聖霊のバプテスマ再考

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聖霊バプテスマ再考


  私は、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団という小さな教団に所属している。16歳で信仰を持って以来およそ45年、ずっとこの教団で生きてきた、いわば生粋のペンテコステ派である。とは言え、私はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の神学を、すべてそのまま受け入れているのではない。というより、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、改革派の教会が誇るような、きちっとした信仰告白を持っていない。私たちの母体であるアメリカのアッセンブリーズ・オブ・ゴッドには信仰告白があるにはあるが、実に簡単なものである。これはこの告白に立って信仰を持ち、教団を形成するというようなものではなく、緩やかなガイドラインとでも考えたほうがよさそうなものである。

 大体にして、私たちの交わりは信条や教理に基づくものではなく、聖霊のバプテスマをいただいたという信仰体験に拠って立つものである。神学や信条を整えようとすると、たちまちウエスレー神学や、ホーリネスの神学、あるいはケズイックの神学、さらにはバプテストや改革派の神学までが混合し、とても整えられるものではなかったというのが実情である。聖霊のバプテスマを体験したという一事によって、それぞれの教団や交わりを離れざるを得なくなった、神学的背景の異なる多くの人々が寄り集まって、世界宣教のために協力して行こうではないかとできたのが、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドだからである。

 また、これらの人々の圧倒的多数が、いわゆる福音派に所属していた。そのために、聖書を誤りのない神の言葉として受け入れる信仰が絶対の土台となり、それ以外の事柄、つまり福音派内のそれぞれの異なった神学や信条については、それぞれが個人の信仰として主張するだけにとどまり、交わり全体の選択には至らなかった。交わりとしては、様々な理解を内包した、おおらかな、寛容性に満ちた中庸の道を選んだのである。そのために、中にはかえって極端な信仰に陥ってしまった者もないではなかったが、全体としては常に聖書に戻る健全な態度を維持してきた。

 ところがそれはまた、体験的な信仰を重んじ、神学にはあまり関心を持たないという傾向を、一層強める結果ともなった。私たちは、福音派の兄弟たちが福音信仰の土台をしっかりと踏み固めてくださったことを感謝し、その上にペンテコステ信仰を固くし、宣教に専念することで満足してきた。そして、自分たちの体験と同様な体験を、聖書の中に見出すことができたということに安心し、その聖書的体験自体をしっかりと考察することには、あまり頓着しなかったのである。

 その結果、長い年月の間に、聖霊のバプテスマに対する認識自体が、希薄になって来たように感じる。聖霊のバプテスマへの期待も小さくなり、飢え乾くことも少なくなり、強調されることもあまりなくなって来たのではないだろうか。実際それを体験する者の数も減少しているように思える。私たちの信仰の価値観の中で、聖霊のバプテスマの値が下がり、信仰の優先順位の中では、ずっと後方に落ちてきたといえる。その一方では、ペンテコステ派を標榜する教会や団体がそこここに誕生し、それぞれ独自の主張をくり広げる混乱の中で、聖霊のバプテスマに対する間違った理解を見抜けなくなり、自分の信仰を見失い、混乱を激しくすることにもなっている。そういうわけで、このあたりで私たちの間からも、もう少し聖霊のバプテスマについて理解を深める働きが出てきても良いものだと考え、田舎伝道者が頭をひねろうとしているのである。

 私たちが聖霊のバプテスマについて普通理解していることは、大体、以下のとおりである。 @ 父なる神に啓示を受けたバプテスマのヨハネによって、やがてキリストがお与えになると約束された。A ペンテコステの日にはじめて与えられた。 B 回心とは異なる、回心後の体験である。 C 宣教のための力の付与を目的としている。 E 異言というしるしが必ず伴う。 F その他、様々な感動や恍惚、あるいは体に感じるような感覚を伴うことが多い。

 これらのうち、@〜Eまでは聖書の記述による理解であり、Fは聖書の記述と自分たちの多くの体験から学んだことである。@とAについては福音派の人々はみなそのように理解していると思う。また、Cは私たち伝統的ペンテコステ信仰を持つ者の最大の強調点であるが、あえてこれに異議を唱えている人はいないようである。Fについてはほとんど論じられることはない。Bについては実に多くの議論がくりかえされてきた。改革派やバプテスト派の人々は、ペンテコステ信仰は、ウエスレー派の第二の恵みの神学を引き継いでいると考えて、自分たちの完結した働きの神学をもって、ペンテコステ信仰を誤りであると断じている。しかし私たちアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの信仰は、他の多くの伝統的ペンテコステ派の信仰と異なり、第二の恵みの神学を引き継いではいない。したがって、彼らの私たちに対する抗論はかなり的外れである。また、使徒の働きに記されている聖霊のバプテスマの記述を公平に調べる限り、聖霊のバプテスマは回心に伴って与えられるものであり、聖霊の内住と同じであるという彼らの主張には根拠がない。自分たちの主張を聖書の中に読み込んで、実際、行ってはならないと自分たちが主張する、こじつけと無理な解釈をくりかえさない限り、そのような主張は不可能である。聖霊のバプテスマは明らかに回心後の体験である。

 Eの異言について言うと、私たちは聖霊のバプテスマには必ず異言が伴うと理解し、異言の伴わない聖霊のバプテスマというものの存在を否定してきた。しかしこれについては、ペンテコステ運動の初期のころから異なる意見があり、異言の伴わない聖霊のバプテスマの存在を主張した人々もいた。また1960年代以降、いわゆるカリスマ運動と第三の波運動に賛同する、ネオペンテコステの人々の間では、異言は単に、多くの伴う出来事のひとつに過ぎないと考えられ、他の様々な体験、すなわち、震えたとか倒れたとか、電気に打たれたように感じたとか、泣いたとか笑ったとかいう体験と同等の価値しか与えられなくなった。

 また、私たちアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの間でも、異言は必ずしも高い評価を得てきたわけではない。多くの指導者たちは、異言を求めるのではなく、聖霊のバプテスマを求めなさいと勧めて、異言にはしるしとしての価値しかないかのように取り扱ってきた。それがカリスマ運動や第三の波運動の人々の主張と重なり合ったためかどうかは知らないが、最近、私たちの間では、聖書知識や神学に対する意欲が高まってきたのに反比例するかのように、異言に対する飢え渇きがほとんど見られなくなったし、異言の祈りが非常に少なくなっているように感じる。

 私たちアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの人々の公式見解では、大切なのはあくまでも宣教の力を与える聖霊のバプテスマであって、異言ではない。異言はその現象が正真正銘の聖霊のバプテスマであることを証明する、「しるしに過ぎない」のである。もちろん異言の素晴らしさを体験的に知っている者は大勢いる。しかし「しるしに過ぎない」という神学的な理解が、その体験の素晴らしさを語ることを躊躇させている。その素晴らしさは「個人的な体験であり、個人の中に治められるべきものであり、公共性のないものである」と感じているのである。それはまた、パウロがコリント14章で語った異言についての教えの誤った理解から、異言には価値がないと主張する多くの福音派の人々の声に、押されてしまったという一面もある。

いま、ペンテコステ的信仰を持つと判別される者の圧倒的増加に伴って、私たちには自分たちの信仰の再確認が求められている。特に、鮮明なペンテコステ経験のために所属団体を離れてまで、自分たちの信仰を守り通した第一世代の人々とは違い、いまや第四、第五世代になろうとする私たちの間では、曖昧な理解と見解は曖昧な信仰態度を作り出し、自分たちの信仰の特徴である真実の聖霊のバプテスマに対する期待が薄められ、ついには、当たり障りのない福音主義の一員ともなりかねないからである。

T.ヨハネによって預言された、キリストがお与えになる聖霊のバプテスマ

 聖霊のバプテスマが、父なる神から啓示を受けたバプテスマのヨハネによって、預言されていたものであることは、誰の目にも明らかである。この預言は4福音書すべてが記録している、数少ない出来事のひとつであり、それだけに重要性が高いということに、まず気付いていなければならない。しかしこの預言によってわかることは、キリストが、やがて、聖霊のバプテスマをお与えになるということだけであり、いつ、どこで、誰に、何のためにということについてはまったく触れられていない。ただ、ヨハネ自身がそのとき水のバプテスマを施していて、そのバプテスマという言葉の関連性の中でイメージを重複させ、聖霊の「バプテスマ」という表現を用いていることは重要である。

 水のバプテスマについては、さまざまな理解がある。カトリック教会において長い間の慣習となっていた、幼児洗礼とそれに対応した滴礼あるいは灌礼は、そのあたりの神学理解においてはカトリック教会の殻を打ち破ることができなかった、ルーテル教会、アングリカン教会、あるいは改革派や長老派の諸教会に引き継がれた。素人的な素直な聖書の読み方をしたアナバプテストだけが、カトリックの殻を捨てて信仰告白を伴った洗礼を取り入れ、同時にバプテスマの言葉の意味どおりに、水の中にどっぷりと浸す洗礼の方法を取り入れた。現在においてはこのアナバプテストの意思を引き継ぐバプテスト系などの諸団体が、信仰告白と水に浸す洗礼すなわち浸礼を取り入れている。

