神の国第1課

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 テキスト ボックス:  やさしいキリスト教講座
「神の国」
キリストの教えの中心

 

◎ この講座は、キリストの教えの中心を、できるだけわかりやすく説明するものです。

 キリストの教えはとても幅が広く、奥深いものですから、ふつうは断片的に、一面だけを取り扱うことになりがちですが、この学びは、教えの中心から、全体を取り扱います。

◎ キリストの教えを学ぼうとすると、その深さのために、なかなか難しくなるのがふつうですが、クリスチャンではない人や、クリスチャンになりたての人にも、優しく学べるように、工夫しています。また年季の入ったクリスチャンにも、充分に読み応えがあるものになることでしょう。

◎ この講座は、ただ読むだけでも分かりますが、聖書に書かれていることを基本にしていますので、記されている聖書の引用箇所も読みながら進むと、さらに良く理解できるようになっています。ぜひ、聖書を手元において学んでください。この講座が用いている聖書は、「新改訳聖書」という翻訳ですが、他にも良い翻訳がいくつもあります。細かい表現の違いなどにはとらわれずに、手に入れ易いものを用いてください。ただし、「新世界訳」という聖書は改ざんされたもので、悪意をもって書き換えられていますので、まじめな学びにはお勧めできません。

◎ パソコンの画面で読むよりも、プリントアウトして読むほうが、ずっと読みやすく、書き込みもでき、学びの助けになりますので、試してみてください。

◎ なお、ここに書かれている内容は、引用も、転用も自由です。もし、あなたの学びに役立ったなら、ほかの人にも紹介してあげてください。

神様の祝福がありますように。

キリストの教えの中心

T.キリストの教えの中心を探す

 「キリストの教えの中心は愛である」と言われています。確かに、「愛」はキリストのお与えになった戒めの中で、もっとも重要なものです。「愛」という主題を通して、キリストの教えの多くを理解することもできます。ただ、「愛」では解明できない、大きな分野もあって、これを「中心」とするには、かなり無理があります。そこで、キリストの生涯と教えを実際に見直すことによって、「中心」を探し出して見ましょう。

 キリストの生涯と教えに関しては、じつに様々な物語があり、これについて書かれた書物も、それこそ何万巻もありますが、もとはと言えば、すべて聖書という書物に基づいて書かれたもので、それ以外は、単なる想像やフィクションにすぎません。また、聖書の中でも、直接キリストの生涯と教えに言及している部分は、新約聖書の始めの4つの福音書、すなわち、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと、5つ目の使徒の働きという書物の第1章の前半だけで、1日か2日もあれば読むことができます(間接的には旧約テキスト ボックス:  聖書は、紀元前1500年ころから紀元100年ころまでの、およそ1600年間にわたって書かれたもので、キリスト誕生前に書かれた旧約聖書と呼ばれる部分と、キリスト誕生後に書かれた新約聖書と呼ばれる部分に分けられます。旧約聖書はごく一部を除いてはヘブル語、新約聖書はギリシャ語で書かれています。聖書も、歴史の出来事、律法、儀式、詩歌、預言などを通して、やがてお生まれになるキリストについて語るものであり、新約聖書の他の部分も、キリストの生涯と教えを解説するものです。ですから、キリストの生涯と教えを実際に見直すのは、比較的やさしい仕事です)。

T.A.教えの始め

 キリストが実際にお教えになったのは、33年と6ケ月の生涯の内、最後の3年6ケ月だけだったと計算されています。その教えは「神の国は近づいた」という宣言で始まりました(マルコ1:15、マタイ4:17、23)。 

T.B.キリストの目的

 キリストは、この世界に出現した目的をご自分で説明して、「神の国の福音を宣べ伝えるためである」と語っています。キリストの誕生、生涯、教えは、すべて神の国に関わり、神の国の福音を宣ペ伝えること、すなわち、その神の国の素晴らしさを人々に体験させることが、キリストの願いでした(ルカ4:43)。

T.C.教えの中でもっとも多く出てくる主題

 キリストが一番時間を費やし、くりかえし、くりかえし強調された主題は「神の国」でした。記録されたキリストの教えと生涯の物語の中に、「神の国」あるいは「神の国」と同じ意味の言葉が120回ほど出てきます。キリストの様々な教えのほとんどは、喩え話で語られたものですが、その大部分が「神の国」に関するものです。ですから、聖書がキリストの働きを要約するときには、いつも「神の国を宣ペ伝えた」という言葉で結んでいるのです(マタイ4:23、9:35、ルカ8:1)。

