ペンテコステ派の問題点

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     ペンテコステ信仰の基盤


 ここしばらくの、いわゆるペンテコステ派の隆盛には、まさに目を見張るものがあります。あれよあれよと言う間に、世界中で6億を越すほどの人々が、広い意味でペンテコステ信仰と呼ばれる、信仰形態をもつと言われるほどになりました。ペンテコステ信仰に立った交わりの、中心的役割を果たしてきた私たちの団体(アッセンブリーズ・オブ・ゴッド)の立場からは、大いに喜ぶべき事柄である反面、さまざまな問題も浮上してきて、見過ごしにできないところにまで来ているとも思われます。問題の多くは必ずしも新しいものではなく、ここ100年ほどのペンテコステ運動の歴史の中で、様を変え、形を変えて、くり返し現れて来ていたものです。しかし、カリスマ運動や第三の波運動が起り、伝統的なペンテコステ運動とは少しばかり異なった神学的要素も加わり、さらに、第三の波よりも新しい「ペンテコステ運動」に発展しそうな要素も見える現在、それらの問題が、より先鋭化されて来ているように思わされます。このような時、改めて、自分たちの信仰の基盤を確認しなおし、ペンテコステ運動に加わりながら、異質な信仰を混入させている人々や、いまだにペンテコステ信仰に懐疑の目を向けている人たちに、自分たちの信仰を明確に表明し、誤りや懐疑の中にいる兄弟たちの、道しるべの役割を果たさなければならないと考えます。

 そういうわけで、微力ながら、ペンテコステ信仰の基盤となる神学的な考察を行うことにより、まず、同じ信仰を継承している方々の、信仰確認の手助けになればと考えるに至りました。ただし、この文章は神学的エッセーであって論文ではありません。いままで自分で聖書を読み、さまざまな人たちと会って学んだ、極めて初歩的な範疇で書く、常識のまとめのようなものです。ですから参考文献も引用も、聖書以外の書物からは一切ありません。そういう意味では、かなり易しい素人的な文章で、一般信徒の方でも充分に読みこなせるものになるはずです。とはいえ、取り扱っている問題は、神学的にもかなり高度な問題になるかと思います。もちろん、ここでペンテコステ運動の神学すべてを論じるのではありません。私たちの神学の基本的な点は、いわゆる福音主義と大差なく、その中でもファンダメンタルな立場をとるものです。ですから、たとえば、南バプテストの強烈なディスペンショセーションの神学を柔らかくし、予定論を少しばかり穏やかにすると、私たちの神学とほとんど見分けが付かなくなります。少し極端に言うと、ペンテコステ運動の神学はファンダメンタルな神学の上に、聖霊のバプテスマに関わる教えを乗せただけのものです。そのためか、私たちの先輩たちは自分たちの特徴について、あまり神学的考察を深めることがなかったのです。

 しかし、ペンテコステ運動も100年を経過して巨大化し、その影響が世界中に及ぶに至って、ただファンダメンタルな神学に満足していれば良いという状況ではなく、自分たちの神学を明らかにしていく必要に迫られているのです。そこでこのエッセーでは、ペンテコステ神学に独特な問題について、まず@ルカとパウロの関係から考察を進めます。それからAルカは単なる歴史資料の収集家だったのか、それとも神学的意図を持って、歴史をまとめたのかと言うことについて考察します。その後、Bルカの神学的特徴とパウロの神学的特長を比較して見ます。次に、Cルカの聖霊の神学に焦点をあてて、彼の文書を探って見ます。そしてDパウロの聖霊の神学の中で、ルカの聖霊の神学と接触する分野、あるいは共通の分野について考えて見ます。その上で、E現在のペンテコステ運動で問題化している、悪霊追放と先祖の呪いの断ち切りについて考察します。

 このエッセーはまた、聖書が誤りのない神の言葉であり、私たちの信仰と生活に対する充分な基盤を提供するものであると言う、福音的神学の前提に立つものです。ですから、あくまでも、聖書の教えに従おうとするものです。その場合、聖書はどのような意味で誤りのない神の言葉なのかと言う、解釈学の問題が出てきます。ただ解釈学の問題は、それ自体で大きな主題ですので、それを取り扱うのは後に譲って、ここでは必要な場合に限って、最小限の説明をするだけに止めておきます。そういうわけで、この点においても取り扱い方全体が素人臭くなりますが、これを批判的な踏み台にして、神学的素養のある方が、さらに高度な神学的論証を行なってくださることを期待するものです。

T ルカとパウロの関係

 ペンテコステの神学は、ルカの神学を抜きにしては語ることが出来ません。ペンテコステ神学の中心主題である聖霊のバプテスマと異言についての記述が、ほとんどルカの著作に集中しているためです。聖霊のバプテスマがキリストによって与えられることについては、他の福音書記者もみな、バプテスマのヨハネの預言として記していますが、実際に、聖霊のバプテスマが与えられた出来事を記しているのは、ルカだけです。伝統的なペンテコステ神学が、聖霊のバプテスマに必ず伴うしるしと考えてきた異言についても、ルカとパウロ以外には、誰も何も語っていません。また、ペンテコステ神学の特徴的な主張である癒しや奇跡などのできごとを、聖霊との関係でより詳しく掘り下げて記しているのも、ルカとパウロです。

 これまで、ペンテコステ系の人たちも反ペンテコステの論陣を張る人たちも、ルカの記述をまったく独立した記述として取り扱い、パウロとの関係で論じることはあまりしてきませんでした。ある人たちは、ルカの神学はパウロの神学と異なると判断し、パウロの神学に矛盾しているとさえ考えました。またある人たちは、ルカはパウロの弟子であったと言うことだけではなく、彼の記述が、パウロのような教育的な手紙ではなく、歴史の記述に過ぎないということで、神学的には価値の低いものであると主張したり、ルカの記述からは神学を構築することは出来ないと、論じたりして来ました。ルカの神学を認める人たちでさえ、ルカの神学は、パウロの神学によって理解されるべきだと言うのが、一般的でした。ところが一方、ペンテコステ系の人々には、ことペンテコステ神学に関しては、あくまでもルカの記述を通して、パウロの教えを理解しようとしてきた傾向もありました。それは、ペンテコステに関する記述が圧倒的にルカの著作に多いために、自然の成り行きとして起ったともいえるでしょう。

 ただしそのような扱い方は、どれも正しいものではありません。私たちは聖書をもっと総合的に理解すべきです。もちろん、聖書は神から与えられた書物であり、全体として完全に統一されているという安易な前提に立つのは誤っています。聖書は完全に統一を保っている書物でありながら、66巻それぞれの文書の背景や、著者、文体、成立過程などに固有の特徴を持つものです。それらを充分に考慮しなければ、正しい解釈は不可能です。それを無視して、異なった文書から自分の論旨に都合のいい言葉を、文脈から切り離して拾い出し、それらをつなぎ合わせて神学を構築してはならないのです。それは従来の組織神学などがしばしば陥った間違いです。したがって私たちが行うべきことは、ルカとパウロの相違を認めながらも、ルカの著作とパウロの著作の間には、非常に強い相関関係があるという歴史的事実に立ち、それぞれの著作環境や事情を考慮しながら、解釈しまた理解することです。その上に、聖書を統一した書物としてお与えになった、神のご配慮を見るのです。

 ルカはパウロから独立した、パウロの神学や考え方には関係のない、あるいはそれに反した考えや矛盾した神学を、残すはずはありませんでした。ルカは、パウロが最も信頼した弟子の一人であり、パウロと苦楽を共にした人物です。パウロの働きを通して救われて以来、パウロの最も身近にいて、異邦人伝道旅行に同行し、エルサレムにも共に上り、さらにローマまでの船旅に随行したばかりか、パウロ自らが、死を目前に控えていると語ったテモテ第二の手紙の中で、「ルカだけは私と共におります」と記したことでわかるように(4:11)、ローマで獄中に捕らわれていたパウロの世話を焼き、最後まで、パウロに付き添っていた唯一の人物です。ルカのクリスチャン経験、ルカのクリスチャンとしての成長、ルカの神学的な骨子は、みなパウロに負うものだったのです。

 ルカが上下2巻の書物、すなわちルカの福音書と使徒の働きを記そうと考えたとき、当然彼は、可能な限りの下調べをしました。彼自らが記しているように(ルカ1:1〜4)、その当時存在していたキリストの生涯と教えに関する記録を、小さな断片的記録をも含めて、手当たり次第に集めたことでしょう。もしも、マタイの福音書やマルコの福音書がすでに書かれていたのなら、それらも参考にしたことでしょう。あるいは、マタイやマルコが用いた断片的文献も、収集したことでしょう。肉体を取ったキリストをよく知っていたマルコは、ルカと一緒にいたことがありますし(コロサイ4:8、14)、シラスも行動を共にしたに違いありません。彼らも大切な情報源となったことでしょう。エルサレムに上ったときには、使徒たちを始め多くの弟子たちに会い、キリストを目の当たりにした人たちの生々しい証を、聞く機会があったことでしょう。

 使徒の働きの前半の資料も、マルコやシラスさらにはエルサレムの兄弟たちから、充分に入手可能でした。またルカと出会う前の、パウロの生涯や働きに関しては、直接パウロから聞くことも出来たうえに、複数の兄弟たちから確認の情報を得ることが出来たでしょう。そして、使徒の働き16章の11節以降は、短い期間を除いてほとんどパウロと行動を共にして、パウロの働きを自分の目で見ることができ、見ることができなかった部分については、パウロから直接正確に聞くことが出来ました。

 実際の場面を想定すると、ルカが上下2巻の文書を記録したとき、あるいは記録しようとして、資料を収集していたときの大部分は、パウロが一緒にいるときだったろうと言うことです。パウロはルカの書いていることを知っていたし、その内容も知っていた。それだけではなく、ルカの記述のために直接情報を提供し、その内容について指導することも出来たと考えても、おかしくないのです。現代の若い学徒が論文や本を書くとき、誰々先生の監修を受け、何々先生のご指導のもと、完成させることが出来ましたなどと加えて、無名の著作の信頼性を高めようとするようですが、ルカがその気になれば、パウロ先生のご指導の下、あるいは、使徒パウロの監修の下にこの記録をまとめましたなどと、書き加えることさえ出来たと考えられるのです。

 一方、ルカはパウロの書いた手紙の多くを読んでいたことでしょう。あるものは、彼がパウロと一緒にいたときに口述筆記でしたためられたために、パウロの口から聞いていたことでしょう。彼がクリスチャンになる前に書かれたと思われる、たとえばガラテヤ書などは(南ガラテヤ説を前提にしています)、あとから写しを手に入れて読むことが出来たでしょう。たとえそうできなかったとしても、ガラテヤの諸教会の問題については、詳しくパウロ自身の口から確かめることが出来たことでしょう。ルカは、パウロの伝道生涯とそれに伴った出来事だけではなく、パウロの神学をも熟知していたのです。

 そのように考えると、ルカとパウロの神学に基本的な違いがあるはずがありません。ただし、その神学の視点の違いや取り扱いの違いは明白です。パウロとルカの神学が、一見、まったく関わりがなく、調和もないように思えることこそ、かえって二人が、互いにそれぞれの分野を心得て、重複しないように記述していたということの、証にさえなりそうです。ですから、パウロがルカの記述を、「聖書」として引用していると考えられる部分さえ、なるほどと思われるのです(Tテモテ5:18、ルカ10:7)。

 ルカの記述は、歴史の記録の叙述の陰に神学がかくれていて、一読で、その神学的意図や、神学自体を明白に理解することは困難です。そこは、パウロの手紙のような、直接の教育的文書とは異なります。それで、多くの人たちがルカの記述は単なる歴史であると受け取り、神学がないと断定したり、ルカの記述から神学を構築するのは、間違っていると主張したりしているのです。ところが、ルカの記述を公平な目をもって、少しばかり注意深く読み、検討すると、骨太の神学がくっきりと見えてくるはずです。そしてその神学は、まさにパウロの神学の異なった表現であることに気づきます。

 パウロが取り扱った最大の神学的課題は、福音の普遍性と言うことでした。それを彼は、律法の行いと信仰による義という命題で真っ向から論証し、読む者たちを納得させようとしたのです。その同じ福音の普遍性という問題を、ルカはキリストの生涯と教え、そして教会の発展の歴史的記述をもって論じています。それはあたかも、歴史的事実の記述をもって、パウロの主張を擁護しているかのようです。

U 神学者ルカ 

 ルカの記述から神学を構築することはできないと主張する人々の大部分は、ペンテコステの信仰に反対する人たちです。けれども中には、ペンテコステの信仰の中で育った著名な神学者も含まれ、ペンテコステ信仰を持つ者たちを、一種の恐怖症に陥れています。それは、ペンテコステ信仰のよって立つ神学は、ほとんどルカの記述から構築されているためです。ルカの記述から神学を構築するのは間違っているとなると、ペンテコステの神学の基盤が揺るぐからです。ペンテコステ信仰が聖書的に非常に脆弱になり、立ち行かなくなるからです。

 ところが、ペンテコステ信仰に反対の立場をとる人々の中にも、ルカの記述には明白な神学的意図があると認めている人々が、たくさんいるのも事実です。ペンテコステ信仰に反対するためにだけ、ルカは神学者ではないと言う人もいるようです。実際のところ、キリスト教神学の生い立ちを見ると、ほとんどの神学者も教会も、ルカの文書と同じような叙述文の文書の中から、非常に重要な神学を構築してきました。もしも、創世記が直接的には神学的教えを記したものではなく、叙述文に過ぎないのだから、そこから神学を構築するのは誤りだなどと主張したら、一体どういうことになるでしょう。

 ルカは、キリストの生涯と教えの記録を、単なる収集家的興味で集めただけだったのでしょうか。初代の教会の発達と福音伝達の物語の情報を、博物館のように並べようとしただけなのでしょうか。それとも、たくさんの情報を集めただけではなく、それらを自分の目的と神学的意図に合わせて、取捨選択し、また記録したのでしょうか。ルカ文書を少しばかり注意深く読むならば、それは非常に強固な目的と神学的構造を持っていて、さまざまな資料の注意深い取捨選択の上に書かれていることが、誰にでも明白です。

 ルカ文書は普通歴史書と言われています。歴史書はすべて特定の観点から、目的を持って書かれています。収集した資料をただ列記しただけではありません。たとえば、ほとんどすべての国家は、自分たちに都合のいい歴史を作成しています。これは日本や韓国だけの問題ではありません。筆者が働いていたフィリピンはかつてアメリカの殖民地でした。ですからアメリカの指導で書かれたフィリピンの歴史書は、アメリカに都合よく編纂されています。アメリカの前の宗主国、スペイン対して独立闘争をしたホセ・リサールやアンドレ・ボニファシオは英雄で、新しい宗主国アメリカに歯向かって独立闘争をした、初代大統領エミリオ・アギナルドは大統領とも認められず、ほとんど無視されたままです。

 ルカ文書が歴史書である限り、そこには目的があります。もちろん聖霊の導きと保護によって書かれたルカの歴史には、国家の意図や特定の歴史観によって操作されたような、事実の歪曲や捏造はありません。ルカはキリストの生涯と教え、あるいは初代の教会の発展と福音の伝達という歴史的事実を、誤りなく記録しました。ただそれは、単なる歴史に起った事実の羅列ではなく、ルカの神学的意図にそって、ぜひとも伝えたい出来事、なんとしても残しておきたいキリストの教えが、取捨選択され、記録されたのだということが重要なのです。しかも、そうとう骨太で頑丈な神学の上に、歴史的出来事の記述がかぶせられているのです。 

 ルカの著述の目的は、ルカ自身が記しているように、テオピロといわれる人物が、すでに教えられていた事柄、すなわち、キリストの生涯とその教えを、正確な事実であるとしっかりと理解できるように、綿密に調べたものを順序だてて書き記すことでした(ルカ1:1〜4、使徒:1〜2)。テオピロが、果たしてどのような人物であったのかは不明です。ある人はローマの高官の一人であっただろうと想像し、他の人は、むしろ不特定多数の、信仰経験の浅いクリスチャンたちを「テオピロ」、すなわち神を愛する者と呼んだのだろうと考えます。真相は不明ですが、ともかく、たとえ一人の人物に宛てられていても、多くの読者を想定して書かれたものであることは、間違いがないようです。まだ信仰の浅い人々が間違った情報に惑わされたり、誤った教えに騙されたりしないように、しっかりとしたキリストの生涯と教えの記録を残そうとしたのが、上巻の福音書であると考えられます。また、教会の誕生と成長、それから、ユダヤ人社会からローマの世界への福音の伝播を記録して、福音書で示された福音が普遍的なものであることを、明らかにしようとしたのが使徒の働きです。当時、すでに怪しげな情報が流れ、誤った教えも起りつつあったのでしょう。

 ルカはそのような目的を達成するために、福音書全体と使徒の働きの始めの部分では、ナザレ人イエスがメシヤであることを提示し、その意味を明かにしました。それはまた、イエスを通しての、神の人類救済の歴史を明かにすることでもありました。そして神の救済の歴史は、神の国と言う概念の発展へと至り、それが上下2巻を通して流れる一つのテーマとなりました。その神の国の福音が、単にイスラエル民族という狭い枠の中に止まらず、全世界的な広がりを持つ普遍的な福音であることを、疑いの余地がないほど明確に示すのが下巻、使徒の働きの執筆目的でした。あるいはパウロの使徒性と働き、その教えの正当性を側面から擁護することも、その意図あるいは動機であったと考えられます。

 ルカは、イエスの存在と働きを通して、神の国の概念とその実在を示し(ルカ11:20)、その福音が全世界に及んで行く過程を、具体的な歴史記述で示しただけではありません。彼は同時に、その神の国の実在と拡大は、すべて聖霊のお働きによって可能となったという事実を、明瞭に書き記しました。聖霊のお働きがなければ、イエスによって神の国が到来することも、あり得ませんでした。完全に人となられたイエスは、ご自分の生来の力では何一つ、奇跡的な働きはなさいませんでした。その力あるお働きはすべて、洗礼のとき鳩のようにお降りになった、聖霊のお働きによるものでした。それは、キリストご自身が認めておられるとおりです(マタイ12:28)。

 また、聖霊のお働きがなければ、その神の国の福音の世界的伝播もあり得なかったのです。聖霊が教会に力を与え、教会を通してお働きになったことによってのみ、教会の世界宣教が可能になったのです。ルカはその上巻の最初から聖霊のお働きを強調し、下巻の記録全体を通して聖霊のお働きに焦点を当てています。神の国の福音は、その準備段階のバプテスマのヨハネの懐妊から、聖霊のお働きによって進められ、異邦人世界の中心、全世界の中心であったローマにおいて、パウロによって宣べ伝えられるまで、聖霊の導きによって完遂されたのです。その間のあらゆる出来事が、ことごとく、聖霊の干渉によって行なわれているのです。ルカは、その上巻によって、他のどの福音書記者よりも聖霊の干渉を強調して記録し、下巻においては、それが聖霊行伝と呼ばれるほど、聖霊の主導的役割を描出したのです。

 ルカは、パウロが教育的な文体、あるいは論文のような神学的文体で、くり返して強調した神の救済史を、そっくりそのまま、歴史的記録という叙述文体で語っているのです。パウロは、イエスと言う人物が旧約で預言されていたメシヤであることを語って、イエスの代償の死を神学的に説明しました。またその甦りと力を神学的に論じ、そのメシヤの救いの福音が、ユダヤという民族主義を越え、普遍的なものであるということを、律法の行いによる義と信仰による義、割礼の不要性、ユダヤ人と異邦人の福音による和解と言うような、神学的テーマとして論じました。そしてルカはその同じテーマを、具体的な歴史的出来事の記述を通して語ったのです。

 パウロは福音の普遍性を、神からの奥義の啓示として、神学的文章でまともに語りました。ルカはそれとまったく同じ神学的テーマを、福音が聖霊による導きと後押しによって、いやおうなく全世界に行き渡るようになった事実の経緯を通して、叙述的に語ったのです。特に、コルネリオの救いと聖霊のバプテスマの物語、その出来事に端を発して、エルサレムの兄弟たちの中で沸きあがった議論と結論、3度もくり返して記されているパウロの回心の物語、それから、エルサレム会議の様子の記録、パウロのローマ旅行などは、すべて、福音の普遍性を明確にし、強烈に示すものでした。それらの出来事すべてが、絶対的な聖霊の主導の下に行なわれたことが、生き生きと、明瞭に主張されているのです。

 ルカが上下2巻の著作を通して強調したのは、神の国の福音の完成とその普遍的伝播に関わる、聖霊の主導的な働きです。聖霊は、人となることによって、神としての力を用いることが出来なくなったイエスに降り、神の指として、すなわち神の力を具体的な働きで示すものとして、イエスを通して癒しや奇跡を行い、あるいは人の心を変える大きな働きを行い、神の国がまさに到来して、人々のなかに存在していることを明らかにしてくださいました。そして、贖いの働きを通して完成された神の国の福音を、全世界の人々の中に実効のあるものとして現すために、福音伝道の導き手となり、また、力となってくださいました。ルカの神学が際立っているのは、この聖霊論であり、宣教論です。ルカは福音の普遍性と言う主題を、歴史的経過と言う事実を通して宣教論的に語り、その中での聖霊の役割を明確にしたのです。その聖霊論の中でも、ルカは上巻の福音書と下巻の使徒の働きのつなぎの部分で、宣教における聖霊の役割と言うか働き、あるいは聖霊が教会と個々の信徒たちにいかに関わり、彼らを用いてどのように福音を全世界にもたらすかと言うことを、非常に明確に語っているのです。しかもルカはそれらを自分の言葉をもって説明せず、キリストのお言葉、あるいは教会の姿と活動を記録すると言う形で、雄弁に語っているのです。

V ルカの聖霊の神学とパウロの聖霊の神学の比較

 ルカがその上下2巻の著作を通して強調したのは、宣教に関わる聖霊のお働きです。したがって彼の聖霊論は、宣教論的視野に立った聖霊論です。一方、パウロの聖霊論は、人々を救いに導き、キリストのみ体である教会にバプタイズし、共同体として教会を成長させ、キリストの身丈にまでいたるようにする、教会論的な聖霊論です。その教会論の立場から、個々の信徒の成長と聖化をあるいは賜物の賦与などについての、聖霊のお働きを取り扱っています。そしてこの二人の異なった聖霊論は、二人が異なった聖霊理解を持っていたからではなく、かえって二人が非常に親密な師弟として、同じ聖霊の理解を持っていながら、取り扱う分野と方法の違いによって、生まれたものだと言うことです。

 繰り返しますが、ルカの神学はほとんど宣教論的な視野から、構築されています。それに対し、パウロの神学は教会論的視野から構築されています。ルカの著作の関心は、神の国の福音が完成され、それが全世界に伝播して行くことにありました。パウロの著作の関心は教会が形成され、その教会がキリストの身丈まで成長していくことでした。それは、ルカにパウロのような関心がなかったということでも、パウロにルカのような関心がなかったということでもなく、ただ、彼らが執筆した状況がそのようにさせたということです。