 自分たちの神学の正しさを主張することに熱心な改革派の神学者の意見によると、いろいろな理由で幼児洗礼と滴礼が正しいということになるのだが、どうも腑に落ちない。やはり、バプテストの神学者たちの語るところに客観性があると判断せざるを得ない。ヨハネが洗礼を授けていたところには水が多かったので、ヨハネは当時の習慣に従って、たっぷり水に浸す洗礼を行っていたと考えるべきである。改革派の人々が言う理解では水が多かったのではなく、水源が多かったのであるということだが、それでもかまわない。多くの水源は、水量が豊かな流れや池を作り出していたことだろう。バプテスマという言葉は、どっぷりと浸すということであり、日本のバプテスト教会は洗礼という言葉を嫌い、浸礼と呼んでいる。

 私たちアッセンブリーズ・オブ・ゴッドは、改革派の神学も大いに取り入れているが、どちらかというと、バプテスト派の影響を強く受けていて、洗礼の方法も浸礼である。そしてその浸礼こそが、聖霊のバプテスマのイメージを作り出すにふさわしい、「雛形」なのだと考える。浸礼が全身あますところなく水につけ、下手に口を開けていようものなら、腹の中にまで水が入り込むような経験であるように、聖霊のバプテスマは、あたかも全身全霊が聖霊の中に投げ込まれるような体験である。それは聖霊を飲むような体験である。(コリ12:)前後左右、上も下も前も後ろも、聖霊に取り囲まれ、包まれ、浸されるそのような状況を想像させるのである。

 この用語、あるいは表現のダイナミックさは、聖霊の内住と一緒にすることができないように感じるが、どうだろう。聖霊の内住はその重要性、あるいは力強さにもかかわらず、内住があった時点ではむしろ静かで、体感できない、自覚できない場合、知らないうちに起こっている事が多い。風がどこから吹いてどこへ行くのかわからないように、霊によって生まれる者もそのとおりであると、キリストご自身も仰っている。事実、自分がクリスチャンであるのかどうか、はっきり理解できていないクリスチャンも、かなりの数に上るのである。それをわからせるために、ヨハネはわざわざ第一の手紙を書いている。体感できる、実感できる、自覚だけではなく、客観的にさえそれと判る聖霊のバプテスマと、聖霊の内住を、同じにするにはどうもイメージが合わない。

 またこの聖霊のバプテスマは、甦ったキリストが、父の約束を待ちなさいとおっしゃったときの、父の約束と理解することができる。バプテスマのヨハネの預言は、明らかに父なる神によってヨハネに与えられた掲示であり、父の約束だからである(ヨハネ1:33)。十字架に付けられる直前のキリストが詳しくお話になった、他の助けぬしとしての聖霊も(ヨハネ14−16)、川となって腹のそこか流れ出る生ける水と表現されている、やがて与えられる聖霊も内住の聖霊である(ヨハネ7:37−39)。しかし、それは父の約束といわれる性格のものではない。

 ところで、私たちアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの人々は、一般に、聖霊のバプテスマと火のバプテスマとを同じものと考えて、聖霊のバプテスマすなわち火のバプテスマと理解している。聖霊には火のイメージがあり、清める、焼き清めるという連想を起こさせるからである。これは、ウエスレーの神学やホーリネスの神学を引き継ぐ人々が、私たちの交わりの中に相当数いたという事実に起因するようである。19世紀のホーリネス運動の最盛期には盛んに「火のバプテスマ」「清めのバプテスマ」が強調されたのである。しかし、この理解はバプテスマのヨハネの言葉の解釈からは生まれてこない。なぜなら、ヨハネの言葉の前後関係をよく読むと、この火のバプテスマは聖霊のバプテスマではなく、「さばき」のことだと明らかにわかるからである。

U. キリストによって、求めるように勧められている聖霊のバプテスマ

 福音書の著者たちは、それぞれ自分の歴史書に異なった観点と強調点を持っていた。共観福音書と呼ばれる三つの福音書の間でさえ、相違点は明らかである。ルカは下巻の使徒の働きを宣教史的観点から書き、聖霊の働きを強調した。そして上巻の福音書においても、やがての下巻への導入として、聖霊への特別な関心を呼び起こそうとしている。

 ルカはその福音書において、マタイと同じキリストの物語と教えを記録していながら、大切なところでマタイとは異なった記述をして、読者が聖霊へ関心を高めるように図っている。あの有名な山上の垂訓でも特に有名な、「求めよ。さらば与えられん」という教えを、マタイは求める対象を一般的なものにしているが、ルカは、はっきりと聖霊と記している。多分キリストは、あるときは一般的な意味において求めることについて教えられたに違いない。しかしまたあるときは、求めるべきものをひとつに限定して、「聖霊」とおっしゃったのであろう。宣教論的視野を持って書いたのではないマタイは、自分の著作の意図に従って、聖霊と限定してキリストがお語りになったときの教えではなく、「何であっても求めるならば」という意味の教えの方を記録した。

 ともあれ、聖霊のお働きに焦点を当てようとしていたルカは、「聖霊を求めなさい」と強く勧めるキリストの教えの方を記録した。非常に重要なのは、ここでキリストは、聖霊を求めるべき対象としておられることである。果たして聖霊とは求められるべきもの、あるいは求められるべきお方であろうか。回心に伴って人々の内に住んでくださる聖霊は、人の求めに応じて住んでくださるのではない。たとえ人が、聖霊についてまったく知らなくても、その人がキリストを信じたならば、そのとき、聖霊はその人の内に入り、住んでくださるのである。それは人間の求めとか、願いとか、意志とか、好き嫌いとか、理解のあるなしに一切関わらず、まったく一方的に聖霊が住んでくださるのである。したがって、あらためて「聖霊を求めなさい」というこのキリストの勧めと励ましは、聖霊の内住ではなく、内住とは別の、聖霊の特異なまた大切なお働きを指していることがわかる。しかもそれは単に、聖霊の多くのお働きの中のひとつという程度のものではなく、「聖霊を求める」と言っても過言でないほど、聖霊ご自身の全体の存在にかかわるような、お働きであると考えなければならない。そして、聖書に限定して考えるならば、そのような聖霊のお働きは聖霊のバプテスマ以外にありえないし、聖霊のバプテスマと考えると、すべてが調和するのである。もしも、キリストが求めなさいとおっしゃった聖霊が、聖霊のバプテスマのことではないとするならば、いったいどの聖霊のことか、真剣に考えなければならない。

 ルカはまた、昇天の直前のキリストが聖霊のバプテスマに言及し、それが間もなく与えられると予告し、それが与えられると弟子たちは力を受け、キリストの証人として全世界に出て行くとおっしゃったことを記録した。マタイも昇天直前のキリストがお与えになった宣教命令を記し、キリストが世の終わりまで弟子たちと共におられるとおっしゃった約束を書き忘れなかった。この場合の伴われるキリストは、当然、聖霊としてのキリストである。こうしてマタイも聖霊について記述した。マルコもまた、キリスト昇天後も聖霊が弟子たちと共に働かれたことを記している。ヨハネは昇天直前のキリストが、弟子たちに聖霊を受けるように命じられたことを記録した(ヨハネ21:20)。

 ヨハネが記した「聖霊を受けよ」というキリストのみ言葉を、多くのペンテコステ派の人々はこのときキリストが実際に聖霊をお与えになったのだと解釈しようとしている。それは息を吹きかけながらおっしゃったという記述を言語から解釈すると、文字通り聖霊をお与えになったと理解すべきだということらしい。それはまた、このときに弟子たちに聖霊が与えられたと考えると、ペンテコステの日の聖霊の傾注は、聖霊の内住と聖霊のバプテスマが同時に起こったのではなく、聖霊のバプテスマだけと考えることが可能なためらしい。そうすると、回心に伴う聖霊の内住とは別の、回心後の聖霊体験としての聖霊のバプテスマという、ペンテコステ派の主張が理論付けられるからである。

 しかし現時点においては、私はこの考え方に組みしない。それはまず、教会の誕生という歴史的出来事と、教会のうちに聖霊が住んでくださるという出来事との関連性から、受け入れることはできない。このとき弟子たちに聖霊が与えられたと仮定すると、教会の誕生がペンテコステの日ではなく、この日になってしまう。キリストの弟子たちの共同体は、聖霊をいただいて初めて、聖霊を内に宿す共同体、すなわち教会となったのである。また、弟子たちのために聖霊が遣わされたのは、あくまでもキリストが天にお帰りになってからの出来事であるということからも、このとき弟子たちに聖霊が与えられたと考は考えられない。

 ではこれは、やがて来るペンテコステの日に始まる、聖霊の内住についての勧めであろうか。しかしいったい、内住の聖霊を受けなさいという勧め自体に、妥当性があるのだろうか。すでに述べたように、聖霊の内住は受ける側の意思とは関わりなく、信仰を持った時点で自動的に起こる出来事である。受けるように勧められても意味がない。したがってこれは、父の約束である聖霊のバプテスマに対する期待を高めさせるお言葉と、理解するのが良いのではないだろうか。このときの弟子たちは、まだ聖霊のバプテスマの何たるかを理解しておらず、聖霊のバプテスマと言われても、本当のところ、具体的には期待のしようもなかったと思われるが、少なくても、約束の聖霊バプテスマなるものを与えられるのだという、おぼろげな期待と心の準備はできたであろう。このように想像するとこの出来事は、むしろ、これらの弱々しい弟子たちがもうすぐ強くされるのだ、キリストの証人として全世界に出て行くことになるのだと、胸を躍らせたキリストご自身の期待と、喜びの発露と考えるのがふさわしいように思う。