テキスト ボックス: 「キリスト」という名前は、当時、「王」という意味も持っていました。「キリスト」は本来個人名ではなく、「油注がれた者」という意味の肩書(かたがき)ある
いは称号(しょうごう)で、イスラエルの人々が待ち望んでいた、「救い主である王」を指していたからです。「油注がれた者」とは、王などの重要な役割に就任(しゅうにん)するものが、神の祝福の象徴(しょうちょう)として、頭から油を注がれたという、イスラエルの習慣に由来(ゆらい)します。もともとはヘブル語(イスラエルの言葉)で「メシヤ」と言われていたのですが、ギリシャ語で書かれた新約聖書では、翻訳されて「キリスト」となったものです。キリストの個人名はイエスで、「神は救い」という意味です。

T.D.働きが証明するもの

 キリストはたくさんの目覚ましい働きをなさいましたが、それらの働きは「神の国が来ている」ということの証明でした(マタイ12:28)。

T.E.命を賭けた主題

 キリストは、悪人たちの妬みと恨みを買って、不当な裁判で死刑を宣告されましたが、この時、悪人たちの訴えのひとつは、キリストが「王である」と主張しているということでした。この訴えを否定すれば、キリストはあるいは言い逃れることができたかもしれません。事実裁判官は、キリストから「自分は王ではない」という答えを引き出し、無罪放免にしたいとさえ望んでいたのです。しかしキリストは、「私が王であることは、あなたが言うとおりです」と明確に、お答えになりました(ヨハネ19:1−16)。これは、「神の国」という主題に直接かかわる、重大なことだったからです。

T.F.弟子たちにお与えになった命令

 キリストは、ご自分で訓練し育て上げた弟子たちを、派遣する大切な時にあたって、たとえば「愛について教えなさい」とも、「互いに愛し合いなさい」ともおっしゃらず、「神の国を宣べ伝えなさい」と、お命じになりました。(マタイ10:7、ルカ9:2、10:9、11、マルコ16:15)。

T.G.弟子たちの最大関心事

 キリストの弟子たちの最大関心事も、「神の国」でした。キリストがこの地上での働きを終え、天にお帰りになる直前の大切な時に、弟子たちは「今こそ、イスラエルのために国を再興する時なのですか」と、質問をしました。この当時の弟子たちは、「神の国の到来とはイスラエル国家の回復である」と、見当違いの理解していたために、このように言ったのです。キリストの甦りを見て興奮していた弟子たちは、いますぐにでも、イスラエル国家の再建がなるのではと、的はずれの期待をあらわにしています。これは彼らの理解の低さから来る誤りであり、彼らはこの後、間もなく正しい理解をもつようになるのですが、弟子たちの最大の関心事が、「神の国」であったことだけは、この質問で良くわかります(使徒6、28:30−31)。

テキスト ボックス: キリストの誕生を第1年として、西暦(せいれき)という暦(こよみ)が作られ、キリスト誕生前を紀元前(Before Christ = BC = 
キリスト以前)、誕生後を紀元後(Anno domini = AD = 統治後)としたのは良く知られていますが、このとき、どうやら計算違いをしたらしく、実際にキリストが誕生されたのは、紀元前4年から6年くらいだったと考えられています。
 ちなみに、キリストの誕生(たんじょう)日(び)はクリスマスとして世界中で祝われていますが、キリストが何月何日にお生まれになったかは、まったく不明で、想像(そうぞう)の域(いき)を出ません。12月24日は、後代になって、いろいろな事情が絡(から)み合って選ばれただけの話で、現代でも、まったく違う日にクリスマスを祝っている国や教会があります。一方、キリストが復活された日、イースターは聖書によって明らかです。ただ、現代の暦(こよみ)は当時の暦と異なっているために、教会や国がどの暦を採るかによっても差が出てきます。それで、何月何日と正確に言うことはできませんが、4月の日曜日になることが多いようです。

※※※ まとめ ※※※ 

 キリストの生涯の目的、教えの内容、質と量、時と場合、さらに弟子たちへの命令と彼らの関心などから、キリストがもっとも注意をはらっていた大切な主題、キリストの教えの中心は、「神の国」であったことがはっきりします。

U.神の国という言葉の意味

 「神の国」という言葉自体は、だれにでも分かる単純な言葉ですが、面倒なことにちょっと複雑な背景があって、注意が必要です。

U.A.神の国と天国

 「天国」という言葉は、「神の国」よりなじみがあって、キリスト教関係だけではなく、一般の言葉としても使われています。普通は、「善い人が死んだら行くところ」とか、「この世で結ばれずに心中した男女が、めでたく結ばれるところ」くらいの意味でしようか。しかし、キリストの教えの中では全然違います。実は、「天国」と「神の国」は、まったく同じ意味で用いられているのです。

