聖霊のバプテスマと異言

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聖霊バプテスマと異言


 最近のペンテコステ運動の世界的発展には、目を見張るものがある。その複雑な幅の広さから、正確なことは誰も把握しきれるものではないが、いまや世界中で、少なく見積もっても5億近く、ある報告によると6億を越えるほどの人々が、この運動の影響の下にあると報告されている。20世紀の初頭、アメリカの片隅でみすぼらしい誕生してからまだやっと一世紀を経過したばかりだというのに、カトリックに次ぐ第二のキリスト教勢力となるまでに成長したのである。宗教運動としてはまさに稀有な現象である。

 このような運動に対しては、もちろんさまざまな方面からの批判や反対があった。実際、熱狂的になりすぎたあまりの、目に余る行動や主張もそこここに見られ、キリスト教内外からひんしゅくを買うことも少なくなかった。私たちアッセンブリーズ・オブ・ゴッドは、このペンテコステ運動の中心的な群れとして、多くの熱狂的な人々をも内に抱えながらも、全体としては極端に走らず、神学においても実践においても、聖書の教えに忠実であろうと、常に心がけて来た。そのような「生ぬるさ」に我慢ができず、袂を分かち独自の働きを進める人々も少なくなかったし、神の祝福と力を自分の利得のために用い始め、兄弟姉妹の忠告を嫌い、交わりを離れる者もたくさんあった。しかし、私たちは自分たちの純潔さを誇る排他的な交わりではなく、多くの相違と問題を内包しながら寛容を旨として、聖霊による一致と交わりと清さを求めながら進む方向を保ってきた。そのために、神学的にも道徳的にも厳しい福音派の兄弟たちの、批判と叱責を甘んじて受けなければならないことも、たびたびあったことを認めるものである。

 アッセンブリーズ・オブ・ゴッドは、現在、世界中におよそ5千万人の信徒を擁するだけで、全ペンテコステ運動の約1割に過ぎない。しかし、実に多様なペンテコステ運動の中ではもっとも大きな影響力を持つ群れとして、大切な役割を担っている。ただひとたび目を日本に転じると、様相はとたんにみみっちくなる。何しろ、日本のクリスチャンの総数は人口の1パーセントといわれていながら、実質的には、すなわち本物のクリスチャンは、0.2パーセント程度であろう。その中でペンテコステ運動に加わっている者の数は、さらに少ない。そして日本のペンテコステ運動は、まだ教会全体からは認知されたとはとてもいえない。とはいえ、このような状態の日本でも、成長している教会の多くはペンテコステ運動にかかわっている教会であると聞く。その中で、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドはやはり中心的な役割を果たしているといえる。また今後も、少なくてもしばらくの間は、その役割を担い続けなければならないであろう。

 現在のペンテコステ運度は、いわゆるカリスマ運動や第3の波運動を含むネオペンテコステ運動や、さまざまな国と民族の文化を背景とした土着の運動までを含む、よく言えば幅の広い、悪く言えば統一の取れていない運動である。実に幅の広い教会の歴史的伝統と、神学的伝統が含まれている上に、多種多様な文化的要因がある。ただ、そのようなさまざまな様相を越えて共通しているのが、現在も私たちと共にいて、直接私たちの生活に関与してくださる聖霊に対する信頼である。

 20世紀のはじめに誕生したペンテコステ運動の伝統を強く引き継ぐ、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドのような「クラシカル・ペンテコステ」の人々の多くは、その聖霊の働きをより狭い聖霊のバプテスマという体験に関係付けて理解してきた。ところが現在のペンテコステ運動の中には、聖霊のバプテスマそのものに対してはあまり関心を持たず、聖霊の働き全般に強い関心を寄せるという人々が増えてきた。聖霊の働き全般に関心を示すことは悪いことではない。むしろとても素晴らしいことである。それは、聖霊の働きどころか聖霊そのものにほとんど関心を示さなかった、中世のカトリック神学や宗教改革の神学からの脱却であり、新しいクリスチャン生活、つまり、儀式と信条によるクリスチャン生活から、生きた聖霊に信頼したクリスチャン生活へ向かうことである。しかし、それは基本的に、19世紀のホーリネス運動やリバイバル運動への逆行でもある。ペンテコステ運動は、それらの聖霊強調運動の中からさらに進んで、聖霊の特殊なひとつのお働きへの強力な関心から生まれてきたものである。その聖霊の特殊なお働きとは、聖霊のバプテスマである。いま、ペンテコステ運動の中から聖霊のバプテスマへの関心が薄れつつあるのは、聖霊の神格と働き全般に対する理解の深まりは積極的に評価するとはいえ、やはり、運動の後退と判断すべきである。

 聖霊のバプテスマに対する関心が薄れた背景には、いろいろな理由が考えられるが、その大きなもののひとつに、クラシカルなペンテコステ運動に属する人々が理解してきた、聖霊のバプテスマの証拠としての異言という理解が、聖霊のバプテスマを重要視する人々の中でも、あまり支持を受けなくなってきたということが挙げられる。その結果、異言の伴わない聖霊のバプテスマというものが主張され、異言を伴わない聖霊体験で満足するペンテコステ運動の人々が多数現れてきた。聖霊体験の中から、異言で祈るという体験が除外されてきたのである。私たちから見るならば、それは聖霊体験のもっとも素晴らしい部分が抜け落ちたことに他ならず、何を持って聖霊のバプテスマとするかという点が曖昧なために、聖霊のバプテスマ自体の軽視につながっていると考えられる。

 異言を伴わない聖霊のバプテスマというものの主張は、いわゆるカリスマテ運動の人々によってかなり主張されていたが、第三の波の人々の出現によって、さらに強められたものである。特に第三の波の人々の多くは福音派の神学、すなわち改革派やバプテスト派の神学を背景に聖霊を理解しようと勤めてきた。それは、ペンテコステ運動を毛嫌いしてきた福音派の人々の間に、聖霊に対する新たな関心と、ペンテコステ派に対する寛容な態度を作り上げるという貢献をした。しかし彼らの多くが、聖霊に対する関心がまったく薄かった時代に形成された自分たちの神学に、突然、聖霊のバプテスマを含む聖霊の神学を加えることになったために、あたかも、木に竹を接ぐようなことをせざるを得なくなった。その結果、自分たちの聖霊のバプテスマというものをより幅の広い聖霊体験と考え、異言の伴わない聖霊のバプテスマを主張することによって、濃厚な聖霊のバプテスマの体験を伴ったペンテコステ運動を、水で薄めることになったと言える。

 そこでいま、私たちは異言の伴う聖霊のバプテスマの重要性を、改めて聖書から見直さなければならない。もちろん、伝統的なペンテコステの人々は、これまでも異言の伴う聖霊のバプテスマという主張を、聖書を基にくり返してきた。しかし、いまや、伝統的ペンテコステの人々の考え方に対して、新しい解釈学的な手法をもとにして反対する、福音派系の人々が現れてきたために、従来のままの主張では彼らを納得させることはできなくなった。私たちは、彼らの解釈学的手法をまず、取り扱わなければならないのである。