 後に述べることではあるが、福音書が書かれた時代の弟子たちにとっては、聖霊のバプテスマを受けることがきわめて通常の信仰体験であり、すべてのクリスチャンが聖霊のバプテスマを受けるように、当然のように期待されていたと考えられる。したがって、マタイの記述もマルコの記述もヨハネの記述も、単に内住の聖霊という意識ではなく、バプテスマをもって臨んでくださった、内住の聖霊という理解のもとに書かれたと考えるべきである。しかし、聖霊が聖霊のバプテスマであることを明確に記しているのはルカだけである。もちろん、ルカの福音書だけからそのように判断するのは困難であるが、使徒の働きとの関わりから誤りようがないほど明白である。

V.宣教の力の付与としての聖霊のバプテスマ

 初期のペンテコステ派の人々の多くは、自分たちの神学背景から、聖霊のバプテスマを清めの体験と関連づけて考えた。アッセンブリーズ・オブ・ゴッドはホーリネスやウエスレーの神学から離れ、バプテストの神学を取り入れたために、公式には聖霊のバプテスマと清めとの直接の関連を認めていない。とは言え、聖霊は文字通り聖なる霊であり、決定的に清さとかかわりがあり、清さをもたらす霊であるために、聖霊のバプテスマと清さが無関係であるとは考えていない。聖霊のバプテスマは、結果として、それを体験した者たちに清い生活に対する渇望と、清く生きる力を与えるものであることに疑いの余地はない。しかし、聖霊のバプテスマを受けるためにはまず清くされなければならないと考えるのは、第二の恵みの神学、あるいはホーリネス神学の影響の残滓である。清めは聖霊のバプテスマの先行条件ではなく、期待できる結果である。

 聖霊のバプテスマは、歴史的には、ペンテコステ派の人々が言うところの聖霊のバプテスマが体験されたよりも数世代も前から、ホーリネス系の人々によって清めのバプテスマとして強調され、その後しばらくすると、ケズイック系の人々によって力のバプテスマとして大切にされていた。しかし、宣教の力の付与と理解されるようになったのは、異言が宣教のために与えられる新しい言葉を語る能力であると、誤って考えられたところに起因するようである。ホーリネス運動の中では、ペンテコステ派の人々が現代ペンテコステ運動の始まりと考える、アグネス・オズマンの異言を伴った聖霊のバプテスマの体験よりも数年も先に、宣教師として外国へ出て行って働いていた人々から、聖霊の力によって、学んだこともない現地の言葉を用いて、福音を語ることができるようになったというレポートが、いくつも届けられていた。このレポートが聖霊のバプテスマを宣教の力の付与と、宣教地の異なった言葉を語る異言の能力に結びつけたようである。

 聖霊のバプテスマが宣教の力の付与に関わるという理解は、ルカの記述で明らかである。しかしこの正しい理解に至るまでの過程においては、勘違いも助けとなったといえる。異言を伴う聖霊のバプテスマを期待した人々の多くは、聖霊のバプテスマさえ受ければ宣教地の新しい言葉を語ることができると信じて、直ちに外国に出て行った。そしてその多くは、失望の果てに帰国することになった。その結果、異言は必ずしも実存する外国の民族の言葉ではないと理解されるようになったのである。日本語では私たちは単に異言といっているが、英語では異言を意味するtongue には、実在する民族の言語を話す場合のxenolalia (ゼノラリア)あるいは xenoglosso(ゼノグロッソ)と、人間が実際に使用している言葉ではないと考えられる glossolalia (グロッソラリア)とがあると理解されている。

 理解に至る過程がどうであっても、ペンテコステの派の人々は結果として聖書に向き直り、ルカの記述から、聖霊のバプテスマとは宣教のための力の付与であると考えるようになった。ルカは、間違いなく、聖霊のバプテスマが宣教のための力を与えるものであると語った、キリストのみ言葉を書き記している(ルカ24:46−49、使徒1:5、8)。キリストがこれをお語りになった時点では、すでに述べたように、弟子たちは聖霊のバプテスマの何たるかを知らず、期待も何もしていなかったはずである。したがって、このキリストのみ言葉にはキリストの期待が込められているように感じる。キリストは、肝心なときに逃げ隠れして役にたたない不肖の弟子に過ぎなかった彼らが、聖霊のバプテスマを体験し、強められ、大胆不敵な証人と変えられて行くのを瞼の裏に描き出し、喜びに溢れておられたに違いない。

 このように聖霊のバプテスマが宣教の力を与えるものであることは、単に、福音書に記されている弟子たちの姿と、使徒の働きに記されている弟子たちの姿との比較によって推測されるだけではなく、つまり、歴史的出来事から学ぶだけではなく、キリストご自身の直接のお言葉からはっきりと断定することができる。キリストは弟子たちに、世界宣教に出て行くように命じられたが、そのためにはまず力を受けるように指示された。弟子たちは、この力を受けるまではエルサレムを離れないよう、指導されたのである(ルカ24:49、使徒1:4))。これは、聖霊のバプテスマを体験することによって受ける力の重要性、あるいはその力がいかに強いものであるかを示している。

 キリストは、ご自分の膝元という最高の神学校で、3年半にわたって昼夜分かたず訓練を受けた弟子たちを、世界宣教の使命遂行のためにはまだ不足と考えられた。キリストの権威によって悪霊を追い出し、病を癒した弟子たちでも、まだ不十分だと判断された。毎日、大群衆の中のただ一人も、キリストの教えを聞き漏らすことがないように、キリストのみ言葉を鸚鵡返しに大声で叫ぶ働きを通して、キリストの教えを血肉としていた弟子たちでさえ、まだまだだめだと評価された。十字架の失望を味わい、自分たちの不甲斐なさに打ちのめされたにも拘わらず、復活の興奮を体験し希望にあふれ、神の国建設の実現を目指していきり立っていた弟子たちであったが、それだけでは出て行くことをお許しにならなかった。世界宣教を遂行するために、彼らにはなんとしても聖霊のバプテスマのもたらす力が必要だったのである。それほど、聖霊のバプテスマは重要だったのである。

 しかし、聖霊のバプテスマは世界宣教のための力の付与であると考える、私たちアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの理解と、その理解を支える聖書の読み方は本当に正しいのであろうか。聖霊のバプテスマが宣教のために力を与えるという事実は、ルカが記したキリストのみ言葉からも、使徒の働きに記述されている弟子たちの姿からも、また、私たちアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの歴史という実例からも、間違いはない。だが聖霊のバプテスマは、本当に、宣教のための力の付与を目的として与えられるものであろうか。果たしてルカは、宣教のための力の付与を聖霊のバプテスマの目的であると明記しているだろうか。

 ルカの記述からは、宣教のための力が、聖霊のバプテスマがもたらすいろいろな結果の一つであるとは考えられる。それらの結果の中のもっとも顕著なものが、聖霊のバプテスマであると考えることにも問題はない。少なくてもルカは、その結果について明確に語られたキリストのみ言葉を、誤りなく記述したのである。しかしルカの記述からは、聖霊のバプテスマが、宣教の力の付与のために、またそれだけを目的として与えられるものであるという結論は、出すことができない。キリストは、宣教の力の付与こそが聖霊のバプテスマの目的であるとは、お語りにならなかったのである。理論的には、宣教のための力の付与も含めた複数の目的があってもかまわないし、まったく別の目的があり、宣教のための力の付与は単に付随する結果のひつつであるということも可能である。それは特別に取上げるに足る大きな結果かもしれないが、目的は他にあるという可能性が残るのである。

 聖霊のバプテスマが福音宣教のための力をもたらすという事実は、宣教論的な視野から神のご計画全体を見ると、当然、非常に重要になってくる。だから、宣教論的な視野で使徒の働きを書いたルカに取って、聖霊のバプテスマが宣教の力をもたらすという事実は、非常に大切であった。また当然、使徒の働きの前巻であるルカの福音書にも、宣教論的意図があった。だから彼は、他の福音記者があまり記さなかった宣教にかかわる聖霊について記している。

W. ルカが記した聖霊のバプテスマと異言

 アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの伝統的な理解では、聖霊のバプテスマには必ず異言が伴う。したがって、異言は聖霊のバプテスマの証拠と考えられている。しかしこれは、もっぱら、ルカが宣教論的見地から書き残した、使徒の働きから導き出された理解である。したがってそれは、当然、宣教論的な側面に偏っているという欠点がある。私たちはそのことを理解しておかなければならない。その上で、ルカが記した聖霊のバプテスマと異言についての記述を、改めて見直してみよう。

A. 聖霊のバプテスマに伴って現れた。

 ルカの記述で明らかなことは、異言が語られたのは、常に、宣教のための力をもたらす聖霊のバプテスマを受けたときのことである。異言を語り始めるのは、聖霊のバプテスマを受けたときであると考えて良さそうである。聖霊のバプテスマを受けていないのに異言を語るというのは、ルカの記述から考察する限りありえない。また、ルカの記述による限り、聖霊のバプテスマには必ず異言が伴ったと読み取ることができる。使徒の働きには、聖霊のバプテスマの例が4回にわたって記されているが、そのうちの3回は、異言が語られたことが明らかにされている。ただ一つ、異言が語られたと明言されていないサマリヤでの聖霊のバプテスマの例でも、魔術師シモンが金で買い取ろうとした不思議な力が、異言であったと想像するに難くない。

