How to Be a Missionary

Welcome to our homepage


宣教師の資質


9.協調性

 世の中には、なかなか上手く行かないことがたくさんあります。宣教師が創造性に優れ、独創性にあふれているのは素晴らしいことです。しかしそのような宣教師には、往々にして協調性に欠けるところが目に付くのです。独創性と協調性はしばしば相反する特質となり、両方をともに持つのは非常に困難なことです。先に挙げたアメリカ人宣教師の場合などは、協調性自体を独創的な働きとしている、非常に面白く稀な例と言えます。しかし主のご栄光のためには、ぜひともその両方を、自分のものとして欲しいのです。

 創造性と独創性に富むために協調性を欠くと言うのは、芸術家などの間に良く見られる性格です。彼らは、自分たちの芸術の源である「内なる衝動」を最も大切にするため、そしてその衝動が、極めて主観的な共通性の無い性格であるために、他の誰とも普通のお付き合いが出来ないのです。ところが宣教師の間には、さほど創造性にも独創性にも富んでいないのに、協調性をまったく持たないという人たちが多いのです。彼らは、神の言葉に聞き従うとか、神の御心に従うという主観的な感覚を強調するあまり、キリストのみ体である教会の言うことが聞けなくなっているのです。と言うより、誰の言うことも聞きたくないために、神の御心だとか、神のみ言葉などと言うことを持ち出すのです。彼らの言う御心にしても、み言葉にしても、まったく自分勝手な思い込みや、独りよがりの聖書の理解に過ぎないことが殆どなのです。宣教師という働きを真剣に考え、理解し、それを選択したというより、宣教師と言う名前にまつわる功名心をくすぐる何物かに誘われたか、単なる冒険心に突き動かされたに過ぎない宣教師が意外と多いのです。

 とは言え、そのような宣教師のすべてが否定されるべきでもありません。たとえ動機はそうであり、出発がそうであっても、人間は成長するものです。途中で学び改善するものです。しかし残念ながら、改善できないまま長い時間を費やしている宣教師たちもいるのです。宣教師たちの間には「鶏頭となるも龍尾になるな」という諺を、地で行くような人物がたくさんいます。神の召しを受けただとか神のみ声を聞いたと主張して、教会や先輩の宣教師たち、あるいは牧師たちの意見などには耳を貸さないばかりか、明確な聖書の教えさえも無視して、わがままを通している宣教師たちがいるのです。聖書が完結している今、神は古(いにしえ)の時のように、夢や幻、あるいはみ声や予言を通してお語りになるより、聖霊の解き明かしによる聖書の教えを通し、お語りになることの方がずっと一般的であり、まじめに聖霊に頼り正しく聖書を読み理解しようと心がけている、キリストのみ体を通してお語りになるのが通常なのです。召しとかみ声とか、あるいは夢や幻などと言うものをまったく否定する必要はありませんが、そのようのものが、聖霊の助けによって教会が理解している聖書の教えよりも、重要視されたり、先に立たされたりしてはならないのです。 

 聖書が教えている原則によれば、宣教のために召されているのは教会と呼ばれる共同体であって、ひとりひとりのクリスチャンは、その基本的召しの中で、それぞれに任せられている賜物に従って、教会の宣教の働きに貢献するのです。教会を離れ、教会を無視し、教会を傷つけるような形での個人の働きは、絶対に許されていないのです。従って、宣教師にとって非常に重要な資質は、キリストのみ体と言う教会の意味を良く理解して、教会の中で調和を保ちながら働くということです。教会の他の部分すべてを生かすような形で、すなわち協調性をもって働くのが、宣教師の理想なのです。他のものを生かすためには、自分を殺すことが出来る宣教師こそ、必要とされる宣教師です。

 とは言え、近代宣教の歴史を見ると、多くの場合、教会は宣教に対して無関心であり冷淡であり、反対さえして来ました。特にプロテスタント教会の神学には、宣教と言う理解がまったく欠けていました。ですから多くの宣教師たち、特に初期の宣教師たちは教会の反対と無関心と戦いながら、自分たちの感じた使命に立たなければなりませんでした。教会に聞いていたら、あるいは経験を積んだ牧師や指導者たちに聞いていたら、多くの宣教師たちは生まれて来なかったのです。そのような歴史があったために、近代宣教の歴史においては、教会の意見を聞くことよりも、「神のみ声」とか、「神の召し」という表現で語られる、「個人的確信」「情熱」「使命感」が大切にされてきたのです。私が宣教師になりたいということを公に語り始めたときも、状況は同じでした。それに関心を示し、賛成してくださったのは、わずか数名の教職者だけでした。日本は宣教師を受け入れる国であって、宣教師を送り出す国であるとは考えたことが無い人たちが、教団の中枢を占めていたのです。

 ですから、宣教師たちが自分の個人的確信を大切にする、歴史的理由があるのです。神は教会がうとうとと眠りかけているときに、まず教会の中の一部の人々を覚醒し、宣教の働きに当たらせ、やがて、教会全体が目覚めるようにされたのです。多くの有能な宣教師が、教会の言うことや決議に反して、あたかも反旗を翻すかのようにして、宣教師となって来たのです。しかしそのような時代は、いまや終わりを告げようとしています。世界中の教会が、今、宣教に目覚め始めています。単に昔からキリスト教が強かった国々からだけではなく、かつては宣教地であった多くの国々から、続々と宣教師が輩出されているのです。ただし日本においては、宣教師になろうとする者は、まだまだ、教会の無理解と反対を押し切って、立ち上がらなければならないと言うのが現状と言えそうです。全体的に言って日本の教会は、いまだに宣教に関しての正しい理解を持っていないからです。

 そう言うわけで、今や、宣教師たちは正しい聖書理解に立った、正しい教会論をもって、あくまでも教会の宣教としての宣教を、進めていくべきものです。ただし、もしそのような理解と態度を持った宣教師が、現実に、今活動している多くの宣教師の中で働き出したとすると、その宣教師はたちまち激しい個人主義の厳しい競争と戦いの中で、押しのけられ、蹴倒され、踏み潰されてしまいそうになることでしょう。宣教師の世界は、表面は神々しい人々の集まりですが、その実、非常に厳しい競争社会なのです。しかし、押しのけられ、蹴倒され、踏み潰されても良いではないですか。私たちは効率のために仕事をしているのではありません。結果第一主義で働いているのでもありません。押しのけられ、蹴倒され、踏み潰されたキリストの弟子として、働いているのです。私たちの功績を奪おうとする人がいたら、差し上げようではありませんか。私たちの働きの実を自分のものとしようとする者がいたら、黙って渡して上げようではありませんか。私たちは主のために働いているのであって、自分のために働いているのではありません。宣教師と言う自己主張の強い人種の中で、私たちまでが強く自己主張していたのでは、醜さが増すばかりです。私たちは中小企業の社長ではありません。私たちの儲けのために争う必要は無いのです。自己主張をしないために、損ばかりしていても、私たちの雇い主である主は、すべてをご存知なのです。

 多くの宣教師たちは、ややもすると、単立だとか、独立という教会や団体を作り上げ、鶏頭となって行く傾向を持っています。わがままで、他の人々と一緒にやって行けないために、単立になり、独立を選ぶのです。経済基盤さえあれば、いつでも単立になってやろうと考えている宣教師がたくさんいます。本国にいると色々な人々の目が光っているから自由なことが出来ないけれども、宣教地ではまったく自由だからと、宣教師になった者もいるのです。あるいは反対に、そのような種類の宣教師たちと一緒に仕事をする事が出来ないために、単立や独立を選んだ者たちもいます。そのような人々は、組織の中で働くことを非常に嫌うようになっています。組織の中にいて、わがままな者たちに傷つけられ、痛めつけられたからです。触らぬ神に祟りなしとばかり、主のみ体である教会から身を避け、遠ざかっているのです。とにかく宣教師の中には、そのように、基本的教会論をまったく無視した人々が多いのです。神に聞き、神に従うと言いながら、聖書を通して、またキリストのみ体である教会を通してお語りになる、神に聞こうとしていないのです。