 日本のある地方には、人々の深い信仰心から、口に出すのも畏れ多くもったいないということで、「お言わず様」と呼ばれている神があるそうですが、キリストが生活された当時のイスラエルでも、神を畏れ敬うことから、不用意に「神」という言葉を多発することを避けていました。とくに、会話の中ではできるだけ用いないようにして、たとえば「天」という言葉で代用していたのです。そういうわけで、キリストの生涯と教えを記録した4つの福音書の中で、イスラエル人を第一の読者と想定して書かれた「マタイによる福音書」は、「神の国」の代わりに「天国」という言葉を多用しています。さらに、時には、「み国」あるいは「天」という表現で、神の国が言い表されていることがあります。

U.B. 「国」と訳された言葉

 「国」の難しい定義は横に置いても、何となく、場所、もしくは土地を連想させます。ですから「天国」とは、遥か星のかなたにあるユートピァ、「神の国」とは、神が住んでいる場所、あるいは神が所有している場所と考えてしまいます。しかし「国」というのは、あくまでも翻訳された言葉で、翻訳上のいきさつと歴史があって、こうなったにすぎません。もともとの言葉(この場合はギリシヤ語の第一の意味は、「王の支配」「王の統治」ということでした。そこから、第二義的に支配されている所、「国」という意味が生まれて来たのです。キリストの時代にも、この第一の意味と第二の意味が、しばしば混同して用いられていたため、ややこしくなったのです。日本語の聖書でも、ルカ22:29を読むと、普通、神の国と訳されている同じ言葉が、「王権」「国の支配」などと訳されています。そこで、聖書を読んでいて「神の国」という言葉が出てきた場合、「神の支配」「神の統治」などと読み替えてみると、意味がはっきりすることがよくあります。

※※※ まとめ ※※※

 キリストがお教えになった神の国は、天国と同じことですが、「死んだら行けるかも知れない楽園」ではなく、「神が王として支配すること」「神の主権の統治」ということだとわかります。キリストが「神の国」「天国」と言った時、心の中に思い浮かべておられたのは「場所」ではなく、絶対の神が支配しておられる「状態」なのです。

V.神の国の反対

 ふつうの考えかたでは、天国の反対は地獄となります。キリストの教えのある部分でも、天国と地獄が対比されて語られていて、あたかも、地獄が天国の反対であるかのような印象を受けることがあります。しかし注意深く読むと、この場合でも、地獄もまた神の支配の下にあるものとして、語られていることに気づきます。天国、すなわち神の国の反対は、神の国に対立するものであり、神の支配の下にない状態ですから、神の支配の下にある地獄が、反対ではあり得ません(マタイ5:17−22)。

テキスト ボックス: 「地獄(じごく)」という日本語は、通俗的な仏教感覚による先入観が強すぎるために、 キリスト教では避(さ)ける傾向があります。ですから、日本語に翻訳(ほんやく)された聖書
には、「地獄」という言葉を用いているものと、用いていないものがあります。いま筆者の手元にある「新改訳(かいやく)聖書」は、もともとのギリシャ語である、「ゲヘナ」という言葉がそのまま残されています。「ゲヘナ」とは、エルサレム郊外(こうがい)にあった深い谷で、ゴミ焼却場(しょうきゃくじょう)として用いられていた場所です。そこはとても不潔(ふけつ)で、いつも火が燃え続けていたために、悪人が死後行かなければならない刑罰(けいばつ)の場として、キリストの教えの中でオブジェクト・レッスンに用いられたものです。
 日本語に訳された聖書にも、ずいぶんいろいろあります。聖書全体がきちっと翻訳(ほんやく)されているものだけでもかなりありますし、部分的に翻訳されたものは数え切れないほどです。中には多くのキリスト教団体が協力して翻訳出版したもの、あるいは個人や特定(とくてい)の団体、あるいは教会が独自に翻訳出版したものもあります。それぞれ、翻訳の特徴(とくちょう)があり長所と短所を抱えていますので、原語(げんご)で聖書を読むことができない人たちは、多くの団体が協力して出したものを基本にして、いくつかの翻訳を比べ合わせて読むのがよい方法です。ただし、ものみの塔(エホバの証人)という団体が出している「新世界訳」は、自分たちの間違った教えに都合(つごう)が良いように、勝手に変えて翻訳していますので、勧(すす)めることができません。

V.A.悪魔の支配

 キリストは、この世界が悪魔の支配の下にあることを、いく度も明確にお教えになりました。悪魔の支配という概念は、神の国、すなわち天国と真っ向から対立するものです。キリストは悪魔の支配を、はっきり、「悪魔の国」として言及しています(マタイ12:26、ルカ11:18、ヨハネ12:31、14:30、16:11、参照ガラテヤ1:4、エペソ2:2、Iヨハネ5:19)。

V.B.悪魔の呼び名

 キリストは、悪魔を「この世を支配するもの」と呼び、悪魔のこの世に対する関わりを、この上なくはっきりとお示しになりました。パウロという偉大な弟子は、悪魔を呼ぶのに、あえて「この世の神」という表現さえ用いています。徹底した一神教だったキリストの弟子が、わざわざ誤解される危険を犯してまで、このような紛らわしい言い方をしたのは、悪魔がこの世に対して持っている権力を表現したかったからです(ヨハネ12:31、Uコリント4:4)。