 ルカはギリシャ人的な考え方でものを書いているので、現代人にもわかりやすいのだが、論文を書くような方法では書いていない。だから彼の文章が、後の神学の論争の元となるというようなことを想定して書いてはいない。もしそのようなことを想定していたならば、サマリヤでの場合も、はっきりと異言が伴ったと記していたかもしれない。つまり彼は、聖霊のバプテスマにはかならず異言が伴うというようなことを教えようとして、サマリヤの記事を書いていない。少なくてもサマリヤでの出来事を書き記していた時点では、ルカは、聖霊のバプテスマには必ず異言が伴うということを書き残す必要を感じていなかった。多分、当時のクリスチャンたちの間では、それはむしろ自明の事柄だったからであろう。

 しかし宣教の歴史の記述段階が、異邦人の回心に及んで、すなわち福音の普遍性という神学的にも実際の宣教上でも非常に重要な節目に至って、異言は俄然、非常に大切な役目を負わされることになる。それは、ペテロと彼の同行者、そして結果的にはエルサレムの全教会が、異邦人でさえ、ペンテコステの日に弟子たちが語ったと同じように異言を語りさえすれば、聖霊のバプテスマを受けたのだと判断し、神の救いを受け、自分たちの仲間とされたのだと納得したということである(使徒10:44−47、11:15−18)。彼らは間違いなく、異言が語られることを聖霊のバプテスマの証拠と考えていた。

B.ゼノラリアとグロッソラリア

 ルカが記録した異言のうち、ペンテコステの日の異言は、少なくてもそのうちの多くはゼノラリア、すなわち、実際にどこかの人々によって話されている言葉を話す、異言であった。また、サマリヤでの聖霊のバプテスマの場合も、非常に高い魔術能力を持っていた魔術師シモンが、その力を金で買い取ろうとしたくらいだから、ゼノラリアの異言が語られた可能性が非常に高い。少なくてもかなりの数のものがゼノラリアの異言を語っていたのであろう。意味不明のグロッソラリアを語る能力を、魔術師が高い金を払ってまで買い取りたいと願うはずがない。コルネリオの一家とエペソの弟子たちが語った異言が、果たしてゼノラリアであったかグロッソラリアであったかは不明である。どちらにしても、多分、当時の弟子たちはすべての異言がゼノラリアであると考えていたかもしれない。たとえ実際はグロッソラリアだったとしても、彼らは自分たちが知らない民族の言葉であると考えたであろう。

C.聖霊のバプテスマの真正性を示す証拠

 ローマの百卒長コルネリオとその家族の回心についての物語は、異言を理解するうえで非常に重要である。まだまだ熱心な愛国者であり、神の御前におけるユダヤ人の民族的優越性を信じて疑わなかった弟子たちは、並大抵のことでは、神の救いが異邦人にも及ぶということを、認めることができなかった。彼らが異邦人の救いを認めるとしたならば、あくまでも正式にユダヤ人となり、改宗者として公に受け入れられてからである。しかしコルネリオとその家族は、神を敬う人々ではあったが、あくまでも異邦人のまま、正式なユダヤ人となる前に、神の救いの賜物を受けたのである。

 その信じられないような出来事を、間違いないと、教会全員に認めさせることになったのが、聖霊のバプテスマが与えられたという事実である。そしてその聖霊のバプテスマが間違いなく聖霊のバプテスマであると認められたのは、そこに、あのペンテコステの日と同じように異言が語られたという事実があったからである(10:44−48)。つまり、福音の普遍性という重大な真理は、異言というものの存在によって実証されたのである。

 この福音の普遍性という重要な真理を初代の教会に受け入れさせ、理解させるために、神は非常に注意深い下準備をされている。まず、そのために用いられる人物をお選びになった。それは当時の教会の中で最も中心的な指導者であったペテロである。ペテロがこの事件に直接関わり、彼が説明役に回ったために、他の人々は福音の普遍性を理解し受け入れたところがある。もしも、あまり尊敬されていなかった若い弟子や新参者が用いられたとしたならば、そうは行かなかったに違いない。

 そこで神はまず、平均的ユダヤ人として立派にユダヤ主義者であった、ペテロを納得させなければならなかった。そのために神は、幻を持ってペテロと言い争われた。神はあまたの汚れた動物を見せ、これを屠って食べるようにとおっしゃった。とんでもないと拒絶するユダヤ人ペテロに対し、神はさらに、神が清められたものを汚れていると言ってはならないと、厳しくお迫りになったのである。しかも神は、平均的ユダヤ人として律法主義に陥っていたペテロを説得するために、この同じ幻を3度もくりかえしてお見せになり、同じことを3度も重ねておっしゃったのである。

 その一方で神は異邦人のコルネリオにも現われ、彼を説き伏せてペテロのところに使者を送らせるように手配をされた。ペテロが3度の幻とご命令について思いをめぐらせているとき、この使者たちがペテロの下に着いたのである。ユダヤ人のペテロは、異邦人から招きを受けたからといって、おいそれと応じるわけには行かなかった。ユダヤ人の掟がそれを許さなかったからである。しかし幻の意味について思い巡らせていたペテロは、招きを受け入れ、使者たちと共にコルネリオの家に向かう決断をすることができた。とは言え、ペテロは非常に注意深く、これが間違いなく神から発した出来事であることを証明するために、6人の兄弟たちを同行させるのを忘れなかった。これから起こる事柄は、いかに神の直接のお導きとはいえ、複数の証人を必要とすることがらに発展する危険性をはらんでいると、ペテロは直感したのであろう。普通2〜3人でたりる証人を6人にしたところに、この件に対するペテロのなみなみならぬ用心深さが伺える。

 コルネリオの一族に対する話の中で、ペテロはペンテコステの日の説教のように、悔い改めを勧めたり、ナザレのイエスを信じるように励ましたり、洗礼を受けるように教えたりはしなかった。はたしてこの時点で、ペテロは異邦人に対してそのようなことをしようとしていたかどうか、疑わしい。ところがここでも神が主導性を取られたのである。ペテロがまだ話し続けているうちに、コルネリオとその家族は聖霊のバプテスマを受けたのである。そして、ペテロと彼に同行した証人たちは、これが間違いなく聖霊のバプテスマであることを、彼らが異言を語ったことによって判断したのである。これはまず間違いなく、サマリヤの例でも同じであったに違いない。ペテロとヨハネは、サマリヤの人々が異言を語っているのを聞いて、彼らが聖霊のバプテスマを受けたと判断したと考えられる。異言を語ったという事実が、聖霊のバプテスマを受けたという事実を認めさせたのである。

D.神に受け入れられた証拠

 ルカの記述によると、異言を語ったという事実は、聖霊のバプテスマを受けたということを証明し、聖霊のバプテスマを受けたという事実は、神が彼らを受け入れられたという事実を認めさせたのである。そしてこの一連の理論は、ペテロとその同行者だけではなく、ペテロが異邦人の家に入り彼らに洗礼を授けたという報告に、強い疑念を抱いたエルサレムの全教会をも納得させ、神が異邦人をもお受け入れになるという驚くべき事実を、受け入れるようにさせたのである。こうして、福音宣教の歴史と福音理解の神学的進展の上で、異言はとてつもなく大切な役目を果たすことになったのである。

 神が異邦人をお受け入れになると言う、あり得ないことが現実に起こったことを証明し、疑い深い人々を納得させることができるほど、説得力のある現象、証拠となり得る現象を、異言の伴う聖霊のバプテスマ以外に探すことができるだろうか。私たちは普通、かなりの長い期間をおいての生活態度の変化、悪い習慣の破棄、高尚な人格の形成、教会活動への参加、価値観の変化、世界観の変化、人生観の変化などを、救いの証拠、すなわち、聖霊がその人物の中にお住みになっているという証拠にしている。もちろん、それらのどれ一つを取っても完全な証拠にはなり得ないが、総合的に判断しているのである。そして、コルネリオの家族の場合、それらのどれを取っても用を成さない。なんとしても、その場ですぐに判断できる証拠が必要だったからであり、まったく人為を排した、一方的な神の取り扱いとしての、証拠が求められたからである。そのような証拠になるものは、聖霊のバプテスマ以外にはなかった。また、その聖霊のバプテスマが真正なものであるという判断は、異言による以外になかったのである。

 ただしコルネリオの家族の回心と、聖霊のバプテスマの体験の記述は、ルカが、聖霊のバプテスマには必ず異言が伴うという事実を、読者に伝えようとして書き残したものではない。むしろ、ルカの目的は福音の普遍性を示すことであり、福音の普遍性が実証されていく過程を記すに当たって、当時のクリスチャンの間では全員に受け入れられ、自明の理、あるいは常識とされていた、事実を土台にし、前提として出来事全体を書いたのである。その土台とも前提ともなる事実は、聖霊のバプテスマには異言が伴うことである。そのように考えなければ、コルネリオの救いと聖霊のバプテスマに関する、ルカの記述の議論が成り立たない。また神は、聖霊のバプテスマと異言に関わる当時の教会のこのような理解を前提として、異邦人の救いと福音の普遍性という重大な神のご計画を悟らせようと計画し、コルネリオの回心と受霊を手際よく準備し、滞りなく実施されたのである。