 そして残念ながら、このような傾向は、アメリカ人宣教師と韓国人宣教師の間に、最も強く見られるように感じます。もちろん、これはせいぜい数十の国々から来ている宣教師たちを見ての判断であり、非常に表層的見解ではありますが、これは否定できない事実のようにさえ感じます。アメリカにおいては、民主主義が発達し、個人の確立が謳われ、独立あるいは単立と訳されている「インディペンデント」という言葉が、非常に美しい言葉とされているという文化的歴史的背景があり、宣教師たちはその文化を持ち込んでいると考えられます。しかし、聖書の教えはインディペンデントを美しいものとはしていません。むしろ美しいのは、「インターディペンデント」すなわち「相互依存」です。教会は相互依存の共同体なのです。また、クリスチャン生活の基本である「信仰」自体が、「デペンド」、すなわち「頼る」事のはずです。ギリシャ語で信仰を「ピスティユオー」と言いますが、元々の意味は、「寄り掛かる」で、頼るということなのです。韓国人の宣教師になぜそのような人々が多いのかを知るには、もう少し学びが必要です。

 ともあれ、宣教師は自分の働きだけが主の御用ではなく、他の宣教師たちの働きも主の御用であることを認めることが必要です。自分以外の宣教師や現地の伝道者、さらには自分の団体に所属していない宣教師や、自分たちの教団外の教会で働く伝道者たちを、同じ主のみ体の一部と認め、その働きの必要性と重要性を認めるべきです。そして、個人的な好き嫌いや評価を超えて、彼らの存在と働きを喜び、感謝すべきなのです。彼らは自分には出来ない働きをしているのからです。自分には思いも及ばない働きをしているからです。彼らの働きが無ければ、自分たちの働きの価値もまた下がってしまうことを理解すべきです。

 マニラに住んでいた私の友人の実業家は、40をだいぶ超えてから聖書の教えを信じるクリスチャンになりました。その救いの喜びを、彼はモンテンルパ刑務所での働きに向けました。単なる新生したばかりの信徒ではありましたが、彼の働きを通して、実に多くの重犯罪受刑者が救いにあずかり、まさに奇跡に次ぐ奇跡の働きになりました。それは凄まじいという表現がぴったりするような、聖霊のみ業でした。この働きの初期に、私の友人は良く言っていました。「僕たちがこの刑務所で仕事を始める前に、フォースクエア教団の女性宣教師が、14年間も、殆ど毎週ここに来て働いていたけれど、あまり効果が無かったんだ。一度などは受刑者たちの人質になってしまい、銃撃戦に発展したために何人かの死者も出たんだよ。しかし、同じフィリピン人の自分たちが働きを始めると、たちまち大きな奇跡が起こったんだ。」彼は自分たちの働きに自信と誇りを持ち、あたかも、モンテンルパの奇跡が自分たちの功績であり、女性宣教師の働きはあまり効果が無く、取り上げる価値も無いような言い方をしていたものです。しかし、何年間もモンテンルパの働きに献身し続けるうちに、彼の言い方が変わってきました。彼は言い出したのです。「僕たちの今の働きは、あのフォースケアーの宣教師の14年間に渡る忍耐深い働きがあったからこそ、可能になったんだよ。あの宣教師は、種撒きをするばかりで殆ど刈り入れのない働きを、大きな犠牲を払いながら続けてくれたんだ。その種が今、僕たちの働きの中で芽を出し実を結んでいるんだ。」

 私の友人は、数年かけて正しい神学と正しい認識を持ち、他の働き人の働きの尊い価値を認めることが出来るようになったのです。その結果彼は、自分たち以外のすべての伝道者の存在を心から喜べるようになり、彼らの働きに感動し、機会があれば、彼らと共に働こうとさえ思うようになりました。他の働き人の立派な働きを羨んだり、やっかみを言ったりせず、彼らの成功を心底から喜び、彼らを支援する幸せを体験するようになったのです。彼の働きから、見栄や競争心が抜けてしまいました。このような理解を通して、彼は苛立ったり怒ったりする事が殆ど無い、柔らかい人間となったのです。

10.忍耐

 宣教師の生活は、大げさに言わなくても、忍耐の連続となります。異なった文化、異なった言語、異なった人種、異なった食べ物、異なった気候、異なった水、異なった習慣、異なった役所と異なった手続きなど、何から何まで異なった中で生活するのは、忍耐以外の何ものでもありません。なすことすべてがちぐはぐで、思い通りに物事が運びません。伝えたはずのことが伝わっていません。良く話し合って互いに理解したと思っていたのに、まったく理解されていません。自分の言葉でならば、いくらでも説明が出来、納得させることも出来るのに、慣れない言葉で思っていることの3分の1も表現できません。ちょっとリラックスする時に、必要な慣れ親しんだおやつがありません。少しでも不注意に食べ物を食べると、早速下痢をします。さらにこの上に、母教会や母教団の無理解、送り出してもらった宣教団体との意見の相違や理解のずれがあります。

 それだけではありません。最も忍耐を必要とするのは、現地の伝道者たちとの人間付き合いです。彼らも同じ聖書を読み、同じ賛美歌を歌い、同ように祈りながら、まるで感覚が違います。同じ信仰を持っているのか、同じ神を信じているのか疑わしくなる時さえあります。まったく倫理観が違うのに驚かされます。道徳観念の低さに愕然とします。仕事をやってもらうととても雑な上に、とんでもないほど時間がかかります。約束なんぞ初めから信用できません。その上、何かにつけて物欲しそうに近付いて来て、いつも周りをうろうろしています。それで自分たちのプライバシーは無きも同然となってしまいます。大体現地の殆どの人間は、プライバシーなぞ尊重してくれません。その、上仕事に忙殺されて家族を省みることが出来ません。妻の不満と子供の教育も心配です。

 宣教師は常に、本国にいる者には決して理解できないような、様々なプレッシャーと軋轢を感じながら生き続けることになります。このような中で試されるのが忍耐力です。一度や二度の大きな問題を、忍耐を持って乗り越えるのは、大概の人間に可能です。時折襲って来る大きな問題も、大概の牧師や伝道者は立派に解決し精神的にも打ち勝って行けます。しかし、宣教師が体験しなければならない問題は、物事すべてに関わるこまごまとした軋轢、殆ど数日毎に襲って来る大きな難問です。そしてこれを何年間も続けなければならないのです。忍耐力が決定的な重要性を帯びてきます。

 忍耐力と言うのは、多くの場合実践的訓練によって養われるものです。これは机の上での学び、紙とノートと教科書、あるいはPCとインターネット教育では絶対に養われないものです。また忍耐力の多くは、子供の頃に養われるもので、大人になってから養うのは、非常に大変な努力が必要です。大人になってしまうと、忍耐力が養われる前に、忍耐力が切れてしまうのです。例えば私は、肉体的困難や貧しさ、人間関係に関わる問題に対しては、かなりの忍耐力を持っている方だと自己分析をしています。それが、フィリピンの山岳奥地の伝道、あるいは多くの適応を必要とする地方の伝道に、比較的容易に従事することが出来た理由です。そして、そのような忍耐力の多くは、大人になってから意識して訓練して勝ち取った能力ではなく、子供の頃の厳しい生活環境の中で養われていたものだと思います。終戦間もなくの厳しい世の中を、半分孤児のように育てられた自分にとって、フィリピンの厳しい生活環境は、懐かしさを感じることもあったほどなのです。一週間、サツマイモと鶏の肉以外は何も食べられない旅行を続けても、食糧難の代用食時代を思い出せば、どうと言うことはありませんでした。子供の頃、鶏などと言うぜいたく品は、とても食べられなかったのです。

 しかし、クッキーとケーキに育てられた多くのアメリカ人宣教師には、このような食事で一週間すごすのは耐えられないことです。現代の日本の若者にとっても同じことです。電気の無い生活。水道の無い生活。すぐには火を使えない生活。一切の乗り物が無い生活。これらすべてが延々と続く忍耐になってしまうのです。早く慣れてしまうのが一番の解決であり、慣れてしまえばたいした事は無く、またそれなりの楽しさも出てくるのですが、大概は、そこまでたどり着く前に忍耐力が擦り切れ、消滅してしますのです。慣れるまでの忍耐力がどうしても必要になるのです。

 忍耐力の中でも最も厄介なのが、人間に対する忍耐力です。当然の常識が通じない人間。当たり前のことが出来ない人間。言わなくても分かっているべきことが、ぜんぜん分からない人間。どんなに教え、指導し、注意し、警告しても、まったく改善の兆しさえ見られない人間。牧師をしていると、そのような類の人間のひとりやふたりは必ず知っています。しかし宣教師をしていると、周囲のすべての人間がそのように見えて来るのです。そして宣教師たる者、そのような人間に対しても、いつも優しく、穏やかに、愛といたわりをもって接して行かなければならないのです。それが出来ないと、牧師の場合は単に「うちの先生は、結構短気で・・・・」などと批判されるだけで済みますが、宣教師の場合は「あの何々人宣教師は、俺たちを舐めている」という、民族感情にまで発展してしまうのです。

