How to Be a Missionary

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宣教師の資質


 宣教師になるためには、宣教師になるに相応しい資質が必要です。その資質が充分に活用されてこそ、宣教師の活動は価値あるものとなるのです。これらの資質には霊的資質、精神的資質、知的資質、肉体的資質など多くの分野あるいは側面が含まれます。またそれらの多くについて、すでに色々な形で触れて来ました。しかしここではもう少し資質と言うものに直接触言及しながら、体験的な例を持ち出して考察してみましょう。

1.精神的安定性

 「宣教師の資質として最も大切なものは」と尋ねられるならば、私は迷わず精神的安定性を挙げます。聖書や神学の知識はもちろん大切です。祈ることも大切です。しかし神さまに対するゆるぎない信仰からもたらされる、精神と感情の安定こそ、宣教師にとって絶対になくてはならないものです。簡単に喜び、興奮し、有頂天になったかと思うと、たちまち悲しみ、悲観し、どん底に落ち込んだりする人は、情緒が豊かで愛すべき性質とは思いますが、宣教師には相応しくありません。喜びも悲しみも感じないような人間になれと言っているのではありません。大いに感情の豊かな人間であるべきです。しかし、感情を制御し、それに流されない人間でなければならないのです。昨日は明るく積極的で楽観的だったのに、今日は突然暗く消極的で悲観的になっているような人間と、お付き合いするのは大変ですし、信頼出来ません。周囲の状況がどのように変化しようとも、落ち着いた思考と冷静な判断で、しっかり物事を進め、いつも変わらない態度で人と接する事が出来る人間でなければ、良い宣教師にはなれません。

 このような精神的安定性は、すべての指導者に期待されるものではありますが、特に人間の問題を取り扱う牧師には、絶対必要条件です。牧師が信徒の問題でいちいち喜んだり悲しんだりしていたのでは仕事になりません。とんでもない信徒に腹を立て、どうしようもない求道者に怒っていたのでは勤まりません。信徒の痛みや苦しみを敏感に察知する、柔らかい心は持っていなければなりませんが、信徒の問題で自分まで傷ついてしまったのでは、牧師は失格です。一日の内に、葬式で悲しみを分け合い、結婚式で喜びを共にしなければなりません。一時間のうちに、天に沸き起こる大きな喜びに共に浸りながら、滅び行く魂のために涙をしなければなりません。それでいながら、感情に流されてはならないのです。

 そして宣教師には、一般の牧師や伝道者よりもさらに強く、この精神的安定性が求められるのです。宣教師と言う立場と仕事は、牧師や伝道者と同じような困難さを抱えている上に、さらに多くのストレスを経験するものだからです。人間が感じるストレスの最も大きなもののひとつに、変化への対応があると考えられ、この変化を恐れ嫌うために、人間は本質的に保守的だと言われていますが、宣教師は、異なった人々、異なった言葉、異なった文化、異なった気候、異なった食物、異なった規則、異なった社会システム、異なった、異なった、異なった、と、何から何まで異なった環境に適応して生きることになります。宣教師は変化というストレスの海の中に飛び込むようなものです。新しいものが物珍しく感動的であるうちは、宣教師も旅行者気分で過ごせますが、毎日の生活を続けていくとなると別の話です。

 その上宣教師には、気を許して話し合える人があまりいません。個人主義的で独創性に優れ、野望に満ちている宣教師同士は、多くの場合、互いに敵視するとまでは行かなくても、少なくても競争相手であって、心を開いて自分の弱さや問題について話し合えるものではありません。現地の伝道者に対しては、立派な指導者として模範を示さなければなりません。精神科医もカウンセラーも近くにはいないのです。このようなことから、宣教師の中にはいわゆる神経衰弱と言われるような症状に陥る者が多いのです。現在ではうつ病とか、躁うつ病と診断されるものも含まれます。楽観的な性格の人は、比較的、このような病気には陥らないと言われますが、宣教師の働きはしばしば楽観的性格の限界を超えるものなのです。そして、ひとたびこのような状態になると、回復は非常に困難なことです。このために宣教師を辞めなければならなくなった例は、たくさんあります。

 このような精神的安定性、情緒的安定性は、神さまに愛されていると言う強い確信から生まれてきます。しかも、神様の一方的愛によって救われている、業によらず恵みによって救われていると言う、しっかりとした理解が大切です。たとえ自分がどのような状況に置かれようとも、どんなに大きな失敗をし、どれほど人々に軽視され、疎まれ、嫌われ、軽蔑され、疎外されたとしても、神さまに愛されていると言う事実は変わらず、神さまに受け入れられていると言う事実も変わらないと言うことを、しっかりと確認出来ているのが大切です。つまり自分の自分に対するイメージ、すなわち自己イメージを、自分の業績や能力によって描き出すのではなく、また、他人の評価や言葉によって彩色するのではなく、神さまが自分を愛してくださり、理解してくださり、受け入れてくださっていると言う事実によって描き、彩色し、確立するのです。他人の評価も自己評価もうつろい、また変わります。そのようなものに頼っていると、いつでも浮き沈みを繰り返す精神状態になってしまいます。たとえどのように成功しても、反対にどれほどの失敗を犯しても、神様が愛し、理解し、受け入れていてくださると言う、決して変わらない事実に自分を置くのです。それが確実に出来ているならば、むやみに人の顔色を伺ったり、噂話に心を乱されたり、人気取りのために事実を曲げたりすることもありませんし、そのようなことをしている人を見たとしても、心を荒立てる事もなくなります。

 とは言え宣教師も人の子で、聖書の教えに立って、信仰によって歩むだけでは、精神の健康を保てなくなることがあります。神さまは人間をお造りになった時、人間が神さまに対する信仰だけで生きるようには、お造りになっていないのです。人間を社会的生き物として創造し、美しい自然の中に置いてくださったのです。人間はそのような環境の中から、慰めを得、安らぎを感じることが出来るようにされているのです。ですから、宣教師が精神的に安定した生活をするためには、夫婦の関係を美しいものにしておくこと、家族の団欒を大切にすることなどが非常に大切になるのです。また、現地の社会生活に早く適応し、現地の伝道者たちと良好な人間関係を構築する事も非常に大切です。また、自分をリラックスさせられる時間を作る事です。

 自分をリラックスさせるのは、実は非常に大切な能力なのです。熱帯のフィリピンにいた私は、野生のランを集めていました。熱帯とは言え、海抜1500mの我が家では、熱帯性のランには寒すぎて旨く育ちませんでしたが、山岳部にも結構数多くのランが自生していて、可憐な花を随分楽しみました。もうひとつは魚釣りです。我が家から車をぶっ飛ばして1時間少々、70kmも降ると東シナ海です。普通はせいぜい海岸からキスを釣るくらいでしたが、時にはトローリングに出かけ、キハダマグロやカツオやサワラを狙いました。サワラは日本のとは種類も異なり、2mくらいのも釣れるという漁師の言葉に期待したのですが、私の餌に食いついたのはせいぜい1、5mほどの奴でした。時には現地の協力伝道者たちと一緒に出かけ、時を忘れて楽しんだものです。

 なんだかだと理由をつけて現地の協力伝道者たちを集め、一緒に食事をするのもリラックスの方法でした。どこに出かけても犬料理のもてなしを受け、その度に「おいしそうに食べる」ため、犬が大好きな宣教師と言うことになっていた私は、いろいろな人から犬の肉をいただく羽目になりました。ところが、正直な話し、30を少し過ぎてからこの土地に来た私にとって、すなわち適応性が落ちてしまう年齢になっていた私にとって、犬肉料理は舌には美味しいけれども、どうしても好きにはなれない代物でした。家内もまた、犬肉の料理の仕方は知りません。そこで勢い、我が家の冷蔵庫には犬肉が溜まってしまうのです。そこで、協力伝道者を呼び集めます。「おい。上等な犬肉が手に入ったぞ。みんな呼んでパーティーをやろう。」みんな大喜びでやって来て、上手に料理してくれます。満腹する伝道者たちも幸せ。冷蔵庫を空に出来る私たちも幸せ。一緒に食べることは交わりを豊かにし、人間関係を円滑にします。円滑な人間関係は健やかな精神状態には欠かせないものです。そしてフィリピン人に限って言えば、一緒に食べることよりも、一緒に料理することの方に、より豊かな人間関係の構築があるように感じます。宣教師は、どんなに努力してもストレスがあります。問題はいかにしてストレスを避けるかということではなく、いかにしてストレスを払い落とすことが出来るかです。小さなストレスでも、溜まってしまうと、大きく重くのしかかって来ます。大きなストレスでも、すぐに降ろしてしまうと負担にはなりません。ストレスを貯めずに降ろしていく技術を学ぶことです。