T. 解釈学的手法によってペンテコステ神学へ投じられた新たな疑問

 ここしばらくの、解釈学的手法をもっての伝統的ペンテコステ神学への反論は、次の3点にまとめられる。 @ 異言の伴う聖霊のバプテスマという伝統的ペンテコステ神学は、ルカによる福音書という叙述文から構築されているが、叙述文から神学を構築することは正しくない。A 聖霊のバプテスマには異言が伴ったという理解は、著者のルカが意図的に主張したものではない。著者が意図しなかったところから神学を構築すべきではない。 B たとえ使徒の働きの中に異言の伴った聖霊のバプテスマの記述があったとしても、歴史的前例を現在の私たちの信仰の規範とすべきではない。  

T-A. 叙述文から神学を構築するのは誤っているか

 確かに、ペンテステ神学の中心である聖霊のバプテスマの理解の大部分は、ルカの手になる初代教会の歴史書である、使徒の働きという叙述文によって構築されている。聖霊によるバプテスマという言葉自体、使徒の働き以外には、バプテスマのヨハネのキリストに関する宣言として、4つの福音書がわずかに触れているだけであって、使徒の働き以外から聖霊のバプテスマについて学ぶことは、ほとんど不可能なのである。したがって、聖書解釈上、叙述文から神学を構築することが誤りだとなれば、ペンテコステの神学の主要部分は崩壊せざるを得ない。

 しかし、本当に叙述文から神学を構築することはできないのか。ここで私たちは、叙述文からも神学を構築するのは正当なことであり、また構築しなければならないということを、当たり前のこととして主張する。確かに叙述文は、情景や出来事を述べるだけであって、指示や教育や命令の文章とは異なる。だからたとえば、その指示や教育や命令が主要な内容となっている書簡と、同じ感覚で読んだり用いたりすることはできない。しかし、私たちクリスチャンは、福音派の人々も含めて、みな叙述文から神学を構築してきたし、今もし続けている。たとえば、モーセの5書から始まってエステル書に至るまで、その大部分が叙述文であり、そこから私たちは神学を構築してきた。また叙述文と同じ理由で、詩歌や預言書からも神学を構築することは控えなくてはならなくなるが、私たちはそこからも神学を組み建ててきた。実際叙述文は、神学的な情報と意味にあふれているのである。それを正しく探り出すのが読む者の務めである。

 たとえば、「佐々木は全能の神の憐れみにより、60歳まで生きた」という、短い個人史的叙述文があったとしよう。この中にはさまざまな情報があって、そこから神学的意味を探りだすことは容易である。まず、神は全能であること。神は憐れみという情をお持ちになること。すなわち、神は単なる力ではなく、感情をお持ちになる人格的な方であること。人を生かす方であること。人が生きていくのを遮る、多くの障害を取り除いてくださる方であることなどが直ちにわかる。さらに、佐々木という人間を知っている人は、神が実に忍耐深いお方であり、怒るに遅い方であり、大きな憐れみをお持ちになるということもわかる。そしてこのような叙述文をたくさん集めると、その中から互いに共通する確実な情報が数多く得られ、きわめて安全に神学が構築されるのである。 

 さらにルカの場合、単に公平を期して不偏不党に出来事を記録した、「記録帳」を残したのではない。あくまでも自分の明確な神学と目的にそって資料を集め、選択し、構成して、かなり注意深く書き記したのであって、叙述文の形態を取った、広い意味の優れた教育文書なのである。そこには彼の図太い主張としっかりとした神学がある。ルカの上下2巻の著作は間違いなく神学的な書物である。そのような文章から神学を読み取りそれを構築できないとするならば、神学はやせ細る。また文学などというものも成り立たない。カラマゾフの兄弟も罪と罰も、単なる物語で終わり、三浦綾子の氷点なども、なんのことはないちょっと複雑な継子いじめに過ぎなくなる。私の好きなヨナ書などは、神学的観点からは、何の価値もなくなってしまう。

 ただ、ペンテコステ神学の聖霊のバプテスマに関する部分は、その大部分をルカという一人の人物の記述に負うという点においては、ある程度の限界を認めなければならない。それが誤っているという意味においてではなく、一人の人物の記述である故に深みを欠くというか、多面性を欠くという意味である。しかし私たちは、聖霊のバプテスマという、キリスト教神学全体の中で見るならば決して大きくない神学に、それほどの深みや多面性を必要とするとは考えていない。かえって私たちは、ルカの記述から導き出される神学が、他の神学と矛盾せず、むしろ補い合うものであることに納得するのである。

T-B.  著者の意図していないところから神学は構築するのは誤りか

 著者の意図を特定するのは、口で言うほど簡単ではない。著者は必ずしもひとつの意図だけを持って文書を書くとは限らない。また最後まで迷いなく、当初の意図を貫き通すとも限らない。いくつもの思いと意図と目的とが交差し、途中で迷いが入り、新たなアイデアも浮かび、書き足りなく感じて書き足したり、書きすぎたと感じて和らげる言葉を加えたりするのが、ごく普通である。また主旨を強調するための補佐的文章の中に、異なった意図が含まれることも一般的である。また、意図だの主旨だのというものをわざと隠している文章すらある。そのあたりは恋文を書いたことのある人なら、たいていわかると思うのだが。しかし結局、伝えたいと思う心の何分の一も書けず、知らせたいと願う想いの半分も表現できない。しっかりと準備して始めたつもりなのに、読み返してみると支離滅裂で、結局、投函せずに終わってしまう。

 これは聖書とて同じである。霊感というものは著者の文章能力を高めるものではない。パウロの文章などは、状況と必要に応じた即興的な要素が強いため、主旨も意図もはなはだしく分散している。書き直しが容易ではない羊皮紙に、粗末な筆記用具しか持たない弟子たちが口述筆記をした彼の文章に、書き直しがいくらでもできるワープロで、山ほどの資料とノートを準備して書く、現代の論文のような主旨とか意図とかを求めること自体が無理であり、現代を過去に持ち込む誤りである。ましてや、どうやらパウロの考える脳みそは、文章を構成する能力をはるかに超えていたらしいのである。だから、「最後に」などと言いながら、また長々とはじめている。そのような中からも、私たちは神学を構築できるし構築してきた。だいたい、三位一体といわれるキリスト教の土台とも考えられる神学さえ、聖書66巻の著者の誰も意図して書いたことはなく、意図せずに記したことさえない。それを神学者たちは嗅ぎ出したのである。したがって、あまりにも意図を意識し過ぎたり、意図にとらわれたりして文章を読むと、かえって聖書の深みに到達できず、宝に行き当たらないままに終わってしまうことが多い。誤った読み取りをしたり、読み込みを行ったりすることにもなる。

 たとえば、「旅は鈍行列車ですべし。新幹線などまったく味気ない。ましてや飛行機などもってのほかである。」という文章を読んで、その意図がどこにあるのか、正確に言い当てることができるだろうか。本当に鈍行列車が好きで、言葉通りの意味なのか。単なる好き嫌いの問題なのか。他人に鈍行列車を勧めているのか。それとも、新幹線や航空機というあまりにも進んだ現代の生活を責めているのか。はたまた単なるたわむれで、実際の本人は飛行機以外には使わない人かもしれない。忙しい現代人の多くは、表面上の文意に反して考えるだろう。「やはり新幹線か飛行機で行こう。時間がもったいない。」 私の文章にも、時々揶揄や冷やかしが入る。堅苦しい文章では読むのが疲れると思ってのことだが、読者の多くははなはだ失礼だと感じて、気分を害したり怒ったりしている。まったく意図していないことである。そして、ちょっとついでにと書き込んだことからわき道にそれ、とんでもない回り道をして主旨があいまいになり、意図が不鮮明になる。