V.C.キリストの確認 

 キリストは、教えと働きを開始する直前、荒野で悪魔の試みを受け、これに打ち勝ってくださいました。この時、悪魔が用いた3つの誘惑のうちのひとつは、この世のすべての国々とその栄華を見せて、「私を礼拝さえすれば、これらすべてを譲ろうではないか」というものでした。悪魔は、この世のすべての国々とその栄華の所有権を、当然のこととして主張しているのですが、それに対して、キリストは何の反駁もなさいませんでした。キリストは、悪魔がこの世を所有していることをお認めになったのです(マタイ 4:1−11、ルカ4:1−13)。

※※※ まとめ ※※※

 キリストが、「神の国」の反対として言及しておられるのは、悪魔の支配の下にある状態です。それが、いま私たちが住んでいるこの宇宙船地球号! この小さな世界なのです。

W. 悪魔の支配の実態

 悪魔の支配は、この世のあらゆる方面に及び、さまざまな形で現れています。それを手際よく説明しつくすのは不可能ですが、ある程度>の整理は可能です。

W.A.自然の世界、物理的・生物的分野

 キリストは、湖の上で嵐に遭遇したとき、風と波とを叱って静めてしまわれました。本来、秩序と調和を保って、人間にとって良い環境を作り出すはずだった自然の世界も、悪魔の支配の下では、しばしば悲惨な災害や、病気などの不幸をもたらします。その自然を、人間は何とか治めよう、克テキスト ボックス: 嵐を鎮められるキリスト服しよう、あるいは手なずけようと努力を続けて来ました。日本人の場合は、むしろ、仲良くやって行こうとして来た、と言ったほうがいいかもしれませんが、ともかく、しっぺがえしを喰ったのがいいところです(ルカ8:22、25)。

W.B.霊の世界

 この世には、自然科学の対象になる世界の外に、自然科学の対象にはなり得ない、霊の世界があります。この中には神以外に、数多くの天使、悪魔、そしてまた数多くの悪霊、日本的な言葉でいうならば、幽霊だの、怨霊だの、死霊だの、魑魅魍魎(林の霊と水の霊などと呼ばれているたぐいが含まれます。絶対的存在者、万物の創造主である神を、他の霊たちと同列に置くことには、おおいに抵抗を感じますが、あくまでも、仕分けの上でのことです。そして、自然界と霊界は切り離されたふたつの世界ではなく、互いに影響し合って、わたしたちの住んでいる世界を形作っているのです。ですから、悪い霊たちが活動すると、いろいろな怪奇現象も起きますし、悪魔つき、狐つきなどと言われている状態も起きて来ます。いわゆる、神がかりに陥ったりする現象も現れて、シャーマニズムと言われる宗教が出来たり、密教的体験も現実に起こってきます。あるいは、直接病気の原因になったりさえするのです。さらに、そのようなさまざまな 現象の存在を、すべて現代科学の名の下に迷信として切り捨て、神の存在さえ否定してしまおうとする人々の中にも、悪霊が活動して、そのようにさせている場合もあります。悪魔は、このような悪い霊たちを 束ねている親玉、かしらの霊です。

テキスト ボックス: 聖書は、悪魔や悪霊の存在とその働きについて、たくさん記しています。 悪魔は悪霊どものか
しらで、人間のあらゆる不幸の源(みなもと)と考えられています。彼は徹底的(てっていてき)に神に反抗し、神が愛しておられる人間を不幸に陥(おとしい)れることによって、神を傷つけようとしているのです。悪霊どもの数は非常に多く、悪魔の指令(しれい)によって、さまざまな災(わざわ)いをもたらす活動をしています。
一方聖書は、天使の存在と働きについても記しています。彼らは神に仕える霊的な存在者で、数え切れないほど存在するようですが、あるものたちは、人間を助ける役割(やくわり)が与えられていると思われます。中でも、天使の中でもっとも位が高いらしいミカエルや、マリヤに受胎(じゅたい)告知(こくち)をしたガブリエルなど、名を知られたものもいます。
ところが悪魔や悪霊、あるいは天使たちが、いつ、どのようにして、存在するようになったかについては、聖書は何も語っていません。存在するものすべては、神によって造られたのですから、彼らも、神に造られたことは間違いありません。ただ、天使たちはともかく、聖く正しい神は、悪いものは何一つお造りにならないはずですから、悪魔や悪霊は、はじめから悪魔や悪霊として作られたのではないはずです。そこで考えられるのは、彼らは天使として作られたのに、自分たちの自由意志で、神に反逆(はんぎゃく)するものとなったということです。
このような問題も、あまりにも思弁的(しべんてき)、つまり頭の遊びのような問題ですので、人類の救済(きゅうさい)という具体的問題を扱(あつか)っている聖書は、あえて沈黙(ちんもく)しているのだと思います。