 山岳奥地の伝道者が、貴重な鹿の肉や豚の肉を背負って持って来てくださいます。自分たちも滅多に食べないとうもろこしを、「美味しかったから」と言って、置いて行ってくださいます。私など、重くて聖書さえ置いて行きたくなる険しい山道を、2日も歩いてさらにバスに乗ってやって来るのです。肉は腐りかけて臭いがします。とうもろこしはカチカチで、どうして食べたらよいのかわかりません。普通なら、「こんなものは食べられない」と、すぐに捨ててしまうようなものです。それを冷蔵庫に入れておいたり、台所の前にぶら下げて置いたりするのは、現地の人々の厳しい暮らしと貧しい食事を知っている私には、とても大きな心の負担になりました。険しい山道を背負って来てくださった伝道者の心を考えると、捨てることも他人に差し上げることも出来ません。そこで、なんだかだと理由をつけて、協力伝道者たちを呼びます。そして「やー。旨いところに来てくれたなあー。肉ととうもろこしがあるんだよ」と、料理をしてもらいます。たいていの現地の伝道者は、腐りかけた肉を上手に美味しく料理することが出来ますし、硬いとうもろこしを食べる方法も心得ています。実際のところ、肉は腐りかけているのが一番美味しいと、日本でさえも、通は言います。イゴロット族のある部落では、大きな肉塊を木にぶら下げて長い間放置し、たっぷりと蛆が湧いたところで食べる習慣がありますが、幸か不幸か、私はその高級料理でもてなしを受けたことはありません。そこまでは尊敬されていなかったのです。

 宣教師になりたいと思っている者も、宣教師になった者も、自分の中に精神的安定性を作り上げる努力をしなければなりません。多分、御霊の実として挙げられている中の「自制」は、このことではなかろうかと思います。従って、これは、御霊に働いていただく事によって形成されるものではありますが、自分の訓練によっても作り上げられるものです。宣教師たちの自己訓練として有効な方法のひとつは、自分を笑うことです。自分を笑いのネタにして、みんなで冗談を言い合えることです。他の人、仲間たちや現地の伝道者、さらには信徒たちまで含めて、自分より立場の高い低いに関係なく、みんなで自分のことを冷やかしたり、茶化したり、論評したり、ある時はこき下ろしたり、犯した失敗を持ち出しては笑い物にしたりする時、自分も一緒に笑い転げることが出来るのが健全な心の状態です。そのような時、腹を立てたり、不機嫌になったり、恥じ入ったり、防御的になったり、反対に攻撃的になったりするのは、まだまだ安定性を欠いている証拠です。みんなが安心して冗談のネタに出来る宣教師、それが求められている宣教師です。

2.感受性 (1)

 宣教師は容易に傷つくようなナイーブな者であってはなりません。しかし、非常にセンシティブでなければなりません。つまり、感受性の強い人間でなければならないのです。宣教師は自分の痛みや必要には、ある程度鈍感でなければならないものですが、他者の痛みと必要には、非常に強い感受性を持っていなければなりません。人の痛みを理解出来ない人間は、宣教師になるべきではありません。

 私たちが赴任してしばらくしてからのことです、私たちのゴミ捨て場で、女の人がひとり、ごみ漁りをしているのに気付きました。煙が立ち昇っている中から、私の子供たちが着古した服や靴を拾い集めているのです。そっと窓のカーテンの陰から見ていた私と家内は、思わず息を呑みまいました。女の人は、私たちと同じ屋根の下に住む教区長の、奥さんのお姉さんだったからです。教区長は比較的裕福に暮らしていましたが、奥さんのお姉さんは寡婦となり、小学校の教師をしながら、少し離れたところにあるバラックで、たしか、5人か6人の子供を養っていたはずです。たちまち、ボロを着た子供たちの姿がまぶたに浮かびました。

 私たちは考えました。「私たちの古着を捨てることは良いことなのかどうか。私たちが使えなくなったと判断した物を、あのように捨てると、拾って行く人がいる。心の中では、『宣教師はもったいないことをする』と呟いているのではないだろうか。自分の貧しさと惨めさに泣きながら、ぼろを拾っているのではないだろうか。神様に訴えているのではないだろうか。私の子供たちが着ていた物だとわかる物を、拾って着せられる子供たちは、どんな思いで着るのだろう。では、捨てないでどこかに埋めるとどうなるのか・・・・・。」結局私たちは、使い古したものは絶対にゴミ捨て場に捨てないようにしたのですが、正しい判断であったかどうか、いまだに不明です。ただ、それからは、子供たちの物にせよ、私たちの物にせよ、なるべく完全に使いきる前に、誰かに譲り渡して使ってもらう事にしたのですが、これがまた面倒なことでした。自分が使い古したものを差し上げると言うのは、私たちには出来ない事でした。間もなく私たちは、心を鬼にして、自分たちの使ったものは誰にもわからないように始末するようにしたのですが、そう決断する過程には、ずいぶんとセンシティブな考察が必要でした。自分が貧しい人の立場に立って考えるのが、絶対に必要な事でした。そしてそれは困難な作業でした。それからしばらくして、別段騒ぎ立てるほどの事でもなかったのですが、我が家の娘の洋服がなくなりました。その頃の私たち家族は、日本から山のように送られて来る救援物資の古着から選び出した物で、ほとんどを間に合わせ、下着以外は滅多に買う事もなかったのです。ただ、その洋服は娘が気に入っていた物だったと言うだけです。たぶん、洗濯物の干し場から盗まれたのでしょう。ところがある時、ジプニーと呼ばれる乗り合いの車に乗って、買い物に行って来た家内が言うのです。「ジプニーに乗ったら、どこかで見たことのある洋服を着た女の子が、母親らしい人と一緒に乗って来たのよ。良く見ると、この前なくなったうちの娘の洋服よ。ちょっと腹が立って悔しかったけれど、貧しい女の子に喜んで着て貰っているのだったら、うちの娘に着せるよりいいかもしれないと思い直したら、気が楽になったヮ。」

 共同体社会がまだ力強く息づいているフィリピンの田舎では、金持ちが貧しい者を助けるのは当然のことなのです。貧しい者を見過ごしにして生きることは、貧しい者が盗むことよりも悪なのです。盗みをさせるほうが罪なのです。少なくても、搾取に搾取を重ねられている貧しい人々は、そのように感じているのです。その彼らに、共鳴する感覚を持たなければ、彼らと心を通わせることは難しいでしょう。アメリカ流の自由主義社会、民主主義社会、資本主義社会で育った人間は、人々の自由な活動を基本的人権として認めます。そして、フィリピンのような貧しい国々の人々も、自分たちと平等に自由に生きる権利を持っていると、少なくても頭の中では考えます。彼らにも、自由に競争して生きるチャンスがあり、それがフェアーな社会であると感じています。しかし、そのようなフェアーさは観念上にしか存在しません。アメリカを始めとする先進国は、自分たちよりも力の劣る国と取引をする場合、決して自国に不利になるような取引をしようとは思いません。あくまでも自国が有利になるように条約を定め、自分たちに有利になるようにそれを運用します。生まれた時から、充分な栄養と充分な教育の機会を与えられて育つ人間と、食べ物も着る物もなく、学校はおろか雨をしのぐ小屋さえもない中で育った子供たちとでは、始めからフェアーな平等の基盤に立てないのです。そのような不平等社会の中の有利な立場で育った者が、不利な社会で生まれ、不利な社会でしか生きることの出来なかった人々の小さな盗みを、もう少し同情を持って見る感受性を養わなければなりません。