 ルカの著作に現れた神学的関心は、主に神の国の福音の完成とその伝播という、狭い範囲に限られるのに比べ、パウロの著作に現れた関心は、主に教会の具体的問題の解決に向けて、救済史論、キリスト論、聖霊論、贖罪論、救済論、義認論、教会論、終末論と、ほとんどすべての分野に及んでいます。ところが非常に面白いことに、パウロの神学には、宣教論が抜けているというか、希薄なのです。断片的にそこここで触れられてはいますが、論じられてはいないのです。偉大な宣教師パウロが、宣教論をとばしているのは非常に不思議なことです。従って彼の取り扱った聖霊の働きに関する教えには、宣教に関わる聖霊のお働きが抜けていますし、教会論にも教会の使命である宣教が論じられていないのです。言い変えると、ルカの記述なくしては、まともな宣教論、聖霊のお働きが深く関わった、キリストのみ体と言う共同体の宣教という、聖書的宣教論を構築することは不可能だと言うことです。

 パウロは救いに関わる聖霊のお働きを取り扱っています。すべての信徒をキリストのみ体にバプタイズしてくださる、聖霊のお働きについても記しています。聖化についての聖霊のお働き、賜物や実に関する聖霊のお働き、祈りに関する聖霊のお働きなど、クリスチャン生活における聖霊のお働き全体について、すなわち内住のお働きについても語っています。ところが、教会を力づけ、全世界に出て行かせ、キリストの証人として下さるという聖霊のお働きについては、まったく触れていないのです。そのパウロがまったく語っていない分野こそ、ルカが力をこめて語った分野なのです。それは、昇天直前のキリストが明確にお語りになった分野であり、福音書の記者すべてが、たとえ短くても、力強く書き残した分野なのです。

 このように見ると、どうしても、パウロとルカの間にひとつの合意があったと考えるのが、最も自然だと思えるほどです。すなわち宣教の分野は、ルカの取り扱いに委ねられたのではないかと言うことです。パウロはそれを放棄したのではなく、愛弟子ルカを信頼して任せたのです。また彼には、ルカの記述を間近で確かめることも、サポートすることも出来たのです。パウロは福音の普遍性と言うことを、信仰と行いという神学的命題で語りました。しかしその実践的現われである宣教の分野、それに直接関わる聖霊のお働きの分野は、ルカの手に期待したと考えられるのです。

W ルカの聖霊の神学

 ルカの神学の真骨頂は、福音宣教に関わる聖霊のお働きです。

W A 力をお与えになる聖霊

 聖霊が力をお与えになるということは、ルカの上下2巻の著作に脈々と流れる血のような、重要なテーマでした。

W A1 福音書

 ルカはまず、聖霊は力をお与えになる方であるということをもって、上巻の福音書の記述を始めています。彼は、祭司ザカリヤの不妊の妻エリサベツが、男の子を産むという御使いの託宣を、福音書の最初に据えたのですが、その強調点は、生まれてくる子が聖霊の力によって、主の前に優れたものとなり、まえぶれの働きをするということで、聖霊の力にありました。彼は「母の胎内にあるときから聖霊に満たされ」、「イスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせる」と預言されています。聖霊に満たされることが、力強い働きに結び付けられていることが明らかです。また彼がナジル人として、あたかもサムソンのような力を持つ者となるとも、語られていますが、それは聖霊に満たされることに関連付けられています。さらに、「エリヤの霊と力で・・・・整えられた民を主のために用意するのです」と、再び力が強調され、疑いもなく、聖霊と力が関係付けられています。聖霊に満たされることは、聖霊の力を賦与されることだと示唆されているのです。それからルカは、マリヤの受胎告知に筆を運びましたが、ここでも「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます」という、御使いの言葉を記して力を強調し、聖霊がいと高きかた、すなわち神の力に関係していることを示しています。 

 ルカはまた、他の福音書記者と同じように、キリストの受洗の時の出来事を記録し、聖霊が鳩のようにキリストの上に降ったことを述べています。まずルカは、「私よりもさらに力のある方がおいでになって、聖霊と火によってバプテスマをお授けになります」という、ヨハネの預言を書き残しました。ルカはその預言が、間接的にではありますが、聖霊と力の関係をうかがわせるものであることを見逃さず、「私よりもさらに力のある方」としっかり記し、ヨハネのように「力」と言う言葉を省いてしまうことはありませんでした。

 四つの福音書を読むと、キリストは、この聖霊の降臨によって力を受け、聖霊によって力ある業を行われたことが明らかです。ヨハネを除く福音書は、キリストの謙卑の姿に焦点を当ててはいませんが、キリストは、神の力と権威を横に置いて来られた「人なる神」であり、単なる人としての力しか所持しておらず、神の働きを遂行するためには聖霊の力が必要だったからです。中でもルカは、他の3人の記者よりも聖霊の力の関与を明らかに示しています。

 キリストの上に聖霊の降臨があった後、ルカは「聖霊に満ちたイエスは・・・・御霊に導かれ」と記しましたが(ルカ4:1)、マタイとマルコは、キリストが聖霊に満ちていたという事実には関心を払わずに、「聖霊に導かれ」と受動的にだけ記し、ヨハネは両方ともはまったく無視しています。それぞれの著者が、自分の目的に沿って出来事を記録しているために、その記録には当然相違が出てきますが、ルカは聖霊と力の関係に特別に関心を持っていたことがわかります。そしてその後すぐに、「イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた」という言葉をもって、聖霊と力の関係をさらに強調し、聖霊を受けると言うことがどのような結果をもたらすかを、キリストの働きをもって示そうとしていることがわかります。聖霊を受けることは、力を帯びることなのです。このことをルカは、下巻の使徒の働きにおいてペテロの言葉として記しています。「それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神が共におられたので、巡り歩いてよい業をなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。」(使徒10:38)

 さらに続けてルカは、安息日にキリストが故郷ナザレの会堂に入って、イザヤ書をお読みになったことを記述していますが、これはルカだけが記録したものです。つまり、他の福音記者たちは、自分たちのキリスト伝の記述目的には、あまり重要ではないと考えたものですが、ルカの目的にとっては大切であったということです。ルカの記録によると、キリストはご自分の宣教の開始をもって、イザヤの預言の成就であると宣言なさいました。そのイザヤ書の預言の箇所の中心主題のひとつは、「キリストの上に主の御霊がおられる」ということだったのです。ルカにとっては、キリストが聖霊の力によって働きを開始された事実が、非常に重要だったのです。

 またルカは、働きの開始だけではなく、キリストの力ある働き全体が聖霊によるものであることを、キリストご自身のお言葉をもって、記録しています。キリストの力ある働きは、神の国の到来の証明でしたが、それを説明してキリストは、「私が神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなた方に来ているのです」とおっしゃいました(ルカ11:20)。ところが、神の国と言う概念にとても力を入れていたマタイは、この同じキリストの言葉を、「私が神の御霊によって悪霊どもを追い出しているなら」と、書き残しました(マタイ12:28)。ルカがなぜ、マタイのように神の御霊、あるいは聖霊と言わずに、神の指という非常に珍しい言い方をしたのかは、良くわかりませんが、このときルカの脳裏には出8:9や詩8:3の表現があったのかもしれません。いずれにしろ、神の指と言う言い方は、超絶した力の神の直接の介入を想起させ、聖霊のお働きを示すものに間違いありませんでした。

 ともかくルカは、キリストの力ある働きが、聖霊によるものであるということを、キリストご自身の言葉を書き残すことによって、はっきりと示したのです。そしてその、聖霊によって力ある働きを推進すると言う主旨は、ルカの著作の上巻と下巻のつなぎの部分、すなわちルカ24章の終わりの部分と使徒の働き1章の初めの部分で、キリストの弟子たちにとって非常に重要な主題となって現れるのです。キリストは、弟子たちがキリストの証人として全世界に出て行き、福音を宣べ伝えること、すなわちキリストの救いのみ業を、全世界で継続して行く使命をお告げになりましたが、そのとき、「父の約束してくださったものをあなたがたに送ります」と言って、聖霊の降臨が間近に迫っていることを知らせ、それが、「いと高き所から力を着せられる」ことであることをお教えになり、それなくしては世界宣教に出て行ってはならないとおっしゃったのです(ルカ24:49)。弟子たちは約束の聖霊を受けるまでは、エルサレムに留まっているように告げられたほど、この力は福音宣教の働きにとって重要だったとのです。

W A2 使徒の働き

 使徒の働きは、福音書の終わりの部分と直接重なり合うように、始められています。ルカはまず、短い導入部の後、すぐに、「エルサレムから離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい」という、キリストのお言葉をくり返し記して本題に入ります(使徒1:4)。この父からの約束とは、聖霊のバプテスマであることが、キリストのお言葉の続きで明らかにされます(1:5)。その聖霊のバプテスマとは、上からの力を着せられることだと言うことは、福音書の終了直前に記されたキリストのお言葉によって、すでに明らかに示されています。つまりルカは、聖霊と力による福音宣教と言う主題を、福音書と使徒の働きと言う上下2巻の書物のつなぎとしたのです。一方弟子たちは、キリストのお言葉をほとんど理解せず、聖霊のバプテスマによる上からの力の賦与は、彼らが期待していた神の国の設立、すなわちイスラエル国家の再興のためだと考えていたようですが(1:6)、とにかく、力の賦与があるということ自体の理解と期待は、非常に高かったに違いありません。そのような弟子に向かってキリストは、彼らの期待の間違いを優しく指摘して、関心を他のところに持っていくようにお語りになった上で、改めて「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなた方は力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、私の証人となります」と、お語りになりました(1:8)。ここにおいて、聖霊がお臨みになることは、世界の果てまでもキリストの証人となるための、力を与えられることであると、誤りようがないほど明白に告げられたのです。このようにして、使徒の働きは福音書よりもさらに明白に、力と聖霊を結び付けて始まります。

 ここで解ることは、聖霊のバプテスマに対する期待は、弟子たちの間にではなく、むしろキリストの中に大きく膨らんでいたと言うことです。弟子たちは、まだ人類救済の神のご計画の中で、聖霊がどのような役割を果たされるのか、また自分たちがどのように用いられるのか、まったく理解していなかったからです。しかしキリストの昇天のあとの少しの期間に、弟子たちの中には、キリストが残されたお言葉を熟考することによって、キリストの証人となるという意味の理解が、わずかながらも形成されていきました(1:22)。

 その上で弟子たちは、ペンテコステの日に、聖霊のバプテスマを受けたのです。ペンテコステの日の出来事が、聖霊のバプテスマであると言う直接の言及はありませんが、「もう間もなく、あなた方は聖霊のバプテスマを受けるからです」とおっしゃったキリストのお言葉から、この出来事が聖霊のバプテスマであることが解ります。また、ずっと後になって起った異邦人コルネリオの聖霊のバプテスマ体験について、弟子たちが論議する記録の中で、ペテロの言葉として、この体験が間違いなく「聖霊のバプテスマ」と言われるものであることが語られています(11:15〜17)。

 ルカは、ペンテコステの日の出来事によって、弟子たちに力が与えられたとは言っていません。それにもかかわらず、読むものすべてが、ペンテコステの日の出来事、すなわち聖霊のバプテスマによって、弟子たちに力が与えられたのだと理解できるように書き記しました。聖霊に満たされた直後の、ペテロを始めとする弟子たちの大胆な行動は、まさに力を与えられた結果以外にはあり得ません。ルカは多分、2千年ほども後の読者のことを念頭に入れては書いていませんので、現代人の私たちはつい読み落としてしまいがちなのですが、ルカは、大胆に語りだしたのはペテロだけではないことを、あえて強調しているようです。それは「ペテロは11人とともに立ち上がって」と記しているからです(2:14)。

 当時、電気拡声器、すなわちマイクとスピーカもハンドマイクもありませんでした。その日、3千人が弟子たちの仲間に加えられたというのですから、それよりもかなり多くの人々が集まっていたはずです。その人たちすべてが、しかも屋外で、ペテロの語ることを直接聞くのには無理があります。ですから弟子たちは、いつもイエス様がお話になったときにやっていたのと、同じ方法をとりました。彼らはペテロから少し離れたところから始め、適当に分散して立ち、ペテロの語る言葉をそのままくり返して、遠くまでリレーをすることによって、5千人でも、1万人でも、一度に聞かせる事が出来たのです。ルカは、ペテロとともに立ち上がったのは11人と記していますが、それは12弟子を意識して、そのすべてと言っているのであり、実際は12弟子以外にも立ち上がった者たちがいて、ペテロの語ったことをリレーしたかもしれません。彼らはみな、聖霊のバプテスマを受けて力強く大胆になったために、敵意にあふれた人々が大勢いる真ん中で立ち上がり、堂々と語ることが出来たのです。その様子を、ルカは見事に描き出しています。

 キリストの甦りが、弟子たちの励ましになったのは事実でしょう。しかしその甦りが疑いのない事実になった後でも、弟子たちの心の中からは、まだ恐れが消え去ってはいませんでした。キリストの昇天を目の当たりにした後も、まだ自分たちの信仰を公に告白し、キリストを証するには躊躇があったようです。しかし、聖霊のバプテスマを受けた後の弟子たちは、みな恐れることなく、大胆にキリストを証したばかりか、聞いている人々に向かって、あなた方こそ神にそむき、救い主を殺した張本人であると厳しく糾弾して、悔い改めを迫っているのです(2:36)。ここで特徴的なのは、大胆になるということです。これは物理的な力ではなく、精神的な力、あるいは信仰的な力です。聖霊が臨まれると力を受けると言われた力の種類は、どうやら、この精神的な力あるいは信仰の力、普通大胆さとか勇気などと表現される力であると、考えることが出来ます。

 その類の力は、第3章の「美しの門」での出来事と、それに続くペテロとヨハネの行動と説教、さらにその結果、彼らが大祭司一族に捕えられて弁明する場面などで、いよいよ見事に描き出されています。特に弟子たちの中心人物と自他共に認めていたペテロは、「聖霊に満たされて」語りました(4:8)。彼はキリストを十字架につけた、時の権力者である大祭司とその一族に対して、生まれつき足のきかない男が癒されたのは、彼らが十字架につけて殺したにもかかわらず、神ご自身が甦らせたキリストのみ名によるのであると、豪胆に言い放ったのです。その言葉は、何重もの意味で、大祭司たちを怒り狂わせることにもなりました。それは大祭司たちが殺したナザレのイエスを、神がお遣わしになった救い主であると、改めて宣言することでした。また、復活などはありえないと主張していた、彼ら(サドカイ派)の信仰に挑戦するものでした。さらに、彼らは神のご計画にそむき、神が遣わした救い主を殺した大犯罪者であると、厳しく追及するものでした(4:10〜12)。

 ペテロとヨハネの語る姿を見ていた大祭司たちは、二人の大胆さに舌を巻いたのです(4:13)。それでも大祭司たちは、二人に対し、イエスの名によって語ったり教えたりすることを、「やっとの思い」でいっさい禁じました。ところがそれに対する二人の答えが、また、大胆不敵と言うか、怖いもの知らずそのままでした。彼らは答えたのです。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、聞いたことを、話さないわけにはいきません」(4:19〜20)。

 これらの出来事の報告を聞いた弟子たち一同も、まったくへこたれる様子はありませんでした。迫害を取り除いて欲しいとも祈りませんでした。状況を好転させて欲しいとも願いませんでした。彼らは次のように求めたのです。「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたの僕たちに大胆に語らせてください」(4:29)。大胆に語らせてくださいと言う祈りが、彼らの反応でした。「忍ばせてください」でも、「忍耐を与えてください」でもありません。「語らせてください」です。しかも「大胆に」です。その上、「イエスのみ名によって、さらに癒しを行なわせ、しるしと不思議な業を行わせてください」という祈りが続くのです。キリストが逮捕されたとき、キリストを見捨てて逃げてしまった、あの弱々しくて頼りにも何にもならない弟子たちの姿は、もうどこにも見ることができません。そして、彼らがそのように祈ったとき、彼らがいた場所が震い動き、一同はふたたび聖霊に満たされ、またもやみ言葉を大胆に語りだしたのです。

 迫害はなおも続きました。しかし、聖霊に力づけられた弟子たちの大胆さは、少しも衰えませんでした。かえって、彼らは「御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜んだ」のです(5:41)。聖霊の力による大胆さは、単に使徒や少数の弟子たちだけに留まったのではありません。ギリシャ語を話す弟子たちの一人ステパノも、配給物資の責任を任されたことからも、根の優しい人間だったと思われますが、主の証のためにはまったく恐れを知らない、大胆この上ない人物になりました。彼はキリストを殺した張本人であり、当時の迫害の黒幕であった大祭司に対して、少しも怯むことなくキリストを証し、さらに、大祭司とその一族郎党の権威の象徴であり、また、糧の源であった神殿の不要性さえ指摘したのです。

 神殿の不要性に触れたことは、ただ大祭司とその一族を怒らせただけではありません。それは大祭司たちとは反体政党であり、神学的敵対関係にあったパリサイ派の人々も、さらには、ほとんどのイスラエル人を敵に回すような、大胆な主張でした。神殿は、まさにイスラエル国家の象徴だったからです。ステパノは、イエスをキリストとして証しただけではなく、驚いたことに、キリストのもたらした救いの普遍性にさえもすでに気付き、神殿の不要性を語ったのです。もちろん、神殿の不要性を最初にはっきりとお語りになったのはキリストご自身でしたが(ヨハネ4:21〜24)、弟子たちはまだだれ一人として、その意味を理解していなかったのです。ステパノこそ、まさに教会の歴史上はじめて、神学者的素質を見せた人物であったとさえ言えるのです。彼がなぜそこまで深く、福音の本質を理解できたのかは知る由もありませんが、あるいは、彼がギリシャ語を話すユダヤ人、すなわち異邦人の間で生まれ育ったユダヤ人であって、異邦人に対する差別や偏見の意識が少なかったことが、ひとつの理由として挙げられるかもしれません。

 救いの普遍性と言う奥義は、やがて使徒パウロを通して明確に啓示され、すべての弟子たちにも理解されるようになっていくのですが、パウロもまた、異邦人の中で生まれ育ったユダヤ人で、異邦人に対する偏見の少ない人間でした。この時点でステパノが、キリストの救いの普遍性に気付いていたということは、まさに驚くべきことです。さらにそれを、神殿の不要性という言い方で語ったと言うのは、大胆極まりないことであったと言わねばなりません。彼はそのとき、充分に死を予期しながら語っていたことでしょう。彼がただ単に、ペテロやヨハネが語っただけのことを語ったのならば、殺されることはなかったと思われます。すでに、非常に多くの人々がキリストを救い主と信じていたこのとき、それだけのことでステパノを殺すことは、得策ではないことを大祭司たちも知っていたはずです。しかしこの時点で、神殿の不要性を語ったならば、国民の大多数というより、キリストを信じていたクリスチャンたちをも含めて、すべて間違いなくそれに反対したことでしょう。

 従って、大祭司たちは大胆になることが出来ました。パリサイ派のサウロも、ステパノを殺すことに大賛成しました。ステパノはこのとき、ただ、キリストを救い主と信じる人々の一人であったというだけではなく、国家の敵、大反逆者となっていたのです。その罪の大きさは、大祭司を始めとして居合わせたすべての人々が、宗主国ローマの法律に反して、自分たちだけで即座に死刑の判決を下し、それを執行してしまっても良いと判断させたほどだったのです。彼らは、あとでローマの総督との間で悶着が起ることさえ、ステパノの罪に比べるとたいしたことではないと思ったのです。キリストの場合でさえも、大祭司は、少なくても形の上では、ローマの総督の判決に委ねているのですから、まさに、非常事態だったのです。そして、ステパノ自身も、神殿の不要性を語ることが、どれほど危険であったかを理解していたはずです。神学論文に想像は禁物であると思いますが、この文章は論文ではないと言うことを前提に、少しばかり想像をたくましくすると、何となく理解がますように思います。

 ですから、もしもあの時点でステパノが殺されないで、その鋭い神学的思索を継続し、大胆に語り続けていたならば、かならず、まず、クリスチャンたちの間で大問題となり、誕生したばかりの教会の分裂に発達したか、彼が異端として排斥されたか、どちらかであったでしょう。15章に記録されたエルサレム会議においてさえ、福音の普遍性と言う主題は、激しい議論を巻き起こしたのです(15:7)。ましてや神殿が不要であると言う主張に関して起るであろう内紛は、間違いなく、まだ生まれて間もない教会を死に追いやるものでした。神様はそのような進展をお望みにならず、あの時点でステパノを召し上げるのを、良しとされたのではないかと思われます。しかし、神様はその場にサウロを置き、ステパノの主張を見事に理解させ、理解させることによってまた、初代教会の最も過激な迫害者とさせることを通して、かえって、将来の大使徒を育てる機会としてお用いになったのだと言えそうです。パウロの神学は、まさにステパノの神学の延長線上にあるのです。そしてそれは、福音の普遍化を歴史で辿るという、ルカの執筆の中心主題に沿うものだったのです。

 とにかく、ステパノは「聖霊に満たされて」語っていたのです(7:55)。それが恐れと惑いを取り除き、大胆不敵に語らせた、力の源だったに違いありません。ところが、ステパノの語ったことは、今までとは異なった迫害を生み出しました。それは、すでに述べたように、神殿不要説と関わるものだったと想像できます。多くの聖書注解者は、このときの迫害で散らされたのは、主にギリシャ語を話すクリスチャンたちで、ヘブル語を話すクリスチャンたちはエルサレムに留まったと考えていますが、むしろ、ルカが記しているように、使徒以外のすべてのクリスチャンと考える方が、状況に合っているように思われます。多くのクリスチャンはステパノの説教を聴いていたわけではありませんから、ステパノの神殿不要の神学については、まったく知らなかった者がほとんどだったことでしょう。迫害する人々からそのことを聞いたとしても、理解さえ出来なかったでしょう。とにかく、はっきりしていたのは、ステパノが殺されてしまったという事実と、迫害が一段と激しくなったということでした。しかし、厳しくなった迫害を恐れ、嘆き、不満を言った者はいなかったようです。そしてこの迫害は、新たな福音の進展への導入となったのです。8章に記されたサマリヤの伝道の結果の物語において、ルカは、福音が異邦人の中に入っていくようになった段階を記しています。これは、またもや、ギリシャ語を話す弟子の一人であった、ピリポによって始められました。サマリヤ人は、生粋のユダヤ人からは軽蔑の対照であり、伝道の対象にはなりにくかったのです。この物語の中でも、聖霊に満たされた使徒たちの働きが、魔術師の力に対しても、いかに強力なものであったかが強調され、聖霊と力の関係に注意が向けられるようにされています。そして第9章にいたっても、ルカは、教会が聖霊によって励まされ、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられ、前進し続けたと記し、聖霊が力を与えておられることを示唆しています(9:31)。