 ペンテコステ神学の基本部分はもっぱらルカの著作に負う。そして、批判によれば、ルカの意図しなかった部分に負う。ルカはすべてのクリスチャンが聖霊のバプテスマを体験すべきだとも、聖霊のバプテスマのしるしは異言を語ることであるとも言っていなからである。ペンテコステの人々は、ルカが主張していないことを、勝手に読み取っているということになる。しかし、意図していないと思われるところからも、神学を構築できることはむしろ自明の理である。ましてや、後に触れることではあるが、ルカは叙述文という文体を用いながら、意図的に聖霊のバプテスマの重要性と、聖霊のバプテスマには異言が伴うことを、語っていると考えられるからである。

T-C.  歴史的前例を私たちの信仰の規範にするのは誤りか

 単にこのようなことが起こったというだけの歴史的前例は、確かに、ひとつの例として良いこと悪いことを学ぶ価値はあっても、後に生きる人の基準や規範にはならない。このあたりの理解ができていないと、初代に帰れという掛け声で、初代教会の姿を理想化して、何でも初代教会のようになろうと無駄な努力をすることになる。初代教会の姿は、あくまでも神の御心にある教会が、1世紀のグレコローマンという特定の文化の中の特定地域という条件の中で、どのように自己表現をしたかという具体例に過ぎない。それを事情がまったく異なる現代の日本に、そのまま適用しようとするのは愚かな試みである。だから、たとえばエルサレムの教会は、7人の執事の選挙を行った(と思われる)ので、私たちも7人の執事の選挙を行うべきだとか、当時の教会には使徒、預言者、伝道者、牧師、教師という役職があった(ようである)ので、私たちもそのような役職を回復すべきだなどという考えは、間違っている。初代の教会には素晴らしい面も醜い部分もあった。たとえばコリントの教会は、あらゆる賜物が現れている素晴らしい教会ではあったが、信徒間の不一致と性道徳の乱れという問題を抱えていた。

 そういうわけで、使徒の働きが聖霊のバプテスマの実例を記しているというだけでは、私たちも聖霊のバプテスマを経験すべきだという理屈にはならない。また聖霊のバプテスマには異言が伴ったと記録されているからといって、それが現代の私たちの聖霊のバプテスマの基準にはならないといえるのである。これに対し、私たちはいかに答えるべきであろうか。

 私たちは使徒の働きという歴史的叙述文が、たんに出来事を記しただけの記録簿ではなく、明確な目的と強い意図とをもって、編纂されたものであるという事実を改めて指摘しなければならない。ルカは使徒の働きの上巻である福音書において、他の福音記者と同じように、キリストがやがて聖霊によってバプテスマをお授けになるという、バプテスマのヨハネの予言を記し(ルカ3:16)、さらに、求めるならば聖霊は必ず与えられるというキリストのみ言葉を記し、聖霊のバプテスマを求めるべきであると励ましている。(ルカ11:13)。このキリストのお言葉が聖霊のバプテスマへの言及であることは、聖霊の内住という出来事が、人間の求めに応じて与えられるものではないこと、また聖霊を求めるという言葉が意味を持つ事象は、聖霊のバプテスマ以外に聖書には記されていないことから明らかである。そしてさらにルカは、第1巻の終わりで「父の約束である上からの力」を送るという、キリストのみ言葉を記し(ルカ24:49)、第2巻の初めで、その力とは聖霊のバプテスマのことであるという、キリストのみ言葉を、間違いようがないほどはっきりと書き残している(使徒1:5、8)。その上でルカは、聖霊のバプテスマが、初代のクリスチャンにとってどのように大きな意味を持っていたかを、記したのである。

 サマリヤ人はピリポを通して福音を聞いて救われ、洗礼を受けた。しかし、エルサレムにいた使徒たちはそれで充分であるとは考えなかった。そこでわざわざペテロとヨハネを派遣して、サマリヤ人たちが聖霊を受けるように、すなわち聖霊のバプテスマを受けるように配慮したのである。救われた、つまり、聖霊の内住をいただいたというだけでは、少なくても当時の弟子たちは不十分だと判断したのである。パウロもまた、アポロから福音を聞いてキリストの弟子となっていたエペソの人々に、あえて聖霊を受けているかどうかを尋ね、受けていないと知ると、彼らが聖霊を受けるようにまずキリストの名による洗礼を授け、その上で彼らに手を置いた。パウロはエペソの人々がアポロからかなり正確にキリストの救いを聞き、(さらにアクラとプリスキラからも福音の詳しい説明を聞いた可能性もある)すでにキリストの弟子となっていたにも拘わらず、つまり、聖霊の内住をいただいていたにも拘わらず、ためらわずに、彼らは聖霊のバプテスマを受けなければならないと判断したのである。一言加えるが、「サマリヤの人々やエペソの弟子たちは、聖霊のバプテスマを受けるまではクリスチャンとなっていなかった。聖霊のバプテスマによって初めて聖霊の内住を得てクリスチャンになったのだ」という、おもに改革派の神学者たちによってくりかえされてきた主張は、幾度検証しなおしても、公平な解釈学的判断を欠いたまったく無茶な読み込みに基づいていると、言わざるをえない。

 したがって初代の弟子たちは、救いと聖霊のバプテスマは別の出来事であり、救いの大切さは言うまでもないが、聖霊のバプテスマを受けることも非常に重要なことであると、認識していたと考えて間違いない。ルカはこのような共通認識を前提にして、使徒の働きを記述したのである。すべての信徒が聖霊のバプテスマを受けるべきであるという明快な教えや主張は、当然、叙述文である使徒の働きには残されていない。しかし、初代の教会の宣教にとって、聖霊がいかに大切な役割を果たしたかということを記そうとした彼には、聖霊のバプテスマの記述なしには満足できなかったのであり、その記述によると、初代の弟子たちは、すべての信徒が聖霊のバプテスマを受けるべきだと考えていたことが、鮮明に理解できるのである。

 確かに歴史的出来事をそのまま現代の私たちの規範にすることはできない。したがって初代の弟子たちが、すべてのクリスチャンが聖霊のバプテスマを受けるべきだと考えていたこと、またキリストを信じた人々にはそれを受けるようにと勧め、そのために祈ったという出来事は、ただそれだけでは、現代の私たちが絶対にそのようにしなければならないという基準にはならない。時代を超え場所を越えて、すべてのクリスチャンはそのようにしなさいと、明らかに教えられ命令されてはいないからである。しかし、私たちはきわめて安全に、初代の弟子たちの共通認識を自分たちの認識とすることはできる。そしてその前例にならうこともできる。そしてそのようにすることが、しないことよりずっと安全であると判断する。なぜならそれは、初代の弟子たちが正しいと判断し幾度も実践したことであり、それが間違っているという教えも、聖霊がそれをとどめられたという記録も、聖書にはないからである。