 私のところで訓練を積んでいた若いアメリカ人の宣教師と、新しく着任したばかりのアメリカ人宣教師を空港に迎えたことがありました。大層お金持ちだと言うその新米の宣教師は、饒舌に言いました。「宣教師、特にフィリピンのような貧しい国で働く宣教師は金持ちでなければならない。なぜなら、金持ちでなくては貧しい者を助けることが出来ないからだ。だから、自分は金持ちであることを大切だと思っているし、それが自分の働きの強みである。」私たちは反論する気力も失しなって、彼の駄弁を聞き流しながら考えていました。「何と感受性に欠けた人間なんだろう!この宣教師がフィリピン人たちから嫌われて、フィリピンを去るのは1年後だろうか。2年後だろうか。」その後、この宣教師の噂が少しだけ聞こえて来ました。彼は自分のやりたいことや思いつくことを、金に物を言わせてどんどん進めていくが、フィリピン人に対する思いやりがないということでした。どれほどたくさんの金を使うことが出来ても、思いやりが感じられなければ、人心は離れて行きます。宣教とはビジネスや事業と違います。組織や機構を作り上げるのではなく、人間関係を作り上げるのです。貧しい人たちの心の琴線に触れるような思いやり、貧しい人々と生活を共に出来るような心がけがなければ、ならないのです。

 そのような事があってしばらく後のことです。私たちの使い古しの物をごみ捨て場で漁っていたあの姉妹の次女が、小児麻痺に罹ってしまいました。元気に走り回っていた可愛い女の子が、立つことはおろか座ることも出来ないで、仰向けに寝かせられているのを見て、心が激しく痛みました。女の子の大きな黒いひとみに溢れた涙が、頬を伝って流れ落ちました。父を知らずに育ってきた子。貧しさのどん底だけを見てきた子。頭が良かったから、大きくなったら学校の先生になると、はにかみながら話してくれた子。この貧しさの中で、小児麻痺になって、いったい、どのように生きて行けるのだろう。暗い顔でじっと見つめている母親の頬には、涙の乾いた跡が、筋となって走っていました。私たちはしばらくの間、まったくの無力感に陥っていました。母親と娘と、その兄弟姉妹たちと一緒に、まるで打ちひしがれていたのです。

 しかし、しばらくすると、悔しさと怒りが入り混じった、何とも言えない不思議な感情に捉えられました。無性に腹が立ったのです。「神様。どうしてですか!? なぜあなたを信じる者を、このように苦しめるのですか。」その時、一緒にいた者たちはほとんど同時に、気付いたのです。この子が小児麻痺で生きて行くのは、神様の御心ではない。私たちは神さまに対する不満の訴えを、小児麻痺と言う病気とそれを操っている悪魔に対する怒りに変えて、一緒に祈りました。ところが、この女の子の話を伝え聞いた宣教師が痛く心を動かし、この子の治療費をアメリカの教会から献金してもらうことを思いつきました。そして言うのです。「その子が寝たきりの姿を写真に撮って送ろう。」なるほど、機能的な解決法かも知れません。しかし、感受性に欠けるものです。医者でもないものが、寝たきりになったばかりの痛々しい姿を、どのようにして写真に収めるのでしょう。金持ちの外国人がどのようにして貧しい家に入って行くのでしょう。母親は心を痛めないでしょうか。確かに、お金が集まれば治療も出来ます。でも、それでよいのでしょうか。答えは見つかりません。しかし、貧しく痛んでいる人の心に、土足で上がりこむようなことはするべきではありません。

 伝道者たちを含めて、多くのフィリピン人クリスチャンは、宣教師たちがやたらと写真を撮るのを好みません。写真を撮られる時はポーズを作ってはしゃぐのですが、その実、しばしば傷ついているのです。そして言います。「貧しい俺たちの写真を撮って母国に送り、金を集めるんだよ。」「宣教師は私たちの惨めな姿を売り物にして生きているんだ。彼らの持っている金だって、私たちにいくらかは使う権利があるはずです。」少なくても宣教師たちは、そのような傷つき易い心があることに気付く必要があります。私もまた、日本の教会を巡回している時に言われたことがあります。「どうしてもっと貧しく、汚いところを写真に撮って来ないんですか?」私の写真集には、アメリカ人宣教師たちが写真を撮るためにわざわざ遠くからやって来る、褌姿の男たちの姿は、は偶然に入った1、2枚しかありません。トップレスの女性の姿は1枚もありません。当時はまだそのような姿がたくさん見られました。しかし、公園でお金を取っている民族衣装の「自家製モデル」たちは別として、ほとんどの者たちは、写真を撮られるのを嫌っていたのです。

 ところで、私たちが祈ったあの女の子は、3日目には座れるようになりました。1週間後には少し歩けるようになりました。1ヶ月も経った頃には、ほとんど正常に歩けるようになりました。そしてしばらくすると、元気に走り回る大きな黒い瞳がありました。ペンテコステの伝道者は、しばしば、病んでいる者や苦しんでいる者の痛みを感じることがないまま、祈ってしまいます。しかし、イエス様は涙を流してくださいました。小児麻痺の後遺症は比較的治り易いとも言われていますが、私たちは祈りに答えられたと信じています。

3.感受性 (2)

 宣教師は何事に対しても敏感でなければ勤まりません。自分の痛みや必要に対しても、本当は敏感の方がいいのですが、他人の苦痛や悲しみに対しては、常に、それ以上に敏感でなければとても良い働きは出来ません。どんなに敏感であっても敏感過ぎることはないのです。しかし、ナイーブであっては、すなわち、傷つき易くてはなりません。それだけ宣教師の働きは、心の耳を澄ませて聞こえないほどの泣き声を聞き取り、そっと語られる呟きも聞き逃してはいけない微妙な働きです。信徒の顔にサッと走る不安の影を目ざとく見つける目が必要であり、現地の伝道者の後姿に張り付いている失望にも気付かなければなりません。その一方で、自分に対する笑顔の中に隠された皮肉や侮蔑、あるいは欺瞞や憎しみもいち早く見つけ出し、その理由を探らなければなりません。容赦ない批判や中傷にも耳を傾け、悪口や陰口にも耳を閉じてはならないのです。多くの賞賛のまなざしの中にも、冷ややかな視線があるのを感じ取らなければなりません。しかし、それでいて、それらのものに痛んだり、傷ついたりしていてはならないのです。

 鈍感な人はその鈍感さのゆえに、人の痛みを理解せず、自分の弱さや不足にも気が付きません。そして結局人を苦しめ、自分を壊すことになってしまうのです。またナイーブな人は、わずかなことで傷つき壊れ、その結果、周囲の人々を傷つけてしまうのです。敏感であってナイーブでないものを喩えで探すならば、太鼓の皮のようなものです。弱く軽い打ち方でも、太鼓は微妙に鳴り響きます。大の男が力いっぱい叩いても、決して破れず壊れず、大きな音で響き渡ります。テレビで和太鼓の演奏を聴くと、小さい音はボリュームを最大限にしなければ聞こえません。大きな音はボリュームをうんと下げなければ、近所に迷惑をかけてしまいます。どんな小さなタッチも逃さず、どんなに大きな衝撃にも耐えるのが和太鼓です。

 それに比べると、鈍感でナイーブなのは窓ガラスです。硬くて割れ易く危険です。ちょっとくらい叩いてもあまり反応しないのに、わずかに力が入り過ぎると割れてしまいます。割れると自分だけが壊れるのではなく、周囲の者も傷つけてしまいます。クリスチャンには意外とこのような人間が多いのです。それは、救われる前にはとても大変な人生を送って来た人が多く、たとえ救われたとは言え、まだまだ過去の痛みや傷が完全に癒えていない人が多いからです。時々、救われた感謝と喜びで牧師や伝道者になったのは良いけれど、そのような痛みと傷をまだ抱えたままの人さえいます。牧師でありながら、ひと一倍ナイーブで、すぐに感情的になり、人を恨んだり憎んだり疑ったりして、攻撃的になるのです。宣教師は、このような人間であってはならないのです。小さなタッチも敏感に感じ取り、どのように強烈な衝撃にも堂々と耐える精神的な力、信仰による自己抑制が必要です。