 10章以降においては、ルカは聖霊と力の関係をあえてくり返さないようになりました。その代わり、くり返し強調しているのは、福音が異邦人の間に広まって行ったのは、弟子たちや使徒たちの自主的な活動によるのではなく、聖霊の導きと押し出しによるということです。その中で、まず、ペテロのコルネリオの家族に対する伝道が、聖霊の周到な準備と導きによるものであったことが示され、その後は、聖霊がいかにパウロを用いて、福音を異邦人社会に伝播させたかと言うことが語られています。そして、パウロがそのすべての働きを、実に聖霊の力によって遂行して行ったと言うことは、9章のパウロの救いと召しに当ってのアナニヤの言葉で示されています。アナニヤは言いました。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現れになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです」(9:17)。異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に、ご自分の名を運ぶ選びの器として、主はパウロをお立てになりましたが(9:15)、そのパウロも、聖霊に満たされなくては、任せられた任務をやり遂げることは出来なかったのです。使徒の働きの13章以降のパウロの働きは、15章のエルサレム会議を含めて、すべて、聖霊の力なしに行なうことは不可能だったのです。そして直接の言及は少なくなったとはいえ、パウロの働きが聖霊の力による働きであったことは明白です。たとえばキプロス島での魔術師バルイエスとの力の対決は、まさにパウロが聖霊に満たされて行なったもので(13:9)、後になってパウロ自身が、「神の国は言葉にはなく、力にあるのです」と語り(Iコリント4:20)、また、「福音があなたがたに伝えられたのは、言葉によったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです」と語った意味も、解ろうというものです(Iテサロニケ1:5)。

W B お導きになる聖霊  

 ルカは、聖霊が人々や教会を導き、行くべき方向に進ませてくださるということを、くり返し強調しています。福音書においても「御霊に満ちたイエスは・・・・・御霊に導かれて・・・」と言う言葉で示唆していますが(4:1)、使徒の働きにおいては、文章構成の非常に堅固な骨組みとして、明らかに示しています。その働きの書き出しの節で、ルカは、キリストが昇天前に「聖霊によって命じた」と、記しています。それはキリストご自身も、聖霊によってお働きを進めておられたというだけではなく、使徒の働きに記録されていた出来事のすべてが、聖霊によって采配されていたということを示唆するものです(1:2)。弟子たちは、ただ聖霊によって動かされていたに過ぎないのです。ユダの裏切りもまた聖霊による預言の通りであり、聖霊のご計画のうちにあったことが教えられていますし(1:16)、キリストが異邦人の手によって苦しめられたこともまた、聖霊によって予め預言されていたことが示され、聖霊が歴史を治めておられることが言外に語られています(4:25)。そうするとまた、ステパノの事件にもそれに続いて起った迫害にも、聖霊の采配が背後にあったことが見えてきます。

 世界宣教の先鞭をつけたのも、弟子たちではなく聖霊でした。聖霊のバプテスマを受けた弟子たち、あるいは教会は、もはやエルサレムに留まり続けるべきではなく、キリストの証人として全世界に出て行くべきだったのです。ところが、自分たちに課せられていた使命について、まだ理解することができないでいた弟子たちは、いつまでもぐずぐずとエルサレムに留まり続けていました。そこで聖霊は、ステパノの事件を用いて、彼らをいやおうなしにエルサレムから追い出し、地の果てまでの証人となるようにしてくださったのだと、理解することが可能です。

 ルカの筆が進むにつれて、この聖霊の導きという、それまでは背後に隠れていた主題が、表に現れてきます。伝道者ピリポは、主の使いに告げられてガザに向かい、聖霊に命令されてエチオピアの宦官に近づき、救いに導きました(8:29)。その物語の直前に行なわれた、混血のユダヤ人であったサマリヤへ人の伝道も、ピリポによって始められましたが、これも多分、ピリポの意思だけによるのではなく、聖霊の導きと後押しがあったと考えたほうが自然です。ピリポはその後、主の霊によってガザから連れ去られるという、不思議な体験をしていますが(8:39)、それが実際どのような体験であったとしても、主が主導権をお取りになったという事実だけは、はっきりしています。

 サウロの迫害の行為も、背後に聖霊の大きな青写真があったと言うことが、一読で読み取れます。とくに、ダマスコ途上の物語は、まさに、聖霊のみ手にからめ捕られたとでも言うべき出来事です。パウロを捕えて福音の使者とするために、聖霊が背後で整え、手回しをし、アナニヤと言う人物を遣わして救いに至らせ、さらに聖霊に満たされるように備えておられたのです。10章の、コルネリオの回心と聖霊のバプテスマを受ける物語もまた、ことごとく、聖霊の采配によるものです。聖霊が教え、導き、押し出さなければ、律法に忠実なユダヤ人だったペテロが、異邦人のコルネリオに会うために出かけることは、決してなかったことでしょう。聖霊は御使いを遣わしてコルネリオを導く一方で、ペテロには3度にわたる幻をもって教え、充分に心の準備をさせた上で語りかけ、コルネリオを訪ねるようにと導いてくださいました(10:19、11:12)。そして、ペテロがまだ語り続けている間に、聖霊はコルネリオの上にお降りになり、コルネリオが救われた事実を証明してくださったのです(10:44)。異邦人伝道とその結果に対して躊躇するペテロ、彼を導き、後押しをされる聖霊と言う大変面白い、劇画的な絵が、見て取れます。聖霊のバプテスマが先行しなければ、ペテロはコルネリオの信仰告白を聞いたとしても、ユダヤ人の信仰告白と同じようには受け入れなかったかもしれません。いろいろと条件をつけたかもしれません。しかし聖霊のバプテスマが、ペテロの躊躇をすべて払拭してしまったのです。

 コルネリオとその家族一同が、聖霊のバプテスマを受けなければ、ペテロは絶対に、異邦人である彼らの救いを認めることが出来ず、エルサレムの兄弟たちもまた彼らを受け入れることがなかったのは、間違いのないことでした。異邦人と共に食事をすることさえ忌み嫌った当時のクリスチャンたちが、異邦人の救いを認め、彼らとの交わりを許すなどと言うことは、絶対にありえないことだったからです。ここでも明瞭なのは、聖霊の先導です。聖霊が、人間たちの先入観や常識や文化あるいは意思に反して、思いも及ばないことを行なってくださったのです。そして、このような出来事が予め起っていなければ、いかにパウロが強烈な性格の持ち主であり、明確な神学を持って雄弁に説明できたとしても、エルサレムの兄弟たちを説得して、普遍的福音という新しい神学とその実践を、納得させるのは無理だったことでしょう。コルネリオの出来事は、福音の普遍性の神学の定着には、絶対に必要な出来事だったのです。ルカは、そのあたりの事情を見事に描き出しています。事実この出来事は、15章に記されているエルサレム会議において、ペテロがパウロに賛成する大きな論拠として用いられています。(15:8、参照・11:17)

 13章に入るとルカの物語は、パウロの働きを中心としたものに移っていきます。しかしそこにおいても、強調されているのは聖霊の主導です。パウロと言う人物そのものが、まったく聖霊の取り扱いによって、無理やりに救いに入れられ、異邦人への福音の使者として立てられたものですが、その具体的な宣教旅行への出発も、パウロやバルナバあるいは教会によって計画断行されたものではなく、聖霊によって采配されたものです(13:2〜4)。アンテオケ教会の名を採った宣教団体が、そこここにあることでもわかるように、アンテオケ教会は積極的にパウロとバルナバを異邦人宣教に送り出した、いわば模範的宣教教会であるかのように思われています。しかし、どうやらそうではなく、積極的に二人を送り出したのは聖霊であって、アンテオケ教会はただ、二人が出て行くのを見送っただけだと言うのが、本当のところだったと考えられます。教会が「送り出した」と言うときの言葉と(v3)、聖霊に「遣わされて」(v4)というときの言葉を原語で比較すると、それがはっきりするということです。

 使徒の働き15章は、いわゆるエルサレム会議と呼ばれる重要な会議の記録で、ルカがこの下巻で扱った神学的課題の最も大切な部分でした。そこで、パウロが中心になって語っていた福音の普遍性という教えが、教会全体の神学として受け入れられるかどうかが、まさに瀬戸際の激しい論争を経て決定されたのです(v7)。ただルカは、この会議を単なる人間の意見のぶつかり合いの場としてではなく、聖霊のお働きになる場として記録しました。それは会議に参加した弟子たち一同が、同じように考えたものです。従って彼らは、この会議の決定は単に人々の集まりである教会の決定ではなく、聖霊と教会の決定であると書き送ったのです(v28)。それによって、福音の普遍性、すなわち人が救われるのは律法の行いによるのではなく、信仰によるのであるという画期的な教え、あるいは、異邦人は異邦人のままで、すなわち割礼を受けてイスラエル人になる必要はなく、そのままで、救いを受けることができるのであるという新しい神学が、共通の神学として確立されたのです。

 16章において聖霊は、パウロの一行がアジアに入っていくことを禁じ、さらにはビテニヤの方へ行くのも止めておられます。そのためにパウロの一行はトロアスへ向かい、そこからマケドニヤへ渡りまし。この時、かなり大切なことが二つ起りました。それはどうやらここでルカがパウロの一行に加わったことと、福音がヨーロッパに及んだということです。パウロの一行がこの時点でヨーロッパに入ったと言うことが、その後のヨーロッパにおける、キリスト教の発展の基礎になったとまで理解するのには、少々無理があるように思いますが、福音宣教の地理的発展という意味では大切な出来事です。ルカの参加という点に目を止めると、自分が著者だったルカは、6節においては「彼ら」という三人称複数で語り、すぐ後の10節では、「私たち」という一人称複数で語り始めていることから、この時点でのルカの参加が明白に理解されます。ここからルカは、パウロの随行者となりました。最初は短い期間で、ピリピでの伝道に同伴しただけのようですが、パウロの第三伝道旅行の終盤、エルサレムへの帰途マケドニヤを通ったときに改めて加わり、パウロのエルサレム滞在やカイザリヤでの入牢期間の大部分は近くで過ごし、さらにはローマヘの船旅に随行し、ローマでの自宅監禁には介護者として付き添ったと考えられます。

 18章に行くと、パウロの1年半に及ぶコリント滞在が、聖霊の導きと励ましによるものであることが解ります()。ルカは「主は幻によって・・・・と言われた」と記していますが、このような啓示を与えるのは、聖霊のお働きであることは明らかです。19章には、パウロが聖霊の示しにより、エルサレムに行く決心をしたことが記されています。また、どうやら、ローマに行くと言うことも、すでにこのとき示されていたらしいのもわかります(v21)。20章に至ると、聖霊はパウロに対し、彼が遭遇しなければならない困難についても、教えておられたことが記されています(v23)。また、彼が遭遇しなければならない困難については、他の弟子たちも、聖霊によって示されていたことが明らかです(20:4、11)。

 エルサレムに着いたパウロは、聖霊に示されていたように実にさまざまな困難に遭遇し、彼の召しのときに、主がはっきりとお語りになったように、王たちの前で証をすることになりました。そのうえ彼は囚人としてローマに連れて行かれ、監禁され続けるのですが、それらすべての忌まわしい出来事も、パウロにとっては、聖霊に示された道を上り行くだけの、確信に満ちた行程に過ぎなかったことが、ルカの筆によって、実に生き生きと描かれています。こうしてルカは、パウロを通して福音がローマに及ぶまでのことを、歴史的事実として記すことによって、パウロが啓示を受けて主張していた、福音の普遍性という神学的主題を証明したのです。そして、それが人間の意図や目的によって、あるいは人間の努力や力によって達成されたのではなく、聖霊によって采配され、聖霊によって導かれ、聖霊によって遂行され、聖霊によって完遂されたことを明らかにして、パウロの神学を強力に支えることになったのです。

W C 預言をさせてくださる聖霊

 ルカにとって聖霊は、預言をさせる霊です。上巻の福音書第1章においてルカは、バプテスマのヨハネの父ザカリヤが、「聖霊に満たされて、預言した」ことを記しています。そしてザカリヤの預言によると、母の胎にあるときから聖霊に満たされていたヨハネは、「預言者と呼ばれる」ようになると言われています。母マリヤに抱かれて神殿を訪れた嬰児イエスは、「聖霊が彼の上に留まっていた」シメオンという敬虔な人に会いましたが、彼はキリストを見るまでは決して死なないと、聖霊のお告げを受けていました。彼は聖霊に感じて宮に入り、嬰児イエスを見出して抱き上げ、その将来の働きと運命を預言しました(ルカ2:25〜35)。

 ルカはさらに、悔い改めの洗礼を授けていたバプテスマのヨハネが、母の胎にいたときから聖霊に満たされていた者として、彼の後から現れるキリストについて預言をしたことを、かなり詳しく記しています。ただルカが、聖霊を預言の霊であると意識して書いたとすると、なぜ「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」という、ヨハネの有名な預言が記されていないのか、不思議に思います。この預言こそ、ルカの意図に合いそうだからです。しかしルカが記述したときには、多分その情報は、まだ手に入っていなかったと考えられます。「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」という預言は、ずっと後年になって書かれたヨハネの福音書だけに、記されているものだからです。

 ただこれらのことだけでは、聖霊が預言の働きと関わっていることを、他の福音書記者たちにくらべてルカが、ことさら強調していることに直ちに気が付くほどではありません。ところが使徒の働きに読み進むと、少しばかり様子が変わります。ルカはまず、初代の教会には預言者と呼ばれる人々がいたことを記しています(11:27、13:1、15:32)。彼らの中で、アガポと言われる人物は、聖霊によって預言していたと記されています。(11:28、21:11)。また預言者とは呼ばれていませんが、ピリポの四人の未婚の娘たちは預言をしていたとも記録されています(21:9)。つまりルカは、初代教会では預言と言う働きが、一般の教会に受け入れられる通常の働きであり、それは聖霊によって語られるものだということを示唆しているのです。また、エペソの兄弟たちが聖霊のバプテスマを受けたときには、彼らは異言を語るとともに預言もしています(19:6)。

 そしてルカは、ペンテコステの日のペテロの説教の記録を通して、この預言の働きを明らかに聖霊の注ぎに結び付けています(2:16〜18)。ルカはパウロの弟子ではありましたが、この点ではペテロの弟子でもあったようです。彼はペテロの聖書解釈、ヨエル書の引用とその理解をそのまま自分の神学として、使徒の働きに記したと思われます。ルカが使徒の働きの記述を通して主張したのは、聖霊によって預言する働きが、息子や娘、青年や老人、しもべやはした女、すなわち年齢、性別、社会的地位など、いっさいの差別を越えて、すべての人に開かれた働きとなったということです。旧約時代には、極めて限られた人々にだけ特別に起りえたこと、特権的働きであったことが、あらゆる階級の人に与えられるようになったのです。

 これは昔、ヨエルが預言したことでした(ヨエル2:28〜29)。それが、ペンテコステの日に実現したのです。この日を境に、聖霊はすべての人に分け隔てなく注がれるものとなりました。キリストの贖いの働きがもたらした、すばらしい結果のひとつです。聖霊がすべての人に注がれると言うことは、祭司の働きを不要とするもので、万人祭司説の基本です。しかしルカはここで、むしろ万人預言者説を謳っているようです。すべての信徒は聖霊を注がれ、預言者としての働きをするのです(v17〜18)。その、すべての信徒が預言者とされたと言う事実を、ルカは使徒の働きの記述で明かしていきます。ただし、ルカが理解した預言と言う言葉の意味は、必ずしも、聖霊の直接の啓示によって語ると言う意味だけでは、なかったように考えられます。

 もしも、預言をするということが、一般に考えられているように、常に聖霊の直接の啓示によって語ることであるとするなら、使徒の働きの記述の中にも新約聖書全体の中にも、そのような例が少なすぎることが問題になります。旧約の預言者が活動した時代に比べても、決して多いとはいえません。そのように例が少なすぎるのですから、ペテロが行なったヨエルの預言の引用は、意義がないというか、誤りだということになってしまいます。またそのような預言の働きが、実際に、無制限にすべての信徒に与えられるべき、意義と意味も不明です。聖霊の直接啓示の預言が、誰にでも与えられるものなら、神の言葉としての聖書の必要性さえも失われてしまいます。

 しかし、この預言と言う言葉をもう少し広く、神の言葉を預かって語ることであると理解すると、ペテロのヨエル書解釈は正しく、大きな意味があるとわかります。確かに旧約聖書の例を見ても、聖霊の直接の啓示によって語るのは、預言者にとって最も預言者的な大切な働きであったと言えますが、預言者の働きは、霊感を必要とする「先見者」としての働きだけではなく、神の御心を理解しそれを説き教える指導者、また教師としての働きも大切なものでした。バプテスマのヨハネも預言者と呼ばれ、聖霊の啓示によって直接語ったこともありました。しかし彼は、いつも直接の啓示によって語っていたとは考えられません。むしろ、その語る言葉が神の御心そのものであったという意味で、預言者と呼ばれていたのでしょう。その言葉は、律法の学び、深い祈りと思索、あるいは瞑想の結果出てきたものに違いありません。キリストもまた、預言者と呼ばれ、ご自分もそのような自覚を持っておられました。ところが、キリストの場合もヨハネと同じです。聖霊の直接の啓示によって語るというよりは、むしろ、自分の内に蓄えてきた神の御心についての知識が、その場に最適な言葉を語らせていたと考えられます。

 従ってペテロが引用しルカが記録した、ヨエルの預言でいう「息子や娘は預言をし」という預言は、聖霊の直接の啓示による預言だけではなく、それを含む広い意味での神の御心を語ること、すなわち、説教などの宣教の業に極めて近い働きであると理解できます。神の御心を単なる知識とか一般的な教えとして、たとえば教室で話すように、あるいは研究者たちが語り合うように語るのではなく、聖霊の感動を受けて、その時その場でその人の必要に答える示しと導きとして、神の御心を語ることであると考えられます。そのように理解して初めて、預言がすべてのクリスチャンに与えられた能力であり、あらゆる信徒が受ける資格がある賜物であることが、正当に理解され正しく用いられるのです。少なくても、ペテロが引用したヨエルの預言、そしてルカが記録したペテロの理解では、「預言」と言う言葉の意味はそのようなものであったと考えるべきです。

 そのように理解したとき、使徒の働きの記録の中には、まさに、預言をする者たちがたくさん登場して来ます。福音は、ペテロや12人の弟子たちだけによって、語られたのではありません。異邦人宣教もパウロの業績だけに負うものではありません。名もないクリスチャンたちが、いたるところで福音を語り、主を証しました。迫害でエルサレムから散らされたクリスチャンたちは、「み言葉を宣べながら、巡り歩いた」と記されています(8:4)。ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地に教会が築き上げられたのも、彼らの働きによるものだったことでしょう(9:31)。彼らの中のほとんどの者は、ユダヤ人以外には福音を語りませんでしたが、中には、キプロス生まれのユダヤ人やクレネ生まれのユダヤ人もいて、アンテオケにまで下って行って、ギリシャ人にも福音を語りました(11:19〜20)。その結果、初めての異邦人教会といわれる、アンテオケ教会が設立されたのです。これこそ、ペテロの説教からルカが理解した預言であり、聖霊のバプテスマが宣教の力の賦与となるという、キリストによって語られ、ルカの力説したところと調和するものです。

W D 祈り求めるものとしての聖霊

 ルカの聖霊の理解で非常に特異なもの、ルカだけが記しているものは、聖霊が求めて祈る結果として与えられることです(11:1〜13)。聖霊が求めて与えられるものだと言う教えは、キリストの口から出た教えではありますが、ただルカだけが記録し主張している教えです。全聖書の中で、他には誰も語ってはいないものです。そしてルカは、聖霊が与えられるように祈り求めなさいというキリストの教えを記録しただけでなく、実際に、ペテロとヨハネが聖霊を受けるようにと祈ったこと、さらに、パウロが聖霊を求めることを教え祈ったことまで、書き記しているのです(使徒8:14〜17、19:1〜7)。

 つまりこの教えは、ルカだけが記録したものではあっても、けっして、突然、何のつながりもなく孤立した主題として出現したのではなく、ルカの著述全体に流れるテーマの、ひとつの重要な山場として語られているのです。ペテロもヨハネもパウロも実行していた教えであるということは、当時の教会、クリスチャンたちの間では、この件に関しては共通理解あり、受け入れられていたということです。ただしこれは、現在一般的に受け入れられている福音派の神学とは異なっています。福音派の神学では、聖霊は新生のときに与えられるものであり、本人の自覚があろうとなかろうと、聖霊は回心の瞬間その人に降り、内に住んでくださることになっているのです。もちろん聖霊は回心以前にも罪人に働きかけ、救い主イエスを信じることが出来るように促してくださいますが、信じた瞬間、その人の内に住んでくださると理解されています。そして、この出来事はまったく自動的に起ると言うか、人間の要求や願いや事情に関わりなく、聖霊の絶対の権威の中で自由に行なわれることであって、人間の祈り求める行為が関わる必要性も可能性もありません。伝統的な福音派の神学では、この聖霊の内住こそ、聖霊のバプテスマであるとなっているのです。

 これはパウロの聖霊の神学を優先して、ルカの記述を無理にでもパウロの神学に合わせようとした結果起った誤りです。ルカの記述によると、聖霊は人間の意志に関わりなく、神の圧倒的な権威によって与えられるものであると同時に、人間の求めに応じても与えられるものとされているのです。ルカの聖霊の神学を見る限り、いわゆる内住の聖霊と言う教えは見えてきません。パウロは、教会の中で一致を与え共に成長させてくださる聖霊、あるいは、ひとりひとりのクリスチャンの中で働き、潔めを与え、賜物を与え、実を結ばせて下さる聖霊の働きに焦点を当てて語っています。それに対しルカは、教会を用い動かし、すべてのクリスチャンを動員して力を与え、宣教の働きに当らせて下さる聖霊の働きに注目して書いています。その結果ルカは、聖霊の内住と言う一面には筆を巡らさず、求めて与えられる聖霊という側面に、光を当てているのです。

 ペンテコステの聖霊の降臨については、弟子たちがそれを求めて祈っていたと言う記述がありません。ただそれは、言わなくても充分に解ることでした。キリストから、聖霊が与えられるように祈りなさいと教えられ、もうすぐ約束の聖霊が与えられますと、再び約束されていたのですから、当然弟子たちは、集まって祈っていたとき、聖霊を求めて祈っていたのです。ただし弟子たちは、聖霊が与えられると言う体験がどのようなものであるかは、まったく知りませんでした。与えられてみて初めてこれだと知ったわけです。

