A Lecture on Shinto

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神道とは何か


A.言葉の意味

 SHIN=god  TO=way  Shinとは、日本古来の神の概念に用いられた漢字の「神」の音読みであり、日本古来の言葉ではKAMIです。KAMIの解釈はいろいろありますが、本来「上」の意味で、川上、髪の毛、肥後の守などと、より高い位置、場所、地位などについて用いられていたものであるというのが、最も一般的な理解です。 TO(DO)は、日本古来の道を表わすために用いられた漢字「道」の音読みです。この場合に道は、物理的な道と理解することもできますが、探究心あるいは救道心という意味合いが込められたものとも考えられます。たとえば、「柔道」、「剣道」、「茶道」なども同じ用法です。 したがって神道とは「高き方の道」、「高き方への道」もしくは「高き方をたずねる道」「高き方を求めるこころ」と、いろいろな解釈が可能ですが、多分、最後の解釈がもっとも妥当ではないかと考えます。

B.世界観 

 神道は、私たちがいま生きている目に見える物理的な世界は、目に見えない霊的な世界と直接つながって存在し、多くの場合、目に見えない世界の霊的な存在者が、目に見える世界の者より強力で高い能力を持ち、目に見える世界に影響を与えているという、素朴な感覚の上に形成されています。また、通俗的にはすべての自然物、ある場合には人造物の中にまで、神性が宿っていると考えます。このような世界観をアニミズムと呼びますが、汎神論であるとも言われていますし、多神論であるとも言われています。また、これはほとんど言われることがないのですが、神道の中には、非常に強い一神教的要素があるということも、大切な一面です。

C.教え 

 本来の神道は、教えるということはしません、というより、教えることを拒否します。そこには神学や教理などというものは存在し得ません。これは、人生のすべての面で優しく育まれていることへの感謝の気持ち、雨を降らせていただき、太陽を昇らせていただき、四季を楽しませていただき、豊かな実りを与えていただいていることへの、お礼の気持ちの表現です。また同時に、人間の力ではどうすることもできない天変地異に対する恐れと、それを支配することができるかもしれない、より高い力を持つ者に対する懇願の表現でもあります。ただし、時代を経るにつれて、神道は仏教、道教、儒教、陰陽道さらにはキリスト教などに触れて変化を遂げ、それぞれ触れた宗教の教えを内包する神道も起こってきました。

D.性格 

 神道は集落社会に始まる居住共同体の宗教です。古来、日本では、それぞれの集落が自分たちの先祖としての神、すなわち産土神(氏神)を祭っていました。この氏神は、それぞれの集落に繁栄と安泰、調和と平和をもたらすものでした。すべて、その地域で生まれたものは、その地域の氏神の子孫、すなわち氏子として自動的に受け入れられ、受け入れられている本人も、受け入れられているという事実を、これまた自動的に感受していると受け取られているのです。たとえ、外部から転入してきた者でさえも、その地域の共同の行事に参加し、しきたりを受け入れ、地域の一員として機能を果たしてさえいるならば、まったく平等とは行かないまでも、自動的に氏子と認められるのです。 

 現代の日本では、かつてのような小規模な集落はなくなってしまいましたが、この古代の神道の概念は、まだまだ日本人の精神を支配し、身近なところでは町内会から、大きなところでは国家としての日本全体にまで、行き渡っています。日本人である限り、たとえ仏教徒であろうとキリスト教徒であろうと、何のとがめだてもせずに、神道はそのまま受け入れ、氏子と考えます。またこれは、日本に住んでいる外国人にまでさえ、ある程度適応されるようです。その外国人が、今住んでいる土地の文化習慣を受け入れ、共同の行事に進んで参加し、「郷に入らば郷に従う」態度で地域の一員となことができさえすれば良いのです。それぞれの土地に住みこみ、お神楽を舞うイギリス人の女性、お囃子を受け持つイタリア人男性、神輿を担ぎに夢中になるアメリカ一家のようすを、別々のテレビ番組で見ましたが、全員、立派に受け入れられていました。信仰告白があり、会員申請があり、登録があって神道の会員になるのではなく、地域共同体の「みんな」に受け入れられるということが、すなわち神道に受け入れられるということで、本当の日本人になるということのようでした。神道は、すべてを受け入れる宗教です。ただし、神道の「すべてを受け入れる」という体質は、すぐさま裏返しになり、自分の共同体のしきたりに従わないものを拒絶し攻撃する性質へとつながります。「内」と「外」を分けて、外のものを人間扱いしないところなどは、「優しい日本人」の、戦争の残虐行為、「礼儀正しい日本人」の、海外における傍若無人な振舞いなどに現れています。また永年にわたる在日朝鮮人、韓国人に対する差別と排斥は、日本人が彼らを「内に入れてやろうではないか」と、押し付けの「善意」で日本人にしてやろうと「してやった」にもかかわらず、彼らがそれを拒絶した事実によるところが大きいと考えます。 