 私が宣教師をしていた頃、協力伝道者に与えた訓練のひとつが、敏感でいながら傷つかない人間になることでした。敏感になるのも簡単ではありません。一般的には、やはり困難や痛みや苦しみをたくさん経験し、貧乏に耐え、人の意地悪さと情けの両面にも触れ、助け合いながら生きて来た人たちが、他人を思いやり、彼らの辛さ、切なさを、より早くより深く理解することが出来るようです。わがままいっぱいに育って来た人間には、そのあたりが欠ける傾向があります。そのような伝道者には、あえて困難を経験してもらいました。訓練として、半年くらい、あるいは1年くらい、わざと非常に貧しい生活をさせ、とても困難な場所に送り出しました。音を上げるのは自分の弱さ。それを体験し克服して、人を理解出来るようになれるのです。これに耐え抜いた伝道者は、ずいぶん変わりました。耐え切れなかった伝道者は2人だけでした。彼らには、伝道者としてふさわしくないと判断して、信徒奉仕者になってもらいました。

 そのうちのひとりは、大変能力のある女性で、私の出た神学校を出て伝道者になり、しっかりした教会の牧師になったのですが、私たちの働きを見聞きして、自分も一緒に働きたいと申し出て来たのです。しかし、私たちと働き始めて間もなく、彼女は、自分の献身態度がなっていなかったことを、痛切に思い知らされることになりました。自分よりずっと能力のない伝道者たちが、真剣に献身し、立派に働いている姿に打ちのめされたのです。彼女は裕福で名のある家庭に生まれ、幼い頃から可愛くて、みんなにちやほやされて育ちました。聖書学校に入っても、その可愛らしさと聡明さのためにすべての人から賞賛され、甘やかされていたのです。実際のところ、私たちと働くようになってからも、彼女のところにはたくさんの伝道者からラブレターが舞い込み、答えるのも面倒くさく、机の上に積まれていたほどでした。

 彼女の聡明さは、自分の献身が不徹底であることを敏感に悟ったことです。そして、もっと若い頃ならばいざ知らず、聖書学校とその上の神学校まで優秀な成績で卒業し、伝道者としても年季を積んでいて、今さらその生半可な献身態度を改めるのは、非常に困難であると気が付いていたことです。彼女の最大の欠点は、傷つき易く、自分の感情をすぐ表情に出してしまうことでした。わがままや怒りや不平が顔に張り付いてしまうのです。それは、彼女の説教の素晴らしさ、教えの上手さ、歌のうまさなどに感動して彼女に近づいた人たちを、たちまちのうちに傷つけ、失望させ、躓かせてしまいました。あふれ出る豊かな感情を自由に表現出来る、「恵まれた環境」にわがままに育った、ある意味で非常に素直な女性でした。私の協力伝道者の中ではもっとも聡明で、何をしても立派にこなすことが出来、本当のところ、一番信頼出来たのですが、2年ほども一緒に働いたある日、私はとうとう彼女を呼び寄せ、伝道者を辞めるように、また、伝道者と結婚することも諦めるように言い渡しました。彼女は私の言うことをすぐに理解してくれました。すでに彼女自身が、伝道者を続けるべきではないと気付いていたのです。また、伝道者と結婚すると、夫が一年かかって築き上げた人間関係を、一晩で壊してしまう可能性が高いことを、自ら察知していたからです。彼女は今、ビジネスマンと結婚して近くの教会を支援しています。アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団ではあまりにも良く知られているために、他の団体の教会に移って、正式な教職ではありませんが、牧師以上の働きを続けています。昨年日本の成年たちを連れて訪れ、彼女の屋敷を宿として提供してもらった時、彼女は言っていました。「信徒になってからも長い時間をかけて、悪戦苦闘しながら、献身の態度を築き上げる努力を重ねて来たのよ。私は伝道者を続けなくてほんとうに良かったと思ってるの。『厳しい日本人宣教師』に感謝しているヮ。」彼女と夫のビジネスは祝福され、いまや田舎町に4、5階建ての建物を2棟も所有する一番の名士に成長し、多くの伝道者たちを支援しています。いまカンボジアで宣教師をしているフィリピン女性のひとりも、彼女たち夫婦の支援で働いているのです。

 宣教師になるためには、一般の伝道者たちよりさらに一段と自己訓練を積み、鋭い感受性を持ちながら、決して傷つかない者にならなければなりません。

4.文化に対する洞察

 文化に対して鋭い感覚と洞察を持つことは、宣教師にとって対必要条件です。現地において福音をより効果的に宣べ伝えるには、現地の文化、人々の生活感覚、ものの考え方、判断の仕方、行動のパターンなどを理解することが、非常に大切であることはすでに様々な形で述べて来ました。

 しかし、宣教師が文化と言うもものに鋭い感覚を持たねばならないと言うのは、それだけの理由に止まりません。宣教師は、自分の感覚、思考、判断、行動などが、どれほど自分の育った文化に影響され、自分の聖書理解やキリスト教倫理がいかに自分を育んだ文化に影響されているかと言うことを、しっかりと見据える必要があるのです。注意深く考えると、自分がこれぞ聖書的な考え方だと思っていたことが、自分の文化を聖書の中に持ち込んでいることが多いのです。そのようなものを宣教地に持ち込んだり、そのようなもので宣教地の文化や人々を裁いたりしてはならないのです。

 たとえば日本のキリスト教は、倫理的に非常に厳しいキリスト教ですが、果たして聖書の教えている教えが正しく理解された結果、そのようになったのかというと、はなはだ疑問です。むしろ徳川幕府が輸入した儒教の倫理観に、聖書的味付けを加えたものではないでしょうか。表面的には、高度に発達した儒教の倫理観は、キリスト教の倫理観と共通するところがあります。しかしこれらふたつの倫理観は、本質的に相容れないものです。絶対の存在者である神の前に生きることを前提として社会を築くキリスト教倫理と、そのような絶対者の存在を曖昧にしたまま、人間の相対性の社会を前提とした倫理では、決定的に違うのです。突き詰めると、聖書の倫理は、人は神のみ前にどのように生きるかと言うことであり、儒教の倫理は、人は人の間でどのように生きるかなのです。多くの日本人クリスチャンは、牧師や伝道者に至るまで、肝心な所に来ると、儒教の倫理観に陥ってしまうのです。宣教師は、自分が育った文化が自分にどのような影響を与えているか、冷静に判断する能力を持たなければなりません。少なくても、母国のクリスチャンたちの間では当然と考えられている、キリスト教的な考え方、キリスト教的な価値判断、キリスト教的な行動などを、反省してみるだけの余裕と能力を持たなければなりません。

 また、日本の文化は和を尊ぶ文化です。稲作と言う非常に定着的な農業を生業として長い間生きてきた日本人は、定着して生きることを前提とした、「和」の文化を作り上げました。平和に睦みあいながら共に暮らすことが最も大切で、価値のあることでした。たとえその中で不正が行われ、不当に卑しめられ、人権を無視されるような人々が出て来たとしても、全体が平和の中に保たれているならば、それでよいのです。そこで人権だの、平等だのと争いを起こすことは、存在する「和」を壊すことであり、社会的に大きな犯罪となるのです。このような背景に、「忠孝」を掲げる儒教が入って来て、ますます権力者が尊ばれ弱い者が卑しめられるようになり、抑圧される側の忍耐が不当に美化されて来ました。そのような政策の一環として、徳川幕府は抑圧されていた農民を静め治めるために、さらに卑しい身分の「エッタ」と呼ばれる人々を作り上げました。彼らの存在は、士農工商の社会を平和裏に持続させるためには必要だったのです。こうして一般庶民の中に「お上」の感覚が植えつけられ、「見ざる聞かざる言わざる」の文化、「長いものには巻かれろ」、「寄らば大樹の陰」、「臭いものには蓋」の文化が形成されて来たのです。ですから、日本人が宣教師として出て行った時、自分の文化的優越感を振り回し、「沈黙は金」とばかりに、日本の文化を押し付けたり期待したりしてはいけないのです。

 そういうわけで、フィピンのキリスト教を、日本のキリスト教の倫理で計ってはなりません。日本の倫理的なキリスト教に比べると、フィリピンのキリスト教は喜びのキリスト教です。倫理的にはすでに述べたように、教会の中でも腕時計がなくなったり財布がなくなったりするキリスト教です。教団の選挙で現ナマが飛び交うキリスト教です。しかし、彼らのキリスト教は神の救いを喜ぶキリスト教です。神さまに感謝と賛美を奉げるキリスト教です。どちらが優れているか、簡単に判断することは出来ません。