 パウロの聖霊論を先行させた福音派の神学では、このペンテコステの日に、聖霊の内住が始まったと理解します。聖霊がひとりひとりの上にとどまり、彼らは聖霊を受け、聖霊の内住が起こったのだと考えるのです。多分それは、間違ってはいないでしょう。とはいえそれは、ひとりひとりの弟子たちに聖霊の内住が始まったと理解されると共に、共同体としての教会に、聖霊が住み始めてくださったのだと理解されるべきものです。ここで、パウロの神学を持ってルカの神学を理解しようとせず、あくまでも、まずルカ独自の神学を理解しようとすると、どうなるでしょう。すると、ペンテコステの日に起った出来事は聖霊の内住ではなく、あくまでも聖霊のバプテスマであったことになります。そしてそれは、新しい聖霊の時代の幕開けです。それはその日のペテロの説教で、はっきりと語られています(2:33)。神の救済の歴史の新しい一ページが始まったのです。この時から老若男女を始め、すべての身分の格差を越えて、すべてのものが預言をするという時代に入ったということです。

 それはまた、キリストの弟子の集団が、単なる同信の集団から、同じ聖霊によって力付けられ、突き動かされ、導かれて、福音を語り伝えて歩む、一段と高い意識の集団に変わったと言うことです。もしも、パウロの神学を少しばかり加えるならば、同じ聖霊によって生かされた有機体、キリストのみ体である教会となって、歩みだしたと言うことです。使徒の働きを書いたとき、ルカは、福音の伝播ということに焦点を当てていたために、聖霊の内住という神学には興味を示さず、聖霊の力、導きなどに強い関心を示しました。その結果彼は、人々が救いに入った瞬間の経緯よりも、むしろ、聖霊のバプテスマを受けたいきさつに注目しています。そしてあるときは、聖霊のバプテスマを受けたことが、救いの証拠であるとさえ記しているのです(10:47、12:17〜18)。

 ただしルカは、聖霊のバプテスマと救いを混同してはいません。ルカにとって聖霊のバプテスマは、人々がキリストを信じた後に起ることでした。時間の上ではほとんど同時に起ったことがあったとしても(10:44)、理論的には救いの後に起ることでした。それはサマリヤでの出来事(8:4〜17)、あるいはエペソの出来事で明白です(19:1〜7)。サマリヤの人々は、ペテロとヨハネの祈りを通して聖霊のバプテスマを受ける前に、すでにピリポの宣教によってキリストを信じ、彼の手によって洗礼さえ受けていました。その知らせがエルサレムに届いて、それではということで、ペテロとヨハネが改めてサマリヤへでかけたのですから、救いと聖霊のバプテスマの間には少なく見積もっても数日の経過、ルカの記述の仕方から推測すると、もっと長い時間の経過があったと判断されます。サマリヤでの多くの人々の救いが、1日や2日の伝道で起ったことではなく、かなりの日数を費やしたと見るのが当然だからです。

 またピリポは、人々が主イエスを救い主と信じたことを確認して、洗礼を授けていたはずです。もしも、ガザにおけるエチオピアの宦官とピリポの会話が、異本に残されているように37節を含んだものであったなら、この点はいよいよ明らかになるのですが、ともかく、ピリポは注意深く信仰の確認をして洗礼を施していたと考えるべきです。(口語訳は異本の分を括弧に入れて掲載し、新改訳は脚注で次のように入れています。「そこでピリポは言った。『もしあなたが心底から信じるならば、よいのです。』すると彼は答えて言った。『私は、イエス・キリストが神の子であると信じます。』」) 聖書では、洗礼を信仰の確認として記しているからです。ペテロはコルネリオとその家族に洗礼を施しましたが、それは彼らが聖霊のバプテスマを受けたことから、彼らは主イエスを信じ、神に受け入れられたのだとペテロが判断したためです。

 ルカは、多くの人々が考えるのとは違って、聖霊のバプテスマを救いの体験と一緒にはしていません。また洗礼と聖霊のバプテスマを関連付けてもいません。ペンテコステの日のバプテスマは、すでにキリストを信じていた人々の一団に与えられました。救いとも洗礼とも関係がありません。サマリヤでの聖霊のバプテスマも、すでに救われ、洗礼を受けていた人々に与えられました。このとき興味深いのは、魔術師シモンはピリポに付きまとい、洗礼も受けていたということです。彼は聖霊のバプテスマも受けたのでしょうか。受けていなかったのでしょうか。どちらの解釈も可能ですが、もしも、聖霊のバプテスマを受けていなかったとすると、彼の洗礼は、間違った判断で授けられた可能性もあります。洗礼はあくまでも、人の判断であり、間違いの可能性があるからです。

 コルネリオと彼の家族の場合は、聖霊のバプテスマが最初の出来事です。しかしその前に、彼らの真摯な信仰態度が充分に表現されています。それをもって彼らが救われていたとはいえませんが、ペテロの話を聞いているうちにその内容を良く理解して、心のうちで明白に、キリストを救い主として信じていたのだと理解できます。その結果が聖霊のバプテスマでした。だからこそ、訪問することさえあれほど躊躇していたペテロなのに、異邦人コルネリオとその家族に、大胆に洗礼を授けることが出来たのです。そういうわけで、ここでも聖霊のバプテスマは救いの体験と同じには扱われておらず、むしろ、救いを明確に証明するものとして扱われているのです。そして洗礼は、その救いを確認して授けられているのです。

 エペソの弟子たちの場合は、いささか様子が違っています。パウロが彼らに会ったとき、彼らはすでに弟子でした。福音書記者が単に「弟子」と言うとき、それは必ずキリストの弟子のことでした。ヨハネの弟子の場合は、きちっと「ヨハネの弟子」(マタイ14:12、マルコ6:29)もしくは「彼の弟子」(マタイ11:2、新改訳はその弟子と訳している)と記して、混乱がないように配慮しています。当然、ルカもそれに倣っているはずですし、エペソの弟子たちについての記述を素直に読むだけでも、それはヨハネの弟子ではありえなく、キリストの弟子であったことが明らかです。したがって彼らは、パウロに出会う前から、不充分な知識ではありましたが、イエスをキリストとして信じる、キリストの弟子だったのです。つまり、彼らはすでに救われていたのです。パウロにあって救いを受け、それと同時に聖霊のバプテスマを受けたのではありません。パウロが手を置いたのは聖霊のバプテスマを受けるためであって、救いを受けるためではありません。

 ここでさらに注意すべき点があります。まず、パウロがこの弟子たちを見て、すなわち救われた人々を見て、彼らに不充分なところを感じたということです。それで、パウロは「信じたとき聖霊を受けましたか」と聞いたのです。当然この「信じたとき」と言うのは、「イエスをキリストとして信じたとき」という意味であり、「救いを受けたとき」と言うことです。ですからパウロは、「救われたとき聖霊を受けましたか」と尋ねたのです。それに対して、弟子たちは「聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えました。彼らは救われており、当然聖霊の内住を受けていたのですが、その事実も知らなかったことが伺われます。

 パウロは明らかに、救いを受けただけの弟子たち、すなわち、聖霊が内住しておられるだけの弟子たちに不足を感じたのです。そしてその不足が、聖霊のバプテスマを受けていないことに関わると判断したのです。ところが、彼らの受け答えがあまりにも幼稚であったために、パウロはさらに何か大切なものが欠けていると見破って、「どんなバプテスマを受けたのですか」と尋ねました。それで、彼らの受けたバプテスマが、ヨハネのバプテスマであることを聞き出したわけです。エペソの弟子たちの、キリストについての知識は不充分でした。しかし救われていたのです。そこでパウロは必要な説明を与えた上で、主イエスのみ名による洗礼を施し、彼らに手を置きました。すると聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりしたのです。この例においては、洗礼を受けるということと聖霊のバプテスマを受けるということが、時間的にとても近く、両者には深いかかわりがあるかのように解釈されがちですが、他の例から考えてもそれはあり得ません。

 面白いことに、ここでパウロは、「聖霊のバプテスマを受ける」という表現を短くして、単に「聖霊を受ける」という表現に変えています。ルカはそのような変えた言い方をそのまま記録し、それをまた、霊感をもって書かせておられた聖霊も、お認めになったということです。つまり、聖霊のバプテスマを受けるということが、聖霊を受けるという言葉で表現されていたと言うことです。それはまた、キリストが聖霊を受けるであろうとおっしゃったときも、聖霊を求めなさいとおっしゃったときも、この聖霊のバプテスマのことであったと、理解してよいと言うことです。つまり、ルカが記録した聖霊を受けるという出来事は、キリストを信じたときに受ける聖霊、聖霊の内住のことではなく、聖霊のバプテスマであったと言うことです。

 ルカはまた、ペンテコステの日のペテロの説教を記録しています。ペテロは言いました。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち並びにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」(2:38〜39)。ルカは、ペテロの説教を通して、聖霊が救いの後に与えられるものであることを、明らかにしているのです。時間的には救いのときと大差ないとしても、理論的には間違いなくい救いの後です。

 そしてここでペテロが語った聖霊は、その日ペテロたちが体験した聖霊であり、間違いなく聖霊のバプテスマのことです。聖霊の内住と言う理解自体が、パウロの明確な教えによって確立されるまでにはまだ間があり、誰もそのようなことは知らなかったときの言葉だからです。このとき、語る者も聞く者も共に理解したのは、いま体験し、いま見たばかりの聖霊のバプテスマだからです。ここにおいて、聖霊のバプテスマは、ペンテコステの日の後、福音を聞いて主イエスを信じるすべての人に、神からの賜物として与えられると約束されているのです。しかもその約束は、筆者が書いたような平坦な言い方ではなく、非常に強調された言い方がされているのです。「この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」この約束は疑いもなく、現代21世紀の日本のクリスチャンにも及ぶものです。このように、ルカが語り示した聖霊は、宣教のために力を与えて下さる方であり、宣教を導いて下さる方であり、宣教のために預言をさせてくださる方であり、積極的に祈り求められるべき方です。なぜならそれは、すべてのクリスチャンに賜物として、約束されているからです。これらのことは、パウロの聖霊論では非常に断片的に触れられているだけです。特に、祈り求めて与えられるということ、時代と地理的条件を越え、すべてのクリスチャンに与えられた約束であるということについては、パウロはまったく触れていません。ただしパウロは、宣教の実践の場で、エペソ人のために聖霊を祈り求めました。それをルカはきちっと記録しています(19:1〜6)。

X パウロの聖霊の神学

 パウロの聖霊の神学は非常に多岐にわたり、ここで取り扱う、ペンテコステ神学の範疇を越えるものです。したがって、ルカのペンテコステ神学に関わる聖霊論との関係の上で、パウロの聖霊論を取り上げて見ましょう。

X A 内住の聖霊

 パウロの、いわゆる聖霊の内住と言う教えが、ペンテコステ神学と関わるのは、福音派の人々が、聖霊のバプテスマとは聖霊の内住のことだと主張するためです。ふつうペンテコステ派の人々は、パウロのいう内住の神学に少しの問題も感じていません。ただし、すでに述べてきたように、ペンテコステ派の聖書の理解では、聖霊のバプテスマと内住はまったく異なる体験です。内住は、救いの体験と同時に起ることであり、聖霊のバプテスマは、救いの後に続く体験、時間的にはともかく、理論上救いの後に続く体験なのです。そこで改めて、パウロの教える内住について調べてみましょう。

 パウロが、内住の聖霊について最も明らかに記しているのは、ローマ8:9〜27においてです。ここでパウロは、「キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません」と言って、すべてのクリスチャンは聖霊を持っていると教えています(v9)。そしてこの聖霊を持っているために、たとえ私たちの「体が罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きている」と言って(v10)、聖霊が私たちの霊を生かす方であり、さらには、私たちの「死ぬべき体も生かしてくださる」と、励ましています(v11)。そしてこの「聖霊によって導かれて生きる人は、誰でも神の子どもある」と語り、私たちは「子としてくださる聖霊を受け」、この聖霊によって私たちは神に対して「アバ、父」と呼ぶことが出来ると教え(v14〜15)、この聖霊が、「わたしたちが神の子どもであることを証してくださる」と語っています(v16)。さらにパウロは続く言葉で、この聖霊は、「言いようのない深いうめきによって、私たちの祈りをとりなしてくださる」ことも教えています(26〜27)。ここでいま重要なのは、「キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません」という言葉と、「神の御霊に導かれる人は、誰でも神の子どもです」という言葉です。これらの言葉は、すべてのクリスチャンが聖霊の内住を得ていると言うことを、はっきりと示しています。すると理論的に、聖霊の内住が始まったのは、その人がイエスをキリストと信じ受け入れた瞬間、救われると同時であったと言うことになります。

 Iコリント6:19においては、パウロは「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮である」と教えています。ところが、このことばの前後関係ではっきりと語られているのは、私たちの体はキリストのみ体、すなわち教会の一部だということであり、そのキリストのみ体が聖霊の宮であるために、み体の一部である私たちの体もまた、聖霊の宮であるということです(v15)。そのキリストのみ体の一部として、私たちひとりひとりの体を清く保ちなさいと言うことです。パウロの理論によると、わたしたちひとりひとりが聖霊の宮であるということは、私たちがキリストのみ体の一部であると言う前提があって、成り立つのです。私たちがキリストのみ体の一部でなければ、聖霊の宮ではありえないわけです。それは、キリストのみ体の一部でないクリスチャンもまた、存在し得ないということです。さらに、ここでもパウロは「あなたがた」と言って、すべてのクリスチャンを前提に語っていることにも、注意が必要です。それによって、私たちの体が聖霊の宮となったのは、救われたときだということになるからです。

 これとよく似た表現が、同じIコリント3:16〜17にあります。そこでパウロは、私たちが神殿であり、神の御霊が私たちに宿っていると語っています(v16)。しかし強調点は違うところにあります。ここで言われている神殿は、ひとりひとりのクリスチャンのことではなく、あくまでも建物という喩えで語られている、共同体としての教会です。6章のほうでは、キリストのみ体である宮の一部としての、個人の体に焦点があったのですが、3章ではあくまでも共同体として語られているので、厳密な意味では、ふつう、聖霊の内住と言われることとは異なっています。

 また、ローマ8:9〜27とIコリント3:16〜17においては、私たちと言う「人間」が聖霊の住むところといわれているのに対し、Iコリント6:19では私たちの「からだ」が聖霊の住むところとされています。ただこれは、コリント6章でパウロが実際に取り扱っていたのが、不品行という問題で、肉体に関わる事柄であった上に、キリストの体の一部という発想に関連付けられているために、体と言う表現が用いられたのであり、基本的には「人間」そのものと差はないと考えるべきです。ヘブルの思想では、体という言葉で全人格を表現することがあるという点も、考慮されるべきです(参照・ローマ12:1)。

 教会がキリストのみ体であるという言い方は、パウロの教会論のもっとも中心的な神学であり、そのモチーフは幾度かくり返されていますが、そのみ体が聖霊の住まわれるところであるという言い方は、エペソ2:18と23に出てきます。しかも23においては、「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです」という、キリストの霊の内住を非常に強調した言い方で語られています。このようなパウロの言い方は、彼のもうひとつの神学的表現に関連していると思われます。それはIコリント12:13に語られています。ただしこのIコリント12:13は、どういうわけか、すべての近代日本語公用聖書が誤訳をしています。みなそろって誤訳と言うことは考えられませんので、ここには、翻訳者たちの神学的先入観が、あえて誤訳をさせていると理解すべきだと思います。ちなみに、英語ではほとんどの訳が正しく翻訳しています。ところが、実はこの節は、英語圏でもペンテコステ神学への反論として、しばしば用いられているものです。その英語圏での反ペンテコステ論評が、日本語訳に影響を与えたのかも知れません。

 そこでまず、日本語聖書の問題から片付けましょう。最近の3つの日本語公用聖書(口語訳、新改訳、新共同訳)を見ると、いま私が問題にしている点に関しては、表現の相違こそあれどれも似た訳し方をしています。口語訳は「一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け」、新改訳は「一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け」、共同訳は「皆一つの体となるために洗礼を受け」と、なっています。なかでも一番新しい新共同訳は、なぜか、「ひとつの御霊によって」という言葉をまったく省いて、とんでもない訳し方をしています。

 しかし原典のギリシャ語では、「一つの体になるように、一つの御霊によってバプテスマを受け」ではなく、「一つの御霊によって、一つのからだにバプタイズされ」となっていて、まったく異なった意味です。バプタイズという言葉が普通「洗礼」と訳されているために、これは少々訳しにくいのですが、あえて「洗礼」を使わずに、もともとの意味を訳すと「一つの御霊によって、一つのからだにどっぷりと浸けられ」となります。「一つの御霊によって、一つのからだに浸けられ」でもかまわないでしょう。ここでパウロが語っていることは、洗礼と言う儀式ではなく、バプタイズされること、すなわち、どっぷりと浸けられるという出来事です。つまり、一つのからだになるために、洗礼と言う儀式を受けたということではなく、一つの体の中に、どっぷりと浸けられたという、霊的事実を語っているのです。私たちは教会というキリストのみ体になるように、洗礼と言う儀式を受けたのではないのです。むしろ、すでに存在している一つの体、キリストのみ体である教会に浸けられたのです。単に、加えられたとか、加入させられたとか、つながれたとか、結ばれたと言うような言葉では表現できないほど、強く結合されたことを表現するために、液体の中に浸けられるという表現が用いられているのです。

 そういうわけで、ここでパウロが言いたかったことは、教会という組織された団体に、洗礼と言う儀式を通して加入を許されるというような、外形的なこと、形式の問題ではなく、「いっさいのものをいっさいのものによって満たすかたの満ちておられる」教会に(エペソ2:23)、どっぷりと浸けられるという霊的出来事なのです。キリストの聖霊が満ち溢れている教会に、聖霊によってどっぷりと浸けられ、そのキリストの霊に囲まれ、浸透され、キリストの霊を「飲むものとされた」(v13)という神秘的な出来事なのです。水の中に放り込まれたなら、全身が水に囲まれ、包まれ、口をあけると口の中にもあふれ、飲み込んでしまいます。パウロはそのような情景を心に思い描きながら、キリストの霊との有機的な結合を語ったのです。すべてのクリスチャンは教会にバプタイズされることによって、キリストの霊を飲むものとされ、キリストの霊によって生かされるものとされるのです。

 日本語の聖書の翻訳では、このパウロが語った意味がまったく消えうせ、単なる制度上の儀式になってしまいます。それが福音派の考え方でした。ペンテコステの神学では、教会と言うものを制度的に理解するより先に、聖霊が内に生きておられる、ダイナミックな有機体として理解するのです。すべてのクリスチャンは、キリストを信じたその瞬間に、人間の思惑、判断、あるいは理解とか協議と言うようなものをすべて超えた、聖霊ご自身の権威と意思による判断によって、キリストのみ体である教会にバプタイズされ、満ち溢れていたキリストの御霊を飲むものとされ、キリストの命を受けることになるのです。

 したがって聖霊の内住は、キリストを信じた個々人の内に、聖霊が住んでくださることによって起るのではなく、キリストを信じた者が、聖霊の満ち溢れているキリストのみ体に、バプタイズされることによって、起ることなのです。ですから、パウロはIコリント6:15〜20の言い回しによって、私たちが聖霊の宮であるということは、キリストのみ体の一部として、聖霊の宮なのだと言っているのです。私たちひとりひとりが、まずそれぞれ聖霊の内住を受け、聖霊の宮となった上で共に集まって、キリストのみ体である教会を形成するのではないのです。聖霊の満ち溢れておられるキリストのみ体である教会に、聖霊によってどっぷりと浸けられることによって、聖霊の内住を受けるのです。

 ちょっとたとえは不充分ですが、私の好きな自然の生物の生態から説明してみましょう。磯辺に行くと、小さな巻貝が数十個、あるいは数百個一箇所に集まって、ある種のコロニーを形成しているのに出くわします。この貝がまた美味しいので、ごそっと採って持ち帰り、茹でて楊枝で掘り出して食べるのですが、一度食べ始めると、止められないのが唯一の欠点です。この貝は、一匹だけでも充分に生きていけますし、実際ばらばらにいるやつもたくさん採れますが、どういうわけか、コロニーのようになることが多いのです。

 ところで、いま筆者の家の庭にある枇杷の木は花盛りで、寒空にもかかわらずミツバチが飛んできています。このミツバチは完全なコロニーの生活を営んでいます。一匹のミツバチはこのコロニーを離れては生きていけないのです。無理に籠にでも入れて、餌になる蜜を与えておくと結構長生きするのですが、自然の生態としては、コロニーを離れては生存できないのです。それほど、彼らは命を共有して生きているのです。コロニーにつながっていて、初めて生きていけるわけです。これは私たちクリスチャンに似ています。はじめの貝は、それぞれが固有で独自の命を持っていて、互いに命を共有することはありません。ただ便宜上群れを作っているわけです。しかしミツバチは、命を共有する生態系を持っているのです。クリスチャンはキリストのみ体という、キリストの命が満ちているところに、バプタイズされると言う強い言葉で表現されたような意味で、つながることによってキリストの命を共有するのです。そのキリストの命から離れてしまうと、命は枯れてしまうのです。

 ペンテコステの日に集まっていた弟子たちの一団は、集団として、ある種の共同体らしきものを形成していましたが、まだ聖霊を受けてはいませんでした。それはまだ、キリストの霊の住家とはなっていなかったということです。神の宮とはなっていなかったのです。しかし、聖霊が彼らを訪れてくださり、とどまり、住んでくださることによって、弟子たちの一団は聖霊を宿す神の宮、あるいはキリストのみ体となったのです。そのときから、キリストを信じる者はすべて、このキリストのみ体である教会に、聖霊によってバプタイズされて、聖霊を飲むものとされたのです。そのときから、個々のクリスチャンのうちに、聖霊の内住が始まるのです。

 さて、英語の聖書の翻訳の問題は、日本語では「一つの御霊によって」と訳されている、「によって」の部分です。これを「in」と訳すか「by」と訳すかの論争です。福音派の多くの方たちは、たとえここが「by」と訳されていても、それは本来、「in」と理解されるべきなのだと主張します。それに対しペンテコステの人々は「by」と訳し、「by」と理解する方が、文法的にも、聖書事例からも正しいと主張します。少々ややこしく、説明に時間をとりますので省略しますが、「in」と訳すと、聖霊のバプテスマとは新生のときの、聖霊の内住のことを指すのであるという主張に、ひとつの論拠を得ることになるからです。

 つまり、そのように理解すると、Iコリント12:13で語られているのは聖霊のバプテスマのことであると考えられ、聖霊のバプテスマを受けることが、キリストのみ体につながることであり、その出来事は新生の時におこるのであるから、理論的に、聖霊のバプテスマとは聖霊の内住のことであるという、福音派の主張を正当化するのです。ですから、「in」と理解することにより、聖霊のバプテスマは新生の体験とは異なり、時間的にはともかく、理論的に新生の体験の後に続くものであるという、ペンテコステ派の理論を覆すことが出来ると、考えられているのです。そういうわけで、ギリシャ語原典では、「εν」という小さな前置詞一つの問題に過ぎないのですが、ずいぶん論争されてきたものです。ただし最近では、反論のために無理に聖書を読み変えるやり方が、クリスチャン学徒の良心的に反することもあって、福音派の人々の多くも、「by」が正しいと考えるようになっています。