 そればかりではなく私たちは、聖霊のバプテスマが父の約束として期待されるべきものであり(ルカ24:49)、熱心に求めて与えられるべきものであると(ルカ11:13)、キリストご自身に教えられ、勧められていることを大切にしなければならない。その上、聖霊のバプテスマを受けた結果がどれほど素晴らしいものであるかは、ルカが記録したキリストのみ言葉と、初代教会の出来事で明らかである。そして同じルカの記述から判断されるのは、聖霊のバプテスマの約束は、時や場所や人種や条件に捕らわれない普遍的なものであるということである。ペテロは、聖霊の賜物が与えられるという「この約束は、あなたがたと、その子供たち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち私たちの神である主がお召しになる人々に与えられている」と、疑問の余地がないほどはっきりと述べている(使徒2:39)。だから私たちは、神に召された人々が聖霊を受けるようにと、今も手を置き祈る。また聖霊を求めて祈るようにと勧める。それが正しいことであると判断している。蛇足かも知れないが、この父の約束というのは、バプテスマのヨハネを通して約束された聖霊のバプテスマであり、内住の聖霊のことではない(使徒:4、5)。

 そういうわけで私たちは、解釈学的問題としてペンテコステ神学へ投げかけられた反論に対し、自分たちの正当性を主張する。その上で、そのような解釈学上の主張にもある程度の正しさも認め、やたらにどこからでも奇抜な神学を構成することには反対する。そこで今、私たちが問題としなければならないのは、異言の伴わない聖霊のバプテスマの存在を主張する神学である。それが、解釈学的に正当と認められる神学かということである。このような主張自体は、ペンテコステ運動の初期の指導者たちの間にも見られたものであり、取り立てて新しいものではない。しかし、いま問題なのは、「ネオペンテコステ」と呼ばれるカリスマ運動や第3の波運動の人々の多くが、このような考え方を受け入れ独自の主張をしていることである。特に、より神学的に物事を考えると自認している、改革派やバプテスト派系の人々がこのように主張することにより、伝統的なペンテコステ派に属する私たちの仲間にも、かなりの影響を及ぼしているかのように見える。

 私たちはキリストによる交わりを大切にする。したがって、異言の見解と実践で少々の違いがあっても、交わりを閉ざすようなことはしない。しかし、自分たちの理解をしっかりと持ち、確信に立って他の理解を持つ兄弟たちと交わることが大切である。それは、異言の伴う聖霊のバプテスマの体験こそが、ペンテコステ運動の核心部分であると、私たちは判断するからであり、ここがあいまいにされると、結局ペンテコステ運動は塩気を失った塩になってしまうと考えるからである。

U.  ルカの記録を再検証する

 そこで今私たちに必要なのは、ペンテコステの神学に投じられた解釈学的な問題をも念頭に置きながら、改めて注意深く、公平にルカの著書を中心に学ぶことである。

U-A. ルカは聖霊のバプテスマには異言が伴うということを意図して記録した

 ルカは、ペンテコステの日の出来事には異言が伴ったことをはっきりと記しているが、次の聖霊のバプテスマの記事、すなわちサマリヤでの出来事では、異言が伴ったと明記していない。ただ、「大能と呼ばれる神の力」とまで呼ばれた魔術師が、ぜひとも買い取りたいと願った不思議な出来事が伴ったことを記録している。私たちは他の3つの聖霊のバプテスマの記録から、この不思議な出来事は異言であったと推測するのであるが、あくまでも推測である。

 ルカがサマリヤでの出来事に異言が伴ったとはっきり記さなかったということは、その記述の時点では、聖霊のバプテスマには異言が伴うという事実を、意識して書き記す必要を感じていなかったということであり、書き記す意図が無かったと判断される。とすると、使徒の働きを書き始める時点においては、ルカは異言についてあまり強い関心を持っていなかったことになる。しかしそれだけでは、異言が大切ではなかったからだということにはならない。異言が聖霊のバプテスマには必ず伴うということが当時の常識だったために、ルカはあえて記述しなかった可能性もあるからである。

 ところがルカは、次のコルネリオの家族が聖霊のバプテスマを受けた記事においては、明らかに、聖霊のバプテスマに伴う異言の重要性を、意識して、意図的に書き記している。この事実は非常に重要である。コルネリオとその一族という異邦人が、ユダヤ人と同じように神の恵みに預かったというのは、当時の弟子たちにはまさに仰天するような出来事であった。それはまた、福音の地域的進展と共に神学的進展、すなわち福音の普遍性が明らかにされて行く過程を記すルカにとっても、非常に重要な出来事であった。したがってこの部分は、ルカが注意の上にも注意を払って記述したものであると考えていい。事実ルカは、あえてこの出来事のいきさつを事細かに記しただけではなく、ダメ押しのように、くり返して記す方法をとっている。そしてこの記述の鍵となるのが、聖霊のバプテスマには異言が伴ったという記録なのである。

 つまりここで考えられるのは、著者のルカが、サマリヤでの出来事を記した後に、異言と聖霊のバプテスマの関係について、明確に記しておく必要を感じるようになったということである。あるいは始めから必要を感じていながら、サマリヤでの記述では、魔術師シモンの逸話に気が向きすぎて、「異言」という言葉を入れそこねたのかも知れない。何しろ、現代のようにかんたんには書き直しができない。そこで、コルネリオの場合でしっかりと異言のことを書き記し、また、その後の聖霊のバプテスマの実例でもはっきりと記述して、不足を補ったのかも知れない。とにかく、コルネリオの例では、間違いが起こらないほど明確に、異言と聖霊のバプテスマの関係を記しているのである。

 U−B. コルネリオの物語の背景

 もともと福音は普遍的なものである。それは、ユダヤ民族主義の原点である、アブラハムの召しの時点ですでに明らかであり、キリストの教えからもすぐわかる。しかし当時のユダヤ人たちは、ユダヤ民族という民族意識の中でしか、神の恵みを理解することができなかった。神の国とはユダヤ国家の再建であり、救いとはそのユダヤ国家の再建を見ることであった。したがって異邦人の救いというものは、あくまでもこのユダヤ民族の神を信じ、神に与えられた律法を守り、ユダヤ民族になることによって可能だったのである。それはキリスト昇天の直前までの弟子たちの考え方でもあったし(使徒1:6)、たぶん、その後もかなりの長い期間、そのように考えられていたはずである。つまり、キリストの弟子たちもみなユダヤ人であり、ユダヤ主義者であったということである。キリストの弟子になる、つまり今で言うクリスチャンになるということは、当時の弟子たちにとっては、キリスト教という新しい宗教を受け入れることではなく、伝統的なユダヤ教徒の中にとどまり、ただ、ナザレのイエスをキリストとして信じるだけのことだったのである。彼らの大部分は熱心な愛国者であり、厳格な律法主義者の傾向を持っていた。

 そのような中に、福音の普遍性という真理を教え、その真理を実践することには大きな困難が伴った。実際のところ、その真理を完全に理解しそれを実践し、押し広めて行くために、神は、パウロという傑出した人物を起こさなければならなかったのだが、その前に、露払い的な働きが必要であった。それが無ければ、いかにパウロといえども荷が重すぎたのである。それがペテロによるコルネリオ一家への訪問であり、コルネリオ一家の受霊であった。これがあったからこそ、使徒の働き15章に記されたエルサレム会議で、パウロたちの主張した「割礼を必要としない異邦人の救い」が、全員一致で受け入れられ、福音の普遍性の共通認識が確立されたのである。