 さらに宣教師は、自分たちの伝えられたキリスト教の教えを、細かく分析して、本当に聖書の教えであるかどうか、調べてみる度胸と能力を必要としています。自分たちが伝え聞き受け入れたキリスト教が、本当に聖書が教えているキリスト教であるとは限らないのです。西欧から渡ってきたキリスト教は、西欧文化の影響を受けています。アメリカから渡って来たキリスト教は、アメリカ文化の影響を受けています。多くの場合、それらの文化の影響は、それぞれの文化においては聖書の教えの正当な適応であり、かなり上手な適応であったことでしょう、しかし、それは聖書の教えの文化的適応であて、聖書の教えそのものではないのです。それが異なった文化に持ち込まれると、多くの場合、福音宣教の大きな妨げになるのです。

 ブラジルと言う国は、非常に多くの民族が入り混じって形成されています。それぞれの文化がぶつかり合い溶け合い、混然とした文化を作り上げています。私たち日本人から見ても、カーニバルの乱痴気騒ぎに代表されるような、不道徳極まりないと思われるところもあります。そこに入って行ったピューリタン的かつホーリネス的アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教会は、それらの不道徳と激しい戦いを経験しながら、驚くほどの成長を見せました。不道徳から抜け出ると言うのが、福音になった側面もあります。人々はそのような不道徳から開放されたことを、証として宣べ伝えたのです。当然、そこには外部の者には理解出来ないような葛藤がありました。不道徳に対してどのような態度を取るかということが、しばしば大きな論争に発展しました。その結果、ブラジルのアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団には、ふたつのグループが出来ました。ひとつはブラジルの開放的不道徳に対して厳しい態度を取り、女性はノースリーブの服装をしてはならないと言う規律を定めました。彼らの間では、開放的な社会の中でノースリーブを着ないと言うことが、クリスチャンとしてのアイデンティティとなり、ある意味で伝道の力ともなって行きました。一方、ノースリーブの服装をしても良いというグループは、そのように敢えて厳しい態度を取ることに疑問を感じ、少なくても、女性の服装と言う面では柔軟な方向を示したのです。このようなブラジルから、日本に宣教師が来た場合のことを想像してみましょう。もし彼らが、自分たちの文化を捨てきれないでいると、日本の女性にも、ノースリーブを着るのは罪であるとか、いや罪にはならないなどと言う論争をすることになります。

 すでに幾度も述べたように、アメリカから伝えられた福音的キリスト教の多くは、ピューリタン的な影響を強く受けています。メソジストとホーリネス運度の影響の下にあるものも、少なくありません。ですから、彼らの感覚によって聖書が理解され、彼らの思考形態に従って聖書の教えが適応されています。たとえば、アメリカの福音的キリスト教は、少なくてもその基本的教えにおいては現在でも、非常に厳しい性道徳を維持しています。新約聖書が教えている高度な性道徳を厳格に適応しています。しかし、聖書を見ると、神様は、性道徳に関しては非常に穏やかな適応をしておられることがわかります。神様は原則を持っておられますが、人間の弱さのゆえに、非常に緩やかな適応をしておられると言うことです。その一方で、勤勉さを称えたピューリタンの影響で、アメリカなどの資本主義国では、正当な労働から得た富は神様の祝福であると言う思想が拡大され、激しい経済競争の戦いを生み出しました。そこでは多くの搾取が行われただけではなく、物欲を正当化するような風潮が、教会の中でももてはやされました。有名な牧師や伝道者たちが豊かな社会の中で、その豊かさが、資本主義経済の原則にのっとった「正当な経済的約束事」で、貧しい国の人々を搾取し抑圧することによって、もたらされていると言う事実に気付かず、まるで純粋に、神様の祝福であるかのうように宣伝している一方、小さな性道徳の誤りについては絶対に制裁を加えて許さないのです。間違ってはいけません。性道徳の誤りを弁護しているのではなく、物欲を糾弾しているのです。宣教師たるものこのような文化的な要因をしっかりと見極め、正しく判断する能力を身に着けることが肝要です。

5.適応力

 宣教師の資質として絶対に欠かせないもののひとつが、適応力です。肉体的な適応力と共に、精神的な適応力が求められます。人間には性格的に適応力の強い人と弱い人がいるようですが、適応力の弱い人は、はっきり言って、宣教師には向いていません。また適応力と言うものは、生活環境や年齢に大きく影響されますので、適応性を育てるような環境に育ち、適応性を維持している年齢の人間が、宣教師になるのがもっとも望ましいのです。ただし間違ってならないのですが、適応力の旺盛な人が文化や習慣に対する洞察力を持っているとは限りません。むしろなかなか適応が出来ないで、失敗し、悩み、苦しむ経験をした者の方が、深い考察を繰り返して、理解を持つようになることがあるのです。適応力の旺盛な人は、考察する必要も感じないからです。

 ただ、宣教師は学者ではありませんから、たとえどのように深い洞察を得たとしても、適応が出来なければどうしょうもありません。まず必要なのは理解ではなく、適応なのです。この点で、多くの宣教師や牧師たちは考え違いをしています。彼らは、宣教師はすべからく母国で充分な学びと訓練を積み、さらに牧会の経験もしっかりと重ねてから、現地に赴くべきだと主張します。聖書の学問を始め、神学や社会学心理学そして牧会学まで学んでおくのが理想だと言うのです。しかし人間は、一般的傾向として、歳を重ねるごとに理解力や洞察力を増していくのは事実ですが、適応力はそれに反比例して失われて行くのです。母国で充分な学びと訓練と経験を積み重ねて、実際に宣教師になる時には、とうに適応力を失い、新しいものに対して正しい反応が出来なくなっている場合が多いのです。

 生まれたばかりの赤ちゃんは、一番強い適応力を持っています。王室に生まれても、乞食の家で生きて行けます。石器時代のような生活をしている両親から生まれても、何の問題もなくコンピューターの専門化の家で育ちます。しかし、年齢を重ねるごとにそれが困難になり、20歳を過ぎると、そのような適応はおおよそ不可能になります。ある程度の年齢まで、人間はどんどん新しい物を学び吸収し続けます。そしてその年齢を超えると、もはや新しいものを学び取る能力ではなく、今度はそれまで吸収してきたものを土台として、それらを適用しながら生きて行く能力を発揮して行くことになります。その時になって、適用範囲を超えるような異なった環境や物事に遭遇すると、適用不可能となってパニックに陥るのです。

 人間は一定の年齢を超えると、新しいものを吸収する能力を急激に失ってしまうのです。一般的に、この年齢は女性では25歳前後、男性では30歳前後と言われていますが、平均すると、女性の適応性の方が男性のそれより優れているとも言われています。「嫁入り」出来る適応性を備えた女性は、男性よりは宣教師になれる特質を備えていると考えられます。そして事実、近代宣教の歴史を見ると、女性の宣教師の数は男性の宣教師数を、おおよそ2対3で上回っているのです。そういうわけで、遅くても女性は25歳までに、男性では30歳までに宣教師になるのが望ましいのです。実際はもっと早いほうが良いでしょう。母国での学びや経験が、本当に宣教師としての資質を高めると言うのは、母国を買いかぶっていることだと思います。母国の学びの方が現地の学びよりも優れているという、先入観のなせる業とも言えるでしょうか。

 実際、アメリカでの牧会経験が、日本での宣教師としての働きや牧会伝道の働きを、より良いものにするなどと言うことは幻想に過ぎません。かえって、母国の成功が、まったく異なった文化での働きを妨げることの方が、深刻な現実だと思います。母国での成功が、宣教師に不必要な自信をもたらし、現地の実情を学びそれに対応する努力を妨げているのです。そのような宣教師が責任を持っている教会は、確かに、極端な間違いや失敗には陥らないと言う、安定性を持っているかも知れませんが、本当の意味で、土着化した教会に成長することは困難です。宣教師が母国の教会で成功したやり方が、宣教地にそのまま移植され、結果として、何時までも外国の宗教、外国の教会にとどまり続けるのです。