 そして正しく「by」と理解すると、Iコリント12:13が語っていることは聖霊のバプテスマではないと明瞭に理解でき、むしろ、聖霊が行動を受けるのではなく行動をする側であり、バプタイズしてくださる方であるとはっきりとわかります。この点を日本語の聖書は、「よって」と正しく翻訳しています。ただ、先にも触れたように、共同訳は「一つの御霊によって」を完全に取り除いてしまっています。あるいはこの英語の問題を持ち込むのを避けたのでしょうか。そうだとすると、意図的に聖書を変える大変悪い訳です。とにかくパウロはここで、「聖霊が」「私たちを」「キリストのみ体に」「バプタイズされた」と語っているのです。「キリストが」「私たちに」「与えてくださる」「聖霊のバプテスマ」(マタイ3:11、マルコ1:8、ルカ3:16、ヨハネ1:33)とはまったく違うものです。

X B 聖霊の賜物

 聖霊の賜物と言うものに注意が向けられるようになったのは、ペンテコステ信仰が興ってからのことです。

 それまでも癒しなどの業は、主にホーリネス系の人々の中で強調され、そこここで見られましたが、聖霊の賜物と言う理解で取り扱われることはありませんでした。したがって、聖霊の賜物と言う主題自体は、ほとんどパウロ的なものであり、ルカの取り扱った事柄ではありませんが、ペンテコステの人々によって初めて持ち出され、強調されたということで、またそれが最近の新しいペンテコステ系の人々によっても、いろいろな形で強調されていると言うことで、ここでも取り扱いたいと思います。ただし、ここでいう聖霊の賜物とは、ルカがペテロの説教の一部として記録している「賜物として与えられる聖霊」とは異なり(使徒2:38)、聖霊が教会に賦与してくださる、さまざまな能力と言う意味です。

 聖霊の賜物については、ローマ12:4〜8、Iコリント12:31、14:1〜40、エペソ4:1〜16、Iペテロ4:10〜11などで、かなり詳しく取り扱われています。これらの箇所で言われていることは基本的に同じで、@聖霊は教会に賜物をお与えになった。A 賜物は個々の信徒に分け与えられた。B賜物はそれぞれユニークであって異なっている。Cそれぞれの賜物は教会全体の益のために用いられるべきであって、個人の益のために乱用されるべきではない。Dそれぞれの信徒は、自分に任せられている賜物をもって、互いに積極的に仕え合うべきであるなどと言うことです。

 ではその賜物とは何かと言うことになると、いろいろな意見が出てきます。ペンテコステ系の人々は、昔から超自然的な業を強調するところから、中には、賜物とは聖霊によって与えられる、超自然的な能力であると主張し、生まれながらの能力や、訓練などで習得した後天的な能力とは異なると、教えてきた人々がいます。しかし、ローマ12:7〜8に記されている奉仕的な賜物、慈善的な賜物をみると、これらを超自然的と断定することは出来ないことがわかります。

 さらに、Iコリント12:〜31や、エペソ4:11〜13などを見ると、教会の奉仕者、指導者、そして役割として彼らに任せられていた働きも、賜物と理解されていたことがわかります。それらのことから、賜物を非常に広く理解し、生まれや育ち、性格や能力など、すべてを含めた人間が賜物だと考える人たちもいます。

 このように、何が賜物かと言うことに関しては、かなり意見が異なりますが、聖書の取り扱いから判断して、多分、生まれや育ち性格や能力までも含めた考え方が、最も妥当かと思われます。また、人間自体も賜物として教会に与えられていると言う考え方も可能です。そしてそれらの賜物を、たとえば超自然的な賜物と自然の賜物、あるいは語ることに関する賜物と力ある業にかかわる働き、指導的な賜物と慈善的な賜物などに、分類することも可能でしょう。ただしパウロは、賜物の分類や分析に興味を示してはいません。ですから、私たちもそのようなことに力を費やすべきではありません。

 実際のところ、パウロの賜物についての記述を読むと、「賜物を用いる人」と「賜物」の間にさえ、明確な区別をつけていないことに気付きます。パウロの教えから、能力としての賜物とそれを用いる人との間に、明瞭な線を引くのは困難なのです。パウロにはそれを区別しようとか区分けしようとかいう、考えがなかったと言えそうです。パウロの関心は、それらのすべての賜物を、教会全体の益のために積極的に用いるという、教会論的なところにあったのです。パウロにとって大切だったのは、興味本位の賜物の分類や分析ではなく、一つの聖霊と一つの教会、異なった人々の異なった能力と働き、そしてその中での調和と一致、一言でいうと、多様性の一致という教会の具体的なあり方だったのです。

 さて、ペンテコステ神学の中で賜物がいま問題になるのは、これらの賜物の中で超自然のものは、はたして聖霊のバプテスマを受けたことの、証拠となり得るかと言うことです。伝統的なペンテコステ派の人々の中には、これらの超自然的賜物を強調し、大々的に用いて、働きを進めてきた人々がたくさんいました。そのような働きの様態は、いくつかの例外を除いては、ペンテコステの伝道者に特有のものであったと言えます。そのためかどうか、超自然の業をもって働いていたペンテコステの人々の多くが、その超自然の賜物は、すべて、聖霊のバプテスマを受けた者にのみ与えられる特権だと考え、そのように主張してきたのです。

 ところが、カリスマ運動や第三の波運動に属する、いわゆるネオペンテコステの人々の出現によって、様相が変わってきたのです。ネオペンテコステ系の人々も、伝統的なペンテコステ派の人々と同じように、聖霊のバプテスマを強調します。しかし彼らは、ペンテコステ派の人々ほど異言を大切にしません。ペンテコステ派の人々は、聖霊のバプテスマには必ず異言が伴うと理解し、異言こそ聖霊のバプテスマの証拠であると考えてきました。異言そのものには、あまり重要な意義を認めていなかったペンテコステ派の人々もいましたが、彼らでさえ、少なくても、聖霊のバプテスマの証拠としての異言の意義は認めてきたのです。

 しかし今、ネオペンテコステ系の人々の多くは、異言の伴わない聖霊のバプテスマを主張しているのです。彼らは様々な面で、ペンテコステ的な体験と聖書理解を主張しているのは事実です。しかし肝心の、基本的なペンテコステ体験である、聖霊のバプテスマの理解で異なっているのです。彼らは、たとえ自分たちは異言を語らなくても、聖霊のバプテスマを受けていると主張して譲りません。そしてそのような主張の根拠が、超自然の賜物の行使です。彼らの多くは、自分たちも異言の伴う聖霊のバプテスマを受けた人々と同じように、あるいはそれ以上に、多くの超自然の業を行っている、奇跡も癒しも悪霊追い出しも行っているし、その他にもいろいろな力ある業を行っている。だから、私たちこそ、聖霊のバプテスマを受けているに違いないと言うのです。

 伝統的ペンテコステ派の人々の中に、超自然の賜物は、聖霊のバプテスマを受けた人々だけに与えられた、特権だと語る人たちが多くいたことが、逆手に取られて、いまやネオペンテコステ系の人々の論拠とされているのです。聖霊のバプテスマを受けた人の特権である超自然の賜物を、私たちも持っている。だから私たちは聖霊のバプテスマを受けているに違いないと言うのです。ペンテコステ派の人々の聖書解釈の間違い、と言うより、聖書の正しい解釈を軽視した、聖書によらない誤った信仰と理解が、いま新たな誤りを生み出しているわけです。聖書に記されている賜物の中で、超自然の賜物は、聖霊のバプテスマを受けた人たちにだけ与えられる特権であると言うような、手前味噌の主張は聖書の真面目な解釈からは出てきません。確かにそのような超自然の業は、聖霊のバプテスマを体験した人々の中に、多く見られたのは事実でしょう。しかしそれは、聖霊のバプテスマを受けたものだけが、超自然の賜物を与えられると言う理解を正当化しません。聖書がそのように語ってはいないからです。

 したがって、そのような誤ったペンテコステ派の人々の主張を裏返しにした、ネオペンテコステの人々の主張が、聖書的に正しいわけはありません。聖書のどこにも、超自然の業を行う賜物を持っていることが、聖霊のバプテスマを与えられた証拠であると言う教えを、見出すことが出来ないからです。ところが、ネオペンテコステの人々の間には、さらに彼らの理解を押し広めて、喜び、感謝、希望、自制、寛容などといった、クリスチャン品性、すなわちパウロがガラテヤ書で語った御霊の実を持っていることが、聖霊のバプテスマを受けた証拠であると考えたり、力あるクリスチャン生活、罪に対する勝利などをも、それに含まれるはずだと主張したりする人々もいます。聖霊のバプテスマが賜物の行使をより大胆にさせ、クリスチャン品性を磨き上げ、クリスチャン生活の質を向上させるのは当然の結果です。しかし聖書には、聖霊の賜物と聖霊のバプテスマを直接関係付ける記述も、御霊の実と聖霊のバプテスマを結び付ける教えも、クリスチャン生活の向上と聖霊のバプテスマの関係を示唆する言葉もないのです。

 ところが、聖書の教えを真剣に学ぶ態度が少しばかり足りないために、ネオペンテコステの人々はいま、「異言を語らないペンテコステ信仰者」を増やし続けています。さまざまな超自然の賜物をいただくのは素晴らしいことです。御霊の実をたくさん結ぶのも、大いに勧められることです。力強いクリスチャン生活もみんなで追及すべきことです。そしてそれらすべてが、聖霊のお働きによって可能になることを否定しません。それは間違いなく聖霊のお働きに関わる事柄です。しかし聖書は、それらが聖霊のバプテスマの証拠であると言う主張、そのような理解には、まったく根拠を与えていません。異言は語っていないけれど、自分は聖霊のバプテスマを受けていると主張する人々は、そのように主張できる聖書的根拠を示さなければなりません。聖書的根拠を示さない主張は、それがどのように素晴らしいものに聞こえたとしても、聖書的と認めることができないのです。伝統的なペンテコステ信仰に立つ人々の中にも、超自然の賜物は、聖霊のバプテスマを体験した者だけの特権であると言うような、聖書的根拠のない主張をして混乱を招いた人々がいました。とはいえ、聖霊のバプテスマには必ず異言が伴う、したがって、異言は聖霊のバプテスマの証拠となり得るという、伝統的ペンテコステ派の人々の主張は聖書的根拠、裏づけを持つものです。これについては、後述します。 

 聖霊の賜物は、聖霊のバプテスマと直接の関わりなく、すべてのクリスチャンに与えられるものです。その中には、超自然の業を行う賜物も含まれています。ですから、聖霊のバプテスマを与えられていないクリスチャンも、それらの賜物を積極的に行使して、教会全体の益のために尽くすべきです。ただ、多くのクリスチャンが賜物などというものに無関心で、賜物が与えられていることにすら気付いていなかった時代が、長く続いたのです。それに気付かせ、積極的に用いるように励ましてきたのが、ペンテコステ信仰です。ペンテコステの信仰を持っている者は、聖霊のバプテスマ受けたことによって力を着せられ、それらの賜物をより大胆に積極的に用いるようになったのです。そのために、多くの教会の中で、横に置き忘れられていたような超自然の賜物も、改めて見出され、どんどんと用いられるようになったと言えるでしょう。聖霊のバプテスマは、賜物を受けるための前提条件ではなく、賜物をより積極的に大胆に用いるための力です。

X C 異言

 ルカの聖霊の神学とパウロの聖霊の神学が、唯一、共にある程度の直接的関心をもって、取り扱っているのが異言です。筆者はすでにいろいろなところで、異言について語ってきていますので、ここでは簡単に取り扱います。

 ルカが記録した異言は、すべて、聖霊のバプテスマが与えられたときに語られたものです。聖霊のバプテスマと関わりのないところで語られた異言の記録は、一度もありません。ですからルカの聖霊の神学では、異言は、聖霊のバプテスマを与えられたときに語られるものです。そして、ルカの記述を見る限り、聖霊のバプテスマを与えられたときには、必ず異言を語ると判断して間違いが無いと思われます。すでに述べたことですが、サマリヤの回心者たちの場合には、異言を語ったという記載はありませんが、この場合でも、まず間違いなく異言を語ったのだろうと、推測することが出来ます。コルネリオの場合と、それに続くエルサレムの弟子たちの話し合いによると、異言こそ、彼らが最初のときと同じように、聖霊のバプテスマを受けたのだという証拠となりました。初めのときと言うのは、もちろんペンテコステの日のことです。そして聖霊のバプテスマを与えられたことが、異邦人でさえも神に受け入れられたのだという証拠として認められ、その結果、救いの認証として洗礼を授けられたのです。

 そういうわけで、伝統的ペンテコステ信仰者が、異言こそ聖霊のバプテスマの証拠であると考えるのには、充分な聖書的裏づけ、あるいは根拠があると言えます。近代ペンテコステ運動の発祥のいきさつを見ると、最初にペンテコステ信仰を持った人々は、必ずしも、まず聖書の正しい解釈があって、そこからそのような理解に至り、体験に行き着いたものではないようです。すでに、散発的ではありましたが、異言を語ると言う体験がそこここで口に上り、噂になっていたのです。そういう体験がそこここにあって、彼らは聖書を調べ始め、異言こそ、聖霊のバプテスマの証拠であると言う結論に至ったのです。つまり体験があり、その体験と絡み合わせた、あるいは体験と対話するような形での、聖書の学びがあったのです。(カンザス州トペカの聖書学校での話は、まったくの創作ではありませんが、少しばかり脚色されているようです。)

 聖書の教えの発見、新しい理解と言うものは、ほとんどが体験を媒体として可能になるものです。ルターの信仰による義の発見も、カトリック教会がペテロ大寺院を立てるために考案した、免罪符の販売に反対した体験を媒体にして可能になったもので、空白の中から聖書を学んで悟ったのではありません。カルビンの神学も、カルビンの時代背景とカトリック司祭としての学びや、一般教育の習得、さらには彼自身の宗教体験があって、あのように聖書を理解することができたのです。ウエスレーの神学も、彼の育ちと教育、アメリカ旅行、モラビア派の人との出会いや仲間たちとの交流から生まれた、信仰体験が媒体となって構築されたものです。バルトの神学やブルトマンの神学も同じです。彼らも時代の子であり、時代の考え方に影響され、それを媒体に聖書を理解しているのです。個人の体験とか、時代の影響の度合いなどは異なることでしょう。しかし体験を媒体にしていることにおいては、ペンテコステの神学と同じです。ときおり、福音派系の神学背景を持っている方たちが、ペンテコステの体験を媒体にした聖書理解は危険であると、批判している文章を読むことがありますが、彼らの「体験を排除した純粋な聖書解釈」こそ、自分たちの神学的伝統という体験に基づいた聖書解釈です。

 それは、聖書の中に記録されている、新しい体験の解釈と同じです。たとえば、ペンテコステの日のいきさつを見ますと、これは明らかに、まず一連の出来事や体験があって、それをイエス様の言葉やヨエルの預言から解釈したのです。また、異邦人コルネリオが聖霊のバプテスマを受けたという出来事も、コルネリオや弟子たちが、それを理解して体験に至ったのではなく、体験がまず先にあり、それに考察が続き理解が出来上がりました(11:17〜18)。パウロの異邦人伝道が実を結び、多くの異邦人が救われたことも、多くの弟子たちにとっては、事実を認めることが先にあり、その解釈は後に続いたのです。それがエルサレム会議でした。大切なのは、それらの体験をキリストの言葉や聖書の記述、あるいは聖書の教えの、正しい解釈によって理解したということです(2:16、11:16、15:16〜18)。

 私たちはできるだけ主観的な体験や理解を横に置き、客観的に聖書を理解するようにと訓練されていますので、体験が先にある信仰、あるいは体験と会話する信仰と言うものに、いささか危惧を感じるのを否めません。しかし私たちが聖書を読むとき、真っ白な紙のような状態で、聖書の言葉を理解して頭の中に写し取るのではありません。すでに自分の中にある学びや体験や理解などを通して、聖書を読むのです。予め自分の中に、言葉の定義や物事をわきまえる力がなければ、聖書を読解することは出来ないのです。一つの言葉を理解するということが、すでに体験を基としているのです。ですから、聖書を読むときには必ず体験が介入するのです。その体験によって、聖書の理解の仕方や深さが異なります。だからこそ新しい時代になると、聖書の中にあった真理を、改めて発見することもあるのです。

 このように、ペンテコステ信仰は、体験を大切にする信仰です。その聖書理解は、体験を通して行き着いたものです。しかし大切なのは、ただむやみやたらに体験を取り入れたのではなく、体験を通して聖書の教える教えに到達し、聖書の教えとして体験をくり返していることです。私たちが注意しなければならないのは、常に自分の体験と聖書の教えを対話させて、聖書の教えに馴染まない体験を、クリスチャンたちが追い求めるべき体験としないことです。

 たとえば大変有名な、瞬間的潔めというウエスレー系の人たちが主張している神学があります。これはある意味で、ペンテコステ神学の母体ともなったものであり、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドではこれを否定していますが、多くの伝統的ペンテコステ信仰の人々が、今でも受け入れている神学です。聖い生活を大切にし、強調すること自体は少しも間違いではありません。聖書は聖い生活の大切さを教えています。しかし、瞬間的に潔められたと感じる、あるいは信じられる体験を求めることは、聖書のどこにも教えられていません。そのような体験をしたと言う記録も、どこにも見出すことが出来ないばかりか、瞬間的潔めなるものが存在すると言う、聖書の教えもありません。わたしたちはみな、やがてキリストに似る者とされることは間違いありませんし、あるいは瞬間的に起ることかもしれませんが、ただし、それはこの世界で実現されるものはありません。

 ウエスレー神学を追求し、それを信仰生活の大切な柱としてきた人たちは、潔めをもたらしてくださる聖霊の働きを強調しました。そして、聖霊と火のバプテスマと言う表現を用いて、罪をまったく焼き潔めてくださる聖霊の圧倒的な力を信じていました。そこで、非常に感動的な聖霊体験をすると、彼らはそれを瞬間的潔めを受けたと信じたのです。そしてその素晴らしい体験を、すべてのクリスチャンが持つべきだと主張し、教え、導いてきたのです。この場合、ウエスレー神学による信仰を持っていた人たちの体験は、多分、正真正銘のクリスチャン体験、あるいは聖霊体験であったと考えても、差し支えはありません。したがって、ウエスレー系の人々の主張する瞬間的潔めの神学は、自分はまったき潔めを体験したと主張しながら、罪を犯し続ける奇妙なひとが出現することくらいしか、実質的な問題は生じません。そこから大きく間違った方向に進むと言う性質のものではないようです。ただし、その体験の解釈は聖書に立脚していない、聖書的根拠がない解釈であると言わなければならないのです。そしてそのような、聖書に明らかに教えられていない体験を強調するところに、他の非聖書的体験をも認め、主張していく危険性を宿すと言えるでしょう。

 ですから同じ原則で、たとえば、異言の伴わない聖霊のバプテスマという体験も、聖書が認め、教え、勧める体験ではないことを、知らなければなりません。異言が伴わない聖霊のバプテスマという体験は、主観的には本当に素晴らしく、間違いなく聖霊体験であった可能性もあります。しかし、それは聖書がすべての信徒に、あるいはより多くの信徒に、勧めている体験ではないばかりか、聖書には教えられても記されてもいない体験なのです。その異言の伴わない聖霊のバプテスマなる体験を、自分の大切な霊的体験として持っておくことに問題はありません。しかし、それを聖霊のバプテスマと呼ぶのには、問題があります。異言が伴う聖霊のバプテスマこそが、正真正銘の聖霊のバプテスマであることは、聖書によって明らかである一方、聖書は、そのほかの聖霊のバプテスマの存在を教えていないからです。(拙著「受霊のしるしの教理をめぐって」参考)そしてそのようなバプテスマを人に教え勧めることも、大きな間違いです。

 すでにのべたように、ルカの記述には、聖霊のバプテスマを積極的に求めるべきであることが、キリストの教えとして、あるいはパウロの実践として記載されています。ルカの記録を熟読すると、そのように求めることが、初代の教会では当然の教え、あるいは、クリスチャンの信仰生活の一端であったことが伺われます。そして、聖霊のバプテスマには、必ず異言が伴っていたと、無理なく推測されます。そういうわけで私たちは、すべてのクリスチャンに異言の伴う聖霊のバプテスマを求めるように教え、勧め、励ますのです。

 異言に関する限り、私たちはルカの教えに止まりません。なぜなら、パウロも異言についてはかなりの言葉を費やして教えているからです。パウロは異言について、どちらかと言うとネガティブな取り扱いをしなければならなかった、コリントの教会に手紙を書くという状況の中にありながら、「私は、あなたがたの誰よりも多くの異言を語ることが出来ること神に感謝して意います」と言い(Iコリント14:18)、「あなたがたがみな異言を話すことを望んでいます」と語り(14:5)、「異言を話すことも禁じてはいけません」と注意しています(14:39)。パウロ自身が異言の大切さを体験的に知っていたのです。パウロは、自分がいつの時点から異言を語りだしたのかは明らかにしていませんが、ルカの記述と照合するならば、彼が聖霊を受けたとき、すなわちアナニヤに祈ってもらったときと理解するのが妥当でしょう(使徒9:17〜18)。

 伝統的ペンテコステの神学では、異言はあくまでも聖霊のバプテスマの証拠であると考えられ、証拠としての役割しか与えられてこなかったところがあります。そこで、しばしば、「異言を求めるのではなく、聖霊のバプテスマを求めなさい」と言う、信徒の指導が行なわれてきました。聖霊のバプテスマは力の賦与であり、これこそ大切なものであるから、その大切なものを求めていることを忘れてはならない。異言は聖霊のバプテスマを与えられたら、自然に付随してくるのだから、敢えて求める必要はないというわけです。

 もちろん、伝統的なペンテコステの教えでは、異言による祈りには、異言による祈りとしての価値を認めてきましたが、決して高い価値を認めてきたのではありません。聖霊のバプテスマを受け、霊的に高い状態が継続すると、自然に異言の祈りが頻繁になり習慣となる、そしてそれは良いことだ、といった程度の取り扱いです。これは、異言が無制限に語られたために集会の秩序が乱れ、混乱していたコリントの教会にたいして、異言を語ることを抑えて秩序を取り戻すために書いた、パウロの異言に対する態度よりもかなり温度の低い取り扱いです。パウロは異言が問題を起こしていた中で、異言を無制限に語ることをしないようにと指導しましたが、それでも、異言を最も大切にしてきた伝統的なペンテコステ神学よりも、異言を高く評価しているのです。パウロは明らかに、異言に価値を見ていました。クリスチャン信仰における異言の価値を、高く評価していたのです。ですから、どんなに混乱があっても、異言をやめよと言わずに、かえって、みんなが異言を語るように望むと言っているのです。パウロの意図は異言をやめさせることではなく、混乱を抑えることでした。