U-C. ペテロの選任と派遣

 コルネリオの家を訪ね、その一家に洗礼を授けるという役割は、ペテロを置いて他に無かった。異邦人の洗礼ということでは、すでにピリポがエチオピアの宦官に行っているが、これはどうやら聖霊が働いて、ピリポ以外の弟子たちには知られないように密かに行われたらしく、問題にはならなかった。だから、ピリポでよかったのである。ところがコルネリオの場合は、福音の普遍性が明確にされるために、すべての弟子たちに知られなければならなかった。そのためには、なんとしても弟子たちの中心人物と自他共に認める、ペテロでなければならなかったのである。

 福音の普遍性というアブラハムの召し以来の原則を、ユダヤ人たちに理解させ受け入れさせるために、神はまず、弟子たちの中心人物であったペテロを納得させ、彼に行動を起こすようにされた。幻のうちにあまたの不潔な動物を見せ、これをほふって食べるようにとお告げになった。ペテロにとっては、私たちが人肉を食べるように告げられたくらいの、あるいはそれ以上の忌まわしい幻である。だから彼は激しく抗議した。すると神は、「神が清めたものを清くないと言ってはならない」と、厳しくお告げになった。このようなことが3度もくりかえされたのである。当然、ペテロはこの幻の意味について思い迷った。あのような清くない動物をほふって食べるということは、ユダヤ人であることを放棄することである。神は自分にユダヤ人であることを止めよとおっしゃるのか。それともユダヤ人という特権を、神は自分から取り去ろうとしているのか。パウロほど鋭くなかったペテロではあっても、キリストの一番弟子である。そのくらいのことは充分に考えたはずである。

 そのようなところに、コルネリオから遣わされた3人の者が尋ねて来た。そこでまた聖霊がペテロを励まして、彼らを迎えに来させたのは他でも無い自分なのだから、彼らと共に行くようにとおっしゃったのである。もし聖霊の励ましが無かったならば、ペテロはなおも躊躇し続けたに違いない。また、3人の者からいきさつを聞きだすことによっても、ペテロは安心を増したことであろう。しかし、ペテロは1人だけで出かけることはしなかった。これはどうしても「2、3人の証人」が必要な事態であると察知した彼は、更なる安全を考えて、6人もの同行者を得たのであろう。このようなペテロの行動には、彼の躊躇と恐れがありありと伺われる。ユダヤ人としての自分はどうなるのだろうか。兄弟たちの間で、自分はどのように弁明することができるであろうか。

U-D. コルネリオにたいする聖霊の働きかけ

 一方ペテロを招いたコルネリオも、自分の意思でそうしたのではない。ペテロに幻を見せて語りかけられる前に、神は御使いを通してコルネリオにやさしく語りかけ、ペテロという人物を招いて話を聞くようにと、彼の居所の詳しい説明までつけてお命じになっていたのである。彼は割礼こそ受けていなかったが、つまり、まだ正式にユダヤ人にはなっていなかったが、全家族と共にイスラエルの神を恐れかしこむ非常に敬虔な人物であり、ユダヤ人たちに対する多くの施しや祈りのために、ユダヤ人社会でよい評判を得ていた人物である。その評判は、全国のユダヤ人たちにまで及んでいたらしい。

 コルネリオは神に熱心な異邦人として、当然、ユダヤ人のしきたりはよく心得ていた。ユダヤ人を自分の家に招くということが、ユダヤ人にとってどれほど屈辱的なことか、また招かれたユダヤ人の社会的立場をどれほど危うくするかということも、充分に承知していた。だから、自ら進んでペテロを招くなど思いも及ばないことである。第一彼は、ペテロという人物を知らなかったようである。しかし神は、ユダヤ人であるペテロに働きかけ、彼の心の準備を整えると共に、異邦人であるコルネリオにも働きかけて、家族全員が、ペテロが語る福音をそのまま受け入れることができるように、心を開いておいてくださったのである。コルネリオの家族の回心と受霊のプロローグがこれほど長く、微に入り細にいるのは、ユダヤ人にとって異邦人の救いを信じること、すなわち福音の普遍性を理解することが、どれほど難しかったかを示すものである。

U−E. 異邦人の救いを確信させた聖霊のバプテスマ

 特記すべきことは、ペテロがまだ話し続けているうちに、聖霊のバプテスマが与えられたということである。嫌々ながら、あるいは恐れながら、しぶしぶと導きにしたがって、異邦人コルネリオの家を訪ねたペテロは、コルネリオ自身の口から直接、事情の説明を受け、これらの出来事の背後には間違いなく神のご配慮があると確信して、明確に福音を語り始めた。その言葉の中に、福音の普遍性に対する彼の理解がすでに始まっていることが示されている。しかし、はたしてペテロは、自ら進んでコルネリオの家族に洗礼を授けようとしたであろうか。猪突猛進でありながら人々を恐れ、顔色を伺って優柔不断のところがあったために、後になって後輩のパウロから激しく叱責されてしまったようなペテロが、他のユダヤ人兄弟たちとの付き合いと折り合いを考えると、躊躇せざるを得なかったに違いない。ところが、ペテロがまだ話し続けているうちに、と言うよりむしろ、話し始めて間もなく、ペテロの思惑を超えて聖霊が下ったのである。

 これは、聖霊の強烈な主導性を改めて示している。ペテロが躊躇することを、聖霊が推し進めてくださったのである。聖霊が下ったということは彼らが神に受け入れられ、間違いなく救いに入れられたということを示すものであった。そして多分、聖霊のバプテスマは普通、人々の救いが明瞭に確認されてから、多くの場合は、弟子たちが手を置いて祈ることによって与えられていたと思われる。(使徒の働きに記録されたものとしては、コルネリオの例は3度目の聖霊のバプテスマであるが、記録されていない聖霊のバプテスマの例が多数あったに違いない。) ところがコルネリオたちは、弟子たちによる洗礼も按手も受けずに、すなわちまったく人の意思に関わらず、聖霊のバプテスマを与えられてしまったのである。ペテロの判断や同行した6人の弟子たちの賛否にも関係せず、神ご自身が、コルネリオの家族の救いを、聖霊のバプテスマという出来事をもって、確認させてくださったのである。洗礼は弟子たちが施し、聖霊のバプテスマは、甦られた主が施されるのである。

 聖霊のバプテスマという明確なしるしを、ペテロと6人の弟子たちは驚愕して見つめた。それは彼らの理解と予測を超えた出来事であった。しかし、コルネリオの家族が神の救いを受けたという事実は、どうしても認めざるを得なかった。なぜなら、コルネリオの家族は、ペテロたちが受けたと同じように、聖霊のバプテスマを受けたからである。こうして、コルネリオの家族の例では、聖霊のバプテスマが、普通では考えられない、また受け入れがたい、異邦人の救いのしるしとして機能したのである。この疑いようの無いしるし見て、ペテロは、彼らに洗礼を授けないで置くことはできないと判断したのであり、同行した6人の兄弟たちもそれに納得したのである。

U−F. 聖霊のバプテスマのしるしとして機能した異言

 コルネリオ家の出来事の記録には、もうひとつ大切な事実が記されている。それは、異言が聖霊のバプテスマのしるしとして機能したということである。聖霊のバプテスマが救いのしるしとなり、その救いのしるしである聖霊のバプテスマを、間違いのないものであると判断させたのが異言である。少なくてもペテロと、彼に同行した6人の兄弟たちの計7人は、そのように判断した。コルネリオの一家が異言を語るのを聞いたことによって、ペテロたちは、彼らが自分たちと同じように聖霊のバプテスマを受けたと理解したのである。その結果、またそれゆえに、ペテロは恐れずに洗礼を授けることができたのである。