 そういうわけで宣教師候補生は、できるだけ早く、せいぜい20歳前後で、数年の異文化体験をすることが望まれます。その頃に、自分が育ったのとまったく異なった環境で生活する体験を持つと、たとえその後10年間は元の生活に戻って、30歳を過ぎてから宣教師として派遣されても、かなりの適応性を発揮することが出来るのです。20歳までに学んだ様々なことを生かして、異文化体験をし、異文化を吸収するのです。宣教師になる資質を持っている者は、たとえ人生経験が不充分でも、20歳で、充分に資質を発揮します。しかし宣教師の資質を持っていた人でも、30歳を過ぎてしまうと、その資質はすでに失われてしまっていることが多いのです。

 このような適応性は、まず肉体的な面で顕著に現われて来ます。精神的な方面は深くゆっくり現われて来ます。簡単な話、私のように北海道と言う寒冷地で育った者が、沖縄の暑さの中でひと夏を過ごすのは大変なことでした。常夏のフィリピンで、エアコンも冷蔵庫もないまま、家族で何年間も暮らすのは並大抵ではありませんでした。日本の野菜や魚で生きてきた者が、何か分からないようなフィリピンの野菜と肉と、臭いのきついぼろぼろのご飯に切り替えることは、楽な仕事ではありませんでした。山岳奥地を旅行する時は、ほとんど野菜がないまま、一週間から10日間も、まったく味付けらしい味付けはされていない肉とサツマイモだけで過ごすのは、苦行を強いられる感じです。

 次に、肉体に直接関わる精神的適応があります。多くの宣教師は、肉体的には充分に耐えられる力を持っているにも拘らず、新しいことに挑戦する勇気を持たず、常に躊躇を繰り返しながら、一大決心をし続けるために、精神的に参ってしまうのです。たとえば、私の場合は、フィリピン国内を旅行する限り、どのようなところに行こうと、出された食べ物は必ず、何の質問もせず、美味しそうに食べるという決心を「一度だけ」しました。一度はっきりと決心して、その決心を二度と繰り返すことはしませんでした。そのようなことをしていては、精神衛生にとても悪いからです。豚の脂身を汚いかごに入れて出されて、食べようかどうかと迷い、犬の肉を出されて食べないで済む方法はないかと考え、おたまじゃくしを出されて、そっと食べた振りを出来ないものかと画策し、ニシキヘビの輪切りのステーキを出されて、いい断りの言葉を捜していたのでは、不健全です。絶対に参ってしまいます。一度だけ、はっきりと決心して、もう、二度と決心を繰り返さないことが、精神の健康を守る秘訣です。

 犬の肉は、絶対に美味しいのです。でも、私は最後まで好きになれませんでした。要するに、舌の問題ではなく、イメージの問題なのです。もし私が10代になる前に犬肉を食べる文化に入っていたら、犬肉が大好きになっていたに違いありません。手ごろな犬が尻尾を丸めてトッツ、トッツ、トッツと歩いていくのを見たら、「旨そうだな」と思ったはずなのです。日本人が3キロもある見事な鯛を見て、「旨そうだな。刺身もいいし、潮汁もいいな。あの面玉のところが旨いんだよな」と思うのと同じです。せめて20代の始めに宣教師になって犬肉にお目にかかっていたら、もっと抵抗感がなくいただけただろうと思うのです。魚を食べない文化に生きていた者が、白髪が生えたり、禿げ始めるのを気にする歳になってから宣教師になると、目玉付きの魚は、白魚の佃煮でも気持ち悪く、日本人と一緒に旅館に泊まるのも苦痛になります。修士号や博士号を取得してからフイリピンに来ると、バルット を見て吐き気を催すことになります。水道水から水を飲みつ続けてきた人は、小さな魚やサンショウウオ、あるいは蛙が泳いでいる井戸の水を飲むには抵抗があります。ましてや川の水を飲むには勇気が要ります。雨季の水を乾季に遣うために貯め置くタンクを見て、ヤモリだのトカゲの死体が沈んでいるのを見ても、平気でその水を飲めるようになるには、相当の図太さが必要になります。


  東南アジア諸国にある食べ物で、アヒルやニワトリの卵を孵化寸前まで暖め茹でたもの。ほとんどひよこになりかけているものを、珍味とする。

 体全体が派遣された現地の気候、食べ物、細菌、昆虫やその他の虫類に慣れるのは、並大抵のことではありません。しかし、宣教師が現地の人々とアイデンティフィケーションを持つためには、彼らと共に生きる努力が必要であり、彼らと共に生きるためには、それらのことの大部分を克服しなければならないのです。もちろん、すべての宣教師がそのような働きをする必要はないとも言えるのですが、今、あまりにも多くの宣教師が、そのような努力をする必要のない「専門家」集団となり、現地の人々と心を通わせることが不可能になって来ているのです。くり返しますが、宣教の働きは、組織を建てあげたり、プロジェクトを動かしたりすることではなく、人間関係にあるということを確認しなければなりません。少なくても、現在日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団が、自分たちの力と、世界のアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの交わりの中の立場を考えると、このような、現地の人々と共に生き共に働く宣教活動こそが、自分たちが最も力を入れて取り組むべき働きだと信じるものです。

 宣教師や宣教団体が、母国での学びや訓練、あるいは経験や学位などを重視するのは、「教えようとして」宣教地に向かうからです。宣教師は教える前に、共に住み、共に生きる者でなければなりません。また教える前に、学ぶ者でなければなりません。また、高度に専門化している学問を教えるのが目的ではありません。最近は、開発途上国においても専門分野の学びはかなり進んでいます。それらの人々を教えようと考えると、宣教師は大変な学力と資格を求められるのです。しかし私たちは、原点に戻って、宣教師の働きとは何かを考え直す必要があります。宣教師とは、福音を宣べ伝え、キリストのみ体である教会を建て上げ、それを大人になるように育てる働きです。その働きに見合った訓練が大切なのです。

6.柔軟性

 適応力とよく似ている能力と言うか性質に、柔軟性と言うのがあります。これがまた、多くの宣教師には絶対必要条件に近いくらい大切なものとなります。適応性あるいは適応力は、ある程度の長期間に渡っての事ですが、柔軟性と言うのは瞬間瞬間の即断を要求される事柄です。多くの開発途上国、福音の未開発地域では、人々は、現代文明から取り残されたような、ゆったりとした感覚で生きています。すべての事柄において、計画と言う概念が希薄で、あったとしても非常に大まかなのです。勢い、計画に従って行動し、プログラムにのっとって仕事を進めていくことに慣れている「先進国の現代人」には、耐え難いような出来事が毎日幾度となく繰り返されるようになります。

 私たちの海外伝道部では、毎年、青年たちを宣教現場に連れて行き、異文化体験をさせるプログラムを推進しています。参加者を募り、応募者にプログラムを伝えると、大抵数人の人たちから不満が寄せられます。もう少しはっきりしたプログラムと計画を教えてほしいというのです。いつどこに着いて何をするのか、誰が迎えに来てくれて、どんな交通手段を取るのか、どのような集会をして、いつまで続くのかと言うような、普通の旅行ならば当然明らかにされているべきものが、まったく明らかにされないからです。

 そこで私たちは、現地ではそのような計画やプログラムを作成することは、無理であるということを色々説明するのですが、なかなか納得してもらえません。それでも、極めて大まかに、予定をお伝えしておきます。ところが、殆どの参加者は、現地に着くと間もなく、計画などと言うものを作成できない事情がわかって来ます。

 空港に降り立つと、迎えに来ているはずの人間が見当たりません。散々待たされた挙句やっと迎えの者に会えたとしても、遅れた理由もわかりません。ところが今度は、彼がチャーターして来ているはずのバスがありません。さらに数時間待ちます。やっとチャーターしていたバスが途中で故障して、来ることが出来ないのが判り、急遽、その辺にある車をチャーターします。一台のバスで8時間のドライブのはずが、2台の小型のバスに分譲することになります。そして、遅くなって、計画になかった途中のレストランでの食事になります。