 神道における信仰は主に、祭りや、共同作業、冠婚葬祭などの(たとえ仏式であっても)、さまざまな地域の活動に参加することによって表現されます。もちろん個々人の信仰は無視されることはなく、神社参拝も盛んです。しかし、各々の信仰が、改めて問われることはまずあり得ないのです。まったくの無神論者であっても、何かの熱心な信徒であっても、地域で受け入れられ、地域の宗教行事に参加さえしていれば、立派な氏子なのです。 神道は、集落の先祖である氏神以外には、あまり明確な先祖意識を持っていません。特に、血族関係としての先祖は、神道ではほとんど取り扱われません。これは多分、死というものを「穢れ」として強く忌み嫌う、神道の性質によるものと考えられます。しかし、血族の先祖を思う気持ちは日本人にもありましたから、この面で、仏教が「死者」のことをもっぱら取り扱うようになって、神道の隙間に定着することができたのでしょう。こうして、一般の日本人の宗教感覚として、地域共同体は神道、主に血族関係による家族・親族共同体は仏教と言う、かなり明白な住み分けが出来上がったと考えられます。(したがって、神道の共同体は現世の空間的な共同体に留まりますが、仏教の共同体は家という空間の共同体とともに、イエという時間的共同体、つまり先祖という、「あの世」を取りこんだ共同体を含みます。)   

 神道のアニミズム的な性格のために、また、道教や陰陽道との混合のため、一般の人々の間では、まじないや占いも行われていますが、これはあくまでも通俗的なもので、主流からは外れたものといえます。神道の中心的な思想は、儀式によって、人々の穢れを除くということであり、占いや呪いはむしろ穢れそのものと考えられることが多いからです。現在、まじないや占いは、むしろ道教や陰陽道と混合した神道的なカルトに多く見られます。

E.歴史 

 原始的な形の神道は、6世紀半ばに至って、漢字の普及に前後して入って来た仏教に接触するまで、何世紀もの間、文書のないまま、儀式、習慣、文化として伝承されてきました。それは、素朴で未発達なものであったにせよ、一般民衆と貴族社会の共通の信仰でした。このような形態を残している神道を、神社神道と呼んでいます。 

 ところが、高度に発達した教義と形態を持つ仏教が、そのまばゆいばかりの仏像とともに到来するに及んで、為政者たちは海外の力に脅威を感じ、学者たちに、自らの国の神話を編纂させ、 これに対抗しようと試みたと考えられます。こうして生まれたのが古事記と日本書紀という、日本最古の文書です。このふたつの文書に残された神話文学は、日本人の心にあり続けた素朴な本能的な神意識、目に見えない、高くまたかしこきお方に対する、日本人の畏れの感覚を充分に表現することができず、あたかもギリシア神話のような、多神教の愚かさに捻じ曲げてしまっています。その後に現れた多くの神話文学も同じです。実際、神道信仰は、組織的に説明できるようなものではありません。また、日本人のあいまいな神意識の、下等な部分にあたる多神教的要素は、比較的簡単に、仏教などの他宗教と混同して行きました。 

 19世紀に入ると、平田篤胤という傑出した人物が、カトリック神学の脅威に対して、神道神学とも言うべきものを打ち出しました。カトリックの一神教に対し、天照大神を日本建国の主神として奉る、カトリックの神学を参考にした、国粋的神学です。これは20世紀の日本の思想界に強い影響を与え、国家神道の設立の力となりました。国家神道は日本の国教とまではなりませんでしたが、軍国主義と結びつきその精神となることにより、やがて、天皇は天照大神の直系の子孫であり現人神である宣言し、日本軍の最高司令官、日本全国民の父として祭り上げ、アジア諸国に侵略し、連合国を相手に戦うことになりました。 しかし、無条件降伏という形の終戦を迎えることにより、天皇は人間宣言をさせられ、日本の象徴ということになりました。表面的には、これによって、国家神道はその力をまったく失ったかのように見えますが、実際のところは、いまだに保守政党の右よりの人物たちを始め、かなりの日本人が国家神道を奉じており、さらに多くの者が、すぐにも奉じる部類の人間であると、考えるに足る証拠があります。 19世紀、20世紀には多くの教派神道が出現しました。その多くは国家神道から迫害されましたが、現在も数百万の信徒数を持つ、かなり力のある宗教団体として存在しています。その主なものは、天理教、大本教、金光教などで、13数をえることができます。