 ところがこのような行動は、エルサレムの割礼を受けた兄弟たち、すなわちすべての兄弟たちの間に大きな疑念を生じさせた。彼らはまず、ペテロが無割礼の者のところに行って、食事を共にしたとことを非難した。これは洗礼を授けたという核心部分に迫る前の、ジャブ攻撃である。しかもかなり強烈なジャブで、ストレートパンチ並みの威力がある。大多数のユダヤ人にとって異邦人の家を訪ね、食事を共にするということ自体が、すでに許せない、反民族的行為だったからである。神の恵みはユダヤ民族の中にこそあると、信じて疑わなかった当時の弟子たちは、自覚しないまま、福音を民族主義の殻の中に閉じ込めようとしていたのである。だから彼らは、たとえ弟子たちの中で一目も二目もおかれていたペテロであったとしても、問い詰めずにはおれなかった。事と次第によっては、今で言うとペテロに対する不信任案が出されるほどの、大騒動に発展する可能性があったのである。だからこそペテロは躊躇したのである。

 しかし今や確信に満ちたペテロは、少しも怖気づくこと無く淡々と経緯を説明した。そしてその説明の核心は、彼が始めから終わりまで神の導きに従って行動したことであり、説明の鍵は、聖霊のバプテスマとそれを確信させた異言である。ペテロは、異邦人を受け入れて彼らに救いの恵みを与えてくださったのは神ご自身であり、自分はその神のお働きを妨げないように振舞ったに過ぎないと証した。その証の頂点は、「聖霊が、あの最初のとき私たちにお下りになったと同じように、彼らの上にもお下りになった」ということである。あの最初のときと同じようにとペテロが判断したのは、激しい風のような音でも、炎のように分かれた舌でもなく、ましてや酔っ払いのような騒がしさがあったことでも、異言の言葉が理解されたということでもなく、異言が伴ったというひとつの事実である。そのひとつの事実のゆえに、ペテロは、それを聖霊のバプテスマと判断したのである。

 このようにルカは、コルネリオの一家の受霊の出来事を記録するにあたり、明らかに、異言というものの重要性をおもてに出している。異言は聖霊のバプテスマのしるしであった。それが伴ったからこそ、ペテロたちだけではなく、ペテロを追及しようとしていたエルサレムのすべての兄弟たちも、異邦人の間に起こったひとつの事象を聖霊のバプテスマと断定し、その聖霊のバプテスマという賜物が異邦人にも与えられたことを知って、自分たちの強力なユダヤ主義的常識を打破して、「神は、命に至る悔い改めを異邦人にもおあたえになった」と認め、福音の普遍性を理解する基盤を得たのである。そういうわけで私たちは、ルカはコルネリオの記事を記録するにあたって、意識して異言について記し、聖霊のバプテスマには異言が伴うということが、当時の弟子たちの間では共通認識であったことを示したのであると理解する。そのように理解して初めて、コルネリオの家での出来事が、福音の普遍性の実証的証としての意味を持つのである。異言が聖霊のバプテスマのしるしとしての機能を持っていると、当時の弟子たちのすべてが共通の理解を持っていなかったならば、福音の普遍性を理解させるという神の意図は達成されなかったのである。

V. 異言以外に聖霊のバプテスマに伴うしるしがあるか

 ルカは異言を聖霊のバプテスマに伴うしるしとして記した。少なくても、ルカの時代のクリスチャンたちはそれを共通理解としていた。しかし、問題はそれ以外にしるしがあったかということである。アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの理解としては、異言は聖霊のバプテスマのイニシャル・エビデンス、すなわち最初のしるしということである。そこにはあたかも第二、第三の印があるかのような表現である。実際、初期の人々はそのように考えていたふしもある。また、イニシャル・フィジカル・エビデンスという言い方、すなわち最初の肉体的しるしという言い方も一般的である。これはどうやら、ペンテコステの日に伴った風の音とか、火のように分かれた舌というようなものに対しての最初ではなく、清い行いとか、正しい生活、健康な肉体といったものに対する最初という意味であったらしい。

 これは、初期のアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの人々の中には、ホーリネスやウエスレーの神学をかなり強く受け継いだ人々もいて、聖霊のバプテスマを清めのバプテスマと理解していた形跡を示すものと考えられる。聖霊のバプテスマによって清くい正しい生活ができるようになると考えて、清められた生活あるいは品性をも、聖霊のバプテスマの証拠と考えたのであろう。もちろん、聖霊は清さをもたらす。聖霊のバプテスマが清さを実現するための力となることに、疑いの余地は無い。しかし、それは聖霊のバプテスマがもたらす結果のひとつであり、聖霊のバプテスマに伴うしるしとはいえない。ペンテコステ運動の初期の指導者の一人であったセイモアーが、自分の師であるパーハムの主張に反して、異言が聖霊のバプテスマに伴うしるしであるという教えを退けたのは、パーハムが異言を語っていながら、ウエスレーが説き、ホーリネスの人々が主張した清い生活からは、程遠い生き方をしていたためである。彼は、異言を語るパーハムガが、聖霊のバプテスマを受けているとは、認めたくなかったのである。その結果、彼は、清い生活を聖霊のバプテスマの証拠であると主張したのである。

 しかし、セイモアーの主張をルカの記述から裏付けることは不可能である。清い生活が聖霊のお働きの結果であることは、パウロの著書などで明白なことである。しかし聖霊のバプテスマの結果としては語られていない。パウロは聖霊のバプテスマには一度も触れていないのである。そして聖霊のバプテスマについて具体的に触れている唯一の著者ルカは、聖霊のバプテスマの結果として、力を受けてキリストの証人となることや、大胆に福音宣教をすることを挙げているが、クリスチャン品性については語っていないのである。したがって、異言をイニシャル・エビデンスと表現するのは、厳密な意味ではふさわしくない。イニシャル、すなわち最初と言って後に続くものがないからである。また、フィジカル・エビデンスという言い方も、当時の自然科学の隆盛を背景に用いられた言葉らしく、神学用語としてはふさわしくない。クリスチャン生活や品性はフィジカルではないからである。私たちの初期の先輩は神学者ではなく、信仰に生きた人々であった。

 ところがここしばらくのネオペンテコステの人々の主張は、初期のウエスレー神学を基とした主張とは少しばかり趣を異にしている。ネオペンテコステの人々が、異言の伴わない聖霊のバプテスマの存在を主張するのは、むしろ賜物の現われを聖霊のバプテスマのしるしと考えるところにある。つまり、自分は癒しを行うことができる。預言をする。霊を見分ける。奇跡を行う。さまざまな霊的体験をしたなどということを、聖霊のバプテスマの証拠と考えるのである。このような主張に対しても、私たちは初期のセイモアーに対するのと同じ答えをする。すなわち、ルカはそのようなことを語ってはいないということである。さまざまな賜物が聖霊のお働きのひとつであることは、パウロの文書で明らかであってそこに議論の余地は無い。だから御霊の賜物といわれているのである。しかし、御霊の賜物は聖霊のバプテスマの証拠ではない。直接的にも間接的にも、すなわち教育的な文章の中でも、叙述文の中でも、聖書はそのようには語っていないからである。