 実は、この人間に対する忍耐力と言うのは、日本語では「寛容」と言うまったく別の言葉では表現しますが、英語にはこの寛容に相当する語彙がありません。ですから、日本語で寛容と翻訳されている聖書の箇所も、英語では我慢とか忍耐とか言う言葉で表現されてしまっています。稲作文化と言う極めて定着性の高い生活環境の中で、小さな集落と言う共同社会を中心に、世代を超えて共存して行かなければならなかった日本では、善悪の判断を避け責任を問うことをせず、すべてを曖昧に終わらせ、互いの弱さや足りなさを忍耐し合い、補い合いながら生活するのが美徳とされてきました。そこでは「寛容」と言う精神、徳が高く評価される基盤があったのです。一方、同じ農耕文化でも比較的移動性を持った麦と羊の文化、あるいは牧畜文化を背景とした西欧では、善悪を厳しく適応する傾向が強くなりました。

 世代を超えて同じ人々とお付き合いをして行くのが基本の文化と、極端に言うと、今日出会って、この次に出会うのはいつか見当も付かない人々と交渉しながら生きている、砂漠地帯の遊牧民文化の違いは明白です。遊牧民文化では、その場その場の交渉がすべてです。そこで大切なのは寛容とか思いやりとか、将来を見越して親切にする商売のやり方ではありません。すべてを「その場での事実」という尺度で測るのです。そのとき持っていた麦やナッツが良い品かどうかがすべてであって、不作で大変苦労したなどと言う背景を思いやることは無いのです。良い羊であるか、良い馬であるか、良いらくだであるか、良い宝石であるか、その場の事実が最優先です。ですから、このような中では「事実が真実である」と言うような感覚が芽生えるのです。そう言うわけで、移動性の高い文化では、事実を偽ること、すなわち嘘をつくことが最も嫌われる悪となるのです。定着文化の中では、共に住む者たちの間での思いやりによる嘘は、「嘘も方便」と言うことでむしろ推奨さえされるのです。事実と真実とはまったく異なったものなのです。ちなみに、日本語で「嘘つき」と言うのは、あまり厳しい中傷にはなりません。良く、子供たちのはやし言葉にも使われ、「僕は嘘つきですから」などと堂々と言い出す有名人もいるほどです。しかし、例えば、アメリカでは嘘つきと言うのは最も厳しい中傷であり、責め言葉であり、自分が嘘つきであるなどと、冗談でも言わないものです。アメリカは、様々な文化を背景にした色々な国家から、避難してきた人々によって形成されてきた新しい国家です。それはまた、遊牧民族とまでは行かなくても、開拓初期すなわち基本的文化の形成期には、かなり移住性、移動性の強い生活をしていました。そこでは当然、人の心を思いやるとか、阿吽の呼吸などという定着生活文化の特徴ではなく、事実を最も大切にし、事実の上に行動する移動文化の特徴が現われて来たのです。

 このようなアメリカから来た宣教師は、宣教地に来てからも自分の文化を引きずって、どうしても善悪の判断を表に出し、白黒で物事を決め付け、事実を前面に押し出す生き方をしてしまいます。それが正しい生き方であり、キリスト教的考え方だと思い込んでいる場合が多いのです。その上これに関連して、基本的人権を謳う民主主義の原則を打ち出してきたアメリカでは、個人の責任を強く打ち出す傾向がありました。そのような精神構造の中からは、寛容の精神が生まれるのを期待するのは困難です。彼らはまず、責任を明確にして、自分の失敗や間違いを認め謝罪した者には、改めて救済の処置を講じるのです。

 パウロが御霊の実として寛容を挙げていることは、文化的な面だけから考察するとかなりユニークであると思います。グレコローマンとユダヤ文化の中で育ったパウロ、パリサイ派の厳格な規律の中で養われたパウロに、寛容と言う考え方が生まれること自体、大変なことであったろうと思います。しかし、聖霊に感動され、聖霊に突き動かされて生きていたパウロは、寛容が非常に大切な人間性であることを見抜いていたのです。特に、キリストのみ体である教会にとっては、寛容は絶対に必要な要因なのです。しかし残念ながら、聖書の無謬性と絶対性を信じているアメリカの福音派の宣教師たちの中に、この寛容性を身につけている人は、非常に少ないと言いわなければなりません。正義の宣教師はたくさんいますが、寛容の宣教師は希少動物です。

 しかし、これら正義の宣教師の正義の尺度は、しばしば聖書の尺度ではなく、自分の文化で理解した聖書の尺度であり、異なった文化に生きている現地の人々に対してそれを適用することは、大きな誤りとなる場合が多いのです。ちなみに、ある社会学者が、クリスチャンになり損ねた多くの日本の有名人を調査して、ひとつの結論を出しました。その中で、自分がクリスチャンになり損ねた最大の理由として挙げられたのが、接触したアメリカ人宣教師の、「白黒、善悪」のものの考え方に着いて行けなかったと言う事と、それに関係して、宣教師の中には「寛容」が見られなかったということでした。しかし一方では、英語には「寛容」という言葉が無いのですから、英語圏から来ている宣教師たちの間に、「寛容」という人間の大切な性質に対する理解と認識が足りないことも、また、理解して上げなければなりません。そして、日本人の寛容さも、事なかれ主義の不透明さと曖昧さの寛容であり、必ずしも、聖書の教える寛容と同じものではないことも、知っておく必要があります。

 宣教師が常に正しく生きることは大切ですが、それを他者に適用するときには、注意の上にも注意が必要です。そこに寛容が必要なのです。寛容と言うのは人間の弱さや欠点、失敗や間違いに対する忍耐であり、さらに、人々の弱さや足りなさに対する同情を持って、その人々を受け入れるということです。しばしば正義と寛容は二律背反となりますが、私たちは宣教師として、「哀れみは求めるが犠牲は求めない」とおっしゃったキリストのお言葉を、常に思い起こし、心の中で反芻しながら生きるべきです。私たちの神は、多くの社会学者や宗教学者の見解に反して、すなわち荒野の宗教の怒りの神という理解に反して、寛容の神なのです。日本人に必要なのは厳格な「父なる神」ではなく、寛容に富む「母なる神」であるという言い方は、本当の聖書の神に対しての誤解に過ぎません。

 忍耐というものは、大人になってから身に着けることが非常に困難であるといいました。しかし、真剣に祈り、努力するならば、決して不可能ではありません。寛容という徳も、聖霊に身をゆだね、自分を反省する目を養い、人間を愛しておられ寛容に取り扱ってくださる神の性質、さらに贖われた者の共同体である教会のあり方などを理解して行くならば、必ず身に着けることが出来るようになるものです。

11.持続性・継続性

 宣教師に望ましい資質のひとつは、持続性あるいは継続性です。ひとたび物事を開始したならば、少々のことでは諦めないで、継続して行く力です。これは、先に述べた忍耐とも合い通じるところもありますが、一般的な言い方をすると、厳しい冬と言う期間を持っている生活環境に育った人間には、この持続性あるいは継続性が強く備わっていると言えます。常夏の国に生きている人々の間では、残念ながら、この性質はあまり育成されないようです。これはしばしば柔軟性と反対の性質のように思われますが、必ずしもそうではありません。柔軟性をもって持続することが大切なのです。

 宣教地での働きは、しばしば長い年月を必要とするものです。特に、福音をなかなか受容しない文化の中にあっては、非常に長い期間の継続が絶対必要条件になります。たとえば、カトリック文化であるフィリピン平地の都市部においては、開拓伝道をしても、数年もすればそれなりの成果が現われます。数年毎に働きを変え、場所を変えることも可能です。しかし、同じフィリピンでも、カトリック文化ではない山岳地の伝道は、もっと長い期間を要します。そのようなところで、数年毎に働きと場所を変えていたのでは、まともなことはできません。日本のようにさらに福音の受容に時間のかかる土地では、宣教師たちは、少なくても10年単位で働きを考えなければなりません。3年や5年で働きを判断したり、諦めたりしてはならないのです。ソロモン諸島の中の小島に行った宣教師は、最初の回心者を得るまでに、14年間を費やさなければならなかったということです。単に、成果だとか功績を追求していたのでは、決して出来ない働きです。福音を受容し易い文化に行っていたならば、14年もかければ何千人もの回心者を得、大きな教会を建て、非常に能力のある立派な宣教師として、多くの人たちに賞賛されることもあったかも知れないのです。