W.C.人間の世界

 人間は、自然科学の対象になる肉体を持つ一方、霊の世界にも属する特殊な存在です。それは、神が人間を造ったとき、肉体と動物的命を与えただけではなく、霊的存在者であるご自分と理解し合えるように、ご自分に似せて、霊的性質をお与えになったためです。あらゆる動物のなかで、人間だけが宗教を持ち、人間だけが祈る本能を持っているのはそのためです。これこそ、人間が他の動物たちと本質的に異なっている点です(創世記1:27)。悪魔の暴君ぶりは、とくに、神の特別な配慮をうけている人間に集中されています。悪魔の策略は、神と人間の仲を切り裂き、分け離すことです。なぜなら、それこそ人間の最大の不幸であり、神にとっても、もっとも悲しいことだからです。ですから、悪魔はありとあらゆる手段を用いて、人間を迷いの中に落とし込もうとしています。その攻撃は人間のあらゆる分野に及んでいます。

思想、哲学の分野

 歴史上のさまざまな思想、哲学が悪魔に用いられ、支配されてきました。近代では、合理主義、科学至上主義、唯物主義、共産主義などを始め、多くのものが、一面では人間に幸福をもたらしたにもかかわらず、様々な悲惨な状態を作り上げて来ました。 

宗教の分野

 悪魔がもっとも力を入れている分野らしく、まさに、混沌としています。神の本質である霊の性質を与えられた人間は、神との交わりによってもたらされる霊的な充足感なくしては、他のどのようなものによっても、本当の幸福を味わうことができません。ですから、本当の神から離れてしまった人間は、何とか、空しさを埋め合わせようと、様々な宗教を作り出しました。

 本当の神から迷い出てしまっている人間の神意識は、当然あやふやで、間違いの多いものです。そこが、悪魔に最大限に利用されているのです。とくに、悪魔とその手下の悪霊は、いろいろな怪奇現象や、奇跡、占いのたぐいで人間をだまし、とりこにし、数多くの宗教をどんどん作らせて、本当の神に立ち帰ることができないようにしているのです(ローマ 1:19−25)。

倫理、道徳の分野

 人間は本来、聖い神に似せて作られているため、たとえ、神から迷い出てしまった後でも、聖さの名残りを待ちあわせています。それが良心です。しかし、不完全な良心は、しばしば思想や哲学、あるいは宗教や文化などによって、ねじ曲げられてしまうだけでなく、悪魔の力によって無力化されてしまっています。

 自分の子供を、悪者に仕立て上げようと願って、育てる親はいません。将来、警察のお世話になるつもりで、勉学に励む子供もいません。しかし凶悪事件が新聞を賑わさない日はなく、警察が休みになる日もありません。みんな、ひとかどの立派な人間になろうとして、失敗するのです。やりたい良い事ができず、やりたくない悪い事をやってしまうのです。だからと言って、ただ悪事ひと筋に生きようとしても、知らないうちにどこかで良い事をしてしまっている。これが人間です。自分で自分を治めきれないのです。このような人間が集まってできている社会、人間関係があらゆる悲しい状況にあるのは、当然のことです。悪魔の支配が明らかです。キリストはこのあり様を表現して、「罪を犯す者は罪の奴隷である。」とお教えになりました(ヨハネ8:34)。

病気、怪我

 病気や怪我には様々な原因がありますが、悪霊が関わっていることが多いのは、今も昔も変わりません。医学では科学的にこれをって、悪霊の関わりなどには関心を払いません。それは関心を払わないのではなく、分からないから、払いようがないだけのことです。人間の病気には、肉体の病気だけでなく精神の病気もあります。人間の精神の問題、あるいは心の問題も、自然科学的な方法では対処しきれないのが、いまや明白です。悪魔と悪霊たちは、自然科学の分野を越えたところでも、おおいに活動しているのです。人間の不幸が悪魔と悪霊の喜びです。

 また、病気や怪我などには、直接には悪魔や悪霊と関わりのないものがたくさんあります。しかしこれも、完全な物として造られ、秩序正しく治められていた本来の神の国には、あるはずのないものであり、悪魔の支配によって、自然の秩序が破壊されてしまったところから来るのです。

※※※ まとめ ※※※ 

 悪魔は、自然や悪霊たちの働きを通し、人間の肉体と精神に働きかけ、縛りつけ、支配し続けています。あらゆる人間の努力にかかわらず、悲しみと不幸に満ちているのは、まさに、この世界が悪魔に支配されている事実を示すものです。