 しかしこのようなネオペンテコステの人々の主張には、私たちクラシカル・ペンテコステの人々の誤った主張の影響があることを認めなければならない。私たちの先輩たちの中には、また現在の同僚たちの中にも、コリント第1の手紙の12章に記されている9つの賜物は、聖霊のバプテスマをいただいた者だけに与えられると教えてき人々がいた。預言をすることも癒しを行うもことも、その他の賜物を行使することも、聖霊のバプテスマを通して初めて可能になると考えたのである。しかし、そのような主張を裏付ける聖書的根拠は無い。ただ、異言を語る賜物や、異言を解く賜物は多分、聖霊のバプテスマを与えられて初めて可能になるものであろう。異言は聖霊のバプテスマに伴って与えられるからである。そういうわけで、聖霊のバプテスマは賜物を増やすのではなく、与えられている賜物をより積極的にまた効果的に用いる勇気と大胆さを与えるものであると考えられるのである。聖霊のバプテスマによって神との深い交わりを体験した者は、感動と喜びで、ますます神に仕えたいと望むようになり、恐れも、不安も少なくなる。したがって、賜物を大胆に行使し、効果的に働くようになる。それでつい誤って、賜物の行使を聖霊のバプテスマのしるしであると判断してしまったのであろう。このように考えるのは、ルカの記述にもパウロの記述にも、その他のどの聖書記者の記述にも矛盾しない。

 ともかく、ルカは異言以外に聖霊のバプテスマに伴うしるしを挙げていない。コルネリオの場合には風のような音も火のように分かれた舌も出現しなかった。しかしペテロも他のすべての弟子たちも、異言が伴ったことをもって、自分たちの聖霊のバプテスマの体験と同じであると判断したのである。彼らが風の音や火のように分かれた舌をしるしと考えた痕跡はどこにも無い。

 そういうわけで私たちは、異言以外に聖霊のバプテスマのしるしを認めない。それは、ネオペンテコステの人々を始めとする、多くの素晴らしいクリスチャンたちの、さまざまな聖霊体験を認めないというのではない。それが真実に聖霊による体験であるならば、大いに結構であるし、それぞれそれを大切にしてもらいたい。私たちもそのことのために喜ぼう。しかしもし彼らが、その体験を聖霊のバプテスマと呼ぶならば、私たちはその聖書的根拠を求めるのである。つまり聖書の厳密な解釈による証明を要求せざるを得ないのである。わたしたちは、聖書が聖霊のバプテスマであると断定している以外の事象を、聖霊のバプテスマと呼ぶことはできないからである。

W. いま異言の重要性を再確認する

 少しだけ、歴史を振り返ってみよう。実は、ペンテコステ運動が始まる随分前から、ホーリネス運動やリバイバル運動の中で聖霊の働きが強調され、癒しや悪霊追い出しを始めとする数々の奇跡的み業を見るようになっていた。聖霊のバプテスマと呼ばれる聖霊体験も起こり、ホーリネス系の人々はこれを「第二の恵み」であるまったき清めの体験と理解して強調し、少し後にイギリスで起こった「完成した働き」を強調するケズィック運動の人々は、第二の恵みという概念を退け、力の付与の体験と理解して大切にした。これらの運動はいずれも素晴らしい運動であった。そして現在でも存続している。とは言え、最盛期の力は持っていない。しかしペンテコステ運動は、これらの運動を母体として生まれた異なった運動である。母体であるというのは、いずれも、宗教的啓蒙主義に陥ってしまった近代キリスト教に反旗を翻し、現在における聖霊の直接的介入を主張し、癒しや悪霊追い出しなどを始めとする奇跡の働きを行っていることである。また、聖霊のバプテスマと呼ばれる個人的聖霊体験を重んじたことである。異なった運動であるというのは、聖霊のバプテスマという同じ名前で呼ばれる体験を強調しながら、またケズィックの理解を継承し、力の付与としての聖霊のバプテスマを主張しながら、その聖霊のバプテスマには必ず異言が伴うと主張したことである。

 ペンテコステ運動のユニークさは、少なくても、ペンテコステ運動の中枢を担ってきたアッセンブリーズ・オブ・ゴッドのユニークさは、実に、異言を伴う聖霊のバプテスマという点に集約される。これが、私たちの運動を多くの類似の運動と異なったものにするのである。アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの初期の指導者の多くは、ペンテコステ運動の直前に創立された聖霊の働きを強調するいくつかの団体のひとつである、クリスチャン・ミッショナリー・アライアンスに所属していた。ところが、この団体の中でも異言を伴う聖霊のバプテスマを体験する者が増え始め、内部において激しい論争がくりかえされるようになった。それを和らげるために、創設者であったA.B.シンプソンが「禁じるべからず。求めるべからず」という有名な宣告をしたのである。アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの初期の指導者となった人々の多くは、それに納得できずに袂を分かつことになったのである。

 A.B.シンプソンは、聖霊の働きを強調しただけではなく、自らも聖霊のバプテスマを体験して非常に多くの癒しの活動をしていたことでよく知られている。しかし彼が、群れの不協和音を沈静するために出したあの指導は、長い目で見るならば、聖霊の働きを妨げてしまうことになった。結局、クリスチャン・ミッショナリー・アライアンスの人々は徐々に聖霊体験を重視しなくなり、聖霊の直接介入を強調することにも熱心ではなくなった。結果として、聖霊の奇跡的働きを見ることも少ない、熱心ではあるが落ち着いた福音的な群れになってしまったのである。ペンテコステ運動は、聖霊のバプテスマと呼ばれた当時の聖霊体験や、奇跡、癒し、悪霊の追い出しなどを行う聖霊運動からさらに一歩進んで、異言の伴う聖霊のバプテスマという強烈な聖霊体験を強調する運動なのである。その体験が、さらに聖霊の直接介入と奇跡的働きに対する信仰と情熱を生み出し、宣教の力となるのである。

 キリストの弟子たちの例からも、聖霊のバプテスマが癒しや奇跡や悪霊追い出しとは直接のかかわりが無く、むしろそれらを越えた体験であることを説明することができる。彼らは聖霊のバプテスマの体験以前から、キリストの権威を与えられて町々村々に出て行き、病気を癒し悪霊を追い出していた。それはキリストご自身が、「サタンが、稲妻のように天から落ちたのを見た」とおっしゃるほどの素晴らしい働きだった。そのような働きを見た多くの人々は、驚いて神の権威と力を認め、大挙してキリストの下に集まってきた。ところがこの同じ人々がキリストを十字架につけよと叫ぶことになったのである。権威を持って奇跡の働きをした弟子たちでさえ、キリストを捨てて逃げ去ってしまった。癒しや奇跡の体験、あるいはそれを見聞きする体験は、結局、人間の奥深くの核心部分に到達しなかったのである。

 しかし、伴う聖霊のバプテスマを受けた後の弟子たちは、まったく異なった恐れ知らずの存在となった。聖霊のバプテスマという体験は、人間の内部の奥深く、その核心部分にまで至る体験だからである。そしてその聖霊のバプテスマには、間違いなく異言が伴っていたのである。聖霊のバプテスマを受けた後の弟子たちが、自分たちの癒しや軌跡や悪霊追い出しの働きに、聖霊のバプテスマの故の変化があったと考えた形跡はない。彼らは、キリストの十字架以前から行っていたそれらの働きを、ただ継続しているに過ぎないと思っていたであろう。あえて違うというならば、甦りのキリストの権威によって、そのみ名の力によって奇跡を行っているという主張である。

