前220頃〜後236)。
この国はローマ帝国と貿易をおこなっていたことで有名。


ヒンドゥー教

  仏教やジャイナ教の流行でバラモン教はどうなったかという話です。バラモン教は民間信仰をどんどん採り入れて徐々に変身します。バラモン教が民衆化した宗教をヒンドゥー教といいます。現在のインドの8割近い人がこのヒンドゥー教の信者です。

 いつからバラモン教がヒンドゥー教に変身したかといわれるとハッキリしたことは分かりません。ただ、グプタ朝の時には確立していたようです。

 ヒンドゥー教の特徴は多神教であることと、カースト制を積極的に肯定していることです。ヒンドゥー教はたくさん神さまがいます。代表的な三大神がブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ、です。ブラフマーは創造の神、ヴィシュヌが世界維持の神、シヴァが破壊の神です。破壊の神シヴァが一番人気があるようです。破壊するというのは次の創造につながるからと説明されますが、単純に破壊することはぞくぞくする快感があるんでしょうな。砂場に作った山をガーッと蹴散らす快感って経験あるでしょ。それをやるのがシヴァ神。

  インドの二大叙事詩に「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」というのがあります。これは徐々に話が整えられていってグプタ朝の時期に完成されたといわれています。現在でもインドだけではなくインドネシアなどでも広く知られて愛されている物語なんですが、同時にこれらの叙事詩はヒンドゥー教の経典でもあるのね。

 「ラーマーヤナ」はラーマという王子が主人公の話。あらすじだけ簡単に言っておくとラーマの妃がスリランカに住んでいるラーヴァナという男にさらわれてしまう。ラーヴァナは巨人とか魔人とかの仲間がいて手強い。ラーマは妻を取り返すのに苦労するんです。そのラーマにハヌマーンというサルの神様が力を貸してくれて無事妻を取り返したという筋です。
 『西遊記』の孫悟空はこのハヌマーンがモデルらしい。桃太郎の鬼退治にサルがでてくるのも関係あるかもね。



  「マハーバーラタ」は滅茶苦茶長くてスケールの大きい話です。
 これはバーラタ王の子孫クル族という部族が二つに分裂して、インド中を巻き込んで大戦争をする話です。その決戦にこんな場面がある。
 主人公の一人にアルジュナという王子がいます。強い戦士なんです。そのかれが両軍が向かいあって対峙している時に、敵陣に向かって出撃します。戦車に乗っているんですが、その戦車の御者がクリシュナという人物。この人は別の国の王なんですがアルジュナの軍に助太刀で参加している。人間なんですが実はヴィシュヌ神の化身なんです。

 敵陣に突進する途中で急にアルジュナは迷いに落ちる。で、両軍の真ん中で戦車を止めさせます。どうしたのかと問うクリシュナにアルジュナはいうんです。「一族のものや仲間や先生を殺して良いものか」とね。敵の軍といっても同じ一族が別れて争っているんだから、親戚とか昔の親友や師匠が敵軍にいるわけです。
 これに対してクリシュナがいかに生きるべきかを語る部分がある。これがすごい。クリシュナは言うんだ。

 「迷わず殺せ!」

 納得できないアルジュナにクリシュナはその理由を延々と語ります。これがヒンドゥー教の神髄で、この部分だけが特に取り出されて「バガヴァッド・ギーター」という本になっています。



  クリシュナは言う。「すべて生きるものは輪廻から逃れられない。いつか死んでまた生まれ変わるんだから、何時死のうとそれは大した問題ではない。」だから殺すことを迷うな、いつか必ず死ぬんだから今おまえが殺したって同じ事だ、というんだね。すさまじい発想です。一歩間違えると殺人を正当化するどこかの新興宗教みたいになってしまいそうですね。
 
 さらに言う。「おまえはクシャトリアである。クシャトリアの義務は戦うことにある。だから戦うことに迷うな。義務を果たせ。」義務を果たさないことは不名誉なことです。
 ヒンドゥー教はカースト制を肯定しますからね、当然出てくる発想です。自分のカーストにはずれない行いをせよ、ということだ。
 
 ヒンドゥー教徒ではない立場からすると滅茶苦茶なことを言っているように聞こえる部分もあるね。しかし文学作品ですから読んでみると心を揺さぶるような表現で語られているんですよ。
 「あなたの職務は行為そのもにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ。」
 わかるかな。結果を恐れることなく、なんじのなすべき事をなせ、といっているのです。こんな言葉だけを取り出すと結構勇気出てくるところもある。だから最近注目されているようです。

  このような文学とともにヒンドゥー教の立場からの法も成立してきます。「マヌの法典」です。これもいつ頃作られたかはっきりしませんがグプタ朝の時代に完成しています。当時の社会的規範や慣習を体系化したものです。これによってカースト制が固定化されたとされています。

 ヴィシュヌ神はいろいろなモノに化身する神ですが、いつの頃からか仏陀もヴィシュヌの化身とされました。一時はクシャトリアやバイシャに支持された仏教もヒンドゥー教に吸収されたわけです。結局カースト制度は消えることなくヒンドゥー教とともに現在までインド社会に生き続けたのです。


参考図書紹介・・・・もう少し詳しく知りたいときは

書名をクリックすると、インターネット書店「アマゾン」のページに飛んで、本のデータ、書評などを見ることができます。購入も可能です。

インド仏教思想史〈上〉
インド仏教思想史〈下〉
ひろさちや著。一般向けの宗教関係の著作がたくさんある人だが、この本は、ものすごくわかりやすく、面白いです。大乗仏教が発展していく過程は、初めて読むエピソードが多かった。私の授業でも多くを負っています。今は、手に入りにくいそうです。
インド神話入門とんぼの本 長谷川明著。インド神話に登場する多くの神々を、コンパクトにわかりやすく解説している。「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」の物語もちゃんと載っている。これ一冊あれば、インド神話はバッチリ。図版も多く、お得な本。
バガヴァッド・ギーター岩波文庫 上村勝彦訳。訳者による解説と「マハーバーラタ」の要約つき。上村氏は、「マハーバーラタ」の原典からの全訳をちくま文庫で刊行していたが、志半ばでお亡くなりになった。合掌。
大乗経典を読む講談社現代新書 定方晟著。主な大乗仏典を、わかりやすく大胆に現代語訳した意欲的な本。これで、お経に何が書いてあるか、初めて知った私です。大乗のお経が、こんなにスペクタクルとは思っても見なかった。おもわず、文学的想像力をかきたてられてしまった。ただし、この本も入手しにくいらしい。なぜ、いい本がすぐに消えてしまうのだろう。
世界の名著 2 大乗仏典 (2)中公バックス これも主な大乗経典を、現代語訳したものだが、学術的な翻訳(?)なので、上の本のように、すらすらと読めない。これも、古本でなければ、手に入りにくいかも。

第22 回 インドの諸王朝(大乗仏教、ヒンドゥー教) おわり

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