X. パウロが記した異言

 ルカは聖霊のバプテスマには必ず異言が伴うという前提の下に、福音の普遍性の神学的発展、また実際の宣教においての異邦人伝道への進展について記したが、パウロは当時のコリント教会の諸問題を取り扱う中で、異言に関する混乱を取り上げて語っている。彼の著作はすべて書簡であり、みな教会や信徒の具体的問題を取り扱うものである。もっとも論文に近いローマ人への手紙でさえ、広い意味での牧会的配慮の手紙である。その主な関心事は、宣教ではなく牧会であった。だから聖霊について語るときにも、救済論的であり教会論的であって、教会の中に、あるいは信徒一人ひとりの中に住み、成長させてくださる聖霊のお働きに注意が向けられている。パウロは、宣教論的視野をもって聖霊について書こうとはしなかった。だから、宣教論的には非常に大切な、聖霊のバプテスマが宣教の力をもたらすという、キリストのみ言葉にも一切触れていない。コリント教会に発生した異言の問題を取り扱ったときにも、信徒の霊的成長と教会の秩序という観点からだけ語っているのである(Iコリ12章−14章)。

 しかしパウロは、聖霊のバプテスマが宣教のための力を付与するという事実を、知らなかったのではない。パウロの書簡の中にも、聖霊が宣教に深く関わっていることを示す記述はそこここにある。しかも彼はルカの先生であり、師匠である。ルカが知りえた事柄の大概のことは、パウロも知っていた。ましてやルカの著作は、非常な大作で、福音書と使徒の働きという上下2巻を合わせると、ほとんどパウロの全著作にも及ぶほどである。その著作のために資料を集め編纂し、実際に執筆するには相当に長い期間と多大の努力を要したに違いない。その間、彼はほとんどパウロと行動を共にしていたはずである。その下巻である使徒の働きが書き上げられたのは、パウロがローマで最初に捕らわれていたときと考えるのがもっとも自然である。したがって、パウロの目を通さずにルカの著作が完成されたとは考えにくい。むしろ、ルカが様々な資料を集め、編纂し、記述していく過程で、師匠であるパウロの指導や監修を仰いだと考えるほうが、はるかに自然である。[1]

 パウロ自身には、キリストの生涯や教えを記録する福音書を書くだけの、意欲も時間もなかったらしい。また、福音の普遍的広がりを示す初代教会の宣教の物語も、書き記そうとはしなかった。それは彼自身の働きを書き記すことになり、パウロの人生哲学に合わないということもあったであろう。だからそのようなことは、弟子のルカに任せたのである。つまり、ルカの著作はかなりパウロ的なのである。

 したがって、聖霊のバプテスマが宣教の力をもたらすものであるという知識は、ルカだけのものではなく、当然パウロも共有していた。むしろパウロがそれをルカに教えたと考えるほうが、確立が高い。ただ、パウロは牧会配慮に集中して、それについては書かなかっただけである。とは言え、彼が聖霊のバプテスマに関わる事柄について、まったく何も記述していないと結論するのは早計である。むしろ彼は、聖霊のバプテスマという言葉こそ用いていないが、信徒一人ひとりの霊的成長と教会の成長について論じるとき、聖霊のバプテスマに関わる事柄についても記述しているのではなかろうか。なぜなら聖霊のバプテスマは、クリスチャンの霊的成長に大きく関わり、教会の進展に強く影響するからである。

 このように考えると、ルカが宣教のための力の付与という観点で書き記した聖霊に関する文章と、パウロの救済論的また教会論的観点から書き記した内住の聖霊の働きに関する文章に、異言という共通点があるのに気付く。ルカが語る、聖霊のバプテスマに伴った異言と、パウロが語る神に対して語りかける異言である。ルカの記述によると、異言は聖霊のバプテスマに伴う現象である。パウロによると、異言は神に語りかける祈りの賜物であった。私たちは、師弟として長いあいだ行動を共にしていた二人の著者が、異なった観点、あるいは視野から聖霊について書き記した文章の中に、異言という接点を見つけることができるのである。

 常に行動を共にしていた師弟関係の二人の記述に、矛盾や理解の相違などはあるはずがない。もし弟子のほうが師よりも能力が高ければ、師を越えて師の知らない事柄を語ることもある。また弟子が道を外れて、師と異なったことを書く場合もあるだろう。しかしルカはパウロを超える人物ではなかった。また、最後までパウロと主に忠実な人物であったと考えられる。したがって、むしろ互いに相手を認め合い、その手の内を知り尽くし、内容において補い合っていたと理解するのが妥当である。宣教論的な視野からの聖霊のバプテスマの記述と、救済論と教会論的視野からの内住の聖霊の記述とは、互いに補足し合い、聖霊についての理解を深めさせるのである。そしてその二人の異なった記述を、一つにさせる接点が異言である。ルカは、異言というものがクリスチャン生活のいつの時点で始まったかということについて記し、パウロは異言がどのように継続して語られていたかを記している。ルカは異言がどのように宣教に関わっていたかを記し、パウロは、異言が教会全体にあるいは個々のクリスチャン生活に、どのように関わるものであるかを記した。

A.コリント教会の異言に関する問題

 コリント教会では、すべてではないがかなりの数の者が、日常的に異言を語っていたと考えられる。彼らが異言を語っていたということ自体はなんら問題がなかった。と言うより、むしろもっと多くの者がもっとたくさん異言を語るべきであった(Iコリ14:5、18)。ただ問題は、公同の礼拝会などの集会で、複数の者たちが無制限に次々と異言を語り、集会としての秩序が保てなくなることがあったということである(Iコリ14:26−32)。教会の一致ということを非常に大切にし、このために心を砕いていたパウロにとって、教会の一致の象徴である公同の集会の秩序が乱されるという事態は、見過ごしにできないことであったし、そのような混乱の中では正常な礼拝も不可能であり、神があがめられずに終わる一方、人々の霊的な、また知的な成長も妨げられてしまう。多分、これと類似した問題は、わずかなりとも他の教会にもあったのではないだろうか。このような問題の原因の一つが、当時の信徒たちが異言に対して正しい理解を持っていなかったことである。そこでパウロは異言についての基本的な事柄と、どのように取り扱うべきかを教えたのである。

B.異言についての基本的教え

 パウロの手紙は神学的であったとしても神学の論文ではない。だからここに述べられていることも、実際の必要に応じて語られたことであり、学究的なレポートではない。したがって、私たちがいま異言について知りたがっている事柄について、すべてが述べられているわけではない。

1.聖霊の賜物の一つ(12:10)

 異言は単なる感情の高まりによる、わけのわからない言葉ではなく、聖霊の賜物の一つであり、なかでも、超自然的な賜物として、直接、神的起源を持つものである。したがってこれは大切であり、軽々しく取り扱われるべきものではない。

2.神に向かって語るもの(14:2、28)   

 異言は人に向かって語るのではなく、神に向かって語るものである。つまり、人と人とのコミュニケーションである宣教の言葉でも、神の言葉を預かって語る預言の言葉でもなく、神に向かって語る祈りの言葉である。その中には、当然、お願いも感謝も賛美も含まれる。神のおおいなるみ業について語ることもあれば、罪の赦しを願うこともある。

3.解き明かしが可能なもの(12:10、14:5、13)   

 異言はそれ自体では人間には理解できない言葉であるが、聖霊が解き明かす賜物を与えてくださる場合は、解き明かすことが可能である。どうやら、パウロがコリントの教会に手紙を書いたころには、異言というものの、少なくてもその大部分はグロッソラリアであったらしい。ペンテコステの日のように、普通の人間がそれを聞いていて理解できるということは、ほとんどなかったと推測できる(14:6−19)。

4.話す者の徳を高める(14:4)   

 異言が、聞いている者にとっては意味不明の音に過ぎず、何の益にもならない。しかしそれを語る者には益である。ただし、解き明かしの賜物が与えられて、解き明かしが行われる場合は、その意味がわかるために、聞いている者にも益となる。

5.知性に関わらない(14:14)   

 異言はそれを話している者にも、確かな意味は不明である。したがって、話す者の知性を素通りしてしまい、知的な意味での益はない。しかし霊的な意味においては益がある。

6.預言より価値が低い(14:2−5)   

 誰にもわからない言葉である異言は、語っている者自身の霊的な益にはなったとしても、教会全体の益にはならない。それに比べると、誰にでもわかる言葉で話される預言は、すべての人の益となる。その意味において、異言は預言より価値が低い。

C.パウロが教えた対処

 コリントの教会の問題は、この異言の個人性とでも言うべき性質、つまり基本的には、それを語る者のみに益があるという資質を理解せず、公の場で、無秩序に語られていたということである。そこでパウロは以下のように指導している。

1.異言を秩序の下に置く(14:26−33)   

 パウロは預言者の霊は預言者に服従すると語って、預言も異言も秩序の元に置かれるべきものであると語っている。異言だけでなく、預言さえも無秩序に語られてはならないと戒めた。すべては、教会全体の益となるように行われるべきであるというのが、パウロの基本的な哲学である(14:4、26)。ここで注意をしておくべきことは、パウロが語る異言が、そのように人間によって制御可能なものとして語られていることである。ところが、聖霊のバプテスマに伴う異言について記したルカの記述を読むと、様子が異なる。ペンテコステの日の有様は、抑制が効かなかったと判断されるべきであるし、コルネリオの場合はまさに、ペテロが話し続けているときに、無秩序に話し出された。わざわざお招きし、遠路はるばる起こし願った特別の講師が、まだ話し続けているうちに、その話を遮って大勢が語りだしたのである。失礼千万である。これでわかるように、異言を最初に話し出した聖霊のバプテスマの出来事の時には、多くの場合、異言は抑制の効かない圧倒的な力をもって、口からほとばしり出た。そしてそのような体験を知っている信仰の先輩たちは、それを喜びと忍耐を持って受け入れた。その習慣が、続けて習慣的に異言を語る場合でも、周囲の状況にお構いなしに語り出してもいいのだという思いを、与えたのかもしれない。