 そういうわけで、キリストの弟子たちが聖霊のバプテスマを受けた結果は、彼らが癒しや奇跡や悪霊の追い出しを行うようになったことではない。彼らが恐れなく、大胆に福音を語り、裏切ることなくキリストを証するようになり、さらに堂々とキリストのみ名の権威を持って癒しと奇跡を行い、悪霊を追い出したことである。したがって、いま、聖霊のバプテスマから異言を取り除き、癒しや奇跡や悪霊追い出しを聖霊のバプテスマの証拠とし、それだけで満足するのは、19世紀のホーリネス運動やリバイバル運動へ逆戻りであると同時に、ペンテコステ以前の弟子たちの活動への逆戻りでもある。それは、聖書が記録する聖霊のバプテスマの体験を無視することであり、非常に高いレベルでの神との交わりの特権を自ら放棄することであり、人間の奥深くの核心部分での神体験を失うことであり、宣教の情熱を失って行くことなのである。

 ルカの記述を見る限り、聖霊のバプテスマには必ず異言が伴った。しかし、異言は単なる「聖霊のバプテスマのしるし」ではない。異言が聖霊のバプテスマのしるしとして機能したということは事実であり、聖霊のバプテスマには必ず異言が伴う。しかし異言は、単なる聖霊のバプテスマのしるしではない。パウロの異言に関する記述などを含めて総合的に判断すると、むしろ、聖霊のバプテスマという素晴らしい体験の必須要因であると考えられる。異言が無ければ聖霊のバプテスマ自体が成り立たないのである。聖霊のバプテスマとは、神から与えられる超自然の言葉である異言を通して、神に語りかけることであり、それにまた神がお答えになる体験である。人間の言語は最善のコミュニケーションの手段でありながら、しばしばコミュニケーションの妨げにもなる。聖霊のバプテスマは、神から与えられる異言によって人間の言語能力を超えたところ、人間の通常の理性を超えた次元で行われる、神との高く深い交わりであると理解できる。したがって異言はしるしとして与えられたのではなく、しるしとしても機能する、聖霊のバプテスマの必須要因、まさに中核の現象なのである。この異言を通しての神との崇高な交わりこそ、クリスチャンを殉教をも辞さないキリストの証人とし、宣教のための圧倒的力となるのである。この異言を否定したり軽視したりしていたのでは、神とのもっとも高度な交わりの機会を失い、霊的衰退と聖霊の奇跡的み業への信仰の喪失につながるのである。だから私たちは今、異言の重要性を再確認しなければならないのである。(この件に関しては、他の拙文の異言に関わる項目を参考にしてほしい)。

結論

 そういうわけで私たちは、聖書が記録した聖霊のバプテスマには必ず異言が伴ったと理解し、異言が聖霊のバプテスマのしるしとなり得ることを改めて主張する。ペンテコステ運動の核心はこの聖霊のバプテスマである。聖霊のバプテがスマの体験は、異言の存在によって確かめられる。そのように主張し、その理解に立って信仰生活を継続し、その体験をして行くことが、ペンテコステ運動の本質を保ち続け、運動を健全なものとし続けると信ずるものである。私たちはネオペンテコステの人々が、多くの御霊の賜物をいただいて活躍していることを、大いに喜んでいる。しかし、彼らがそれらの賜物の行使を理由に、異言の伴わない聖霊のバプテスマの体験で納得し、満足しきっていることに悲しみを禁じえない。私たちは、彼らが正真正銘な聖書的根拠をもった、異言の伴った聖霊のバプテスマを体験することを願っている。その体験こそが、ペンテコステ運動の命だからである。それと同時に、私たちの群れの中でも、改めて異言の重要性と素晴らしさを強調し、信徒たちが異言を伴う聖霊のバプテスマを体験していくように勧め、励ましていかねばならない。

付記  すべての異言を聖霊のバプテスマのしるしとして認めることができるか

 ルカの記述による限り、初代の教会では、異言が聖霊のバプテスマに伴うしるしとして、当時一般的に認められていたことが明白である。問題は、この共通認識が現代でも通用するかということである。コルネリオの場合のペテロたちのように、異言を伴う現象を見たならば、直ちにそれを聖霊のバプテスマと断定出来るかということである。残念ながら、答えは否である。聖書に記された歴史的出来事は、必ずしも現代の私たちの信仰の基準や規範になり得ないのである。

 現在の私たちは、いわゆる異言現象というものがさまざまな宗教にも伴い、心理学的にも学びの対象になっていることを知っている。モルモン教では異言が大切な位置を占めているし、モンゴルの仏教寺院を訪ねたときも、異言の存在について聞いたことがある。日本では、真言密教が異言を大切な体験として受け継いでいる。15年ほども前のテレビ番組で、勤行の結果として会得する恍惚状態とそれに伴う異言現象について、取材した記録を放映していた。何日間も断食をし、毎日険しい山道を幾時間も歩き回り、不眠不休で呪文を唱え、夜にはかがり火を焚いて、めらめらと燃え上がる炎を見つめながら、さらに呪文を唱えて修行を積む。そうこうしているうちに、行者たちは陶酔状態というか恍惚状態というか、不思議な法悦状態に陥り、わなわなと震えだし、異言を語りだすのである。後になってインタビューをされた行者たちは、その法悦状態のえもいわれぬ素晴らしさに比べると、何日間もの難行苦行も苦にならないと語っていた。

 私たちは、これらの現象が、聖霊のバプテスマに伴う異言と、ある種の共通点を持つことは認める。心理学的には、かなりの共通点があるのではないかと考えても差し支えない。神から永遠の命をいただいて喜ぶ喜びと、1億円の宝くじに当たって喜ぶ喜びには、喜びとしての共通点があることを認めても、不謹慎ではない。喜んで笑顔になることも、あるいは喜びすぎて泣き出すことも、一緒である。

 私たちは現在、さまざまな異言現象があることを知っているし、それらの多くが聖霊とは何のかかわりも無いことを心得ている。したがって、ただ異言現象を見ただけでそれを聖霊のバプテスマと判断はしない。ルカが使徒の働きを記した時点で、そのような聖霊によらない異言現象が知られていたかどうかは定かではないが、まず、知られていなかった可能性の方が強い。したがって、ペテロや他の弟子たちの判断の仕方を、そのまま現代に持ち込むことはできない。

 ここで、キリストのお言葉が非常に重要な意味を持ってくる。キリストは、「あなたがたの中で、子供が魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりをあたえるでしょう。してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子供には良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」と、教えておられる。問題は誰に求めるかである。父に求める限り、父は求める聖霊を与えてくださるのである。その限りにおいてペテロたちの判断と理解は、現在においても通用するのである。ただし私たちは、ペンテコステ運動の中に生きてきたものとして、疑似体験としての異言とでも言うべきものも知っている。それは異言を語りたいと願うあまり、あるいは語らせたいと願うあまり、異言の真似をしたりさせたりすることである。このようなことは行き過ぎであり、聖霊のバプテスマの正しい体験と、本来の正真の異言の体験を遅らせるだけではなく、単なる疑似体験に終わらせることにもなる。厳に慎まなければならない。

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