X.悪魔の支配の限界

 悪魔の支配は「この世」と「この代」に限られています。「この世」でない世界と、「この代」でない時代は、悪魔の支配の下にはありません。

X.A. この世に限られた支配

 この世界は現在悪魔の支配の下にありますが、キリストは、現在存在している世界で、「この世」に属していない、「天」という世界についてお語りになっています。そこにおいては、神が思い図られることすべてが、何にも妨げられることなく、今も行われています。神が創造された広大な全宇宙で、悪魔の支配に陥ったのは、悪魔の誘惑に負けて、罪を犯してしまった人間が生存している、この小さな地球という世界だけなのです。(マタイ6:10、20)。

 また現在の「この世」においても、悪魔の支配のおよぶ範囲は限られています。神がお定めになった様々な法則は、今も厳然としていて、万物はその法則に従って動いています。悪魔がどれほど傍若無人に、悪を欲しいままに振る舞おうとしても、許されていないのです(参照 ヨブ1:6−12)。 

X.B.この代に限られた支配

 悪魔の支配の下にある現在のこの世界を、キリストは、「邪悪な時代」「悪い姦淫の時代」「曲がった時代」とお呼びになりましたが、この世界は、いつまでもこのまま続くのではありません。(マタイ 12:45、16:4、17:17)。

 キリストは「この世」に対する、「来たるべき代」についてもお教えになっています。この「来たるぺき代」の到来までにはじつに様々な出来事が起こりますが、結局、悪魔と彼に従うすべての者は、神ご自身によって滅ぼされる一方、混乱と苦しみに満ちたこの世界は破壊され、秩序と幸いに満ちた新しい世界が創造されるのです。(黙示録20:10、マタイ24:35、黙示録21:4)。 キリストに出会った悪霊たちも、やりたい放題に悪いことができる日は、限られていると知って恐れていました。(マタイ8:29)。

下の図は悪魔の支配と神の支配を時の流れで示したものです。

※※※ まとめ ※※※

 悪魔の支配は、「場所」と「時」という二重の意味で、限られていることがはっきりしています。やがて、神は悪魔とその手下どもを完全に滅ぼし、世界をまったく造り変え、神の支配が少しも妨げられない、秩序と平和、喜びと幸福に満ちた世界を、もたらしてくださるのです。

Y.キリストがもたらした神の国

 ところが、この世における神の国はやがて来る「未来の国」で、人間はただひたすら忍耐をしてそれを待ち続けなければならない、というものではありません。神の国は、現在この世界で体験できる、現世的なものでもあるのです。

Y.A.神の国は到来した

 キリストは、「神の国は近づいた」と宣言して、働きをお始めになりましたが、これは、神の国がずっと彼方から、ゆっくり、そろりそろりと近付きつつある、という意味ではありません。神の国が、もうここまで来ている。到来しているという意味です。キリストは、神の国が今この世に存在していることを、明言しておられます(マタイ 12:28、ルカ11:20、17:21)。

 また、この神の国は、現在、悪魔の国を打ち破ながら攻略しつつあるとも、お教えになっています(マタイ11:12 英語 INV訳聖書)。

Y.B.いま入ることができる神の国

 それだけではなく、キリストはこの神の国を、現在、人々が入ることができるものとして教え、是非とも、今、入るように勧めておられます。キリストによれば、人間は今のこの世界で神の国、すなわち天国を体験できるのです(マタイ 21:31、23:13、ヨハネ3:1−10、マタイ13:44、4−46)。

聖い生活

 神の国は聖い神の支配ですから、その中に入った人が体験するのは、聖い神の聖い力に助けられる聖い生活です。自分でがむしゃらに聖い生活をしようと 頑張って、難行苦行の聖者になるのではなく、神の力に助けられて、ゆったりと、おだやかに、聖い生活を築き上げて行くことができるのです。

秩序ある生活

 また神の国は、秩序ある神の支配です。悪魔によってもたらされた、人間生活のさまざまな混乱から解放され、人間として生きるべき、秩序正しい生活を営むことが可能になるのです。

満ち満ちた幸せの生活

 さらに、悪魔によって奪い取られた、人間の人間としての喜び、神との霊的交わりも回復され、他のどのような快楽でも満たすことができなかった、人生の空しさが取り除かれてしまいます。俗な言葉で言いますと、恋人がいっぺんに10人もできたような喜び・・・・・ではなく・・・・恋人ができたときの喜びを10倍にしたような、喜び、満ち満ちた幸せにつつまれるのです。

テキスト ボックス:  お祈りは、あらゆる動物の中で、人間だけにできる行為であり、もっとも人間らしい行為です。人間だけが神に似せて造られ、神を感じ、神と交わることができるようにされているために、いかなる環境に育ち、なんと教育を受け、どう訓練されても、祈るという気持ちが消え去ることはありません。ですから、お祈りは単なるお願いではなく。神との会話であり、神との交わりです。祈る動物として作られた人間は、祈りの中にこそ、本当の心の満足を、感じることができるのです。><span style='mso-ignore:vglayout;position:
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健康な生活