2.異言を話すことは止められるべきではない(14:39)   

 公同の場での異言は、全体の秩序を保つという、より高い益のために、止められる必要も出てくる。しかし、異言を語ること自体は止められてはならない。すなわち、プライベートな祈りの中では、大いに用いられるべきものである。実際、パウロは誰よりも多く異言を語っていたと自分で断言して、そうできることを感謝している(14:18)。異言に価値がないなどという考えは、少なくてもパウロの中には毛頭なかった。だからこそパウロは、異言が誤って用いられたために実際に弊害が起こっているという状況で、その弊害に対処する教えの最中に、「あなたがたがみな異言を話すことを望んでいます」と、言うことができたのである(14:5)。つまり、異言というものは、聖霊の賜物の中で、きわめて個人性の高いもので、基本的にはプライベートな祈りの中で用いられるべきものだということであり、そのように用いられている限り、大いに推奨されるべきものである。それは、知的な実は結ばないが、霊的な方面においては非常に高い価値を持っているということである。そうでなければ、パウロは自分が異言をたくさん語ることを大切にするはずもなく、他のクリスチャンたちに異言を語るように勧めるはずもない。

3.異言を語る者は、異言を解き明かすことができるように祈る(14:13)   

 12章の御霊の賜物のリストでは、異言を語る賜物と異言を解く賜物は二つの異なる賜物のように挙げられているが、教会の中の秩序を重視して書いている14章では、異言を語る本人がまずそれを解き明かすことができるように、祈ることが勧められている。集会におけるそれぞれの行動に対する、それぞれの責任が求められているのである。公同の集会であっても、御霊に感動した人々が、あたかも制御できないかのようにかなり突発的に異言で祈りだすことがある。パウロはそのようなことを敢えて責めてはいない。しかしそのような時、異言を語った者がまず公同の集会における自らの責任を認めて、解き明かすことができるように祈り、解き明かしの努力をすべきである。本人に解き明かしが与えられない場合は、他の者に解き明かしが与えられることを期待して待つべきである。また、解き明かしがあった場合でも、異言と解き明かしに多くの時間を費やしてはならない。あくまでも秩序を重んじ、多くても3人に止めておくべきである。解き明かしがない場合は、教会ではそれ以上語るのを止め、プライベートな神との交わりの中で、神に向かって語るようにすべきである。パウロは、公同の集会においては教会全体の益になることを、最優先しているのである。

Y ルカとパウロの記述の総合から推測されることがら

 伝統的なアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの理解では、ルカの記述した異言とパウロの記述した異言は、同じ異言ではあるが異なる性質と目的を持った異言である。すなわち、ルカの異言は聖霊のバプテスマの証拠としての異言であり、パウロの異言は祈りの異言と、異言の形を取って与えられる預言の異言である。この考え方に従うと、ルカの記録した異言はあくまでも聖霊のバプテスマの証拠に過ぎず、それ以外の意義も目的もない。したがって、求められるべきものは聖霊のバプテスマであって異言ではない。世界宣教のための力を求めて聖霊のバプテスマが与えられるならば、異言はそれに付随して来るのであって、求める必要はない。

 このような理解は、当然、パウロが語る異言の理解にも影響を与えた。アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの異言の理解は、「まずルカの記述ありき」というところがあり、ルカの記述の理解を前提にしてパウロの記述を理解する。また、福音派の人々が異言に疑い深いまなざしを向けていることに対する配慮とあいまって、私たちは、パウロが異言の価値を低く見積もっていると誤って判断し、本当のところは、むしろパウロが勧めている「異言を語る」ということについて、あまり熱心ではなくなってしまった。その一方で、パウロが預言に対しては異言よりも高い価値を認めていたことから、預言にはある種の憧れを持って来た。そして、異言の中でも解き明かしの伴った異言は、預言と同じように教会全体の益になるというパウロの言い方を、解き明かしの伴った異言は預言と同じ価値があるのだと理解し、さらに、解き明かしの伴った異言は預言であると解釈するようになったのである。こうして、伝統的なアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの理解では、異言には三つの種類があることになった。すなわち、ルカが記した聖霊のバプテスマの証拠としての異言と、パウロが記述した祈りとしての異言、それから、パウロの言葉から導き出された預言としての異言である。

 私たちの集会では、それぞれが自由に個人的なお祈りをする時間があって、成長した信仰の持ち主はしばしば異言で祈っている。だが、コリントの教会のように、集会の秩序が乱されるような異言の祈りにはまだお目にかかったことがない。しかしときおり、実質的には預言とみなされている異言のメッセージなるものがあり、集会の進行が止められることがある。司会者や説教者はそれを上手に許し、少しの時間を割いて、解き明かしが与えられるように待ち望む。あるときは解き明かしが与えられた者がそれを解き明かし、あるときは誰にも解き明かしが与えられずに終わる。集会の責任者は10秒かそこら待って、解き明かしが与えられなければ、通常の集会の進行に戻る。

 ところで問題は、このような伝統的なアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの理解と実践は、本当に正しいものであるかどうかである。聖霊のバプテスマの証拠という神学的な主張を前提にしてではなく、まっさらな心でルカの記述を読むと、確かに異言は常に聖霊のバプテスマに伴う現象であることは判るが、異言が聖霊のバプテスマの証拠となることを目的として、与えられているとは言えない。それは証拠として機能した。しかし証拠として与えられたとは言えない。丸く大きく開いたり、縦長に細く閉じたりする猫の目は、その動物が猫であることの証拠となるかもしれない。しかしその目は、猫としての証拠となるようにと、与えられたわけではない。それと同じである。

 パウロの異言についての教えも、私たちは、ルカの記述から導き出された証拠としての異言という先入観に捕らわれて、ルカが記したものとは異なった異言であると理解してきた。しかし、証拠として与えられた異言という先入観を捨てて読むと、別の理解が出てくる。まずパウロは、異言とは神に向かって語るものであると、異言を「神に対する語りかけの言葉」と定義していることが重要である。ここでパウロは、異言を、人が神に向かって語る祈りとしての異言と、神が人間に語りかけられる預言としての異言の、二つに分けてはいない。パウロは異言というものを一つとみなして、神に向かって語るものと言っているのである。

 彼は、異言が解き明かされた場合は、聞いている者にも理解できるという意味で、預言が教会の益となるように、異言もまた教会の益になると言っているのであって、預言としての異言というものが存在すると言っているのではない。また、解き明かされた異言の価値は預言の価値と同じだと言っているのでもない。価値があるという意味で同じであるが、同じ価値があるという意味ではない。パウロにとっての異言は、あくまでも神に向かって語られる祈りの言葉であり、その祈りの言葉が聞いている人々に理解されるならば、それなりの価値を持つということであり、それが預言と同じであるというのではないからである。[2]

 くりかえすが、パウロは、異言を神に向かって語られる言葉、すなわち、感謝であろうと賛美であろうと、悔い改めであろうと、献身の誓いであろうと、はたまた嘆きや悲しみの訴えであろうと、祈りであると定義しているのである。そしてこの定義は、パウロが記述している異言の定義であるだけではなく、ルカが記した異言をも含む定義であると考えるのが自然であり、納得がいく。なぜなら、パウロはルカの信仰の師匠である。つまりルカは、自分の師匠であるパウロが下した異言の定義にしたがって異言を理解し、その定義に矛盾しない記録を残したと考えられるのである。異言について記したコリント人への手紙第一は、ルカが救われてパウロの一行に加わり行動を共にしていた頃に書かれたらしく、彼がパウロの口述筆記をしたとは言えないまでも、その内容をよく知っていた可能性が強い。たとえそうでなくても、ルカは、異言についてパウロから教えられていたに違いない。

 そうすると、ルカが記した聖霊のバプテスマに伴う異言は、パウロが教えた祈りの異言と同じものであり、通常のクリスチャン生活に継続して行われた異言の祈りの出発点、最初に行われた異言の祈りであると理解できる。祈りのために与えられた異言という特別の賜物が、初めて用いられるのが聖霊のバプテスマということになる。異言は聖霊のバプテスマの証拠として与えられたのではなく、祈りのための賜物として、祈りをより良いものにするために、与えられたものである。それが、証拠としても機能したということである。祈りをより良いものにするということは、祈りの内容を良いものにするという意味も、祈りを円滑にさせるという意味もある。

 このように考えを進めてくると、俄然、パウロが書き記した、祈りを補佐する聖霊のお働きが注目される。パウロはローマ人への手紙8章26−27節において、次のように述べている。「御霊も同じようにして、弱いわたしたちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいのかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです」。