 短期間で一定の成果を挙げなければならない文化から来た宣教師は、どうしてもその文化に影響され、短期間に成果を上げようとがんばります。また、その宣教師たちを支えている教会も、宣教師が短期間に立派な仕事をやり遂げることを期待しています。そのような状況の中では、短い期間で成果が上がらなければ、すぐに成果の上がりそうな新しい働きに乗り換え行くのが得策と考えられます。大きな宣教団体で、事務の働きをするとか、管理の働きをする宣教師、あるいは神学校や聖書学校で教える宣教師ならば、一定の期間の働きを想定して計画を作ることも可能であり、成果と言う面でも、あらかじめ可も無く不可もなく仕事をしさえすれば、「役立たず」という烙印は押されることが無く、自己イメージも保たれます。しかし、多くの宣教地、特に福音に対して心を閉ざしがちな文化背景にある宣教地で、伝道の働きを主に働く宣教師には、一定の期間とか一定の成果という設定をする事は困難です。初めから不透明な将来を設定して、信仰を持って進まなければならないのです。このような時、絶対に必要なのが持続性・継続性です。諦めずにやり抜いて行く力、意思の強さです。

 それはまた、他人の言葉や評価をまったく無視するということではありません。むしろ他人の言葉を喜んで聴き、評価を素直に受け入れ、大いに反省し改良と改善を加えながらも、初心を貫く意思です。そう言う意味で、宣教師は頑固一徹な人間でなければなりません。あれこれと色々なことに手を染め、何事も完成できず、ただ忙しく駆け回っているだけでは、仕事をしていない水車と同じ、空回りです。

 持続性の無い宣教師と共に仕事をすると、現地の伝道者たちはとんでもない苦労を強いられるはめになります。現地の伝道者たちがどのように一生懸命に頑張っていようと、現地の基準では、どのように素晴らしい働きが進められていようと、宣教師の胸先三寸で、仕事の継続と打ち切りが決定されるのです。日本の伝道者の中にも、そのような憂き目に遭った人たちが結構おられるようです。そうすると、たちまち伝道者の生活は行き詰まり、教会は閉鎖に追い込まれます。そのような宣教地での牧師・伝道者の悲哀を体験している私たちは、同じ思いを私たちの宣教地の牧師・伝道者に味合わせてはなりません。

 さらに宣教師の働きは、その宣教師の働きとして成功しても、それだけで評価されるものではありません。宣教師の働きの本当の評価は、その宣教師が去った後にその働きがどのような形で残り、どのような影響を与え続けているかによって評価されるのです。つまり、宣教師の働きは、宣教師個人の働きではなく、キリストのみ体の働きとして評価されるのです。その宣教師の働きがどのように成功を収め、大きくなり、有名になったとしても、その宣教師が去ったとたんに働きが出来なくなるようでは、本物ではないのです、宣教師の働きの持続性は、その宣教師がいなくなった後にも持続され、発展し続けてこそ価値があるのです。言い換えると宣教師の働きは、現地の人々に、いかに自分の宣教の理念と方策と献身とを、継承させて行くかに掛かっているのです。たとえ大きな教会は残さなくても、たとえ、大きな伝道団体は作らなくても、たとえ聖書学校を建てあげることが出来なくても、現地の人々にビジョンを与え、信仰を与え、献身を与え、希望を与えることが出来るならば、その働きは大いに有意義であったといえるでしょう。宣教師は、初めからそのような長期的な視野を持って、働くべきなのです。同じくひとつの教会を建てあげるとしても、その教会の自主自立を成し遂げることを目的とする教会を建て上げるのではなく、伝道者にも信徒にも、さらに新しい教会を生み出していく情熱と希望と喜びを理解させ、地域に拡大し、発展し、娘教会をたくさん生み出し、さらには宣教師を生み出して行くような働きをすべきなのです。

 私たちがバギオ市に開拓を始めたとき、最初からひとつのビジョンを持っていました。それは、この教会を宣教の教会にする事でした。教会として、宣教師の魂を持つ教会に育てることでした。具体的には娘教会を生み出し、さらに宣教師を輩出する教会になることです。残念ながら、当時の教区の指導者たちの不当な介入で、当初の計画はおよそ3年で中断し、教区の指導者たちに教会を委ねることになってしまいましたが、そのわずかの間に地の利、状況の利を生かして、いくつかの開拓に乗り出し、娘教会を生み出しました。また、当初から大学生たちを中心に、宣教キャンプなどを開催して宣教の働きに対するビジョンを分け、山岳奥地に連れ出し実践的学びと訓練を与え、宣教師になるものが出現するように努力をしました。私たちは様々な要因から、フィリピン人たちの中に、宣教師となることが出来る高度な資質を見ていたのです。その結果、そのわずかの期間に宣教師になる決心をしたものが何人も起こり、実際、現在5人の国外宣教師と2人の国内宣教師が活躍しているのです。(フィリピンは多重文化、他民族国家であるため、国内宣教師と言う考え方が通用します。)また当時一緒に働いていた伝道者の中にも、宣教の情熱を抱き、自分の働きから外国宣教師を送り出している者もいます。彼らは、最も優れた宣教師と言われるほど、成長し、活躍しているのです。

 また、このころに共に働いた伝道者たちの多くが、現在それぞれの場所で様々な困難にもめげず、任せられた小さなタラントを最大限に生かし、次々と教会を建て上げる働きをしています。たとえば、私たちが最後に開拓したサン・フエルナンド市の教会は、若い協力伝道者に任せましたが、現在は私たちのビジョンを自分たちのものとして、確か13の娘教会、孫教会を生み出しています。フィリピンのようなカトリック文化を背景にした土地では、このような働きは以前から充分に可能だったはずですが、まだ誰も行っていなかったものです。しかし、夢を語り、幻を分け合うことによって、宣教師である私たちがその地を去ってから、それが実現したのです。宣教師にとって大切なことは、持続性・継続性です。

12.指導力

 牧師にも伝道者にも、指導力は必要です。しかし私たちが目指すような、伝道を主体に働く宣教師の場合は、さらに一段と、指導者としての資質を必要としています。ひとつの教会だけではなく、多くの教会と多くの現地伝道者・牧師と働きを共にし、色々な意味で、指導者とならなければならないからです。しかも、実際伝道の働きは非常に多様性に富み、指導者としての働きもそれだけ複雑で、多様性を求められるために、実に醍醐味のある働きとなります。

 よく、指導者にはふたつのタイプがあると言われます。ひとつは機関車のようにどんどん引っ張っていくタイプで、もうひとつは余り目立たなく、後ろからそっと押していくようなタイプです。どちらが良いかは一概には言えませんが、しかしひとつだけ言えることは、納得していないことを強制して働かせるのは、指導者の働きではないということです。雇用主や管理者は金の力や組織や立場の力で、人を用いて働きを進めて行きます。しかし指導者は、金や組織、あるいは役職などの力によらず、その人格とビジョンで人を動かすものでなければなりません。たとえ当初は力関係、あるいは金の関係や立場の関係から始まったとしても、出来るだけ早い時期にそのような関係を乗り越え、人格とビジョンで人を動かす者にならなければなりません。

 協力して働く現地の人々が、宣教師の祈り、献身、忍耐、愛、に感動し、またその考え方、やり方、幻、夢、目標などに心から納得して、管理者でも雇用主でもなく指導者としての地位が確立するのです。ですから、指導者にはふたつの側面、すなわち信仰を含めた人格的な面と、働きに対する知識と能力という面です。この両方の面で、現地の人々の尊敬を勝ち取って、初めて指導者になれるのです。宣教師がお金を持っている雇い主の関係では、まだ、本物の指導者には成れていないのです。また指導者としての尊敬は、強制したり、要求したりしても勝ち取ることは出来ません。そう言う意味で、しっかりとした霊的生活を営み、現地の人々と確実なアイデンティフィケーションを作り上げ、信頼関係を築き上げなければなりません。また、聖書知識においても、神学知識においても、伝道の方策や作戦に作りにおいてもまたその実行においても、現地の人々に納得してもらえるものを持っていなければなりません。