F.神の概念

 神道の基礎となるのは、「信仰の対象になる神」に対する信仰ではなく、むしろ、霊的な世界が存在し、そこにはより高く、強く、清く、賢く、ゆかしい方がいらっしゃるに相違ないという、素朴な感覚です。それはまさに感覚と呼ぶのにふさわしいもので、決して、知識や知恵、あるいは理解というようなものではありません。これは、神様のみ姿に似せて造られた、霊的存在者としての、人間の本性の発露、本能の現れです。神道そのものは、本来、偶像というものを持ちませんし、持つことを拒否します。今日でも、どこの神社のどの神殿を調べても、物質的な礼拝の対象物を見つけることはまずありません。「何者がおわしますかは知らねども、ありがたさにぞ涙こぼるる」という句が、このような神道の性質をよくあらわしています。 

 しかし、このような素朴な本能的感覚を、理性あるいは知性を持って組織立て、神とは何かと説明しだすと、たちまち、ありとあらゆる愚かさが入り込んでしまいます。人間が罪のために神から隔てられ、神の知識を失ってしまった結果です。一般的に神道では、すべての自然物は神の性質を持つ、あるいは神を宿すと考えています。これはいわゆる汎神論です。平凡な日本人が、必要に応じて手当たり次第に神を作り出す感覚は、ここからきているのでしょう。 

 このような汎神論的感覚から、もう少し人格的な神、そしてその人格的神との個人的接触を望むと、多神論的神々となり、その中から自分の神を選び出してはさまざまな役割を与え、さらにもっとも力のあるものを想定し、主紳として奉るということになります。日本人のこの多神教敵感覚は、驚くほど通俗的なカトリック信仰に似ています。カトリックには、天主である神のほかに、たくさんの礼拝の対象があります。天主より人間的なイエズス様。幼い時のイエズス様。イエズス様より母性的優しさにあふれたマリア様。そのマリア様にも、いろいろなときにさまざまなところに出現した、それぞれのマリア様があります。さらにはおのおの役割分担のある守護聖人、その上天使たちです。ただし、古事記などにあらわされた多紳論は、むしろギリシア神話の多神教に近く、ただ人間より少しばかり力に勝るだけで、神としての神聖な性質はみなどこかに落としてしまったようです。平田篤胤のカトリックに対する危機感から生まれた、きわめて唯一神論に近い天照大神は、「何者がおわしますかは知らねども………」という感覚を、なんとか日本国家論に関係付けて体系化しようとした結果でもあります。ただ、とても成功したとは言いがたく、古事記や日本書紀と同じように、かえって堕落とも言えるものです。日本人の感覚を見事に理解しているにも拘らず、理論的にまとめることはできなかったのです。日本人の素朴な神感覚は、その素朴なままで留まっていれば実に美しく、神様から離れてしまう前の人間の、本能的神知識の多くをそのまま残しているといえるものです。しかし、ひとたび理論付けよう、系統付けようとすると、たちまちグロテスクになってしまい、多くの神道的日本人からでさえも、まったく信頼に足りない神話として笑い物にされてしまうのです。 教派神道には、神話などで顕著なそれぞれの神が祭られており、神学にもそれなりのものがありますが、キリスト教神学の影響もしくは模倣が多いのは、興味深いところです。

G.影響 

 神道的感覚は、日本人の心理の奥底に深く根付いていて、生活のあらゆる面に、その影響を見ることができます。特に、地方の生活共同体の中においては、神道的な習慣、伝統、様式といったものを無視しては、通常の日本人としての生活をすることさえ無理なほどです。大多数の日本人にとっては、自覚こそしてはいないものの、神道的な伝統、習慣、様式を受け入れることこそ、日本人としてあたりまえのこと、つまり、日本人のアイデンテイテイ、日本人であることの証明なのです。これは、同じように広く行き渡っている仏教には見られないものです。仏教は外来の宗教であり、日本以外の国々にも見られますが、神道は日本だけに見られる日本固有の宗教であり、日本の精神土壌だからです。それがまた、神道が国粋主義者と結びつきやすい所以です。

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