 悪魔の支配の特徴に、病気があります。神の支配が来ると、病気も治されます。聖書には、キリストが神の国の証拠として、病気をお治しになった物語がたくさん記録されています(マタイ12:28)。

悪霊を恐れない生活 

 悪霊たちはキリストの力を知って、恐れていました。神の国は悪霊の活動を許しません。神の国、すなわち神の支配が人間に及ぶと、悪霊はその人間にを与えることができないのです(Tヨハネ4:4)。

死を恐れない生活 

 神の国に入るということは、命の源である神との交わりに入り、新たな命をいただくことです。この命を、キリストは永遠の命と呼び、この命を持つ者はいつまでも死ぬことがなく、たとえ死んでも生きると、約束してくださいました。ですから、死も怖くはなくなるのです(ヨハネ11:23−27、Iコリント15:51−57)。

希望の生活

 現在私たちが体験できる神の国は、完全なものではありません。神の支配が悪魔の支配を攻撃し、侵略し、破壊しつつある、「戦いの中にある」神の国です。ですから、この神の国を体験しつつある私たちの生活も、まだ不完全です。聖さも、秩序も、幸せも、健康も、まだ完全ではありません。悪霊に悩まされることもまったくなくなりはしないかも知れませんし、死が心配になることだって、時にはあるでしょう。 しかしキリストは、やがて来る完全な神の国を教えています。悪魔の力が完全に打ち破られて、「勝利の神の国」が出現するのです。その時、現在の神の国のあらゆる不完全さが、まったく完全なものに変えられるのです。ですから、現在の神の国に生活する者は、目の前のありさまが、たとえどのように望みのない状態であっても、大きな希望を持って、力強く生きることができるのです(マタイ6:10、黙示録1−7)。

※※※ まとめ ※※※

 このように、神の国、すなわち神の支配は、未来の事柄だけではなく、現在のこの世界の現実です。そしてあなたも、その神の国に入ることができます。神の支配を体験することができるのです。それは、あらゆる悪魔や悪霊の力から解放され、神の正しい力に支配されることです。たとえ、現在の神の国の体験は、まだ完全なものではないとしても、やがて、完全な神の国が出現することを希望として、堂々と生活して行けるのです。

わたしが出会った人

 フィリピンで宣教師として働いている間、いく度かモンテンルパという名の刑務所を訪れる機会がありました。友人がその中で聖書学校を開いていたためです。モンテンルパ刑務所は、全国から集められた凶悪犯を常時4万5千人も収容している、もっとも恐れられた場所でしたが、 神の国は、このような場所でも力を発揮していました。この刑務所にジョー・ヴェラノという男がいました。私が最初に訪ねた頃は、すでに20年以上も服役していましたが、全身から発散されるクリスチャンとしての喜びは、これも全身に彫り込まれた刺青を、色をあせたものにしていました。

 両親を早く失ったジョーは、6才の頃からマニラの路上をねぐらに、16才で逮捕されるまで、「婦女暴行以外、考えられるあらゆる凶悪犯罪を重ねた」と本人が語るような生活を続けていました。「何人殺したか、覚えていない」と告白する時は、いつも、ちょっと伏し目がちになっていたものです。彼は3重の死刑と、300年のという判決を受けテキスト ボックス: 我が家のボスと談笑するモンテンルパのボス  出所したジョーさんは、牧師になるために聖書学校に入る前、娑婆の感覚を取り戻すために、私のもとに来て訓練を受けました。

て入所しましたが、たちまち指導力を発揮し、刑務所の中で500人もの勢力を持つ、バハラナ(なるようになるさ)という名の、最大のギャングのポスになってしまいました。

 モンテンルパ刑務所では、日本のように独房に閉じ込められるのではなく、所内を自由に歩き回ることができたため、かなりの数のギャングのグループが起こり、互いに勢力を争って抗争が絶えることがありませんでした。いつも私の案内役になってくれていた男性は、マルコス大統領の政敵だったために、無実の罪で投獄されていましたが、彼はひとつの砂利石をつまみ上げて言ったものです。「この広い刑務所の中にある石で、かつて人間の血に濡れなかった石はひとつもない」。

 ジョーは刑務所の中でもあらゆる犯罪を重ねました。ここでも何人の人間を殺したか、覚えていないそうです。看守まで殺してしまいましたが、死刑は執行されませんでした。看守を殺して、すぐ死刑が執行されなかったのは、彼だけだそうです。かえって、刑務所中の収まりがつかなくなっては大変と、判断されたのでしょう。おどろいたことに、彼は刑務所の中から、「しゃば」にまで縄張りを広げて、恐れられていたのです。看守や役人まで、彼に尻尾を振って、便宜を計っていたというのです。こんな彼が、かつては犬猿の中だった2番目に大きなギャングのポスと手を取りあって、踊るようにはずみながら賛美歌を唄っていました。刑務所内での犯罪は激減し、はほとんど見られなくなりました。私の友人を始め、多くのクリスチャンたちが訪れて、神の国の福音を伝えたためです。刑務所の中に、神の国が出現したのです。