 私ごとを言いますと、私は決して有能な宣教師として過ごしたのではなく、かえってあまり能力の無い宣教師として過ごしました。教区などが主催する様々な聖会やセミナーなどでも、私が講師になったことは一度もありません。いつも小さな目立たない裏方の仕事しかしていませんでした。現地の言葉が分からないために、現地の伝道者が一緒にいなければ何も出来ない、意気地の無い宣教師で終わりました。しかしそのようにして、あまり能力の無い伝道者たちとアイデンティフィケーションを持ち、長い時間彼らと一緒にすごし、彼らの考えを聞き、自分の考えや情熱や、ビジョンを語るうちに、彼らが私の情熱に感染し、考え方に感染し、ビジョンを共有し、いっしょに働く意欲を持つようになってくださったのです。

 私の宣教師としての理念、情熱、献身、目標、また、伝道の方策、手段などについて、私は、自分の話を聞いてもらう勉強会などはあまり行いませんでした。一緒に集まっては、色々な意見を聞き、話し合い、意見を交換し合い、共に働いただけです。ですから、私たちの協力伝道者の間には、目立つ働きとか、注目される仕事とか、尊敬される立場などについて、あまり関心を示す者がありませんでした。目立ちたがり屋で面子を大切にするフィリピン人たちが多い中で、これはとても大切なことでした。そして私が強調したのは、等身大の働きです。背伸びをしないで、自分に委託された賜物を最大限に生かすだけを心がけたものです。自分に無い賜物までを用いようと努力をしたり、得るべき以上の評価を得ようと考えたりしないことです。そのようなことで、私は現地の伝道者たちの中に、彼らと同じように、あまりたくさんの賜物を持っていない宣教師として、動機を植えつけることに成功したのだと思います。

 指導者のあり方には色々あると思います。しかしどちらにしろ、協力者たちに動機を与えることが出来なければ、指導者に成ることは出来ません。宣教師として大切なことは、どのような方法であっても、動機を与え、現地の伝道者たちが、自ら進んでやる気になるように、励ましてあげることです。

13.自己顕示をしない

 宣教師の3大Gという言い方がされたことがあります。ゴールド、グローリー、ゴスペル、すなわち金、栄光、福音と言うことです。宣教師を突き動かしてきた動機には、福音という純粋な動機以外に、金と栄光という不純なものが、福音と同じほど大きな力をもって存在していたことを述べたものです。現在は植民地時代や大航海時代ではありませんから、宣教師と金との関わりは殆どなくなったと言えますが、栄光は、以前ほどではないとは言え、いまだに多くの宣教師の、密かな動機や力になっていると言わざるを得ません。いまだに、宣教師になるということが自分の名誉になると思っている者たちが、結構たくさんいるのです。宣教師と言う名前を非常に大切にし、それにしがみつこうとしている者もいるのです。多くの宣教師の中には、宣教師として働いた経験を箔として自分の経歴を飾り、昇進の道具にしようとして宣教師になった者もいないではないのです。確かに現代は交通も通信も発達し、情報があふれて、宣教師と言う働きが、昔ほど憧れを持って語られることはなくなったとは言え、まだまだ、宣教師は特別に立派な者であり、優れたものであるというような感覚が残っているのです。

 宣教師になった者、あるいはこれからなろうとしている者も、はっきりと、明確に理解しなければなりません。宣教師と言う立場は名誉職ではなく、機能職なのです。宣教師の働きは、あくまでも、キリストのみ体の中のひとつの機能に過ぎません。それに携わることが出来る賜物を与えてくださったのは主であり、宣教師本人は、忠実に賜物を生かして働くだけであり、原則的に、他のすべての働きとなんら変わりは無いのです。宣教師には、確かに、自分が何者かであるかのように取り扱われたり、紹介されたりすることがしばしばあります。開発途上国に行くと、母国では想像も出来ないくらい高い地位の人に会い、著名な人々と交誼を持つことも出てきます。新聞やテレビなどのメディアに取り上げられることもあります。宣教師だというだけで、派遣先の団体で、重要な立場や役割を与えられることもしばしばです。宣教地の一般経済に比べると非常に豊かな資金を用いて、大きな働きを展開することも出来ます。それでつい、自分が何者かになったような、錯覚を起こしてしまうことがあるのです。

 そこで宣教師は、み位を捨てて人となり、人と同じように生き、人の僕になって自分を捨ててくださったキリストを、常に見上げて、そのみ姿に似る者になる努力を重ねなければならないのです。富も、家も、仕事も、楽な生活も、宣教師は捨てることが出来ます。しかしなかなか捨てきらないのが、この名誉を求める心です。どこかで、どのような形であれ、自己を顕示したくなるのです。自己顕示を捨ててこそ、本当の自己放棄だと思うべきです。牧師や伝道者として相当年季を積み、立派な働きをしてきた人たちが、教団役職の選挙に「入った、落ちた」と騒ぎ立てているのを見るのは、悲しいことです。教団の役職を、機能職としてではなく、名誉職と心得ている方たちが多いのです。選挙で選ばれないのは、不名誉なことだと思っている人たちがいるのです。そのために何としても汚名を雪(そそ)ごうと、画策する者も現われてくるのです。そしてこのような感覚をさらに強く持った人々が、宣教師になっている可能性が大きいのです。

 主のご栄光のためよりも、自分の名誉、名声、自己顕示のために働いている宣教師が結構いるのです。もう少し厳密に表現するならば、多くの宣教師にとっては、主の栄光のために働いていると思いつつ、現実には自己顕示欲のために働いているという瞬間が実に多いのです。その瞬間が実にしばしば訪れてきて、瞬間が瞬間で無くなり、習慣となってしまうのです。自分の働きを誇示したり、誇大表現をしたり、華美な宣伝をするのに長けた宣教師になって行きます。まさに現代は何でも宣伝の時代ですから、宣伝の上手な宣教師が得をします。どのように素晴らしい働きをしていようと、宣伝をしなければ誰にも認められず、献金も集まりません。ですから、宣教師は宣伝に力を入れなければなりません。支援者にレポートを送ることは悪いことではありません。かえって、すべての宣教師はレポートを送るべきです。しかしそのレポートが、過剰広告、誇大広告であってはならないのです。また、宣教師の自己顕示の場としてもならないのです。それを通して、支援する教会が、自分たちも宣教師と共に働いているのだという、共感と実感を持つことが出来るようにするのが重要なのであって、宣教師の自己宣伝となってはいけないのです。

 自己顕示欲が強い宣教師は、他の宣教師の素晴らしい働きを喜ぶことができません。ついつい彼らとの対抗意識をもって活動し出します。とても対抗しきれなくなると、不当な批判や中傷を流して、その働きを傷つけようとします。一般の人々と極めて同じような行動をとってしまうのです。残念ながらこの自己顕示欲が、人間社会のどの分野においても、物事を推進して行くための非常に大きな力となっているのは事実です。「虎は皮を残し、人は名を残す」という諺の通り、それが良いことのように言われているのです。有名になりたい、人から賞賛を受けたい、羨ましく思われたい、他人より高く評価されたいという欲望が、そのまま悔い改められることなく、宣教師の世界にも入り込んでいるのです。

 これにはまた、文化的な背景もかなり影響します。褒めそやして育てる教育を旨とするアメリカでは、幼少のときから褒められて煽(おだ)てられて大人になります。褒められたい、認められたい、賞賛されたい、みんなから拍手を受けたい、自分の名前が壁に掲げられ、放送でアナウンスされたいという気持ちを、どんどん大きくしながら育つのです。同じように仕事をするのでも、褒められること認められることを目標にやるのです。どんなに価値があり意義深い働きでも、人に認められ賞賛を受けなければ、やった本人には価値が無いということが起こるのです。そしてこのように育てられた人間が宣教師になると、必要な働き、大切な働きではなく、派手な働き、注目を浴びる働きを選び、常に自己宣伝を繰り返すようになります。さらにそのような宣教師を見て育つ、現地のクリスチャンや伝道者も、それを当然として生きて行くようになります。

 確かに、叱り付け、どやし付け、脅しと体罰で育てるよりも、誉めそやして育てたほうが効果的であり、精神衛生上も勧められる方法かも知れません。しかし、それには今述べたような副作用があるのです。アメリカには、自分の名前を嫁した伝道団体を運営している伝道者がたくさんいます。自分の名をつけた学校を運営している校長や理事長がたくさんいます。建物の礎石には「栄誉を称えて」という言葉と共に、まだ生きている人々の名前が刻まれます。それが普通なのです。日本においても似たような傾向がいたるところに見られます。神社に奉納するものには必ず奉納者の名前が書き込まれます。祭りの寄付では、金額と寄付を寄せた者の名前が必ず大きく書き出されます。鳥居には名前が刻み込まれ、賽銭箱には住み黒々と名前が残されます。しかし、アメリカほどあからさまな自己顕示は行いません。