 ところが私たち、伝統的ペンテコステの神学に立つものでさえ、いま、異言による祈りを軽視しています。少なくても、パウロが異言に認めていたであろうほどの価値を、見つけることが出来ずにいます。多分それは、ペンテコステ信仰、あるいはペンテコステの実践にたいする根強い反対に影響され、理解するべきところも理解せず、強調すべきところも強調せずにきてしまったためでしょう。

 ところが不思議なことに、伝統的ペンテコステ信仰には祈りとしての異言以外に、預言としての異言という考え方があります。これは、私たちアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの、正式な信仰として認められたものではないと思いますが、多くの人々がそのように信じ、それにしたがって実践し、指導してきたものです。確かに、パウロが賜物について教えた中に、「異言を解き明かす力」という賜物が含まれていて(Iコリント12:10、30、14:5、13、26、28)、異言が解き明かされると「教会の徳を高める」ことになるので、異言を語るだけではなく、それを「解き明かすことができるように祈りなさい」と、勧められています。そこから、伝統的ペンテコステの教えの中に、預言としての異言とそれを解き明かす賜物という、理解が生まれたのだと思います。

 しかし、この理解には聖書の解釈上無理があります。まず、このことについてのパウロの言及、あるいは聖書全体の言及があまりにも少なすぎることです。異言が預言として機能することを示唆する言葉は、14:5だけで、他にはどこにもありません。一回だけの言及から、クリスチャン信仰と実践の大切な部分を断定するのは、良いやり方とはいえません。次に、そこで言及されている言葉自体も、預言としての異言と言うものの存在を認める根拠とするには、脆弱すぎることが挙げられます。パウロはここで、異言が解き明かされるならば、教会の徳を高めると言っているのであって、異言は、解き明かしをされると預言となると言っているのではありません。解き明かしさえされるならば、異言も、預言と同じように、教会全体の徳となる、すなわち益となるという事実において、教会全体が集まっている場においての異言の価値をも認め、教会全体の益になるという意味において、解き明かされた異言は預言と同じだと言えるのです。しかし、解き明かされた異言は、預言と同じ機能を持っていると言っているのではありません。つまり、神からの啓示なのだとも、啓示となるのだとも言ってはいないのです。異言が預言として神から与えられたものだと言う理解は、パウロのどの言葉からも出ては来ないのです。

 その上に、預言としての異言という理解に真っ向から対立する言葉が、パウロの一連の教えの中にあるのです。パウロは、異言の問題に入る大前提と言える言葉、つまり大切な基礎的教えとして、「異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。・・・・・・ところが、預言する者は、・・・・・人に向かって話します」と、極めて明瞭に語っているのです(14:3〜4、28)。そして、「異言を話す者は自分の徳を高め、預言をする者は教会の徳を高めます」と、続けて教えています。ここに、異言の機能と預言の機能の違いが、はっきりと示されているのです。異言は個人の徳のために神に向かって語られる、極めて個人的な祈りの言葉であり、預言は教会全体の徳のために人に向かって語られる、神からの言葉です。

 異言も解き明かされると、教会全体の徳となるというのは、実際の問題として、たとえ個人的な祈りであっても、それがみんなにわかる言葉での祈りとなると、みんなの益になるという意味です。もしも、聖霊が言いがたいうめきをもって、とりなしてくださる言葉が(ローマ8:26)、聖霊の助けによって翻訳されるとなると、それは聞いている者たちの励ましとなり、教えとなり、また感謝となることでしょう。ペンテコステの日の出来事を思い起こすと、自分たちの解る言葉として異言を聞いた人々は、神様の大きなみ業について語られるのを聞きました。同じことが教会の集まりの中で起こるならば、当然、多くの人の益にもなるのです。 

 そういうわけで、伝統的ペンテコステの人々も、聖書に明確に教えられていない体験を、自分たちの信仰に大切なものとして教え、継承してきたと言う間違いを犯しているのです。いま私たちは、そのような間違いを素直に認め、自分たちの体験的信仰の脆弱さを、矯正していかなければなりません。そういうわけで、異言には3つの種類があるのでも、二つの種類があるのでもなく、唯ひとつ、祈りの異言があるだけだと理解するのが、パウロの教えとルカの記述から導き出される結論です。ルカが記した異言も、聖霊のバプテスマの証拠として与えられたのではなく、聖霊のバプテスマに必ず伴ったために、証拠として機能したというべきです。つまり、聖霊のバプテスマが与えられたときの祈りは、異言によって行なわれるということです。

 その異言による祈りが、どれほど素晴らしいものであるかと言うことは、「異言を語ることなど止めてしまえ」と言いたくなる状況の中で、パウロが語った「みんながそれを語ることを望む」、「私は誰よりも多くそれを語ることを感謝している」、そして、「それを語ることを禁じてはならない」という教えで、充分に理解できるのです。パウロの教えから異言の価値を低く見積もる人たちは、パウロの語ったことをまったく読み違えています。パウロは、教会の集会という公の場では、「知性の言葉」、すなわち他の人にも理解できる言葉で話す方が、誰にも理解できない異言で語るよりもずっと勝っていると言っているのであって(14:4〜5、19)、預言が異言より勝っていると言っているのではないのです、ですから、預言でさえ、教会の秩序を乱すようなことがないように、異言と同じように、教会では2〜3人で止めておくようにと指導されているのです(14:29)。

 では、異言の価値はどこにあるのでしょう。どういう意味で、語る個人の徳を高めるのでしょう。この点に関しては拙著「聖霊と教会と信徒」で詳しく語りましたので、それを参考にしてくださると幸いです。ここでは簡単に述べておくことにいたします。

 パウロがそれほど大切にした異言の価値は、まず、話す本人の徳を高めることです。異言は間違いなく徳を高めるものです。ただし、異言が高める徳は、基本的に異言を語る者の徳であって、教会全体の徳ではありません。だから、教会の集会などでは、全体の徳になる賜物に優位性を譲るべきなのです。一個人に関する徳、あるいは益になるものは他にもたくさんあります。聖書を学ぶこと、聖い生活をすること、自己鍛錬を積むこと、罪を犯さないように身を清く保つことなどのほか、たくさん挙げられますが、祈ることもまた、間違いなく、祈る個人の徳を高めます。

 異言と言うのは神に語りかけるものであり、基本的に祈りの言葉です。祈りを豊かにする言葉です。したがって、異言の価値を低く見積もることは、祈りの価値を低く見積もることにつながります。もちろん、異言がなくても祈ることは出来ますが、異言は聖霊ご自身がお与えくださる、祈りの言葉です。そこには賛美、感謝、願い、求め、訴え、泣き言、不平、うめきなど、およそ考えられるあらゆる要素が含まれます。異言は、心の奥深くにあって普通の言葉では表現できない感情、気持ちを、聖霊が助けてくださり、表現させてくださることです。人間の言語能力を超えたところで行なわれる祈りです。自分の語彙の少なさ、表現力の足りなさ、あるいは自分の母国語の限界などによって、私たちの祈りはしばしば浅く、表層にとどまってしまい、どうしても自分の祈りたい祈り、自分が表現したい表現がでてきません。しかし聖霊は、私たちの知らない言葉で、私たちの心の奥底を表現させてくださるのです。異言で祈る場合、祈っている自分たちにも何を祈っているのかは解りませんが、自分の心の奥底が表現されていることを感じ、祈りが神にとどいていることを感じるのです(参照・ローマ8:26)。

 そういうわけで、異言を語ると言うことは、非常に高いレベルでの祈り、あるいは神とのコミュニケーションです。それが大切でないはずはありません。心の奥底を、神様のみ前にそのように表現できたと感じることは、自分を解き放つことができたと感じることであり、多分、心理学的に非常に価値があることだと思います。しかし、パウロが見ていた異言の益は、心理学的なものを超える、信仰の領域での益だったはずです。神は、私たちが開放感を味わうために、異言をお与えくださったのではなく、私たちが言語の限界を超えて、神と交わることが出来るために、お与えくださったものだと考えるべきです。

 そして、神とのそのような親しい交わりは、当然大きな喜びと感動をもたらし、特に最初の場合は恍惚感も伴うことでしょう。泣いたり笑ったり倒れたり踊ったりすることもあるでしょう。ペンテコステの日のように、酔っ払いと間違われることもあり得ます。その結果大きな平安に包まれ、大胆さに覆われ、神への感謝と献身になってくるのも、普通の結果となるでしょう。そして異言の祈りをさらに継続していくと、一時期の激しい感動や恍惚感は失われていくかもしれませんが、やがてゆったりと深い落ち着いた平安と揺るがない確信に満たされることでしょう。神との交わりが非常にリアルなものになり、神の支配が現実のものとなり、怖いものがなくなっていきます。神が共にいてくださることが、あまりにもリアルだからです。その聖霊による神との交わりの経験が、やがて現される永遠の神のみ国に対する強烈な憧れとなり、保証となるのです。

 このような異言の祈りによる個人の信仰の高揚は、当然、有機的共同体である教会に、良い影響を及ぼさないではいません。パウロが異言問題を取り扱ったときには、異言の乱用を注意することに心を向け、異言は、それを語る者にだけ益をもたらすという面を強調しましたが、み体の一部分の益、力、性質、賜物は、必ず、全体の益になるというのが12章の賜物の教えなのです。聖書を良く知り、罪に打ち勝つ強いクリスチャンがいることは、教会全体の益になるのです。同じように、御霊の助けによって異言で祈り、毎日、神との深い交わり保っている信徒は、教会の益になるのです。

 私たちは聖霊によって、キリストの御霊が満ち満ちているキリストのみ体に、バプタイズされました。どっぷりと浸けられ、前後左右上下、すべて御霊に取り囲まれ、あたかも水に浸けられたように、御霊浸けにされているのです。それが、救いのときに起った霊的な出来事です。それが聖霊の内住と言われる出来事です。私たちは御霊の中に浸けられ、御霊を飲むものとされたのです(Iコリント12:13)。しかしこれは、霊的事実、霊的出来事であって、日常の体験としては、しばしば気付かれないままに済んでしまいます。新生の体験、聖霊の内住の体験は、非常に感動的な、だれにでもそれとわかるような体験となって、表面に現れて来ることもありますが、ほとんどの場合、内面奥深く、あたかも、どこから来てどこに行くのかわからない、風のような体験であり(ヨハネ3:8)、当人にも、周囲の者にも気付かれないでいることが多いのです。

 しかし聖霊のバプテスマは、この内面的な出来事、霊的な事実を、日常の体験として現実化するのです。霊的事実として隠れていた、聖霊の中に浸り、聖霊を飲むものとされたという出来事を、異言を語ることによって可能になる神との交わりという体験で、体験する本人も、周囲にいる者も認識できる現実の形で確認するのです。そういう意味では、聖霊のバプテスマは新しい体験ではなく、内住の聖霊を強烈な体験によって確認することです。それはあたかも新しい体験のように感じますが、ペンテコステの日以後の聖霊のバプテスマは、すでに親しんできた内住の聖霊との、より高く深く濃厚なレベルでの交わりなのです。ですから、聖霊のバプテスマは、聖霊の内住と異なる体験、あるいは内住の聖霊と切り離された体験ではなく、聖霊の内住の事実を、日常の現実生活の中に強烈に表現するものであり、内住の聖霊体験の継続の上にあると言えるのです。そしてこの体験が、世界宣教の力となって現れてくるのです。

X D  預言

 ルカとパウロが共に取り扱っている聖霊にかかわる事柄としては、他に、預言が挙げられます。パウロの取り扱いは、いつものように、当時の教会の具体的問題に対処する中で行われたものであって、預言そのものを取り上げて論じたものではありません。それでも、パウロの著作の中には、時折預言にかかわる言及があり、彼の預言に対する理解をある程度伺い知ることができます。ルカに関してはすでに述べたとおり、これも、直接論じたものではありませんが、預言は聖霊のお働きの大切なもののひとつであり、特にペンテコステの日の出来事は、万人預言者時代の幕開けであるという、彼の重要な主張の核をなすものです。

 パウロは、自分が預言者であると言ってはいませんし、他の人が彼を預言者と呼んでいたという形跡もありません。パウロほど明確な、また重要な啓示を受けた人物は他におらず、それについて語る彼の言葉は、あらゆる意味において正当な預言でした。ところが彼は、その啓示の確かさを預言者としての権威に訴えず、異邦人のために召された使徒であるという事実に訴えているのです(ガラテヤ1:11〜2:10)。その昔エレミヤは、預言者として自分の預言の真正さについて、戦わなければなりませんでしたが、パウロは自分に与えられた啓示の真正さを主張するに当って、預言者ではなく、使徒であることを大切にして戦ったのです。

 パウロは、他の人物たちが使徒や預言者を名乗り、自分に与えられた啓示と異なることを語っていたのを知っていたようですが(Uコリント11:4〜5、13〜14、ガラテヤ1:7〜10)、彼らが啓示を受けたと称して間違ったことを語るからと言って、啓示の存在や預言すること自体を止めたことはありませんでした。実際、新約聖書がまだ書かれておらず、キリストの生涯や教えについても、まだ断片的にしか書き残されていなかった当時のことを考えると、預言の重要性は非常に高かったと思われます。それだけに、いろいろな誤りや間違いが、入り込んでくる余地もあったと推測できますが、それでも、預言は重要だったのです。また、パウロを通して与えられた新しい教え、すなわち福音の普遍性と言う教えに関しては、まだまだほとんどの人が理解することさえ出来ず、かなりの疑いをもって見られていたことから考えて、彼に反対する立場の人々による教え、あるいは出所の怪しい預言もまた、少なくなかったと思われます。それでも、パウロは預言の重要性を認めていました。現代のように、ITの通信技術も、印刷技術も、交通も発達していなかった時代、きちっと整った共通の教えなどを期待することもできなかった時代にあって、正真正銘の預言の重要性は、現代とは比較にならないほど高かったのです。またそれゆえに、預言者といわれる人々の重要性も増していたと考えられます。ほとんどすべての信徒が旧新約聖書を所持し、何の問題もなく読むことができる、現代の日本や、欧米先進国とはまったく異なった事情だったのです。 

 そういうわけで、霊感を受けた新約聖書が完結し、それが広く行き渡っている現代の私たちに対する預言の必要性を、パウロの時代と同等に考えることは出来ません。預言もまた、必要性に応じて与えられるものだからです。しかし、パウロをはじめ、どの聖書記者も、預言が消滅するとは語っていません。ですから現代においても、必要に応じて与えられると考えるのが正しいでしょう。Iコリント13:8の「預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます」という言葉をもって、現在異言や預言は存在しないと論じる人たちがたくさんいますが、それは無理な聖書解釈です。なぜならそのすぐ後に、「知識ならばすたれます」と続き、異言や預言がやむときには、同時に、知識もまたすたれるはずだからです。現在、知識はまったく廃れていません。さらに続く10節では、「完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます」と言われています。ですからこれを現在に当てはめるのは、まちがいであることが明らかです。完全なものが現れたらというのですから、これは後の世に起ることなのです。

 ただし、人類一般に対しての信仰と生活に必要な教えは、新約聖書の完結を持って、すべて啓示され尽したと理解しなければなりません。つまり、聖書に示されていること以外の新しい事柄にかかわる預言や、聖書に教えられている事柄を超える、こと細かい内容を含む預言というのは、極めて個人的な一時的事柄の範囲を超えては、あり得ないということです。たとえば、パウロはマケドニヤ人の叫びを啓示と受け取り、自分の行くべき道が示されたと受け取りました。このような個人的行動に関する事柄についての啓示や預言は、現在でもあり得ますし、大いに必要な場合があります。それは聖書の教えとなんら矛盾するものではありません。しかし、世の終わりに関する時期とか出来事に関する啓示、あるいは、新しい救いの道についての啓示などと言うことはあり得ませんし、真面目な聖書の学びと常識的な理解によって判断できる、個人的な事柄についての啓示も不要です。

 卑近な例で説明しましょう。将来、宣教師として未開の土地へでて行くべきだと、自分に与えられた賜物と状況を判断して献身した青年が、同じく、未開地への宣教の重荷を持つ女性と、結婚しようと語り合っていたと想像してください。ところがこともあろうに、まさに、こともあろうに、そこにとても美しく、金持ちで、有名大学を卒業して、鈴の音のように歌い、舞うようにピアノを弾き、おまけに包丁でワルツを奏でてしまうという、素敵な女性が現れ、実直な信仰と献身に生きる好青年の彼に、好意を持ったと考えてください。何もかも、申し分がないのですが、彼女には大都市東京に留まり、素敵な文化的生活を楽しみながら、美しく神様にお仕えして生きたいという願いがあるのです。

 哀れにも、青年の心は千々に乱れます。そして神様、私が結婚すべき相手はどちらでしょうかと祈りたくなります。しかし、ここで祈ってはならないのです。神様の示しや啓示を求めてはならないのです。彼がしっかりと聖書に留まり、献身に立つならば、祈ってはならないのです。祈る前から彼の採るべき道は定まっているからです。ところがこのような場合に祈ってしまい、神様が、「しょうがないなァ。お前の献身はその程度だったのか」と、手綱を緩めてくださることがあるために、美しい女性を妻にして献身を犠牲にしてしまう、次善の生涯を送ることになるのです。筆者は、アメリカの有名な神学校で尊敬されていた教授が、引退前の最後の授業で、献身を犠牲にして宣教師にならずに教授になった自分の生涯を悔いて、決して次善を選ぶことがないようにと、若い学生たちを諭したと言う話を、その教授自身から聞いたことがあります。奥様が美人であったかどうかは、その場の厳粛な雰囲気から、とてもお尋ねすることはできませんでした。

 ところでパウロが預言について、また預言者について語った場合、一体どのような預言を前提にしていたのでしょう。それは、必ず直接啓示によらなければならなかったのでしょうか。あるいは、自分が聖書を学び、祈り、瞑想し、考えてきた事柄を、聖霊に励まされて、折にかなった形で語りだすことも含まれていたのでしょうか。パウロは預言の定義をしていません。それはルカと同じです。したがってパウロもルカも、当時のクリスチャンたちの間で一般に認められていた意味、共通理解を前提にして語っていたはずです。そうだとすると、前述したように、パウロが預言と言った場合も、必ずしも直接啓示による言葉と言う意味ではなく、それをも含んだ神からの言葉、神から預かって語る言葉と言う意味であったと考えられます。

 ただしパウロが預言と言う場合、神からの直接の啓示を受けて語ると言う意味が、第一定義だったように読み取れます。たとえば、テモテが按手を受けたときに与えられた預言という場合、新約聖書が完結していなかった時代であったこと、また、極めて個人的な事柄であったことなどを考慮して、神からの直接啓示による預言であったと考えることが、一般的です(Iテモテ4:14)。ただしそれはまた、テモテと言う人間の長所も短所もよく知り尽くした人物が、聖書の知識と、時代の要求と実情を良くわきまえ、折にかなって語った、知恵の言葉だとも理解することも可能です。聖霊は、人が思いもつかないことを語らせてくださることも出来ますし、意識下にあることを思い起こさせて語らせてくださることも出来るからです。いつも必ず、思いもつかない事柄を語らせてくださるとは限らないのです。逆に言いますと、人は聖霊の導きと励ましによって、自分ではそうと感じないまま、意識下の事柄を語って、預言をしている場合も多いでしょう。ヨハネが記したように、大祭司カヤパの言葉が預言といわれているのは、そのような意味においてであったと考えられます(ヨハネ11:47〜52。大祭司本人は、預言しているなどと感じてはいなかったのです。

 反対に、本人は預言をしているのだと主張していても、実際は自分の学びや経験や常識、あるいは信仰によって判断したことを、語っているに過ぎないこともあるでしょう。その辺りがとても微妙です。現在でも私たちのペンテコステ系教会には、預言者などと自称する人々が出現し、あるいは訪れてきて、勝手なことを喋っては預言だと主張することもままあるようです。それを聞く多くの人は、預言とは神の直接啓示を語ることであると考えているために、そこに非常な恐れが伴うのです。果たして、私たちは神の直接啓示としての預言が、今の私たちの時代にそのように頻繁にあるのかと、問題にしなければなりません。答えはすでに示されているように「否」です。聖書が完結し、大量の聖書が印刷され配布されている現状では、通常の状態ではそのような預言の必要性が極めて低いからです。ところがその一方で、聖書の学びに立った福音の宣教、あるいは教えの宣言としての預言は、ますますその必要性を高めています。

 そういうわけで、パウロが聖霊の賜物として挙げた預言は、当時の実情からして、神の直接啓示としての預言を第一義的に置きながら、聖書の教えの宣言あるいは宣教としての預言をも、含むものではなかったかと考えられます(Iコリント12:1〜14:40)。ですから、現在の私たちの実情から考えると、私たちが、より期待すべき預言は、聖霊の直接啓示による預言ではなく、聖書と言う神の言葉を正しく理解し、それを現代の必要性に向けて適応して語る、宣教の言葉あるいは説教としての預言であると言えるでしょう。その過程において、わたしたちは自分だけの学び、学問に偏った学び、主知主義的な傾向を排除し、聖霊の介入を常に祈り期待しながら聖書を学ぶべきです。聖霊の照明の働き、すなわち、聖書を解き明かしてくださるお働きを、目いっぱいに期待しながら聖書を読むべきです(ヨハネ4:26)。霊感を持って聖書を聖書としてくださった聖霊が、その聖書を読む現代の私たちにも働きかけ、理解することができるようにしてくださるのです。

 確かにキリストは、聖霊の照明の働きについてお語りになった後、同じ聖霊のよく似た働きについてもお語りになりました。それは聖霊の、「やがて起ころうとしていることをあなたがたに知らせる」と言うことで、未来について啓示し告知する働きです。しかし聖霊のこの働きは、すでに述べたように、すべてのクリスチャンや一般人類への告知としては、原則的に、新約聖書の完結で終了したと理解すべきです。未来の事柄について多くを書き記した書物で、新約聖書の最後に書かれたヨハネの黙示録には、「私は、この書の預言の言葉を聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。また、この書の預言の言葉を少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる」と記されています(黙示22:18〜19)。後の世に起る事柄についての預言が、この預言の書に書き加えられてはならず、また、新しい教えの出現や解釈の都合によって、この預言の書の一部が削除されてもならないというのです。黙示録が直接言及しているのは、黙示録に書き加えたり取り除いたりしてはならないということではありますが、たとえ、黙示録以外の預言の書を作っても、マタイの福音書に書き加えたとしても、黙示録の預言に書き加えることになるということを、知らなければなりません。