 レストランを出ると、さらに途中で2台のバスが別れ別れになって、探すのに何時間も費やします。12時間かかってやっと目的地に着いても、時間が大幅にずれ込んだために、予約していたホテルに泊まることが出来ず、他のホテルを探す羽目になります。ホテルで会うことになっていた現地の伝道者は、もうどこかに行ってしまって、見つけることが出来ません。本当は「明日」の予定になっていた最初の教会訪問と親睦会が、朝方に到着したために、「今日」になってしまいましたが、伝道者が見つからないために、その教会に行き着くことが出来るかどうか不明です。

 色々手を尽くして伝道者を探しているうちに、事情を知った他の教会から招きを受けます。そちらに行こうかと迷っていると、ホスト役の伝道者が現われます。そして、予定していた教会ではなく、もう少し遠くの教会に行くので、すぐ出発したいと言い出します。ちょっと休ませて欲しいと言っても、もう、信徒たちが首を長くして待っていると言います。そこでしょうがなくて、朝食もそこそこにぼろ車3台に分乗して出発します。参加者の中には朝のトイレに行き損ねたので、トイレに行きたいと言い出す者が出てきます。しかしこの国にまともなトイレは存在しません。しょうがなくて、藪のあるところで小休止をします。

 間もなく一台の車が故障で動けなくなります。修理する間近所を散歩することにしますが、直る気配はありません。とうとうその車はそこに置きっぱなしにして、2台の車に無理やりに乗り込んで再び出発します。あまりにも狭いため、屋根にも数人乗らなければなりません。屋根に乗って大はしゃぎする日本人たちも出てきます。ところが小一時間も行くとパーンという音で、車のタイヤが破裂します。修理不可能でスペアーもありません。しょうがなくて一台の車だけ先に行かせ。残りはその車がまた帰ってきて迎えてくれるまで、歩くことになります。そうこうして、へとへとになって到着すると、教会には誰もいません。出来ている昼ごはんもありません。連絡不足で、牧師の計画が教会には伝わっていなかったのです。

 土地の信徒たちはあわてふためいて小さな豚を1頭屠って、料理を始めています。日本からの参加者は、疲れきって不平も言えなくなっています。教会の粗末な狭い木製のベンチに長々と横になって、いびきを立てているものもいます。信徒たちは、日本からの客は明日来ることになっていると聞いて、準備をしていたというのです。誰が悪いのか、何がいけないのか知る由もありません。現実は、私たちが予期しないときに到着して、信徒たちをあわてさせたと言う事です。3時過ぎになってやっとお昼ご飯にありつけます。現地の伝道者にとってもこのようなことは通常の出来事であるために、決して謝ることはありません。ただ幸いなことに、信徒たちがマンゴーやパパイヤ、そして色々なバナナ、チサ、アボカド、カサバなどをたくさん持って来てくれたために、日本からの参加者は、充分におなかを膨らませることが出来ました。

 ところが本番の食事の時には、出された豚の料理のあまりの荒っぽさに仰天して、手を出し損ねてしまいます。しかし、出されたものは必ず食べると言うオリエンテーションの指導を、怖い佐々木先生に確認させられて、恐る恐る口に運んで見ます。塩と生姜だけの味付けで、とても美味しいとは言えなくても、ここで食べるのが礼儀と我慢をします。そして、食事も済まないうちに、最初の集会が始まります。畑に出ていた者も、日本人の到着を聞いて、戻って来ました。誰も何の文句も言いません。こんなことは、ごく普通の出来事だからです。30くらいの歌が歌われ、証があり、祈りがあり、突然指名されてしどろもどろな日本からの参加者の証と賛美があり、集会は3時間に及びます。誰も集会が長すぎるなどと文句は言いません。

 集会が終わるとまた食事です。犬の肉にはなかなか手が出せず、どうしても果物の方が気に掛かります。そして食事が終わるとまた集会です。「ええっ?! 集会は一回じゃなかったの?」と日本人の中から悲鳴が上がります。ランプの明かりの中で延々と集会が続く中、大方の日本人はランプの暗さを見方につけて、居眠りを楽しみます。無理もありません。それでもけなげな日本人牧師は、なれない英語で通訳をつけて説教をしています。11時過ぎに集会が終わっても、信徒たちはなかなか帰りません。結局、日本からの参加者たちが信徒の家に分散して眠りに着くのは1時を回った頃。日本時間では2時を回った頃となりました。

 宣教地においては何事も、計画通りに運ぶことなどあり得ないと心得ておくべきです。特に、生身の現地人を対象に彼らと共に仕事をする宣教師は、その場その場で、状況を見、最善を判断し、即決し、行動に移す柔軟性を学び、それに慣れて行かなければ、精神が消耗してしまいます。日本からの旅行者には高々数日のことですが、宣教師には何年も何年も続くのです。

 これが、多くの開発途上国での一般の人々の生活感覚なのです。その中に入ったならば、そのようにやる以外はあり得ません。ここでイライラしたり、怒り出したり、不平を言ったりしていてはだめなのです。現地の人々は、なぜ宣教師がイライラしているのか解りません。どうして怒り出すのかも理解できません。結局、あの宣教師は良くない宣教師だと判断されてしまうのが落ちなのです。そして、事実そのような宣教師は、現地の生活環境に溶け込むことが出来ない悪い宣教師なのです。

7.分析能力・批判能力

 宣教師は、派遣された土地の人々とアイデンティフィケーションを保ち、彼らと心を通じ、彼らの立場になって物事を見、感じ、考えることが出来るようにならなければなりません。しかしその一方で、宣教師が完全に現地の人々と同じになってしまってはならないのです。もしも、完全に現地の人々と同じになってしまうのならば、何のために宣教師を送ったのでしょう。ひとりの宣教師を送る費用があったら、現地の伝道者を何人も支援することが出来ます。宣教師が現地の人々とまったく同じようになるのが理想ならば、宣教師など送らずに、もっぱら現地の伝道者を支援すれば済むことです。それでもなお、私たちは宣教師を送り続けます。それは現地人ではない宣教師の働き人の大切さ、重要性を知っているからです。

 通常宣教師は、自分が外国人であることを痛烈に意識しながら生活します。特に始めの内は、何から何まで違和感を持ち、ひとつひとつの事柄に「なぜ?」、「どうして?」と問いかけながら進みます。そこで宣教師は、どうしても自分の文化の先入観をもって宣教地の文化を裁いてしまいがちであると、すでに説明しました。これは宣教師として避けなければならないことです。しかし、実はそのような批判的見方と言うものが、ぜひとも必要とされているのです。普通、現地の人々は、自分たちのやり方と言うものに初めから慣れきっていて、殆ど批判的見方をする事が出来ません。あるいはそれが、彼らの知っている唯一の方法なのかも知れません。

 火打石で火を熾(おこ)している人々のところに現代人が入って行ったならば、現代人は何とかしてマッチを作ろうとするでしょう。あるいはライターを作るかも知れません。とにかく、もっと手軽で簡単な方法がある事を知っていますから、いつまでも火打石の生活を続けようとは思いません。たとえ一時的には現地の人々と一緒になるという感覚を重んじて、火打石を使ったとしても、必ず他の、もっと簡単で手軽な方法を考え出します。宣教師は現地の人々と共に生きるという行き方を重んじながらも、常に現地の人々の生き方、やり方、考え方と言うものに対して批判的な目を向けて、折あらば改善し、改良し、さらに優れたものを作り出し、より良い方策を練り出そうと考え続けるのです。

 しかしそのような過程の中で、宣教師はきちっとした分析的な能力を持っていなければなりません。ただ自分の文化背景や進んだ技術をもって現地の人々のやり方を批判し、改善しようなどとすると、手痛いしっぺ返しを食らうことが多いのです。この場合必要なのは、現地の人々の価値観、人生観までも考え、歴史的な発展、文化的要因、そして地理的条件、気候や周囲の要素と言うものをよく考察し、それらを注意深く分析し、一瞥しただけではばかばかしいようなやり方や習慣にも、それなりの理由があることを理解し、その価値を認め、大切にし、公に言い表した上で、その習慣ややり方を壊すのではなく、その上に積み重ねる努力として新しい方法、新しいやり方を紹介するのです。