 このような風習が教会の中でも、そして宣教師たちの間でも、何の違和感なしに行われていることがおかしいのです。宣教師たちは、少なくても宣教師たちは、自分の名誉や名声、栄誉や栄光のために働くのではなく、あくまでも主のご栄光のために働いていることを、毎日反芻しながら生きるべきです。そして本当に、他の宣教師や他の宣教団体の成功、他の教会の成長や他の伝道団体の祝福を、自分のこととまったく同じように、心から喜べるものになりたいものです。天真爛漫で、あけっぴろな自己顕示欲を持つフィリピン人の中で、私たちが強調したのは、喜ぶものと共に喜ぶことでした。他者の成功と祝福を喜び、そのために自分もまたわずかながらでも貢献できたことを、たとえ誰に認められなくても、貢献できたことを喜ぶことを、繰り返し、繰り返し学んだのです。

 宣教師たちの中には、自分はそんな影の働きをするために、これだけの訓練と学びを積んできたのではないという人たちがいます。そんな小さな働きをするために、わざわざ、あんなに大きな犠牲を払って来たのではないと、主張する者もいます。しかし、主の弟子たちの中でも三番弟子に挙げられるヤコブは、殆ど何の仕事もしないまま殺されてしまいました。彼の三年以上にわたる主との生活訓練は、無駄に終わったのでしょうか。あの御霊と知恵にあふれていたステパノも、思わぬ形で命を落としてしまいました。彼の訓練は、賜物は、能力は、無駄に費やされたのでしょうか。そうではありません。彼らは主に用いられ、最善のときに最善の形で使命を終えたのです。私たちもまた、一切の名誉を拒絶し、詩篇の作者のように「栄光は我らにではなく、我らにではなく、ただ主のみ名にのみ帰してください」と歌いながら働き、人の目から見るならば無駄死のように思える死さえも、喜んで受け入れたいものです。

14.献身と自己放棄 (1)

 前項で述べた「自己顕示をしない」と言うことは、結局のところ自己放棄の問題です。完全に自己放棄をしていれば自己顕示もしないはずです。ただ、自己放棄の中でも自己顕示欲を捨てることはことさら難しいために、別の項目で取り上げただけです。また、自己放棄と言うものは、献身の側面に過ぎません。完全な献身は、自己放棄を伴うものです。

 私たちはすでに代価を払って買い取られたもので、すでに主に属しています。献身していようがいまいが、私たちは主のものなのです。私たちに所属するものすべては、主の所有なのです。農夫が水牛を買い取ったら、その力も美しさも農夫のものです。水牛が「この見事な角だけは俺のものだ」と言い張ったとしても、その角を含めて、水牛は農夫のものです。そうだとするならば、尊い主の血潮と言う代価によって買い取られた私たちは、なおさらのこと、私たちのすべてが主のものとなっているのです。私たちの能力も知力も、生まれつきの能力も後から努力して習得した技能も、金も、地位も、財力も、すべて主のものなのです。従って、本来、献身などと言うことはありえないのです。すでに主のものである自分自身を、どうして改めて献げることが出来るでしょう。本来は、主に買い取られたという事実をしっかりと理解し、確認し、受け入れ、その事実に従って生きるだけなのです。ただそれだけのことです。そしてその単純なことを、私たちは改めて献身という言葉で表現しているのです。

 自分が主の血潮によって買い取られて、今や、その存在すべてが主のものなのだ、自分が生きるのは主によって生かされて生きるのであり、主のご栄光のために生きるのであると確認して、パウロと同じように、「私が生きるのは主のためであり、死ぬのも主のためである」と言い切る生き方をするのが献身です。主に買い取られて、主に属する者となったという霊的事実を、毎日の生活の中で意識して、それにふさわしく具体的に生きようと決意するのが献身です。自分のすべての行動、すべての行為、すべての働き、生き方自体が主のご栄光になるようにと願い、そのために生きるのが献身の生き方です。それは、人生の困難や悲しみ、問題や危機からの開放を求めて主の下にやって来た、自分中心の自分から、命までも捨てて自分を救いに入れてくださった方のために、感動と感謝と愛をもって、改めて自分自身のすべてを献げる行為です。従って、ここで求めるのはただ主のご栄光だけです。それ以外のものは含まれていないのです。何の見返りも求めません。主がまず私たちを愛し、すでにすべてを捧げてくださっているのです。

 宣教師は瞬間瞬間、このような理解を新たにし、確認し直しながら生きなければなりません。自分の中に、わずかながらでもわがままが芽生え、怠慢が忍び寄り、名誉欲が頭をもたげ、競争心が姿を現しそうになった時、献身を確認し直すのです。私たちが大きな教会を建てようと努力するのは間違っていません。もっと多くの人々が救われるように、あらゆる努力を重ねることも正しいことです。聖書学や神学の学びを続けて、修士号や博士号を取るにも良いことです。しかし、その中にいくらかでも功名心や、こけおどしの気持ちがあるならば、教会を建てる働きを横に置き、伝道の活動を中止し、勉強も棚上げにして、まず、主のみ前に座り直して、それを取り除く努力をすべきです。教会を大きくするのも、たくさんの人々を救いに導くのも、学問を修めるのも、あくまでも主にお仕えする者として、主のご栄光のために行うべきであって、自己獲得のために行ってはならないのです。いささか古いと思われるかもしれませんが、トマス・アケンピスの「キリストに倣いて」の精神が、ここで生かされなければならないのです。教会の働き全体が、資本主義の自由経済にのっとった、競争原理に支配されているように感じるのは、誤った感覚でしょうか。大きい教会の牧師が成功した良い牧師と言われ、多くの人々を救いに導いたと言われる伝道者が偉大と言われ、学位を持った人が尊敬を集めるような世界で、キリスト教界は本当にいいのでしょうか。献身と言うのは、自分のことを求めない生き方です。主のお働きのために喜んで自分を使い尽くして行く精神です。

 今、色々な国の様々な教団で囁かれていることですが、どうして伝道者になろうとする人が少ないのでしょう。どうして開拓伝道に赴く者の数が減少しているのでしょう。どうして都会で伝道したいと言う者ばかりで、田舎に行こうとする者が現われて来ないのでしょう。困難だからと言って、さっさと派遣先を捨てて、勝手に楽な所に行ってしまう者が出てくるのでしょう。自分が開拓した教会だから、長年働いた教会だからと言って私物化し、自分の子供に譲る牧師が増えているのでしょう。色々な原因があり、正当な理由もたくさんあることでしょう。しかし、献身の不徹底さ、自己放棄の曖昧さが、ひとつの大きな理由になってはいないでしょうか。そしてそのような風潮を作り上げた背後には、宣教師たちの自己中心的な働き、生活、生き方が影響していないでしょうか。少なくても、献身のモデルになるような宣教師が、余り見当たらないのです。信仰や献身と言うものは、言葉によって学べるものではありません。モデルがあって初めて学べるものです。宣教師がモデルにならないで、誰がモデルになるのでしょうか。

 私はたくさんの宣教師と付き合い、多くの宣教師の働きと生き方を見てきました。それぞれ、素晴らしい学識と能力と人格を備え、それぞれの分野で傑出した人々とも交わりを持つことが出来ました。実にたくさんのことを学ぶことが出来ました。心から感謝しています。しかし、献身と言う側面について、本当にモデルになるような宣教師には、なかなかお目にかかれませんでした。と言うより、まず、そのような姿を見せることが出来る働きについている宣教師に、会うことが出来なかったのです。学校で教える宣教師、事務所で机に向かう宣教師、管理の働きをする宣教師、招かれれば説教に出て行く宣教師、立派な勤め人としての宣教師ばかり見えて、朝も昼も夜も分け隔てなく、現地の人々と共に汗を流し、涙を流し、痛みを分け合うような献身者としての宣教師は、目に付かなかったのです。 