 そういうわけで私たちは、現代における未来預言には、非常な警戒をもって臨まなければなりません。未来の出来事が啓示されるという考え方、またそれを預言すると言う行為そのものが、疑わしいのです。一方、聖書の教えを正しく理解し、それを私たちの現状に正しく適用している言葉ならば、それがいわゆる預言と言う形で語られようとも、説教と言う形で語られようとも、正しい預言として受け入れればよいことです。たとえある人が、「主は言われる」と言って語りだしたとしても、それが聖書の教えに反していたり、聖書の教えの範囲を超えていたりした場合は、主からのものではないと知るべきです。恐れる必要はまったくありません。やたらと個人の判断や決断に関する事柄を取り上げて、さまざまな指示をする預言は無視して良いでしょう。そのようなことは、真面目に聖書を読み、健全な理解力を用いて、自分で判断し決断すべきものです。それが人間の責任です。そのような事柄を「預言者」の言葉に求めることが、聖書を軽視していることであり、人間の健全な責任を放棄することです。筆者も、そのような預言、いわゆる個人預言に間違った指導をされ、人生を誤った人をたくさん知っています。

 わたしたちペンテコステ信仰を持つ者の信仰の基盤は、あくまでも聖書です。絶対に新しい啓示や預言の言葉ではないのです。たとえ、預言に権威を持たせることがあったとしても、あくまでも、聖書に教えられている範囲に止まる限りにおいて、権威があるのです。それは説教の権威と同じものです。説教は、聖書の教えている範囲に止まる限りにおいて、神的な権威を持つのです。ところが、聖書が教えている範囲を超えた、未来の出来事についての預言や、こと細かな個人の行動に関する預言なども、実際に存在すると言われています。そして、それが印刷物になって出版された場合さえあります。しかし、たとえそうであっても、そこに神的な権威を認めることは出来ません。そのような預言が語られ、また預言どおりになったとしても、そこには聖書と同じ権威はないのです。未来について預言したり、ある出来事や人間の行動について言い当てたりすることは、世界中いたるところの、いろいろな宗教の人がやっていますし、宗教とは関係のない、いわゆる「超能力者」と言われる人々も行っていて、特別に珍しいものではありません。そのような例は、旧約聖書にも新約聖書にも出てきます。それがたとえどのような能力によって行なわれていたとしても、聖書の権威とはかかわりがないことです。

 筆者は他のところでも語ってきましたが、聖書の権威と言うのは、聖書が啓示の書だからではありません。聖書が霊感を受けた啓示の書だからです。聖書に記されている事柄のひとつひとつは、歴史だったり、物語だったり詩歌だったり、人間の知恵だったり、具体的な問題解決のための書簡だったり、そして預言だったりとさまざまです。ただし、直接的な啓示として与えられた預言はわずかなものです。ですから、そういう意味では、聖書の大部分は啓示の書ではないのです。しかしそれらの書物を、神はご自分の御心を示す書物としてお与えになったのです。中にある人間の知恵も、悪魔の言葉をも含めて、神はご自分の御心を伝える書としてお与えくださったのです。そういう意味において、聖書は啓示の書なのです。この人間の書物を神ご自身の書物としてくださるのが、霊感です。聖書は神がご自分の聖霊によって導き書かせられた書物であり、神ご自身のものであると署名捺印してくださったようなものです。だから、言葉ひとつひとつは人間の言葉であり、表現ひとつひとつは人間の選択によるものでありながら、聖書は神の言葉として権威を持つのです。

 しかし現代の預言はそのようなものではありません。現代の多くの預言は、預言者といわれる人たちの頭に浮かんだたわごとに過ぎません。勝手気ままな言葉です。勉強不足の牧師の言葉ほどにも、真剣に聞く値打ちのないものです。あるいは、瞬間の思い付きを神の名によって語るだけで、手相見か占い師なみの権威もありません。預言の練習などと称して、互いに思い付きを語り合って、「当った」「当らなかった」とはしゃいだりがっかりしたりしていた人間が、伝道者や牧師になって公の場で同じことをやったのでは、迷惑以外の何ものでも無く、まさに「神のみ名をみだりに唱えること」です。それよりはいくらか良いのが、自分の信仰体験と聖書の学びを背景に、あたかも神に与えられたものであるかのように語りだす、励ましの言葉や叱責の言葉です。時には真面目な信仰体験と聖書の学びに根ざした、含蓄のある言葉、あるいは慧眼とも言える事柄が語られることがあることも事実です。でも、それらですら、真剣に祈り学び準備した説教ほどには権威がありません。

 本当のところ、ペンテコステ信仰の中で救われ、育ち、働いてきた筆者は、これまで、いわゆる預言と言われるものをたくさん聞いてきました。しかし、その中には正真正銘の啓示の言葉、あるいは啓示を解き明かしたと思われる預言は、ひとつもありませんでした。ただ、筆者が聞いた大部分の「預言」は、敬虔な聖書の学びと体験に根ざした、信仰の言葉と受け取ることが出来るものでした。そのような言葉は、聖霊の励ましと迫りを受けて、語らずにはおれなくなって語りだしたものではないかと思われます。それは準備された説教とは異なりますが、その場その場の状況に応じて、聖霊に励まされて即興的に語る説教と、考えることが出来ます。そういう意味でこれは、ペンテコステ教会に存在する、とても大切な説教の形であると言えるでしょう。よく学び訓練された演奏家が、即興で奏でる音楽のようなもので、おのずと、予め準備されたものとは異なった趣と味わいがあり、それだけに人の心を打ち、非常に役立つものだということが出来ます。

 もちろん、ペンテコステ信仰を持つものとして、筆者も正真正銘の啓示の言葉、あるいは預言の存在を信じています。聖書の解釈上、啓示や預言がなくなったということは出来ないためです。神が必要と考えられたとき、必要とされる状況では、啓示も預言もあり得るはずです。しかし、繰り返しますが、現在の日本のような状況においては、啓示や預言の必要性は非常に低いと言わざるを得ません。また、たとえ正真正銘の啓示を受けて語ったとしても、その語られた事柄に、聖書と同じ権威を認めることはできません。なぜなら、啓示を与えられるのはひとつのこと、それを言葉にすることは別のことだからです。幻を見せられて語るにしても、思想を与えられて語るにしても、語られる言葉は語る人のものであって、神のものではないからです。聖書の霊感と言うのは、語られる言葉ひとつひとつは人間のものであっても、その言葉に神の承認があると言うことなのです。しかし現代の預言には霊感が無く、言葉ひとつひとつ、表現ひとつひとつの選択に対してまでは、神の承認が無いと言うことです。ですから、語られた預言を録音し、それを細心の注意を持って記録し、一冊の本に纏め上げたからと言って、それに聖書と同等の権威を認めることは出来ないのです。かえって、そのようなことをする姿勢と言うか、信仰、聖書以外の権威を求める態度に、私たちは不審を抱き、賛同することが出来ないのです。

 パウロは、自分に与えられた啓示を強く信じていました。そしてそれを語り、堂々と主張しました。しかし彼はそれを預言者としてではなく、異邦人への使徒として主張しました。そしてパウロは、そのような啓示が他の人にも与えられることを、否定しませんでした。事実、新約聖書の著者は彼だけではなく、黙示録という啓示の書は、ヨハネによって書かれたのです。しかし、だからといってパウロやヨハネに対する啓示と同じような啓示が、いつでも誰にでも与えられるというのは、彼の考えではありませんでした。彼は、自分に与えられた啓示が非常に特殊なものであることを、認めていたからです。

 その一方で彼は、教会の中に預言者と言われる人々が存在し、預言が語られていたことを認め、その大切さを認識していました。預言の価値は、教会全体の徳を建てると言うことにありました。そのパウロの価値判断に従えば、個人の徳にだけかかわる個人預言の価値は、たとえ正真正銘の、神からの啓示としての個人預言であったとしても、高いものではありえません。個人預言は個人の徳にかかわるもので、教会全体の徳とはなりにくいためです。したがって、教会の公の集会で個人預言を重要視するのは、正しいことではありません。そのようなものを売り物にするのも、正しい信仰のあり方や実践ではありません。ですからそのようなものをパウロが推奨するはずがありません。

 八卦や占いの類の内容とあまり差の無いこと、つまり自分の将来のこと、仕事のこと、結婚のこと、家庭のことなどを預言してもらうより、聖書を読み、聖書に従った世界観と価値観をもって、自分の責任で選択決断し行動をすることが、私たちの正しい信仰のあり方です。そのような信仰を持ちながら、常に聖霊の導きを祈り求め、明確に示し導いてくださるならばそれに従いますという、柔軟な信仰態度が大切です。人生には、「これは間違いなく聖霊が導いてくださっている」と、確信できる時や場合が、一度や二度はあるでしょう。しかしそのような場合でも、「聖霊が導いてくださったのです」とは言わずに、「聖霊が導いてくださったと感じて」、あるいは「聖霊が導いてくださったと信じて」と言うのが良いでしょう。客観的に聖霊が導いてくださったと断定することと、主観的に、聖霊が導いてくださったと感じ、あるいは信じて、それに従って行動することは別だからです(使途16:10)。

Y 悪霊観と悪霊の取り扱い 

 ペンテコステ運動の特徴のひとつ、あるいは伝統とも言えるものに、病気の癒しや悪霊の追い出しがありました。ところがこれらのことについて、神学を構築するということにはほとんど関心が払われず、ただ、キリストや弟子たちが行なったように、病を癒し悪霊を追い出してきたのです。キリストや弟子たちが行なったことを、ただ素朴に真似をしたこと自体、決して間違っていたわけではありませんが、そのような実践先行で思考が軽視される信仰の中で、いつも問題になってきたのは、悪霊の働きであるかどうか、いかにして判断するかです。一般的に、ペンテコステ信仰を持っている者たちは、何でも悪いことは悪魔と悪霊のせいにしてしまう傾向があります。暴飲暴食と不健康な生活態度で体を壊したのに、「病の霊よ。出て行け!」と命じるようなことが、しばしば行なわれてきたのです。そのようなことを見聞きした「啓蒙主義的」なクリスチャンたちは、ペンテコステ信仰そのものを、「中世的な迷信」と揶揄し、軽んじてきたのです。

 ただし病の癒しは、ペンテコステのクリスチャンの専売特許ではありません。福音主義に立つクリスチャンはみな、キリストは病を癒してくださる方であると原則的に信じていますし、癒しの信仰を明らかにし、癒しの祈りや癒しの運動を実践してきた教派もありました。癒しがキリストの贖いの業に含まれていると主張したのも、そういう流れの中にいた人たちです。ところが、悪霊の追い出しとなると、プロテスタントではほとんどペンテコステ運動に限られてきました。多くのプロテスタント教会が啓蒙主義の影響の下、悪魔や悪霊の存在を強調しなくなり、疑いさえするような風潮の中、ペンテコステ信仰を持つ者だけが、一見中世的なアニミズムの世界観にある信仰を、持ち続けていたのです。

Y A アニミズムの世界

 ペンテコステ信仰が、一見中世的なアニミズムの世界観を持っているとはいえ、中世の世界観を守っているのではありません。むしろ聖書が教えている世界観を、素直に持ち続けているのです。聖書は、アニミズムの世界観を持つ人々に対して、アニミズムの世界観で書かれた書物です。ですから、「神」という言葉自体も、当時のアニミズムの世界観で使われていた言葉を、借用したものでした。それは当然、天地の創造者である真の神を現すには、はなはだ不充分なものでした。ところが、そのような言葉を用いなければ、「神」を指し示すことが出来なかったのです。聖書は、そのように不完全な人間の言葉を媒体として、神の御心を啓示するものであり、その意味では不完全な啓示なのです。ですから、最初に私たちの神、天地の創造者である方がモーセにご自分を現し、自己紹介をなさったとき、アニミズムの言葉である「神」という単語を用いる事ができなかったのです(出エジプト3:13〜14)。

 聖書は唯一の真の神、天地の創造者だけを礼拝するように厳しく命じていますが、他の神々の存在を信じてはならないとは教えていません。他の霊的な存在を認めてはならないとも命じてはいません。少なくても、旧約聖書の時代、他にも神々と呼ばれる存在がたくさんあったというのは、自明の理だったのです。新約に至って、パウロのような偉大な神学者は、この神以外に神は存在しないと明白にしていますが、多くの一般のクリスチャンたちは、他の神々の存在を信じていたことでしょう。そしてそれは、クリスチャン信仰の妨げになっていません。その神々の中で、私たちの神こそ天地の創造者であり、私たちを救い出したお方であるから、この方だけを礼拝するというのが、多くのクリスチャンの信仰だったのです。

 聖書を書いた人々も、それを直接受け取った人々も、現在私たちがアニミズムと呼ぶ共通の世界観を持っていました。キリストの時代に力があった、ギリシャ哲学の中ではエピクロス派、ユダヤ人のなかではサドカイ派の人々が、霊的な存在を認めていなかったことで、少しばかり異なった世界観を持っていた可能性がありますが、どちらも少数派でした。大多数の人々は、神も悪魔も、天使も悪霊も、人間とおなじレベルの世界、あるいは同じ次元で活動していると信じていたのです。彼らは人間と異なった世界あるいは次元で、肉体を持たない霊的な存在として生きていながら、しばしば肉体を取って、あるいは人間の目で捉えることができる姿をとって、人間の世界に侵入して来ることが出来ると考えられていました。

 21世紀にあって最も啓蒙思想が強い国、科学的思考が進んだ国日本においても、霊的存在者たちを信じている人々はたくさんいます。さまざまな宗教的背景、文化的環境の中で、実に多彩で矛盾だらけの迷信俗信の類がまことしやかに語り継がれ、メディアにも盛んに取り上げられています。2千年から三千五百年も昔の聖書時代が、アニミズムの世界であったことは驚くに当りません。 

 一方聖書は、なぜ悪魔や悪霊が存在するようになったかと言う問いには、答えていません。聖書は本来、形而上学の問題を論じる書ではなく、人間の救いの方法を示す実際的な書物だからです。ただ、天使のかしらであったのに、神に反逆して追放されたルシファーが悪魔となり、彼に従った天使たちが悪霊になったという説はあります。確かに聖書にはそれらしき記述がありますが、断定できるほど確実ではありません(イザヤ14:12〜15)。従って、ここでは、悪魔や悪霊、あるいは天使たちの発祥についての論議はさけて、具体的な問題を論じることにします。

Y B ネオペンテコステの人々のやっていることの危険

 筆者がこのような問題に重要さを感じるのは、この悪霊追い出しの辺りに、現代のネオペンテコステの人々の重大な危険のひとつが、潜んでいると感じるからです。病気などに関わる悪霊の働きを認めて、キリストのみ名によって追い出すことは、伝統的なペンテコステに属する人たちも長い間続けてきました。それは正当な聖書解釈から、充分に論証でき、擁護することが出来る信仰の実践です。ところが、ネオペンテコステの人々の多くは、いま盛んに、地域霊の追い出しあるいは縛り、さらには先祖の呪いの断ち切りなどと言うことを行なっています。これは、伝統的ペンテコステの人々の知らなかったことです。

 筆者もまた、復帰前の沖縄の田舎とフィリピンの未開発部族の間に住み、開拓伝道を行なってきた者として、随分多くの悪霊追い出しを行なってきたものです。多分、一般的な日本のペンテコステ系の牧師の、誰にも負けないほど多くの実例を挙げる事が出来るでしょう。沖縄は日本でもっとも占いや霊媒の盛んな地方で、ユタ、ノロ、カミンチュウと呼ばれる人々が、今も活躍しています。フィリピンは東南アジアでも最も霊的現象の多発している国のひとつで、筆者が活動した地域は、中でも非常に有名でした。高島屋易断の最高指導者によると、世界でもっとも霊的活動が激しい地域であるということでした。不思議な霊的現象は日常茶飯事で、素手で内臓の手術をするとかで、日本のメディアでも盛んに取り上げられた人物も、筆者の家から直線で1kmほどのところに住んでいました。彼のところにはアメリカ、日本、ドイツ、オーストラリアなどから、チャーター機で団体客が押し寄せていました。みな医者に見放され、この人物の治療を受けるために来たのです。しかし、地域霊の追い出しや、先祖の呪いの断ち切りなどということは、筆者のまったく知らない、新しい考え方でした。

 筆者が危惧するのは、自分がまったく知らなかったことだからではなく、これが聖書的に非常に疑問の多いことであり、世界中のアニミズム信仰と交じり合って、キリスト教シンクレティズムに陥る危険性を孕んでいるからです。これらの実践の推進に努めている人々が、かなり有名な学者であったり、広く用いられている大衆伝道者であったり、成功した牧師であったりすることから、また、彼らがマスメディアの上手な使い手であったりすることから、いまこれらのことが、世界中のペンテコステ運動の中に浸透しつつあるのです。

Y C 地域霊の問題

 特に地域霊の追い出し、あるいは縛りに関して言えば、これの推進者たちは口をそろえて、これこそが伝道の、あるいは宣教の鍵であるといいます。どんなに伝道が進まず、宣教が妨げられていたところでも、その地域を支配している霊を探り出し、これを追い出すならば伝道は進展し、宣教は成功すると言い切ってはばかりません。そして彼らは幾多の実例を挙げて、自分たちの主張を実証しようとします。自分の伝道や宣教に行き詰まりを感じている牧師や宣教師ならば、思わずすがりつきたくなるような宣伝内容で、一般商業の世界ではまさに誇大広告で告発されそうなものです。先日も筆者は東京に出張したおり、ピーター・ワグナーが編集した、地域霊を追い出すための「霊的地図作成」の宣伝文書に目を通しました。一冊の本全体で、何人もの著者が言葉を取り替え表現を作り変えて、地域霊を追い出すことがいかに牧会と宣教の働きに大切であるか宣伝していましたが、聖書の裏づけがまったくありませんでした。怪しげな聖書の引用は、やっとひとつふたつ見つけましたが、正当な聖書の解釈による健全な裏づけは皆無でした。

 彼らの主張によると、聖書の教えに反するものは許されないが、聖書の教えを超えているだけならば許されるということでした。そして彼らによると、地域霊を追い出せば宣教が飛躍的に進むという教えは、聖書の教えを超えているだけで、聖書の教えに反してはいないことになります。ですから本当のところ、彼らの主張に聖書的根拠も裏付けもないのが当然です。聖書に書かれていないことをやっているのは、彼ら自身が充分に知っているのです。でもこれは、一般の世界で言う「屁理屈」、理論のすり替えに過ぎません。確かに、聖書に記されていないものすべてが悪いのではありません。電気も飛行機もコンピュータも聖書には記されていません。ですからそれらが悪いとは言いません。私たちはアーミッシュではないのです。自分たちの古い伝統に、不要にしがみつく必要はありません。しかし、そのために大規模な地図の作成をし、地域霊を探し出し、名前を見つけ出し、それを追い出すなどということは、それとはまったく異なった問題です。電気も飛行機も、信仰と信仰生活の実践には関わりのないことです。そのような事柄に聖書はなんら基準や規範を設けていないのです。ところが地域霊の追い出しは、私たちの信仰と信仰の実践に関わる問題であり、聖書が記している原則から外れてはならないのです。

 問題はまず、地域霊なるものの存在を、聖書は教えているかと言うことです。これに対する彼らの聖書的根拠は非常に弱いものです。まず、彼らのよって立つダニエル書の記述を、地域霊の存在の根拠と断定するのは、あらゆる聖書解釈の原則から言って困難です(ダニエル10:13)。また仮に、彼らが言っているように、ダニエル書の記述が地域霊の存在を証明するものであったとしても、その地域霊なるものの存在が普遍化され、一般化されるべきものであるという理由はありません。つまり、いつでもどこでも地域霊なるものがいて、その地域を支配していると考える論拠にはならないのです。特定の地域を支配する悪霊と言う観念は、聖書の観念として取り上げるには、確実な記述がまったくなく、示唆する記述さえあまりにも少なすぎるのです。また、霊的地図作成の聖書的根拠として挙げられている箇所も(エゼキエル4:1〜3)、根拠として取り上げるにはまったく不十分です。でも、すでに述べたように、彼らにとっては聖書的根拠ほとんど不要なのです。彼らは、自分たちが聖書を超えたことをやっていると理解しているからです。

 さらに当然ながら、地域霊が伝道と宣教の妨げをしているという、聖書の教えもありません。地域霊を追い出すならば宣教が進展するという「ほのめかし」さえもありません。キリストの教えの中にも実践の中にも、地域霊を思わせるようなものはひとつもありません。弟子や使徒たちの教えの中にも働きの中にもありません。もしも、地域霊を追い出すことが伝道の秘訣であり、宣教の秘訣だとするならば、キリストが語らないはずはありませんし、使徒たちが実践しないはずがありません。ところが、ちなみにパウロの足跡を見ても、そのようなものはありません。ルステラにおいては、こともあろうにパウロたちが神々として祭り上げられそうになりましたが、地域霊の地の字も出てきません(使徒14:8〜18)。ピリピで占いの霊に憑かれた女奴隷から悪霊を追い出したとき、パウロは地域霊については何もしていません(16:16〜18)。偶像で満ちていたアテネこそ、地域霊の追い出しにはもってこいの場所だったはずですが、パウロは一所懸命に説教をしただけです。彼はまた、アレオバゴスで多くの悪霊に取り囲まれて、恐れ慄くようなこともありませんでした。(17:16〜34)。コリント教会が、パルテノン神殿の悪影響のために非常にモラルが低く、教会の成長も妨げられていたときも、パウロはそれを地域霊のせいにはしませんでした。コリントで、幻によってパウロに語りかけられた主も、「地域霊を追い出しなさい」とはおっしゃらずに、「恐れないで、語り続けなさい」と、おっしゃいました(18:1〜11)。エペソでは多くの魔術の書物が焼かれましたが、これは宣教の結果であって地域霊を追い出したからではありません。偶像を作っていた銀細工職人、デメテリオのために騒動が持ち上がったときも、地域霊との戦いと言う認識はありませんでした(20:8〜41)。

 パウロの宣教活動には、現在多くのネオペンテコステの人々がやっているように、あちらの神社、こちらの寺院、向こうの祠、道端の偶像を取り巻いて、「悪霊よ。出て行け!」と命じた形跡はまったくないのです。はっきりしているのは、パウロも他の使徒たちも一般の信徒たちも、初代教会のすべてが、地域霊なるものを知らなかったということです。聖書にまったく教えられておらず、一度も実践されたことがないことを、教会の活動の優先事項に持ってきてはならず、信徒や伝道者の重要な活動に据えてもならず、信徒たちの信仰と実践の一部にしてもならないのです。ところが地域霊追い出し運動の指導者たちは、これは聖書の教えを超えているが、聖書の教えに反してはいないから、認められるべきであると主張しているわけです。キリストも弟子たちもまったくあずかり知らなかったこと、パウロにも啓示されなかったことが、2000年代になって、突然誰かに新しい教えとして啓示されたのでしょうか。健全なクリスチャン信仰は、そのような新しい啓示を認めません。クリスチャン信仰と信仰の実践についての基本的な教えは、すべて聖書に啓示されているというのが、私たちの信仰です。私たちは聖書に記されていることに書き加えたり、削除したりしないのです。そのようなことを行なうと、キリストと使徒たちの基本的教えから離れ、異端化していく危険性が非常に高くなるからです。