 多くの宣教師たちが失敗するのは、現地のやり方、習慣、伝統と言うものの奥深さを理解しないまま、あるいはその謂れやそれにまつわる物語などを知らないまま、一方的に自分たちの進んだ、優れた方法を押し付けるためです。特に、多くの開発途上国の人々は、機能主義に陥っている先進国の人々のとは、まったく異なった生活哲学を持っていることが多いのです。彼らは、ただ便利さや手軽さを追求して生きているのではないのです。自分たちの伝統や習慣を守り、受け継いで行くことに多大な価値を感じている場合が多いのです。

 ある時、サトウキビ農場の作業を見てきた宣教師たちが話をしていました。「どうして彼らは、いまだに作業効率の悪い機械を使っているんだろう? 農場主は大金持ちだから、進んだ機械をたくさん入れる力は持っているはずなのに。たとえばあの物凄い数の水牛たちだ。のろのろと歩いて、運べる量も限られているし世話も大変だ。人件費が膨大になる。トラックを買えばずっと仕事は楽になるし早くなる。世話も掛からない。人件費がずっと少なくて済む。」確かにこの宣教師の言っていることはごもっともな意見です。しかし、彼はフィリピン人たちの生活哲学を知らないのです。大農場主は、小作農や雇い人たちに出来るだけ仕事を与える、社会的責任を帯びているのです。トラックなどの進んだ機械を入れると、たちまち仕事にありつけない貧しい人々が出来てしまうのです。「そんなことだから、フィリピンはいつまで経っても貧しいままなんだ」という宣教師の意見も、経済の問題として正しいかも知れません。しかし、フィリピン人は、「なぜそこまでして豊かになる必要があるのか?」ともっと原則的な質問を投げかけてくることでしょう。「地域の人間関係までも破壊して、豊かになってどうなるんだ? アメリカみたいな、崩壊した地域社会や家庭を作るのがそれほどいいことなのか?」と議論を挑まれてしまうことでしょう。

 しかしその一方で、宣教師はやはりより優れた方法、手段、方策を考え、その土地の文化や習慣、地域社会のあり方などに応じた適用の仕方を見出して行かねばなりません。それこそ、現地の人々にはなかなか出来ない働きなのです。特に最近では、宣教師が入って行く土地の多くにはすでに現地の教会があり、現地の伝道者が活躍している場合が多いのです。そのような時発揮されるのが、宣教師の批判能力と分析能力なのです。

8.創造性・独創性

 宣教師が、現地の伝道者やクリスチャンたちと同じようにしか物事を感じられず、同じようにしか考えることが出来ないとするならば、その宣教師の価値は非常に低いと言わなければなりません。宣教師に求められる大切な資質は、創造性、あるいは独創性です。すでに触れたように、一般的に、宣教師には母国で学んだより優れた学問があり、習得した技能があります。考える素地があり、利用できる知的資源と技量もあります。これを用いて新しいものを創造していく能力があれば、宣教地において素晴らしい働きを進めて行けるはずです。また、宣教師の異なった文化感覚をもってすると、大いに独創的な働きも可能になります。宣教師がそのような意識さえ持っているならば、現地の牧師伝道者にはとても出来ないユニークな、そして効果的な、大切な働きを進めることが出来るようになります。

 私が初めてフィリピンに渡ったとき、ひとりの独身のアメリカ人宣教師が働いていました。もともとはYWAMの宣教師として来ていたけれど、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の宣教師になったのだそうです。年齢も、多分、私より少しだけ上か、同じくらいの人物で、すっかりフィリピン人の間に入り込み、溶け込んで生活をしていました。

 私が宣教師として山岳奥地に入り込んだのを、彼はまるで仲間が出来たかのように喜んでくれました。その頃には、彼はキャビン付きの小型のトラックに寝泊りしながら、文字通りフィリピン中を駆け巡っていました。どんな奥地にも入り、どんな食べ物も食べ(ひとつの例外を除いて)どんな所でも眠り、フィリピン人たちと一緒に働いていました。彼はどうやら神学校はおろか、聖書学校もまともに卒業していなかったらしく、いわゆる「立派な働き」は出来ませんでした。説教の能力があると聴いたことはありませんし、教える賜物を持っているとも聞いたこともありません。本当のところ、色々な場所で彼に会いましたが、彼が説教をしているのを聞いたことはありませし。教えているところにも出くわしたこともありません。ただ彼は、他のどの宣教師も持っていないユニークな能力を持っていたのです。

 どんな物でも食べ、どんな所でも眠り、どんなフィリピン人とも分け隔てなく付き合えるというだけで、他の宣教師にはない能力ですが、自分では目立った働きをする事が出来なかった、あるいはしなかったと言うのも、非常に優れた能力でした。その代わり彼は、小さな見捨てられているような伝道者を励まし、弱々しい教会を力づけ、大きな助けとなる事が出来たのです。フィリピン人の貧しさ、小さな教会の乏しさ、そこの牧師の惨めな生活などをつぶさに見ながら、彼は情に流されることも無く、(多分あったのでしょうが、それで自分を壊すことなく)また非情にもならず、フィリピン人の間では絶大な信頼と人望を得る宣教師になって行ったのです。そしてそれはまたそれで、大変な賢さを必要とする事でした。うそ偽り無く、フィリピン全国で彼を知らないアッセンブリーズ教会の伝道者はいないと思われるほど、彼は誰にでも受け入れられていました。ただ唯一の例外は、アメリカ人宣教師たちの間での彼の評価でした。アメリカ人の宣教師たちの間で、彼の働きを評価するコメントを一度も聞いたことがありません。「ああ、あれね」という感じの取り扱いしか受けていなかったようです。

 しかし私の考えでは、彼がいたからこそ、多くのアメリカ人宣教師がその横柄さに拘らず、一時的なりとも、フィリピン人たちに受け入れられることが出来たのです。彼は、フィリピン人とアメリカ人宣教師全体の、ギャップを埋める働きをしていたと言えるのです。それこそ、ある意味で創造性に富む働きであり、独創的な働きなのです。彼はアメリカ人としてごく普通の教育を受け、ごく普通の能力を持った人間だったと思います。しかし、その普通の能力を独創的に最大限に生かしたのです。下手に神学や聖書学を勉強せず、下手に宣教学や社会学を修めず、自分の足と目と口と腹でフィリピンを確かめ、彼らに最も必要とされていた働きを見出したのです。そして他の宣教師が逆立ちしても出来ないような働きに乗り出したのです。たとえ説教は下手でも(多分)、教えも底が浅くても、フィリピン人たちは、彼が不便さをものともせず訪れ、貧しい牧師が出す乏しい食事を喜んで食べてくれ、小さな教会のちっぽけな働きにも拘らず全力で奉仕をしてくれる姿に、非常に感動し、励まされ、勇気を与えられ、どのように高い能力を持つ宣教師たちよりも、彼を尊敬し慕うようになったのです。彼は、先輩宣教師の賢い忠告や進言をありがたく聞きながら、それに惑わされず自分の独創性にあふれた働きを遣り通したのです。

 しかしそれだけの働きをするには、彼にも大きな犠牲が必要でした。彼は、自分のユニークな働きを継続するために、つまり「枕するところも無く」フィリピン中を駆け回るために、予定していた結婚さえも犠牲にしてしまったのです。家庭を持ってはとても出来る働きではなかったからです。つい最近のことですが、私は彼に会う機会がありました。人並みに年を取ってはいましたが、相変わらず、フィリピンの田舎を駈けずり回っているようでした。また彼についてうれしい事を聞いたのです。アメリカ人宣教師たちが、今や彼を、「伝説の宣教師」と呼んでいると言うのです。冗談ぽい表現ではありますが、彼の働きの重要さを認め始めたのです。

 創造性と独創性を持っていると、宣教師たちはその土地の文化や習慣、あるいは実情や特殊性を見極め、今までに無かったような種類の働きを始め、思いも及ばなかったような方法を立て上げ、宣教全体の働きと現地の教会に貢献し、人々の救いと主のご栄光に役立てることが出来るようになります。現地の人々には絶対に出来ないような、ユニークでしかも大切な働きが可能となるのです。あるいは自らそのような働きに手を着けることは無くても、現地の人々に示唆を与え、教え、導き、貢献することが出来るようになります。
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