 宣教師が宣教地において贅沢な生活をしているというのは、現地の一般クリスチャンたちの間では常識になっています。宣教師の側から見ると、決してそのようなことは無いのだと思いますが、宣教師の母国と赴任地の経済格差と生活レベルの格差が、どうしても宣教師の現地生活が贅沢と見られてしまうのです。そして何人かにひとりはいる、実際に贅沢な宣教師の生き方が、真剣に自己犠牲をもって働いている宣教師の犠牲まで、犠牲にしてしまうのです。

 私がフィリピンに始めて行った頃、色々な国々から来た宣教師の家を訪ねました。中には、アメリカの団体によって支えられている、アジア人やアフリカ人宣教師の家も訪ねたことがあります。そして彼らの中の貧富の差もつぶさに見、生活の実情を聞きました。しかし、ただひとつだけ、宣教師たちには共通した所持品がありました。それは、エアコンです。そして私は多くのフィリピン人牧師や伝道者の家も訪ねました。宣教師を辞めて日本に引き上げるまで、多分100人を超えるフィリピン人牧師の家を覗かせてもらい、色々な話を聞くことが出来ました。そして、ただの一度も、エアコンのある家に行き当たったことはありませんでした。宣教師の中でエアコンを持っていなかったのは、避暑地の町に住んでいたひとたちだけで、暑い平地に住んでいた宣教師の中ではただ一人、フィリピン人と同じ環境に住みたいと願って、海外伝道部の勧めるエアコンをお断りになった、私の同僚、T先生だけです。私はと言えば、避暑地の町の近くに住んでいましたからエアコンは不要で、その代わり贅沢に、自分でガス釜とお風呂を設計し、作り上げて楽しみました。

 フィリピン人たちの多くが、異口同音に語っていました。「多くの宣教師は、実際にはフィリピンに来てはいない。なぜなら、彼らはエアコンの入った家に住み、エアコン付きの車に乗って、エアコンで冷えたオフィスに通っているからだ。1日24時間窓を閉め切って、本当のフィリピンの空気を吸っていないし、本物のフィリピン人にも会っていない。」確かに当時のフィリピンでは、よほど贅沢な車でなければエアコンが付いていませんでした。エアコンをつけて窓を閉めている車に乗っていると、交差点ごとに群がってくる物売りや乞食たちも、完全にシャットアウトして、無関心で過ごすことが出来ます。フィリピンに来ていながら、フィリピン人に会っていないという批判は、あながち間違ってはいないのです。

 要するに、宣教師たちがほんのちょっとだけ、現地で犠牲を払えば、多くの問題は解決するのです。ところが、宣教師は現地に来るまでにとても多くの犠牲を払っています。ですから、現地に来てまで犠牲を払いたくないという気持ちも分かります。しかし現地の人々は、宣教師が宣教師になるために払った犠牲を理解することは出来ません。彼らに分かる犠牲は、彼らと一緒に払う犠牲です。美味しくもない現地の食べ物を不満も言わずに食べるという小さな犠牲は、母国で捨ててきた大きな家や、高い地位、あるいは高収入の犠牲より、少なくても現地の人々には、目に見える大切な犠牲なのです。宣教師は、すでにたくさんの犠牲を払っているのですから、もうちょっとの犠牲など、どうと言うこともないはずです。もしも宣教師が、本当に自分を主のご栄光のために捧げて生きているならば、このくらいのことは出来るはずです。もしもこの昆虫を食べることが出来たなら、人類学修士号がもらえるとなると、あるいは、もしもこの犬の肉を食べることが出来れば、自分の顔写真がクリスチャン週刊誌の表紙を飾ると知っていたら、多くの宣教師は躊躇せずに食べるでしょう。主のためにも現地の人々のためにも食べられなくても、自分のためには食べることが出来るのは、献身が不徹底な印です。

 本当のところ、牧師にしろ宣教師にしろ、とても素晴らしい献身をしながら生きているのです。それはもう、一般の人々とは比べ物にならず、普通のクリスチャンとも格段の差があります。毎日毎日、献身の心と決意を新たにしながら生きているのです。しかし、多くの牧師や宣教師には、100に一つか、100に二つのわがまま、献身出来ていないところ、自分を捨て切っていないところがあるのです。そして、それが数日に一回、数週間に一回という割合でしゃしゃり出てきて、宣教師の人間関係と働きを壊してしまうのです。100に一つだけだから、100に二つだけだからと、許してしまう自分がいけないのです。鍋の水が漏ってしまうのに、ザルほどの穴が開いている必要はありません。わずか一つの、小さな穴で充分なのです。

15.献身と自己放棄 (2)

 宣教師は特別な人間ではありません。多くのクリスチャンたちと同じように、自分の弱さと足りなさを抱え、いつも悩みと痛みに直面しながら生きている者に過ぎません。それでも、主の御用のために、主のご栄光のために自分のすべてを差し上げて、お仕えしようと決心した者です。ほかの伝道者や牧師と同じです。確かに、他の牧師や伝道者には考えられないような、厳しい献身や自己放棄を迫られることもしばしばありますが、それは主に、外国という異文化の中で働くことからもたらされるものであって、献身や自己放棄の質に関わるものではありません。

 宣教師は、神様から仕事を与えられている「従業員」ではありません。宣教師になるとつい自分の役割と仕事、たとえば聖書学校の教師としての自分、あるいは何かのプロジェクトのディレクターとしての自分、または現地の伝道チームの責任者としての自分というようなもので、心が一杯になってしまい、ついつい、神様の御前における自分という最も大切な面を、ないがしろにしてしまいます。私たちは神様の御前に、いったい何者なのかということを、しっかり確認しておく必要があります。最近は、従業員感覚の牧師や伝道者が目に付きますし、宣教師たちの間でも、従業員のような理解しか持ち合わせていない人に遭遇します。たとえば、家族を大切にするという重要なことのために、午後5時までの働きしかしない宣教師がいます。午後7時には宣教師ではなく父親であり、午後10時には宣教師ではなく夫であるといった具合です。家族を大切にするということには異存がありませんが、やはり、献身者は、家族よりも主に仕えることを大切にしなければならないはずです。また、自分の役割というものをきつく定めていて、それ以外のことには無関心という宣教師も結構あります。聖書学校で教えることを自分の天職と心得、そのためにはどのような苦労もしますが、他の事にはまったく無関心という態度の宣教師もいるのです。

 ある日本の牧師から、次のような悔しい体験を聞きました。小さな開拓教会の責任を持っていた彼は、ぎりぎりの生活の中で何とか特別伝道会を計画し、講師として他の牧師をお招きするほどのお金もありませんでしたので、宣教師に来てくださるようにお願いしました。宣教師は二つ返事で引き受けてくださり、おまけに、人寄せのために映写機を持って来て、映画を見せてくださるとの申し出でした。まだテレビが普及していなかった頃のことです。牧師はすっかり喜んで、最善の準備を進めとうとう当日を迎えました。ところが、朝のお祈りをしてから、到着時間などの打ち合わせをしようと考えて宣教師に電話を入れると、宣教師は「すみません。今日は娘の誕生日だったことを忘れていました。私たちは家族のことを大切にしていますので、特別伝道会には行けなくなりました」と断って来たと言うのです。結局、宣教師は来てくれず、宣伝で約束した映画も見せられず、牧師はとても惨めな気持ちで伝道会をする羽目になってしまいました。

 さらに驚いたことがあります。私は二つの別々の宣教師たちの集まりで、遭えてこの話を披露して、彼らの反応を観察したのですが、この宣教師のやったことを「良くない」と判断したのは半分くらいで、残りの半分は、「仕方が無かった」という感じで、その中の半分、すなわち全体の4分の1程は、宣教師の不注意は責められるべきだが、子供の誕生日を優先したのはむしろ「正しい」判断であったと言ったのです。このように言った宣教師の殆どが、アメリカ人であったこともまた、悲しい事実です。多くの宣教師の働きと生活の例を学んだアメリカ人の学者たちは、宣教師たちに対して「家族を大切にするように」と勧めています。その教えが徹底しているのでしょう。また、アメリカ人の約束に関する概念と言うか、理解の仕方が私たちとは異なっているということも上げられます。

 どうやらアメリカ人は、たとえ約束していてももっと大切な事柄が出来てくると、すなわち正当な理由さえあるならば、その約束を破ることが出来ると考えているようです。もちろん、これには日本人も同意する事でしょう。たとえば親が死んだとか、子供が事故に遭ったとか言う場合はそれが許されます。子供の誕生日の祝いは、日本人にはそれほど大切なこととは思えませんが、かなりの数のアメリカ人宣教師にはそれが大切なことなのです。外国で暮らすということが、家族に犠牲を強いているという、ある種の脅迫観念に陥っているからです。ただ、宣教地の現地人伝道者であったことのある私には、少なくても献身者である宣教師にとっては、伝道会の約束の方が大切に思えるのです。アメリカの青年たちと話し合ってみると、約束に関する彼らの感覚が、日本人とはかなり異なっていることに気付きます。