 たとえば、どうでしょう。聖書には宇宙人の存在については何も語っていません。ですから、この分野では聖書に反せず、聖書を超える教えをたくさん作ることができます。新天新地には、救われた者たちが永遠に生きるのですが、実はすぐ近くの天体には罪に染まらなかった宇宙人がいて、彼らは神の僕として、巨大宇宙船で天のみ国を訪れて来るなどと言うのはどうでしょうか。彼らは罪のために汚れた地球人を完全に聖める神の働きを補佐し、傷つき病んだ地球人の体を完全に癒す働きを助け、やがて地球人と共に住むようになり、新天新地においては結婚によらない、あるいは男女関係によらないハイパー・テクノロジーで生殖を行い、新しい種類の人類が誕生するなどと言うのも、面白いですね。このような奇想天外の作り話も、聖書の教えには反していません。聖書の教えを超えているだけです。私たちはこのような物語が、私たちの信仰に混入してくるのを許さないのです。すでに述べたように、現在最も問題なのは、この地域霊の追い出しのようなことが、聖書の世界観や信仰ではなく、聖書を離れたアニミズムの世界観から派生してきたと思われることです。

 また私たちは、この地域霊の提唱者たちが、どのように大きな成功例をどれほどたくさん列挙しても、心を動かされるべきではありません。教会を大きくしよう。成功した伝道者になろう。立派な教会を建てようなどと言う意識が、ついつい成功志向に傾き、「たくさんの人を集めることは良いことだ」と感じるようになり、「たくさん集めることが良いことだ」と変わり、「たくさん集めることこそ良いことだ」となってしまうのです。世界中にはたくさんの宗教があり、たくさんの思想運動があります。どれほど多くの人間を獲得し、どれほどたくさんの人々を動員したかが、物事の正しさを証明するのではないのです。私たちの仕事はたくさんの人間を説き伏せたり、動かしたりすることではありません。福音を正しく伝え、正しい神にたいする正しい信仰を持ってもらうことです。この地域霊に関する問題では、ルカとパウロの神学を比較するまでもありません。他の誰の神学を持ち出す必要もありません。聖書のすべての書がこれについては何も語っていないのです。

Y D 先祖の呪いを断ち切る

 現在のネオペンテコステ系の人々が、盛んに行なっているもうひとつのことに、先祖の呪いを絶ち切る働きがあります。これもまた、聖書が何も語っていない事柄です。ですから、基本的に地域霊を追い出す行為と同じ問題を孕んでいます。特異なのは、「先祖の呪い」という観念です。果たしてこれは聖書の教える事柄でしょうか。「先祖の呪い」などという、おどろおどろした、日本人の感覚からすると仏教的な因縁話に聞こえるものが、たしかに存在すると聖書は教えているのでしょうか。そしてその呪いのゆえに人生にさまざまな不幸が起ったり、教会の伝道が行き詰ったりすることがあり得るのでしょうか。

 筆者のところには、最近いろいろな信徒や牧師から、信仰相談が寄せられます。たいていは電話ですので、筆者は相手の名前や住所や所属教会を尋ねずに、また、自己紹介として聞いたとしてもそれを覚えずにお話をします。知らないということは、公平を保つ良い方法だからです。その中で一番多いのが、この先祖の呪いの問題です。先祖の呪いがあるといわれ、会衆の真ん中に立たされて長い間手を置いて祈られ、呪いの断ち切りをされると、大変な恐怖感に襲われるようです。自分には呪いがかけられているという恐れが、どこまでも付きまとうようになります。たとえ、断ち切りの祈りで、一時的に開放感を味わっても、いつまた呪いが戻ってくるかと言う不安が離れないそうです。そして、多くの場合、断ち切りの祈りをする伝道者や牧師は、(これがまた、結構、名を知られた方たちです)「あなたに及んでいる先祖の呪いはとても強いから、一回の断ち切りでは不充分です」などと言うのだそうです。それが脅しになり、不安に駆られ、いても立ってもおれなくなり、またその伝道者を招くことになるのだそうです。これでは占い師と同じです。

 先祖の呪いという観念を支持するような表現は、確かに、有名な十戒の中で用いられています。「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、私を憎むものには、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、私を愛し、私の命令を守る者には、恵みを千代まで施すからである」と、書かれている通りです。(出エジプト20:5、申命記5:9、11:28〜29,28:15〜68)。ただし、これをもって先祖の呪いという観念を正当化するのは困難です。

 まず、ここで言う呪いというものの性質に関わります。日本人が呪いというと、おどろおどろした因縁因果の繋がり、あるいは霊的な繋がりを感じさせられます。先祖の因果が子孫に及んだり、親の罪が子に刑罰をもたらしたり、親に働いていた悪霊の影響が子にまで伝わるという感覚です。血筋に流れていると受け取った信徒もいたようです。これはアジアでは、宗教の違いがあってもかなり共通の感覚のようです。先祖の呪いと言う教えが西欧キリスト教の発明品だとすると、西欧にも、そのような感覚があるのかもしれません。しかし聖書には、ヒンズー教や仏教に見る因果応報の思想や、家系にとりつく呪いや、先祖からのたたりなどという考え方は、まったくありません。旧約聖書の中には、誤った異邦人的感覚を持ち込んで、先祖の罪のために子孫を罰した事件が幾度か記されていますが、それさえも神の教えに基づくものではありません。聖書ははっきり、親の罪を子が負うべきではないと教えています。それが原則です(申命記24:16、U列王14:6)

 では「父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし」とは、どういう意味でしょうか。まずこれは、因果応報の摂理とか、血筋や悪霊に関わることではなく、主の呪いであり、主の刑罰であるということです。また具体的に、それが何かと言うことについては、常識を持って聖書を読むならば解ります。主がご自分の祝福を控えられる結果、地は穀物を生産せず、疫病が蔓延し、敵に襲われるなどと言うことです。たとえば、エジプトを出たイスラエルの人々は、神に背いて罪を犯しました。その結果、彼らは神の祝福を逃し、荒野に40年間さ迷い、あらゆる艱難を経験しなければなりませんでした。イスラエルが罪を犯したときにはまだ生まれていなかった若い者たちも、親の罪のゆえに、辛苦を味わったのです。歴史の出来事は必ず結果をもたらします。それは民族や国家のレベルでも個人のレベルでも同じです。悪い王の罪と悪い選択は、長い間国家を苦しめます。怠け者で子どもを教育できなかった親のために、子どもたちは何代までも苦しみます。それは当然のことです。

 注意したいのは、この十戒の言葉は呪いだけで終わっていないことです。と言うよりむしろ、この呪いの言葉は、そのすぐ後に続く祝福の大きさを際立たせるために、対比として用いられているのであって、呪いを強調しているのではないのです。のろいは三代、四代までですが、恵みは千代までなのです。親の罪の結果が子どもたち孫たちに及ぶのは当然です。しかし、神は命令を守る親のために、子どもを千代まで祝福すると語り、のろいを消滅させて余りある恵みを強調しているのです。なぜ今、ネオペンテコステの人々は千代まで及ぶ神の祝福を強調せずに、三代、四台に及ぶ呪いを強調するのでしょう。それは、聖書の読み違いです。ましてや、その呪いは、親の血が子に及ぶとか、親に憑いていた霊の力が子に引き継がれるとか、親の罪の結果を子が受けていかなければならないとか、先祖の因果が子孫に及ぶ因縁物語とは違うのです。

 ここで筆者は、家系にとり憑いている悪霊とか、先祖代々に及ぶ霊との関係と言うものを、まったく否定しているのではありません。牧会体験の中では、家系や一族の中に働いていると思われる、霊的な力との対決も幾度かしてきました。そのような霊を追い出したこともあります。筆者が言おうとしていることは、先祖の呪いを絶つという概念も働きも、聖書の中にはまったくないということです。キリストもそのようなことはお教えになっていません。弟子たちも断ち切りの祈りをやっていません。ですから、それを教会の働きとして強調したり、信仰の一部に取り入れたりしてはならないということです。

Y E 悪霊に対する態度

 次に取り上げたいのは、悪霊追い出しの手法というか、悪霊に対する対処に関する事柄です。キリストや弟子たちの悪霊に対する態度は、攻撃的と言うより防御的でした。パウロがエペソ書6章10節から17節で教えた、悪魔に対抗するための武具が、すべて防御の武具であることも象徴的です。「御霊の与える剣」でさえ攻撃用の大きな刀ではなく、防御用の小さな刀を意味しています。キリストや弟子たちは悪霊どもを追いかけて村々町々に出かけて行き、悪霊に捕らわれた者を見つけ出しては悪霊を追い出し、地域霊を探し出してはこれを打ち負かしたのではありません。キリストや弟子たちが自分たちの目的として行なっていたことは、あくまでも神の国の福音を述べ伝えることでした。その目的のために村々町々を巡り歩かれたのです(マルコ1:38)。そのようにして福音を語り歩く途上で、悪霊にとり憑かれた者たちに出会うと、神の国が到来したしるしとして悪霊を追い出して行かれたのです。悪霊を探し出して追い出したのではありません。

 キリストの悪霊追い出しの例を見ると、悪霊に憑かれた人々を憐れんで、悪霊を追い出しておられたのがわかります。ただ、力を見せつけて人集めをするためではありません。つまりキリストの目的は、悪霊を追い出すことではなく、苦しんでいた人々を解放することにあったことがわかります。その解放が病からの解放であったり、罪からの解放であったり、悪霊からの解放であったりしたのです。そしてその解放はキリストであることの証明であり(ルカ4:18)、神の国の到来の証拠でした(ルカ11:20)。

 パウロの悪霊追い出しの記録は、あまり多くはありません。彼の場合も基本的に、解放する働きであったと考えられますが(使徒19:12)、詳しく経緯が記録されている悪霊との対峙の場面は、ふたつだけです。両方とも、悪霊に憑かれた者の行動が福音宣教の妨げとなったために、パウロがそれに対処したものです。まず、キプロスのバルイエスは、地方総督セルギオ・パウロが信仰に入るのを妨げようとしたために、パウロから叱責を受けました(使徒13:6〜12)。ただしパウロは、この魔術師に出会って、直ちに悪霊を追い出そうとはしていません。彼が福音の宣教の邪魔立てをしたために、叱責したのです。その結果、魔術師の目は見えなくなってしまいました。バルイエスの場合は、悪霊に憑かれて苦しめられていたのではなく、積極的に悪霊と協力していたのです。したがって、彼は憐れみを受ける対象にはならず、かえって叱責されたのです。この出来事によってパウロは、自分の述べ伝えていた福音の力が、魔術師の力に勝ることをまざまざと見せ、地方総督の信仰の決断を促したのです。

 女奴隷から占いの霊を追い出したピリピでの出来事は、パウロの悪霊に対する態度を良く示しています(使徒16:16〜23)。ここでも彼は、この女奴隷が悪霊に憑かれていることを見て、直ちに悪霊を追い出したのではありません。幾日もこの女奴隷につきまとわれ、邪魔をされて困り果て、とうとう我慢が出来なくなって悪霊を追い出したのです。彼の旅行の目的は、神の国の福音を宣教することであって、悪霊を追い出すことではなかったために、この女が福音宣教の邪魔にさえならなければ、何事も起らなかったはずです。またこのときも、パウロは彼女に憐れみを感じてはいなかった様子です。彼女も周囲の者も、彼女が占いを行なうことを生きる糧としていて、悪霊と協力していたからです。

 もうひとつ明らかにしておくべきことは、キリストも弟子たちも、すべての病気が悪霊によるものであるとは語っていないことです。福音書は、直接悪霊とのかかわりのない病気と、悪霊のかかわりによる病気を分けて記録しています。ペテロの姑の熱病は、悪霊とは関係がありませんでした。天井から吊りおろされた男も、悪霊に憑かれていたのではありません。12年長血を患っていた女も、悪霊に憑かれていたのではありません。パウロに少量のぶどう酒を勧められたテモテも、悪霊に憑かれていたのではありません。すべての病は、間接的に罪の結果であり、悪魔の働きの結果です。しかしすべての病が、直接悪魔や悪霊に関わっているのではないのです。悪霊が憑いた結果の病気ではないのに、悪霊の追い出しをやっても始まりません。聖書の記録を見る限り、精神病や聴覚障害などには、悪霊のかかわりが多いようですが、単純には分類できません。精神病にも、悪霊と関わりのないものがたくさんあるでしょう。聴覚障害も同じです。このあたりには、霊を見分ける力が必要だと感じます。ただし、この霊を見分ける能力も、ただ心の中に異常を感じるとか、本能的な嫌悪感に包まれるというような、感覚的なものだけを強調してはなりません。「霊を差別なしにみな信用してはいけません」と忠告したヨハネも、「それらが神からのものかどうかを、ためす」基準を、感覚にではなく、キリスト・イエスを告白するかどうかという、神学的な知識に置いています(Iヨハネ4:1〜3)。

 個人的には、筆者も多くの障害者や病人のために祈ってきました。時には奇跡的に癒された例もあります。またこれは悪霊によるものだと、確信できるものもありました。そのようなときには、キリストのみ名の権威によって悪霊を追い出しました。まったく個人的経験による感覚ですが、筆者は、病気や障害の癒しよりも、悪霊を追い出すほうが易しいと感じています。悪霊はキリストのみ名の権威に逆らえず、直ちに従わなければなりませんが、癒しは、物理的な要因が大きいからであり、完全な癒しは、完全なみ国の完成を待たなければならないからでしょうか。もちろん、悪霊の中にはなかなかしぶといのもいて、一週間以上も、キリストの権威をかざして戦い続けた場合もありました。自分には、パウロのように権威の行使ができないのかと悩みながら、それでも恐れることなく戦ったものです。

 とにかく、こうしてみると、キリストも弟子たちもアニミズムの世界で、アニミズムの感覚をもって働いておられたことは明らかです。しかし、現在流行のネオペンテコステ系の人たちのように、悪霊を探し出し、追い廻し、追い出そうとしておられたのでもないことが解ります。悪霊が福音宣教の妨げをしようとしていることは当然です。しかし、宣教の妨げを仕切っている地域霊などと言う存在を、キリストもパウロも語っていません。地域霊の追い出しも行なっていません。むやみやたらに「悪霊、悪霊」と騒ぎ立ててもいません。福音宣教の途上で遭遇する、悪霊に捕らわれて苦しんでいる人を見たら、悪霊を追い出せば良いことです。福音宣教の妨げをしようとする悪霊がいたら、キリストの権威によって叱りつければ良いことです。

Y F 悪霊に憑かれるということ 

 ふつう、伝統的なペンテコステ信仰に立つものは、クリスチヤン、すなわち救われて神の所有となった人々は、悪霊に憑かれることはないと信じて来ました。キリストに贖われ、神に所有され、聖霊に住んでもらっている人間、すなわち「possessed」された人間が、悪魔や悪霊に「possessed」されるはずがないと、理論的に、また神学的に主張するのです。ところが、ネオペンテコステ系の人たちの多くは、クリスチャンでも悪魔に憑かれ、悪霊に憑かれることがあると、体験的に主張します。彼らは、多くのクリスチャンが悪霊に憑かれて苦しんでいたのを、キリストの権威によって解放してきたと主張します。

 ただしこれはむしろ、憑かれる(possessed)という言葉の、定義に関わるものだと考えるべきです。悪霊なるものが、キャベツに付く青虫のように、人間に取り付いて食い荒らして穴だらけにするのなら、つまんで取り払い、足で踏みつけて潰せばよいことです。青虫が単なる動物であり、キャベツも植物に過ぎません。しかし悪霊は霊的存在で、人間もまた霊的存在です。霊的な事柄を物質の喩えで説明しつくすことはできません。つまり、日本語で「憑く」と言ったり、英語で「possess」と言ったりする現象は、物が物にくっついている事柄ではなく、悪霊の力や影響力の及ぶ度合いに関わるからです。

 確かに伝統的ペンテコステの人々が言うように、キリストの所有とされた人々が、同時に、悪魔の所有とされることはあり得ません。しかし、キリストの所有とされていながら、まだまだ悪魔の影響力の下にあることは、充分に考えられます。というより、それが通常の状態なのです。悪魔も悪霊も、常に私たちの隙をうかがい、攻撃してきます。私たちはまだまだ不完全な状態にいます。ですから罪も犯せば不信仰にも陥ります。ペテロのように、ふるいにかけられることもあるでしょう。失望落胆のさなかにあるクリスチャンは、肉体的にも精神的にも、あたかも、悪霊に憑かれていると思われるほどの状態になるかもしれません。この世に生きている間、私たちは不完全なのです。しかし、私たちが救い主である方に信仰を持ち続けている限り、たとえ傍目にはどのように見えたとしても、私たちは神の所有であり、悪魔の所有ではないのです。悪霊が住み着くことも出来ません。キリストが住んでおられるからです。

 口語訳聖書によると、ヨハネは、「神から生まれた者は罪を犯しません」と語りました(Iヨハネ2:9)。そのために、罪を犯したクリスチャンたちは、自分は神から生まれたものではない、キリストのうちに留まっていないと考えて、ずいぶん悩んだものです。その辺りを考慮してか、新改訳聖書は「神から生まれた者は、罪のうちを歩みません」と訳し変えました。ギリシャ語原典の文法によると、この罪を犯さないというのは、一度も罪を犯さなくなることではなく、継続的に罪を犯すことはなくなるとの意味で、新改訳のほうが原語の意味に近いと言われます。

 神の所有の民(Iペテロ1:9)とされた人々も、しばしば悪魔と悪霊の悪巧みによって罪に陥り、霊的にも肉体的にも、彼らの強い影響の下に下ることもあるでしょう。しかし、神の所有の民であることを自覚し、信仰を保ち続ける限りにおいて、悪魔の所有とされることはなく、悪霊どもに完全に憑かれてしまうこともあり得ないのです。しかし、牧会の働きの中で、クリスチャンの日常生活のうえで、クリスチャンを攻撃している悪霊どもを叱りつけ、追い払うことは大いにあり得ると判断されます。キリストは悪魔のふるいにかけられるペテロのために祈ってくださいました。私たちもまた、悪魔のふるいにかけられ、悪霊の攻撃に晒されているクリスチャンたちのために祈るべきです(ルカ22:31〜34)。

 さらに、キリストの教えによると、悪霊に住み着かれていた人が悪霊を追い出してもらい、そのままの状態でいると、つまり、キリストに住んでいただかないで、あるいは聖霊の内住をいただかないで、空き家の状態のままでいると、非常に危険だということが解ります。一度は追い出された悪霊が、行くべきところを見つけられずにもとの所に戻ってみると、綺麗に片付けられたまま空き家の状態になっていたために、自分よりさらに性質(たちの悪い七つの悪霊を連れて戻ってきた。それでその人の状態は、以前よりひどくなってしまったというのです。ですから、キリストの権威によって悪霊を追い出したならば、必ず、キリストを信じ、聖霊の内住を頂くように勧めなければなりません(マタイ12:43〜45)。

 いったいどうして、ネオペンテコステの人々は悪霊を恐れるのでしょう。悪霊を追い出すと主張していながら、神社や仏閣を訪れることを極度に恐れ、自分が留守にしている間に家族や教会に、悪霊がとりついたり悪い影響を与えることを恐れ、「神様どうぞお守りください」と、特別に、いちいちお祈りしなければならないのはどうしてでしょう。キリストの教えによるならば、私たちには悪霊ではなく、み使いがついている可能性のほうが高いのです(マタイ18:10)。たとえみ使いはついていなくても、私たちのうちにおられる方は、この世のうちにいる、あの者よりも力があるのです(Iヨハネ4:4)。

終わりに

 伝統的なペンテコステの信仰を継承している私たちは、いま二つの極端な考え方に対して、しっかりとした答えを持っていなければなりません。ひとつは主に福音派の人たちのもので、ペンテコステ派の主張には聖書的な基盤が欠けているというものです。もうひとつは、私たちから見て、聖書的基盤を欠いているネオペンテコステ系の人々のもので、聖書に記されていない事柄を、教会の働きの主要なものにするというものです。この拙文においては、その二つの極端な考え方に対して、基本的な答えを提供したものです。答えはひとつ。聖書に立脚すると言うことです。

 福音派の人たちは、自分たちの伝統的な神学に捕らわれずに、聖書を学びなおす必要があります。伝統的な神学は、正しい聖書の学び方がまだあまり注目されていなかった、数百年も前の時代に構築されたために、聖書の教えをかなり無視したところがあります。彼らが公平で真に学問的に聖書を学ぶならば、ペンテコステ神学は、聖書の正しい解釈の上に立つものであることが、充分に解るはずです。同時に、彼らが確実なものとして継承してきた自分たちの神学のそこここが、ペンテコステ神学ほどは、聖書に立脚していないことも分かってくるはずです。

 一方ネオペンテコステの人々は、自分たちが育った福音的神学が、あまり聖書に立脚していなかったところから、ペンテコステ運動に加わってきてからも、そのまま聖書を軽視する伝統をひきずって、聖書に立脚しないペンテコステ神学を築き、聖書に実例のないペンテコステ実践を作り上げています。地域霊も先祖の呪いも、聖書とはかかわりがありません。また、ここでは取り上げませんでしたが、按手、使徒職の分与、権威的な師弟関係、預言、セルグループ、五職の回復、ダビデの幕屋の回復などという、いわゆるレストレーション系の間違いも、同じように、聖書に忠実でないところから生まれています。ネオペンテコステでは、かつての福音派系の人々とこのレストレーション系の人々が、いま、複雑に絡み合い、交じり合っていますので、ほとんど見分けが付かなくなっています。

 残念ながら、私たち、伝統的なペンテコステの信仰に属する人々の中にも、ネオペンテコステの人々の教えや実践に、惑わされている人々が出てきています。私たちの教団は、神学的な多様性を持っていて、聖書の解釈上許される見解に対しては、たとえ自分たちと違う立場であっても寛容に取り扱います。また、少々の間違いがあっても、人間にはもともと完全はあり得ないのですから、寛容な態度で交わりを保ちます。そして、一致できる基本的な聖書の教えをもって交わりを共にします。それが私たちの教団の伝統であり、よほどのことがない限り、排斥はしません。ですから、いま、ネオペンテコステの教えと実践に影響を受けているからと言って、その人たちをやたらに責め立てることはありません。たとえその点においては間違っていても、他の多くの面で健全な神学を持ち、正しい信仰の実践を進めている可能性があるからです。ただしその人たちが、私たちの中に間違った教えを広めていこうとするのは、絶対に許されないことです。筆者の願うことは、より多くの同労者諸師が、危機感をもってこの問題に対処し、誤った方向に向かっている教職や教会があったならば、寛容な心を持ち続けながらも誤りを示し、正しい聖書理解に立った信仰を取り戻してもらうように、祈り努めていくことです。

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