 現在、彼は特赦を受けて、27年ぶりに出所し、さらに一般の聖書学校で学んだあと、牧師となって活躍しています。今あなたが彼に出会って、お付き合いを始めたとしても、そんな過去があったとは、想像もつかないはずです。いっしょに、ココナッツ椰子の海岸で水泳でも楽しもうと裸になるまでは、長袖シャツに隠された全身のにも、気付かないことでしょう。

テキスト ボックス: モンテンルパ出所の音楽家、ダニーさん。たくさんの素敵な歌を作って歌い、証をしています。彼は麻薬の取引で重い刑を受けたのですが、クリスチャンとなって新しい人間になり、釈放されました。いまは娑婆で牧師をしています。彼には獄中で結婚した美しい奥さんがいます。彼女は、アメリカから来ていた女性宣教師と共に、獄中まで彼を訪ねて、イエス様のお話をしたのです。(彼女が危険を犯して通いつめたほどに、彼の歌はうまい。)この女性宣教師は、あるとき刑務所の中で囚人たちの捕虜となり、それを取り戻そうとした看守たちと激しい戦闘となり、何人もの人が死んだと言うつらい経験を乗り越えて、長い間その刑務所を訪問し続けて働いていました。

お勧め

 あなたは自分の人生に満足していますか。悪魔の支配に、苦しめられてはいませんか。あなたも、神の国に入って、新しい人生を始めてはいかがでしょう。

神の国 第1課

キリストの教えの中心

問題集

 テキストを充分に学んでから、これからの問題に答えてください。まず、テキストを伏せて、すべての問題に挑戦してください。それから、不確実な答えをなくするために、もう一度テキストを学びながら、答えてみましょう。

1.キリストの教えと生涯についての、唯一の情報源は何ですか。(T)

2.キリストは、どのような宣言で教えを開始なさいましたか。(T.A)

3.キリストは、ご自分がこの世界に来た目的を、何と説明なさいましたか。(T.B)

4.キリストがもっとも時間を費やし、くり返して強調された主題は何ですか。(T.C)

5.キリストの多くの目覚ましい働きは、何の証明でしたか。(T.D)

6.死に関わる裁判のとき、なぜ、キリストは「王」であることに固執したのですか。(T.E)

7.キリストが弟子たちを派遣するときに、お与えになった命令は何ですか。(T.F)

8.キリストの教えの中心は何ですか。(T.G)

9.聖書で言う、「神の国」と「天国」は、どうして同じ意味なのですか。(U.A)

10.「神の国」「天国」といった場合の、「国」とはどういう意味ですか。(U.B)

11.「神の国」とは何ですか。(U.B)

l2.「神の国」の反対は何ですか。(V.A)

13.現在、この世界は誰の支配下にありますか。(V.A)

l4.パウロという弟子は、唯一の神を信じていたにも関わらず、悪魔を「この世の神」と呼んだのはなぜですか。(V.B)

15.自然の世界が悪魔の支配下にあるという事実は、どのように現れていますか。(W.A)

16.悪霊たちが活動すると、様々な良からぬことが起こってきますが、悪霊を束ねている首領はだれですか。(W.B)

17.人間が、他のすべての動物たちと異なつた、特殊な存在であるとはどういうことですか。(W.C)

18.悪魔の暴君ぶりは誰に集中されていますか。(W.C)

l9.悪魔の支配は、あなたの人生にどのような影響を与えていますか。

20.悪魔と宗教はどのように関わっていますか。(W.C)

21.倫理、道徳の分野でも、悪魔が支配しているという事実は、どのように現れてきますか。(W.C)

22.すべての病気が、悪魔や悪霊に直接関わっているのですか。(W.C)

23.悪魔の支配は、どこまで及ぶのですか。(X.A)

24.その支配は、いつまでも限りなく続くのですか。(X.B)

25.神はやがてどのような世界をお造りになりますか。(X.B)

26.その時、悪魔と悪霊どもはどうなりますか。(X.B)

27.「神の国は近づいたというキリストの宣言は、どういう意味ですか。(Y.A)

28.キリストは、あなたもこの神の国に入るように、お勧めになっていますが、この神の国に入ると、どういう体験をすることになりますか。(Y.B)

29.この神の国に入ると、どうして希望の生活ができるのですか。(Y.B)

30.あなたは、「神の国に入るように」というキリストのお勧めに対して、どのように応答されますか。              

※※※ 疑問な点、分からないところ、もつと知りたい事がありましたら、書き記しておきましょう。 第2課に入る前に取り扱います。

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