 以下の話しは、私の個人的な自慢としてではなく、一つの献身の例として読んで下さるようにお願いいたします。

 夜11時を過ぎた頃でした。私は不眠不休の山岳地伝道から帰宅し、一週間ぶりの風呂に入っていました。暖を取った松の焚き火の煤に、お湯が真っ黒になるのを何となくいとおしく眺めていますと、電話が鳴り出しました。珍しいことに、マニラからの長距離です。金持ちの友人の次男坊で、牧師をしている青年からの緊急要請でした。「母の癌が非常に危険な状態で、お医者さんに、今日か明日か、長くて一週間と宣告されました。でも、母にはあまり痛みも無く、そのような危険な状態にあることは、まったく自覚していないのです。そして問題は、我が家の財産管理は一切、母にまかせっきりで、父は何も知らないことです。母がこのまま天に召されてしまうと、大変なことになるのです。でも家族のうちには、母に事実を告げて、すべての財産管理を明白にさせる勇気のある者が誰もいません。そこで、佐々木先生、申し訳ありませんがすぐに家に来て、母に事実を告げ、財産管理の問題を話していただきたいのです。」

 私はすでに、すっかり充分疲れ切っていましたので、言いました。「でも、あなたたち家族には、あのベテラン宣教師のL先生が、牧師として付いているではないですか。このようなことは牧師の働きで、単なる友人に過ぎない私の出る幕ではないと思いますよ。私が出て行くことは、牧会倫理上好ましいことではありませんから。」答えながら私は、神学校で私の教師であったL宣教師の顔を思い浮かべました。「でも、父は、うちの牧師をしている宣教師には、頼んでも駄目だというのです。今までも訪問して下さったことはないし、ましてや真夜中に来てくれるような人ではない。それに、母に上手に話してくださる能力も無いと・・・・・。」 

 電話の声に必死の思いが感じられて、私はしょうがなく、言いました。「じゃあ、ひと眠りして明日一番に出発します。数日ほとんど寝ていないものですから。」 ところが、布団にもぐり込もうとしたとき、また電話が鳴りました。今度は長男です。「佐々木先生。母は明日の朝まで持つかどうかわかりません。どうか今すぐに来てください。」 こうなってはしょうがありません。私は、何も知らずに眠っている子供たちに置手紙を残し、自分たちで朝食をとり、学校に行くように伝え、家内を助手席に出発しました。普段なら7時間かかる250kmの道のりを、真夜中のドライブということで3時間半で飛ばし、午前3時過ぎ、友人の邸宅に到着しました。正直なところ、あまりの疲れのために幾度も眠りに陥りそうになりましたが、ヘンデルのメサイヤを大きく響かせ、家内には大声で話をさせ、とにかく、行き着いたのです。それにしても、「車で15分のところに住んでいるのに、このようなことを頼めない牧師」に、私はいささか失望していました。実際は、頼みさえすれば飛んで来てくださったのかもしれません。しかしこの宣教師の常々の姿が、友人を失望させ、頼むことが出来なくしていたという事実が重要なのです。

 ついでに、この訪問の結果をお話しましょう。到着した時には、奥様は「珍しく眠りに就いた」ということで、私たちも仮眠を取ることが出来ました。翌朝早く、折よく小康を得ていた奥様のベッドの部屋に、家族全員を呼び寄せ、すべてをありのままにお話しました。幸い奥さんは非常に落ち着いて私の話を聞き、神様を崇め、「間近に迫った時」のために備えると約束してくださいました。後で聞くと、奥様はその日のうちに弁護士を呼び、すべてをまとめることが出来たということです。私たちは奥さんの遺言も確かめました。夫に残した彼女の言葉は「必ず素敵な女性を見つけて、再婚してください。ただし条件があります。その第一は、子供たち全員が賛成する女性であることです。もうひとつの条件は、佐々木先生の眼鏡にかなった女性であることです」というものでした。

 数日後の彼女の葬式には、参列しませんでした。それは私の働きではないからです。葬式には家族全員が、喪服ではなく真っ白な服装で臨み、お母さんの天国への門出を祝ったそうです。写真を見せてもらいましたが、長女はウエディングドレスを着ていました。参列した多くの人々は、あまりにも奇抜な葬儀に目を丸くしたそうですが、素晴らしい証の時になったということです。それからしばらくして、私の友人は金持ちの実業家の女性とお付き合いをしましたが、私たち夫婦の眼鏡にかなわなかったために、結婚は出来ませんでした。さらにしばらくして、彼は自分の長女の友人とお付き合いを始めました。そして、家族全員と私たちの眼鏡にもかなって、めでたく結婚したものです。今は25歳も若い奥さんに管理されながら、幸せに暮らしています。

 宣教師とは主のお働きのための従業員ではありません。私たちは主の僕です。僕には、勤務時間はありません。1日24時間、僕です。どのような仕事を命じられても、最善を尽くしてそれをやり遂げようとします。そして、「ふつつかな僕です」と言って、ご主人を立てるのです。宣教師は自分の名声や、自分の満足、自分の成功、自分の業績の向上のために、自分の計画に従って働くのではありません。ご主人に仕え、ご主人だけのために働くのです。大きな教会を建てるために働くのではありません。大きな伝道活動をするために努力するのでもありません。有名な牧師になり、有能な教師と言われるようになるのが目的でもありません。主に与えられた仕事を忠実に果たすのが僕の仕事です。宣教師に求められているのは、主と同じように、「枕するところも無く」生きることです。死人のことは死人に任せて、一旦、鋤に手をかけたならば、後ろを振り返らずに前に進むことです。たとえ伝道が「成功」し、大教会を建てても高ぶらず、困難な場所と状況で、どんなに努力しても何の成果も上がらないように見え、人々から無視されるような目に遭ったとしても、落胆せず忠実に仕えることです。

 パウロの中には、いろいろな自覚があったものと思われます。罪人の頭、異邦人への使徒、あるいは伝道チームのリーダーなどです。しかし彼が一番強く自覚していたのは「僕」ということではなかったかと思われます。しかもこの「僕」という言葉は単なる「僕」ではなく、むしろ「奴隷」と訳したほうが良いと言われるほどの、強い意味を持った「僕」です。文字通りの意味を採ると、自分の所有者は自分ではなく主人であるということです。パウロは自己主張をしませんでした。それはもはや自分が自分の所有者ではなく、自分の本当の所有者は、自分を尊い血潮をもって買い取ってくださった、主であると鮮明に自覚していたからでしょう。

 宣教師は、このような鮮明な自覚を、常に持ち続けるべきです。自分の人生はすべて、主人である方のために存在しているのだという、強烈な自己認識をいつでも再確認しながら働くべきです。他の宣教師と競争したり、現地の伝道者と争ったり、働きが認められて賞賛されたり、誤解されて非難されたりするとき、自分が誰であるかということを、確認し直すことです。私たちが献身というとき、しばしば陥る間違いは、「私たちは立派な人間であり、ひとかどの人間なのに、敢えて、主のために、進んでこのような惨めな厳しい状況の中に、自己犠牲をもて飛び込んだものだ」と、あたかもボランティア活動家のような気持ちを持つことです。

 私たちはボランティア活動家ではありません。私たちは死んでいた者です。今生きているのは主の命にあずかって、生かされているのです。私たちは罪の奴隷でした。ところが、いまやキリストによって買い取られて、主の奴隷になっているのです。私たちの献身は、自己放棄ではなく、本来の自分を認め、本来の自分の務めを果たすだけなのです。私たちは贖われた時、放棄する自己を持っていなかったのです。献身したとき、本当は、その献身する身を、自分のものとして所有してはいなかったのです。パウロのように、過去の自分に完全に死にきって、それを「糞」と感じるようになってこそ、宣教師としての使命を遂行出来るのです。そのような「献身」が出来ていないと、私たちは、自分の名誉だとか、権利だとか、権威だとか、地位だとかというもののために、すなわち自己獲得のために争うことになってしまうのです。
目次へ    次ページへ

Copyright © 2007 Masaaki Sasaki All right reserved.