 ここでパウロが語っている聖霊のとりなしの働きは、どのように祈ったらよいのかわからない、弱い私たちのためのとりなしである。パウロという超人的なクリスチャンも含めた、「弱い私たち」である。つまり、すべてのクリスチャンのための、祈りの補佐のお働きである。すべてのクリスチャンが、どのように祈ったらよいかわからないのである。わかって祈っているようではあるが、その実、深いところではわかっておらず、本来の祈りの域に達していないのである。それを助けてくださるのが御霊である。

 ところで、すべてのクリスチャンの祈りを、本来の祈りの域に達することができないようにしているのは何であろう。それは雑念であったり、恐れであったり、理解の不足であったり、誤解や間違いであったりする。たとえば、争っている二人のために祈るとき、私たちはその二人のことも、ことの成り行きも充分理解しないまま祈る。しばしば間違った判断と感情で祈る。口には出さないが密かなえこひいきを持って祈ったりもする。だから正直な話、神様が私たちの祈りのすべてを聞き届けてくださるのではないことに、安心をする。時として私たちは、「神様、あのときの私の祈りにお応えくださらなかったことを感謝します。お応えくださらなかったのが、お応えだったのですね」と言わなければならない。小さな祈り会での出来事だが、右側にいた小学生の女の子は、明日の遠足のために雨が降らないように祈り、左側の父親は、植え付けた野菜が良く根付くように、雨を降らせてくださいと祈っていた。私たちの祈りはとんでもない祈りなのである。

 また、私たちの祈りの言葉は、なんとも不十分である。私たちの言葉の不足もある。今このようにしてワープロを打っていて、えこひいきという言葉が思い出せずに困ってしまった。差別だとか、分け隔てだとか、好き嫌という言葉は出てくるのだが、それではしっくりしない。どうも、言いたいことが言えずにもどかしくてしょうがない。また、日本語という言葉の限界もある。日本語は身分に応じて、用いる単語も表現も異なってくる豊かな言葉であるが、それだけに、ぴったりとふさわしい言葉が見つからないと、フラストレーションが残る。英語のように、単純な言葉は逆に便利なのかもしれない。私は、英語には一つしかない「私」という日本語を、50以上知っているし、「あなた」という日本語も50以上知っている。しかし私めには、それを使いこなす術がない。だから、祈りに身が入らない。どう祈っても、しっくりこない。満足がない。何かが足りない。このワープロも、私めという言葉を入れると、「め」の下に間違いを表示する赤の折れ線がつく。

 言葉というものは最上のコミュニケーションの手段であるが、コミュニケーションを妨げる最大の障害でもある。だから、自分の言語能力の限界と、それぞれの言葉の限界を超える、知的側面に妨げられない言葉が必要なのである。それが異言である。異言をもって祈るとき、私たちは言語の限界を超えて、心で祈る、霊で祈るのである。祈っている意味はわからなくても、祈るべきことをきちっと祈っているとわかるのである。神と心が通じていると、心が納得するのである。神との親密なコミュニケーションが成り立っていると感じるのである。神に似せて創られて霊的な存在とされた人間は、霊によって、神と通じ合うことができるのである。しっかりと母親の胸に抱かれている幼子に、知性的に意味のある言葉はいらない。

 聖霊のバプテスマとは、このように、御霊の助けによる異言を通して祈ることによって達成される、神との深い交わりのことではないだろうか。私たちはしばしば、買い物のリストのようにお願いばかりを並べ立てた祈りをくりかえす。しかし、異言での祈りはあまり多くを語らないようである。むしろ、簡単な賛美の祈り、感謝の祈り、神の偉大さ、そのみ業の素晴らしさを、たたえる祈りが多くなるようである。あのペンテコステの日の弟子たちの、異言の祈りがそうであった。キリストの死と甦りと昇天という、大事件にめまぐるしく追い立てられていた弟子たちは、まさに岐路に立たされ、祈るべきことがたくさんあった。しかし彼らは、神を賛美していたのである。神の素晴らしさをたたえ感謝をすると、他の多くの祈りは必要がなくなってしまう。そのような祈りに対して、神はまた、豊かに応えてくださるのである。そしてそのお応えは、言葉によらず、霊によるのである。そのお応えの素晴らしさに、私たちは泣き、笑い、飛び上がり、倒れ、笑い、恍惚となり、気を失い、傍から見るならば酔っ払っているかのようにさえ思われるのである。

 パウロの説明によると、この異言による祈りは霊による祈りであって、私たちの知性の実を結ばせることはない。知性の実を結ばせない祈り、すなわち、私たちの知性をバイパスしてしまう祈りとは、祈っている本人ですら、その祈りの内容を知ることができないということである。実際、自分はこのことについて祈ろうという意図を持って祈るのだが、本当のところ何を祈っているのか不明である。自分でも祈っている内容がわからないのに、霊においては確かにしっかりと祈り、内容のある祈りをしているのだという実感と満足を伴い、霊の実を結ぶのである。つまり、霊的な意味では充分に価値があるのである。

 このようにしてみると、聖霊のバプテスマとは、一度罪のために失われた神との交わりの回復であり、その交わりの深みの入り口であり、高嶺の始まりであるということがわかる。限界のある人間の言葉と、それをさえ完全には理解することも使い切ることもできない、限界のある人間の能力を超えた交わりである。神から与えられる異言という手段によって、知性によらず霊によって達成される、神との疎通、霊的な一体感である。バプテスマと表現されているように、神の中に全身全霊を浸され、漬けられ、溺れるような体験である。

 神との交わりには様々な段階があり、いろいろな形がある。それは人間同士の交わりにおいても同じである。仕事上の付き合いもあれば、上司と部下という関係もある。知人友人あるいは家族親子という交わりもある。あるいは男女の交わりもあれば結婚もある。結婚の交わりはまた特別なものである。結婚したからといって、人間が変わるのではない。交わりの様態が変わるのである。そこには人間同士の交わりとしては最も親密な交わりの一つがある。もちろん、男同士の友人の交わりや情が、必ずしも結婚のそれより薄いとも低いとも限らない。しかし結婚には結婚だけに付随する独特の交わりがある。

 聖霊のバプテスマはあたかも結婚のようなものであり、新たな交わりの次元へ入ることである。それは、異言という神から与えられる手段を通してのみ、可能な交わりである。異言を通しての交わりの初めての体験が聖霊のバプテスマであり、異言を通しての交わりという、交わりの深みへの入り口が聖霊のバプテスマである。異言を通しての交わりという、交わりの高嶺の出発点が、聖霊のバプテスマである。聖霊のバプテスマに始まる異言による神との交わりは、一度きりの出来事ではない。しばしばくりかえされ、さらに深みへとあるいは高嶺へと進むものである。しかしその交わりの最初、入り口、始まりを私たちは聖霊のバプテスマと呼ぶのである。

 したがって、異言を誰よりも多く語ることができることを喜んでいたパウロも、当然、聖霊のバプテスマを受けていた。教会の秩序を乱してまで異言を語っていた、コリントのクリスチャンたちも聖霊のバプテスマを受けていた。彼らは聖霊のバプテスマで体験した異言での祈りを、ただ一度だけの体験で終わらせず、くり返し、くり返し、継続していたのである。それはルカが記録した聖霊のバプテスマに伴う異言と同質であり、なんら異なることはない。

Z 聖霊のバプテスマの結果と宣教のための力

 このように論を進めてくると、聖霊のバプテスマが宣教のための力の付与であり、異言はその証拠であるという、伝統的なアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの理解は、どうも、心もとなくなる。私たちは宣教の情熱をかき立てるような説教をし、その宣教のためにはなんとしても聖霊のバプテスマが必要であると語って、聖霊のバプテスマを求めて祈ることを勧める。そして異言は単なる証拠に過ぎないために、それ自体にはあまり価値を認めない。

 ところが、宣教の情熱をかき立てるのは容易ではない。ほとんどの信徒は、自分の身の回りの問題で手一杯。目一杯の生活をしている。宣教の情熱に燃えるような信仰を持てるのはごくわずかである。だから、そのような信徒たちに向かって、宣教のための力を得るように、聖霊のバプテスマを求めなさいと励ましても、ほとんど効果がない。証などという恐ろしいことをしなくてはならないのかと、かえってしり込みしてしまう信徒が大半である。そのような者が、宣教のための力を願い求めるはずがない。

 指導する私たちもまた、たまたま宣教の情熱を持ちながら、自分の弱さのために充分に活動できていない信徒がいても、ついつい、ホーリネスの神学の名残を止めて、まず罪を悔い改め、自らを清め、献身をし、聖霊に来ていただくのにふさわしい器にならなければならないなどと教えて、ますます失望させてしまう。聖霊のバプテスマが弱い者に力を与えるものであるならば、弱い者こそ受けるべきなのだが、実際には、聖霊のバプテスマを受けるための条件が満たされたクリスチャン、すなわち、強いクリスチャンにならなければいけないと、指導してしまうのである。

 聖霊のバプテスマは、宣教のために献身している強いクリスチャンが、なおも自分の弱さを感じて、神の力をいただくために求めるものではない。かえって、宣教に情熱を感じないほどの、弱く中途半端な信仰生活を送っている者が、本当に深く高い神との交わりを体験させられることによって、神の臨在と愛と力のリアルさに衝撃を受け、感動と喜びにあふれ、永遠の命と永遠の滅びを非常に身近に感じて、証をしないではおれなくなり、宣教のために出て行かないではおれなくなるものである。聖霊のバプテスマとは、そういうものではないだろうか。そうだとすると私たちは、宣教の力を得るためという目的をかざしてではなく、より良いクリスチャン生活、より張りのある日常生活、より感動的な神体験、より力強い毎日、より幸せな人生、より神に喜ばれる生き方のために、聖霊のバプテスマを勧めることができるはずである。そして宣教の働きは、そのような中から、必然的に生まれてくるのである。

 神との交わりの高嶺が聖霊のバプテスマだとするならば、それは当然、信仰生活に大きな変化をもたらす。高く深い神との交わりを体験した者は、もっと神に喜ばれる生き方をしようと志し、もっと清い生き方をしようと願い、もっと愛にあふれた生き方をしようと努力する。聖霊は文字通り聖い霊である。昔から日本では「朱に交われば赤くなる」と言われている。聖なる神の霊により聖なる神との高い深い交わりを続けると、当然、神のご性質を移し与えられることになり、清い生き方をするようになるのである。愛の神と深い交わりを保つと、当然、愛の神の愛がその人の中に働き、愛の人とならせて下さるのである。より濃厚な神との交わりは、さらに強い神への信頼、すなわち信仰を生み出し、以前には不可能だった高尚な生き方への願望を生み出し、またそれを可能にする。こうして全体として、しっかりとした強いクリスチャンになるのである。そしてそれを宣教論的にとらえるならば、キリストの証人としての力に溢れるようになるわけである。聖霊のバプテスマは、間違いなく、世界宣教のための力をもたらすのである。

 そしてこの宣教のための力は、勇気や大胆さとなって現れてくる。キリストが、「あなた方は力を受けて私の証人となる」とおっしゃったときの、「証人」という言葉は「殉教者」とも訳すことができるそうであるが、証人となるのは非常に勇気のいることである。以前、フィリピンで宣教師をしていたころの話であるが、当時、大統領だったマルコス氏は陰で随分ひどいこともしていたらしい。彼と彼の取り巻きに対する多くの告発があり、裁判もたくさん行われた。そしてその過程で、かなりの証人が次々と消され、サトウキビ畑で白骨となって発見されたこともあった。証人となるということは文字通り命がけであり、殉教者になる覚悟がなければならない。キリストの証人として、何の社会的後ろ盾もなく全世界に出て行って福音を語るのは、非常に勇気のいることである。聖霊のバプテスマは、ただの無学の人間を大胆にし、世界を覆すほどの者にするのである。

 くりかえすが、聖霊のバプテスマを体験した者は、神の臨在のリアルさに勇気百倍して、大胆に出て行き、大胆に語り、大胆に賜物を用いていく。見方を変えると、聖霊のバプテスマを受けるということは、まるで大金をもらうかのように、箱につめられた力という贈り物を受け取るのではない。聖霊のバプテスマという神との至福の交わりを体験することによって、喜びにあふれ、感動に満ち、誰に向かってでも黙ってはおれなくなり、困難も艱難も迫害もものともせず、勇気をもって大胆に語ることになるの。それが宣教のための力である。

 また異言による神との交わりは、聖霊のバプテスマという一度だけの体験に限られるものではなく、むしろくり返されるべきものである(使徒4:31)。たとえ一度聖霊のバプテスマを受けたからといって、その異言の祈りによる交わりをまだほんの入り口だけで止めてしまったり、一回きりの体験で終わらせてしまったりしたのでは、たいした力にはならないことが多い。初代の弟子たちが力にあふれ続けたのは、その最初の体験でかなりの深みまで到達し、さらに継続の中で高嶺を歩み続けたからである。

 そういうわけで、聖霊のバプテスマは宣教の力の付与のために与えられるものではない。むしろ、宣教のための力は聖霊のバプテスマの結果の一つであり、宣教論的視野に立って語るときに、重要な結果として取上げられているのである。パウロは聖霊を救済論的にまた教会論的に語り、聖霊のバプテスマの内容、すなわち異言による神との交わりを、クリスチャンの霊的成長と教会の益という側面から記述したのである。その異言を語ることによる霊的な益は、直接的には異言を語る本人にのみ及ぶものであるために、パウロはそれを公の集まりで無制限に語ることを禁止した。しかしそれは強い確信に満ちたクリスチャンを作り、宣教の分野において大いに有益であり、間接的には教会全体にとっても非常に有益なのである。だからこそパウロは、自分が誰よりも多く異言を語ることを喜びとし、すべての信徒がそれを語るように望んだのである。彼が抑制したのは、公の場で無制限に異言を語り、秩序を破壊することだけであった。それ以外の理由で、異言を語ることが抑制されてはいないのである。

結び

 私たちは、聖霊のバプテスマが単なる宣教のための力の付与ではなく、異言を通しての神との親密な交わりであることを学んできた。その深い交わりの結果の一つとして、宣教論的に見るならば、キリストの証人としての力を与えられるということにもなる。しかし、聖霊のバプテスマはさらに多くの素晴らしい結果をもたらすものである。それは神との親密な交わりという体験を通して得られる、クリスチャンの霊的成長である。

 そこにおいて異言は、単なる聖霊のバプテスマの証拠として与えられるものではなく、むしろ聖霊のバプテスマそのものを構成する本質的要因である。異言があってこそ可能な神との交わりが聖霊のバプテスマである。また聖霊のバプテスマは、それがもたらす結果が素晴らしいから求められるべきものではない。聖霊のバプテスマそのものが素晴らしいのである。聖霊のバプテスマそのものが素晴らしい故に、それは求められるべきであり、勧められるべきである。

 そういうわけで、私たちは考え方を改め、信徒たちに異言を語ることを大いに勧めるべきである。聖霊のバプテスマを求めることは異言を求めることである。聖霊のバプテスマを下さい。しかし異言はお断りしますというわけには行かない。聖霊のバプテスマとは異言で祈り異言で神と交わることだからである。そしてその異言を語る体験を、入り口だけの体験で終わらせず、さらに自由に、常に異言で祈ることができるように励ますべきである。ペンテコステ信仰は、単に福音に対する理性的な合意や、神学や教理の受容という知的なものに終わるのではなく、体験を伴うものである。その最も素晴らしい体験は、癒しや悪霊の追い出しや、奇跡といった類のものではなく、異言を通しての神との交わりである。これが信仰に現実感、リアルさをもたらし、喜びや感動として情緒を動かし、堅固なクリスチャンを生み出し、力強いキリストの証人を作り出すのである。

 キリストは「求めなさい。そうすれば与えられます」とおっしゃり、その求めるべきものは聖霊であると、はっきり示してくださった。その聖霊とは聖霊のバプテスマのことである。私たちはキリストの勧めと励ましにしたがって、最高のクリスチャン体験の一つである聖霊のバプテスマを求め、それを体験するクリスチャンを育てていくべきである。父なる神は、求めて来る者に聖霊を下さらないはずが無いのである。



[1]  パウロが最初にローマで捕らわれていたときに、使徒の働きが書き上げられたとすると、それはパウロがオネシモを救いに導き、ピレモンの下に送り返した時期に重なる。つまりピレモンへの手紙とコロサイ人への手紙が書かれた時期に非常に近い。そうするとそのころルカの周囲には、パウロ以外にも、キリストの生涯については最も詳しいマルコ、パウロの弟子でコロサイ教会を開拓したとおもわれるエパフラス、ローマへの船旅にも同行したアリスタルコなどの人物がいたことになる。ルカは孤独の中にではなく、常に複数の指導的クリスチャンと行動を共にしながら、福音史を書いたのである。現代のように薄く軽く安価な紙があったわけでもなく、パソコンがあったわけでもない。とてもかさばる筆記用具と資料を抱えた、時間をかけての作業である。あるいは資料を集めるにしても、手軽に他人が書いたものが手に入る時代ではなかった。ルカの資料の大部分は、人々の口から聞き集めた資料だったはずである。だから、周囲の者すべてが、ルカのやっていることを知っていたことであろう。資料も提供し、校正も手伝ったに違いない。ルカが会うことができた人物はシラス、テモテ、アクラとプリスキラ、ガイオ、テキコを始めとし、かなりの数に上ったはずである。エルサレム上った際、あるいはパウロがカイザリヤで幽閉されていたときにも、主の兄弟ヤコブを始め数々の弟子たちにも会っている。

[2]  では、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドなどのペンテコステ派の教会で実践されてきた、異言による預言という現象をどのようにとらえるべきかという問題が生じる。はっきりしていることは、そのような現象はルカやパウロの記述を始めとして、聖書のどこにも記されていないということである。従ってこの現象について聖書的な論証は何もできない。そしてそのような聖書に記されていない現象を、教会は大切にすべきではない。たとえそれが正真正銘、異言を通しての預言であったとしても、それを聖書によって証明できないのであるから、私たちはそのような預言の存在を「教会の教え」として保つべきではない。私たちは、たとえば聖霊に打たれて倒れる、いわゆる「スレイン」と呼ばれる現象も起こり得ると考えているが、聖書が何も語っていないそのような現象に特別な価値を付けたり、あたかもそれをするのが霊的力を持っていることであるかのように語ることを、やってはならないと考えてきた。同じように、異言による預言なるものはたとえそれが正真正銘の聖霊からの現象であっても、私たちの教会では強調されてはならないものである。異言の解き明かしは、異言の祈りがささげられたとき、その祈りを高揚して教会的な益とするために与えられる、聖霊の賜物である。


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